「IR」と一致するもの

Kendrick Lamar - ele-king

はっきりさせておきたい。私たちがラッパーに求めるのは、政治的な一貫性、明快さ、方向性、指示などではなく、むしろ肌の色を超えたアメリカの日常生活の当たり前の泡沫の表面に、目に見える分裂病の亀裂を生み出している精神的圧力の本質なのだ。
——グレッグ・テイト

 BLM熱の余韻がまだ残る昨年の7月、『The New Yorker』に掲載されたイシュメール・リードの長いインタヴュー記事において、彼は現代の反レイシズムを「新しいヨガ」と、反骨とユーモアの作家に相応しい言葉で揶揄している。1938年生まれ、マルコムXにインタヴューしたことで60年代はNYに移住、しかしブラック・ナショナリズムともブラック・アーツ・ムーヴメントとも袂を分かち、黒人男性は暴君だというステレオタイプとも、カーセラル・フェミニズムとも闘ってきたこの一匹狼は、BLMによって非黒人社会に広がった「黒人を知りましょう」的な空気がどうにも気に入らない。そういえば、ケンドリック・ラマーの5月にリリースされた『ミスター・モラル&ザ・ビッグ・ステッパーズ』にも、「黒人のトラウマの何がわかるって言うんだ?」という言葉があった。

 じつを言えば本作のレヴューは、夏前にほとんど書いている。が、途中で煮詰まって、自分でもいまいちだと放置したままになっていた。それがいまこうして最後まで書こうとしているのは、ほんの数日前、三田格とケイトリン・アウレリア・スミスの新作の話題からなぜかケンドリックへと転じ、彼から最後まで書くよう言われたからという、ただそれだけのことだったりする。(たしかに今年の重要作ではあるし、レヴューしない手はないのだが)
 リリースからはもう4か月も経っているので、プロダクションに関する詳しい内容はすっ飛ばしてもいいだろう。手短に言っておけば、二部構成になっていて、ぼくには長すぎるアルバムだが、ラマーらしいファンクとソウルあるいはジャズの折衷に加え、ストリングスやピアノを活かしながら実験的なサウンドにも挑戦している。多彩な音楽性と連動するラマーの幅広い魅力が詰まった野心作だ。高速ドラムとファスト・ラップの“United In Grief”、あまりにもリズミカルな男女の口喧嘩“We Cry Together”がとくに気に入っているが、良い曲はたくさんある(なにせ20曲近くあるのだ)。ゴーストフェイスキラーが登場する“Purple Hearts”の引き締まったリズムとメロウなライムや、ポーティスヘッドのベス・ギブソンをフィーチャーした“Mother I Sober”が今回の目玉であることはいまさら言うまでもないだろうが、いまあらためてここで強調したいのは、先行公開された“The Heart Part 5”のMVだ。マーヴィン・ゲイの人気曲“I Want You”の大胆なサンプリングからはじまるこのファンクに合わせて、憂鬱な表情をしたラマーが最高に格好いいラップを披露するその映像はじつに興味深い。よく見るとラマーの顔は、カニエ・ウェストやウィル・スミス、射殺されたニプシー・ハッスルや悪名高きO.J.シンプソンなど、言うなればスキャンダルにまみれた過去を持ち、公にバッシングされた黒人男性セレブの顔に変幻する。

 ぼくがこのレヴューを煮詰まった理由のひとつは、コダック・ブラックの起用をどう評価したらいいのかわからなかったことにある。じっさい、英米のレヴューでは彼の参加がアルバムの評価を二分する大きな要因となっているわけだが、レイプや暴行などの容疑で逮捕されトランプによって減刑されたラッパーに関する知識がぼくにはない。ただ、『The New Yorker』のレヴューがいうように、この起用が「もっとも人目を惹くリベラルに対す挑発」だとしたら、それそれでポリティカル・コレクトネスに対しラマーの投げた問題提起として考える価値は、充分にある。
 それにまた本作には、同紙が言うように“Alright ”がプロテストソングとして採用され、2020年のブラック・ライヴズ・マターのデモの際にラマーが沈黙したとされることへの反発もあると思う。そういう意味では自分への評価に対してもラマーは疑いを見せてもいるわけだ(それが、自らの過去の欠点や汚点を赤裸々に陳述していることにも、自分は救世主ではない発言にも連なっているのだろう)。だいたい“Savior”において、黒人活動家よりも自分はコダック・ブラック派だという煽りは、友情というか今回のアルバムにおける“個人に立ち返ることで社会を見る”というアプローチにも関わっている話だが、意味を汲み取ればずいぶん勇気ある発言だ。しかもその後のライヴでラマーはコダック・ブラックをステージに上げているのだから、これは“挑発”以上の何かである(アメリカにおけるキャンセル・カルチャーは、日本よりもはるかに強烈だと聞いている。いまもっとも評価の高いアーティストがそれに抗うことは、それなりに意味があろう)。
 しかしながらコダック・ブラックの起用に関しては、『Wire』などははっきりと失意を述べているのだが(いわく「信頼していた友人と仲違いしてしまったような気分」)、多くのレヴューに見られる「天才」「ピューリッツァー賞」*という面白味のない賞賛よりは、今作について部分的には批判を向けているそれのほうが、作品を深く理解する上では役に立った。もっともピッチフォークのレヴューが「ケンドリックは明らかにリスナーを困らせることに喜びを感じている」というように、『ミスター・モラル〜』はなんとも捉えどころのない作品だとぼくも思う。もちろんラマーが意図的にそうしたという可能性も決して低くはない。ただでさえ曲数が多いうえに、自己解放であり社会批評でもあり挑発でもあり……この時代の、とくにSNS上で好まれるトピックにいちいち対応した孤独な独白めいている。
 売れれば売れるほどブルーズが歌えると言ったのはジミ・ヘンドリックスだが、ラマーもいまその真っ直中にいるのかもしれない。これは、人生の成功者が勝ちどきを上げている作品なんかではないことはたしかだ。ポップスターの内的葛藤に同情するほど感情移入していないリスナーにとっては、それはどうでもいい話なのかもしれないけれど、BLMの主宰者の金銭スキャンダルが報じられ、抗議運動の熱もいつしか冷めていったかに見える今日において、個人に立ち返ったケンドリック・ラマーのやり方は少なくとも誠実な選択だったのだろうし、アルバムはこの時代の(そして多分にSNS上の)喧々がくがくたる混乱と苦い思いをある意味巧妙に表現してしまっている。もっとも抗議運動のその後については、(それを反植民地主義へと転化させた)UKでは以前として継承されていると聞くし、アメリカにだって気骨ある反レイシズムは絶対に活きている。たんに「新しいヨガ」として騒いだ連中がいなくなったと、それだけの話なのだ。


* ピューリッツァー賞のはじまりは20世紀初頭だが、ラマーが前作『DAMN』で受賞したその音楽部門において、1965年に審査委員会がデューク・エリントンを賞にとって初めてのジャズ音楽家であり黒人受賞者として推薦した際、理事会はそれを却下したという汚点がある(ちなみに黒人ジャズ・ミュージシャンが最初に受賞するのは1997年のウィントン・マルサリスの『ブラッド・オン・ザ・フィールズ』まで待たなければならなかった。つまり、マイルスやコルトレーンでさえ受賞したことはない!)。近年はあの悪名高きIOCでさえ、ジム・ソープの1912年のオリンピック金メダルをあらためて授与したこともあって(ネイティヴの血を引くソープの記録は当時は無効にされた)、今年はデューク・エリントンにピューリッツァー賞を与えよという署名運動が起きている。ちなみにその署名者のなかには、スティーヴ・ライヒとテリー・ライリーの名もあったことをここに付記しておこう。

対談 - ele-king

 ときは1973年。ブルースとロックンロールを愛する静岡の高校生たちは「静岡ロックンロール組合」を名乗り、情熱の赴くまま1枚のレコードをつくり上げた。題して『永久保存盤』。21世紀になり一度CD化され、ロウファイ・ガレージ・ロックの文脈でも再評価された同アルバムが、アナログ盤として半世紀ぶりに蘇る。音質重視の12インチ45回転2枚組で復刻される同作について、オリジナル・メンバーである鷲巣功と、巣鴨のモッズ・バンド「イギリス人」の黒沢ビッチたつ子りんが語り合い、そして以下、鷲巣氏自らが記事を執筆してくれた。(編集部)


和気あいあいと話すふたり。向かって左がたつ子りん、右が鷲巣功。

 「マトイチ」という言葉をご存知だろうか。CDが登場する前も塩化ビニールのレコードというアナログ音楽録音作品は、発表前にA / B面の曲をそれぞれの間を取って順番に並べ、全体の最終的な音量や音質などを調整する「マスタリング」行程が、盤に溝を切り込む技師(カティング・エンジニア)によって仕上げられていた。その際、完成したレコード盤にはレイベル付近の溝のないところに、カティング・エンジニアの自筆で「matrix 1」という爪痕が刻まれる。「完成作品第一版」の証しだ。
 いま世の中ではロック名盤の「完成作品第一版」が密かな人気で、「マトイチ」と呼ばれているそうだ。中には酷い音量、音質で世に出された盤も多く、極端な例としてはA / B面が逆になっている不良品もあるという。もしこれが有名グループのものであったらば、郵便切手の「エラー」印刷と等しく、驚異的な値段で取り引きされそうだ。
 「マトイチ」からは初回ロットとして一定の量の複製、つまり一般的に言えば、商品としてのレコード盤が産み出される。後任の担当者がそのマスタリング状態に不備不満を感じてカティング作業をやり直す場合もあり、そうすると「matrix 2」になるので、「マトイチ」はそこで葬られ、余計に貴重となる。昨今では、誤字脱字誤植が山のようにある初版本のような価値が付くらしく、この領域にも好事家が出現し始めたらしい。
 先日ある場所で、マーヴィン・ゲイの “レッツ・ゲット・イト・オン” は、イギリスで出た17cmシンゴー盤の音が一番だ、と聞いた。その伝説をわたしは知らなかったので、急にこのシンゴーを欲しくなった。ただし、この噂は発売直後からあるらしいので「マトイチ」でなければダメだ。生きている間に “レッツ・ゲット・イト・オン” のイギリス・シンゴー盤、その「マトイチ」に逢えるだろうか。
 今回の対談の相手役であるモッズバンド「イギリス人」のヴォーカルのたつ子りんは、この「マトイチ」を集めているそうだ。形よりも実を取る性癖のたつ子りんは、盤が「マトイチ」ならばジャケットなどボロボロでも構わない、という徹底ぶりで恐れ入る。
 ブライアン・ジョーンズに憧れてハモニカを吹くところから本格的に音楽と触れたという彼は、新宿のロフトでアナログ・レコード・コンサートのDJを務めたりしていた。冴えたオーディオ感覚を持つ若い世代のたつ子りんには、今回蘇ったこのアナログ「『永久保存盤』マトイチ」を是非とも聞いて欲しかった。

 「僕は『永久保存盤』のマトイチをまだ聞いたことがないので、この音は非常に新鮮ですが、50年前のマトイチはどんなだったんですか」
 冒頭、45回転30cmLP2枚組A面の “シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” を聞き終えた後、たつ子りんからこう聞かれた。
 『永久保存盤』は1973年5月に30cmLPの形で世に出た。手許にある発注書を見るとプレスは全部で70枚だ。7人のメムバはもちろん、周囲の関係者にも御礼として配ったから、多分それで殆どが無くなってしまった筈だ。わたしは古くからの友達に在庫1枚を売った覚えがあるが、それで制作費が取り戻せた訳ではない。
 その「マトイチ」の音はひどかった。田舎の子供はマスタリングという行程がある事すら知らずに、マスターたる4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプを、プレスをしてくれる会社に持ち込んだだけだ。しかもA / B面とも20分を超える演奏時間で、既にその時点で良い音にするのは無理だったのだが、初代マトイチはそれを通り越したもっと酷い音だった。わたしですら針を落として、「あれえ」と違和感を持った。
 だから20年前にこの「名盤」が発掘されて水面下で小さな話題になった時に、わたしはたいそう悔しい思いをした。浜松駅前のレコード店では10万円という高値で買って帰った人が実在したという。その奇特なお方にも、せめて「絶対不変的な良い音」で「おお、これは」と言わせたかったのだ。
 発掘後の再発CDの音には不満はない。あの時点で精一杯の結果だ。そもそもこの『永久保存盤』は、決してオーディオフォニックな音ではないのだ。現場で関わった誰もが、その種の感覚を持ち合わせていなかった。故にもう少し良い音で塩化ビニール盤を刻って欲しかった。と、ここまでは、全て恥ずかしい言い訳である。
 今回は45回転30cmLP2枚組だ。アナログ・レコードにこれ以上の条件はない。実際「良い音」で出来上がった。あの時の「4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプ」の音が出ている。これが正規の「マトイチ」だ。今から50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が、ここまでやれたのだ。

 「そのころ世界的な流行の波は2~3年遅れて日本に入って来てたんですよね。静岡となると、そこから半年くらいは更に遅くなったんですか」
 年齢不詳の、モッズバンド「イギリス人」のヴォーカリストたつ子りんは、
 静岡市に接している清水市で生まれ育った。わたしとは相当に歳が離れているから、あの田舎町界隈での音楽活動時期が重なってはいないが、彼があそこでどうやって音楽を続けていたか、という事には深い興味があった。
 今は政令都市静岡の「清水区」となっている旧清水市は、50年前にも国際貿易港を擁した活気ある町だった。「軽音楽」にイカれた青少年が大勢いて、その動きは派手だった。おしなべて清水の人間たちは聞いている音楽、持っている楽器、表現法、更には着ている物まで静岡ロックンロール組合員たちとは全然違っていて、カッコ良かった。周りにはいつも婦女子が群がっていたし、雑誌に出て来るような存在だったのだ。演奏会などで顔を合わせる度に完敗だった。
 その中のスターが河島信之という男で、わたし達よりひとつ年上、静岡市内にある県立工業高校の機械科に通っていた。1972年当時からグレコの、コピー・モデルだが、レスポールを弾いていた。わたし達はそれだけで大騒ぎだ。後に「すみれセプテンバーラヴ」の一風堂で知られた富士市の土屋昌巳でさえ、当時はヤマハのセミアコ(—スティック・モデル)の安い方だったのに。
 河島信之は音楽に理解のある環境で育ったようだ。家を訪ねたら、グランド(・ピアノ)があって驚いた。静清地区を総ナメにした後は東京に出て来てエアーズというグループで、華々しくデビューしている。
 東京都渋谷区に本校所在地を持つけれど、その発祥は清水市である東海大学付属の第一高等学校、そして工業高校があった事も関係しているのか、清水市の人間たちは、県都の静岡市ではなく東京の方を向いていた。それがたつ子りんの世代ではどう変わっていたのかにも興味はあった。東海一高と工業は1999年に一緒になり、今は東海大学付属静岡翔洋高等学校となっている。

 「結局のところレコードは静岡まで買いに行きました。それか最寄りの店で取り寄せてもらうようなやり方でした。ジミヘンを聞いてワウワウの音に異常な興味を持ちまして、それがギターだと教えらえて、自分で買ったのがなんと生ギター。当然クライ・ベイビーは繋げなかったんです。そのくらい周りに情報は全く無く何も知らなかった。親戚にひとりだけ、サム・クックを知っている人がいた程度です。その人はアメリカ大陸を放浪したりしてたヒッピーでね。その後にオーティス・レディングを聞いて、いいなあ、と思うようになりました。当初はレコード・クレジットをそのまんま信じて、セックス・ピストルズにシド・ヴィシャスとグレン・マトロック、ベーシストが二人が居るじゃないか、じゃあ俺たちにも二人必要だって決めた位なんです」
 まるで笑い話だが、たつ子りんの時代でも情報は不足気味で正確さに欠けていたようだ。加えてそれが上手く理解出来ていなかったという点でも、わたし達の頃とはあまり変わっていない。

 「小学生の時に、同じ町にドラムが出来る奴がいるって噂が耳に入りました。セットも一式持ってて、美術系の父親のアトリエでいつも叩いてるって言うんです。実際には会ったこともないのに、僕はその存在をとても意識しました。その町一番の太鼓叩きとは中学校で一緒になったので、すぐふたりで音楽を始めて『これはイケる』と直感しましたね。でも他のメムバはなかなか決まらなくて。出来そうな奴なら誰でも、っていう具合ですから、ある時にはギターが4人だったりね。特にベイスの人材ではずいぶん苦労しました。演奏技術じゃなくて、やる気があるかどうかですね。練習はよくやりましたけど、上手い奴が下手な奴に演奏を教えて1日が終わるんです」
 彼らの「練習」の様子が目に浮かぶ。手に取るように想像出来る状況だ。この辺もあまり変わりはない。
 「人前で演る機会はあんまりなかった。出られる状態でもなくて、そもそもライヴハウスがない。ハコみたいのはありましたが、そういう所に出入りしてるのは本当に悪い人間だった」。ほとんど同じだ。

 清水市一帯も静岡市と同じく温暖な気候で、陽当たりの良い山肌を利用してミカン栽培をしている農家が多い。
 「ミカンを出荷前に仕舞っておく倉庫で初ライヴしたなあ。エレキを使っての初ライヴは、山の上の作業場までロープウェイで楽器を運んで、自分たちでやりました。電源はバッテリーを使った筈です。それとそこに置いてあった発電機かな。ブヲーってその音がずっとうるさくてね」
 これは涙ぐましい武勇伝である。「ロープウェイ」と言うのは、それぞれの農家が独自に持っていた、山で摘んだミカンを麓まで降ろす電動設備だ。子供たちはこれで遊んでよく怒られていたという。危険なのだ。荷物を積むところは籐で編んだ籠である場合が多く、少なくともアムプやドラムズを運ぶには敵さない。だが若い力の向こう見ず精神は、非現実的事実を実現可能にしてしまう。
 「そこに仲間も呼んで気分はウッドストックでした。ガンガン演っていい気分になってたら、山の中とは言えどこかから騒音の苦情が出たらしくて、親たちが集まって来ちゃって、とても厳しく叱られた。夕方の帰り、山道は真っ暗闇でした」
 そうか、偉いぞ。環境が無ければ自分で造るんだ。音楽を志すなら、このくらいの頑固な思いは絶対に必要だ。

 「このLPは収録順に演奏して録音したのですか」、たつ子りんからの次の質問はこれだった。
 「一曲目と二曲目の音の違いに驚いたんです」、たつ子りんはこうも言った。
 これは正しい指摘である。“シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” には明らかな違いがある。“レインボウ・クイーン” は確かに作者であるわたしの頭の中に仕上がった時の響きがあったが、結局は始めから終わりまで通して演奏しただけだし、他の曲でも楽器の持ち替えとか演奏者の入れ替えは殆どない。全曲で全員が担当楽器を持ち場で演奏している。ミクス・ルームでプレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く余裕など、全くなかったのだ。
 「この “レインボウ・クイーン” が2曲目に置かれている事で、全体の印象がガラッと変わりました。このアルバムの世界観を作っているような気がする」
 それが良かったのかどうかは、分からない。ただ当時わたし個人は、もっとポップなロックンロールを演りたかった。婦女子から「キャー」と騒がれたかった。男同士の汗臭い世界にウンザリしていたのは事実だ。
 謎の多い録音詳細によれば、これらの楽曲は1973年3月22日に11 曲の全てが録音された事になっている。数十年ぶりにこれを読んだ時、わたし自身も信じられなかった。「まさかひと晩で……」全員18歳の浅学非才な子供たちがこんな事を仕上げるのは無理だ。ただ、最近ではこのデイタを事実として認めるようになって来ている。
 それまでに数日間のセッションはあった。初日に “お金がいちばん” を録って聞いたプレイバックの興奮は今も忘れられない。ただし、わたし達の音楽に精通した専任の録音技術者がいたわけではないから、ミクスもヘッタクレもなく、当然ながらそのテイクはボツになった。
 録音場所はNHK静岡放送局が入っていた建物の「第一スタジオ」だ。ここは天井が高くアップライトながらピアノも置かれていて、NHKが移転した後も市内の健全な合唱団や弦楽器演奏家たちが練習の場として使っていた。「軽音楽」にイカれた不良どもは、休日の工場や寺の境内、騒音に寛容なメムバの家などでエレキをかき鳴らすしかなかった頃だ。“シャンのロック” のイントロで「県民会館第一スタジオ」の音響が少し分かる。
 以前にここを訪れた機会があったわたしは、入って右側に大きなガラス窓があるのに気づいていた。内側からカーテンが引かれていて内部を見ることは出来ないが、これが「調整室」であるのはすぐに分かった。
 「ここなら『雑誌に載っていた写真』で見たようなレコーディングが出来る」。映画『レット・イト・ビ』の場面が心に浮かんだ。静岡市内でマトモな録音が出来るのは、ここだけだ。少なくとも当時わたし自身は他を知らなかった。
 「静岡県民会館」となっていた建物は静岡県の管轄で、第一スタジオの調整室跡は貸し出しの対象外だ。わたしは窓口の女性を努力と忍耐で説得し、使わせて貰った。そこは長いこと放置されていた全くの空部屋で、周辺から強制的に供出させたテイプ・デッキやミキサー卓を置く机すら外から運び込んだ。マルチ・ケイブルなど誰も見たことがない時代で、演奏ブースと調整室の間には数本のコードが通せる細いパイプが通されているだけだった。毎回の録音セッションは、そこに12本のマイク・シールドを通して二つの部屋を電気的に繋ぐ事から始まる。これは大変な作業だったが、ギターの孝弘がすぐに慣れて素早く出来るようになり、大いに助かった。
 楽器や録音機材をリヤカー他の人力で運び込んで設置し、このケイブル通しを行うとそれだけでもうグッタリだ。その後に本来の歌唱と演奏が待っている。わたし達のバンド屋稼業は重労働の連続だ。既にその頃は最も厄介な学業から全員が逃れられていたが、「雑誌に載っていた写真」のように、調整室内で「プレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く」どころではなかった。だからひと晩で通しの演奏を録ってそのまんま、というのは事実ではないだろうか。

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 たつ子りんとの “レインボウ・クイーン” に関する質疑応答は続く。
「ハモニカをアムプリファイドしてるでしょう。この頃、もうみんなそうだったんですか」。
 ハモニカを吹いているチャアリイは、恐ろしいほどの集中力を持った男だった。その前は、ギターの近藤良美、ドラムズの竹内康博たちとクリームみたいな音楽を演っていて、ジャック・ブルース真っツァオのベイスを弾いていた。高校を3日で辞めて働いていたので自分で使える金があって、エルクのジャズベース型、そして録音でも使った同社製の大型アムプを持っていた。それがブルーズに急天直下したのだ。わたしはその頃からハードロックが大嫌いだったので、この転向は歓迎した。

 「そうですか、クラプトンからブルーズですか。正しい道のりですね」。
 正しいかどうかは分からないが、チャアリイのハモニカ演奏技術は、日本ビクターから『ザ・ベスト・オヴ・リル・ヲルター』が出た後、飛躍的に上達した。その次には音色に活路を求め、アムプリファイドに辿り着いたのである。実際にヲルターが行っていた事実も知らず、練習場所に転がっていた10ワット程度の小さなギター・アムプにダイナミック・マイクロフォンを直接突っ込んで「ヴォリウム」、「ベース」、「トレブル」、そして「リヴァーブ」までフルテンにする。つまりツマミは全部「10」の位置で、これが奴のセッティングだった。えらく迫力のある音が出た。低出力だからフィードバックも起こらない。その頃この町でハモニカをアムプリファイドしていたのはチャアリイだけだ。
 人格、芸が共に並外れて規格外のサニーボーイ・ウイリアムスンIIが大好きで、自分もハモニカを吹くというたつ子りんはこの日も一本持参していて、色々と話してくれた。その時に持っていたトムボのリー・オスカー・モデルは、今ミック・ジャガーも使っているという代物で、修理用パーツも整えられているそうだ。50年前にはホーナーのブルーズ・ハープとそれを模倣したトンボ・フォークバンドしかなかった。チャアリイは本物の方のブルーズ・ハープを何本も揃えていた。

 わたし達は丁度『永久保存盤』の録音中に七間町という静岡市の繁華街にあった「キングスター」というダンスホールで毎晩演奏が出来た。ステイヂには高価なビンスンのエコーチェムバが置かれ、小型ながら88鍵のピアノもあった。それまで本来の担当楽器であるピアノを弾いて一緒に練習をした事がなかったわたしには嬉しい環境で、毎日開店前に特訓をした。ただそれも全体の流れを頭に叩き込んで通すだけ。最初に演ってみた形を、どこまで間違えずに出来るか、が練習だった。
 その『永久保存盤』録音中に、静岡ロックンロール組合の全員は歌を唄いながら担当楽器を弾いていたのではないか。そうでもしなければ、今どこを演っているのかわからなくなってしまう。ヘドフォンはおろかモニターのひとつもなく、メムバはただ通し演奏をしただけだが、「足らぬ足らぬはソーゾーリョク」とばかりに、全ての不足を世間知らずの逞しい精神力で補っていたのだ。しかもその時はこれがフツーの状況だと考え、足りていない事物が何なのかすら、分かっていなかった。作詞作曲者の心の中にあった “レインボウ・クイーン” の完成形を、彼らがどのように考えて演奏していたか、今となっては知る由もない。

 「はい、それは分かります」。
5曲目の “ロックンロールNO.1” を聞く時、わたしはたつ子りんが口を開く前に「これはクリーデンス・クリアヲ-ター・リヴァイヴォー(以下C.C.R.)の『トラヴェリン・バンド』だよ」と告白した。その時の返事がこれだった。
 年齢不詳のたつ子りんは小学生時代C.C.R.に惹かれ、ベスト盤を買ったらしい。それは冒頭2曲が “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー” という演奏時間の長いブルーズ・ナムバで、たつ子りんはそれらを聞いて閉口し、「俺にロックはまだ早いんじゃないか」と、本気で考えたそうだ。
 “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”、共に1枚目のアルバムからのシンゴー曲だ。〈リバティ〉からデビューする以前、C.C.R.はサンフランシスコはずれの実演クラブでハコ仕事をしていた。こういう場所ではひと晩で数回のステイヂをこなすのが絶対条件だ。ファンク的なワンコード曲やキイとテムポーさえ決めれば後は同じで何度でも繰り返しが可能なブルーズ・ナムバは、少ない持ち歌の楽団にとっては有難い。「三つ子の魂百まで」なのか、確かにC.C.R.のデビューLP『スージーQ』はハコバン(ド)時代の陰が濃い。その中から極め付けの2曲を最初に続けて聞かされては、幼い子供がウンザリするのも分かる。おかげでブルーズに対するアレルギーは無くなって、その後に聞いたザ・ローリング・ストーンズの “スージーQ” がとても心地よく聞こえたと言う。分かるね、その気持ち。
 C.C.R.はNHKの海外買い付け「軽音楽」フィルム番組の祖「ヤング・ミュージック・ショウ」の1971年第一回で楽しい実演の模様が放送された事もあり、組合員全員が好きだったが、彼らのリパトゥワを自分たちで採り入れる程ではなかった。わたしを除く6人はラジオで流れるヒット曲より、もっとハードロック的な音楽を志向していたのではないか。
 ジョン・フォガティは “アイ・プット・オン・ア・スペル・オン・ユー” を1コーラスしか唄っていない。激しい表現のようにも聞こえるが実に単純なギターのソロを挟み込んで、唄を2回同じように繰り返しているだけだ。ただし結果、スクリーミ・ジェイ・ホウキンズの原曲は2分半足らずなのに、C.C.R.版は4分半を超える「長時間演奏」となった。60年代の終わりには、複雑で難解、かつ非常識な激しい表現で長大な、重たい「軽音楽」が無条件に持て囃された時代であり、C.C.R.の単なる時間引き伸ばし作戦も、周囲には「驚異のニュー・ロック・サウンド」に聞こえたのかも知れない。それでもジョン・フォガティの本質的な歌心とロックンロール魂は、たつ子りんの心を捉えたらしい。ずっと注目を続けていて最近の動向にも詳しい。
 何れにせよたつ子りんは、ロックが一番カッコ良かった十年間に心を奪われているようで、対談中に話題となった音楽は大体わたしですら知っていた。彼の方でわたしに合わせてくれたのかも知れないが、50年前にわたしが目の仇にしていたレッド・ゼペリンの結成時には、キース・ムーンがドラムズ担当だったとか、貴重なよもやま話をいくつか教えてくれた。

 「これは……」と半ば不思議そうな表情でたつ子りんが訊ねたのは、新規マトイチB面最後、第6曲の “女と赤い花” に針がかかった時だった。
 この歌は “レインボウ・クイーン” よりも更に響きが大きく異なる。中途半端なブルーズ・ロック・バンドが、ただその場で演っている演奏ではない。たつ子りんが疑問に思うのも無理のないところだ。
 出来上がってから練習場へ持って行き、皆なに「新曲だ」と披露した時、康博に指定したリズムのアクセントは通常の2拍4拍ではなかった。ここでわたしはピアノではなくアクースティク・ギターを鳴らし、チャアリイも慣れないコンガを叩いている。伸びのあるロング・トーンを活かしたかんばのベイスが美しい。新規マトイチならはっきりと聞き取れる。他の収録曲と明らかに違う響きがたつ子りんの不審感を煽ったらしい。
 もとはシャンがラリって見た夢を基にした歌である。フツーの演奏では面白くない。結果として静岡ロックロール組合としては極めて異質な響きとなった。余談だが、わたしはマーク・ボランが全編でエレキを持つ前の、スティーヴ・トゥックがパカーションを叩いていた頃のティラノザウルス・レクスが好きで、その残像もこの変則的アクースティク・ロック “女と赤い花” には少し映し出されている。
 こんな説明をしたのだが、たつ子りんに分かって貰えただろうか。

 50年かかって出来上がった『永久保存盤』のマトイチ特別試聴会は、33回転時代のB面に入った。“今夜はバッチリ” は、イントロで孝弘がギター低音部の巻弦をピックで擦るのが見えるように生々しい。45回転ならではの音だろう。
 シャンのバカはしゃぎで突っ走る “徹夜ブギウギ” も充分な迫力だ。良美のスライド・ギターも冴えている。彼は一浪後の高等学校入学祝いにアリア製のレスポール・コピーモデルを買って貰っていて、ファズの後に流行りつつあった効果器「ブースター」と共に使っていた。この “徹夜ブギウギ” のソロは、その「ブースター」が際立って活躍している。収録されている何曲かで聞こえる雑音「ガリッ」というのは、そのアッテネータをいじった時の音だ。
 最長の演奏時間となったスローのブルーズ “A39” では、テープのヒスノイズが始まりから終わるまで気になる。しょせんは4トラック録音なのだ。ここで2022年のディヂトー時代に引き戻される。

 さて最後のD面だ。“川合節” は天理教の修行から戻ったチャアリイがこの録音のために持って来た「新曲」なので、誰にも馴染みが薄かった。セッションの終わり頃に手を着けて時間に追われるように仕上げたので、作者は「ないがしろにされた」と40年後にも文句を言っていた。その通りだ。もう少し詰めれば面白くなる要素がある。ただしここまでが1973年当時、静岡ロックンロール組合の限界だった。
 そして、いかにも70年代的な、遅れて来たメセヂ・ソング “ばかっちょい” で、45回転30cmLP2枚組の『永久保存盤』は終わる。音質はすべて極めて良好で、これなら堂々と「50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が」作り上げたLPの正規の「マトイチ」だ、と胸を張って言える。

 我ながら満足して達成感を味わっていたら、最後にたつ子りんが意外な事を尋ねて来た。
 「パンポットはどのように調整したんですか」。
 この質問には虚を突かれた。録音の全てを司った調整卓の「ヤマハ アンサムボー・システム」略して「YES」は、この国に音楽ミクスという概念を持ち込んだ画期的な新機軸だったが、しょせんは低価格の民生機で、登場後半年ほど経ってモデルチェンヂした後にパンポットのツマミが付いたものの、出入りしていた楽器屋から借り出した初代機の各チャネル出力先は、左か右どちらか片方をボタン・スイッチで選べるだけで、両方を押せばモノーラル出力となる仕様だった。
 諸般の事情によりずっとモノーラル再生で音楽を聞いていたそれまでの体験から、当時のわたしはスティーリオ感覚が貧困だった。これは21世紀の今も変わらず、モノーラルの方が気持ち良く聞ける。ただ今はスティーリオが当たり前で、更に使う音が沢山になって来ると、左右に拡がった音場を的確に利用する感覚が必須だ。
 「レヴェル・フェーダーやイクヲライザーを使わなくても、パンポットで音の場所を決めてやれば、バランス取りは上手く行きます。そういうのは自分がレコーディングを経験して分かった事です」。たつ子りんの言う通りだ。その後このわたしも音楽制作者となり、スティーリオ音場の使い方ほかのさまざまな勉強をしたが、この時は調整室に入っている手伝いに「楽器のソロになったらその楽器の出力チャネルは左右両方にする」と伝えるのが精一杯だったから、定位など考えている余裕はなかった。それでなくても、ひとつもライン録音がなく全てが実際に鳴っている音は、他のチャネルに回り込んでいた。
 この『永久保存盤』はスティーリオのレコードだ。しかし、全体を象徴する最後の一曲 “ばかっちょい” だけが、完全モノーラルになっている。前後に配した、静岡市内の賑やかな交差点で録った街頭音は、使ったカセット・レコーダーがモノーラルで、この辺りにわたしの貧困なスティーリオ感覚が顔を出している。
「この部分がスティーリオで録れていたら、雰囲気はもっと盛り上がったでしょうね」とはたつ子りんの言葉だ。御意。特にイヤフォーンでしか音楽を聞かない最先端の世代には、効果音がスティーリオなのは必須である。ただし、わたしには音楽そのものをモノーラルにした覚えはない。何故だろうか。先の記載録音日と共に『永久保存盤』にまつわる大きな謎である。

 静岡ロックンロール組合でわたしはロックンロール・オーケストラ的なものを意図していた。ジョー・コカーの『マド・ドグズ・アンド・イングリッシュメン』に多大なる影響を受け、そこのバン(ド)マス(ター)だったリオン・ラッソーに憧れていた。だから全員に出来る限り上手そうで滑らかな演奏を求めた。録音も然りで、もっと普通の良い音にしたかった。ただ今になって考えれば、目指していた音楽と静岡ロックンロール組合とは全く次元が違い、ああいうのはプロフェッショナルな人間たちが動き回る世界だ、という事にまるで気付いていなかったのである。採り上げた楽曲の質が違い過ぎる点も分からなかった。
 だからこそ、結局のところ静岡ロックンロール組合の『永久保存盤』は、東海地方の静岡という田舎町の世間知らず達が暴走した、当時はまだ概念すら確立していなかった、極めて「パンク」的なLPになったのではなかろうか。
 総じて、わたしとたつ子りんの時代で、田舎町の音楽状況はあまり変わっていなかったようにも思える。実際に会う前は、さぞかし違った世界が開けているように考えていたが、そうではなかった。これには正直、納得が行く。まあこんなモンではなかろうか。
 敢えて言っておこう。『永久保存盤』の程度の事なら、今この記事を読んでいるあんたにも出来る。五十年後の今ならラクショーだ。ガンガンやってくれ。ロックンロールだ。

 対談が終わって、今回のセッション全域で惜しみない協力をしてくれたオーブライト・マスタリングスタジオの橋本陽英が、「ちょっと確認させて下さい」と、もう一度アナログ盤の “シャンのロック” を回した。そして「大丈夫です」と直ぐに針を上げてから、この前のCD『永久保存盤』について語り出した。
「あの時は『他のCDに音量や音圧感で負けたくない』という思いが強かったので、ダイナミク・レインヂなんかよりそっち優先で作業したんです。その後は時代も少し落ち着きましたんで、今回は本来のマスター・テイプの魅力を引き出す事に専念出来ました」

 有難い言葉だった。CDの利便性にはわたし自身も抵抗出来ないが、世の中がすべて効率的で便利なだけでいいのだろうか、という疑問からは離れられない。特に昨今、あらゆる事をスマフォの中で済ませてしまうような思想にはジンマシンが出る。古い奴だとお思いでしょうが、その延長かこの45回転30cnLP2 枚組『永久保存盤』の制作は、自分自身にとって非常に重要だった。50年かかって、ようやく「マトイチ」が出来た。巻き込まれたみなさん、どうもありがとうございます。
 今回、世代を超えて建設的な意見をしてくれたたつ子りんにはことさら感謝だ。「イギリス人」という風変わりな名前の彼のロックグループの実演予定をここに挙げておこう。そこには静岡ロックロール組合との、何か共通点があるかも知れない。

モッズバンド イギリス人
LOFT RECORDより7thアルバム「SMILE」絶賛発売中!
9/27(火) 西永福JAM
10/6(木) 渋谷チェルシーホテル
10/9(日) 新宿LOFT・新宿ACB『カッパンク』
10/21(金) 新宿LOFT
11/26(土) 新松戸FIREBIRD
詳細は各ライブハウス迄

問い合わせなどは igirisu_zin@yahoo.co.jp まで!!

 その他、この記事をもっと深く理解するために参考になる文書、資料などは、以下にある。

エリス第36号連載 旧聞ゴメン「『数え歳で』50年後の真実」
(電子書籍版は、https://bccks.jp/bcck/173946/info パスワードak74h)

CD『永久保存盤』解説書(ユーケー・プロジェクト / DECREC DCRC-0061)
https://note.com/morninblues/n/ne967d2abb407

■静岡ロックンロール組合 LP&Tシャツ通販ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/shizuoka-rocknroll-kumiai

Shintaro Sakamoto - ele-king

 『物語のように』から“ある日のこと”のミュージック・ヴィデオが公開された。これは、坂本慎太郎が作画、編集まで手がけた究極のDIY手描きアニメーション。コピー用紙に鉛筆とマーカーで描いた約650枚の絵をスキャンし、PhotoshopとPremire Proで編集して作ったという。必見です! 

ある日のこと (One Day) / 坂本慎太郎 (Official Music Video)

 なお、9月30日には国内盤LP『物語のように』リリース、10月26日からは国内ツアーも開始する。

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Shintaro Sakamoto LIVE2022 "Like A Fable” TOUR

10月26日 (水): 昭和女子大学人見記念講堂 (東京)
11月15日 (火): Zepp Namba (大阪)
11月16日 (水): クラブ月世界 (神戸)
12月05日 (月): キャバレーニュー白馬 (熊本/八代市)
12月07日 (水): 桜坂セントラル (沖縄)

●Official Web: https://l-tike.com/shintarosakamoto

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Moor Mother - ele-king

 1960年代後半から1970年代初頭にかけて、ドラマーのアーサー・テイラーは、当時を代表するジャズ・ミュージシャンたちにインタヴューを行い、後に著書『Notes and Tones』にまとめた。ジャズが商業的な影響力を失いはじめた時代を捉え、シーンにおける政治的な力学から、当時は「フリーダム・ミュージック」と呼ばれていた音楽の様式的な刷新に至るまでのさまざまな議論が交わされているわけだが、なかでももっとも論争を引き起こしたのは、ジャズという言葉そのもので、アート・ブレイキーがたいした問題ではないと主張した一方、マックス・ローチなどはニューオーリンズの売春宿を起源とし、文脈によっては“クソ”と同義的に使われることもある言葉を自分たちの音楽に押し付けられたことに不快感を示した。ニーナ・シモンはこの問いかけに異なる角度からアプローチし、テイラーに「ジャズはただ音楽であるというだけでなく、生き様であり、在り方であり、物の考え方。それは、アフロ・アメリカ系の黒人を定義するものだ」と語った。
 『Jazz Codes』を聴きながら、私はこのことを思い出した。ムーア・マザーの最新ソロ・アルバムは、亡き詩人アミリ・バラカの精神にのっとって、過去と現在(彼女の言うところの「パッド(メモ帳)とペンで瞑想する)」のジャズ・ミュージシャンたちのリズムをリフにすると同時に、音楽を埋め込まれた記憶や奥深い真実として、異界の領域への入り口のように扱っている。2020年の『Circuit City』では、「タイムトラベルや 内外の次元を追求することは不可能‏‏/フリー・ジャズなしには」と宣言している。また、アルバムと同じぐらいの長さのビリー・ウッズとのコラボレーション作「Brass」では、「ブルースは、国が忘れてしまった全てのことを覚えている」と注目曲のひとつで書いている。

 『Jazz Codes』では、ムーア・マザーの最近のソロ・ミュージックの瑞々しさというトレンドが引き継がれ、2020年のロックダウン時にリリースされた『Clepsydra』や『ANTHOLOGIA 01』、そして昨年の『Black Encyclopedia of the Air』で紡いだ糸を繋いでいる。彼女は再びスウェーデンのプロデューサーでインストゥルメンタリストのオロフ・メランダーと組み、ある種の明晰夢の状態にあるイリュージョン(幻影)と暗示の音楽を呼び起こしている。いくつかの曲は小品に過ぎないが、これらは人を酔わせる、宇宙的な作品だ。

 いちばん長く、人を惑わせるような“Meditation Rag”では、サン・ラからジェリー・ロール・モートン、フィスク・ジュビリー・シンガーズといったアーティストの名前を挙げながら、そのまわりをアリャ・アル=スルターニのソプラノのヴォーカルが分散する光のように浮遊し、まるで降霊術の会の様相を呈している。他では、ジェイソン・モラン、メアリー・ラティモアにアイワのインリヴァーシブル・エンタングルメンツのバンド仲間がインストゥルメンタルで貢献し、R&Bヴォーカルのフックやサイケデリックな煌めきや、不明瞭なトリップ・ホップのリズムを紡ぐ。コラボレーションの多いこのようなアルバム制作では、あえてフォアグラウンド(前景)とバックグラウンドを分けていない事が多く、重なり合うヴォイスのなかからリスナー自身が、どれに焦点を当てて聴くのかを選ぶことを任される。
 クロージング・トラック“Thomas Stanley Jazzcodes Outro”では、作家でアーティストのトマス・スタンリーがテイラーの著書のテーマを拾い上げている。

  多くの評者たちが
  ジャズはかつてセックスを意味したと言っている
  そしておそらく、
  ジャズはセックスを意味するものに
  戻る必要があるだろう
  性行為や交尾、
  ハイパー・クリエイティヴィティ、
  繁殖力、
  そして誕生と同一視されるように。

 『Jazz Codes』の気だるいグルーヴは、アイワがイリヴァーシブル・エンタングルメンツとともに披露する扇情的なフリー・ジャズとは別世界のように思えるが、どちらも音楽が解放の源となり得るという鋭い認識を共有している。

 それはまた、彼女と同じフィラデルフィア在住のDJハラムとのデュオ、700 Blissの『Nothing To Declare』でもときどき響いている。このアルバムは、ムーア・マザーの作品のなかでも、2016年の『Fetish Bones』に代表されるようなより挑戦的な側面が好きなファンには即座に魅力的に映るだろうが、ここではサウンドと怒りがある種の無頓着なユーモアのセンスによって抑制されている。
 とくにアルバムの前半は、〈Hyperdub〉レーベル・メイトのアヤ(ピッチシフトを好む傾向を含めて)と共通する何かがあり、後半ではクラブから遠くへ離れ、ときには毒気の少ないファルマコンにも似た趣となる。アイワの歌詞は徹底的にルーズで、歌うような韻と言葉のフィジカリティを楽しんでいるように聞こえる。“Bless Grips”で彼女がデス・グリップスのフロントマン、MCライドのリズムを真似る様子をチェックしてほしい。まるでコメディの寸劇のような“Easyjet”では、700 Blissをあきれ顔で批判する二人組をデュオが演じている(おいおい、これはそもそも音楽と言えるのか?)
 しかし、より深いところまで切り込んでいるのは、傑出した曲たちだ。“Capitol”でのアイワの冒頭のヴァースは、血で書かれた一般教書演説で(夢の成分をすすりたい/私たちを奴隷にした奴らの喉を切り裂きたい)、何時間でも没頭できる。ほぼインダストリアル・テクノのような“Anthology”では、20世紀半ばに人類学に基ずき振付を芸術に変えた〝ラック・ダンスの女家長〟として活躍したキャサリン・ダナムにオマージュを捧げている。
 さらに、数年前にリリースされた“Sixteen”は、このデュオのこれまでの最高傑作といえるかもしれない。アイワは、「もう戯言にはうんざりだ、世界はとても暴力的だ/自分だけの島が欲しい。でも奴らが気候を破壊した」と激しく非難し、ダンスフロアに自らを解き放つ前に「私はただ踊って汗をかきたい/踊って忘れてしまいたいだけ」と歌う。それは、世界がどれほどひどい場所かというのを無視することではなく、生き残るためのツールを見つけることだ。それは音楽であるというだけでなく、生き様や物の考え方のひとつなのだから。


by James Hadfield

In the late 1960s and early 1970s, the drummer Arthur Taylor conducted a series of interviews with some of the day’s leading jazz musicians, later collected in his book “Notes and Tones.” It captured a period when jazz was losing its commercial clout, while debates raged over topics from scene politics to the stylistic innovations of what was then still called “freedom music.” But one of the most contentious issues was the word itself: jazz. While Art Blakey insisted it was no big deal, others, such as Max Roach, were upset that their music had been lumbered with a term that originated in the brothels of New Orleans, and in some contexts could be used interchangeably with “shit.”

Nina Simone approached the question from a different angle. “Jazz is not just music, it’s a way of life, it’s a way of being, a way of thinking,” she told Taylor. “It’s the definition of the Afro-American black.”
I was reminded of this while listening to “Jazz Codes.” Moor Mother’s latest solo album finds her working in the spirit of the late poet Amiri Baraka, riffing on the rhythms of jazz musicians past and present (“meditatin′ with the pad and the pen,” as she puts it), but also treating the music as a source of embedded memories and deeper truths—a portal to other realms. As she declared on 2020’s “Circuit City”: “You can’t time travel / Seek inner and outer dimensions / Without free jazz.” Or, in the words of one of the standout tracks from “BRASS,” her album-length collaboration with billy woods: “The blues remembers everything the country forgot.”

“Jazz Codes” continues the recent trend in Moor Mother’s solo music towards lushness, picking up the thread from her 2020 lockdown releases “Clepsydra” and “ANTHOLOGIA 01,” and last year’s “Black Encyclopedia of the Air.” Once again, she works with Swedish producer and instrumentalist Olof Melander to conjure a sort of lucid-dream state: a music of illusions and allusions. Even though some of the tracks are barely more than vignettes, this is heady, cosmic stuff.
On “Meditation Rag,” one of the longest and most transporting songs, she seems to be staging a seance, name-checking artists from Sun Ra to Jelly Roll Morton to the Fisk Jubilee Singers as the soprano vocals of Alya Al-Sultani float spectrally around her. Elsewhere, instrumental contributions—including by Jason Moran, Mary Lattimore and Ayewa’s bandmates from Irreversible Entanglements—weave together with R&B vocal hooks, psychedelic shimmer and slurred trip-hop rhythms. In an album heavy on collaborations, the production often doesn’t distinguish between foreground and background, leaving listeners to decide which of the overlapping voices to focus on.
On the closing track, “Thomas Stanley Jazzcodes Outro,” author and artist Thomas Stanley picks up on a theme from Taylor’s book:

“Many observers have told us that jazz used to mean sex
And maybe it needs to go back to meaning sex:
To being identified with coitus and copulation,
Hyper-creativity, fecundity and birth.”

Although the languid grooves of “Jazz Codes” may seem a world apart from the incendiary free-jazz that Ayewa serves up with Irreversible Entanglements, both share a keen awareness of how music can be a source of liberation.
That’s echoed occasionally on “Nothing to Declare” by 700 Bliss, her duo with fellow Philadelphia resident DJ Haram. It’s an album that will instantly appeal to fans of the more confrontational side of Moor Mother’s work, typified by 2016’s “Fetish Bones,” though here the sound and fury is tempered by an insouciant sense of humour.

Especially during its first half, the album has something in common with Hyperdub label-mate Aya (including a penchant for pitch-shifted vocals); later on, it drifts further from the club, at times resembling a slightly less bilious Pharmakon. On many of the tracks, Ayewa’s lyrics sound downright loose, happy to delight in sing-song rhymes and the physicality of words; check the way she seems to mimic the cadences of Death Grips frontman MC Ride on “Bless Grips.” There’s even a comedy skit, “Easyjet,” in which the duo play a pair of eye-rolling naysayers talking smack about 700 Bliss (“I mean, come on, is this even music?”).
However, the standout tracks are the ones that cut a little deeper. You could spend hours picking apart Ayewa’s opening verse in “Capitol,” a state-of-the-nation address written in blood (“I wanna sip what dreams are made of / I wanna slice the throat of those who enslaved us”). On “Anthology”—over a track that’s practically industrial techno—she pays tribute to Katherine Dunham, the “matriarch of Black dance,” whose pioneering anthropology transformed artistic choreography during the mid-20th century.

Then there’s “Sixteen,” first released a couple of years ago, which may just be the best thing the duo has done so far. “I'm tired of the bullshit, the world's so violеnt / I just want my own island, but they destroyed thе climate,” Ayewa declaims, before finding her release on the dancefloor: “I just wanna dance and sweat / I just wanna dance and forget.” It’s not about ignoring what a fucked-up place the world is, but finding the tools to survive. It’s not just about the music: it’s a way of being, a way of thinking.

NRQ - ele-king

 国も時代も超越した豊潤かつ芳醇なインストゥルメンタル・ミュージックを奏でる4人組、NRQ。この度、5thアルバム『こもん』発売記念、それから傑作3rdアルバム、『ワズ ヒア』のLP化記念という記念だらけのツアー、吉田悠樹(二胡)、牧野琢磨(ギター)、服部将典(コントラバス)、中尾勘二(管楽器、ドラム)の4人から成るこのバンドの独創的な世界を体験しよう。

 

■NRQ 5thアルバム『こもん』発売記念ライヴ——名古屋編
2022年10月15日(土)名古屋 金山ブラジルコーヒー(052-321-5223)
愛知県名古屋市中区金山4-6-22 金山コスモビル1階
出演:NRQ、logmen
開場6:00pm/開演7:00pm
料金 3,000円(予約)/3,500円(当日)*ドリンク代別
予約:金山ブラジルコーヒー(電話 052-321-5223|メール nqlunch@gmail.com)

■『こもん』発売記念ライヴ——浜松編
2022年10月16日(日)静岡・浜松 エスケリータ68(053-485-9968)
静岡県浜松市西区大平台2-48-30
出演:NRQ、志波太朗バンド
開場6:00pm/開演6:30pm
料金 3,000円(予約)/3,500円(当日)*ドリンク代別
予約:エスケリータ68

■音凪プレゼンツ NRQ 5thアルバム『こもん』&『ワズ ヒア』LP W発売記念ライヴ——大阪編
2022年12月3日(土)大阪 雲州堂
大阪府大阪市北区菅原町7-2
出演:NRQ、こぶね、野崎ハウス
開場6:00pm/開演6:30pm
料金 3,000円(予約)/3,500円(当日)*ドリンク代別
予約:音凪酒場(電話 06-6353-8515|メール otonagi20110601@yahoo.co.jp)

■RQ 5thアルバム『こもん』&『ワズ ヒア』LP W発売記念ライヴ——京都編
2022年12月4日(日)京都 外
京都府京都市左京区鹿ケ谷法然院西町18
出演:NRQ、野崎ハウス
開場6:00pm/開演6:30pm
料金 3,000円(予約)/3,500円(当日)*学生証提示で予約/当日ともに2,000円
予約:外

■NRQ 5thアルバム『こもん』&『ワズ ヒア』LP W発売記念ライヴ——松本編
2023年1月14日(土)松本 Give me little more.
長野県松本市中央3-11-7
出演:NRQ、伴瀬朝彦
開場6:00pm/開演6:30pm
料金 2,500円(予約)/3,000円(当日)*ドリンク代別
予約:Give me little more.(メール give.melittlemore@gmail.com)

■NRQ 5thアルバム『こもん』&『ワズ ヒア』LP W発売記念ライヴ——東京編
2023年1月15日(日)東京・青山 月見ル君想フ
東京都港区南青山4-9-1 シンプル青山ビル地下1階
出演:NRQ[feat. MC.sirafu, Okyon]、attc vs Koharu
DJ:TANGO[GO HUNK、李ペリー]
開場6:00pm/開演6:30pm
料金 3,000円(予約)/3,500円(当日)*ドリンク代別
予約:月見ル君想フ(電話 03-5474-8115|HP https://www.moonromantic.com/ticket)


詳細は:https://sweetdreamspress.com/nrq/tours_20220807/

こもん(CD)
Sweet Dreams Press(SDCD-054)
詳細:https://sweetdreamspress.com/nrq/common_20220408/


ワズ ヒア(LP)
詳細:https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-7883

オルタナティヴはあのとき、ここではじまった

グランジ、オルタナ、ポストロックから音響派へ
USインディ・シーン激動の10年をたどる550枚のアルバムガイド

特別インタヴュー:EY∃(ボアダムス)、出戸学(オウガ・ユー・アスホール)

執筆:アート倉持、天井潤之介、天野龍太郎、岩渕亜衣、木津毅、澤田裕介、寺町知秀、村尾泰郎、畠中実、松村正人

前書き

Early 90s 1990-1993 90年代初期

Interview EY∃(ボアダムス) 90年代とオルタナティヴの極私的背景

Mid 90s 1994-1996 90年代中期

Late 90s 1997-1999 90年代後期

Interview 出戸学 2000年代以後の観点から考察する90年代USオルタナティヴの諸相

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この楽しみを知らないのはもったいない!
最前線を切り拓くユニークな名作たちをテーマ別に紹介

独創的な想像力を発揮し、多くの魅力的なタイトルを生み出してきたインディ・ゲーム。
そのなかからぜひともプレイしておきたい名作を9つのテーマのもとに厳選、気鋭の執筆者たちによる深いレヴューとともに紹介する。
インディ・ゲームがどのように現実社会を映し出してきたかもわかる、画期的ガイドブック。

執筆陣:
田中 “hally” 治久/今井晋
徳岡正肇/洋ナシ/櫛引茉莉子/木津毅/松永伸司/葛西祝/藤田祥平
近藤銀河/野村光/古嶋誉幸/山田集佳

田中 “hally” 治久 (たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。作編曲家。主著/監修に『チップチューンのすべて』『ゲーム音楽ディスクガイド』『インディ・ゲーム名作選』。ゲーム音楽では『ブラスターマスターゼロ』等に参加。レトロ好きなのにノスタルジー嫌いという面倒くさいインディ者。

今井晋 (いまい・しん)
IGN JAPAN 副編集長。2010年頃からゲームジャーナリスト、パブリッシャー、リサーチャーとして活動。世界各国のインディーゲームの取材・インタビュー・イベントの審査員を務める。

目次

序文(田中 “hally” 治久)

第1章 戦争 (キュレイター:徳岡正肇)
第2章 インターネットと現代社会 (キュレイター:洋ナシ)

[コラム]現実の社会や政治を “想像” させるインディーゲームたち(葛西祝)

第3章 歴史 (キュレイター:徳岡正肇)
第4章 フェミニズム (キュレイター:櫛引茉莉子)
第5章 LGBTQ+ (キュレイター:木津毅)

[コラム]インディーゲームにおけるDIY精神とトキシックなコンテンツの関係(今井晋)

第6章 音楽 (キュレイター:田中 “hally” 治久)

[コラム]インターネットの音楽から影響を受けたインディーゲームの世界観(葛西祝)

第7章 アート (キュレイター:松永伸司)
第8章 アニメ (キュレイター:葛西祝)
第9章 文学 (キュレイター:藤田祥平)

[コラム]近年のゲームが持つローカル・アイデンティティ──地域性に根ざした多様な表現(徳岡正肇)

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Loraine James - ele-king

 ロレイン・ジェイムス、待望の来日決定。以下にスケジュールです。なんと、Loraine James名義のパフォーマンスとWhatever The Weather名義のパフォーマンスとあります。また、黒人前衛音楽家のJulius Eastmanの楽曲を再解釈した新作『Building Something Beautiful For Me』の日本盤リリースも決定。

Loraine James 東京公演

日程:11/2(水・祝前日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351038

Whatever The Weather 東京公演

日程:11/3(木・祝日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351039

Loraine James 大阪公演

日程:11/4(金)
会場:CIRCUS OSAKA
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/buy/1tjW:oO5:b7d7f

Whatever The Weather 大阪公演

日程:11/5(土)
会場:CIRCUS OSAKA<
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351041

主催・企画制作:CIRCUS / PLANCHA
協力:BEATINK

Loraine James
Building Something Beautiful For Me

PLANCHA / Phantom Liimb
※日本独自CD化
※CDボーナス・トラック1曲収録予定
※解説付き

Release Date: 2022.10.07
Price(CD): 2,200 yen + 税

Björk - ele-king

 巡り巡って時代はまたビョーク(https://www.ele-king.net/news/008826/)なのか! 9月30日に世界同時発売が決定した『Fossora(フォソーラ)』から、アルバムの冒頭を飾る“Atopos”のヴィデオが公開されました。まずはこちらをどうぞ。


Björk
Fossora

One Little Independent/ビッグ・ナッシング
9月30日発売

■収録曲目:
1. atopos
2. ovule
3. mycelia
4. sorrowful soil
5. ancestress
6. fagurt er í fjörðum
7. victimhood
8. allow
9. fungal city
10. trölla-gabba
11. freefall
12. fossora
13. her mother’s house

どのアルバムも常にフィーリングから始まり
それを音にしようとする
今回、
そのフィーリングはランディング(着陸)
(前作『Utopia』は雲の中の島で、エレメント・エアでベースが無かった)
地上に降り立ち、地面に足を踏み入れる

それは、私はどのように「今」を経験するか、ということにも織り込まれている
今回は70億人が一緒におこなった
家に巣を作り、隔離され、
一つの場所に長く滞在し、根を下ろした

私の新しいアルバム『fossora』は、このことをテーマとしている
この言葉は私が作ったものだ
fossore(掘る人、掘られる人、掘る人)の女性語だ
つまり、「掘る人」(地中)という意味だ

サウンド的には、低音、ヘヴィーなボトムエンドが重要だ
6本のバス・クラリネットとパンチの効いたサブウーファーを使った

bergur þórisson、heba kadry
side project、el guincho、hamrahlíð choir、soraya nayyar、clarinet sextet murmuri、siggi string quartet ensemble、emilie nicolas、serpentwithfeetに感謝する
そして最後に、sindriとdóa

ビジュアルはviðar logi、james merry、m/m、nick knight、andy huang、edda、isshehungry、tomi、sayaka、sunna、sara、heimirが制作した

そして、私の忠実で素晴らしいチーム、derek、rosamary、catherine、chiara、hilma、móa

>>> https://www.instagram.com/p/Ch60RcftcDD/?utm_source=ig_web_copy_link

■ジャパン・オフィシャル・サイト:https://bignothing.net/björk.html

Wordcolour - ele-king

 ロンドンを拠点に活動を展開するエレクトロニック・ミュージック・プロデューサーのワードカラー(ニコラス・ウォラール)のサウンドには、シンセサイザーの魅惑的な音色、コラージュされる声、細やかなリズムが横溢している。
 特に今年リリースされた彼の最初のアルバム『The Trees Were Buzzing, and the Grass.』は格別な出来栄えだ。過去2作のEP作品で展開されていたサウンド・コラージュ的な要素とエレガントなエレクトロニック・ミュージックの要素が融合し、エクスペリメンタル・ミュージックの領域へと無理なく拡張したアルバムに仕上がっていたのだ。
 最初にワードカラーのリリース歴をざっと振り返っていくと、まずロンドンのアンダーグラウンド・ミックス音源で知られる〈Blowing Up v The  Workshop〉から『I Want To Tell You Something』という秀逸なミックス音源を2019年にリリースした。翌2020年には、スペインはバルセロナの〈Lapsus Records〉から最初のオリジナル音源であるEP「Tell Me Something」をリリースし、その2021年にはロンドンの名門〈Fabric Records〉傘下のレーベル〈Houndstooth〉からEP「Juno Way EP」を、2021年にはEP「Bluster」を相次いでリリースする。特に「Juno Way EP」におけるサウンド構築の進化が凄まじい。音のコラージュがいっそう研ぎ澄まされていたのだ。
 彼の作り出すサウンドは、さまざまな音源からサンプルングされた声の要素などをコラージュ的に組み合わせていく最新型のエレクトロニック・ミュージックである。シンセサイザーの音色の聴き心地もよく、けっして聴きづらくはないが、実験的な要素もそこかしこにある。その音世界には優雅なムードが流れており、曲の頭からつい引き込まれてしまう。
 そして2022年に〈Houndstooth〉から『The Trees Were Buzzing, and the Grass.』を送り出す。このアルバムは今年リリースされたエレクトロニック・アルバムのなかでも、注目すべき現代性を宿している逸品といえる。
 シンセサイザーの音色の魅力を存分に展開しつつも、コラージュ的な構成を展開していく楽曲はとにかくモダンだ。機能性が、その機能を逸脱するというよりは、拡張するかのようにエクスペリメンタルなサウンドに隣接するさまを味わうことができるのだ。
 なかでもシンセサイザーのアルペジオとフレージングにドラムンベース的なリズムが断片的にレイヤーされる2曲め “Blossom” に聴きいっていると、数年前の「OPN以降」という言葉を久しぶりに思い出した。あえていえばワードカラーの音は「OPN以降がもはや当たり前のものになった時代」のサウンドではないか。つまり「以降の以降」というフェーズが鳴っているように思えたのだ。洗練と深化の時代とでもいうべきか。
 じじつ、ワードカラーの『The Trees Were Buzzing, and the Grass.』には、声のコラージュ、柔らかい電子音、シンセサイザーのシルキーな音色とアルペジオなど、いまの電子音楽を考えるにあたって重要な要素がすべて揃っている。そう、『The Trees Were Buzzing, and the Grass.』は、2022年に聴く「いまの音」であり、2022年以降の新しいモードを模索するためにも重要なアルバムである。
 コラージュとシンセサイザー・電子音楽のいまとその先へ。新しい情報密度を持ったエレガントなエレクトロニック・ミュージックがここにある。例えばカテリーナ・バルビエリの2022年作『Spirit Exit』とともに聴き込みたいアルバムではないかと思う。

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