Home > Interviews > interview with Ami Taf Ra - 非西洋へと広がるスピリチュアル・ジャズ
アニメ『LAZARUS(ラザロ)』の音楽を依頼されたとき、彼(=カマシ・ワシントン)はすごくハッピーだった。子どもの頃から彼はアニメの大ファンだったから。彼が作った最高の音楽のうちのひとつが『LAZARUS』だった。
■カマシとはどのように出会い、またパートナーとなったのですか?
ATR:カマシとはジャズ・クラブで出会った。ありきたりな話よ。オープン・ナイトでジャム・セッションがおこなわれていて、そこで彼と出会って音楽の話をした。そして私たちは友だちになった。最初は友だちで、それが私たちの関係の始まりだった(笑)。それから恋に落ちて、結婚して、いまでは娘がいる!
■あなたと彼との関係を見ると、1970年代に〈ブラック・ジャズ〉から諸作を発表したジーン・カーンとダグ・カーンの関係性を思い起こさせるのですが、意識するところなどありますか?
ATR:そうね。彼らも結婚して、一緒に音楽を作っていたわね。その後離婚はしたけど。彼らの曲は大好き。“Infant Eyes” だったかしら? ジーンが夫と一緒に歌った美しい曲だった。とても興味深い。でも実は脅威。私の夫は天才ミュージシャンだから。カマシは本当にすごいの! みんなは彼がリリースするものしか耳にしないけど、彼と一緒に暮らしていると、彼はほかの音楽にも取り組んでいて。常にピアノの前に座って、オーケストラの楽曲に取り組んでいる。「すごい!」って思う。彼がやっていることを、みんなに知ってもらえたらと思う。脅威的よ! 彼は歩く音楽の天才なんだから。彼はつねに音楽のことを考えている。映画を観ている最中でも頭の中では音楽を作曲し、アレンジしている。
日本のアニメ『LAZARUS(ラザロ)』の音楽を依頼されたとき、彼はすごくハッピーだった。子どもの頃から彼はアニメの大ファンだったから。彼が作った最高の音楽のうちのひとつが『LAZARUS』だった。すごい! 彼の映画やアニメとのつながりはとても深い。脅威的よ! 「なんてこと! あなた、本当に素晴らしい!」って(笑)。たまに、こっちはちょっと不安になってしまうけど。しかも、相手は自分の夫。だから、私たちが話すときは遠慮がない。他人と仕事をするときは、ちょっとは気を遣ってコミュニケーションを図るでしょう? でも、夫と妻が一緒に仕事をすると、考えていることを率直に言ってしまう。だからたまにピリピリするけど、結果は常に素晴らしいものになる。あまりにも素晴らしいんで、私も夫と一緒にやっていける。そしてそれを娘に引き継いでもらう。アシャは両親の音楽を受け継ぐことになる。彼女が早く成長して、自分が赤ちゃんだった頃に私たちが生み出したものを振り返ってくれるのが待ち遠しい。
■カマシのツアーで共演する中で、ファースト・アルバムの『The Prophet and The Madman』の制作が始まったそうですね。実際のところ、パンデミックの中でアシャを妊娠しているときに構想が始まり、レバノンの詩人で画家のハリール・ジブラーンの著書『The Prophet』と『The Madman』を読んだことがきっかけと聞きます。どんなところにインスピレーションを受けたのでしょうか?
ATR:私が初めてハリール・ジブラーンの名前を聞いたのは……。私は小説家としてではなく、音楽を通じて彼の作品を知って。ファイルーズが歌ったものすごく美しい曲に “Aateny El Nay We Ghanny” があるけど、その歌詞はハリール・ジブラーンが書いたもの。あと、私が仕事をしたミュージシャンが私に歌詞をつけて欲しいと言ったんで、私は『The Prophet』の “Children” からの言葉を引用してアラビア語で歌った。パンデミックの最中、私たちは人生や詩や映画についての話をしていて、たまたまハリール・ジブラーンの『The Prophet』の話になって、私が妊娠中にふたりでこの本を読み上げた。これを読み終えると、次は『The Madman』を読んで。これを読み終えると、「なんてこと! The MadmanはThe Prophetだったのね!」ということに気がついた。ハリール・ジブラーンが書いたこの2冊に登場する架空の人物には似通ったところがあることがわかったんで、「この2冊の本を元に音楽プロジェクトをやりましょう」ということになった。そうして『The Prophet and The Madman』のアルバム作りが始まった。
■アルバムのプロデューサーはカマシが務め、作曲はカマシ、作詞はあなたが行っています。
ATR:プロデューサーは間違いなくカマシだったけど、音楽はふたりで作った。曲のアレンジとプロデュースは全て彼が手掛けたけど、例えば “Speak To Us” のメロディは私が考えた。そして、そのメロディと私が書いた歌詞を中心に彼が全体をアレンジしていった。というわけで、基本的にはコラボレーションだったけど、プロデュースとアレンジは全てカマシが手掛けている。
■制作にあたってカマシはどんなアドバイスをしてくれましたか?
ATR:アドバイスというよりは、洞察ね。例えば私が “Speak To Us” をやったとき、私はこの曲を歌って自分のスマホに録音して、彼に聴いてもらった。彼はそれをより高いレベルに引き上げてくれた。“Children” をレコーディングしたとき、彼はそこに壮大なオーケストラ・アレンジを施して。私たちはその編成をすべてレコーディングした。でも聴き返してみると、「カマシ、この曲にはこんなにいろんなものは必要ないと思う。必要なのはギターだけじゃないかしら」と思ったんで、あの曲から全ての楽器を取り除いてギターだけを残した。少ないほうが効果的ってこともあるから。曲をビッグにするために、ビッグなサウンドにする必要はなくて。というわけで、彼は私の言うことを聞いてくれるし、私も彼のアドバイスを受け入れる。お互い様よ。“Children” に関しては彼が同意してくれた。
■“Children”の話が出たところで、これはジブラーンからの引用ですが、あなたとカマシの娘であるアシャへの想いも込められているのでしょうか?
ATR:そういうことではないわ。もっと概念的なものね。母親になってからこの歌詞を読んだら、ちょっと恐れを感じた。自分の子どもは自分の子どもじゃないって言っているんだから。最初の文章がそうなのよ。「自分の子どもが自分の子どもじゃないなんて、どういうこと?」って思った。子どもは自分を通して生まれて来るけど、自分からではないんだって。あれは教訓よ。「子どもたちには自分の考えを持たせること」。「新しい世代から学ぶこと」。私はジブラーンからそれを学んだ。自分の考えや経験を子どもに押しつけてしまうことってあるでしょう? でも、子どもたちには自分の考えや意見がないといけない。だから、子どもたちから学べる。子どもたちについて行かないといけないこともある。
■あなたから見てカマシはどんなプロデューサーでしたか?
ATR:彼との仕事はいつだって楽しい。プロデューサーとしての彼は、アーティストの言うことに耳を傾ける。彼は私のバックグラウンドを知っている。私は彼と一緒にアラビア音楽をよく聴いていた。彼は私のスタイルを知っている。彼はベストを尽くして彼の世界と私の世界というふたつの世界をうまく引き出して、このアルバムに取り込もうとした。特にモロッコのグナワ音楽とか。彼は間違いなく、音楽を通してアーティスト本来の姿を大事にしてくれる人。素晴らしいプロデューサーね。
photo by Sol Washington
私の音楽は間違いなく、流浪の民のものだと思う。人間は環境によって形成されるもので、私も間違いなく私が訪れた国々や私が暮らした国々で出会った人びとによって形成された。
■グナワの話が出ましたが、“Gnawa”はモロッコのグナワ音楽をベースにしています。グナワ音楽特有のリズムとジャズを融合した作品ですが、あなたの作品にはジャズとアフリカ音楽、中東音楽など異文化が融合したものがいろいろ見られます。あなたのルーツもそうですが、世界をいろいろ旅してきたことがそこに影響していると言えますか?
ATR:もちろん! 私の音楽は間違いなく、流浪の民のものだと思う。人間は環境によって形成されるもので、私も間違いなく私が訪れた国々や私が暮らした国々で出会った人びとによって形成された。私が歌えば、それが聞こえて来る。本物だし自然。私の音楽は、私という人間を如実に表わしていて。だからもちろん、モロッコやヨーロッパからの影響が多々ある。オランダやトルコで育ったから、私の中にはトルコの文化も根付いている。レバノンもそう。あともちろん、アメリカもそう。アメリカの音楽は、ヨーロッパでもとても強力な存在感がある。こういった様々なものがミックスされているのが、私の音楽を聞けばわかるはず。あと私は、文化や音楽を通じて橋渡しができるというのが大好きで。境界なんてない。私は境界が好きじゃない。音楽は万国共通語。だから私の音楽を聴けば、私が境界を信じていないことがわかるはず。
■“Children”の歌詞ではハリール・ジブラーンの詩を引用したとのことですが、ジブラーンの世界観とあなたのメッセージをどのように同化させていったのですか?
ATR:アルバムに収録された4〜5曲は本から引用したもの。そのほかの4〜5曲はカマシと私が作ったものね。ジブラーンへのトリビュートとして私が作ったもので。“Gnawa” と “Khalil(ハリール)” は私が作った。私が妊娠8ヶ月のときに曲作りを始めたけど、それが “Khalil” だった。ハリール・ジブラーンも境界を信じていなかった。“Khalil” で私がアラビア語で歌っているところは、ユダヤ教だろうがイスラム教だろうがキリスト教だろうが、みんなが祈れば同じときに同じ場所で出会うということ。つまり、境界なんかないと言っているのね。私たちはひとつ。結束している。ハリール・ジブラーンは自らの作品を通じてそのメッセージを打ち出した。
■参加ミュージシャンはカマシのバンド・メンバーが中心となっていますが、アラコイ・ピートやカリル・カミングスなどはあなた同様にアフリカがルーツのミュージシャンでしょうか?
ATR:ええ、バンド・メンバーの大半はアフロ・アメリカンだと思う。カマシがライヴをやっているとき、楽屋にいるほかのメンバーはありとあらゆる音楽を聴いていて。影響された音楽や聴く音楽に制約なんてない。彼らはアフロ・アメリカンだけど、世界中の音楽の知識が豊富で。だから、彼らとはとてもやりやすかった。
■そうしてみると、『The Prophet and The Madman』はアフロ・ディアスポラによるアルバムと言えるのですが、いかがですか?
ATR:そうね。アフロ・アメリカンは、アフリカのどの国の出身なのか知らない。私はアフリカ生まれだけど、冗談まじりに「あなたの祖先って、もしかしたらモロッコ人かもしれないよ!」ってカマシに言っている。彼は自分がアフリカのどの国の出身か知らないんだから。悲しい話だけど、これが全アフロ・アメリカンの現実で。だから、音楽で私がカマシとコラボするのは、再び互いに交わるようなこと。彼の祖先は、私の音楽を通じて彼に会いに来ている。だから、これってとても詩的だと思う(笑)。私たちは、またつながったわけ。私が西アフリカ出身であることは間違いないし、もちろん私の父親は黒人のモロッコ人よ。だから私のルーツには、マリとかナイジェリアも入っているはず。一巡しているようなもの。私たちの祖先も旅人だった。私たちは、祖先を引き合わせている!
■あなたはヨルダンの難民キャンプとコミュニケーションを取り、音楽や絵画のワークショップを開くなどの社会活動もしているそうですが、『The Prophet and The Madman』にはそうした活動と繋がる部分も見えます。特にあなたと縁の深い中東はずっと紛争や戦争が絶えないのですが、そうした国際情勢に対して何かメッセージを込めたところはありますか?
ATR:アーティストや作家、ヴィジュアル・アーティストでもいいけど、何かを生み出すときは、特定の国や宗教の集団のためにそうするわけではなくて。アートを生み出すとき、そのアートはみんなが体験するためのもの。さっきも言ったように、私の音楽には境界がない。ヨルダンやシリアの難民キャンプに行ったとき、そこでワークショップをやったし、私は彼らにカンバスをあげて絵を描くように言った。子どもたちには、世界と共有したいメッセージを描くようにと言った。私は境界を信じていない。音楽は万国共通語だから。音楽はみんなをひとつにできる唯一の表現手段だと思う。どんな宗教かなんて関係ない。国籍や性別も関係ない。音楽は差別のない唯一の表現手段。私はそれを信じている。
■最後に『The Prophet and The Madman』について、リスナーへのメッセージをお願いします。
ATR:私のアルバムによって、リスナーがじっくり考える時間を設けられたら嬉しい。彼らが人生に答を見いだしたいと思っているのだとしたら、私の音楽がそれを促したり、その道標になればと思っている。私の曲をストリーミングで聴いたり、アルバムを買ったりしてね(笑)! アーティストをサポートしてちょうだい(笑)! とにかく、私の音楽がみんなの探索の助けになればと思っている。立ち止まって、人生を振り返って欲しい。
質問・序文:小川充(2025年9月18日)
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小川充/Mitsuru Ogawa