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Washed Out

Washed Out

Paracosm

Sub Pop / よしもとアール・アンド・シー

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橋元優歩   Aug 12,2013 UP
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 チルウェイヴは、ベッドルームを「現場」に変えた音楽ムーヴメントだ。ベッドルームで生まれ、ベッドルームから発信され、ベッドルームで聴かれ、世界中のそれをつないだドリーミー・(シンセ・)ポップの一大潮流。だが、だからこそ、「そんなところにこもってないで現実を見ろ」と繰り返し問われつづけてもきた。

 ベッドルームは社会からの退却点であるか否か? チルウェイヴを支持するブロガーたちは「ここが現実ですけど?」と主張し、アーティストたちはただアルカイックにドリーミー・ヴァイブを生みつづけた。決着はともかく、こうした議論を含んだことで、チルウェイヴは時代の音としてのリアリティとコンセンサスとを得るにいたる。彼らの音はさまざまなジャンルをまたぎ、やがて「ヒプナゴジック(入眠)」なるマジック・ワードが登場して一切合切にオチをつけるまで、シーンには嗜眠的なムードと柔らかなサイケデリアが広がりつづけた。

※アンビエントやダブ、ドローンといった手法さえ、この文脈でずいぶんと一般化され、カジュアル化されたことは周知のとおりだ。実際のところ、パンダ・ベア以降のサイケデリック・ミュージックが示したユーフォリックな感覚を、今日につづくベッドルーム/ドリーム・ポップの流行へと咀嚼・拡張し、新しいリアリティとして提示することができたのは、まず何より彼らではなかっただろうか?

 ウォッシュト・アウトは、この流れを象徴するアーティストのひとりである。というか、チルウェイヴという呼称自体が、彼の『ライフ・オブ・レジャー』のために作り出されたようなものでもあった。それで、今日にいたるまで彼自身も繰り返しエスケーピズムの是非をめぐって追及されることになる。

 だから、筆者が彼の新作に望むものはけっして「新傾向」などではなかった。わたしはただ証明してほしいと思う。あのEPが世に出てから、彼とわれわれが過ごしてきたベッドルームの5年間が、間違いではなかったということを。チルウェイヴを象徴し、逃避的音楽のアイコンとなったあのEPの時間の先を、彼が「元気に」生きているということを。その限りでは新傾向でもなんでもいい。チルウェイヴの季節が終わっても、ウォッシュト・アウトは生きている、われわれも生きていかなければならない、さらに遠くへ逃げるのか、逃げるのをやめるのか、そのことがうやむやにならない音を聴きたいと思っていた。

 はたして、彼の回答は「パラコズム(Paracosm)」である。泣ける答えだ。

 これは空想の世界を意味する言葉だそうだ。幼年期からしばらくのあいだにかけて発達するという、別世界の創造体験。ウォッシュト・アウトことアーネスト・グリーン本人の説明によれば、「ここにある現実で起きていることが二の次になってしまう」、「白昼夢に耽りすぎている人たちのこと」......とすると、これはつまり、現実逃避と向かい合いつづけるのだという、ウォッシュト・アウトいまひとたびの宣言ということになる。

 胸が熱い。しかしまた、少し意外でもあった。なぜ意外かといえば、彼らの体現するエスケーピズムは「大して強くない」ことが特徴だったからだ。ひきこもるといっても、母親が怯えながらドアの隙間に食事を差し入れなければならないような反世界的な力はないし、クスリを一発キメて別の世界に飛ぶというニヒリズムもない。それはもっと優しくて弱くて、普通の人間の生活実感にあふれた逃避感覚だった。リーマン・ショックのあおりを受けて就職がままならなかった20代の、しかし実家暮らしで差し迫った生活の危機はないという境遇の、平凡な憂鬱......。

 だから、新作ではグリーン自身がずっと問われつづけてきたエスケーピズムへの批判や反応を部分的に受け入れ、社会性を回復していくという筋書きを漠然と思い描いていたのだ。ウェル・プロデュースなR&B、レトロな意匠のディスコ、あるいはバンド編成でのロック・アルバムという線もあるかもしれない。人生はまだまだ長い、青春を終えてしまった自分たちにとっては、そろそろ世間とうまくやっていく道を手探りすべきタイミングがめぐってきている。なんて具合の音が鳴らされているんじゃないか。

 しかし、ウォッシュト・アウトはそうしなかった。『パラコズム』はあくまで『ライフ・オブ・レジャー』を肯定し、その自然なつづきを描くアルバムだ。ほとんどの楽器をプログラミングではなく生演奏で録っているが、それは夢をもっと現実らしい夢に塗り直しているという点で業が深い。

 ジャケットを飾る花々の鮮やかな色彩。それは"パラコズム"のハープやストリングスの彩りそのままであり、"グレイト・エスケイプ"のダブルベースはさながら肉厚の花弁、その繊毛をそよと揺らしていくのが"フォーリング・バック"のアコースティック・ギターだ。16ビートを刻むハットは浜風、メロトロンはむせるような花々の香り、"フォーリン・バック"のノスタルジックなイントロ(ヴァン・モリソンの影響というのは、たとえばこうしたところに感じられる)は、その美しい背景を構築する。

 手に取れるように鮮明な夢である。オキーフの花々がそうであるように、こんな花々は実在しない。その実在することのない色を、ウォッシュト・アウトはたしかな筆致で塗り重ねた。『ライフ・オブ・レジャー』においてはチープなローファイぶりに意味があったが、レゲエやアフロ・ポップを意識するようにリズムに豊満さを備え、16ビートも心地よく洗練され、よりフィジカルな快楽性を増した今作は、彼の重ねてきた「逃避的な」時間に十分な厚みがあったことを証している。

 ぶっ飛ぶためのサイケデリックではない。そんなことではどこにもいけないと歴史的に証明されてしまったあとの世界の、醒めてここにいつづけるためのサイケデリック・ミュージック。それがそもそも彼らの音でありチルウェイヴではなかったかということにあらためて思いいたる。インターネットのためにベッドルームの状況も変わり、そこは必ずしも世界を遮断する場所ではなくなった。パンダ・ベア『パーソン・ピッチ』のインナーには、自室に鎮座する彼のPCが象徴的に写し出されているが、それはベッドルームが世界への入口かもしれないという、いまを取り巻く環境の喩のようですらある。チルウェイヴの源流にあるあの名盤から、閉じながら開かれるベッドルーム・ポップへとサイケデリックの読み替えが行われたこの数年の成果をわれわれはまだ手放すわけにはいかない。

 彼の音の浮遊感は、上昇というよりは落下の感覚だ。自由落下。行くところまで行って止まる。なるようにまかせる。詞にもそうしたモチーフが頻出する。思えば、最初に今作を聴いて「やっぱりウォッシュト・アウトは信頼できる」と感じたのはこの落ちる感覚を手放していなかったからだったのかもしれない。昇ってほしくない。というか、じっと落ちることについて感じ、考えていてほしい。昇ることからは引き出せない種類の知恵と、誰も不幸にならない落ち方とを示してほしい。"ドント・ギヴ・アップ"だなんて、なんと美しい逆説だろう。筆者には諦めることを諦めないというふうにしか読めなかった。それがアルバム中もっとも心地よく、ポップスとしての完成度を備えた曲であることが頼もしい。

 ここのところ通勤の山手線は完全にヴァカンスへと赴く人々のムードで常ならぬ高揚感を運んでいるが、「夏までにどうしても出したかった」とウォッシュト・アウト本人が述べるように、"ドント・ギヴ・アップ"はイヤホンのなかで夏の車中にしっくりと馴染みながら、それを洗うようにも鳴っている。この曲があれば、日常が戻り、秋がくるのもこわくない。

橋元優歩