「Not Waving」と一致するもの

interview with Nicolas Jaar - ele-king

E王
Nicolas Jaar
Sirens

Other People/ビート

Post-PunkAmbientExperimental

Amazon Tower

 ドナルド・トランプの衝撃が全世界を覆っている。もう何がなんだかわからない。ただただ憂鬱である。そんな暗澹たる気分のなか、ニコラス・ジャーから返ってきたインタヴューの原稿を読んだ。メールで質問に答えてくれた彼が、とてもキュートな絵文字を使っていることに、少し救われたような気分になった。以下のインタヴューのなかで彼も触れているが、ポリティカルなこととパーソナルなことは、相互に影響を及ぼし合っている。これほどの出来事があって、「さあ、また明日から頑張りましょう!」と簡単に割り切れるほど、僕は強くない。他の人がどうなのかは知らないけれど。

 オリジナル・アルバムとしては5年ぶりとなるニコラス・ジャーの新作は、前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なる雰囲気に仕上がった。とはいえ、様々な要素を折衷するスタイルそれ自体は前作から引き継がれている。“Killing Time”や“Leaves”はエクスペリメンタルであり、アンビエントである。“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”にはポスト・パンク的な態度があり、さらに前者にはドラムンベース的なギミックも忍び込まされている。“No”はレゲエを、“History Lesson”はドゥーワップを取り入れているが、ともにラテン・ミュージックの空気が貼り付けられている。このようなコラージュ精神こそがニコラス・ジャーの音楽を特徴づけていると言っていいだろう。多様であること、あるいは多文化的であることの希求。ニコラス・ジャーが移民の子であることを思い出す。

 そういった果敢な音楽的実験とともに、このアルバムからは非常にポリティカルなメッセージを聴き取ることができる。たとえば“Killing Time”では人種や階級の問題が言及され、“Three Sides Of Nazareth”ではチリで起こった虐殺の風景が歌われている。そんな本作を初めて聴いたときに僕は、ニコラス・ジャー自身の過去の作品よりも先に、ある別のアーティストの作品を思い浮かべてしまった。
 今年の春にブライアン・イーノがリリースしたアルバム『The Ship』は、タイタニック号の沈没と第一次世界大戦を参照することで、現在の世界情勢と向き合おうとする作品であった。今回のニコラス・ジャーのアルバムは、音楽性こそ異なれど、テーマの部分で、そしてその物語性において、『The Ship』と通じ合っている作品だと思う。何より、『Sirens』というタイトル。サイレンとはもちろん、「警告」を意味する信号として機能する音のことだが、その語源はギリシア神話に登場する海の怪物である。セイレーンはその歌声で船員を惑わし、船を難破させる。つまりセイレーンとは、歌で人類を混乱させ、困難へと陥れる存在なのである。『The Ship』と『Sirens』という、40歳以上も歳の離れたふたりがそれぞれUKとUSで独自に作り上げた音の結晶が、船や海といったモティーフを介して、まさにいま響き合っている。このふたつのアルバムはそれぞれ、ブレグジットと大統領選挙というふたつの出来事にきれいに対応しているのではないか――少なくとも僕は、そういう風にこのふたつの作品を聴き直した。2016年とはいったいどういう年だったのか――この2作の奇妙な繋がりこそがそれを物語っているような気がしてならない。

 そして、このニコラス・ジャーのアルバムには、「父」というパーソナルなテーマも織り込まれている。今年はビヨンセやフランク・オーシャンなど、ポリティカルであることとパーソナルであることを同時に成立させてみせる名作が相次いでリリースされた。ニコラス・ジャーのこのアルバムもまた、それらの横に並べられるべき作品のひとつである。
 ひとりのリスナーとして、ポリティカルなこととパーソナルなことの響き合いを、どのように聴き取っていけばいいのか。ひとりの生活者として、ポリティカルなこととパーソナルなことの重層的な絡み合いに、どのように折り合いをつけていけばいいのか。それはとても難しい問題で、僕自身もまだ答えを見つけられていない。でも、まさにこのタイミングでこのアルバムを聴き返すことができて、本当によかったと思う。
 返信をありがとう。

 愛をこめて。

 コバ

俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。

ビヨンセの新作や、昨年のケンドリック・ラマーのアルバムは聴いていますか?

ニコラス・ジャー(Nicolas Jaar、以下NJ):聴いてるよ。

かれらのように、一方で音楽として優れた作品を作ることを目指しながら、他方でポリティカルなメッセージを届けようとするスタンスに、共感するところはありますか?

NJ:ふたりとも、ポリティカルなことをパーソナルなことに(そしてその逆もまた同様に)うまく転換させることができる素晴らしいアーティストだと思う。それは素晴らしい技術で、俺もいつか自分の作品でそういうことを成し遂げたいと思う。
 チリでのクーデターの時、軍に虐殺されたチリ人のシンガーソングライター、ビクトル・ハラはこう言っている。「全ての音楽はポリティカルだ。たとえノンポリティカルな音楽であっても」。
 この言葉は本当だと思う。たとえラヴ・ソングでも、文脈や曲が作られた時代によって、猛烈にポリティカルなものになりうる。結局のところ、目を見開いていれば、自分の部屋の中にも、窓の外にも、愛と憎悪があるということがわかるんだ。

このたびリリースされた『Sirens』は非常にポリティカルです。たとえば“Killing Time”では、アフメド・モハメド少年やドイツのメルケル首相の名が登場し、人種や階級、資本主義といった問題について触れられています。あるいは“Three Sides Of Nazareth”では、ピノチェト政権下のチリで起こった虐殺の風景が歌われています。正直、あなたがここまでポリティカルな作品を世に送り出すことになるとは想像していませんでした。あなたが作品にポリティカルなメッセージを込めるのは、おそらく今回が初めてだと思いますが、何かきっかけとなるようなことがあったのでしょうか?

NJ:俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。たとえば『Sirens』以前は、自分の音楽に「怒り」や「苛立ち」を込めるということはしなかった。でも自分が成長するためには、そういった感情を含めていかなければならないということに気づいた。たとえそれがどんな結果になってもね。『Sirens』は俺が成長するために、自分に必要だと感じた「自由」から生まれたアルバムなんだ。

ニューヨークで生まれたあなたにとって、チリとはどのような国なのでしょうか? また、かつての独裁政権下のチリの状況と現在のアメリカの状況に共通点があるとしたら、それは何でしょう?

NJ:現在のサンティアゴには、マイアミやロサンゼルスにすごく似ている場所もある。軍隊はアメリカの資本主義導入に成功したってわけさ。共通点を挙げるのであれば、保守主義が幽霊のようにジワジワと忍び寄ってきて、文化左派が戦いに負けてしまった状態にときおりなっているという点かな。

本作の全体的なムードは前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なっていますが、様々な音楽的要素を折衷すること、多様であろうとする部分に関しては前作から引き継がれているように感じます。様々なジャンルやスタイルをコラージュしたり混ぜ合わせたりすることは、あなたが音楽を制作する上でどのような意味を持っていますか?

NJ:曲のひとつひとつが小さなストーリーになっていてほしい。俺は、インクの色よりもストーリー・アークの方に注目する方が好きだ。

“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”からはポスト・パンク的な要素が感じられます。スーサイドのようにも聞こえました。先日アラン・ヴェガが亡くなりましたが、彼の音楽からは影響を受けましたか?

NJ:もちろん影響を受けたよ。アラン・ヴェガのエネルギーは今の時代にとてもフィットしていると思う。だから彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。彼は、抵抗音楽における重要な言語と青写真を作り出した人だと思う。

昨年〈Other People〉からリディア・ランチの作品集がリイシューされました。楽曲的な面やアティテュードの面で、彼女から受けた影響があったら教えてください。また、彼女以外にも、『No New York』や〈ZE Records〉など、ノーウェイヴのムーヴメントから受けた影響があったら教えてください。

NJ:リディア・ランチが、ベルリンの壁崩壊後にベルリンでおこなった『Conspiracy Of Women(女性の陰謀)』というスポークン・ワードのパフォーマンス映像を、いつだったか偶然発見したんだ。それに夢中になり、その後何年かはそのパフォーマンス音声を自分のDJセットに入れてプレイしていたよ。
 (昨年)このパフォーマンスの25周年になるということに気づいた俺は、彼女に連絡を取り彼女と会った。彼女はリリースを承諾してくれ、それ以来、俺たちは近しい友人になったんだ。彼女にはすごく影響を受けているよ。俺が、俺自身であることを受け入れられるようになったのも、言わなきゃいけないと思うことを言えるようになったのも、彼女のおかげだ。

“The Governor”からはドラムンベース的な要素も感じられます。あなたの音楽が最初に広く受容されたのは、主にダブステップが普及して以降のダンス・ミュージック・シーンだったと思いますが、90年代のダンス・ミュージックから受けた影響についてお聞かせください。

NJ:俺の中で“The Governor”は、絶対ヘビメタなんだけど! 😂

いくつかの曲ではあなたの「歌」が大きくフィーチャーされています。それは本作がポリティカルであることと関係しているのでしょうか? そもそも、あなたにとって歌またはヴォーカルとは何ですか? 他の楽器やエレクトロニクスと同じものでしょうか?

NJ:最近は、ソングライティングという概念により興味を持つようになった。プロダクションは「ファッション」的な感じがベースになっているけど、ソングライティングはそういう感じから逃れることができると思う。「存在」というものに興味があるんだ。レコーディングに声を入れるのは、そこに命を加えるようなものだと思う。

本作は『Nymphs』と『Pomegranates』の間を埋める作品だそうですが、ということは、本作にも何かのサウンドトラックのような要素、あるいは役割や機能があるのでしょうか? たとえば、本作はいまのアメリカのサウンドトラックなのでしょうか?

NJ:そうかもね!(笑) 今まで、「テクスト」とコンテクスト(=文脈)が欠けていたと思う。『Nymphs』や『Pomegranates』は、その時の俺にとっては閉鎖的すぎると感じたのかもしれない。

前作『Space Is Only Noise』は2011年の2月にリリースされましたが、その直後、日本では大きな地震と原子力発電所の事故がありました。日本の一部のリスナーは、あなたの前作をそのような状況のなかで聴いていました。あなたの作品が、意図せずそのような状況のサウンドトラックとして機能することについてはどう思いますか?

NJ:そのような状況だったとは知らなかった。作品がアーティストの手を離れ、リスナーに届いた時点で、それはリスナーのものになると思う。俺が音楽を作るのは、俺が自分の感情に対応するために必要だからだ。音楽を作っているときだけ、俺は自由で幸せになれる。俺の音楽が、人びとの人生のサウンドトラックになっているのであれば、それがどんな結果であれ、光栄に思う。俺の音楽が人々の感情にとって、何らかの役に立っていれば嬉しい。

“Killing Time”や“Leaves”など、本作にはアンビエントの要素もありますね。あなたは3年前に、ブライアン・イーノの“LUX”をリミックスしています。彼が発明した「アンビエント」というアイデアについてどうお考えですか?

NJ:☁️☁️☁️✨

彼は音楽制作を続けるかたわら、イギリスの労働党党首を支援したり、シリアへの空爆反対のデモに参加したりしています。そうした彼の政治的な態度や行動についてはどうお考えでしょうか? あなた自身もそういった活動をする可能性はありますか?

NJ:政治的な活動はあくまで個人的に、プライベートな時間におこなうようにしている。自分の行動全てをソーシャルメディアで公開することはしたくない。デモに参加するとしたら、市民として参加するのであり、ミュージシャンとしてではない。

イーノの最新作『The Ship』は聴いていますか?

NJ:聴いている。

日本では多くの場合、音楽が政治的であることは歓迎されません。あなたは2年前にDARKSIDEとして来日し、フジロック・フェスティヴァルに出演していますが、今年、そのフェスティヴァルにSEALDsという学生の社会運動団体が出演することが決まったときに、「音楽に政治を持ち込むな!」という議論が巻き起こりました。あなたは、音楽と政治はどのような関係にあると考えていますか? あるいは、音楽が政治的であることとは、どのようなことだとお考えですか?

NJ:音楽は、時代について語ったり、信条に疑問を感じたり、考え方を覆したりするようなものであるべきだと感じる時がある。
 だが、別の時には、音楽は俺たちを癒してくれるもので、ニュースの見出しや過剰なもの、ダークなものから俺たちを逃してくれるべきだと考える。
 それは難しい質問だから、俺自身もまだ答えを見つけていない。
 質問をありがとう。

 愛をこめて。

 ニコ

Nicolas Jaar - ele-king

 2010年代以降を振り返ると、特に2011年は優れたアルバムが数多く登場した年だったが、中でもジェイムズ・ブレイクのデビュー・アルバム『ジェイムズ・ブレイク』はその年のベスト・アルバムに推されることが多かった。そして、その2011年にニコラス・ジャーもデビュー・アルバム『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』を発表している。『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』は『ジェイムズ・ブレイク』のミニマル・テクノ版とも形容され、ジャーのサウンドにはリカルド・ヴィラロボスからマシュー・ハーバートなどの影響が見受けられた。そして、従来のテクノやハウス、エレクトロニック・ミュージックの枠に収まらないところがニコラス・ジャーの特徴で、ダウンテンポや変拍子などの幅広いリズム・アプローチを見せるとともに、映画音楽、民族音楽、ブルース、ジャズなど様々な音楽的要素を融合し、実験的なコラージュ作家という側面も見せた。ジャーはダークサイド名義でダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』のリミックス・アルバムを制作するなど、ディスコやダンス・ミュージックへの積極的なアプローチを見せる一方、その作品の随所からルーツ・ミュージックや1950~60年代の古い音楽の嗜好というものが読み取れる。『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』から5年ぶりとなるセカンド・アルバム『セイレーンズ』は、そうした異種の音楽の融合ぶりがさらに際立っているとともに、彼の詩情やユーモラスなセンスが散りばめられ、世界のいろいろな土地、様々な時代を放浪するような感覚へと誘う。

 深い沈黙の中からウィンドチャイムによって始まる“キリング・タイム”は、ガラスの割れる音、それを踏みしめるような音がコラージュされていく繊細でダークなアンビエント。11分を超す大作で、ジャーのトレードマークであるピアノのメランコリックで透明な旋律が流れる中、亡霊のようなヴォーカルが揺らめく。中世の教会音楽が時空を超えて流れているようでもあり、世界の最果てのような孤独な音楽である。ゆったりとした6拍子の“ワイルドフラワーズ”はコズミックな浮遊感を湛えたサイケデリア。ブラジル音楽が持つサウダージ感覚に近い哀愁と旅情を感じさせる。“ザ・ガーヴァナー”はアルバム中でもっともユニークな曲のひとつで、ロカビリーをノー・ウェイヴ風にやっている。破壊的なビートは次第にドラムンベースのようになり、サックスとピアノを交えたジャズ演奏へと変わっていくという、何とも掴みどころのない曲だ。こうした掴みどころのなさこそジャーの魅力であり、ユーモアの表われではないかと思う。“ノー”はさまざまな音やノイズをコラージュしていくジャーの典型的な作風だが、南米のフォルクローレがベースとなったような曲で、ヴォーカルもスペイン語で歌われる。歌詞の内容も暗喩に富み、多分に政治的な要素も含むようだ。ジャーの父親はチリ出身のアート作家のアルフレッド・ジャーで、少年時代は父に連れられてチリで過ごした。近年はアウグスト・ピノチェットによるチリ軍事独裁政権時代を記録した博物館で演奏を依頼されたこともある。父親からアウグスト・ピノチェット政権時代の話は聞いているのだろうが、そうした下地から生まれたような曲だ。

 “スリー・サイズ・オブ・ナザレス”もユニークな曲で、かつてのポスト・パンクを思わせる。ジャーが生まれたニューヨークでは、1978年にジェイムズ・チャンス&ザ・コントーションズ、アート・リンゼイのDNAなどが集まり、ブライアン・イーノのプロデュースによって『ノー・ニューヨーク』というオムニバス・アルバムが生まれたが、その中に入っていてもおかしくないような曲だ。“ヒストリー・レッスン”はパラグアイのハープ奏者のセルジオ・クエヴァスが1960年代に残した「ラグリマス」をコラージュしている。曲調は1950年代のアメリカン・グラフィティ的な世界をジャー流に解釈したドゥーワップで、デヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』のサントラのようでもある。それにしても、ポスト・パンク的な曲からドゥーワップへ切り替わる脈絡の無さ、時系列や空間軸を逸脱したコラージュが『セイレーンズ』にはあり、それが放浪するような感覚を生むのかもしれない。なお、アルバム・ジャケットは父親アルフレッド・ジャーの作品である『ア・ロゴ・フォー・アメリカ』を引用している。アメリカとメキシコの国境にあるビルボードに掲げられた「ディス・イズ・ノット・アメリカ」という電光は、合衆国におけるジャーたちラテン・アメリカ人のアイデンティティを示したものであるが、『セイレーンズ』においてニコラス・ジャーも自身のアイデンティティを見つめ直したのかもしれない。

小川充

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 これは異郷の都市を彷徨する者の音楽ではないか。たしかにエレクトロニックな音楽である。しかし、見知らぬ都市/土地、その夜の最中を彷徨する感覚が濃厚に漂っているのだ。それは異邦人の記憶や体験ともいえよう。そう、ここでは、いくつもの都市や土地の記憶が、つまりは異郷と望郷の記憶がレイヤーされるように、音楽もまたふたつ以上のエレメントが交差している。むろん、このようなエクレクティックな感覚は、ニューヨークで生まれ、チリで育ったニコラス・ジャーにとっては当然のものかもしれない。ふたつの記憶。その分断。過去。現在。その音楽化。
 ゆえに彼の音楽は、ある「捉えにくさ」を持っている。それはときに折衷的といわれもする。この6年ぶりのソロアルバムでも、そのエクレクティックな音楽性は健在であった(ダークサイドなどでは、むしろ希薄)。いや、さらに研ぎ澄まされているというべきか。このふたつの記憶が、浸食するわけでも、並列されるわけでもなく、レイヤーのように重なる感覚。

 アルバムを聴いて、トラックのベーシックとなっているのは、彼の詩情豊かなピアノではないかと想像した。じっさい、乾いたロマンティズムを放つピアノは、彼のトレードマークといえなくもない。そこにノイズやビート、彼自身によるヴォーカルが分断するようにコンポジションされていく。本作では初のポスト・パンク的なトラックも収録されているが、それですらもピアノやノイズの層が、交錯する記憶のように、楽曲のなかに侵食してくるのだ。まるで記憶Aが記憶Bに浸食するように。
 つまり、楽曲じたいが断章の集積のような音楽なのだ。1曲め“キリング・タイム”に随所な傾向だが、“ザ・ガヴァナー”や“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”などのポスト・パンク的なヴォーカル・トラックもまたフラグメンツ的な構成を聴き取ることができる。コンセプトとフラグメンツ。やはりそれは記憶の再構成のようなものかもしれない。その断章から楽曲を、ひいてはアルバムという構成物を組成すること。これはコラージュ的では「ない」点が何より重要だろう。コラージュは異質なものを接続する。対してフラグメンツは並列され、重ねられ、互いに浸食し、新しい構造体を生む。

 その結果として、本作は、ある物語、世界観、統一的なムードを伝える「コンセプト・アルバム」のような様相を示す。ジャーは、2011年のファースト・アルバム『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』以降、ソ連の映画作家セルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』(1968)にインスピレーションを受けて制作された『ポミグラニット』(2015)、EPシリーズ『ニンフス』などの、フリー・ダウンロードでいくつかの作品を発表してきたが、本作が正式なアルバムとしてフィジカル・リリースされた理由は、この統一的な世界観の存在(を見出したこと)が大きいのではないか(もっとも『ポミグラニット』『ニンフス』『セイレーンズ』は3部作ともいわれている。じじつ、曲単位ではサウンドの共通項も多く聴きとることができる)。
 この「コンセプト・アルバム」的な構成は、近年の世界的な潮流ではないか。たとえばフランク・オーシャンの新作もまた、入口と出口が用意された体験/鑑賞型のコンセプト・アルバム的な構成であった。それにしても配信の時代になり、アルバムという概念が消失し、曲単位での消費がメインになるのかと思いきや、サブスクリプション以降、むしろアルバムというコンセプトが復権してきているのは興味深い現象だ。際限なき自由は、むしろ制限という表現を求めるのだろうか。そもそもアートとはリミテッド(限定的)なものだったといえる。

 本作もまた、入口と出口が用意された「コンセプト・アルバム」でもある。記憶の分断がミックスされていくような1曲め“キリング・タイム”から、ジャーとリスナーの都市の彷徨が始まるのだ。ときにアラン・ヴェガが骨組みだけになったかのようなエレクトロニック亡霊ロック“ザ・ガヴァナー”を演奏するクラブに迷い込み、ときに分断されたミニマル/エクスペリンタルな室内楽的な“リーヴス”に耳を澄まし、ときにレゲエ、ジャズ的なアンサンブルな“ノー”が街の雑踏から聴こえてきたかと思えば、またもインダストリーな“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”が鳴り響く、怪しげなクラブへと迷い込む。そして、思うはずだ。この「異郷」の地で、「自分は、いま、どこにいるのだろうか/なぜ、ここにいるのだろうか」と。そんな唐突な宙吊り感覚が表面化し、パラグアイのハープ奏者セルジオ・クエヴァスの60年代の楽曲を引用したエレクトロニック・ラウンジ“ヒストリー・レッスン”が、映画のエンディング・テーマのように鳴り響き、アルバムは唐突に終わる。まるでデヴィッド・リンチ映画のエンディングのような見事な幕切れでだ。日本盤は2曲めにボーナストラック“ワイルドフラワーズ” が収録されていることも話題だが、これがまったく違和感がない。どうやらジャー本人の指示らしいが、ある意味、海外盤より曲構成が自然に感じられた。これをもって「完成版」といっても良いのではないか。

 本アルバムに漂うムードを、ひとことでたとえるならアート・リンゼイの詩情とアラン・ヴェガのアート/パンクイズムだろう。異郷と故郷。現在と望郷。追憶と抵抗。そのふたつが常に入れ替わり、重なり、交わり、そして途切れる。つまりは一夜の都市(NY?)を彷徨するかのようなアルバムだ。まさに傑作である。

デンシノオト

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 2015年、カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞したジャック・オディアール『ディーパンの闘い』は授賞式前の上映ではけっして本命とは言われていなかった。だが、それでも同作がその年のヨーロッパの象徴として選ばれたのは、それが移民と国境――すなわち、越境を描いた映画だったからだろう。主人公はスリランカ移民であり、そのことから自分に連想されたのは(これも2015年にリリースされた)M.I.A.の“ボーダーズ”のミュージック・ヴィデオ(https://youtu.be/r-Nw7HbaeWY)だったが、主人公ディーパンを演じていたアントニーターサン・ジェスターサンもまた本物の移民であり、そしてまた、そのオリジナル・スコアを担当したニコラス・ジャーも本物の移民の子どもであった。誰もが越境の可能性と不可能性に想いを巡らせたその年、エレクトロニック・ミュージックの未来を嘱望された若きプロデューサーは、越境の物語の音楽を鳴らしていたわけだ。(ちなみに、今年のカンヌのパルムは労働者の怒りと移民たちの現実をまっすぐに見つめたケン・ローチの『I, DANIEL BLAKE』だ。ヨーロッパ映画の政治闘争はいまもはっきり続いている。)

 ジャーは昨年また、いくつかの目が覚めるような12インチをリリースし、そして今度は越境そのものを鳴らすセカンド・アルバムをリリースした。それが本作『サイレンズ』(警告)だ。このアルバムが2016年を象徴する1枚となっているのは、前作『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』を遥かに凌ぐ折衷性と不穏さによる。そして、チリ出身のジャーは自らのルーツをここで振り返っている。クロージング・トラック、ほとんど冗談のようにスウィートなまがい物のスタンダード・ナンバー“ヒストリー・レッスン”(歴史の授業)を聴いてみよう……それはこんな具合にはじまる。「ダーリン、歴史の授業に遅れたんだね/心配しなくていいよ、メモをあげるから/第1章:僕たちはメチャクチャをした/第2章:僕たちはそれを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返した/第3章:僕たちは謝らなかった」……。あるいは、反復するドラムがざらついた響きを残すポスト・パンク/ニューウェイヴ・ナンバー“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”では大量の死の描写、虐殺の記憶が艶めかしく呟かれる。
 ジャーの両親は1973年のアウグスト・ピノチェトのクーデターの際にチリからニューヨークへと移住したという。父親のアルフレッド・ジャーはインスタレーションや映像を手がけるアーティストであり政治的な作品も多く手がけているというが、息子ニコラスは明らかにここで父の意思を引き継いでいる。ピノチェト政権は冷戦時代のアメリカが関わった大いなる負の遺産のひとつだが、かつてチリのサインディエゴに住み現在アメリカのニューヨークに住むニコラス・ジャーはそして、2016年の視座から北米と南米の記憶を音に蘇らせんとする。英語とスペイン語が聞こえる。ノーウェイヴとクンビアが聞こえる。スピリチュアル・ジャズとラテンのフォークロアが聞こえる。ふたつの国の悲劇的な歴史に引き裂かれた移民の息子として、音を越境させる。少なくない政治家が国境を厳格にしようと民衆を誘惑するこの2016年において……。「すべての血は知事のトランクに隠されている(“ザ・ガヴァナー”)」、そこでは凶暴なベースと狂おしいサックスの悲鳴が聞こえ、しかしエレガントなピアノの響きが被せられる。ファーストや12インチで顕著だったミニマルはかなり後退し、その代わりに揺れるリズムの生々しさがアルバムのムードを支配している。これはたんなる奇を衒ったコラージュではない。残虐な歴史の隙間に消えていった、あるいは、いままさに政治の暴力によって殲滅させられようとする人間たちの叫び声としてのエクレクティシズムだ。
 ブラッド・オレンジの今年のアルバムがそうだったように、あるいはケンドリック・ラマーの昨年のアルバムがそうだったように、いま、移民の子孫たちが国境を越えた人間たちの音楽の記憶を手繰り寄せようとしている。それは植民地主義の暴力のあとの時代における閉鎖性を生きるわたしたちの抵抗となりうるだろうか? 人間の越境が禁じられても、それでも音楽を越境させようとするその意志は――。

 ところで、詳しくは書かないが、『ディーパンの闘い』のラストはブレクジット後の現在から観ると大いなる皮肉になってしまっている。映画の予測が甘かったのではない……アートが示唆した未来をも、現実が容赦なく叩き潰しているのだ。しかしジャーは屈することなく、その先をさらに切り拓かんとする音楽にここで挑んでいる。

木津毅

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab) - ele-king

現場でお世話になったトラック10選

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab)

静岡県出身東京在住のDJ兼トラックメイカー。
ShuOkuyamaとのレーベルKomabano Oscillation LabやDJ WADAとのレギュラーパーティー『Contatto』、屋内型フェスティバル『Synchronicity』のレジデントなどの活動を中心に全国各地様々なパーティーをDJ行脚中。
2016/11/19にDJ WADAとのパーティー『Contatto』@ Forestlimit第6回目の開催!

https://contatto.jp

年末から年明けにかけてリリースが続きます、ぜひチェックしてみてください!
.Now On Sale
Ko Umehara - Reality Recomeposed by TCM-400 / Mastered Hissnoise

https://libraryrecords.jp/item/203147

・2016/11/11 Release
Ko Umehara - Happy 420 Tour 2015 To 2016 / Mastered Hissnoise

https://www.msnoise.info/

・2016/11/16 Release
CD HATA & MASARU - Octopus Roope / Hinowa Recodings

01. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Original Mix)
02. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Ko Umehara Remix)
03. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hentai Camera Man Remix) 04. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (DJ Doppelgenger Remix) 05. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Frangipani Remix)
06. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hydro Generator Remix) 07. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Matsusaka Daisuke Remix)
https://hinowa.jp/

BADBADNOTGOOD - ele-king

いよいよ迫ってきた。
最新作『IV』でジャズとヒップホップの蜜月を更新した、いま最もアツいカルテット、バッドバッドノットグッド。「E王」を獲得したアルバムの方も素晴らしかったけれど、かれらはライヴでこそ本領を発揮するバンドである。BBNG待望の単独来日公演は、11月18日(金)、渋谷WWW Xにて開催。もうみんな『IV』を聴いて予習しまくっている最中だとは思うけど、改めて強調しておきます。ライヴを体験せずしてBBNGの真価はわ・か・り・ま・せ・ん!
と盛り上がっていたら、かれらの最新インタヴューが公開されました。ナイス・タイミング。このインタヴューを読みながら、11月18日を待ちましょう。

https://www-shibuya.jp/feature/007255.php

■BADBADNOTGOOD単独来日公演
日程:2016年11月18日(金)
場所:Shibuya WWW X
時間:open19:00 / start20:00
料金:ADV¥5,500 / DOOR¥6,000(税込/ドリンク代別/オールスタンディング)
お問い合わせ:WWW X 03-5458-7688 https://www-shibuya.jp/
公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/007034.php
<チケット>
・先行予約
受付期間:9/17(土)10:00 ~ 9/25(日)18:00 ※先着
イープラス ( e+ ) https://eplus.jp/
・一般発売:10/8(土)
チケットぴあ / ローソンチケット / e+ / beatkart / WWW店頭
主催:WWW X
協力:beatink

■BADBADNOTGOOD
トロントを拠点にマット・タヴァレス、アレックス・ソウィンスキー、チェスター・ハンセンを中心に結成。現在は、サックス奏者のリーランド・ウィッティが正式加入しカルテット編成で活動するBADBADNOTGOOD。4人体制として初のアルバムとなった好評発売中の最新アルバム『lV』には、ジ・インターネットやアンダーソン・パークを手掛け、ソロ・アルバムも話題の気鋭ケイトラナダ、トム・ウェイツ、アニマル・コレクティヴ、ボン・イヴェール、TVオン・ザ・レディオら幅広いアーティストの作品でリード奏者として活躍するコリン・ステットソン、盟友チャンス・ザ・ラッパーやジョーイ・バッドアスとの共演でも知られるシカゴの俊英ラッパー、ミック・ジェンキンス、ボルチモア・シンセ・ポップの雄フューチャー・アイランドのフロントマンであるサム・ヘリングなど旬な面々が名を連ねている。
https://www.beatink.com/Labels/Beat-Records/BBNG/
Twitter:https://twitter.com/badbadnotgood

Aphex Twin - ele-king

 日本標準時11月8日1時57分。エイフェックス・ツインが新しいヴィデオを公開した。「エイフェックス・ツインからの承認メッセージ」というツイートとともにシェアされたその42秒の動画は、UKから合衆国へ核ミサイルが発射されるという内容で、その冒頭には実に彼らしいやり方でデフォルメされたドナルド・トランプとヒラリー・クリントンが映し出されている。映像の制作は、これまでにレディオヘッドなどを手がけているWeirdcore が担当。

 エイフェックスは12月17日にヒューストンで開催される Day for Night フェスティヴァルにヘッドライナーとして出演することが決まっており、今回のヴィデオはその8年ぶりの合衆国でのライヴを告知する動画なのだけれど、これ、間違いなく狙ってやっているでしょう。
 彼のファンならご存じのように、エイフェックスはあまりこういうポリティカルな演出をやらないアーティストだ。そんな彼が、まさにこのタイミングで、わざわざトランプとクリントンを変形した映像をポストしているのである。たしかに、今回のヴィデオは何か直接的なメッセージを発しているわけではないし、そもそも「承認メッセージ」なんて言い回しも彼流のジョークなのだろう。でも、言葉をそのまま愚直に受け取る真摯な僕たちは、これをメッセージだと捉えることにしよう。だって、今日はそういう日だ。
 大統領選は、日本標準時で11月8日の夜から投票が開始され、明日11月9日の昼頃には大勢が決し、夕方には開票結果が確定する見通しである。ある程度結果は予測されているみたいだけれど、ブレグジットの先例だってある。何がどうなるかはまだ誰にもわからない。エイフェックスよ、きみ自身はどう思っているんだい?


TOYOMU - ele-king

 ネットで好き勝手やっている古都在住のポスト・モダニスト、TOYOMUが、星野源、カニエ・ウエストに続き、今度は勝手に宇多田ヒカルを●●●して話題になっているところ、デビューEPに先駆けてMVが公開された。これを見ながら彼のEPを妄想しましょう。

■TOYOMU / EP 『ZEKKEI』

2016年11月23日発売/ TRCP-208/ 定価:1,200円(税抜)

Ken Ikeda - ele-king

 1964年生まれのケン・イケダは、デヴィッド・リンチの展覧会への音楽提供をするなど、世界的に名高いサウンド・アーティストである。彼はジョン・ラッセル、デイヴィッド・トゥープなどとも共演歴があり、くわえて、森万里子などのインスタレーション作品の制作にも関わっている。自身の音楽作品としては、英国の名門〈タッチ〉から『ツキ〈ムーン〉』(2000)、『マージ』(2003)、日本の〈スペック〉から『ザ・ミスト・オブ・ザ・ウィンドウ』(2007)、『コサメ』(2010)など、計4作のアルバムをリリースした。〈タッチ〉からのアルバムは、DX-7のサイン派のみを用いた電子音楽、〈スペック〉からの作品は釘や輪ゴムなどを用いた自作の「楽器」を用いたアンビエント/音響作品だ。前者は極限まで削いだミニマルな音響でありながら、心を揺さぶる情感を醸し出し、後者はやわらかな物音が空間の中に溶け合う風情豊かなアンビンエト作品である。これらのアルバムは、電子音響/アンビエント・ファンからも深く愛されており、音楽家としてのイケダも伝説的な存在なのだ。とくに、〈スペック〉からの2作は、00年代以降のアンビエント/ドローンを考えていくうえで、重要な先駆的作品といえよう。

 本作は、その『コサメ』から6年ぶりの新作である。リリースは、フランシスコ・ロペス、トーマス・フィリップス、サスピション・ブリーズ・コンフィデンス、ニャントラ/ダエン/ヘア スタイリスティクスまでの高品質なアルバムを送り出してきた日本のエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈サッド rec.〉。同レーベルは、オーナー、エンジニア、アーティストでもあるドヴァスキーによるクオリティ・コントロール/プロデュースは常に完璧に近いが、本作もまた同様の仕上がりであった。マスタリングのみならず、リミックスまでドヴァスキーが手掛けており、事実上の「共作」といってもいいのではないかと思えるほど。このレーベルの「音楽をCD盤として世に送り出す」ということへの使命感の強さを垣間見ることができた。録音・パッケージとともに、プロダクツ/アートとして、非常に質が高いのである。

 だが、しかし、やはり本作は、ケン・イケダの音楽である。これまでのアルバム同様に、たゆたうような清冽なアトモスフィアが流れているからだ。アトモスフィアとは空気である。空気は、反復しない。そう、彼の作品は、録音された音楽なのに「反復」的ではない。いちど限りの儚さがある。そう、ケン・イケダは音の「一回性」を、たゆたうような音のタペストリーの中に生成させている。繰り返し聴いても、まるで、新しい空気のように、身体をすりぬけていく感覚。まるで聴く度ごとに初めて/改めて生まれる音。本作は永井荷風の『断腸亭日乗』がモチーフになっているとのことだが、繰り返す日常/生活の一回性の感覚は、たしかに光や時のうつろいのようなコンクレート・サウンドに、とてもよく表れているように思える。

 細やかなノイズ。淡い音響。微かな旋律。それらは薄光の音響のように生成し、やがて儚く消えてゆく。その音響のつづれ織りが美しい。だが、「美しい」といっても大袈裟な美学ではない。そうではなく、むしろ「美しさ」の一歩手前に留まるような「慎ましさ」が魅力的なのである。柔らかで、微かで、ときに大胆な音の蠢きが、耳を潤す……。そんな瀟洒なコンクレート/電子音楽/音響作品の傑作である。まさに、彼は帰ってきたのだ。

 先月末はベルリン・ポルノ映画祭(10月26~30日)に出席するためドイツ、ベルリンに1週間ほど滞在した。今泉浩一監督と自分が制作した短編映画<https://www.shiroari.com/habakari/toto.html>が上映されたためで、2011年に初参加してから5回連続、おそらく日本人としては自分たちがいちばんこの映画祭に足を運んでいる筈なのと、かつ日本語で纏まった記事がほぼ見当たらない事もあって、この機会に今回で第11回目を数えることとなったPorn Film Festival Berlin<https://pornfilmfestivalberlin.de/en/>を紹介したい。

第11回ベルリン・ポルノ映画祭メイン・ヴィジュアル

 まずはこの映画祭のメイン・ヴィジュアルをご覧いただきたい。第5回(2010年)から基本的に同じモチーフでアレンジを変えて使われ続けているが、これを見て思わずムラムラしてしまう人はまあ居ないだろうにも関わらず、誰が見てもこれは「ポルノ映画祭」以外の何物でもない、と納得してしまう秀逸なデザインである。この映画祭は人目を憚ってこっそり行われるアンダーグラウンドかつプライヴェートな「シークレット・(セックス・)イベント」ではなく、あくまで──もちろん成人向けではあるが──社会の窓に向かって開かれた「映画祭」である、という主催者の強い意思を感じさせる。

 ベルリン・ポルノ映画祭はドイツ在住の映画プロデューサー兼インディー系映像作家、ユルゲン・ブリューニンク(Jürgen Brüning)によって2006年に創設された。メイン会場は例年ベルリンのクロイツベルク地区にある「MOVIEMENTO KINO <https://www.moviemento.de/>」という小さな劇場が3つある映画館で、期間中5日間は映画館全体がポルノ映画祭一色となる。今年の上映作は長編・短編併せて140本以上、大半は欧米制作の作品でアジアからは拙作を含めた短編が2本だけ。聞けば映画祭初日の時点で既に3000枚の前売券が出ており、昨年の観客動員数は8000人以上ですっかり恒例イベントとして定着した感がある。劇場では写真展が、サブ会場では縛りのワークショップ、おしっこプレイのワークショプ、「ポルノにおけるレイシャル・ポリティクス」と題されたレクチャー、VRセックス無料体験コーナー etc. と関連イベントも盛り沢山である。映画館で各劇場の入れ替え時間が重なったときには身動きがとれないほどの大混雑になる。客層……は18歳以上の男女、とでも形容する他は無い印象で観客全体にはとくに偏りは感じられない。

映画館にあるラウンジで、スタッフがチケットのキャンセル待ちのお客さんを呼び出している。

 映画祭開催中は3つのシアターをフル回転させて朝から晩までプログラムが組まれており、すべてを観るのは無理ではあるが大抵の作品は期間中に2回上映されるので、観たいものが同時間の別劇場で被ってしまう危険性はそんなにない。ないがしかし、そもそもヘテロポルノ・ゲイポルノ・レズビアンポルノ・トランスポルノ・フェティッシュポルノ・お笑いポルノ・実験ポルノ、などなど「ポルノ」の領域がとめどなく拡がっているため、上映される作品もソファーにおばはんが二人座って交互にぷうぷう屁をこいているだけのものから人体が若干切り刻まれるようなものまで多岐に渡り、自分が関心があるプログラムを拾って観ていけば人によって全く違う映画祭となる──例えばヘテロポルノを外してゲイ映画を中心に観る自分たちにとっては完全に「ベルリンゲイ映画祭」である。加えてその年2月開催のベルリン国際映画祭で上映された作品もセレクトされていたりするので、日本未公開の話題作を観られるのも嬉しい。

 創設者であり、かつ現在も映画祭ディレクターであるユルゲンに改めて「あなたがこの映画祭を始めた理由」を訊いてみた。いつもにこやかな彼は、「『ポルノ』という言葉で一括りに隔離されている作品を映画館で、いわゆる普通の映画と同じように見知らぬ誰かと隣り合わせの席で観る、という場所を作りたかったからだ。アート色の強いものもそうではないものも全て同じ映画祭の元で上映したいと思ったし、実際そうしている。第1回の映画祭では日本の作品もたくさん上映したけれど、中にはゴキブリとセックスする作品なんてのもあって、ベルリンの観客はショックを受けていたよ」と明解な回答を返してくれた。これは「ポルノ(日本語のニュアンスでは「AV」に近いだろうか)」と呼ばれる映像作品にも劇場での鑑賞に耐えうるものが多いのに関わらず、それが全く正当に扱われていない、という現場の危機意識であると思う。またかつて「アダルト映画(ヴィデオ)」として作られた作品も毎年一体どこから発掘してくるのか、様々な作品がレトロスペクティヴ上映されているが、年月が経ちいまではとっくにエロ・コンテンツとしての効力を失った映像を改めて劇場で観てみると、例えば風俗資料として驚くほどの発見があったりする。

上映後のQ&Aはこんな感じで「東京の発展場はその昔うんたらかんたら」とか言ってます。

 各作品の上映前には映画祭スタッフが前口上(作品解説や協賛企業への謝辞など)を述べるのですが、そこで今年頻繁に耳にしたのは「今回の映画祭のテーマはレイシズム、セックスワーク、そしてHIV/AIDSです」ということで、実際狭義の「ポルノ」には当てはまらない作品も多く上映されていた。日本でも来年1月に公開される予定の、ロスアンジェルスのトランスジェンダー売春婦(夫)たちの苛烈にして超くだらない日常を描いた秀作長編『タンジェリン(Tangerine L.A.)』、高齢になったHIVポジティヴのゲイ男性がリタイア後の「終の棲家」として集まってくる砂漠地帯で撮られた美しいドキュメンタリー『Desert Migration』、ニューヨークのブラック・コミュニティー内でダンス・音楽とともに生き抜く若い性的少数者たちを追った『KIKI』、ブラジル:リオデジャネイロのファヴェーラ(貧民街)のメインストリーム音楽である「バイレ・ファンキ」シーンに溢れる女性蔑視を乾いたパッションで切り抜いた『Inside the mind of Favela Funk』、挙げれば切りがないが映画祭プログラマー達の、揺るがない視点で選ばれた作品も数多く上映される。

 そんなプログラマーの一人であり、第1回ではジャーナリストとして取材に訪れ、そのまま翌年からメインのスタッフとなってしまったヨーハン・ヴェアルナにも話を訊いた。「この映画祭のスポンサーを見つけるのは本当に難しい。メインストリームのポルノ制作会社は、売り上げに直結しないと言う理由で協賛してくれないし、一般企業は『ポルノ』と聞くだけで尻込みする。ともあれこの映画祭が11年も続いているのは、我々が観客を育てたという側面もあると思う。ここは出来るだけ多種多様な性の有り様に基づいた作品に触れる機会を作り、観た人が何かを発見する場となっているはずだ」この映画祭では「ポルノ」の名の元に実に幅広い作品が集まっているので、例えば自分とは違うセクシュアリティーに基づいた作品に驚いたり、長年の誤解と偏見があっさり解けたり、またはシンクロしてしまったり、といった経験が可能なのだ。

映画祭のクロージング・パーティ

 逆説的ではあるが、そう考えるとこの映画祭は「性(セックス)を賛美する祭典」などではない。性は人間が人間になるずっと前からのんべんだらりと伴っていたものであり、いまさら言祝いだり称賛したりしたところで性自体がどうにかなるわけでもない。じっさい観ていて憂鬱になるような作品をもプログラムに含むこの映画祭が行っているのは「セックスって、すばらしい(どんどんやれ)」などと無闇矢鱈に観客をけしかけることではなくて、「映画」という表現手段を使って性と人間を捉えようとしている作家と、それを受け取る観客の意識への問いかけであり挑戦である。毎年浴びるようにこの映画祭でポルノを観続けて自分が理解したのは、表現物はそれが傑作であれ駄作であれ全て「芸術(アート)」であり、「猥褻(エロ)」は作り手を含めた受け手の中にしか存在しない以上「芸術か猥褻か」という命題はそもそも成立しない、ということでした。

 いつかの回のオープニングでユルゲンが、当然のような顔をして「少しでも早く、このような映画祭をやらなくていい日が来る事を願っている」とスピーチしたことがあった。この発言だけでは運営に疲れた主催者の愚痴のようであるが、彼と彼の映画祭の最終目的はこの超面白いけど大して儲からない「お祭り」を延々と続ける事ではなく、映画という文化の妥当な位置に「性」を嵌め直すことであるはずだ。わざわざ「ポルノ映画祭」というタイトルを冠した、ある種「特区」としてのこの映画祭がその役割を終える日が来るとき、映像表現を発表する場所は誰に対してもいまよりずっと自由に呼吸が出来る空間となっているはずだ──そんな空間が出現するのは、おそらく未来の日本ではないにしろ。

 【追記】関心をお持ちになった方は是非来年10月、実際に足を運んでみて頂きたい。ドイツ語ができなくても全く問題はなく、英語が何となくでも判れば充分映画祭を堪能できます。ちなみに今回、自分らの東京羽田―ベルリン往復航空券はカタール航空利用(帰国便には天然温泉平和島の無料一泊サービス付き)で6万5千円ちょっとでした。

RIP Jean-Jacques Perrey - ele-king

 誰でもそうだと思うが、ペリー&キングスレーの『The In Sound From Way Out! 』のジャケットを見たとき、ただただ、うっとりした。ドキドキするほどカラフルで、それは幸福な夢の世界の扉だった。去る11月5日、電子音楽の先駆者のひとり、いや、電子“娯楽系”音楽の先駆者と言い直そう、ジャン・ジャック・ペリーがスイスで亡くなった。87歳だった。
 よく知られるように、ジャン・ジャック・ペリー氏とってのエレクトロニック・ミュージックは、当時としては実験的だったが、しかし無邪気でハッピーで、ユーモアとポップスを志向し、楽しみのためにあった。1929年フランス生まれの氏は、30歳のとき渡米し、1965年、ニューヨークでドイツ生まれのユダヤ人のガーション・キングスレイと出会い、オンディオラインや発信器、数マイル分のテープなどを駆使し、275時間かけてくだんのアルバムを作ると、1968年にはもう1枚のクラシック『The Amazing New Electronic Pop Sound』をヴァンガードよりリリースしている。モーグ・シンセサイザーを使った実験的なラウンジ・サウンドの『Moog Indigo』も人気作だ。氏の影響はエイフェックス・ツインからステレオラブ、ビースティー・ボーイズまでと幅広く、2007年にはルーク・ヴァイバートと『Moog Acid』なる作品も発表している。が、氏の音楽がもっとも輝いていたのは60年代という夢見る時代だったし、その無邪気さはそうなかなか真似できるものではなかった。

松本 哉 - ele-king

 明日はどっちだ? こっちこっち。

 思えば、あれは6年前。当時、ユリシーズという音楽誌があり、そこの編集者さんから原稿依頼のメールをいただいたとき、彼女はこう書いていたのだった。
「ブログの文章を拝読し、素人の乱みたいだと思いました」

 あの頃わたしは日本で起きていることなどまるで追っておらず、首相の名前すら知らなかったぐらい(またよく変わってたんだ)で、好き勝手に英国で見聞きすることをブログで書いていただけだったから、「素人の乱って何?」と思った。
 で、彼らの情報をネット検索して思ったのは、ひゃあー、なんか英国的。ということだった。「鍋闘争」だの「くさや闘争」だの、はなから人をなめたような闘争は、まるでモンティパイソンみたいじゃないか。「鍋」とか「くさや」とかは英国にはないでしょ、だからパイソンなわけがない。ダッせえ。とかおっしゃる輩は、横文字で書かれたものはすべてクールかと思って、一見すると異文化のように見えるカルチャーの根底を流れる万国共通のスピリットというやつが掴めない、そっちこそダッせえ方々ではありませんか。

 だから今年はじめに本の取材で東京に滞在したときも、「素人の乱が勢いを失ったのはダサかったから。昨今の日本の運動はそうしたものを排除しようとしている」と言われたときには、わたしも大人なので温厚ににっこり微笑んではいたものの、貴様らはユーモアと貧乏というクールさの源泉が理解できないプラスティックな資本主義のしもべになりやがってと内心はらわたが沸騰していた。そんなわけで東京取材の最後の晩に松本哉さんに会う所存だったが、会えなかったということは二木信さんがご存じである。

 さて、その松本さんが書いた『世界マヌケ反乱の手引書』は、大バカな仲間の集め方とか、バカステーションの作り方とか、やたらとバカバカ言っているのだけれども、このバカというのは英語にすれば「shrewd」。もっとわかりやすい言葉にすれば「ストリートワイズ」ということが読んでるうちにわかってくる。で、山手線大宴会作戦だの、新宿でハンモックだの、大笑いさせられながらふと気づくと赤ペンで線を引いていたりするのであり、哲学書として読むのもいいと思う。時代は玉虫色から始まる。などは珠玉の金言である。

 わたしなんかも今年はバカの一つ覚えで「グラスルーツ」と言い続け、こないだ出た本の主題なんかもそれだったんだけど、そしたら松本さんもこの本の中で、(全共闘世代との付き合い方で爆笑させてくれた後に)こっそりこんなことを書いていた。

「あ、あと当時はすぐでかい物を狙いにいく傾向があったけど、特に今の時代、小さな謎のスペースを無数に作っていく方がいいと思う。潰れても潰れてもどんどん新しいバカセンターができて、全国津々浦々、いったいどこにどんな場所があるかわからなくなるぐらい増えたら最高に面白いし、実はそれが一番強い」

 これこそグラスルーツの定義である。
 だいたい昨今の我が朝では(もう「我が」ではないが)、社会を変えるには「デモ」か「テロ」か、みたいなことをシリアスな陰影の入った顔で言う人々が多い。が、第三の道はそこらへんに転がっている。しかもこれ、実はわたしの住んでいる国では左派と呼ばれる人たちが最近さかんに口にしていることであり、特にジェフ・マルガンという識者なんかは、「プラカードを振って誰かに何かをしろというのではなく、身近なところでお前がまずやってみろ」と言っていて、「全国津々浦々のコミュニティーに根を張ったグラスルーツがばーんと一気につながった時には無敵。本来こうした草の根は左派の得意技だったはずなのに、すっかり右派にお株を奪われてないかい」と言っている。素人のくせに半径5m内での実践を忘れてすぐでかい物を狙いにいくから、いつの間にか右翼のグラスルーツが地道にびっしり広がっていたのを見て「うわあ」とびっくりすることになるんだよと。
 しかも松本さんのグラスルーツ構想がさらに面白いのは、全国津々浦々のレベルではなく、アジア津々浦々の根っこを繋げることを志向している点で、これなどは日本のレイシズムの特徴を鑑みると非常にアグレッシヴな動きだし、アジア言語は俺らが思っているより似ているから、交流が進んで誰か頭のいいやつがうまくまとめたら、アジアでもエスペラント語みたいな共通語がすぐできるはず、なんて提言にはつい下側の未来を感じてしまう。

 また、「バカ」と同じぐらいたくさんこの本に出てくる「マヌケ」という言葉については、「あまり壮大なスケールの理想社会なんか実現したらたいていつまらないことになるので、世の中の隙を見て勝手なマヌケ社会を作るのがいい」と最終頁でご本人が種明かしされているように、マヌケとは漢字で「間抜け」と書く。
 「デモ」か「テロ」かの息苦しい正義や、「働け、働け、死んでも働け」の資本ファースト主義や、おおらかさを失ったデフレ精神に因るみみっちい足の引っ張り合いで生きづらくなった社会の隙間から抜け出す。間が抜けてるんじゃなくて、間を抜けるのだ。せせこましい時代だからと言って自分まで緊縮してからだをすぼめて削減せず、隙間を見つけてつるっと抜け出せ。明日はどっちだ、だって? こっちこっち。

アナキズム保育園こうもり組主任保育士 ブレイディみかこ

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