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cero

AfrobeatExperimentalFunkJ-PopJazzLatinSoul

cero

POLY LIFE MULTI SOUL

カクバリズム

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柴崎祐二   May 31,2018 UP

 これからここに書き綴ることはきっと、ceroへのラブレターのようなものになってしまうと思う。
 私は、ceroとともに「大人」になってきた。いや、決して言い過ぎじゃないと思っている。いまから10年ほど前に、友人に連れられ阿佐ヶ谷のrojiというバーで初めて髙城くん(以下呼び捨てにさせてもらいます、ゴメン)に出会ったときから、そのときどきにお互いが聴いている音楽を語り合ったり、ときには朝まで飲み明かしたり、私の友だちが彼の友だちになったり、彼の友だちが新しく私の友だちになったりした。そのなかには恋もあったし、ときには悲しいこともあったし、そして何より楽しいことがたくさんあったのだった。
 それは20代半ば、社会に出て、そろそろ気だるさと疲れに膿んできていた頃のこと。自分の周りで生まれつつある音楽が急速にエキサイティングになっていく、その只中に居させてもらったことで、おそらく私は救われていたのかもしれない。
 しかし、あたり前のことだけれど、時間はどんどんと過ぎ去っていき、そして人はどんどんと移ろってゆく。何故という理由もないけれど疎遠になってしまった人たち。仕事を変える人、辞める人、住む土地を移す人たち。恋人と別れる人、結婚する人。亡くなってしまった人たち。
 いろいろな人たちがいろいろに生活をするなかで、もちろん私にもたくさんの変化がやってきた。そしてあの時の仲間一人ひとりへも、たくさんの変化はやってきた。とくに理由もなく、いつしか私はceroの皆とも徐々に疎遠になり、仕事を抜くなら日常的にライヴ会場へと足を運ぶことも少なくなってしまっていた。けれども、彼らが発表する作品は、いつも大切に、大事に聴くようにしてきた。そうしていると、まるで彼らと話をしているようだったから。届けられる作品には、彼らがいま美しいと感じていることが、それぞれ美しい形で音楽となっていた。
 デビューEP「21世紀の日照りの都に雨が降る」を、わくわくしながらライヴ会場で手に入れたときのこと。彼らが青春を過ごしてきた武蔵野の風景が溶かし込まれた、ハイ・ブリットなインディ・ポップが詰まったファースト・アルバム『WORLD RECORD』。震災後の逡巡や沈潜のなかで、果敢な音楽的挑戦に向かい、マジック・リアリズム溢れる「失われた街」東京を描き出したセカンド・アルバム『My Lost City』。そして、世界的に興隆を見た新時代のR&B/ヒップホップ、ディアンジェロの復活などに伴う90'sネオ・ソウルのリヴァイヴァル、ロバート・グラスパーのブレイク以降に顕在化したジャズの新たな潮流、そういったムードへ濃厚に呼応し、新たなcero像を提示することになった2015年リリースのサード・アルバム『Obscure Ride』。それらの音楽は、常にそのときどきに彼らから届く大切な便りとして、私の生活を優しく勇気づけてくれた。
 そしていまceroは、この最新作『Poly Life Multi Soul』で、またしても私を、いや、私たちをこれまで以上に強く勇気づけてくれる。

 前作『Obscure Ride』で彼らが示した方向性は、たちまちにインディ・ミュージック・シーン全体の関心として共有され、以後海外から紹介されるもの含めて、時に似通ったものの供給過多状況となってしまったとも言えるかもしれない。それだけ、彼らが時代の先端を走っていたということの証左でもあるのだが。
 絶え間ない音楽的好奇心と鋭敏なアンテナを持つceroだけに、来るべきアルバムが前作の延長線上に置かれるような内容になるとはもちろん思っていなかったが、ではいったい彼らが次にどんなスリリングな音楽を聴かせてくれるのか、正直予測し難かった。しかし、近年のライヴや、伝え聞く曲作りやリハーサルの様子からすると、多くのファンへ急速に拡大しつつあった「ポップ・バンド」としてのキャリアに対し、自ら大きな挑戦を仕掛けるような刺激に満ちた内容であると予見された。

 音楽ディレクター/ライターの屋号を掲げる者としては恥じるべきかとも思うが、正直に言うと第一印象は、「これは一体何だろう?」という感情が飛び込んできた。
 ものすごくダイナミック且つ高度。破壊的であるとかアヴァンギャルドという意味での難解さとは程遠いのに、簡単な理解を拒む強靭な外郭。しなやかでメロウでもあるのだが、聴き心地として甘さはなく、むしろシャープな苦さが味蕾を刺す。リズミック且つダンサブルであるけれど、熱狂に身を任せるというより、クールな知性によって肉体性が精緻に統御されている。「何々を彷彿とさせる」というレファレンス的言語も簡単に引き寄せようとしない。単一的な解釈・理解を拒む何か。

 ……そして、何度も繰り返し聴いていくうちに、初めて聴いたときには気付くことのなかった様々な魅力を発見することになる。多層的に敷き詰められたリズムは楽器ごとに小節概念を跨ぎ超え、躍動するポリリズムとなって楽曲全体を駆動する。メロディとカウンターメロディの相互的関係性は歌と器楽演奏という古典的ヒエラルキーを内部から溶かし、多数の線や点がゆらぎのように現れて、時に面や立体を形作り、しかもそれらを幾何学的に把握させることを拒む。
 そう、これはアルバムに冠されたタイトル通り、ポリフォニックでマルチな要素が縱橫に(しかも同時に奥行きとせり出しを伴いながら)生成される、いままでに類をみない、多レイヤー的な音楽世界なのだ。

 イントロダクション的に置かれたM1“Modern Steps”は前作におけるアブストラクトなR&B世界の色香を運び込みながらも、それを壊すように、橋本によるエレキ・ギターの鮮烈なコード・ストロークがアルバムの開幕を告げる。
 ミュージック・ヴィデオも公開され、本作のキーとなる曲として位置づけられるであろう荒内作曲のM2“魚の骨 鳥の羽根”では、ドラムスが叩き出すアフロ・ビート的リズムに乗りながら、太い筆致で塗りたくるシンセサイザーが現れ、歌メロディーと呼ぶには異様なまでに奔放な旋律が器楽音と錐揉みしながら空間を進んでいく。そのくせ、近年加わったサポート・メンバーの小田朋美と角銅真実によると女声コーラスは、極めキャッチーなフレージングで彩りを加える。ファンク的な反復構成と思わせつつも、その実めまぐるしい和音進行と複雑な構成。
 続く髙城作のM3“ベッテン・フォールズ”でも、スネア・ドラムが叩き出すリズムにジャジーなギターとヴォーカルがポリリズミックなよじれを創り出し、コーラスがプリティなフレーズを添えていく。続く髙城作M4“薄闇の花”では、ピアノの裏打ちがリスナーへレゲエのイメージを提供し、いっときの安心感を与えるが、ドラムやベースによるリズム・フォルムはアフロ・ビートという方が近く、そこに多層性が宿る。ハンド・クラップが加わる段になってそのリズム構成の妙味が本領を発揮する。まるでかつてのUKレゲエ〜ダブに通じるようなクールネスをこうした複雑でいながら円味あるポップスへ昇華する手腕よ。
 そして、橋本作になるM5“遡行”でも、一聴してサポートを務める古川麦によるガット・ギターの流麗な響きに耳を奪われるので、スムースな音楽世界が期待されるが、ここでもリズム隊はあくまで硬質なビートを提供する。橋本のソングライティングの熟練とともに、かねてよりMPBの最前線など中南米音楽への強い関心を持ち続けていたバンドの面目躍如というべき出来栄え。
 レイモンド・カーヴァーの同名編から詞をとった(翻訳は村上春樹)ロマンチックなエレクトロ・ジャズ・ポエットM6“夜になると鮭は”を挟み、荒内作M7“Buzzle Bee Ride”ではふたたび太い筆致のシンセサイザーがうねり上がるなか、ダーティー・プロジェクターズを思わせる早いパッセージのコーラスが宙を舞う。リズムをサポートするふたり、光永渉によるプレイアビリティ溢れるドラムスと厚海義朗によるベースの(インタープレイとも表現したくなるほどの)演奏は、抑制されたマハヴィシュヌ・オーケストラとでも言うべきか、現在のceroが技巧的な面でもトップレベルの集団であることを強く思い起こさせる。
 続く髙城作M8“Double Exposure”は、美しい歌メロを伴う、前作からの流れを感じさせるブラック・ミュージックへのリスペクトが溢れる清涼な世界ではあるが、リズム・ボックスを思わせる素朴なビートが退場した後は、パルス的リズムとヒプノティックなドローンが交錯し、リスナーの耳を弛緩させることはしない。
前曲に続き同じく髙城作のM9“レテの子”は、フェラ・クティ・アンド・アフリカ70を思わせるキッチュなシンセの音色とフロア・タムの連打によるトライバルなビートがディープな薫りを発散させるが、それを逆手に取るがごとく、却ってその歌メロディーやリフレインはもしかしたらアルバム中もっともポップと言えるかもしれないものとなっている。
 荒内作M10“Waters”はアルバム発売情報と共にアップされたトレイラー映像でもフィーチャーされ、12inchシングルとしても先行リリースされた曲で、これも今作を象徴するトラックといえるだろう。今作のオフィシャル・インタビューにおいて荒内は、リズムの多様性について言及されることが多いが、和音構成の磨き上げについても相当に力を入れたとことを語っていたが、この曲における、モーダルでいながらその実非常に精密なコード・プログレッションを聴くと、彼の発言に強く頷くこととなる。髙城の歌唱ともラップともつかないヴォイシングは、前作以降も継続して先端的なブラック・ミュージックが持つクールネスへ大きな関心を向けてきた証左のようにも感じる。
 髙城作M11“TWNKL”のアンビエント的R&B世界も、フランク・オーシャン以降における美意識との共振を強く感じる楽曲だ。終盤、突如(だが極めてスムースに)ミリタント・ビートに以降しレゲエ化する瞬間の快感。このように音像処理とグルーヴを並立させる様は、本作のミキシング面での秀逸さも物語っているだろう。
 そして、タイトル曲にして終曲、荒内作のM12“Poly Life Multi Soul”。これまでアルバムで開陳された様々な表情を総括するような圧巻の8:36秒。ライド・シンバルの響きが優しく空間を埋めながら、様々な音素が多レイヤー的に塗り込められていく。その筆致はあくまで穏やかで、ポリフォニックなものへの賛歌を静かに、しかし力強く描き出していく。「かわわかれだれ」という象徴的フレーズに導かれるアウトロでは、エレキ・ギターのストイックなフレーズを伴いながら、リズム・パターンが4つ打ちへと変化し、「バンド」という共同体によってこそ創り出され得る、フィジカル且つ祝祭的なハウス・ビートが出現する。永遠にこのビートに身を浸したい、という誘惑が顔を出したとき、しかしアルバムはしとやかに幕を閉じていく。

 その特徴的なリリック世界にも是非各曲ごと触れたところだが、あまりに取り留めのない膨大な文字量になってしまいそうだ……。
 ただしかし、是非言及しておきたいのは、アルバム全編を通し、「川」や「雨」、「陽」や「Light」という語に宿るようにして、「水」そして「光」のモチーフが度々現れては消えるということだろう。そう、「水」も「光」も、物体、粒子であると同時に、波としての性質も重ね持っている。
 生きることとは、自らの生を認識するとことであると同時に、そして何よりそれだからこそ他者の生を見つめることでもある。生とは、個々の現象でもあるとともに、他者との交わりによって織りなされる時には、波でもある。人間とは、実存としては点でありうるが、様々にそれが交錯する時、波としてもある。
 一見、各々の生の蠢きが個的な振る舞いの無秩序な集積のように感じられるにも関わらず、そこに多層的な関係が生成しているように、我々は勝手気ままにダンスすることを通して、総体としては、躍動する社会の姿を形作っている。
 決して「全体」に収斂されることなく、我々が自身を生きるとき、その重ね合わせられたモアレは、このアルバムに収められた音楽のように美しい模様を描くことになる。
 アルバム『Poly Life Multi Soul』は、ここに描かれた音楽的風景と同じように、いまここに生きる私たちの様々な生の形を見つめ、様々なとき、場所、そして我々が知り得ない(知り得なかった)様々な生を肯定しようとする。

 こんな凄いアルバムを作り上げたceroのメンバーとともに、もしかしたらこのアルバムを聴くことで、私もまたひとつ成熟をともにすることができたのかもしれない(できていたなら嬉しいのだけど)。
 彼らとともに、この世界を眺めることができて嬉しく思う。心から、ありがとう。
 こんないびつなラブレターでごめん、落ち着いたら久々に飲みに行きたいね。

柴崎祐二

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