俺にとってロック・ギターのソロを演奏することや、優れたロック・ソングを書くことは、考えなくてもできることなんだ。
![]() John Frusciante Outsides RUSH!×AWDR/LR2 |
ジョン・フルシアンテは、ご存知のとおり、90年代の音楽シーンをいわゆる「ミクスチャー」と呼ばれた強烈なファンク・ロック・スタイルで風靡し、いまなお支持の衰えないモンスター・バンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストだった男である。欠員を埋める形で中途から加入したフルシアンテは、しかし、バンドに叙情的でエモーショナルな「歌」の力を呼び込み、名ギタリストであるとともに名ソングライターとしての力量を遺憾なく発揮した。この時期からのファンも多いだろうし、バンドを出てソロになってからは多様なミュージシャンたちと関わりながら精力的にアルバム・リリースを重ねており、その求道的なまでの音楽活動に心酔する方も多いのではないだろうか。
ギタリストとして卓越した技術とセンスを持つ彼に、あくまでギターを弾いてほしいというのは多数の意見であるだろうけれども、昨年リリースされた2枚の作品は、そうした期待からは大きく逸れる、しかし尊敬を持って受け入れられた異色作だった。 『レター・レファー(Letur-Lefr)』と『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン(PBX Funicular Intaglio Zone)』。何が異色かといえばこれまでは部分的な実験として取り込まれていたエレクトロニクスを全面的にフィーチャーし、シンセ・ポップやドラムン・ベースに彩られたアルバムだったという点だ。彼がギターをサンプラーやシーケンサーに持ち替えてやろうとしたことは何だったのか?
今週発売となる新作『アウトサイズ』発売に際してバルーチャ・ハシム氏が行ったインタヴューから、その点についてほぼ完全な答えを知ることができる。以下、その一部抜粋をお届けしよう。インタヴュー(というか、ほとんどフルシアンテの一人語りである)自体は3万字超の長編となり、また今回の国内盤特典の目玉ともなるため抜粋での公開になるが、RZAやウータン・クラン・ファミリーの若手たちも交えて作られたあのアルバムの次の展開を楽しむ上で、是非とも読んでおきたい内容である。
ギター・ソロを全面的にフィーチャーしたという10分超の大曲"セイム(Same)"が、こうしたプロセスと逡巡との上に完成したものだと知ると、一層理解が深まるだろう。
エイフェックス・ツインの『アナロード』シリーズは、エレクトロニックな楽器を使ってファンクを進化させていると実感した。
バルーチャ・ハシム:『The Empyrean』のリリース後、『Letur - Lefr』からエレクトロニック・ミュージックを大幅に取り入れるようになりましたが、その理由は?
ジョン・フルシアンテ:俺は、レコードから音楽を学ぶことに人生のほぼ全てを費やしてきた。過去30年間、何よりもそれに時間をかけてきた。そうすることで、いろいろなジャンルの音楽について学ぶことができた。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)に最後に戻った期間中も、シンセ・ポップ、90年代のレイヴ・ミュージック、ヒップホップ、コンピューターなどを使ったエレクトロニック・ミュージックを聴きながらギターをプレイしていたんだ。そういう音楽を流しながらギターを演奏していくうちに、サンプルやエレクトロニック楽器の使い方が、ギター・プレイとは全く違うアプローチだということが分かった。ギター・プレイヤーは、エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーとは違う考え方で曲作りをしているし、そういう音符の組み合わせ方をしない。俺にとってロック・ギターのソロを演奏することや、優れたロック・ソングを書くことは、考えなくてもできることなんだ。チャレンジでなくなってしまった。
でも過去30年間のエレクトロニック・ミュージックの歴史からは新たなリズム、フレーズ、一小節の分解方法が誕生していて、どれも俺にとって未知の世界だった。俺は熟練したギタリストであったにもかかわらず、オウテカ、ヴェネチアン・スネアズ、エイフェックス・ツインの思考プロセスが理解できなかった。ギターで彼らの曲を再現できても、同じような音楽を自分で作り出すことができなかった。彼らのような音符の組み合わせ方が俺にとって理解不能だった。エイフェックス・ツインの『アナロード(Analord)』シリーズがリリースされたとき、俺にとってはビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と同じくらい画期的な作品に思えた。これまで自分にとって未知の世界だった新しい音楽的試みが可能だと気が付かされた。俺にとっては新しいタイプのファンク・ミュージックだったんだよ。
60年代と70年代にファンク・ミュージックが発展して、80年代から90年代はあまりファンクは進化しなかったけど、エイフェックス・ツインの『アナロード』シリーズは、エレクトロニックな楽器を使ってファンクを進化させていると実感した。ファンクの伝統を受け継ぎながらも、それを非伝統的な方法で進化させていた。だから303や202(訳注:RolandのTB-303やMC-202 Microcomposerは80年代に発表され、アシッドハウスの定番機材だった)のような機材を買うまでは、そういう楽器が存在していることすら知らなかった。シンセを使っていろいろな実験をしていたんだけど、シンセのプロにエレクトロニック・ミュージックを作るためにどの楽器を買えばいいか尋ねると、Nord Leadなどの使いやすいシンセを薦められた。買ってみたけど、あまりその楽器にインスパイアされなかった。でも202のようなアナログ・シンセサイザーの存在を知って、数値でプログラミングしてみたとき、とてもエキサイティングだったんだ。俺のメロディ・センスを202で活かすには、自分のメロディに対するアプローチを完全に考え直さないといけないと思った。
俺は202の使い方に慣れてなかったから、いままで思いついたこともないようなメロディを生み出せることがわかった。ミュージシャンとして、俺は同じパターンを繰り返していることに気がつかされたんだ。RHCPのツアーに出たときに、ホテルで退屈しのぎをするためにドラムマシンとシンセを持っていったんだけど、いつもと同じようにヴァースとコーラスの構成に基づいた曲を作ってしまった。そういうパターンから抜け出して、テクスチャー重視のメロディをもっと作りたかった。
俺は202の使い方に慣れてなかったから、いままで思いついたこともないようなメロディを生み出せることがわかった。ミュージシャンとして、俺は同じパターンを繰り返していることに気がつかされた。
ポップ・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックを比べると、ポップ・ミュージックはモーツァルトに近くて、エレクトロニック・ミュージックはベートーベンに近いんだ。ひとつの焦点となる音楽的要素が前面にあって、その他の要素がその土台になっているのではなく、さまざまな要素が同時に絡み合っているんだ。つまり、焦点となる要素が同時にいくつもあるんだ。エレクトロニック・ミュージックでは、多くの場合ドラムが焦点となっているけど、ロックではヴォーカルが中心的要素なんだ。だからエレクトロニック・ミュージックのなかで自己表現をするには、メロディをまったく違う方法でアプローチしないといけない。
子供の頃に俺はジャズを演奏しはじめた。当時俺はジャズを理解していなかったけど、だからこそ学んでみたかった。俺の考え方と違う音楽だったから、習ってみたかったんだ。そこからジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスなどの音楽を研究するようになった。そして新たな考え方を学ぶことができた。俺は人生において、そのプロセスを続けているんだ。エレクトロニック・ミュージックの世界に踏み入れることで、新たなアプローチを学べると思った。いろいろな機材に囲まれて、それぞれをプログラミングして、ひとつの機材の再生ボタンを押して、すべての機材が同期されて演奏されることは、俺にとって新鮮だった。とても自由な感覚だったし、自分が全体像のいち要素でしかないという感覚から離れることができた。自分ひとりで全体像を作り出せることがわかった。ただのプレイヤーなのではなく、コンポーザーになることができたんだ。
バンドの一員としてギターを演奏することは制限が多い。バンドのギタリストとして曲を書くときは、青写真を提供しているだけなんだ。エレクトロニック・ミュージックを作るときは、伝統的なソングライティングとは一切関係ないクリエイティヴ・プロセスに取り組むことができる。そして、抽象的な概念からスタートして曲を作り上げることができる。しかも、自分がそれを全てコントロールし、音そのものを直接的に扱える。楽器のピッチを変えて演奏するだけではなく、音色そのものを変えたり、音色のハーモニーを作り出すことができる。
バンドでは、自分が楽器で演奏したピッチに対して、他のミュージシャンがハーモニーを作り出してくれることを願うしかない。バンドで演奏するときは、ドラマーに合わせて演奏するしかないけど、エレクトロニック・ミュージックではとても緻密にリズムをコントロールすることができる。バンドでは、ドラマーを観察して演奏しないといけないし、ドラマーがスピードを上げたら自分も演奏のスピードを上げて、ドラマーがスピードを落としたらこっちもスピードを落とさないといけない。ドラマーはバンド内でとても権力をもつようになるんだけど、ドラマーは曲を書くわけじゃないから、そこまで音楽的権力をもつのはおかしいと思うんだ。
ひとりでエレクトロニック・ミュージックを作る場合、自分がドラマーでもあり、全てのパーツを作れるし、音色を加工することができる。エンジニアが自分の理想のサウンドを作ってくれるかどうかという心配もなくなる。エレクトロニック・ミュージックを作ることは、俺にとって音楽的に自由であることを意味しているんだ。そしてさらに言うなら、ロック・ミュージックは本質的にエレクトロニック・ミュージックなんだ。
多くのジャンルのカテゴリーは、現実において理論的な意味をもっていない。たとえば、オルタナティヴ・ロックというジャンルはおかしいよ。ただのロックなんだ。なぜそんな名前をつけたかは理解ができない(笑)。ロックのロジカルな進化の形だっただけなんだ。オルタナティヴ・ロックは、それ以前のロックに対するオルタナティヴ(別の可能性)だったわけだけど、どのタイプの音楽だって、過去の音楽に対するオルタナティヴなんだ(笑)。
エレクトロニック・ミュージックを作ることは、俺にとって音楽的に自由であることを意味しているんだ
エレクトロニック・ミュージックとロックを全く別のものとして捉えている人もいるけど、回路基盤を作っている人たちがいなければ、ロック・ミュージックは存在しない。ロック・ミュージックは、アンプ、ピックアップ、レコーディング機材、サウンドシステムがなければ存在しないわけだから、エレクトロニクスに依存しているんだ。長年エレクトロニック・ミュージックを作って、エレクトロニック・ミュージックを研究した結果、全く違うアプローチでロック・ミュージックを聴けるようになったんだ。最近はロック・ミュージックを聞くと、エンジニアの手法やレコーディングされたルームの特質も聴くようになった。楽器の本来の音とそれをどうやってアンプに通したかなども聴くようになったんだ。そういう意味で、ロック・ミュージックはエレクトロニック・ミュージックとひとつなんだ。俺のなかのロックの側面が、徐々にエレクトロニック・ミュージックな側面と統合されているんだ。
たとえば『PBX』にはロック・ソングが入っているけど、抽象的なエレクトロニック・ミュージックやジャングルのようなアプローチでプロデュースしている。そういう手法で曲を作れるなんて想像もしていなかった。エレクトロニック・ミュージックの作り方を学んでいるときは、そういうことも考えていなかった。いまは、ひとつのジャンルのなかで作業しているという感覚が一切ない。あらゆるスタイルの音楽を組み合わせられるし、自分のなかのどの音楽的要素も自由に取り入れられる。20年前の自分の音楽的要素も、10年前の自分の音楽的要素も取り入れられる。俺と音楽の間に隔たりがないんだ。
オーケストラやロック・バンドでは、音楽とミュージシャンの間に何らかの壁が必ずある。たとえば、作曲家が作品を作曲しても、指揮者がいて、オーケストラがあって、自分の望みを叶える状況的な問題もあるかもしれない。エレクトロニック・ミュージックでは、作曲家が完全に解放される。自分の頭のなかで聞こえた音を実現する上で、他者に依存する必要が全くなくなるからなんだ。それにリアルタイムで曲を作りながら聴くことができる。バンドのために曲を書いてから見せる必要がないし、バンドが実際に演奏してどういうサウンドに仕上がるか待つ必要もない。クリエイトする行為と、リスニングの行為が同時に起きるから、それは俺にとって最高の自由を意味するんだ。俺がエレクトロニック・ミュージックを作るのは、最も自由な音楽だし、音楽を作る最も完全なアプローチだからなんだよ。
本リリースにあわせて収録曲"シェルフ"の歌詞をプリントしたTシャツも販売されるようだ。これまでにもジョン・フルシアンテ関連のアイテムを扱ってきたサイトであり、今回のTシャツもこのAnatato Watashino Delivery限定商品。他での販売予定はないという。





















