経験上、「サニーデイ・サービスのフェイヴァリット・アルバムは何か?」と誰かに問うと、その答えは人によって驚くほど分かれるのだが、自分は4枚目の『サニーデイ・サービス』だ。その最終曲"bye bye blackbird"に「もう灰色の列車に乗り遅れてしまった 乗り過ごしてしまったじゃないか」という、とても印象的なフレーズがあるのだが、彼らの10年ぶりのアルバムとなる今作『本日は晴天なり』を聴きながらしばらく自分の頭のなかをぐるぐる回ったのは、そのフレーズだった。
サニーデイ・サービスが復活したのは2年前の、10回目を迎えたライジングサン・ロック・フェスティバルでのこと。その時点で曽我部恵一は「これ一回限りのものとは考えてない」と活動の継続を公言していたが、その足取りは決して軽いものではなかった。翌年2009年にも神出鬼没的にフェスやイヴェントに出演することはあったが、レコーディングに入っていると伝えられていたニュー・アルバムのリリースはずっと先送りに。そのあいだ、たとえばユニコーンは周到に演出された復活劇で新旧ファンをゴッソリ取り込むことに大成功し、今年に入ってからは、たとえば小沢健二がWEBで突然の復活ツアーを発表して大きなサプライズを巻き起こした。サニーデイ・サービスの復活は、それらの鮮やかな手際の良さに比べると、あまりに不器用なものとして映った。そして、その不器用さこそが、サニーデイ・サービスなのだということに、10年の時を経て気づかされるのだった。
ここでユニコーンや小沢健二の名前を出したのは、何も根拠がないわけではない。これまで曽我部恵一は、折に触れて奥田民生や小沢健二の名前をインタヴューなどで引き合いに出してきた。曽我部恵一にとって彼らの存在は、音楽活動のやり方という点において、あるいは創作面において、ときに参考にすべき先輩ミュージシャンであり、ときに反面教師であった。それが今回の「サニーデイ・サービスの復活」という局面においても、偶然のコントラストを描いていることが自分には興味深かった。
今作『本日は晴天なり』では、不自然なくらい自然にサニーデイ・サービスの「その後」が鳴らされている。「不自然なくらい」というのは、古今東西あらゆるロックバンドの再結成は、自然に起こるものではないからだ。おそらく今回のサニーデイ・サービスの再結成にも固有のさまざまな事情があるのだろうが、曽我部恵一はそうした現実的な理由が、まるでジャケットのアートワークのようにハレーションを起こして、音楽の中に完全に溶け込んで自然に聴こえるまで、かなり腐心したのではないか。彼は若いリスナーに向けてまるで新しいバンドのようにサニーデイ・サービスとして振る舞うこともできただろうし、今作を過去のファンを喜ばすオマージュに満ちたものにすることもできただろう。しかし、結果として届けられた今作は、「無作為の作為」とでも呼べるような、まるでこの10年間が何もなかったような、それでいて確実に歳だけはとったような、不思議な感覚に満ちた作品となっている。
ひとつだけ触れておかなくてはならないのは、ソロ作品や曽我部恵一BANDの作品ではとくに気にとめることもなかった曽我部恵一の歌声の変化、具体的に言うと声のかすれが、サニーデイ・サービスの名が冠せられたこの作品ではとても気になってしまったということ。全体的に過去のサニーデイ・サービスの作品より歌詞が抽象的で、とくに後半になるにつれ夢見心地でまどろむような空気に包まれていく作品(過去のアルバムに1、2曲あったような、目の醒めるようなポップチューンはここにはない)だが、10年後の現実は、そんなところにもたしかに刻まれている。




photo : Yuki Kuroyanagi
photo : Yuki Kuroyanagi






















同期型ラップトップ・ライヴ・ユニットの次に紹介する1枚は、一転して"人力コズミック・ハウス/ディスコ"とでも言うべき作品である。
まず最初に断っておかなければならないのは、高校3年の夏休みにわざわざ地元の青森から上京し、宇田川町のレコード・ショップでアンダーグラウンド・レジスタンスのバックパックを購入し、現在に至るまでほぼ1日も欠かさず使用し続けているような僕が冷静で客観的な批評眼をもってURの音楽を語ることができるか、非常に怪しいということだ。もちろん、できる限りの努力は試みるが......。

アンダーグラウンド・レジスタンスを母体とするバンド・ユニット、ギャラクシー2ギャラクシーやロス・エルマノス(Los Hermanos)のメンバーでもあり、イーカン(Ican)名義でも活躍するS2ことサンティアゴ・サラザールがデトロイトのアーロン・カール(Aaron-Carl)の〈ウォールシェイカー〉レーベルからリリースした新作は、現在のUSアンダーグラウンド・クラブ・シーンに対するUR流儀での痛烈な問題提起である。イーカン名義のラテン・フレイヴァーなサウンドは影を潜め、感情を押し殺したようにダークなフェンダーローズの反復フレーズとフランジャーによって金属感を増したハイハットに添えられるのは「車を停めるのに20ドル、入場するのに25ドル、ドリンクを買うのに12ドルもかかる」というコマーシャリズムに傾倒したクラブ・シーンを批判するポエトリー・リーディングだ。サラザールはこう続ける「一体アンダーグラウンドに何が起こってるんだ?」
DJプレイ、とりわけひとりのDJが朝までプレイするようなロングセットは、レコードによって紡がれるその世界観をしばしば旅に例えられる。今回最後に紹介するのは、そういう意味では"旅情"を高めるのに最適な1枚だ。