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Babyfather - ele-king

 ヒップホップの歴史を紐解けば、ハイプ・ウィリアムスという名前に出会う。ハイプは、ミュージック・ヴィデオにおいてラッパーをローアングルで撮った映像作家で、つまり、ラッパーを必要以上にでっかく見せた作家だ。USヒップホップ史には「ハイプ以前/ハイプ以降」という言葉さえある。UKのディーン・ブラントと名乗る男性とインガ・コープランドと名乗る女性が自分たちのプロジェクト名になぜ彼の名前を選んだのかは、いまところ秘密のままである。名前を盗用するにしても、なぜそれが「ハイプ・ウィリアムス」だったのか……、真っ当に想像していけば、ヒップホップ的映像の型=クリシェを作ったことへのおちょくり、パロディ、たんなるジョーク、シニカルなユーモアだったとなる。クリシェを弄ぶこと、おちょくることは、ディーンとインガのハイプ・ウィリアムスの作品に共通した態度だった。だが、そこにはリスペクトもあるように感じさせてしまうところが、彼らのややこしさでもある。
 それはドープでサグなイメージをバラ撒きながら、じつは頭で聴く音楽ということだ。他界した天才フットボーラー/戦術家のヨハン・クライフは、サッカーを足ではなく頭でやった人だった。ハイプ・ウィリアムスにとっての音楽も頭で作るものだった。彼らの音楽は基本インストだが言葉は欠かせないし、言葉は両義的に思えた。そもそも彼らは自身の名前からバイオからすべてをでっち上げて登場したのだから。

 ハイプ・ウィリアムス解散(?)後、しばらくディーン・ブラントなる名義で活動を続けていた彼だが、昨年からベイビーファーザー名義を使いはじめている。ほかにも@jesuschrist3000ADHD名義とか……ややこしい。覚えられたくない、というわけではない、覚えられたいけれど通常の覚え方では覚えられたくないということなのだろう。
 で、baby fatherとは未婚の父を意味する言葉で、スコットランドのヤング・ファーザーズを意識してなのか、あるいは本当に彼が未婚の父なのかはわからない。とにかく彼は2015年にディーン・ブラント名義で『Babyfather』なるアルバムを〈ハイパーダブ〉から配信のみでリリースすると、配信のみでベイビーファーザー名義の『UK2UK』、2016年の1月にはARCAが参加した曲「Meditation」を〈ハイパーダブ〉からフィジカル・リリース、さらに『Platinum Tears』を無料DLでリリースしている。そしてここに〈ハイパーダブ〉からフィジカル・リリースのアルバムのお出ましである。

 「これが私に英国人であることの誇りを与えます(this makes me proud to be British)」という言葉からはじまり、言葉はアルバムのなかで何回も繰り返される。移民の子として生まれ、クラブで働き、苦労しながら俳優になったイドリス・エルバの言葉で、彼にとって(そしてディーン・ブラントにとっても)〝英国人としての誇り〟〝英国人としてのアイデンティティ〟を覚えるのはクラブ・カルチャーであり、音楽というわけだ。ディーン・ブラントにしては、まっすぐなメッセージである。

 実際、新作の『BBF』は途中なんどか引き裂かれながらもUKブラック・ダンス・ミュージックのタフさにおいて楽観的な結末へと展開する。ディーン・ブラント名義の、2012年の〈ヒップス・イン・タンクス〉からの作品2014年の〈ラフ・トレード〉からの作品では、バラードを歌ったり、フォークをやったり、ゲンズブールをへろへろにしたような歌を歌ったりと、わけのわからない方向に走った彼だが、『BBF』の特徴は、彼が明らかにクラブ・カルチャーに寄っていることだ。
 ヒップホップ・ビート、レゲエのダンスホール、ブレイクビート、グライム、ゲットー・ミュージック……いかにもUKらしい、初期マッシヴ・アタックのような、UKの雑食的クラブ・カルチャーから聴こえる多彩なビートの数々、そしてベースとメランコリーがある。Micachuが歌う曲は、マッシヴ・アタックにトレーシー・ソーンが参加した“プロテクション”を彷彿させなくもない。ARCAが参加した“Meditation”もリズムはダブ/レゲエだ。ジャマイカ色はところどころに出ていて、アルバムで躍動するリズムからは、移民が作ったUKのストリート・ミュージックへのシンパシーを感じる。アートワークで描かれている、再開発されたロンドンの嫌みったらしいほど高級で美しい光景に消されているロンドンを描いているのだろう。

 日本でOPNがこれだけ評価されて、(まあ、OPNにクラブというコンセプトはないので比べるのも間違っているのだけれど、同じ時期に注目されたエレクトロニック・ミュージックとして、しかも欧米ではOPNと同じように高評価だというのに)なぜ日本ではハイプ・ウィリアムスが……ディーン・ブラントが……という思いがぼくにはずっとある。あまりにもUK的な捻くれ方が日本では受けない原因なのだろうか。ライヴにおけるストロボもボディーソニックな音響も、頭を使わせる仕掛けも、ぼくに言わせればハイプ・ウィリアムスのほうが上だった
 まあ、取材を受けるわけではないし、過去の数少ない取材でも嘘ばかりだったし、ディーン・ブラントはわかりづらいアーティストのひとりではあるが、この新作は思いのほかダイレクトに響く。何かの間違いで怪しげなラジオ局の電波をキャッチしてしまった、しかもそのラジオ番組では現代の、最高にハイブリッドなUKダンス・ミュージックがかかっていたと、そんな感じのアルバムで、英国人でなくても楽しめる。ひとりでも多くの人に聴いて欲しい。

copeland - ele-king

 今回のワールドカップには、これまで感じたことのない異様な感覚が漂っている。たしかにワールドカップは、過去、生臭い政治にまみれることはたびたびあった。軍事政権下でのアルゼンチン大会のように、プロパガンダとして利用されることもあった。南アフリカ大会での反対運動も記憶に新しい。が、それにしても、おそらく、この地球上でもっともフットボールを愛している国、この地球上でもっとも華麗なフットボールをものにしている国──と世界中で思われてきた国──のなかで開催を反対する人たちが追い詰められた挙げ句の直接行動を起こし、落書きし、そのことが長く、そしてこれほどまでに顕在化するというのは、やはり、昔のように無邪気にワールドカップを楽しむということができなくなった時代の本格的な到来を意味しているのだろう。ロマーリオ(フランス大会のとき、デプス・チャージは彼を讃える12インチを出している)のように、現在の反対運動に共感を示している元セレソンもいる。もっとも、FIFAだけの仕業でもないし、本当に異様な感じだ。

 インガ・コープランドと呼ばれている女性の音楽は、こうした世界の異変を察知しているもののひとつだ。2010年、彼女とディーン・ブラントと呼ばれている男性とのふたりによるハイプ・ウィリアムス名義のアルバム・タイトル──『人が礼儀を捨てて、現実に目覚めたときに何が起こるのか見極めよ』は、いろいろな意味に解釈できるが、ひとつ言えるのは彼らが何らかの異変/乱れを感じて、それを伝えようとしていたことだ。
 また、彼らは、この高度情報化社会における錯乱を嘲るかのように、「ハイプ・ウィリアムスとはジェス・ストーンのサイドプロジェクトである」というホラ話を流し、自分たちは元八百長ボクシングの殴られ屋で、元アーセルだととか、虚言とケムリで人びとを煙に巻いていたことでも知られている。リスナーは、たんなる電子音以上のものをハイプ・ウィリアムスおよびディーン&コープランドの作品から引き出したわけだが、そうした「読み」がなかったとしても、彼らの作品にはサウンド的な魅力があった。何にせよ、彼らの来日ライヴの強烈な体験がいまだ忘れられない僕がインガ・コープランドのソロ・アルバムを聴かないわけがないのである。ディーン・ブラントとの謎の分裂(?)と、昨年の2枚のソロ・シングルのリリースを経て、彼女はつい最近アルバムを発表した。フィジカルはレコードのみで、レーベル名はない。名義は、彼女の名字だとされている、コープランド。

 ディーヴァとしての歌モノ路線というか異色のシンセ・ポップ、さもなければエクスペリメンタル、ざっくり言って彼女にはふたつ道があったが、本作で選んだのは、前者を装った後者であり、後者を取り入れた前者だ。
 エクスペリメンタルというのは曖昧な言い方だが、来日ライヴを見ている方にはあの凄まじい演奏の延長だと言っておこう。逃した人には、インダストリアルでもテクノでもハウスでもない、つまり焼き直しではない、新しい何かを目指した意欲作だと言っておこう。そう考えるとハイプ・ウィリアムス名義による、ダブの残響音のみで作られたかのようなあの音楽は、根無し草的なディーン・ブラントのソロを聴く限りは、インガ・コープランドが大きな役割を果たしていたのではないかと思えてくる。

 今回は、アクトレスがサポートしているのも大きいだろう。実際のところ、音的にはアクトレスの諸作、そしてアントールドのアルバムが思い浮かぶ。とはいえ、ノイズからはじまり、きぃぃーーーーんと、鼓膜を攻撃するような、危険な周波数のトーン(まさにあのときのライヴで発信されていたトーンである)が重なるこのアルバムは、ある意味では彼らの作品以上に挑発的で、耳障りだ。
 その高周波数音だけがきぃぃーーーーんと残され、音がピタッと途切れた瞬間にアクトレスが全面協力した“若い少女へのアドヴァイス”という曲が続く。この、アルバム中もっとも悲しい曲で、コープランドは都会で暮らす少女に向かって語りはじめる。「部屋を出て街に出るのよ/ロンドンはあなたの死ねる場所?/欺かれたときにはどんな感じがするの?/少女は何をすればいいの?/この街はあなたのものなの?」──こうして、アルバム・タイトルの『何故なら私にはその価値があるから』という、昨年のシングルと連続する自己啓発めいた言葉は反転され、前向きとされる未来への違和感が立ち上がる。

 実を言えば、最初このアルバムを聴いたときには、不完全で、焦点のぼやけた作品に思えたが、聴いているうちにどんどん音楽のなかにのめり込んでしまった。皮肉屋の作品だとも混乱を弄んでいるとも思えないし、間違っても社会派の作品ではないが、社会の異変に関わりを持っていることはたしかだと思えるのだ。また、たとえ音楽に曲名(言葉)がなくても惹きつけられるものがあり、彼女のエモーションを感じる。
 B面1曲目の“Fit 1 ”は、美しい平穏さと抑揚のない彼女の歌と緊張感、そして素晴らしいベースラインの、ポスト・ダブステップの先を見ているリズムがある。B面の最後から2番目の曲が、これまで彼女がシングルで披露してきたシンセ・ポップで、曲名は彼女の名前だとされている“インガ”。思わせぶりの曲名だが、自己主張の感覚はない。その曲では、彼女にしてはヒネりのない言葉、ひとつの真実──「私たちがすべき重要なこと/すべては数字が審査する」──が歌われている。さて、僕は家に帰ってニュースを見よう。今夜は早く寝なければ。なにせ明日の金曜日は早朝に起きなければならないからね。

Dean Blunt - ele-king

 昨年のディーン・ブラントとインガ・コープランドのライヴを見ていなかったら、本作を買ったかどうか......。あのときのライヴには本当に衝撃を覚えた。あれほどぶっ飛んだことは、記憶を探ってもなかなか見あたらない。彼らは限界まで連れて行ったし、電子ノイズとサブベースの彼方から聞こえるポップ・ソングの倒錯の具合もハンパなかった。退屈で意味がないと思っていた彼らの音楽の奥底に隠されている強い感情を、僕はまざまざと感じ取った。

 ディーン・ブラントの『ナルシスト』に次ぐ新作は、『ザ・リディーマー(救世主)』。アートワークは合掌。こうしたヒネりはハイプ・ウィリアムス名義の最後のアルバムとなった『ワン・ネイション』から続いている。
 反核マークがレーベル面にデザインされただけの真っ白な『ワン・ネイション』、「エボニー」と記されただけの真っ赤な『ブラック・イズ・ビューティフル』。意味ありげなスローガンとそのパラドクックスを面白がり、あらかじめ混乱を与える仕掛けを擁した二作の後には、イタリア語で「禁止」とだけ記され、無料配信してから半年後に有料リリースした「ナルシストll」......で、今回の『救世主』。
 言葉遊びも、そろそろマンネリズムに入ってきているのではないかと思ったが、彼らがこの先腐敗しようと、華麗な大変身を遂げようと、本気でポップに転じようと、前衛という名のゴミを量産しようと、僕は「虚偽」というコンセプトを持って現れたふたりを追跡するつもりだった。あんなライヴをできる人が、いたずらにポストモダンを面白がっているようには思えない。嘘だとは言え、ディーン・ブラントは、元の職業が八百長賭博ボクシングの殴られ役だったと言った男だ。それが暗喩的だと受け取れなくもない。彼らからは何か「匂う」のである。

 『ザ・リディーマー』は、悲しみという点においてディーン・ブラントとインガ・コープランドの過去のどの作品とも違っている。
 憂いを帯びた弦楽器が鳴って、次から次へとバラードが歌われる。ハープ、チェロ、ヴァイオリン、アコースティック・ギター、あるいはピアノ......クラシカルな音色がなかばロマンティックに響いている。サンプリングをサンプリングらしく使っていないところは相変わらずだが、しかし、『ザ・リディーマー』を覆っているのは、悲しみと泣きと嘆きと寂しさなのだ。収録された19曲は、寒々しい記憶をたどっていくように、落ち着かず、彷徨い続け、メランコリーと孤独を極めている。ほとんどの曲でブラントは歌っているが、くたびれて力がなく、打ちひしがれている。ザ・ドゥルッティ・コラムのようだ。

 この作品での彼らの「虚偽」は、なかば破綻しているのではないという気がする。リスナーを煙に巻きながら、自分たちも煙を吐き続け、さも意味ありげなパラドックスを繰り広げてきたふたりの、区切りとなりうる挑戦のように思える。音楽は平坦だが、退屈ではなく、はっきりとダウナーを志向している。そして、聴いているうちにこの悲嘆は虚偽ではなくリアルに感じてくるのだ。インガ・コープランドのソロがこの後に続く、と予想しておこう。

Dean Blunt - ele-king

 戦争中から戦後にかけて、センチメンタリズムは氾濫した。それは、いまだに続いている。しかし、わたしには、その種のセンチメンタリズムは、イデオロギーぬきの生粋のセンチメンタリストに特別にめぐまれているやさしさを、いささかも助長するようなシロモノではなかったような気がしてならない。
──花田清輝

 DLカードが入っていたのでアドレスを打ち込んでみたが、何の応答もない。彼ららしい虚偽なのかもしれない。だいたい世相が荒れてくると、人はわかりやすいもの、真実をさもわかった風に言うもの、あるいは勇ましい人、あるいは涙に支配された言葉になびきがちだ。未来はわれらのもの......この言葉は誰の言葉か、ロックンローラーでもラッパーでもない。ヒトラー率いるナチスが歌った歌に出てくるフレーズである。
 こんなご時世にロンドンのディーン・ブラントとインガ・コープランドという嘘の名前を懲りずに使用する、ハイプ・ウィリアムスというさらにまた嘘の名前で活動しているふたりの男女は、相も変わらず、反時代的なまでに、嘘しか言わない。希望のひと言ふた言でも言ってあげればなびく人は少なからずいるだろうに、しかし彼らはそんな嘘はつけないとばかりに嘘をつき続けている。

 DLカードが虚偽かどうかはともかく、『ザ・ナルシストII』は、ディーン・ブラントを名乗る男が、もともとは昨年冬に(『ブラック・イズ・ビューティフル』とほぼ同時期に)フリーで配信した30分強の曲で、金も取らずに自分の曲を配信するなんて、まあ、そんなことはナルシスティックな行為に他ならないと、間違っても、なるべく多くの不特定多数に聴いて欲しいからなどというつまらない名分を口にしない彼らしい発表のした方を選んだ曲(というかメドレー)だった。それから半年後になって、〈ヒッポス・イン・タンクス〉からヴァイナルのリリースとなったというだけの話だ。

 映画のダイアローグのコラージュにはじまり、ダーク・アンビエント~R&Bの切り貼りにパイプオルガン~ヴェイパーウェイヴ風のループ~ギター・ポップ~ノイズ、ダウンテンポ、R&B、アシッド・ハウス......ディーン・ブラントは一貫して、腰が引けた情けな~い声で歌っている......インガ・コープランドと名乗る女性が歌で参加する"ザ・ナルシスト"は、最後に彼女の「ナルシストでした~」という言葉と拍手で終わる......そのとたん、ライターで火を付けて煙を吸って、吐く、音楽がはじまる......。『ザ・ナルシストII』は、時期的にも音的にも『ブラック・イズ・ビューティフル』と双子のような作品だが、こちらのほうが芝居めいている。催眠的で、ドープで、ヒプナゴジックだが、彼らには喜劇的な要素があり、そこが強調されている。
 正月の暇をもてあましていたとき、エレキングからネットで散見できる言葉という言葉を読んで、この世界が勝ち気な人たちで溢れていることを知った。勝ち気と自己肯定の雨あられの世界にあって、怠惰と敗北感と自己嘲笑に満ちた『ザ・ナルシストII』は、微笑ましいどころか清々する思いだ。
 しかも、正月も明け、ゆとり世代の最終兵器と呼ばれるパブリック娘。が僕と同じようにこの作品を面白がっていたことを知って嬉しかった。音楽を鼓膜の振動や周波数ないしは字面のみで経験するのではなく、それらが脳を通して感知されるものとして捉えるなら、真っ青なジャケにイタリア語で「禁止」と描かれたこの作品の向こうに広がっているのは......苦境を生き抜けるなどという啓蒙すなわち大衆大衆と言いながら媚態を呈する誰かとは正反対の、たんなるふたりのふとどきものの恋愛の延長かもしれない。

HYPERDUB EPISODE 1 - ele-king

 会場に到着したのは11時半。ハイプ・ウィリアムスは12時からはじまるという。クラブの入口やロビーでは、素晴らしいことに、ビートインクのスタッフが自主的に風営法改訂の署名活動をしている(自筆でないと効力がないことをまだ知らない人も多いので、郵送が面倒なら、こういう場で署名するのが良いですよ)。入口でくばっていた先着数百名枚のプレゼントCDも合っという間になくなったほど客足は早い! 僕の予想では、やはり、ファンはハイプ・ウィリアムスがどんなものなのか見たかったのだろう。

 12時になってライヴ・ステージの扉が開くと、ほんの10分ほどでフロアは埋まった。すでに妖しいテクノ・ループがこだましている。ステージには異常なほどスモークがたかれ、前後不覚でメンバーの姿は見えない。白い煙のなかを強烈なライトが四方から点滅する。ループは重なり、途中で声がミックスされる。男女の声だから連中がマイクを握っているのだろうか......。いつの間にかライヴがはじまっていた(会場には三毛猫ホームレスのモチロン君もいましたね)。
 ハンパじゃない量のスモークと網膜を容赦なく攻撃するライトのなか、ただ呆然と立ち尽くしているオーディエンスに向けて、脳を揺さぶるようなループ、そしてナレーション、そして歌、そして身体を震わせる超低音、後半からけたたましくなりはじめるドラミング。
 かれこれ何十年もライヴを見てきているけれど、今回のハイプ・ウィリアムスほどすさまじい「トリップ・サウンド」を経験したことは記憶にない。強いて近いニュアンスのライヴを言うならヘア・スタイリスティックスだろうか......、が、しかし、ハイプ・ウィリアムスは異次元からぶっ飛んできたように、あまりにもドラッギーで、言葉が出ないほど陶酔的なのである。ラジカルなまでにドリーミーなのだ。サイケデリックなのだ。誰もその場から離れなかった、離れられなかった......。
 しかし......もし、ライヴ開始から40分後ぐらいに、まったくなーんにも知らずに、このトリップ・ミュージックが響くど真んなかに入ってきてしまったら、そうとうショックを受けるだろう。ここはどこ? 何が起きたの? みんなおかしくなってしまったの? ......そう、みんなおかしくなってしまった。
 この壮絶なライヴで僕は充分だった。この続きは竹内正太郎のレポートに譲ろう。

Dean Blunt & Inga Copeland - ele-king

 真実を言うことだけが音楽の役目なのだろうか......とにかく、まあ、ようやくハイプ・ウィリアムス(映像作家)本人からクレームが来たのかもしれない、ハイプ・ウィリアムスあらためディーン・ブラント・アンド・インガ・コープランド(DB&IC)と、新たな策も考えずにふたりの名をそのまま名乗っているところが、そしてまた、曲名を最初の1曲目のみ付けて、「あとは面倒くさいからいいか」とばかりに、最後の15曲目までをすべて数字にするというやる気のなさを見せながら、『ブラック・イズ・ビューティフル』は傑作だ。アクトレスの新作と並んで、ここ1ヶ月にリリースされる作品のなかでは群を抜いている。

 『ブラック・イズ・ビューティフル』には、諧謔性がある。1曲目の壮絶なドラミングのあとには、拍子抜けするほど軽いシンセ・ポップの"2"が待っている。わけのわからない"3"、Jポップ(相対性理論?)のパロディの"5"、わけのわからない"6"とか"8"とか......リスナーは、ディーン・ブラントの口から吐かれる煙にまかれる。『ワン・ネーション』のドリーミーな感覚とはまた違っている。ディーン・ブラントは、日銭を稼ぐために賭博のボクシングの試合に出てはぶん殴られて負けていたという話だが(負けるのが彼の役だった)、たしかに彼らの音楽は、頭を打たれ、視覚がぶれ、そして記憶が飛んで地面に倒れたときのようである。クラクラして、感覚がなくなり、わけがわからない......。そもそもハイプ・ウィリアムスとしては、"超"が付くほどのローファイで脈絡のない電子音楽を作っているが、『ブラック・イズ・ビューティフル』ではナンセンスがさらに際だっている。彼らにトレードマークがあるとしたら「ごほごほ」と咳き込むループだが、それはスモーキーな感覚というよりも喘息を思わせる。不健康で、だがそれを良しとしている。
 『ブラック・イズ・ビューティフル』は嘘を付いているかもしれないが、誠実なアルバムである。半年後に何が起きてもみんな驚かないでろうこの社会の危うさをものの見事に表しているかもしれない。彼らの意味の放棄は、ツイッターやネット掲示板で見られるタチの悪い虚言、崩壊するマスメディアへのアイロニカルな反応かもしれない。

 『ガーディアン』の取材では、ディーン・ブラントはラップは嫌いでオアシスばかりを聴いていると話している。彼の将来の計画は、レスリングの学校に通っているあいだにデトロイトに行ってレーサーになることだそうだ。「僕は、世界の終わりを恐れることに僕の人生すべてを費やしてきた。そして、僕の10代すべてはその研究のためにあった」と、ディーン・ブラントは『ガーディアン』の記者に話している。「世界の終わりの徴候は、人があまりにたくさんの情報で満たされるときだ」
 それがいまだ。いわゆる"情弱"を差別するデジタル社会のカースト制度への反発心が彼らにはあるようだ。いっさい喋らないというインガ・コープランドは、最近、アーセナルの女子チームの試験を受けたそうである。

[Electronic, House, Dubstep] #8 - ele-king

1.Hype Williams - Kelly Price W8 Gain Vol II | Hyperdub


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 ハイプ・ウィリアムスが〈ハイパーダブ〉から12インチ・シングルをリリースすることがまず驚きでしょう。いくらダブという共通のキーワードがあるとはいえ、ダブステップとチルウェイヴが結ばれるとは......思わなかった。
 今年〈ヒッポス・イン・タンクス〉からリリースされたサード・アルバム『ワン・ネーション』は、レーベルが〈ヒッポス・イン・タンクス〉ということもあって、ドローンやアンビエントというよりはチルウェイヴ色が強く、しかも実に不健康そうな多幸感を持ったアルバムだったが、このシングルもその延長にある音楽性だ。まあ、〈ハイパーダブ〉もダークスターのようなエレクトロ・ポップを出しているくらいからだからなぁ。しかし......ハイプ・ウィリアアムスはこれでますます目が離せなくなった。アンビエント・ポップということで言うなら、A1に収録された"Rise Up"は最高の1曲だ。

2.LV & Message To Bears Feat. Zaki Ibrahim - Explode / Explode (Mothy's Implosion) | 2nd Drop Records


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 〈ハイパーダブ〉からのファンキーよりの作品やクオルト330とのコラボレーションで知られるダブステッパー、LV(先日、ファースト・アルバムを発表している)とブリストルのメッセージ・トゥ・ベアーズ(熊へのメッセージ)とのコラボレーション・シングルで、この後リミックス・ヴァージョンがリリースされるほどヒットしたという話で、実際にダンスフロアに向いている。ミニマル・テクノの4/4キックドラム、メンコリックなシンセサイザーのループとスモーキーな女性ソウル・ヴォーカルが浮遊するトラックで、ポスト・ダブステップというよりはヒプナゴジックなテクノである。

3.FaltyDL - Make It Difficult | All City Records


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 これはフォルティ・DLによる"ハウス"シングルだが、まるでヤズーがダブステップの時代に蘇ったような、エレクトロ・ポップと強力なダンスビートのブレンドで、ニューヨークらしいというか、しかしそれは彼がいままで手を付けていなかった引き出しのひとつを見せているようだ。
 B面の"ジャック・ユア・ジョブ"も力強いアッパーなビートの曲だ。リピートされる「ゲット・ユア・ジョブ(仕事を見つけろ)」という声はネーション・オブ・イスラムのルイス・ファルカンの声だが、それは90年代に人気のあったガラージ(歌モノの)ハウスのアーティスト、ロマンソニーの有名な"ホールド・オン"からのサンプルだと思われる。アイルランドのヒップホップ系のレーベルからのリリース。

4.The Stepkids, - Shadows On Behalf | Stones Throw Records


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 今年の9月にデビュー・アルバムのリリースが予定されている〈ストーンズ・スロー〉の大器。数か月前のリリースだが、昨今のソウル・ミュージックの復興運動における注目株なので紹介しておこう。まあこのレーベルが推し進めているジャズ、ソウル、ファンクにおける新古典主義のひとつと言ってしまえばそれまでで、感覚的に言えば、ザ・クレッグ・フォート・グループやギャング・カラーズ、あるいは〈エグロ〉レーベルとも共通する。綺麗なデザインがほどこされた透明のヴァイナルで、白地にエンボスのジャケも良い。

5.LA Vampires Goes Ital - Streetwise | Not Not Fun Records


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E王 アマンダ・ブラウンがついに三田格と!? というのはさすがにない。イタルは、〈100%シルク〉からソロ・シングル「イタルのテーマ」を発表しているダニエル青年によるプロジェクト名で、これはアマンダとのコラボレーション12インチ・シングル。パンク・ダブ・ダンスというか、彼女がダンス・ミュージックをやるとこうなるのだろう、危なそうな人たちがひしめく不法占拠した地下室における饗宴で、リー・ペリーがポップに聴こえるような過剰で砂嵐のようなダブ処理は相変わらずだが、ぶっ壊れたドラムマシンが暴走したようなアップテンポのビートは素晴らしい。それにしてもこのデッド・オア・アライヴのようなアートワークは......(笑)。

6.The Martian - Techno Symphonic In G | Red Planet

 今年も親分(=マイク・バンクス)はメタモルフォーゼにやってくるそうだ。あの男のことだから当然こんかいの日本の惨事についてはいろいろ考えているようだ。それで1年前に発表した火星人の6年ぶりの新曲がヴァイナルで登場した。タイトル曲はクラシック・デトロイト・スタイルで、B面1曲目に収録された"Reclamation(再生)"は題名からして東日本に捧げられているようにも感じられる。B面2曲目の"Resurgence "はじょじょにビルドアップテクノ・ファンク。

7.Vondelpark - nyc stuff and nyc bags EP | R & S Records

 ロンドンのバレアリック系チルウェイヴの2作目だが......実はまだレコード店に取り置きしたまま......。また次回にでも!

Hype Williams - ele-king

 〈ノット・ノット・ファン〉に続いて〈メキシカン・サマー〉もダンス・レーベルをスタートさせるらしい。そのA&Rを務めるのがゲームス(OPN)で、彼らのヒット作をリリースした〈ヒッポス・イン・タンクス〉がハイプ・ウイリアムズの3作目を獲得です。なるほどです。ペース、早いです。
 ひと言でいえば、なかなかヴァージョン・アップされている。ダブというフォーマットを使ってドローンをディスコ化するという無理なトライアルのなかでは意外な成功を収めている人たちといえ、ドローンとディスコのいいところを融合させようという目的だけで共感できるし、それがなぜかダブステップとシンセ-ポップのクロスオーヴァーと表面的には似たものになってしまうところも面白い。逆に言えばドローンやディスコ・カルチャーといったジャンルにこだわりたい人たちにはスカムもいいところで、実際、サンプリング・ソースのくだらなさはその印象を倍加して伝えるところがある。A6"ドラゴン・スタウト"やB3"ミツビシ"などアンビエント・タイプの曲ではOPNに通じるニュー・エイジ風味も耳を引き、フリー・インプロヴァイゼイションに無理矢理ドラム・ビートを叩き込んだようなB4"ジャー"も独創的(A7"ホームグロウン"の元ネタはもしかしてマッド・マイク?)。
 ライヴなどではマスクで顔を隠し、インタヴューもほとんど受けないらしく、一応、正体不明などといわれてきたけれど、『ピッチフォーク』などではロイ・ブラント(ロイ・ンナウチ)とインガ・コープランドがその正体だと暴いている(でも、それは誰?)。クラウトロックとダブの出会いといった紹介のされ方も半分ぐらいは納得で、OPNやジェイムズ・フェラーロに対するイギリスからの回答という表現はいささかクリシェに過ぎるだろうか。もうしばらくの間、何をやっているのかよくわからない人たちであり続けて欲しいというのが正直なところではあるけれど。前作に関しては→https://www.dommune.com/ele-king/review/album/001561/

 セルジュ・ゲンズブールをアシッド・フォーク風に演奏してきたフランスのエル-Gが新たにジョー・タンツと組んだオペラ-モルトの正式デビュー・アルバムもエレクトロニクスを前面に出したせいか、ハイプ・ウイリアムズと同じくレフトフィールド・ポップへの意志を感じさせるアルバムとなった。とはいえ、全体の基調はあくまでも初期のスロッビン・グリッスルを思わせるレイジーなエレクトロニック・ポップ=プリ・インダストリアル・ミュージックで、英米の動きとはいつも多少の距離を感じさせるフランスらしい作風といえる。だらだらとして快楽の質には独特の淀みが含まれ、けっしてシャープな展開には持ち込まない。80年代前半のフランスに溢れた傾向と何ひとつ変わらず、近年、『ダーティ・スペース・ディスコ』やアレクシス・ル-タン&ジェスによる『スペース・オディティーズ』が掘り起こしつつあるライブラリー・グルーヴとも一脈で通じるものも。フランス実験の重鎮、ゲダリア・タザルテと組んでミュージック・コンクレートにも手を出すような連中なので、そんな風に聴かれたいかどうかはわからないけれど。
 チルウェイヴをダフト・パンクの影響下にある音楽だと解する僕としては、このようなオルタナティヴなヴァリエイションは次世代に向けた必要なポテンシャルとして過大に評価したい。あるいは単純に"アフリカ・ロボティカ"が好きだなー。この曲はきっとアンディ・ウェザオールを虜にするだろう。

Hype Williams - ele-king

 これはそのうち裁判沙汰になるかも? ケミカル・ブラザーズが最初は(尊敬のあまり?)ダスト・ブラザーズと同じ名義を名乗っていて、やはり改名を余儀なくされたように、ビギーや2パック、あるいはナズやカニエ・ウエストのPVなどを総なめで制作してきた映像監督と同名のプロジェクト名をつけた英独3人組(?)による2作目。とはいえ、昨秋、ドレイク"オーヴァー"をスクリュードさせたセカンド・シングル「ドゥー・ドロイズ・アンド・キル・エヴリシング」のカップリングからシャーディーを好き勝手にカット・アップした"ザ・スローニング"を採録するなど著作権に対する対抗意識は満々のようなので、いわゆるひとつの確信犯ではあるのだろう(ま、ケミカル・ブラザーズみたいに売れることはねーか)。

 麻の葉が舞い散る1作目同様、スモーカーズ・デライトを予感させるジャケット・デザインがまずは気を引く。『人びとがざっくばらんにゆらゆらしはじめたとき、何が起きているのかわかるのさ』とかなんとかいうタイトルもそれなりに期待を煽る。オープニングもいいし(これも先のシングルから採録)、曲が進むにつれて、フォームはどんどんグズグズに。遠景にもさりげなく小技の効いた音が置いてあり、テープの逆回転(?)も効果を上げている。まー、でも、全体的にはチルウェイヴが骨抜きになったような脱力ポップスといったほうがよく(ヒップホップとして紹介されている記事があるのはやはりオリジナルと混同しているのだろう)、レインジャーズを薄味にしたようなトロ・イ・モアからさらにダイナミズムを差し引いた感じで、そういう意味ではけっこうズレてるし、このズレから次に生まれてくるものを予感させる。そもそもチルウェイヴというのはシューゲイザーではなく、基調にあるのはダフト・パンク由来のシンセ・ポップ・リヴァイヴァルで、"ワン・モア・タイム"のブレイクを延々と長引かせたものだと僕は思っているので、あそこから別な方向に向かう可能性を見い出したと考えてもいいだろう(そう思うとダフト・パンクの底力を思い知らされる年でしたよね、2010年というのは。ちなみに映画『トロン』は音楽が先で、それに合わせて映像をつくったものらしい--おでん屋ロクで太田さんか誰かがそう話していた)。

 チルウェイヴといい、ハイプ・ウイリアムズといい、80Sポップをハイファイから遠ざけただけで、こんなにさまざまなヴァリエイションが飛び出してくるとは......(OPNの別名義=ゲームズの12インチをリリースしたヒッポス・オン・タンクスから早くも3月にサード・アルバムも予定されている)。
 ちなみにお仲間(?)らしきハウンズ・オブ・ヘイトも似たような音楽性で、デビュー・シングルらしき「ヘッド・アンセム」ではもう少しモンドな食感が味わえるものになっている(両者を合わせたDJミックス→https://soundcloud.com/~)。

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