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RIP

R.I.P. 冨田勲

R.I.P. 冨田勲

文:デンシノオト May 10,2016 UP

 冨田勲先生(と見ず知らずの方なのに「先生」とすることをお許し頂きたい。しかし、「先生」としか呼びようがないのだ)の音楽は、ある世代以降の日本人における「無意識の記憶」のようになっている部分があるように思える。

 たとえば、あの有名な『月の光』『展覧会の絵』『火の鳥』『惑星』を初めとする歴史的なシンセサイザー・アルバムは、「電子音楽」の大衆化における日本人の無意識だったといえるし、『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『どろろ』などの60年代の虫プロダクション制作の手塚治虫原作のTVアニメや『キャプテンウルトラ』や『マイティジャック』などの特撮ドラマは、ある世代の「幼年期」の記憶だし、『新・平家物語』(1971)などのNHK制作の大河ドラマ、『新日本紀行』、『きょうの料理』のテーマ曲などは、ある時代の「お茶の間」の記憶であった。もしくは冨田先生から松武秀樹氏、そしてYMO(以降)へという影響力。つまり、1960年代以降を生きてきた「戦後」日本人は、なんらかのカタチで冨田先生の音楽(とその影響力)を耳にしていたはずなのだ。

 その意味で、冨田勲先生はシンセサイザーによるイノベイティヴな作品を生み出した革新的な音楽家であると同時に、夢と希望を分け隔てなく与えた「戦後日本」を象徴する偉大な大衆音楽家でもあった。その楽曲の多くはTVのむこうの側の映像とともにあった。そして、その音楽・楽曲は、われわれ日本人の「平和な時間」の記憶と、幸福に重なりあってもいる。

 今年はデヴィッド・ボウイが、ピエール・ブーレーズが、グレン・フライが、モーリス・ホワイトが、ジョージ・マーティンが、キース・エマーソンが、ニコラウス・アーノンクールが、プリンスが相次いで現世を去った。この偉大な音楽家たちがいない「世界」など、本当に私たちが生きてきた「あの世界」なのだろうか。この「世界」は、いつのまにか別の並行世界へと移行してしまったのだろうか、そんな想いにとらわれていた矢先、驚くべきことに、そこに冨田勲先生の名まで加わってしまった。呆然とするなというほうが無理というものだ。2016年はなんという年なのだろう。

 正直にいえば「デヴィッド・ボウイの死」と同じくらいに、いや、それ以上に、「冨田勲の死」という事実は、私の乏しい言語回路にはストックされておらず、その訃報を目にしたときも、いやいまも、思考は止まっている。どうすればいいのかわからない。何をいうべきかわからない。あえていえば「冨田勲の死」というものほど現実感のない死もない。いや、もしかしたら、ご本人がもっとも現実感がないかもしれない。冨田勲先生は、すくなくとも120歳くらいまでは、元気に最先端のテクノロジーと音楽の可能性を信じて創作活動をされているものと思い込んでいた。とはいえ死はいつも、いつでも唐突だ。そして、死は、私たちの現実認識よりも、ほんの少し先に訪れる。となれば現世を生きるものの慎みとして、その死を静かに受け入れるしかない。それはわかる。辛く、悲しいことではあるが。

 私個人の経験でいえば冨田勲先生の楽曲こそ、上記の偉大なる音楽家たちの中でもっとも最初に聴いた音楽だった。世界中のテクノ・ゴッドから愛される、あれらシンセサイザー・アルバムではない。自分は1971年生まれだから冨田先生の作品に直撃された世代の先輩方より、やや下の年齢になるので、それら名盤をギリギリ、リアルタイムでは聴いていない。

 では何か? といえば、忘れもしない小学校一年生のとき、夕方に再放送されていた『リボンの騎士』のテーマ曲であった。当時、巨大ロボットアニメに夢中な少年が、なぜ『リボンの騎士』を観たのか? といえば不思議といえば不思議だが、その理由としては冨田先生の筆によるテーマ曲の存在が大きかった。私はあの曲が好きだった。あのオープニングの鐘の音からはじまるあのビッグバンド・ジャズの構造をポップなライト・クラシックに置き換えたような瀟洒な楽曲は、夕方のほの暗いムードから、一気に西欧世界へと連れていってくれるような、なんともいえぬ夢のような感覚を与えてくれた。それは幼少期の幸福で、官能的な記憶でもある。

 いま、同曲を聴いてみると、そのシンコペーションするメロディは、とてもわかりやすく、かつ、まったく下品ではないという、いわゆる「幼年もの」としては、ほとんど完璧に等しい楽曲である。さらにその楽曲の運動は、手塚アニメの上品な砂糖菓子のような絵柄と完璧にシンクロしており、アニメーション音楽としても完璧だ。『ジャングル大帝』もそうだが、虫プロ制作の手塚アニメ特有の「品の良さ」は、冨田勲先生の音楽の功績がとても大きいように思える。さらにいえば、このシンコペーションするメロディは、「あ」「い」「う」と一音のリズム感に乏しい日本語と言語に、弾むようなリズムを乗せていく手法として、たとえば細野晴臣から小沢健二、さらには小室哲哉から中田ヤスタカにまで至る日本の大衆音楽の基本形のようにも思えてならない。むろん、当時の私は、ただメロディにウキウキしていただけであるが。しかし、この「ウキウキ」感覚こそ、音楽の「希望」の正体ではないか。冨田勲は「希望」の音楽家なのだ。

 近年では初音ミクを起用した壮大な「イーハトーヴ交響曲」を作曲し、本年11月に公演予定であった「ドクター・コッペリウス」もまたミクを歌姫とする交響曲であったという。新しいテクノロジーへの好奇心と信頼と飽くなき挑戦。常識にとらわれない自由な創作。そして何より冨田先生はつねに(そしてたぶん、現世での使命をいったんは止めたいまも)、未来への希望と可能性に対して、一点の曇りもなかったと思う。その視線の先に見えていたものを「希望」というのは簡単だが、そこにこそ氏の人生観の本質があったのだと思うと、その意味はとても重い。だからこそ、そんな先生の突然の訃報を前にすると残されたわれわれはどうすればいいのかと途方に暮れてしまうのだが、しかし、遺されていった楽曲は膨大であり、しかも、私たちは、それらが可能性の宝庫であることも知っている。あらゆる偉大な芸術家がそうであるように、私たちは、この偉大な作曲家のすべてを知っているわけではない。ゆえに氏の作品はいまだ生きているし、それは永遠でもある。そう、それは夜明けのように永遠なのだ。

 日本には、「冨田勲」という音楽とテクノロジーの可能性と、その未来を信じた「希望」の音楽家がいた。こんなに嬉しいことはない。この事実こそが、私たちの「希望」である。いまはそう信じたい。冨田先生、私たちに「希望」をありがとうございました。

文:デンシノオト

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