「IR」と一致するもの

RIP Paul Bley - ele-king

 弁護士にしてエスペランティスト、バーナード・ストルツマンが1964年にたちあげたESP-Disk――ESPはエスペラント語の頭文字に由来――はオーネットとセシル・テイラーが拓いたフリージャズの耕地からの最初のまとまった収穫といえるもので、ビル・ディクソンがしかけたジャズの十月革命とともに、60年代なかばのニューヨークはフリージャズの夢に浮かされることになるが、ESPの66年あたりに俗に「顔ジャケ」と呼ばれるアルバムがかたまっているのを読者のみなさんはおそらくご存じあるまい。というのも、俗もなにも、そう呼んでいるのは私だけだからであるが、目くじらを立てずにもうしばらくおつきあいいただくとして、カタログ番号1021を皮切りに1026のヘンリー・グライムス・トリオ『The Call』(1026)までをひとかたまりに、番号とんで、チャールズ・テイラー『Ensemble』(1029)、ノア・ハワード・カルテット(1031)とサニー・マレーの『s/t』(1032)もこの括りにはいる。パティ・ウォーターズの『Sings』(1025)は王道顔ジャケだが、1055番の『Collage Tour』のカヴァー写真の影になった眼窩によく見るとうっすら目玉がすけているに気づいたときは、夜中だったもんでさすがにギョッとしました。ジャケの呆けた笑みと、低温で燃焼するようなヴォーカリゼーションをジュゼッピ・ローガンのフルートが煽るこのアルバムを私は顔ジャケの横綱に推挙したい。それに対抗できるのは、洞穴のような狂気を思わせるフランク・ライト・トリオ(1023)のジャケットしかないと思うのだが、こっちはいくらか「顔負け」した典型的なフリージャズ――なに? 典型的なフリージャズ? ジャズの枠組みを外すことを目するフリージャズに様式を認めるこの形容は、ジャズの即興を問うなかで何度も蒸しかえされた命題でもあり、いまもって正解はない。しかも時代がくだるごとにアーカイヴが膨らめば、あらたな即興の可能性はそれと反比例して縮減する。もちろんこれは単純化した数字の話にすぎないし、当時を現在の観点で論ずる誤謬もあるにしても、ジャズの前衛から欧州の即興者を中継し音響の文脈のウラに貼りつき、隙あらば前景化したがるこのテーマに私たちは何度もたちかえってきた。ベイリーであれ間章であれ、実践であれ批評であれ、原理に降りるには意思の力は欠かせない。私はその厳しさが内在させる美しさを否定する気は毛頭ないが、形式に内容を充填することで、さらに上位の形式を、普遍の域までとはいわないまでも、高めたがるものもいなくはない。

 ポール・ブレイはジャズで、ジャズという様式そのものを問いつづけることでそれをおこなった数少ないミュージシャンだった、と私は思うのである。

 ESPの「顔ジャケ」シリーズはカタログ番号1021、彼の精悍な顔つきを大写しにした『Closer』(66年)を嚆矢とする。もっともブレイはその前に『Barrage』(1008 / 65年)をESPにのこした。リリース前年に吹きこんだこのアルバムはミルフォード・グレイヴスとエディ・ゴメスのリズムにデューイ・ジョンソン(tp)と、ちょうどニューヨークに出張っていたサン・ラーのアーケストラからマーシャル・アレン(as)の二管を加えた布陣で、カーラ・ブレイのオリジナルを演奏しているのだが、曲も音もオーソドックスなフリージャズの域を出ていない。それが翌年録音の『Closer』では曲の尺はこの手のものにしては極端に短く、作曲者の意図に沿い、ときにそれを超えるところまで音楽をいかに飛躍させるか、アドリブはそのためのスプリングボードとなっている。と書くと、あたかも即興を軽視したようだが、1932年、カナダのモントリオールに生まれたブレイがビバップを知悉したピアニストとして――チャーリー・パーカーとの共演歴もある――当地のシーンを牽引し、ミンガス、マックス・ローチとデビュー作でわたりあったように、ブレイのプレイは巨人たちにひけをとるものではなかった。おしむらくは、生来の耳と手と頭のよさが身体性の突出をさまたげたところはなくはなかった。とくにフリージャズという情動の発露の側面のある方法ではポール・ブレイは異質だった。怒りもなければ抒情に流れすぎない、アイラーのような楽天もなければ、セシル・テイラーの鋭さともちがう、ビル・エヴァンスの系譜に連なるかもしれないが、彼のピアノは彼よりも、ただ音楽をあらわす。それはひとえに音楽への、ひいては他者を感受する力がもたらすものであり、ポール・ブレイは生涯をかけてそれを貫いた。

 余談になるが、いや余談ではないのだが、60年代なかごろ、ポールの盟友にして伴侶だったカーラ・ブレイは『Closer』をリリースしてほどなく、彼のもとを去り、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのマイケル・マントラーと暮らしはじめる。ロバート・ワイアットの『Cuckooland』(2003年)でも名前を見かけたカレン・マントラーはふたりの娘で、かわりにポール・ブレイは60年代初頭よりしばしば共演したゲイリー・ピーコックの妻であり、ジャズ・コンポーザーであるアネット・ピーコックと親密になり、アネットはゲイリーのものからポールにはしった。ポールとゲイリーはこのこともあって一時疎遠になったが、60年代後半にふたたび合流し、ブレイのたちあげたImprovising Artists Inc.から発表した『Virtuosi』(67年)ではアネット作の「Butterfly」と「Gary」の2曲をレコードの両面たっぷりに吹きこんでいる。後者は(元)夫の名前をとったのだろう。その抑制と解放はECMの作風をさきがけているが、私は逸話にことかかないジャズ史のなかでもこのエピソードに長年興味をそそられてきた。ゲスの極みといわれても仕方ないが、対話に比せられるジャズという演奏形態において、演奏者同士、あるいは作者とプレイヤーは音で対話するとき、そこに一瞬でも私情の過ぎることはなかったのか。イアン・マキューアンが長篇に仕立て、フランソワ・オゾンあたりがやおらメガホンをとりそうな、音楽家たちのこみいったロマンを、しかし音楽以上に一意に直截にあらわす方法は地球上にありえない、とポールは確信していた。そのためにもまず音という抽象物の背後にある作曲者と共演者のすべてに、その厚みにこそ耳を澄まさなければならない。推論というよりほとんど妄想だが、そうでなければ、100を超える多彩な作品とジャズ史を通観するような共演者にめぐまれるわけがない。ところが十日ばかり前、彼はたえることのなかったリリースをいったんきりあげることにした。ECMがリリースした『Open, To Love』の続々編ともいえる一昨年の『Play Blue (Oslo Concert)』をもって、その感受する力をそそぎつづけた音楽活動に終止符を打った。私はねぎらいのことばをかけられるほど熱心なリスナーではなかったかもしれないが、それでも、針を落とせば、ポール・ブレイのすべてに耳を傾けることができる。(了)

 十代は懐がさびしいので湯水のごとく音楽に金を使うわけにはいかない。いきおい、ただで聴けるラジオがことのほか大切になる。彼とのつきあいは短くない。年端のいかないころにさかのぼるので、幼なじみ同然、長じて友人、ほとんど恋人。とはいえ、性交するわけではないので親友くらいで手を打ちたいが、友だちのだれよりもいっしょにすごす時間は長かった。中学にはいるころにはいくらか距離ができて、好きな番組を選んで聴くようになった。NHK FMのバラカンさんや渋谷陽一氏、同じ時間帯のヒット曲のリミックス中心の番組(DJは失念)と、日曜夜の「現代の音楽」は欠かさずエアチェックした。テーマ曲であるヴェーベルン編曲のバッハ「6声のリチェルカーレ」につづき、上浪渡さんの「現代の音楽です」のナレーションが入ると、寝床のなかで居住まいを正したものだ。60分テープに録音しつつ耳を傾けながら気づいた朝のこともしばしば、私にとってブルーマンデーの足音を告げるのは「笑点」でも「サザエさん」でもなく(そもそもテレビがなかった)、ヴェーベルンのバッハだった。
 テープを聴きかえし、インデックスをつくるのは翌週の課題である。多くの作曲家の名前と曲をこの番組で知った。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」をはじめて聴いたのもこの番組だし、諸井誠、湯浅譲二、松平頼則、伊福部昭等々、日本の作曲家が印象に残っているのは、記憶の捏造かあるいは文化振興の意図からそうなっていたのかもしれないが、ケージ、メシアン、ナイマンもこの番組で知ったし、ノーノの「ガルシア・ロルカの墓碑銘」のガルシア・ロルカが聴きとれず、二十代までそのナゾが解明しなかった面目ない経験もしたが、現代音楽ないし前衛と呼ばれた(録音物としての)20世紀音楽は私にとって、ロック、ジャズやポップ・ソングなしいそのリミックス(クラブミュージック)と同列の刺激的な響きのひとつだった。その発見はなににもかえがたい、(音の)世界の広さに戦くことであり、音楽は学校で学ぶ音楽がすべてではないとほのめかすばかりか、音に不協和の関係など存在しないと(なかばあやまった)考えに開眼するきっかけだった。そこから、自作テープの編集が高じてのテープ・コラージュやカセットデッキの倍速ダビング機能の誤用、レコード・プレイヤーの回転数の意図的なとりちがえ、ラジオ、無線といった放送の音質そのものを音楽的に聴くハンドメイドの聴覚実験まではひと跨ぎである。私をふくむ健全な男女のだれもがそんなことにかまけたのが20世紀であり、いくつもの戦争に縁どられたこの20世紀を俯瞰し、二次大戦の前後でそれを劃する象徴として、音楽史──ここでいうそれは西洋音楽のそれであるが──にあらわれるのがピエール・ブーレーズである。
 1925年、仏モブリゾンに生まれたブーレーズはパリの高等音楽院でメシアンらに学ぶも中退、終戦の年、二十歳を迎えた彼は「12のノタシオン」を書きあげている。この短い断章めいたピアノ曲は名刺代わりともいえるもので、後にオーケストラ用に編曲され巨大化するこの作品をきっかけにブーレーズは20世紀音楽の重要作を江湖に問いはじめる。「婚礼の顔」「ピアノ・ソナタ第2番」「構造Ⅰ」、「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」──シェーンベルクの十二音技法を補足するとともに進化させたトータル・セリー(総音列)はものの本によく出てくるので、耳なじみの方も多いと存ずるが、平均律内の1オクターヴ内の半音をふくむ十二の音を平等かつ過不足なく用い完全な調和を目す十二音技法では満足できない、音価や強弱などのニュアンスまでパラメーター化し統治するのがトータル・セリーであり(乱暴な要約だが)、ブーレーズは自身の、というより20世紀のピアノ曲を代表する作品のひとつである「ピアノ・ソナタ第2番」(1948年)でシェーンベルクとの訣別を目した、とみずから語るように、その先に踏み出していく──のだが、私は思うのだが、「ピアノ・ソナタ第2番」にコーダにドイツ語の音名による「BACH」のアナグラムがあらわれるのとおなじく、シェーンベルクが最初の大機規模な十二音技法の作品「管弦楽のための変奏曲作品31」(1926〜28年)の基本音列の最後に「HCAB」つまりバッハの逆行形を置いたように、ブーレーズのいう訣別とは鏡像的な結びつきを意味するのではないか。ともに作曲家で指揮者であり教育者であるふたりは20世紀を前後に分かつ境界線上で対峙する(シェーンベルクが死んだのは1951年だ)だけでなく、音楽史上最大の巨人バッハを影に日向に志向し思考することで、前衛は古典との偏差のかぎりでの前衛であると彼(ら)はいいたがっている(「現代の音楽」のテーマがシェーンベルクの弟子であるヴェーベルンが編曲したバッハであるのも暗示的である)。本稿ではナイマンの著書『実験音楽』にならって、前衛と実験とを区別しているが、ブーレーズにはたとえば、ケージの偶然性を「管理する」など、完璧主義者の側面があり、その厳密さは旧作の改訂につながり、ダルムシュタットなどでの後進とのかかわりでは導きの光となり、マーラーやヴェーベルンのすべての交響曲の録音をのこした卓抜なタクト捌きにも実を結んだ(いまは指揮者のほうのファンが多いと思う)。行政官としても、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)の初代所長となり、リアルタイムでの音響処理できる高速コンピュータ「4X」の開発が、みなさんご存じの「Max(Max/MSP)」につながった経緯もある。「レポン」や「...explosante-fixe...」はいまや超然としたところがかえって古きよき時代を思わせ牧歌的だが、ブーレーズがいなければ、リチャード・D・ジェームスはミュージシャンになれなかったもしれないしIDMは流産したかもしれない。フロリアン・ヘッカーは「ele-king」Vol.7のインタヴューで、音楽の複雑さを例証するにあたり、ブーレーズとクセナキスを対比している。さらにポピュラー音楽とのかかわりつけくわえると、1976年に創設した現代音楽の室内オーケストラ、アンサンブル・アンテルコンタンポランを率い、フランク・ザッパの筆になる「パーフェクト・ストレンジャー」を振ったのは84年。ヴァレーズ、ストラヴィンスキーとともに「ル・マルトー・サン・メートル」をフェイヴァリットにあげるザッパの、当時の現代音楽の水準でいえば時代がかかった、しかし生粋の現代音楽の作家にないユーモアをひきだしたブーレーズの手腕には、ザッパ・ファン、ロック・ファンのみならず、タイヨンダイ・ブラクストンも目をみはるにちがいない。
 ことほどさように、広範な視野と豊富な語彙、音楽史の弁証法を信じながら古典あるいは西欧の美学の風合いを失わないたたずまいは20世紀音楽の最後の巨星と呼ぶにふさわしい。そのブーレーズが歿した。今後おそらく彼のように多面的に音楽を体現する作曲家はあらわれまい。ファーニホウやラッヘンマンがそうなれるとは思わない。ミニマル、ポスト・ミニマルの方々はどうだろうか。それとも、そもそも私たちはそのようなひとの必要ない時代に生きているのか。20世紀がまた遠のいた? そうかもしれない。ところが遠のけば遠のくほど道のりを踏みしめる楽しみは増さないともかぎらない。ブーレーズはその道の向こうにかすかに見える指標のようなものだ。それはこの平坦な時代に隆起した山のように見えなくもないし、行けども行けどもたどりつけない城のようなものでないとはだれもいいきれない。(了)


Loe(SPECTRUM) - ele-king

SPECTRUMらしい10曲:2015

Swindle & Flava D来日公演 - ele-king

 2015年にリリースされた『PEACE,LOVE & MUSIC』で、堂々と新たな一歩を踏み出したスウィンドル。同作は自身のルーツのひとつであるグライムを軸に、ジャズ、ファンク、ワールド系の音までも取り込んだ秀逸な1枚だ。あの壮大な音絵巻をDJでどうやって披露するのか、期待して待ちたい。ともに来日するフレイヴァDのストリート感覚が全面に出た、UKの現在を体現するかのようなセットにも要注目。さらに、東京公演にはふたりが所属するレーベル〈Butterz〉の創設者、イライジャ&スキリアムの出演が急遽決定。UKアンダーグラウンド・シーンを先導するクルーを体感できる貴重な一夜となるだろう。
 スウィンドルとフレイヴァDは東京、名古屋、大阪の3都市をツアーする予定。パーツ―・スタイル、沖野修也、クラナカなど、各公演には強力なゲストDJたちが集う。

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
グライム/ダブステップ・シーンの若きマエストロ、スウィンドルは幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。09年には自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年のアルバム『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。14年のシングル"Walter's Call"(Deep Medi/Brownswood)ではジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮。そして15年9月、過去2年間にツアーした世界各地にインスパイアされた最新アルバム『PEACE,LOVE & MUSIC』(Butterz)を発表、新世代のブラック・ミュージックを提示する。

Flava D (Butterz, UK)
名だたるフェス出演や多忙なDJブッキングでUKベースミュージック・シーンの女王とも言える活躍を見せるFlava Dは2016年、最も注目すべきアーティストの一人だ。
幼少からカシオのキーボードに戯れ、14才からレコード店で働き、16才から独学でプロデュースを開始。当時住んでいたボーンマスでは地元の海賊放送Fire FMやUKガラージの大御所、DJ EZの"Pure Garage CD"を愛聴、NasやPete Rockにも傾倒したという。2009年以降、彼女のトラックはWileyを始め、多くのグライムMCに使用され、数々のコンピに名を残す。12年にはグライムDJ、Sir SpyroのPitch Controllerから自身の名義で初の"Strawberry EP"を発表、13年からは自身のBandcampから精力的なリリースを開始する。やがてDJ EZがプレイした彼女の"Hold On"を聴いたElijahからコンタクトを受け、彼が主宰するButterzと契約。"Hold On/Home"のリリースを皮切りにRoyal Tとのコラボ"On My Mind"、またRoyal T、DJ Qとのユニット、tqdによる"Day & Night"等のリリースで評価を高め、UKハウス、ガラージ、グライム、ベースライン等を自在に行き交うプロダクションと独創的なDJプレイで一気にブレイクし、その波は世界各地へ及んでいる。

ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)
UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。イーストロンドン出身のふたりは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!


Various Artists - ele-king

 2015年に日本でもっとも売れた洋楽はビートルズだと誰かから聞かされたとき、反射的に落胆を隠せなかったその一方で、別の機会に誰かからBlackLivesMatterはインターネット時代のブラックパンサー党だと聞かされたときは妙に納得してしまっている。前者は古くノスタルジアで、後者は新しくアクチュアルだと、そう解釈したのだろうけれど、「ブラックパンサー党」という光も影もあるこの比喩をいま使われることとビートルズというロック・バンドがいまでも売れることは、考えようによっては実は矛盾していない。要するに、いまでもともにパワフルなのだ。
 SEALDsを話題にするとき学生運動がピークを迎えた1968年という年号が出てくるように、ゲイの歴史を紐解けばその権利を主張した1966年という年号を知る。フェミニズムもそうだし、リベラルと若者文化、そして消費文化とテクノロジーの進化とともに発展するポップ・ミュージックに関してもそうだ。つまり60年代とは、いまだ“現在”にリンクした過去であり、そして60年代とは、未来にリンクしていた“過去”なのだ。それはポップ黄金時代の10年である。ジョン・サヴァージは、そのディケイドの高みを1966年とする。

 ジョン・サヴァージは、個人的に好きな音楽ライターのひとりである。彼の著書『イングランズ・ドリーミング』は、戦後の旧・自由主義の所産であるポップないしは若者文化の限界を試すかのように、否定の力で時代に風穴を開けたセックス・ピストルズとUKパンクが、新・自由主義(=サッチャー)の出現のなかで敗北していく様を描いている。パンク通史としては、もっとも評価の高い本である。
 その後サヴェージは『ティーンエイジ』なる大作を著しているが、ぼくはちゃんと読んでいるわけではない。が、18世紀文学のゲーテ「若きウォルテの悩み」(作品に共感する若者たちの自殺を促した作品である)にはじまり、ズートスーツ・ライオット(世界で初めてファッション・スタイルの名が冠せられた暴動)までを描いたそれは、言うなれば、ビートルズやセックス・ピストルズが与えた影響についてのものではなく、ビートルズやセックス・ピストルズに与えた影響の源流を探っていくものなのだろう。そして、サヴェージの近著が『1966』であり、本作は著者が監修したCDというわけだ。

 『1966』も本を読んでいるわけではないが、これまた察するところ、サヴェージはその年が西欧社会における戦後の旧・自由主義のひとつのピークと見ているのだろう。ビートルズが『リヴォルヴァー』を出した年であり、ローリング・ストーンズが「19回目の神経衰弱」を発表した年、アメリカではブラック・パワーの爆発すなわち「ロング・ホット・サマー」がはじまった年だ。JBがファンクを磨き、オーティスがシャウトし、モータウンがポップを量産し、NYではウォーホルの「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」でヴェルヴェッツが演奏し、かたやビーチ・ボーイズのドリーミーなポップソングがあり、合法だったLSDは加速的に広まって、政治とドラッグ・カルチャーと若者文化とポップ・カルチャーがリンクした年……である。

 CD版『1966』は、ヒット曲集ではない。その年を象徴する全48曲によって構成されている。収録曲のすべては7インチ・シングルで発表された曲(そのB面の曲もあり)で、バーミンガムのロックンロール・バンド、ジ・アングリーズの“The Quiet Explosion”からはじまる。この手の企画ものは権利の関係で自由に選曲できないものだが、この2枚組には、明確なコンセプトのもと監修者の豊富な知識が注がれ、ポップ革命に関わる1966年のシングル曲が小気味よく続いてく。
 ザ・ストレンジラヴの“Night Time”には週末の夜の熱気が描かれ、ニューヨークの黒人女性シンガーソングライター、ノーマ・タネガの“Walkin' My Cat Named Dog”にはフェミニズムが表現されている。後にセックス・ピストルズがカヴァーしたザ・フーの“Substitute”には10代の混乱と怒りが込められ、後にザ・スペシャルズがカヴァーしたレックス・ガーヴィンの“Sock It To ‘Em J.B.”では当時のDJスタイルのユーモアと活力が記録されている。
 ジョー・ミークのハウス・バンド、ザ・トルネイドースの「Do You Come Here Often?」では同性愛の暗喩が演じられ、ザ・サースティーンス・エレヴェイターズの“You’re Gonna Miss Me”は10代の青春ソングのなかにLDS体験をにおわせる。1966年には、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが最初のシングル「I’ll Be Your Mirror」をリリースし、デヴィッド・ボウイが最初の名曲“The London Boys”を発表している……。(以下、略。詳しくはブックレットのサヴェージ本人による解説を参照)

 1977年、シカゴにやって来たフランキー・ナックルズは、NYでは流行が終わった曲をかけたところ、ものすごい受け方をして、古い曲にもまだパワーがあることを実感している。これが1980年代におけるハウス・ミュージック誕生の伏線となる。しかし、それは12インチ・シングルの話。『1966』は7インチ・シングルの物語である。恋について歌おうが革命について歌おうが、怒ろうが悲しもうが、すべての曲は2分から3分で完結する。1966年とは、シングルがアルバムよりも売れた最後の年である。その文化はいまは失われてしまった。しかし、それ以上に失われてしまったものがある。もちろんÅ取り戻すことはできるだろう。『1966』には、ポップ・カルチャーにおける型を破ろうとする覇気、媚びることない攻撃的な態度、そして不信の念を一発で解決してしまう行動力と変革の夢……そういったものが収録されている。


※ちょうこの原稿の書いた翌日、リキッドルームでのKOHHのライヴを見た。それは確実に、未来にリンクする現在だった。

interview with Keiichi Suzuki - ele-king

“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

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鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon

『Records and Memories』について、たしかに男と女について語っているというのは、聴いていて感じましたね。そういう意味では女性コーラスの入れ方も念頭に置かれているのかなと。

鈴木:“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。

掛け合いソングですね。「男は黙って明日を待つんだ」っていう一節は、ちょっとした箴言を受け取ったような気持ちになりますね(笑)。

鈴木:そんな強いメッセージ性はないよ(笑)。

2曲めの“愛される事減ってきたんじゃない?ない”の「年取って 愛される事 減ってきたんじゃないないない?」みたいなフレーズは、ぼやきにも聞こえてきますが。

鈴木:それは(歌に登場する女性が)質問しているんだけど、その相手は他人かもしれないし、自分かもしれないし。

『図らずも朝夕45年』の1曲めには今作から“ひとりぼっち収穫祭”も入っています。

鈴木:この曲は内輪で人気が高いから入っている。それだけ(笑)。これはすごくややこしくて、女性が歌う歌詞なんですよ。嫌なちょっと怖い女のひと。

たしかに、「送り先は警視庁の遺失物窓口で なくした私を拾うのよ」って言ってる(笑)。女歌なんですね。

鈴木:女歌も久々に作りました。ムーンライダーズの初期のころはけっこうあるけどね。“夜の伯爵”(『ヌーベル・バーグ』収録)とか。

慶一さんにとって女性というテーマは大きいですよね。女性から受ける刺激もそうだし、傷といっていいかわからないですけど、精神的な打撃なども含めて。

鈴木:ははは(笑)。それは大きいですね。小学生のころに3、4歳年上のいとこがいて、ポップ・ミュージックを教えてもらったりとか、そういうのがあってね。通った学校すべてが男女共学で、女性が近くにいるのが当たり前だった。サッカーのあとは別だけど、飲みに行くことになって女性がいないと、帰っちゃったりすることもある(笑)。

女性がいないと楽しくないというより、不自然に思うんですね。

鈴木:なんかお尻が収まらない感じがするよね。人生の局面となるポイントで助けてもらったのは、おふくろだったりします。21年もマネージャーをやってくれているのも女性だし、女性の感覚が非常に大事なんですよ。

女性の感覚が非常に大事なんですよ。

ホモソーシャルな価値観がお嫌いなんでしょう。日本はいまだにホモソーシャルな社会で、そういう居心地の悪さみたいなものがあるように思いました。

鈴木:それはあるね。要するに、女好きとかそういうことじゃないんです。性的な差別もなくて、女性がいることが当たり前で、意見も普通に聞くし、話も普通にする。そういうのがいちばん日常的な場所。かつては男女がすべて同じだと思ってたの。でも90年代半ばくらいに、「男女に性差はあるんだな。でも同じほうがいいな」って、ちょっと変わるんだけどね。だから男らしくありたいとか、そういうことじゃないくて、性の違いはあるんだな、とは思った。それまで気づかないから、ちょっと奥手過ぎるんだけど。

女性には素晴らしいところがたくさんあるけれども、非常に付き合いづらいところもないわけではない気がするんですが、そうでもないですか?(笑)

鈴木:はははは(笑)。どうだろうねぇ。たまにはあるんじゃないんですか? そういうものもありつつ、重なるところもあって、お互いに距離もある。それで日々を生きていくことがいいんだと思うんだよね。

そういう気持ちが“LivingとはLovingとは”に入っている気がして、すてきな曲だなと思います。それから、曽我部くんとの三部作はコンセプト・アルバムの色合いが強くて、そういう余韻も今作には少し感じます。

鈴木:インストゥルメンタルの2曲め(“Memories”)とかは曽我部くんとやった曲に似ていたりもするんだけど。

“Records” と“Memories”という2曲のインストを入れるところが洒落てるなあ、と。

鈴木:あれは即興ですからね。一発ですよ。曽我部くんのときも即興はあったし、10分くらい録音していて、そこからいいところを選ぶ。そういういろんな手法があると思うんだけど、このアルバムのどこかにはそういう手法の集大成的な部分もあると思うよ。現在のテクノロジーでの最良の部分を使ってね。だからドラムも、あだち(麗三郎)くんが叩いている部分もあるけど、かなり自分で叩いているしね。ドラムを叩くっていうのは、ビートニクスだとまず考えられない(笑)。No Lie-Senseでは相当叩いている。それもあってこのアルバムでもドラムを叩いていて、そこに柴崎ディレクターとの書簡の交換により、「これは生にしたほうがいいんじゃないんですか?」ということになり、あだちくんに叩き直してもらったり。まさに「叩き直し」だなと(笑)。

「川面」と書いて、あえて「かわも」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。

全体的に、ひとつの映画をシーンごとに作っていくような感覚というのも感じられました。

鈴木:とくに歌詞作りの段階では、私の脳みそのなかの妄想は映像なので。(“My Ways” の歌詞の一節で)「窓面」と書いて「まども」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。だからみなさんがこの曲を聴き、歌詞を聴き、どう感じるかというのは、私の妄想なのでお好きなように受け取ってくださいと。

ちょっとテリー・ギリアムっぽいというか。『ゼロの未来』という彼の新作映画が今年日本でも公開されましたが、ご覧になりました?

鈴木:いや、観てない。

なかなかよかったです。主人公の中年男が天才プログラマーなんですけど、ひとと関わるのを拒んでいて。誰もいない教会で人生の意味を教えてくれる電話がかかってくるのを待ってるんですよね。ただ待っているんだけど、一方で“ゼロ”という数式を解こうとしてチャレンジしている。そこに女性が絡んできて、最後には人生の本当の意味に気づくという。主人公の男は世界に対しては諦念に満ちていて、いまさらどうしようもないし、変えようもない。教会の外に出てみるとあらゆるものが広告になっていて、これを買え、あれを買えとサインを送ってくる。ほとんど現在に近い近未来の光景ですけど。

鈴木:この前、テリー・ギリアムが演出していたオペラをテレビでやってたな。テリー・ギリアムっぽい作品だったね。

かなり慶一さんの世界とも親和性が高い監督ではないかと。“Sir Memorial Phonautograph邸”っていう曲も、ちょっとギリアムっぽいなと感じてました。

鈴木:基本的には、曲に全部仮題がついていて、“ホリーズ”とか“(ブライアン・)ウィルソン”とか。これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

曲に全部仮題がついていて、これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

最初にそういうイメージがあって、そこから画像が立ち上がってきて曲を作られることが多いのですか?

鈴木:うん。音を聴きながらね。他人に詞を書くときは、まだ曲が完成していない段階で頼まれるんですが、自分の曲の場合は、手がかりを作るには音を聴いていた方がいいんだよね。あと1曲、SEを入れちゃったんで、SE順に歌詞が出てくるやつもあります。“愛される事減ってきたんじゃない?ない”は最初にSEを入れたんですよ。まずは地下鉄の喧噪。自転車とか、車とか、バイクとか。それで権藤くんに連絡して、SEの順番を訊いたんです。その順に歌詞を作っていった。

それは初めにシナリオがあって、ということですか?

鈴木:そう。なんでこの音を入れたんだっけな、というのを歌詞を作るときに忘れちゃって困ったんですよ。そのときに、そうだ! SEの順番にしようと。“歩いて、車で、スプートニクで”(『アニマル・インデックス』/85年)の続編みたいなもの。

過去の作品の続編を作る、といった発想で曲を書かれることはけっこうありますか?

鈴木:ごくたまには、ありますね。続編というのは裏のテーマですけど。

今作のなかでは、“バルク丸とリテール号”というタイトルの意味も最初はわからなくて、「リテール」とか「バルク」という言葉を検索してみたりしました。そうしたら、「リテールは一般消費者向けの〈小売〉のことを指す。対義語はホールセールであり、いわゆる〈卸売〉を指す」とか、ようやく理解できる(笑)。

鈴木:たまたまコンピューターの部品を交換しなくちゃいけなくて、エンジニアの方とやり取りしていたの。MacBookの電源が壊れたので、品番で検索すればいいですよと。そしたら「バルク品」とか出てたの。知ってた?

柴崎:CDの業界だと、ケースがなくて筒の状態で盤だけで納品されることで、たぶん卸売用語でしょうね。

バルクは「ひとまとめ、一括するという意味。金融機関が保有する不良債権や不動産を第三者にまとめ売りすることをバルクセールという」(笑)。

鈴木:ケースなしってことだよね? バルク品ってことばを知らなかったから、そこで知るわけだよ。それで調べてみたら、反対がリテールだったの。これは使えるなと(笑)。

それでこの歌詞ができるって謎ですよね(笑)。

鈴木:それで渋谷の話になっている。秋葉原じゃなくてね。

渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。

渋谷が舞台の曲って他にありますか?

鈴木:『SUZUKI白書』に1曲だけあって(“GOD SAVE THE MEN -やさしい骨のない男-”)、これが続編なんですよ。渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。単にそれだけではじまったのね。

これはどの時代の渋谷ですか? やはり2015年、現代の渋谷ですか?

鈴木:うん。携帯もってるし。

この間、本当に久しぶりにB.Y.Gへ行って思ったんですが、20世紀に入って、渋谷にギリギリ残っていた、“記憶のなかの渋谷”と言うべき由緒あるスポットが、櫛の歯が欠けるようになくなっていって、公園通りのジァン・ジァンとか、あるいは松本隆さんが窓際の席で詩を書いていた桜丘町の喫茶店マックスロードとか、掛け替えのないものが消えてしまった。

鈴木:私もあそこで取材を受けました。ミュージック・マガジンが近くにあったので。

最後の砦は百軒店くらいかなと。

鈴木:しかしあのあたりも変わっているよ。変わっていないのはB.Y.Gとライオンだけだよ。あとはムルギーか。でも道を隔てた反対側は全部変わっているね。あそこは怪しげなバーだったんだよな。偶然にもあとで知ったんだけど、早めに亡くなった私のおじさんがあそこらへんに出没してたらしい。法事のときに80を過ぎたおじさんやおばさんに話を聴くのが面白いよね。それでできたのが、三部作の最後の『ヘイト船長回顧録』(11年)。「天ぷら学生」とか、知らないことばだったからね。だから、歌詞にすることばっていうのは決まっているわけじゃないんだよね。なんでもいいと思う。

“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。

今作では、やはり5つのパートからなる“Untitled Songs”がいちばん気になります。

鈴木:当初はパート1だけだったんだけどね。パート1は自分にとって濃すぎるんですよ。濃すぎたものの後ろに、ものすごく長いものを付けて別の状況をつけつつ、別の歌詞も入って、はじめに戻って終わるものにしようかなと思ったわけだ。

パート1だけだと、あまりにも濃すぎて、いろんな想いが溢れてライヴで歌うのが大変そうですね。

鈴木:でもやるかもしれないしね。ルー・リードがウォーホールを追悼したアルバム(ルー・リード&ジョン・ケイル『ソング・フォー・ドレラ』/90年)とかを思い出すね。

この“Untitled Songs”というタイトルは最初からあったものですか?

鈴木:最初から。初めはパート1だけは、「An Untitled Song」という単数形でメモったものがあるんですよ。でもそれはだめだったので、「un」をとって「songs」に。

「題無しソング」というフレーズには「台無し」という意味も含まれている気がするし、こうやってすべてを相対化するのも慶一さんならではというか。

鈴木:どうしてもそうしたくなりますね。あとは「かわす」とかね。本来はこれで終わる予定だったんですが、シナトラと呼んでいたもう1曲がラストに入っています。

この曲は本当に好きです。この“My Ways”って、本当に切ない、いい曲だなって。これを最後に置くのが、このアルバムのすてきなところだと思います。

鈴木:あの“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。最初から曲順も決めていて、最後かなと。しかも“Untitled Songs”の次なんじゃないかなと。それもわりと最後の方でできたんだよね。

これは歌詞が染みますよ。「これからの 毎日は お別れが 揃う 夜にさよなら 朝にさよなら 数えきれぬ エンドマーク 川面に並んでる 少し消え また増えて 末広がる」という1番の歌詞や、「今までの 毎日は 長い列をなし 背丈ほどが ぶら下がって 鉄路のように土の 一部となっている 何度 掘り返しても 唾を吐いても」という2番の歌詞には、大先輩の慶一さんから見ればまだまだ人生の何たるかを知っているとは言えない世代のぼくも、人生の後半にさしかかってきたので、とくに感じるものがありますね。

鈴木:私はあんなギターを普通は弾かないからね。これはAORな音にしようと。これを作ったときの裏話があって、これはディランの新譜のスタンダード・カヴァー集を小さい音で聴きながら、別の曲を作るというやり方なの(笑)。なかなかいいんですよ。隣でビートルズが聴こえているとき曲を作ったことがかつてあったけど、それが何なのか忘れちゃった。これは確実に、確信犯的にディランの新譜を小さくかけながら、キーボードで作っています。そっちを小さい音量でかけているから、こっちはもう少し大きな音量で弾いているんだよね。つまり情報が分断する。ディランも分断されるわけ。それで誤解して曲を作る。

今作は、1、2回聴いただけだと聴き手が混乱するアルバムかもしれませんが、何回も聴いているうちに愛着がもてる作品になるんじゃないかな、と思いました。

鈴木:ありがとうございます。歌詞カードを見つつ聴くとかね。

「莫漣」はわからなかったですね(笑)。

鈴木:そうだ、“無垢と莫漣”は、「丸ビルハート団」って呼んでいたんだ。検索していたら、丸ビルハート団っていう不良少女グループが大正時代にあったみたいで。丸の内のサラリーマンをひっかけて売春すると。この間、アーバンギャルドの松永天馬くんに丸ビルハート団のことを教えたから、次の作品にタイトルで出てくるかもな。天馬くんと話してるとKERAと近いと感じるね。軽音楽部じゃなくて、文芸部とか、そういう感じになる。

ムーンライダーズ活動休止後、初めてのソロということもあって、ご自身のなかで感慨がおありだと思うんですが。

鈴木:感慨はとくになかったね。これを作り終わってから、ライヴのプレミアムシートに配る7インチ用の2曲を作ったので、私のなかの最新作はもうそっちになっているんだよ(笑)。辛かったのは、最後の歌入れと歌詞のところかな。ちょっと別の仕事とダブっていたのでね。でもユニットとか、プロデューサーがいるのと違って、セルフ・プロデュースの不安はものすごい。いまだに不安だけど。

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これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。

曽我部くんと慶一さんがいっしょにやると初めて聞いたときに、なんて絶妙な組み合わせを考えるんだ! と思いました。曽我部くんにとっては大先輩だけど、慶一さんとは人間的にも音楽的にも親和性が高いだろうから、変な遠慮なしに融合できるんじゃないかなと。

鈴木:たしかに曽我部くんに遠慮はなかったね。こちらも曽我部くんが言うんならそうなんだなと思うもん。

彼は、はちみつぱいから慶一さんの音楽を好きになっているので、それがかなり大きいのではないかと。どこから入るかでだいぶ感覚が違いますから。

鈴木:これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。ピアノのところにソロで座っていて、チェックのシャツを着てるんだよ。「あ、これははちみつぱいのころの俺の写真だ」と(笑)。まさにそれだと思ったの。

彼がライヴでカヴァーしているはちみつぱいの曲が、“僕の倖せ”だったりするのが、なおおもしろいなと(笑)。あれは慶一さんではなくて渡辺勝さんが歌っているフォーキーな曲。自分が歌って似合う曲を選んでいるんですよね。ムーンライダーズの曲からは「スカンピン」を歌うとか。三部作の最初のアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)がレコード大賞の優秀アルバム賞をとったことにびっくりしたんです。「レコ大ってそんなにロックに理解があったっけ?」と驚きましたね。

鈴木:私もソニーの方に「ノミネートされてますよ」って言われて、「あ、そう」って思っていたんだけど、優秀アルバム賞だったから「えー」と。私もすげぇビックリした。翌々年に細野(晴臣)さんとか大貫(妙子)さんとかも受賞したよね。なんかハナレグミをきっかけにそういう流れができたね。それで、賞を授与される式に行ったの。そしたら曽我部くんは革ジャンで来てさ。ふたりでもらうんだけど、レコード協会の会長さんがね「毎日聴いております」って言うんだよ。「ありがとうございます」って返したけど、なんで毎日聴くんだろうな、と(笑)。「最後に鴨長明の『方丈記』の一節を入れたせいだ」とかってふたりで言ってたんだけど(笑)。審査員の作曲家の三木たかし先生が推してくれたらしいんだよ。あのあと亡くなってしまうんだけど、病床ですごく聴いていたというお話は聞きました。

レコード大賞とムーンライダーズはあまり接点はなかったのに、ムーンライダーズではなくて、ご自身のソロ作品で賞をとったのは、やはり不思議な感じですか?

鈴木:不思議。「まさかぁ」って。挨拶が「おったまげー」ではじまりますから。便利なのが自分のプロフィールで4行はいけるぞと(笑)。あとは同総会に出たときの他人の目が変わるくらいだよ。そこで変わっちゃいけないんだけどね。

ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。

次は映画音楽でそういう慶事があるといいですよね。

鈴木:すげえうれしかったのは、シッチェス・カタロニア国際映画祭っていうスペインの映画祭で最優秀映画音楽賞をもらったんだよね。北野武さんの『座頭市』で。それに出演していた浅野忠信さんが行ってトロフィーを持ってきてくれたの(笑)。そのトロフィーがいかしてるんだよ。『メトロポリス』(27年/独/フリッツ・ラング監督)の(ヒロインの)マリアみたいなんだよね。それからなんの縁か知らないけど、アメリカ人から映画音楽を頼まれてね。これはいまだにどこにも発表されていないんだけど、それは去年。完成した映画を観てみたんだけど、変な映画だったなぁ。

それはホラーですか?

鈴木:ホラーではないね。女性ふたりがいて、ひとりが森を観測していて、もうひとり灯台守のじいさんがいなくなっちゃう。それでもうひとりの女性が森を観測する装置を守るみたいな話。なんか不可思議だったんだよね。

そんなふうにアグレッシヴにお仕事を受けるのは、やはりワーカホリックということでしょうか?

鈴木:ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。その映画の試写会をアメリカでやったときに、ニューヨークの知り合いが見に行ったんだよね。そしたら「変な映画だなぁ」っていっていたけどね。映画を作ったひとが『マザー』を好きらしいんだよ。あと日本の音楽に詳しくて、メモがいろいろあったね。なんであれがウケたんだろう。

インターネットの時代になってから、海外のひとたちが日本の音楽を発掘しはじめて、レコードを探していますね。

鈴木:そういう外国の友人がいたりするね。日本に来てSP盤を買い漁って帰ったりとか。

それこそムーンライダーズとか、日本のポップ・ミュージックを聴き込んでいるひとが海外に現れたと思うんです。

鈴木:逆もあるよね。そのへんのボーダーレス状態はインターネットが推進していると思うけど。おもしろいけど、記録が多すぎるといえば多すぎる。

いまは自分の基準が見えなくなっているひとが多くなっているかもしれないですね。

鈴木:基準が見えないところで何が生まれるかっていうのは興味深いけど。

60年代は世界中、ビートルズが基準だから、わかりやすかったですよね(笑)。

鈴木:そうそう(笑)。ビートルズが基準で、70年代はそれがなくなって非常に困るわけだよ。そのときに違うヒーローが生まれるわけで、ミュージシャンのなかではザ・バンドとか。ストーンズは相変わらずやっているし。私は一応基準があった時代にいましたけど、いまではCDを買う基準とかはとくにないね。でもビートルズ『1』がブルーレイで出たら買っちゃうけどさ。ディランのあんなに高いブートレック・シリーズの最新作とかも2万円だけど、買っちゃうなぁ(笑)。グレイトフル・デッドのライヴ音源はCD80枚組とか出てるよね。

亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。

日本のポップ・ミュージックを俯瞰で見て、出発点にグレイトフル・デッドがあるひとが海外に比べて少ない気がして、デッドとマザーズがスタートラインにあった慶一さんはそこが大きいポイントだと思います。

鈴木:亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。「はいそうです」って答えるしかないよね。

はっぴいえんどの入団試験に受からなかったのは、それも理由のひとつだったんでしょうか。

鈴木:はっぴいえんどは酒を飲まないからな。それはけっこう大きいですよ。俺らは酒を飲むためにライヴをやっていたようなもんだもん。

今度出る本の話もうかがいたいんですけれど、どうやって作られたんですか?

鈴木:本はインタヴューです。まだ作業中なので内容は見えないんですけどね。いま、ビートニクスとか、作詞についてとか。あとは機材とか、食べ物とか。そういったところに焦点を当てて私が語るものになる予定です。

ソロに絞ったものなんですか?

鈴木:ムーンライダースについてのインタヴューもありますね。3枚組のアルバムと対をなすイメージですね。

他のひとへの提供曲についても語っていますか?

鈴木:それはなかったな。途中なので何ともいえないんです。すいません。

あまり個人史的な本ではないんですか?

鈴木:それも語っているけど、どの部分をピックアップするかによりますよね。王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。サッカーとか話したら話が長くなっちゃうからね(笑)。でも全部並列だよ。男女もサッカーも。

王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。

では、恋愛の話もけっこうされている?

鈴木:してるね。恋愛の話に興味もってない?

いやいや(笑)。余談ですが、慶一さんは『ウルフェン』(81年米/マイケル・ウォドレー監督)というホラー映画がお好きだと。この間、『70年代アメリカ映画100』(13年/芸術新聞社)という本で慶一さんと対談させていただきました。主編者の渡部幻くんも『ウルフェン』が好きで、『ウルフェン』がツタヤ限定でDVDが出ていると慶一さんにお伝えしてください」と言っていました(笑)。

鈴木:わかりました(笑)。覚えておきます。

あれは『ウッドストック』の監督、マイケル・ウォドレーの唯一の劇映画なんですよね。狼男ものとエコロジーが混ざってる不思議な作品。そういう変わったセレクションが、慶一さんの映画談義には出てくるので楽しいです。

鈴木:『トランザム7000』(77年米/ハル・ニーダム監督)のテーマをTBSラジオでかけるからね(笑)。

この間、B.Y.Gにうかがったときの1曲めが、『トワイライト・ゾーン』(60年に日本テレビで第1シーズンが放送された際の邦題は『未知の世界』。ホスト役のロッド・サーリングの声の吹き替えを鈴木慶一氏の父君、鈴木昭生氏が担当した。61年から67年までは『ミステリー・ゾーン』と改題されてTBSテレビで放送された)のある回(第92話「死ぬほど愛して Come Wander With Me」)で、カントリー歌手が歌を探しに旅に出て、そこで出会った歌だと。そういうところからカヴァーする曲を選ぶのが慶一さんらしいなと思って。

鈴木:『ブラウン・バニー』(03年米/ヴィンセント・ギャロ監督)でヴィンセント・ギャロが使ってるね。あのサントラに入ってるよ("Come Wander With Me"/JEFF ALEXANDER)。音の現物として初めてちゃんと聴いたのはそれです。曲自体は覚えていたけど、ギャロが使っていてビックリした。それで音源も手に入ってよかったね。それから運よく『トワイライト・ゾーン』の再放送をエアチェックしていました。

密かにカヴァーしたいそういう曲もけっこうおありになるんですか?

鈴木:まだ探しきれていない曲が記憶にはあるよね。これだけは見つけないと、死んでも死に切れないぞと。

そういう曲をあつめてカヴァー集とか出されると楽しいですよね。

鈴木:手に入るまではわからないんだよね。東京太郎という私の変名では、河井坊茶さんの“吟遊詩人の歌”をやってますけどね。子どものときから頭のなかで鳴っている曲だったんだけど、三木鶏郎さんの曲だとわかった。

『Musicshelf』の「鈴木慶一のルーツを探る10曲」と題するプレイリストのなかに、細野さんから教えてもらった曲というのがありましたよね。

鈴木:あれは口笛の曲なんですけどね。おやじの劇団員のひとたちと海へいっしょに行くと、ウクレレでずっと弾いてたのね。あの曲なんだろうなって思っていて細野さんに訊いてみたら、「いま口笛で吹いてみ」といわれて吹いてみた。そしたら「『パペーテの夜明け』だよ」ってね。『南海の楽園』っていうイタリア映画(63年)のサントラだと、あとで知るんだけど。すみやっていうサントラ専門店が渋谷にあったでしょう? そこの店長さんとお客さんの懇親会みたいなのがあったの。そこに俺は行ったのよ。それで「頭のなかで電子音楽が鳴っているんですけどわからない」っていったら、「これじゃないですか?」ってデヴィッド・ローズを教えてくれたんだけど、それだった。各ジャンルのオーソリティがいて、そのひとたちにわからない音楽を訊くとすぐに教えてくれる。あれはありがたいね。

それもひとつの“レコード・アンド・メモリーズ”という感じですね。

鈴木:自分のなかだけで自分の謎が解けていく、みたいな感じだよね。まだまだありますよ。子どものときに観たアメリカのテレビ番組とかね。

ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。

さっき細野さんと大瀧さんの話が出ましたが、出発点ではっぴいえんどと出会われて、ライヴにキーボードで参加されたり、もしくはメンバーにならないかという話も出たほど、慶一さんははっぴいえんどの近くにいらっしゃったわけです。細野さんと大瀧さんだと、どちらの方から大きい影響を受けられましたか?

鈴木:(即答で)両方。大瀧さんに「お前は細野派だろ?」っていわれるのも嫌だし(笑)。

最初のころ、歌い方はかなり大瀧さんに近かったという有名な話もありますが、両方から同じくらい影響を受けられたのですね。

鈴木:あの4人から影響を受けていますよ。大瀧さんからはときどきメールが来たり、何か意見を言われたりしてね。バッキングをやるときのリズム・セクションの作り方は細野さんから学習した。リズム・セクションから作っていってギターを決めていく。まるでポール・バターフィールドみたいだと思っていた。大瀧さんは4人の生ギターを聴いて、「お前、2弦が鳴ってないよ」って言い当てる(笑)。そこまで聞こえてないんじゃないのかって思うんだけど、ひとりずつ弾かせてみると2弦が鳴ってないんだよね。そうやってひとりずつを追求していくんだよ。奇しくも、ニューオリンズのリズムを強力に取り入れたものを、同じ時期にふたりとも作ったね。

ニューオリンズへの着目は、おふたりともかなり早かったですよね。

鈴木:ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。あれはまさに72年だな。ヒッピーみたいに集団生活をしていたころ。レコードが大量にあったので、ベースの和田くんが高円寺で「ムーヴィン」という店をやっていて、なんでもあったわけだよ。そのなかに『ガンボ』もあった。

松本隆さんからはどのような影響を受けましたか?

鈴木:隆さんとはいっしょに歌詞を作ったりしている。あがた(森魚)くんの“キネマ館に雨が降る”という曲の歌詞を共作しているんですよ(74年、松本隆プロデュースによるセカンド・アルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』に収録)。時間軸と地平軸で歌詞が飛び回るんだ。自由にいちばん飛び回れたらいい歌詞なんだよ、と隆さんに言われて。そのときに見せてもらったのが“驟雨の街”だったのね。感想を訊かれて、「すごくいいなぁ」って答えたら、「はっぴいえんどが再結成したらこれをやるんだよ」って言ってましたね。そのあと一回録音して、この前のトリビュート盤(『風街であひませう』/15年)で初めて発表されたよね。あれは72、3年だ。

鈴木茂さんとは同い年ですが、どのような影響を受けましたか?

鈴木:あのあたりに同い年が多いんだよね。林立夫とか、松任谷正隆とか。やっぱり茂の影響はギターだよな。なんでこんな音が出るんだろうっていうロングトーンを出していたから。ライヴだとギターばっかり聴こえるの。のちのちだんだんスライドギターになっていって、ソロでは完全にスライドが中心になっていったよね。『風街ろまん』に茂が歌っている曲があるけど(“花いちもんめ”)、あれを初めて聴いたのは隆さんの家でだった。たまたま隆さんの家にいたんだよね。「これ誰が歌っているかわかる?」「えっ、隆さん?」「違うよ。茂だよ。」って話をしたのを覚えてるね。はっぴえんどに限らず、他のミュージシャンの曲を早めに聴けたんだよ。あれは百軒店時代と言えますかね。リトル・フィートがいいっていうと、バーっと広がる。口伝えだよね。それで実際に聴いて広がっていくんだから。そういう店もあったということですよね。

最近よく思うんですが、その時代のことを誰かがちゃんと映画にしたらおもしろい作品ができるのに、それを作れそうな監督が日本だと思いつかなくて。

鈴木:あのディランが最後に出てくるやつみたいに?

そうです! 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(13年米/コーエン兄弟監督)。まさにそれです。ああいう映画がいつまで経っても日本でできないのは悲しいです。

鈴木:ああいう映画を観るといいなって思うよな。そこにいる感じになるもんね。

70年代の渋谷百軒店って格好の舞台だなと思います。

鈴木:まだ残ってるもんね。B.Y.Gの地下は過去の写真をもとにして復元してるからね。

慶一さんが監督されてもいいんですよ?

鈴木:いや、私は映画はいいです(笑)。音楽を監修するのはいいけど。でもその百軒店のやつは自分と近すぎるから嫌だな(笑)。批評性を失うような気がする。

でも『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』のように半分ドキュメンタリーだけど劇映画で、ディテールをきちんと考証して作られた映画は海外にはたくさんあるのに、日本だとほとんど皆無なのは淋しくないですか。

鈴木:それは、でもさ、内輪のストーリーを知らないとね。誰と誰が付き合ってたとかさ(笑)。原作に協力はしますけど。

文句をいわれない原作をぜひ(笑)。

鈴木:作りませんが協力はします(笑)。誰か作ってくれたらうれしいけど。

interview with JUZU a.k.a. MOOCHY - ele-king

 新しい文化の交差点にぼくたちはいた。どんなことでも可能だった。睡眠など問題外。渋谷は世界の中心だった。ぼくたちは自分たちのやっていることに自信を持ちたかった。だが、はじまったばかりでは、どこにそれを実証する手立てはない。メディアもないから、自分たちで作るしかなかった。書く人もいないから自分たちで書くしかなかった。書くことは自分の混乱を整理するための作業だ。集中力なきものにモノは書けない。たとえ間近に爆音が鳴っていようとも、集中するのだ。

 狂気の時代の重要人物のひとり。わかるだろう、革ジャンに大型バイクという、典型的なロッカーズ・スタイルの若者がジャングルをかける……となれば、若さゆえの暴走である。しかもこやつときたら身長180は超えているし、体格もがっちりしている。前にも書いたように、初めてムーチーと会ったのは、渋谷のクラブの閉店後の明け方だった。96年? たしかそのくらいだ。閉店後の店の前の通りで、名前も知らない連中と喋っていた。しばらくすると、その晩のDJだったムーチーも店から出てきた。で、お互い挨拶してひとしきり喋った後、ヤツは大型バイクに乗って消えた。まだ20歳ぐらいだったな。
 それ以来、ムーチーは後ろを振り返らずに走っている。ムーチーからJUZUへと名前も変わり、JUZU a.k.a. MOOCHYとなった。


JUZU a.k.a. MOOCHY
COUNTERPOINT X

CROSSPOINT

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JUZU a.k.a. MOOCHY
COUNTERPOINT Y

CROSSPOINT

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WorldDeep HouseDowntempoDub

 JUZU a.k.a. MOOCHYの新しいアルバム──通算4枚目となるソロ・アルバムは、2枚同時発売の大作である。それぞれ『COUNTERPOINT X』と『COUNTERPOINT Y』という。集大成と呼ぶに相応しい2枚だ。それは、いろんな文化のフュージョン(結合体)であり、2015年の初頭に出たヴァクラのアルバムとも共通したユニバーサルな感覚がある。古代と現代を往復しながら、ジョー・クラウゼルの〈スピリチュアル・ライフ〉のように、トライバルで、ときに瞑想的。スピリチュアルで、ときにポリティカル(反原発のステッカーを貼って逮捕なんてこともあった)。だが、基本はオプティミスティックなエスノ・ハウス。
 
 まあ好きなようにやってくれといった感じである。ムーチーは、90年代にぼくが追っかけたDJのひとりだ。彼は、ほかの何人かの肝の据わったDJがそうであるように、いまも彼自身の道をひたむきに突き進んでいる。この時代、ある意味リスキーな生き方だろう。渋谷は浪費文化の中心となって、若者が住める場所でなくなって久しい。ムーチーは一時期福岡に移住したり、あるいはまた東京に舞い戻ってきたりと、やはり何人かのDJがそうであるように、漂流の人生を歩んでいる。いろいろあったのだろうけれど、それらの経験が音楽に反映され、いまも前向きさを失わずに走っていることが、ぼくには嬉しい。


自分にとってのワールド・ミュージックとは、先祖から伝わるもので、もしくはその楽器や演奏法に、現在の西欧楽器中心的な考えとは違う発想で演奏されている音楽をワールド・ミュージックとして思っています。

2枚組で、『COUNTERPOINT X』、『COUNTERPOINT Y』というタイトルで出した理由を教えて下さい。

Juzu a.k.a. Moochy(以下、JAKAM):2枚組、厳密には2枚同時発売だけど、そうなった理由は今年1月から東洋化成というアジア唯一のレコード・プレス会社とタッグを組んで毎月1月11日、2月11日、3月11日……と、それを9ヶ月続けてリリースした流れがあって。アナログ9枚に収録された18曲をリリースする上で、曲を短くして1枚に収めるより、ある程度原曲に近い形でCDというフォーマットでみんなに聴いてもらいたいという考えから、2枚になりました。また、「COUNTERPOINT EP」というタイトルでシングル・レコードを出していたのも、『COUNTERPOINT』というタイトルでのアルバムをリリースする計画が5年以上前からあったから。逆説的ですけどね……。

しかし、スケールの大きなアルバムだね。

JAKAM:まあ(笑)。

制作には何年かかったんですか?

JAKAM:前作『MOVEMENTS』が仕上がるときには、すでに『COUNTERPOINT』というタイトルが思い浮かんでいましたね。なので、ある意味、5年以上前からはじまっているってことになる。具体的に言うと、その『MOVEMENTS』というアルバムに収録されていた“AL ATTLAL”──アラビア語で「廃墟」という意味ですが──という曲があって、それが今作に繋がるガイダンス(予兆)でしたよ。

廃墟?

JAKAM:そう、この曲は、アルジェリアの女性ヴィジュアル・アーティストが名古屋のトリエンナーレにて展示する作品のBGMを作るということで、DJ /トラックメーカーを探していて、自分が選ばれたことからはじまってるんです。そのBGMには、エジプトの、アラブの大女性歌手で、ウーム・クルスームの“AL ATTLAL”という人の曲の一部を使って、それをリミックス(解体/再構築)してほしい、という要望だったんです。ちなみに、その部屋にはアラビア語で「愛」と描いてありましたね。

ウーム・クル……?

JAKAM:ウーム・クルスーム。自分も長くレコードやCDなど様々な音源を聴いてきたつもりだったけど、ウーム・クルスームという人をまったく知らず……、驚愕でしたね。音楽的にも、人生というかメンタル的にも衝撃を受け、俄然アラブ音楽、中東の音楽に惹かれていったのは間違いない!
 で、その流れから西アフリカセネガルから日本に来て20年以上のパーカッショニスト、ラティールシー、そしてアラブ・ヴァイオリン奏者、及川景子と繋がっていったのは、今回のアルバムに多大な影響をおよぼしています。
 この流れがあって、2011年2月、単独でセナガルに乗り込み、ラティールの協力のもとセネガルでのレコーディングをはじめるんです。で、その経由地点であったトルコ、イスタンブールでBABA ZULAの前座DJをしたこともあって、先日来日も果たし、今回のアルバムにも演奏が収録されているYAKAZA ENSEMBLEのメンバーとも繋がる。かなり大きな影響がある時期でしたね。あと……このツアーから戻って来て1週間後に3.11が起きたんですけどね。

もうちょっと具体的に、そのウーム・クルスームのどんなところに衝撃を受けたんですか?

JAKAM:まず、彼女のYoutubeと音源が送られて来て、見て聴いて思ったのは、そのドープなヴァイブとその華やかさ、美しさですね。観客の熱狂ぶりも真剣に音楽を聴いているからこその盛り上がりで、いかにこの音楽が高度で、なおかつ大衆的かが伝わった。年配のおじさんたちの盛り上がり方がハンパないす(笑)。
 その後、及川景子さんと「アラブ音楽講座」をやることになり、いろいろと教えてもらい、情報もつかみ、また、現地で、とんでもないレベルの演奏家たちと触れ合うことになりますが、この映像は「アラブ音楽の深淵な響きを聴いた!」という最初の衝撃です。
 ちなみに個人的にはアラブという場所がたまたま? 古い文化がもの凄く多く残っている地域で、「そこに漂う古代の香り」、というのが厳密には自分にとってのアラブ文化の魅力ですね。またイスラームとは無関係ではないので、その漂う精神性、というのも感じていたのかもしれない。ちなみにウーム・クルスームは幼少からコーランを美しく詠む少女として有名だったというキャリアもあります。

なるほど。しかし、バイク乗ってジャングルかけてた20年前といまとでは、自分のなかの何が変わったと思う?

JAKAM:その頃は本当にろくでもない奴だったから(笑)。いまは少しは……まあ親にもなり……かろうじて(笑)、で、未来の心配をするようになったことが変わったことかもしれないですね。あの頃はかっこつけていたのかもしれないけど、若く死んで上等! みたいなノリだったと思いますよ。自分ひとりのことしか考えていなかったので、恐怖はあまりなかったんです。未来に関しても、自分が死んだ後の未来まで考えるようになったのは大きな違いなのかなとも思います。
 音楽的な好奇心はいまと変わらない気はしますけど……ちなみに、当時もジャングルだけはなく、様々なシチュエーションで様々な音楽をかけていましたし、聴きまくっていましたよ。週5回DJとかもよくあることでしたので(笑)。

前の取材のときもそんな話をしているんだけど、あらためて、ムーチーがワールド・ミュージックに興味をもった経緯について教えて下さい。最初は何がきっかけだったんですか?

JAKAM:今回の制作をする上でも、前作『MOVEMENTS』に収録された“R.O.K.”という曲でも使われた三味線の音は、ある意味逆説的にはワールド・ミュージックの前兆だったと思いますね。ただ、ワールド・ミュージックという言葉は、単純に海外の、世界の音楽ということじゃないでしょう。それでは、ジェイ・Zもスティーヴィー・ワンダーもFAR EAST MOVEMENTもワールド・ミュージックになってしまうし。現代の言い方でどう言われるかわからないけど、あらためてそのワールド・ミュージックという定義は再定義する必要があると感じていますね。
 個人的意見だけど、自分にとってのワールド・ミュージックとは、先祖から伝わるもので、もしくはその楽器や演奏法に、現在の西欧楽器中心的な考えとは違う発想で演奏されている音楽をワールド・ミュージックとして思っています。まあ、コンゴでデスメタルをやっているバンドはワールド・ミュージックとは言いがたいし(笑)。メキシコのヒップホップをワールド・ミュージックともあまり言わないでしょ。第三世界でやっていれば──この表現もBRICSとか登場している時代には陳腐ですが──ワールド・ミュージックとも言えない時代になっていますよね。
 自分はあらゆる場所の、あらゆる時代の音楽に興味はありますが、とくに古代からある音、単純にいえば、そこらじゃもう聴けなくなった音に深い関心があるんですよ。そういう意味で、自分の祖母が実家で自分の姉妹や親戚と集まって4人で花札をやって三味線を弾いて歌っていた光景や音は自分のなかでのワールド・ミュージックということになるんですよね。
 またちなみにその祖母は血は繋がっていませんが、多大な影響をおよぼした他人でもあり、2年前に亡くなりましたが、いまも先祖と思い、感謝しています。その三味線も遺品として頂きました(笑)。

今回のような、多様な文化のとの混合にどのような可能性を見ているのでしょうか?

JAKAM:客観的というより主観的に、自分個人の欲求として「誰も聴いたことがないのに懐かしい音楽」を感じたい、作りたい、作ることに関わりたいと思ってますけど。余談だけど、今回のアルバムにも使わせてもらい、ヴァイナル「COUNTERPOINT EP.1」にも作品を提供してくれた鈴木ヒラク君とうちの自宅スタジオで以前話したときに、彼が面白いことを言ってたな。彼は「誰も観たことのない、人間が描いたとは思えないような絵を描きたい」と言っていたんだけど、巡り巡るとその発想はお互い行き着くところは近いのかもしれないね、と話していたんですよ。アートとは何なのか、とまではここで言及できるわけではないけれど、誰もが面倒だったり、危険だったりする様な領域まで肉体的にも精神的にも追い込まないと、それ相応の報酬は受け取れないのかなとも思いますね(笑)。
 なので、可能性があるとかないとかいうよりは、これは欲求です。情熱です(笑)。そこには打算はないです。

ある意味で、言ってしまえば民族音楽をミックスボードに繋いでミキシングしていくような、いまのムーチーのスタイルを形成するにいたった、もっとも大きなきっかけは何だったんでしょうか?

JAKAM:スタイルというと広義だと思うけど……、音楽活動的にもまずは友人関係があってできるもので、その人間には相当恵まれていると思う。自分自身はガサツでその関係をすぐ壊しそうになりますが(笑)。ともかく、人の繋がりで音楽というフィールドができ上がりますし、それを意識したかしないか自分でも定かではないけど、JUZU(数珠)やNXS(連鎖)など連なるものに意識はあった。答えにはなっていないけど、そういう考えや想いのなかで意識的に生きるようになったのは、21、22歳くらいだったかな……。
 当時は学生を辞めたばかりで、音楽である程度稼げるようにはなっていたけど、まだギターアンプのローンもほとんど支払っていない状態で(笑)。でも、やっていたバンドが解散して、DJが忙しくなって、レコード会社の人や業界の人ともいろいろ会ったり、ただ楽しむためにやっていたことが仕事になりはじめてきて、バンドではなくひとりで金を稼いで、自分の評価があくまで個人に向けられたとき、孤独も感じました。
 そういうこともあって、また人と一緒に音楽をやりたいと思って、その当時、新宿にあったリキッドルームの山根さんが「(DJではなく)バンド/ライヴでやってほしい」とオファーがあったか、勝手にやらせてもらったのかも定かではありませんが(笑)、たしか、90年代半ばのマッド・プロフェッサーの来日のときでしたね。その頃くらいから積極的に民族音楽系の楽器を扱うミュージシャンたちと触れ合うようになったんです。民族音楽は好きで聴きまくっていましたし、DJでもかけまくっていましたが、実際に音楽を作っていくという起源はそこかもしれない。初めて思い返しました(笑)! ありがとうございます(笑)。

けっこう、じゃあ、もう、本当に初期からだったんだね。

JAKAM:そうっすね。

クラブ・ミュージックというより、音楽とともに生きたいという想いは募るばかりでございます(笑)。それはクラブでもいいですし、家でも野外でもいいですし、国内でも海外でも、時間や空間を超えて、永遠に繋がる瞬間に出くわしたいですね。スピ系として(笑)。

ジョー・クラウゼルの〈スピリチュアル・ライフ〉と比較されるのは嫌?

JAKAM:嫌ではないですよ! 先日ニューヨークのブルックリンで、9.11にホッタテLIVEを敢行したんですけど、数少ないお客さんとしてジョーも来てくれて、レコード買っていってくれました(笑)。兄貴というよりニューヨークの優しいお兄ちゃんという感じです(笑)。ジャンルで聴いているわけじゃないし、ハウス好きの人ほど〈スピリチュアル・ライフ〉を聴き込んではいませんが、彼の音楽と出会う前からトライバルでプリミティヴ、原始的なものに惹かれていたので、共感もリスペクトもしています。でも、影響は受けていないような気がする……。まあ、他にもいろんな音楽を聴き過ぎて、自分でもごまかされているだけかもしれないだけで、影響は受けているのかもしれませんね(笑)。

台湾、韓国、中国など、日本から比較的距離の近い外国へのアプローチに関してはどのように考えていますか?

JAKAM:まさしくおっしゃる通り、このエリアに次作は行って、民族楽器やオリジナルなユニークな演奏者やアーティストと出会って、「誰も聴いたことがないのに懐かしい音楽」を作ってみたいと数年前から思っていましたね。前作『MOVEMENTS』のなかの“時の河”という曲で、最後にテロップででる「ASIA MUST UNITE」という言葉は自分の言葉です。この曲ではベトナムで録音された民族楽器がフィーチャーされていますが、
そのテーマは今作にも確実にありますし、より濃いものを作ってみたいです。ちなみにボブ・マーリーの「AFRICA MUST UNITE」から文字の並びは影響受けています(笑)。

アジアって、でも広いからね。DJを辞めようと思ったことはない?

JAKAM:DJになりたくてなったわけではなく、音楽が好きで、レコードを人並み以上に買っていた流れで地元の先輩からDJを誘われ、味をしめて(笑)。自らパーティをやって、仲間たちとクラブを作り、それがいつの間にかお金をもらえるようになって……。いまでも任務としては常にベストを尽くしDJしてきているけど、好きな音楽をみんなで共有したいという極自然なことが発端なので、仕事という概念でもなく、辞めるというのは人生を辞めるに等しいかもしれませんね。

子供が生まれて何か変わったことはある?

JAKAM:まあ、いままで話しように、多いに変わりました。音楽的な志向には全く影響されていませんけど。むしろ洗脳しようと常に企んでいます(笑)。が、ファレルやEDMにまだ太刀打ち出来ていないようです(笑)。中2の長男は、30G以上のEDM系? そのmp3データを最近だいぶ減らしたと言っていますので……相当掘っているらしいですね。なので、10代前半の子、いまはYoutube世代なので全世界NWO的に(笑)、まあ一緒な気がしますが、聴く最新音楽をチェックさせてもらうのは、子供がいなかったらちゃんと聴けるチャンスがなかったかもしれないので、良かったですよ。

30G以上のEDM系って……うわ、すごいね(笑)。正直言って、俺は子供が生まれて夜遊びしなくなったのね。夜遊びは金かかるし、妻子が起きるころに酒臭いカラダで朝帰りは心情的にできないし……、あと、はっきり言って、中年になると朝まで踊るほどの体力がなくなる。俺、毎朝7時前には起きている人間だから(笑)。で、ナイトライフは永遠の楽しみではなく、人生のある時期に限られた楽しみだと思ったんだよね。じゃあ、ハウスやテクノを聴かないかと言えばそんなことなくて、いまでも大好きだし、家で聴いているんですよ。ムーチーはDJだからそんなことないけど、クラブ・ミュージックとはどういう風に付き合っているの?

JAKAM:まず自分が出演するか、知り合いの店でしかあまり呑まないので、酒に金はあまり使っていないです。野田さんガブ呑みしそうだから(笑)。まあ、その意見に同感するところもあるのですが、個人的に札幌のPrecious Hall経由でNYのデヴィッド・マンギューソーのLOFTに関わっているので、70過ぎまではダンス出来る体力を絶対保持したいと思っています(笑)。好きな音楽をみんなで共有して楽しむ、というのは無愛想に見えて(笑)、本当に好きなんです。LOFTで気づいたというか、感じたのは50年以上前の音楽でも良いサウンドシステムで鳴らせば、永遠の響きがあるのだと体感しました。自分が死んだ後でも、そのレコードがその時代の人を踊らせたり、感動させれることは、本当に素敵なことだと思いますよ。
 クラブ・ミュージックというより、音楽とともに生きたいという想いは募るばかりでございます(笑)。それはクラブでも良いですし、家でも野外でも良いですし、国内でも海外でも、時間や空間を超えて、永遠に繋がる瞬間に出くわしたいですね。スピ系として(笑)。

スピ系って、はははは。じゃあ、今後の予定について教えて下さい。

JAKAM:今年の年末には2001年に起動し、2012年にパワーアップして還って来た(笑)。ONENESS CAMPの室内版ONENESS MEETING@UNITが2015年12月27日の日曜日にあり、そこでは先述したラティールや及川景子を交え、今回のアルバムにも収録された楽曲を中心にライヴをします。もちろんただ曲をなぞるだけではなく、マカームというか、その場で産まれるグルーブやメロディーも体感してもらえると思うので是非足を運んでもらえたら幸いです。
 作品的には自分が持っている2つのレーベルのうちのひとつ、〈CROSSPOINT〉と双璧を成しながらも……地味なレーベルですが(笑)、もうひとつの〈Proception〉からも自分のソロも含め、先ほどのワールド・ミュージック的な考えとは違う音楽や作品を出していきたいと思います。ちなみに〈Proception〉は造語で「Process of perception(知覚の進行)」を繋げた語になります。アジアをテーマにした作品も出来るだけ早く取りかかれたらとも思ってますよ。

!!!!!!Release Party!!!!
リリースパーティー
MOVEMENTS ONENESS MEETING

@代官山UNIT東京
2015年12月27日日曜日
https://onenesscamp.org/




Life Force Radio Observatory - ele-king

2015 Chart
(selected by Ginji, MaNA, Cossato, pAradice, INNA)

Season's Greeting and Best Wishes for the New Year!

Upcoming Party
2016/1/23
Life Force Radio Observatory @ Saloon
Live:
YPY (goat/bonanzas/birdfriend/nous)
Cossato
DJ:
pAradice/MaNA/INNA/Ginji
Sound Design:
ASADA
Visual Lighting:
mixer
22:00-
with flyer¥1500 / door¥2000
https://lifeforce.jp
https://soundcloud.com/lifeforce


interview with Keiichi Suzuki - ele-king

 1976年の結成から、2011年に無期限の活動休止を宣言するまで、35年間の長きにわたって、日本のロック史上に前人未到のフライト・レコード(飛行記録)を伸ばしつづけてきた稀有なバンド、ムーンライダーズ。2000年代後半から2010年代前半にかけて、相対性理論、cero、カメラ=万年筆、スカート、アーバンギャルドなど、ムーンライダーズからの影響を感じる新世代の台頭がめざましいなか、2013年12月17日に、前身となるはちみつぱい以来のオリジナル・メンバー、ドラマーのかしぶち哲郎が63歳で逝去し、バンドの歴史にひとつのピリオドがうたれた(※1年後にリリースされた『かしぶち哲郎トリビュート・アルバム~ハバロフスクを訪ねて』に長男で同じくドラマーの橿渕太久磨が参加、15年12月20日に開催される鈴木慶一45周年記念ライヴにもドラマーとしての参加が予定されている)。残る5人のメンバーは個々の活動を展開しているが、なかでも鈴木慶一は、曽我部恵一をプロデューサーに迎えて、08年から11年にかけて発表したコンセプチュアルなソロ・アルバム三部作がいずれも高い評価を受ける一方、高橋幸宏とのザ・ビートニクス、KERA とのNo Lie-Sense、二十代から六十代まで世代を超えてメンバーを集め新たに結成したControversial Sparkといったユニットやバンドでも立て続けに新作をリリース、そのほか映画や舞台の音楽監督等々、とても還暦を過ぎたとは思えない縦横無尽の疾走に目を見張らされる。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon iTunes


鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon

 そんな充実ぶりに拍車をかけるように、今年でミュージシャン活動45周年を迎えた鈴木慶一の軌跡をたどるCD3枚組のアンソロジーとアーティスト・ブック、そして91年の『SUZUKI白書』以来24年ぶりとなる完全セルフ・プロデュースによる最新ソロ・アルバムが同時にリリースされるという報せが届いた。

 2曲のインストを含む全13曲の新作は、『Records and Memories』というタイトルが象徴するように、彼が生きてきた半生の「記録」と「記憶」の断片が渾然一体となって絡み合い、響き合う劇的なアルバムだ。豊富な人生経験から滲み出るタフなメッセージや箴言にうたれながら、聴き込めば聴き込むほどに、これまで見えなかったことが見えてくるような、不思議な覚醒におそわれる。

 「嫌われてるか 嫌ってるのか わかった時が かつて 一度もないのかい/そんな事なら 別れるべきで 恋人でいるような場所はそこにはない/おおおおお 憎んでみたらどうだ それが出来るなら きっと 愛し 愛されて いるはずさ/人の命は短くて 憎み 憎まれ 愛し 愛され 手を握り 手を離され 抱きしめて ふりほどき 大事に時を 流してくさ」(“Livingとは Lovingとは”)

 高橋幸宏と共作したほろ苦い名曲“LEFT BANK(左岸)”と同様に、鈴木慶一の“Livingとは Lovingとは”は、聴く者の状況によっては「人生の一曲」になりうる。少なくとも、この歌に心を楽にしてもらった者が、ここにひとりいることはたしかなのだから。

■鈴木慶一 すずき・けいいち
1951年8月28日 東京生まれ。
1970年、あがた森魚と出会い本格的に音楽活動を開始。以来、様々なセッションに参加し1971年には"はちみつぱい"を結成、独自の活動を展開するも、アルバム『センチメンタル通り』をリリース後、解散。“はちみつぱい”を母体にムーンライダーズを結成し1976年にアルバム『火の玉ボーイ』でデビューした。ムーンライダーズでの活動の傍ら高橋幸宏とのユニット“ビートニクス”でもアルバムをリリース。また膨大なCM音楽の作編曲、演歌からアイドルまで幅広い楽曲提供、プロデュース、またゲーム音楽などを作曲し日本の音楽界に大きな影響を与えてきた。2012年、ソロアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』が第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。映画音楽では、北野武監督の『座頭市』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞した。
2015年、ミュージシャン生活45周年の節目にソロアルバム『Records and Memories』をPヴァインよりリリース。

2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。

この度、完全セルフ・プロデュースによるニュー・アルバム『Records and Memories』とミュージシャン活動45周年を記念したCD3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年 Keiichi Suzuki chronicle 1970-2015』、そして来年2016年にはこれまでのキャリアを俯瞰した書籍も刊行されますね。

鈴木:書籍については、インタヴューを受けて話をしました。『謀らずも朝夕45年』の方の楽曲は3人で選曲しています。ひとりだとこういう場合はどうにも量が多すぎるからね。それからアンソロジストの目がないと、そういうものはなかなかできないと。本もそういう感じですよね。

最新のソロ・アルバムと併せて、45年間を振り返るレトロスペクティヴも音と活字の両方でやるという、その3つがワンセットということですね。それらについてうかがっていければと思います。まず最初に、45周年おめでとうございます。“45周年”といえば、今年8月に松本隆さんが作詞活動45周年を記念する『風街レジェンド2015』というイヴェントを開催されたりして、1970年前後の日本のロック創世記からその一員として活動をはじめた開拓者の方々が、大きなアニヴァーサリーの周期に差しかかったということだと思うのですが。

鈴木:45周年って妙な区切りではあるんですけど。でも歳を取ると5年間でなにが起きるかわからないので、「いま」が重要なんだよね。待っていられないんだ。だから5年区切りなんじゃないんですかね。

同じことを松本さんもたしかおっしゃっていましたよね。50周年はできるかどうかわからないから、と。

鈴木:40周年ができても、50周年のときは何が起きるかわからないからね。それがリアルな問題としてバーンとあるから考えちゃいますよね。結果的に45周年になっちゃいましたけど、根底にあるのは今度出るソロ・アルバムなんですよ。ソロ・アルバムを久々に作っていて、そのリリースがわりとずるずる延びて、考えてみれば「今年は45周年だな」ということになった。それがあって、こういう本もくっついているということですね。

曽我部(恵一)くんにプロデュースを任せた近年の3部作『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)、『シーシック・セイラーズ登場!』(09年)、『ヘイト船長回顧録』(11年)がまだ記憶に新しいのですが、あれは慶一さんのなかでは完全なるソロ作品というより、あくまでユニットの産物ですか?

鈴木:あれはユニットに近いですけど、(今回のソロで)大きいのはムーンライダーズの活動を休止して以降の作品ということ。あのときはムーンライダーズもやっていましたし、バンドの一員として活動しながら、ソロ・アルバムを作っていたので、ムーンライダーズとは違うものを作ろうという意識がありました。
 でも2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。記録としては残っているけど。そこではじまるのが、KERAとのユニット、No Lie-Senseと、自分が作ったバンドのControversial Spark(メンバーは鈴木慶一、近藤研二、矢部浩志、岩崎なおみ、konore)。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。今回のソロ・アルバムもそのなかのひとつなんですよね。

それは、慶一さんにとっては、新しい自由を獲得してそれを発揮するという気分なのか、それとも、ムーンライダーズという、ソロをやるときの基準がなくなったから、何をしてもいいなかで、いまソロ・アルバムを作る意味みたいなものを熟考されているうちに発売が遅れたのか、どちらなのでしょう?

鈴木:ソロ・アルバムが遅れたのは、いったん作ったものを反故にして、また新しいものを作ったから。2013年の終わりぐらいから作りはじめているんです。その間にとても身近なひとが亡くなったりしてね。悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。それと2012年に、すごく時間と手間ひまがかかる仕事を立てつづけに依頼されて、それに6ヶ月以上かかった。それは映画とミュージカルだけどね。蜷川幸雄さんの舞台(騒音歌舞伎『ボクの四谷怪談』/脚本・作詞=橋本治、演出=蜷川幸雄、音楽=鈴木慶一/2012年9月~10月上演)と北野武さんの映画(『アウトレイジ ビヨンド』/2012年10月劇場公開)。作曲する時間と労力のほとんどをそのふたつに費やしていたわけ。

悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。

 2012年の終わりに、来年は自分の作品の制作をはじめたいな、と思った。それで2013年にまずはじめたのが、Controversial Spark。で、その年にかしぶち(哲郎)くんの具合がよくないということを聞いてかなりショックで、1曲先に作ったのがこのなかではいちばん古い曲ですね。2013年の終わりにその歌詞を作った。それが“Untitled Songs”のパート1。2014年の頭にはその曲をライヴでやったりしていたね。それからアルバムを作ろうと思ってインスト中心に十何曲作るんですけど、私はひとりで独走しないんで、いろんなひとに聴いてもらっていたんだけど、とりあえずそれは置いておこうということになった。
 そういう結論に達して、またまっさらな状態からはじめる。それが2014年の終わりぐらいかな。一回白紙にもどして新たに作った曲を録音しはじめたのは今年に入ってからですよ。そのときに何曲かはできていました。このソロ・アルバムの半分弱くらいはレコーディングに入る前に自分で作っておいたものがあり、60%くらいはゴンドウ君のスタジオで突然できたものもあれば、駅に降り立ったときにできた最新のものもある。ムーンライダーズの活動を休止し、誰かが亡くなり、ということに対する自分なりのアンサーって感じですよね。

“Untitled Songs”を核としてこのアルバムは作られたのかな、と最初に聴いたときに思いました。

鈴木:それはスタートの問題であって、いったん作り出せば他の出来事も起きてくるので。誠に失礼かもしれないけれども、今年に入ってから武川(雅寛/はちみつぱい~ムーンライダーズのオリジナル・メンバー。ヴァイオリン、トランペットなどを担当。あがた森魚、加藤登紀子、南こうせつをはじめ多数のレコーディングやツアーに参加。ソロ・アルバムも4作発表している)くんが入院したニュースを聴いたときに、パッと曲ができたりね。それが“LivingとはLovingとは”だったりする。歌詞の内容はその出来事と違いますけどね。周りにも自分にも何が起きるかわからないときには、どんどんものを作るしかないんじゃないのかな。

世の中の出来事はむろんのこと、身近な出来事に対する本能的なリアクションが、慶一さんの場合、音楽というか。

鈴木:私にとって音楽を作ることは極めて初期衝動的な行為ですね。たとえば依頼された映画やミュージカルの音楽を作っていても、それとは関係ない自分の曲を作りはじめちゃう。でも忘れちゃうから、また依頼された仕事に戻っていく。そういうハイブリッドな状況が、ここ十年くらい続いていますね。

「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

ここ10年くらいの慶一さんの音楽活動は、かなり充実していらっしゃったと思うのですが、ご自身が活性化していたのでしょうか?

鈴木:その活性化が何なんだろうとも思うんだけど。それはどこか劣化なんだね(笑)。劣化しているので、体力も気にせず作曲しつづけてしまうとかさ。

今回取材させていただく前に、かつて慶一さんが出された本をいくつか読み返してみたんですが、パンタさんの『PANTA RHEI ~万物流転~』という対談集(91年1月/れんが書房新社)に慶一さんとの対談が収録されていて、慶一さんはそのなかで「行き着く果ては個人的民族音楽」ということをおっしゃっていました。世界のエスニックな民族音楽は、その土地の演奏者が自己批評しないで、ただあるがままにやっているだけだと。つまり自分のなかから勝手に出てくるものを、自分でセーブしたりチェックしたりしないで、全部垂れ流し状態で出せたら、それは素晴らしいものなんじゃないか。最後はその境地に行き着けたらいいね、と。

鈴木:「垂れ流すように」というところには行き着いたかもしれない。あがた(森魚)くんと「頭が呆けてきて前に作った曲と同じ曲をつくるかもしれないけど、そんなときが来たらいいんじゃないの」とも話していたけど、そこまでは至っていないですけどね(笑)。「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

あるときから歌詞にそんなに悩まなくなった、と以前インタヴューでおっしゃっているのを拝見したのですが、今作の詞もあまり悩んでいる感じがない。

鈴木:いや、ちょっと悩んだよね(笑)。明日歌を入れるために今日歌詞を作るという具合に、毎日歌詞を作っていたんだよ。次の日は13時スタートなんだけど、それができなくて15時にしてください、ってだんだん不規則になっちゃった。スケジュール的に忙しかったし、私が怠けていたわけではないと思う(笑)。それに、急遽、違う仕事が入ってきたりしたこともあって、ちょっと苦労したね。松尾清憲さんに歌詞を依頼されたりして、そういうときは角度を変えて、自分の作品づくりを措いておいて、そっちを先にやっちゃうんだよ。そうするとパッとできる。

ひとの作品の方が書きやすいということはありますか?

鈴木:ひとの場合はイメージができるので。たとえばある女性アーティストに対して歌詞を書くとする。そのひとに会っていろいろ話を聞いたりして、彼女をイメージして歌詞を作るということはできる。けど、自分はイメージできないからね。つまり、完全に自分はこういうひとだという確信はない。誰もがそうでしょう。どこかに「知らない自分があるんだろうなという疑惑があるわけね。

しかも、セルフ・プロデュースということは自分で判断をするしかない。たとえば曽我部恵一というプロデューサーを立てたときは、彼のジャッジが入るわけですよね。

鈴木:そうそう。しかも、彼は私の詞をカットアップすることもあったからね。「これ、1番いらないんじゃないですか」とか(笑)。

そういうご自身のジャッジメントに関しては、初の公式ソロ・アルバムとされている91年の『SUZUKI白書』と今作とはどのような相違がありますか?

鈴木:“『SUZUKI白書』から24年ぶり”と謳っていますが、実は完全にセルフ・プロデュースしたといえるのはこのアルバムが初めてかもしれない。『SUZUKI白書』の半分くらいはイギリス人にプロデュースを頼んでいるからね(※鈴木慶一氏が愛好するプログレ/ニュー・ウェイヴ/テクノ/アンビエントなど60~90年代の英国音楽の各分野から選んだトニー・マーティン、デヴィッド・モーション、マシュー・フィッシャー、デヴィッド・ベッドフォード、アンディ・ファルコナー、アレックス・パタースンに、楽曲ごとにプロデュースと編曲を依頼)。東アジアで収録した分は私がやりましたけど、それを引っさげて渡英して、こういうものをつくっているんだ、これをもとにちがうものをつくってくださいとお願いしているわけだから。歌詞はぜんぶ自分で書いていますけど。
 で、『火の玉ボーイ』(※実質的なソロデビュー作だが名義は“鈴木慶一とムーンライダース”/76年)までさかのぼると、あれだってほかのひとに、自分が書いた曲をもとにちがうものをつくってほしいと頼んでいる。私としてはスタジオ・アルバムはぜんぶ自分のソロ・アルバムのつもりでつくっているとはいえ、数々の人々の手助けがあるわけで、とくにムーンライダーズは大きい。アレンジ面でも助けてくれたしね。でも、今回みたいに全部の曲をほとんど自分で演奏して……っていうことはこれまでにないかもね。

結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。

今作はいろいろな意味で「初」と呼んでいい完全なソロ・アルバムなんですね。

鈴木:そのぶんの不安感はぜったいあるね。ただ、その前にユニットでの活動はいっぱいやっているんだけど──ザ・ビートニクスとか、No Lie-Senseとか。それはすごくやりやすいんですよ。ひとり他者がいると、「これってどうだろうな……?」っていうときのジャッジをしてくれるから。二人のユニットってほんとに便利だよね。一人だと、自分の中で切り裂かないといけないもん。「果たしてこれがいいんだろうか?」っていうような部分を、たとえば権藤(知彦)くんなんかは言ってくれるんだよね。
 でも権藤くんの立場は、レコーディングすることとプログラミングをすることで、そっちについては、私はなかなか批評するというレベルにまでいかない。やったことはあるけどね。コンソールの前にいて、録音して、ノイズがないかチェックしたり、データを直したりとか。それはけっこうちがう視線になっちゃうから。今回はかなりの部分をソロでやっているから、そこのジャッジをしてくれるのは(周囲の)みなさんということになるかな。

やはり、周りの人たちに訊かれるわけですか? 「どう思う?」って。

鈴木:もちろん。結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。で、ここでの集団は、スタジオでは私とゴンドウくんだけど、(アルバムに)参加しているひとはたくさんいるわけだから、その方々にもその都度聴いてもらう。ディレクターの柴崎(祐二)さんからもレポートがドカンとくる。それに私が書き加えて倍返しもする(笑)。

ジャッジしてくれる相手が必要なんですね?

鈴木:必要です。そうじゃないひともいるでしょう? そこまで自分は天才じゃないんでね……。ひとりで全部やると、どうも最終的な判断がわからなくなってくる。

誰かと何かを作るのがお好きなんでしょうね。

鈴木:日常もそうですよ。観るべきライヴとか映画がたくさんあるけど、自分でそれをカバーしきれないから、知り合いやマネージャーなど、いろいろな方々の話を聞きつつ、何を観るか決めたりする。ひとりじゃあね、実は怠け者で(笑)。それでワンステップ踏み出せなくなったらどうしようと思ってるけど、いまのところ大丈夫だから、まぁいっか(笑)。

インプットも活発にされているんですね。

鈴木:いろいろ行きますよ、映画なんかでも。ときどき「めんどくさいな」って思うので、そこで「よしっ!」って感じで行かないといけない。体調が悪ければ行かないだろうけど、いまのところそっちも大丈夫なんで。

慶一さんはいわゆる“田舎指向”とかはないですね? お知り合いのなかには東京から地方へ移住する方もきっといらっしゃいますよね。

鈴木:考えたことはあるけれどもね。

それは3.11のあと?

鈴木:いや、もっと前ですよ。20世紀のうちかな。いい場所があったんです。博多に高倉健さんが住んでいらした場所があって、連れて行ってもらったことがあるんです。けれども、移住はまったく実現はしなかった。要するに、朝7時までやっているバーとかがないとダメなんだね(笑)。

酒がお好きというよりも、集える場が必要なんでしょうか?

鈴木:今回の歌詞には、バーテンダーの発言をメモしたものがあるしね。歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。5秒でできあがることもあって、それをとりあえずデータとして記憶していくという。曲ではそれが可能なんだけど、文字に関しては、私は読書家ではないので、そんなに入力されていないんですよ(笑)。だから歌詞を作るときは耳をそばだてて、いろんな話をちょろちょろ聞きます。それを自分の携帯からMacに送って、歌詞メロ・フォルダに全部入れるんだよね。それを見ながら書く。そんな日々になるんだよ。その作業が終わっちゃうと、また言葉から離れる。

歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。

ご自分のことを読書家ではないとおっしゃいますが、ぼくは今作の“無垢と莫漣、チンケとお洒落”の「莫漣」っていう言葉がわからなかったんです(笑)。こういう難解な言葉はどこでインプットされたんですか?

鈴木:検索です。21世紀に入ってからは検索による作詞ばかりだね。本もチラッとめくったりしますよ。目をつぶって本を開く感じなの(笑)。かつてはずっとそんなことばかりしていた。ムーンライダーズの初期のころもそう。本を積んでバッと開いては作る。それもある種のカットアップ手法かもしれない。でも「本を開いたとき何かが閃く偶然」はどんどん少なくなって、いまは検索ばかりですよ。「莫漣はたまたま「無垢」を検索して、その反意語を調べていて見つけたんです。全部を対義語で作っていくなかで、無垢を歌詞にしたかったんだけど、その反意語に莫漣があった。「そういや昔、莫漣女っていたなぁ」とか思ってね。

「あばずれ」とか「すれっからし」とか、世間ずれしてずるがしこい女性の呼び名みたいですね(※詳しくは平山亜佐子氏の著書『明治 大正 昭和 不良少女伝―‐莫漣女と少女ギャング団』/09年/河出書房新社を参照のこと)。

鈴木:フェミニズム的にはちょっとやばいんですけどね。チンケだってそうですよね。

チンケって最近いわないですよね。そういう死語の発掘もよくされるんですか?

鈴木:うん。あと刑務所用語とか。

隠語ってやつですね(笑)。

鈴木:要するに、ほとんど表面にでてこない言葉とか、そういったものを使うことによって聞き手の方々が混乱するであろうと──それでいろんなイメージをもってくれればいいと思うわけで。今回の歌詞は結果的に抽象的だと思うんですよ。しかし、わりと男女(の関係)とかそのへんのことをやってみようかなと。あからさまにそれが出ているわけではないけどさ。まぁ、1曲めから“男は黙って…”だからね。

サッポロビールかい、という。“男は黙ってサッポロビール”というコマーシャルのコピーがすぐに出てくるのって、ギリギリ僕の世代までですよ(笑)。いまとなっては黒澤明の映画でも観ていないかぎり、(サッポロビールのコマーシャルに出演していた)三船敏郎すら知らないひとが増えているのではないかと心配になります(笑)。そういえば、今作の歌詞は数字にも着目して書かれていますね。「7と3で割って」とか「未熟の実が五分出来で」とか「ワルツは六拍子だと思い込んでいたら」とか。

鈴木:KERAの歌詞には数字が出てくることが多いですね。ビートニクスの4作め(『LAST TRAIN TO EXITOWN』/11年)の作詞は、ビートニクの研究からはじめて、それを歌詞にしていった。架空の町を作って、そこの住人はみんなグロテスクな人たちで、最後に若者が列車に乗って町を出て行くという、非常にアメリカ文学的な(シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』みたいな)感じなのね。ビートニクスの1作め(『EXITENTIALISM 出口主義』/81年)は勘違いしちゃって、完全にヨーロッパっぽいものになってしまったんですけど、それをちゃんとしたものにしようという意図があった。KERAとのユニット(No Lie-Sense)では、1作め(『First Suicide Note』/13年)はスーダラな無意味なものを目指した。“大通りはメインストリート”なんて当たり前じゃない(笑)。2作めも(1作めの)発売日に作りはじめているので、私の今回のソロの制作と重なっていたりする。No Lie-Senseも制作している時期は点在してるのね。今回のソロ・アルバムもその隙間を塗って制作している。それで今度のNo Lie-Senseのテーマは1964年なの。要するに高度成長期をテーマに歌詞を当てて書いている。けっこうとんでもない歌詞ができているんだけど、ケラとは数字の競い合いになるのね。その影響も今作にかなり入り込んできていると思うんですよ。

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音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント

現在、毎週水曜の21時から、慶一さんがTBSラジオの『Sound Avenue 905』のDJを担当されていて、ぼくも楽しく聴かせていただいているんですけど、67年と64年を特集されていましたね。

鈴木:64年と67年がなんで重要かというと、私的なことで、私が中学に入学したのが64年。高校に入学したのが67年。それで環境がガラッと変わるので、非常にいろんなことを覚えている。音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント。そのふたつをすごく覚えているので、そのふたつを取り扱った。

最初は歌ものよりもエレキのインストゥルメンタルに反応されていたと聞いたことがあります。

鈴木:そうです。それは単純に中学1年のときだから。女性はビートルズにハマるわけだよ。すると男性は「女性が夢中になっているものと違うものを探そうかな」となる(笑)。それで、そんなにルックスもよろしくなくて、歳も召したベンチャーズのインストゥルメンタルものに走るわけだよ。

でもベンチャーズから洋楽にハマるひとって、当時のリアルタイムのリスナーにはすごく多いですよね。山下達郎さんもベンチャーズから入って、好きな曲の作曲者に着目してどんどん深みにはまって行かれたようです。

鈴木:あれがなぜ画期的だったかというと、ギターをもちながら演奏する。しかも数人で。それを初めて目にするわけ。ビートルズはそれに加えて歌も歌うと。コンボ編成の電化されたギターの音を聴くっていう体験は、初めてだった。

最初に買ったレコードはシングル盤、あるいはコンパクト盤でしょうか?

鈴木:最初に自分で買ったのは、ベンチャーズの「パイプライン」。

A面よりB面の曲がお好きだったとか。

鈴木:そうそう、“ロンリー・シー”ね。もちろんA面もいいんですけど。やはり波の音をギターで表現したのは新発明だね。エレキギターの新発明はいっぱいあります。ザ・バーズの12弦ギターも新発明だと思ったな。エレキをフォークギターのように弾くというね。

64年から67年の間は3年しか経っていないけれど、すごい変化ですよね。

鈴木:さらにいうと、その3年後の70年には、私は音楽をはじめているわけです。ムーンライダーズで『火の玉ボーイ』を出したのは76年で、その3年後の79年には(バンドの音楽性が)ニューウェイヴになっているわけです。3年で物事は変わると。

1年ごとの時代の体感速度は、やはり60年代がいちばん早かったのではないかと思えてならないのですが。

鈴木:そう思うけど、それはリスナーとしての感性の問題であって、自分でやりはじめてからのスピードの速さは、いまがいちばんかもしれないね。

それは機材の進化の速さがあったからですか?

鈴木:それもあり、21世紀になってからかもしれないね。

20世紀と21世紀の感覚の違いについて、最近よく考えるのですが、20世紀の真ん中から濃いカルチャーを摂取されていた慶一さんが感じる、20世紀と21世紀のいちばんの違いとは何でしょう?

鈴木:いちばんの違いは情報量かなぁ。いまは情報をゲットすることは簡単だけど、量も多いし、嘘もあると。60年代のころは情報を得るのが大変だったもんね。音楽雑誌を読んで、いいグループ名のバンドがいい音楽を作っていそうだな、と思って、グループ名で買う。当たり前だけどハズレもある。あとはFEN(米軍放送)を聴いていても、ずっと英語だからシンガーもバンド名もよくわからない。そういうときは「これかなぁ」という勘も必要だったね。そういう勘はいまだにあるけどね。

いまは、みんなラジオを新しい音楽を発見するためのソースとして使わなくなっていますが……。

鈴木:かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。

かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。

佐野元春さん、鈴木慶一さん、小西康陽さんという3人のレギュラーが、それぞれ独自のスタイルと選曲で、やりたいようにやっていて最高だなと思います。

鈴木:野球のオフシーズンの放送だけど、TBSのあの時間ってすごいと思う。でもね、感激するよ。かつてAMを聴いていて「こんな曲があるんだ!」って思っていた10代の自分が大人になって、今度は自分の好きな曲をかけているんだから。糸居五郎さんのマネをしてしゃべっていたりするので、放送されたものの同録音源を自分で聴くと感激ですよ。自分はこういうことをやることになったのかと思うと感慨深いね。

テレビの音楽番組の司会はされていましたけど、民放の中波ラジオというのは初めてですか?

鈴木:初めてですね。FMはあったりするけど、JFNとか、ミュージックバードとか、(音楽が)ステレオでかかるところばかりだった。今後はTBSもステレオ化していくんだろうけど、一応チューニングを合わせると全国的に誰でも聴けるところで音楽を流せるっていうのはねぇ……非常にうれしいですよ。

反響もかなりあるでしょう?

鈴木:選曲がすごく大変なんだけどね。

適当に選曲しているのではなくて、特集をされていますものね。

鈴木:特集を組まなきゃいいんだけどね(笑)。全体の流れを考えて作っていかなきゃいけないから、やっぱり選曲に8時間はかかるよ。

64年とか67年の音楽って、いまや放送で接する機会がほとんどないので、若いリスナーにはきっと新しい発見があると思います。90年代の前半くらいまでは、60年代って意外に近く感じられたのに、いまはなぜこんなにも60年代が遠ざかっているように感じるのか、友だちと話していたら、身近なところにロックがないからでしょうと。ロックがカルチャーの入口になっているうちは60年代にアクセスしやすかった。ところがロック自体も変わってきているし、時代を牽引する力を失ってしまうと、過去のカルチャーにアクセスするための入口として機能しなくなってきたきらいがある。

鈴木:ただ、最新のロックと呼ばれているような音楽は変容しているけど、そのぶん面白かったりするんだよ。64年、67年と区切ったらその年のものしかかけられないから、それはそれで特定の世界を生み出すとは思うけどさ。でも、あの番組は意外と50代、60代が聞いていないということを知ったんだけど、これでいいかなと。

聴いている層はもっと若いんですか?

鈴木:20代、30代が多くてうれしいですよ。ラジオって、私には面白いけど、じゃあ聴くかっていわれると、そんなに聴いてはいないんだよ。80年代まではよく聴いていたけどね。そこで曲をチェックして影響を受けるっっていうことは何度かあったよね。いまはradikoとか聴くかな。とにかく音楽を聴きたいわけで、話を聞きたいわけではないんだよね。音楽をたくさんかける番組がだんだんなくなってきたのかもしれないね。ラジオで音楽がかかるというのが、私が10代のころは当たり前だったので、そう思っちゃうんだよね。

ぼくもラジオがなかったら音楽を好きになっていなかったかもしれないです。

鈴木:まったくその通りだね。湯川れい子さんのおかげでございます。ブリティッシュということばを知ったのが63、4年。湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。

湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

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鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

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ブリティッシュといえば、3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年』を聴きながら、いかに慶一さんが日本ではあまり知られていなかった英国産モダン・ポップやニューウェイヴなどをリアルタイムで絶妙に消化して──もちろんイギリスにかぎりませんが──独自の音楽を作っていたか、あらためて感嘆しました。一方で「なんであの曲が入っていないんだ」と思ったりして、過去のアルバムをたくさん聴き返してみたり、すごく充実した時間を過ごさせていただいたんです。

鈴木:ありがとうございます。あれはアーカイヴィスツによる選出だからね。年代がバラバラの数人で選んでいる。だから、自分も「こんな曲あったなぁ」と発見があったりしますよ。

ムーンライダーズって、アルバム1曲めと2曲めには必ずいい曲をもってきますよね。あと、最後の曲も名曲率が高いと思うんです。今回DISC 1の“ジェラシー”“(『イスタンブール・マンボ』/77年)、“スイマー”“(『ヌーベル・バーグ』/78年)、“ヴィデオ・ボーイ”(『モダーン・ミュージック』/79年)と、ムーンライダーズの2作めから4作めまでのアルバム1曲めが3曲連続でかかるところは聴いていて思わずアガりますね。この並びは過去のベスト盤でもなかったパターンですよね。でも、なぜ『マニラ・マニエラ』からは“花咲く乙女よ穴を掘れ”なのかな、とか気になって。当時ムーンライダーズは「売れようとしないバンド」とか、ひとによってはいろいろな見方があったと思うんですけど、売れることをまったく考えていなかったかというと、そんなことはないんじゃないかなと。キャッチーな曲もたくさんあるし。

鈴木:いや、売れようとは休止するまで1回も思ったことはないけどね(笑)。

レコード会社に対しては、毎回アルバムを「これでどうだ!」みたいな感じで作っているような気がしました。

鈴木:「売れる」ということばを私はあんまり使わないからね。ただ、売れるものを作ったら、そこが到達点だと思って35年間みんなやってきたんだと思う。それでチャンスを逃したのが正解だったのか、それとも自分がズレていたりとかで、だんだん私はオルタナなんだなっていうことになってくるわけだよね。べつにオルタナでもヒットする場合もあるだろうし。その欲望は(ムーンライダーズが活動を休止する)2011年までは持ってたと思う。

このアンソロジーを聴いて、ご自身でも発見があったとおっしゃいましたが、たとえば?

鈴木:21世紀のアルバムから選ばれている曲。そのへんが最近のことなので、よく覚えていなかったりするんだよね。だから、その曲をこの前の11月のライヴで取り上げたりした。“本当におしまいの話”(『Tokyo7』/09年)とかね。そういう曲あったなぁと。

たしかに『Tokyo 7』はムーンライダーズ史のなかでどう位置づけていいのかよくわからないというか。そのタイトルを見たときに、シカゴ・セヴン(※カウンター・カルチャーのピークとなった68年、“イッピー”と呼ばれるアメリカの反体制運動の闘士たちがシカゴで検挙され、裁判にかけられた。アビー・ホフマン、ジェリー・ルービンなど7人の被告を総称する呼び名が”シカゴ・セヴン“。さらにブラック・パンサーのボビー・シールを加えて“シカゴ・エイト”と呼ぶこともある)を思い出しました。

鈴木:そこからきているんです。「TOKYO 7」ってムーンライダーズのメーリングリストの名前なんですよ。メンバー6人プラス、もうひとりが入って7人っていうことにしていた。

“本当におしまいの話”って、タイトルが強烈ですね。

鈴木:あれは親父が亡くなったころだったなぁ。そういうのもあるんじゃない?

運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。

『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951-1990』(89年/新宿書房)という慶一さんがご家族と対談している本を読み返すと、お父さんの鈴木昭生氏が新劇の俳優をされていて、羽田のご実家に劇団文化座のお仲間がたくさん出入りするなかで、ある種の雑居状態の環境で育ったことが、慶一さんに大きな影響をおよぼしたのかな、とあらためて感じました。

鈴木:もともと集団に属していたんですよ。あと、じいさんとばあさんを入れて9人。バンド思考になっていくのはそれも影響しているんだろうね。でも親父からどんな影響を受けたかははっきりしてない。その周辺の方々に遊んでもらっていて、そのひとたちの言う冗談が面白かった。その影響はあるかもしれないね。

“東京ディープサウス”、羽田という工場地帯の土地柄も大きかった、とおっしゃっていますね。

鈴木:運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。

無理矢理結びつける気はないのですが、『Records and Memories』、レコード(記録)とメモリー(記憶)という今作のタイトルは、かなり示唆的というか、現在の慶一さんの心境や創作態度を反映しているような気がします。

鈴木:最初からそうしようと思ってたの。曲を作り出して、白紙に戻して作り替えても、アルバムのタイトルはずーっと『Records and Memories』だった。じゃあ、結局、なんでもありではないかと。いまは禁じ手というものはない状態かな。あとムーンライダーズが休止しているのも大きい。それとは違うものを作るためのControversial Sparkと同じようにユニットで、No Lie-Senseだったり、ビートニクスをやっている。曽我部恵一くんといっしょにやっていた時期は、まだムーンライダーズをやっていたから、今作の特徴はやっぱりそれがないってことだよね。
 こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。『ヤァ!ブロード・ストリート』(84年)なんか最高だと思ったんだけどね。ビートルズを解散しウィングスを作り、ウィングスを解散しソロになり、来日もしてビートルズの曲もやっているし。ウィングスのときはビートルズの曲をあんまりやらないでしょう? いまはもう生きているビートルズのメンバーはふたりしかいないんだし、実際に歌うのはひとりしかいないんだし、全部背負う感じでジョン・レノンの曲もやると。その気持ちがいますごくわかるね。その気持ちはこのアルバムに反映されていないかもしれないけど、極論をいえば、ムーンライダーズが存続していて2015年にも活動していたとする。そうしたら私は(今作に入っている)こういう曲を提出していただろうなと。

こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。

そういうふうに、ムーンライダーズをソロを作るときの基準にされていたんですか?

鈴木:それはあとからわかったことだね。作っているときは自由でありかつ不満な状態で音楽と向き合っている。できあがったものを聴いてみると、ムーンライダーズをずっとやっていたらこういう曲も入っていたかもな、と思う。もちろんそれだけじゃないですけどね。私のなかのいろんな記憶なり、記録を自由に詰め込んだ状態なので、自分色が強すぎて、聴くと寝ちゃうんです(笑)。

覚醒するんじゃなくて寝ちゃうんですか(笑)。

鈴木:そこに意外性が発見できるのは、バンドだったりユニットだったり、他者とやった場合だよね。あと自分でプロデュースした場合も意外性が発見できないね。

自分のなかにあるものだけで作っていると。

鈴木:それは私自身しか感じないことだから意味がないことかもしれないけど、そういう濃厚さはあると思うんだ。

(後編は来週公開。男女観から映画談議まで、そして曲ごとに掘り下げられていく「レコード」と「メモリー」……。同分量でお届けいたします!)

 「千葉という街を"フューチャー・テラーのために行く街"へと変貌させてしまった」。かつてDJノブのプロフィールにあった強力な一文だ。2015年、その勢いは衰えることなく、千葉や日本のローカル・シーンを旅しつつ、DJノブは世界的にも活動の幅を広げている。先日公開されたオランダの〈デクマンテル〉での彼のミックスは、今年のベスト・ミックスのひとつだろう。
 東京で開催されているフューチャー・テラーは、DJノブが世界で出会った音を体感できるチャンスだ。前回はベルリンを拠点に活動し、レーベル〈モーフィン〉を主宰する鬼才テクノ・プロデューサーのモーフォシスと、電子音楽のレジェンド、チャールズ・コーエンを招いた。そして今回、そのモーフォシスによって見出されたジャワ島を拠点に活動する、セニャワ(今年出たアルバム『Menjadi』は最高)と、ベルリンで知らないものはいないラシャッド・ベッカーを迎え、フューチャー・テラーが東京に再度襲来する。
 もちろん日本勢もフューチャー・テラーならではの素晴らしい組み合わせだ。DJノブ、ハルカらFTクルーに加え、EYヨ、Shhhhh、ゴンノといったDJたちや、ライヴ・アクトではゴートやNHK'Koyxenらが東西から集結。日本のローカルと世界のローカルが繋がる今年の大晦日は、忘れられない一晩になるだろう。やってくる2016年という未来は恐怖なのか、是非その目と耳で確かめてほしい。

FUTURE TERROR 2015-2016
代官山UNIT/ Unice / Saloon

日時:
2015.12.31 (THU)
OPEN/START 22:00

料金:
Advance 3,000yen
Door 4,000yen With Flyer 3,500yen
More info UNIT 03-5459-8630
www.futureterror.net www.unit-tokyo.com

出演:
[UNIT]
goat (HEADZ | UNKNOWNMIX) (live)
NHK'Koyxen (PAN | Diagonal | Mille Plateaux) (live)
SENYAWA (Morphine) (live)

DJ Nobu (Future Terror)
EYヨ (Boredoms)
Haruka (Future Terror | Twin Peaks)
Iori (Prologue | Bitta)
Shhhhh (SUNHOUSE)
Takaaki Itoh (WOLS | RESIDENCE)

[Unice] supported by terminus.
So Inagawa (Cabaret Recordings) (live)

Gonno (WC | Merkur Schallplatten | International Feel)
KABUTO (LAIR)
SO + Matsunami B2B (TRI-BUTE)
TAI T. RAM (terminus)
Takahashi (Veta)
You Forgot (UGFY)

[Saloon]
Rashad Becker (PAN) (live)

Fabio Lazaro (FLOPPY)
KEIHIN (Maktub, Prowler)
KURI (BLACK FOREST)
KURUSU (Future Terror)
Wata Igarashi (Midger)
WORD OF MOUTH (Partizan25)
YAZI (BLACK SMOKER | Twin Peaks)

DJ NOBU (Future Terror, Bitta)
https://futureterror.net

Future Terror、 Bitta主宰/DJ。Nobuの活動のスタンスをひとことで示すなら、"アンダーグラウンド" ──その一貫性は今や誰もが認めるところである。とはいえそれは決して1つのDJスタイルへの固執を意味しない。非凡にして千変万化、ブッキングされるギグのカラーやコンセプトによって自在にアプローチを変え、 自身のアンダーグラウンドなリアリティをキープしつつも常に変化を続けるのがNobuのDJの特長であり、その片鱗は、[Dream Into Dream] (tearbridge), [ON] (Musicmine), [No Way Back] (Lastrum), [Creep Into The Shadows] (Underground Gallery), そして最新作 [Nuit Noir] (Ultra-Vybe) など、これまでリリースしたミックス CDからも窺い知る事が出来る。近年は抽象性の高いテクノ系の楽曲を中心に、オーセンティックなフロアー・トラック、複雑なテクスチャーを持つ最新アヴァン・エレクトロニック・ミュージック、はたまた年代不詳のテクノ/ハウス・トラックからオブスキュアな近代電子音楽など、さまざまな特性を持つクセの強い楽曲群を垣根無くプレイ。それらを、抜群の構成力で同一線上に結びつける。そのDJプレイによってフロアに投影される世界観は、これまで競演してきた海外アーティストも含め様々なDJやアーティストらから数多くの称賛や共感の意を寄せられている。最近ではテクノの聖地 “Berghain" を中心に定期的にヨーロッパ・ツアーを行っているほか、台湾のクルーSmoke Machineとも連携・共振し、そのネットワークをアジアにまで拡げ、シーンのネクストを模索し続けている。

NHK'Koyxen (PAN | Diagonal | Mille Plateaux)

大阪出身のサウンドアーティスト。現在、大阪とベルリンを拠点に活動中。PAN、ラスター ノートン、SKAM/ラフ トレード、ワードサウンド、インポータントレコード等の海外レーベルから作品を発表し, 近年は毎年40回を超える海外公演を行う他、ペン画のインスタレーションや個展等を開催している。テクノ、ブレイクビーツ、ダブ、グライム等をクロスオーバーした即興的で歪なポリリズムパターンを駆使したライブセット展開するNHK yx Koyxenは、海外で非常に高い評価を得ており、2013年に現代美術の金字塔MoMAがキュレートし毎年NY行われているPS1 Warm Upに日本人初の出演を果たした。

Senyawa (Morphine)

SENYAWA はルリー・シャバラとヴキール・スヤディーによる実験的音楽のデュオ・プロジェクト。彼等はジャワ島のジョグジャカルタという街を活動拠点としている。ジャワの伝統音楽を実験的手法、自作楽器やアヴァンギャルドなアプローチによって唯一無二なオリジナル音楽と昇華させる手腕に、観る者は圧倒される。西洋音楽と伝統音楽の融合は、彼等の手腕によってまったく新しい境地に到達した。
幅広いヴォーカルテクニックで叙情豊かなポエトリーを吠える、ジャワの吟遊詩人ルリー。楽器発明家としても知られるヴキールは長い竹に弦を張った自作楽器を自在に操る。美しく精密なその楽器は、アコースティックサウンドからエフェクターを駆使したエレクトリックサウンド、優美な弦楽からパーカッシブな打撃音まで自由自在に往来する。

RASHAD BECKER (PAN, DE)

先日初のレーベル・ショーケースを成功させたベルリンの先鋭レーベルPANから、2013年に各所でその年のベストに選出された歴史的問題作『Traditional Music Of Notional Species Vol.1』をリリースした希有なサウンド・アーティストにして、テクノ~エクスペリメンタル界隈のみならず様々なジャンルのアーティストから支持されているベルリンの名門Dubplates & Masteringの天才マスタリング/カッティング・エンジニア、Rashad Becker。彼の構築するメロディやリズム、それらを構成する制約から解き放たれた蠢くようなノイズ/音像/残響が有機的に絡み合うこの上なくストレンジなサウンドは、これまで体験した事のない不気味な衝撃を聴く者全てに与えると同時に、耳の肥えたコアなリスナーをも虜にする中毒性は実験音楽の金字塔を打ち立てたと言っても過言ではない。


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