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21世紀を過ぎてから、ロック・ミュージックとはますますはっきりと、レトロ趣味と冒険とに二分されるようになったが(もちろんどちらにも価値がある)、チューン・ヤーズは後者を好む者が待ちこがれた人である。いまでもロックの冒険は続いているけれど、彼女のようなタイプはそういない、というのも彼女の冒険......実験という言葉に置換してもいいのだけれど、そこには何かとてつもない喜びがある。何か新しい種類の喜びだ。チューン・ヤーズは実験だが、実験に耽溺するだけの存在ではないのだ。
生き生きとした彼女の音楽を聴きながら、アリ・アップやビョークやM.I.A.が登場したときを思い出す感傷的なリスナーもいるかもしれない。しかしチューン・ヤーズを名乗るメリル・ガーバスの音楽はそれらすべてと共通するものを持ちながら誰とも違っている。
まずは......ウクレレの弾きながら、ヨーデルとソウルがごっちゃになっている歌を声高らかに歌っている女を想像したまえ。メリル・ガーバスはニューイングランドで生まれ、モントリオールのDIYコミュニティで彼女の音楽を磨いた。彼女はドラムの音をループさせながらウクレレを弾いて、歌った。その音楽は最初、彼女の部屋でディクタフォン(取材などでよく使う録音機材)という超ローファイな環境のなかで録音された。それがカセットテープでリリースされた彼女の2009年のデビュー・アルバム『BiRd-BrAiNs』となった(そしてそれが〈4AD〉の目にとまって、数か月後にはCDとヴァイナルになった)。
『フーキル』はそうした彼女のローファイ活動とは違って、初めてのスタジオ録音によるセカンド・アルバムになる。ふたつのスネアドラムとタム類を使った彼女のパーカッシヴなビートがチューン・ヤーズのトラックの主成分だが、今回はそこに控えめなエレクトロニクスと素晴らしいベースが演奏され、またどんどこどんどこといったリズミックな鼓動もクリアに録音されている。レゲエからは哲学的な影響を受けたと話している彼女だが、奇しくもアルバムの1曲目"マイ・カントリー"はザ・スリッツの『リターン・オブ・ザ・ジャイアント・スリッツ』、そしてザ・レインコーツの『オディシェイプ』のコンセプトが新しく生まれ変わったようだ。つまり、好戦的なアフロ・ビートからはじまるわけだが、ひとつ大きく違うのは、先述したようにヨーデルの要素を取り入れた彼女のパワフルでソウルフルなヴォーカルである。その表現力豊かなパフォーマンスは間違いなくこの音楽全体に圧倒的な生命力を吹き込んでいる。そして、その歌声と張り合うようにバックトラックのほうも実にユニークに作られている。"ドアステップ"などはOOIOOのトライバルなドラミングをバックにエイミー・ワインハウスが優雅に歌っているようだし、"ギャングスタ"を聴いていると像の群れがロサンジェルスの街中を行進しているようなシュールな錯覚に覚える。元気いっぱいでグルーヴィーな"ビズネス"はすでにYouTubeで話題になっている。
もうひとつ、チューン・ヤーズにおいて興味深い点は"ギャングスタ"をはじめ"ライオットリオット"や"キラ"といった曲名、あるいはアルバム・タイトルの『フーキル』といった言葉からも、ある種の暴力的なニュアンスが匂っていることだ。「私にはセックスについて延々と歌う必要がないのよ」と、彼女は『ガーディアン』で続けてこう話している。「とくに"パワ"は暴力に関係している。中東には下層階級の蜂起による中産階級の恐れがあるのよ。それはたしかにあって、そこには女性への暴力もある。恐ろしい現実が私を邪魔するけど、私はそこを歌で掴みたかったのよ」
「コミュニティに何が起きているのかを、個人的なパースペクティヴにおいて見極めようとした」と彼女は言うが、歌詞の内容はあくまでフィクションであり、すべては空想だと彼女は明かしている。もちろんフィクションは現実から生まれている。収録曲の背後には、現在彼女が住んでいるカリフォルニア州オークランドの地下鉄で、丸腰のアフリカ系アメリカ人男性が警官に射殺された事件が関係している。その悲劇は警察への2500万ドルの訴訟と暴動によって決着がついたというが、チューン・ヤーズの音楽はそうした現実の暗さをひっくり返してしまうような、瑞々しい躍動感がある。
......というわけで前向きなのは音だけではないという話。チューン・ヤーズは、何かこう、新しい種類の喜びを予感させるのだ。
野田 努