Home > Interviews > interview with Madmaid & Tomad - MP3・ティーンエイジ・ライオット
最初は日本語ラップを聴いてたんです。当時流行ってたリップスライムとかライムスターとかを聴いてました。そこから、ラップ繋がりで初期の電気グルーヴに辿り着いたんですよ。それで、聴いたらラップはラップだけど、「この人たちはなんか違うな?」と思って。
■なるほど。そういえばトマド君は、どうしてこういう音楽を聴くようになったの?
トマド:僕の場合は、最初は日本語ラップを聴いてたんです。当時流行ってたリップスライムとかライムスターとかを聴いてました。そこから、ラップ繋がりで初期の電気グルーヴに辿り着いたんですよ。それで、聴いたらラップはラップだけど、「この人たちはなんか違うな?」と思って。それで電気グルーヴの『フラッシュパパ・メンソール』を聴いたら、ポール・エルスタックのガバのリミックスが入ってて、そこからそういう音楽に入っていった感じですね。それが5~6年くらい前の話ですね。そこからブックオフとかで中古CDを掘りまくったりしました。
■DJやネットレーベルをやろうと思ったきっかけは?
トマド:DJに関しては、最初はネットDJから入ったんですよ。
■ネットDJ?
トマド:インターネットの掲示板でストリーミングで好きな曲を流して、書き込みとかで盛り上がるっていうことをやってたんです。それで、そこに集ってたメンバーで実際に箱を借りてパーティをしようっていうオフ会があって。高1だったんですけど、人前で実際にDJをしたのはそれが初めてでしたね。
■なるほど。〈マルチネ・レコーズ〉は2005年にスタートしているから、DJとほぼ同時期にはじめたんだね。
トマド:そうですね。その頃、高校の同級生で〈マルチネ〉のアーティストでもあるシェイム君と一緒に音楽を作っていて、その発表の場が欲しかったんです。でも当時の自分たちには、CDとかを作るお金も無かったし。そういう状況でいちばん手っ取り早くネットとかの知り合いに聴いてもらうためにはどうすればいいかと考えた結果、ネット・レーベルという形にすることにしたんです。
■〈マルチネ〉の、レーベルとしての音楽的影響っていうのはどういうところから?
トマド:それは時期によってかなり移り変わっていくんですけど......。最初期は『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』の頃のエイフェックス・ツインとかはかなり影響が大きいですね。シェイム君とお互い聴きあってました。あとは〈ロムズ〉とか。......そうですね、〈ロムズ〉とかの影響はかなり大きかったと思います。〈ロムズ〉はTSUTAYAにも置いてあったし。どこに行っても端っこのほうに、"日本のエレクトロニカ"みたいな感じで置いてあるんですよね。
■なるほどなるほど。そういえばトマド君には一緒に曲を作る同級生がいたわけだけど、マッドメイド君にはそういう同志的な友だちはいなかったの?
マッドメイド::中3の頃にひとりいたんですけど、闇に消えて......。
■闇に(笑)!?
マッドメイド::まぁ、高校も違うところに行くことになって。それで、高校には本当にひとりも居なくて......。
■そうなんだ......。そういえば、高校の同級生たちはマッドメイド君がこういう音楽をやっていることは知っているの?
マッドメイド::うーん、部活の部員くらいですかね。放送部なんですけど。
■放送部なんだ! 校内放送でこういう音楽を布教したりしないの?
マッドメイド::いやー、高校生になったらできなかったですね。中学生の頃も放送委員で、その頃はガバ流したりしてたんですけど。
■ガバを(笑)!? そのときの反応は!?
マッドメイド::友だちが「なに流してんだ!!」って。わかってもらえなかったですね。
■そうなんだ。やっぱりがっかりした?
マッドメイド::うーん、そんなにがっかりはしなかったですね。ガバとか音楽としては面白いけど、やっぱりどこかキワモノだししょうがないかって。
■あー、キワモノ意識はあったんだ。やっぱり速いし、キックが超デカいし。
マッドメイド::なによりTSUTAYAに置いてないし(笑)!
文:アボ・カズヒロ(2010年9月14日)
KANJI KENTEI 再試験@秋葉原MOGRA
2010/10/09(土曜日) 15:00~
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Gassyoh
Madmaid
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JaQwa
Silvanian Families
DJ WILD PARTY
みみみ + NEO hetare + shitaraba
VJ:VIDEOBOY