「AY」と一致するもの

interview with Jon Hopkins - ele-king

 60年代のカウンター・カルチャーの夢のいくつかは、今日では先進国においてそこそこ普通になっている。たとえば大麻の合法化(日本は除く)、同性婚(日本は除く)、そして瞑想(日本も含む)——で、この話はジョン・ホプキンスに繋がる。その昔ブライアン・イーノとともにコールドプレイをプロデュースしたこともあるホプキンスは、最初は「クラシック・ピアニスト上がりのポップ・エレクトロニカ/ポップ・アンビエントの騎手」として注目され、〈ドミノ〉レーベルを拠点としつつ、インディとテクノとアンビエントが合流する領域において幅広いリスナーに支持された。ことに母国のイギリスでは、ホプキンスは(アンダーグラウンドではなく)ポップ・フィールドで活躍するビッグネームのひとりである。
 ホプキンスの特徴はクラシック音楽を経由したロマン主義的な作風にある。彼の作品は総じて叙情的で、いたって情熱的で、物語性を有している。まあ、手短にいえば劇的なのだ(つまりヴァーティカル=垂直的ではない)。それはエレクトロニカ/アンビエント/ダウンテンポに焦点を当てた2008年の出世作『Insides』にも、ダンサブルな展開を見せた2014 年の人気作『Immunity』にも言えることで、高い評価を得た2018年の『Singularity』もまた起伏に富んだホプキンスらしい作風ではあったが、彼はこの内省的なアルバムにおいて毎日欠かさずやっている瞑想からのインスピレーションを具現化した。超自我的なトランシーなヘッド・ミュージックがその作品では意識的に追求されているわけで、今回の新しいアルバムはそれをさらに突っ込んだもの、それは精神の治癒としての音楽で、「サイケデリック・セラピー」という直裁的な言葉を表題としている。
 サイケデリックという文化も60年代の産物で、LSDなるドラッグを触媒にしたカウンター・カルチャーの一部だった。それこそジョン・レノンが「いま見えている世界は誤解」と歌ったように、違った世界を見ることは世界観を相対化することにつながる。そこでホプキンスだが、彼はどうやら今回はドラッグの力を借りずに違った世界を体験し、そしてそれをリスナーとシェアしたいと思っている。とはいえ、ホプキンスの「サイケデリック」はカウンター(抵抗文化)ではない。多くの現代人とりわけ企業人に求められているもののひとつだったりする、しかもわりと切実に。(ポポル・ヴーがカフェ・ミュージックになる日も近いだろう)
 アルバム『ミュージック・フォー・サイケデリック・セラピー』の制作プロセスはじつに興味深い。それは彼が2018年にエクアドルのアマゾン流域の地下60メートルに広がる巨大な洞窟で数日間過ごしたという体験に端を発している。以下、インタヴューのなかでホプキンスはその体験とコンセプトについて詳説している。

ぼくは幸運にもサイケデリックの世界へ導かれ、それを体験することによって音楽にも良い影響がでたんだ。だからサイケデリックな体験を通してセラピー的なサウンドトラックを作りたいと思ったしね。

今日はお時間を作っていただきありがとうございます。とても美しく、そして体験的でリスナーに違う世界を見せようとしている音楽だと思いました。

JH:そんな風に言ってもらえて光栄だよ。そういう意図でこのアルバムを作ったから。

あなたの新作を聴きながらまず思ったのは、21世紀の今日において、サイケデリック・カルチャーはどのように有効なのかということです。というのは、60年代にせよ90年代にせよ、ドラッグ体験は人生を見つめ直す契機、かなりインパクトのある契機として広がりました。自分の生き方は間違えていた、人生はこんなものじゃない、みたいな。しかしながら、資本主義に人生が規定されまくっている現代では、生き方の選択がかつてのように多くはありません。こんな時代において、それでもサイケデリックにこだわるあなたに興味を覚えて、今回は取材のお願いをさせてもらいました。

JH:わかった。

そもそもクラシックを学んでいて、初期の頃は綺麗めなエレクトロニカやダウンテンポなどを作っていたあなたが、どこでどうしてサイケデリック・カルチャーに惹かれていったのか興味があります。前作『Singularity』においては瞑想が重要だったと話してくれましたが、何がきっかけで、そしてどのようにしてカルロス・カスタネダやテレンス・マッケナ(※90年代初頭に注目されたDMTなどの幻覚作用の研究者。新作のコンセプトにおけるキーパーソン)の世界へと進入していったのでしょうか? 

JH:ぼくは幸運にもサイケデリックの世界へ導かれ、それを体験することによって音楽にも良い影響がでたんだ。だからサイケデリックな体験を通してセラピー的なサウンドトラックを作りたいと思ったしね。君が述べたように、いまのサイケデリック文化は60〜90年代とは違っていて、現代では科学主導でサイケデリック体験をセラピー、そして薬として健康へアプローチする動きが出てきている。その体験は人びとを開放するけど予測もしがたく、これらの体験による治療の最適な方法はまだ定かではなくて、もしネガティヴな方向へ行ったら危険だからね。
 君が言うように、資本主義のなかで人びとは仕事によってメンタルヘルスが侵されている。人びとの単調な毎日によるメンタルヘルス問題は深刻で、メンタルヘルスはまだ開拓が進んでいない分野だと思う。ただ毎日薬を与えれば良くなるものでもないしもっと複雑なものだよ。化学物質による脳への作用だけでなく、いまサイケデリック体験による純真さ、喜びなど人びとが自分の心と再び繋がれるアプローチが必要とされている。こういった流れのなかでぼくは音楽を作る役割があると思うし、ぼくの音楽を聴いて他のアーティストが影響を受けてさまざまな音楽を作ってくれたらいいと思うよ。脆弱な立場の人びとにはさまざまなタイプの音楽が必要だからね。

そしてあなたはアマゾンの巨大な洞窟群にたどり着いた。そのときの模様は今作のブックレットに記されていますが、とても興味深かったです。あなたは洞窟のなかで、細いロープを頼りに60メートル下の地下世界に降りていった。本当に危険な冒険だったと思うのですが、そこであなたはいままで経験したことのない静かな世界に出て、日光の届かないその場所で、風変わりで美しい動物たちに囲まれながら4日間過ごしたそうですね。そこで得られた音世界がこのアルバムの出発点になったということですが、まずはその4日間についてもう少し詳しく教えてください。そこはいったいどんなところで、どんな動物たちがいたのでしょうか?

JH:2018年に洞窟へ誘われて数日間滞在した。そう、この経験がアルバムの出発点となったんだ。誘われた際に、「面白そうだな」と思ってすぐに行くことを決めた。最初はどんなところか深くは考えなかった。いろいろと体験するのが好きなので、どんな場所か行ってみて実際に驚いてリフレッシュできるような体験がしてみたかった。細いロープをつたって60メートル下の暗闇に向かって降りていくのはとても恐怖を感じたし、そこは行く前に想像していなくてよかったよ(笑)。下に降りると、まず細い道を進まなければならず、その後メインエリアとしてキャンプできる広くてとても美しいところに到達した。そこは人類に荒らされた形跡もなくてとても静かな場所だった。土は柔らかくテントも立てられて非常に快適にキャンプができたんだ。本当に魅惑的で素晴らしい場所だったのでたくさんの音楽へのインスピレーションを得ることができたね。

あなた以外にも神経科学者をはじめ数人いたようですが、衣食住など、どのように生活していたのでしょうか?

JH:ぼくらは合計12人のチームだった。まず安全な旅へと導いてくれる洞窟を知り尽くした頼りになるガイドたちがいた。誰も経験したことのない旅だったので彼らの存在はとても心強かった。それから写真家、神経学者、アーティストが2名、他のミュージシャン、そしてぼくとさまざまなバックグラウンドでチームは編成されていた。
 実際そこで3泊4日過ごしたんだけど、キャンプサイトから15分ほど歩くと、1カ所だけ、地上の森に穴が空いているところがあって、昼になるとそこから日光が差し込むんだ。それ以外は完全な暗闇のなかだったんで、キャンドルや懐中電灯の灯りで過ごした。一筋の光が差し込むその場所はとても神秘的で美しくかったな。毎日のようにそこに通った。そんな非日常の世界を積極的に受け入れて探索したんだ。
 毎日ハイキングやクライミングもしたけど、キャンプでただ座って瞑想したり、ゆっくり過ごしたりもした。写真家は写真を撮らなければいけないので動きまわっていたけれど、ぼくは洞窟の音を録音する作業以外にはとくにやらなければならないこともなかったし、それも1時間くらいで終わる作業だったので、他の時間はアクティヴに出かけるのとリラックスすることが半々くらいだったね。ぼくはスピーカーを持ち込んで洞窟の自然形状に音を反響させたものを録音したんだ。
 食事はガイドの人たちがドライフード、缶詰、インスタントラーメン、パスタなどを持参して提供してくれた。洞窟暮らしは楽しかったし、洞窟の奥へはハイキングやクライミングをしに行ったりして、キャンプに戻って食べた食事はとても美味しかったし、なんとか快適に過ごしたよ。

そこでは何か幻覚を促すようなことはされたのですか

JH:いや、まったく。ぼくは普段もそういった行為はとくにしないしね。現地の先住民族は洞窟で儀式としてアヤワスカを使う習慣があるんだけど、ぼくたちはトライしなかった、というか、したいという欲望もなかったよ。ぼくは完全にシラフな状態で洞窟での出来事を感じたかったし、じっさいにとても貴重な体験になった。

それは、あなたのこれまでの人生もっとも強烈なエクスペリエンスだったと言っていいのでしょうか?

JH:うん、その通りだね。過去に冬山に登るなど冒険したことはあるけど、地下へ行くのは初めてだったから。 

[[SplitPage]]

細いロープをつたって60メートル下の暗闇に向かって降りていくのはとても恐怖を感じたし、そこは行く前に想像していなくてよかったよ(笑)。下に降りると、まず細い道を進まなければならず、キャンプできる広くてとても美しいところに到達した。そこは人類に荒らされた形跡もなくてとても静かな場所だった。

アルバムのなかには水の音が入っていますが、これは水が流れている音なのですか? ほかにもどんな音が録音されたのでしょう? 鳥の声のような音もありますよね?

JH:アルバム前半を構成する洞窟のトラックで聞こえる自然音は、あそこで録音されたものなんだけど、これはぼくが録音したものではない。同行したメンダル・ケイレンという神経学者、彼は野外録音のプロでもあるので、彼の専門機材を使用して録音したものなんだ。彼は毎朝早起きしていろいろな音を撮りに出掛けていた。。
ぼくは持ち込んだPCでクリスタルボウルのようなサウンドをいち音だけ出し、50メートルほど離れた洞窟のむこうの端で反響した音をメンダルの機材によって録音した。アルバムのCaves(洞窟)というトラックを聴くと最初に大量の水が流れる音が聴こえて、これは洞窟を削った川の音。その水が洞窟に注がれ、鳥の声へと続き、新たにひとつの音が聴こえてくると思うけど、これが構成部分の始まりなんだ。

アルバムは あなたのこの体験——洞窟を降りていって、もうひとつの世界に到着しての経験——を音楽によって表現しているということでしょうか?  つまり、このアルバムを通して我々はあなたが見てきた世界を疑似体験 できるかもしれないと?

JH:そうだね。ぼくの感情、エネルギーだけでなく、洞窟で見て、聞いて体感した奇妙さというかそこでの神秘的なものを表現しているんだ。ぼくはサウンドや音楽が専門なので、言葉としては洞窟での体験を完全には表すことができなくて、もちろん何を見た、どう感じたかは言えるけど。音楽は、洞窟内にある人類が手を加えてない完全なる生態系の存在、それに対するぼくの感情などを人びとにうまく伝えられるひとつの手段だし、なのでぼくは音楽を創造するよ。

セラピーという言葉が浮かんだ理由を教えてください。“幻覚セラピー”のセラピーとは、この音楽がたんなる快楽のためにあるのではないということ、そしてこの音楽の有益性をほのめかしてもいます。

JH:サイケデリック・セラピーは現在世界中でやっと合法的なセラピーの形として成り立ってきた。しかしまだサイケデリック・セラピーのなかで音楽の健康における有益性は語られていない。そういうなかでぼくが小さな波をおこし議論を広げていけたらと願うね。サイケデリック分野にむけた音楽制作として、ぼくが思うに今回のアルバムはふたつの役割があって、ひとつは過去制作してきたのと同様にアルバムそのものとしての役割。もうひとつはセラピー体験ができるサウンドトラックとして。音楽にはセラピーのパワーがあると信じているし、それは薬を併用するかしないかは関係なく、音楽そのものが心を開放するパワフルなセラピーとして、つまりサイケデリックそのものだよ。

強烈な幻覚体験をした人が作った音楽は、その強烈さの共有を望むあまり、過剰なトランスになってしまいがちだと思います。ぼくがあなたのこの作品で好きなところは、リスナーに対しての強制するところがないところです。無視することもできるという意味では、サティやイーノのアンビエント・コンセプトに近いものだとも言えると思いますか?

JH:いや、それはちょっと違うな。もし小さい音量でリラックスしながら寝転がって聞いていたらそういう(無視できるような)風にも捉えられるんだろうけど、ぼくはいいスピーカーで大きな音量で聴いてもらえるよう意図して制作したし、ぼくにとってこれはアンビエントではなく、感情的で情熱的な経験を伝えるものなんだ。もちろん作品を仕上げてリリースした後はどう聴いて捉えるかはリスナー次第だし、それはコントロールできないけど。もしぼくの意図を知りたいのなら、いいヘッドフォンで大音量で聴くことを薦めるよ。意図して盛り込んだビートもあるし、リラックスして聴く音楽ではないんだ。なのでもちろんバックグラウンド・ミュージックとして楽しむこともできるけど、アンビエントではない。イーノを例にあげたように無視することもできる興味深い音楽ではないね。ぼくの意図はアンビエントという方向ではなく、もっと激しいものなんだ。静かな部分もあるけれど後半はまったくそうではないし。なのでリスナーには大音量で聴いて欲しいな。

サイケデリック・セラピーは現在世界中でやっと合法的なセラピーの形として成り立ってきた。しかしまだサイケデリック・セラピーのなかで音楽の健康における有益性は語られていない。そういうなかでぼくが小さな波をおこし議論を広げていけたらと願うね。

今作を制作するうえでのイクイップメントで、なにか特別なことをされましたか?

JH:とくに何も変えてはいないよ。ぼくはエイブルトンというとてもクリエイティヴなプログラムを使っているけど、強いて言えば、3月のアルバム制作中にスタジオを引っ越したことかな。ちょうど曲を書いている途中、もう終盤だったけど。前のスタジオは小さな部屋で自宅から離れていたのでコロナ禍でも毎日通っていたけれど、3月に自宅に併設した新しいスタジオが完成した。素晴らしいスタジオでそこでアルバム制作を終えることができたのはとても嬉しかったよ。
機材に関してはMoogOneというシンセをよく使ってたし、事前録音されたバイオリンなどの処理されたアコースティック音源もTayos Cavesの隠し味として使った。弦や管楽器のオーケストラ演出みたいにね。隠し味なのであまりわからないだろうけど。また再サンプリングや処理された音(processed sounds)もたくさん使ったかな。アルバム後半でベル音が聴こえると思うけど、これはベルではなくてぼくがガラスを弾いて出た音を録音したものでね。自分のまありにある世界に心を開いて、まわりの音に興味を持って色々試したんだ。

最後の曲に入っている朗読は、テレンス・マッケンナの本からの言葉でしょうか? 

JH:これはラム・ダスの言葉だよ。これを入れた目的はアルバムの締めくくりとしてで、取り入れたのはラム・ダスの1975年の昔の言葉なんだけど、彼が語りかけているのは、本当の自分とは何なのか、自分の両極性、思考のさらに向こうに存在するものを見つけ、精神を落ち着かせて心を開き、精神のざわつきに惑わされず身体の、そして心の奥底にあるものに集中するよう、身体にとらわれずに本来の魂でいるように、と説いていると思う。意識のある思考ではなく心で生きるように、とね。

いまでも1日2回、20分の瞑想を欠かさずされていますか? 

JH:その通り、ぼくは毎日瞑想をしていて、ぼくがやってるのはトランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想)なので、集中する必要はないし簡単にできるんだ。現代では常にいろいろなモノの誘惑があり、惑わされるけど、トランセンデンタル・メディテーションではマントラを心で唱なえがらも、いろんな思考が沸き上がってくるのはOKなんだ。そのほうが自然だし楽だよね。ただ座って集中しなきゃってのは何だかストレスがかかるしね。朝起きて20分、夜夕食前とかにもするから1日2回合計40分やっているんだけど、椅子にリラックスして座って、ただ自分の心のなかでマントラを繰り返すんだ。

いつからこの瞑想をしているのですか?

JH:トランセンデンタル・メディテーションをはじめたのは2015年から。その前は2001年から呼吸法を主にした禅スタイルにも近いヨガの瞑想法を学んで20年ほど実践していたけど。トランセンデンタル・メディテーションに出会ってからより楽に毎日瞑想できるようになった。瞑想をはじめたきっかけは、20代前半に慢性的疲労症候群にかかったことで、アドレナリンが出過ぎてしまう病気で、筋肉も疲れてたんだけど、21歳のときかな、なんとかしなくてはと必要に迫られ、内側から自分を癒す必要があると思って瞑想をはじめた。そこからぼくの人生に欠かせない一部となった。瞑想に出会ってなければいまのぼくはいなかったかも。

最後にリスナーへのメッセージをお願いします。

JH:そうだね、リスナーがこのアルバムを楽しんで聴いてもらって、この厳しい時代に新しい視点を持ってくれてそれが彼らの助けになれば嬉しいな。願わくば大音量で良い音質で聴いてもらいたいよ。楽しんでもらえればそれがいちばんだけど。

ザ・レインコーツのファンも
ポスト・パンク・ファンも
ラフトレードのファンも必読の書で、
あなたの人生観を変えるかもしれない名著です

いま日本でようやく公開される1979年ロンドンのアナーキー&フェミニズムの世界へようこそ。ジョン・ライドンもカート・コベインも愛した奇跡のバンド、その革命的なデビュー・アルバムとメンバーの生い立ちからそれぞれの歌詞や彼女たちの思想について、『ピッチフォーク』の編集者がみごとな筆致で描く。

1979年、ロンドンで結成された女性4人組のバンド、ザ・レインコーツ。そのデビュー・アルバムは、新しい文化潮流の重要起点になったという意味において、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストやセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』などと同じ類いの作品であると21世紀の現代であれば言えるだろう。

この家父長制的な社会において、長いあいだ不当な扱いを受けながら、その後の多くの女性音楽家たちを勇気づけたそのバンドの名作の背景が、いまここに明かされる。

舞台は1979年のロンドン、拠点となったのは、マルクス主義とフェミニズム思想の影響をもってオープンしたレコード店〈ラフトレード〉。

店が立ち上げたレーベルからデビューしたザ・レインコーツは、当時ジョン・ライドンがもっとも評価したバンドだった。のちにカート・コベインがそのレコードを買うためにメンバーが働いていたアンティック・ショップにまで足を運ぶほどの熱烈なファンだったことでも知られる。

『ザ・レインコーツ』はポスト・パンク・ファン待望の一冊であり、いまだ家父長制的な文化が優位なままの日本の未来のためにも、まさにいま読むべき一冊だ。最高の読後感が待っています。

目次

収録曲 Tracklist
序文 Preface

1 One
2 Two
3 Three
4 Four

結びに Epilogue
謝辞 Acknowledgments
引用・参照資料 Works Cited
索引
編者による補足

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
HMV
TOWER RECORDS
disk union
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

P-VINE OFFICIAL SHOP
SPECIAL DELIVERY

全国実店舗の在庫状況
紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA
未来屋書店/アシーネ

rei harakami - ele-king

 今年で没後10年を迎えたレイ・ハラカミ。彼が音楽家としてデビューする以前、映像作家だった時代に発表していた2本のカセットテープ作品がリマスタリングを施されリイシューされる。フォーマットはCDとカセットテープの2種類で、12月29日発売。4トラック・カセットMTRなどで録音された貴重な音源に触れられる絶好の機会を、お見逃しなく。

『rei harakami / 広い世界 と せまい世界』
日本が世界に誇る、今は亡き音楽家rei harakami(レイ・ハラカミ)が、デビュー前に4トラック・カセットMTR等で宅録して発表された、
幻のカセットテープ音源『広い世界』と『せまい世界』が、リマスタリングされ貴重なアーカイヴ音源として改めて世に放たれる!!

音楽家のレイ・ハラカミのデビュー前、映像作家の原神玲として活動していた時代に、カセットテープで発表された2本の作品を、改めて世に送り出します。
未発表音源ではありません。限られた範囲でしたが、外に向けて発表された音楽が収められています。大仰な言葉でこの音楽を紹介すると、レイ・ハラカミに叱られると思いますから、控えめに言います。傑作です。(原 雅明 ringsプロデューサー)

マスタリングは、当時のカセットテープをマスターとして使用し、レイ・ハラカミ作品の再発レコード盤のマスタリングを担当してきた、山本アキヲによるもの。
また、ジャケットの油絵は、レイ・ハラカミのジャケットやその他グッズなど一連のキャラクターの絵を担当しているtomokochin-pro(Tomoko Iwata)、ジャケットのデザインは、contrast 真家亜紀子が手掛けている。

アーティスト : rei harkami(レイ・ハラカミ)
タイトル : 広い世界 と せまい世界

発売日 : 2021/12/29
レーベル/品番 : rings (RINC83)
フォーマット : 2CD
価格:3,000円+税
バーコード:4988044071568

発売日 : 2021/12/29
レーベル/品番 : rings (RINT1)
フォーマット : CASSETTE TAPE(限定盤)
価格:2,273円+税
バーコード:4988044071575

Official HP : https://www.ringstokyo.com/rei-harakami-hiroisekaisemaisekai

政治家失言クロニクル - ele-king

なぜ、こんな発言を繰り返すのか……
「妄言」「暴言」「迷言」でたどる、ニッポンの戦後史!

政治家の失言は社会を映す鏡。その変遷から社会の変化が見えてくる!

気鋭のカルチャー批評コンビが、戦後の日本社会を騒がせた数々の失言をピックアップ。
失言を通してコンパクトに日本の戦後政治史を学べる一冊です。

失言リストより
「日本の朝鮮統治は恩恵も与えた」(久保田貫一郎)
「現行憲法は他力本願」(倉石忠雄)
「佐藤栄作さんは財界のちょうちん持ち、財界の男メカケだ」(青島幸男)
「社会党、共産党は日当五千円で学生を暴れさせている」(荒船清十郎)
「日本は単一民族だから教育水準が高い」(中曽根康弘)
「アッケラカンのカー」(渡辺美智雄)
「なりたくて首相になったんじゃない」(宇野宗佑)
「どの女と寝ようがいいじゃないか」(小沢一郎)
「アメリカでは停電になると、必ずギャングや殺し屋がやってくる」(森喜朗)
「長野県でエイズ患者が増えているのはオリンピック絡みである」(加藤紘一)
「不法入国の三国人などの騒擾事件には治安出動してもらう」(石原慎太郎)
「投票に行かないで寝ててくれればよい」(森喜朗)
「非武装中立論ほど無責任な議論はない」(小泉純一郎)
「女性は子どもを産む機械だ」(柳澤伯夫)
「私の友人の友人がアルカイダ」(鳩山邦夫)
「ナチスの手口を学んだらどうか」(麻生太郎)
「まず自分が産まないとダメだぞ」(大西英男)
「まだ東北でよかった」(今村雅弘)
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(安倍晋三)
「『生産性』がない」(杉田水脈)
「戦争しないとどうしようもなくないですか」(丸山穂高)

目次

まえがき
第一章 終戦から55年体制へ 1945~1963年
 現代とは質の異なる「失言」/翻弄される「革新」/ラジオの時代/バカヤロー解散/55年体制の成立と核の脅威/太陽族と石原慎太郎の登場/声なき声
第二章 高度経済成長の時代 1964~1988年
 高度経済成長から政治の季節へ/過去の単純化/テレビの普及と学生運動/社会の安定と労働運動の退潮/サブカルチャーと政治/メディア政治の始まり/右派のロマンとサブカルチャー/新中間層の登場/ジャパンアズナンバーワン時代とミスター80年代/単一民族幻想と日本特殊論/バブル絶頂下での政治意識
第三章 平成初頭 1989~2011年
 90年代の政治意識/サブカルと政治/大変動と「政治離れ」のはじまり/ナショナリズムの台頭/タテマエとホンネ/デフレと文化/世紀の変わり目/曖昧な不満と小泉フィーバー/自己責任論と脱社会傾向/どんよりしていく時代/麻生政権のゼロ年代性/ネットという「現場」
第四章 失言2.0 2010年~
 ネットで政治を語る/エモさと軽さ/加熱するネット情報戦/動員と扇動/政治のサブカル化/エコーチェンバー空間/変わりゆくものと変わらないもの/コロナ禍とオリンピック
テーマ編その1 歴史認識と軍事
 「ぶっちゃけ」の台頭/失言の活性化する80年代/戦後50年決議/記憶の書き換えと歴史戦/「心地よい物語」に抗する多元的な思考
テーマ編その2 核と原子力
 戦後日本にとっての「核」/原発の建設と科学への信頼/テクノロジーを前提とした生活
テーマ編その3 差別
 差別発言の増える80年代/外国人労働者の増加
まとめ対談
あとがき

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
HMV
TOWER RECORDS
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

全国実店舗の在庫状況
紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA
未来屋書店/アシーネ

Koji Nakamura+食品まつりa.k.a foodman+沼澤尚 - ele-king

 これは期待の膨らむコラボだ。アンビエントをはじめ幅広い活動を繰り広げるナカコー、今年〈ハイパーダブ〉から新作を送り出したプロデューサーの食品まつり、大ヴェテラン・ドラマーの沼澤尚(ナカコーとの関係も深い)によるライヴ・セッションが音盤化される。いろんな要素がクロスオーヴァーした音楽に仕上がっているようだが、はてさて、いったいどんなサウンドが鳴り響いているのか……発売は年明け後の1月12日。いまから楽しみです。

ナカコー×食品まつり×沼澤尚!
待望の初音源リリース決定!!

三者三様、独自の音楽観に定評あるクリエーターよる膨大なセッション音源をナカコーがトリートメント! 静寂の中の心地良さにどこか引っ掛かりを残したアンビエント的オルタナティブポップミュージック!

Koji Nakamura (electronics)、食品まつりa.k.a foodman(electronics)、沼澤尚(Dr)がスタジオに入り素材録音ために敢行した即興的なライブセッションをナカコーがトリートメント(Extraction、Edit、Mix)した全7曲のアルバム『Humanity』が2022年1月12日にリリースとなります。

アンビエント、エレクトロポップ、ダンスミュージック、ロックがクロスオーバーした一種のオルタナティブなポップミュージックはニューノーマルな日常にピッタリ寄り添う今日的な録音作品と言えます。

[リリース情報]
アーティスト:Koji Nakamura+食品まつりa.k.a foodman+沼澤尚
タイトル:Humanity
レーベル:felicity / P-VINE
品番:PCD-18891
フォーマット:CD / 配信
価格:¥3,300(税込)(税抜:¥3,000)
発売日:2022年1月12日(水)

[収録曲]
M1. no.1
M2. no.2
M3. no.3
M4. no.4
M5. no.5
M6. no.6
M7. no.7

[プロフィール]

【Koji Nakamura】
1995年地元青森にてバンド「スーパーカー」を結成し2005年解散。その後、ソロ活動をスタート。アーティスト活動他、コンポーザーとしてCMや劇伴、多くの楽曲提供を行う一方、バンド「LAMA」「MUGAMICHILL」としても活動中。また日本のアンビエントを牽引すべく、『HARDCORE AMBIENCE』をduennと共に主宰し、映像やライブを展開中。

【食品まつりa.k.a foodman】
名古屋出身の電子音楽家。2012年にNYの〈Orange Milk〉よりリリースしたデビュー作『Shokuhin』を皮切りに、現在までNY、UK、日本他の様々なレーベルから作品がリリースされている。また、2016年の『Ez Minzoku』は、海外はPitchforkのエクスペリメンタル部門、FACT Magazine, Tiny MixTapesなどの年間ベスト、国内ではMusic Magazineのダンス部門の年間ベストにも選出されてた功績を持つ。

【沼澤 尚】
ドラマー。LAの音楽学校P.I.T.に留学。JOE PORCARO,、PALPH HUMPHREYらに師事し、卒業時に同校講師に迎えられる。2000年までLAに在住し、CHAKA KHAN、BOBBY WOMACK、AL.McKAY&L.A.ALL STARS、NED DOHENY、SHIELA E.などのツアーに参加し、13CATSとして活動。2000年に帰国して以降現在まで、数えきれないアーティストのレコーディングやライブに参加しながらシアターブルック,blues.the-butcher-590213で活動中。

Space Afrika - ele-king

 BLMに呼応したミックステープ『Hybtwibt?』を経ての、Josh Reidy & Joshua Inyang によるマンチェスターのデュオ、スペース・アフリカによる待望のフル・レングス・アルバム『Honest Labour』。今夏の夜空の下……から隔絶されたクーラーの聴いた薄暗い部屋で最も良く聴いたダウンテンポ~ダブ・アンビエントかもしれない。その名前のように、ある種のアフロフューチャリズム的な世界観はそこにはあるが、しかしそれはPファンクのようなぶっ飛んだ宇宙探訪ではなく、インナースペースへと突き進んでいくタイプのものだ。

 もともとは彼らといえばロッド・モーデルなどのいわゆるベーシック・チャンネル・フォロワー的なミニマル・ダブ・サウンドに呼応する一群のワン・オブ・ゼムといったところであった。現在はお聞きのようにビートは後退し、フィールド・レコーディングやカット・アップ~サウンド・コラージュ的なサウンドへと様変わりしている。やはりサウンドが大きく変化し、彼らの存在をより多くの人びとに知らしめたのは、2018年のダブ・ダウンテンポな『Somewhere Decent To Live』ではないだろうか。シンセの残響音が霧散しながら空気に渦を巻く、うっすらとしたベースラインを揺らし、おぼろげな世界を陰鬱に描いてく。またそのサウンドはここ数年、ある種のヴェイパーウェイヴ以降のミニマル・ダブの発展系として、新たな動きとなっている感もあるフエルコ・S周辺のアヴァンギャルドなアンビエント・テクノの一群とも共鳴する感覚もある。

 2020年には、コロナ禍を経て、一気に吹き上がったアンチ・レイシズムの動きに呼応し、NTSでのレジデンシー番組を、再編集し、BLM、その周辺の支援ドネーションを募った『hybtwibt?』をリリースした。この作品ではフィールド・レコーディングやヴォイス・サンプルなど、さまざまなコラージュによって、殺伐とした現実を断片的に投影することで浮かび上がらせていた。そのサウンドはコラージュ・アンビエントだが、アフリカ系の彼らにとって、それは当たり前のことではあるが、どこか静かに怒気をはらんでいる、そんなサウンドであった。またこうした作品の後、マンチェスター出身のヴィジュアル・アーティスト、詩人、映像作家である Tibyan Mahawah の作品に OST として提供したシングル「Untitled (To Describe You) [OST]」もリリースしている。陶酔的な『Somewhere Decent To Live』とこれらの作品の違いはやはりなんといってもカットアップ&コラージュ。現実を断片的に霧散させながらも意識に投影させていく、逃避だけではなく、ある種の現実へのアプローチを感じるものだ。

 Joshua のルーツとなるナイジェリアの家長にちなんで名付けられたという本作は、『Somewhere Decent To Live』の陶酔観と、こうした作品のコラージュ感がミックスされた作品だ。コラージュ・サウンドのスタイル的にはディーン・ブランドの諸作も思い起こさせる、全体的な感覚としてはトリッキーの『Maxinquaye』、ニアリー・ゴッド名義でもいいかもしれない。ダークでメランコリック、時にノスタルジーと不機嫌が同居する。ノイジーなダークコア・ジャングルのゴーストが断片となってノスタルジーを呼び起こす “Yyyyyy2222” にはじまり、トリッキーとマルチネの危ういランデヴーを想起させる “Indigo Grit”、不安定なノイズがザッピングしてくる “With Your Touch” では子供時代を不穏に呼び起こし、“Meet Me At Sachas” では雑踏の喧噪がループし、時が止まりながらもブレイクビーツが時を刻むが、「Oh! Shit!」という言葉とともにその雑踏は動きだす。こうしたコラージュ音の間を、雨音のようなノイズやゴシック調のシンセ音がかき消えては通り過ぎていく。幾重にも重ねられた現実の断片がまるで走馬灯のようにちりばめられている。また、いくつかの楽曲でラップやポエトリーが取り入れられたのも本作の特徴だろう。
 しかし、ダビーなダウンビートという全体の感覚は、やはりソファーで沈み込む怠惰な快楽を助長するものだ。そんななかインナースペースでトリップを続ける宇宙船から見た窓の外、忘却された過去を必死で呼び戻すようにさまざまなコラージュが迫ってくる。それはどこかメランコリックな忘却で過去を喪失させまいとする絶妙なるせめぎ合いのようでもある。覚めた目で現実を見ながら、怠惰にトリップする。そんな感覚が本作にはある。

 世界から物理的に隔絶された部屋、しかし意識はどこか覚めていて、殺伐とした社会の動きと孤独を認知しながら、同時にソファーに身を沈める怠惰な快楽へと沈殿する。外とつながりながらも隔絶された、そんなコロナ禍の静かに混乱した密室のサウンドトラックとしてこれほど相当しいものはなかったのだ。どうしても僕はニューエイジが描くユーフォリックなパラダイスには重くて飛べやしなかったのだろう。

Aya - ele-king

 むむむ、これはひょっとしたら新章のはじまりかもしれない。とはいえ、その萌芽は1980年代のレーガン政権下にまで遡る。ダナ・ハラウェイという学者は現実社会がリアルであると同時に政治的なフィクションでもあるように、「女性の経験」もまたファクトでもありフィクションでもあるという意味において政治的に意義深く、そして彼女はフェミニズムを論ずるうえで、機械(サイバネティクス)と生物(オーガニズム)のハイブリッドである“サイボーグ”というタームをメタファーに使った。それからおよそ35年後の今日、女性自らが描くマシナリーかつオーガニックなヴィジョンは、じっさいのところもう何も珍しくなくなっている。
 そこでマンチェスターのアヤ・シンクレア(※それまでLOFT名義で活動)による鮮烈なデビュー・アルバム『Im Hole』だが、まさにこれこそサイボーグのためのサイボーグによる音楽などとついつい喩えたくなってしまう代物なのだ。それに、なんといっても本作はエレクトロニック・・ミュージックの最前線だと言える。空間的に、そして緊張感をもってデザインされたリズムは変化し、テクスチュアは絶えず生成される。スリリングな展開の、じつに刺激的でユニークな作品なのだ。
 
 アヤは〈ハイパーダブ〉の申し子であるかのように、さまざまなリズムを吸引し変奏しているが、ハラウェイがサイボーグを「西洋的な起源の神話を欠いている」と、それを前向きに説明したように、ここではベース・ミュージック(おもにダブステップとグライム)、それからゴムを少々、あるいはヒップホップやテクノなどの雑食性がデジタルに、そして感覚的に解析され、統合されている。
 で、アヤのおそらくもっとも特異な点は、声(そして言葉)だ。個性があるとか美声とかそういう話ではない。むしろ非個性であり、父権社会における女の声という武器を放棄した声だ。詩人であり言葉の使い手としても秀でているという彼女は、自分を声を機械的に合成し、あたかも複数のジェンダーで語らせているかのようだ。たとえば“Once Wen't West”という曲では、女声は男声に変調されセックスさながらやがて同時に発語するその響き自体が聴きどころとなっている。何曲かのラップでも声の合成は試みられているが、ここにはクラフトワークのヴォコーダー(※もともとは軍の機密通信のためにあった)すら太古においやるほどの新鮮味があり、ドレクシアが非人間の声を創造したことと同じではないが似てはいる。人間らしいとカテゴライズされている生の声というもののいっさいを削除することによって逆説的に表象される生の声とでも言えばいいのか。
 周知のように、すでに我々の体内には子供の頃からさまざまな人工物が注入されている。ワクチンをはじめ、いろんな合法ドラッグ=化学薬品が投与されてきている。そういう意味ではすでに我々もメタファーとしてのサイボーグであって、しかも遺伝子組み換えキットが通販されているようなバイオイキャピタリズム時代の真っ只中を生きているのだから、自然と人工との境界線はますます曖昧になってきている。フィクションとしてのリアルはなにもヴェイパーウェイヴだけの話ではない(いや、あれはリアルの喪失ってヤツだからまた意味が違う。こちらはリアルの相対化ということ)。
 もっとも本人によれば『Im Hole』は「クィア・アートが繰り返し自己中心主義へと向かう傾向」への異議であり、「トランスジェンダー体験の文化的認識を妨げる自己実現と性的意識という扱いにくい組み合わせ」の両方に言及しているとのことで、てことは、声の合成は彼女におけるトランスジェンダー体験に依拠しているのだと思われる。
 ぼくの英語力では歌詞の詳細を紹介することができないけれど、わかる人にはそうとうなインパクトがあるそうで、そのイメージの錯乱と通底するニヒリズム、非エロティックなセックス描写などなど、いつか読めるときが来るといいなぁ。いまはサウンドを手がかりにこうして書くしかないとしても、アイデンティティ(人種や性別)を超えた親和力のひとつの描き方として、エレクトロニック・・ミュージックが応用されていることは理にかなっているし、そしてその他方で、『Im Hole』の先駆的な作品としてヴォコーダーを楽器として使ったローリー・アンダーソンの偉大なる『ビッグ・サイエンス』(1982年)が持ち出されるのもまったく納得する。政治的な洞察力をもって声の実験をポップに展開した“オー・スーパーマン”からいくつもの季節を経て、いまここに『Im Hole』があるというのは、これもまたじつに意義深い話だ。というか、アヤを聴いて、もう我慢しきれず、ついついレコード棚から『ビッグ・サイエンス』を引っ張り出してたったいま聴いているのだった。

Low - ele-king

 ロックはもはや若い音楽形態ではない。幼少期、不機嫌な十代、反抗的な青年期に中年の危機などを経て、そのパワーの大部分が、サウンド、コード、習慣やダイナミクスなどの馴染み深いものからきている。ロック・ミュージックのエモーショナルなビートは、私たちの中に焼き付けられており、簡単かつ快適に反応してしまうのだ。ロック・ミュージックを聴くことは帰郷することに似ている。

 しかし、ロックのパワーの多くは、驚き、スリル、そして衝撃を与えるなどの能力からもきている。そのため、ロックで経験する親しみやすさは、常に陳腐になりやすいという脅威にさらされてもいる。つまり、ロック・ミュージックのどこかの一角は、常に自己破壊と再構築の過程にあり、自分を見失い、手探りしながら家路を辿り、馴染み深い形に行き着き、思わぬ方法や新鮮な角度から新しい意味を見出しているのだ。

 Lowの2018年のアルバム『Double Negative』では、色々なことがとりあげられていたと思うが、そのひとつが、ロック・ミュージックがそれ自身を見失い、壊されていくということだった。かつての、穏やかで死者を悼むかのような哀愁のメロディやハーモニーは、デジタル・ディストーションの猛吹雪の中で聴かれようともがき、ヴォーカルは遠く不明瞭で、焦点からずれたり、消えたりしながら、曲たちはひとつにまとまろうとしつつ、その形は絶えずカオスの中に溶け込んでいった。

 その歪んだパレットが『Hey What』の出発点となり、オープニング・トラックの“White Horses”が不快な紙やすりのような唸りで幕を開けるが、ディストーションはすぐに短い、鋭く突くパーカッシヴな音に転換し、くっきりとしたクリアなハーモニーで、「Still, white horses takes us home(それでも、白馬が私たちを家に連れ帰ってくれる)”」と宣言する。『Double Negative』ではまとまりにくかった曲たちが『Hey What』では確実にノイズとディストーションの統制がとれており、それらを大胆でパワフルなアレンジの武器として配備しているのだ。

 Lowはこれまでにも、2002年の『Trust』の控えめなゴシック・グランジから〈サブ・ポップ〉からのデビュー盤となった激しく意気揚々としたロックの『The Great Destroyer』への移行のように、似たようなサイクルを繰り返してきた。これらのアルバムでは、ほとんどギター・ロックという馴染み深いパレットの枠組みのなかで操作されてきたが、2021年のLowは、楽器のサウンドの原形をとどめないほど、歪ませながらも、馴染みのロック風の結末のためにこれを利用している。SIDE Aは7分に及ぶ “Hey” で締めくくられるが、ここでは、脈打つ海底のノイズの壁が、反復する単一のヴォーカル・フックを包み込み、金目当ての制作者の手にかかれば、アメリカのティーンエイジャーのドラマのモンタージュのサウンドトラックとしても使えるようなものになっていたかもしれない。
 SIDE Bは“Days Like These”のヴォーカルのハーモニーとシンプルなオルガンではじまり、いまでは馴染みとなったノイズが打ち付けると、腹のなかで雷が鳴り響き、拳を振りあげる勢いで着地する。ほとんど安っぽくきこえてしまうが、それはやむを得ない。ロックの動きだからだ──観客は、イントロが始まると、銃を構えたロックンロール・バンドのギタリストがリフを繰り出すためにステージ上をうろつくのを待っている。Lowはその期待に応え、ロックのショーマンとして、正確にタイミングを計っているのだ。“More”ではそれがさらに顕著となり、いまではデュオとなった彼らの、ねじれた機材を通じてスコールのように合成される歪んだリフで聴衆に襲いかかる。

 『Double Negative』は、よくトランプ時代に渦巻くカオスとアメリカの国境を遥かに超えて広がる、すべてが崩壊していく無力感を表現しているといわれた。そのような破壊的な力に直面しても美しい何かを守り抜こうと苦闘する彼らの遠方の声には慰めがあり、『Hey What』はある意味、次のステップのように感じられる。ある種の解放感やカオス、敗れたというよりも利用されたこと、そして再びコントロールする能力を取り戻すという感覚だ。それをポジティヴととらえるのは、あまりにも単純すぎる──暗闇、悲しさ、絶望、不確かさに喪失感が歌詞に深く通底しており、音楽のもっとも鋭利な部分をもすり切れさせている──だが、少なくとも、馴染み深いロックのパワーが、未知で混乱した、刺激的な方向から新たに形作られていることがわかり、少し希望が持てるような気分になる。

-

Rock is no longer a young musical form. It has been through its childhood, stroppy teenage years, rebellious youth and midlife crisis, and a major part of its power comes from familiarity — of its sounds, chords, conventions and dynamics. The emotional beats of rock music are baked into us and we respond easily, comfortably to its manipulations. Listening to rock music is like coming home.

But a lot of rock’s power also comes from its ability to startle, thrill and electrify — experiences that rock’s ever-present familiarity always threatens to undermine in the form of cliché. This means that some corner of rock music is always in the process of destroying itself and reconstructing, losing itself and feeling its way back home, reaching those familiar shapes in unexpected ways or from fresh angles, giving them new meanings.

Low’s 2018 album Double Negative was probably about many things, but one thing it was about was rock music losing itself, being broken down. Melodies and harmonies that would have been gentle and mournful in the past here struggled to be heard amid blizzards of digital distortion, vocals distant and indistinct, fading in and out of focus as the songs struggled to hold themselves together, their forms constantly dissolving in the chaos.

That distorted palette is the jumping off point for Hey What, with opening track White Horses kicking the album off with a harsh sonic sandpaper growl, but the distortion quickly resolves itself into short, sharp, percussive stabs, the vocals kicking in in crisp, clear harmonies declaring “Still, white horses take us home”. Where the songs on Double Negative fought to hold themselves together, Hey What has a much more assured rein on the noise and distortion, deploying them as weapons in the service of bold, powerful arrangements.

Low have been through similar cycles before, with the transition from the subdued gothic grunge of 2002’s Trust to the explosive rock swagger of their Sub Pop debut The Great Destroyer. Where those albums operated mostly within the familiar palette of guitar rock, the Low of 2021 have twisted the sounds of their instruments out of all recognition, but they are still using it to recognisable and familiar rock ends. Side A closes on the seven-minute Hey, which wraps its pulsing wall of submarine noise around a single, repeated vocal hook that in more mercenary production hands could have soundtracked a sentimental montage sequence in an American teen drama. The second side then kicks off with the vocal harmonies and simple organ of Days Like These, and when the now-familiar noise storm finally hits, it lands with a thunder rumble in the gut and a fist-in-the-air rush. It feels almost cheesy, but that’s because it is: it’s a rock move — the audience knows it’s coming, like watching the gunslinger guitarist of a rock’n’roll band prowling the stage as an intro builds, waiting for him to drop the riff. Low play with these expectations, timing the moment of release with rock showmen’s precision. They’re even more explicit on More, assaulting the listener with gnarled riffs delivered through the synthetic squall of the now-duo’s twisted machinery.

Double Negative was often described as articulating the spiralling chaos of the Trump era and the broad sense extending far beyond America’s borders of feeling powerless as everything falls apart. There was comfort in those distant voices struggling to hold together something beautiful in the face of destructive forces, and Hey What feels in a way like a next step: a sense of release and of the chaos, if not defeated, rather harnessed, a sense of control regained. To describe it as positive would be an oversimplification — darkness, sadness, desperation, uncertainty and loss run deep through the lyrics and still fray even the music’s most confident edges — but it feels at least a little hopeful, finding the familiar power of rock shapes anew from a strange, disorientating and stimulating direction.

グソクムズ - ele-king

 いま少しずつ注目を集めているバンドがいる。吉祥寺を拠点に活動する彼らの名はグソクムズ。たなかえいぞを(Vo, Gt)、加藤祐樹(Gt)、堀部祐介(Ba)、中島雄士(Dr)からなる4ピースのバンドだ。はっぴいえんどや高田渡、シュガーベイブなどの音楽から影響を受けているという。
 結成は2014年。これまでに『グソクムズ的』(2016)、『グソクムズ風』(2018)、「グソクムズ系」(2019)などのミニ・アルバムやEPを発表、昨年は「夢が覚めたなら」「夏の知らせ」「冬のささやき」と立て続けにシングルを送り出し、この夏に配信で発表した「すべからく通り雨」がラジオなどで話題を呼んだ。
 そしてこのたび、その爽やかな曲「すべからく通り雨」が限定7インチ・シングルとして11月10日(水)にリリースされる。店舗限定とのことで、取り扱い店は下記をチェック。

"ネオ風街"と称される東京・吉祥寺の新星"グソクムズ”が、心の中をブリーズが通り抜けるような爽快感が心地良い激キラー曲「すべからく通り雨」を超限定7インチシングルにてリリース! ミュージックビデオも公開!

"ネオ風街"と称される東京・吉祥寺の4人組バンド"グソクムズ”。POPEYEの音楽特集への掲載やTBSラジオで冠番組を担当するなど、幅広い層からの注目を集める中、心の中をブリーズが通り抜けるような爽快感が心地良い激キラー曲「すべからく通り雨」の超限定7インチシングルを11/10(水)にリリースします。

印象的なジャケットはカネコアヤノ『よすが』のアーティスト写真/ジャケット写真で注目を集める小財美香子が担当。また本作のリリースに伴い松永良平(リズム&ペンシル)からのコメントが到着。

併せてNOT WONKやHomecomingsの作品等で知られる佐藤祐紀が監督を務めるミュージックビデオを公開します。

・グソクムズ - すべからく通り雨 (Official Music Video)
https://youtu.be/TE-rqPUvyuM

通り雨の街で

 傘がない、と50年くらい前に誰かが歌っていたけれど、今は雨がちょっとでも降ってきたらみんな傘をひらく。それも大きなビニール傘。いつ頃からだろう、自分だけはぜったい濡れたくないという気持ちが強くなりすぎて、傘だけどんどんデカくなる。相合傘道行き、と歌っていた人もいたっけ、やっぱり半世紀くらい前。あの愛すべきロマンチックな憂鬱はとっくに消え失せたのかも。
 すべからく、通り雨。グソクムズは2021年にそう歌う。いまどきの雨だから、きっとその雨は大雨だ。1時間に100ミリ超え。記録的短時間大雨情報。だから駆け出す。雨は手のひらにいっぱい。つつがなく通り過ぎ、さした夕日が憎たらしいね、と彼らは歌を続ける。
 ずぶ濡れの耳にも、雨に追われて息も切れるほど走ったあとでも、確かに届く街角の音を、グソクムズがやっている。雨宿りしている目の前を、情けない叫び声を上げながらこの曲が全力で駆け抜けていくのが見えた。音楽が、絵に描いたような街の景色じゃなく、彼らが生きてる現代の武蔵野の街そのままを一緒に連れてくるのを感じた。
 彼らのバンド・サウンドを、古さや新しさで測るつもりはない。通り雨に打たれたことがある者なら、髪から滴るしずくや水溜りの反射に映る汚れた街が美しく見える瞬間をご褒美に感じたことがあるだろう。その感覚は、今も昔も変わらないはず。そして、グソクムズの音楽は、直感的にその本質をつかんでいると思う。

──松永良平(リズム&ペンシル)

またパワープレイにも続々と決定しています。
2021年、快進撃を続けるグソクムズをお見逃しなく。

[パワープレイ情報]
グソクムズ「すべからく通り雨」
-----
・NACK5 11月度前期パワープレイ
https://www.nack5.co.jp/power-play
-----
・AIR-G'エフエム北海道「11月度POWER PLAY」
https://www.air-g.co.jp/powerplay/
-----
・α-STATION「11月HELLO!KYOTO POWER MUSIC」
https://fm-kyoto.jp/info_cat/power-play/
-----
・エフエム滋賀 「キャッチ!」11月マンスリーレコメンドソング
https://www.e-radio.co.jp/
-----
・J-WAVE (81.3FM)「SONAR TRAX」
期間:2021/8/1~8/15
https://www.j-wave.co.jp/special/sonartrax/
-----
・TBSラジオ「今週の推薦曲」
期間:7/26~8/1
https://www.tbsradio.jp/radion/
-----

[商品情報]
アーティスト:グソクムズ
タイトル:すべからく通り雨
レーベル:P-VINE
品番:P7-6290
フォーマット:7インチシングル
価格:¥990(税込)(税抜:¥900)
発売日:2021年11月10日(水)

■トラックリスト
A. すべからく通り雨
B. 泡沫の音

■取扱店舗
タワーレコード:渋谷店 / 新宿店 / 吉祥寺店 / 梅田大阪マルビル店 / オンライン
HMV:HMV record shop 渋谷 / HMV&BOOKS online
ディスクユニオン
FLAKE RECORDS
JET SET

[プロフィール]
グソクムズ:
東京・吉祥寺を中心に活動し、"ネオ風街"と称される4人組バンド。はっぴいえんどを始め、高田渡やシュガーベイブなどから色濃く影響を受けている。
『POPEYE』2019年11月号の音楽特集にて紹介され、2020年8月にはTBSラジオにて冠番組『グソクムズのベリハピラジオ』が放送された。
2014年にたなかえいぞを(Vo/Gt)と加藤祐樹(Gt)のフォークユニットとして結成。2016年に堀部祐介(Ba)が、2018年に中島雄士(Dr)が加入し、現在の体制となる。
2020年に入ると精力的に配信シングルのリリースを続け、2021年7月に「すべからく通り雨」を配信リリースすると、J-WAVE「SONAR TRAX」やTBSラジオ「今週の推薦曲」に選出され話題を呼ぶ。その「すべからく通り雨」を11月10日に7inchにて発売することが決定した。
HP:https://www.gusokumuzu.com/
Twitter:https://twitter.com/gusokumuzu
Instagram:https://www.instagram.com/gusokumuzu/

 9月4日、イギリス海軍が建造した史上最大で最強の航空母艦、HMS(女王陛下の)クイーン・エリザベス号が横須賀港に寄港した。アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を沈めた16世紀の女王の名を冠したこの船は、旧大英帝国がかつて足を踏みならしたシンガポールにも停泊しており、象徴性と政治性を存分に誇示したアジア・ツアーを敢行したわけだ。イギリスは、この巨大な新しい船を使って軍事力を見せつけた。まるで年老いた男が、ブリティッシュ・シー・パワーのグレイテスト・ヒッツを演奏するかのように。

 そのひと月前、バンド、British Sea Power(ブリティッシュ・シー・パワー)は、バンド名をより合理的なSea Power (シー・パワー)に縮めることを発表した。彼らは慎重に言葉を選びながら、“ブリティッシュ”を切ることは、イギリスそのものへの嫌悪を意味することではないと強調し、イギリスに限らず世界的な流れとしての、“ある種のナショナリズムの台頭による孤立主義や、敵対的なナショナリズムと混同されるリスクを回避したい”ということを理由にあげた。
 実際、そのようなナショナリズムの傾向は、イギリスでも明らかに問題となっている。「21世紀のヨーロッパのフェスティヴァルに参加した若者がプログラムを見て、“パワー”という言葉の横に“ハンガリアン”とか“ロシアン”という言葉を含むバンド名を目にした時に、どのようなことを連想するのかを考えてみてほしい」という彼らの問いかけは、“ブリティッシュ”という言葉も同じように不愉快で、暴力的なイメージを呼び覚ましてしまうかもしれない可能性を示唆している。イギリスのストリートや報道機関の多くが、ヨーロッパや外国人全体に対して敵意をむき出しにする雰囲気を増長させ、ポスト・ブレグジットに拍車をかけてしまっているのだ。

 20年前、バンドがブリティッシュ・シー・パワーという名前を選んだときには、それは道理に反してはいるが、コミカルなばかばかしさとして受け止められていたことは明らかだ。“ブリティッシュ・シー・パワー”は、侵略者に対する英雄的な戦いや、過ぎ去りし日の帝国の華やかな虚栄の古い物語だった。彼らのファースト・アルバム『ザ・ディクライン・オブ・ブリティッシュ・シー・パワー』(2003)は、取返しがつかぬほど変わってしまった場所から過去を振り返る、ノスタルジックで皮肉な声明だった。
 そのアルバムには、ある意味、戦後の大英帝国の衰退と、その誕生の際の産声がロックンロールだった新しいイギリスとが交錯していた。ザ・ビートルズの1964年の映画、『A Hard Day's Night (ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!)』では、彼らと同じ鉄道の車両に乗り合わせて閉じ込められた男が、「私はお前たちのような人種のために戦争で戦ったんだ」と叫び、敬意を要求したが、「でも勝利を後悔しているだろう?」とリンゴに反撃されている。その数年後には、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、イギリス軍の過去のイメージをとりあげ、ノスタルジーと時代錯誤的なばかばかしさを混ぜ合わせて、サイケデリックの領域に攻め込み、ザ・フーは、イギリス国旗とRAF(英国空軍)のラウンデル(円形の紋章)をポップ・アート・デザインのモチーフにしてしまった。

 ザ・キンクスは、アルバム『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』(1969)で、新世代ブリティッシュ・ロックの消えゆく過去への陶酔を、あからさまに、力強く表現した。一方、1990年代初頭には、ブラーなどのブリットポップ・バンドが過去のイギリスの皮肉でセンティメンタルなイメージ(シングル「フォー・トゥモロー」のジャケットに描かれたスピットファイア戦闘機や、アルバム『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』(1993)の蒸気機関車など)を利用し、60年代のブリティッシュ・ロックの栄光の日々と同時に、大英帝国の過去に対するブリティッシュ・ミュージックの奇妙に相反する、ノスタルジックでシニカルな姿勢の両方を描いてみせた。ブリティッシュ・シー・パワーというバンド名は、まさにこの壮大さ、喪失感、プライドと自虐的でドライなユーモアを想起させるのだ。

 しかし、このイメージが物語っているのは、内向きな、白人世界のイギリスの姿に過ぎない。1990年代はブリットポップの時代であったかもしれないが、同時にトリップホップ、コーナーショップのようなバンドやドラムンベースなど、イギリスの植民地時代の過去に連なる移民の2世や3世が、さまざまな経験や異なる文化的な視点から、イギリスらしさを再構築していたのだ。

 ブリットポップが使用していたノスタルジックで愛国的なイメージは、もとは社会批判が発端となっていたかもしれないが、すぐに、人びとが過去の大英帝国の郷愁に浸り、その皮肉が暗示する意味合いを完全には受け入れずにすむ、保護膜のような働きをした。やがてそのイメージがナショナリズムの象徴として常態化し、列車のなかの尊大な男が、ビートルズの騒々しいロックンロールを忌み嫌ったように、多文化の共生する現代国家に憤る人びとの、称讃の的となった。その結果、ブリティッシュ・シー・パワーのような名前に込められていた皮肉は効力を失ったのだ。ナショナリストたちは皮肉には取り合わないし、若者は皮肉を偽善的な行為を覆い隠すものとして疑ってかかる傾向が強まっている。

 そのような時代において、かつて帝国が支配した海を、国旗を振りかざしながら巡回し、何世紀にもわたる軍の戦いに敬意を表して付けられた名を持つ軍艦とは異なる種類のパワーを、バンドがEP「Waving Flags」(2008)のように定義しなおしたことは、正しかったのだろう。イギリスのように、どこにいても海岸から100キロ以内しか離れていないような場所では、海が強力な必然性を持ち、国民は天気や気候を左右する気まぐれな海に翻弄されて生活している。海は潮の入り江を行き来し、餌を与えたり、打ち付けたり、唸ったり宥めたりしながら、一定の島のシンフォニーを奏でているのだ。それは、国を世界から切り離すものであると同時に、どことでも繋がるものであり、その意味では、“Sea Power”は“Britain”(ブリテン=イギリス)という言葉で騒ぎ立てることを、ほんの小さな心配事にしてみせることに成功している。


'The changing meanings of "British Sea Power"'


Ian F.Martin

On September 4th, the aircraft carrier HMS Queen Elizabeth, the largest and most powerful warship ever constructed for Britain’s Royal Navy, docked at the port of Yokosuka. Named after the 16th Century queen whose navies sank the Spanish Armada, the ship had earlier stopped at the old British Empire stomping grounds of Singapore, so there was plenty of symbolism and politics on display in this Asian tour. Britain was using this huge new ship to flex its military muscles: an old man performing the greatest hits of British sea power.

A month earlier, the band British Sea Power had announced that their name would be shortened to the more streamlined Sea Power. They were very careful in their choice of words, stressing that cutting “British” didn’t signify any dislike of Britain itself, and placing their reasons in the global context of “a rise in a certain kind of nationalism in this world – an isolationist, antagonistic nationalism that we don’t want to run any risk of being confused with” rather than anything specific to the UK.

And yet those nationalist trends clearly are a problem in the UK. When the band ask us to imagine “a youngster at a European festival in the 21st century looking at the programme and seeing a band name including the word ‘Hungarian’ or ‘Russian’ alongside ‘Power’” and then think about what sort of images and associations might run through their head, they’re implying that the word “British” could raise similarly uncomfortable and possibly violent images — ones that the increasingly hostile atmosphere on some of Britain’s streets and in most of its press towards Europe and foreigners in general will have only encouraged post-Brexit.

When the band chose the name British Sea Power twenty years ago, it seemed obvious that the name was comically absurd: “British sea power” was an old story of heroic battles against invaders and the pomp of an imperial past long gone. Their first album title, “The Decline of British Sea Power” was a statement both nostalgic and ironic, looking back at the past from a place that had irrevocably changed.

In a way, the postwar decline of the British Empire is intertwined with a new Britain whose birth screams were the sound of rock’n’roll. “I fought the war for your sort,” was the pompous demand for respect of a man trapped in a railway carriage with The Beatles in their 1964 movie A Hard Day’s Night, only for Ringo to fire back, “I bet you’re sorry you won.” A couple of years later, they used Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band to take military-edged imagery from Britain’s past and push its mix of nostalgia and anachronistic absurdity into the realm of the psychedelic, while The Who turned the national flag and Royal Air Force military roundels into pop-art design motifs.

The Kinks expressed the rising generation of British rock’s fascination with the fading past most explicitly and powerfully in their album Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire). Meanwhile, in the early 1990s, Britpop bands like Blur seized on ironically sentimental images of Britain’s past (the Spitfire fighter planes on the cover of their For Tomorrow single, the steam train painting on the cover of the album Modern Life is Rubbish) in a way that both both referenced the glory days of 60s British rock and the peculiarly ambivalent attitude of British music to the nation’s imperial past, both nostalgic and cynical. The band name British Sea Power evokes just this mix of grandeur, loss, pride and self-effacing dry humour.

But it’s still an inward-looking and distinctly white version of Britain that this imagery speaks to. The 1990s may have been the generation of Britpop, but it was also the era of trip-hop, bands like Cornershop, drum’n’bass — music born from second- and third-generation immigrants with connections to Britain’s colonial past, that was reshaping Britishness once more out of a very different set of experiences and cultural reference points.

The nostalgic and patriotic images that Britpop had used may have begun with an edge of social criticism, but that irony soon became a protective coating that allowed people to bask in the nostalgia of an imperial past without accepting its full implications, and eventually the imagery became normalised as nationalistic symbols, celebrated in a way every bit as resentful of the multicultural modern nation as the pompous man in the train carriage was to the noisy rock’n’roll of The Beatles. As a result, the irony embedded in a name like British Sea Power loses its bite: Nationalists don’t deal in irony or nuance, and young people seem increasingly suspicious of irony as a cloak for insincerity.

In such times, perhaps the band are right in framing a different sort of sea power — one removed from warships named in honour of centuries-old military battles “Waving Flags” on a tour through seas the Empire once ruled. In a place like Britain, where you are never more than a hundred kilometres from the coast, the sea is a powerful inevitability and the nation lives subject to its whims, defining the weather and climate, as it rushes back and forth up tidal inlets, feeding and battering, roaring and soothing in a constant island symphony. It’s both what cuts the country off from the rest of the world but also what connects it to everywhere, and in that sense, “Sea Power” makes any fuss over a word like “Britain” rather a small concern.

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377