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雑誌がなくなっていくー......とかいいながら自分もまるで買わない。フリーペイパーもそのまま捨てる。相変わらず『日経サイエンス』と『ニューズウィーク』を特集によって買うだけで、黙っていても定期的に送られてくる雑誌は『アエラ』のみ。学生時代に雑誌の配達というアルバイトをやっていて、世の中にこんな雑誌があるのかと思うと、なんでも1冊ずつ買ってみた頃がウソのよう~(レストラン経営とか東洋経済まで買いそうになった)。そのような時期にはなくて、いま、豊富にあるのが、しかし、友人関係で、美術雑誌はまったく手に取らなくても工藤キキがE!という展示やギャラリーにはほとんど足を運んでいる(チム↑ポムも最初に教えてくれたのは彼女だしー。♪オレのまわりはピエロばかり~......違うか)。
年末から年始にかけて神奈川県民ホールでやっていた「日常/場違い」展も工藤探偵事務所の下調べによってすでに優良だと判断が下されていた。報告書によると実演をやっている日に行った方がいいというので、その通りにすると、いきなり会場の外で串刺しにされた自動車が空中で大回転。そのスピードがまた速い。スカジャンを着込んだ若者=作者の久保田弘成が思いつめたような表情でアクセルを吹かし、巨大な洗車機を駆動させている。J・G・バラードや映画『クラッシュ』のファンが見たら射精どころでは済まないのではないだろうか(女性の場合は......省略)。しかもBGMは大音量で「津軽じょんがら」。作品のタイトルは「ベルリン・ヒトリタビ」。何がなんだかわからないままに実演が終了し、そのまま展示会場に入ると、今度は洗車機の外枠部分に30メートル近いコンクリートの棒が突っ込まれている。それには「性神式」という題がつけられていて、あー、やっぱり性のメタファーなんだなと微弱な着地点が見えてはきたものの、それにしてもダイナミックなことこの上ない。何かが思いっきり剥き出しになっている。村上隆がおたくの性を題材にしていた作品にもダイナミズムを感じさせる仕掛けはあったけれど、観念が肥大していく方向がまったくの逆なのだろう。
総勢6人による展示の全容は工藤キキに任せるとして、その日、僕が気になったのは展示の誘導にあたっていたのが、なぜかみな、中年の女性たちで、説明がとにかく丁寧。全体にホスピタリティが異様に高く、それだけでアート・スペースにいる気がしなかった。我が子の作品を見て下さい......というわけでもなく、神奈川県民ホールという聞きなれない場所を使っていることもあって、その場所がどのようにして成り立っているのか最後まで疑問に残ってしまった(入場料は700円)。それはてれてれと中華街まで歩き着いた頃にも頭の裏の方ではもやもやとしたままで、大谷能生に教えてもらった福満園本店の黒チャーハンを食べている時にも肥大し続けた。あれかなー、これって、やっぱり県民ホールが主催だし、事業仕分けの対象になりかねない予算でやってたりするのかなー。「日常/場違い」なんていう無骨なタイトルもそれだったら妙に納得が行くし、開催時期も年度末に近いし、チラシをよく見ると「古典落語×現代アート」とか関連イヴェントにも奇態なものが多いし......
国家予算の配分というと、30年ぐらい前に父親が半官半民の大学を立ち上げるというタイミングで研究施設の予算をどのように申請するかでそれなりにテクニックを使って(自然科学のことしかわかっていない同業連中を相手に自分だけ建築法を勉強して)自分のつくりたいように施設を建立したというようなことがあって、その時に、一回でも要求額を下げたら、次年度からはそれ以上の請求ができなくなるから予算は少しでも高めに申請しておかないと後がマズいというようなことをいっていて、ということは誰も彼もがそうせざるを得ない仕組みになっているということだろうから、「国家の歳出というものが減るわきゃーねえな」と思ったことを覚えている。つーことはですよ、「一度減ったら二度と増えない」ではなくて「減らしたら増える」という仕組みに作り直せばいいんじゃないかと。1年間予算を低く抑えたら、ある程度まとまった額の交渉権を保留にできるようにして、それが仮に5年続いたらかなりの額の事業計画を検討してもらえる交渉権にヴァージョン・アップするとかすれば、たとえば地方だったら毎年、毎年、中央に陳情に出かけてくる交通費だって浮くだろうし、年度末調整とかでバカスカ使っているお金が累積でいくらになるのかわからないけれど、それが仮に同じ金額だったとしても5年分とか10年分とかまとまって入ってきた方が自治体だって思い切った使い方ができたりするんじゃないのかなーとか。
こんなところで書いてしまっていいのかわからないけれど、RCサクセションやフィッシュマンズをマネージメントしていた音楽事務所の入社テストは「500円で何か買ってきなさい」というものだった。細かいものを沢山買ってくるか、大きなものをひとつ買ってくるか、それだけでその人が将来、事務所でどんなことをやってくれるか、けっこうなことがわかるというのである(どうすると採用されるかは秘密です)。旧ソヴィエト連邦(レンホーじゃないよ)で有名な「五カ年計画」は元々はモンゴル帝国の習慣が13世紀に西方にも伝わったもので、社会主義だからできたことというわけではないらしい。CDや映画でもいい加減、低予算で品数だけは多いというやり方にはウンザリだし、それこそ国家予算なんだから、どうだろう、仕分けではなく、この際、予算の組み上げ方自体を変えてみては!

......というところで何年か前、ワープ・ナイトにジャクスンを観に来ていたジョセフ・ナッシングとばったり会ったことを思い出す(つーか、初めから考えてあった)。『ダミー・ヴァリエイションズ』や『デッドランド・アフター・ドリームランド』など快作を次から次へと繰り出していった彼は、しかし、その時、実は2~3年つぶれたままで、ほとんどアル中のようなものになっていたと話してくれた。ようやく物事が手につきはじめたという彼がそれから『シャンバラ・ナンバー・ワン』を出すまでにはさらに2年を要すことになるけれど、時間をかけた結果というものはやはり素晴らしいものだった。昨年末、サード・イヤーのクリスマス・ナイトに行くと、そのジョセフ・ナッシングがオーケストラ名義でライヴをやっていた。例によって友人たちとバカ話に高じていたら、あ、なんだろ、これはいいなと思ってフロアに飛び出すと彼がラップ・トップに顔を埋めていたのである。ひとつのことにこだわり続けたリズムと、その発展的な展開と呼ばれるものがそこにはあった。その後で聴かせてもらったニュー・アルバムとは印象は少し違っていて、その時、その空間に広がっていた音楽は長いこと時間をかけたものにしか出せない何かに満ち溢れていた。僕は次の日に体が痛くなるようなヘンな踊り方をしばらく続けた。音楽に体を合わせるということはそういうことだから。
■近刊
1月24日 『ゼロ年代の音楽 壊れた十年』(河出書房新社)*共著
2月10日 『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』(文藝春秋)*編集
2月25日 『手塚治虫 エロス1000ページ(上・下)』(INFAS)*編集
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JOE CLAUSSELL
WITH MORE LOVE
SACRED RHYTHM (US) / 2009/11/20
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HOMEWRECKERS
NOT MY BUSINESS
CIRCUS COMPANY(GER) / 2010/1/21
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MICHEL CLEIS
LA MEZCLA-REMIX EP feat.TOTO LA MOMPOSINA
MOSTIKO(EU) / 2010/1/26
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最近はふたり組のバンドが目に付く。スーサイドを最新ヴァージョンにアップデートしたようなウェット・ヘアーもそうだし、トーク・ノーマルもそうだ(昨年末に観た巨人ゆえにデカイもそうだった)。昨年末に発表したデビュー・アルバム『シュガーランド』はiPodに入れてよく聴いている。彼女たちの音楽は、カンが残した名曲のひとつ"ピンチ"をアップデートしたような、トライバルな反復性と重厚なノイズ、そしてニヒルなヴォーカリゼーションに特徴を持っている。ドラマーのアンドリヤ・エンブロによるトライバルなビートにはボアダムス・フォロワーたちのブルックリンを感じることもできる。で、調べてみたら実際に彼女は77ボア・ドラムに参加していた(もうひとりのメンバー、ギターのサラ・レジスターはマスタリング・エンジニアとしてそれなりのキャリアを持っている)。とにかく僕は、この音楽の"エネルギー"に打ちのめされたのである。街を歩いているとき、電車に乗っているとき、この音楽を体内に注入するとまるでカンフル剤のように機能する。ノイズでありながら、ダンサブルなところも良い。
『シュガーランド』が好評だったこともあり、2008年にCDRのみで発売されていた5曲入りがヴァイナルで登場した(それとダウンロード、いまのところCDはなし)。A面の3曲――目が覚めるようなノイズではじまる1曲目の"グリニン・イン・ユア・フェイス"における歌とトライバル・ビートの掛け合い、"ユリーカ"におけるも不協和音とマシナリーなビート、ESGを彷彿させる"レモネード"も素晴らしいが、このバンドの可能性を感じるのはB面に収録された2曲だ。"33"でクラウトロックの反復を寒々しく凍らせたような、あるいはホラー映画のサウンドトラックめいた音を展開すると、続く"レスト・ウィズ・ミー"は実な巧妙にミニマリズムとドローンを取り入れて、いわば"IDMスタイルを通過したヴェルヴェッツ"のような音を創出している。
これはニューヨークのアンダーグラウンドにおける伝統的ノイズ・ロック、その最新版。
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30年前に大好きだったペイル・ファウンテインズのシングル集のようなCDを買った。ほとんど全部、持っているのになぜか衝動買いだった。そして、久しぶりにまとめて聴いたら......こんなにヘタだったのか......ガーン......
忌野清志郎のソロ・アルバム『レザー・シャープ』でエンジニアを務めたチャールズ・ハロウェルはペイル・ファウンテインズのサード・アルバムをプロデュースし、そして、失敗に終わったと話してくれたことがある。クラッシュからドロップ・アウトしたトッパー・ヒードンと失業状態のスティーヴ・ヒレッヂがその時、目の前にはいた。清志郎は「♪曲がり角のところで~」と歌い出す。RCサクセションとして次のアルバムをつくるはずだったのに、ひとりでロンドンにいる清志郎も含め、誰ひとりうまくいっている人はいなかった。ペイル・ファウンテインズの話をする時、ハロウェルは少しうな垂れていた。「スタジオ内は完全に煮詰まって、どうにもならなくなってしまった。半分までできたところで終わりだということがなんとなくわかったよ」
ハロウェルは夢を見ない若者だった。階級社会のイギリスが彼には一生、労働者だという自覚を与えていたのである。80年代といえばパワー・ステーションのドラムがすぐに引き合いに出される。あれはハロウェルがつくった音だ。自分のドラムの音をあれと同じにされたといってトッパー・ヒードンはカンカンに怒っていた。トッパー・ヒードンを黙らせたのは清志郎だった。清志郎は80年代を受け入れようとしていた。チャールズに向かって清志郎が「素晴らしい!」と英語でいった。「マーヴェラス!」。清志郎はハロウェルを日本に迎えてもう1枚のアルバムをつくった。「マーヴェラス」を縮めた『マーヴィー』だ。典型的なメンフィス・サウンドといえる「シェルター・オブ・ラヴ」をいかにもニューウェイヴ風のアレンヂで聴かせているのは清志郎とハロウェルの接点がそこにあったからである。仮ミックスが終わると、「チャールズ! マーヴィー!」と、清志郎は何度もマイクに向かって小さく叫んでいた。
ペイル・ファウンテインズの透き通るようなサウンドを、あの瑞々しい音楽を、「夢を見ない」ハロウェルはどのように受け止めていたのか。諦めの裏返しとして有効な響きがそこにはあったのだろうか。そして、あの瑞々しさが重々しく変化していった時に、彼の心には何か感じることはあったのだろうか。さらには重い音さえ出せなくなってしまった時には......。
ヴァンパイア・ウィークエンドは怖ろしいほど清々しい。これは何かの裏返しなのかと勘繰る気持ちさえ起こさせない。「どんな音楽?」と聞かれればファーストはトーケンズがカヴァーしたモノクローム・セットの「アポカリプソ」だったけど、セカンドはそれほどふざけてはいなくて「ファン・ボーイ・スリー+ハワード・ジョーンズ」と答える。ロスタム・バットマングリー(......って、コウモリだらけなんですけど)による別働隊、ディスカヴァリーからのフィードバックだったのか、セカンド・アルバムではエレクトロニクスが随所で取り入れられ、そのせいで、もはやアメリカのバンドが頭に思い浮かぶことはない。このセンスは完全にイギリスのものだし、とはいえ、ペイル・ファウンテインズの隣に彼らの音楽を置くのも抵抗がある。これがいまのアメリカだとしかいいようがない。アン・ライス以来、アメリカではゲイの比喩だとされてきた吸血鬼を名乗り、ソカやスカのリズムにのせて爽やかなメロディを歌う彼らが全米で1位をマークするという流れ。アメリカは何かに疲れてしまったのだろう。これが10年前には(イギリスから強引に取り寄せた)レイディオヘッドをアンセムとして称え、20年前にはニルヴァーナをトップに置いてきた国のその後の姿だとしかいいようがない。一方にアニマル・コレクティヴやTV・オン・ザ・レイディオがいることを思えば、サイケデリック・ムーヴメントに対するサイモン&ガーファンクルのようなものになろうとしているのかなとか(まだ、そこまでの強度はないけれど)。
ヴァンパイア・ウィークエンドはペイル・ファウンテインズのように煮詰まることはないだろう。彼らの清々しさは何かと引き換えにして出てきたものでは、たぶん、ないからである。変化することを楽しんでいるバンドのようだから、次で一気にエレクトロニカということもありうるのかもしれないけれど、あまりおおっぴらに記号化しない方がきっと長い支持は得られることでしょう。小手先の面白さでは、もしかすると、いま、一番なんだから。
アンドレス――この名義ではムーディーマンの〈KDJ〉からデビューして2003年には最初のアルバムを発表(あるいは3チェアーズやセオ・パリッシュ作品への参加、ムーズ&グルーヴスからのリリース)、そしてDJデズの名義ではUR傘下の〈ヒプノテック〉からのリリースやスラム・ヴィレッジへの参加などなど、地味ながらキーパーソンたちとしっかり仕事をしているのがアンドレスで――なにせジェイ・ディラからケニー・ディクソン・ジュニア、マイク・バンクスまでなのだから――彼のセカンド・アルバム『II』は、そうした彼の見事な活動領域が鮮やかな形で表出した、まったく素晴らしい作品となった。ハウス、テクノ、ヒップホップ、あるいはジャズやソウル、あるいはアフロやラテン、それらがミックスされたアンダーグラウンド・ブラック・ダンス・ミュージックにおける蜂蜜のようなアルバムである。
ブラック・ミュージック特有の、都会で暮らす人間の日々の感覚とエモーション――温かい午後の会話から孤独な夜の空しさ、街への愛憎、夢と生活、家族と恋人、人生の歓喜と絶望、それらのデリケートな起伏......そういったものから生まれる音を好む耳とハートを持っている人は、この音楽に逆らえないだろう。アメリカにおける過酷な格差社会と日本の殺伐としたそれとはまた趣が違っているように思うのだけれど、持たざる者による美学という言い方がもし許されるなら、僕はこの音楽にそれを見る。僕はいまでもこういう音楽を聴いているといろんなことを思い出すことができるのだ。貧困ではあるがなんとか互いに助け合おうとして成り立っている社会(コミュニティ)というもののことを。
喋るだけ、ないしは喋って踊るだけ(まったくラップとダンス)。夕暮れになると家の玄関先の階段にみんな出てきて、子供や母親や老人たちは喋っているだけなのだ。そこに男がいるとしたら職のない男で、冷やかされながら笑っているだけで、それはモダニズムの名残であるとかポスト・フォーディズムの犠牲者とかそんなものではなく、僕は彼らの精神構造のなかに何かそうした経済的な逆境のなかでも笑っていられる"逞しいゆとり"のようなものを感じ取ってきたのだ。日本で言うところの"ゆるい"という言葉とは違った、もっと深いところの"ゆるさ"。それを強いて意訳するなら、「私たちはたまたま仕方なく、諸事情があって、こうして資本主義とつき合ってやっているだけなのだ」という感覚のようにも思える。それがディアスポラってものだろう。
田中宗一郎によれば『SNOOZER』のコンセプトは「こんがらがった少年少女のため」だそうだが、ブラック・ミュージックは娘も父親も一緒に聴く音楽だ。スタイルがいくら変わっても"変わってゆく同じもの"がそこにはある。"同じもの"とは言うもまでもなく、マイケル・ジャクソンにもケニー・ディクソン・ジュニアにもフライング・ロータスにも偏在するものである。アフリカ・バンバータがパパとママのレコード棚から音楽を作ったことは、決して偶然ではない。だいたい......ラジオからスラム・ヴィレッジの"テインティッド"が流れると、オヤジも子供もみんな歌い出すあの瞬間に居合わせてしまうと......。話がどんどん大きくなりそうなので、このあたりで止めておこう。アンドレスの音楽には自分が経験してきたデトロイトの最良の部分が凝縮されている。
アルバムはアフリカン・パーカッションで幕を開ける。2曲目は素晴らしいベースラインを持つファンキーなハウス(キーボードはアンプ・フィドラーの)、そしてドープでソウフルなダウンテンポへと展開。4曲目のディープ・ハウスではケニー・ディクソン・ジュニアが煙を吸い込んだ声をナメクジのような絡みを加える。女性DJであるミンクスのターンテーブルさばきを挟んで6曲目以降は甘美なブラック・ソウルの時間がはじまる。スキットがあり、DJデズ(アンドレス)がその素晴らしいスクラッチのスキルを披露する曲もある。ラッパーも登場する。エレクトロもアフロもラテンも、ぜんぶある。なにせCDには30曲が収録されている。長くて4分、だいたい1分から2分、だから細切れに、歯切れ良くアルバムは展開する。
アンダーグラウンドな"大衆音楽"――まるでデトロイトのラジオ番組を聴いているようだ。気分が良い。
昨年のリリースだが、興味深いコンピレーションなので挙げておく。ロサンジェルスのレーベル〈ノット・ノット・ファン〉からリリースされた最新の女性バンドだけ11組をコンパイルしたアルバムで(ヴァイナルのみの発売)、タイトルを意訳すれば"私の女性ホルモン世代"。たぶんライオット・ガールズ以降なのだろう、USインディにおける女性バンドの数は急速に増え続け、ゼロ年代はそれがフリー・フォークのシーンにまでおよび、前にも書いたことだけれど、渋谷のワルシャワの新譜コーナーを眺めていると21世紀のインディ・ロックは女性のものになるんじゃないなかといった勢いを感じる。
もっとも〈ノット・ノット・ファン〉が紹介する"女性ホルモン世代"は、ライオット・ガールズ時代の男女同権を主張するものではなく、ヒップホップ以降の(エイミー・ワインハウスやリリー・アレンなどに顕著な)ポスト・フェミニズム的なニュアンスとも違う。スリーター・キニーやミカ・ミコのようなガレージ・バンドの流れとも少し違う。ジョアンナ・ニューサムのようなポスト・ビョークでもない。誤解を恐れずに言えば、おおよそOOIOOフォロワーなのだ......とは、もちろん言い過ぎなのだけれど、しかしこのアルバムから聴こえるのは、少なくともロックのクリシェには一瞥もくれてやらないような、ローファイ、エレクトロニクス、アブストラクト、エクスペリメンタル、トライバル、アンビエント、ドローン、ダブ、さもなければノイズ......そういったものである。
A面の1曲目を飾るゾーラ・ジーザスが呪術的なトライバルを披露すると、2曲目のティックリー・フィーザーがメランコリックなノイズ・インダストリアルを演奏する。3曲目では、〈ノット・ノット・ファン〉レーベルの看板バンドであるポカハウンテッドが登場してフリークアウトしたコズミック・サウンドを展開すれば、4曲目のインカ・オレはドローンを響かせ、そして5曲目のトパズ・レグス(〈ノット・ノット・ファン〉所属)によるメランコリックなクラウトロックから6曲目のHNYによるジリー・アレン(ゴング)を彷彿させるサイケデリックなフリー・フォークへと続く。
トーク・ノーマルの挑発的なノイズ・ミニマルな曲で幕を開けるB面は、A面を大雑把に"静"と形容できるなら"動"だ。2曲目のアイレイジャがノーマルを彷彿させるインダストリアルなエレクトロニクスを展開すると、3曲目のL.A.ヴァンパイアはザ・スリッツの精神を引き継ぎ、4曲目のU.S.ガールズ(もっとも政治的なバンドのひとつ)はクラウトロックの電子宇宙を泳ぎ、アルバムの最後に収録されたヴェレット(〈クランキー〉からアルバムを出している)もまたクラウトロック~スーサイド~スペクトラムの後を追うかのように電子ノイズの海の果てに消えていく。
40を超えた人間の言葉で言えば、ポスト・パンクにおける頂点の年、"1979"の再来とも言えるような創造性への関心の高まりを強く印象づける内容。あるいは。エレクトロ・ガール・ポップ・リヴォリューションに対する反旗とも受け止められる。いずれにしても興味深い。USインディにおける女性バンドが、エルヴィス・プレスリーではなくホルガー・シューカイを選んだのだから!
それが劇的に変化した方法を教えましょう。
00年と09年の音楽を比較することです。
本書を開いて、このゲームに参加してください。
あなたは"いまの音楽"をもっと好きになるれはずです。
(ゼロ年代を象徴する150枚のアルバム・レヴュー)
目次
1 00年代の孤独(野田 努)
2 ノーティーズ・ミュージック(野田努/松村正人/三田格/水越真紀)
9.11とポップ・カルチャー/坂本龍一、忌野清志郎、そして槙原敬之/フィッシュマンズははたしセカイ系か?/ゆらゆら帝国が電気グルーヴに与えた影響/音楽雑誌はメジャー・レーベルのカタログなのか?/そしてメジャーはなくなった....../"ソフトに死んでゆく"はアンセムとなった/ポップ・ミュージックは平均率から逸脱する、と菊池成孔は言った/そしてみんな日本から出なくなった/で、つまりドローンというのは....../ジョイントを捲く女/相対性理論の反骨精神とは?/未来はない、という感覚/オーガニック系は勉強不足でしょう/ザゼンボーイズとECDは似ている/これから言葉は変わってくるかもしれない
3 Loop Finding Myspace(松村正人)
4 焼け野原からのやり直し(磯部涼/二木信/野田努)
サウンド・デモと銀杏ボーイズ/MSCからシーダへ/ヤンキーの思想とは?/日本の痛さから目を逸らすな
5 失われた場所を求めて(磯部 凉)
6 アルバム・レヴュー
7 失われた中年、00年代ノー・リターン(三田格)
去年の暮れに店頭にならんだ『ザ・ラフ・ダンサー・アンド・ザ・シクリカル・ナイト[タンゴ・アパシオナード]』は、86年から88年の間、晩年期のピアソラが〈アメリカン・クラーヴェ〉にのこした3作の2作目にあたり、ボルヘスの短編に着想を得たグラシエラ・ダニエレが制作したミュージカル「タンゴ・アパシオナード」の伴奏音楽が契機になった(じっさいは音楽劇で使用した楽曲を再構成した)ヴァラエティに富んだ作品だったが、「クラーヴェのピアソラ」の残り2作に比べると小品の感がしなくもないと書くと異論がありそうだが、当時の五重奏団と若干異同のある布陣で吹き込んだ『ザ・ラフ・ダンサー~』は、内側に圧縮する志向をもつピアソラの楽曲をどこか外へ開くようでもあり、私は今回リマスタリングでSACD仕様になったこのアルバムを、10年とはいわないまでもそれくらい久しぶりに聴いて、当時抱いていたクールでモダンな響きを、アンディ・ゴンサーレスやパキート・デリヴェーラといったジャズ/フュージョン奏者たちが異化していたことに気づいたのだった。スタッカートとスウィングのちがいというか、『ザ・ラフ・ダンサー~』ではジャズの身体性がタンゴのリズムを揺らし、楽曲の厳格さへの緩衝材になっていて、"ピアソラのタンゴ"へ迂回する(せざるを得なかった)回路がこのアルバムに小品といわないまでも実験作の風情を与えている。ブロンクス生まれながらラテン音楽に親しんだハンラハンの二重のアイデンティティが、4歳から16歳までをおなじくニューヨークで過ごしたピアソラの履歴と重なり、当人たちも意識しなかったモザイク状の暗喩をふたたび浮かび上がらせた『ザ・ラフ・ダンサー~』は『タンゴ:ゼロ・アワー』と『ラ・カモーラ』のほかの2作とともに、都市と形式の間を往復しながら聴き直されるべきだとおもう。
ブロンクスで誕生したヒップホップと同じく、元はダンスと音楽とローカリティの複合物だったタンゴはピアソラの登場を俟つまでにすでに数十年の歴史(ヒストリー)と流儀(スタイル)を蓄えてきたが、多感な時期をニューヨークですごしたピアソラにはタンゴはエキゾチシズム抜きには接せられない音楽で、彼はタンゴ好きの父にバンドネオンを贈られてもさしてうれしくなかった。1921年生まれのピアソラは作曲家になるため留学したパリで師事したナディア・ブーランジェにタンゴをつづけるよう進言され帰国した60年代まで何度か挫折を味わったが、ピアソラにとってタンゴは、いまではほとんどのひとがヒップホップをブレイクダンスやグラフィティと切り離した音楽と認識するように、流儀でなく音楽の形式だった。「タンゴはどこまでタンゴなのか?」という自問自答。ピアソラのディスコグラフィにはそれが繰り返しあらわれてくる。『タンゴ:ゼロ・アワー』ではそれが先鋭化し、彼は藤沢周のやたらとハードボイルドな小説のタイトルにも引用された「ブエノスアイレス零時」のゼロのコンセプトを拡張し、タンゴの境界線を形式の力で探りあてようとする。私には「ブエノスアイレス零時」は昨日と今日を分かつ都市を徘徊するさまを描写した傑作なのだけど、それから20年以上経ってピアソラの音楽は完全に音楽に純化されたように聴こえる。『~ゼロ・アワー』の曲はかつてあったものの再演ではあるが、ピアソラの神経が隅々まで行き渡った後期五重奏団の再現性は、タンゴだけでなくクラシックやジャズの要素をアナロジーとしての多声部に変換し、1曲にアルバム1枚分の濃度をもたらし、私は多楽章形式の"コントラバヒシモ"なんか聴き終えるとどこかに旅行してきたような気持ちになるのだけど、このトリップ感(?)はあくまでもフォーマットの運動がベースにある。その意味でピアソラはタンゴの革新者だったが自身の音楽言語を手放さなかった古典的な作曲家でもあった。
形式はやがて複雑化する。それはあらゆるジャンル音楽のあたりまえの展開なのだけど、「さらに複雑で美しい曲を」というハンラハンの求めに応え、87年と88年の夏に避暑地、プンタ・デル・エステ(ギリアムの『12モンキーズ』で使われた"プンタ・デル・エステ組曲"はここに由来する)で書き上げた組曲がメーンの『ラ・カモーラ』はトリップというよりショート・ステイほどの大作志向になり、和声は緊張感を高め、リズムは入り組み、場面はめくるめく、演奏は奔放になり、彼の音楽に叙情性を託すリスナーを煙にまきさえする。ここがたぶん境界線の手前だった。タンゴの体系の内側に充満したピアソラの体系。それは保守と革新という単純な二項対立ではなくて、"複数の形式"の相克だとおもう。ワーグナーでもストラヴィンスキーでもシェーベルグでもいい、形式の境界線ぎりぎりまでいくと音楽は形式の反作用を内側に抱えることになる。これは西洋音楽の話だけど、ピアソラは「タンゴはどこまでタンゴなのか?」との問いに答えると同時に「このフォーマットにはどれくらいの容量があるのか?」計ろうとした。クラーヴェのピアソラは私たちが現時点で聴けるその二重方程式の解であり、私は3作をあらためて聴き通して、森敦の文章をおもいだした。かなりな飛躍ですけどね。森敦は数学的にただしくないかもしれないと前置きしながら、トポロジーを文学的に読み解いてみせる。
「近傍は境界にそれが属せざる領域なるが故に密蔽されているという。且つ、近傍は境界がそれに属せざる領域なるが故に開かれているという。つまりは、密蔽され且つ開かれてさえいれば近傍といえるのだから、近傍にあっては、任意の点を原点とすることができる。境界も円である必要もないばかりか、場合によっては域外における任意の点をも原点とすることができる。」(『意味の変容』筑摩書房)
繰り返すが、ピアソラは破壊者でも越境者でもなかった。タンゴの近傍でタンゴの意味を反転させようと企図したモダニストだった。そう考えるとハンラハンとの出会いは当然のことに思えてくる。ふたりはともに都市にいて伝統に向き合った。ピアソラは3枚のアルバムを出したあと体調を崩し、五重奏団は解散した。彼はのちに六重奏団を再編したが、残された時間はわずかだった。そうやって、ピアソラ以後に枝分かれしたタンゴの新しい系は彼の死によって閉じられたとよくいわれる。しかし本当だろうか? 私はもう何年も前に、ファン・ホセ・モサリーニの東京公演を観たとき、彼のコンテンポラリーな感覚と、ついに観ることが叶わなかったピアソラの血の濃さのようなものを重ねて、プリンス・ジャミーとキング・タビーみたいなものかなーとおもったと書くと乱暴だが、外部の任意の点にたやすく接続できるなら、数多の継承者だけでなく菊地成孔のぺぺ・トルメント・アスカラールまでピアソラの血は逆流してくる。
ピアソラこそゼロだった