「IR」と一致するもの

interview with IR::Indigenous Resistance - ele-king

私たちにとってダブはスタイルではなく、アティチュードである。私たちは、音楽やその他の手段による抵抗や抗議、社会正義の主張が、植民地的・資本主義的・白人的な流れの中で制度化され、無力化され、活力を奪われた世界に住んでいる。ダブは、このような同化と融和のプロセスのB面なのだ。

 インディジェナス・レジスタンス(IR::Indigenous Resistance、以下「IR」)は、地球上の音楽シーンにおいて際立った存在感を放つダブ・アーティスト/アクティヴィスト集団だ。世界各地で反植民地主義と先住民の権利のために活動するIRのアクションは、音楽のみならず、絵画・書籍・映像・ストリートアートなど多岐にわたっている。おもな拠点のひとつはウガンダにあり、ジャングルの奥深くに創造的なアートスペース「Atuadub Shrine」がある。

 彼らは80年代のテクノ/ハウスや90年代のレイヴ・カルチャーの影で台頭してきた。IRとしての作品は2002年のザ・ファイアー・ディス・タイム『Krikati / Galdino / Remembering Galdino』(IR1)にはじまり、最新作の『Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T. 』(IR73)に至る。彼らの活動はきわめてアンダーグラウンドなもので、実態は依然として謎に包まれている。中心人物のひとりであるアマスタラは、人々がIRの全体像を把握しづらいのは彼らが意図的に行っていることだという。

アマスタラ:私たちはアクションのたびにチームを組み替え、世界同時多発的に、また、非中央集権的な組織作りを通じて、バビロンを混乱させることを目指している。たとえば、西パプア解放運動を支援するイベントでは、コロンビア、ブラジル、エチオピア、ウガンダ、インドネシアの共謀者や協力者と協力して同時開催を実現した。私たちが「African Anarchists」という曲の中で言及しているように、現在アフリカと呼ばれている地域には、古代において、中央集権的な王国ではなく、自治的な村々がゆるやかにつながった連合体によって統治されていた地域があった。私たちはこれを組織のモデルとして気に入っている。

「IRにとってダブとは?」とアマスタラに尋ねると、IRの音楽の本質であり、たんなるジャンルではなく抵抗のアティチュードである。そして「音の周波数を使った混乱でバビロンを震え上がらせること」だと答えてくれた。

アマスタラ:ジャマイカのダブ・レゲエは、デトロイト・テクノ、ハードコア・パンク、アフリカ音楽、そして南太平洋のソロモン諸島や北アメリカの先住民族の固有の音楽の伝統と同様に、私たちにとって大きなインスピレーションとなっています。私たちがこれらの影響を受けているのは、その根底にある深い原理があるから。つまり、私たちにとってダブはスタイルではなく、アティチュードなのです。エコーやリバーブ・エフェクトを使うことだけがダブではない。IRにとってダブとはたんなる音楽ジャンルや手法ではなく、本質。ダブとはあらゆるものの本質なんだよ。私たちは、音楽やその他の手段による抵抗や抗議、社会正義の主張が、植民地的・資本主義的・白人的な流れの中で制度化され、無力化され、活力を奪われた世界に住んでいる。ダブは、このような同化と融和のプロセスのB面なのだ。
 ダブは抑圧的なシステムに問題を引き起こしながらも、人類の向上に役立つようなやりかたでシステムに挑む。「バビロンを震え上がらせること」の重要性を、私たちはとくに強調したい。それは、音の周波数がどのように使われうるか、また使われるべきかという私たちの常識を完全に混乱させる。この混乱こそがダブをまったくもって美しくしているのであり、人生の美しさと奔放な複雑さを肯定しているのです。

 最新アルバム『Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T. 』に収録され、先行シングルとなった「Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality」は、日本人アーティスト、マサヤ・ファンタジスタとの共演。モンゴルでの偶然の出会いが、コラボレーションの契機になったという。ウランバートルのレコード店〈ドゥンゴル・レコーズ〉のオーナーを通じて知り合ったアマスタラとマサヤは、共通する音楽理念やモンゴル文化への理解を通じて友情を深めた。

アマスタラ:そう、本当に美しい出会いだった。それは私たちが「自然なダブの流れ(natural dub flow)」と呼ぶものです。2023年の夏、マサヤはドゥンゴル・レコーズの音楽スペース兼カフェの公式オープニングでプレイするために来ていた。マサヤはじつに静かで温かみのあるダブを醸し出していて、音楽の話になると、すぐに似たようなつながりがあることに気づいた。彼は私たちの音楽仲間であるデトロイト・テクノの反逆者アンダーグラウンド・レジスタンスとも関係が深かった。フェラ・クティのドラマー、トニー・アレンを日本に連れてきたときの責任者のひとりがマサヤだったと聞いて、さらにその絆は深まった。私がフェラ・クティ本人と個人的なつながりがあることを知って、彼は本当に驚き大喜びした。こうしてマサヤ・ファンタジスタはこのプロジェクトに参加することになりました。

Masaya Fantasista

「Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality」(夢はダブだが虐殺は現実だ)。重いテーマを扱ったこの曲で、先入観を覆すためにマサヤがもたらしたジャズの要素を取り入れたのだとアマスタラはいう。

アマスタラ:マサヤがこの曲に加えたジャズのエレガンスは、私たちが歌詞を書いた意図とも一致していた。ジェノサイド(大量虐殺)のようなトピックが音楽の焦点になると、人々はそれがパンクやノイズのような攻撃的な音楽ジャンルと結びついていると考えがちだ。私たちはパンクやノイズが大好きだけど、この先入観を覆したかった。トラックの最初の行が「彼らは優しく抱きしめ合った(They embraced tenderly)」なのはそのためだ。同時に、世界中で起こっているジェノサイドのさまざまな事例を、多くの人が予想するような形ではなく、ストーリーテリングの手法で語れるようにしたかった。
 マサヤのソウルフルなジャズのエレガンス、バッド・ブレインズのパンクの影響、バントゥー(Bantu)とダンシャ(Dhangsha)のノイズ、不協和音、ベース・ミュージックへの新しいアプローチ、エイドリアン・シャーウッド、マーク・スチュワート、ソイ・ソスのようなインダストリアル・ダブの影響、そして伝統的なアフリカのジャンベ・ドラムとモンゴルの馬頭琴。この曲の歌詞を書いているとき、私たちの魂に響いた曲のひとつがバニー・ウェイラーの「Bide Up」だった。ソウルフルなエレガンスと美しさに満ちた曲で、華麗なフルート、パーカッション、そして精神的な敬虔さと逆境に対する勝利に焦点を当てた歌詞に支えられたルーツ・レゲエ・トラックです。

 アルバムのハイライトとなる「A Fiery Kumina Groove For Thomas Sankara & Fela Kuti」(トーマス・サンカラとフェラ・クティのための燃えるようなクミナ・グルーヴ)には、ダブ空間に鳴り響くテクノ・ビートとともに、アフリカ起源の音楽のエレメントが色濃く込められている。

アマスタラ:アフリカ音楽の要素は、私たちの音楽に大きな役割を果たしている。ウガンダの伝統的なフルートや、ジャンベやケテ・ドラムなどの打楽器だけでなく、過去にはエチオピア西部のヌエル族やアヌアク族の伝統音楽で使われている撥弦楽器の親指ピアノも使ったことがある。これらの楽器は、エチオピア西部の土地収奪をテーマにしたIRの楽曲で演奏されています。また、強制的に奴隷にされたアフリカ人が海を越えて持ち込んだアフリカ音楽の伝統を活用していることも重要だ。ジャマイカのクミナやナイヤビンギの太鼓の伝統、そしてアフロ・コロンビアの重要な伝統である太平洋岸のマリンバ。クミナはコンゴから強制的に奴隷にされたアフリカ人がジャマイカに持ち込んだ精神的な儀式です。私は個人的にクミナの儀式を目撃したことがあり、そこには強烈な催眠術のようなドラミングがあり、参加者は踊りながらトランス状態に入っていきます。この儀式を目の当たりにするのはすばらしくうっとりする体験で、私はいつもこれを音楽のトラックに取り入れたいと考えていました。私たちの経験では、伝統のスピリットを真に感じれば、それは難なくダブに流れ込む。作為的なダブとは対照的な「自然なダブの流れ(natural dub flow)」なのです。

モンゴルのアンダーグラウンドにもアクセスするIR

2023年の夏、マサヤはドゥンゴル・レコーズの音楽スペース兼カフェの公式オープニングでプレイするために来ていた。マサヤはじつに静かで温かみのあるダブを醸し出していて、音楽の話になると、すぐに似たようなつながりがあることに気づいた。彼は私たちの音楽仲間であるデトロイト・テクノの反逆者アンダーグラウンド・レジスタンスとも関係が深かった。

 IRのスローガンのひとつ「ダブ・リアリティ」。
 「ダブ」と「現実」。一見すると相反するふたつの要素だが、彼らの言葉を借りるなら、IRはB面(ダブ)から見えるヴィジョンを通じて地球上の現実と人類の歴史を掘り下げ、同時に音楽としてのダブを拡張している。

 IRが行っていることは「全地球をダブにする」ことだと私には思える。
 アフリカを拠点に世界中の先住民との交流を続けるIRのダブは、ヘヴィなベースとエコー・チェンバーを武器に、はかりしれないパワーと知識とスピリットが注ぎ込まれた音楽なのだ。

 最後に、つい先日完成したIRによる短編映画を紹介しよう。
 アフリカの映画監督ジョシュア・アリベットとIRの3度目の共同制作であり、ジャマイカ出身のアマスタラがモンゴルを「もうひとつの故郷」とする体験を描いた『Mongolian Dub Journey』に触発されている。映画の舞台はウガンダだが、モンゴル文化がアフリカの背景に溶け込む様子が印象深い。
 ここでもIRは先住民族への暴力や抵抗運動への連帯を訴え、社会正義の可能性を問いかけている。

Under The Moon, We Return To Water : An Indigenous Resistance Dub Suite

■アルバム 情報

Indigenous Resistance
IR 73 Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T.

https://dubreality.bandcamp.com/album/ir-73-mongolia-african-ancestral-travel-m-a-a-t

Indigenous Resistance
IR 71 Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality + E book A Mongolian Dub Sublime

https://dubreality.bandcamp.com/album/ir-71-dreams-are-dub-but-genocide-is-a-reality-e-book-a-mongolian-dub-sublime

Hoyo Moriya - ele-king

 東京を拠点に活動するシンガーソングライター・森谷抱擁が、 world’s end girlfriend主催のレーベル〈Virgin Babylon Records〉より最新シングル“密儀”を発表。

 本日5月2日、Bandcamp Friday(パンデミック以降定期開催されている、手数料受け取りを免除することで売上のほぼ全額がアーティストやレーベル側に行き渡るキャンペーン)の開催にあわせてBandcampにて先行リリース。各種ストリーミング・サーヴィス上では5月17日より配信開始されるとのこと。

 ピアノ、ストリングス、ドラム、そして唄。最小限の構成で展開される、幽玄な雰囲気に満ちた楽曲です。

Artist : 森谷抱擁
Title : 密儀
Label : Virgin Babylon Records
Release Date : 2025.5.2 (Bandcamp) / 2025.5.17 (Streaming)
Format : Digital
Stream / Buy : https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/--142

──全編4分57秒。聴き手を灯りなき礼拝へと導く、儀式的ポストクラシカル。
本作では、彼が探究する『幻視日本』がいっそう鮮明に表現されている。
ささやく霊のような歌声、端正な古語調の詞。
ほの暗く幽玄な「密儀」の世界が立ち現れる。
(Virgin Babylon Records)


歌詞(英訳)
作詞・作曲:森谷抱擁

密儀 The Rite

目を閉じれども
Eyes closed,

目を開けども
Eyes open,

昏き夜にも
Even in the dark of night,

確かなもの
Something certain remains.


重たき扉
A heavy door

こじ開ける時
Prised open,

愛しあなたを
To seek you, my love,

求め翔ぶよ
I fly toward you.


雨夜の中を
In the rainy night,

光はしる
Light shines through,

愛の密儀
The mystery of love,

今はじまる
Beginning now.


実る果実
The ripened fruit,

ふたり齧る
Bitten by both,

ふたり齧る
Bitten by both.


幼生の時
In the time of the larvae,

繭の日月
Through cocooned days,

越えてぼくらは
We emerge,

翅を得たの
Wings gained.


耳元なぞる
The voice of obsidian

黒曜のこゑ
Tracing the edge of my ear,

潤んだ星に
Hands reaching

手を触れるよ
Toward the wet star.


雨夜の中を
In the rainy night,

光はしる
Light shines through,

愛の密儀
The mystery of love,

今はじまる
Beginning now.


夜の蜜が
The nectar of the night,

いま弾ける
Now bursts forth,

いま弾ける
Now bursts forth.

Emma-Jean Thackray - ele-king

 ロンドンのマルチ・アーティスト、エマ・ジーン・サックレイがグランジ、ポップ、ソウル、Pファンク、ジャズなど多岐にわたる影響を反映したという19曲入のアルバム『WEIRDO』を、ジャイルス・ピーターソンのレーベル〈Brownswood Recordings〉よりリリース。全楽曲の作詞・作曲・演奏・編曲をサックレイが務めた。

カッサ・オーヴァーオールを客演に迎えた先行シングル“It’s Okay (feat. Kassa Overall) ”なども話題を集めた本作は、パートナーの死という痛ましい出来事を経て生み出されたそうだ。トラックリストに目を向けると、“Save Me”や“Wanna Die”といった悲痛なタイトルから“Tofu”や“Thank You For The Day”のような明るい印象のものまでが並列化されている印象を受ける。まるで、人生における喜怒哀楽、日常と非日常を等価値なものとして受け止めるように。

 その音楽性はもちろんのこと、大いなる悲しみを超えて復帰する人間の力強さを感じられる作品としても聴けるような仕上がりになっているのかもしれない。

Artist : Emma-Jean Thackray
Title : WEIRDO
Label : Brownswood Recordings
Release Date : 2025.4.25
Format : LP / CD / Digital
Stream / Buy : https://emmajeanthackray.lnk.to/weirdo

Tracklist
1. Something Wrong With Your Mind
2. Weirdo
3. Stay
4. Let Me Sleep
5. Please Leave Me Alone
6. Save Me
7. Maybe Nowhere
8. What Is The Point
9. Black Hole ft. Reggie Watts
10. In Your Mind
11. Tofu
12. Fried Rice
13. Where’d You Go
14. Wanna Die
15. Staring At The Wall
16. I Don’t Recognise My Hands
17. It’s Okay ft. Kassa Overall
18. Remedy
19. Thank You For The Day


 ヴィジョナリーなマルチ・インストゥルメンタリスト/プロデューサー/ボーカリストであるエマ・ジーン・サックレイが、本日、自身史上最も大胆かつジャンルにとらわれない作品『Weirdo』を、Brownswood Recordings / Parlophoneよりリリースした。本作はUK音楽界における最重要アーティストのひとりであるサックレイによる、極めて個人的かつ勝利のステートメントであり、作曲、演奏、プロデュース、録音、ミックスのすべてを彼女自身が南ロンドンの自宅で手がけている。

 本作は、グランジ、ポップ、ソウル、Pファンク、ジャズなど、幅広い影響を取り入れつつ、“変わり者”であることの孤独を探求し、称賛する作品である。『Weirdo』は生き抜く力と個性を讃える勝利の賛歌であり、サックレイの卓越した音楽性と恐れを知らない自己表現の証として位置付けられる。

「このレコードを作ることが、私の命を救ってくれました。自分を完全に見失った状態から、再び自分自身へ戻る方法が必要だったんです。そして私は、音楽こそが自分のすべてであり、それ以外は何も重要じゃない。これまでにも完全に一人でレコードを作ったことはありますが、今回は特別でした。全エネルギーを自分自身に注ぐ必要があったからです。これは“生存のためのレコード”であり、痛みに満ちているけれど、おバカさもある。率直な歌詞と、楽しいグルーヴが同居していて、巨大な実存的問いの隣に、夕食を作ることについての日記のような内容もある。悲しみのダークコメディのようなもの。これは私の人生で最悪の1年を映し出した窓のようであり、絶望の深淵を旅した記録ですが、その先には光もあります」—エマ・ジーン・サックレイ

 本作は、Kassa Overallをフィーチャーした「It's Okay" feat. Kassa Overall」を含む一連の注目シングルによって先行して紹介された。「It’s Okay」は夢見心地で浮遊感に満ちた楽曲で、サックレイの音楽的多様性を如実に示している。「Wanna Die」は、激しいエネルギーと感情的な脆さが交錯した楽曲で、ユーモアあふれるビデオも話題となった。リズム的には遊び心あるビートを基盤にしつつ、生と死を巡る深い省察が織り込まれている。Reggie Wattsを迎えた「Black Hole」は、2023年末に発表され、Pファンクの美味なる一片として、ジャズ、ポップ、ソウルを独自のスタイルで融合させている。最終シングル「Maybe Nowhere」は、ブームバップ調のドラムと反響するボーカルの中で、喪失感のリアルさを描き出す大胆な一曲であり、ラストにはノイズの壁のようなサウンドへと展開する。

 アルバム全体には、強烈なインパクトと即効性を備えた名曲が多数収録されており、そのすべてがサックレイによって作詞・作曲・演奏・編曲されている。『Save Me』のキャッチーさには、初聴で歌わずにはいられない魅力がある。『Thank You For The Day』は、人生の瓦礫の中から生まれた、両手を掲げて歌いたくなるようなアンセムである。サックレイの個性は、短い楽曲群にも強く現れており、特に『Fried Rice』のような作品は、スキットというより日記の断片に近いと彼女自身が述べている。

 『Weirdo』は当初、神経多様性やメンタルヘルスについての瞑想として構想されたが、2023年1月に長年のパートナーを自然死で失うという予期せぬ出来事によって、その方向性が大きく変化した。結果的に本作は、極めて個人的でありながら普遍的な作品へと昇華された。緻密な作曲、剥き出しの感情、そして揺るぎない誠実さに満ちた『Weirdo』は、単なるアルバムではなく、レジリエンスの傑作であり、個性の祝福であり、英国音楽界の最前線に立つアーティストによる大胆な飛躍である。ジャンルと感情の境界を曖昧にしながら、Meshell Ndegeocello、Kate Bush、Nirvanaといったアーティストを彷彿とさせる――しかもダンスフロアで。

 エマ・ジーン・サックレイは、いまや現代音楽における最重要人物のひとりとして語られる存在だが、その道のりは決して常道ではなかった。ウェスト・ヨークシャーで生まれ育ち、Royal Welsh College of Music and DramaおよびTrinity Laban Conservatoireでクラシック音楽を学んだ彼女は、初期キャリアからジャンルの枠を打ち破る音楽性で注目を集めてきた。彼女は低所得の労働者階級家庭で育った。英国国家統計局によれば、俳優、音楽家、作家の92%以上が中〜高所得家庭出身であることを踏まえると、これは極めて稀なケースである。自主制作EP『Walrus』(2016年)やJazz FMアワードを受賞した『Yellow』(2021年)などを経て、サックレイはGlastonburyやロンドン交響楽団との共演など、名立たる会場やフェスティバルでの演奏を通じて、その革新的地位を確立してきた。

 『Weirdo』は、Yussef DayesやKokorokoらを擁する名門Brownswood Recordingsからの新たなスタートとなる。ロンドンの多様な音楽コミュニティに根ざす同レーベルは、ジャンルを越境するアーティストたちの拠点として機能しており、サックレイのような存在にとっては理想的な“ホーム”である。

 またサックレイは、今年、UKおよびヨーロッパでのヘッドライン・ツアーを発表しており、11月にはロンドンKOKOでの公演も予定されている。彼女は先日、Kamasi Washingtonのツアーサポートを終えたばかりで、4月〜5月にはインストアや単独公演も実施予定であり、その後は夏フェス出演も控えている。

青葉市子 - ele-king

 2016年から2017年ごろ、私は下北沢の小さなカフェにいた。収容人数は法的には30人が限界。青葉市子のソロセットがはじまる数分前、私は右側カウンターの奥、空いていた最後の席に腰を下ろした。完売とはいえ、店内は静かだった。初めて訪れるこのカフェには、かすかなざわめきだけが漂っていた。ステージなんてものはなく、ただテーブルと椅子を脇に寄せただけのスペース。よくある、フォークやアウトサイダー・ロック向けの親密な空間作りだ。ロックの狂騒には近づかない、静かな場所。
 『マホロボシヤ』(2016)という作品に惹かれてここに来た。客席を見渡しても、外国人は私だけだった。当時はそんなものだった。いま思えば、それがどれだけ特別な時間だったかがわかる。30人ばかりの視線を真正面から受けて、彼女は少しだけ恥ずかしそうだった。それでも、音楽は私たちを連れ去ってくれた。不安も、戦争も、クラブのビートもない、ただ静かで安全な場所へ。
 けれど、これが私にとって最初の青葉市子のライヴではなかった。初めて彼女を観たのは、灰野敬二率いる不失者のライヴ直後、六本木・Super Deluxe(いまはなき伝説の箱)で行われたツーマンだった。轟音と咆哮とノイズに1時間浸ったあと、彼女の繊細なギターと歌声に包まれる——そんな体験は、日本でしかできなかっただろう。

 2025年。あれから、すべては変わった。2010年のデビューから彼女は日本国内でカルト的人気を積み上げ、私がハマったころには、海外にもじわじわとファンが増えはじめていた。いまやその小さな火種は大きな炎となり、彼女は国内外のホールを満員にする存在になった。もう、あのカフェでの親密な奇跡を再び味わうことはないかもしれない。

 ギターと天使のような声をもって演奏する彼女は、ツアーコストが高騰するこの時代にも、どこへでも行ける。バンドでも電子音楽家でも手が届かない場所にさえ。Boredoms、ピチカート・ファイヴ、灰野敬二、Melt Banana……そんな先人たちと同じく、青葉市子はいま世界に愛され、そして自らもその世界を温かく抱きしめている。2025年、彼女はこれまでのJ-popアーティストたちの誰よりも多い日程を抱え、ワールドツアーに飛び立つ。
 国境なき受容。それは彼女の音楽と美意識をさらに広げた。『Windswept Adan』(2020年)、そして今年の『Luminescent Creatures』では、彼女は仲間たちとともに、まるで印象派の絵画のような音楽を描きはじめた。初期の、ただギターと声だけの、波打ち際か岐阜の田園で録られたかのような録音とは違う。最初のリリースから、彼女のアルバムジャケットは、ライトブルー、ピンク、バニラ、ライトグリーン……そんな淡いパステルカラーで統一されていた。時間に縛られない、テンポも間合いも自由な音楽。それこそが彼女の魔法だった。青葉市子の音楽は、時間の外側に存在している。そしてその救済こそが、ファンたちを彼女に引き寄せ続ける。

 『Luminescent Creatures』。マーケティングではオーケストラルなアルバム、荘厳なシングル「Luciferine」、イントロの“Coloratura”などが推されたが、実際には、より静寂に回帰した作品だ。『Windswept Adan』の色彩豊かな冒険から一転、原点回帰にも似た孤独が漂っている。全11曲中、1分弱のアンビエント曲が2曲。10年前の10分に及ぶ組曲とは対照的だ。ストーリーテリングは健在だが、抑制され、憂いを帯びている。美しい。でも、どこか悲しくて、内気だ。
 “Sonar”“Flag”“Mazamun”——これらは秘密の歌たちだ。子どもがこっそり手紙を畳んでポケットに忍ばせるように、大切な気持ちを守るための歌。だが、完全な孤独には沈まない。“Pirsomnia”や“Aurora”のような、自然と戯れるような小品が、彼女のバランス感覚を救っている。過剰な編曲に頼らず、それぞれの曲の呼吸を守る。そのせいか“Luciferine”の幻想的なワルツがいっそう際立つ。
 アルバムの中心にそびえる“Luciferine”は、エメラルド色の光を放つ。優雅で繊細で、女性的な輝き。これまででもっとも美しい曲のひとつだと思う。感情の高みと親密さ——私が思い出したのは、Sufjan Stevensだった。とくに『Planetarium』(2017年)。規模も質感も、親密さも、大胆さも、まるで姉妹作のようだ。
 『Luminescent Creatures』は、密やかな瞬間と、そっと広がる勇気のあいだを行き来する。そして、音の多様性に足を踏み入れた彼女が、これからどんな鮮やかな景色を見せてくれるのか、私はもう楽しみでならない。


In a small cafe in Shimokitazawa, around 2016 - 2017, that could only hold legally at most 30 people, I sat in the back next to the right side counter arriving only a few minutes before Aoba Ichiko started to play her solo set. Sold out, it was still quiet inside with small murmurs flowing among the patrons of the cafe of which I was visiting for the first time. The stage was a cleared space that is common for folk or off the grid rock cafes that aim for intimate settings without venturing too far into the rock experience.

Brought to this concert by the allure created from her single Mahoroboshiya, I sat as the only foreign patron. This is far from the case now but it does strike a very interesting contrast. I enjoyed the closeness to the performer who emitted bits of shyness at the 30 something attendees staring directly at her in such a small setting but it didn`t prevent the music from taking us away to a safe quiet place with no tribulation, no war, no anxiety, or rhythmic club trappings. But this wasn`t the first concert of hers I went to. No, the first was her dual concert following Haino Keiji`s Fushitsusha at the infamous now extinct Super Deluxe in Roppongi. The stark difference of listening for an hour to the blazing noise, bellowing shrieks and static frequencies of Fushitsusha then followed by the insular stillness of Aoba Ichiko`s strumming and sweet singing was an experience that I realize could only be experienced in Japan.

2025 is a different time for Aoba. From her 2010 debut, she has gradually acquired a cult following within Japan and probably at the same time I first got into her, a foreign audience also has started to slowly catch on. Now that tiny flame as turned into a full blown fire with her filling concert halls both domestic and abroad. A far cry from the cafe experience I may never experience again. Having only a guitar and an angelic

voice allows her mobility in the face of the rising costs of touring. It also allows her reach neither bands nor electronic musicians can ever have as she can perform literally anywhere. Similar to other outsider Japanese artists before her (Boredoms, Pizzicato Five, Haino Keiji, Melt Banana.....), Aoba has become increasingly embraced and supported by the international scene and Aoba herself likewise has embraced it warmly. This year sees her embarking on a tour worldwide packed with more dates than the majority of Jpop performers or bands ever perform.

This embrace of no borders has naturally encouraged her to broaden her sound and aesthetic. Her last major release Windswept Adan (2020) and this year`s Luminescent Creatures have found her surrounded by an assortment of backing musicians assembled for painting expressionist works unlike her raw beginnings of just straight to mic guitar and vocals with no additional effects. From her first release, each album cover literately was designed with just pastel colors (light blue, pink, vanilla, light green etc) and encased with music that was recorded as if on a cliff overlooking the sea or a quiet village somewhere in Gifu surrounded by rice fields. Just her and her guitar. Tempo, pacing and the acknowledgment of time totally free. Such was / is her charm. Aoba`s music exists beyond time and that relief is the golden treasure which binds her fans to her trajectory.

Luminescent Creatures, despite being somewhat marketed as an orchestrated album with the majestic single Luciferine, and the intro track COLORATURA, the album in reality is more of a retreat from the fuller more playful Windswept Adan. Luminescent Creatures feels at times not that far away from her first records in solitude. Definitely not folk

in concept, this is more a visual ambient record of a film never made. Windswept Adan was 14 tracks but Luminescent Creatures is 11 tracks with 2 mostly ambient tracks just at 1 minute long. A far cry from her 10 minute suites over 10 years ago. Aoba`s storytelling is ever present but subdued by the melancholic atmosphere. Indeed this is a very pretty album but also at times sad and shy. SONAR, FLAG, and maxamun are secret songs. Songs to keep your feelings safe in like a child would with their hidden thoughts on sticky folded paper stuffed in their hands or backpacks. Luminescent Creatures is saved from reaching too far into solitude though playing with fanciful nature in endearing songs like Pirsomnia and aurora. She finds a tranquil balance not allowing additional orchestration to dictate each song and this is exactly why the fantastical waltz chorus of Luciferine stands out so much. With much of the album wrapped in melancholy, Luciferine is the peak and center of the album. The song, begun wading in the luminescence that speaks of the album`s title, emits elegance and femininity beaming emerald light resembling the album cover. The regal brightness of the graceful delicate sound makes it one of the most beautiful songs she has ever written and holds court emotionally to similar triumphant but intimate works by artists like Sufjan Stevens, who was the first artist I thought of when experiencing the peaks and valleys of Luminescent Creatures. Sufjan Stevens`s Planetarium (2017) is definitely a companion album in scope, texture, intimacy, and boldness. Luminescent Creatures feels like a private moment with periods of outward courage. Now that Aoba has her feet wet with sound diversity, I look forward to an even more vivid display of creativity.

型破りの夜 - ele-king

 今年の2月のことである。Zoh Ambaはニューヨーク、ブルックリンの外れ──場所は〈Owl Music Parlor〉で演奏した。開演前、彼女と目が合った瞬間、なにかに見透かされたような気がして、私は思わず笑ってしまった。彼女は一言の躊躇もなく近づいてきて、「Zoh」と名乗った。短く、はっきりと。
 私は東京の音楽メディアで記事を書いていると告げ、編集者から「ぜひ彼女を見てくるように」と言われたことを伝えた。彼女はふっと笑い、少し首を傾けて言った。「サックスで知ったんだろうね」。その言い方には苛立ちと諦め、そしてある種の共感が同居していた。

 たしかに、彼女はサックス奏者だ。自由奔放で、制御不能で、神懸かりのように音を爆発させる──そんなZoh Ambaを私は想像していた。でもその夜、彼女が抱えていたのは、自分の身の丈ほどもあるアコースティック・ギターだった。楽器は違えど、そこにいたのはやはりZohだった。存在感は変わらない。むしろ、より剥き出しで鋭かった。
 オープニングはJohn Roseboro。バンドはなし。ギター一本と声。〈Owl〉の温かい照明の下で、彼のポスト・ボサノヴァ的なプレイが場をやわらかく包み込んでいく。彼の曲は短くて、静かで、驚くほど美しかった。なかでも“How to Pray”と“80 Summers”は、夜にふっと差し込む灯のようで、気がつけば私は、自分の呼吸が浅くなっているのを感じていた。彼は予定よりずっと長くステージに立ち続けた。ついにマイクに向かって尋ねる。「Zoh、もう来る? それとも、僕がもう少し?」
 Zohがステージに現れると、場の空気は瞬時に変わった。ギター、ベース、ドラム──トリオ編成。Zohはストラップをかけ、ギターの弦を強く弾き、叫ぶように歌った。黒のアイライナー、剃り上げた頭。まるで何かを拒絶するかのように。演奏されたのはすべてオリジナル。つい最近、友人と意見がぶつかったことから生まれた曲もあるという。コードは驚くほど単純で、しかし誠実だった。歌詞は詩のようで、“Give Me A Call”や“Child You’ll See”には、彼女の生き方そのものがにじみ出ていた。
 その夜のZoh Ambaは、アメリカーナの風景をまとっていた。ジョン・フェイヒーを思わせるギター、だがそこにはパンクの残響もある。言葉はまっすぐで、ときに観客にも突き刺さった。演奏の途中、席を立った数人に向かって、彼女は軽やかに皮肉った。「おやすみなさい。一番いいところを聴き逃しますね」

 彼女の歌声はときに外れた。ピッチも怪しい。でもそれは、不思議と心地よかった。侘び寂び、とでも言うべきか。不完全なものが持つ美しさ──それは、いまのアメリカでは失われつつある美学だ。ポップスターたちは、すべてをオートチューンに通し、25人のプロデューサーの手を経て完成品を届ける。2024年の選挙以降、シリコンバレーの影はさらに濃くなり、カルチャーさえも制御下に置かれていく。だがZoh AmbaとJohn Roseboroは、そんな回路を一切拒否していた。オートチューンもエフェクトもない。ただ楽器と声。アンプを少しだけ通して、それだけ。彼らはただ、そのままでここにいた。

 Zohはテネシーの山中で育った。森のなかでサックスを吹いていたという。バンジョーとアコースティック・ギター、アパラチアとスモーキー・マウンテン。彼女のルーツには、アメリカの本当の田舎がある。その風景は、2016年以降、政治的に嘲笑の的となってきた。“赤い州”──トランプ支持層──“アメリカの恥”。Zohの出自は、いまやアメリカでもっとも安全に非難できる対象に重なっている。

 それでも彼女は、その土地の音を否定しない。いや、むしろ正面から受け入れている。サックスを置き、ギターを選んだこと──それはただの音楽的選択ではなく、一種の声明だった。民謡的(フォーキー)な、政治の影をかいくぐるような、素朴で誠実な音。そこには、語られぬ抵抗のニュアンスがあった。演奏は政治的スローガンを掲げることもなかった。だがZohの音楽は、彼女自身のルーツをまっすぐに、誰にも媚びることなく肯定していた。

 そう、これはポスト政治でも無政治でもない。むしろ逆だ。彼女の音楽は、あまりに政治的になりすぎたこの国の風景に、あえて何も語らず立ち向かっていた。それはまるで、すべてを語り尽くした後の沈黙のように、重たく、美しかった。

最後にもう一度、彼女の言葉を──
 「そんな小さな心を抱えないで
  上からの声なんか気にしないで
  彷徨いなさい、子よ、君の住処を
  心がすべてを抱えているのだから」

Zoh Ambaは、どんなジャンルにも収まらない。どんな言葉でも彼女を定義できない。ギターを弾こうが、サックスを吹こうが、それは変わらない。〈Owl Music Parlor〉での夜は、そのことを静かに、しかし強く証明していた。

Outside the Box: An Evening with Zoh Amba on Acoustic Guitar
by Jillian Marshall

Zoh Amba performed at the Owl Music Parlor in Brooklyn, New York this February. The musician and I made eye-contact before the show started, and she immediately introduced herself to me. I told her I write for a music magazine in Tokyo, and that my editor recommended that I see check her out. She shook her head in a mix of what seemed to be frustration and understanding, and said that he must know her from her work on saxophone. She was right, although at The Owl she was playing guitar: an instrument nearly as tall as her. But this isn’t to say that she didn’t have a large presence. From that first interaction to the hug she gave me after the show as I was leaving, I was impressed with her honest, no-nonsense attitude that — yes— has defined her both sound as a free-jazz tenor saxophonist and her work on guitar.
Fellow guitarist John Roseboro opened for her, playing solo without his usual backing jazz combo. His beautiful post-Bossa Nova playing and singing cast a gentle glow over The Owl’s cozy atmosphere, and his original pieces (like the stunningly gorgeous “How to Pray” and “80 Summers”) were like delicious little lullabies. Zoh Amba was set to play forty five minutes later, but after an hour of playing John asked into his microphone: “Zoh, when are you coming on? Should I keep playing?”
When Zoh did come on, the established mood gave way to something more charged. Playing in a trio with a bassist and a drummer, Zoh strummed and picked her acoustic guitar while belting into the microphone with her signature black eye-liner and shaved head. Her set was comprised of all originals, some nearly brand new— like one, she explained, that was inspired by disagreement with a friend from just a few weeks prior. The chords were simple and beautiful, and her lyrics (like on “Give Me A Call” and “Child You’ll See”) were poetic homages to authentic living. Although her sound on guitar that night was very folksy — sounding at times like American roots guitarist John Fahey — it retained an avant-garde, anti-establishment, punk- adjacent sensibility... especially since she playfully heckled a few people who got up to leave in the middle of her performance: “Hey, have a good night, but you’re missing out on the best part!”
Perhaps it’s because of her performance’s rawness. At times, her singing was pitchy and even out of tune, yet it was undeniably pretty in a wabi-sabi sort of way. There’s something refreshing— and perhaps even resistance-coded — about human beings making music with instruments and real, unfiltered voices. This is particularly true in today’s America (and world), where pop stars run everything through auto-tune as per the direction of twenty-five producers in a studio, and the presence of tech oligarchs has looms larger than ever since the 2024 election. But Zoh Amba and her guitar (as well as John Roseboro, for that matter) have no such meddling: no autotune, no production affects, no mediation besides some light amplification. They simply show up, and grace the audience with their pure artistry.
Zoh Amba grew up in the mountains of Tennessee, and is famously quoted as saying that she practiced her tenor saxophone in the woods. The thing about Tennessee— a rural state famous for the Appalachian and Smokey Mountain Ranges, as well as American folk music with its banjos and acoustic guitars— is that it’s also a red (republican-leaning) state. Americans associate red states, particularly since Trump’s first election in 2016 when the US’s political divide became officially cataclysmic, with backwater hicks: bad, racist white people who are responsible for America’s political embarrassments. And as I’ve written before, this is the one group in America it remains entirely politically correct (or perhaps even encouraged) to rip apart.

So Zoh Amba putting down the saxophone and picking up the guitar— something she seemed adamant about defending when we chatted before the show— seems somehow political to me. The music she played at The Owl Music Cafe wasn’t necessarily revolutionary in the way of her free jazz on saxophone. But its simplicity, and the authenticity with which she played, were both stirring and provoking. Although her set didn’t reference contemporary American politics or the ways in which rural America is disenfranchised, her set at The Owl Music Parlor seemed like an expression of her heritage: a celebration of those pre-political, beautiful, natural aspects of American folklore, complicated though Americana may be. Ultimately, her set reminded me of how important it is to remember that government is not representative of people, of heart, of culture. As she sang out on “Child You’ll See”, “To carry around such a little mind / Don’t listen to those folks above, just wander child in your abode / The heart is the center, it holds it all.”
Zoh Amba can’t be put in a box, no matter what she plays. Her show at The Owl Music Parlor was a testament to that.

Knxwledge & Mndsgn - ele-king

 現代〈Stones Throw〉を支える2アーティスト、ノレッジとマインドデザインが揃って来日を果たす。6/7の東京公演を皮切りに、福岡(6/13)、大阪(6/14)、名古屋(6/15)をまわります。STUTS&KM&ISSUGI(東京)、OLIVE OIL(福岡)、MURO(大阪)と、各地で強力な出演者も決定。これは行くしかないでしょう!

KNXWLEDGE + MNDSGNによる
〈Stones Throw〉ジャパンツアー2025(6月)
東京公演の国内出演アーティストが発表
大阪に続き、福岡・名古屋公演も開催決定
STUTS|KM|ISSUGI(東京)
MURO(大阪)、OLIVE OIL(福岡)らが出演

STONES THROW JAPAN TOUR 2025
KNXWLEDGE | MNDSGN

presented by CARHARTT WIP

6.7(Sat)Tokyo 東京 @ O-East (Midnight East)
6.13(Fri)Fukuoka 福岡 @ THEATER 010
6.14(Sat)Osaka 大阪 @ JOULE
6.15(Sun)Nagoya 名古屋 @ JB'S

LA発―世界最高峰のインディレーベル〈Stones Throw〉から、2大アーティスト―KNXWLEDGE(ノレッジ)とMNDSGN(マインドデザイン)が揃ってジャパンツアーを開催。6月7日(土)東京公演 @ Spotify O-EAST「MIDNIGHT EAST」の国内の出演者が本日発表、さらに大阪に続き、福岡、名古屋公演の追加公演の開催も決定した。

アンダーソン・パークとのユニット: NxWorries(ノーウォーリーズ)でグラミー賞を受賞したばかりのヒップホップ・ビートメイカー:ノレッジ。マッドリブやJ.ディラを継承するヒップホップ・ビートメイキングで、ケンドリック・ラマー、ジョーイ・バッドアス、アール・スウェットシャツなど数多くのアーティストたちにもビートを提供してきた、現LAシーンを代表するアーティストだ。

そして、ビートメイキングから鍵盤や歌もこなすLAシーン屈指の多才アーティスト:マインドデザインは、ヒップホップをベースにディスコ、ブギー、R&Bなど多様なエレメンツを織り交ぜたオリジナルなスタイルで現在のLAビートシーンを牽引する最注目アーティスト。フライヤーのアートワークはMndsgn自らが手がけた特別仕様となる。このツアーでは、シーンの最前線で活躍する2人のエクスクルーシブな音源が多数披露される予定。

東京公演には、Stones Throwに所縁のある国内の実力派アーティストたちが集結。STUTS、KM、 ISSUGI & GRADIS NICE、ZEN-LA-ROCK、仙人掌のDJ名義DJ SLOWCURVらがラインナップに。

大阪公演にはDJ MUROがゲスト出演。福岡公演にはOLIVE OIL × POPY OILが出演決定。

Carhartt WIP x Stones ThrowのコラボTシャツが会場限定で販売予定だ。
東京公演では、パーティーを彩る、モンキーショルダーのスペシャルなドリンクも販売決定。

LAの空気を日本で堪能できる、貴重な一夜をお見逃しなく。

Don't miss Stones Throw's very own Knxwledge and Mndsgn's Japan Tour

June 7(Sat) Tokyo @ O-EAST (MIDNIGHT EAST)
June 13(Fri) Fukuoka @ THEATRE 010
June 14(Sat) Osaka @ JOULE
June 15(Sun) Nagoya @ JB’S

Fresh off a Grammy win as one half of NxWorries (alongside Anderson .Paak), hip-hop beatmaker Knxwledge! And one of LA’s most versatile artists, Mndsgn, who seamlessly blends beatmaking with keys and vocals!

With an exclusive collaboration with Carhartt WIP also in the works, this will be a truly special tour!

Knxwledge, a defining figure of LA’s current scene, carries the legacy of Madlib and J Dilla in his hip-hop beatmaking. He has crafted beats for the likes of Kendrick Lamar, Joey Bada$$, and Earl Sweatshirt. And Mndsgn, who is at the forefront of the LA beat scene, blending hip-hop with disco, R&B, and other eclectic elements creating a signature sound.

Expect an exclusive showcase of new material from these two trailblazing artists. Plus, top-tier domestic artists will join in - STUTS, KM and more for Tokyo show, DJ Muro for Osaka show and Olive Oil for Fukuoka show.

Limited-edition Carhartt WIP x Stones Throw collaboration T-shirts will be available exclusively at the venues.

Experience LA’s vibrant energy in each city of Japan.

東京 TOKYO Event Info

STONES THROW x MIDNIGHT EAST presents
KNXWLEDGE & MNDSGN
Live in TOKYO
supported by CARHARTT WIP

2025.6.7(SAT) June 7th
at MIDNIGHT EAST (Spotify O-EAST & AZUMAYA)

【 O-EAST 】
KNXWLEDGE (NxWorries | Stones Throw | LA)
MNDSGN (Stones Throw | LA)
LIVE : ISSUGI & GRADIS NICE | STUTS
DJ : KM | ZEN-LA-ROCK

【 AZUMAYA 】
DJ : DAH-ISH | 凸凹。| DJ SLOWCURV | GRADIS NICE | WATTER

【 EAST 3F 】

DJ Dreamboy | DJ KENTA | 原島"ど真ん中"宙芳 | 矢部ユウナ & more

*Lineup-AtoZ-

OPEN/START: 24:00
ADV ¥4,000 | DOOR ¥4,500 | Under23 ¥3,500

Support : MONKEY SHOULDER

EVENT PAGE: https://shibuya-o.com/east/schedule/0607-stonesthrow/

Tickets available at
Zaiko
RA
e+

INFORMATION:
Spotify O-EAST 03-5458-4681
https://shibuya-o.com/east/club/
NOTES:
※ドリンク代別途必要。
※U23チケットは当日券のみの販売になります。(要顔写真付き身分証明書。)
※20歳未満入場不可。(要顔写真付き身分証明書。)
※出演者は予告なく変更になる場合がございますので、予めご了承ください。
※客席を含む会場内の映像・写真が公開されることがあります。
※ 1 Drink fee will be charged upon arrival.
※Under23 tickets are only available on the day of the event. (Photo ID required.)
※ Must be 20 or over with Photo ID to enter.
※Please note that the performers are subject to change without notice.
※Please be aware that videos and photos during the event, including the audience , may be released.

SEEDA - ele-king

 去る3月に約13年ぶりとなるアルバムを発表し話題となったSEEDA。そのCDとTシャツのセットが販売されることになった。完全受注生産で、〆切は4月30日。欲しい方は急ぎましょう。

SEEDAの話題のニューアルバム『親子星』が完全受注生産のCD+Tシャツのセットで販売決定!Tシャツは原宿Awesome Boyとのコラボレーションになり、本日より予約受付開始!

 約13年ぶりにリリースされたSEEDAの話題沸騰中なニューアルバム『親子星』、待望となるCDのリリースが決定!今回は原宿Awesome BoyとのコラボレーションによるTシャツとのセットでの販売となり、Tシャツは『親子星』ジャケットTシャツ(ホワイト)とSEEDAフェイスTシャツ(ブラック)の2タイプで完全受注生産となります。
Tシャツのボディはオーガニックコットン製/8.2オンスの通常のTシャツよりも厚手の生地を使用しており、CDはデジパック仕様で歌詞カードを封入。の特製ジップロックにTシャツとCDを封入したスペシャルな仕様でお届けいたします。またCD単体、Tシャツ単体での販売予定はございませんのでご注意ください。
 本日より予約受付を開始しており、締切は4月30日(水)正午となります。

*SEEDA 『親子星 (CD+Tシャツ)』ご予約ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/products/seeda_oyakoboshi

<商品情報>
アーティスト:SEEDA
タイトル:親子星 (CD+Tシャツ)
カラー:ジャケットTシャツ(ホワイト) / フェイスTシャツ(ブラック)
サイズ: M / L / XL / XXL
販売価格: 9,800円(税抜)
受注締切:2025年4月30日(水)正午
発送予定:2025年5月下旬頃予定

※オーダー後のキャンセル・変更は不可となります。
※商品発送は5月下旬頃を予定しております。
※配送の日付指定・時間指定は出来ません。
※ボディはオーガニックコットン製/8.2オンスの厚手の生地を使用しております。

*SEEDA : 親子星 (Music video)
https://www.youtube.com/watch?v=uLpaiRGld3Q

<トラックリスト>
01. G.O.A.T.(prod by D3adStock)
02. Slick Back ft. Tiji Jojo, Myghty Tommy & LEX(prod by D3adStock)
03. OUTSIDE ft. IO & D.O(prod by ZOT on the WAVE & Homunculu$)
04. Kawasaki Blue(prod by ghostpops & D3adStock)
05. The tunnel to tomorrow skit(prod by Bohemia Lynch)
06. L.P.D.N. ft. VERBAL(prod by HOLLY)
07. 4AM ft. D3adStock(prod by Chaki Zulu)
08. ニキskit
09. みたび不定職者 ft. Jinmenusagi & ID(prod by BACHLOGIC)
10. Summer in London ft. Amiide(prod by D3adStock)
11. Daydreaming pt.2(prod by KM)
12. 親子星(prod by ZOT on the WAVE, NOVA & Homunculu$)
13. SUKIYAKI ft. Kamiyada+ & Braxton Knight(prod by Ryuuki)

R.I.P. Max Romeo - ele-king

 もう一度ジュリエットに会いたいという思いがたかぶり、ロミオは彼女の家の敷地に忍び込む。――あの恋愛劇、屈指の名場面だ。ジャマイカはセイント・アン教区で生まれ、18歳でキングストンに出てきたカントリーマン、マックスウェル・リヴィングストン・スミスは、ある朝、ある女の子の家の門のところで彼女と話をしていた。彼女の父親は二人の脇を通って仕事に出かけていったが、その後も若い二人は時間を忘れて話し込み、そのうちに、なんと父親は一日の仕事を終えて帰ってきてしまう。「なんだオマエ! 同じ場所に……同じ服……あれからずっとここにいるのか? 帰れ! オマエはロミオか!」。周囲にいた人々は爆笑し、それ以降マックスウェルはその界隈で「ヘイ、ロミオ!」と冷やかされるようになった。というエピソードを気に入った芸名創作の天才、スーパー・プロデューサーのバニー〝ストライカー〟リーは、かくして〝MAXで愛に生きる男〟を世に送り出すことになるのだ……「夢精」というロマンティックな曲で(笑)。と、追悼文の冒頭にして、似つかわしくないファニーなオチがつくのだが、そのロミオはそこから三、四年のうちには社会派に転向し、以後終生そのパブリック・イメージとなる、ラスタ・コンシャスでポリティカルなルーツ・レゲエ界屈指のプロテスト・シンガーになってゆく。しかし実際のところ、2025年4月11日に80歳で没するまで、彼のメッセージは、その芸名にたがわぬスケイルの大きな愛に満ちていた。
 キャリアについて正確を期すと、マックス・ロミオになる前の彼は、ジ・エモウションズというヴォーカル・グループの一員だった。メンバーにはレゲエ史上最高のベイシスト、ロビー・シェイクスピア(スライ&ロビー)の兄であるロイド・シェイクスピアがいたが、そのエモウションズの流れからロミオは自身のバック・バンドとしてザ・ヒッピー・ボーイズを組織し、そのバンドがリー・ペリーのハウス・バンド:ジ・アップセッターズになり、それがボブ・マーリーのウェイラーズ・バンドに進展して世界的に成功する話と、その過程から派生してロビーとスライ・ダンバー、すなわちスライ&ロビーもワールドワイドにのしていったドラマティックな経緯については、以前ロビー・シェイクスピアの追悼文で書いた。ここで肝心なのはシェイクスピアつながりの二重オチではなく、マックス・ロミオがボブ・マーリー、スライ&ロビー、リー・ペリーの成功(要するにレゲエ史の中核である)の、その源泉に存在していたことだ。ある “星” の下に生まれた人物とは、経済的なあれこれは別問題としてそういうものなのだ。

 この数日で何ヶ国かから発信されたロミオの訃報記事を多数読んだが、どれも前掲曲、性的に露骨で直截的な “Wet Dream” に、そっと一言だけ(笑)言及している。同曲はまず1968年に本国で大ヒット。英《BBC》は放送禁止にするも、翌69年に彼にとって最初の国際的なヒット曲となり、かつ、ある記事によれば結局彼最大の商業ヒットとなったらしいから、ややもすれば代表曲扱いされてもおかしくないのであり、無論業績として触れないわけにいかない。その一方、レゲエ界で最も信用されるコンシャス・シンガーのひとりとして生きた晩年の重鎮は、半世紀前に「夢精」なる曲を書いて歌った “若気の至り” を恥じていたか? ……といえば、全くそんなことはない様子だった。映像やテクストでネットに上がっている近年のインタヴューでも、同曲の思い出について愉快そうに語っている。
 ――自分が書いた詞の内容を特に好んでいたわけでもないが、この曲を歌ってもらおうとしたスリム・スミスやジョン・ホルト、デリック・モーガンやロイ・シャーリーといた面々から歌詞のせいでことごとく拒否され、当時面倒を見てくれていたボス、バニー・リーの手前、誰も歌う人がいないならと、仕方なくボスのためにその “猥歌” を自分で歌うと決めたこと(しかし実際のレコードにプロデューサーとしてのリーの名前はクレジットされなかった)。また、同曲のレコーディングを《ジャメイカ・レコーディング・ステューディオ(ステューディオ・ワン)》を賃借りして行なおうとするが、リハで歌詞を耳にした同所のオウナー、コクスン・ドッドに追い出されそうになったこと、等々。
 しかし、彼は誇らしげにつけ加えている――こういう “口にしちゃいけないこと” を歌うことが、英国のタブー、性的な表現への偏見に対する挑発でもあったし、実際、イギリスのスキンヘッズは自分たちの性的な感情を解放するものとして、そしてタブーに対するアンチテーゼとしてこの曲を受け入れた。半世紀経って、いまだにスキンヘッドがオレのショウにやってくるとこの曲を要求される。自分から進んで歌いはしないが、リクエストされたら応えられるようにバンドは常にリハーサルしてるんだよ、と。
 以前、世界中のジャーナリストからこの曲について訊かれ過ぎてうんざりしたのか “敬虔なラスタファリアン” ロミオは、「あれは単に雨漏りの歌だ」とうそぶいたこと自体が今日伝説化しているが、そのユーモアを含め、義理堅さ、タブーに挑戦する姿勢、誠実さ、サーヴィス精神といった篤実家ロミオのキャラクターは既にこの曲にまつわるエピソードだけで全開になる。
 さらにこの “Wet Dream” (a.k.a. Leaky Roof・笑)は、聖俗、ときに清濁さえ併せ持ってこそのジャメイカン・カルチャーであるという、我々が愛する文化の本質を思い起こさせてくれる。ロミオは、今はなき『レゲエ・マガジン』の41号(1994年)、小玉和文によるとてもいいインタヴューの中でこう自認している――「ロイド・チャーマーズ、プリンス・バスター、デリック・モーガン、そしてオレが最初のスラック・シンガー四天王だった。でも、我々は今の連中の様にそうあからさまじゃないよ。オレのスラックをちゃんと理解するには想像力が必要なんだ」
 スラック(slack:卑猥)な歌の文化はどの国にもあったし、そんな歌を嬉々として歌っていたストリート・ボーイが敬虔なラスタファリアンに転身することは社会構造と歴史に開眼したゆえの成長であり、その点においてもマックス・ロミオはスラックネスからホーリーネスへと転じた現在のスーパースター、ブジュ・バンタンやケイプルトンの大先輩であった。
 エモウションズ~スラックネス・シンガーまでが第一期だとすると、そのロミオも第二期で社会派歌手へ転身、となる。彼の71年作『Let the Power Fall』のタイトル・チューンをPNP(人民国家党/民主社会主義政党)が72年の総選挙のキャンペイン・ソングに採用したとか、同党を支持したのに政権を奪取したあとのPNPの改革の遅さに失望したロミオが、同党首を批判するディス・ソング “No Joshua No” をリリースしたといったエピソードはロミオの訃報報道の多くに載っているし、政治とレゲエ(とラスタ思想)とが明確なリンケージを示した最も初期の例としてレゲエの教科書には必ず出てくる話なので詳述は割愛し、ここではロミオが、ジャマイカで音楽がポリティカルな力を持ち、武器にすらなることを示したパイオニアでもあることの確認にとどめる。このエピソードも、掘っていけば、国の行く末を案じた彼の真摯な思い、純真さや率直性が明らかになってくるのだが。
 盟友リー・ペリーと組んだ76年作、彼の最高傑作の誉れが高い『War Ina Babylon』についても、例えば収録曲の “Chase the Devil” が1992年にザ・プロディジー “Out Of Space” でサンプリングされヒットし、さらに10年を経て2003年にはジェイ=Zの “Lucifer” で、プロデューサーのカニエ・ウェストが同曲の天才的引用を見せたこと、さらには2005年にマッドネスがデニス・ボヴェールのプロデュースで名カヴァーを残していることまで含めて、もはや語り尽くされている。特に前者二曲がマックス・ロミオ(とリー・ペリー)の功績を、世代を超えて世界中に知らしめた功績には絶大なものがあった。この調子で、追悼文はもう少し続くが、長くて嫌になった人は文末まで飛ばして最後だけ読んで欲しい。先発のおそらくどの追悼文にも書いていない大切なことを書いたつもりなので。

 ずっと他の報道と重複することを書いてもつまらないので、自分の体験談として1980年代中期、オレが10代末に初めて買ったロミオの想い出深いレコードの話をしたい。それは日本盤のLP『ラヴィング・ユー』(ウーレル/ユピテル)だった。ジャケットは永井博のトロピカルなイラスト。当時最先端をいっていた、その絵のイケてるモードに惹かれないはずがなかった。今ならレゲエのレコードのヴィジュアルとしてはおよそ首肯しかねる種のものだが、何しろ大瀧詠一との『A LONG VACATION』の数年後、依然としてあの音楽とイラストが一世を風靡している時代の画伯の真骨頂たる図案の威力は絶大だったし、同時にそれをまとう音の中身も相当にイケてるのだろうと想像させた。しかし、そのジャケットの裏面にはロミオ、プロデューサーのジェフリー・チャンとキース・リチャーズの、言ってみれば “むさい” 写真がドカンと鎮座し、その表と裏のギャップに没入していくことをマゾヒスティックに欲した上に、盤のオビのうたい文句は〈サマー・インテリア1983 小麦色ミュージック~マックス・ロメオのおしゃれなレゲエ・アルバム〉とくるのである(……レコード会社の仕事は楽ではない)。だからといってやぶれかぶれな気持ちで買ったわけではなく、動機は明確にキース・リチャーズだった。ローリング・ストーンズ “Dance (Pt. 1)” にロミオがバッキング・ヴォーカルで参加したことのお返しに、リチャーズがロミオのアルバムで弾いていることを友人から聞き、ストーンズ・フリークとして〈買い物リスト〉に入っていたアイテムだったからだが、その晩、そいつに針を落とし、1曲目“Wishing for Love” がスピーカーから飛び出してきた瞬間、目に映る世界の色彩が変わったような衝撃を受けるのだ。スライ&ロビー、チナ・スミス、そして確かに『エモーショナル・レスキュー』期に多用していた奏法のキースらによるアンサンブルは、ファットでロックでスタイリッシュ(そのすべてがある!)だし、そのうわべをたゆたう優しげでセクシーでソウルフルなロミオの声の美しさに鳥肌が立った。それが、当時その言葉も知らなかった “ラヴァーズ・ロック” を生まれて初めて聴いた(もしくは初めて意識に刻まれた)瞬間である。つまり、オレにとっては初めてのラヴァーズ・ロックもロミオだったのであり、この原体験は、現在に至るまで自分のラヴァーズ・ロックに対する審美眼の基準になっている。同時に、本稿の冒頭に書いたロミオの芸名の由来を後年インタヴューで知った際、そのエピソードがまさしくストンと腹落ちしたのだった。
(ちなみに、アルバム『ラヴィング・ユー』の米オリジナル盤のタイトルは『Holding Out My Love to You』だ。また、この『ラヴィング・ユー』の他にも83年から85年にかけて『メイク・ウィ・ロック(Mek-Wi-Rock)』『アイ・ラヴ・マイ・ミュージック』『One Way』と、続々ロミオの日本盤が出ていたことが分かって次々に買い集めることになるのだが、それらの音源をライセンスしていたのが日本レゲエ界のゴッドファザー、石井志津男その人であることをのちに知ることになる。日本のレゲエ文化の黎明期にマックス・ロミオがこんなに熱心に紹介されていたことは今、再確認するに値しよう。《_WAH! Radio》に最近アップされた《24×7 RECORDS》の八幡浩司がホストのインタヴュー番組〈IN THE BEGINNING 石井志津男編〉でもその時代の話が聴けて非常に興味深い。https://soundcloud.com/radio-wah-328329842/sets/in-the-begining)

 80年代は、日本でも他に《NECアベニュー》や《タキオン》からのリリースもあった事実が、この国のリスナーがロミオを高く評価していたことの証左となる。当時の国内リリースからもう一曲印象深い曲として、前傾『One Way』収録の “The Birth of Reggae Music” を挙げておきたい。〈ジャーがベイスを入れて4分の4拍子をロックさせる。レゲエは山々の霊気から、ゲットーの飢えから、人々の魂の響きから生まれる。そのメッセージをバビロンに送りつけるんだ。闘いをギブアップすることはない〉と厳かに歌われる米《ワッキーズ》プロダクションの(2007年には独《ベイシック・チャンネル》から再発された)大名曲だ。
 90年代のUKジャー・シャカ・プロダクション二作とダブも忘れ難い。ロミオは80年代の後半に公私共に難しい時期を送ったらしいのだが、そのことと関係しているのか、この時期にあの立派なドレッドロックスを一度切り落としている。そうすることで「ジャーに対して自分がやり直すという意気込みを伝えたんだ」(前傾『レゲエ・マガジン』41号)ということだったようだ。シャカ制作の92年作『Fari - Captain of My Ship』のジャケット写真を見て、その風貌にとても驚いたことまでハッキリ覚えているが、そうまでして心機一転し、改めて立派なロックスをいちから大切に伸ばしていった後年の彼にも、その生真面目な一本気が偲ばれるのだ。
 新たな世紀に入っても、寡作ながらリリースを続け、むしろ積極的にヨーロッパを中心にツアーやフェス出演を何度となく行なったから、この頃のライヴ映像はDVD化もされたし、容易に目にすることができる。
 この一週間でそんなロミオの映像のいくつかを観、アルバムを初期から晩年までランダムに10枚ほど聴いた。そうすると、青々として瑞々しい美声から、艶が増し、円熟味を帯び、渋さが出てきて、枯淡の境地に至る、とても美しいグラデイションを生きた歌手だったことが実感される。もちろん冴えを欠くスランプ期もあったし、チープなサウンド・プロダクションのせいで美点が抑圧された作品もあるが、どんなときでも誠実さが温度感のある安心をくれたものだった。
 つい先頃、2023年にはヨーロッパを中心に約60箇所を回る〈フェアウェル・ツアー〉を敢行したことも記憶に新しい。彼は自分でキャリアの最期を決め、そこから逆算して大規模な最終ツアーを企画し、ファンに律儀にさよならを告げに行った。そうやって最後まで積極的に経験を積み重ね、魅力を増し、アーティストとして見事な着地を果たしたロミオの代表作が、遠い昔60年代や70年代にしか存在しないかのようなそのへんの追悼報道は一体どんな了見なのかと思う。この、まさしくセルフ・コントロールと “自己完結” を旨とした晩年、最終期にこそ、彼のキャリアの集大成、真の代表作があるとしたい。それが彼にふさわしい評価ではないか?
 2019年、フランスの《バコ》からリリースされた、おそらく純粋な意味での最後のフル・アルバムという扱いになるのだろう『Words from the Brave』がそれだ。“勇士の言葉” などと自らの作品を具体的に、そして力強く形容したアルバム・タイトルは過去になかった。また、シングル “The Farmer's Story” ではキャリア初のMVまで制作し、自身のルーツともいえる18歳以前の貧しい農夫時代の記憶に立ち返っているのも何やら暗示的ではある。16年のツアーでバックを務めたフランスのルーツ・ヘリティッジ・バンドとの録音群に、マックス本人と息子のアジージ・ロミオが伴奏を用意した3曲を加えた全10曲。拙著『レゲエ・ディフィニティヴ』でも力を込めて激賞したが、この作品の激しさ、重厚さ、リッチさ、滋味深さは、遺作として驚異的としか言いようがないばかりか、全キャリアを通して見ても紛う方なき大傑作である。

 連中はオレたちをスポーツと戦争に使うのみだ。そして教会と酒場さえ与えておけばいいってんだろう。今吸ってる息がきみの最後の呼吸になるかもしれない。よこしまな政治屋に火を放て。苦しむ人々に圧をかけてくる奴らに。意味不明な説教を垂れる牧師にもだ。

 炎、炎、世界が燃えている。腐敗した政治家が炎をさらに煽っている。人は謙虚で柔和であるべきなんだ。蒔いた種は自分で刈り取ることになるのだから。

 このアルバムを聴いて弔いとすることをおすすめしたい。あなたが聴きたいマックス・ロミオはこれではないだろうか? というか、あなたが聴きたいレゲエはこれではないだろうか?

Actress - ele-king

 アクトレスは2022年以降、キャリア15年目のアーティストとしては意外なほどリリースのペースを加速させている。世のなかの移ろいゆく情勢や経済状況に追いつけず、レーダーから姿を消してしまうアーティストは珍しくない。パンデミックが多くのアーティストが自身のキャリアにおける2〜3年の空白期間を省略するきっかけとなったのだろうか?  あるいは、それはInstagram的で過剰な情報社会への反応なのだろうか? アーティストは、もちろんアーティストとしてあるべきであり、彼らがどのようなキャリアパスや表現のフィールドを選ぶにしても、私たちはその作品をまずは恐れや偏見なく受け止めるべきなのだ。
 インスピレーションや創造性には、経済状況における「量と質の呪い」が関わっている。果たして、「少ないこと」は本当に「より多く」や「より良いマーケティング」に繋がるのか?  頻繁なリリースは編集的フィルターの欠如の表れなのだろうか? もし4年待って34曲入りのアルバムが出たとして、果たして誰かが全曲をちゃんと聴くだろうか? そんな問いの数々に明確な答えはない。
 そうした葛藤の最中に、アクトレスはわずか1ヶ月のあいだに2つの作品をリリースした。「量と質」を比較検証してみよう。

 まずはその1枚、『Grey Interiors』(Smalltown Supersound)。これはActual Objectsとのコラボで「ベルリナーフェストシュピーレのインスタレーション作品として制作された」1トラック構成のアンビエント作品だ。
 2枚目は、『Tranzkript 1』(Modern Obscure Music)という4曲入りのEP。

 アクトレスのアンビエント色が増す最近の作品群は、若かりし頃の彼がレコードでやることを恐れていた領域——すなわち、自らの多様な感情に深く潜り込み、定型的な繰り返しから解放され、トラックに人間味ある呼吸を与える——へと踏み出している。彼のライヴを観たことがある幸運な人ならわかると思うが、最近の彼のアンビエントに対するスタンスは、彼のライヴ・セットに近く、従来の6分以内の楽曲が多いアルバム群はどちらかといえば風景スケッチ的だった。それゆえ、ライヴを体験したことのないファンには、これらの長尺トラックが単なる高慢な実験のように見えるかもしれない。

 『Grey Interiors』は、彼のディスコグラフィーのなかでももっとも尖った作品とは言えないが、2024年の『Дарен Дж. Каннінгем』に続き、確実により冒険的な作品のひとつである。他のアンビエント系アーティストの作品に似た響きを持っているかもしれない。しかし、成長とは、開花して初めて明らかになるものだ。その途中の過程は評価されず、結果だけが見られる——それは実に残念なことだ。
 20分間にわたって『Grey Interiors』は、柔らかく曖昧なシンセの層に支えられながら、浮遊する雲の上へと上昇していく。そこにはアクトレスらしいインダストリアルな美学を象徴する、機械的で独特な緊張感が常に流れている。繰り返される機械音が互いに語り合い、やがて全体の会話そのものへと変化していくなか、突然クラブ・ビートが介入し、ブレイクビーツのような親しみのある感触を呼び起こす。そうしてアンビエントからは脱し、緊張感もやわらぎ、まるでバレエを見ているような感覚に包まれて終わる。

 一方、『Tranzkript 1』は、これまでの作品と同様の音的領域に存在している。各トラックは短く、捻れたアンビエント・メロディがぶつかり合いながら、より簡潔に展開していく。たとえば“Kjj_”や“Guardians”などの曲は、まるで宇宙飛行士が地球を見下ろしながら帰還について考え、カプチーノを飲んでいるようなSF映画を思わせる心地よさがある。『Tranzkript 1』は、巨大な芸術的声明ではないが、深い思索や内省に浸るための心地よい一滴だ。

 長く続くムードのうねりであれ、アヴァンギャルドな短編小説のようにミニマルな音にスポットライトを当てたものであれ、アクトレスが音を通じて聴覚の楽しみに捧げる献身こそが、「質と量の両立は可能である」という議論において彼を勝者たらしめている。そしてそれは、ありがたいことに本当なのだ。


Actress’s pace in releases since 2022 has accelerated much faster than one would expect for an artist 15 years in. Falling off the radar is a common trend with artists sometimes not able to keep up with the progressive and economic state of the evolving world. Was the pandemic an impetus for forgoing the 2 to 3 year hiatus that many artists including himself steer their careers by? Or more of a reaction to our hyper Instagram information culture? Artists should be artists, of course and the course they decide to take in their career trajectory and field of expression should be allowed and accepted without fear or prejudice so that the well of their artistry can overflow.

The pain of inspiration and creativity in the world economy derives from the curse of quantity vs quality. Is less really more and better for marketing? Are frequent releases a sign of lack of an editorial filter? If I wait 4 years for a new album of 34 tracks, does anyone actually listen to all the tracks? Questions upon questions are not easy to answer. In the middle of this ongoing dilemma, Actress has released not one but two releases within one month. So now the quantity vs quality can now be tested.

First is Grey Interiors (Smalltown Supersound), a one track ambient track made “as an installation piece for the Berliner Festspiele” with Actual Objects. The second, a four track ep, Tranzkript 1 (Modern Obscure Music).

Actress’s growing ambient tinged work does what the younger artist was more afraid to do on record ; dig deeper into his many moods, break away from formulaic repetition and let the track breathe more humanly. If you have had the luck to see Actress live, then you know that his current headspace with ambient music is closer to his live set whereas his many albums of cuts, mostly under 6 minutes, are closer to scenic sketches. Those of his fans without the pleasure though may view these longer tracks as just vein experiments.

Grey Interiors isn’t the edgiest Actress album of his discography but it is definitely one of the more adventurous ones following in line with 2024`s Дарен Дж. Каннінгем. It may be reminiscent to other ambient releases by other artists in tenor. But growth isn’t clear until it’s finished flowering. The in between process isn’t valued. Only the result and that is a shame.

In 20 minutes, Grey Interiors ascends above floating clouds supported by soft, amorphous plushy synths continuous under an underlying mechanical distinctive tension typical of Actress`s industrial ethos. Machine repetitions that grow to talk more to each other eventually becoming the total conversation before a club beat interferes with mild breakbeat familiarity. No longer ambient, the remaining edge of anticipation is relieved leaving with a feeling of watching a ballet.

Tranzkript 1 (Modern Obscure Music) exists on more familiar sonic territory along with previous releases. Briefer in track length, more concise with off-kilter ambient melodies colliding into each other like the track Kjj_ or Guardians, which pleasantly reminds me of a sci-fi film where astronauts are above the earth contemplating return while sipping cappuccinos. Tranzkript 1 isn`t a giant artistic statement but rather a pleasant dip into deep thoughts and ruminations.

Whether elongated mood swings or spot light focused on minimal sound a la avant garde short stories, Actress`s dedication to aural enjoyment means he wins the argument of quality / quantity showing thankfully you can have both.

interview with Nate Chinen - ele-king

 「現段階で、こう言うことはできる。すなわち、我々がジャズと呼ぶ音楽は、様々な状況下において勢いを見出し続けている、と」──アメリカのジャズ批評家ネイト・チネンは著書『変わりゆくものを奏でる(Playing Changes)』の後書きにそう書き記している。

 あらためて言うまでもなく、ジャズは21世紀以降、とりわけテン年代を通じて活況を呈し、新たな時代を築き上げてきた。ロバート・グラスパー『Black Radio』(2012)やエスペランサ・スポルディング『Radio Music Society』(同)のグラミー賞受賞、『The Epic』(2015)を引っ提げたカマシ・ワシントンの登場、あるいは高度な複雑性を操るヴィジェイ・アイヤーや圧倒的な個性を放つメアリー・ハルヴァーソンの活躍、等々。ジャズといえば輝かしき黄金時代──1950年代から60年代にかけて──ばかり繰り返しスポットが当てられてきた旧来の状況に対し、チネンは現在進行形のジャズを過去の眼差しから解き放とうとする。それはしかし歴史から切り離すことではない。むしろジャズの現在地を正しく測量するために、彼は何度も過去へと遡る。21世紀のジャズがいかに歴史と繋がりを持つのか、豊富な知識と膨大な取材を元手にしつつ、そのコンテキストを丁寧に辿り直している。変わりゆくジャズがジャズである所以を鮮やかに解き明かす。

『変わりゆくものを奏でる』は画期的な一冊である。いまのジャズを考える上で最低限踏まえておくべき事柄が一通り網羅されている。全12章からなる本書では、一方に特定のミュージシャンを主人公に据えた章──ブラッド・メルドー(第2章)、スティーヴ・コールマン(第4章)、ジェイソン・モラン(第6章)、ヴィジェイ・アイヤー(第8章)、エスペランサ・スポルディング(第10章)、メアリー・ハルヴァーソン(第12章)──があり、他方に特定のテーマが設けられた章がある。後者で取り上げられるのは、保守的なアップタウンと対抗勢力としてのダウンタウン・シーン(第3章)、ウェイン・ショーターらが打ち出した新たな年長者像(第5章)、ジャズと教育ないしアカデミズムについて(第7章)、ヒップホップ~R&Bとのクロスオーヴァー(第9章)、ジャズのグローバル化/グローカル化(第11章)といったテーマである。

 第1章はやや異色だ。カマシ・ワシントンについての記述がベースにはある。しかし彼を主人公とするというより、反復されるジャズの死と救済の物語を検証するためにカマシが要請されたとも読める。実際、第1章ではカマシと対比を成すようにウィントン・マルサリスの物語が綴られる。なぜ人々がジャズの救世主を求めるのかを立体的に描いている。そしてウィントンをどう捉えるかという問題は本書の全体を通じて基層を流れていく──たとえば第3章ではアップタウンの体制側として、ジャズ・アット・リンカーン・センター(JALC)の芸術監督を務める彼がジョン・ゾーンやデイヴ・ダグラスと比較される。章を跨いで問題意識が連関していくのは本書の特徴の一つだろう。JALCはジャズの文化的地位の向上に資したが、それと並行して体制機関によるジャズ・スタディーズの受け入れがあった、という話が第7章には出てくる。あるいは──バンド内で女性がただ一人だった場合に「視線の交わし合いひとつとっても楽ではない(……)たとえば誰かに目線を返す必要のある場面でも、それが相手をそそるものと受け取られないように気をつける」(333頁)というエスペランサ・スポルディングの懸念は、メアリー・ハルヴァーソンが音楽大学の夏期講座でジャズ・ギタリストではなく「ああ、フォーク・シンガーね」と軽くあしらわれた(386頁)という経験と問題の根を同じくしている。『変わりゆくものを奏でる』は、21世紀のジャズの見取り図を示すと同時に、より広く音楽的問題、さらには社会的/政治的な問題へと思考を導いていく。その意味で単に音楽書というに留まらない人文書となっている。

 著者のネイト・チネンはハワイ・ホノルル出身。もともとジャズ・ドラマーの経歴もあったものの、1996年からジャズ批評家として活動を始め、2003年にジョージ・ウィーンの自伝を共著『Myself Among Others: A Life in Music』として上梓している──といったユニークな来歴や彼の批評観については前後編に分かれた以下のインタヴューをぜひ参照してほしい。『変わりゆくものを奏でる』の原著刊行から7年、ジャズの動向にも様々な変化が訪れた。この度のインタヴューでは、書籍の内容に加え、原著刊行後のジャズの新たな動きを補完する話も語っていただいた。本書はいままさにあらためて読まれるべき段階にきているように思う。なぜなら自由、平等、多様性といったアメリカ的価値観が、すなわちジャズをめぐる状況が、大きく揺さぶられ始めているからだ。わたしたちはそして本書を日本におけるジャズ言説との共通点と差異を見定めながら読み進めることもできるだろう。ジャズの未来について、ネイト・チネンは「私の思いはふたつの異なる軌道を進んでいる」と述べるが──まずは彼のジャズ批評家としてのバックグラウンドからじっくりと話を伺った。

子どもの頃からずっとドラムに惹かれていたので、実際勉強しましたし、演奏も始めた。そこからあっという間に、ジャズに相当真剣にのめり込みました。

まずはあなたの批評家としてのバックグラウンドについて教えてください。どんな家庭で育ち、何歳頃から意識的に音楽を掘り下げて聴くようになりましたか?

ネイト・チネン(Nate Chinen、以下NC):そうですね、この取材の文脈から言って、それは特別な質問です。というのも私の両親はどちらも歌手、エンターテイナーだったんです。父はじつは日本でもキャリアがあって、テディ・タナカという名義で歌っていました。まだとても若かった頃、たぶんまだ高校時代に、東京に行ってレコーディングしたことがあり、その歌、“ここに幸あり(Here is Happiness)” は大ヒットしました。彼はいわゆるフランク・シナトラ型の、ビッグ・バンドをバックに歌う歌手でしたが、実際シナトラが東京で初来日公演(1962年4月20&21日)をおこなった際に、ステージで紹介役を務めたこともあったんですよ。ともあれ──父はハワイ生まれで、祖父は沖縄出身の移民一世でした。で、父はハワイ/日本で歌手としてキャリアをスタートさせ、母と共にTHE TOKYO PLAYMATESというグループを結成しました。このグループはアメリカ合衆国全土/カナダをツアーで回ったこともありましたが、それは私が生まれる以前の話です。で、両親はホノルルに戻り、そこでまた別のグループ、Teddy & Nancy Tanakaとして活動しました。つまり私は、そのグループのごくごく幼いメンバーとして育った、と(笑)。
 ですから本当に、小さい頃の最初の記憶と言えば、ステージで一緒に歌う両親の姿、そしてふたりの小さな子どもとしてステージに上げられたことなんです。というわけで、私にとっての音楽との出会いもそれを通じてでしたね。でも、それだけではなく、ミュージシャンになることにもとても興味がありました。子どもの頃からずっとドラムに惹かれていたので、実際勉強しましたし、演奏も始めた。そこからあっという間に、ジャズに相当真剣にのめり込みました。というのも、ジャズ・ドラミングはじつに挑戦のしがいがあったし、魅惑的で、とにかく惚れ込んだ。というわけで私がジャズに対して抱いた興味は、そもそもはミュージシャンだったことから発していましたね。とまあ、これが「短いヴァージョン」の私のバックグラウンドです(笑)。

(笑)。

NC:でも、身の周りにつねに音楽があふれていました。それに、あなたもたぶんご存じでしょうが、ハワイは非常に音楽的な土地でもあります。それこそ、空気の中に音楽が漂っているというか。

はい。「チネン」というお名前からして、おそらく日本にルーツがある方だろうと思っていましたが、ご祖父が沖縄出身だったんですね。

NC:そうです。私の日本語のミドル・ネームはタカヒロ。父の名前はタカシです。

ということはあなたの場合、音楽に最初に触れたきっかけはレコード=録音音源よりも、むしろライヴ音楽だった、と言えそうですね。日本の場合、ジャズにしろロックにしろ、海外の音楽はまずレコード/音源で触れるケースが多いわけですが、ご両親がシンガーだったあなたはライヴ・パフォーマンスで音楽に触れる環境にあった、と。

NC:そうですね、その点はずっと興味深いと思ってきました。かつ、そこはもしかしたら、音楽批評家としての自分が他の面々と少し違う点のひとつかもしれません。というのも、批評家でじつに多いのは──多くの批評家が、レコード収集家から始めるわけです(笑)。で、私からすれば……いやもちろん、私もレコードは大好きですし、収集もしています。けれども最もディープな、自分を形成してくれた音楽体験と言ったらやはり、どこかの空間で音楽がリアルタイムで演奏されている、それになります。

多くの批評家が、レコード収集家から始めるわけです(笑)。けれども最もディープな、自分を形成してくれた音楽体験と言ったらやはり、どこかの空間で音楽がリアルタイムで演奏されている、それになります。

批評家としてキャリアをスタートさせたのはいつ頃でしょうか?

NC:まず、フィラデルフィアの大学に進学したんです。いま、こうしてまたフィラデルフィアに暮らしていますけれども(笑)。

ああ、そうなんですね。

NC:で、知り合ったジャズ・ミュージシャンの誰もからこう言われたんです、「君がやるべきなのは……」──というのは、私はずっと文章を書くことも好きだったんです。つねに好奇心があり、文章を読み、書くのが好きだった。そして知人のミュージシャンの誰もが、「君はよく考えた方がいいよ……」──だから、「音楽校に進学しない方がいい」と彼らは言っていたんですね(苦笑)。つまり、わざわざ音楽院に入らなくたってミュージシャンでいられるんだから、と。それでも、本当に素晴らしいジャズ・シーンのある都市に向かうのはプラスになるとのことで、実際そうでした。フィラデルフィアに移ったところ、フィラデルフィアのミュージシャンは非常に協力的だった。彼らはとても厳しくて、くだらないナンセンスは一切受けつけませんが(苦笑)、こちらがスキルと正しい姿勢、謙虚さを備えていることさえ示せばがっちり受け入れてくれる。で、私はペンシルヴェニア大学で詩を専攻していましたが、クラブでしょっちゅう音楽をプレイしていた。だからある意味、ふたつの人生を送っていたようなものでしたね。学生/ライターであり、かつミュージシャンでもあった、と。
 そしてある夏、『Philadelphia City Paper』という、無料のオルタナティヴな都市圏週刊新聞でインターンを経験したんです。あの当時はインターネットの黎明期でしたから、ああいったフリー・ペーパーは誰もが手に取ったもので、特にアート関連の記事はよく読まれたんです。で、インターンシップに採用されてニュース室に行ったところ、じつに活気に満ちた職場で、すぐに「ああ、ここで何かやれそうだ」と気づいたんです。文芸欄音楽部門の編集者もとても励ましてくれて、それでレコード評を書き始め、続いてアーティストへの取材、そしてフィーチャー記事も担当するようになって。そうやって、音楽への愛情、音楽への理解、そして言葉に対する愛情がとてもうまくフィットすることに気づいた。そんなふうに執筆活動を始めたわけですが、やればやるほど、自分は……あのコミュニティの一部になっていったというか。程なくして、ミュージシャン勢も私のことを批評家と看做してくれるようになりました。

はい。

NC:そうやってしばらく経って、編集者から「本紙の常任ジャズ批評家になって欲しい」と声をかけられて。当時私はまだ学部生でしたが、「はい。自分に適任だと思います」と答えた。で、そこからでしたね、本格的に学び始めたのは。ギャリー・ギディンス、ナット・ヘントフらの著作や記事を片っ端から読みました。それだけ、非常に強い責任感を感じたからです。「本気でこれを追求するのなら、自分にはしっかり準備を整えておく必要がある」と思った。

先達の伝統を引き継ぐ、というか。

NC:そうです。で、カレッジ卒業後にニューヨークに移り、そこから本格的にキャリアが始まっていった感じでしたね。ニューヨークに移ってはじめのうちはちゃんとした職もなく、バイトでなんとかしのいでいましたが(苦笑)、いくらも経たないうちにジョージ・ウィーン(※1954年にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを開催し、59年にニューポート・フォーク・フェスティヴァルもスタートさせたプロモーター/フェス企画者。2021年沒)に出会ったんです。彼はちょうど自伝を書こうとしていたところで、それにふさわしい共同執筆者が見つからずに困っていた。私は当時22歳で──

お若かったんですね!

NC:(笑)はい、本当に青二才で、仕事面では取り立てて何もやっていなかった。だからこそ、ジョージがあの本(『Myself Among Others: A Life in Music』2003年)を執筆する作業の補佐に本当に打ち込むことができた。そんなわけで、我々はじつに密に仕事しましたし、本が仕上がるまでに3年近くかかりました。ですから彼は私にとってとても重要な指導者であり、一種の父親的存在だった、そう言っていいと思います。

「もはや我々に批評家は必要ない」という意見もありますが、私はその意見には大いに反対です。いかなるアート形態も、堅固で力強い批評を本当に必要とし、かつそれに頼っていると思います。

なるほど。音楽について書き始めた時、他ジャンルについて書くことがあったとしても「ジャズ専門家」の立場から書いていたのでしょうか、それとも特にジャズ専門とせずにジャズ以外の音楽についても幅広く書いていたのでしょうか?

NC:ジャズ批評専門でしたね。というのも、そこは正直言って……私が働いてきた組織のどこでも、ロックやポップのクリティックはすでに存在していたので(苦笑)。

(笑)あなた自身のニッチを見つけたわけですね。

NC:そうです。だから私は「ジャズの人」だった。それは『Philadelphia City Paper』でも、ニューヨークに移ってから書き始めた『The Village Voice』紙でもそうでした。けれども『The New York Times』紙で働き始めたところで、そこに素敵な広がりが訪れました。あれは2005年のことで、2017年まで同紙で執筆しましたが、『NYT』にはじつに素晴らしい伝統があるんです。というのも、同紙では「ポップ批評家(ポップ・クリティックス)」と呼ばれる面々が数人いるだけで、それはつまり、また独自の領域を備えている「クラシック音楽批評家」とは別物である、と。当時の『NYT』ポップ批評主幹で、現在もその役職にあるジョン・パレーレス、彼には本当に──前任のジョン・ロックウェルやその他の面々と同様に、「我々は何でも取り上げ、書く」という感覚があった。ただし、クラシック音楽は総じて除いて。クラシック界には分離主義が存在しますからね。けれどもジョン・パレーレスは本当に……あらゆる類いの音楽に通じていて、信頼できる意見を持たなければならない、その意味で我々の規範だったというか。その意識はベン・ラトリフにも引き継がれましたし、私がポップ批評チームに加わったときも、その恩恵に浴せたわけです。ですから本当に楽しかったし、素晴らしい経験を積めました。もちろん主にジャズについて書いていましたが、それ以外のあらゆるジャンルも網羅させてもらった。ジェイ・Zのコンサート評も書いたし、ビヨンセのレヴューも書き、カントリーやフォーク・ミュージックについて書いたこともあり……という具合で、もう何でもあり。あれは本当に素晴らしい経験でした。で、現在も他ジャンルの音楽について書きますが、ジャズはやはり、私にとってのホームベースですね。

批評家の果たす役割で最も興味深い部分は、関連づけですね。物事を文脈に据えた上で、その歴史的な繫がりや社会・政治的な次元を解説すること。

あなたが影響を受けた批評家や思想家、書籍などについて教えてください。

NC:そうですね、ジャズ関連の文献で最初に読んだもののひとつと言えば、やはりレコードのライナーノーツですよね? で、そこから書籍に進んでいく、という。ですから先ほども名前の出たナット・ヘントフやアイラ・ギトラーのライナーノーツの数々は、私にとって最初の影響の一部でしょう。でも、アクティヴな影響と言えば、私がジャズについて書き始めたのは90年代半ば頃のことで──ですから部分的にはその時間軸のせいで、やはりギャリー・ギディンス以上に大きな存在はいませんでした。彼は『Village Voice』でじつに素晴らしい仕事をしていましたし、私がニューヨークに移ったちょうどその頃に、彼の『Visions of Jazz: the First Century』(1998)も出版された。実際、私が『Voice』で書き始めた頃、ギャリーはもう『Voice』から引退していましたが、彼をランチに誘ったことがあるんです。あれは本当に素敵なランチでしたし、彼は非常に励ましてくれて、だからこう、「松明を受け取った」フィーリングを感じて最高でした。で、ギャリーのおかげで……彼はじつに鋭いリスナーであり、ジャズの歴史家で、本当に優れたライターでもある。ですから彼は、つねに尊敬してきた存在です。
 でも、それに続いて受けたまた別の影響として──私がこの仕事を始めたのは、アカデミックな世界でのジャズ研究が本当に盛んになり始めた時期とも重なっていました。ですので、学者によるとても興味深い論文を読めるようになったのも、本当に役に立ったと思います。ブレント・へイズ・エドワーズ、ファラー・ジャズミン・グリフィンといった面々はもちろんですし……ダフニー・A・ブルックスみたいな人もいますね。彼女はジャズについてはあまり書きませんが、書かせると本当に素晴らしい。だからそういった学術研究も、ジャズにとって非常にプラスになってきたと思います。そして、インターネットによる民主化のおかげで我々はいまや、じつに多くのミュージシャンの文章も読める。しかも彼らは、非常に筆が立つ。というわけで私は「自分もこの大規模な対話の一部だ」という感覚が大好きです。とても活気のある時期ですし、たとえ──ジャーナリズムの経済モデルは非常に困難になっていても、優れたアイデアがたくさん存在しています。

あなたが考える批評の役割について教えてください。2019年の『Jerry Jazz Musician』誌のインタヴュー(https://www.jerryjazzmusician.com/interview-with-nate-chinen-author-of-playing-changes-jazz-for-the-new-century/)では「私の仕事内容は “gatekeeper” から “guide” に変わった」とおっしゃっていましたね。

NC:そこは、テクノロジーと多く関わっていると思います。そして、我々が音楽およびジャーナリズムと結ぶ関係性とも。というのも我々の世代は予算の都合で、たとえば「ひと月に買えるアルバムは2、3枚」という時期があったのを憶えているわけですよね(苦笑)? レコード店に行き、視聴用ヘッドフォンをかけてアルバムを少し聴いてみて購入するか決める、という。で、あの頃の批評家は何でも聴ける立場にいたわけで、だからこそ何らかの方向性を示してもらうために、彼らの専門家としての意見が我々にも本当に必要だった。「誰それの新作が出たけど、買うべきか? 批評家の意見はあんまり良くないから、今回はスルーしよう」みたいな感じで。ですから本当に、かつては「ゲートキーパー(門番)としての批評家」という感覚があったんですね。つまり、そこには消費者ガイド的な側面があった。
 そして現在という時代において、我々は制約がほぼゼロに近い形で音楽を聴くことができる。好みのストリーミング・サーヴィスを使えば、わざわざ購入するまでもなく、とりあえず作品を「聞く」ことはできるわけです。となると、「では批評家の有用性とは何か?」という話になりますし、一部のリスナーやミュージシャンの中には「もはや我々に批評家は必要ない」という意見もありますが、私はその意見には大いに反対です。いかなるアート形態も、堅固で力強い批評を本当に必要とし、かつそれに頼っていると思います。批評家の果たす役割というのは、「これを買え/あれは買うな」「これは良い/あれは良くない」云々の作品の価値判断だけではありません。というか実際、その面は批評家の仕事の中で最もつまらない部分だと私は思います。最も興味深い部分は、関連づけですね。物事を文脈に据えた上で、その歴史的な繫がりや社会・政治的な次元を解説することによって……ですから、聴き手はもちろん好きなものを何でも聴けますが、もしかしたら、私にはより良く聴くことのお手伝いをできるかもしれない。あるいは、あなたが作品をよりディープに聴く助けになるかもしれません。というわけで、批評の役割はより不定形というか……ある意味、過去に較べて威力や影響力は劣るでしょう。ただし、もっとフレンドリーではありますよね(笑)?

はい。

NC:で、思うにそれは、門戸を開けて機会を生み出したんじゃないでしょうか。で、私はそのチャレンジを大いに歓迎しました。ですから──そうですね、こういう言い方をしましょう。私は確かに、『NYT』で執筆した12年ほどの時間をエンジョイしました。自分の言いたいことはほぼ何でも、きっと誰かに読んでもらえるのがわかっている、そういう確固としたプラットフォームを持てるのは良いものですからね(笑)。けれども私はある意味、そういうプラットフォームの支えを取っ払っても、誰かが書き、発言することにはそれ自体で説得力を持つ必要があるという考え方を歓迎したというか。それは結びつきを生み出さなくてはいけないんです。ですから、私からすればそれはとにかく、批評をやっている我々誰もにとって初心に返らせてくれるよすが、動機というんでしょうかね。あの炎を、音楽に対する情熱を持ち込まなくてはならない、みたいな。で、幸いなことにそれは、私にはごく自然に感じられるものだった(笑)。ですからその面は試練ではありませんでした。それでも、音楽ジャーナリスト/批評家、そしてミュージシャンにとっても、経済モデルが非常に厳しいのは確かです。

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ものすごく魅了されたんです。カマシ・ワシントンはなぜこんなに人気があるんだろう? 一体何が起きたのか? なぜジャズ文化は、彼のような人物の出現をこんなにも待ちわびるようになったのか? と。

ここからは『変わりゆくものを奏でる(Playing Changes)』について聞かせてください。第1章はカマシ・ワシントンの話から綴られています。そこにはカマシが21世紀のジャズを代表する「救世主」だから、というだけではない理由があると思います。なぜ、カマシ・ワシントンから始めることにしたのでしょうか?

NC:はい、あれには間違いなく根拠があります。ただし、ひとつ指摘しておきたいんですが、序章はセシル・マクロリン・サルヴァントの話で始まるんですけどね(笑)!

(笑)確かに。

NC:でも実際……あの本をどう始めればいいか、かなり迷って苦労しました。どうしてかというと、本で掘り下げたいアイデアが何かは承知していたんです。つまり、「我々はいかにしてこの現在地点に至ったか」──今日におけるジャズの理解へと繫がった、その状況・土壌はどんなものだったか、について。そして、我々とジャズ史およびジャズ文化との関係の進化をたどりたかったですし、ウィントン・マルサリスと彼の掲げたジャズに関するイデオロギーの盛り上がりについても書きたいことがありました。ところが苦戦した点は、21世紀のジャズについてのお話を、一気に1970~80年代まで遡ってスタートさせたくはないというジレンマで。それでは話があべこべでわかりにくくなるな、と感じました。
 というわけで、「さて、どうしたものか?」とさんざん迷いました。そんなところに、カマシが「結びつきを生む」という意味で素晴らしいチャンスを提示してくれたわけです。というのも、私があの本を執筆していた時期、2016年に、彼の台頭ぶりは爆発的で、誰の目にも明らかでしたから。そうは言いつつ、私は彼に関してはまだ若干の懐疑心がありましたし、ジャズ界における最も進んだテナー・サクソフォン奏者だとは思っていなかった。ですから彼は、「これこそ、いまのジャズにおける最も重要な『声』です」と、私自身が推薦するような人ではなかったということです。ところが、ものすごく魅了されたんです──「なぜ、『彼』なんだろう?」と。彼はなぜこんなに人気があるんだろう? 一体何が起きたのか? なぜジャズ文化は、彼のような人物の出現をこんなにも待ちわびるようになったのか? と。


「カマシ・ワシントンの登場が歴史的な瞬間だったことは否定しようがない」
photo by Vincent Haycock

なるほど。

NC:そこから、私はウィントンのことを考えるようになりました。というのも、メディアの心酔ぶりといい、一般層での人気といい……実際、突如として誰もがその人のことを知るようになったわけですよね? ですから私は、このふたりの人物はある意味よく似ているが、ただしその在り方はとても違う、ということに気づいた。アーティストとしては、まったく別の人たちですからね。そこからこのアイデア、誰かがヒーローあるいは救世主として台頭していくときというのは、まさしく、そのカルチャーが特定の価値を求めてどよめいているからだ、という発想に繫がりました。それが、「1980年代初期にウィントンが登場したとき、ジャズはリスペクトを得ようと本当に必死だった。そして2010年代半ばにカマシが登場した時点までに、すでにリスペクトを獲得していたジャズが求めていたのは今日性だった」という、私の概念化へと発展していったわけです。その変化が、私にふたつの存在を関連づけさせてくれた。あるジャズ・ミュージシャンが一種のポピュラー・アイコンとなった、そんな驚異的なカマシの物語があり、一方で、その1、2世代前にもそれと同じことをやった人物がいた。そして両者のストーリーはこんなふうに結びついています、と述べたわけです。そうして私にとって一種、あの第1章は、主流文化──アメリカ文化とグローバル文化の双方──におけるジャズの足場は不安定で変動的なものである、というアイデアを探究する試みになっていきました。ですからあの章は、解かなくてはいけないパズルでしたね。
 で、あの章の終わりで、私がカマシに対していくらかの疑念を呈しているのは読めばわかると思います。それでも、いまでも思っています──これは可笑しいんですが、あの章を書いていたとき、NBAファイナルを観ていたんです。あのシーズンは本当に素晴らしくて、マイアミ・ヒートとクリーヴランド・キャヴァリアーズ戦もあり、レブロン・ジェームズがキャヴァリアーズをチャンピオンシップにまで率いて、ステフ(ステフィン)・カリーも活躍し、とにかくすごかった。で、試合を観ながら、「これは歴史的な場面な気がする」と考えていた。そこで気づきましたね、音楽的であれ何であれ、彼がどれだけ後世に残る貢献を果たしたかという意味でミュージシャン/アーティストとしてのカマシをどう見るにしても、彼の登場が歴史的な瞬間だったことは否定しようがない、と。彼の、そして『The Epic』の出現によって起きたことは、じつに驚異的です。ですから、私もそういうふうに考えるようになったんです。それは動かしがたい事実であり、実際に起きたことだったし、自分はそれを記録しているんだ、と。

リポーターとしての初仕事は、ニューアークのアミリ・バラカの自宅訪問だったんですよ。

『Playing Changes』というタイトルに込めた意味について教えてください。ジャズ用語がもとになっていますが、その背景にはリロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)の「The Changing Same」も考慮されていると感じました。

NC:その通りです。特に、うち1章のタイトル(※第9章/Changing Sames)は、あのエッセイへのトリビュートになっています。で……先ほど、私がどんなふうに批評の世界に入っていったかの話がありましたが、これは純粋に偶然だったとはいえ、『Philadelphia City Paper』でのリポーターとしての初仕事は、ニューアークのアミリ・バラカの自宅訪問だったんですよ。というのも、私がプロフィール記事を書いていたミュージシャンがたまたま同地でギグをやることになっていて。そんなわけで私はそのミュージシャンと共に車で向かい、ニュージャージー・ターンパイクを越え、バラカ宅に着き、アミリ・バラカに対面した、と。それが、自分にとってのリポーターとしての初仕事でした(笑)。

(笑)いきなり、重い任務ですね。

NC:(苦笑)。彼の著作は、私にとってずっと、非常に大きな意味を持ってきました。彼はじつに重要な詩人であり、クリティックでしたからね。ともあれ──この本のタイトルをどうしようかと考えていたとき、真っ先に浮かんだのは「ジャズ」という単語を含めたくなかった、という思いです。「ジャズ」を含めるとしても副題だな、と。色々な含みのあるタイトルにしたかった。そんなわけで、「この本のテーマは何だろう?」と考えていたときに頭に浮かんだのは「進化(evolution)」、「推移(transition)」といった言葉で、それを端的に言い表す言葉といえばやはり「change」ですよね。つまり、ジャズは変化したし、それに対する我々の考え方も、人々の演奏の仕方も変化してきた、と。それにもちろん、質問にあったように、ミュージシャンは音楽のコード構造や和音面での輪郭をなぞっていく際に「play changes」という用語を使います。そんなわけで、そのアイデアがひらめいたとき、「これだ!」と思いました。ずばりそれとは言わずに、ほのめかすタイトルだな、と。

第11章「The Crossroads」では、ジャズのグローバル化/グローカル化、自らの伝統をたどり直すミュージシャンの試みについて詳述されています。アメリカでも自らのルーツを探求することで作品を制作するミュージシャンが増えている印象がありますが、こうした動向は近年、どのような意味を持っていると思いますか?

NC:ひとつ言えるのは、そうした動向は非常に個人的(individual)なものだ、ということに気づかされた点です。とあるカルチャーからやって来たアーティストの何人かは、それらの要素を自らのジャズの実践に組み込むことにとても強く駆り立てられている。また一方で、そこにまったく頓着しない連中もいるわけです(苦笑)。その点は、自分にはとても興味深い。ですからあの章は最終的に、ふたつの勢力についての物語になっているんですね。ひとつは、現代のジャズにおける多文化的な次元からの影響。もうひとつは、ジャズのグローバル規模での伝達。つまり、これまであまりジャズ文化が確立してこなかった、そういった地への伝播についてですね。

本の例で言えば、中国がそれに当たりますね。

NC:はい。で、これはたまにヨーロッパのミュージシャンやフェスティヴァルのプロモーター、批評家から寄せられる意見なんですが、「あなたはこの本の中で、ヨーロッパのジャズについてあまり言及していませんね」と。

ああ、なるほど。

NC:それは日本のジャズについても同じだと思います。ですがその理由は単純で、なぜなら私はこの本で、証言者になりたかったからです。だから自分が感じたのは、「ヨーロッパにおけるジャズの歴史はもう、本当に巨大だな!」と。歴史のスパンという意味でも50~60年以上にわたりますし、ですから自分のようにアメリカ東海岸の視点から眺める人間にはかなわないくらい、はるかに深く理解している人々が他にいるだろう、と。

(笑)謙遜なさらず。

NC:いや、でも本当ですよ。日本におけるジャズの物語についても、同じように思いました。というのも日本では本当に驚くくらい、昔からジャズは大いに受け入れられてきました。カルチャーもしっかり存在しているし、だから自分がそこに入り込んで「わかったようなふりをする」のは、返ってあだになるだろうと思った。書くとしたら、とても長い時間がかかるでしょう。ですが、いつか、やってみたいと思っているんですけどね(笑)。本当にぜひ、やってみたい。
ですが、本で触れた中国のジャズ・シーンについては──まず、北京を訪問する機会が訪れたのがありましたし、実際、あの地のジャズはまだ発展中のストーリーなんですね。ですから私にも、「ジャズがある地に根付き、発展していくこんな例があります」と自信を持って伝えることができる、そういう手応えがありました。で、現地で中国ジャズの第1~第2世代のミュージシャンたちの話を聞くことができましたし、あれはとても魅力的なチャンスでした。でも、もしもリソースと時間があったら、それ以外の地域もぜひ深く探ってみたいです。ぜひやってみたいですし、もしかしたら今後の本でやれるかもしれません。

※後編は近日公開予定。

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