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THEO PARRISH
JUST1LOVEBUG
DOPE JAMS / US / 2010/12/7
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HOLGER CZUKAY
DREAM AGAIN
CLAREMONT 56 / UK / 2010/12/8
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NABOWA
フォーキー FEAT. NAOITO / 凪と宴
MOGIE / JPN / 2010/12/7
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THEO PARRISH / ISOUL8 & MARK DE CLIVE-LOWE
STOP BAJON
ARCHIVE / ITA / 2010/12/7
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EDDIE C
MIGRATION EP
SOUND OF SPEED / JPN / 2010/11/30
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MAXXI & ZEUS
AMERICAN DREAMER / MZ MEDLEY
INTERNATIONAL FEEL / URY / 2010/11/28
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EASY STAR ALL STARS
DUBBER SIDE OF THE MOON
EASY STAR / US / 2010/12/9
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DJ ROLAND CLARK
RUN RUN RUN
PURPLE TRACKS / CHE / 2010/12/4
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OPEN FORAINA WITH JACK QUINONEZ
FALA TANTO
LOVE MONK / SPA / 2010/12/4
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エクシーが「〈ナイト・スラッグス〉! 〈ナイト・スラッグス〉!」とうるさいので、ディプロの編集したダブステップのコンピレーションを紹介しよう。〈ナイト・スラッグス〉のコンピレーションは、若い人にまかせた。あれはやっぱ、週末あっぱらぱ~になって踊りたくて踊りたくて仕方のない若者のいわばゲットー系、新種のハウス・ミュージックでしょう。〈ナイト・スラッグス〉の主宰者のひとり、エルヴィス1990(L-Vis 1990)は〈マッド・ディセント〉からもシングルを出しているし......という強引な展開からはじめよう。
2010年の後半にはジャイルス・ピーターソンの〈ブラウンウッド〉までもが、このシーンを無視することを止めて、ダブステップ/グライムのコンピレーションCDを発表している。ジャジーな連中にも通用するとにらんでの企画だろうけれど、それでは〈マッド・ディセント〉のアプローチはどうかと言えば、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドのブレンド、ポップと硬派のシャッフル、いかにもディプロらしい企画である。
アルバムはブリストルのジョーカーとジンズによる"リ・アップ"からはじまる。メジャー・レイザー、スクリームやラスコ、ベンガやキャスパ......といったコマーシャルな連中、そしてジェームス・ブレイクやアントールド、ゾンビーやスターキーといったアンダーグラウンドな連中、そして口汚い南部のラッパー、リル・ジョン......などを並列させる。カナダのダブステッパー、DZやストックホルムの女性ダブステッパー、リトル・ジンダーのように、ここ数年の国際的な広がりも見せている。ダブステップというと、暗くアングラな印象を抱いている人がいまだにいることに驚くが(まあ、たしかに今世紀初頭の世界的に暗いムードを反映しているとも言えるのだけれど)、しかしここ2~3年はパーティ・ミュージックとして世界のさまざまな都市に広がっている。ディプロは彼なりの視点を持ってシーンにアクセスしてこの編集盤を選曲しているが、ポイントはまさにそこだ。そしてそれは、彼のこの10年の冒険――バイリ・ファンク、ボルチモア、ダンスホールなどの延長にあることがわかる。
あるいは、メジャー・レイザーのスクリームによるリミックス、UKのドクター・P"スウィート・ショップ"のようなピアノ・ハウスとダブステップのレイヴ的結合、ラスコのキラー・トラック"コックニー・サグ"のパンク的アティチュードなどなど......ディプロから見える多様性をうまく展開している。ジェームス・ブレイクに関しては、〈ヘムロック〉からのデビュー・シングルの"スパーリング・ザ・ハウス"を選んでいる点も気が利いている。
アルバムのクローサーはラスコによるグライミーな歌モノのハウス"ホールド・オン"。2010年に〈マッド・ディセント〉からリリースされたヒット・シングルだ。ダブステップのまさに(日本を除く)インターナショナルな成功を象徴させる1枚である。
前作から4ヶ月というインターバルで届いたシャンテ・アンソニー・フランクリンによる2作目はタイトル通り、相変わらず空を飛んでいる。実に優雅な低空飛行(意味、分かってますよね?)。
ヒップホップの話題作が2010年の前半はドレイクで、後半はニッキー・ミナージュがぶっちぎりだったということは、なかなか興味深く、いわゆるマッチョイズムがシーンの頂点に立たなかったことを意味している。もちろん、グッチ・メインやワカ・フロッカ(磯部くんがレヴュー予定)など、それらが衰えたわけではないし、数ではきっと適わないはずなんだけど、それでも、ブラック・マッチョがその年の顔にならなかったということはヒップホップが誰のものであるかを考えさせる契機にはなりうる。ドレイクの過剰なセンチメンタリズムもさることながら、ミナージュは若い女の子たちに「セックス・アピールは必ずしも人生に必要なものではない」というメッセージを放ち、マッチョイズムとそれを補強するシステムに大きな打撃を加えている。リル・キムが焦りまくってミナージュをディスまくっているのも仕方がないというか、もしかしたらここ何年かで何かが大きく変化する可能性もなくはない(ミナージュに関して詳しくは近刊『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク篇』を参照)。
肩の力が抜け切ったカレンシーの存在感はそのような地図の中にあって、やはりマッチョイズムに対してボディブローを効かせる位置にいる。フラジャイルでどこか幻想的な導入からブルージーで退廃的な曲の数々を聴き進めるうちに、いつの間にか不信感で固まったような静けさへと落ちていく。ヘルツォークが『バッド・ルーテナント』で描いたようなヴィコディン漬けのニュー・オーリンズではなく、それこそ洪水の底に沈んだJ・G・バラードの終末観が似つかわしい。実にクールである。前作よりも格段にスタティックな仕上がり。
「マッチョではない」といえば、ECDが神戸のPOPOとジョイントした『ECDPOPO』もあまりに腰砕けで、いわゆる脱力の極を行っている。トランペット2にオルガンという構成のPOPOがまずは墨絵のようにミニマムで、恐れ入るほど音数が少ない。自己主張のない音というのは日本ではひとつの様式美のようになっているところがあり、何かを伝えようとするのが音楽なんだから、違和感を感じることも少なくはないのだけれど、これにECDのラップがのることで、まったく印象は異なってくる。ヤング・マーブル・ジャイアンツのような空間認識。ECDのラップが留守番電話に残されたメッセージのように必要なことを語り掛けてくる。大事な要件を。コソコソと。......あのバンドを思い出す。思い出さない。忘れよう。忘れない。
"ROCK IN MY POCKET"や"関係ねーっ!"といったお馴染みの曲があからさまな厭世観を剥き出しにし、新たなインパクトとともに僕の体内へと侵入してくる。そして、全8曲が終わっても「メッセージは以上です」とはいってくれない。メッセージはまだほかにもあるらしい。
2010年の2月にアルバム『アイム・ニュー・ヒア(I'm New Here)』で素晴らしい復活を果たした詩人、ギル・スコット・ヘロンだが、来年早々そのリミックス・アルバムのリリースが予定されている。しかも......アルバムをすべてをザ・XXのジェイミー・XXがリミックスするという企画だ。
たしかに『アイム・ニュー・ヒア』は、ブリアルをはじめとするダブステップからの影響を取り入れていた作品だったけれど、それを丸ごとジェイミーが手を加えるとなると話はまた別だ。彼が2010年の来日時にDOMMUNEでプレイしたDJは、現在のUKのダンス・サウンド(ダブステップ、ファンキー、グライム、ウォンキー)を親切に手際よくパッケージしたもので、僕にとっては忘れがたいものだった。
まずは手はじめに"NY・イズ・キリング・ミー"のリミックスが届いている。さあ、聴いてくれ。UKファンキー以降のビートを取り入れたこの音を聴いてしまったら......君はジェイミーのビートとスコット・ヘロンの声から逃れられなくなるだろう。
プライマル・スクリームの『スクリーマデリカ』が発売されたのは1991年のことだ。1990に先行してリリースされた「ローディッド」と「カム・トゥゲザー」をリアルタイムでチェックしていた僕は、この2枚の時点で面食らっていた。ファースト・アルバムでは12弦ギターの美しいアルペジオを中心とした60'sサイケデリック、セカンド・アルバムではMC5やザ・ストゥージズのようなガレージ・パンクだったプライマル・スクリームだが、それらのシングルではハウスのビートを取り入れていた。そして、それが唐突に思えなかったのは、海の向うのイギリスではなにかとてつもないことがおきていることを感じとっていたからだった。
1987年のスミスの解散から1996年のオアシスの『モーニング・グローリー』がリリースされ、そしてブリットポップが終わるまでの10年は日本のUKインディ・ロック・ファンにとって幸せな時代だった。多くの新人バンドは最初の数枚のシングルで注目されると、すぐに国内盤のリリースが決まっていた。来日するタイミングも早かった。来日はおろか、もはや国内盤もめったなことではリリースされない現在の状況とは大きな違いだ。その10年のあいだは、日本とイギリスの距離はいまより近かったのである。
ニューウェイヴやネオアコ、ギター・ポップのシングルを毎週チェックしていた僕は、スミスのデビュー以降、どこかすっきりしない空気に息苦しさを感じていた。しかし、1988年のストーン・ローゼズの「エレファント・ストーン」をはじめ、インスパイラル・カーペッツの「プレイン・クラッシュ」やハッピー・マンデイズの「W.F.L」あたりから、いままでとは違う空気を感じていた。そしてその翌年、ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムが発売されてからというもの、新しいスタイルの12インチ・シングルが都内のレコード店の壁を変えていった。
僕が初めてロンドンに行ったのもこの時期だった。1989年の12月、ヴァージン・メガストアもタワーレコードもHMVも、壁一面がストーン・ローゼズの「フールズ・ゴールド」、808ステイトの『90』、ソウルIIソウルの「キープ・オン・ムーヴィン」、そしてデ・ラ・ソウルの『3フィート・ハイ・アンド・ライジン』で埋め尽くされていた。ダンスの季節が到来したのだ。
1990年になると、僕は毎週2回はZEST、WAVE、CISCOそれにLiverpool、レコファン、Vinylなど渋谷、新宿のレコード店をぐるぐる回った(まさかHMV渋谷がなくなる日がくるとは夢にも思わずに)。あの時代、同じようにレコード店を回遊していた人は少なくない。
『スクリーマデリカ』に収録曲された4曲、"ローディッド""カム・トゥゲザー""ハイヤー・ザン・ザ・サン""ドント・ファイト・イット、フィール・イット"は、そんな毎日のなかで巡り会った。当時はまだイギリスでなにが起こっているのか知るための情報源はなかった(もちろんインターネットなど一般的ではなかった)。レコード店の棚にならんだ12インチ・シングルと『NME』が頼りだった。幸せな時代だったのかもしれない。何が起きているのか想像することがほんとに楽しかったから。
"ローディッド"と"カム・トゥゲザー"の幸福な肯定感、"ハイヤー・ザン・ザ・サン"のダブとハウスのサイケデリック、"ドント・ファイト・イット、フィール・イット(闘うな、感じろ)"のソウルフルなダンス......。アンドリュー・ウェザオール、ポール・オークンフォルド、テリー・ファーリー、ジ・オーブ、ボーイズ・オウン、アシッド・ハウス、エクスタシー......そしてクラブ・カルチャー。
そしてあれから20年が経った。『スクリーマデリカ』はスタイルがころころ変わるプライマル・スクリームの作品のなかで、もっとも時代の空気をパッケージしたアルバムだ。当時は5曲が発表済みの音源だったこともあって、寄せ集めのアルバムという評価もあったが、いまになって思えば、だからこそ優れたアルバムなのだ。アルバムを作るためにレコーディングされたのではなく、1曲1曲彼らが突っ込んだパーティで気付いたアイデアを随時形にしていく過程がはっきり見てとれるからだ。今回の渡英ではボーイズ・オウンのテリー・ファーリーにこの時代のことを詳しく取材してきた、いずれアップするのでチェックして欲しい。

11月26日、20年目の"スクリーマデリカ・ライヴ"。当日は本格的な寒波がイギリスを包んで、本格的な冬のはじまりとなった。会場のオリンピアは幕張メッセのような展示場で、コンクリートの床に高い天井を擁している。
開演が7時半と書かれていたので、7時過ぎに会場に着いたのだけれど、場内にはまだほとんど人がいなかった。8時を過ぎたところでステージにメンバーが登場するものの、会場はようやく半分強が埋まっている程度だった。
それでもバンドは演奏をスタートする。前半は『スクリーマデリカ』以降のヒット曲中心の構成だったが、どうも盛り上がりに欠ける。"カントリー・ガール"や"ジェイルバード"、そして"ロックス"、オーディエンスは余裕でビール買ったり、待ち合わせの相手に電話したり、てんでばらばらにその場所にいる。
いままで何度も見ているロックンロールなプライマル・スクリームによる40分程度のステージがまるで前座のようにあっけなく終了する。そしてアンドリュー・ウエザーオールのDJらしき音が小さく流れはじめる。途中でチアメン・オブ・ザ・ボードの1974年のアルバム『スキン・アイム・イン』に収録の"モーニング・グローリー"から続く8分のメドレーが流れる......この高揚感のあるソウル/ファンクはウエザーオールが『スクリーマデリカ』制作時の参考にした曲としてラジオ番組で紹介していた。

コズミックなソウルが鳴り響くなか、ステージ全面のスクリーンに『スクリーマデリカ』の巨大なロゴが映される。ステージ上手には6人編成のゴスペル・コーラス、下手には4人編成のブラス・セクションを従えて、メンバーが登場する。アンドリュー・イネスが"ムーヴィング・オン・アップ"のイントロを弾き出す。場内からは大歓声があがり、観客の様子は打って変わって、どんどん前に突進する。そして大きな会場は一瞬にしてパーティ会場へ変貌した。
誰もがこの瞬間を待っていたといわんばかりに弾ける。あっけにとられていた僕も思わず笑い出してしまった。バンドのメンバーにもわかっていたようで、演奏の熱がまるで違う。ボビーも踊り、オーディエンスを煽る。
2曲目の"スリップ・インサイド・ディス・ハウス"のダンス・ビートがはじまった。去る4月にベーシストのマニはこう話している。「『スクリーマデリカ』は打ち込みの曲をカラオケのように使うのではなく、当時のマルチテープから、それぞれのパーツを抜き出して、ちゃんとライヴでやるためにアレンジをするんだよ」。"スリップ・インサイド・ディス・ハウス"は過去、ライヴ演奏はしていないはずだ。
3曲目の"ドント・ファイト・イット、フィール・イット "でデニス・ジョンソンが登場する。彼女が「ラマラマラマ・ファファファ~」を歌うとフロアはどよめき、ティンパレスのフィルからキックとベースが入るとはやくも肩車があちこちで立ち上がる。僕も自然と笑いがこみ上げてくる、こんな楽しさまったく想像してなかった。
4曲目はアルバムの曲順なら"ハイヤー・ザン・ザ・サン "だが、ここで"ダメージド"、"アイム・カミン・ダウン"、そして"シャイン・ライク・スターズ "とバラードが続く。90年代初頭のパーティ・ライフのアフターでチルアウトするために良く聴いた曲がいまはライヴで演奏されている。
続いて"イナー・フライト"、ステージ後方の巨大なスクリーンがサイケデリックに変化する。洗練された映像が曲にあわせて揺らめいてゆく。僕がこの音とヴィジアルのほんとうの意味を知ったのは『スクリーマデリカ』の発売から5年後だったけれど......。

ここまで来るともうあとは3曲しか残っていない、"ハイヤー・ザン・ザ・サン"のイントロが響く、鼓動のようなキックとオーロラのようなシンセがすべての感覚をさらってゆく。宇宙に投げ出されてしまったような浮遊感のなかでボビーのヴォーカルがもう戻れなくてもいいと言っているように聴こえる。あまりのトリップ感のなかで呆然としていると"ローデッド"のサンプリングが静寂を破る。コーラスが高らかに歌われ、ホーンセクションが鳴る。もうこの最高のパーティもあと2曲で終わってしまう......。
"ローデッド "は伝えてくれている、「それははじめからわかっていたこと、終わりであり、はじまりでもある」、そんな答えにならない問いかけが心にこだまする。まわりは仲間同士で肩を組んだり、抱き合ったり、思い思いにたしかめ合っている。
ラストの"カム・トゥゲザー"はもうはじめから大合唱だった。この曲で歌われている通りのフィーリングのすべてが溢れている。20年前のプライマル・スクリームがセカンド・サマー・オブ・ラヴの歓喜に素直に飛び込んだように。
"カム・トゥゲザー"が終わって会場内には明かりが付く。それでもオーディエンスの合唱はやまない、会場の外に出て、通りの向かいにあるパブでは外まで人が溢れながら、そしてここでも合唱している......。
「キスして/どうかどうかキスして/僕を持ち上げて、世界の外側に出して欲しい/トリップさせて/どうかどうか僕をトリップさせて/僕を持ち上げて、星に乗せて欲しい/いまや僕たちは完璧に自由/さあ、おいで/僕に触って/それがありあまるほどのすべてだ」"カム・トゥゲザー"
マシュー・ハーバートの作品は、リスナーが何も考えずに催眠状態になることを許さない。彼はあの手この手を使って頭を使わせようとする。「one」3部作の2作目として『ワン・ワン』に続いて去る9月にリリースされたのが『ワン・クラブ』で、前作がエレクトロニックなポップ・アルバムだったのに対して、こちらはおおよそテクノ・アルバムであると言える。フランクフルトのクラブ〈ロバート・ジョンソン〉のひと晩のパーティのあらゆる音(歓声からトイレの水、クロークルームからクラブの壁などなど)のフィールド・レコーディングを素材としたもので、ハーバートにとっての久しぶりのトラック集とも言えるし、そうじゃないとも言える。クラブを素材にしているとはいえ、ドクター・ロキットや『アラウンド・ザ・ハウス』のようなダンス・ミュージックではないし、主題に沿ったサンプリングで曲を作るという方法論の観点から見れば『ボディリー・ファンクション』(身体)や『プラ・デュ・ジュール』(食事)と同じ系列だが、そのどれとも違っているのは、今回のコンセプトがクラブ・カルチャーに定められているからだ。
2010年のUKは20年振りにクラブ・ミュージックの年だった。ふだんクラブ・カルチャーに属していないアーティスト、フォー・テットやカリブーのようなIDMスタイルの連中がロンドンの〈プラスティック・ピープル〉に影響されてクラブ・サウンドを作っているし、またアントールドやサブトラクト、ラマダンマンはテクノの要素を大胆に導入してダブステップをより親しみやすいダンスにしている。ローンのようなボーズ・オブ・カナダのフォロワーまで4つ打ちのダンス・アルバムを発表している。"クラップトラップ"や"CMYK"といった思い切りの良い野心作がアンセムとなって、他方ではスクリームやマグネティック・マンがメインストリームのポップに侵入すれば、そしてその対極では踊れないマウント・キンビーやアクトレスがいる。ハーバートが今回のアルバムでクラブ・カルチャーをコンセプトにしたのも、間違いなくこうした背景があるはずだ。
とはいえ、ひとりレディオヘッドなる異名を持つ、反骨精神を持ったこのアーティストによる『ワン・クラブ』は、それをクラブ系と呼ぶには複雑な、とてもユニークな内容となっている。曲名はすべて人物名となっていて、それはこの文化が人の集まりで成立していることを暗に示しているようだ......が、アルバムの前半はクラブの快楽主義とは相反するような無機質で激しいトラックが続いている。音のペイントで描かれたレイヴの抽象画は、冷たいコンクリート、インダストリアルなヴィジョンを想起させる。オーディエンスの歓声からはじまる"Jenny Neuroth"にしても、前作のように親しみやすいサウンドだとは思えない。
反グローバリゼーションで知られるこの音楽家は、政治性をはらんでいた初期のレイヴ・カルチャーが現在では企業に支配されたクラブ・カルチャーになっていると指摘する。「それでもオーディエンスにマイクを向けることで、その小さなコミュニティから何かを発見できないものかとこのアイデアに挑戦した」と話している。アルバムは中盤ぐらいから人の声の割合が増えていく。アルバムが終りに近づくにつれて音が丸みを帯びてくる。
クライマックスは9曲目の"Marlies Hoeniges"で、この曲において人びとの合唱がエレクトロニック・グルーヴと結びくと、アルバムは眩しいほどの民衆的なパワーを見せつける。ファンキーなリズムのなか、拍手が鳴って、声が響く、クラブ・カルチャーの最良の瞬間をハーバートはこうやって音で表現する。最後の曲"Kerstin Basler"は、レイヴにおける民衆蜂起のようだ。
冷たくはじまったこのアルバムは、実に美しい終わり方をする。そして、もういちどアルバムを最初から聴けば、前半の無機質なトラックもどこかユーモラスに思えるようになる。するとこの想像上のクラブは、より親しみをもって展開することになる。マシュー・ハーバートらしい、しっかりとしたアイデアを持ったアルバムだ。
3部作の最後となる「豚の一生」が楽しみでならない。
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Kuniyuki Takahashi
Dancing In The Naked City
Mule Musiq
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黒木千波留
過ぎ去りし日の...
Rambling
»COMMENT GET MUSIC
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Nick Rosen
Into The Sky
Poter
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San Soda
Immers & Daarentegen
Wph
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Zoot Sims
Zoot Sims On Ducretet Thomson
Atelier Sawano
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Jeb Loy Nichols
Strange Faith & Practice
Modesty Music
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V.A.
Next Stop... Soweto Volumes 1-3 Limited Edition Box Set
Strut
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Boris Gardiner
Every Nigger Is A Star
P-Vine
»COMMENT GET MUSIC
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Soul Sauce III (Live at The Funky Quarters) - Fantasy(9409) |
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Funqiado - Crystarl Clear Records(CCS 8003) |
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Manteca - Verve(V-8637) |
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Picadillo (with Eddie Palmieri) - Verve(V-8651) |
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Don't You Worry 'bout A Thing (with Carmen Mcrae) - Concord Jazz(CJ-189) |
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Mambo Show - Fantasy(9422) |
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The Tokyo Blues - Verve(V3HB-8843) |
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Aleluia - Picante(CJP-113) |
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Mambero - Fantasy(8406) |
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Tambu (Tombo in 7/4 with Charlie Byrd) - Fantasy(F-9453) |
タイトル『ザ・ウェイヴス』に対してジャケットの写真は切り立つ石山の斜面。厳しい自然による造形は、石の表面をどことなく波打たせ、海面のように見せている。左隅の方にたたずむひとりの女性が、タマリンだ。
場違いに黒くゴシックな装い。細い肢体。ミステリアスな景観とよく響きあっている。5曲目の"サンドストーン"を聴くと、私にはこの風景がありありと思い浮かべられる。ちらちらと輝くギター・リフはさしずめ上空の気流。彼女は風を待っている。それに乗って一気に上昇しようと思っている。というのは完全に妄想だが、そう外れたイメージでもないだろう。鈴とタムが遠くから迫り、ベースが呼応して唸りはじめる。そしてやや低めのウィスパー・ヴォイスがワン・コーラスを歌い終わると、力強いタムとともにワン・ストロークの大きな風が巻き起こるのだ。目の眩むようなフィードバック・ノイズ。音像としてはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインに近い正統派シューゲイズである。岩肌を駆け上がってくる風に、タマリンは黒鳥のように飛び乗る。
こうしたストレートなシューゲイズ・アクトは久々だ。見渡せば相当数存在するのだが、ネオ・シューゲイザーとかニューゲイザーなどと呼ばれ、オリジナル世代のコピー的な音が人気を博したのはもう2、3年前の話だ。その後はリヴァービーなサイケ・ポップやドリーム・ポップ全般にシューゲイズという言葉が濫用されるようになり、トレンドも全体としてはそちらに移っていった。だから後者にとっての重要レーベル〈メキシカン・サマー〉から、いまこのような音がリリースされることには不思議な気持ちを抱く。機を同じくしてノー・ジョイのフル・アルバムも出している。こちらはもう少しジャンクなサウンドだが、やはりオリジナル・シューゲイザーの面影が強い。
タマリンはニュージーランド生まれの女性アーティストだ。2008年に自主リリースしたミニ・アルバムは翌年〈トラブルマン・アンリミテッド〉から、本作収録のシングル『マイルド・コンフュージョン』を〈トゥルー・パンサー〉から発表し、これがデビュー・フル・アルバムとなる。
プロデューサー、コンポーザー、またギタリストとして深く関わっているレックス・ジョン・シェルバートン(ハードコア・バンド、ポートレイツ・オブ・パストやガレージ・サイケのヴュー在籍)とはニューヨークで出会い、その後レックスの活動拠点であるサンフランシスコへと移っている。彼の音楽性が本作の基調となっているとみて間違いなさそうだ。デビュー・シングルではややゴシック・サイケな音が聴かれるし、好きなアーティストとしてもキュアーやエコー・アンド・ザ・バニーメンを挙げている。だが、タマリンのイノセンスと倦怠が入り混じるヴォーカルはシューゲイズなプロダクションと相性が良い。冒頭の"ザ・ウェイヴス"や終曲"マイルド・コンフュージョン"などは、"サンドストーン"同様に大気の流れや風といった、大きな空間的広がりを感じさせる。コーラスとリヴァーブをきかせたベースの存在感、ドラマチックで演出的なギター、スネアも印象的だが、よく整理がついていて妙にすっきりと聴くことができる。このあたりのレックスの手腕が、立ち姿からして魅惑的なタマリンという存在を本当によく引き立てている。
暗く拒絶的な音ではない。"コアーズ・オブ・ウインター"や"ドーニング"などはジーザス・アンド・メリー・チェインに近く、温もりのあるノイズが聴こえてくる。冬の寒い街頭で白くくもる窓、そのなかのほっとするような温度がしのばれる。人の街に落ちてきて、また風を待って飛び上がる。ストーリーや映像をたっぷりと想像させる、美しいドリーミー・シューゲイズだ。
それにしても〈メキシカン・サマー〉には、サイケ/ドリーミー/アシッドというテーマとともに、女性ヴォーカルへの審美的なこだわりが感じられる。リンダ・パーハックスの再発にもにじみ出ているが、女性ヴォーカルにある種の超俗性を求めるているように見える。透明感はあっても、純真無垢、天真爛漫であってはならない、この世への隔絶感や忌避の感覚を重視しているようだ。