「Dom」と一致するもの

interview with Zomby - ele-king


Zomby
Dedication

4AD/ホステス

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 ゾンビーは先回りしているようだ。いまごろ雷鳴が轟く丘の上の古城のなかで、ボトルを片手に、消費社会の速度に追われている人たちをあざけっているかもしれない。そして、人間の原始的な欲望はいつの時代も変わらないと、つぶやいているんじゃないか。
 ゾンビーの音楽は多様というよりも、あまりにも無秩序に思えるときがある。〈ハイパー・ダブ〉から出している2枚組12インチがその好例だが、ガラージのレコードのなかに間違ってダーク・アンビエントが収録されてしまったかのような、唐突とした感覚がある。しかしそうした他との違いも、彼が様式や分析といったものよりも自分の原始的な嗅覚を尊重しているからだろう。そういう意味ではゾンビーは、いまどき珍しくディオニソス的である。以下の短い受け答えからもそのことは読み取れるはずだ。
 彼の最新作『デディケーション』は、1980年代にゴシックの重要な舞台のひとつとなった〈4AD〉からリリースされている。彼はその名前からも察することができるように、死者、死霊、地獄、呪い、悪魔......といった闇や非合理的なものに執着しているが、同時に酩酊を推奨する。『デディケーション』は、冷静さをあざけり、なりふりかまわず酔いしれることを良しとするゾンビーの最新の成果である。

蛍光色の服を着るような、バカなクラバーとはまったくもって違うけどね。俺はいつもクラブの後ろでいい大麻を吸い、たくさんの女の子たちとボトルで何か良い酒を飲みながら音楽を聴いて浸るんだ。

『Dedication』は素晴らしいアルバムでしたが、あなたはアルバムというフォーマットに興味がないのかと思ってました。『Where Were U In '92? 』はコンセプト・アルバムだったし、2009年の『One Foot Ahead Of The Other EP』でさえも、あなたは"EP"と言ったわけだし、シングル主義にこだわっているのかと思ってました。

ゾンビー:ただやりたいことをやりたいときにするだけだよ。そのとき書いてる曲に応じてEPにするかLPにするかをレーベルが相談してくるんだよ。とくにフォーマットに関してこだわりはないな、アルバムのコンセプトが物語とかなら別だけど。

あなたの音楽はダンス・ミュージックもであり、ヘッド・ミュージックもでもあります。ダブステップのようで、ミニマル・テクノのようにも感じます。まるでジャンルの境界線で鳴っているように思うのですが、そこは意識してそうなっているのでしょうか?

ゾンビー:ダンス音楽の意図は変わっていて、音楽に好感を抱き、それに対して躍らなければいけないものじゃないんだ。踊れる曲を作るのはシンプルだよ。もう少しやりたいね。

あなた自身、自分の音楽をどのように定義できると思いますか?

ゾンビー:芸術(アート)。

ハードコア全盛期に音楽体験をしているから『Where Were U In '92? 』を作ったのでしょうけど、1992年にあなたは何歳でしたか?

ゾンビー:違うよ。その時代に対するラヴレターのような感覚だね。まだそんなパーティに行くには若過ぎたよ。外から見てはいたけどね。ただそこから得るものもあったよ。たとえば10歳の子が18歳のパーティに参加出来なくても興奮できないってわけじゃないだろ?

1992年のどこにいちばん魅力を感じますか?

ゾンビー:選べないな。1992年はイギリス発信の多くの素晴らしいダンス音楽がリリースされた年だって事を理解しないと。Acenや Aphex Twinだってそうだろ。1992年の曲ならいまここでいくらでも挙げれるよ。

あなたがゾンビーという名前を名乗った理由を教えてください。

ゾンビー:死んでるし、地獄にいたからさ。

そこにドラッグ・カルチャーは関係していますか?

ゾンビー:いや。

生まれも育ちもロンドンですか?

ゾンビー:ああ。

ナイト・クラビングは好きですか?

ゾンビー:いまは仕事ばかりだけど昔は行ってたよ。蛍光色の服を着るような、バカなクラバーとはまったくもって違うけどね。俺はいつもクラブの後ろでいい大麻を吸い、たくさんの女の子たちとボトルで何か良い酒を飲みながら音楽を聴いて浸るんだ。

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ティンバランドやファレルなんかが登場したあとの音楽は信じられないほど良くなってて、UKもそれに匹敵するオリジナルのサウンドがあったし。そんな音楽の成長課程を目にしながら育って、参加しないわけにはいかないだろ?


Zomby
Dedication

4AD/ホステス

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あなたが音楽制作をはじめたきっかけについて教えてください。

ゾンビー:当時自分をとりまいていた音楽がそうさせたんだよ。ティンバランドやファレルなんかが登場したあとの音楽は信じられないほど良くなってて、UKもそれに匹敵するオリジナルのサウンドがあったし。そんな音楽の成長課程を目にしながら育って、参加しないわけにはいかないだろ?

顔を出さないのは、アンダーグラウンド・ミュージックの匿名性を重視しているからですよね?

ゾンビー:そんなことして無いよ。俺がZombyでロンドン出身なのは知ってるだろ? 検索すれば写真も出てくるし、ぜんぜん秘密じゃないよ。ただあまりネット上で自分をプロモーションしすぎないだけさ。俺は音楽をやるだけ。

あなたは音楽に大麻からの影響はありますか?

ゾンビー:ああ、吸うよ。影響もあるだろうね。おそらく。

アクトレスとはどのように知り合ったのですか?

ゾンビー:ずっと前から知り合いさ。

あなたは自分がダブステップのプロデューサーだと言われることに違和感を感じますか?

ゾンビー:ああ。もういまはそう呼ばれるのは嫌いだよ、すべてがダブステップみたいなね。2005年にダブステップが出てきてから世界中の人がそれに乗っかってきてる状況で、ダブステップに意味を持たせるのはグッチ・メインがヘヴィーメタルだって言うようなもんだよ。おれはダブステップを作ってるんじゃなくて、音楽を書いてるんだ。おれはイングランド出身だし、ダブステップはイングランドで生まれたもんだけど、おれの作品の代名詞じゃないし、おれはダブステップより前に存在してるから。

アルバム全体に漂う独特のトランシーな感覚はどこから来ているのでしょうか?

ゾンビー:わかんないな。

"Riding With Death""Lucifer""Haunted""A Devil Lay Here"など不吉な曲名が並んでいますが、理由を教えてください。

ゾンビー:おれは地獄の扉に潜ったんだ。自分が感じるようにタイトルをつけるまでだよ。

ホラー映画からの影響がもしあれば具体的に言ってください。

ゾンビー:そうでもないよ。どちらかと言えばヒッチコックとかキューブリックかな。状況を作り上げることに興味があるんだ。

『One Foot Ahead Of The Other EP』もそうだでしたが、あなたの曲はじょじょにフェイドインして、いきなりぶった切るように終わる曲がいくつかありますよね? これはどんな理由というか、意図があってのことなんですか?

ゾンビー:それはそういうものってだけ。説明は不要だよ。

まずはアルバムのテーマについて教えてください。あるコンセプトに基づいて作られたものであるなら、そのコンセプトも教えてください。

ゾンビー:このアルバムの制作準備中に親父が癌で死んだんだ。だから人生においてもっとも自分が影響され、自分の音楽を書くきっかけを作ってくれた父に捧げることにしたんだ。

アニマル・コレクティヴのどんなところが好きでしたか?

ゾンビー:彼らの音楽だよ。

あなたが4ADと契約した理由は、昔、このレーベルからコクトー・ツィンズが出ていたことも関係していますか?

ゾンビー:そんなものは聴かない。オレはラップしか聴かない。

あなたが音楽に求めるモノは何でしょうか?

ゾンビー:スワッグ(自信、容姿や振る舞いなどからくる自身のスタイル)だね。

エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーで、好きな人の名前を何人か挙げてください。

ゾンビー:Aphex Twin、Burial、Lex Luger、Araab Muzik、Southside、Shawty Redd、Keyboard Kid......ラップを聴くね。インストは聴かないな。

現在、ダブステップのシーンはメインストリームになりましたが、あなたは現在のシーンに関してどのような意見を持っていますか?

ゾンビー:オレとは関係ないよ。オレは売れるダブステップを作ろうとしてないし、ただ売れるダブステップを書いてる奴らにとったら、まぁすごいことだろうね。

Mute Beat - ele-king

 2年ほど前、あるファッション関係の女性と話していたとき、彼女はいまもっともかっこ悪いのは金を持った中年だと言った。何故ならこのご時世、自分のセンスなどなくても金さえ払えば有名ブランドで身を固めることができる。最近はその手のファッショナブルな金満オヤジが少なくない。恥ずかしい......彼女は本当に顔を赤くして憤っていた。
 ファッションとはそれなりの貨幣で交換するものではないのか......と若い世代が思うとしたら、そのように思わされてしまっているということだ。ファッションとは、ショーウインドウにいくら鼻をこすりつけても向こう側へは行けない人間が変身する術であり、日常的な自己表現のひとつである。あるいは、襟の長さやベントの位置にこだわることだ。ミュート・ビートは......藤川毅氏による本作の解説にも触れられているように、洒落たバンドだった。若者が憧れるには充分なほど、素晴らしくファッショナブルだった。ミュート・ビートは(これもまた解説に記されているように)、ポスト・パンクの流れで登場したバンドだった。そう、80年代のニューウェイヴ時代のバンドだ。この時代のバンドはみんな服装に関して意識的で洒落ていたものだが、単一のセンスに支配されることはなかった。バンドによって各々の趣味は発揮され、個性的だった。その多くが古着を利用して工夫していたわけだが、イアン・カーティスにいたっては作業服を着ていたほどだった。こだま和文も服装にこだわりを見せるひとりで、ミュート・ビート時代の彼は、映画『第三の男』のようなフィルムノワールに出てくる主人公を彷彿させるような40年代のスーツ・スタイル、もしくは20年代のスタイル、あるいはパンクやルードボーイのスタイルなどを自由気ままに取り入れてアレンジしていた(ちなみに最近は、19世紀末のヨーロッパのスタイル=燕尾服と縫いぐるみを混ぜている)。

 結成20周年を記念すべく企画されたこのベスト盤『The Best of Mute Beat』は、メンバーが選んだ10曲とグラッドストーン・アンダーソンとの共作の1曲を加えたもので、こだま和文をはじめ、朝本浩文、今井秀行、エマーソン北村、内容幸也、増井朗人、松永孝義、宮崎泉(ダブマスター・X)、屋敷豪太の9名それぞれが2011年2月に投票した結果の上位10曲を収録したものである。3.11以前、こだま和文がソロ公演で演奏していた"キエフの空"も選ばれているが、これが驚くべきことに、メンバーからの票をいちばん集めた曲だったという話だ。多くの人は『ラヴァーズ・ロック』を推すが、僕はいまでもデビュー・アルバムの『フラワー』がいっとう好きだ。そのなかからは"メトロ"と"ビート・アウェイ"しか収録されていないが、2曲とも名曲である。バンドにとって最初のヒット曲、1986年の12インチ・シングル「コフィ」も収録されている。勢いのあるこのスカ・ナンバーはいま聴いても本当に格好いい......いや、いまだだからこそ格好いいと言うべきか......そう、ここ数年、欧米そして日本でも80年代のニューウェイヴ・リヴァイヴァルが続いている。要するに、欲を言えばキャッチーな"ハット・ダンス"(『フラワー』の2曲目)は入れて欲しかったってことである。
 もちろん素晴らしいベスト盤だ。リスナーは、ミュート・ビートがいまでも最高のダンス・ミュージック・バンドであることに気がつくだろう。いろんなスタイルのビート、そして洒落たアレンジがあって、鼓笛隊のドラミングからはじまる"マーチ"のような愛嬌もある。多くの曲がリスナーの心を優しく揺さぶるだろう。それとも空をあおいでみたり、ため息をついてみたり、走りたくなったり、泣きたくなるかもしれない。プロフェッショナルな演奏を展開する、基本的にはエンターテイメント性を重視したバンドだったと思うが、言うまでもなく作品を特徴づけるひとつの要素はこだま和文のメランコリックなトランペットだ。しかしそれとて、インプロヴァイザーのように自己主張しているわけではない。それぞれの楽器――キーボードやトロンボーン、ベースやドラム、ギターとしっかり歩調を合わせながら"ミュート・ビート"のいち部として機能している。ほとんど伝説となっているグラッディ・アンダーソンとの共演"サムシング・スペシャル"は素晴らしい夜のための最後の1曲だ。これが収録されていることでこのCDの価値は確実に高まっている。


追記:1987年のグラッドストーン・アンダーソンとの共演ライヴもDVDとしてリリースされている。"アフター・ザ・レイン"の神秘的とも言えるはじまりも最高だが、このライヴでしか聴けないスカやロックステディの名曲カヴァーの数々は鳥肌モノ。また、当時のミュート・ビートがいかに我々にとって"先生"だったのかよくわかるライヴでもある。そしていかに女性に人気があったかも!

9/17 (土)DBS presents BIG BASS SESSIONS @代官山UNIT

 9/17 (土)DBS presents "BIG BASS SESSIONS"@代官山UNITは、3.11東日本大震災の一週後に予定されていた来日を断念せざるおえなかったDJ ZINCが今回イチ押しのSCRIPT MCを引き連れ、リベンジに臨む。そして迎え撃つは日本が誇るターンテーブルマエストロ、DJ KENTARO!!!  これは絶対聞き逃せない!

 筆者が主宰しているDBS(DRUM & BASS SESSIONS)は'96年11月に新宿リキッドルームでドラム&ベースの魅力をダイレクト感じてほしいという思いで開催し、現在は代官山UNITを本拠に今年で15周年を迎える。'07年のMALA初来日を皮切りに当時としては異色とも思われたドラム&ベースとダブステップの競演をはじめ、グライム、UKファンキーなどベースミュージックが体感できる場となっている。そして今年は15周年に向けたカウントダウンとして、DBSにゆかりのあるアーティストを中心に毎月の計画を進めていたものの東日本大震災、そして原発事故の影響で開催を停止せざるえなかった。が、ようやく、9月から再スタート。DBSの歴史のなかでもとりわけ深い関わりを持つ、DJ ZINCの登場である。そんなDBSとDJ ZINCとの関わりの記憶を辿り、彼の経歴を振り返ってみる。

 筆者がZINCを知ったのは'95年、DJ HYPEのGanja Recordsからリリースされた「Super Sharp Shooter」だった。

Dj Zinc - Super Sharp Shooter (Original)


 ファンクやヒップホップのサンプルが織りなすこの曲はUKで沸騰爆発したジャングル・レイヴのアンセムとなり、無名のZINCをいち躍ドラム&ベース・シーンの最前線に押し上げた。当時20代前半のZINCに初めてロンドンで会って話を聞いたが「'80年代後半に海賊放送を聞いてレイヴに行き出し、DJをはじめるきっかけになった」、曲作りについては「他のアーティストとは違うオリジナリティが必要で、自分の以前の曲ともまた違う新しいアプローチでクリエイトする事が重要だと思う」と真摯に語ってくれたのが印象に残っている。まもなくZINCはHYPE、PASCALらとレーベル〈True Playaz〉を設立し、大ヒットを連発、快進撃を続け、'97年6月のDBSでHYPEとともに来日を果たして以来、DBS恒例となった"True Playaz Night"でしばし来日し、バウンシーな独自のサウンドで日本での人気を拡大しておこなった。

 その間、ZINCに変化が起こったのは'99年に〈True Playaz〉からプロモ発表された"138 Trek"。

Dj Zinc- 138 Trek


 ドラム&ベースのベースラインをまさに138 bpmというUKガラージのテンポで表現したこの実験作は、ブレイクスと2ステップ/UKガラージの両シーンから圧倒的な支持を受け、ブレイクステップ/ブレイクビート・ガラージという新ジャンルを確立し、翌2000年に立ち上げた自己のレーベル〈Bingo Beats〉へと発展する。それは、対等な関係とは言え、キャリアの違いゆえ〈True Playaz〉のなかでHYPE、PASCALに次ぐ"第三の男"として世間一般に認識されたZINCにとって大きな転機であり、また彼の音楽的実験のために必然だったと言えよう。

 〈Bingo Beats〉においてZINCはJAMMIN名義でUKガラージ・シーンに切り込み、ZED BIAS、DARQWANことORIS JAY、WOOKIEといった重鎮と関わり、彼のレーベルはドラム&ベース、ブレイクビート、UKガラージ、ブレイクス、ダブステップと、UKアンダーグラウンド・サウンドの先端を網羅する。そこにはグライム〜ダブステップを先導した海賊放送Rinse FMとその系列で'01年にはじまったパーティ「FWD>>」、レーベルの〈Tempa/Soulja〉との密な交流が生まれた点が大きい。そしてDBSでは'03年にZINCとZED BIASをフィーチャーして最初の"Bingo Beats Night"を開催して以来、レギュラーとなり、盟友DYNAMITE MCとのコンビで日本を沸かせ続けた。
 '03年にはドラム&ベースの範疇に留まらないZINCの才能をアピールしたアルバム『FASTER』がメジャーの〈Polydor〉から発表される。ここには90 bpmのダウンテンポから180 bpmの高速ドラム&ベースまで自在に遊泳し、フューチャー・ジャズ、2ステップ〜ダブステップにも大きな影響を与えた。

Dj Zinc - People 4


 その後、〈Bingo Beats〉はディーヴァ、JENNA Gをスターダムにのし上げ、CHASE & STATUS、SIGMAといったドラム&ベースの精鋭を擁して発展を続け、ZINCのDJ活動もワールドワイドに拍車をかけた。そんなZINCに次なる転機が訪れたのは'07年、そのフォーマットの呪縛か、ドラム&ベースに独創性を見出せなくなった彼は、ドラム&ベースに背を向け、DBSを除くいっさいのDJブッキングを取り下げ、幼い息子との濃密な時間を過ごし、自身のキャリアをいかに前進させうるか、試行錯誤したと言う。そのあいだZINCはDBSにダブステップを繋ぎ、SKREAMを伴って'07年に来日した他、BENGAやN-TYPEとの仲介も務めてくれた。またいまやベース・ミュージック界の歌姫となるKATY Bを'08年に見出している。

DJ Zinc ft. Katy B - Take Me With You


 '09年、ZINCが出した回答は"Crack House"。ZINCならではベースライン・サウンドを主体とし、エレクトロ、ダブステップ、ディープ・ハウス、フィジェット・ハウス、ファンキー・ハウス、ブレイクス、ジャングル等をミックスした最新鋭のエレクトロ・ダンスミュージックの誕生である。同年に〈Bingo Beats〉のサブレーベルとなる〈Bingo Bass〉から「Crack House EP」を発表、そして昨'10年にはMS.DYNAMITEのヴォーカルをフィーチャーしたシングル「Wile Out」をUK TOP40にチャートイン、次なるEP「Crack House Vol.2」のリリースでZINCの新機軸"クラック・ハウス"はUKシーンの最前線に躍り出る。その後もPAUL WELLERの"Wake Up The Nation"のリミックスを手掛けた他、KATY Bのデビューアルバム『ON A MISSION』のプロダクションに関わるなど、新領域を驀進している。また最近はUKで'95年のジャングル・セットを披露するなど、DJを楽しんでいるようだ。

DJ Zinc ft. MS Dynamite - Wile Out


 来日が間近に迫ったZINCに近況を聞いた。

現在"ベース・ミュージック"という括りでダブステップ、ファンキー、クラックハウスなどのUKサウンドが脚光を浴びています。"ベース・ミュージック"と言うのは曖昧にも思えますが、あなたはこの括りをどう思いますか。

DJジンク:名前のとおり、同じ起源を持っているすべての異なったジャンル似ついて説明する早道だと思うよ。

その"ベース・ミュージック"の発展に大きく貢献したのは今年17周年を迎えるRinse FMだと思います。あなたはRinse FMと深く関わっていますが、どう思いますか? また、Rinseがパイレーツでやっていた時代と合法化されたいまとでは違いがありますか(※94年に海賊放送としてはじまったRinseは'10年に認可された)?

DJジンク:そのとおり。Rinse FMは新しい音とともにつねに動いて、アンダーグラウンド・ミュージックを強くサポートしてきた。僕はRinseの運営者達と親密でRinseのDJでもあるよ。ライセンスを得る前と後で音の違いは全くないけど、認知度が広がり、とても大きなステーションになったね。

09年の「Crack House EP」、10年の「Vol.2」であなたがクリエイトしたクラック・ハウスは浸透したと思います。その後のリリースはありませんが、今後どのようにクラック・ハウスを推進していこうと思っていますか? また、最近の制作活動を教えてください。

DJジンク:いまもクラック・ハウスのトラックに取り組んでいて、〈Rinse Recordings〉のためのアルバムを作っているよ。ヴォーカルや生楽器も入れていて、エキサイティングだよ。

ドラム&ベースのジンクを期待するファンと現在のあなたの音楽性によるギャップがあったかと思いますが葛藤はなかったですか?

DJジンク:さほどではないよ。僕が聞いた多くのコメントは、「いつドラム&ベースを止めたんだ、怒るよ」ってものだったけど、いまは「新しいハウス・サウンドが好きだよ。勇敢に立ち向かってくれてありがとう」というのが多い。僕はドラム&ベースでとても忙しかったからスタイルを変えるのは難しかったんだ。

現在あなたが注目しているアーティストを教えてください。

DJジンク:REDLIGHT、BOY 8 BIT、JACK BEATS、WILL BAILEYだね。

今回一緒に来日するSCRIPT MCとはどうやって知り合ったの?

DJジンク:僕が年に1、2回プレイするNewquayのクラブでレジデントだったので知り合ったんだ。彼は良かったし、自分のセットにMCが必要だと思った時、真っ先に彼を選んだんだ。

今回のロンドンの暴動は日本でも大きな話題となりました。この件について個人的にはどう思いますか? またダブステップの本場のクロイドンは暴動のひとつのポイントになりましたが、音楽がUK社会に与える影響は無関係なのでしょうか。

DJジンク:そのとき僕は英国を離れてたので実際にこの目で見ていないんだ。クロイドンのように、貧困地区はしばし非常に良い音楽を作ると思う。人びとは多くの空き時間やとても強いエモーショナルなフィーリングがあるからね。

最後に、3月に決まっていたあなたの来日公演は1週間前に起こった地震の影響で中止になりました。その後も原発事故の影響で日本全体がいまも苦しんでいます。しかし音楽の力を信じている人は多くいますし、あなたの来日を熱望していた人々もいます。9月の来日にあたっての抱負と日本人へのメッセージをお願いします。

DJジンク:日本に戻るのを楽しみにしています。3月にキャンセルしなければならなかったのはとても悲しかったけど、地震の数日後で東京の状況がとても悪かったからね。僕には日本の人びとがそれ以来、困難なときを過ごしているのがわかります。そして今回僕が東京で音楽をプレイし、人びとが楽しんでくれて数時間でも皆が抱えている問題を忘れてもらえれば。music unites people. see you soon tokyo family!

DJ ZINC関連リンク
https://djzinc.com/
https://www.myspace.com/bingozinc
https://twitter.com/djzinc
https://rinse.fm/

text by KYOHEI KAMBA

9/17 (土)DBS presents BIG BASS SESSIONS @代官山UNIT

DRUM&BASS SESSIONS 15th.Anniversary Countdown!! [1996-2011]
DBS presents "BIG BASS SESSIONS"

2011. 09. 17 (SAT) @ UNIT

feat. DJ ZINC+SCRIPT MC
     DJ KENTARO
with: Eccy , Dj P.O.L.Style
     DJ MASSIVE

vj/laser: SO IN THE HOUSE

B3/SALOON: TETSUJI TANAKA, DJ MIYU, ENDLESS , ATSUKI (MAMMOTHDUB)

open/start 23:30
adv.3300yen  door 3800yen

info. 03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com

K-the-I??? - ele-king

 マサチュセッツからL.A.に拠点を移し、前作から3年ぶりとなるケイ・ザ・アイ???ことキキ・シークのサード・ソロがリリースされた......のだけれども、いままで彼のことを知らなかった人には、むしろ、これまでの活動内容を教える気になれないない。それぐらい、彼のこれまでの作風からはかけ離れていて、一体、これはなんというジャンルに属するものなのだろうと考えてしまうほど新譜紹介の路頭に迷ってしまう。基本的には何かのムーヴメントに属している音楽が好きで、そのようにして想像界の奴隷と化していることにさしたる文句はないのだけれど、たまには作家性だけで音楽にやられてしまうことも悪くはないというか。とにかく、この、どこにも属さない楽しさは素晴らしい。

 ジ・オーブ風のふにゃふにゃとしたオープニングから、いまの季節にそぐわないガッシりとしたブレイクビーツにヘロヘロとインプロヴァイゼイションめいた無調のシンセサイザーが絡みつく。続く"もしも彼らを殴れないなら、彼らの仲間になれ"では一気にアブストラクな展開へと雪崩れ込み、"秋に近づかない"ではインダストリアル・ダブ・フォークをループさせ、激しいカット・アップの向こうからスカにヒップホップを混ぜ合わせたものが聴こえてくる(レゲトンとかダンスホールではない)。さらに"やる必要があってさえ?"ではトロピカル・タッチのインダストリアル・ブレイクビーツが後半から思いも寄らないムードのダブへと突入し、モンドを早回しにしているような"あなたは私を傷つける"や"サン・シャイン・オン・ミー"と、リズム・キープもどこへやら(ちゃんとしてますけどね)、そして、どこからともなく湧き上がってくる感慨を受けて、アンチコンからソールをフィーチャーして意外とまともなラップに聞こえる"サード・プラネット"へ。中盤の流れはどこか『ファンタズマ』を思い出すけれど......そう、このアルバムはアンダーグラウンド・ヒップホップの『ファンタズマ』と考えていいのではないだろうか。5秒ほど待ってみたけれど、どこからも反論がなかったので、そう認定してしまおう。ふはははは(©中村うさぎ)。

 後半は複雑なレイヤー構造から脱し、あくまでも打点の置き方を複雑怪奇にしたビート・フリークぶりを印象付けていく(とくにタイトル曲)。「社会的不適合」では、若干、初期の作風を思い出すものの、かつての自由度とは違う種類の自由を感じさせるところがあり、デビュー・アルバム『ブロークン・ラヴレター』(06)でたっぷりと聞かせてくれたジャズの再利用とはまったく違うところに関心が移っていることもよくわかる。また、エンディングに向かって曲の構造を単純にしていくことで、解放感を高めていくという意図も感じられ、実際、複雑に絡み合ったイメージを抜け切ったところでアルバムは終了する。とはいえ、そう簡単にすっきりさせてくれるわけでもない。『テルマ&ルイーズ』のように、気分が昂揚したところで、あえて結論が示されないまま途中で放り出される(これほど次にどんな音楽を聴こうか迷ったことはない)。

PS:......そうはいっても、このアルバムを聴いて、彼のこれまでの活動にも興味を持ってしまったという方には、〈マッシュ〉からのデビュー・アルバム『ブロークン・ラヴレター』とショートロックとのジョイント・アルバム『3・トゥ・3・ミリオン・ロボッツ・トゥ・コマンドー』(06)はお勧めしますが、セカンド・ソロにあたる『イエスタデイ、トゥデイ&トゥモロー』(08)はそれほどでもないので、どうしても気になる方はどーぞ。

Haiiro De Rossi - ele-king

 僕が最初にハイイロ・デ・ロッシに深い関心を抱いたのは、彼が台湾系日本人のラッパー、タクマ・ザ・グレイトと昨年の11月28日にYouTubeにアップした「WE'RE THE SAME ASIAN」を聴いたときだった。尖閣諸島の領土問題に端を発した渋谷の反中国のデモにレスポンスしたこの曲は、いわばヒップホップ・アゲインスト・レイシズムだ。ラップ・ミュージックによる人種差別や排外主義への的確なカウンター・パンチだった。インターネット上のニュース・サイトのコメント欄は炎上した。しかし、彼らは音楽によってリスクを冒してでも議論の場を作ることに覚悟があった。詳しくは本サイトの彼のインタヴュー記事を読んで欲しい。東日本大震災が起きた翌日に「PRAY FOR JAPAN」という曲をいち早くYouTubeにアップしたのもハイイロ・デ・ロッシだった。

 言葉に重きがあるという意味において、一般的に日本語ラップは言葉が強い音楽だ。純粋に音だけを聴こうとすれば、相対的に国内外の他のジャンルより退屈だという意見もよく聞く。言わんとすることはわかる。実際に少なくないラッパーが「他のジャンルに音楽として舐められている」という思いを抱いていることも知っている。
 では、純粋に音を聴くとは何か? いまこの問いを掘り下げることは避けるが、音楽は音だけではないというのはもうひとつの真実である。グッチ・メインやリル・ウェインのミックステープは逮捕や釈放のニュースとともに届くし、NYのジェイ・Zや京都のアナーキーの地元意識は彼らの音楽を磨いている。ナズがオバマに向けた曲やシーダが日本を憂う曲に私たちは感動し、タイラー・ザ・クリエイターやメロウハイプの猟奇性と乾いたサウンドの秘密を読み解こうとする。ECDに至っては......(以下、省略)。
 ミュージシャンの人間性、背景や人生、あるいは思想や政治性も音楽文化の重要なファクターである。そもそもいまの日本でこれほど積極的に"社会に開かれた"音楽ジャンルが他にあるだろうか。それが日本語ラップの魅力でもある。ハイイロ・デ・ロッシのような勇敢な表現者が登場する音楽文化がこの国にも存在することを僕は嬉しく思う。

 「右翼だろうが、ギャングスタだろうが、オレはラップだったらやりますよ」。筆者のインタヴューにハイイロ・デ・ロッシはラップだったら誰とでも勝負すると語り、自分は音楽主義者であると強調した。本作『forte』に収められたミドル・テンポのファンク・トラック"Ultimate Arts"で、彼はこんなことをラップしている。「HustlerやPimp以外がProps得る方法を教えてやる/それはRap出来るか出来ないか」
 ファースト・アルバム『TRUE BLUES』を2008年に発表したとき、彼は流麗なジャジー・ヒップホップの上で巧みにラップするラッパーだった。音の隙間を縫うようにドリブルするフロウには、計算された美しさと華麗なフットワークがあった。件の取材でも彼はエミネムやタリブ・クウェリのラップのリズム分析を饒舌に語った。
 ファーストのスタイルを洗練させた2010年のセカンド・アルバム『SAME SAME BUT DIFFERENT』は、国内のインディ・ヒップホップを取り扱う恵比寿のレコード店〈we nod〉の2010年上半期ベスト・リリース20枚に選ばれた。エクシーがトラックを制作した表題曲を聴くと、「WE'RE THE SAME ASIAN」の伏線になっていたことに気づかされる。慈悲に溢れたこの曲は彼のキャリアにおいてもっとも重要な1曲に入るだろう。

 サード・アルバム『forte』は現在25歳のハイイロ・デ・ロッシの人間的成長と音楽的展開が落とし込まれる形となった。タイトルは自身が運営するインディ・レーベルからきている。Pigeondust、EeMu、HIMUKI、Legro、YAKKLE、JUELS、%Cといったトラックメイカーが参加している。
 ドラッグを否定する"Good Bye Kidz HipHop"や"夕陽が落ちて行く前に"のなかで歌われるナイーヴな態度に僕は馴染めない部分もあるけれど、深く傷ついた経験は人を過剰に防衛的にもする。これらの鬼気迫る感覚は、彼がハードな経験を乗り越えてきたことを思わせる。
 「ACID MDMA コカイン/オプションが無きゃ語れないPain/そんなに急いで何処へいくHipHop?/つきまとう暴力イリーガル/はく付けるよりスキル付ける」"Good Bye Kidz HipHop"
 印象でしかないが、例えばダンス・ミュージック・シーンよりヒップホップ・シーンのほうがネガティヴな形でドラッグや暴力の問題が噴出する場合が多いと感じる。ここまで言わせる現実があるのもまた事実なのだ。

 ハイイロ・デ・ロッシのラップは鋭く切れるペーパーナイフのようだ。繊細さと大胆さがあり、言葉の端々からは彼の野心が漲っている。タクマ・ザ・グレイトやバン、万寿といった彼らのクルー、BLUE BAGGY HOO RE:GUNZの仲間を迎えた"S.K.I.L.L.Z" で、下手なラッパーを蹴落とすかのように自分たちのラップの上手さを誇示している。ネプチューンズとJ・ディラの間を行くようなLegroの渋いトラックも面白い。
 Graceという女性シンガーをフィーチャーしたラヴ・ソング"Honey"はスウィートなソウル・ミュージックのサンプリングとチョップから構築されている。JUELS というLAのトラックメイカーによる1曲だ。また、"Blue Bird Classic"ではミニー・リパートン"インサイド・マイ・ラヴ"をサンプリングしているが、彼らはこの定番ネタの淡いピンク色とブルーを溶け合わすことで独自の色を出している。

 アルバムは全体的にメランコリックなトーンが強い。これまでにあまり見せることのなかったソウル・ミュージックの感性やBボーイらしいセルフ・ボースティング、攻撃性も聴くこともできる。また、慈悲というのは現在のハイイロ・デ・ロッシの主題かもしれない。いずれにせよ、「WE'RE THE SAME ASIAN」で脚光を浴びたラッパーの注目の新作である。

BIG JOE - ele-king

 札幌のラッパー、ビッグ・ジョーが『監獄ラッパー 獄中から作品を発表し続けた日本人ラッパー6年間の記録』という本を出版する! 本書で彼は、オーストラリアのジェイル(刑務所)に収監された自身の経験を赤裸々に綴っているのだが、これが抜群に面白い。麻薬密輸で逮捕された真相はもちろんのこと、獄中で発表した4枚のアルバムの制作秘話、荒くれ者の犯罪者たちとの共同生活、獄中の食生活についてまで、こと細かに書かれている。ビッグ・ジョーらしいのが、この経験から人生哲学を導き出そうとしているところ。こだま和文さんのエッセイ集『空をあおいで』とは異なる切り口から、自由についての思索を試みているとも言えるかもしれません。9月21日にはDOMMUNEで番組も予定されています!!

Bushmind - ele-king

 いま日本にルードな音楽はあるのだろうか。何事にも屈したくはない町のちんぴらが楽しめるルードな音楽はどこにあるのだろう......。
 10代の頃、いっしょに遊んでいて楽しいのはちんぴらだった。彼らからは、ここにはとても書けないような楽しいことをずいぶんと教えてもらった。ザ・スペシャルズは町のちんぴらに共感するあまり、彼らの将来を案じた曲(まあ、カヴァー曲だが)、"ア・メッセージ・トゥ・ユー・ルーディ"でこう呼びかけている。「やんちゃばかりしないで、おまえは自分の将来を心配して生き方を変えたほうがいいぞ」
 が、しかし、いつの時代でもやんちゃな人間はいる。ちんぴらは、その嗅覚で彼らを受け入れてくれそうな場所をかぎ分けて、出入りする。僕は今年になって、近所のバーでひとりの若いちんぴらと知り合った。音楽が好きで、話せば気のよさそうに見えるところもあるが、目つきはかなり悪い。たまに近くの公園で会うと、軽い挨拶程度の会話をする。もしこんど会ったらこのアルバムを教えてあげよう。ブッシュマインドのセカンド・アルバム『グッド・デイズ・カミン』である。

 2007年の『ブライト・イン・タウン』は、いったい誰の作品なのかわからなくなるような、支離滅裂なまでにたくさんの人間が参加し、脈絡が不明なほど雑多な音楽性が並べられていたものだが、4年ぶりのセカンド・アルバムとなる『グッド・デイズ・カミン』は、これこそがブッシュマインドにとって本当のファーストなんじゃないかと思えるほど、アルバムらしいアルバムになっている。結束を固めたフットボール・チームのように参加者すべてがこのアルバムのいち部となっているように思える。
 『グッド・デイズ・カミン』はしかし、ルード(粗暴)な音ではない。禁欲的でもない。アルバムのタイトルとスリーヴ・アートが暗示するように、意外とも言えるほど滑らかで夢心地なチルアウト・ビートで統一されている。基本的にはヒップホップ・アルバムだが、はったりやお涙頂戴の湿っぽさ、ナルシズムや説教はない。それが彼らの流儀だと言わんばかりに、言葉でとくに何かを強く主張したいという感じではなく、どこまでも乾いたフィーリングがある。淡々としているようだがビートのアイデアは豊富で、ときにメロウで、陶酔を失わない。ウィズ・カリファとも似た......目つきの悪い町のちんぴらに笑顔をもたらしてくれそうなユーモアとグッド・フィーリングを持っている。
 Rockasenをフィーチャーした"Toilet MTG"は、さわやかなトラックのうえで少々ドジなストーンを実にコミカルに描いている。DUOがラップする"アスファルト"はユニークなビートを持った曲で、レゲエからの影響を感じる"no.03"、サックスのサンプリングをフィーチャーした"Blliliant"、まったくドリーミーな"10th & Wlof"、弦楽器のループがメロウに展開する"Archaeological Digging"のようなインストゥルメンタル曲も魅力的だ。なかには"G Dat E"のような4/4キックドラムを活かしたソウルフルなテクノ・トラックもある。少年Aによるラガマフィン調のラップをフィーチャーした"We Like A Sensi"は爆笑もので、CIAZOOがラップする"No Sleep Daydream"はブッシュマインドが目指すところのテクノとヒップホップとのサイケデリックな融合の試みが最大限に引き伸ばされている。

 僕のなかでこういう音楽は、ザ・クラッシュの"ルーディー・キャント・フェイル"をはじめ、ザ・スペシャルズやデキシード・ミッドナイト・ランナーズ、ポーグス、そしてザ・ストリーツのデビュー・アルバムに続くような、いわば不良のロマンティシズムの系譜として位置づけている。もしすべての人間がきっちりと規則を守っている社会があるとしたら、すべての学生や会社員が人から言われた通りにだけ動いたら、それは本当に心地よい場所と言えるのだろうか。そうした疑問が浮かぶとき、彼らは頼もしく思える。とはいえ僕は、くだんの若者にこんど会ったときにはダンディ・リヴィングストンが60年代に残したメッセージを最後に付け足すつもりではある。

World's End Girlfriend - ele-king

 このアルバムがリリースされた2000年は、エレクトロニカ/IDMと呼ばれる電子音楽が最初にもっとも幅を利かせていた時代だった。その年にリリースされたレディオヘッドの『キッドA』がまさにそのスタイルを取り入れたアルバムとして騒がれ、それまでもっともコアなテクノ・リスナーが何のサポートもなしに熱心に支持していたオウテカはいきなりポップのメインストリームへと接近した。エレクトロニカ/IDMのひとつの発信源となったのはフランクフルトの〈ミル・プラトー〉というレーベルで、いまではアルヴァ・ノトを見出したレーベルと言ったほうが通じるのだろうか、まあとにかく踊れないエレクトロニック・ミュージックを出しまくっていた。
 現代の大衆文化においてエレクトロニック・ミュージックの発展、とくに大衆化をうながしたのはダンス・ミュージックだった。踊っている連中にしてみれば、エレクトロニカ/IDMと呼ばれる電子音楽は、頭でっかちなスノッブ極まりない音楽に見えることもあったが、しかしそれは、時代の流れに即して言えば、現場で踊っているヤツこそ偉いという体育会系的な専制主義の罠にはまることなく、むしろ踊らないことの自由によって新たな第一歩を踏むことができた試みの系譜とも言える。エイフェックス・ツインやビョークといった連中は、へたすれば遊びも知らない大学院生御用達の音楽に聴こえかねないそれをポップのメインストリームで通用させ、コーネリアスはロック・サウンドにおいてもそれが応用できることを発見し、実践した。ワールズ・エンド・ガールフレンド(WEG)はこうした時代のなかで日本から登場した最初の大物だった。本作『エンディング・ストーリー』は2000年10月にリリースされた彼のデビュー・アルバムだが、長いあいだ廃盤だったそうで、今月の上旬にWEGが主宰する〈ヴァージン・バビロン〉レーベルから晴れて再発された。
 「なんか、ついに出てきちゃったという感じでしょうか」と、2000年11月に刊行された『ele-king』の最終号のレヴューのなかで三田格は書いている。「キッチュかつスピーディー、もしくはメランコリックかと思えばスラップスティックと、きわめてスキゾフレニックな音の配置や日本人離れしたメリハリの効かせ方(中略)。なんか、ついに出てきちゃったという感じでしょうか」
 ......と、こういう風に彼の文章を引用すると「自分の言葉で書けよ」と怒られるので、みなさんも気をつけたほうがいい。WEGはこのアルバムにおける自分の影響を、エイフェックス・ツイン、コーネリアス、フィッシュマンズの3つにあったとその当時に明かしているが、ポストモダンとしての『エンディング・ストーリー』にはもっと多くのテクスチャーがブレンドされている。小学生の頃はベートーヴェンが好きだったという彼のクラシック趣味はハーモニーやメロディに活かされ、アンビエント・ミュージックの温もりもダンスフロアの生き生きとした躍動感もある。ゴージャスなラウンジ・ミュージックめいた洒落気も、ドタバタ喜劇めいた演出も、こと細かでリズミカルなエディットも、どれもがいま聴いても心地よく、鼓膜を飽きさせることはない。コーネリアスが音世界を無邪気に楽しむように、『エンディング・ストーリー』にも無心に音に遊ぶことの面白さがたっぷりとある。
 しかし、『エンディング・ストーリー』、ひいてはWEGの音楽を特徴づけるのは、そうしたドライで緻密な展開の背後からときに噴出するエモーションにある。手品師がさんざん芸で沸かせておいた挙げ句に、ある瞬間にだけ人格が変わって、まるでハードコア・バンドが客席にツバを飛ばすような勢いで自らの感情を露わにする。まあ、しかしそれもほんのわずかな時間で、たいていの場合WEGは気品を失うことなく、優しく語りかけるような音楽を続ける。とくに『エンディング・ストーリー』は、その題名とは裏腹に、多くの場面でファンタジーを演じている。そして、そのなかには彼の豊かな感情表現が注がれている。それは、ワールズ・エンド・ガールフレンドや『エンディング・ストーリー』といった言葉に希望的観測への抵抗があるように、シンプルなレイヤーで解けるようなものではない。『エンディング・ストーリー』は確実に酔わせてくれるが、悪酔いするかもしれないアルバムでもある。

L'Orchestre Kanaga De Mopti - ele-king

 酒を何杯もおかわりして、べろべろになるまで飲んで、そろそろ終電だしお会計をしてもらおうかと言った瞬間に「オレ2000円しかないから」と言えるのが二木信である。これもストリートワイズというのだろうか......。先日、友人の結婚パーティの流れから、小野島大さんをはじめ、野間易通くん、松村正人くん、二木くんという不思議なメンツで新大久保の韓国料理屋で飲むことになった。そのときハウス・ミュージックを聴く前に何を聴いていたのかという話題になり、で、ワールド・ミュージックということになった。野間くんは、80年代なかばの大阪でどれほどワールド・ミュージックが大きな影響となっていたかをこと細かに説明した。そして、21世紀はふたたびワールド・ミュージックが面白いよね、という話になった。
 前にも書いたり言ったりしていることだが、震災前は紙ele-kingでワールド・ミュージックの特集をやりたいと思っていたほどだった。まったく得意な分野ではないが、専門家の力を借りながら、この10年のあいだに起きている第二次ワールド・ミュージック・ブームの様子をいちど整理しつつ紹介したいと思っていた。ポップのメインストリームではM.I.A.、ディプロ、ネプチューンズらがアフリカやカリブ、ラテンなどから多彩なビートを取り入れて、ヴァンパイア・ウィークエンドやギャング・ギャング・ダンスはインディ・キッズの耳をワールド・ミュージックのほうに近づけた。
 クラブ・シーンではUKファンキーのような電子音楽におけるアフロビートがトレンドとなって、南アフリカで生まれたシャンガーン・エレクトロや南アフリカ人によるハウス・ミュージックがヨーロッパのリスナーを魅了した。グレン・アンダーグラウンドのようなシカゴ・ハウスの大御所もアフリカを主題にした。日本ではクンビアが流行し、UKの〈オネスト・ジョンズ〉や〈スタジオ!K7〉傘下の〈ストラット〉はアフリカ音楽を出し続け、サン・シティ・ガールのアラン・ビショップが運営するシアトルの〈サブライム・フリーケンシーズ〉は東南アジアや中東の歌謡曲やロック/フォーク、西アフリカの音楽を片っ端からリリースしている。
 そんななかでも目立っていたのはアフリカだった。先述したように南アフリカの音楽(過去のリイシューものからモダンなエレクトロニック・ミュージックまで)、エチオピアン・ジャズ、西アフリカのサハラ砂漠周辺の音楽――ガレージ・ロックから伝統的な音楽までと、もはや"アフリカ"のひと言で括るには無理がありそうなほど多様な"アフリカ"がレコード店を賑わせていた。あるときロンドンの友人にこうした"アフリカ"ブームについて訊いたら、単純な話、距離が縮まったからだと答えていた。この10年間で欧米とアフリカ大陸との交通網が急速に発達し、価格的にもずいぶんと行きやすくなった。ワールドカップが南アフリカで開催されたことはその象徴のひとつだろう。欧米においては、こうした身近さのなかで音楽に関する研究も進んでいるようだ。(昨日のDOMMUNEのホワイト・ハウスもアフリカの話題になりましたね......)

 マリは近年、砂漠で生きるトゥアレグ人のグループ、ティナリウェンの国際的な成功などによって音楽ファンからもっとも注目を集めている西アフリカ諸国のひとつだが、このアルバムは1970年代にマリで録音された音源集の再発盤で、レーベルはアムステルダムの〈キンドレッド・スピリッツ〉、ジャケも当時リリースされたオリジナル盤と同じだ。この再発盤がリリースされたのは今年の春先だったか......いつかレヴューを書こうと思ってそのままになっていたレコードの1枚で、野間くんがあまりにもワールド・ミュージックの話をけしかけるので、ようやく書こうと思い立った。
 さて、マリをはじめ、ブルキナファソ、ギニア、そしてセネガルといった西アフリカ諸国には、70年代には州がオーガナイズしていた地域のビッグ・バンドが多数存在していたという。研究者のレポートによればその10年間は西アフリカのビッグ・バンドの黄金時代だったそうで、その中心にはマリ政府が設立した〈Mali Kunkan〉レーベルがあったという。本作『Kanaga De Mopti』はレーベルが1977年に商業リリースしたアルバムで、研究者によれば黄金時代に残された作品のなかでも出色のできとして知られているらしい。あるレヴューには「いままで日の目を見なかったことが悲劇だ」とあったが、本当にその通りかもしれない。マスターピースという言葉が相応しいアルバムだと思う。
 レコードには1960年代から西アフリカ諸国でビッグ・バンドがどのように発展していったのかが詳しく記されている。また、収録された6つの楽曲についての解説もある。結婚式のための音楽、仮面を着用して踊るドゴン人の儀式のための音楽など、ビッグ・バンドのジャズ、ファンク、マリの南東にあるナイジェリアの英雄、フェラ・クティのようなコール&レスポンスのスタイル、そして伝統音楽とのブレンドによる多彩な音楽が楽しめる。この時代のアフリカらしいスタッカートの効いたブラス・セクション、反復するヒプノティックなリズムは本当に迫力満点だ。とくに何曲かは特別な輝きを持っている。光沢あるギターに導かれてはじまるミドル・テンポの"Gambari"は、クラクラするようなリズムと壮大なメロディを鳴らすブラス・セクション、そして素晴らしい歌によって構成されている。最後の曲"Sory Bamba"もリズムやメロディと同時に"歌"も際だっている曲だ。
 マリの〈Mali Kunkan〉レーベルは、当時の西アフリカの音源の宝庫らしい。30年以上ホコリをかぶっていた暗い倉庫のなかから西アフリカのビッグ・バンドの黄金時代の記憶がまだまだ出てきそうである。

FREEDOMMUNE ZERO - ele-king

FREEDOMMUNE/アフター・ザ・レイン文:野田 努

 DOMMUNEらしいといえば実にDOMMUNEらしいスリリングな経過とまさかの幕引きとなった。悔しかったし、悲しかった。こんな事態にでもならなければ見えなかったであろう愛も見えた。そんな濃密な1日だった。
 8月19日の昼の12時45分、川崎駅に到着したとき、予想以上の暴風雨に、レインコートと折りたたみ式の傘を持ってきた筆者でさえも、カメラマンの小原泰広といっしょに少し大きめの頑丈な傘を買いに駅構内を走った。会場に着いたときには、横殴りの暴風雨に傘は役に立たず、少し歩いただけでもズボンはけっこう濡れた。ひどい雨と風だったし、Tシャツ1枚では寒かった。それでもいっしょに来場した三田格も松村正人も、やや遅れてきた田中宗一郎も、やがては雨も弱まり、〈FREEDOMMUNE ZERO〉がはじまることを疑っていなかった。が、しかし海沿いに長くのびた東扇島公園の天候は容赦なかった。

 それでも最初のうちは、3時からトークをはじめるという話だった。徹夜明けの宇川直宏がレンコート姿で到着した。ひと通りカメラやPAのチェックをしてトークの準備に入ろうとしたが、配信のための回線が繋がらない。ハブもランケーブルも朝からの豪雨による浸水によってダメージを受け、取り替えなければならなかった。回線が復旧して、実際にトークがスタートしたのは4時をまわっていた。その背後では、宇川がPCに向かって天気情報をかたっぱしからチェックしながら、スタッフたちと状況確認を続けていた。途中、回線は何度も落ちた。
 雨が弱まった時間帯もあった。そのたびに脳天気なトーク・ブースは喜びを露わにしたが、宇川は冷静だった。18時に大雨の予報が出た。その大雨が通過したらはじめよう。彼はそう言った。

 DOMMUNEの現場に来ている人はよく知っているように、ふだんの宇川は好物のブラッディメアリーを片手にカメラをまわし、スウィッチングをする。が、この日の彼はとてもそんな感じではなかった。会場内の雨が弱まっているときでも、海辺の様子を見に出向いた。戻ってきて、そして、海岸はまだ荒れているんだよと、無念の表情で言った。
 宇川直宏が中止を決めたのは、その晩の川崎市の大雨洪水警報が解除されなかったからだ。津波警報も出ていた。最終的には、23時に集中豪雨が川崎市を襲う可能性があるとの気象庁が発表した予報をみて、決断したようだった。東日本大震災復興支援イヴェントとして企画したフェスティヴァルだというのに、大雨洪水警報が出ている場所に1万人以上の観客を招くことはできないと、宇川は繰り返した。自分に言い聞かせるように。
 実際に夕方までの現地の天候は酷いもので、落雷の可能性もあった。あの状態が深夜オーディエンスで埋まった会場を襲ったとしたら......と考えると、とんでもない。たしかにその後雨は止んだけれど、それは結果論。中止することのさまざまなデメリット、その損害を回避するためにも警報を無視して自分たちのやりたいことを貫くか、あるいはオーディエンスや出演者の安全面を優先するのかという二択のなかで、迷わず後者を選んだことはDOMMMUEらしい決断だったし、英断だったと思う。自らが下した中止という決断に、もっとも悔しい思いをしているのは他ならぬ宇川直宏本人だろうし......。あとからイヴェント会社の人に訊いたら雨天における事故の確率は100倍にもなるという話だった。
 それにしても......トークの途中で、「いま中止ってツイットしたんだよね」と彼がぽつりと言った瞬間は、筆者はその意味を理解するのに時間がかかってしまった。あまりにも唐突に聞こえたからだが、それだけ宇川直宏は、ことの深刻さを出演者やまわりの人に悟られないようにふるまっていた。そして中止が決定すると、その直後にはオフィシャルHPから公式な公演中止の発表があった。

 その後、DOMMUNEらしいインプロヴィゼーションがはじまった。三田格、そして途中から司会を無茶ぶりされた磯部涼の奮闘もあって、トーク・ブースにおけるショーは夜まで続いた。快楽亭ブラック、安部譲二、石丸元章、五所純子、大友良英、吉田豪、杉作J太郎、常盤響、山口優、山辺圭司、秘密博士、松村正人らが出入りして喋ったそれは、いつもながらのDOMMUNEの光景のようにも見えたが、この緊急事態においては妙々たるハプニングもあった。わりと早めの時間、自ら登場を買って出て、あのいかんともしがたく消沈したテント小屋を10メートルぐらいジャンプさせた神聖かまってちゃんのの子、そしてそこに即興で躍り出た坂口恭平のパフォーマンスには、大笑いしながら三田格とともに涙の領域にまで連れていかれてしまったのである(結局、かまってちゃんのメンバーは4人とも出演した)。
 他にも、小山田圭吾とSalyuは、Salyu×Salyuのアコースティック・ライヴをやりたいと申し出てステージに上がって極上のコーラスを披露した。中止と知りながら駆けつけた七尾旅人とPhewも歌うつもりでずっと待機していた。誰もがもっとも望まなかった行方のなかで、その場には奇妙なほど本当に温かい空気が流れていたのは事実だ。
 もちろん、この日を楽しみにしていた人たち、とくに会場や川崎駅まで来ていながら入場でなかった人たちにはさまざまな感情があったと思う。まさか......と愕然としたことだろう。あの素晴らしいロケーションのなかで、前代未聞のブッキングによるフェスティヴァルを体験できたらどんなに素晴らしかったことか......。しかし、これは野外フェスティヴァルというもののリアリティだ。いかなる野外フェスティヴァル、野外レイヴもこうした天候のリスクを負っている。主催する側もオーディエンスの側もだ(こんな話、慰めにもならないだろうけれど、まだ日本にこうしたフェス文化がなかった90年代初頭、筆者はUKのコーンウォールであるはずだったフェスに行って、結局なにごともおこなわれなかったという経験もあるし、悪天候の野外レイヴで事故が起きたという話は世界中にごろごろしている)。それでも人は野外フェスティヴァルや野外レイヴを求めるのは、それでしか味わえない高揚感があるからだ。
 もっとも残念な結果に終わってしまった〈FREEDOMMUNE ZERO〉ではあるが、この現実はリアルタイムで配信されている。ことのはじまりから顛末までが配信という技術によって放映されたことで、そのときどきの出来事、その場のテンション、そしてエモーションは人びとに共有されている。それは過去悪天候によって中止を強いられたどのフェスティヴァルとも違っている点のひとつだ。

 中止決定からさまざまなハプニングがあったとはいえ、イヴェントが中止になったというのに人がまだそこに大勢い残っていることは日本では認められない。とりあえずその場を解散しなければならなかった。緊急事態における事後対応としてトークを配信し、そこに人はいたのだけれど、日本では許可なく公共の場所に大勢の人間がいてはいけないことになっている。警察に包囲されて中止になったというガセが飛び交っていると聞いたようですが......、東扇島公園の入口にずらーっと並んでいたのは暇そうなタクシーの一群でしたよ。
 楽屋には中止だというのにたくさんの出演者が残っていた。豪雨で昼からのリハーサルができずにそのまま最後までいた ホワイ・シープ?とチン↑ポム、L?K?O?、RY0SUKE、ハルカ、CMT、Shhhh、トビー、DJノブ、アルツ、ムーチー、瀧見憲司、渋谷慶一郎、テイ・トウワ、KIMONOSのふたり、イギリスからやって来たホワイト・ハウス......(他にもいたかもしれない)、そしてジェフ・ミルズや小室哲哉、ムードマンや高橋透、赤塚りえ子、手塚るみ子、湯山玲子、JOJO広重、ヤマタカ・アイ、OOIOO、iLLのように中止になったことを知ったうえで敢えてやって来た人も少なくなかった。トーク・ブースが撤収されてからも、七尾旅人とPhewは楽屋でこっそりと演奏をはじめたけれど、いまはもうその場を解散しなければらなければならないという主催側の説得によって終わった。同じように、このままでは終われないと言わんばかりに会場に駆けつけた小室哲哉は、今回の趣旨に賛同して考えたセットリストだから朝日が登るまでに演奏して聞いてもらうことが重要だと言って、宇川直宏とスタッフを誘い、自らのスタジオからライヴ配信するべく、夜の闇に消えていった......。(また、その後、急きょ〈サルーン〉を使ってのパーティもあった)

 〈FREEDOMMUNE ZERO〉が悲劇だったのかコメディだったのか、筆者はとてもじゃないが客観的には見れない。使われなかった海辺のスピーカー、いくつもステージ、当日売るはずだった大量のTシャツの箱を見ると本当にやりきれない気持ちになった。涙を呑むとはこういうことなのだろう。いまは、こうしたリスクを承知のうえでフェスティヴァルを準備して、そのために最大限の労力をはらってきた人たちの決断を尊重したい。本当に本当に本当にお疲れさま。本当に歴史的な日になってしまった。会場内で売る予定だったあのジャームスのオマージュTシャツ、格好良すぎるじゃないか、オレにも1枚売ってくれ。(以上、敬称略)

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FREEDOMMUNE/雨上がりの夜空に文:三田 格

 雨の予報に気がついて、何かのついでに宇川直宏にEメールを送ると「太陽を動かすからダイジョーブ!」というパワフルな返信。それが開催予定の4〜5日前だった。動かすものが少し違うような気もしたけれど、「そうか、ダイジョーブか」と思ってネコの顔を洗ってみたり。
 当日は、ビーチ・ステージのトップを飾るはずだったチン↑ポム×ホワイ・シープ?のリハが1時半からの予定だったので、早い時間に出演する野田くんたちと登戸で正午に待ち合わせ。南武線で川崎駅に近づくに連れて雨脚がどんどん強くなってくる。タクシーを降りて会場の中央に着いた頃には傘が折れるかと思うほど風も強くなってきた。先に着いていたチン↑ポム×ホワイ・シープ?は早くもリハを諦めていて、ビーチ・ステージまで行ってみと、なるほどステージの上まで波しぶきが跳んでくる。仮に誰かが演奏に挑んだとしてもオーディエンスが海に引き込まれたのではシャレにならない。これは無理かもしれない...。雨が止んだとしても風が収まらなければ、この事態は収拾されないだろうし(前日にベルギーのハッセルトで開催されていた音楽フェスティヴァル「プッケルポップ2011」が嵐に襲われ、雨が降ったのはたったの10分間だったにもかかわらず2人から3人の死者を出し、70名以上が負傷するという事故が起きていた。テントが倒れ、スクリーンが落ち、ステージに木が倒れてきたらしい)。

 風であちこちのテントが飛ばされ、行き場を失った物品がトーク・ドームの中に積み上げられていた。そこに「3時からオン・タイムでトークの配信を始めます」という掛け声がかかり、会場の整備が始まる。運営本部は強気で、少し遅れが出ても、きっと雨は止むだろうという判断なのだろう。実際には雨は強く降ったり弱くなったりで、どうなるのかまったくわからない。天気予報を見ると、午前中には付いていなかった警報が川崎市にも付いてしまった。思ったより悪い展開に向かっているのだろうか。そこへようやく宇川直宏が到着。車を降りるなり、タナソーのポンチョを見て「オシャレだねー」と軽口を飛ばし、いままで徹夜で予約メールの送信をやっていたと話しはじめる。「徹夜だけど、ユンケル70本と、リポビタンD120本と、チョコラBB87本と、リゲイン658本と、モカ860本飲んできたから今日は大丈夫。絶対眠くならない」。みんなを不安にさせない、いつもの宇川直宏がそこにはいた。

 暴雨風で破損して、なかなか回線がつながらず、結局、4時から「エレキングTV」がはじまる。非常事態なので、午前3時の予定だった僕にも最初から出ろと声がかかり、しばらくグラストンベリーの話など。Uストの画面には写っていなかったけれど、すぐ横に宇川直宏はいて、ノートブックを操作しながら「天候状況を確認しながら6時には中止かどうかの決断をするから、それまで繋いで!」という指示。ということは中止になる可能性も考えつつ、どうとでも取れるように話をしなければいけない。ロス・アプソンの山辺さんやほとんど初対面の秘密博士も加わって......何を話したのかすでに記憶がない。6時を過ぎたのに決定は出ず、気がつくと壇上は男ばっかりなので、チン↑ポムのエリイちゃんを呼び込んだり、礒部くんもそれに続いてくれたので、司会は彼に任せて、ようやく壇上から降りる。そこまでのどこかで中止の決定が出ていたはずなのに、それもまた記憶にない。あまりにもめまぐるしく気象情報と事態が変わり続け、宇川くんからは「トークだけは配信する」といわれて、自分が何をどうしたらいいのか完全にわからなくなっていたとしか思えない。
 気がつくと、責任感の強い坂口恭平がチン↑ポムの後に続き、さらには神聖かまってちゃんのの子が壇上に飛び出した。誰が出てくれと頼んだわけでもないのに、これはあまりに面白い組み合わせだった。の子と坂口でバトルMCに突入し、の子が一方的に勝ちを宣言すると、負けたんだから1万円出せという。坂口恭平がすんなりと1万円を出したので、「内閣総理大臣が簡単に負けを認めていいのか」と僕も調子にのって叫んでいた。「すぐに戻ってくるから」と訳のわからない捨てゼリフを残してステージから去ったの子を追いかけていくと、野田くんが小山田圭吾と話をしていて、サリュー×サリューも何かやりたいと言っているという。「こうなったら覚悟を決めて、最後まで司会をやるしかない」と野田くんが言うので、「わかった」といって、ほかに出演者がいないか探しに行くことにする。その辺りから、また順番がどうだったのかよく覚えていないんだけど、かまってちゃんのほかのメンバーが壇上にいるところになぜか僕もいて、サリュー×サリューへと繋いだところはなんとか覚えている。エンジニアはZAK。さっきから、かなり贅沢なプログラムが進行していることは間違いない。その次は快楽亭ブラックの落語だったか。これも九龍ジョーに仕?切ってもらい、「だから、生でやっても平気だっていっただろ」とか、キメのオチで観客が笑い転げているのを背中で受け止めつつ、その間にまた出演者を探していると大友良英がいたので、福島フェスティヴァルの話を聞いて帰朝報告を話してもらうことに。その頃までには宇川くんがプログラムを立て直していたので、続いて「SONOTAの鞭」をテイ・トウワと、続いて吉田豪と杉作J太郎の「JGO」。杉作J太郎は恵比寿マスカッツが出ない代わりに自分がパンツを脱いでTシャツだけで出演するという危ないシチュエイションづくり。司会を五所純子にタッチして、次は安部譲二や康芳夫らによる「超前衛鼎談」。
 バックステージに行ってみると、ヤマツカ・アイやムードマン、Phewに瀧見憲司と、DJやライヴ・ステージに立つ予定だった人たちがどうしたものかとブラブラしたり、それぞれに話し込んでいる。ホワイトハウスやJOJO広重、そして、ジェフ・ミルズも場の成り行きを見守りつつ、手塚るみ子や赤塚りえ子らと旧交を温めていた。出演者ではなくても「中止」と聞いて駆けつけてきた人もけっこう多く、実は、この時までに海から一番遠いDJブースの配信だけでも、全くお客さんを入れない状態で、ストリーミングさせられないかと宇川くんたちは必死で努力していたらしい。しかし、一度、休止を決めてしまったステージは容易なことでは再起動できず、ここで二度目の休止を聞いたような気分だった。雨が強すぎて電源や回線に問題が生じたことも大きいらしく、こうなると、トーク・ドームの盛り上がりとは裏腹に運営本部は沈滞ムードの最下層に潜り込んでいく。声のかけようもないとはこのことで、宇川くんがジェナちゃんの携帯を鳴らしてというので、かけてみると、宇川くんのポケットから着信音が鳴り出し、「なんだ、自分が借りたままだった」といった瞬間だけが笑いの出た時だった。ほどなくして帰るに帰れないといった雰囲気の人たちが、やがて、大きな声で合唱を始めた。そう、ハッピーバースデイの歌が次第に大きくなっていく。その日は七尾旅人の誕生日だったのである。歌が終わると、七尾旅人は目の前にいたチン↑ポムに向かって「もしかしてチン↑ポム? 好きなんですよー」と晴れやかな声を出す。「誕生日の第一声が"チン↑ポム"はないだろー」と誰かに言われながら。
 そういえばトーク・ドームの進行に気をとられていて、チン↑ポムが何をやっていたのか僕は?まったく気づいていなかった。どこに行っていたのかと聞くと、彼らは初ステージとなるはずだった今日のイベントの代わりに真っ暗な海岸に行って、福島から来たカップルと「気合100連発」をやっていたらしい。僕も前日までに2度、彼らと一緒に渋谷のスタジオに入り、音楽的には素人同然だった彼らがホワイ・シープ?の指導でリズムにのって「気合100連発」を再現できるようになった過程はすべて見ているだけに、彼らがステージに立てなかったことは残念でならなかった。ひとりがつまづくと雪崩を打って調子がおかしくなったり、そうかと思うと、信じられないほど上手くできたりの繰り返しだったので、本番ではどうなるかとドキドキだったのである。一番初々しいときにパフォーマンスできなかったことはやはり勿体なかったなーと。

 最後に宇川直宏から挨拶があった。いつもと同じようで、やはりどこかトーンが違っていた。彼のことだから、長々と話しを続けていたことはもちろんだけど、「必ずリヴェンジします!」と何度も繰り返したことは強く印象に残った。そして、彼はこれから小室哲哉のスタジオに行き、いつものドミューンのチャンネルからライヴを配信するという。それを聞いてチン↑ポムは東京に戻って呑み会をそのまま配信しようということになった。題して「ノミューン」。今日はあちこちでみんなが配信番組をやっているに違いない。七尾旅人もさっきステージの外から「タビューン」を配信していた。
 あっという間に東京に戻り、弘石くんのオフィスで小室哲哉の配信を観ていたら、最後に宇川直宏が顔を出し、頭を下げた。小さくなってはいけない人が身を小さくしようとしているような難しさがそこにはあった。悪いのは宇川直宏ではないだろう。瞬間的に僕はそう思ったけれど、でも、彼はどうみても頭を下げていた。ちょっと悲しかった。
 ドミューンの放送が終わり、そこからノミューンの放送がはじまった。ラジオのハガキ・コーナーをマネたエリイちゃんのアドリブは素晴らしく、そのままチン↑ポム×ホワイ・シープ?にマコちゃんや僕も加わって「気合100連発(ダンス・リミックス)」へと突入する。最終的にはのべで1000人近くが観てくれたものの、酒が入りすぎていたせいか、あまりといえばあまりなグダグダ・ヴァージョンになってしまう。配信を終えてからパフォーマンスの内容をめぐって卯城くんとエリイちゃんがケンカをし始めた。激しいのか陰?険なのかよくわからない言い争いが場の雰囲気をどんどん悪くする。相手に期待をしていなければ人はケンカなどしない。僕はエリイちゃんと卯城くんのケンカを止めもせず、なんとなく耳をそば立てながら、この6人組はまだまだ伸びる気でいるんだなと感じていた。そこに、弘石くんが再び「酒を買ってきたよ〜」と飛び込んできた。誰の感情もそれ以上、持続せず、気がつくと、全員で「乾杯〜」と叫んでいた。それからは、それまではあまりしたことがないような話をみんなでしていたように思う。何人かとは心の距離がとても近くなった気がする。とても小さなことかもしれないけれど、フリードミューンが何かをもたらしてくれたことは間違いない。雨上がりの夜空はいつのまにか朝の光に取って代わられていた。


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