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シットゲイズとはよくいったもので、彼らが見つめるのはクツではなくてクソ。いわゆるシューゲイザーは、過剰な歪みと軋みによって、純粋性を守ろうという音であり態度である。オリジナル世代はもちろん、忠実なるフォロワー「ネオ・シューゲイザー」にしても同様だ。汚れた世界をシャット・アウトし、深く自分のなかへ潜り込むためのフィード・バック・ギター。ノー・エイジのノイズはそれとは対照的だ。クソのような世界そのもの、である。
『ノウンズ』に続くサード・フルとなる本作だが、ヴォーカルのレヴェルが全体的に上がっている。曲にもよるが、以前はもっと音に埋もれていた。相変わらず音程の上下の少ない、祝詞のように平板なメロディだが、歌の輪郭が前面に出てくるというのはひとつの変化だ。タイムズ・ニュー・ヴァイキングほど割れてはいないが、ノイジーでストレートなパンク・チューンが目立ち、前作でいえば"ヒア・シュッド・ビー・マイ・ホーム"や"リップト・ニーズ"といった曲の傾向が、より素直に瑞々しく伸ばされている。"フィーバー・ドリーミング"のハードコア、"ディプリーション"の切ない疾走感、他の音を圧倒的に凌駕していくアンセミックなギター・ソロ、寄せてはかえす波のようなギター・ノイズは、滋養と生命に溢れた濁流にも、現代の混沌にも聴こえる。"キャタピラー"などアンビエント・テイストのインタールードもアルバムによい表情を加えている。がアルバムの折り返し点となっている"スキンド"や"ダスティッド"の繊細な叙情性にも驚かされる。
『ピッチフォーク』に掲載されたインタヴューによれば、昨年の『ルージング・フィーリング・EP』以来長い期間をかけて作ってきたのが本作で、マスタリング・ルームでヴォーカルを録り直すほど、細かく手がかけられているそうだ。こうした試行錯誤がふたりを成長させたという実感も述べられている『エヴリシング・イン・ビトウィーン』、『その期間のすべて』である。
彼らの活動拠点であるロサンゼルスのアート・スペース〈ザ・スメル〉や、ディーンが運営する〈ポスト・プレゼント・ミディアム〉の周辺を見渡せばわかるように、ブルックリンのアーティなインディ・シーンとも共振する西海岸の沃野......エイヴ・ヴィゴーダやミカ・ミコやラッキー・ドラゴンズ、シルク・フラワーズやハイ・プレイシズ、〈ザ・スメル〉のほうならギャング・ギャング・ダンスや横浜トリエンナーレでも異彩を放ったマルチ・クリエイター、ミランダ・ジュライまで繋がっている一大アンダー・グラウンド・サークル......この豊穣さを思えば、アルバム1枚の評価など相対的にはさして重要なものではないかもしれない。あるいは、彼らの動機と比べたら。
2年前に彼らは『タイニー・ミックス・テープス』の取材ではこうも語っている。「音楽をやるのはストレートな資本主義に対抗する行為だ。自分たちは決して金のためにバンドをはじめたのではない。ほんの少しでも経済的に見返りがあればラッキーだ。だがそれがなくても続ける。これはやらなくてはならないことなんだ。音楽をやらなくてはならない」
これはゼロ年代インディ・ミュージック・シーンのムードのひとつを的確に捉え、象徴する発言である。
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JAMIE 3:26
Live@Da House Spot Chicago CD1
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JAMIE 3:26
Live@Da House Spot Chicago CD2
JAMIE 3:26 / US
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JAMIE 3:26
Live@Da House Spot Chicago CD1
JAMIE 3:26 / US
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MODESELEKTOR/MODERAT
50 Weapons Of Choice #2-9
FIFTY WEAPONS / UK
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コブルストーン・ジャズや最近ではディンキーがリクルートしてきたことでも知られるカナダのテック-ハウス・レーベルが方向転換でも考えているのか、アブストラクト系ヒップホップのデビュー・ミニ・アルバムをリリース。全体に映画的な雰囲気が強く漂うインストゥルメンタル・トラックが(アナログでは10曲ほど)並べられ、30分にも満たないヴォリウムにもかかわらず独特の世界観を印象付ける。どこかファンタスティックで、しかし、基調はあくまでもしっとりとしていて、すぐに消えてしまう夢でも見ているような。
『ツイン・ピークス』から様々な断片を縦横にサンプリングした"ブラック・ロッジ"はオリジナルの妖しいムードを活かしたパートがあるかと思えばトロピカルな要素を上手く取り出したりと、かのTVドラマが持っていた多面性をそのまま曲にも移し替えている。また、上がり過ぎないカリビアン・テイストを練りこんだスレンテン風の"ウィピッツ"やどう説明していいのかわからない"93ミリオン・マイルズ"などユーモアのセンスには非常に優れたものがあり、インド映画か何かをカット・アップしたらしい"セイ・サムシン..."やモンド風の発想ではとくに冴え渡るものがある。見世物小屋的な感性といえばいいのか、予想外のヒップホップ・サウンドが見せてくれる素敵なイリュージョンは聴いても聴いてもどんどん耳からこぼれ落ちていく。
アナログとダウンロードを併用するというリリース形態が定着してきたからか、これまでCDのキャパシティに引きづられてきたような収録時間のアルバム・リリースは減ってきて、今年の初めに話題になったウォッシュト・アウトもそうだったけれど、パースウィート・グルーヴスやUSガールズなど、自由気ままな長さでアルバムをつくる人が増えてきた(石野卓球の判断もこれらと似たようなものか)。作品にはそれぞれ適正なスケールがあるはずで、それらがマッチしているに越したことはない。短いからといって、それだけでインパクトが落ちてしまうわけでもない。
ちなみに今年はスターキーやオリオールなど従来通りのフル・サイズでつくられたアルバムでも期待外れのものは少なくなく、とくにヒップホップではオンラに思いっきり肩透かしを食らわされてしまったので、どの辺りを注意して見ていればいいのかよくわからなくなって、それがまた楽しいなーという感じもありましたけれど、とりあえず、この人とポール・ホワイト、それからシュロウモはもっと聴きたいかも。
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Kip Hanrahan - A Poker Game; Luck Inverts Itself; Four Swimmers - American Clave |
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Dorothy Ashby - The moving finger - Cadet |
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Fumi - Better Way(Mustardspoon Mix) - Tongue & Groove |
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Jah Wobble - Amor - Island |
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Jorge Ben Jor - Ponta de lanca africano (Umbabarauma) - Universal Music |
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Lalo Schifrin - No One Home - Tabu |
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Kotey Extra Band - Sooner Or Later(Original Mix) - Bear Funk |
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Montana Sextex Featuring Nadiyah - Who Needs Enemies (With a Friend Like You) (Club Mix) - Virgin |
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Rah Band - Perfumed Garden |
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Jennifer Lara - Love and Harmony - Studio One |
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V.A. - Kompakt Total 11 - Kompakt |
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Latin Playboys - Same Brown Earth - Warner Bros. |
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Lay Low & Big Robot - Nordisc Split E.P. - I'm Single |
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Linval Thompson - I Love Marijuana - Trojan |
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Tom Tom Club - As Above, So Below - Sire |
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Laid Back - White horse - Sire |
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Daniel Lanois - Shine - Epitaph |
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Andres - II Part 2 - Mahogani |
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Hey-O-Hansen - Zulu - Pingipung |
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Juana Molina - Un Dia - Domino |
2010年にエイフェックス・ツインの『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』を聴くことは、1992年に『E2-E4』を聴くようなものかもしれない。より激しく、よりやかましく、ベースばかりが強調されていくダンス・カルチャーにおいてある種の"歌"を求める、という点において。当時、『E2-E4』の再評価と平行して湧き上がったのがデトロイト・テクノ・リヴァイヴァルであったことを思い出せばいい。デトロイト・テクノにより強調されてあったもの、そのひとつは"メロディ"だ。
あるいは、2010年にマウス・オン・マーズの『ヴァルヴァランド』を聴くことは、1992年にクラスターの『ツイッカー・ツァイト』を聴くようなものかもしれない。汗ばかりが噴き出て笑顔を忘れたダンスフロアに背を向けるという点において。クラウトロックの陽気な実験精神が、マンネリ化したダンスフロアにどれほどの自由を与えたのかを思い出せばいい。
ダーウィン・パンダにとって初めての新録アルバム(前作『コンパニオン』は既発曲の編集盤)『ラッキー・シャイナー』は、ダブステップのいかめしさからそそくさと離れていく。日本語堪能なこのエセックス・ボーイは、ハドルをしっかりと握りながら、やかましいダンスフロアを尻目に、進むべき向きを変えている。彼方に見えるのは『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』やなんか、メロディアスで楽しげなIDMスタイル......といったところだ。が、それは1992年に戻ることではない。2011年に進もうとすることだ。
先日来日したクラスターのライヴではずいぶんと女性の姿が見られたそうだ。90年代に初めて彼らが来日したときは、僕のようなクラウトロック好きのテクノ・リスナーか、さもなければ僕よりもさらに年上のマニアックな連中ばかりが集まって、狭い場内においても女性の姿を探すのは困難だったものだが、時代は変わったのだ、「クラスターの柔らかい側面がエレクトロニカを聴いている女性にも受けたのでしょう」とはある関係者の弁である。だとしたら......『ラッキー・シャイナー』は昨今のエレクトロニカ・リヴァイヴァルに反応する女性たちにも受け入れられる作品となるだろう。彼女たちに好奇心と、パンダの悪戯心を受け入れるぐらいの寛容さがあれば。もし『ラッキー・シャイナー』の音楽性を問われればこう答える。「とってもかわいらしいIDMスタイルですよ」と。それでもわからなければこう付け足す。「初期のマウス・オン・マーズと初期のエイフェックス・ツインが一緒にスタジオに入ったと想像してみてください」
まずは1曲目、先にシングル・カットされた"ユー"が素晴らしい。過剰にチョップするヴォイス・サンプリングで歌われる歌は、いわばジェームス・ブレイクらのポスト・ダブステップ・サウンドのポップ・アート・ヴァージョン......いや、3歳児のよるポスト・ダブステップ・サウンドのようである。
サンプラーを主体に曲作りをしているこの青年は"ペアレンツ"ではアコギの音を鳴らし、生まれて初めてギターに触る子供が出すような(要するにヘタッピーな)音を加える。"セイム・ドリーム・チャイナ"では中国の楽器の音を変調させ、あるいは"インディア・レイトリー"ではインドの楽器をいじくり倒し、それぞれ陽気でエキゾティックなハウスに変換する。"ビフォア・ウィ・トークド(僕たちが話す前に)"と"アフター・ウィ・トークド(僕たちが話したあとに)"は初期のマウス・オン・マーズのような悪戯っぽいエレクトロニカで、"ヴァニラ"や"スノー&テキサス"、"アイム・ウィズ・ユー・バット・アイム・ロンリー(君と一緒でも僕は淋しい)"にいたってはまさしく『アンビエント・ワークス』のモダン・ヴァージョンだと言える。
僕は『コンパニオン』をたしかに気に入ったし、よく聴いた。しかし『ラッキー・シャイナー』は気に入ったなんてもんじゃない。嬉しい驚きであり、ダブステップのネクストにおける重要な1枚だと思っている。下手したら流れを変えるかもよ。マユリちゃんもこのアルバムを聴いたら、来年の〈メタモルフォーゼ〉にパンダを呼ぶことを決断するんじゃないだろうか......。
なお、10月6日、dommuneにゴールド・パンダが出演します。時間は7時からです。みんなで彼の最新ライヴを聴きましょう。
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HARVEY PRESENTS LOCUSSOLUS
TAN SEDAN / THROWDOWN
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別プロジェクトの多さではマーク・マッガイアーに引けをとらないエメラルズのシンセサイザー奏者、ジョン・エリオットによるアウター・スペース名義の(Rやカセットを除けば)1作目。エメラルズのルーツであるドゥーム・サウンドはやはりギターのマッガイアーに由来するもので、そのセンスは彼のソロ作にもそれなりに痕跡を残していたものの、エリオットにはほとんど皆無といってよく、ほとんどタンジェリン・ドリームと化していたエメラルズ本体の変化と相似形をなすかのようなシンセサイザー・サウンドが全編で展開される(マスタリングはキース・フラットン・ウィットマン)。
テリー・ライリーを早回ししたようなキラッキラッのオープニングに続いて執拗な循環コードや70年代風の強迫的なトリップ・サウンドなど発想は実にシンプルで、とても最近の音楽を聴いているような気がしないと思う反面、リフのテンポや曲の展開などがあまりに早くて過去のものを聴いている気にもなれず、ここにあるのはクラウトロックのイメージそのものなんだろうなーと。それを共有できれば楽しいことこの上なく、天上の世界でお遊戯三昧です。それにしても古い機材ばかりよく揃えたなー......ってほどのことはないか。
ドローン・サイドからここまでテクノ的な発想のアンビエント・モードに接近した例はいままでなかったのに対して、テクノ・サイドからはスリープ・アーカイヴに続いてSTLの名義で知られるステファン・ロープナーも最近になってルナティック・サウンド・システムの名義でドゥーム系のアンビエント・ドローンを試み(『ヘヴィ・マインデッド・オーケストラ』)、ドローンとテクノの壁にも穴が空きはじめている印象がある。それがひとつの流れになるならば、スティーヴン・オモーリーのギターにジェフ・ミルズがリズムをつけるとか、リカルド・ヴィラロボスのセットにマイ・キャット・イズ・アン・エイリアンのオパーリオ兄弟がギター・ダブを試みるなど聴いてみたいと思う組み合わせは無数に思い浮かぶ。誰が最初にやるんだろうか。
ジョン・エリオットの別プロジェクトはほかにカラード・マッシュルーム・アンド・ザ・メディシン・ロックス、ホット・エアー・バルーン・ライド、イマジナリー・ソフトウッズ等々があり、彼とはミストの名義でさらに別なユニットを組むサム・ゴールドバーグ(裏アンビエントP244)もやはりレイディオ・ピープルの名義で(Rやカセットを除けば)1作目をリリースしたばかり。〈ウィアード・フォレスト〉からの『カレント』ではあまりヒネリのない素直なアンビエント・ドローンを展開していたゴールドバークはここではエメラルズに追従するようにノイやライヒマンなどもっと凝ったサウンドに歩を進め、もしもノイエ・ドイッチェ・ヴェレがクラウトロックを終了に追い込まなければ......という幻想に誘われる。
自分が歳を取っていくなかで、音楽家もどのように歳を取っていくのか、ここ数年、興味を持っている。木下君のECDのアルバム・レヴューを読むと、「自分も聴いてみようかな」という気持ちになったりもする。
"若さ"というものに関する過剰な信仰心は危険だ。「若さを保つ」とはコンプレックス産業の宣伝文句だが、常識的に考えて、保てるはずがない。人生において何かアクシデントがない限りは、若さとは誰もが平等に経験して、そして通り過ぎていくもので、生きていれば歳を取るのだ。もし生きていることを肯定するなら、ゆえに若くなくなることも肯定しなければならない。シーダの復帰後最初のアルバム『ブリーズ』は、ハスリング・ラップで鳴らした音楽家が着実に歳を重ねていっているなかの現在が収録されているという点において僕には興味深い。そして、シーダの作品の歳の取り方は、社会との関わりのなかで発露されている。
『ブリーズ』のリリックの多くは、前作に収録された"Dear Japan"の発展型であり、政治的な言及はさらに目立っている。いっそうのことデザインやアルバム・タイトルにおいても彼の政治的態度をはっきりと表明すればよかったのに......と思ってしまうほどだ。カーティス・メイフィールドの、残酷な社会への憤りを露わにした『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』ように。『ブリーズ』の本質が"日本"を徹底的に批判することであるならば......。
いや、たとえ『ブリーズ』の本質がある種の人生論であり、"日本"批判が目的ではないとしても、アルバムにおける狙いのひとつは、いまの日本の姿を彼なりに炙り出すことにある、と思われる。政党政治、環境問題、格差社会、普天間基地、医療問題、派遣切り、バブル経済......などなど、いまの日本社会のトピックをいくつも挙げ連ねながら、このテクニシャン・ラッパーは彼のライム(芸当)によって、こうしたある意味鈍くさい物言いを娯楽のレヴェルにまで押し上げようとする。"FLAT LINE"のような感傷的な曲でさえも、彼の卓越した個人技(ライム)にかかれば最後までしっかり聴いてしまう。それはそれで拍手ものである。「政治は生活の一部であり、もしそれを無視するなら生活について歌えなくなってしまう」と意見したのはブルース・スプリングスティーンだが、シーダはJラップにおけるスプリングスティーンのようだ。その感傷的な体質まで似ている。
それにしても......オートチューンを使って殺伐とした競争社会を揶揄しつつ「思いやり」を説く"THIS IS HOW WE DO IT"、国会中継をクサしながら「好きな日本を探す」と繰り返す"TAXI DRIVER"のような曲を聴いていると、「なんて一途で真面目な人なんだろう」とひとしきり感心する。こうした、どちらかいえばべたな言葉遣いは、どこかぎこちなく、咀嚼し切れていない感じが残っているように聴こえるかもしれない......が、他方で、"ReBARS"や"MOMENTS "のような怒りが詰まった曲では、具体性を帯びた言葉が説得力にもなっている。音楽はほとんどの場合、個々の感情にしか影響を及ばさないとしても、抽象性を欠いた『ブリーズ』は、ゆえにひとつの明確な伝達として働きかけ、リスナーにとってわかりやすい助言――という言葉をあえて使わせてもらうが――になりうる可能性を秘めている。リスナーを外の世界へと向かわせる契機をはらんでいる。そもそもヒップホップを聴いている多くの人間が、二木信のように系統立てて社会や労働について学んでいるわけではない。
『ブリーズ』はしかし、その中心がわかりづらいアルバムでもある。19曲もあるなかで、満場一致で芯と思えるであろう曲が見つからない。ボス・ザ・MCを迎えた勇ましい"WISDOM"? アルバム冒頭にあるダンサブルな"SET ME FREE"? アメリカの大物デヴィッド・バナーの客演を取り入れた話題曲"LIFE SONG"? センチメンタルな"DREAMIN'"? あるいは路上の人生学"道(23区)"? ......聴く人によって見え方が異なるタイプのアルバムで、下手したら資本主義社会における生き残りを描いた『カイジ』の世界のような"鋭利"がいちばん好きだという人だっているかもしれない。いずれにせよ、『ブリーズ』は音よりも言葉が気になってしまうアルバムだ。音楽的な快楽がないわけではないが、どうしても言葉に耳がいく。随所に出てくる"money""ビジネス""サクセス"といった言葉には、僕はいまでも馴染めないのだけれど、しかし、それが彼らのリアリティなのだ。「そういうものか」と思うしかない。
昔、ニューヨークで開かれたミュージック・セミナーにおいて、「音楽家は良いレコードと良いショウをすればいいだけで、自分の聴衆に対してまで責任を負うべきではない」という意見に対して、「絶対にそんなことはない」と迷わず反論したのがジョージ・クリントンだったという。シーダがその場にいたらジョージ・クリントンとがっちり握手して、音楽家はよりよい社会のために貢献すべきだと誓いを立てていたかもしれない。シーダの音楽に"ファンク"は感じないけれど、彼が外の世界と結びつこうとしているのは間違いない。部屋のなかで自問しているのでなく、彼は世界に向けて窓を大きく開けているのだ。