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ラジオから普通にディープ・ハウスが流れてくるでしょ。もうそれだけで興奮だった!
突然、アットジャズからメールが来た。いま日本にいるという。驚いた。彼は手に負えない飛行機嫌いで、昔彼と知り合った頃、イングランド中部の小さな街、ダービーで暮らすこのディープ・ハウスのDJを日本に呼びたくても叶えられなかった人間からすると、それはかなりの驚きだった。
アットジャズは、ハウス好きのあいだではすっかり有名な名前で、彼のソウルフルでファンキーなハウスは依然として評価が高い。〈インナーヴィジョンズ〉からもシングルを1枚出しているし、ここ数年はディクソンズやアームやトーキョー・ブラック・スター等々と一緒に、いわゆる"ニュー・ハウス" ムーヴメントの一員としても知られている。
アットジャズことマーティン・アイヴソンを僕に紹介したのは赤塚りえ子だ。1997年だった。当時まだ20歳ぐらいだったマーティンは、UKでもっともアナーキーなパーティ集団、ノッティンガムの〈DIY〉のコンピレーションに参加していた。のちにハーバートの〈サウンドライク〉からアルバムを発表する最年少のブルックスは当時はまだ16歳の高校生だった。マーティンやブルックスは地元ダービーで、友人のアンディと一緒に〈マンティス〉レーベルの一員として活動していた。赤塚りえ子は、たまたまダービーに住んでいて、いつの間にかその小さな街の小さなハウス・コミュニティのひとりになっていた。もちろん誰一人として彼女が天才バカボンの娘であることなど知らなかった......。彼女はボーイフレンドのジョン・レイト(後のハーバートのマネージャー。現在は音楽コーディネイター)と頻繁にレコード店に足を運ぶ日本人で、やたら渋い音楽ばかりを漁る音楽ファンしてレコ屋のスタッフから密かに評価されていたという、それがまあ、契機となった。音楽のコミュニティとは、それが輝くときは信じられないほど綺麗に輝くものなのだ。
マーティンの家に何日か泊まって、みんなで〈DIY〉が主催するフリー・パーティに出掛けたこともあった(それは実にスリリングな夜だった)。ダービーの、小さいけど熱いディープ・ハウスのクラブ・パーティに出掛けて、朝までぐだぐだ遊んだこともあった。彼らは......ある意味はわれわれと近いライフスタイルだ。ニューヨークの華麗なゲイ・カルチャーではないし、デトロイトの過酷なゲットーでもない。平日は働きながらこのシーンに携わっているような、われわれの身近にいるような連中なのである。
■ふたりは何年ぶりに会ったの?
マーティン:4年ぶりくらい?
赤塚:そうだね、私が日本に帰ってくる前に会っているから3年半ぶりくらいかな。
■そっか、むちゃくちゃ久しぶりって感じでもないんだね。
赤塚:そうそう。
■ちなみに、ふたりが最初に出会ったのは何年だったか覚えている?
赤塚:1996年!
マーティン:その頃だね。しかしリエコがダービーにたった2年しかいなかったなんて、いまだに信じられないな(笑)!
赤塚:95年、つまりダービーでの最初1年目はなかなか知り合いもいなかったけど、足しげく地元のレコード・ショップに通って顔を覚えてもらって、マーティンとは2年目の96年に出会ったんだよね。あー、なんだっけあのレコード・ショップの名前?
マーティン:〈ウェアヘッド〉でしょ?
赤塚:そうそう、〈ウェアヘッド〉!
■ブルックスのお兄さんが働いていたところだよね。
赤塚:そうそう、懐かしい! ジョン(・レイト)はそこで〈マンティス・レコード〉の12インチをむちゃくちゃ買っていた。〈マンティス・レコード〉の記念すべきファースト・リリースもそこで買ったんだよ。
マーティン:嬉しいね。
[[SplitPage]]■ふたりは直接どのように知り合ったの?
赤塚:アンディ(・ブルックス)とかクライウ゛(・アスティン)とか、その辺りの人たちの紹介だったと思う。
マーティン:たしかレコード・ショップから繋がっていったんじゃなかったっけ。
■それこそ僕がダービーに行ったときは、リッキーやマーティンに連れられて、DIYのフリー・パーティに連れて行ってもらったんだよね。あのときはリッキーが警察の壁を突破したんだよ(笑)。
赤塚:懐かしい(笑)! パーティを取り締まる警察に囲まれて大変だったんだ。
マーティン:覚えてるよ(笑)。警察が来てパーティが無理矢理中止させられそうになったんで、オレたちは面倒くさくなる前に逃げ出そうとしたんだ。
■そうそう! 帰りの車の中で、誰かが「クソみたいな警察だ」って言ったら、マーティンが「あれはまだマシな警察だ」って言ったのを覚えてる。
赤塚:ともかくいい体験をさせてもらったな。
■本当だね。ふたりはダービーにいた頃はそんなワイルドな生活ばっかりしていたの?
マーティン:いやー、あの当時、ああいうパーティはそんなに頻繁にあるものではなくて、年に2~3回くらいのペースでしかやれていなかったと思う。
赤塚:クリミナル・ジャスティスが施行される以前は、ああいうフリー・パーティももっとたくさんあったんだと思うけどね。
マーティン:その通りだよ。
■リッキーにとっては〈マンティス・レコード〉やダービー・ポッセの存在ってものすごく大きいんじゃない?
赤塚:そりゃとんでもなく大きいよ。95年と96年にいて、それが私とディープ・ハウスとの出会いでもあったから。
■その頃のUKのクラブ・ミュージックと言えば、ドラム&ベースがすごかった時期でしょ。それがああやって北部やミッドランドのローカルなシーンではディープ・ハウスが元気だったというのがまた面白いなあって。
マーティン:ほとんどのアンダーグラウンドなパーティは、レコード・ショップやレーベルの人間が中心になっておこなっていたよね。
■当時、アットジャズが面白いってリッキーから真っ先に紹介されたわけだけど......。
赤塚:そもそも私は音楽が好きだからという理由でイギリスに行ったんだけど、そうしたら、ダービーという日本ではあまり聞き慣れない町で、音楽を本当に愛している人たちによるものすごいピュアなシーンに偶然遭遇することができて、本当に感動したんだよね。レコード屋さんでいいレコードを見つけたときの感動とはまた別の、実際に音楽を作って、パーティをやっている人たちの熱気のなかに放り込まれて、貴重な発見や体験をすることができた。それって私にとってはものすごい大きなことだった。
マーティン:リッキーからそういう話をはじめて聞けて、嬉しいよ。
赤塚:ラジオから普通にディープ・ハウスが流れてくるでしょ。もうそれだけで興奮だった。
■日本にはないからね。
赤塚:アットジャズの音楽もすごく好きだった。それまではテクノばっかり聴いていたから、実はハウスの魅力ってあんまりわかっていなかったけど、ダービーで完全に目覚めた(笑)。あとその当時って〈イエロー・プロダクションズ〉とかモーターベースのようなフレンチ・ハウスとかも流行っていたから、どんどんディープ・ハウスを聴くようになった時期でもあった。
マーティン:エティエンヌ・ド・クレイシーとか『スーパー・ディスカウント』みたいなね。
赤塚:うわー、懐かしいね。大好きだった(笑)!
■その当時、ダービーの連中が「いいDJってのはベーシック・チャンネルをマイナス8でミックスするDJだ」って言っていたのをすごくよく覚えているんだけど。
マーティン:だははは、よく覚えていないけど、たしかにそうだと思うよ。実際、その当時は僕もベーシック・チャンネルのレコードをたくさん買っていたしね。
赤塚:私もよく買ってた。よくジョンとふたりで誰も買わないようなダブのレコードやそれこそベーシック・チャンネルのレコードを買って、店員さんに「あのふたりまた渋いの買ってたよー」みたいな感じで密かに注目されてて......、あ、思い出した! それで音楽の趣味が合うんじゃないかってことで、アンディたちと話すようになって、パーティに誘ってもらったりして、その繋がりでマーティンと出会ったんだ! いま思い出したよ(笑)!
マーティン:だはははは。とにかくジョンとリエコはパーティでもいちばんのお客さんだったよ。〈ウェアヘッド〉のオーナーのトムのことは覚えてる? 彼はたったの10ペンスでレコードを売ったりしていた。
赤塚:はははは、覚えてる! そうなんだよね、彼はあまりレコードの相場をわかっていなくて、セールになると、デトロイト・テクノなんかをものすごい安い金額で売ってたんだよね。当然、私たちはそれに飛びついて買いまくってたんだけど(笑)。
マーティン:そうそう! あとあの頃、自分たちのパーティにシカゴからジェミナイを呼んだこともあったっけ。
赤塚:呼んだねー。
■だってマーティンはその当時、ロン・トレントの〈プリスクリプション〉とか、シカゴのディープ・ハウスにハマっていたもんね。
マーティン:あははは、そうだね。
[[SplitPage]]■そういえば、マーティンに初めて会った時に、グラストンベリーでジ・オーブを聴いたときに思いっきりぶっ飛んだって話を聞いたんだよね(笑)。
マーティン:オー、そんな話よく覚えてるね! ちょうどアンビエント系の音楽にハマっていた頃で、当時僕は19歳だった。3年ぐらいアンビエントにハマっていた時期があったね。
■ちなみに、その後のダービーのシーンはどういう感じなの? 新しい世代は出てきてるの?
マーティン:いや、難しいところだね。ノダがいま再びダービーに来たら、ずいぶん寂しくなったと感じるかもしれないね。いくつかのクラブはなくなってしまったし。
■でもマーティンはいまだに〈インナーヴィジョンズ〉とかから積極的にリリースしているじゃない?
マーティン:でもいまはシーン自体はそんなに活気があるとは思えないな。新しいジャンルやサウンドはたしかに出てきているけれど、当時に比べるとシーンは全然エキサイティングなものじゃないね。いまのテクノロジーを使えば誰でもある程度の音楽は作れるようになった。でも同時に似たような音楽ばかりが氾濫する結果になってしまっているような気がする。テクノもハウスもヒップホップも似たようなものばかりだ。
■まあ、逆に言えば、当時のUKが活気があり過ぎたとも言えるのかもしれなしね。
マーティン:ほんとその通りだと思うよ。いろいろな理由があるかもしれないけれど、当時に比べて、どういうわけか音楽から得られる感動が減ってきたような気がする。ともかくダービーではアンダーグラウンドな音楽を売ったり、聴けたりする場所はなくなってしまった。
赤塚:みんなダウンロードしているのかな?
マーティン:イギリスではほとんどの人がダウンロードに移行しているね。しかも多くの人が違法ダウンロードにより、無料で音楽を手に入れているのが実状だよ。
■そりゃあ大変だ。
マーティン:いまやイギリス人の音楽に対するモラルはかなり希薄なものになってきたね。
■ふむ。でもイギリスがそうなってしまたっら悲しいなあ。......そういえば、マーティンは『天才バカボン』をもう読んだの?
マーティン:いや、実はまだコミックは読んだことがないんだ。でもとくに日本に来て、いろいろなところでキャラクターを見かけてビックリしているよ。本当に有名なキャラクターなんだって実感してる。
■マーティンは『天才バカボン』をジャケットに使用している世界でも唯一のハウス・プロデューサーだもんね。
マーティン:偉大なお父様の作品をジャケットに使わせてもらって、本当に光栄に思っているよ。
赤塚:こちらこそ、ありがとう。
■リッキーの親父さんって、イギリスで言えば、ジョージ・ベスト並の知名度だからね。
マーティン:すごいね......。
■しかし世界で唯一の『天才バカボン』のジャケットが、マーティンだっていうのが、なんともいい話だなって思って。
赤塚:あははは、そうだね。
■でもさ、アットジャズと言えば大の飛行機嫌いじゃない。その当時、リッキーがアットジャズという名のものすごいDJがいるから日本に呼びたいんだけど、彼は飛行機が嫌いらしくて実現できないかもしれないって悔しがっていたくらいだもんね。それがなんでいま。軽々と目の前にいるのかって(笑)。
マーティン:いまでも飛行機は大嫌いだよ。13時間、ずっと寝てきたんだ。
赤塚:本当によく来れたよね。いま日本でこうやってマーティンと会えていること自体、奇跡みたいで本当に嬉しい。初来日だもんね。
■いまイギリスでDIYみたいなフリーレイヴはあるの?
マーティン:本当に稀に、1年に1度くらいはあるね。
■どのくらいの人が集まるの?
マーティン:200人前後かな。
■ダービー・ポッセはどうなったの?
マーティン:いまはバラバラだね。活動期間は13年間だったかな。アンディはベルリンから帰ってきていまはマンチェスターに住んでいるよ。〈マンティス・レコード〉のような小さなインディ・レーベルにとっては厳しい時代になってきたから、いまだ解散したままだね。
■13年もやっていたんだね。
赤塚:すごいことだよ。
■実はね、自分でDJをするときは、いまだに必ず〈マンティス・レコード〉のレコードをプレイするんだよ。リッキーがレコードをくれたからね。年末のパーティでもかけたよ。
マーティン:嬉しいね。
■じゃあ......、最後にマーティンに前向きな発言をして締めて欲しいね。嘘でもいいから、前向きな(笑)!
マーティン:時代は変わっても、ハウス・ミュージックは必ず残って受け継がれていくと確信しているよ。音楽はハートで感るもの、そういう音楽の感じ方、楽しみ方は、絶対になくならないよ。
■昔、マーティンにダービー仕込みのハウスのダンスの仕方を伝授させられたんだ。
赤塚:そうそう、鶏に餌をまくようなダンスでしょ(笑)!
マーティン:だははは!
ちなみにアットジャズは、現在のところ3枚のアルバムと1枚のリミックス・アルバムを出している。最新作は、2008年に〈マンティス〉レーベルから出た『Full Circle 』。とても素敵なジャジー・ハウスで、1曲、ロバート・オウェンスが歌っている。また最近は自分のレーベル〈Atjazz〉もはじめている。
https://www.atjazz.co.uk/
ジンクvsスクリームの強力タッグが復活した! 2006年にダブステップ浮上のきっかけになった大ヒット・トラック"Midnight Request Line"のリミックス以来、久々のコラボレーションが実現。まさにキャッチー・フロア・アンセムの登場だ。いまやすっかりダブステップ界のトップに上り詰めたスター・プロデューサーのスクリーム、そしてDJジンクのほうも前作のときとは状況が違う。ジンクと言えば、今はエレクトロ・ハウス/UKファンキー/クラック・ハウスを牽引するベース・レジェンドである。そして、今回のコラボレーションによって生まれたこの作品は、前作の流れを汲みつつ、しかししっかりと現在のトレンドも注入したもので、シンプルだがまったく新しいパーティ・トラックである。これによって、"クラック・ダブステップ"が生まれたと言えよう。
ジンクがドラムンベースの創作を中断して1年以上の歳月が過ぎたわけだが......現在ベース・シーンでは恐ろしいぐらいのスピードで刻々と進化を遂げている。忘れもしない。衝撃的かつエポック・メイキングな出来事だった。2008年の11月22日、筆者もレジデント出演している〈DBS〉にて、12周年を祝う、「Mega-Beat Sessions」によるDJジンク再来日だった。
巷では、「ジンクが最後のドラムンベース・セットをやる」、「UK最先端の4つ打ちジャンルも回す」、「クラック・ハウス? なんだ??」等々......大きな話題を集めたものだった。刺激的な用語と新しいジャンルによる新しいムーヴメントを予感させ、もちろん大観衆を集めた大盛況なアニバーサリー・パーティとなった。実のところ、筆者はジンクのプレイ時間と〈SALOON〉でもろに被ってしまい......残念ながら目の当たりできなかったのだが、いろんな人に取材してみたところ、賛否両論を巻き起こす興味深いものとなった。で、受け入れられたのかって? 答えは当然イエスである! 時代の最先端を走る"クラック・ハウス"。ベースラインから派生したUKファンキーよりの"4つ打ちジャンル"が日本のジャングリストにも受け入れられた瞬間だった。
その挑戦的な試み、興味深いこの出来事は、当時かなり興奮したことをよく憶えてる。〈Bingo Beats〉が初期のレーベル・コンセプトである2ステップやガラージなどのハーフステップ主体だった90年代末に、いまにして思えば現在のスタイルの青写真がある。ジンクの変名ジャミン〈Jammin'〉の「Kinda Funky」、「Go DJ」やジンク名義の「138 Trek」などハーフステップ・ガラージ・アンセムなどはその代表だ。
現在、ジンクのクラック・ハウス布教活動は大きな形で実を結んでいる。現在のトレンドであるエレクトロやフィジェット・ハウスのシーンにまで波及する大きな波を起こしている。彼の先見性にはまったく脱帽である。
そして今年の4月17日、〈DBS〉にて待望の再来日を果たすことが決定した。今度はドラムンベース界のレジェンドではなく、ベースマスター・レジェンド、DJジンクとして最高のクラック・ハウス・セットのみならず、日本仕様の〈DBS〉限定セットを披露してくれるはずだ。各地の大型フェスや大箱をロックしているそのセットをいまから楽しみに準備しておこう。だてそれは、正真正銘のUKパーティ・チューンを体感できる貴重な日になるのだから!
さて、もうひとりの大物プロデューサー、スクリームだが、今年に入って立て続けにリミックス・ワークをリリースしている。アーバン・ダブステッパー、シルキーの「Cyber Dub」のウォブリー・リミックスや〈Non Plus〉からインストラ:メンタルのディープ・アトモスフェリック・ドラムンベース「No Future」を[Skreamix]としてウォブリー・ダブステップに昇華したカッティング・エッジ・アンセムなど......これは昨年2月にベンガと再来日した際、ダブプレートとしてバック2バック・プレイしたのを記憶している。しかも彼らのような言わば"若手"DJ/プロデューサーが全編レコードによるアナログ・プレイであったのは予想外のことで、衝撃的な嬉しい出来事であった! UKではいまだ古き良きダブプレート文化がちゃんと若手にも受け継がれている。アナログの素晴らしさ、貴重さが再認識されたセットでもあった。もちろん筆者も、それを継承するアナログ・オンリー3台セットであるのは言うまでもない!
そして来る2月13日〈DBS〉にてドラムンベース界の皇帝、ゴールディーが再来日する。とともに、スクリームの実兄、ハイジャック〈HIJAK〉が初来日! ダブステップの最高峰〈FWD〉、〈DMZ〉でレジデントを務めるシーンのパイオニアのひとりである彼のダブステップ・イズムを体感できる貴重な日になるだろう。
こ、これは! 聴いた瞬間そう思った......背筋を走り抜けた衝撃の余韻がいまでも感覚として残っている。いったい何だろう......この感覚は......鳥肌が止まらない。いま、執筆しているときでも残っている。頭から離れないコードのメロディ。もしかしたら巡り会ったのかもしれない。自身が思い描く最高の曲の地点に限りなく近い作品に......ひとつ言えるのは、明日から向こう1年いや2年、自身のDJバックに"必ず" 入ることが決定したことだ。
"セバ"〈Seba〉ことSebastian Ahrenberg。スウェーデン出身である彼のプロデューサー起源は、〈Good Looking〉のサブ・レーベル〈Looking Good〉から1998年にリリースされた「Connected/Catch The Moment」だった。当時はアートコア全盛、オリジナリティ溢れるコズミック・アートステッパーとしてLTJブケムが見出したひとりである。この後、〈Good Looking〉の契約アーティストとしてアートコアの傑作アンセム「Planetary Funk Alert/Camouflage」を1998年、「Soul 2000/Waveform」を1999年に発表する。
とくにこの時期の筆者のお気に入りは「Soul 2000」だった。流麗なエレピの旋律から始まる序章......そこから呼応するシンセの冷たくも気高い響きに美しくはまる高速ビーツ。すべてのサンプルが絶妙に当てはめられた、これぞまさにパーフェクト。1995年から聴きはじめたドラムンベースで初めてそう思った曲が「Soul 2000」だった。そして、それを超える衝撃、完成度を誇る作品が今回リリースした「Joy (Face To Face) 」だ。セバの、北欧ならではの寒くも美しく共鳴する深層深い作曲センスは、ひと言で表せば"天才技"だ。
ヴォーカルとして共演しているカースティ・ホークショウ(Kirsty Hawkshaw)は、ロンドン出身のシンガーソングライター。90年代にテクノよりのポップ・バンド、オーパス・スリーのメンバーとして活躍していた。バンド解散後、ソロとして主にクラブ・シーンのヴォーカルとして、さまざまなアーティストと共演している。コラボレーションでとくにヒットとなったDJティエスト〈DJ Tiesto〉とのトランス・アンセム""Just Be"やプログレッシブ・ブレイクス・ユニット、ハイブリッド"〈Hybrid〉の「All I Want」、「Blackout」などが有名だ。ドラムンベースのシーンにおいては、主にセバのセルフ・レーベル〈Secret Operations〉からのリリース、彼のプロデュース・パートナー、パラドックス(Paradox)との共作、はたまたエレクトロ・ステップ/トランス・ドラムンベースのパイオニア、ジョンビー(John
B)との「Connected」など幅広く活躍している。その艶やかかつ幻想的な起伏を生む高揚感溢れるヴォーカルは、クラブ・シーンに欠かせない存在として現在も各方面からオファーが絶えない。とにかく彼女は人気ヴォーカリストである。
さて、「Joy (Face To Face) 」の解説だが、オープニングの寂しげなバック・トラックからオートメーションによりじょじょに入ってくる高速ブレイクビーツ、トランスのエッセンス溢れるサンプルを叙情的に組み込み、妖しげなレイブ・ベースラインを絶妙に注入する。その後、スライトリー・トランス的サンプルの音数を増やしながらファースト・ブレイクへの到達でカースティのヴォーカルの感情とベースラインが最高潮に達するエピック・リエディット。これが、少しづつ進むごとに深みを増して、深海の奥地で繰り広げられているレイヴと言ったところで、曲が終わった後にも入り込んだ残響感が心の芯まで残り、決して離れない。
自身はこれを待っていた。何度も聴きながら、そういう結論に行き着いた。この境地に辿り着く作品と出会えてこの上なく幸せであり、このふたりの偉大なクリエーターが今後もこの境地を何度も更新し続けてくれることを期待する。
ザ・ドラムスほどあからさまではないにせ、ニュージャージーを拠点とするのこのバンドのデビュー・アルバムにも流行のヴィンテージ・サウンドが加味されている。良くできたアルバムで、そつがないと言えばそつがない。品が良く、控えめだが確実に聴き惚れてしまうローファイ・サウンドだ。ギター・サウンドが好きな方はぜひ試聴して欲しい。キラキラとしたエレクトリック・ギターの音色の美しさが、このバンドの最大の魅力である。
"アトランティック・シティ"や"サバーバン・ビベレイジ"などはテレヴィジョンからトゲを抜いてやわらかく口当たりをよくしたようでもある。ヨ・ラ・テンゴっぽくもあるが、日焼けしたレトロスタイルが適度なエコー・エフェクトとともに響く。"プール・スイマーズ"はまるで水中で聴くオールディーズのようだ。"ブラック・レイク"のような面白味のある3拍子の曲でさえも、懐かしさと地味なエフェクトがある。どの曲も古くて、キュートで、スウィートで、ほんのわずかだけダビーだったりする。微妙なディレイがバンドの音に色を与えているのだ。"フェイク・ブルース"にはコーネリアス風のミニマリズムがあって、リアル・エステイトがただのオールディーズではないことを証す。6分にもおよぶ"サバーバン・ビベレイジ"は水浸しのミニマル・ポップで、最初の数分はファウストの名作『ソー・ファー』を想起させる。"レッツ・ロック・ザ・ビーチ"は夏が恋しくなる曲だが、夏まで僕がこのアルバムを聴いているかはわからない。
ある意味では曖昧で、とらえどころがないが、間違っても悪いアルバムではない。ケレンミもなく、素直だが、ディテールは凝っている。眠くなるアルバムだが、その眠りは心地よい。......しかし、〈ウッドシスト〉レーベルって、USでは評価高いよな~。
06年の出世作「Sea of Sand」(Cocoon)辺りからこのイスラエルの才人に注目した僕は、まぁ最初に彼を見出したトランスやプログレッシヴ・ハウス畑のひとたち(それこそディグウィードとかさ)から見たら、遅いよって感じだろうけども、自ら"遅咲き"を名乗っちゃう彼のそこからのさらなる躍進はほんとーに目を見張るものがあった。卓球が〈Sterne〉に呼んだときにDJを、スヴェンが恵比寿ガーデンホールで〈Cocoon〉のパーティをやったときにライヴを聴いてるんだけど、実は現場でのプレイは期待が大きすぎたのか死んでもいいわぁ! と悶絶するほどいいってこともなく、どっちかというとスタジオのひとなのかなとも思ってる。しかし、出すもの出すものほとんど外しがなく、しかもトランスとテクノとミニマルとその狭間の微妙なキモチイイツボをクリクリと(グリグリじゃないんだよね)押してくる感じは、絶妙すぎて勝手に神格化したいくらいなんだが、どーもあまり日本では評判になったりする感じでもないようだ。元サッカー少年で、突然ニュー・オーダーだとかを聴いて音楽に目覚めたという微笑ましい経歴含め、とっても好きなんだけどな、ガイ・ガーバー(と読むのかどうかは謎、英語読みでいいのか?)。
さて、今回のリリースは、昨年末に出たEPで、アナログだと2枚組で4曲、約40分。デジタル配信だとさらに4曲追加で計8曲、70分超というアルバム並のヴォリュームで迫ってくる。基本DJ向きのリリースだし、CDも出てないのでメディアにもスルーされている感じだが、これはぜひぜひ、iTunes StoreとかBeatportとかで買って、DJ以外のひとにも聴いてほしいリリースだ。以前のはっきりしたメロディ感や、トランス的なキラキラ感はいささか後退し、よりディープなトリップ感、ミニマルなフロアと交感した後の気分を素直に曲にしたような恍惚感が充満してる。――と思ったら、制作期間は昨夏で、ちょうどイビサに住み込んで〈SPACE〉でレジデントDJをやったり、各地のフェスを回っていた時期に作られたトラックらしい。春頃にリリースされたルシアーノとの共作曲「Arcenciel」が超ディーーーーーーーーーープで、昨年のフォルクローレや生音/トライバル一色だった〈Cadenza〉にあってはちょっと異色な1枚だったけど、あれが好きだったひとなら間違いなく気に入るであろう傑作だ。ただ今作はディープさやガイの持ち味だった精緻なプロダクション、美しい世界観だけでなく、チャント的なヴォイスであったり、ポリリズム的なパーカッションが大きくフィーチャーされていたり、"Jango Records"のようにギターをフィーチャーした曲まであって10分を越える長尺であってもまったく飽きずに楽しめる。
これだけタイプの異なる曲をギミック的にならずに料理できる腕は業界随一と言えるレヴェルになってきたんじゃなかろうか。どの曲も甲乙つけがたいが、去年はEkloや、ガイのレーベルである〈Supplement Facts〉からもヒットを飛ばしたフランスの3人組dOPとの共作曲"Ei Sheket"あたりが白眉か。今年中に出るというセカンド・アルバムも楽しみだ。野外で聴きたいから夏にどこかのフェスに来てくれないかなぁ。
ラーメンズのことはよく知らない。あぁ、MacくんとPCくんの擬人化比較CMのひとたちね、というくらいの知識しかなかった。それ以前だと、NHKの『爆笑オンエアバトル』なんかに出ていた大昔の記憶だろうか。テレビを敬遠して、やりたいことがやれる舞台を中心に活動してるっていうことも、カルト的に熱心なファンがたくさんいることも知らなかった。でも、正直言うと「この笑いがわからない低脳、センスなしは、死んでいいよ」くらいのことを言いそうなお笑いエリート主義のひとたちはすごく苦手なので、たぶん知ってたとしても自分とはあまり相容れない感じのものだろうと敬遠してたはずだから、先入観なしに観られたのはよかったのかも。
2008年に日本各地で上演された(ラーメンズでも脚本・演出担当する)小林賢太郎のソロ・プロジェクト第6弾となる、手品と演劇とコントを融合させたような妙な味を持つステージ『TRIUMPH』の東京、本多劇場での公演を収録した本作。なぜ、ここで紹介しようと思ったのかは、彼らのサイトの作り(プレイリストやディスコグラフィー等、ミュージシャン/DJ的メタファーを使っている)や、これまでの音楽家のチョイス(椎名林檎や徳澤青弦、LOSALIOSなど)から、なんとなく音楽への強いキモチを感じたということがあった。それに、ネットでラーメンズの映像をいくつか見てみたら、舞台での彼らはほとんど舞台装置を使っていなくて、こういうミニマルなスタイルで音楽に注力したものだったらなにか得るものがあるはずだと、直感したのだ。しかも、今回の音楽担当はFPMの田中知之。広大な音楽知識をもっている彼ならではの舞台の音楽ってどんなものかというのは、あまりFPMを熱心に追いかけてこなかった僕にとっても興味があった。
さて、本作の内容は、親の大きな期待を背負って生まれたにもかかわらず、無気力で無職でどうしょうもない生活を送っている主人公カフカ(小林)が、"背丈がぴったりなのと中身が空っぽだから"という条件だけで魔法使いの屋敷に拉致され、半ば強引に後継者として魔法を覚えさせられるという筋書きになっている。72時間後には消滅してしまうという運命を背負った先代魔法使いは本物のマジシャンのYUSHI、一言もしゃべらない設定の魔法使いの分もコミカルに舞台を盛り上げるふたりの手下役に犬飼若博と森谷ふみが配された4人芝居だ。「魔法」と言いつつ、単にそれほど斬新さもないマジックが延々と披露されるというのは笑うべきネタなのか、新しい試みとしてやってイマイチうまくいってないのかわからなかったが、小林自身がかなりのマジック好きのようなので単なる思いつきを100分ものお話にでっちあげたということなのかもしれない。秀逸な脚本や演技で感動させるとか思いっきり笑わせるというよりは、これまでの小林の世界やセンスをよく知ってるファン向けのサーヴィスという趣だ。つまらないわけではないし、ところどころ笑わされる箇所もあるが、どうもそれが創作の世界でなく、「いま舞台をやってる」というフレームをはみ出したメタなところへ踏み込んだときばかり(例えば、劇場での携帯電話や遅刻してしまった際のマナーを諭すネタ)だったようにも感じた。
期待していた音楽も、ピアノ・ジャズ的ないかにもマジック・ショーを想起させる古臭いループ曲(やたらにスクラッチ・ノイズがのっていたから既存の作品のリエディットかも?)と、ダンスするシーンなどで使われた80年代風エレクトロなど、狙っているのだろうけどあまりに良さがわからないものだった。田中知之自身が劇場にいて、曲の展開や尺をその場で決めていた、なんてことはないと思うのだが、仮にそういう生の要素を持たせてやっていたにしても、もっと音で昂揚させられる部分はあったはず。いろんな面でオーソドックスを狙いすぎだろうか。そういうものこそ実はとても難しいというのは、本当なんだな。
古代ポリネシアの最高神タアロアは、この地上に陸と海の完璧なハーモニーを備えた優雅なパラダイスを造ろうと思い立った。さっそく美と好天の神タネと、海の王ティノルアを遣わし、タアロアの意向に沿った傑作を造らせた。また、海溝の神トフには、鮮やかな絵の具の駆使して、多彩な魚や珊瑚、貝、そのほかの海の生き物たちを描かせた。
――フランス領ポリネシア、ボラボラ島に残る伝説より
ジャズのスタンダート・ナンバーとして知られる"ザ・ヴェリィ・ソウト・オブ・ユー"は、元々はイギリスのレイ・ノーブルによって書かれた楽曲で、1934年に彼が率いるグラモフォンのスタジオ・バンドがヴォーカリストのアル・ボウリーをフィーチャーしてレコーディング、それが最初のヒットとなった。ノーブルは同年渡米し、そこでも成功を収めるが、世界中でこの曲が知られるようになったのは、44年、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった22歳のドリス・デイが映画『ヤングマン・ウィズ・ア・ボーン』の中で歌ったのがきっかけである。当時、日本盤もリリースされていて、邦題は"君を想いて"という。その後、この曲は多くのヴォーカリストやプレイヤーにカヴァーされた。おそらく、今夜も何処かの国のジャズ・バーで演奏されていることだろう。
「花を見れば君の顔を、星を見れば君の瞳を想い出す。君のことばかり考えているんだ。愛しい人よ」。歯の浮くような甘ったるいこのラヴ・ソングは、しかし、そのシンプルさが故に、76年間、さまざまな人びとのさまざまな想いを乗せて、さまざまな形で歌い継がれてきた。例えば、のどかなオリジナル、キュートなドリス・デイ、味わい深いビリー・ホリデイ、ドスの効いたフランク・シナトラと、皆、それぞれ異なった魅力があるのだけれど、個人的にとくに気に入っているのが、58年、ナット・キング・コールがゴードン・ジェンキンスのオーケストラをバックに吹き込んだヴァージョンだ。夜中の静かな海辺のように、ゆっくりと押しては返していくストリングス。ブラック・コーヒーに一滴だけラムを垂らしたような、苦味が強いけれど、ほんのりと甘いヴォーカル。そして、ふたつが合わさって生まれる陶酔をある方向へ導いていくために、一定のリズムを刻むウッド・ベース。ただし、この幸福な楽曲も、歌詞に登場する"愛おしい人"に、もうすでにこの世にいないものを当てはめた途端、その響きはガラっと変わってしまうことだろう。ステレオから再生されたそれは、僕の耳に届いた瞬間から僕だけのヴァージョンへと変奏され、心に沁みて行く。あの日、以降。
[[SplitPage]]その部屋のアンプリファイアは、僕たちの自宅と同じ、BOSEのウェーヴ・ミュージック・システムだった。それが、自宅の倍以上はある部屋の、高い位置にいくつか設置されたスピーカーに繋がっていて、立体的な音響をつくり出してくれる。僕は日本から持って来た30枚近いCDの中からナット・キング・コールの『ザ・ヴェリー・ソウト・オブ・ユー』を選んで、その中に入れた。プレイ・ボタンを押すと、例のうっとりするようなイントロダクションが流れ、優し気なムードが室内を満たしはじめる。それは、開け放たれたドアからヴェランダへと溢れ出し、真っ暗で静まり返った海へと注いでいく。あいだには、デッキ・チェアに仰向けに寝転がって星空を眺めている妻がいて、その音は当然、彼女の耳にも届いているはずだし、そもそも、彼女の気持ちを考えての選曲だった。僕は、サウンド・システムのあるベッド・ルームからリヴィングに移動して、冷蔵庫に入れてある日本から持って来たマイヤーズをふたつのグラスに注ぎ、それを持ってまたヴェランダに戻って行った。ひとつを妻に渡すと、彼女は「ありがとう」と言って微笑む。季節は、日本では秋だったが、南半球のボラボラ島はこれからが夏本番で、僕はTシャツにショート・パンツだったし、彼女はワンピースだった。僕は自分のグラスを手に、ふたつ並んで置かれているデッキ・チェアの空いている方に、やはり仰向けになって寝転がった。夜空は快晴で、東京に住んでいる人間としてはちょっとギョッとするほど多くの星がさまざまな強弱の光で暗闇を彩り、10秒に一回は流れ星が、時にはシュッと音さえ立てて直線を描いた。
しかし、この考えうる最高のシチュエーションに恵まれたハネムーン、4日目の夜の中で、主役の2人は悲しみに暮れていた。アルバムの1曲目が半ばに達する頃、妻はコップに注がれた水の表面張力が限界に達するかのように啜り泣きはじめた。遠く離れた東京で、猫のチーが死んだという報せを受けてから6、7時間が経っていた。スムースに流れていくストリングスに追い縋るみたいに、シクシクという声が併走する。やがて、それは嗚咽に代わり、僕は妻の手を握り締めた。「旅行なんて来なければ良かった」。彼女は震える声で言った。「チーは私達が2度と戻って来ないのかと思って、悲しくて死んじゃったんだ」。僕は握力を強めながら、言葉を探した。「チーはきっと、死ぬところを見られたくなかったんだよ」。それは、彼女だけではなく、自分自身に言い聞かせるための言葉だった。「昨日の昼間に観たあの猫はチーだったんだ。チーが最後に会いに来てくれたんだ」。妻は言った。彼女はしゃっくりのせいで、たったそれだけの言葉を吐き切るのに大分難儀していたが、そのせいだけではなく、まるでスクリュー・ミックスがかけられたかのごとく、その間は長く、重く感じられた。「君は分からないだろう。君と離れていると、時間の流れがどんなに遅く感じられるか」。ナットキング・コールの歌声はボラボラ島の広く深い夜空のように、全てを包みこむように、響いていた。
「日本軍がパール・ハーバーを攻撃した後、日本の勢いを警戒して、連合軍がボラボラ島にも基地をつくったんだ。これはその名残だよ。」Tさんは小高い丘の上に立つ大砲に手をかけながら言った。「でも、結局、ここでは戦争は起こらなかったから、これも役に立たなかった。戦争が終わり、兵士たちが引き上げていった後には、彼らと現地の女性のあいだに出来た、何千人っていう子供たちが残されたらしい。他にすることもなかったんだろうね。色んな血が混ざっているから、ボラボラ島は美男美女揃いなんだ。戦下にありながら、唯一、天国だったのがこの島だよ」。彼は笑う。砲身は海の方を向いていて、そこからは、周りをぐるりと取り囲む珊瑚が外壁の代わりをして波から守ってくれるおかげで、エメラルド・グリーン色をした静かな海面が熱帯魚たちのパラダイスとなっている、ボラボラ島の美しさが一望出来た。
「それでも、2、3日前まではかなり風が強くて雲も出てたんだけどね。あなたたちは運が良いよ」。Tさんはサファリハットをずらし、よく日に焼けた顔で真っ青な空を仰いだ。日本を発ってから3日目、ボラボラ島滞在2日目のこの日、僕たちは島の自然を巡るツアーに参加していた。この島でガイドとして働いているTさんは日本人で、年の頃は50ぐらいだろうか、快活な中年男性である。1年の半分ほどはパリで、ローカルの奥さんがやっている雑貨屋を手伝っているそうなのだが、後の半分は買い付けも兼ねて、各国でガイドをやっているのだという。「このあいだまではずっとカリブ諸島にいたんだけど、やっぱりポリネシアの方がいいね。人間が優しい。まぁ、とくにこの島は豊かだし、人に余裕があるんだろう」。彼のジープで回ったボラボラ島の海岸沿いに建つ家々や教会は、パステル・カラーの配色が可愛らしかったけれど、お世辞にも立派とは言えなかった。それでも、そこに住む人びとの平均年収は日本とほぼ同じなのだという。「観光地として成功しているからね。しかも、土地は先祖代々受け継いでいるものだし、海に潜ればいつでも新鮮な食材が手に入るんで、食べるのに困ることもない」。年々、生き辛くなり、自殺率が増加している日本に比べれば、たしかにここは天国だろう。世界の先進国から、日々のストレスを解消するために多くの人びとが集まってくるのも当然の話だ。しかし、観光地として成功するということは、グローバリゼーションに晒されるのと同義でもある。
[[SplitPage]]「ここから見えるあの島は、有名な石油王のものだよ。このあいだ、あそこで開かれた結婚式にはたくさんのハリウッド・スターが集まっていたみたいだ。この辺の島の持ち主の名前を挙げていけば、世界の金持ちのリストがつくれるんじゃないかな」。ボラボラ島では、自然の破壊を食い止めるために、現在、これ以上のホテルの建設は禁止されている。また、世界中から水質学者が集まり、状態を監視している。僕たちが泊まっていたセント・レジスは施設も海も本当に綺麗だったけれど、散歩しながら、何気なく裏手にある観光用ではないビーチに出てみると、ちらほらとゴミが目に付いた。レストランでは、パンを千切って海に放り込み、魚を誘き寄せていた白人の男がいた。まぁ、もちろん、ここに旅行に来ている自分たちも同じ穴の狢なのだが。
「ボラボラ島の人たちは凄く優しいんだけど、ここで商売をしようとするなら別。自分たちの既得権益が脅かされることに敏感だからね。私も信用してもらうまでは色々と大変だったよ。そういえば、タヒチではフランスからの独立を主張する保守勢力が力を伸ばしていて、この前、山にそいつらが登って、タヒチの旗を立てたっていう事件があったな」。Tさんは島の中心に聳え立ち、現地の人びとからは聖なる場所として崇められているコテマヌ山を指差しながらそう言った。その岩山は、絵葉書のような風景の中でも、ちょっと異質な、非現実的な美しさを讃えていて、それは恐らく数万年前からほとんど同じものだったのだろうと思わせたが、しかし、麓の一部分は木々が倒され、シャベルカーが止まり、何かを建設しているようだった。19世紀後半、フランスのポール・ゴーギャンは野蛮に憧れてタヒチを訪れるが、そこでさえ文明に侵されつつあることを知って落胆し、人間の原始の姿を求め、ポリネシアを北上、最終的にはマルキーズ諸島で最後を迎える。それから100年後、旅行最終日に訪れたタヒチ本島は、もはや開発され尽くしたごく普通の都市だった。戦争を知らないボラボラ島には、未だに美しい自然が残っているが、しかし、この島はグローバリズムとローカリズムが、開発派と保守派が鬩ぎ合う新しい形の戦場でもある。そういえば、ポリネシアはリゾートであると同時に、近年までフランスによる核実験の場としても使われていたのだ。――そんな説明を毎日のようにしているはずのTさんはあっけないぐらい余韻を残さずに、地面に幾つも落ちているハイビスカスのようなピンク色の花を拾いながら言った。「この花は毎朝咲いて、毎夕方には散ってしまう不思議な花でね」。手渡された妻はそれを髪に飾る。「一日毎に咲いては散ってを繰り返すから、生まれ変わりの象徴とも言われているんだ」。Tさんは、にっこり笑った。
わずか30分もあれば車で一周出来てしまうぐらい小さな島をじっくりと2時間近くかけて回るツアーも終わりに近づき、Tさんのジープは島をもう1周しながら、参加した3組のカップルをそれぞれのホテルに帰るための船が止まっている船着場で降ろして行った。僕たちの順番はいちばん最後で、2番目のカップルが降りた後に、Tさんは後部座席の方を振り返った。「まだ時間があるでしょう? いい場所に連れて行ってあげるよ」。ジープは、今まで走っていた島の外周から少しそれて行く。道路は舗装されていなくて、車はガタガタと激しく揺れた。途中、工事現場の横を通り過ぎると、夥しい数の野犬の群が見えた。どれも雑種特有の濁った毛色をしていたが、普通に歩いていたらかなり恐いだろうなと思うような、大きな身体だった。野良犬を見たのなんて子供の頃以来で、その時、そうだ、野良犬はああいう悲しい目をしているんだと記憶が蘇った。Tさんがハンドルを握りながら忌々しそうに言う。「野良犬が増えて来たのは自然保護団体の奴らのせいだ。あいつらは野犬狩りに反対しているからね。......さぁ、着いたよ」。
車が止まったのは何の変哲もない空き地の前だった。がらんとした空間を1メートル程の石壁がぐるりと取り囲む、その一箇所に海亀を象った紋章が刻まれている。Tさんによると、そこは、19世紀後半、この島にキリスト教が持ち込まれて以降、表向きは禁止され密教となった土着宗教の儀式の場なのだという。なるほど、でも、そうは言ってもただの空き地だなと思いながらぼんやり眺めていると、向かいの壁の上に、白い、毛の長い猫が佇んでいるのが見えた。「チチ、チチ。こっちにおいで」。Tさんが手招きすると、チチと呼ばれた猫はぐるるっと唸りながら近づいて来た。Tさんはそれを抱き上げて、ふわふわの毛に頬をくっつけ、「この子はこの島でいちばん美しい猫なんだよ」と微笑む。燐とした雰囲気の、気高そうな猫だった。僕と妻はチチを撫でながら、「可愛いですね。今日の昼間、モツで見た猫達はもうちょっと庶民的な感じでしたが、それも可愛かったですよ」と言った。モツというのは、ボラボラ本島の周りに点在する小さな島々のことである。すると、Tさんは「あいつらは汚いよ。後でちゃんと手を洗った方がいい」と、顔をしかめた。その表情に並んだチチも、その通りよ、といった感じで澄ましているものだから、僕と妻は思わず笑ってしまった。時刻はまだ夕方にもなっていなかったが、近くに家もなければ街灯もないその辺りはそろそろ暗くなりはじめていた。(つづく)
中古レコード店にはたいてい「ライブラリー」と題されたコーナーがあって、燦然と輝くような高額商品が置かれているけれど、そのようなヴィンテージ商品を勝手に作ってしまおうという愉快なイミテイション・シリーズの第4弾。これまでに900Xことジェイムズ・マカリスター、ロー・オブ・ザ・リースト・イフォート、ケイジー・フォウバートという得体の知れない人ばかりがカタログを埋めていて、またしても謎の新人か......と思いきや、共作者名にスフィアン・スティーヴンスの名が。サウンドトラック盤だったとはいえ、昨09年にはポスト・クラシカルに作風を変えたことで賛否両論を巻き起こしたバンジョー弾きですね(メジャー・サイドのジム・オルークのような人です)。そういえば彼がオーナーのレーベルでした。オリジナル・アルバムのほかに「アメリカ50州シリーズ」もやっているわけだし、精力的なことこの上ない。
ライブラリーというと基本は電子音楽の古典で、実験的なものが多く、「テレタビーズ」のご先祖様のような音楽が次から次へと飛び出してくるわけだけど、それらを見事にシミュレートした全6曲は、しかし、かつてのような実験臭も消え去って、ここでは非常に快楽的なものとして生まれ変わっている。もっといえば、実験音楽で遊んでいるという感覚に近く、たとえていえばシカゴ・ハウスが第2期に入ってディスコ・リコンストラクを試みた時と同じく「現代的な刷新」というのが妥当だろうか。まったくもって真剣じゃないジョン・ケージ。安らげるシュトックハウゼン。方向感覚を失ったペリー&キングスリー......等々。ジ・オーブからダンス・カルチャーの要素を差し引いたものが聴きたいという人にはこれしかないし、『BQE』以前のスフィアン・スティーヴンスが好きだったという人はキープ・アウトかも。
とにかくどこを取っても音がくねくねとしてトグロを巻き続け、どこにも着地させてくれない。"アルファ・トゥ・シータ"にはノイ!にも匹敵する瞬間が何度もあり、"メラトニン・ララバイ"が見せてくれる風景は「3枚だと思ったら5枚はあった」感じ。ひたすら柔らかい音だけに包まれてしまう"ショート・サーカディアン・パルティタ"もたまらないですよ。あー。
このところ、09年のベスト・アルバムは......と訊かれて、エリアル・ピンクが新たにはじめた4人組のテキサス・サイケ、シッツ&ギグルズかなーとかなんとか答えることが多かったんですが、撤回します。ジュノで発見して調べてみたところ、昨年末ギリギリでジェット・セットに入荷していたので、逆転です!
フォーエバー・トリップ・ミュージック! ジャーニー・イズ・ア・オンリー・ウエイ!
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PETRE INSPIRESCU
INTR O SEARA ORGANICA
[a:rpia:r] / Romania / 2009/12/25
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RYO MURAKAMI
JUST FOR THIS
Dessous / Germany / 2010/1/25
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THOMAS BRINKMANN
WALK WITH ME
Curle / Belgium / 2010/1/25
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THE RHYTHMIST
THE AGENCY
P&D / France / 2010/1/26
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UG KAWANAMI
『DROP SCENE』
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SKUNK HEADS
『ANTI-HERO』
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HAIR STYLISTICS
『Throbbing GRIZZLY』
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Dj Killwheel a.k.a.16flip
『180atomosphere 2』
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SFP
『WE ARE THE ENEMY』T-SHIRTS
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コンピューマ
『副笑い 手ぬぐい』
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LVDS CAP
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PAYBACKBOYS SWEAT
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(500)日のサマー
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