![]() Phil Parnell Trio(pp3) Blue Pヴァイン ![]() |
![]() Phil Parnell Ambient Jazz Electronic -Romance & Ruse- Pヴァイン |
フィル・パーネルがどれだけ型破りなジャズ・ピアニストであるのかは、彼のバイオグラフィーを見れば一目瞭然だ。20代からジャズの故郷ニューオリンズのホテルやジャズ・クラブで演奏を続け、アストラッド・ジルベルトやボ・ディトリーなど著名な音楽家のバックのために世界をまわっていかたと思えば、マシュー・ハーバートの重要なパートナーとして数々の作品や舞台でピアノを弾き、そして〈パーロン〉〈アクシデンタル〉〈マンティス〉といったテクノ/ハウスのレーベルからもソロ作品を発表している......彼はいわゆるクラブ系の"jazzy"な人ではなく真っ当な"jazz"の演奏家だが、懐古的なスタイルでは飽きたらず、ジャズにおけるポストモダンを探索するひとりでもある。
この度〈Pヴァイン〉からフィル・パーネルの2枚のアルバムがリリースされる。1枚は、フィル・パーネル・トリオ(pp3)名義による『ブルー』。ハーバートのカヴァー曲にはじまり、彼らの8曲のオリジナル曲を経て、セロニアス・モンクのカヴァーで幕を閉じるこのアルバムは、いま現在彼が拠点としているデンマークで録音されている。pp3は、ふたりのデンマークのジャズ・ミュージシャン(ベースのトーベン・ビョーンスコウとドラムのエスペン・ラウブ)とのプロジェクトで、ジャズの伝統的な構成だが、ライナーに記されているように「しかしながら絶妙なバランスでエレクトロニクスを操る彼の音楽は、一般的なジャズ・トリオとは一線を画す。ビョークがポップ・ミュージックと戯れるような方法で、彼はジャズと戯れる」のである。『ブルー』は昨年、ヨーロッパでリリースされている。
もう1枚は、フィル・パーネル名義による『アンビエント・ジャズ・エレクトロニック――ロマンス&ルース』、彼のエレクトロニクスが『ブルー』よりも前面に出ている作品で、"アンビエント・ジャズ"という言葉が相応しい音楽が展開されている。実はこのアルバムは今年の春にUKの会社の配信のみのリリースだったので、今回が初めてのCDリリースになる。アートワークに使われているイラストは、ロンドン時代にフィル・パーネルと個人的に親交のあった赤塚りえ子さんが手掛けている。また、UKのベテランのハウスDJ、チャールズ・ウェブスターが2曲のリミックスを提供している。
『ブルー』も『アンビエント・ジャズ・エレクトロニック』もどちらも豊かなアルバムだ。さまざまな試みが曲ごとにはっきりとある。と同時に、このメロウでドリーミーで、そして優しくエレガントな響きの背後からは、上昇と下降、予感、喜び、悲嘆、怒り、愛の絶望、そして愛の損失......が聴こえるだろう。ライナーノートに記されているように「そこでわたしたちは美に触れ、静けさを味わい、胸をかき乱され、魅了される」のである。
どんな音楽スタイルのなかにも良いものそして悪いものがあります。創造的なものがあり、物真似もあります。ハイエナジーで静かなものもあれば、空っぽでラウドなものあります。きれいな音楽が人を嫌な気持ちにさせることもあります。ラウドで怒ったような音楽が希望を感じさせることもあります。
■『ブルー』も『アンビエント・ジャズ・エレクトロニカ』もそれぞれスタイルは違いますが、ともに感動的なアルバムだと思いました。美しくメロウなだけではなく、心が揺さぶられるような音楽です。ようやくこの2枚が日本でもリリースされて嬉しく思います。最近はどんな活動をされているのですか?
パーネル:最近は新しいピアノ・スタイルのCDに取り掛かっています。頭のなかには聴こえているけれど、まだ実際にプレイできないんです。なので、うまく弾けるように新しい練習をしているところです。そうしたら自分の聴こえた音が弾けますからね。新しい曲のアイディアがこうしているあいだにどんどん湧いてきて、練習しているときにハマっているアイディアを試しながら録音しているんです。いま入れ込んでるアイディアがたくさんあって、どのように発展させ、そして切っていくか決めています。ここ何年かはブラジルの音楽とリズムにはまっていて、ピアノをドラムセットや鉄琴のように使っていこうとしています。
■日本に関する思い出はありますか?
パーネル:いままで3回日本に行ったのですが、とても良い思い出があります。いちばん最初の来日は、1990年か1989年だったと思います。ニューオリンズ・バンドのメンバーとして釧路に1週間ぐらい滞在しました。そのなかの1日は街のお祭りのパレードで、大きなトラックに乗って演奏し、私たちは日本のコスチュームを着ました。最初の曲が終わったあと電子ピアノが壊れたので、演奏をストップして音がなくなりました。私は「ああ、ギグは終わってしまったんだな」と思って、ビールを開けました。10分後、電子ピアノを頭の上に乗せたふたりの男の人が、オーディエンスのなかに見え、自分たちのトラックに近づいてきました。世界中でこんなことが起こる場所は多くはありません。日本人は最優先すべきことに最善を尽くしています。だって考えて下さい、楽器屋はその時間には閉まっていただろうし、どうしたら彼らはこんなにもすぐにピアノが用意できたのでしょう。それはそれは深く感動しました。
[[SplitPage]]10代の頃はよく車でドライヴをしていました。ミシシッピ河川堤防や湖に行ったり、カフェや映画やパーティに行ったり......その頃は、実際のところ私は車に住んでいました。夜に何度か空港にいったとき、元滑走路があった場所をバックで運転し、その滑走路の最後まで行って、そこに寝転んで、飛行機が降りて来るのを見上げていたりしました。
■まずはあなたのバイオ的なことを訊かせてください。
パーネル:いいですよ。
■日本のリスナーは、フィル・パーネルといえばまずはマシュー・ハーバートの諸作品(『ボディリー・ファンクションズ』(2001)、ビッグバンドでの『グッドバイ・スウィングタイム』(2003)、『スケール』(2006)などなど)でピアノを弾いていたり、作曲にも関わっているジャズ・ピアニストという認識で、ひょっとしたらテクノのリスナーにとっては〈パーロン〉や〈アクシデンタル〉からもソロ作品を出している人、ハウスのリスナーには〈マンティス〉からアルバムを出している人という認識かもしれません。しかし、あなた自身の最初のキャリアは伝統的なジャズにあります。ニューオリンズで思春期を過ごしたあなたの最初のジャズ体験から教えてください。どうしてあなたはそんなにジャズの虜になったのでしょう?
パーネル:1971年頃、私は友だちといっしょに中古車を見に行きました。古い黄色のvw bugです。友だちと家の戸口に立ってクルマについて話していると、別の部屋から、サックスの音が聴こえてきました。ぼくはクルマを売っていた人に「このレコードは誰のですか?」と訊ました。それはジョン・コルトレーンだったのですが、これで私は最初のコルトレーンのレコードを買いました。コンピレーションでした。それは私の人生を変え、ジャズへの情熱とインスピレーションの出発点になりました。
■とくに影響を受けたジャズ・ピアニストは誰で、どのような影響を受けましたか?
パーネル:それは難しい質問です。ひとつに絞り込むことはできません。私はピアニストだけでなくギタリスト、ヴォーカリスト、ドラマーにも影響力を受けています。私のプレイを分析すると、ひとつはオスカー・ピーターソン、ひとつはアマッド・ジャマル、ひとつはチック・コリア、さらにファッツ・ウォラー、ジェイムス・ブッカーから基本的なアイデアを得ていますが、リストにするのは長すぎます。影響をうけたのも同じで、ある部分は、エロール・ガナーから、他はハービー・ハンコック、さらにマッコイ・タイナー、アート・タットム、フィニース・ニューボン、プロフェッサー・ロングヘア、ジェリー・ロール・モートン......などです。
■10代で、エリス・マルサリス(ブランフォード・マルサリスとウィントン・マルサリスの父)のもとで学んだそうですが、その経緯を教えてください。
パーネル:私はエリスと勉強をはじめた、ピアノの先生について勉強していましたので、私自身もエリスに教えてもらえないかという考えが浮かびました。そのときはブギー・ブルース・パターンを勉強していて、ジャズはプレイできなかったので怖かったのですが......。きっと彼は「あー、またブルースをプレイしたい田舎の白人キッズが来たのか」と思ったことでしょう。
ある日私は『ジャイアント・ステップ』のジョン・コルトレーンのソロをコピーしようと決めました。コーラス部分はいくつか習得し、その週にエリスのレッスンを受けました。彼は私の努力に大変感心してくれました。彼にとってそれは、私ができると思った範囲以上のことだったようです。彼はこのあと私にもっと興味を持つようになりました。
彼から学んだのは彼が喋った言葉ではありません。最初の頃のレッスンで、彼のためにプレイしていたところ、曲が終わる前にいびきが聞こえました。私は彼を眠らせてしまったのです。これはとても大切なレッスンでした。彼には5人の子供がいてふたつの仕事をしているので、ただたんに疲れていたのかもしれません。でもこれのおかげで、僕はもっと良い、面白い演奏をしなければならないと思うようになりました。
エリスは私を助けてくれ、バークリーに行くことを提案してくれました。去年、ニューオリンズにいるときに彼に会いました。喜ばしいことに彼は私を座らせると曲を演奏するよう僕に言ってくれましたよ。
■バークレーに進学して本格的にジャズを学びますが、どのような生徒でしたか?
パーネル:私が通ったのはボストンのバークリー音楽大学です。バークリーは良かったです。ミュージシャンになりたいなら、もっと努力しないとダメだと、 私を目覚めさせてくれました。そこはたくさんの若い良いプレイヤーがいて、そのレヴェルの高さに恐れを抱いていました。
私は良い生徒でした。上手くなりたかったのでいつも練習していました。2年しかいなかったのですが、あとから考えると良かったと思います。ひとつ悪いところを言いましょうか。ちょっと工場みたいに、バークリーの卒業生は教育された音ばかりをプレイしがちだということです。即興演奏を習っているにかかわらず、学んだパターンから自由になれず、理論から離れられないのです。私も自身の演奏から身につけた悪いくせを直すのにずいぶん苦労しましたよ。"バークリー・サウンド"を打破するのに数年かかかりました。
それと自分が音楽都市、ニューオリンズ出身であることをあらためてたいへん幸運に思えるようになりました。ボストンの音楽シーンはとても小さくて、ラフなニューオリンズの観客に比べると、リスナーのほうでもわりと「これはやっていけない」という禁止ごとが多かったですからね。
■卒業してニューオリンズに戻り、そこでプロのジャズ・ピアニストとしての活動をはじめますよね。ニューオリンズはそれこそ優秀なジャズ・プレイヤーが数多くいるように思いますが、最初、あなたはどんな風な活動をしいていたのですか?
パーネル:ラッキーなことに、その頃のニューオリンズにはたくさんの仕事があったのです。「スウェット・ショップ・バンド」というバーボン・ストリートの観光客向けの場所で、すぐに仕事をするようになりました。1日に5時間、45分セット、15分休憩で、"セインツ・ゴー・マーチング"をいつもセットの終わりにプレイしました。ときどき1日に2セットすることもありました。かなり自分の耳を使い、古い曲を何曲も学ばなければなりませんでした。
はじめたときは、どの曲も知らなかったので難しかったですが、いったん習得するとプロのプレイヤーたちから他に良い支払いのギグを紹介してもらえるようになりました。そしてそこでプレイするように呼ばれるようになりました。ニューオリンズは小さな町ですが、大きな音楽シーンがあります。演奏が良かったり、良くなかったりすると、すぐに噂は広まります。もしあなたが良い演奏者ならたくさん仕事がきますよ。
■ニューオリンズ時代の良い思い出を教えてください。
パーネル:たくさんあり過ぎます。多くのバンドや素晴らしいミュージシャンとのギグ、マルディ・グラス、フェスティヴァル、パーティ、クラブ、レストラン......どこからスタートしたら良いかな。
10代の頃はよく車でドライヴをしていました。ミシシッピ河川堤防や湖に行ったり、カフェや映画やパーティに行ったり......その頃は、実際のところ私は車に住んでいました。夜に何度か空港にいったとき、元滑走路があった場所をバックで運転し、その滑走路の最後まで行って、そこに寝転んで、飛行機が降りて来るのを見上げていたりしました。いま考えるとおかしいですよね。大きなジェット機が私たちの数メーター先にあったのですから。
マシューは、私のことをニューオリンズのピアニストから聞いて、レッスンを受けれないかと電話をかけてきたんです。私は彼とエレクトロニック・ミュージックの作曲とサンプリングのレッスンを交換すること承諾しました。彼に出会えて、新しい音楽のアイディアと音が見つけることができてとても嬉しかったし、マシューは私の生活を音楽的にも政治的にもいろんな方向で変えてくれました。
■すでにジャズ・ピアニストとして著名なアーティストのバックを務めていたあなたが90年代末にロンドンに渡った理由を教えてください。
パーネル:長い話なのですが、手短に話しますね。私はロンドンの人と結婚したので、そこに引っ越す機会がありました。ニューオリンズは素晴らしい町ですが、小さな町です。私は何年ものあいだ、たくさんのミュージシャンと仕事をしてきて、新しい音楽体験や新しい生活など、もっといろんな物を探していました。
ヨーロッパにはツアーで何度か行ったことがあって、私はとても好きでした。もし縁があったら日本やオーストラリアにも簡単に引っ越していたことでしょう。私は自分が音楽を演奏できるのならどこでもいいんです。あるとき私はニューオリンズはもうどこにも進まないんだと悟りました。そこは帰ってくるといつも同じなのです。もっとも最近では、天気やハリケーン、汚職政治家と軍などの影響で、仮にあのときロンドンに行ってなかったとしても私がニューオリンズにいたかどうか疑わしいですけどね。
■マシュー・ハーバートとの出会いはどんなでしたか?
パーネル:彼は私の友だちが働いていたスタジオで音のカットをしていました。当時のマシューは、エンジニアのひとりにジャズ・ピアノを習いたいと言っていていました。そして私のことをニューオリンズのピアニストから聞いて、レッスンを受けれないかと電話をかけてきたんです(笑)。私は彼とエレクトロニック・ミュージックの作曲とサンプリングのレッスンを交換すること承諾しました。彼に出会えて、新しい音楽のアイディアと音が見つけることができてとても嬉しかったし、マシューは私の生活を音楽的にも政治的にも、いろんな方向で変えてくれました。
1996年に、私はすでにいろんなことに気付いていました。たとえばTVを観ない、ファストフードは食べない、コカ・コーラは飲まない。他に方法が無い限りクレジットカードも使いませんでした。余裕があれば、できる限りオーガニック・フードを買うようにして、つねに食事をゼロから料理していました。
そしてマシューに会って、私たちがいま生きているこのシステムというものは、たんに社会や政治をメチャクチャにするだけだとさらに思い知りました。私はいまでもたくさんのショッキングや信じられないことを発見しています。人びとは何が起こっているのか知るには生活が忙しすぎます。マシューは、私たちがミュージシャンであるからこその使える機会の大切さを教えてくれました。音楽家は旅をして、人に会って、巨大な企業犯罪、奴隷制度、汚染、世界中の不正や腐敗についての注意を喚起することができるのです。
■あなたのような正統的なジャズ・アーティストが、ハーバートのようなサンプリング・ミュージックに惹かれることは稀だと思うのですが、あなたはハーバートのどんなところが気に入りましたか?
パーネル:マシューの音楽は新鮮で、神秘的、危険で、ときどき度を超えていました。新しい境界線を探し、他の何よりも違う音で、それが私にとって彼の好きなところでした。さらに彼は、音楽によって政治問題に取り組もうとし、怒りという感情の重要性と壊れたシステムに服従しないことを気づかせようとしました。
■教育を受けた多くのジャズ・プレイヤーは、昔ながらのモダン・ジャズの痕跡をなぞりたがるものですが、あなたはどうしてエレクトロニック・ミュージックのほうに積極的になれたのでしょうか?
パーネル:子供のときのいちばんの友だちのお兄さんがすごい数のレコードコレクションをもっていたのです。彼はすべてを買って聴いていて、変なモノでも良いモノでも、すべての音楽を私に教えてくれました。絶頂期のフランク・ザッパ、ブライアン・イーノ、プロコル・ハルム、ジョン・ケージ、ブラック・サバス、ジミ・ヘンドリックス......その他、名前はすべて覚えていませんが、60年代後期から70年代初期の不明瞭な音楽をたくさん聴かせてくれました。また私はチック・コリアやハービー・ハンコック、ジョー・ザウィヌルにはまっていたので、エクスペリメンタルやエレクトリック・ミュージックは、まったく知らないというわけではありませんでした。ストレンジ・ミュージックも、音楽への違うアプローチも好きなのです。
■〈パーロン〉や〈アクシデンタル〉からのソロ作品は、あなたにとってどんな意味がありましたか?
パーネル:家具職人が見たら木工学校の学生が作ったイスに見えるでしょうかね(笑)。端のまわりが少し荒く、少し不安定、カットは完璧で無いですね。音楽は学習過程で、私がいままでのレコーディングはほとんど音は良いのですが、私はさらに成長して、時間が経っても良いミュージシャンでありたいと思っています。なので過去のレコーディングに対してはどうしても批判的な傾向があります。
■あなたはクラブ・ミュージックを楽しんでいましいたよね?
パーネル:私はすべての音楽が好きですが、どんな音楽スタイルのなかにも良いものそして悪いものがあります。創造的なものがあり、物真似もあります。ハイエナジーで静かなものもあれば、空っぽでラウドなものあります。きれいな音楽が人を嫌な気持ちにさせることもあります。ラウドで怒ったような音楽が希望を感じさせることもあります。しかし、よい瞬間が起こる前には退屈な長い待ち時間がある人生のように、音楽はみんなに違うように語りかけます。
■pp3を結成した経緯を教えてください。
パーネル:私たちは7年前のリリアン・ブッティのデンマーク・ツアーで一緒に演奏をはじめました(いまでも1年ごとにやっています)。私たちは互いにプレイヤーとして、リズム・セクションとして、楽しく演奏することができました。すぐにいっしょにレコーディングして、そしてバンドになりました。『ブルー』はpp3にとってセカンド・アルバムなのですが、私たちはパート・タイム・バンドです。メンバーはそれぞれ他にもいろいろすることがありますからね。もちろん、もっともっとpp3をする時間が増えたら良いと思っています。私たちは良いコミュニケーションを持っているし、演奏中に魔法の瞬間がありますから。
■このバンドのコンセプトは何でしょうか?
パーネル:集合的な即興をブレンドし、私たちが"瞬間"を感じるところに音楽を持っていくものです。私たちは演奏しているときに互いのアイディアを出し合って、音楽の行き先を発展させ、変えていきます。予測不能な演奏です。
これが起こるとき、私たちはまるでリハーサルをしたかのように(実際はしていないのですが)、互いの音が最高にあっているのです。また、色とテクスチャーとして電子音を加えるのも好きです。トーベンとエスペンといっしょに仕事ができるのは光栄です。彼らは演奏者としてもかなりのハイ・レヴェルで、すべての音をいろんなスタイルで良くすることができます。
■長いロンドン生活を経て、最近あなたがデンマークに移住した理由を教えてください。
パーネル:デンマークは人口550万人の小さい国です。ロンドンは1500万人います。社会主義的な裕福な国で、ほとんどの人が余裕のある生活を送っています。ゆえに犯罪はほとんどないのです。無料の教育システム、健康保険、高額の労働最低賃金などがあり、人びとはより教育され、アメリカやイギリスなどに比べて絶望感は少ないと感じています。
ここに初めて来たとき、デンマークの人が窓のブラインドを開けて家を出ることに私はショックを受けました。家のなかが丸見えになるのですから、これをニューオリンズやロンドンでするとすぐに泥棒にやられます。これだけが理由では無いのですが......。私は美しく誠実で、正直で、非物質主義的で、地に足のついた素敵な女性に出会いました。彼女には5人の美しい子供と2匹のネコと1匹の犬がいるのですが、彼女は私を上品に招いてくれました。デンマークで、彼女と生活を共有することができました。私は幸運な男です。
音は、言葉では表せないところで、精神的に語りかけます。それは野生の動物を和らげるばかりか、水でさえ音楽の影響をうけ、凍って氷晶になって、写真を撮られるようになります。私たちは嬉しいときに歌うし、すべての希望を失ったときにも歌います。
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■『ブルー』はとても美しいアルバムですね。このアルバムにおける重要なテーマについて教えてください。
パーネル:新しい道を選択や成長の過程に関する苦しみと喜び、再生成と変化に関する作品です。
■あなたがこのアルバムのために書いたカラー・チャートは何を意味しているのでしょうか?
パーネル:それは一般的な、人生の変化のさまざまな様相を示しています。たくさんの色の陰は人生に関連しています。私は物に関して知識を得ることが好きなのです。もし私が自分のアルバムを「blue」=青と付けたら、「青」に関して知りたくなります。青に関する引用、 青の色合い、象徴するもの、本、ペインティング......青の色合いや、色合いの名前を示すことができるたら楽しいでしょう。
■pp3のみんなはマシュー・ハーバート・ビッグ・バンドのセカンド・アルバム『There's Me And There's You』(2008)にも参加していますよね。
パーネル:はい、私たち3人がアルバムとそのツアーをいっしょにできたことはとても光栄で、私たち全員にとって夢みたいな経験でした。
■『アンビエント・ジャズ・エレクトロニカ』には「Romance & Ruse」というサブタイトルがありますが、この言葉の意味するところを答えてもらえますか?
パーネル:ロマンス=愛に関する興奮と神秘的な感情。刺激的で愉快な情事。感傷的か理想化された、愛との取り引きの本や映画。そのような方法での愛との取引のフィクションのジャンル。日常生活から逃避、神秘的、興奮の感覚や質。野生の誇張、絵のような虚偽、実生活から離れて出来事とディールするフィクションの仕事。ロマンス諸語中の親切な、 騎士道のヒーローとディールする中世の物語。そのような作品の文学ジャンル。音楽の短い非公式の1片。ルース=誰かを偽る行為。起源は、古いフランス語からの後期の中期英語の「ruser」「罠を仕掛ける」、初期の「車をバックする」から。もしくはラテン語の「rursus」 「後方へ」に基づいたもの。
■"アンビエント・ジャズ"というコンセプトをあなたはどのように考えていますか?
パーネル:私が何年ものあいだ貯めていたスケッチとアイディアのコレクションです。取りかかって最近まで終わらなかったモノもあれば、私の家にレコーディングに来た友だちの録音の使えなかったもの、コンピュータで作った新しい歌などがあります。最初は、この年の最初にロンドンのバックス・ミュージックの映画とテレビ使用のライブラリーCDとして集められた物でしたが、幸運なことに〈Pヴァイン〉が日本でCDをリリースしてくれました。
■あなたはとても思慮深い音楽家ですが、音楽についていったいどんな哲学を持っているのか教えてもらえませんか?
パーネル:音を聴くことは原始時代のアトラクションがあります。炎を凝視したり、岩にあたる川のしぶきを見たり、光り輝く日没をみたり......。それは、言葉では表せないところで、精神的に語りかけます。それは野生の動物を和らげるばかりか、水でさえ音楽の影響をうけ、凍って氷晶になって、写真を撮られるようになります。私たちは嬉しいときに歌うし、すべての希望を失ったときにも歌います。音楽は私たちのまわりの空気分子が動く、見えるエネルギーです。我々の意識的/無意識の記憶の感情を引き起こし、電球からの光のように外に放射し、範囲内の問題すべてに触れることなのです。
それから、これは私の自己中心的なことなのですが、自分が関わったコンサートやギグで人びとが感動したり、単純に楽しんでいるのを知ることで私はとても気分が良いのです。それは、物事への連続性の感覚と愛の相互交換を与えてくれるのです。
また、音楽を演奏する他の人と演奏するというこの上ない大きな喜びを与えてくれます。ときどき私は特別な機会を与えられ、この喜びを広げなければという義務感にさえかられるのです。私はしなければと思います。私には選択さえないし、ここにとにかく私が愛する何かがあるのです。実際、誰が音楽ビジネスという不安定なキャリアを選ぶのかということは、私にとっては当惑するのですが、子供は彼らのよく意図された両親の何千倍もの狼狽によって誘惑されるのです。しかし、混乱とは「好きな仕事を見つけなさい。 人生で1日も働かない生活を」と言うものです。
■あなたにとって最高のジャズ・アルバムは何ですか?
パーネル:これもまた難しい質問ですね。この答えは2年前に尋ねられたときと違っているし、2年後に尋ねられたらまた違っているでしょう。では、ベスト4でいいでしょうか。マイルス・ディヴィス『カインド・オブ・ブルー』、エラ・アンド・ルイ・ウィズ・オスカー・ピーターソン・トリオ『エラ・アンド・ルイ』、エロル・ガーナー『コンサート・バイ・ザ・シー』、アート・タトム『アート・オブ・ザ・ピアノ』。
■あなたの演奏が日本でも聴ける日を楽しみにしています。最後に日本のリスナーにメッセージをお願いします。
パーネル:私もとても楽しみにしています。また日本で演奏したいですし、日本を見て美味しいものを食べて、大好きな熱燗を飲みたいです。津波と福島の原子力発電所のメルトダウンのあとのすべての日本の人に向けて、前向きな姿勢を送りたいと思います。そして私がみなさんに言いたいのはこういうことです。マスメディアが報道しない福島に関する情報を探しましょう。公的な話しを懐疑的に思いましょう。そして私たちの情報を共有しましょう!























![V.A. [FRED P / PJOTR / VAKULA / BENEDIKT FREY]](/chart/shop/japonica/images/20110917/07.jpg)














