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単音のギター・フレーズをサン・シティ・ガールズ的だとかいってみたり、重めのベースをノーウェイヴ(意外にDNAとか)・リヴァイヴァルにみたてたり、クリックを意識したドラムにsimをもちだしたり、歌とギターのユニゾンに「あぶらだこかな?」と呟いてみたり、『空間現代』にはなにかを彷彿させる瞬間は多々あるのだけど、総合してその彷彿したものと彼らが似ているかと問われると「はて?」と困る。彼らはマス・ロック以後のトレンドに同期した00年代の感性で複雑巧緻な曲想をタイトに演奏するものの、ギター(と歌)とベースとドラムスは楽曲の(時)空間に入れ替わり立ち替わり顔をだすだけで、三者がピッタリと重なる瞬間は全体の何割にも満たない。私は協和音や安定したリズムに「解決」するのを拒む姿勢が空間現代にはあって、その「解決」への抵抗は今日的だとおもうし、ノイズやクラブ・ミュージックの楽理的でない音が日常になった90年代以降の磁場をもう一度反転させたというか、屈折の屈折が表につきぬけたようなあっけらかんとした佇まいを音に感じます。15年前なら「違和」として成立していた表現が15年後には「宥和」を経た上でポップとして現れざるを得ない状況をさして「マイクロ・ポップ」と名指せるのだとしたら(ちがう?)、トリオ編成のロック・バンドというどこにでも転がってる形式を選択した空間現代はHOSEや相対性理論と同一直線上に位置するバンドであり、私は彼らのダジャレめいたネーミング・センスもふくめ、こういったバンドがいまの東京のアンダーグラウンドに多数存在しているような気がしてならない。
私はここまで音を聴いた印象で書いてきたが送られてきた資料に野口順哉の解説があった。野口順哉(G、Vo)、古谷野康輔(B)、山田英晶(Dr)で2006年に結成した空間現代は元は「普通のロックあるいはパンク・ソングを作っていた」のだが「聴く音楽の幅が広がるにつれ次第と作る音楽にも変化起きてきました。より複雑に、より変な、何かが狂っているような珍妙な音楽を作りたいと思う様に」なったという。細かい楽曲解説は読者が本作を手にしたときの楽しみにとっておきますが、それを読む限り、私が一聴して感じた彼らのアイデアへの執着と、執着を実現するためのディシプリンは想像以上に高度だった。ズレを意思の力で貫くこと、互いに触発しあわないこと、しかし技術は放棄しないこと(彼らは細部はまだあらいとろこもあるが)。ポストモダンへのメタ批評っていい方はなにもいってないに等しいが、もっとも早いアートフォームであるポピュラー音楽はこうやって何度目かの死をむかえ、再生するのだろう。
松村正人