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さすがに「ドローン」も......というところで新機軸か。この数年、待ち続けた「テクノ」とのコラボレイションがようやくお目見えである。
オーレン・アンバーチはオーストレイリアのギタリストかつパーカッショニストで、いわゆる実験音楽や即興演奏では中堅的存在。ゼロ年代に入ってからはディジタル・プロセッシングを軸にドローンを多様化させ、フェン・オ・バーグの3人などコラボレイションの相手には事欠かない位置にいる。エレクトロニカとも袖摺り合う距離にいて、いわゆるアブストラクト表現を大量にアウトプットしてきた。ブラック・トラッフルは彼が主催するレーベル。
一方のトーマス・ブリンクマンはマイク・インクを追ってケルンから頭角を現したクリック・テクノのヴェテラン。リッチー・ホゥティンとのインターフェイスなどアカデミックなヴァリエイションで名を挙げ、数々のアノニマス的なプロジェクトに加えてブラック・ミュージックのカット・アップを多用した「ソウル・センター」のシリーズなども人気。4年前にタキシードムーンのウインストン・トンをヴォーカルに迎えた『ウェン・ホース・ダイ......』以降、久々のリリースとなる。
この2人が取り組んだのは、現代音楽家のモートン・フェルドマンが残した『フォー・ブニータ・マーカス』というピアノ曲にヴァリエイションを与えること。フェルドマンの作品には表面的には静かなものが多く、アンビエント・ミュージックとして機能するものが多い(裏アンビエントP34)。しかし、創作の動機を先に推測してしまうと、この2人の念頭にあったのはスティーヴン・オモーリーとピタによるKTLではないだろうか。ドゥー ム・メタルをエレクトロニカの次元へ持ち去ったKTLからメタルの要素を取り除き、ドローンに違う道筋を与えようとしたのではないかと。実際、ブラック・トラッフルのスリーヴ・デザインはすべてオモーリーが手掛けていて、お互いの作品を意識しやすい距離にいることはたしか(今回に限ってはブ リンクマンがデザインも担当している)。
とはいえ、まず念頭にあるのは『フォー・ブニータ・マーカス』で、オリジナルで試みられているものとはすべてが異なって感じられる。フェルドマンのそれと聞き比べてみるとよくわかるのだけど、音階とリズムで「間」を聞かせようとするオリジナルが必然的に不条理を演出してしまうのに対して、隙間なく音を詰め込んでしまうともいえるドローンは常にリスナーを音で包み込んでいるようなもので、どこかに投げ出されるような感覚を与えることはない。この2作を同時に再生してみると、まった くぶつからずにひとつの曲に聞こえてしまうことからもその相反性は証明されたも同じだろう。
また、前者のリズム感覚には緊張感を持続させようという意図があるのに対して、アンバーチ&ブリンクマンによるそれは引き伸ばされたダブに聞こえるほど瞑想性が高く、むしろリラックス効果に重点が置かれているとさえいえる(こういうものを聴き付けない人には同じかもしれないけれど)。緊張感をもたらす要素としては単純に音量を上げたり、トーンをうねらせるなど、それもマッサージの強弱のような範囲で推移し、正直、どこにヴァリエイションを生み出そうとする動機があったのか、正確には掴みかねてくる。この差は、しかし、現代音楽のフェルドマンと実験音楽として分類されるアンバーチの距離(=時代性)のなかにも存在はしたものだろうけれど、そのポテンシャルを最大に引き出したのが、やはり、ブリンクマンであり、テクノだということは間違いない。あるいは、従来のドローンとは違うものに聞こえるのはテクノが原因だとしか言いようがないのではないだろうか。
まったく代わり映えのしないダンス・ミュージックとしてのテクノも健在だし、モーリツ・フォン・オズワルド・トリオのようにファンク・ミュージックとしての成熟を志すもの、あるいはハーバートのようにジャズとのハイブリッドを作り出すものなど、テクノにも明確な分岐が散見できるなか、ここで試みられていることは(アルヴァ・ノトの軌跡と同様)90年代にテクノが普遍化させた快楽性を抽出し、他のジャンルへ移植し、その機能性を全うさせることだろう。さらにいえば、テクノとドローンが結びつくということは、90年代とゼロ年代のアンダーグラウンドにひとつの横断線が敷か れたということでもある。冒頭の「ようやく」というのは、そういう感慨でもある。
私を悲しませないで 私を泣かせたりしないで
ときに愛は不十分で 道のりは険しいの
それがなぜかはわからないけれど
私を笑わせ続けて ハイになろうよ
あなたも私も みな死ぬために生まれてきたんだから
"Born to Die"(筆者訳)
本誌の紙媒体版『vol.4』における「マイ・プライヴェート・チャート2011」で、(アルバム、シングル等はごちゃ混ぜでよい、ということだったので)私はラナ・デル・レイを名乗るエリザベス・グラントの"Video Games"を、7位にリスト・アップした。1986生まれの25歳(筆者とタメ)にして、彼女のその悩ましい歌は、美しい季節はもうすべて過ぎ去ったのだ、甘い時間はもう記憶のなかにしかないのだと言わんばかりの、突っぱねた厭世観に満ちていた。表面的に言えば、西山茉希あたりの『CanCam』モデルが、「ベルベット・イースター」(荒井由実、1973)のカヴァーでレコード・デビューしたようなものだ。そのコントラストは、世界中のミュージック・ブロガーをはじめ、『NME』から『ピッチフォーク』までをも巻き込むバズを呼び込み(本稿執筆時点で、You Tubeにおける再生回数は26,135,450回)、当然、デビュー・フルレンスである本作『Born to Die』は、あらかじめビッグな成功が確約された作品であると同時に、悪意の群衆に撃たれるために舞台に上がった哀れな作品でもある。
話題の作品なので、態度を明確にしておこう。『Born to Die』は、私が期待していたような作品ではない。第一に、私が彼女のハスキー・ヴォイスから当初一方的に連想し、また期待もしていた作品が、例えば『Let It Die』(Feist、2004)の、あるいは『Martha Wainwright』(マーサ・ウェインライト、2005)の最新ヴァリエーションであったためである。第二に、しかし、打ちのめされたシンガー・ソングライター・スタイルの代わりに彼女が選んだのが、 R&B寄りのエレクトロニック・プロダクションであり、重厚なストリングス・アレンジメントであり、結果的にはゴージャスな、グラミー・ビルボード・ポップであったせいである。もちろん、ここはおのずと感想がもっともわかれる点であり、『ピッチフォーク』などが書いているように、「本作はイマイル・ハイニー、つまり、エミネムやリル・ウェイン、キッド・カディの諸作にクレジットされている人間によってプロデュースされており、その豪華絢爛なアトモスフィアが、批判者と理解者のあいだを取り持つ要素となっている」との声もある。(もっとも、彼女の気持ちがわからないでもない。彼女が思春期を迎えた90年代後期は、ブリトニー・スピアーズがデビューするなど、ティーン・ポップが何度目かの最盛期を迎えていた時期なわけだし......)
また、平均的なリスナーであればなんとなくそうしてしまうように、レディー・ガガが掲げた"Born This Way"と、本作のぶら下げる"Born to Die"とを比較する傾向が、国内外のブロガー(ツイッター・ユーザー)のあいだでも散見される。「抱えるもの」がある者のほうがむしろ自身を強い衝動で肯定しながら生き、上質な容姿を持って生まれて思い出に恵まれた者がなぜ沈鬱として生きるのか、わけがわからない、といったところだろうか。たしかに、成功者にも憂鬱はあるのだろう。しかし、どれだけ富とスポットライトを得ても、人生はどこかの地点でなお満たされない、というのは、ポスト・モダニティ・ライフにおける不可避の、典型の、言いようによってはごく平凡な虚無を、彼女は消化しきれていないだけ、という言い方もできるのではないだろうか。彼女の歌のなかで、男は常に彼女を強く抱き、口づけし、そして不可避に去っていく存在としてのみ、ある。たくさんの男と出会い、ときに関係を持って、ひたすら別れ続けてきた、遊び盛りのブロンドの美女が綴るのは、良くも悪くも、平均的な女子大生がアメブロに開設した失恋ブログのよう。
しかし、『Born to Die』は飛ぶように売れている。アメリカン・ユーチューブ・ドリームのもっともポピュラーな前例として、本作はこのディケイドにおいて長く語り継がれるのだろう。ただ、はっきり言って、『ローリング・ストーン』誌の大御所、ロブ・シェフィールドが言うように、アルバムを"Video Games"の期待に応えさせるという意味では、まだまだ準備不足だったと思う。そう、下世話な言い方をすれば、まだまだ男文化である音楽ジャーナルが、ひとりの計算高い美女にまんまと利用された感が否めない。いまごろ、一方的に失恋気分を味わっている評論家も多いのではないだろうか。とはいえ、『FACT』誌が、そうしたポップ・ミュージックの偶像文化の楽しみを擁護するように、こう書いている。「ラナと、彼女のバック・スタッフでさえ、彼女が"本物"かどうか、完全にはわかっていないのだ」。そう、歴史的に言っても、これは遅かれ早かれ、いつかは醒める、だがまだはじまったばかりの夢だ。ならば、しばらくはまだ、彼女の思わせぶりに振り回されることとしよう。歴史的に言って、決して報われることのない夢ではあるが......。
エレクトロニック・ミュージックのさまざまな局面で、IDM/アブストラクトの波がふたたび訪れている今日、1990年代末に高校生で〈ミル・プラトー〉からデビューしたコーヘイ・マツナガ......自らをNHKyxと名乗るこの青年こそ、UKの〈スカム〉、ベルリンの〈ラスターノートン〉などから素っ頓狂な作品を発表し、つい先日は英『ワイアー』誌にも記事が掲載され(その翻訳は次号の紙エレキングに掲載されます)、そして〈ラフトレード〉の新しいコンピに参加したり、センセーショナル(元ジャンブラ、ラッパー界におけるリー・ペリー)との共演を出したり、故コンラッド・シュニッツラーと共作したり......と、つい先頃はSNDとの共作を〈PAN〉から発表したりとか、大阪とベルリンを往復しながら作家活動をしている、いまもっとも勢いのあるエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーです!
コーヘイ・マツナガが3月初旬、シェフィールドのミニマル/IDMの大御所、SND(名作『Stdio』などで知られる)といっしょに日本ツアーをやります! コーヘイは......いまもっともユニークなIDMの作家であり、自由奔放な活動を展開する、ミステリアスな青年です。
ツアーは3月2日の名古屋から出発。大阪ではアルツのレーベルから素晴らしいアルバムを出したaSymMedley、東京公演には〈ラスターノートン〉のレーベル・メイトでもあるAOKI Takamasaも出演する。
■名古屋
3月2日 @ Club Mago
Open-22:00/End-05:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、Mark Fell、 NHK、Araki
Dj:Tomoho (IWY)、Vokoi (ARch)
VJ:Vokoi
https://arch-project.com
https://i-want-you.jp
■福岡
3月3日 @ Blackout
Open-21:00 (50人限定)
Live:SND、Mark Fell、NHK、Kouhei Matsunaga、sho nakao
https://popmuzik.jp
■広島
3月5日 @ Club Quattro
Open-18:00/Start-19:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、NHK、Stabilo (speaker gain teardrop)、Skip club orchestra、Hideride (pausemo)
DJ:AVOAVOA (aka kenji yamanaka)
■京都
3月7日 @ Club Metro
Open-19:00/ End-25:00
ADV/Door-TBA
Live:SND、NHK、SPsysEx
Dj:Tsukasa、Tatsuya
https://www.metro.ne.jp
■大阪
3月9日 @ Nuooh
Open-19:00 End-25:00
DOOR/3000
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga
SOUND ACT:aSymMedley (ALTZMUSICA/Childisc/REPHLEX)、 NUEARZ (Skam Records)、Yuki Aoe (-:concep:-)、hypotic inc
VISUAL ACT: Ken Furudate (ekran/The SINE WAVE ORCHESTRA)、Kezzardrix (Bias Records)、Kazuhisa Kishimoto、イケグチ タカヨシ (haconiwa)
https://officials.tank.jp/concep
■東京
3月10日 @ WWW
Open-23:00
ADV-3000/Door-4000
Live:SND、NHK、Aoki takamasa + More more
https://bridge.tokyomax.jp/
3月11日 @ Soup
OPEN/START ???
Door-2500
(Reservation Required. Send your details to: ochiaisoup@gmail.com)
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga、Miclodiet、Jemapur、Vegpher (Keiichi Sugimoto)
DJ:Nobuki nishiyama
www.sludge-tapes.com
SNDはUK シェフィールド出身のMARK FELLと MAT STEELによるデュオ。 1998年に結成。"click&cuts現象"とまで呼ばれたシーンの中心となるアーティスト。 Mille Plateauxからアルバムを3枚, raster-notonからの2009年4thアルバムをリリース。 プログラマーでもある彼らの音楽は、ミクロに練り込まれたグリッチ音をミニマルかつ緻密に構成しながらも、常に躍動感を保持し続ける独自のミニマル・エクスペリメンタル・サウンドを展開している。
無機質でいて脈打つ自然のような、計算されている一方でバグと戯れるような、不思議なグルーヴ感とリズム、そして絶妙の間。今回、2008年以来4年ぶりの日本でのLIVEとなる。
www.makesnd.com
■Mark Fell
近年 "Edition Mego""raster-noton"から立て続けにアルバムをリリースし注目を集めているMark Fell。2008年にはバルセロナで開催されている世界最大級の音楽フェス"Sonar"へも出演。実験性と複雑さとシンプルが共存し、ユーモラスかつエンターテイメント性を持たせた絶妙なバランス感覚の上に成り立ったその音楽は、美しくマイクロスコピックなミニマルサウンドで空間性、歪なリズム、時間感覚を表現している。
また、アーティストエンジニアとして巨匠と呼ばれる人達の作品を影で支えている人物でもある。意外にもソロでの演奏は日本初披露となる。
www.markfell.com
■NHK
2006年, マツナガ・コウヘイとムネヒロ・トシオにより大阪で結成。
2008年、ドイツraster-notonからデビュー作"Unununium"を発表の後、国際的に作品発表を続け、ヨーロッパを中心に活動している電子音楽ユニット。即興性の高いリズムアプローチにより型に嵌らない歪なダブ・テクノビートを展開している。
www.nhkweb.info
フランクフルトの音響派レーベル Mille Plateauxから1998年に1st を発表後、ヨーロッパ・アメリカを中心とした前衛的なシーンにおいてジャンルの枠を超えた音楽活動を続ける中、Conrad Schnitzler, Merzbow, Sensational, AutechreのSean Booth, Mika Vainio, Anti Pop Consortium等をはじめとするアーティスト達とのコラボレーションを行なう傍ら近年はNHK名義でダブ・テクノ・ブレイクビーツを展開している。
www.koyxen.blogspot.com
別に「クソゲー」なんてクリアしなくてもいい。
クリアをあきらめて、友だちとそれなりの楽しみを見つければ、
この社会はそれほど悪くはない。
古市憲寿『希望難民ご一行様』(2010)
まずは、なんと言ってもその声だ。ルー・リード、ボブ・ディラン、あるいは、彼らに憧れたサーストン・ムーア以降のインディ・ロッカーたち......。ロックンロールの史学からすれば、まず間違いなくヴェルヴェッツ・スタイルを踏襲したトランス・ロッカーのそれだと推定されるであろう、けだるく、ナルシスティックな声を、カート・ヴァイル(31歳、ペンシルベニア州)は持っている。生まれた時代が違えば、アート・パンクの最前線で同時代の暗黒を歌っていたかもしれない。例えば、ノイジーなギター・ウォールに、時折、甘いメロディを載せて......。しかし、というか、実際のところ『Smoke Ring For My Halo』は、アコースティック・ギターの流暢なピッキングによって鮮やかに彩られた、丁寧なフォーキィ・ロック(欧米の批評では、"ストーナー・フォーク"ないしは単に"ヒッピー・フォーク")である。
とはいえ、ヴァイル自身がかつて創設メンバーでもあった、The War On Drugsの『スレイヴ・アンビエント』と同期するように、ここにもスペイシーな、エレクトロニック・ミュージックを通過した感性がある。古典的なフォークやブルースを背景に持ちつつも、プロダクションには浮遊感、さらには清涼感までもが漂う。しかし、同時代のフォーク同業者に比していえば、例えばボン・イヴェールのスピリチュアリズム、あるいは、フリート・フォクシーズのナチュラリズムからすれば、ヴァイルにはどこか堕落したような人間臭い雰囲気があり、実際、「変わりたくはないけれど ずっと同じままではいたくない/どこにも行きたくないけれど 僕は走っている/働きたくはないけれど 渋い顔で1日中座っているのも嫌だな」と、素朴な二律背反を、"Peeping Tomboy"で歌っている。
また、『SPIN』誌は、"偉大なる「No」の1年"と銘打った「The Best Of 2011」号にこう書いている。「カート・ヴァイル(とインディ・シンガー・ソングライターのひなたち)にとって、2011年は急浮上の1年となった。それも、混乱の季節にスポットを当てるのではなく、そこから距離を置くことによって、だ」。いわば、抑圧からも抵抗からも離れ、単なるフェードアウターとして生きること。低高度に降りて、俯瞰や巨視を徹底的にシャットアウトすること。夢から醒めることが、ある意味ではもっとも簡単な時代に、それでも音楽という時代遅れの夢をだらしなく見続けること。そう、現代ほど、反抗する理由に溢れ、かつ、反抗する虚しさに満ちた時代もない。例えば、『The Year Of Hibernation』(Youth Lagoon)が克服できずにいるような幼い虚無を、ヴァイルは自覚的に消化したうえで、自身の凡庸さや、世の不条理や、日々の平穏を憎まない。
さらにまた、前掲同誌に、ヴァイルはこんなことも語っている。「この世界に、どうにもならないくそったれなことや、あらゆる種類の、ギリギリの不安があるのは、知っているよ。人々は闘っているけど、クレイジーで恐ろしいことだよね。僕は家族とか、友だちとか、身の回りの小さな世界のことを考えているだけさ」――それは、ヴァイルが選んだある種の生存戦略なのだろう(『Rolling Stone』誌曰く、「彼流の楽観主義」)。したがって、ヴァイルがノイジーなアート・パンクを必要としないのは、当然だともいえる。選ばれた天性のサイケ声を持つ、長髪の青年が小さな世界で紡ぐ歌は、ベッドルーム・ライオットでさえ、ない。賛否あるだろうが、それはなんとなく不安の尽きない時代に、それほど悪くはなさそうに鳴っている。これもひとつの達観なのだろうか。
「僕たちがいつ老いるかを 僕は知っている/僕は死に向かっている/だけど必要なものはすべて手に入れた/今はそれで満足なんだ」 "In My Time"
クリムトの伝記映画を観ていたら(篠山紀信みたいな人なのね)、1900年のパリ万博でメリエスが映画を上映するシーンがあった。映画というだけでは人はそんなに驚かなくなっている頃なのか、それを観ているクリムトの反応ぐらいしかクローズ・アップされていなかった。
その翌日、教員生活40年に達した粉川哲夫氏の「最後の授業(ではない授業)」があり、トースティーによる花束の贈呈が終わってから、その場に駆けつけた歴代の教え子たちと食事会に行くことになった(僕は教え子ではないんだけど)。その席で、現在、アカデミー最有力とされるミシェル・アザナヴィシウス監督『アーティスト』の話になり、サイレント映画一般へと話題は広がった。そして、粉川さんからジョルジュ・メリエスは晩年、まったく人気がなくなり、せっかく撮ったフィルムも靴屋に素材として売ってしまったという話を聞いた。メリエスの映画が、そんなに早く飽きられてしまったとは知らなかった。ちなみに谷埼潤一郎が撮った15本の映画もすべてプリントが残っていない。誰も保存しようとは思わなかったらしい。
メリエスが靴屋に売ってしまったというフィルムは、現在も回収作業が続けられているそうである。そうしたなかの一本なのかどうかはわからないけれど、メリエスの代表作のひとつであり、世界最初のSF映画とされる『月世界旅行』には実はカラー・ヴァージョンが存在し、それが93年に発見されたものの、かなり酷い状態だったため、長く修復作業が続けられ、2010年にようやく完成。2年半ぶりとなるエールの9作目はこれに着想を得たイメージ・アルバムとなった。限定盤には修復された『月世界旅行』もDVDとしてカップリングされ、これにもエールのサウンドトラックが付けられている(こっちの作業の方が先で、その発展形がアルバム・サイズに伸張したといった方が正確か)。パリ万博から2年後、110年前の作品だから、『坂の上の雲』や『ヘタリア』が舞台としている時期である。
とはいえ、エールは何をやってもエールである。もう少しでプログレッシヴ・ロックになりそうなところを水際でイージー・リスニングへと引き返し、強烈なイメージに人を誘い出すことはない。いつものように適当に聴き流していれば悪くない時間を過ごすことができる。心を揺さぶられず、退屈もしない。茂木健一郎の好敵手だった下條信輔だったらサブリミナル・インパクトがどうとか言うかもしれないけれど。
イージー・リスニングといえば、スウェーデンでIKEAのCM音楽を手掛けているというミュゼットことヨエル・ダネルもドリーミーでクリーミーでスイミーなセカンド・アルバムを完成。ウェス・アンダースン監督『ライフ・アクアティック』でリヴァイヴァルが決定的となったスヴェン・リバエクや、デビュー時のエールのようなハッとする感性を楽しませてくれる(1月のヴィンセント・ラジオを聴いてくれた皆さん、赤塚りえ子のアフリカ音楽特集でオープニングにかけた曲です)。ノスタルジックなのに宇宙遊泳のような気分にさせてくれるサウンドは、なんでも、古くなってヨレヨレのカセット・テープに録音したものだそうで、音の歪みはそれに由来するらしい。日本では製造中止が発表されたカセット・テープだけど、古いメディアが持っている質感の面白さが音楽にも反映されているという意味では、どこかでメリエスの再発見とつながるところも感じられるだろうか。ダネルは、これに、少しばかり実験音楽も隠し味に使いつつ、ありもしない過去を丁寧に捏造していく。そう、110年前のような......。
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DAVID GRAY/TRACY CHAPMAN
THE OTHER SIDE/CROSSROADS-NK RMX
WHITE(JPN)
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PATRICE RUSHEN
MUSIC OF THE EARTH-DANNY KRIVIT EDIT
ELEKTRA (US)
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レイラがイギリス人のテクノ・リスナーにいかに愛されているかは、ここを読めばわかる。彼女の新作『ユー&アイ』を「とにかくやたら気むずかしい作品」だと酷評した『ガーディアン』の記者は気の毒なほど、けちょんけちょんな目に遭っている。「無意味な評をありがとう」「これぞ難聴のレヴュー」「2011年のベスト・アルバムの3位にジャスティスを挙げるようなヤツにレイラの魅力がわかるはずないだろ」(ま、そりゃそうだ)......同メディアが作品に対して厳しく言うことは今回に限ったことではないし、酷評は英国のお家芸とも言えるはずだが、これほどリスナーからの攻撃を食らうことは珍しい。レイラにはいまでも熱狂があることを察する(というか、レイラでここまで盛り上がれるというのがすごい)。
ロンドン在住のアラブ系の女性、レイラはUKのテクノがもっとも華やかなだった時代にデビューしている。彼女のすぐ近くにはまずプラッドがいたし、そしてビョークとエイフェックス・ツインがいた。1997年のシングル「ドント・フォール・アスリープ」、翌年の「フィーリング」は渋谷のレコード店でもけっこうな話題となって、あっという間に売り切れた。時代はエレクトロニカ/IDM全盛へとまっしぐらだったし、トリップホップがいまよりも幅をきかせていた......というか、とにかくエイフェックス・ツインとビョークがもっとも勢いづいていた。その時代においてレイラはIDMとトリップホップを巧妙に掛け合わせた。『ライク・ウェザー』(1998年のクラシック)は、いまで言えばマウント・キンビーというか、R&BベースのIDMとしては最高の出来だ。
『ユー&アイ』は彼女にとっての4枚目のアルバムで、8年ぶりのサード・アルバムとなった『Blood, Looms & Blooms』に引き続いて〈ワープ〉からの2枚目のリリース。過去のどのアルバムにおいても共演者(主にヴォーカリスト)を招いている彼女だが、今回は、〈インターナショナル・ディージェイ・ジゴロ〉からの作品で知られるベルリンのマウント・シムズ(Mt. Sims)ひとりのみが参加している。テリー・ホールやマルティナほか、派手なゲスト陣の前作とくらべると地味な印象を持つが、彼のダークウェイヴな雰囲気は、『ユー&アイ』という作品を特徴づけるのにひと役買っている。
アルバムには"Colony Collapse Disorder(蜂群崩壊症候群)"という農薬や遺伝子組み換え農作物による深刻な環境破壊をテーマにした曲があるように、不吉で、暗闇がひしめいている。もとよりレイラの作品に暗闇はつねに偏在しているので、それ自体は目新しくもないかもしれない。が、『ユー&アイ』には、ドラムンベースを取り入れた"Welcome To Your Life"が象徴するようなアグレッシヴさも際だっている。昔のながらのレイラのリスナーは、彼女の気だるさとダウンテンポ、トリップホップの幻覚、それに適したアンニュイな感覚を好んでいたが、今作においては幻覚とアンニュイはウィッチネスに傾き、そして彼女の気だるさはささくれだった感覚へと変換されている。そういう意味では、見事に今日的な音にアップデートされていると言える。"(Disappointed Cloud) Anyway(失意の雲――どのみち)"~"Interlace(交錯)"~そして"Colony Collapse Disorder(蜂群崩壊症候群)"への展開はとくに圧倒的で、彼女がどうしてこのような方向性を選んだのかは知りたいところである。
最後に、くだんの『ガーディアン』の読者からの反論をひとつ紹介しておこう。「アートとは喜びを与えるための日用品にはなりえません。"ポピュラー"なアーティストの勇敢と言われるいかなる作品よりもよほど彼女の作品のほうが勇気を与えてくれます。そもそも人間は複雑で、難しい生き物です。その複雑さを音楽で伝えようとする行為は間違っているのでしょうか? もっともあなたの文章で何よりも私ががっかりことは、あなたがユーモアを理解してないということです」
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V.A.
Altering Illusions (5 Years of Echospace)
ECHOSPACE / US
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JOE CLAUSSELL
Trembling Sending Space By Lidy Six (+Book)
SACRED RHYTHM MUSIC / US
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REGIS
1994-1996
DOWNWARDS / UK
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SHAMBHU & THE TRUE LOVE HEARTS/RUMMELSNUFF
Sadness/Machen Wir Den Tanz!
OSTGUT TON / GER
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LADY BLACKTRONIKA
Ghost Spell According To...Fred P Rmx
SOUND BLACK / US
»COMMENT GET MUSIC
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LOOPS OF YOUR HEART
And Never Ending Nights
MAGAZINE / GER
»COMMENT GET MUSIC
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