「Dom」と一致するもの

R.I.P. Shane MacGowan - ele-king

野田努

 2002年の日韓ワールドカップのときのことだ。抽選でチケットの買えた試合が、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)で行われたアイルランド・サウジアラビア戦だった。緑色のユニフォームを着た大勢のアイルランド人たちのほぼひとりひとりが、缶ビール500mlの6缶入りのパックを手にぶら下げて、あるいは、スタジオ周辺の道ばたで試合開始の数時間前から座って飲んでいる。道中にあった立ち食いそば屋も缶ビールを手にしたアイルランド人たちで占拠され、なかばパブと化していた。こうなれば頭のなかはザ・ポーグスだ。このバンドからはいくつかのアイルランド民謡を教えてもらった。“ウイスキー・イン・ザ・ジャー”、それから“アイリッシュ・ローバー”。初めてロンドンを訪れたときは、ソーホーを歩きながら“ソーホーの雨の夜”を思い出した。映画『ストレート・トゥ・ヘル』も忘れられない。ご多分に漏れず、クリスマスには何回も“フェアリー・テイルズ・オブ・ニューヨーク”(数年前、歌詞の一部がPC上問題ありと削除された)を聴いた。もうだいぶ昔の話だけれど。
 シェイン・マガウアンは過激なヒューマニストであり、怒りのアイリッシュ・ディアスポラだった。天才的な詩人で、力強いメロディを作れる優れたソングライターでもあった。彼の歌詞は、アイルランドという故郷を離れた人たちの視点で描かれた故郷への思慕、そして放浪や喪失、失意や後悔、すなわち人生の苦難についての思いや感情だった。ハッピーな詞ではないが心に響く言葉で綴られ、人生のつらさを笑い飛ばすかのように曲はたいていダンサブルだった。

  夏のそよ風のなかを歩くのが好きだ
  ダリングロードの枯れ木のそばを
  そして友人と飲む
  ハマースミス・ブロードウェイで
  わが愛する汚れて愉快な酔っぱらいの日々

  いま、冬がやって来る
  クリスマスになると街をおおう
  その寒さが俺は耐えられない
  天罰が下るのを待つばかりだ
  俺は1ペニーも持たずに
  ロンドンの暗い通りを彷徨っている
“ダーク・ストリーツ・オブ・ロンドン”

 アイルランド人の両親のもとに生まれ、5歳から酒を飲みはじめた生涯を通じての大酒飲みは、その音楽と同時に破壊的な人生も語りぐさとなっている。たとえば、文学の才を見出された彼は名門校に進学するものの校内でドラッグを売って退学となり、施設に収容されたばかりか18歳を精神病院で過ごしている。そして、退院後のシェインにとっての居場所がパンク・ロックの現場だった。彼はパンクのドキュメンタリー映像に映り込むほど、最前列で踊る狂う目立ったパンクスのひとりだったが、周知のようにやがてパンクは廃れ、彼はまたしても行き場を失う。しかしシェインはこの逆境のなかで、パブでビールを飲みながらアイルランド民謡の生演奏で踊っているディアスポラの文化とパンクを融合させるというアイデアを思いつく。ザ・ポーグスの誕生だ。先に紹介した“ダーク・ストリーツ・オブ・ロンドン”は、1984年のデビュー・シングル曲である。
 それからシェインは、ザ・ポーグスの歌手として、この先も聴かれ続けられるであろう2枚の傑作、『ラム酒、愛 そして鞭の響き(Rum Sodomy & The Lash)』(1985)と『堕ちた天使(If I Should Fall From Grace With God)』(1988)をリリースする。とくに後者は80年代後半のアイリッシュ・ディアスポラを完璧に表現した作品として知られており、バンドの音楽的な探究(カントリーをはじめとするアメリカーナなどとの合成)が頂点に達したアルバムでもある。シェインの作詞ではないが収録曲“サウザンツ・アー・セイリング(海を渡る幾千人)”は、アメリカに渡ったアイルランド移民の物語として“フェアリー・テイル・オブ・ニューヨーク”と並ぶ人気曲だ。それにこのアルバムには、アイルランド独立運動とその惨劇を主題にしたド“ストリート・オブ・ソロー/バーミンガム・シックス”もあるし、また、美しい“ララバイ・オブ・ロンドン”もある。

  灯りが消えても歌は続いた
  北風が優しくため息をついた
  東からの夕風が川辺にキスをした
  俺は祈っている
  この子守唄を聞くとき
  呪われた墓場から吹く風が
  決して不幸をもたらさないように

 シェイン・マガウアンは11月30日の早朝に息を引き取った。1957年生まれの65歳。2022年12月、彼はウイルス性脳炎で入院し、2023年の数ヶ月間を集中治療室で過ごしていた。妻ビクトリア・メアリー・クラークはシェインを「もっとも美しい魂であり、美しい天使であり、太陽であり月でもある」と喩えている。
 「魂」だの「天使」だのという言葉は、使い方を間違えると安っぽくなるが、シェインに関しては違和感を覚えない。この社会そのものが、かつて彼を収監した病院のようになっているのだとしたら、彼の方から去っていったのではないかと思ったほどだ。ぼくは、“ダーティ・オールド・タウン”も好きでよく聴いた。これはカヴァー曲だが、「ガス工場の壁で愛に出会った」という歌い出しはシェインに相応しく、「古い運河のそばで夢を見た/工場の塀のそばでキスをした」というフレーズは、ザ・ポーグスの世界そのものだ。アイルランド独立の話に関しては、ぼくに何か言えるとは思えない。が、シェインにとっての理想の人生とは、難しい話じゃない、素朴なことだったように思う。パブで老若男女が人生を積極的に楽しんでいるように騒いでいる、おそらくは、ただそれだけのことなのだ。
 最後にもうひとつ。根性がなくてIRA に入りたくても入れなかったとか、言いたいことを言ってきたシェインは、1991年にはこんなことまで言っている。「酔っ払いについて覚えておくべきもっとも重要なことは、酔っ払いはそうでない人よりもはるかに知的だということだ。彼らはパブで多くの時間をおしゃべりに費やしている。高次の精神的価値を開発することもなく、酔っ払いのように頭のなかを探検することもない、上昇志向だけのワーカーホリックたちとは訳が違うんだ」

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市原健太

 ザ・ポーグスの最初のアルバム『Red Roses for Me』に収録された、イギリスの監獄のなかで響く鐘の音を歌ったバラッド “The Auld Triangle” を作った人物。IRAの闘士、劇作家にしてレンガ職人、聖なる酔っ払いたるブレンダン・ビーハン。その男がニューヨークの街角をコートの襟を立てのしのし歩く姿を自らに引き付けて活写した詩を書いたのは、シェインではなく(ギタリストの)故フィリップ・シェブロンだった。パンキッシュなフォーク・バンドから名実とも世界的な人気を勝ち得た3枚目のアルバム『堕ちた天使(If I Should Fall from Grace with God)』に収録された“サウザンツ・アー・セイリング(海を渡る幾千人)” のなかで歌われている。きっとシェインがこれを歌えば映えるだろうという魂胆もあったかもしれない。いま思うとちょっとできすぎな映画のワンシーンのように美しい曲である。。
 名うてのトラッド・ミュージシャン、テリー・ウッズが加入した『堕ちた天使』が名盤であることは間違いない。アイルランド人たちのエグザイルという大きなテーマは90年代初頭のケルト・ミュージック・ブームにも大きな影響を与えた。世界に散らばったアイルランド人たちの音楽博覧会的な集大成は、当時カルチュラル・スタディーズやワールド・ミュージックの時流にものり、大ヒット・アルバムとなった。
 しかしそのリリース以降、二度の来日公演で観たザ・ポーグスのライヴでのシェインは、力強く歌うことはなかった。よれよれのシェインはスパイダーに肩を抱かれて一曲ごとに出たり入ったり。もちろん酒のせいではあったのだろう。しかしやはりどうしても表現者としての逡巡がなかったとは思えない。風景画のように人生のある一瞬を描くような美しいバラッドや、ポーグ・マホーン=ケツくらえ的なパンキッシュな曲ばかりを期待されること、アイリッシュ・ミュージックの立役者としての大きな括られ方がどんなに苦しかっただろうかと思う。その後脱退をし、ポープスなるバンドを作るけれども、ほんとうに作りたかった音楽はやはりポーグスでなくてはできなかったのかもしれないと考えるととても悲しい。

 カタカタカタとタイプライターを打つ音からはじまる、脳性麻痺者にして作家、そして聖なる酔っ払い、映画化もされた自伝『マイ・レフトフット』で広く知られる(アイルランドの作家)クリスティ・ブラウンのことを歌った “Down All The Days” という歌がぼくはとても好きだ。何度でも繰り返し聴きたくなる。『堕ちた天使』のあとリリースされた4枚目のアルバム『Peace and Love』に収録されている。
 停滞を歌った歌。一日中ベッドに横たわり、唯一動く左足のつま先でタイプをカタカタ鳴らし、世に出るあてもない文章を書き散らし、鼻からストローで酒をすする。停滞は沈鬱で寄る辺ないけれど、でもこの曲のさわやかさはすてきだ。シェインはちゃんといままでの過剰な大きすぎる高揚から抜け出す術を持っていたんじゃないかと思えるほどに、この曲は治癒的に聴こえるし、そして美しすぎない美しさを持っている。
 クリスティ・ブラウンは疑り深く健常者に悪態をつき悪びれずなかなかに付き合いにくいやつだ。もちろんそれでは生きていかれないからかわいいところもある。すぐに女を好きになるけどフラれてツラいばっかりの人生を送る。でも文章を書くことをやめない。停滞のなかでずっとタイプライターをカタカタ鳴らしている。その反復・反応をシェインは音楽に表現する。ザ・ポーグスのタイトな演奏もすばらしい。
 聖なる酔っ払いは過剰な美しさを宿す。いまではニューヨークの警官たちがやさぐれたラヴ・ソング “フェアリー・テイル・オブ・ニューヨーク” を合唱するくらいにその美しさは波及・大衆化している。しかしそんな大衆化に逆転反撃、無意味な反復もやはりシェインが出自を持つ国、司馬遼太郎が〈百敗の民〉と形容した場所の心性なのだ。『Peace and Love』、『Hell's Ditch』、そしてシェインがいなくなった後の『Waiting for Herb』へと続く後期ポーグスは佳曲というべきロック・ナンバーとトラッドをベースにした疾走感のある彼らにしか演奏のできないフォーク・ロックな曲が交互に並ぶ。なにか高みに達することをわざと避けるような軽さがいい。その彼らの潔さがうれしくて、毎年夏が終わった頃、無性に彼らの音楽が聴きたくなるのだ。そしてシェインの訃報。もう仕事にならなくてずっとユーチューブを観ていたが、シェインではなく、まるで禅僧のようなジェイムズ・ファーンリーの顔を観ていたら涙が止まらなくなる。

 シェインが酔っ払ったふりをして話さなかったこと。そのことについてこれから考えようと思っている。以前インタヴューで「ぼくらのバンドは民主主義だから」とぽろっと話したことがあった。ほんとうにそうだったんだろう。誰かに頭を押さえつけられることの大嫌いなシェインであればそうするほかはない。彼は歴史や文学を決して蔑ろにしなかった。そうでなければトラッドにかかわることなどできないし、あの美しい詩を書くことなどできなかったはずだ。
 しかしそんなこともいまはどうでもよいかな。猪木さんのように衰えていく姿をSNSでシェインは逐次伝えてきた。その上での訃報だった。潔いんだな。まったくかっこいい男だったとぼくのなかで歴史がひとつ積み上がる。

   

Zettai-Mu “KODAMA KAZUFUMI Live in Osaka 2023” - ele-king

 長きにわたり KURANAKA a.k.a 1945 が大阪でつづけてきたパーティ《Zettai-Mu》。その最新イヴェントになんと、こだま和文が登場する。関西公演はおよそ5年ぶり、パンデミック後としては初とのこと。バッキングDJは KURANAKA が務める。ほか、メインフロアにはDUB LIBERATION、Tropic Thunder、motokiらが出演、セカンド・エリアにも関西クラブ・ミュージック・シーンを代表するDJたちが集結する。12月16日(土)、スペシャルな一夜をぜひ NOON+Cafe で。

J.A.K.A.M. - ele-king

 グローバル・ビーツの開拓者として確かな支持を得るJUZU a.k.a. MOOCHY こと J.A.K.A.M. が、11月27日に新たなアルバム『FRAGMENTS』をリリースする。

 本作はJ.A.K.A.M. が2020年にインド・ケララ州でのフィールド・レコーディングを通じて得た体験とサウンドに加え、 2023年にパキスタンのカラチ~ラホール~ペシャワールにおいても敢行された録音による伝統楽器にフィーチャーしたサウンドが特徴だ。スケート・カルチャーに端を発し、世界を股にかけてマイペースに活躍する彼の新境地が体感できるだろう。まさしく収録のトラックタイトル通り「NEW ASIA」な雰囲気漂う本作には、東洋と西洋の間に横たわる断絶が和らぐ未来を目指しつつ、まず「新しいアジア」としての連帯を呼びかけるメッセージも込められている。

 また、「2038年」という時代設定で作られた小説もアルバムと同時進行で制作されており、アジア圏とアラブ圏の文化が混ざり合い、混沌のなかに土の匂いを見出すような世界との触れ方が描写されている。16ページフルカラーブックレット入り。サウンドとあわせてチェックを。

第1回目:#Metoo以後のUSポップ・ミュージック - ele-king

 まるでプラトンの「洞窟の寓話」みたいだ。男性優位にもとづいた家父長的な観念の数々が何千年ものあいだ女性の経験をかたちづくってきたために、その外でシスターフッドを概念化することは難しいし、ましてそれを定義することは難しい。
 いずれにせよ私は、フェミニズムがこんにち辿りついている地点を疑わしく思っている。いうまでもないことだが、たとえば日本とアメリカのあいだにある社会的・文化的なニュアンスの違いは、結果として女性の行為についての異なる基準を生みだすことになる——つまりジュディス・バトラーが述べたとおり、「ジェンダー[役割の数々]は行為遂行的なものであり[……それらが]行為されるかぎりにおいて実在する*2」ものなのだ。だけどけっきょくのところいま、ニューヨークから東京まで、誰もが同じ経験をしている。つまりいま現在のフェミニズムのなかでは、女性にたいする抑圧のメカニズムそのものが、私たちをエンパワーするための鍵としてブランド化されてしまっているのである。 
 とはいえ、10年たらず前まで、フェミニズムは刺激的な危険地帯に身を置いていた。#Metooの示した展望のあとで、いったい私たちは、どうしてこんなところに辿りついてしまったのだろうか?
 そのピークにおいて#Metooは、——そもそも女を支配し沈黙させる性質をもつ家父長的な管理が、原初的なかたちをとってあらわれたものである——性的暴行の証言とともに、有名無名を問わない女たちを公の場へと連れだした。2000年代初頭にこの運動を開始したとされるタラナ・バークの言葉を引用するなら、「”Me too”はたった二語で十分だった。(……)暴力は暴力である。トラウマはトラウマだ。だけど私たちはそれを軽んじるように教えこまれ、子供の遊びのようなものだと考えるようにさえ教えこまれている」
 だけどミュージシャンたち——つまり明確に社会のサウンドスケープを形成している者たち——は、2010年代なかばの絶頂期のさなかで、奇妙なほど沈黙したままだった。とはいえ、少数の女性たちが名乗り出たことは賞賛されるべきだろう。なかでもとくに挙げられるのは、虐待を受けたマネージャーにたいする10年以上に及ぶ訴訟につい最近決着をつけたばかりのケシャや、レディー・ガガビョークテイラー・スイフトなどの名前だ。とはいえしかし、こんにちのフェミニズムをより生産的な方向へと導きうる道しるべは、まさにいま現在ポップ・ミュージックのなかに身を置いている女性たちをより深く掘り下げてみることによって与えられる。

もうひとつの“F”ワード
——いったいいま誰がフェミニストになることを望んでいるのか?

 スキャンダラスな——いやむしろ虐待的な——男性ミュージシャンたちは、実質的にひとつの原型になっている。長い間彼らには、その行動にたいするフリーパスが与えられてきたのだ。マイケル・ジャクソンは金目当ての子供たちに性的虐待なんかしていない。たしかにデイヴィッド・ボウイは14才の「グルーピーの子供」とセックスしたが、彼女は自分からその状況を招いたのだ。だとしても、ではあの悪名高いレッド・ツェッペリンのサメ事件はどうなのか? いずれにせよいつも、「男ってのは困ったもんだ」で済まされるのだ。カニエ・ウエストでさえ擁護者を抱えている。YouTubeのコメント欄をざっと見てみると、敬虔なイーザス信者の軍勢がいることが見えてくる。なかでもとくに、以下のような悲痛なコメントは、こちらをノスタルジーというボディーブローで連打してくる。「カニエは『Graduation』を作った。『Graduation』を作った。『Graduation』を作ったんだ!」*3
 どうやら男たちの場合、アーティストと彼の作るアートは、つねに切り離すことが可能らしい。
 だがしかし、女たちの場合はどうだろう?
 人類学者のルース・ベハーは『Women Writing Culture』において、あえて発言する女たちに突きつけられる期待をあきらかにしながら、「女たちが書くとき、世界は見張っている*4」と警句めかして書いている。女性ミュージシャンたちもまた、その発言にかんして——文字どおりそれを注視するような——同様の圧力に直面している。よく知られているとおりだが、シネイド・オコナーが教皇の写真を破った直後にキャンセルされたことを思いだしておこう。より最近の例として、ラッパーのアジーリア・バンクスは、楽曲よりもそのスキャンダルで有名になっている。また誰もが覚えているとおり日本では、AKB48のメンバーが、ボーイフレンドと夜を共にするというとんでもない犯罪——嗚呼!——を犯したために、頭を丸め、公に謝罪したのだった。
 悲しいことに#Metooは、たった数年で頓挫しだしたが、おそらくそれは、不幸にも性的暴行とコミュニケーション不足が結びつけられていったからだろう。2022年になるとハリウッドは、配偶者からの虐待を主張して彼の「名誉を毀損」した元妻アンバー・ハードとの訴訟に勝ったジョニー・デップを、やさしく諸手を広げて受け入れた。#Metooのあとで、私たちに伝えられているメッセージはこれまで以上にはっきりしたものになった。私たち女は、火あぶりにならないよう目立つようなことはしないのが一番なのだ。
 当初は#Metooや、ジョー・バイデンにたいする性的暴行の申し立てを支持していたレディーガガが、にもかかわらず大統領就任式で歌うことになったのは、きっとそうした圧力があったからなのだろう。だがこのことはむしろ、アメリカの(そして他の後期資本主義社会の)政治が激しく分岐していることの証明なのかもしれない。「すべての女たちを信じる」[#Metoo運動のなかで生まれたスローガン”Belive women”の派生系。ハラスメントや暴行の申し立てをまずは信じることを主張する]——なるほどね、だけどそうすることが政治的に不都合じゃないかぎり、でしょ?
 またおそらく——以前は自身がフェミニストであることを宣言する光り輝く巨大な電飾の前でパフォーマンスをしていた——ビヨンセが、女性問題にたいする公然としたサポートをやめたのは、#Metooのあとで、もはや社会の同意が得られなくなったからなのだろう。
 あるいはまた、おそらくこのことは、あの業界の寵児について、そう、テイラー・スウィフトその人について説明するものでもあるはずだ。私は自分が「スウィフティー[Swiftie:スウィフトのファンの通称]」だとは思わないし、スフィフトが——フェミニスト的な立場を主張していたのに——カニエ・ウエストの「Famous」のなかの悪名高い歌詞(自分とスウィフトは「まだセックスしてるかもしれない」というもの)を[発表前に知っていながら]知らないふりをしていたことを、[カニエの元妻の]キム・カーダシアンが暴露したときは、真剣に眉をひそめもした。しかしキャリアがスタートに見られたコンプライアンスを重視するその公的な人格は、結果として彼女のファン層(とその経済的自由)を築きあげ、そして最終的には、いまいる場所まで彼女を辿りつかせることになった。こうして彼女はいま、倫理的な理由でSpotifyから楽曲を取り下げたり、最初の6枚のアルバムを自身のアーティストとしてのヴィジョンに合うように再録したり、摂食障害について率直に語ったりしているわけである。
 だからこそ、キム・カーダシアンには[SNS上で]すぐに捕まったとはいえ、スポットライトの外で一年を過ごしたすえに18キロも痩せて帰ってきながら、歴史に残るカムバック・アルバム『Reputation』であからさまに中指を突き立て、次のように歌っていた頃のテイラー・スウィフトこそが、私は大好きなのだ。「私は誰も信じないし、誰も私を信じない。私はあなたの悪夢の主演女優になってやる」  あれこそが最高(バッドアス)だった。

女の性の力

 #Metoo以降、他に何が起きたのかを考えてみよう。グローバル経済は着実に下降している。アメリカ人たちは2008年の破綻以降いまだにふらついたままだ。一方で日本では、バブル崩壊以後の終わりのない不況が、長い戦後史上でも最低の円安を招いている。またコロナ禍以降、インフレによって貧富を分けるうんざりするような隔たりが世界中で広がっている。
 苦境にあえぐ経済は、同じ立場で男が1ドル稼ぐあいだ、こんにちにいたってもいまだに77セントしか稼げていない女たちにとって、とくに深刻な含意をもっている。そうした状況がある以上、セックス・ワークが——なかでもOnlyfans[ファンクラブ型のSNS]のような界隈のなかや、「シュガー・ベイビーズ」というかたちでおこなわれるそれが——これまで以上に魅力的なものに見えているのも当然だといえる。『Harper’s Bazaar』誌でさえもが、カーディ・Bがストリッパーだったことを梃子にして登りつめたことを「シンデレラ・ストーリー」だと表現するくらいだ。
 「WAP」で共演しているメーガン・ザ・スタリオンは自身のリリックのなかで、ごくシンプルに、「この濡れたマンコにキスしたいなら学費を払ってよ」と歌っている。
 カーディ・Bのブランドになっている、いわゆる「売女ラップ[slut rap]」の土台には、当時としては革命的だった1990年代の遺産が横たわっている。リル・キムの“How Many Kicks”やキアの“My Neck, My Back (Lick It)”といった曲が、その当時のヒップホップの場を地ならしし、女たちも、異性をモノのように扱うことで悪名高い男たち——私がここで思い浮かべているのはスヌープ・ドッグの“Bitches Ain’t Shit”やジェイ・Zの“Big Pimpin’”のような曲だ——に肩を並べることができるようにしたのは疑いないことだ。
 だがけっきょくのところ売女ラップは、男性の眼差し(メイルゲイズ)からの持続的な解放にはいたらなかったと言えるのではないだろうか? 私は何もここで、女性のセクシュアリティや、「世界最古の職業」(このこと自体、女の「選択」よりも男の欲望の方が優先されてきたことの例だが)を侮辱しようというつもりはない。そうではなく——とくに女性のセクシュアリティの表象がどんどんと男性の眼差し(メイルゲイズ)におもねったものになっている状況のなかにおいて——こんにちのフェミニズムが、そうした選択は女性たちをエンパワーするものだと主張していることに疑問を投げかけたいのだ。もちろん、少なくともエルヴィス以来ずっと、ポップスターたちは自身のセクシュアリティを資本化してきたわけだが、ガールパワーを伝えるものだったローリン・ヒルの“Doo-Wop (That Thing)”やシャナイア・トゥエインの“Any Man of Mine”、ノー・ダウトの“Just a Girl”といった90年代のヒット曲は、“WAP”を隣に置かれると、まったくもって禁欲的なものに見えるてくる。
 つまり私たちのもとにはいま、男性ミュージシャンにたいして、何でもいいがたとえば、「バカなことするのはやめて」と頼みこむ代わりに、その先には袋小路しかない「性的エンパワーメント」なるものへと向かう道をどんどんと突き進んでいく女性のポップスターたち——しかも男性プロデューサーからなるチームに指導された*5女性ポップスターたち——がいるのだ。ドレイクが自身[と21サヴェージ]のアルバム『Her Loss』のなかでフェミニズムに言及しているのは、よく言えば自分で自分に鞭を打っているようなものだが——ああ、クソッ、俺は悪いビッチたちに惑わされた善人だ、というわけである——、悪く言えば人を侮辱するたぐいのものだ。「お前らのために50万ドル遣ってやるぜビッチ、おれはフェミニストだ」といったリリックによってドレイクは、男性の眼差し(メイルゲイズ)の外に自分たちのための価値を見いだそうとしてもがく女たちを嘲笑っている。だがそのことと、“WAP”の待望された続編である“Bongos”——そのMVのなかでは、Tバックを履いた二人のラッパーがセックスの真似をしながら、「ビッチ、私はお金そのものみたいにイケてる/私の顔をドル札を印刷したっていい/太鼓みたいにコイツを叩いてみたらどう?」とラップしている——とのあいだに違いがあるとした場合、けっきょくのところそれは、後者においては、女が主導権を握っているという点に求められることになるだろうか?
 たしかに、ポン引きに食い物にされるより、自分自身がポン引きになる方がいいだろうが、だが真剣に考えてみてほしい、はたしてそれだけが私たちの選択肢だといえるのだろうか?
 #Metoo以降メディアがどう変わったか(あるいは変わっていないか)を見ていると、私たちは完全に論点を見失っているのではないかと思えてくる。言っておくが、私はカーディ・Bのメディア上での人格が好きだ。彼女はクレバーでふてぶてしく、現代にとって決定的なものである経済的な戦いも上手くこなしている。彼女もまた最高(バッドアス)だ。だから我がシスターたちの一部とは違った考えをもっていることになるかもしれないが、とはいえ私は、ファミニズムを苦しめる内輪揉めに加わるつもりはまったくない(また平等を求めるその他の運動に加わるつもりもまったくない——この点については、次のように書くなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールが見事に要約しているとおりだ。「女たちの翼は切り取られている、その上で彼女は、飛び方を知らないといって責められる*6」)。プラトンの寓話の洞窟に捕らえられたあの魂のように、私たちにとって真の平等を概念化することは難しい。
 だけど、ねえ(メン)*7——カーディ・Bがあの素晴らしい声を何か他のことを言うために使ったとしたらどう思う? 
 けっきょくのところ性的暴行とは、不平等にもとづくより広範なシステムの悲劇的なあらわれなのであり、このシステムにおいて女たちは、男の期待によって拘束されつづけている。男たちに私たちの価値を定義するように頼っているかぎり、私たちの価値はあくまで、特定の(セックス)にかかっていることになる。つまり、男の喜びに向けて調整された(セックス)に。
 だがひどいセックスと同じで、そんなことはただ退屈なだけだ。

【プロフィール】
ジリアン・マーシャル/Jillian Marshall

ジリアン・マーシャル博士は、現在ニューヨークを拠点に活動しているライター、教育者、ミュージシャン。初の著作『JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes』 (Three Rooms Press: 2022)は、日本の伝統音楽、ポピュラー音楽、アンダーグラウンド音楽にたいする民族音楽的研究にもとづき、大学と公共圏を架橋している。博士号取得後にアカデミアを去ったが、その理由のひとつは、同僚たちからその半分もまともに受け取れないのに、彼らの二倍も努力するのに嫌気がさしたからである。https://wynndaquarius.net/

◆注

  • 1 [訳注:原題にある”hot take”とは、大方の予想とは異なる見方を強く示すことで、受け手の積極的な反応を引き出す一種のレトリックのこと。もともとはスポーツ・ジャーナリズムで用いられた言葉だが、SNS上で一般化した。日本語の語感としては「逆張り」にも近いが、もっぱらネガティヴな面が強調されてしまう点で本稿のもつ自覚的な戦略性にはそぐわないため、ここでは、カナによる音写で多義性を残しつつ、直訳的に訳した]
  • 2 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 3 はぁ。冗談ではなく私は、本当に昔のカニエが恋しい。
  • 4 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 5 カーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンは、自分たち以外の6人と作詞のクレジットを共有している——そのいずれもが男性だ。
  • 6 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.
  • 7 [訳注:英語では、性差を問わず誰かに呼びかけるさいの言葉として”man”が用いられるが、ここではそのことが、言語そのものに刻まれた男性優位の例として強調されている。]

なお、本コラムの第二回目(2010年代のカニエ・ウェスト)は、年末号のエレキングに掲載される。

Musicological Hot Take: Pop Music Post-#MeToo By Jillian Marshall, PhD

It’s like Plato’s “Allegory of the Cave": because patriarchal notions of male superiority have shaped the female experience for millennia, it’s hard to conceptualize —let alone define — womanhood outside of it.
Nevertheless, I find myself wondering about where feminism has ended up today. Of course, socio-cultural nuances between, say, Japan and the US create different standards of the feminine performance — and, as Judith Butler wrote, “Gender [roles] are performative… and are real only to the extent that [they] are performed.”*1 But in the end, it’s the same story from New York to Tokyo: in contemporary feminism, the mechanisms of women’s oppression are now branded as the keys to our empowerment.
Yet not even ten years ago, feminism was perched at an exciting precipice. So, how did we end up here after the promise of #Metoo?
At its peak, #MeToo brought forward women of both stature and obscurity with stories of sexual assault: a primary manifestation of patriarchal control that, by its nature, dominates and silences women. Quoting Tarana Burke, who is credited with starting the movement in the early 2000s, “‘Me too’ was just two words… Violence is violence. Trauma is trauma. And we are taught to downplay it, even think about it as chid’s play.”
Yet musicians — those who explicitly shape society’s soundscape— remained curiously silent during #MeToo’s height in the mid-2010s. Perhaps it should be celebrated that only a handful of women came forward with stories: notably KE$HA, who only recently settled a decade-plus lawsuit against her abusive manager, as well as Lady Gaga, Bjork, and Taylor Swift. But a deeper inquiry into women in pop music today provides a roadmap that could guide contemporary feminism toward a more productive direction.

The Other “F” Word: Who Wants to Be a Feminist, Anyway?

Scandalous — nay, abusive — male musicians are practically an archetype, and they’ve long been awarded free passes on their behavior. Michael Jackson didn’t sexually abuse those gold-digging children. Sure, David Bowie had sex with a fourteen-year-old “baby groupie,” but she put herself in that position. And that infamous shark incident with Led Zeppelin? Well, boys will be boys. Even Kanye West has his apologists: a quick look at YouTube comments reveals legions of faithful Yeezus devotees. One lament in particular hits me with a nostalgic gut punch: “He made Graduation. He made Graduation. He made Graduation!” *2
With men, we can always seem to separate the art from the artist.
But women?
In Women Writing Culture, anthropologist Ruth Behar quipped that “When women write, the world watches,”*3 articulating the expectations thrusted upon women who dare speak up. Female musicians face similar pressures regarding their voices— literally. Consider how Sinead O’Connor was famously cancelled for ripping up a photo of the Pope before cancellation itself. More recently, rapper Azalea Banks is more famous for her scandals than her songs. And in Japan, we all remember when the AKB48 member who shaved her head and publicly apologized for the egregious crime of — gasp! — spending the night with her boyfriend.
Sadly, #MeToo began fizzling out just a few years in, perhaps due to unfortunate conflations of sexual assault with poor communication. By 2022, Hollywood opened its loving arms to Johnny Depp following his victorious lawsuit against ex-wife Amber Heard, who “defamed” him with claims of spousal abuse. Post #MeToo, the message is clearer than ever: we women best stay in line, lest we burn at the stake.
So maybe this explicit pressure explains how Lady Gaga, despite her initial support for #MeToo and the sexual assault against allegations against Joe Biden, sang at his 2021 presidential inauguration ceremony. But this might be more of a testament to the bitter bifurcation of American (and other late-capitalist societal) politics. “Believe all women”— unless it’s politically inconvenient to do so, right?
And maybe Beyonce— who once performed in front of that giant, glowing sign declaring herself a FEMINIST — dropped her overt support of women’s issues because, post-#MeToo, societal permission was no longer granted.
Or maybe this all explains the industry’s darling: yes, Taylor Swift herself. Now, I’m not exactly a “Swiftie,” and I raised a serious eyebrow when Kim Kardashian revealed that she feigned ignorance — while claiming a feminist stance, no less — regarding Kanye West’s infamous lyric about how he and she “might still have sex” in his song “Famous.” But Swift’s compliant public persona at the start of her career is what built up her fan base (and financial freedom) to ultimately arrive where she is now: pulling her catalog from Spotify for ethical reasons, re-recording her first six albums to fit her artistic vision, and speaking candidly about her eating disorder.
And though Kim Kardashian caught her red-handed, I love that Taylor Swift came back forty pounds healthier and a year out of the spotlight later, middle fingers blazing on a come-back album for the ages, Reputation, singing: “I don’t trust nobody and nobody trusts me. I’ll be the actress starring in your bad dreams.” Badass.

The Power of Female Sex

Let’s consider what else has happened since #MeToo: the steady downturn of the global economy. Americans are still reeling from the crash of 2008; meanwhile, an endless post-Bubble recession in Japan has weakened the yen to its lowest value in the long postwar. And since coronavirus, inflation cleaves a disheartening chasm across the globe between the rich and poor.
The implications of a struggling economy are particularly grave for women who, to this day, still earn just 77 cents for every dollar made by men in identical positions. So it makes sense that sex work, especially in spheres like OnlyFans or as “sugar babies,” holds seemingly more appeal than ever. Cardi B’s upward mobility, leveraged by stripping, is even described by Harper’s Bazaar as a “Cinderella Story.”
“WAP”-collaborator Megan Thee Stallion puts it succinctly with her line, “Pay my tuition just to kiss me on this wet ass pussy.”
Cardi B’s brand of so-called “slut rap” builds on a legacy from the 1990s that was revolutionary for its time. There’s no doubt that Lil Kim’s “How Many Kicks” and Khia’s “My Neck, My Back (Lick It)” leveled the hip-hop playing field for a time, enabling women to keep up with boys notorious for their objectification of the opposite sex (Snoop Dawg’s “Bitches Ain’t Shit” comes to mind, along with Jay-Z’s “Big Pimpin’”).
But can we finally admit that slut rap didn’t impart lasting liberation from the Male Gaze? I don’t mean to shame female sexuality or the “world’s oldest profession” (itself a commentary on the prioritization of male desire more than female “choice”), but to question contemporary feminism’s insistence this choice is inherently empowering— particularly as representations of women’s sexuality increasingly pander to the Male Gaze. Of course, pop stars since at least as far back as Elvis have capitalized on their sexuality, but the 90s girl-power messaging of Lauryn Hill’s “Doo-Wop (That Thing),” Shania Twain’s “Any Man of Mine,” or No Doubt’s “Just a Girl” appear downright puritanical next to “WAP.”
So rather than imploring male musicians to, I don’t know, stop being assholes, instead we have female pop stars — coached by a team of male producers*4 — marching further down a dead-end road toward “sexual empowerment.” We can all agree that Drake’s nods to feminism on his album Her Loss, is self-flaggelating at best — aw, shucks, just a good guy led astray by bad bitches — and insulting at worst. With lyrics like “I blow half a million on you hoes, I’m a feminist,” Drake makes a mockery of women’s struggle to find worth for themselves outside the Male Gaze. But when the purported difference between this and “WAP”’s much-anticipated follow-up, “Bongos” — whose video features the two rappers in thongs, simulating sex, rapping “Bitch, I look like money / You could print my face on a dollar / Better beat this shit like a drum?” — is that, here, the women are in control?
Sure, I suppose being your own pimp is better than being pimped, but seriously: these are the options?
Seeing how things have (or haven’t) changed in media since #MeToo leaves me wondering if we’ve missed the point altogether. For the record, I like Cardi B’s media personality: she’s clever, unapologetic, and in tune with the economic struggles definitive of our times. She, too, is a badass, so while I might have differing ideas on feminism from some of my sisters, I’ll never participate in the infighting that plagues feminism (and any other movement for equality_, which Simone de Beauvoir eloquently summed up when she wrote, “Women’s wings are clipped, and then she’s blamed for not knowing how to fly.”*5 Like those souls trapped in Plato’s allegorical cave, it’s hard for us ladies to conceptualize true equality.
But man — can you imagine if Cardi B used that incredible voice of hers to say something else? Ultimately, sexual assault is a tragic symptom of a broader system of inequality, where women are imprisoned by male expectation. When we look to men — themselves increasingly socialized by pornography and violence — to define our value, our worth hinges upon a particular kind of sex: one geared toward male pleasure. Like bad sex itself, it’s all just so boring.

  • 1 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 2 Sigh. I really do miss the Old Kanye.
  • 3 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 4 Cardi B and Megan Thee Stallion share writing credits on “Bongos” with six others— all men.
  • 5 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.

Author Bio

Jillian Marshall, PhD, is a writer, educator, and musician currently based in Brooklyn New York. Her first book, JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes (Three Rooms Press: 2022) draws on her ethnomusicological research on Japan’s traditional, popular, underground music worlds, and bridges the university and the public sphere. She left academia following the completion of her doctorate, in part because she was tired of working twice as hard to be taken half as seriously by her colleagues.

Amnesia Scanner & Lorenzo Senni - ele-king

 2018年に出た『Another Life』は強烈だった。以降も実験的かつコンセプチュアルな電子音楽を送り出しつづけている〈PAN〉のデュオ、ヴィレ・ハイマラとマルッティ・カリアラから成るアムニージャ・スキャナーが初めての来日を果たす。今年出た最新作ではいま話題のNYのアーティスト、フリーカ・テット(OPN最新作収録曲の、あの印象的なMVも手がけていましたね)とコラボしていた彼らだが、今回の東京公演はハイマラとそのテットのコンビで敢行。
 また同時にミラノからネオ・トランスの先駆者、みずからを「レイヴ・シーンの覗き屋」だと称するロレンツォ・センニも来訪、東京と大阪の2か所をめぐる。東京では上記アムニージャ・スキャナーと、大阪ではSoft Couとの共演だ。エレクトロニック・ミュージックの前線に触れるまたとない機会。お見逃しなく。

WWW & WWW X Anniversaries

Local 25 World -FIESTA! 2023-
Amnesia Scanner & Lorenzo Senni

2023/11/17 FRI 18:00 at WWW X
早割 / Early Bird ¥3,900 (+1D) *LTD / 枚数限定
TICKET https://t.livepocket.jp/e/20231117wwwx

LIVE:
Amnesia Scanner [DE/FI / PAN]
Lorenzo Senni [IT / WARP]

+++

4F Exhibition: TBA

curated by ippaida storage / Soya Ito
artwork / painting: Nizika 虹賀
layout: pootee

https://www-shibuya.jp/schedule/017250.php

現代ポップ&レイヴ・アートの伝説2組、ベルリンからAmnesia Scannerを待望の初来日、イタリアからLorenzo Senniを8年ぶりに迎えた世界を巡るサウンド・アドベンチャーLocal Worldが本編25回目となるWWWの周年パーティを開催。

2016年12月渋谷WWWを拠点に始動、本年7年目を迎えるイベント・シリーズ兼ディレクターLocal World本編第25回がベルリンからAmnesia Scannerを待望の初来日、イタリアからLorenzo Senniを8年ぶりに迎えWWWの周年イベントとして開催。

10年代前期の元流通/レーベル業のmelting botからイベント業への変換機に生まれたLocal Worldはクラブとアートにおけるコンテンポラリーな電子音楽のモードを軸に立ち上げ当初の脱構築期(Deconstructed)から始まり、アジアやアフリカを念頭に多種多様なサウンドとリズムのキュレーションしながら世界各国のアーティストを招聘、並行してディレクションを務めるWWWの最深部”WWWβ”を基盤に新しいローカル・シーンを形成する担い手としてコロナ禍では下北沢SPREADを拠点にハイパーポップ期へと突入、都内のクラブにてメディアのAVYSSのイベント制作やアーティストのリリース・パーティのサポート含む断続的な活動を続け、本年からWWWにカムバックを果たす。下記のテキストとフライヤーのアーカイヴ・リンクから本パーティを始め前身のシリーズBONDAID、過去のブッキングやツアー・プロモーターとしての活動リストが確認出来る。

Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 w/ Machine Girl
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic -halloween nuts-
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor
Local XX1 World DJ Sprinkles
Local XX2 World Oli XL
Local XX3 World Pelada
Local XX4 World Piezo & Liyo

Lorenzo Senni Japan Tour 2023

トランスのその先へ!〈Warp〉から最新アルバムをリリースするイタリアの鬼才、現代レイヴ・アートの始祖Lorenzo Senni待望の来日ツアー開催。

11/17 FRI 18:00 at WWW X Tokyo w/ Amnesia Scanner [DE/FI / PAN]
https://t.livepocket.jp/e/20231117wwwx

11/19 SUN 18:00 at CIRCUS Osaka w/ Soft Cou [IT]
https://eplus.jp/sf/detail/3980020001-P0030001

今回のテーマ”FIESTA!”は8年前の2015年11月にLorenzo SenniとInga Copelandを招いてWWWで開催したLocal Worldの前身イベントBONDAIDの記念パーティBONDAID#7 FIESTA!から踏襲し、10年代のエレクトロニック・ミュージックの文脈において最重要な現代ポップ&レイヴ・アートの伝説とも言える2組、ニューヨークのフリーカ・テトを迎えた新形態のオルタナティブ・エレクトロ・デュオAmnesia Scanner(本公演ではフリーカ・テトとヴィレ・ハイマラのみ出演)をベルリンから、トランス系脱構築レイヴの始祖Lorenzo Senniをイタリアから迎えた”祝祭”をコンサートと展示を通して表現する。

またLorenzo Senniは11/19日に大阪公演をCIRCUS OSAKAにて予定、両公演追加アクトの詳細は後日発表となっている。

[プロフィール]


Amnesia Scanner [DE/FI / PAN]

Amnesia Scannerはベルリンを拠点とするフィンランド人デュオ、ヴィレ・ハイマラとマルッティ・カリアラ。2014年に結成されたグループの活動範囲は、作曲、プロデュース、パフォーマンス、そしてクリエイティブな演出と循環に及ぶ。システムの脆弱性、情報過多、感覚過多への深い憧憬を特徴とするAmnesia Scannerは、現在をカーニバル化する。ストリーミング・プラットフォームが主流となり、アーティストとファンの間のフィードバック・チャンネルがより直接的になるにつれて、音楽やライブ・パフォーマンスの聴き方がどのように進化しているかを含め、彼らの作品の中核には、現代の体験がどのように媒介されているかという関心がある。

2014年のミックステープ『AS Live [][][][][]』をベースに、グライム、トラップ、レイヴのデータ・リッチなメッシュと、2015年のオーディオ・プレイ『Angels Rig Hook』で絶賛された機械仕掛けのナレーターを織り交ぜた。その直後には、アーティストのハーム・ヴァン・デン・ドーペルとビル・クーリガス(PANの創設者)とのサイバードローム・オーディオ・ビジュアル・プロジェクト、Lexachastを発表した。純粋なAmnesia Scannerの領域に戻ると、Young Turksの2枚のEP(ASとAS Truth)が2017年に到着し、デュオがますます知られるようになった没入的な環境を、ダークなレイヴ・ツールの研磨されたコレクションに抽出した。Angels Rig Hookの実体のないヴォーカリストは、デュオ初のLP『Another Life』(2018年 PAN)で "オラクル "として姿を変えて戻ってきた。このアルバムは、ポップな曲構成とアヴァンギャルドなEDMをカップリングし、子守唄から過熱したドゥームバトンやニューメタル・ギャバまでスイングする。2021年、Amnesia Scannerはセカンド・フル・アルバム『Tearless』をリリースした。このアルバムは「地球との決別の記録」であり、サウンド的にもメロディ的にも、彼らの特徴であるオーヴァークロック・ポップという作品の幅を広げている。ラリータ、LYZZA、コード・オレンジがアムネシア・スキャナーに加わり、迫り来る崩壊へのボーダレスなサウンドトラックを作曲している。

Amnesia Scannerは、デンマークの大規模なRoskilde FestivalからベルリンのBerghain、ロンドンのSerpentine Galleriesまで、幅広い会場や環境でパフォーマンスを行ってきた。デザインとビジュアル・ディレクションは、PWRとコラボレーションしている。ヴィレ・ハイマラは、独立して、デヴィッド・バーン、FKAツイッグス、ホリー・ハーンドン、アン・イムホフなどのアーティストのために作曲し、プロデュースもしている。Amnesia Scannerでの活動以外にも、マルッティ・カリアラは建築家、文化批評家、クリエイティブ・シンクタンク「ネメシス」の共同設立者でもある。

https://pan.lnk.to/STROBE.RIP

https://www.youtube.com/watch?v=mgbSR7f4K-o&ab_channel=AmnesiaScanner
https://www.youtube.com/watch?v=3MzBSV-_mjQ&ab_channel=AmnesiaScanner
https://www.youtube.com/watch?v=N8mT3-YvmxE&ab_channel=AmnesiaScanner
https://www.youtube.com/watch?v=5CEmVTzmzpw&t=143s


Lorenzo Senni [IT / WARP]

ダンス・ミュージックのメカニズムや動作部分のたゆまぬリサーチャーであり、尊敬されるエクスペリメンタル・レーベルPresto!!!の代表であるこのイタリア人ミュージシャンは、この10年で最もユニークなリリース『Persona』(Warp 2016年)、『Quantum Jelly』(Editions Mego 2012年)、『Superimpositions』(Boomkat Editions 2014年)を手がけている。

2016年にWarpと契約し、EP「Persona」は、デジタル・カルチャーと音楽の分野で最も有名で、最も長く続いている年間賞の1つであるプリ・アーツ・エレクトロニカで名誉ある「Honorary Mention」を受賞した。Pointillistic Trance(点描トランス)」や Rave Voyeurism(窃視レイヴ)という造語で自身のアプローチを表現するロレンツォ・センニは、トランスから脊髄を引き抜き、目の前にぶら下げるサディスティックな科学者のようである。

彼の作品は、90年代のサウンドとレイヴ・カルチャーを見事に解体し、その構成要素を注意深く分析して、まったく異なる文脈で再利用できるようにしたもので、反復と分離を重要なコンセプトとして、多幸感あふれるダンス・ミュージックに見られる”ビルドアップ”のアイデアを出発点として、高揚感はほどほどに、より内省的な作品を作り、暗黙のうちに感情の緊張とドラマを保っている。

Presto!!! レコードの創設者として、DJスティングレイ、フローリアン・ヘッカー、パルミストリー、エヴォルなど、国際的に高く評価されているアーティストのアルバムをリリースしてきた。レコードの創設者として、DJスティングレイ、フローリアン・ヘッカー、パルミストリー、エヴォルなど、国際的に評価の高いアーティストのアルバムをリリース。映画、演劇、映画音楽の作曲も手がけ、ユーリ・アンカラニの受賞作『ダ・ヴィンチ』や『ザ・チャレンジ』のサウンドトラック、ウェイン・マクレガーの『+/- Human』(コンピューター制御のドローンとロイヤル・ナショナル・バレエ団のダンサーによるダンス・パフォーマンス)などがある。また、アメリカの歌手ハウ・トゥ・ドレス・ウェル(How To Dress Well)の音楽も手がけ、テート・モダン(ロンドン)、ポンピドゥー・センター(パリ)、MACBA(バルセロナ)、カサ・ダ・ムジカ(ポルト)、MACBA(バルセロナ)、Auditorium Nazionale Rai(トリノ)、Auditorium Parco della Musica(ローマ)、Zabludowicz Foundation(ロンドン)、ICA(ロンドン)などでLasers & CO2 Cannonsを含む作品を展示し、パフォーマンスを行っている。

https://linktr.ee/lorenzosenni

https://www.youtube.com/watch?v=qNlbN_YZHFY
https://www.youtube.com/watch?v=0UH2tqHTi_M&ab_channel=LorenzoSenni
https://www.youtube.com/watch?v=v_AjXH0xu4A&t=174s&ab_channel=LorenzoSenni
https://www.youtube.com/watch?v=X2Yh8zkC-0g&ab_channel=ka1eidoscopic2

インタビュー@eleking “パンデミックの中心で「音楽を研究したいだけ」と叫ぶ!”
https://www.ele-king.net/interviews/007574

インタビュー@SSENSE “ロレンツォ・センニ:情熱の規律”
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/music-ja/lorenzo-senni-discipline-of-enthusiasm?lang=ja

Japan Vibrations - ele-king

 パリに生まれ東京で育ったDJ、アレックス・フロム・トーキョーがこのたび、日本のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに特化したコンピレーション・アルバムをリリースすることを発表した。細野晴臣からはじまり、Silent Poetsや横田進、オキヒデ、Mind DesignやC.T. Scan等々、ジャンルを横断しながら駆け抜ける。(トラックリストをチェックしましょう)この秋の注目の1枚ですね。

 また、このリリースに併せて、11月2日から13日までDJツアーも決定。(11/2 鶴岡 Titty Twister、3日 京都Metro、4日 大阪House Bar Muse、5日は東京で6年振りにGalleryを開催、8日 東京Tree@Aoyama Zero、9日 熊本Mellow Mellow、10日 福岡Sirocco、11日 旭川Bassment。なお、11月1日にはDOMMUNEにて特番も決定しております。

V/A
Alex from Tokyo presents Japan Vibrations Vol.1

world famous
アナログ盤は日本先行で2023年11月01日発売
CDは2023年11月22日発売

トラックリスト:
1. Haruomi Hosono - Ambient Meditation #3
2. Silent Poets - Meaning In The Tone (’95 Space & Oriental)
3. Mind Design - Sun
4. Quadra- Phantom
5. Yasuaki Shimizu - Tamare-Tamare
6. Ryuichi Sakamoto - Tibetan Dance (Version)
7. T.P.O. - Hiroshi's Dub (Tokyo Club Mix)
8. Okihide - Biskatta
9. Mondo Grosso - Vibe PM (Jazzy Mixed Roots) (Remixed by Yoshihiro Okino)
10. Prism - Velvet Nymph
11. C.T. Scan - Cold Sleep (The Door Into Summer)

 Alex From Tokyoが日本で重ねた25年以上の人生における音楽の回想録、第一章!

 『Japan Vibrations Vol.1』で、80年代半ばから90年代半ばまでの日本のエレクトロニック・ダンス・ミュージック・シーンの刺激的な時代に飛び込もう。東京でDJ活動をスタートした音楽の語り部でもあるアレックス・フロム・トーキョーが厳選したコレクションは、シーンを形作った先駆者たちや革新者たちにオマージュを捧げている。
 この秋にリリースされるこのコンピレーションは、日本の現代音楽史における活気に満ちた時期を記録したタイムカプセルとなる。また、その時代を生きた本人からのラヴレターでもある。
 アンビエント、ダウンテンポ、ダブ、ワールド・ビート、ディープ・ハウス、ニュー・ジャズ、テクノにまたがる11曲を新たにリマスター。国際的なサウンドに日本的な要素が融合した、楽園のような時代のクリエイティビティに満ちた創意工夫と、そのエネルギーを共に紹介する。
 シーンのパイオニアである細野晴臣、坂本龍一、清水靖晃、クラブ・カルチャーを形成した藤原ヒロシ、高木完、ススムヨコタ、Silent Poets、Mondo Grosso、Kyoto Jazz Massive、そして新世代アーティストのCMJK(C.T.Scan)、Mind Design、Okihide、Hiroshi Watanabeのヴァイブレーションを体験しょう。このクラブ・シーンの進化をDJセットの進行とともに展開します。

 本作はサウンドエンジニア熊野功氏(PHONON)による高音質なリマスタリングが施され、日高健によるライセンスコーディネート、アルバムアートワークは北原武彦。撮影は藤代冥砂とBeezer、と全員がアレックスと親交の深い友人達が担当。プレスはイタリアのMotherTongue Records。販売流通先はアムステルダムのRush Hour。サポートはCarhartt WIP。
 『Japan Vibrations Vol.1』は、リスナーを日本の伝説的なクラブで繰り広げられるエネルギッシュな夜にタイムスリップさせ、音楽の発見と内省の旅へといざないます。


Alex from Tokyo/アレックス・フロム・トーキョー
(Tokyo Black Star, world famous, Paris)
https://www.soundsfamiliar.it/roster/alex-from-tokyo

 パリ生まれ、東京育ち、現在はパリを拠点とする音楽家、DJ、音楽プロデューサー(Tokyo Black Star)、サウンドデザイナー(omotesound.com)&インタナショナル・コーディネータ。world famousレーベル主宰。
 彼のキャリアは約30年に及び、日本、フランス、ニューヨーク、ベルリンそして現在の拠点であるパリと、世界を股にかけて国際的に活躍中。
 アレックスを、限られた時空や芸術の連続体の中に閉じ込めてしまうのは、とても考えられないことであり、誰がそんなことをするというのだろう。
 4歳の頃から、東京に住んでいたアレックス・プラットは、地球最大の都市の音と光景の中で育つ。1991年9月に生まれ故郷のパリに帰国。当初は大学進学のためだったがパリのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに飛び込み、1993年にパリでDj DeepとGregoryとのDJユニット「A Deep Groove」を設立してDJキャリアーをスタート。
 1995年に東京に戻ってきたAlexは、日本を目指した交流あるヨーロッパのレーベル、DJやアーティスト達の橋渡し役として活躍する事となる。Laurent GarnierのレーベルF Communicationsの日本大使になり、ロンドンのレコードショップ/レーベルMr. Bongoの渋谷店及びレーベルDisorientで働き、そしてフランスのYellow ProductionsとBossa Tres Jazz 「When East Meets West」の企画と日本側のコーディネートを行う。同時に東京のレーベルP-Vine, Flavour of Sound、Rush Productions、Flower RecordsやUltra VybeからミックスCDを製作。
 1990年代末にサウンドエンジニアの熊野功とTokyo Black Star名義でオリジナル楽曲やリミックスの制作を開始(2015年に高木健一が正式メンバーとして加入)。ベルリンのトップ・レーベルInnervisionsから2009年にファースト・フル・アルバム「Black Ships」を発表。
 クラブ・シーンを超えて、もうひとつのパッションである音楽デザイナーとしてAlexはインタナショナル・ファッション・ブランド(Y-3, Louis Vuitton, Mini, Li-Ning, wagyumafia)やセレクトされたクライアントのために音楽コンサルティングや制作を提供。2006年9月に日本の河出書房社から出版されたLaurent Garnierの自伝「Electrochoc」の日本語訳を担当。
 DJとしては日本と世界の音を吸収して「ディープ・ハッピー・ファンキー・ポジティブ」なサウンドを共有しています。
 2022年までの2年間ベルギー、ブリュッセルのKioskラジオで隔月に放送されている番組「ta bi bi to」(旅する人達のための音楽)では、世界中のリスナーに多彩な音楽の旅を提供。
 現在では、ベルリンのトップ・ゲイ・パーティCocktail D’Amoreでのレギュラー、そして日本ではDj Nori、Kenji HasegawaとFukubaと共に25年続けているSunday Afternoonパーティ「Gallery」のレジデントを務める。
 2019年にはベルリンからworld famousレーベルを再起動して、2023年の秋には日本のエレクトロニック・ダンスミュージックのコンピレーション企画シリーズ『Japan Vibrations Vol.1』を世界リリース。
 2023年9月1日にリリースされた所属のイタリアのDJエージェンシーSounds Familiar の10周年記念コンピレーション・アルバム『Familiar Sounds Vol.2 』に新曲 "Wa Galaxy "で参加。
 アレックスは、今も絶えることなく、音楽の旅を続けている。

 新作『Again』はワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにとって記念すべき10枚目のオリジナル・アルバムにあたる。さらに今年は2010年代を代表する名作『R Plus Seven』からちょうど10年の節目でもある。いい機会だし、ここでダニエル・ロパティンの15年以上におよぶキャリアをおさらいしておきたい。オリジナル・アルバムは当然として、さまざまな相手と積極的に関わっていくところもまた彼の大きな特徴ゆえ、コラボやプロデュース仕事にも光を当てる。

主要作品紹介

 まずはやっぱりダニエル・ロパティン本人がメインとなる作品から聴いていくべきでしょう。というわけでワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義のオリジナル・アルバムを中心に、サウンドトラックや一部のEPもピックアップ。最初期の3枚は入手困難なため、かわりに編集盤を掲載している。

1

Oneohtrix Point Never
Rifts Software (2012)

いまとなっては入手困難な2007年のデビュー・アルバム『Betrayed In The Octagon』、2009年の『Zones Without People』、そしてNYの〈No Fun Productions〉から送り出された『Russian Mind』(同2009年)の初期3枚に、カセットやCD-Rで出ていた音源などを加えたコンピレイション。当初は09年に〈No Fun〉からリリース。3年後、再編集のうえ自身のレーベルから出し直したのがこちら。まだ素朴にシンセと戯れている。ロウファイ文脈を意識させる曲もあり。

2

Oneohtrix Point Never
Returnal Editions Mego (2010)

フェネスやジム・オルークなどのリリースをとおして実験的な電子音楽の第一人者ともいうべきポジションを築いていたウィーンのレーベル、〈Editions Mego〉からリリースされたことが重要で、これを出したがゆえにOPNは注目しないわけにはいかない音楽家の仲間入りを果たした。まずは冒頭のノイズにやられる。以降のドローンやサンプルの美しさといったら。

3

Chuck Person
Chuck Person's Eccojams Vol. 1 The Curatorial Club (2010)

当時は正体が伏せられていたため、ダニエル・ロパティンがヴェイパーウェイヴの先駆者のひとりでもあったことを知る者はリアルタイムではいなかったはずだ。退屈な仕事の合間にポップ・ソングをスクリューさせてつくった楽曲たちの集まり。いくつかはもともとYouTubeで発表されている。某超有名ポップ・スターも異形化されている。

4

Oneohtrix Point Never
Replica Software / Mexican Summer (2012)

人気作にして代表作のひとつ、通算5枚目のアルバム。自身のレーベル〈Software〉がチルウェイヴやローファイ・サウンドの拠点だった〈Mexican Summer〉傘下に設立されたのは見過ごせないポイントで、まさにインターネット時代を表現するかのごとく謎のノイズや音声が縦横無尽にサンプリングされていき、美しいシンセと合体させられていく。ジャンクなものが放つ美。

5

Oneohtrix Point Never
R Plus Seven Warp (2013)

エレクトロニック・ミュージックの名門〈Warp〉への移籍は事件であると同時に、納得感もあった。音響はデジタルなものに変化、種々の声ネタや切り刻み、反復の活用などでかつてない個性を確立した名作で、以降ロパティンが繰り広げることになる数々の冒険の起点になった6枚目のアルバム。今年でちょうど10周年。

6

Oneohtrix Point Never
Garden Of Delete Warp (2015)

メタルにハマっていた少年時代を回顧、過剰な電子音でポップ・ミュージックのグロテスクさを表現した7枚目。音声合成ソフト Chipspeech を用いた奇妙なポップ・ソング “Sticky Drama” は、これまでとは異なるファンを獲得するにいたった。のちに「半自伝的3部作」の第1作として位置づけられることに。

7

Oneohtrix Point Never
Good Time (Original Motion Picture Soundtrack) Warp (2017)

サフディ兄弟監督作の劇伴。これまでもソフィア・コッポラ作品などに作曲で参加していたロパティンの、本格的なサウンドトラック仕事としては2作目にあたる(OPN名義では初)。とにかくダークで緊張感に満ちている。最後はイギー・ポップの歌で〆。カンヌでサウンドトラック賞を授かった。

8

Oneohtrix Point Never
Age Of Warp (2018)

中世の民衆からインスパイアされたコンセプチュアルな8枚目。自身の歌を初披露。チェンバロ、ダクソフォンなど音色もかなり豊かになっている。加速主義で知られる哲学者ニック・ランド(CCRU)から触発された “Black Snow” の詞も注目を集めた。本作直後のライヴ・ツアー「MYRIAD」ではイーライ・ケスラーらとバンドを結成。

9

Oneohtrix Point Never
Love In The Time Of Lexapro Warp (2018)

『Age Of』の続編的な位置づけのEP。最大の注目ポイントは日本の巨匠、前年にOPNがリミックスを手がけていた坂本龍一からの返礼リミックスで、繊細な音響空間を味わうことができる。テーマが抗うつ剤なのはロパティンが時代に敏感な証。

10

Daniel Lopatin
Uncut Gems (Original Motion Picture Soundtrack) Warp (2019)

邦題『アンカット・ダイヤモンド』のサウンドトラック。サフディ兄弟監督とは2度目のタッグだ。名義が本名に戻ったのはただの思いつきだそう。スティーヴ・ライシュ風あり、芸能山城組風あり、アシッドありと、じつに多彩な1枚。声楽やサックス、フルートが新鮮に響く。

11

Oneohtrix Point Never
Magic Oneohtrix Point Never Warp (2020)

ロックダウン中の内省の影響を受け、自身の原点たるラジオ放送(「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」はラジオ局「106.7(ワンオーシックス・ポイント・セヴン)」のもじり)をコンセプトにした通算9枚目。初期を思わせるシンセ・サウンドからバンド風、ラップ入りの曲、歌モノまで、まさにラジオを聴いているかのように展開していく。のちに「半自伝的3部作」の第2作として位置づけられることに。

12

Oneohtrix Point Never
Again Warp (2023)

満を持してリリースされた通算10枚目、聴きどころ満載の最新アルバム。意表をつく弦楽合奏(指揮はロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ創設者のロバート・エイムズ)にはじまり、OpenAI社の生成AI、存在感を放つリー・ラナルドのギター、さりげなく参加しているジム・オルークなど、注目ポイントが盛りだくさん。「半自伝的3部作」の完結編にあたるそうだ。

コラボレーション&プロデュース作品

 孤高の精神、ただひとり屹立するやり方はOPNの流儀ではない。MVやアートワーク含め、いろんな作家たちと積極的に関わろうと試みるのはダニエル・ロパティンという音楽家が持つ魅力のひとつだ。というわけでここではコラボ作&プロデュース作を見ていくが、あまりに数が多いため厳選している。以下を入口にほかの作品にも注目していただけたら。

13

Borden, Ferraro, Godin, Halo & Lopatin
FRKWYS 7 RVNG Intl. (2010)

ダニエル・ロパティンのみならず、ジェイムズ・フェラーロやローレル・ヘイローなど、当時若手でのちに2010年代のキーパースンとなる面々がミニマル・ミュージックの巨匠デイヴィッド・ボーデンを囲む。いま振り返ると歴史的なコラボレイションだ。サイケ感もある魅惑のアンビエント。

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Ford & Lopatin
Channel Pressure Software (2011)

ロパティンが同級生のジェイムズ・フォードと組んだシンセ・ポップ・プロジェクト、ゲームズ名義から発展。そのレトロな佇まいは、素材をスクリューさせる『Eccojams』とはまたべつの切り口から80年代を再解釈しているともいえる。歌モノも楽しい。

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Tim Hecker & Daniel Lopatin
Instrumental Tourist Software (2012)

00年代後半以降におけるアンビエント~ドローンの牽引者ティム・ヘッカーと、『Returnal』や『Replica』で音楽ファンを虜にしていた当時新進気鋭のロパティンとの組み合わせは、時代を象徴するようなコラボだった。どこまでもダークなサウンド。寂寥の極致。

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Anohni
Hopelessness Secretly Canadian (2016)

ルー・リード作品に参加したことから注目を集め、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズとして大いに賞賛された稀代の歌手による改名後第1作。ロパティンはハドソン・モホークとともにプロデューサーとして貢献しており、OPNらしい音色も確認できる。

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DJ Earl
Open Your Eyes Teklife (2016)

まさかフットワークにも挑戦していたとは。ダンス・カルチャーとは接点を持たないように見えるOPNとシカゴのシーンにおける最重要クルー〈Teklife〉との合流は、当時もかなり意外性があった。3曲で共作、ミックスも担当している。

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David Byrne
American Utopia Nonesuch / Todomundo (2018)

巨匠デイヴィッド・バーンとのまさかの出会い。OPNはたまに「現代のイーノ」と形容されることがあるが、まさにそのブライアン・イーノらに交じって作曲と演奏で5曲に参加、4曲目ではそれこそイーノ風のシンセを響かせている。

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The Weeknd
After Hours XO / Universal Music Group (2020)

本格的にメジャー・シーンに進出することになったターニング・ポイントが本作かもしれない。『Uncut Gems』時に共作したトロント出身のポップ・スター、ウィーケンドの4枚目。このときはまだ関与は3曲のみだが、次作『Dawn FM』ではがっぷり四つに組むことになる。

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Moses Sumney
GRÆ Jagjaguwar (2020)

インディ・ロック・シーンとも接点を持つガーナ系シンガー・ソングライターのセカンド・アルバムに、ロパティンはシンセ演奏と追加プロデュースで参加。サムニーのソウルフルなアヴァン・ポップ・サウンドをうまく補強している。

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Charli XCX
CRASH Asylum / Warner Music UK (2022)

関わっているのは1曲のみではあるものの、UKのポップ・スターとも接点を有していたとは驚きだ。ここでは〈PC Music〉のA・G・クックと “Every Rule” を共同プロデュース。しっとりしたシンセ・ポップを楽しもう。

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Soccer Mommy
Sometimes, Forever Loma Vista (2022)

ナッシュヴィルのシンガー・ソングライターの3枚目を全面プロデュース。ロパティンは基本的には黒子に徹しているものの、スウィートなポップ~シューゲイズ・サウンドの影に、たまにその存在が感じられる。

※当記事は小冊子「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとエレクトロニック・ミュージックの現在」掲載の文章をもとに、加筆・修正したものです。


Kazuhiko Masumura - ele-king

 さすらいのドラマー、増村和彦がこのたび、初のソロ作品となる『 Candombou』をBandcampにアップロードした。増村のドラム演奏を岡田拓郎がまとめ、ミックスしたものだという。最近、増村はどうしているんだと気になっていた方はもちろんのこと、なにか面白いものが生まれるかもしれないという気配を感じたい方はぜひチェックを。本人によれば、Gonno×増村の新作はそろそろ完成間近のようです。

Tirzah - ele-king

 これは絶対に必聴、2023年の聴き逃せないアルバムの1枚だ。私たちele-kingが2021年の年間ベスト・アルバム第1位に選出した前作『Colourgrade』からはや2年。独特のサウンドでポップ・ミュージックを更新する当代随一のシンガーソングライター、ティルザが3枚目のフルレングスを引っ提げて帰ってきた。
 プロデューサーはこれまで同様、幼いころからの友人にしてUKアンダーグラウンドのキイパースンたるミカ・リーヴィ(ミカチュー)。すでに配信では解禁されており、その特異なプロダクションを試し聴きできます。リリック面では、現実の愛と想像上の愛というのがテーマになっている模様。CD/LPの発売は11月17日。すばらしいふたりの才能による新たな試みを聴き逃してはいけない。

Tirzah
エクスペリメンタル・ポップ・アーティスト、ティルザが
ミカ・レヴィをプロデューサーに迎えた最新作『trip9love…???』を突如リリース!
11月にはCDとLPでも発売決定!

インディー~R&B~エレクトロニック~エクスペリメンタルとジャンルを横断する独自のスタイルで高く評価を集めるティルザ(Tirzah)が、ミカチュー名義でも活躍し、映画『アンダー・ザ・スキン』や『ジャッキー』を手がけた映画音楽家としても知られるミカ・レヴィをプロデューサーに迎えた最新作『trip9love…???』をリリースした。11月17日にはCDとLPでも発売が予定されている。

配信リンク >>> https://tirzah.ffm.to/trip9love

このアルバムは、二人の自宅スタジオとロンドン南東部およびケント州のさまざまな場所で書かれ、レコーディングされた。およそ1年かけて何度かレコーディング・セッションを行った後、ついに彼らが追い求めたい思うサウンドが輪郭を表したという。収録された楽曲は、一つのビートの上にピアノのループを乗せ、ディストーションを加え、ロマンティックなヴォーカルの主旋律を使って作られた。詩は、現実と想像の両方の愛をテーマにしている。スピード感、つながり、類似性から、このレコードは1曲のように感じられ、ある瞬間の日記のようでもあり、1つのサウンドに魅了され、それにしたがって進むことが重要だったという。『trip9love…』の作品性は、そういった制作状況そのものが反映されている。

label: Domino
artist: Tirzah
title: trip9love...???
release: [Digital] 2023.09.05 [CD/LP] 2023.11.17

配信リンク:
https://tirzah.ffm.to/trip9love
予約リンク:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13649

CD

通常盤LP

限定盤LP

Locate S,1 - ele-king

 ジョージア州アセンズ出身でニューヨークを拠点に活動しているロケイト・S,1ことクリスティーナ・シュナイダーの魅力はなんといってもポップなメロディにあるだろう。空間に溶けていくかのような柔らかく陽光なヴォーカル・メロディ、〈Caputured Tracks〉からの最初のリリースとなった前作は共同プロデュースを務めたのがケヴィン・バーンズということもあってオブ・モントリオール色の強いアルバムだったが、セルフ・プロデュースとなる今作はそれ以前の活動でもあるCE・シューナイダー・トピカル時代の雰囲気がある。ブランシュ・ブランシュ・ブランシュのザック・フィリップスと組んで活動していた時期のCE・シュナイダー・トピカルは夢見心地に儚く漂うヴォーカルとDIYのセンスあふれるアレンジ(彼女は日本のマヘル・シャラル・ハシュ・バズが好きだと言っていたが、確かに影響があるように思える)が特徴だったが、この2ndアルバムではその影を残したまま、時代がかったインディ・ポップと呼べるような雰囲気を基調にゆるやかにジャンルを横断する。

 カントリー風のオープニング・トラック “You Were Right About One Thing”、リラックスしたボサノヴァ風味の “Go Back To Disnee”、70年代のソフト・ロックを思わせる “Pieta”、ザック・フィリップスと共作したという “Daffodil” はやはり一番CE・シューナイダー・トピカルに時代に近い曲で、ラフでねじれた桃源郷を演出する。そうして60年代のフィル・スペクターの黄金ポップスのようなタイトル・トラック “Wicked Jaw” で締めるのだ。バラバラのジャンルの曲がひとつのアルバムとして成立しているのはやはり彼女のヴォーカルの力が大きいのだろう。変化するジャンルのサウンドの上に、柔らかくわずかに憂いを帯びた彼女の声が最後まで続くひとつの道を作り上げている。大げさでわざとらしくなるような一歩、あるいはニ歩手前で。そうしてその陽光のメロディの中に社会を見つめる目線と小さな悲しみを混ぜ込むのだ。

 ノスタルジックでありながら、そこに留まることを良しとしない “Go Back To Disnee” のライン。「私たちは本当のアメリカに暮らしていなかった/ディズニーに戻ろう、宮殿の階段に/存在しなかった隠された場所に戻ろう」。リラックスしたとろけるようなボサノヴァ調の曲の中でクリスティーナ・シュナイダーは作られた幻想を否定するようなニュアンスをそっと忍び込ませる。スペルの違う、ズレた世界のディズニー・ノスタルジア、甘さの中の苦味、それが楽曲をより魅力的なものにする。
 あるいは “You Were Right About One Thing” のビデオで見せるような人間の側面を演じる極端なペルソナがギャップを生み出し表現に違ったニュアンスを与える。このビデオにはマリリン・モンロー風のクラシック・スタイルの女性にマフィアの男、70年代のクライム・サスペンス風の装いの女が登場するが、その全てを同じ人物(クリスティーナ・シュナイダー)が演じそしてそれが同時に存在する。それはあたかもひとりの人間、あるいはひとつの出来事が抱える複雑性を表現しているかのように思える。

 シュナイダーは曲作りについて「美しさは闇と痛みを浮き彫りにして、それをよりはっきりと見えるようにする」と語っているがこのアルバムはまさにそうしたコンセプトが遺憾なく発揮されたアルバムだろう。幼少期のトラウマ、パンデミックで混迷するアメリカ、それらの暗い影がとろけるような陽光のメロディの中で語られて、その表現の中で一面的ではない他の側面をにじませるのだ。明るいインディ・ポップの楽曲はひそやかにねじられて、さりげなく積まれたらレイヤーがふとした瞬間に重なり透ける。30分強のボリュームの聞きやすさの中にニュアンスが溶けるこのアルバムはその時々で様々な顔を見せてくれる。心地よく、少しだけ居心地が悪い、なんとも不思議な感覚だ。

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