「TT」と一致するもの

Kid Cudi - ele-king

 「Cause Day n Nite / the Lonely Stoner Seems to Free His Mind at Nite / He's All Alone Through the Day n Nite / the Lonely Loner Seems to Free His Mind at Nite / at at at Nite(そう、昼も夜も/孤独なストーナーは夜に解き放たれる/いつだって独りぼっち、昼も夜も/孤独な狼は夜に解き放たれる/夜に、夜に、夜に)」("Day n Nite"より)。ダンス・ポップとアーバン・ミュージックの結び付きがより一層強くなった09年、その最悪の結果がThe Black Eyed Peasの"I Gotta Feeling"だとしたら、最高の成果はKid Cudiの"Day n Nite"だと言えるだろう。そのヒットに続き、Cudiが自身のレーベル〈Dream On〉とKanye Westの〈G.O.O.D.〉とのダブル・ネームでリリースするファースト・フルレンス『Man on The Moon:The End of Day』は、キッズが、ナンパでもしようとクラブに出かけたはいいが、爆音でかかり続けるイーブン・キックとEしか持ち合わせていないプッシャーにうんざりして、ひとり部屋に帰ってジョイントを吸いながら自己嫌悪と自己憐憫に浸って聴くのにぴったりのアルバムだ。そのサウンドは、彼がナイーヴな心をタイトなファッションで包んでいるように、エレクトロを取り入れてはいるものの、リリックは至ってコンシャスである。しかし、それはレイト80sの外向きなそれではなく、レイト00s仕様の内向きなコンシャスネスだ。

 Kid CudiことScott Ramon Seguro Mescudiは84年、オハイオ州はクリーヴランドで生まれた。子供の頃から変わり者と呼ばれ、地元に馴染めず、20歳で大学をドロップ・アウトした後は、当時、00年代のソーホーと呼ばれ盛り上がりはじめていたブルックリンに移住、本格的に音楽活動を開始した。08年夏、A BATHING APEニューヨーク店のスタッフとして働きながら制作したミックス・テープ『A Kid Named Cudi』が、OutcastやN.E.R.D.、J-Dillaのビートを使ったスタイリッシュさで評判を呼び、Kanye『 target="_blank"』やJAY-Z『Blue Print 3』に参加、『GQ』誌ではLil WayneがサポートするDrakeやMark RonsonがサポートするWaleと共に09年度版「Men of the Year」に選出され、新たなコンシャス・ラップ・ムーヴメントを起こすに至った。こうして満を持してリリースされる『Man on The Moon』は、COMMONを水先案内人として、幼い頃に体験した父の死をきっかけに、月=自室に籠もってストーンしながら地球=世界をぼんやりと眺めているだけになってしまった内気な青年が、ゆっくりと重い腰を上げるまでを、"日没""恐怖""幻覚""躓き""出発"の5部に渡って描いている。
 Kanyeは勿論、ホーム・グラウンドのブルックリンからあのギター・デュオ、RATATATまでが参加、彼等が手掛けたシンセサイザーが渦を巻くビートの上で、サイケデリックなライムを歌も交えながら紡いでいくこの作品は、USでは「ヒップホップ・ヴァージョンの『Tommy』、あるいは『The Dark Side of the Moon』」と称されており、それは、約10年前にANTICON等がアンダーグラウンドで試していたことが、長い時間をかけてゆっくりとポップ・フィールドにまで辿り着いた事を思わせる、来る10年代のヒップホップである。

STICKY - ele-king

 「下から眺める 景色は最低だね」("MAKE MONEY TAKE MONEY"より)。日本のヒップホップ・シーンにおける所謂ハスラー・ラップ・ブームを牽引した川崎を拠点とするグループ、SCARSから、SEEDA、BAY4K、BESに続いて独り立ちするSTICKYは、記念すべきファースト・アルバムを、道端に唾を吐き捨てるような、そんな苛立った調子ではじめる。「彼女のウツ病と親の離婚/身内の不幸も重なりBAD/誰もいない場所 オレだけの世界/オレの帰る場所はどこ」(BES feat.STICKY"ネバギバ"より)。その名を好き者の間で一躍有名にしたのはBESの『Rebuild』に提供したこの救いようのないラインだった。果たして、それから1年強、完成したアルバムは大方の期待通り、ひたすらダークでダウナーなストーナー・ラップに仕上がっている。そこには、ハスラー・ラップのパブリック・イメージと違ってヴァイオレンスな描写もクライム・ストーリーもほとんどない。その代わりに鳴り響くのが、延々と続くバッド・トリップめいた世間に対する恨み辛みと、他人に対する勘ぐり、そして自己嫌悪である。「落ち着かねぇFUCK/金が戻ってくるのは何時になる/目を閉じると不安が襲うし/目を開けると現実となる」("MAKE MONEY TAKE MONEY"より)。「取り戻せない 時間と金/苦しむ また苦しむ/穴埋めの為の労働/苦しむ また苦しむ」("LOST"より)。「見たい夢がある/現実は社会の底辺に」("タマには..."より)。「誰も信用できねぇよ/誰かを信用したいよ でも」("FEEL MY PAIN"より)。その通層低音となっているのは、『Where's My Money』というタイトルが象徴しているように、自分は搾取されているという感覚であり、それは今、この国の階層の2極化が進むと共に増えつつある被害者意識を持った若者たちの無言の叫びをはっきりと代弁している。しかし、このアルバムが、和製フーリガン=所謂ネット右翼の連中とは違って少しだけ救いがあるのは、そのストレスを発散するために自分より弱い人間を叩くのではなく、夢と仲間をもう一度、信じてみようという素朴な価値観からやり直そうとしているところだ。鬱々としたこの作品は、後半、地元川崎の荒れた光景を描いた"同じ環境 違う場所"、崩壊した家庭に育った少年時代を振り返る"FEEL MY PAIN"、ハスリングの果てに入れられた堀の中での瞑想"終わりなき道"といった流れで底の底まで辿り着き、ラスト・ソング(そいつは、奇しくもUSのストーナー・ラッパー、Kid Cudiのヒット曲と同じタイトルを持っている)で音楽とホーミーに導かれるようにゆっくりと浮上しはじめた瞬間、バッサリと終る。「この苦しみから抜け出す/THUG MANSIONから抜け出す/MY BLOCK 苦しみで病む/THUG MANSION オレなら抜け出せる」("DAY-N-NITE"より)。それは、決意のようにも、気休めのようにも聴こえるが、STICKYがこの言葉にまで辿り着いた過程を思うと感動せざるを得ない。

let us talk about a battery - ele-king

20年前にアンビエント・ハウスを開拓したアレックス・パターソン、それから20年後に『アンビエント・ミュージック 1969―2009』を上梓した三田格、そしてパターソン博士によって人生を変えられたホワイ・シープ?が一堂に会する。

 トーマス・フェルマンも同席するとは聞いてなかった。なんだよ。頭の中では「スキゾフレニア」が流れはじめる。はじめましての握手をすると、パレ・シャンブール「ヴィア・バウエン・アイネ・ノイエ・シュタット」を口ずさみたくなってくる。いや、そうと知ってれば、あの不可解な『ロウフロウ』(04)をもう一度、聴いてから来たのに。ダブリーと組んで西海岸のアンダーグラウンド・ヒップ・ホップにアプローチしようとしたのはなぜだったのか。翌年にリリースされたジ・オーブ『オーキー・ドーキー』とはあまりにも明暗が逆で、何がどうしてどこがどうなっていたのか、気になって仕方のないアルバムだったというのに。

 そして、対談の相手であるホワイ・シープ?がやって来ない。もう、かれこれ30分近く待たされている。まったく偉くなったものだよな。ホワイ・シープ?がジ・オーブを待たせるなんて。民主党が政権を取ったんだなと実感する時はこんな......いや。

 時間つなぎに僕はたまたま持っていた『アンビエント・ミュージック 1969―2009』をフェルマンにプレゼントする。在庫が少なくなっているので(つーか、版元は2週間で品切れです)、無闇と渡せる数はないのだけれど、こういう時にはやっぱり役に立つ。僕が持っていたレコードの袋を指差して何を買ったのか見せてというような人である。アレックス・パタースンは自分の写真を見て笑い転げているだけだったけれど、熱心にページをめくっていたフェルマンはハットフィールド&ザ・ノースを見つけて「これ、好きなんだよ」という。ああ、なるほど。モーリツ・フォン・オズワルドがイーノ/ハッセルなら、トーマス・フェルマンは帽子畑。ある意味、とてもわかりやすい。

 ホワイ・シープ?がついに駆け込んできた。入ってくるなりジ・オーブ『バグダッド・バッテリーズ』に収録されている「サバーバン・スモッグ」を聴きながら走ってきたと皆にアピールする。
「これは走るのにピッタリの曲ですね」
「ありがとう」とフェルマン。
「はあ、はあ、はあ......」
 最悪のスタートである。

 気を取り直そう。

「ラヴィン・ユー」の通称で親しまれたジ・オーブのデビュー・シングルがリリースされたのは1989年。「20周年、おめでとうございます」と僕がいうと、ご機嫌になるかと思いきや、アレックス・パタースンは頭痛薬を飲みはじめる。昨日、ステージから転落して足が痛い上に歯も痛むらしい。そして、しみじみと「よくここまでやってこれたと思うよ」と感慨深げに頷いている。ジ・オーブのファースト・アルバム『アドヴェンチャーズ・ビヨンド・ザ・ウルトラワールド』を聴いて「僕の人生は変わりました」とホワイ・シープ?がいうと「僕の人生もだよ」とパタースンが切り返す。「こんなことがポップ・ミュージックでできるとは思わなかった」とホワイ・シープ?が続け、しばらくは思い出話。「レーベルに2万ポンドやるから2週間でつくれといわれたんだ」とか、パタースンがその頃、働いていた〈EGレコーズ〉が関心を示さなかったから自分たちで〈ワウ!ミスター・モドー〉を立ち上げたというような話。詳しくは『アンビエント・ミュージック 1969―2009』を立ち読みでもして下さい。

 そして、一気に20年後の世界。

「『オーブセッション』は過去の発掘音源をリリースするためのシリーズだと思っていた」と僕がいうと、フェルマンが得意げに「ルールは破られるためにあるんだよ」という。『バグダッド・バッテリーズ』は新録にもかかわらず「オーブセション」の3作目としてリリースされている。「じゃー、次にどんなルールを破るんですか?」と訊ねると、フェルマンは「次はオペラに取り組むんだ」という。その時は冗談だと思っていたが、実はこれは本当のことで、すでに作業にも取り掛かっているらしい。「昨日の夜もテレビでオペラを観ていたんだ」

「『バグダッド・バッテリーズ』はいつになくシリアスですよね?」と僕が続けると、パタースンはやや困ったような面持ちで「『プラスティック・プラネット』という環境映画のためにつくった曲はそうだね。映画の性格に由来しているところはあると思う」といって、『オーブセッション ヴォリューム2』を指差し、「これはジャケットが紙」、『バグダッド・バッテリーズ』は「これはプラスティック」とだけいった。『プラスティック・プラネット』は人類がプラスティックをつくりはじめてから人間の精子が減りはじめているということを報告するドキュメンタリー映画で、このまま行くと人類は......という内容のものらしい。「必ずしも映画を観る必要はないよ。映画には使われているけれど、サウンドトラックというわけではないから」

 オープニングとエンディングはベイシック・デャンネル風。みんなでジャム・セッションをやっている最中にキリング・ジョークのポール・レイヴンが亡くなったという報せが入り、そのまま彼の追悼曲になったものもある。「レイヴンズ・リプライズ」である。

「バグダッド・バッテリーズ」というのは3000年前につくられていた電池のことで、でも、「この時期にバグダッドという地名を使うということは、やはり戦争のことが頭にはあったんでしょう?」と訊くと、パタースンは「ジ・オーブはユーモアを大切にするグループだからね。そうだとは言いたくないけれど、そんな昔から文明を持っていた地だということを知ってもらうことで何かしら考えてくれたらとは思うよね」と、積極的には話したがらない様子。「20年前にも『ピース・イン・ザ・ミドル・イースト』というシングルを変名でリリースしていましたよね?」と深追いすると、「ああいうことは変名でやるんだ。あの時は湾岸戦争だった」と、これも口数は多くない。そう、メッセージの投げ方は婉曲的だけど、「バグダッド・バッテリーズ」や「ウッドラーキング」はとてもファンタスティックな曲で、それゆえにとても考えさせられる。ちなみに最近の遺跡調査の結果、チグリス・ユーフラテス文明はかなり高度な民主主義のシステムを有していたこともわかっている。

 後半はホワイ・シープ?との対談で僕はほとんど口を挟まなかった。そちらの方は動画でご覧下さい。ヴォイス・サンプルにこだわるホワイ・シープ?は真面目な顔で「ユーモア、ユーモア」と繰り返し、ジ・オーブはユーモラスな語り口で真面目な話をしてくれたという感じだろうか。そして、アレックス・パタースンは収録が終わってからどんどんユーモラスなキャラクターに変身し、1時間後には手のつけられない怪物と化していた! どこが歯が痛いって! ごぼう! ごぼう! ...って、そう叫んだかと思うといきなり観はじめたユーチューブがもはやなんだかさっぱりわからないし!

空間現代 - ele-king

 単音のギター・フレーズをサン・シティ・ガールズ的だとかいってみたり、重めのベースをノーウェイヴ(意外にDNAとか)・リヴァイヴァルにみたてたり、クリックを意識したドラムにsimをもちだしたり、歌とギターのユニゾンに「あぶらだこかな?」と呟いてみたり、『空間現代』にはなにかを彷彿させる瞬間は多々あるのだけど、総合してその彷彿したものと彼らが似ているかと問われると「はて?」と困る。彼らはマス・ロック以後のトレンドに同期した00年代の感性で複雑巧緻な曲想をタイトに演奏するものの、ギター(と歌)とベースとドラムスは楽曲の(時)空間に入れ替わり立ち替わり顔をだすだけで、三者がピッタリと重なる瞬間は全体の何割にも満たない。私は協和音や安定したリズムに「解決」するのを拒む姿勢が空間現代にはあって、その「解決」への抵抗は今日的だとおもうし、ノイズやクラブ・ミュージックの楽理的でない音が日常になった90年代以降の磁場をもう一度反転させたというか、屈折の屈折が表につきぬけたようなあっけらかんとした佇まいを音に感じます。15年前なら「違和」として成立していた表現が15年後には「宥和」を経た上でポップとして現れざるを得ない状況をさして「マイクロ・ポップ」と名指せるのだとしたら(ちがう?)、トリオ編成のロック・バンドというどこにでも転がってる形式を選択した空間現代はHOSEや相対性理論と同一直線上に位置するバンドであり、私は彼らのダジャレめいたネーミング・センスもふくめ、こういったバンドがいまの東京のアンダーグラウンドに多数存在しているような気がしてならない。

 私はここまで音を聴いた印象で書いてきたが送られてきた資料に野口順哉の解説があった。野口順哉(G、Vo)、古谷野康輔(B)、山田英晶(Dr)で2006年に結成した空間現代は元は「普通のロックあるいはパンク・ソングを作っていた」のだが「聴く音楽の幅が広がるにつれ次第と作る音楽にも変化起きてきました。より複雑に、より変な、何かが狂っているような珍妙な音楽を作りたいと思う様に」なったという。細かい楽曲解説は読者が本作を手にしたときの楽しみにとっておきますが、それを読む限り、私が一聴して感じた彼らのアイデアへの執着と、執着を実現するためのディシプリンは想像以上に高度だった。ズレを意思の力で貫くこと、互いに触発しあわないこと、しかし技術は放棄しないこと(彼らは細部はまだあらいとろこもあるが)。ポストモダンへのメタ批評っていい方はなにもいってないに等しいが、もっとも早いアートフォームであるポピュラー音楽はこうやって何度目かの死をむかえ、再生するのだろう。

Lightning Bolt - ele-king

 2009年11月15日、DMBQの演奏が終わった〈新代田フィーヴァー〉のフロアから数十人の客が押しだされるようにエントランスにあふれ、場内の熱気がここまでたちこめた。DMBQのステージを饒舌に語り、その前に演奏したインキャパシタンツとサーファーズ・オブ・ロマンチカに言及したかとおもえば、久しぶりに会った友人と肩を叩きあい近況を語りあう彼らの上気した顔はフットサルを一試合終えたかのように上気していて、汗の匂いの混ざった人いきれはライヴハウスよりもスポーツ会場のそれにちかいと思ったのは、私がビザの問題で中止になった3年前の来日公演の2年前に渋谷の〈O-NEST〉で見たライトニング・ボルトのライヴの印象をそこに重ねていたせいだろう。

 00年代のオルタナティヴ・シーンはその前半は90年代の圏域にあって、テクノからエレクトロニカへの生成変化をダンス・ミュージック・シーンのトピックだとすると、誰もが当時はサブジャンルの増殖が音楽史の要請というかリニアな歴史の必然(?)だと思っていたが、小泉政権下の平板化した価値観と対立したサブカルチャーに、どこかゆっくりと停滞していく感を抱いていていなくはなかったか? オルタナティヴ・ミュージックも例外ではなく、ライトニング・ボルトは94年に結成した私と同世代のバンドだから、97年のファースト『Lightning Bolt』のサイケデリックなトリップ・ミュージックには90年代のジャンクやノイズの残像がつきまとっていたし、ドラムとベースのアクロバチックな対比をコンポーズしたセカンド『Ride The Skies』(00年)からもメルト・バナナやルインズと似たコンビネーションが透けて見えて、スリリングだが完全に新しいとは思えなかった。私は当時の彼らの音楽はテンション――緊張感という意味とともに楽音と雑音のボーダーを志向するテンション・ノートの含意もある――があふれていて、彼らは即興演奏と同じスタンスで演奏に向きあっていたのではないかと思う。フリー・ジャズかフリー・インプロヴィゼーションかという問いの繰り返しになる気がするが、丁々発止の演奏の弁証法は意外にクセモノで、最後にはカタルシスに昇華する演奏は類型化しがちだったりする。それを回避するためにデレク・ベイリーはノン・イディオマチックなフレーズをノン・エフェクトで演奏する方法を選んだわけだし、ノイズ・ミュージックは五線譜をトーンクラスターで塗りつぶすことであらがった。ライトニング・ボルトはファースト以降、「即興的」なメソッドから切りかわった印象をもたせながら、ブライアン・チッペンデイルとブライアン・ギブソンには00年代にはいってしばらくはまだ引き出しがあったはずだ。それはなにを指すかといえば、プレイヤーに染みついた手クセ......といって悪ければフレーズやリズムのストックみたいなもので、互いに手札を切り合うふたりの関係がライトニング・ボルトのテンションに担保していたのではないかと彼らのキャリアを振り返ると思える。批判でなくそれはアートスクールの学生バンドだった彼らがどうやってライヴにインパクトをもたせるか直感的に導き出した道だったはずで、四の五のいわず彼らのライヴに足を運んだ誰もが体感することだと、二度目の来日公演(04年)でできたモッシュ・ピットのなかにいた私は思う。そのときもフロアでうねる人の波の中央でライトニング・ボルトは汗を飛び散らせて演奏していた。彼らの様子をこの目におさめるにはモッシュのうねりに踏みこまなければならない。そこにはダンス・ミュージックとハードコアの邂逅が起こったこの国の00年代DIYカルチャーへの米国からのアンサーの趣さえあった。

 数年前のライヴは90年代から00年代へのシフトを印象づけた――彼らは結成当初からずっとそんな感じだから自覚なんてないだろう――けど、一方で反論の余地のない圧倒的な肉体性はそこに注視するあまり音楽性の移り変わりに向ける目を曇らせた。私は『Earthly Delights』のライナーで「高いピッチにチューニングしたドラムスと、トリッキーなベースによるリフでストップ&ゴーをくりかえす構築方法に作品ごとの異同はない」と書いた。私は今回のライヴでそれを追認するだろうと高を括っていた節がなくもなかった。エントランスからライヴ・スペースに戻るとフロアにしつらえられたドラム・セットのまわりには人垣ができていた。人垣はすでに前のめりだった。私は今回は後方に構えていた。演奏がはじまると、客同士は肩をぶつけあいモッシュがはじまった。彼らの姿はここから見えない。私はしずかに演奏に聴き入っていたが、そのうち身体を揺する衝動に勝ってドラムスとベースの最小単位のユニットが繰り出す音の重なりに耳を奪われた、むかし(?)のいい方でいうとロックされたっていうの? 平面だと思っていた絵が立体にみえたというか、演奏の奥行きは肉体性の発露と拮抗したインナーなトリップ感をもっていた。前方の人壁を眺めていた私の視界の右から左へ塩田正幸が担ぎ上げられ横切っていった。私は終盤にむかう演奏を聴きながら、彼らはライヴ・バンド然としたパフォーマンスの土台にある音楽性を進化させ、リフ(レイン)の組み合わせで構築した楽曲に演奏の成熟度が垂直のレイヤー構造とも和声的な厚みを加えてきて、4作目の『Hyper Magic Mountain』(05年)で音が変わったと思ったのは音質がよくなったせいだけでなく、両ブライアンの音楽に向かうスタンスが変わったせいじゃないかと自問しはじめた。そこにはスポーティなまでのテクニックのせめぎあいから音楽の有機的な結びつきへのたしかな「異同」があり、『Hyper~』を経て、『Earthly Delights』で彼らはオルタナティヴ・ミュージックの90Sから00Sへの微細だがしかし見過ごせない変化を推し進めてきた。

Matias Aguayo - ele-king

 ミニマルの将来だって? 知ったこっちゃないわよ。昨年のシングル「ミニマル」(DJコーツェによるリミックスを含む)によってヒットを飛ばしたチリ人で、かつてクローザー・ミュージックのひとりとして活動しながら、初期〈コンパクト〉の名声にも一役買っていたマティアス・アグアーヨは、しかしミニマルが同じところをぐるぐる回っている事態を許さない。2005年の『Are You Really Lost』以来のセカンド・アルバムとなる本作は、おおよそスペイン語の声だけで作られたミニマルである。15歳の石野卓球も同じことをしていた。高校1年生の彼は、自分の声をボスのギター用のコンパクト・サンプラーに取り込んでループさせ、その上にシンセをかぶせながらデペッシュ・モードの"ニュー・ライフ"をカヴァーしていた。あの時代とは、機材も状況もぜんぜん違う。で、可笑しいのが、アグアーヨがこのアルバムで展開している"実験"は、どうにもテクノ・ポップめいていることなのだ。声のサンプルを楽器代わりに使うという発想が、まあ、80年代的ではある。

 シングル・カットされている"Rollerskate"は良くできたポップ・ミニマルで、男の低い声と女の声が絶妙に交わっているトラックにディスコ・ソングが乗っかる。〈コンパクト〉らしい無邪気な音楽だ。"Ritmo Tres"は『ピッチフォーク』によれば「トーキング・ヘッズ・オン・E」だそうで、まあ、「ミニマル」もそうだったが、たしかにそのアフロビートはテクノ・サウンドのなかで咀嚼され、ユーフォリックに変換されている。僕はこの人のフェイクなエキゾティズムが気に入っていて、だから僕に言わせれば「マーティン・デニー・オン・E」となる。アルバム最後の曲"Juanita"は、ケルンのクラブとポリネシアの海岸を繋いでいるようだ。一瞬、何か騙されたような気持ちになるかもしれないが、しばらくすれば心地よくなる。ユーフォリックに変換されているから。"Koro Koro"も好きな曲のひとつ。これはまるで......リオの海岸でクラフトワークがサンバを演奏しているようだ。

 だいたいiTUNESでこのアルバムを取り込むと、ジャンルは"Easy Listening"となる。まあ、たしかにそうかもな~。

intervew with 2562 - ele-king

正直言うけど、ミニマル・テクノにはいっさい肩入れしたことはないんだ。それよりも僕はソウルフルなデトロイト、あるいは生でディープなハウスを好む。

 去る11月17日、代田橋の〈FEVER〉に七尾旅人のライヴを聴きに行ったとき、偶然にも中原昌也と会って、その雑談の途中、なぜか話が2562のセカンド・アルバムに......。そうです、いまではすっかりオランダのダブステッパーとして認知されてしまったデイヴ・ハイスマンスによるダブステップ・プロジェクト、2562のセカンド・アルバム『アンバランス(Unbalance)』が本当に面白い。

 1年前の、2562名義によるファースト・アルバム『エイリエル(Aerial)』は、欧米でも日本でも「ダブステップとミニマル・テクノとの出会い」と評価されたものだけど、どうやらこのオランダ人はそれが気にくわなかったらしい。以下、簡単ではあるけれど、来日前に彼にメール・インタヴューを試みて、いろいろわかった。あー、そうか、それで今回の新作『アンバランス』は、解釈の仕方によっては、音に酔うことを拒んでいるようにさえ聴こえるのだ。

 それはファーストとは全然違うし、同じオランダ人で、同じようにハウス/テクノからの影響をダブステップに混ぜるマーティンの、今年出たファースト・アルバムとも全然違う。マーティンの耳障りの良いダブステップ・ハウスと比較して、2562のほうはまさにバランスを失っているようだ。が、それは際どいところでデトロイティシュなファンクとして成立している。ダンス・ミュージックとして踊れるけれど、関節を逆に曲げてしまいそうである。

 とにかく、シングルとして先行リリースされた「Love In Outer Space」が象徴している。人はこのトラックを聴いて、まさかこれがダブステップだとは思わないだろう。強いてジャンル分けするなら、テクノが妥当だ。僕ならモデル500あたりのエレクトロの近くに並べる。とはいえ、それでもこのグルーヴ――ややつんのめるような、もたついたビート感覚は確実にダブステップ以降のものではある。そしてそれはクラウトロックのように真っ直ぐ進んでいく感覚ではなく、やたら曲がりくねったりしうながら進んでいるのか戻っているのかよくわからない感覚......、関節を逆に曲げて踊ってしまいそうな......。
 手短に言えばエレクトロ・スペース・ファンク、ただしものすごくユニークなそれ......である。

こんにちわ、このメール取材を受け入れてくれたありがとう。最近はDJで忙しい?

秋はホントに忙しかったよ。数週間前にオーストラリア・ツアーから戻ってきたばかりなんだ。その前は、イギリスでもずいぶんとプレイしたな。こんど日本でやるギグが今年最後になる予定だ(注:取材は来日前にしている)。12月は家でリラックスしながら、新しい作品を作りたいと思っている。

僕は一度だけデンハーグに行ったことがあるよ。クリーンな町だったという印象を持っているんだけど。

ホント? きっと天気が良かったんだね(注:実際に良かった)。僕はあの町が好きだけど、同時に、ちょっと退屈で灰色な感じにも思うんだ。でもそれが良いことでもある。あまり面白味のない町だから、自分のことに集中できるんだよ。

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そもそもあなたはどうやって音楽のシーンに入ったの?

基本的に、ダンス・ミュージックが好きなんだ。ひとつの種類の音楽だけを聴いてきたわけじゃないけどね、ダンス・ミュージックは10代の頃からずっと好きだった。90年代初頭にハウスにハマって......だけどプロダクションを覚えたのはずいぶん遅くて、わずか6年前さ。僕は心底音楽を作りたいって思っている、それも以前にはないような新しいものをね。で、ダブステップにもその過程で出会ったんだよ。とても興味を抱いた、2005年ぐらいだったかな、シーンのなかに多くの実験が繰り広げられていたんだ。でもね、ハウスとテクノがいまでも僕のホームだ、自分ではそう思っている。

何歳ですか?

30歳。

2562って名義は......?

ハーグで昔住んでいた僕のエリアコード。もう引っ越してしまったけど、その家の部屋でずいぶんと音楽を作った。アルバム(Unbalance)に収録した"Narita(成田)"がその家で仕上げた最後のトラックだったな。1年前に日本に来たときに作りはじめた曲なんだよ。

A Made Up Sound名義とDogdaze名義について教えて。

A Made Up Soundは僕のなかでもっとも長いプロジェクト。僕にとってまさにハウスやテクノといったエレクトロニック・オリエンティッドな音楽をやるときの名義だ。2562はベース・ミュージック。このふたつの名義の作品はたまに近づくことがある、だけど僕のなかでは明白に分けて考えている。Dogdaze名義はサンプル主体のプロジェクトだったけど、もうこの名前は使わない。2562の新しいアルバムのなかでその名残りが聴けるよ。

ブリストルの〈テクトニック〉からリリースすることになった経緯を教えてください。

〈テクトニック〉が、僕が最初に2562の音源を送ったレーベルなんだ。何故かと言えば、僕は彼らの音が大好きだから。ここ2年、2562は〈テクトニック〉から出している。レーベルをやってるピンチも最高のヤツだし、他のレーベルを探すなんて考えられないね。

2562が出てきたときダブステップとミニマル・テクノの混合だってみんな評価したよね、そのあたりのバックグラウンドについて話してください。

正直に言うけど、ミニマル・テクノにはいっさい肩入れしたことはないんだ。それよりも僕はソウルフルなデトロイト、あるいは生でディープなハウスを好む。90年代半ば以降はドラムンベースやブロークンビーツも好きだった。〈メタルヘッズ〉や〈リーンフォースド〉......というかそのシーンのすべてが。

あなたのシングル「Love In Outer Space」がホントに好きでね、この音楽からはデトロイティッシュなフィーリングを感じましたよ。モデル500、UR、カール・クレイグ......。

それは、ありがとう。実際のところ、このトラックは2年前にエレクトロ/テクノのトラックとして作りはじめたんだよ。しばらく放っておいて、こないだの夏に完成させた。デトロイト・テクノは大好きだ。90年代、僕はまだ若過ぎて、それをリアルタイムで聴いていなかった。だから、追体験したんだよ。デトロイトはテクノのルーツだ。だから、テクノに影響される――それはデトロイトに影響されるってことを意味するんじゃないのかな。

セカンド・アルバム『Unbalance』のコンセプトについて訊きたいんだけど。

アルバムは『Aerial』が出る前から作りはじめている。あのアルバムが出たとき、実はまったく嬉しくなくて、もうとにかく新しいことをやりたかっただけなんだよ。正直言って、作りはじめたときはコンセプトはなかった。わかっていたことと言えば、自分が何か違うことをやりたがっていたこと。そのひとつの例が、昔自分がやっていたサンプル主体の音作りだったりするんだ。

タイトルを『Unbalance』としたのは?

最初にそのタイトルの曲ができたんだ。アルバムの多くのトラックは僕に落ち着きのなさを与え、その言葉がアルバムのタイトルにするに相応しいと思った。自分の音楽について心理学的な説明をするのは好きじゃないけど、たとえばの話をしよう。ある日突然自分の作品が世間から注目されて、毎週末ギグ(DJ)のために飛行機に乗るような生活になってしまう。それはその人の人生にものすごいインパクを与えてしまうものなんだよ......。

マーティン(Martyn)は古い友だち?

彼の音楽は大好きだよ。

ふたりとも似ていると思うんだけど。つまり、ハウス/テクノからの影響をダブステップに混ぜているという点が。

知り合ったのはこの2年。音楽を通じて知り合ったんだよ。彼の音楽は本当によく聴いている。人が僕たちふたりを比べたがるのはわかるよ。同じオランダ人だし、同じようにハウスとテクノが好きだし、似ていると感じるのはわかるんだけど、僕自身はまったく別物だと思っているんだ。だいたい彼のほうが僕なんかよりもメロディアスだし、キャッチーなフックがあるでしょ。ハハハハ。

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あなたの音楽でもっとも大切なものは?

作った音楽による。クラブ・トラックならグルーヴとエナジーをもっとも大切にする。アルバムにおいては物語性を重視するよ。音楽が語り出して、聴き手を最後まで惹きつけていく、それが僕の目指すところだ。おそらく緊張感はそのために必要なんだ。ただし、リスナーに感情を押しつけるようなことはしたくない。むしろ自由に解釈できる余白を残しておきたい。

おそらく人は、いまでもダブステップを内向的でダークな音楽だと思っています。しかし、現実的にはダブステップは加速的に多様化しています。ダブステップの将来に関するあなたの意見を聞かせてください。

僕は最近は、ダブステップに関してはそれほど注意を払っていないんだ。だから将来については何とも言えないな。ただ、最近はとても多くの興味深いベース・ミュージックが出ているように思う。それらはどんなカテゴリーにも当てはまらない類のものだ。それは実に健康的なことだよ。そしてそこには多くの実験が繰り広げられている。本当に早く、再び、ことが動いているんだ。

 2562のセカンド・アルバム『アンバランス』を聴いていると、いちど売れてしまったことでなおさら彼のなかの欲望が増幅したことを感じる。今年彼がA Made Up Sound名義で出したシングルも良さそうなんだよな~。本当は、僕はシングル「Love In Outer Space」のB面が好きなのだ。アルバム未収録のその曲"Third Wave"は、はっきり言ってデトロイト・テクノそのもの、実に格好良く決まっている。

Jimi Tenor & Tony Allen - ele-king

 トニー・アレンに関しては2006年にロンドンの〈Honest Jon〉が出した『Lagos No Shaking』が素晴らしかったが、昨年の『Lagos Shake: A Tony Allen Chop Up』も面白かった。話題となった"Ole"のモーリッツ・フォン・オズワルドによるリミックスや"Fuji Ouija"のディプロによるリミックスをはじめ、マーク・エルネストゥスやカール・クレイグならまだしも、なんとリオデジャネイロのバンド、ボンジ・デ・ホレのリミックスまで聴けるし、アレンと最近のクラブ・カルチャーとの親密さがよく表れていた。もっともアレンを再評価しているのはクラブ界隈だけではない。アフロビートの父は、この10年かなりの売れっ子で、デイモン・アルバーンからシャルロット・ゲンズブール、エールからジェイヴィス・コッカー、あるいはポール・サイモンまでとその交友関係は異様に幅広い。10年前くらいだろう、僕はこの偉大なドラマーのライヴを、フランスとベルギーの国境沿いで開かれた、リッチー・ホウティンやカール・クレイグなんかが出演するようなフェスティヴァルで観ている。

 何故この10年、アフロビートは求められたのだろうか。フェラ・クティが1997年に他界したことで今年69歳になるドラマーは再評価されたのだろうか。はっきりわからないけれど、結論を言えば、ヨルバ族のリズムとアート・ブレイキーとの結合によって生まれたアレンのビートは、ダンスの時代においてもっとも偉大なドラミングとなった。しかも......、ここ数年アレンを引っ張り回した連中の顔を見ればわかるが、揃いも揃ってインテリはアフロで踊ったというわけである。たしかにアルバーンのように政治的にも、われわれはアフリカを注視すべきなのだろうが......。

 ワールド系やブラック・ミュージックを得意とする〈K7!〉傘下のサブレーベル〈ストラト〉の"Inspiration Information"シリーズの第4弾は、アレンとフィンランドのアーティスト、ジミ・テナーとのコラボレーションになった。ちなみにこのシリーズは昨年、デトロイトのアンプ・フィロラーとスライ&ロビーとのコラボレーション作を出しているが、はっきり言ってパッとしない内容だった。買って損した気分なって、中古屋に売った。そういう苦い経験から、今年の春に出たエチオピアのドラマー、ムラトゥ・アスタトゥケとザ・ヘリオセントリックスとの同シリーズは見送ったし(評判は良いですけど)、今回もまた疑りながらこのアルバムも聴かなければならなかった。ジミ・テナーというのも微妙だったりする。この男は、ハウス、エレクトロ・ポップ、フリー・ジャズ、いろんなことに手を染めすぎている。......が、世界でもっとも偉大なるドラマーがその窮地を救ってくれた。
 70年代から80年代にかけて、アレンの創出したリズムを史家たちは「アフロファンク」と呼ぶが、本作はまさしくアフロファンクの作品だ。ジミ・テナーとテナーが関わっているベルリン在住のバンド、カブ・カブのメンバーたちがこの巨匠を迎えての録音で、アレンのパワーと共振しながら迫力ある演奏を展開する。驚いたのは、ジミ・テナーがベースを演奏してアレンとともにアフロファンクの一部となっていることだ。それは確実にこのダンス・ミュージックのグルーヴを強調している。が、それはお決まりの"アフロ"ではない。サン・ラーめいたオーケストレーションもあれば、ラロ・シフリンかと思わせる洒落た展開、あるいはジャジーでドリーミーなノスタルジア......かと思えばギル・スコット・ヘロンのようなMCも登場する。テナーは歌い、ほとんどのメロディー楽器(フルート、テナー・サックス、キーボード、カリンバ、、マリンバ等々)を操り、この出会いに色気を与えている。
 アレンとテナー、この意外な出会いによって、そして目もくらむような音楽が生まれたというわけだ。

Hudson Mohawke - ele-king

 春先の6曲入り「ポリフォーク・ダンス」に続くエレクトロニック・アブストラク・ヒップホップのファースト・フル・アルバム。これまでにリリースしてきたヘラルズ・オブ・チェインジ名義のEP群やルーキッドなどに提供したリミックス・ワークなどをまとめて使いまわしたような仕上がりで、いささか新鮮味には欠けてしまったものの、「プリンス+エイフェックス・ツイン」ともいえる音楽性は方向性も定められて、ひとつの終わりとして聴くには充分ではないかと(プリンスに寄ったプロジェクトとしてはオリヴィエ・デイ・ソウル『キロワット』、エイフェックス・ツインに寄ったものとしてはヘラルズ・オブ・チェインジ「シークリッツEP」がグー)。そういう意味ではフライング・ロータスをスラップスティックに解釈し直したクップ・ケイヴ『ガーベイジ・ペイル・ビーツ』(08)と共有しているものは多く、ブラック・ミュージックとヨーロッパ的なディスロケイション趣味が結びつこうとする衝動には一種の高まりが感じられる(シングル単位でいうとドリアン・コンセプトは控えめな方で、ショートスタッフやスターティング・ティースはあっという間にクルクルパー。ジェイミー・ヴェクスドによるスターキーのリミックスもいい線行ってます)。

 グラスゴーという土地柄とはどうも結びつかないので、グローバルな気運を体現してると考える方がよさそうだし、昨年、実際に粉川哲夫氏がグラスゴーに行くというので彼のライヴがあったら観て下さいとサジェスチョンしたところ、土地の人でモーホークの名前を知っていた人はひとりもいなかったそうだ(氏は同地で行われた音楽イヴェントのために渡英している)。つまり、どこからどこへ向かう音楽なのか全体的にはまだ把握しきれていないということですね。必要なのはリアクションという時期だということでしょう。前述「ポリフォーク・ダンス」とのダブりはなし。オール・シティからリリースされて、すぐに売り切れたハドスン・モー名義の7インチ・シングル「スター・クラックアウト」は再録(これはドローンとはいわないけれど、プリンスともエイフェックス・ツインとも違う賛美歌風チル・アウト)。オリヴィエ・デイ・ソウルも2曲でヴォーカル参加。

センコロール - ele-king

 音楽の世界ではもう80年代末くらいから自分ひとりの手でベッドルームの自宅スタジオにこもって作品を完成させることは夢ではなくなったし、そのころに比べてもコンピュータや録音用のソフト、機材が格段に安くなった現在では、もはやかつてのように豪華なスタジオでミュージシャンを呼んで何ヶ月もかけて録音することのほうがレアで贅沢な手法になってしまった感もある。映像の世界だって、昨今のハリウッド映画を観たらもはや"実写"と呼ぶのさえ憚られるようにデジタル合成やCGのオンパレード、かつては表現できなかったことがほぼ何でも実現可能になってポストプロダクションと制作者の創造力にかかる重要性が増している。

 しかし映像の制作は音楽とは比べものにならないくらい金がかかるから、普通は労働集約産業化する。日本のお家芸、セルアニメなどは一枚一枚絵を描いて(フルアニメだと1秒で24枚)動かさなければならないわけで、膨大な人手が必要だ。本作、『センコロール』は、新海誠『ほしのこえ』(02年)など、近年少しずつ増えてきたインディー・アニメの最先端に位置する作品で、マンガでの受賞歴もある宇木敦哉が監督・脚本・作画と制作の主要部分をすべてひとりで行っている。

 正直に言うと、新海誠が彗星のごとく世に出て、高性能のPCと才能、根気さえあれば、アニメだってひとりで作れる時代になったと騒がれても違和感が拭えなかった。たしかに、『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』(04年)は美しい美術(背景)や光の表現、それに作り手の目が行き届くゆえの一貫性が素晴らしい。しかし、セカイ系を地でいくストーリーや設定、もしくはフォークやニューミュージックかという古くさい感覚は、「革命的」というタームが似合わないと感じていた。一方、07年にパイロット版公開と制作発表があり、その後2年半をかけてできあがった約30分のフィルムが09年8月に劇場公開となった本作は、その長い制作期間中に古びることもなく、斬新な感覚でインディー・アニメの基準を大幅に更新した。

 「街に巨大な怪獣が突如現れた」という事件をきっかけに、好奇心旺盛な女子高生ユキのもとにまるでペットのように同様の謎の生物を操る少年たちがあらわれて......と、制服姿のまま話が展開していく『センコロール』。ヘリや戦車、軍人のシルエットは出てくるが、主要キャラ以外の人物は登場せず、かつての怪獣映画ほどには街も破壊されるのに、生活や社会は一切描かれない。短い尺の中で何を描写するのか取捨選択するなか、宇木監督のフォーカスは少女と謎の生物"センコ"との交流、そしてアニメ的な動きの気持ちよさに集約された。その潔い割り切りは鑑賞後の充足感はもたらさないかもしれないが、逆に繰り返し見ても胃もたれせず、テンポやリズムにおいて功を奏している。非常にナラティヴなものや120%伏線も何も説明しきるものばかり見ている一般のアニメファンからは内容に関する不満もあるようだが、ポンっと放り出されるように終わる作りはショートフィルムとしてはむしろセオリー通り。それをいかにもアートな志向でなく、商業作品並の絵柄や動きで実現させたのが、この作品の肝なのだ。トレーラーを見てもらえればわかるように、その独特のセンスのモンスター・デザインと、ひとりで描いたとは思えないすごい動きのアニメーションは、天才の登場を予感させるに十分なものだろう。

 もうひとつ付け加えると、パイロット版のときからテクノっぽい打ち込みの音楽が使われていた『センコロール』は、最終的にニコニコ動画や初音ミクの界隈では超有名な音楽ユニットsupercellのryoが担当している。一般的にはほとんど馴染みがないアーティストだろうが、彼も完全にインディーの出自であり、無理矢理たとえるならギーク/ハッカーの集まりだったブラック・ドッグがプラッドになっていつのまにかビョークと共演したり映画音楽を書いていたみたいなものだろうか。最初は、この音楽がずっと鳴ってPV的な仕上がりかもと心配したが、4つ打ちのダンストラックは重要な一箇所でしか使われず、エンディングのヴォーカル曲も最近の邦画のとにかくタイアップで内容とはイメージあわなくても売れ線歌手を使わせるみたいなものにはない自然なマッチングだ。サラウンド環境のあるひとには、ふつうの映画よりかなり自由に音楽も効果音も配置した5.1chサウンドも楽しみのひとつだ。アニメは所詮全部虚構なのだから、このくらい思い切ったサウンドデザインをしてもいいと思う。

 シナリオ監修で本作に参加した作家の山下卓は、コメントで宇木監督と細田守を比較しているが、斬新なフィールや卓越した作画力を擁しながらも極めてオーソドックスな世界を描こうとしている『時をかける少女』(06年)や『サマーウォーズ』(09年)と本作は、たしかに類似点があるかもしれない。しかし、細田監督のフィルムが貞本義行という強力な絵描きの力で結実しているのと違い、宇木は自らキャラやメカを描き、動かしてしまうという点で別次元の可能性を秘めているとも言える。ベッドルームのクリエイターが大資本や大プロダクションと組んで急にスポイルされてしまうという事例もたくさんあるが、『センコロール』はさらなる革命の第一歩にすぎないと、そんな予感がするのだ。

パイロット版

トレーラー

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