「IO」と一致するもの

R.I.P.山本アキヲ - ele-king

 すでにニュースになっているように、山本アキヲが亡くなった。3月15日だから3ヶ月ほど前のことではあるが、ご親族の事情があったのだろう、発表されたのは昨日(6月20日)だったようだ。アキヲにとって最後のプロジェクトになったAUTORAのメンバー、高山純がSNSに投稿したことで彼の訃報がいま拡散している。
 ぼくが彼の死を知ったのは、数週間前だ。6月の上旬、いま京都で開かれているイーノの展覧会のために、久しぶりに関西に行くのだから、京都のオヒキデの蕎麦屋に顔を出して、それから大阪まで足を延ばして山本アキヲに会おうと、連絡を取るために動いて、その過程において知ってしまった。
 アキヲに最後に会ったのはかれこれ10年以上前の話で、宮城健人の案内で、ぼくが大阪は十三にある彼の実家を訪ねたときだった。アキヲの自家製スタジオのなかで、当時好きだった音楽の話しで盛り上がったものだ。変んねぇなーこいつ、と思った。だいたいこの歳になると、音楽関係の知り合いというのは、久しぶりに会ってもつっこんだ音楽の話なんかはしない。近況や身の上話であったり、人の噂話であったり、そんなものだったりする。だからあの男がいまどんな音楽をやっているのか、どんな音楽が面白いと思っているのか久しぶりに話したい、そう思っていた矢先のことだった。
 まあそんなわけで、しかし、ぼくには時間があったので、いまはもうだいぶ気持ちの整理はついている。それでもこうしてあらためて彼のことを思うと、やはり悲しくてたまらない。聞いた話では、昨年食道癌を患ってしまい、とはいえ病状は決して重たくなく、治療を続けながら本人は変わらず音楽に向き合っていたという。それが今年に入って急に悪化して、帰らぬ人になってしまった。
  
 山本アキヲは、1990年代初頭からつい最近まで、複数のプロジェクトやバンドで活動をしていた大阪の音楽家だが、彼のキャリアのなかでもっとも広く知られているのは、90年代の日本のテクノにおいて先走っていたプロジェクトのひとつ、タンツムジークとしての作品だろう。いまとなってはクラシックなアルバムとして名高い、1994年にロンドンの〈ライジング・ハイ〉からリリースされた『Sinsekai』(翌年ソニーからも収録曲の変更があって発売されている)だが、しかしリリース当初の日本では、ほとんど理解されなかった1枚だった。タンツムジークにとってテクノとは、ダンスフロアの4つ打ちに限定されるものではなかったし、彼らこそのちにエレクトロニカないしはIDMと呼ばれることになる自由形式のエレクトロニック・ミュージックの日本における先駆者だったといまなら言えるだろう。
 この先鋭的なプロジェクトは、大阪のインディ・ロック・バンド、シークレット・ゴールドフィッシュでベースを弾いていた山本アキヲと、京都のスネークヘッド・メンなどでエレクトロニクスを担当していた佐脇オキヒデとの出会いによって生まれている。かたやパンク上がりのミュージシャン、かたやクラウス・シュルツやリエゾン・ダンジュールに感化された電子機材マニア、このふたりのコンビネーションが初めてシーンにお目見えしたのは、1993年のことだった。
 もしこの先、日本の90年代を語りたいという若者が現れたら、1993年は日本のテクノ元年だったと記述するといいだろう。この年、日本のテクノ・シーンで重要な働きをすることになる人たちは、ほとんどが20代前半から半ばで(ぼくは20代後半だったけれど)、アンダーグラウンドにおいてなんだかんだで始動し、お互い出会ってもいる。たとえば、福岡では稲岡健がいちはやく〈Syzygy Records〉をスタートさせ、大阪では田中フミヤの〈とれま〉レーベルもはじまった。東京では、下北沢の小さなライヴハウスにおける永田一直のイベントでケンイシイが初めてライヴを披露し、たしかムードマンもテクノ・セットのDJをやったと記憶している。でまあ、ここには書き切れないくらい、ほかにもいろんな人たちのいろんなことがあったのだ、あの年には。個人的には卓球といっしょに『テクノボン』を出したり。

 以下、京都にて佐脇オキヒデと会ってきたので、彼の言葉も交えながら山本アキヲについて書いてみることにする。
 「初めて会ったのは、91年、いや、1992年だったのかな……、ぼくが大阪でライヴをやったとき、アキヲさんが『こういうの作ってるねん』ってテープをくれたんですよね。帰りの車のなかで聴いたら、打ち込み一年生みたいな荒い録音だったんですけど、コード進行が独特で、好きになったというか、なんか光るモノを感じたんですよ。で、『なんか一緒にやろう』ってすぐに電話したんです」
 「そっからお互い連絡取り合って、アキヲさんの家にも行きました。機材はまだ簡素なものだったけど、大きなモニタースピーカーがあって、あ、ぼくと同じだって。ヘッドフォンで作ってないというね。で、あるときアキヲさんが、『若いDJで、勢いがある鋭いやつがおるんねん』『その子がテクノのイベントをやるからライヴで出て欲しいって』、それが(田中)フミヤのイベントだった。そのライヴの話があったので、じゃあ“タンツムジーク”という名前でいこうということになって、そのライヴのために作った楽曲がやがて〈ライジング・ハイ〉から出る『Sinsekai』になるんです」
 「ある日突然ロンドンの〈ライジング・ハイ〉から(当時はメールなどないから)電話がかかってきて契約したいと。電話の後ろではタンツムジークの曲ががんがんにかかっていて、で、英語は喋れないからファックスにしてと言ったら、ファックスで20枚ぐらいの契約書が送られてきた」
 「内容的にはいまでも納得していないです。カセットでサンプル的に送ったつもりの音源まで収録されてしまったり。でも、作品を出せたことで、吹っ切れたところはありましたね。とくにアキヲさんは、すごく前向きな気持ちになっていました」

在りし日のタンツムジークのふたり。左にアキヲ。右にオキヒデ。アトム・ハートが好きだったから〈ライジング・ハイ〉に決めたという、その頃のアーティスト写真。

 そんなわけでタンツムジークは、デビュー・シングル「Muzikanova」こそ〈とれま〉からのリリースだったが、それから数ヶ月後には、当時もっとも影響力のあったレーベルのひとつと言っていいだろう、〈ライジング・ハイ〉から「Tan Tangue EP」が出ている。で、続いてくだんの『Sinsekai』も発売された。ちなみに、同アルバムの最後に収録されている“A Land Of Tairin”は彼らの代表曲のひとつで、作曲はアキヲ、彼の大胆な構成力とオヒキデのコズミックな電子音響とが絶妙なバランスで融合し、独特の美しさを携えているトラックだ。永田一直が「日本のテクノの名曲のひとつ」として、いまでもDJでかけているという話を、今回京都で同席してくれた稲岡健が教えてくれた。
 「アルバムに収録されている曲は、それぞれが作った曲もあるんですけど、アキヲ君が作った曲にぼくが手を加えた曲やふたりでアレンジした曲が多かったですね。アキヲさんはね、作りはじめのスケッチの段階からぼくに聴かせてくれるんですよ、『こんなシーケンスできたんやんか』って。だからアレンジもやりやすくて、お互い話しながら、それこそ機材の前にふたり並んで、楽しく作れた。“A Land Of Tairin”なんかは、そうやってできた曲です」
 「“踊れない音楽”というコンセプトやねん」、これがアキヲがタンツムジークというプロジェクト名に込めた意味だったと、オキヒデは言う。当時はまだ、踊れない音楽はテクノにあらずというほどダンス至上主義が幅をきかせていた時代だったから、これはずいぶんと皮肉の効いたネーミングだった。稲岡健がそこにこう付け加える。「アキヲは、自分で言うときにはタンツムジークとは言わず、大阪のアクセントで“タンズ”って言うんですよ。『あのさ、タンズのことやけど〜』みたいに。それが“ひとつの音”としてずっと印象に残っていて」

 1994年だったと思う。稲岡健が福岡で主催した(閉店したキャバレーをスクワット状態で使っていたクラブ〈θ(シータ)〉での)テクノのパーティで、タンツムジークのライヴと、お恥ずかしい限りではあるがぼくのDJというのがあった。大阪から福岡の会場まで、車を載せた機材といっしょにフェリーに乗ってやってきたふたりは、その当時の日本のテクノ・シーンの基準で言えばかなり実験的な(つまり当時の基準で言えば踊りやすいとは言いがたい)サウンドを容赦なく演奏し続けていたのだけれど、大方の予想に反して福岡のオーディエンスは狂ったように踊った。「俺らの音楽で人があんなに踊ってるの、初めて見たわ」と、ライヴが終わった後にアキヲが嬉しそうに話していたことをぼくはよく覚えている。

フェリーに乗って大阪から福岡に向かうふたり。「オッキー、今度せっかく九州行くから、フェリーのらへん? 楽しいやん」

 しかし、日本全体が福岡ではなかったし、海外レーベルからデビューした日本人としては、ケンイシイ、横田進、サワサキヨシヒロに続く4番手だったタンツムジークの音楽は、ごく一部のファンを除いて、広く理解されたことなどいちどもなかった。山本アキヲはそれから数年間は〈とれま〉を拠点に、Akio Milan Paak名義でダンスフロアで機能するダンス・トラックを、それからオキヒデが「その構成力に驚いた」というTarheel名義でもソロ活動を走らせ、さらに田中フミヤとはHoodrumを結成したが、これは途中で脱退している。タンツムジークとしては1998年にセカンド・アルバム『Version Citie Hi-Lights』をリリースしたり、シーンにいたほかの当事者たちもそうだったが、90年代は突っ走っていたと思う。そんななかで、うまくいっても、うまくいかなくても、アキヲは会うといつも変わらず優しい男だった。
 「アキヲさんは本当に優しい。独特の礼節があって、死ぬ直前まで、ぼくの家に来るときは『これ、おっちゃんとおばちゃんに』って、十三の名店のお菓子を手土産に持ってくるんですよ。『アキヲさんは本当に優しい顔をしているね』って、ぼくのオヤジとお袋も言うんですよ」とオキヒデが話すと、ことあるごとにアキヲと会っていた稲岡もまた「アキヲ君は本当に優しい奴だったな」と同意する。おそらく、1990年代以降、アキヲと出会ったほとんどの人たちは同じような感想を持っているだろう。

 彼には、自分の音楽が評価されていようといなかろうと、そんなことはかまわないというようなところがあったし、注目されていようといなかろうと、彼は彼の音楽を続けていた。2000年代に入ってからの山本アキヲは、高山純とのAUTORAで作品を出しつつ、マスタリングエンジニアとしても忙しくしていたという。レイハラカミの再発盤はすべてアキヲによるマスタリングで、オキヒデが言うには、ずいぶん悩みながらがんばっていたそうだ。「病気になったのは去年の秋だったけど、死ぬ直前まで機材のことで話しに来たり、アキヲさんとはずっと会っていました。今年こそ自分の作品を作るって言ってたんですけどね……」
 山本アキヲがずっと好きだったという、リッケンバッカーのギターとベースも購入したばかりでもあった。「こんなカッコいいやろ」とオキヒデに写真を送って、「このギターな、初めて買ったときオヤジにへし折られたんやで」、そう言って大笑いしていたと、なんだか彼らしいエピソードだなとぼくは思った。
 
 オキヒデは、Silvaの「ヌード」(1999年)に収録された“Mothership”という曲のAkio Milan Paak名義によるリミックス(Spaceship in the Gottham City)が推し曲のひとつだと言う。たしかにこれは、2000年代初頭のオウテカにも通じる異次元ファンク・サウンドだ。この12インチ・シングルをいま見つけるのは困難かもしれないが、時代のなかで、タンツムジークの諸作は立派に再評価されている。残された3枚のアルバムはどれもが必聴盤だが、ぼくがとくにずっと好きなのは『Scratches』だったりする。アキヲ/オキヒデ名義でリリースされた遊び心あるこの朗らかなアンビエント・タッチのアルバムは、いつ聴いてもぼくを良い気分にしてくれるのだ。アートワークが表しているように、ここにはタンツムジークの明るい側面、ロマンティックな一面が記録されている。稲岡健は、このアルバムのなかの1曲に共作者(インスパイア元)としてクレジットされているが、それを言うと、「このアルバムは自分にとってふたりとの友情の証のような大切な宝物なんです」と語ってくれた。
 
 90年代の日本のテクノ・シーンには、それはそれは、ものすごいエネルギーがあったことを、ぼくはいまここであらためて言いたい。基本インディ・レーベル主体でDIYだったし、自分たちの居場所は自分たちで作るしかなかった。あの頃は、自分の売り込みではなく、自分のまわりで面白い音楽を作っている人の作品を一生懸命プロモートする人たちが何人もいた。90年代のテクノ・シーンを盛り上げたのは、ほかでもない、そういう人たちだった。ビジネスにしようなんて考えていたのはほんの僅か。大いなるアマチュアリズムの時代、それを美化するつもりはない。悪く言えばウブで、よく言えばイノセント、ただ好きだからやっているという基本にとにかく忠実だったというか、それでしかなかった。
 山本アキヲはまさにそういうシーンのなかにいた、大切なアーティストのひとりだった。彼はただ、それが好きだからやっていたし、それ以上でもそれ以下でもなかった。芸術的な野心はあったにせよ、音楽でメシを食うにはあまりにも優し過ぎる男だったと言えるのかもしれない。
 あの時代、ぼくは彼とプライヴェートでもけっこう話しているので、アキヲがどんな思考を持っていたかはだいたいの見当が付いている。山本アキヲはパンク的なものを愛していたし、社会的弱者の味方であろうとしていたし、本物の平等主義者だった。そして、ひょっとしたらじつはものすごくセンチメンタルな内面を持っていたのではないのだろうかと思うことがあったが、その感傷性を絶対に表に出さないことが彼の流儀でもあったように思っている。

 それにしても早すぎたぞ。君がいなくなって、君と出会ったみんなが悲しんで、寂しがっていることをわかっているのかな。それから言っておくけど、君の音楽は永遠だ。若い世代からも、君へのリスペクトはこんなにもたくさんある。山本アキヲと出会えて本当に良かったよ。ありがとう。そしてお疲れ様でした。(敬称略)

2019年ぐらいのふたり。

FESTIVAL FRUEZINHO 2022 - ele-king

 ご存じ新作をリリースしたばかりの坂本慎太郎や、cero、折坂悠太に加え、つい最近11歳の新人とのコラボがアナウンスされたサム・ゲンデルとベーシストのサム・ウィルクスによるコンビ、そしてジャズを出自とするポルトガルの音楽家ブルーノ・ペルナーダス──3都市で開催され、豪華なラインナップをじっくり堪能できるフェス《FESTIVAL FRUEZINHO 2022》のタイムテーブルが発表されている。

 東京公演ではペルナーダスとゲンデル&ウィルクスがそれぞれ70分、坂本慎太郎とceroがそれぞれ60分のパフォーマンスを披露。大阪公演ではペルナーダスが70分、ゲンデル&ウィルクスが60分、折坂悠太が30分のセットを予定している(名古屋公演のみタイムテーブル非公開)。詳細はこちらから。

FESTIVAL FRUEZINHO 2022、東京と大阪のタイムテーブルを公開!
名古屋のタイムテーブルは非公開で、19時スタートとなります。

FRUEZINHO@立川は、演奏時間はできるだけたっぷり、転換の時間も比較的長めにとっています。
今回、おいしいワインやお酒、食事の提供はありません。その代わり、会場を出るとテイクアウトできるお店やアルコールを販売しているお店、コンビニなどがあり、再入場ができますので、適宜、利用してください。晴れれば芝生スペースで寛ぐこともできますので、節度を持ってお楽しみください。
ただし、会場内へ飲食物を持ち込むことはできません。例外として、水筒やペットボトル等キャップが付いているものであれば会場内へ持ち込めますので、これを機にマイボトルの購入など検討してください。
なお、大阪ユニバースでの公演は、再入場不可となります。

■FESTIVAL FRUEZINHO 2022

*開催日
6月26日(日)

*開催時間
開場 13:00 / 開演 14:30 / 終演 21:30 

*開催地
立川ステージガーデン

*ラインナップ
Bruno Pernadas
cero
Sam Gendel & Sam Wilkes
Shintaro Sakamoto

*チケット
前売:14,000円
当日:16,000円

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SOLDOUT!!

*開催日時
6月27日(月)

*開催時間
開場 18:00 / 開演 19:00 

*開催地
TOKUZO

*ラインナップ
Sam Gendel & Sam Wilkes
Yuta Orisaka

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*開催日時
6月28日(火)

*開催時間
開場 18:00 / 開演 19:00 

*開催地
ユニバース

*ラインナップ
Bruno Pernadas
Sam Gendel & Sam Wilkes
Yuta Orisaka

*チケット
前売:9,000円
当日:11,000円

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*詳細
https://fruezinho.com/

*Flyer Image
Yuriko Shimamura

*後援
在日ポルトガル大使館

*協力
infusiondesign inc. / KIMOBIG BRASIL / Eastwood Higashimori / ハタケスタジオ / イマジン / FLATTOP / SPREAD / melting bot / 水曜カレー / BLOCK HOUSE

*主催
FRUE

GemValleyMusiQ - ele-king

 「アマピアノの第2章」という惹句が目に飛び込んできた。ジェムヴァレーミュージック(以下、JVMQ)のファースト・アルバムについて書かれた資料の1行目。正確には「JVMQのファースト・アルバムはラフ・アマピアノの第2章だ」という書き出し。資料を読む前にアルバムを聴き終えていた僕は「え、アマピアノだった?」と戸惑った。「催眠的なヴォーカル、不気味なキーボード、コミュニティ感覚と自由、未来からストレートにやってきたFLスタジオのリズム」と資料は続ける。FLスタジオというのは音楽制作ソフトの名称。調べてみるとJVMQは確かに南アフリカはプレトリアのダンス・ユニットで、プレトリアがここ何年か発信し続けているのは確かにアマピアノである。プレトリアの音楽ならいまはほとんどがアマピアノ。それは間違いない。アマピアノというのは、しかし、基本的にはディープ・ハウスである。JVMQはどう聴いてもディープ・ハウスではない。彼らのデビュー・アルバム『Abu Wronq Wronq』はむしろ僕にはバカルディに聞こえた。そう、公式資料も「ラフ・アマピアノ」と表現し、「極端にパーカッシヴで、ベースを中心とし、その辺のアマピアノよりも実験的だ」と強調している。

 以前、紙エレキングに書いたことだけど、もう一度繰り返そう(もう読んだという人はこの段落はトバして下さい)。南アフリカのハウスはクワイトと呼ばれ、早いものだと80年代からつくられてきた(V.A.『Urban Africa (Jive Hits Of The Townships)』など)。クワイトが独自の色合いを持ち始めるのは90年代中盤からで、ヨハネスブルグやダーバンのタウンシップが中心となる(V.A.『Ayobaness! - The Sound Of South African House』など)。タウンシップというのは簡単にいえばゲットーのことで、2008年にプレトリアからDJムジャヴァがミリタリー・ドラムを駆使した“Township Funk”をローカル・ヒットさせ、これを〈Warp〉がライセンスしてヨーロッパ中に広め、プレトリアにはバカルディというムーヴメントが起きることに。ところが、プレトリア以外の南アでは“Township Funk”はまったく知られていなかったといい、それが本当なのかどうなのか、ほどなくしてバカルディがフェイド・アウトしていったのに対し、やはりミリタリー・ドラムをサウンドの核としたゴムがダーバンから巻き起こるとイギリスのDJ、ナン・コーレが〈Gqom Oh!〉を設立して、これを世界規模に拡張させる。この流れが“Township Funk”のプロダクション・チームは面白くなかったようで(知名度の落差が原因でDJムジャヴァはすでに精神病院に入っていた)、プレトリアではダーバンをこき下ろす発言も目立ち、その時期からプレトリアはクワイトのベースラインにジャズ・ピアノを太くフィーチャーするアマピアノへと流れを変える。バカルディもアマピアノもいってみればディープ・ハウスのヴァリエーションであるのに対し、ゴムのインパクトは明らかにテクノのそれで、プレトリアとダーバンの差はビートの強弱など、もっと違うところにあるような気もするし、南アを代表するディープ・ハウスのDJ、ブラックコーフィーがダーバン出身で同地に肩入れするなど、音楽性よりも地域差による対立が目立つ結果となった。ドミノヴェ『Umthakathi』(2017)の頃に比べると昨年のキッド・フォンク『Connected』などダーバンもかなりプレトリアの影響は受け始めていると思うし、ダーバンのポテンシャルにもプレトリアのそれにも目を見張るものがあったことは確かで、遠目に見ればデトロイト・テクノとシカゴ・ハウスが互いを補完をしてきた関係と似ていると思うのだけれど。ちなみにイーロン・マスクはプレトリア大学卒。

 何度か聴き直してみたけれど、やはり『Abu Wronq Wronq』はアマピアノというよりバカルディに戻ったと考えた方がいい。それこそ“Township Funk”の続きを聴いている感じで、腰にまとわりついて離れないベースラインの力強さは往時の何倍も強力になっている。アフリカにベース・サウンドがしっかりと定着したのだ思う。勝手にゴムのピークだと思っているDJティアーズ・PLKやオワミ・ウムシンド(Owami Umsindo)と同じく、リニアな動きは一切なく、同じ場所でじわじわとリズムを循環させる感じはレゲエと同じ。一度、腰を回し始めてしまうと、絶対に抜け出せない。この粘り強さは上半身をあまり動かさずに踊る人には最高のグルーヴで、パラパラや盆踊りのように腰から下を動かさずに踊る人には一生わからないだろう。ポップ・グループ“She Is Beyond Good And Evil”が79年に公開した最初のヴィデオはレゲエ・クラブで踊る人たちの姿を捉えたもので、僕はそれを観て上半身をほとんど動かさない踊り方というものがあるのだと初めて知ったのだけれど、実際に自分がそのように踊ってみるようになったのはレイヴ・カルチャーと出会ってからだった。『Abu Wronq Wronq』を聴いていると、どうしても”She Is Beyond Good And Evil”の映像が蘇ってしまう。体の中でグルーヴがぐるぐると渦巻いているのに外見的にはほとんど動いていないというのが踊っている本人には意外と面白い。ヒップホップで踊るのが好きな人も同じだったりするのではないだろうか。このミニマルな運動感。そして、それはヤキ・リーベツァイトのドラムにも通じるものがあり、カンがレゲエと出会ってつくったのが『Flow Motion』(76)なら、彼らがもしもまだ現役で、ゴムと出会っていたらつくっていたかもしれないと思うのが“Spice Ko Spicing”である。



 JVMQが名乗る「ジェム」というのは「宝石」のことで、マイケル・ベアードがコンパイルした『African Gems』(14)や〈Mukatsuku Records〉の諸作など、この10年ほどヨーロッパがアフリカの音楽を指して呼ぶ表現を自分たちから名乗ってしまおうというしたたかさが感じられる。宝石の谷の音楽。これを発見し、世界に解き放ったのがフランスのレーベルだというのもまた興味深い。南アやウガンダはいままでイギリスとオランダの資本が投入され、フランスはマリやコンゴといった北アフリカがテリトリーだったからである。フランスは〈Good Morning Tapes〉や〈Human Disease Network〉といった面白いダンス・レーベルが増えているので、ロウ・ジャックの〈Les Disques De La Bretagne〉以降、勢いがついていることは確か。『Abu Wronq Wronq』は後半に入るとアマピアノ色も強くなってくる。リズムがしっかりしていると、その上でリード楽器がソロを取ると思った以上に気持ちがいいし、そういう意味ではなるほどアマピアノである。そして、まさにアコースティック・ピアノが炸裂する“Dance A Lot”で僕は一気にセカンド・サマー・オブ・ラヴまで連れ去られてしまった。このゴージャス極まりない高揚感。今年の2月にデムダイク・ステアが『The Call』というピアノ・ハウスのミックス・カセットをリリースしていて、彼らのことだからさすがにバカっぽくはなかったものの「なんで?」という気持ちになっていたところ、“Dance A Lot”はそれともつながってしまう曲で、もしかして、今年の夏はコロナ禍の鬱憤をすべて晴らすかのような、とんでもないダンス・カルチャーの大爆発が起きたりして……とか思ったり。

Nouveau Monica - ele-king

 昨年、ブラワンのEPを繰り返し聴いたという人は少なくないのではないだろうか。自ら主宰する〈Ternesc〉からの「Soft Waahls EP」と、年末に〈XL〉からリリースされた「Woke Up Right Handed EP」。2015年にベルリンに移り、〈Ternesc〉を設立してからのジェイミー・ロバーツはダブステップからテクノにシフトしたことで面白みが薄れてしまい、ムーディマンの声をサンプリングした“What You Do With What You Have”(11)のような遊び心からは遠ざかったような印象があったものの、一昨年の「Make A Goose EP」や「Immulsion EP」あたりからUKガラージの要素が復活し、とくに「Woke Up Right Handed EP」ではどうしちゃったのかと思うほど多彩なリズムを楽しませてくれた。“Gosk”や“Close The Cycle”がコミカルなブリープ・エレクトロかと思えば、“No Rabbit No Life”はマイク・インクとエイフェックス・ツインが出会ったようなドリルン・ベース(?)、さらに2拍子からブレイクでノイズ・ドローンに変わる“Under Belly”にも意表をつかれた。また、EPのタイトルに用いられている「Woke」(意識が高い)はラップのコンシャスと同じ趣旨で使われるブラック・ライヴス・マターのスローガンで、エリカ・バドゥ“Master Teacher”の歌詞が起源とされ、とくにフライング・ロータスがジョージ・クリントンをゲストに迎えたWoke名義「The Lavishments Of Light Looking」(15)以降、曲のタイトルなどに頻出するようになった。ここでは「右利きの人」を対象にするというヒネった使い方がされ、右利きの人に意識を高く持てという意味なのか、それとも暗に右翼に呼びかけているのか(?)。ブラワンはデビュー・アルバムのタイトルも『湿ったものは必ず乾く(Wet Will Always Dry)』(18)とか、どう取ればいいのかわからないタイトルが多く、楽しく悩ませてくれる存在である。

 この勢いでブラワンがセカンド・アルバムをリリースした……のではなく、フランスからヌーヴォー・モニカのデビュー・アルバムがこの波をかっさらっていった。UKガラージに主軸を置き、エレクトロとの境界線を面白いように舐め回す『BBB』はブラワンを若返らせ、2000年代前半のヴァイブスで染めたような温故知新を感じさせる。なんといってもまずは疾走感。UKガラージに特有のつんのめるビートが全体を貫き、抑制されたブリープのヴァリエーションが編み出される。過剰にリヴァーブをかけたスネアだけでワクワクしてしまうけれど、テンポは必ずしも早くなく、オフ・ビートをたっぷりと組み込むことでスピード感を醸し出していく。シャキシャキとしたスネアにトランペット・ドローンのような持続音を絡める“Be Quiet”からリズムとメロディの対比がエイフェックス・マナーの“Bluntin”へ。フランジャーをかけたハットが駆け回る“Bobby’s Bump”がとにかく最高で、ブレイク後に転調するところはかなりヤバい。シカゴ・アシッドの要素も裏地にピタリと縫い込まれ、“BS Unit”ではスネア、“Bounce Break”ではバスドラムがしっかりとリクルートされている。どの曲もほとんどビートの組み合わせだけでできているところが、そして、なによりも素晴らしい。『BBB』というのは曲のタイトルがすべて“B”から始まるからのようで、秋里和国『THE B.B.B.(ばっくれバークレーボーイ)』を思い出したり。



 『BBB』を聴いてそこはかとなく思い出すのがMIA『Kala』をプロデュースしたスウィッチのサウンド・メイキングで、彼のヒット曲“A Bit Patchy”やその後にフィジェット・ハウスと呼ばれるようになる彼のスタイルがアルバム全体にエコーしていると僕には思えてしまう。さらに言えばフィジェット・ハウスをダンスホールに応用したテリー・リン『Kingston Logic 2.0』やスウィッチ自らがダンスホールに取り組んだミズ・シング『Miss Jamaica』など、UKガラージがエスニック色を強めたUKファンキーに様変わりしていく前段階がこのあたりで力を溜め込んでいたことを『BBB』は再現し、アップデートさせていると考えるのは無理があるだろうか。アップデートというより当時の楽観的なムードをそぎ落とし、現代的な閉塞感で全体をコーティングし、最後のところは引き締めていくという感じ。その辺りがブラワンの試行錯誤とも共通のセンスに感じられるところだろう。ちなみにバイクの上でヘンな男が寝ているというジャケット・デザインは、ちょうど10年前にリリースされたジャム・シティが同じくバイクを横転さ得ることでJ・G・バラードのヴィジョンを想起させたのとは異なり、それでも人は生きているというフランス的な感触にも導かれる。

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO - ele-king

 初日から大盛況の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」。好評を受け、土日祝の開館時間の拡大が発表された。あわせて、同展のオフィシャル・ヴィデオと展示写真が公開されている。

 「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」は、世界初公開の『Face to Face』、日本初公開の『The Ship』、ヴィジュアル・アーティストとしてのイーノの代表作『77 Million Paintngs』および『Light Boxes』の最新作、計4作を一挙に体験できる絶好のチャンス。

 6月25日からおなじ京都で開幕するデヴィッド・ボウイ写真展との相互割引も実施中とのことなので、この機会にぜひ足を運んでみよう。


77 Million Paintings


Light Boxes


Face to Face

µ-Ziq - ele-king

 テクノ界のリジェンド、マイケル・パラディナスの傑作のひとつ、『Lunatic Harness』の25周年記念盤が、ヴァイナルでは4枚組、CDでは2枚組の特別仕様でリリースされる。同作は90年代のパラディナスの遍歴が凝縮され、そして頂点に達したと言える作品、ここにはブレイクビーツ、ドリルンベース、あるいはラウンジからブレイクコアやガバまで、さまざまなスタイルが脈絡なく結合されている。いわゆるIDM作品で、いま聴くと時代を先走っていたことがわかります。
 オリジナル盤の13曲に加えて、この時代のシングル収録の曲やリミックスやデモ曲などが追加されて26曲が収録される。リリースは7月8日。

Buttering Trio - ele-king

 新世代のソウル・バンドとして近年その名をあげているテルアヴィヴのバターリング・トリオ。ベノ・ヘンドラー、ケレン・ダン、そしてリジョイサー名義で知られるユヴァル・ハヴキンからなるこの3人組が、8月3日に6年ぶりの新作をリリースする。通算4枚目のアルバムで、今回は当地のジャズ・シーンを支えるドラマー、アミール・ブレスラーも加わった強力な布陣。先行シングル曲“Come Hither”が公開中です。

Buttering Trio『Foursome』

ネオ・ソウル、フューチャー・ソウルバンドとして大注目のバターリング・トリオが、スマッシュ・ヒットを記録し来日公演も果たした2016年の名盤『Threesome』に続く、最新作を遂に完成!! ドラマーとしてアミール・ブレスラーも参加し、フューチャリスティックなソウル・サウンドと、エキゾティックなヴォーカルがさらに輝きを増した、最高傑作の4thアルバム!!

バターリング・トリオが遂に戻ってきた。しかも、ケレン・ダン、リジョイサー、ベノ・ヘンドラーのオリジナル・メンバーに、ドラマーのアミール・ブレスラーを加えた最高の組み合わせが実現した。10年に及ぶキャリアが作り上げた、この上なくグルーヴィなリズム、ドリーミーで魅惑的なメロディと緻密なアレンジ。それらが織りなす『Foursome』は、間違いなくバターリング・トリオの最高傑作だ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

先行シングルMV公開中 !!
「Buttering Trio - Come Hither (Official Video)」
https://www.youtube.com/watch?v=yYSRq60dzOY

Artist : Buttering Trio
(バターリング・トリオ)
Title : Foursome
(フォーサム)
Release : 2022/08/03
価格 : 2,400円+税
レーベル : rings / Raw tapes
品番:RINC89
フォーマット : CD
解説:原 雅明
Official HP : https://www.ringstokyo.com/items/-Buttering-Trio

Tracklist:
01. Good Company
02. Come Hither
03. See If It Fits
04. Move In
05. Desert Dream Romance
06. When I Face Your Beauty
07. Air In Rest
08. Keep It Simple
09. Don't Book Me
10. Succulent For Valentine
11. Close to You
12. Dancing with Insomnia
& Bonus Track収録予定

Putney Swope - ele-king

 2021年7月7日、85歳でこの世を去ったロバート・ダウニーによる永遠の名作、『パトニー・スウォープ』が7月22日から上映される。
 60年代のニューヨークを舞台にした、黒人がいきなり広告会社の社長になるという設定ではじまるこの映画は、当時のアメリカ社会の欺瞞を暴いた痛烈な風刺であり、過激なコメディであり、先見性に満ちた傑作。いま『リコリス・ピザ』で話題のポール・トーマス・アンダーソン監督がもっとも影響を受けた映画としても知られている。ちなみにこれは、ジム・オルークのオールタイム・フェイヴァリット映画でもある(かつてEメールの名前に本作のタイトルを使用していたほどだそうで……)。

 映画は7月22日(金)渋谷ホワイトシネクイントほか順次公開。この機会を見逃さないように。
 詳しくはこちらを(https://putneyswope.jp/)。

Putney Swope
パトニー・スウォープ

デジタル・レストア・バージョン
A film by Robert Downey
ロバート・ダウニー 監督作品
1969, 85minutes, USA, Herald Productions
白黒・カラー
Featuringアーノルド・ジョンソン、ローラ・グリーン
withバディ・バトラー、アンソニー・ファーガス、ローレンス・ウォルフ
※7月22日(金)渋谷ホワイトシネクイントほか順次公開

Carlos Niño & Friends - ele-king

 ジャズ、ヒップホップ、アンビエントを横断、多方面に活躍するLAのキイパーソン、カルロス・ニーニョ。2020年にプライヴェートでリリースされ速攻で売り切れとなっていた貴重な作品が、リマスタリング+新曲追加の仕様で公に発売されることになった。コズミックなアンビエント・ジャズに仕上がっているようで、これは楽しみ。ライナーノーツは岡田拓郎、CD盤を入手しましょう。

Carlos Niño & Friends『Extra Presence』

サム・ゲンデルやネイト・マーセロー、ジャメル・ディーンにディアントニ・パークスといったロサンゼルスのキーパーソン達が集結した、カルロス・ニーニョの最新作!!

「スピリチュアル、インプロヴィゼーション、スペース・コラージュ」をテーマにした、コズミック・アンビエント・ジャズサウンド。2020年にプライベートでアナログとカセットテープでリリースされ、即完売していた話題の作品をリマスタリングを施し、新曲とボーナストラックを追加して日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様の2CDでリリース!!
ライナー解説:岡田拓郎

カルロス・ニーニョはサウンドの旅を続ける。ジャンルという層の下にあるサウンドを探査し、驚くべき洞察力で捉え直す。サム・ゲンデルやジャメル・ディーンら信頼を寄せる者たちも、その旅に加わる。そして、リスナーもまた旅の参加者の一人だと、カルロスは捉えている。パンデミックを挟んで出来上がった本作は、そのサウンドが持つ存在感を伝える、まさに特別な一枚だ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

先行シングルMV公開中 !!
「Carlos Niño & Friends - "WaterWavesArrival" (featuring Jesse Peterson)」
https://www.youtube.com/watch?v=xPO1LIJycfk

Artist : Carlos Niño & Friends
(カルロス・ニーニョ・アンド・フレンズ)
Title : Extra Presence
(エクストラ・プレゼンス)
CD Release : 2022/08/03

価格 : 2,800円+税
レーベル : rings / International Anthem
品番:RINC91
フォーマット : 2CD
解説:岡田拓郎
Official HP : https://bit.ly/3tPGBXx

Alva Noto + Ryuichi Sakamoto - ele-king

 ジョージ・ルーカス監督のデビュー作『THX 1138』(71)は『1984』と並ぶディストピアの古典『すばらしい新世界』を下敷きにしたSF映画で、いまでは普通の演出だけれど、人工性を際立たせたセットにブイ~ンとかヒュウウウ~とかカチカチカチとかクリンクリンといったSEを流し続けることで観客を不安な気持ちに陥れ、機械文明に批判的な視点を与える作品だった。タルコフスキーなどのSF映画に大きな影響を受けたというカールステン・ニコライがとりわけ音楽との関連で言及する映画がこの『THX 1138』で、6Aus49名義のバンドが解散した後、96年からソロでリリースし始めたノト名義や00年から使い始めたアルヴァ・ノト名義の作品はまったくもって『THX 1138』の効果音をそのまま再現したものか、これにリズムを足した作品といえる。タイトルもそのことを指し示しているかのような『Prototypes』(00)から試しに何曲か聴いてみると、“Prototype 10”は不気味なトーンの持続、“Prototype 2”は不安が身体に染み込んでくるようで、“Prototype 6”は感情を表現することが許されない未来人の内面を描写しているといった感じだろうか(『Prototypes』は各曲にタイトルがなく、19年の再発盤で初めてナンバリングが施された。ちなみにルーカスの2作目は『アメリカン・グラフィティ』で、自動車のナンバーがTHX、3作目は『スター・ウォーズ』で、同シリーズの設定には1138という数字が随所で使われている)。


 僕がノト名義の曲を聴いたのは〈ミル・プラトー〉のコンピレーション『Modulation & Transformation 4』(99)が最初だった。これは同レーベルがドイツを中心に質が変わり始めた「エレクトロニカ」をいち早く包括的に紹介した編集盤で、マイク・インクのガス、ピーター・レーバーグ、マウス・オン・マース、テクノ・アニマル、トーマス・ケナーなど新たな時代の波に乗りきれた中堅やニューフェイスたちが36組も集められ、ドイツ以外では池田亮司の名前もあった。「エレクトロニカ」という呼称は一時期のもので、リスニング・テクノやラウンジ・リヴァイヴァル、あるいはグリッチやファウンド・サウンド(注)といったダンスフロアを意識しない電子音楽がいわば一本化されて、このタイミングで篩にかけられ、安直にいえばミュジーク・コンクレート・リヴァイヴァルがスタートを切った瞬間だと考えればいいだろう。そして、ここからマーク・フェル(SND)やミカ・ファイニオらが次の時代を切り開き、アルヴァ・ノトはフェネスやヤン・イエリネクと並んでシーンの代表格となっていく。01年にリリースされた『Transform』が早くも傑作である。シンプルなパルス音だけで構成された同作は『Prototypes』とは異なり、既成のリズムから波形をコピーして、そのパターンにグリッチを当てはめたものらしい。そう、“Module 4”や“Module 6”の音数の少なさときたら! これで腰が動いてしまうのだから最初は驚くしかなかった。“Module 7”などはヘッド・バンギングすら誘発しかねなかった(『Transform』の各曲も再発時のタイトル)。


 東京で初めてアルヴァ・ノトのライヴを観た坂本龍一はシュトックハウゼンを思い出したと語っている。90年代のテクノには少し距離を感じていたらしい坂本はニコライのサウンドにはすぐに親近感を感じ、池田亮司にニコライを紹介してもらったと同じインタヴューで続けている(池田亮司とニコライは当時、サイクロ.というユニットを組んでいた)そして、リミックスをオファーし、ニコライがこれに快く応じたことがすべての始まりとなる。この当時、坂本は「エレクトロニカ」を大量に買い込んでいる。どんな人でも1年に1日だけ卸売価格でCDを買うことができる店があり、僕も何度か利用させてもらったけれど、そこで「坂本さんが倉庫にあったCDを端から端まで買っていったんですよ」ということだった。レゲエが理解できず、坂本が諦めずに2年間もレゲエを聴き続け、ついに「わかった!」というエピソードが示す通り、坂本は熱心な勉強家で、自分への投資を怠らないタイプの音楽家なのである。僕が知っているミュージシャンの多くは人付き合いや音楽以外のことにお金を使い、「新しい音楽」を聴かない人が多い。どういうわけかブレイクした時点で「止まってしまう」のである。アルヴァ・ノトの周辺で何が起きつつあるのか。それを坂本が本気で知ろうとしていたことがこの話からは伝わってくる。90年代の坂本龍一は映画音楽家であり、オーケストラの指揮者であり、どちらかというとモダン・クラシカルの系譜に位置していた。そこから見える未来に坂本は大きく軌道修正を加えた。しかも、アルヴァ・ノトと坂本龍一による最初のコラボレーションは早くも『Transform』の翌年にリリースされている。『Modulation & Transformation 4』から数えても3年しか経っていない。

 ニコライは最初、坂本から渡された音素材のうちピアノの演奏に惹かれたという(坂本いわく、「ピアノの演奏は2%ぐらいで、残り98%のエレクトロニクス・ミュージックにはぜんぜん興味がもたれなかった(笑)」)。「坂本のピアノになかなか手を加えられなかったニコライは何度かツアーを重ねるうちに打ち解け、大胆にプロセッシングを加えられるようになった(大意)」という発言もあるので(前掲)、『Vrioon』では主にニコライがプロセッシングを担当し、それを土台にして2人で作業を進めるという過程を経たと思われる。『Transform』と較べると、同じくミニマリズム(音数が少ないこと)でありながら躍動感は極力抑えられ、アンビエント表現の比重が高い。リヴァーブをかけたピアノもレイヤーを重ねるよりはひとつの音が現れては消えるまでをじっくりと観察しているようで、間隔を長く取り、音が空間に染み渡るプロセスを強く意識させる。主観と客観を並走させているというのか、見事にスキゾフレニックというのか、ニコライによる機能的なグリッチと坂本のメランコリックなピアノは将棋の試合のようにお互いに間を詰め合い、離れては近づき、近づいては離れ、混じり合ってしまうことなく、静かなテンションを維持し続ける。冒頭に引いた『THX 1138』に喩えるとニコライが映像を担当し、坂本が役者の演技に相当するというか。これまでに何度も書いたことだけれど、『Vrioon』はなかなかの傑作である。京都の石庭で聴いたらどんな感じがするだろうと何度も想像してしまった。

 『Vrioon』を皮切りに『Insen』『Revep』『Utp_』『Summvs』と、5部作がすべてリマスターを施されて年内に再発される予定(タイトルの最初の文字を繋げると「V・I・R・U・S(ウイルス)」になる!)。奇しくも今年、プラスティックマンのエレクトロニクスとチリー・ゴンザレスのピアノという同じ組み合わせのコラボレート・アルバム『Consumed in Key』がリリースされている。リッチーもゴンザレスもパラノイアックなアプローチを取り、強迫的な展開が頻出するので、時代も違うし、方向性はまったく異なるものの、『Vrioon』とはあまりにも対照的で、続けて聴くと音数が圧倒的に少ない『Vrioon』の方が緊張感は高く、最初の音が鳴ると同時に透き通った景色の向こうに連れ去られていたことがよくわかる。『Consumed in Key』にあるのはコロナ禍の濁った感じや俗っぽさを諦めきれない猥雑さといったところで、そう考えると『Vrioon』には浮き世と憂き世を入れ替えたような形而上学的なセンスがあり、それこそシュトックハウゼンが抱いた「普遍への夢」が含められていると考えたくなってしまう。少年が歌う断片的なメロディにカチャカチャと電子音が絡みつく“Gesang Der Jünglinge”と同じとは言わないけれど、音がしない瞬間が多く、透き通るような感触には似通ったものがあることは確かだろう。アルヴァ・ノトのライヴを観てシュトックハウゼンを思い出したという坂本龍一の直観は、たぶん、正しかったのである。

*『Vrioon』のリマスター盤にはスペインの美術雑誌「MATADOR I: ORIENTE」に付けられたCD用に録音された「Landscape Skizze」がボーナス・トラックとして追加されている。

(注)「ファウンド・サウンド」とはフィールド録音のように楽器の演奏ではない音が音楽に使われていること、あるいはその音を出す物体(ファウンド・オブジェクト)のことで、「具体音」と意味は同じ。ジョン・ケージやシュトックハウゼンが手法として確立し、ピエール・アンリやブライアン・イーノがあまたの応用例を展開したのち、イーミュレイターやサンプラーの普及によって80年代以降はダンス・ミュージックでも広く応用されるようになった。「エレクトロニカ」の時期にはこれをダンス・ミュージックとは異なる文脈に戻す傾向が増え、とくにフェン・オバーグ(フェネス+ジム・オルーク+ピーター・レーバーグ)がその先頭に立った。

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