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interview with tha BOSS

interview with tha BOSS

開かれるヒップホップ

──ザ・ボス、インタヴュー

山田文大    Oct 26,2015 UP

History of TBH

 北海道・札幌をリプレゼントするTHA BLUE HERBのラッパー、tha BOSSが、初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をリリースした。これまでにもコラボ経験のあるDJ KRUSH、DJ YASといった顔触れから、PUNPEEやHIMUKIといったまったく新しいメンツ、客演には田我流やYOU THE ROCK★など、全国のビートメイカー、ラッパーを招いた画期的な作品である。
 THA BLUE HERBについてはいまさら説明されなくてもよく知っているという方は、ぜひこの画期的なアルバムを手にとり、これをいま聴けることの喜びを共有したい。
 だが、最近になってTHA BLUE HERBを聴き始めた(tha BOSSを知った)という方は、tha BOSSが今度のソロ作品を出すまでの経緯を把握すれば、このアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をより楽しめることがあるように思うので、以下に少し書いてみたい。

 18年前に始まったTHA BLUE HERBが世に放ったファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』(1998)は、リリース当時から熱烈な賛否を持って迎えられた。
 これはBOSS THE MC(その頃はこう名乗っていた。以下BOSS)とビートメイカーのO.N.Oの2人の「シンプルな音と言葉」による、東京中心のヒップホップシーンへのほとんど宣戦布告といってもいい1枚だった。たしかにその頃のBOSSの言葉は、ファースト・アルバムを一聴すればわかるように、かなり攻撃的である。ヒップホップでのdisは具体的であるほど意味を持つものだから、攻撃の対象は聴いていても明らかだったし、当時のBOSSのリリックはほのめかしという類のものではなかった。
 そうである以上、そこに賛否の「否」が生まれるのは必然である。ヒップホップもショービジネスであり、そのdisがTHA BLUE HERBの名を広く流布したひとつの大きな要素と考えれば、そこにはBOSSの戦略めいたものもあったのかもしれない。だが、それはやはりプロレスでいうストロング・スタイルのようなショー的なものではなく、極端な話生きるか死ぬかの類の、もっと切迫したものであった。

「北から陽が昇ることに慣れてないお前達は俺達の存在そのものにまだ戸惑っているんだろう?」

 “ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO”におけるBOSSのこの挑発的な言葉は、それを象徴しているだろう。だが、同時にこういった挑発が生む「否」と「賛」は表裏の関係にある。
 初期のTHA BLUE HERBに対する「賛」には、列島の「北」から下すべてに中指を立てるようなリリックが一役も二役も買っているといっていい。まだ無名のハングリーな新人が、優遇された有力な相手を叩きのめすのがカタルシスであるのは言うまでもない。言わば、強烈なカウンターによるノックアウト劇。それが初期のTHA BLUE HERBの賛否の「賛」にはあった。
 ここに書いた「強烈なカウンターによるノックアウト劇」の意味はシンプルで、北海道の無名のTHA BLUE HERBの記念すべきファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』は売れたのだ。そのヒットは、彼らが地方でくすぶっているB-BOYのハートを鷲掴んだだけでなく、それまで日本人のラップを聴かなかったリスナーまでをも一気に取り込んだゆえでもあった。
 筆者は当時からヒップホップや日本人のラップを聴いていたし、アーティストによってはライヴを見たこともあったが、クラブに日常的に顔を出すというタイプではなかった(結局、いまもほとんど変わっていないのだが)。レディオヘッドやベックやアンダーワールドを聴きながら日本人のラップにも興味津々な、ただ自分にフィットするレベル・ミュージックに出会いたいという願望を抑えられない、つまり、どこにでもいる至極普通の学生だった。BOSSの言葉やTHA BLUE HERBの音楽が取り込み光を当てたひとつにあるのは、パーティのノリが苦手で(楽しみ方を知らないだけなのだが)、鬱屈した煮え切らない日常の中で自分のためのレベル・ミュージックを探す筆者のような人間だったと思う。
 上に引用したリリックにある「北」という語が、北海道・札幌を拠点に活動する彼らのフッドを指すのはいうまでもないわけだが、それはまた「魂の極北」といったときに使われる、ある種の極限的状況を彷彿させる機能も果たしていた。同アルバムの収録曲の“STOICIZM”というタイトルや、THA BLUE HERBファンが好きな曲の1位、2位にランクするだろうクラシックス“BOSSIZM”の「焦点の合わぬ目はそのまま明け方、氷点下の証言台に立つ」といったリリックは、すべて「極北」に含まれる“北”という語が象徴するものと響き合っている。
 THA BLUE HERB初期のこうしたBOSSの言葉群は、自身に本質的な変革を導くには、まずその(つまり自分自身の)極北で孤独を知ることだという普遍的な訴えであり、その訴えの場として北海道はふさわしい詩的フィールドだったと言っていいかもしれない。

 言うまでもないことだが、THA BLUE HERBの音楽がB-BOY以外のリスナーを取り込んだことを語るためには、ビートメイカーのO.N.Oの存在も不可欠である。これはTHA BLUE HERBの音楽の前提だ。つまりTHA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oでもある。それは最新アルバム『TOTAL』まで微塵も揺らがないTHA BLUE HERBの不文律だ。
 THA BLUE HERBでO.N.Oが鳴らすビートは圧倒的なドープなヒップホップであり、日本でこんなにソウルフルな音を鳴らすビートメイカーが他にいるだろうかと思わせるものだが、同時に彼の描き出す、たぶんな静謐を含んだ高揚や荒涼は、たとえばアイス・ランドのロックバンド、sigur rósが作り出す美しい奥行きを持った音像を筆者には彷彿させる。
 これは個人的な見解だが、O.N.Oは演奏家というより建築家に近い。O.N.Oが打ち出すビートは、機能美と前衛、未来的な遺跡とでもいった一見矛盾を孕みながら、だが確かにそれは圧倒的な存在感を持って目の前にあるのだという、ある種の印象的な現代建築を思わせるのである。BOSSのリリック同様、O.N.Oのビートの完成度と中毒性があまりに高いからこそ、ヒップホップのファンに限らずTHA BLUE HERBの音楽は幅広く聴かれているのである。

 BOSSの言葉はセカンド・アルバム『Sell Our Soul』でまた別のベクトルへの深化へ向かうのだが、それでもいまだ挑発的であり、彼らの孤独な進軍は続いていた。

 「はっきり言って同業者がつくった曲はつまらん。さぁこれでまた敵さんが増えてくれるかな?」

 “STILL STANDING IN THE BOG”でBOSSがラップする、このワンラインをとってもそれは明らかだろう。この時点で曲のタイトル通り、彼らはまだ泥濘(BOG)に立っているわけだ。
 THA BLUE HERBはこうしてふたりだけで他を寄せつけぬスタンスではじまり、連帯を拒み、孤独こそ美学と信じるヘッズを数多く培養していた。筆者は信者という表現を好きではないし正確と思わないのだが、THA BLUE HERBがそういう語られ方をするアーティストであったことは否定できない。そうしたヘッズにとって、THA BLUE HERBのすべての音源、BOSSのヴァースはすべて貴重であり、リアルであり真実だった。

              ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 3rdアルバム『LIFE STORY』(2007)はTHA BLUE HERBのターニングポイントとなる作品だ。

 「今回は策は立てない 水面に硬い石を投げるだけさ 伝わる波紋が辿る場所は果てない 音楽の力に全て任せた」
 「今や俺等とは君を含めた四人だ」(“The Alert”)

 「勝ちたい負けない ただそれだけじゃ レースを生き残る事は諦めな」(“Hip Hop番外地”)

 上に引用したリリックにあるように、ここにもはや策(つまり戦略)はないし、具体的な敵が祭り上げられているわけでもない。そうかと言って日和ったり客演が参加しているわけではないし、全国的に認知されて評価を勝ち得たという王者や勝者の余裕が歌われているわけでもない(収録楽曲“Motivation”に〜挑戦者のマナー噛み付いたら放さず〜というリリックがある)。
 そうではなく『LIFE STORY』において、O.N.OのビートとBOSSの言葉、THA BLUE HERBの音楽はシンプルに、さらに純化されたのだ。そして「音楽の力に全て任せた」というリリックを証明するように、このアルバムを引っさげTHA BLUE HERBの音楽は、BOSSとDJ DYEの1MC1DJという形で全国を旅する。その模様は仙台から宮崎までのツアーの行程を収めた“STRAIGHT DAYS/ AUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08”(2009)、また2010年の春以降の(北海道の北見から沖縄の辺野古の米軍基地の境界ギリギリまでの)ツアーの模様を収録した“PHASE 3.9”というふたつのDVD作品で確認できる。


 ひとりのMCとひとりのビートメイカーで作られた音楽を持って、1MC1DJで全国を回る。最小限の構成で作られるTHA BLUE HERBの音楽だが、膨大な数のオーディエンスの前で(なんせ野外フェスまで含む日本全国のツアーだ)膨大な言葉を吐くことで、その残響は否が応でもTHA BLUE HERBの言葉を変質させていく(これは日本刀を鍛えるのに似ている気がする)。その変質を文章で説明するのは難しいが、上のふたつの映像作品はその変質の過程が見て取れることでも興味深いものだ。

 実に3年半におよぶツアーを終え、THA BLUE HERBは新たなアルバムの制作に入る。来たるべきアルバムは長いツアーで言葉を鍛え上げ、そして言霊の力、重さ、怖さを誰よりも熟知したBOSSというMCが、2011年3月11日を経て書き上げたものでもある。その4thアルバムに、彼らは『TOTAL』(2012年)と名付けるのだ。

              ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 駆け足でTHA BLUE HERBの4thアルバムまでの流れを見てきたが、今では以前よりBOSSのヴァースは身近に聴ける(我々はTHA BLUE HERBのツアーに行くことができる)ようになったし、映像作品も増えた。もちろん時を経るごとに、BOSSが客演で参加した楽曲も増えていった。THA BLUE HERBが始まって18年と考えれば、そのとき生まれた子供が高校を卒業する年である。そう考えれば、人が成長するように、アーティストが変化するのも当たり前のことだ。しかし、それでも、THA BLUE HERBが初めて他のアーティストを自分たちのブースに迎え入れるのは、昨年2014年の般若との楽曲“NEW YEAR'S DAY”において。まだわずかに1年前のことなのである。そして2014年12月26日、東京・恵比寿のリキッドルームにて、tha BOSSと般若による1MC1DJ同士によるショウケース「ONEMIC」が開催され、この夜のステージでBOSSは全国のビートメイカーを招き、ソロアルバムを制作すると発表したのだ。
 そう考えれば、tha BOSSのソロアルバムが決して一朝一夕に生まれたものではないことがわかるだろう。

 THA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oで、それはTHA BLUE HERBの不文律だと前述した(今ではDJ DYEも然りだろう)。この不文律にはいまもいささかの揺らぎも感じない。だが、同時に、「誰彼構わず中指を立てていた」(これは今度のアルバムでBOSS自身が言っていた言葉だ)BOSSが、今では魅力的なアーティストであればユナイトすることを疑いなく知っている。またごく自然な欲求として、BOSSとコラボして欲しいと思うような魅力的なアーティストが日本に数多いることも知っている。
 tha BOSSの初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』は、タイトル通り“ヒップホップの名の下に”18年の歳月をかけて、北海道は札幌のTHA BLUE HERBから広がった美しい波紋なのである。

(山田文大)

取材:山田文大(2015年10月26日)

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Profile

山田文大山田文大/Bundai Yamada
東京都出身。編集者・週刊誌記者を経て、現在はフリーのノンフィクションライター兼書籍編集者。また違う筆名で漫画原作なども手がける。実話誌編集者時代には愛聴する日本人のラッパーの生い立ちにフォーカスし、全国のラッパーのフッドを巡り取材していた。最近は興味の矛先が歌舞伎や演劇に向いているが、それでも日常的に聴きたいラップがあり、そうしたラッパーを気の向くまま取材している。皆様にはお世話になっとります。

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