「W K」と一致するもの

Grizzly Bear - ele-king

 2017年、もっとも過小評価されたうちの1枚かもしれない。インディ・ロックがセールス面でも批評面でも影響力を落としているのはいまに始まった話ではないが、『ペインテッド・ルーインズ』に対する世間的なリアクションの薄さはどうも「グリズリー・ベアがいま高度なことをやっても驚かないし、波及しない」と見なされているようで、そこに危うさを感じてしまう。じっくりと時間をかけて作られた工芸品よりも、感情的に即効性のある製品としてのポップスが求められている時代だとして――「ポスト・トゥルース」以降の――そのことにリスナーや批評家が追従してしまっていいのだろうか。声の大きい連中やスキャンダルな見出しばかりが注目されるのだとしても。

 とはいえ、僕自身『ペインテッド・ルーインズ』を何度か聴いて率直に抱いたのは、過去2作に比べてやや地味だという印象だった。現在からUSインディ・ロックのひとつのピークだと振り返られる2009年にリリースされた『ヴェッカティメスト』における忘れがたいオープニング・トラック“Southern Point”の鮮烈さ、あるいは『シールズ』で狂おしく疾走する“Speak in Rounds”のダイナミックさは控えめだからだ。近いと感じたのは『イエロー・ハウス』(2006)における統制された抑揚のなか浮上してくる翳りで、いまのグリズリー・ベアなら簡単にそれはできてしまうものだろうと思えたのだ。彼らの世間的な注目がもっとも高かった『ヴェッカティメスト』~『シールズ』におけるダイナミックな構成は何だったかと言えば、クラシックにおける極端なクレッシェンドやフォルテシモの大胆な導入によるもので、それは従来のインディ・ロック的な価値観とはかなり距離のあるものだった。チェンバー・ポップをたんに(ストリングスや管楽器の導入といった)楽曲の装飾という点ではなく、演奏や構成からクラシック/現代音楽に接近させたバンド音楽などというものは、それこそ相当な音楽的素養と演奏力がないと到底不可能なものだ。ティンパニのようにドラムが叩き鳴らされる「インディ・ロック」なんてそれまでは考えられなかったし、僕もまたそれに大いに興奮した人間だったので、『ペインテッド・ルーインズ』では抑えられているのが少しばかり寂しかった。もちろん、メランコリックなメロディがじわじわと広がっていくコーラス・ワークや和音の進行は一級品だが、それはすでに知っているものだった。
 が、本作の聴きどころは和声ではなくむしろリズムにあるのだと聞き、その観点で別の快楽を発見することになる。たとえばもっともキャッチーで「ロック的」とも言える2曲め“Mourning Sound”は8ビートのような均等なビートが叩かれるのだが、タムの音色と音の配置は巧みに振り分けられ、それらがアンサンブルに自然に寄り添っていく。エレクトロニカのプログラミングを生ドラムで再現したような“Aquarian”における打音の手数の多さは、それ自体が複雑なグルーヴを、しかしこれ見よがしにではなく生み出していく。“Three Rings”では奇数の拍がそれとなく挿しこまれており、アフロ的なポリリズムがよく耳を澄ませなければ感じられないような作りになっている。
 それはつまり、本作においては過去作よりも非西洋の音楽的要素がさりげなく、しかし楽曲の根幹を成す要素として入りこんでいるこということだ。あり方としてはフリート・フォクシーズの『クラック‐アップ』とも近い。「ワールド」を、しかし「ワールド」と呼ぶときの線引きを無効にするように取り入れる。深読みすればそれは、文化的/政治的国境が厳格になっていく時代への違和感の表明だろうし、自分たちを搾取する側に置かないようにする配慮であり知恵だろう。『ペインテッド・ルーインズ』のなかには西洋のクラシックの歴史が培った楽理、ウェストコースト・ロックの陶酔、アフリカのリズムのグルーヴ、エレクトロニカの繊細な音の配置……といったものが混在しているが、それらはグリズリー・ベアらしい甘美なサイケデリアのもと、それぞれの個体がわからなくなるまで溶け合っている。

 ひとつ思うのは、この甘美さはじゅうぶんな時間を用意して身を預けないと感じられないということだ。簡単に消費することなどできない……そして、彼らはそのことに意識的なのではないか。「印象」の奥にある細やかな音のやり取りに耳を傾けること。そうした能動的な態度をリスナーに求めるのがこのアルバムで、そこでは分断を融解させるアンサンブルにおける理想主義が広がっている。
 消費のスピードが加速する現代において、グリズリー・ベアのこうした生真面目な態度は不利だということなのかもしれない。だがそれでも聴き手を信頼することを諦めないと、彼らは音で語りかけている。耳を澄まそう。


φonon - ele-king

 その特異な音楽性とDIYな活動で80年代に大きな足跡を残した伝説のユニット、EP-4。その中心人物・佐藤薫が新たにレーベルを始動する。その名も〈φonon(フォノン)〉。まずは2月18日に EP-4 [fn.ψ] と Radio ensembles Aiida のCD作品2タイトルがリリースされる。EP-4 [fn.ψ] は EP-4 の別働ユニットで、佐藤薫と家口成樹のふたりから成る。Radio ensembles Aiida は A.Mizuki のソロ・ユニットで、今回発売されるのは昨秋リリースされた初作品集の続編にあたるもの。かつて EP-4 はサウンドだけでなくその発信の方法に関しても独自の実践をおこなっていただけに、今後この新レーベルがどのような動きを見せていくのか目が離せない。

φonon (フォノン) について

新レーベル〈φonon (フォノン)〉は、EP-4の佐藤薫が80年代に立ち上げたインディー・レーベル〈SKATING PEARS〉のサブレーベルとして始動する。〈SKATING PEARS〉は当初カセットテープ・メディアを中心に多彩な作品をリリースしてきたが、φononは佐藤薫のディレクションによって主にエレクトリック/ノイズ系の作品を中心にリリースする尖鋭的なレーベルだ。

EP-4 [fn.ψ]
OBLIQUES

作品概要
EP-4 の別動ユニット EP-4 [fn.ψ] の初CDとなる『OBLIQUES』。EP-4 の佐藤薫と PARA や EP-4 のサポートなどマルチに活動する家口成樹の2人によって2015年に組まれたユニット EP-4 [fn.ψ]。ラップトップ・ガジェット、シンセサイザー、エフェクターなどが織りなす即興的音の立体空間は、ノイズでありアンビエントでもあるという対語的多面的要素を見事に融合した音のアマルガムを構成する。
本作は2017年6月大阪で行われたライヴの演奏を収録した作品だ。フィールド録音の変調や現実音を切り取って即興編集される佐藤のソニックスコープと純正律チューニングを自在に操る家口の重畳的シンセサイザーが、ときにストリームのように、ときにはフィルミーに立体的な音空間を織りなす。安易なリズムやビートを徹底して排除したかのような音の洪水が空間を切り裂く、約60分間のシームレスなライヴ録音となっている。※ [fn.ψ] = [ファンクション サイ]

アーティスト:EP-4 [fn.ψ]
アルバム・タイトル:OBLIQUES
発売日:2018年2月18日(日)
定価:¥2,000+税
品番:SPF-001
JAN:4562293382516
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATING PEARS
流通:p*dis / 株式会社インパートメント
Tel: 03-5467-7277・Fax: 03-5467-3207

〈トラックリスト〉
01. Panmagic
02. Enantiomorphs
03. Sonic Agglomeration
04. Pluralism
05. Pogo Beans
06. Hyperbola
07. Diagonal
08. Flyby Observations
09. Plural (outro)

Radio ensembles Aiida (ラヂオ Ensembles アイーダ)
From ASIA (Radio of the Day #2)

作品概要
A.Mizuki のソロ・ユニットであるラヂオ Ensembles アイーダ『From ASIA (Radio of the Day #2)』。2017年11月に発表された初作品集『IN A ROOM (Radio of the Day #1)』の続編であり、Radio of the Day シリーズの第2作となる。複数のBCLラジオが偶然織り成す一期一会の受信音と、リレースイッチの電流制御などによって生まれるビート/グルーヴをコンダクトし、類のないサウンドスケープ的な音世界を紡ぐ。前作では自室の音風景を切りとり繊細かつ大胆な不思議空間を表現していたが、本作ではタイトルどおり、BCLチューナーを抱えて訪れたアジアの街角でのフィールド・レコーディングで構成された不思議空間を創出している。つまりその不思議が、待ち受け開放から本来の開放を求める不品行な能動へとシフトしたのがこの作品集だ。彼女とラヂオの出会う世界をひとはラヂオデリアと喚ぶ!


アーティスト:Radio ensembles Aiida(ラヂオ Ensembles アイーダ)
アルバム・タイトル:From ASIA (Radio of the Day #2)
発売日:2018年2月18日(日)
定価:¥2,000+税
品番:SPF-002
JAN:4562293382523
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATINGPEARS
流通:p*dis / 株式会社インパートメント
Tel: 03-5467-7277・Fax: 03-5467-3207

〈トラックリスト〉
01. Secret SW - Singapore
02. Market - Singapore
03. Restaurant - Singapore
04. Square - Singapore
05. Changi Airport - Singapore
06. Secret MW - Japan
07. Revolve! - Japan
08. Specter × Festival - Japan
09. Radio TUK-TUK - Thailand
10. Squall - Thailand
11. T-Rap announcer - Thailand
12. Radio Free Bangkok - Thailand


Filastine & Nova - ele-king

 いまエレクトロニック/クラブ・ミュージックはどんどんワールド・ミュージックと交錯していっている。とはいえ、一言で「ワールド・ミュージック」といってもそのあり方はじつに多岐にわたる。その多様性や複雑さを損なうことなく新たな形で示してくれるアクトのひとつが、世界各地の音楽を実験精神をもって表現しているデュオ、フィラスティン&ノヴァだ。バルセロナを拠点としているフィラスティンとインドネシア出身のノヴァから成るこのユニット、詳しくは下記のバイオを読んでいただきたいが、なかなかに尖っている(ちなみにフィラスティンは先日亡くなったECDこんな曲を共作してもいる)。そんな彼らの久しぶりの日本ツアーが開催されるとのことで、これは足を運ばずにはいられない。東京公演には KILLER-BONG や ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)らも出演。要チェック。

越境するマルチメディア・デュオ、FILASTINE & NOVAのジャパン・ツアー決定!
東京公演は2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催!

 2月にバルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオが来日、ジャパン・ツアーを敢行する。「都市の未来を崩壊させるようなベース・ミュージック(Spin)」、「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」と評される、映像、音楽、デザイン、ダンスを駆使したダイナミックなライヴ・パフォーマンスは必見だ。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018

2/6 福岡 art space tetra
2/7 尾道 浄泉寺
2/8 名古屋 K.D Japon
2/9 京都 octave
2/11 東京 SALOON
2/12 札幌 第2三谷ビル6F 特設会場

 2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催される東京公演では、“最も黒い男” KILLER-BONG、アヴァン・エレポップ/ストレンジ・テクノイズを響かせる ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)がライヴを披露、また、オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動も展開する Shhhhh、空族の映画『バンコクナイツ』への参加でも知られる Soi48、ヒップホップやアンビエントを行き来しながら活動を展開する YAMAAN といった独創的なDJたちがスペシャルなプレイをくり広げる。VJとして rokapenis の参加も決定している。世界各地域の音楽、文化を実験精神をもって独自に表現する面々によるクレイジーでダンサンブルな一夜になるだろう。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018 in Tokyo

2018.02.11 (sun)
@代官山 SALOON
Open/Start 18:00
Adv 2500yen(1D付き)/ Door 3000yen(1D付き)

| Live |
FILASTINE & NOVA
KILLER-BONG
ZVIZMO

| DJ |
Shhhhh
Soi48
YAMAAN

| VJ |
rokapenis

| Ticket |
前売りチケット取扱い店
・IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
・disk union
└ 渋谷クラブミュージックショップ
└ 下北沢クラブミュージックショップ
└ 新宿クラブミュージックショップ
└ 新宿ラテン・ブラジル館
└ 吉祥寺店
└ 池袋店

・予約 filastine.tokyo2018@gmail.com

| Info |
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
https://ira.tokyo/filastine-nova-tokyo/ | 03-3352-6916


【PROFILE】

●FILASTINE & NOVA

バルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオ。ブラジルのカーニバルのバトゥカーダやモロッコの神秘主義者たちとの関わりから打楽器を学び、ラディカル・マーチングバンド The Infernal Noise Brigade を率いたフィラスティンと、幼い頃からペンテコステ派の霊歌やコーランを歌い、ガムラン・パーカッションを演奏し、インドネシアのヒップホップ・シーン草創期にラッパーとしても活躍したノヴァが生み出す音楽は、まさに「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」である。世界各地の音楽フェスティバルに出演する以外にも、ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』の公式ミックステープ制作や、フランス・カレーの巨大難民キャンプ「ジャングル」でのライヴ、掃除婦や鉱夫などの底辺の労働者がダンスによって解放される映像シリーズの制作など、音楽を通して「もう一つの世界」の実現を目指すラディカルな表現活動を続けている。2017年に最新アルバム『Drapetomania』を発表した。
https://soundcloud.com/filastine

●KILLER-BONG

〈BLACK SMOKER RECORDS〉主宰、最も黒い男。

●ZVIZMO

蛍光灯音具 OPTRON (オプトロン) プレイヤーの伊東篤宏と、アンダーグラウンド⇔メジャーを縦横無尽に行き来する テンテンコ によるデュオ・ユニット。テンテンコの聴き易いが意外に重たいエレクトロ・ビートと伊東のフリーキーだが意外とキャッチーな OPTRON が作り出すその音世界は「奇天烈だが何故かフレンドリー」な響きに満ちている。2017年11月に〈BLACK SMOKER RECORDS〉より1st アルバムをリリースした。

●Shhhhh(El Folclore Paradox)

DJ/東京出身。オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。13年に発表したオフィシャルミックスCD、『EL FOLCLORE PARADOX』のコンセプトを発展させた同名レーベルを2017年から始動し、南米から Nicola Cruz、DJ Spaniol らを招聘。アート/パーティ・コレクティヴ、Voodoohop のコンピレーションLPのリリースなど。dublab.jp のレギュラーや、オトナとコドモのニュー・サマー・キャンプ“NU VILLAGE”のオーガナイズ・チーム。ライナーノーツ、ディスク・レヴューなど執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。全国各地のカルト野外パーティー/奇祭からフェス。はたまた町の酒場で幅広く活動中。
https://soundcloud.com/shhhhhsunhouse
https://twitter.com/shhhhhsunhouse
https://www.facebook.com/kanekosunhouse

●Soi48(KEIICHI UTSUKI & SHINSUKE TAKAGI)

旅行先で出会ったレコード、カセット、CD、VCD、USBなどフォーマットを問わないスタイルで音楽発掘し、再発する2人組DJユニット。空族の新作映画『バンコクナイツ』にDJとして参加、〈EM Records〉タイ作品の監修、『爆音映画祭タイ・イサーン特集』主催。フジロックや海外でのDJツアー、トークショーやラジオなどでタイ音楽や旅の魅力を伝えている。その活動の様子はNHKのTV番組にも取り上げられ大きな話題となった。CDジャーナル、boidマガジンにて連載中。英Wire Magazineにも紹介された、『Soi48』というパーティーを新宿歌舞伎町にて不定期開催中。Brian Shimkovitz (AWESOME TAPES FROM AFRICA)、Zack Bar (FORTUNA RECORDS) からモーラム歌手アンカナーン・クンチャイ、弓神楽ただ一人の後継者、田中律子宮司など個性的なゲストを招いてのパーティーは大きな反響を呼んでいる。タイ音楽と旅についての書籍『TRIP TO ISAN: 旅するタイ・イサーン音楽ディスクガイド』好評発売中。
https://soi48.blogspot.jp/
https://www.instagram.com/soi48/

●YAMAAN

HIPHOPやAMBIENTを行き来しながら活動中。2017年2月に“NN EP”をリリースした。
@Mirage______

6 ムードとモード - ele-king

 「ある雨上がりの夜。霧さえ出ていないものの、道路のミラーや駐まっている車のフロントガラスは、白く水蒸気の寄り場となり、映るすべてのものを抽象化して、妖気を与えている。街灯の光は月のように、自分の姿は知らない他人のように。幻覚のようなそこに映るものは、いつか見たことがあるような気がするというよりは、これから出会うかもしれないという妙な不安を誘うものである。そこで、はっと気づいた。いつか見たことがあるようなものと、これから出会う予感のするものに些かの違いがあるのだろうか」
 これは 2014 年くらいのメモにあったもので、僕は以前そんなムードの切れ端をメモしておこうという気を起こして『グッド・ナイト』の歌詞を書いた。さて、ドラムにもこのような郷愁を持ち込んでいいものかどうか。

 今は、このようなムードは一旦去った。ただ、モードが帰ってきている。モードは「~モード」とかよく一般的に言われているものと同義で差し支えない。ムードはある時期にしか属してくれず、すぐどこかへ行ってしまうけど、モードこそ気持ちでどうにかできるものでもないと気がついた。ただ、モードさえ帰ってくればムードは思い返すことならできるかもしれない。そういった点、僕は今図らずも「森は生きている」のよきリスナーになっているのかもしれない。当時ムードをドラムにまで持ち込みたかったどうかは覚えていないが、所謂きちんとしたドラマーの仕事をするというよりは、パーカッションからの影響を8ビートに還元することに執念を燃やしたり、ライヴではロイ・ブルックスやスティーブ・リードのように少し喋り過ぎていたようだ。
 そんな「森は生きている」のいつかのライヴのあとにgonnoさんと口約束したプロジェクトが約3年越しに実行する。(https://diskunion.net/latin/ct/detail/1007589182)僕は、周りをぐっと昇華させるようなレヴォン・ヘルムやナナ・ヴァスコンセロスに憧れる反面、喋り過ぎる(喋ることができる)ドラムを叩くロイ・ブルックスやスティーヴ・リードにずっと憧れていた。gonnoさんの音楽はどこか懐かしく柔らかい。それなのに強度もある。僕が喋り過ぎたくらい包み込んでくれる懐の深さがきっとある。というか、今回はあまり作戦立てをし過ぎず、お互いの処女の会話を作品にしたいと思っている。作戦立ては今後いくらでもできるし。だから、ムードをドラムに持ち込むモード全開だ。

 もう一つ新しいバンドのプロジェクトは歌を生かさなければならない。シンガーソングライター特有の曲の間にできる真空のようなものを共有しなければならない。これが絶妙で、一からドラムをやり直さなければならない練習モードにさせられている。最近、作詞の依頼から資料集めの一環で尾崎亜美などを聴いていたのだが、言葉のことより林立夫氏のドラムに驚いた。『大滝詠一』『HOSONO HOUSE』のドラミングはすごく聴いてきて、やはり一種のなつかしさがあって(駒沢氏のペダル・スティールが助長している節も大きい)、それなりにコピーにも取り組んできたのだが、それ以降のドラミングはなつかしさが多少去って、それでもかっこよさは残りながら、上手さと凄みを湛えている。はっきり言って勝手に凹んだ。でも、ちょうどいい。大分に一人でいるのも申し訳ない気持ちになることがいつも山に叩きに行かせるので、練習モードは歓迎だ。そして、最近話題の大貫妙子『SUNSHOWER』におけるクリス・パーカーや、ジェイムス・テイラーにおけるリーランド・スカラーと組んだ時のラス・カンケルのドラミングに改めて驚嘆した。”Nobody But You”の間奏明け1:52~1:56までスネアを抜いたプレイは圧巻。そしてスネア一発帰って来たときのなつかしさは言葉にできない。スティービー・ワンダー”bird of beauty”におけるボビー・ホールのドラミングも思い出した。なんだか急に色々思い出してきた。

 2月になったらすぐ東京へ行って2週間ほど滞在しながら、このどちらもを一気に進めます。岡田とのプロジェクトも並行して行います。あと一週間はスウェディッシュ・トーチの力を借りて、寒さに負けず山へ。


サバール練習会

R.I.P. Mark E. Smith - ele-king

 1990年代にイギリスで大きくなった人間として、僕はザ・フォールのことをただ「そういうバンドがいる」という程度にぼんやりとしか認識していなかった。ザ・フォールとマーク・E・スミスは影の集団のような存在だったし、ポップ・カルチャーの背後で不可解に動き回っては、たまにそのスクリーンを突き破ってこちらをまごつかせる超俗的な何がしかをカルチャーの中へとすべり込ませていた。

 スミスの声はインスパイラル・カーペッツの“アイ・ウォント・ユー”での電話を通してがなり立てるようなかすかにアメリカ英語っぽいマンチェスター訛りのヴォイスとして、そしてエラスティカとの共演曲“ハウ・ヒー・ロート・エラスティカ・マン”でおなじみだった。

 コメディアンのステュワート・リー&リチャード・へリングのコンビはザ・フォールの“キュリアス・オレンジ”を自分たちのテレビ・コメディ番組(*1)のテーマ曲に使い、同番組に出てくる「ザ・キュリアス・オレンジ」なるへんてこな常連キャラもその曲が元にしていた(キュリアス・オレンジは人間の顔をした巨大なオレンジで、回答には興味がないくせにもったいぶった質問を発し、どういうわけか人間の肉が好きなキャラでもあった*2)。

 ラジオ界では元ザ・フォールのメンバーのひとりのマーク・ライリーがDJとしてレギュラー番組を抱えていた。一方でザ・フォール最大のファンのひとりとしてもよく知られていたジョン・ピールは、BBCのお恥ずかしい番組編成のごたつきのせいで番組の時間枠をあっちこっちに動かされても必ずザ・フォールの曲はかけてくれる頼りになる存在だった。

 ポップ・カルチャーに走ったひびを縫って入り込んでくる、こうした混乱を招くようなザ・フォール(:転落)の断片の数々は面白可笑しく不思議に思えたものだったが、同時に彼らは常にどこか少々ダークで危険でマジカルで、何かしら魔法めいた(hexen)ところも備えていた。心をそそられるとはいえ、それらの断片を踏み越えていざ実際にザ・フォールの世界へと歩を進めるのは、もっと難易度の高い行為だった。その世界というのは当のバンド側もあっぱれな自覚と共に既に「素晴らしくも恐ろしい」(*3)と称していた世界だったわけだが、実はその形容の上をいくものだったし、90年代のイングランドには彼らを手っ取り早く押し込められるような場所が存在しなかった。

 90年代のブリテン島におけるポップおよびロック音楽に関するメディアの論調というのは、オアシスのようなバンドに代表される「労働者階級、英北部出身でリアル」とブラーが都合のいいステレオタイプを提供することになった「中流階級、英南部出身で気取り屋」のふたつの間に存在する、極端に単純化された二次元的な分かれ目に特徴づけられていた。

 マーク・E・スミスはそうした安易な時代に向いてはいなかったし、メディアの側も彼を分類し、彼を人びとの口に合うように仕立て、彼の魔法の技を中和するのに四苦八苦していた。その結果、彼は有名人のキャラを表現する形容詞のいくつかにまとめられてしまった。「気むずかしい」、「怒りっぽい」、「強情な」。時間が経つにつれて陳腐なクリシェにまで使い古されていったこれらの形容詞によって、マーク・E・スミスは気むずかしい年寄りのカリカチュア、支離滅裂でとりとめがなく風変わりな、でもそのエキセントリックさで愛すべきおじさんへと変えられていった──そうやってあの、もっともグロテスクかつ害のない文化的な概念である「人間国宝」というやつに取り込まれてしまったのだ。こうした単語の数々は彼の周囲を魔法陣で囲むことで彼をイギリス人にとって安全な存在にし、彼に備わっていた本当の意味での危険性からイギリス人を保護する役割を果たした。

 イギリス文化は労働者階級出身のインテリという概念への対処の仕方に常に頭を抱えてきた。ワーキング・クラスの人びとは素朴な民で、地に足が着いていて、気取りがなく(これは「想像力に欠けている」という意味合いを持つ)、読書をはじめとする文化エリート主義めいた匂いを放つものには何であれ懐疑的な態度をとるものとされてきた。労働者階級はその点を誉めたたえられるわけだが、と同時に彼らはその点ゆえに見下されてもいる──彼らが分をわきまえおとなしくしているように仕向ける、それは支配階級側のやり口のひとつだ。その一方で、芸術、詩、知的な野心は中流のリベラル人が追求するものとされる──中流リベラルとは僕のような人間のことであり、ワーキング・クラス側は僕らのことを(概して正しい見方なのだが)軟弱な、現実は見て見ぬふりのリアリティと接点を持たない連中として考えるよう促されている。

 マーク・E・スミスはイギリス文化を理解するためのこうした類型を脅かしてみせた。70年代終わりから80年代初期にかけて「労働者階級の音楽」という概念をもっともすんなり定義してみせたのはポール・ウェラーとザ・ジャムのキッチン・シンク型リアリズム(*4)だった。それに対してスミスは詩人だったし、彼の詩は謎めいたオカルト調な飛躍を見せ、ナヴォコフやラヴクラフト、実存主義作家コリン・ウィルソンらを引用し、またバンド名そのものもアルベール・カミュを踏まえていた(*5)。

 彼のソングライティングはまたポストパンク時代に備わっていた芸術学校あがりの知性偏重主義に耳ざわりな風穴を開けるものでもあって、否定しようがない偉大な同期生バンドだったギャング・オブ・フォーやザ・ポップ・グループの表したラディカルな情趣、同じくカミュ好きだったザ・キュアーといった連中すらザ・フォールに較べると取り澄まし抑制されたものに聞こえるほどだった。

 作詞家としてのスミスは知性、神秘主義、下品さと辛辣な観察眼を併せ持つユーモアとを組み合わせ、そしてそこに言語の持つ美的価値観に対する本能的でまったくもって彼特有な理解も混ぜ込んでいた。スミスは「プロレタリアートによるアートへの威嚇」(*6)であり、その威嚇はがっちり形成されていた労働者階級に対する偏見、そしてブロジョワによるアート独占状態の双方に向けられたものだった。

 言葉の面ばかりではなく、スミスがザ・フォールと共に作り出した音楽そのものも同じくらい重要だった。仮に、基本的にザ・ダムドとザ・セックス・ピストルズは「ストリートにたむろす音才のないごろつきの誰にでもロックンロールは演奏できる」ことを証明したバンドだったとすれば、ザ・フォールは同じく音才のない輩にもひとつの音楽世界を生み出せると証明したバンドだった。反復型で、雑然としていて執拗な彼らの作品の多くはシンプルなパンク・ロックあるいはガレージ・ロックのコードやリフを基本に据えていたが、そこにはまたスカスカで現実離れした、ノイ!とCANのインダストリアルな亡霊も漂っていた。彼らの音はどんなパンク・ロックにも引けを取らないくらい直観的かつ直接的だったとはいえ、あの寓話的な要素、真の意味でもっとも霊感に満ちた音楽的な幻視者だけが掴むことのできる、あの転位してバランスがずれた現実の感覚も備えていた。

 僕からすれば、ザ・フォールをあれだけ重要なバンドにし、またマーク・E・スミスをあれだけ素晴らしいフロント・マンにしていた要素のすべてはアルバム『ヘックス・エンダクション・アワー』収録曲の“アイスランド”でひとつになっている。ピアノの鍵ふたつがえんえんとループしながら前景で叩かれていき、曲が進むにつれ増していくドラムスと引っ掻かれたギター、さまよう右手が弾くピアノから成る不協和音を曲の背景に流れる質感へと抑えていく。その間スミスは我々に向かって「最後の神聖なる者たちを目撃せよ(witness the last of the god-men)」、「さあさあ寄ってらっしゃい、男性下着ショウですよ(roll up for the underpants show)」、「祈禱書を引っ掴め(make a grab for the book of prayers)」、「己の魂に向けてルーン文字を投げかけよ(cast the runes against the self-soul)」とけしかける──無意味そうでいて、しかしやはり何かを心に喚起する一連のイメージ群であり、魔法(hex)は1980年代のイギリスのポップ・カルチャーの地平のそこかしこに無差別にばらまかれ、その後の数ディケイドに神秘的なマジックをにじませ続けている。

 30枚以上にのぼるアルバム群を通じてマーク・E・スミスとザ・フォールは充分なだけの足跡を残してきたし、彼らの与えた影響の大きさをこれ以上証明する必要もない。それでもやはり、彼らのかけた魔法がまだ効果を発揮しているのを知ると励まされるものだ。

 これは興味深くも悲しい偶然だが、スミスの死とほぼ時を同じくして日本人ラッパーのECDが亡くなった。彼もまたスミスと同じようなバックグラウンドから出てきたカテゴライズしにくいアーティストであり、ユニークな詩の感覚で愛され、そしてその影響がさりげなくもパンクに地下音楽、ヒップホップ・シーンからそれを越えた場所にまで浸透している人だった。

 2017年を振り返るレヴューを書こうと思い、去年出会った日本のインディおよびアンダーグラウンド界発のベスト・アルバムをいくつか聴き返す作業をしていたところ、そこにもザ・フォールの残響が流れ続けていた。ボストン・クルージング・マニアの『アイデア』の奇妙なガレージ・ロックとうねうねしたわめき声、トリプルファイヤーの『ファイヤー』に響く反復性リズムのミニマリズム、世界的なバンドの『ニュー』およびWBSBFKの『オープン・ユア・アイズ』に鳴るドライで不満を抱えたポストパンクなどにそれらを聴き取ることができるはずだ。

 昨年発表された『ニュー・ファクツ・イマージ』がおそらくザ・フォールの最後のアルバムになるであろう状況で、あの魔法を未来の世代にまでかけ続けていく任はいま名前をあげたようなバンドたちや他にももっといる連中たちにかかっていくことになるだろう。

<補記>
「hex」という言葉について。この言葉を僕は文章の中で何度も繰り返しているが、それはマーク・E・スミス自身が歌の中で多く使った単語だったからだ。「hex」というのは英語の中でも変わった言葉で、普通は「magic」、「sorcery」(いずれも魔法/魔術の意味)、「enchantment」(魔法/魔法にかかった状態)といった単語を用いるものだし、場合によっては「curse」(呪い)もありかもしれない(それがどういう類いの「hex」なのかによるが)。このかなり耳慣れない単語の方を彼が好んだ事実は大事なことだと思うが、この文章を日本語に翻訳した際にその微妙な違いを表現するのが難しいのではないかと察するので、短く説明を加えさせてもらった。

<註>

*1:BBCが90年代末に放映したコメディ番組『This Morning with Richard Not Judy』。

*2:キュリアス・オレンジのコーナーは番組内で進化し、映画『エイリアン』に登場するチェストバスターそっくりな人肉好きキャラ=キュリアス・エイリアンに取って代わられた。

*3:『The Wonderful And Frightening World Of The Fall』は1984年発表のザ・フォールのアルバムのタイトル。

*4:戦後イギリスで起こった社会主義リアリズムを備えた演劇•小説•映画他の風潮で、恵まれない庶民や労働者階級の暮らしぶりを実直に描いた。

*5:カミュの小説『La Chute』(1956年:邦題『転落』)の英語タイトルが『The Fall』。

*6:ザ・フォールのエP『Slates』(1981年)収録曲のタイトル(“Prole Art Threat”)。

interview with Nightmares On Wax - ele-king

 ダンス・ミュージックがもたらしたリズムの発明は、フィジカルな肉体の運動を促すものだけではない。ある種の、甘美なる怠惰のためのBGMというか、リラックスのためのビートも生み出している。ある種のヒップホップの手法だったブレイクビーツから派生したダウンテンポと呼ばれる音楽は、リラックスのための最良のグルーヴを生み出した(もちろん、そのリズムであなたがゆったりと体を動かすことは自由だ)。ジョージ・エヴリン(DJ E.A.S.E.)を中心としたプロジェクト、ナイトメアズ・オン・ワックスとは、その名前とは裏腹に、心地よいその手のサウンドのイノヴェイターとしてUKの音楽史に30年近く君臨してきたアーティストだ(そういえば、LFOのマーク・ベルが2014年に死去したことを考えれば〈WARP〉の最古参アーティストでもある)。

 1995年にリリースしたセカンド・アルバム『スモーカーズ・デライト』が、そのアーティスト史的には転機と呼べる作品であり、音楽史に残るある種の発明でもある。ソウルやファンク、R&B、そしてレゲエ/ダブなどを吸い込んだ、ヒップホップ的なサンプリング・センスと、ザ・KLFの『チルアウト』のコセンプトを掛け合わせたというそのサウンドは、まさにヒップホップのある種の“チルアウト性能”を極限まで音楽的に増大させた。それはダウンテンポ(もしくは当時の流行り名でいえばトリップホップ)と呼ばれる音楽の雛形のような作品となった。そのタイトルが象徴するようなある種の実用性(むろん、そこから離れた単なるリラックスした空間での実用性も含めた)のなかでのサウンドトラックとして増殖し続け、フォロワーも星の数ほどいるジャンルとなっている。


Nightmares On Wax
Shape The Future

Warp / ビート

DowntempoR&B

Amazon Tower HMV iTunes

 前置きが長くなったが、ここにナイトメアズ・オン・ワックスの実に5年ぶりとなる8作目の新作『シェイプ・ザ・フューチャー』が届いた。野太いベースとソウルフルなサウンドに支配されたダウンテンポ──基本サウンドはもちろん『スモーカーズ・デライト』から変化がないと言えるかもしれない。しかし、もはやそれは彼の作品を貫く美学でもある。もちろん、これまで以上に熟成したサウンドが展開されてもいるし、そして新たな変化もある。ひとつ新作の特徴を挙げるとすれば、それは歌にフォーカスしたアルバムと言えることだ。これまでの作品にも参加してきた、モーゼズ、LSK、クリス・ドーキンス、JD73、シャベルといったシンガーに加えて、サディー・ウォーカー、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングなど新世代のシンガーも参加しており、アルバム全体としてはR&Bへとそのサウンドの舵をきっているとも言えるだろう。彼のサウンドの長年のファンに説明するとすれば、どちらかといえば近作2作のファンキーなビート・サウンドの作品よりも、『マインド・エレヴェイション』や『イン・ア・スペース・アウタ・サウンド』といった、歌モノが心地よい、よりチルな雰囲気のシルキーでソウルフルなサウンドを思い浮かべてもらえればいいかもしれない。甘美な怠惰のためのビートはソウルフルに鳴り続けるのだ。

メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

現在もリーズに住まわれているんでしょうか? それともイビサですか?

ジョージ・エヴリン(George Evelyn、以下GE):イビザだよ。もう11年になる。

制作はどのくらいの期間で行われたのですか?

GE:3~4年くらいかな。はっきりとは言えないんだけどね。というのも、俺はアルバムを作ろうと決めて作品を作り出すわけではないから。常に曲を作っていて、ある程度の数ができあがったときに、それにアルバムとしてのまとまりを感じれば、そこで「お、これはアルバムになるな」と思うんだ(笑)。

〈WARP〉の他のアーティストもそうだと思いますが、リリース・サイクルは自由なんですね(笑)。

GE:そうだよ。あまり「なにかを作らなければいけない」という考えに縛られるのが好きじゃないんでね。自分のなかから自然に出てくるものを活かしたいんだ。締め切りとかに制限されず、自分の音楽には自由なスピリットを取り入れたい。そっちの方が、誠実な作品を作ることができるからね。

資料には本アルバムの制作をして「肉体的にも精神的にも新しい旅をした」と書かれていますが具体的にはどんなところでしょうか?

GE:肉体的というのは、もちろんツアーで旅をしていたこと。そして、その旅を通じて様々な文化を体験したし、国を訪れる度に、現地の人たちに聞いて、その土地の社会や経済、政治、音楽シーンについて学んだんだ。それによって、世界をまた違った角度から見ることができた。様々な問題や崩壊したシステムが存在することがわかったし、俺は、それに興味を持ったんだ。精神的というか、内面的にも様々なものを見て、感じたんだよ。その経験を通して、世界の見方について考えるようになった。多くの人々は、自分の目で世界を見ていないと思う。外部からの情報に影響されていて、その情報は正しいものでなかったり、ポジティヴでないものが多いんだ。そこで、もし自分たちがそういうものに左右されず、情報、政治、宗教がなく、自分たち自身の見解で未来を考えたらどうなるだろうと考え始めた。世界をどう見るか自分たちにはどんな未来にするかを選ぶ選択肢があるということ。それに気づき、それを表現したいと思ったんだ。

それでアルバムのタイトルが「Shape The Future」なんですね?

GE:その通り。メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

本作はこれまでのあなたのキャリアで最も“歌”に注力したアルバムではないかと思うんですがいかがでしょうか? もしそうであれば理由も教えてください。

GE:結果的にはそうだね。でもさっきも話したように、俺は計画して作品を作るわけではないから、たまたまそうなったんだ。ただそれくらい、今回は伝えたいメッセージがあったんだろうね。俺の音楽は作っている時の自分の状態が映し出されたものだから。

Little Ann “Deep Shadows”をカヴァーしたのはなぜですか?

GE:アルバムに女性のミュージシャンをフィーチャーしたらいいんじゃないかという話をマネージャーとしていて、マネージャーが送ってきた曲の候補の中にあの曲があって、いいなと思ったんだ。誰かと親しくしていても、その関係の中でなにかが満たされないというか。ひとつの方向にとらわれず、複数のアングルから人間関係を見ているのが面白いと思った。そういう曖昧な部分に惹かれたんだ。

これまでの作品にも参加してきたシンガーに加えて、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングといったシンガーも名を連ねています。彼らはどのように起用したのでしょうか?

GE:ふたりとも、俺のイベント《Wax Da Jam》に参加してくれたアーティストなんだ。アンドリューとは、曲を作って、去年EPとしてリリースしたんだけど(註:2016年のEP「Ground Floor」のこと)、その作品の出来が良かったからまた彼を招くことにしたんだ。さっき話したイベントのクロージング・パーティーでジョーダンはプレイしたんだけど、その次の日に俺の家でバーベキューをやって、それに彼が来て、その流れで一緒にスタジオに入ってレコーディングした。その曲をアルバムに入れることにしたんだよ。

ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

また今回はウォルフガング・ハフナーなど、ジャズ・ミュージシャンの演奏も多く取り入れている模様ですが、このあたりはどういったコンセプトがあったんでしょうか?

GE:いや、ないね。さっきも話したように、あまり何かを決めて作品を作ることはないから。これまでもジャズ・ミュージシャンたちとはたくさん共演してきているから、俺は特に多いとは感じていない。アルバムに参加してくれているミュージシャンたちは、皆友だちなんだ。彼らのような素晴らしいミュージシャンに参加してもらえたのはすごく嬉しいね。

全体の何割ぐらいをミュージシャンの生演奏を使っているのですか?

GE:50%くらいだと思う。このアルバムに限らず、俺は常にアナログとデジタルの融合を意識している。

やはりいまでもサンプリングという作曲方法にマジックを感じていますか? それはどんな部分ですか?

GE:もちろん。サンプリングは俺にとって主要な表現方法だからね。サンプリングに自分のアイディアを混ぜ、新しいものを作る。俺のバックグラウンドはヒップホップだから、サンプリングは俺をここまで連れてきてくれた基本。曲作りにおいてだけでなく、曲選びのスキルもサンプリングで鍛えられたと言ってもいい。サンプリングの魅力は、ある曲のわずかな数ミリの瞬間をもとに、そこにアイディアを加えて混ぜることで、全く新しい作品が生まれるところだね。

あなたやJ・ディラといったアーティストが切り開いたブレイクビーツ・ミュージックが逆に新世代のジャズ・アーティストに影響を与えるという状況もでているようです。こうした事態に関してあなたはどう思いますか?

GE:興味深いと思うよ。インスピレーションの循環のひとつだと思うし、それがナチュラルに起こっているならより良い。意識してやってしまうと、それはコピーになってしまうからね。インスパイアされることによって自分の作品がより深いものになるなら、それは素晴らしいことだと思う。

最近のジャズやR&Bのアーティストでおもしろいと思うアーティストはいますか? たとえばハイエイタス・カイヨーテやロバート・グラスパーなどはどう思いますか?

GE:Electrio っていうイギリスのグループで、彼らはすごく面白いよ。それからニック・ハキム。ハイエイタス・カイヨーテもロバート・グラスパーも素晴らしいと思うよ。ハイエイタスはアルバムも良かったし、去年フェスで一緒になったからパフォーマンスを見たけど、あれは素晴らしかった。あと、カマシ・ワシントンも最高だね。

アラン・キングダムはなぜ起用したのでしょうか?

GE:すでに作っていた曲があって、そこにもっと若いエナジーを加えたいと思いつつそのままになっていたんだ。でも、あるときアランがスタジオに来る機会があって、彼がピッタリだと思った。彼はコンテンポラリーなヒップホップ・アーティストだし、アルバムにダイナミックさをもたらしてくれると思ったんだ。

この作品に限らず、いくつかの例外はあるにせよ、あなたの作品は基本的にある種のベース・ミュージックだと理解しています。とても心地よいヘヴィーなベースがずっとなっていて、それが楽曲全体を印象づけていると思っています。

GE:どうだろう(笑)。心地よい音楽を作っているつもりではあるし、暖かいベースを作りたいとは思っているけど(笑)。暖かくもありながら、セクシーな気分になったりダンスをしたくなるベースでもあり、かつハッピーにもなれるベースが最高だね(笑)。

ベース・ミュージックをうまく作る秘訣を教えてください!

GE:ハートで音楽を作ることさ。頭ではなく、ハートで作ること。ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

あなたの音楽は『Smokers Delight』という作品の名前が象徴的ですが、スモーカーたちを喜ばせ続けるようなサウンドをリリースし続けています。歳をとるとやめてしまう人もいますが、あなたはいまでも優秀な“スモーカー”ですか?

GE:今は若い時ほどは吸わないね。例えば、今も3日間吸ってない。自分にとって前ほど必要なものではないよ。


Double Clapperz & EGL - ele-king

 君はダブクラを知っているか? もしまだ知らないのなら早めにチェックしておいたほうがいい。グライムから影響を受け、いま東京でもっとも尖った音楽をやっているアクトのひとつだ(インタヴューはこちら)。そんなダブクラこと Double Clapperz が新たに10インチEPをリリースする。今回は東京の若手トラックメイカー、EGL とのコラボEPで(EGL はファティマ・アル・ケイディリのリミックスも発表している)、発売は2月中旬を予定。リリース元は彼ら自身のレーベル〈Ice Wave Records〉。また、フィーチャーされている Ralph は20歳の若きラッパーで、彼にとっては本作が初のフィジカル・リリース作品となるそう。そろそろ君も馴れ合いをやめて、斜に構えてみてはいかがだろう?

Double Clapperz & EGL -
斜に構える feat. Ralph / Obscure VIP

A. EGL - 斜に構える feat. Ralph (Double Clapperz VIP)
B. Double Clapperz - Obscure (EGL VIP)

発売 - 2月中旬

※アナログ・リリース・オンリー
MP3ダウンロード付き

購入リンク:https://doubleclapperz.bandcamp.com/

■Ralph
Instagram - https://www.instagram.com/ralphlamed/

■EGL
SoundCloud - https://soundcloud.com/itsegl
Twitter - https://twitter.com/ItsEGL
Instagram - https://www.instagram.com/itsegl/

■Double Clapperz
SoundCloud - https://soundcloud.com/doubleclapperz
Twitter - https://twitter.com/doubleclapperz

サファリ - ele-king

 「午前中、ある村から帰るとき、大きな狒狒が、車のわずか十メートルくらい前の道路を横切った。リュタンはよだれを流す、文字通り。しかし僕は、いかなる狩猟本能の爆発も感じないので、ただ、猿の青い尻に目をとめただだけだ。思ったより鋼鉄色を帯びた青だ」(ミシェル・レリス/岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳/平凡社)

 ミシェル・レリスは1931年5月19日から33年2月16日までの1年9ヶ月にわたったダカール=ジブチ、アフリカ横断調査団の公的な日誌の体裁をかりた日記文学『幻のアフリカ』の31年7月31日づけの記録に上記の文章を書きつけている。彼らはこのとき仏領スーダン、いまのマリ共和国西部のキタに滞在していた、午前いっぱいをあたりの調査についやした帰り道、同じ車に乗り合わせた調査団の同僚リュタンは車上から猿をみてよだれをながさんばかり。というより文字通りよだれをながしたのだった。興奮したのだろうね。それは狩猟本能の爆発だとレリスは書く。しかし彼の指摘は日本人の読者にぴんとこないかもしれない。食料をえるためにではなく、動物を狩る、仕留める、殺すことはこの社会一般に広く浸透しているようにはみえない。すくなくとも私にはそう思われた。むろん封建時代の王侯貴族や、日本では大名や将軍にとって狩りは彼らの特権を確認する余暇であり、近代以降はブルジョワがとってかわり、たとえば、この映画の資料も言及するヘミングウェイがアフリカへの狩猟の旅をもとにしたためた『アフリカの緑の丘』などにも脈々とうけつがれている。ヘミングウェイのアフリカにいったのは1933年なので時期的にはちょうどレリスがフィールドワークしてまわったころとかさなる。広大なアフリカ大陸でふたりは交錯する、私はそこに偶然ときってすてられない符牒めいたものをおぼえもする。大戦間の欧米には非西欧への憧憬がまだ生きていた。近代におこったそのような機運は20世紀にはいってから、音楽でいえばサティやドビュッシーを刺激し、ブルトンの通底器となり――かつてシュルレアリストだったレリスはブルトンと袂を分かってアフリカに出てきた――フロイトの無意識にも働きかけたかもしれないが、産業革命以後、狭くなった人間の世界認識が求める他者と外部は同時に帝国の海外侵出の契機ともなった。国家にとってのエキゾチシズムとは侵略である。日本が東アジアに乗り出したように欧州はアフリカや東南アジアに植民地をもうけた。とはいえポスト・コロニアルの論点整理は本稿の任ではないのでこのあたりできりあげたいが、レリスのアフリカ行もほとんどがフランスの植民地をめぐるものであり、それらの地名のいちぶはたとえばパリ=ダカール・ラリーなどの名称にのこっているのはおぼえておいてソンはない。

 ウルリヒ・ザイドルのドキュメンタリー『サファリ』の舞台はナミビア、テーマはトロフィーハンティングである。またしても聞きなれないことばだが、獲物の毛皮や頭めあてに金を払い狩猟する、おもにヨーロッパの観光客をあてこんだ、現在のアフリカ諸国の一大観光資源ともいわれるレジャー産業であり、耳ざとい読者におかれては、数年前獲物となったライオンの前で誇らしげな写真をSNSに載せたアメリカ人歯科医師の投稿が炎上したのをご記憶かもしれない。ことほどさようにトロフィーハンターたちは写真を撮る。せっせとそうする。『サファリ』に登場するハンターたちも例外ではない。殺しのあとに彼らがとりかかるのは写真を撮ることだ。
 中年のハンターは死んだヌーの鼻面をぽんぽんと叩きこういう。頑張ったな、友よ、と。ヌーの肩口の致命傷となった銃創に血がにじんでいる。猟犬のルビーがそれを舐める。簡単ではなかった。銃弾を放つまで、ハンターたちは息をつめる。十分な距離まで接近するまで動物にけどられてはならない。ガイドはハンターに耳打ちする。ゆっくり時間をかけて自分のタイミングで。かすれた囁き声は性交のときの睦言に似ている。それとも悪魔の囁きだろうか。さあしっかり狙いをさだめて、いつものように――ガイドはそんなことはひとこともいっていないがそんなふうに聞こえそうになる。息をつめる。間。世界が真空になった。ハンターはひきがねをひく、発射する。だいたいが数百メートルの距離なので命中したかはすぐにはわからない。獲物にちかづいていく彼らの背中にことを終え一息ついたあとに戻ってくる社会性がおいすがる。息絶えた動物を前に安堵するハンターはパートナーやガイドとかたく抱き合う。よくやった、と。一家4人でトロフィーハンティングにやってきた母親は娘にこういう。あなたに自信をつけさせたいの。そこで訪れる解放感と達成感と癒やしと、そのために生命を奪う愚劣さとを私はどう天秤にかけていいのかわからなくなる。すぐれて倫理的だが一般道徳ではたやすく片づけられない。

 ウルリヒ・ザイドルはそのようなものをつねに追い求めてきた。ドキュメンタリストとしてキャリアをスタートし、5作目の『予測された喪失』(1992年)は翌年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門で優秀賞を獲得した。2001年の初の長編フィクション『ドッグ・デイズ』でもヴェネチアで賞をもらっている。「愛」「神」「希望」と題した『パラダイス三部作』(2012年)の記憶はいまだあたらしい読者もすくなくないだろう。私もそうです。リゾート地の黒人男性の買う欧州の中年女性、宗教と世俗をめぐる聖と性、欲望における自我と愛――そのような人間の芯の部分にある、たぶんに生きることにかかわるなにものかをザイドルはみつめつづけてきた。したがって私は編集を担当した『別冊ele-king』のジム・オルークの特集号のインタヴューでジムさんが三部作の「希望」を激賞し「私はザイドルのスーパーファン」というのを聞いてミミズ腫れするほど膝を叩いたのは、透徹ということばではなまやさしい対象の物自体にむかう視線に彼らの共通項をみた気がしたからだ。

 映画はもちろんあらゆる表現形式をみわたしてもそういうひとはそう多くはない。
 ザイドルはパゾリーニ、ヘルツォーク、ブニュエル、ユスターシュやタルコフスキーやカサヴェテスらが映画の道に足を踏み入れたときのアイドルだったという。ヘルツォークが「私はザイドルほどには地獄の部分を直視していない」とコメントしたのは『ドッグ・デイズ』のときだっただろうか。そのザイドルもいまやハネケとならぶオーストリアを代表する巨匠である。だからといってザイドルの筆致が鈍るわけではない。『サファリ』にも下腹に響くシーンが頻出する。ことに後半銃弾に斃れたキリンがこときれるまえ、長い首をもたげ、傾げて絶命する場面。死んだキリンは現地の男たちが解体する、その場面もザイドルはきっちりフィルムにおさめている。キリンの皮があれほど厚いとは上野動物園にいっても志村動物園をみても絶対にわからない。あふれでる内蔵のいろとりどりのグラデーション、皮を剥がれた動物たちの真皮の白さ、目をそむけたくなる作業を、しかし現地の男たちは生活の糧をえるためおこなっている。たんたんとした、滑稽なほど即物的な作業風景には映画史における狂気にとりつかれた殺人者たちの姿がオーバーラップするがこれが彼らの日常の場面なのだ。そしてそこにはドキュメンタリーならではの出来事、現実の死が表現の形式にとりこまれるさいの虚構とのせめぎあいがおこる。逆のパターンは、ネオレアリズモからもヌーヴェルヴァーグからも何十年も経ったいま、なかなかにむずかしい。たとえば河瀬直美監督の『2つ目の窓』(2014年)のじっさいにヤギをしめる場面が虚構に嵌入した現実そのものではなく、たんにロマン主義的なメッセージを代弁してしまっていたこと。すくなくとも、シマでヤギをしめるときはあんなふうではなかった。私は十六で本土の学校にあがるときのお祝いはヤギ汁だったが、ヤギをしめたひとたちはむしろ『サファリ』の解体するひとたちにちかった。

 とはいえ『サファリ』でも、ことに後半にいたって、富裕な白人と貧しい現地のひとたちという図式的な描き方になっていたのはいぶかしかった。ザイドルの本領は告発にとどまらないはずだからである。ザイドルは作中でハンターにインタヴューを試みる一方、作業に従事する黒人たちはことばを発さない。資料によれば、その必要性を認めなかったとのことだが、ザイドル特有のファインダーに正対した人物たちの記念撮影を思わせる不動のショットは白人と黒人とを問わず、人間たちをひとしなみに無時間性のなかに置き去りにする。あたかも装飾品として流通する動物たちの頭部のように。

 やがて『サファリ』はレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最後の一文と同工異曲の発言で幕をおろした。私はつまるところザイドルも古典に答えを求めたのか、と明るくなった試写室でしばし思案したが、よくよく考えると、そのことばの主こそ動物を殺す当事者なのだと気づいたとき、思考があざやかにひっくりかえるような感じをおぼえた。これがあるからザイドルは見逃せない。(了)

Charli XCX - ele-king

 チャーリーXCXは、時代と手を取りあうことができるクレバーなアーティストだ。たとえば、2000年代のNYロック・シーンについて書かれたリジー・グッドマン『Meet Me In The Bathroom』が話題を集めるなど、いま2000年代を再評価する流れが起こりつつあるが、この動きにチャーリーは上手くコミットしている。2000年代を象徴するムーヴメントであるフレンチ・エレクトロの代表的存在、ミスター・オワゾのアルバム『All Wet』に参加したことをはじめ、去年3月に発表した自らのミックス・テープ『Number 1 Angel』には、そのフレンチ・エレクトロが輩出した歌姫アフィーをゲストに迎えている。
 とはいえ、これは時代を意識しただけではなく、チャーリーの音楽的背景も深く関係しているだろう。もともとチャーリーは、2008年にマイスペースで発表した曲をキッカケに知名度を高めたアーティスト。おまけにフレンチ・エレクトロからの影響を公言していることでも知られており、いわばチャーリー自身が2000年代のポップ・カルチャーから生まれたアーティストと言える。このことを意識しているからこそ、2010年代を象徴する音楽コレクティヴのひとつ、〈PC Music〉周辺のアーティストたちに『Number 1 Angel』のプロデュースを託し、そのうえでアフィーを招いたのだ。そこには、2000年代から2010年代に至るまでの流れを地続きとしてとらえる、明確なキュレーション感覚を見いだせる。

 そんなチャーリーのクレバーさは、去年7月に公開された“Boys”のMVでも際立っている。自ら監督を務めたこのMVは、ディプロやウィル・アイ・アムなど多くの男性セレブに、女性がよくおこなうとされている仕草や行動をやらせるというもの。そこに、〈金曜日は楽しませてくれる悪い男の子が必要 日曜日に私を起こしてくれる優男が必要 月曜日の夜には仕事場の男の子が来てくれる 全員欲しい〉というチャーリーの歌が乗ることで、女性をあれこれ品評する愚かな男性たちへ向けた皮肉が現出する。いわば男性目線を反転させることで、“男らしい/女らしい”とされる旧態依然としたジェンダー観を揺さぶっているのだ。
 ジェンダーに関する問題意識は、これまでも幾度か見られた側面だ。BBC3で放送された男女平等に関するドキュメンタリー『The F Word And Me』の制作を指揮し、そのなかでフェミニズムの影響下にあることも述べている。このようにチャーリーは、さまざまな形で旧来の価値観に疑問を呈し、多様性の尊さを訴えてきた。

 この信念は、去年12月に発表されたミックス・テープ『Pop 2』でさらに推し進められている。『Number 1 Angel』以来の作品となる本作は、『Madonna』期のマドンナやハイエナジーなど1980年代の要素が色濃かった前作とは打って変わり、何かしらの時代を意識させないサウンドが際立つ。キラキラとしたメタリックな電子音を強調しているのは前作同様だが、これまで以上に過剰なヴォーカル・エフェクトを施し、人によってはクセが強いと感じる音も多い。“Lucky”におけるオート・チューンの使い方などはその典型例だ。徐々に元の歌声が変調し、ラストに機械仕掛けの絶叫が響きわたるこの曲は、エモーションとテクノロジーを結合させ新たな表現を生みだすという意味で、テクノのアティチュードが宿ったサウンドと言えよう。
 最終曲“Track 10”も特筆したい。『R Plus Seven』期のOPNに通じる艶やかなサウンドをバックに、トランス風味のシンセ・フレーズとトラップのビートが入れ乱れる複雑な展開にも関わらず、とてもキャッチーなポップ・ソングとして成り立っているという奇跡的な曲だ。OPNが『Garden Of Delete』でやりたかったことをたった1曲で完遂してしまったといえば、すごさが伝わるだろうか?

 多彩な参加アーティスト陣も忘れてはいけない。A.G.クックやソフィーといった〈PC Music〉の主要人物をはじめ、カーリー・レイ・ジェプセン、ジェイ・パーク、パブロ・ヴィタールなど、多くの人たちが助力している。国や人種にくわえ、性的指向も実にさまざまだ。
 こうした人選には、文字通り時代が反映されている。たとえば現在のファッション界では、ヒジャブを着用したハリマ・アデンがランウェイを颯爽と歩き、サフィー・カリーナを筆頭に多くのプラスサイズモデルが活躍するなど、民族、体型、セクシュアリティーといった“違い”を寿く流れがある。この流れは、排他的傾向が目立つ世界情勢に対するオルタナティヴなのは言をまたないが、これと同じことが本作にも当てはまる。先述したように、チャーリーは多様性を尊ぶアーティストだ。そんなチャーリーにとって、オルタナティヴ側に立った表現をするのは極めて自然なことだろう。だからこそ、参加アーティスト陣は多彩さを極めている。それがサウンドを彩るためなのはもちろんのこと、多彩なこと自体に意味があるのも、本作を理解するうえで見逃してはいけないポイントだ。

 本作は、2010年代のポップ・カルチャーそのものと言っても差しつかえない。膨大な量の情報が行きかう現代を表象するかのように多くの要素を散りばめ、その過程でジャンルの枠にも挑み、壊すことに成功している。“特定のジャンルに収まらない”的な言いまわしも至るところで見かけるテンプレになってしまったが、それをあえて使うことでしか、本作を形容することはできない。本作は、特定のジャンルに収まらない。

Loke Rahbek, Frederik Valentin - ele-king

 ありきたりなミニマル・ミュージックを再利用すること。もしくは古い電子音楽をリサイクルすること。さらにはパンクとオルタナティヴを新しいモードに転換すること。つまりはエクスペリメンタル・ミュージックを再定義すること。「今」を再定義し続けること。
 コペンハーゲンでオルタナティヴ/エクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Posh Isolation〉を主宰するローク・ラーベクの作品と活動には、そのような意志を強く感じてしまう。1989年生まれの彼にとって「歴史」とは、もはや利用可能な残骸に近いものかもしれず、重要なのは新しいモードを生み出すことに尽きるのではないか。われわれはそこにこそ新世代の意志を感じるべきなのだ。
 インターネット以降、「情報」はかつて以上にフラット化したわけだが、それは「歴史」が使用可能な参照領域になったことと同義である。そのような環境においては90年代的な元ネタ=引用的なサンプリングの手つきは既に過去の手法になった。過去と現在の境界線が無効になり、「知ったうえでの引用」が意味をなさなくなったわけである。
 つまり、この「今」という時代は、「この時代を生きる」という運命論的な有限性を獲得するために、常に一回限りの賽子の一振りのような「賭け」のごときアクチュアルな身振りが生の条件となっている。それを新自由主義的社会的な生き方と批判するのは容易いが、むしろ歴史が生んでしまった巨大な「外部=敵」を常に意識し、自らの生を定義しなければならない「緊張」の世代・時代というべきではないか。大きくいえばテロリズムの時代なのだ。「テロ」は人生を剥奪する。そんな「世界」によって根こそぎ剥奪された生の回復が、今の若い世代にとって生きるための至上命題かもしれず、その結果、「継承的な歴史」という概念は「死んだコンテンツ」に近しいものになった。だからといって歴史が死んだわけではない。
 故に新しい音楽を生みだす「彼ら」の音楽が、仮に過去の何かに似ていようと、それをもってして過去の「引用」と関連付けて述べることには注意が必要である。彼らは生を刻印する自らの血=個のような音楽/音響を希求しているだけなのだ。「世界=外部」という巨大な「敵」に、人生を根こそぎ剥奪されないために、だ。そう、2017年以降、終っていないものは(やはり)パンクとオルタナティヴであり、反抗という精神性と美への感性である。だからこそエクスペリメンタルは今、ロマン主義的な様相を纏っているのだ。現在、「ニューロマンティック」という言葉は、このような意味に再定義されるべきだろう。

 2017年、ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からソロ作『City Of Women』と、キーボード奏者フレデリック・ヴァレンティンとのコラボレーション作『Buy Corals Online』の2作をリリースした。この2作もまた音楽的エレメントが複雑に交錯しながらも、残骸となった過去の音楽的コンテクストをリサイクルすることで、そこに自らの血=個を刻印した美しい電子音楽ミニマル・ノイズ作品となっている。ラーベクは、2017年に Christian Stadsgaard とのユニット Damien Dubrovnik の新作『Great Many Arrows』をリリースし、また Croatian Amor 名義や Body Sculptures でも活動しおり、どちらも2016年にアルバムをリリースしているが、これもまた〈Editions Mego〉の2作と同じく強い「殺気」を持ったエレガントな電子音楽/テクノ/ノイズに仕上がっていた。「生もの」と「花」に託されたセクシュアルなムードも濃厚であり、血と性の交差のごときエクスペリメンタル・サウンドになっている。
 私見だがこれらを含む〈Posh Isolation〉の作品を聴いたとき、これこそ新しいユースが生みだしたエクスペリメンタル・ミュージックと強い衝撃を受けたものだ。「抵抗」の意志が、美しい音像を生み、その音像には実験音楽のエレメントをあえて盗用するように剥奪することで、不思議な色気すら醸し出していたからだ。
 このフレデリック・ヴァレンティンとの新作『Buy Corals Online』も同様である。電子音、ドローン、環境音、ミニマル、クラシカルな要素などいくつもの音楽性が交錯したエクレクティックなサウンドであり、ときに70年代的な電子音楽(クラスターやハルモニア?)を思わせる音だが、そのことを彼らがどこまで意識しているかは分からず、つまりはあくまで「手法」として援用したに過ぎず、彼らが実現したかったのは実験性に託されたある種の壊れそうなまでに攻撃的で繊細な血の匂いのするような美意識なのかもしれない。そう、この音楽/音響には、身を切るような悲痛さ、血の匂い、エモーショナルな感覚があるのだ。そこにロマン主義的ともいえる「個」の存在も強く感じもする。

 彼らは「個」という存在を、音楽の、ノイズの、棘の中に封じ込めようとしている。私見だがそれこそゼロ年代におけるティム・ヘッカーのアンビエント・ノイズ・後継とでもいうべきものであり、「ゼロ年代という歴史のゼロ地点以降の音楽」に思える。かつて「ロック」という音楽が持ち得ていた雑食性と個の拡張と歴史の無化という側面を兼ね備えているのだ。

 ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からのリリース2作では70年代的な電子音の音像と、どこかフィリップ・グラス的なミニマル・ミュージックのムードを勝手に借用/再利用することで自ら=個の実存をノイズに封じ込めた。残骸と化した歴史をハックし、新しいジェネレーションの音楽/音響を生成しようとしている。私などはその方法論の発露に「OPN以降のエクスペリメンタル・ミュージック」のニューモードを強く感じてしまうのだ。いわば残骸のリサイクル。そこでは(さらにもう一周まわって)90年代と00年代という「歴史以降」の世界を生きるノイズ/オルタナティヴ・アーティスト特有の「継承」がなされているようにも思える。

 唐突だがここで「ロック」の歴史を終わらせ、すべてを「ノイズ」の渦に消失させたメルツバウを、あえてローク・ラーベクと接続してみてはどうだろうか。歴史とは、もろもろの事実の継承(だけ)ではない。ノイズとは、音とは、結局のところ事実=歴史を消失するものである。いつの時代も若い世代は、それを本能的に理解しているのだ。

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