「PAN」と一致するもの

Laurel Halo - ele-king

 もし「近年のエレクトロニック・ミュージックの担い手たちのなかで、OPNやアルカと肩を並べるくらいのタレントは誰か」と問われたなら、僕は迷わずローレル・ヘイローの名を挙げる。『Quarantine』『Chance Of Rain』『In Situ』と、作品ごとにスタイルを変えながらしかしつねに唯一無二のサウンドを響かせてきた彼女が、この初夏にニュー・アルバム『Dust』をリリースする。いま彼女が鳴らそうとしているのはいったいどんなサウンドなのか? 彼女は今年の1月に初音ミクにインスパイアされたプロジェクトの新曲も発表しているが、来るべき新作にはそれと関連した要素も含まれているのだろうか? いろいろと疑問は尽きないけれど、クラインラファウンダも参加していると聞いては、期待しないでいるほうが難しい。『Dust』は6月23日に〈ハイパーダブ〉よりリリース。

 ところで、「宅録女子」という言葉、いい加減なんとかならんのだろうか……

宅録女子から唯一無二の気鋭音楽家へ
〈Hyperdub〉に復帰し完成させた待望の新作『Dust』のリリースを発表!
ジュリア・ホルターやイーライ・ケスラーなど注目の才能が多数参加した注目作から
新曲“Jelly”のミュージック・ビデオを公開!

いきなり英『WIRE』誌のアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得し、主要メディアが絶賛したデビュー・アルバム『Quarantine』やエクスペリメンタル・テクノ作『Chance of Rain』などのアルバムを通し、高度なスキルと独創性を兼ね備えたポスト・インターネット世代の代表的アーティストとして注目を集めるローレル・ヘイローが、2015年に〈Honest Jon’s〉からリリースされたアルバム『In Situ』を経て、再び〈Hyperdub〉に復帰! 会田誠の『切腹女子高生』をアートワークに使用したことも話題となった『Quarantine』以来となるヴォーカル作『Dust』を完成させた。

今回の発表と同時に、昨年〈Warp〉からデビューを果たしたLafawndahとサウス・ロンドンのシンガー兼プロデューサー、Kleinがヴォーカル参加した新曲“Jelly”を公開した。

Laurel Halo - Jelly (Hyperdub 2017)
https://youtu.be/IrjeMN_U1hw

本作の作曲作業は、実験的な科学技術を使った作品、電子音楽やパフォーミング・アーツの発表/研究/作品制作のほか、ワークショップやトークなどをおこなう施設として設立されたメディア&パフォーミング・アーツ・センター(Experimental Media and Performing Arts Center)、通称EMPACでおこなわれている。そこで様々な機材へアクセスを得たローレル・ヘイローは、制作初期段階をひとりでの作業に費やし、終盤では前述のLafawndahと、ニューヨークを拠点にパーカッショニスト兼画家としても知られるEli Keszlerを招き、セッションを重ね、2年間の制作期間を経て完成させた。

より洗練されたソング・ライティングとカットアップ手法、即興を取り入れた電子音が特徴的な本作には、そのほか、Julia Holterや$hit and $hineのCraig Clouse、Zsのメンバーであるサックス奏者、Sam Hillmerのソロ名義Diamond Terrifierなどが参加し、そのハイセンスな人選にも要注目。

参加アーティスト:
Klein
Lafawndah
Michael Salu
Eli Keszler
Craig Clouse ($hit and $hine)
Julia Holter
Max D
Michael Beharie
Diamond Terrifier

ローレル・ヘイローの最新アルバム『Dust』は、6月23日(金)に世界同時リリース! 国内盤にはボーナストラックが追加収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Jelly”がいちはやくダウンロードできる。

label: HYPERDUB / BEAT RECORDS
artist: LAUREL HALO
title: DUST
release date: 2017/06/23 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-551 定価 ¥2,200(+税)
ボーナストラック追加収録 / 解説書・歌詞対訳封入

iTunes: https://apple.co/2pVIFwG

[TRACKLISTING]
01. Sun to Solar
02. Jelly
03. Koinos
04. Arschkriecher
05. Moontalk
06. Nicht Ohne Risiko
07. Who Won?
08. Like an L
09. Syzygy
10. Do U Ever Happen
11. Buh-bye
+ Bonus Tracks for Japan

TOYOMU - ele-king

Current top 9

Jeff Parker - ele-king

 去る4月に最新ソロ作『The New Breed』の日本盤がリリースされたジャズ・ギタリスト、ジェフ・パーカー。彼はトータスのメンバーとして有名ですが、ソロとしても魅力的な活動を継続しています。その彼の来日公演が来週から始まります。スコット・アメンドラ・バンドやトータスのステージも含めると、なんと14公演もプレイする予定です。詳細を以下にまとめましたので、ぜひチェックしてください!



■SCOTT AMENDOLA BAND featuring
 NELS CLINE, JEFF PARKER, JENNY SCHEINMAN & CHRIS LIGHTCAP

会場:COTTON CLUB
日程:2017年5月11日(木)~5月13日(土)
時刻:
●5.11 (thu) & 5.12 (fri)
[1st. show] open 5:00pm / start 6:30pm
[2nd. show] open 8:00pm / start 9:00pm
●5.13 (sat)
[1st. show] open 4:00pm / start 5:00pm
[2nd. show] open 6:30pm / start 8:00pm
出演:Scott Amendola (ds), Nels Cline (g), Jeff Parker (g), Jenny Scheinman (vln), Chris Lightcap (b)

* ウィルコのネルス・クラインとともにスコット・アメンドラ・バンドの公演に出演。

https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/scott-amendola/


■Jeff Parker『The New Breed』発売記念ミニ・ライヴ、トーク&サイン会

会場:タワーレコード 渋谷店 6F
日時:2017年5月14日(日) 16:00 start
出演:Jeff Parker (Jeff Parker & The New Breed, TORTOISE), 柳樂光隆 (Jazz The New Chapter) ※インタヴュアー

* 〈HEADZ〉主催のインストア・イベントに出演。今回の来日公演のなかでは唯一のソロ・ライヴ。

https://towershibuya.jp/2017/05/01/95261


■TORTOISE

会場:Billboard LIVE TOKYO
日程:2017年5月15日(月) & 2017年5月17日(水)
時刻:[1st] 開場 17:30 開演 19:00 / [2nd] 開場 20:45 開演 21:30

会場:Billboard LIVE OSAKA
日程:2017年5月19日(金)
時刻:[1st] 開場 17:30 開演 18:30 / [2nd] 開場 20:30 開演 21:30

* ビルボードライブ東京およびビルボードライブ大阪にてトータスの単独公演が開催。

PC: www.billboard-live.com
Mobile: www.billboard-live.com/m/


■GREENROOM FESTIVAL ‘17

会場:横浜赤レンガ地区野外特設会場
日程:2017年5月21日(日)

* GREENROOM FESTIVAL ‘17の2日目、〈GOOD WAVE〉ステージにトータスとして出演。

https://greenroom.jp

【リリース情報】

アーティスト: Jeff Parker / ジェフ・パーカー
タイトル: The New Breed / ザ・ニュー・ブリード
レーベル: International Anthem Recording Company / HEADZ
品番: IARCJ009 / HEADZ 218
発売日: 2017.4.12
価格: 2,000円+税
日本盤ライナーノーツ: 柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
※日本盤のみのボーナス・トラック Makaya McCraven Remix 収録

[Tracklist]
01. Executive Life
02. Para Ha Tay
03. Here Comes Ezra
04. Visions
05. Jrifted
06. How Fun It Is To Year Whip
07. Get Dressed
08. Cliche
09. Logan Hardware Remix (produced by Makaya McCraven)

https://www.faderbyheadz.com/release/headz218.html


【関連盤ご紹介】

アーティスト: Jamire Williams / ジャマイア・ウィリアムス
タイトル: Effectual / エフェクチュアル
レーベル: Leaving Records / Pヴァイン
品番: PCD-24617
発売日: 2017.4.19
価格: 2,400円+税
解説: 柳楽光隆(Jazz The New Chapter)
※日本盤限定ボーナス・トラック2曲収録

[Tracklist]
01. Who Will Stand?
02. The Fire Next Time
03. Selectric
04. Truth Remains Constant
05. Dos Au Soleil
06. Chase The Ghost
07. Wash Me Over (Pollock's Pulse)
08. In Retrospect
09. Futurism
10. [ Selah ]
11. Children Of The Supernatural
12. Illuminations
13. The Art Of Losing Yourself
14. Collaborate With God
15. Collaborate With God (Drums and Strings Mix)
16. Triumphant's Return

* ジェフ・パーカー『The New Breed』にも参加するドラマー、ジャマイア・ウィリアムスによるデビュー・アルバム。

https://p-vine.jp/music/pcd-24617

interview with Arca - ele-king

自分は100%プロデューサーだとも、あるいは自分は100%シンガー・ソングライターだとも感じていないんだよ。僕が「自分は中間にいる、どっちつかずだ」と感じる。そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……「中間に存在する」っていう瞬間の集積なんじゃないかな。


Arca - Arca
XL Recordings/ビート

ExperimentalArca

Amazon

 無性の生命体である「ゼン」、あるいはその名の通りの「ミュータント」と、これまでのアルカの表現は自画像を極端なまでに奇形化したものとして出現していた。それは彼、アレハンドロ・ゲルシのルーツであるヴェネズエラにおいて同性愛を隠さねばならなかったことと密接に関わっていることはすでに明らかにされており、彼が描く官能はひどく禍々しくグロテスクなものだ。それはヴェネズエラ時代の彼にとってセクシュアリティ自体が端的に異物だったからだ。
 さらに過剰に断片化したビートやノイズが吹き荒れる攻撃的なミックステープ『Entrañas』を通過して、しかし、彼の新作『アルカ』はゲルシ自身の声と歌を中心に据えたもっとも甘美な一枚となった。そこではたしかにインダストリアルな音色や複雑怪奇な打撃音の応酬も聞こえはするが、それ以上に引きずりこまれるように誘惑的な旋律が響いている。それはかつて自分が話していた言葉であるスペイン語で歌うことを通して、自身の内面と過去の痛ましい記憶にさらに潜行し、そこにたんなる悲しみや苦しみで終わらない美しい何かを見出したことによるものだ。『アルカ』はだから、ゲルシが異物としての自分を柔らかく受容するアルバムである。
 
 以下のインタヴューでアルカは、自らのメランコリーやセクシュアリティ、歌うことやあるいは彼だけの「美」について驚くほど率直に語っている。隠蔽されていたものが解放される瞬間に沸き起こるエロス、その眩しさをアルカはわたしたちに余すことなく体感させようとする。 (木津)

このレコードで何が起きたかと言うと――たまたまなんだけれど、自分の取り組んでいたテーマ群そのものが、僕に自分のヴォイスを用いることを欲してきたんだ。だから、ある特定の類の……「傷つきやすさ」を現す、その必要が僕にはあった、と。それからまた、ある種の……「生々しさ」を体現する、その必要もあった。

坂本(以下、□):もしもし、アルカでしょうか?

アルカ:うん、アルカだよ。(日本語で)ハジメマシテー!

(笑)わぁ……ハジメマシテ! す、すごいな(笑)。えーと、電話インタヴューをやる予定なんですけども、始めてかまわないでしょうか?

アルカ:(児童が答えるように元気な日本語で)ハイッ!!

(笑)このまま、日本語でインタヴューしましょうか?

アルカ:いやいやいや、それはなし(笑)! どうなるか、想像してごらんよ(笑)……ヨロシクオネガイシマース!

(笑)ヨロシクオネガイシマース。にしても、アルカさん、日本語お上手ですね。

アルカ:日本に行ったことがあるし、日本は大好きだからね。フフフッ!

いつ、日本に行かれたんですか? 

アルカ:日本には何度も行ったよ。たしかもう4回、いや、5回くらい行ったことがあるんじゃないかな。

それは、ライヴをやるために、ですか?

アルカ:最初の3回は、旅行だったね。僕は……とても若い頃から、日本のカルチャーと強いつながりを感じていてね。だから、大学では日本映画と日本文学について学んだんだよ。

ああ、そうだったんですか! それは素晴らしい。

『アルカ』はとても独創的な音響を持ち、メランコリックで、しかもパワフルで、強く訴える何かを持った作品です。まず、アルカにとってはじめてのヴォーカル作品であり、ある意味ではシンガー・ソングライターとしてのアルバムだと言えます。高校生当時ニューロ(NUURO)名義で歌っていたとはいえ、やはりそれとは意味合いがかなり異なると思えますが、アルカというプロジェクトにおいて歌とは何を意味するのでしょうか? 

アルカ:フム……そうだな……君の言わんとしていることは理解できるけれども……そうだな、この点をもっとも簡単に説明するとすれば、思うに……ミュージシャンとして、自分が音楽を作る際に、僕は……ある種の「ゴーストたち」を、人間として、自分の人生のその時々の中に捜し求めているんだよ。で、僕はたいてい、いつも音楽を作っているわけだよね。だから……「これをやろう」と決めると言うよりも、むしろ「受け入れる」ってことなんだ。ときに、直観は僕にとある響きを持つひとつのレコードを作りなさいと言ってくるし、また、その次の作品はそれとはまったく違う音のものになることもある。ただ、そういう経験は僕にとってはべつに目新しいものでもなんでもなくてね。思うに、自分がつねに追い求めているのはそれなんじゃないか、と。
 というわけで……そうだな、今回はある意味、自分にとって楽ではないことをやろうと仕向けた、みたいな感じかな。自分自身にチャレンジしようと、とても努力したよ。というのも……もしも自分が挑戦を受けたら……そうやって、自分自身の内面で何かと闘おうとする、あるいは、自分でもこれまであまりよく知らなかった自分のとある側面にコネクトすべく奮闘すれば……おそらく、自分は自分の「正直さ」を見つけられるんじゃないか? と。コミュニケートするときの誠実さ、ということだよね。で、このレコードで何が起きたかと言うと――たまたまなんだけれど、自分の取り組んでいたテーマ群そのものが、僕に自分のヴォイスを用いることを欲してきたんだ。だから、ある特定の類の……「傷つきやすさ」を現す、その必要が僕にはあった、と。それからまた、ある種の……「生々しさ」を体現する、その必要もあった。だから、純粋に必然、だったんだ。なんというか、ほとんどもう自分の口が勝手に開いて声を出していた、みたいなね。というわけで、僕としては自然に声が出てくるのならそうさせようじゃないか、そう、意識的に決断するしかなかった、という。

なるほど。

アルカ:で……うん、これを「ある意味でのシンガー・ソングライター•アルバム」と呼ぶのはアリだろ? 僕もそう思うんだよ。ただ、僕は……自分のこれまでの過去が非常に……複雑なものであったこと、その点については本当に感謝している、というかな。だから、僕というのは……人生のじつに多くの面において、僕は「自分は“中間点(in between)”にいる」、そんな風に感じていてね。だから、僕はヴェネズエラで生まれたけれど、いまこうして話していてもお分かりのように、ヴェネズエラの訛りなしで英語で話している。だから、僕はふたつの言語をアクセントなしで喋っている、ということ。で、それがどういうことかと言えば、アメリカ、ヴェネズエラの両国でそれぞれ暮らしていたときも、僕はいつだって「自分はアメリカ人だ」とも、あるいは「ヴェネズエラ人だ」とも感じたためしがなかった、という。だから、その意味で、僕には「自分はどこにも属することがなかった」みたいなフィーリングがあるんだよ。で……おそらく僕のセクシュアリティ、それから……僕の装いを通じての自己表現の仕方について、それらを……「アルカは、彼の抱いている“自分は(「あちら」でも「こちら」でもない)中間点に存在する”という感覚を、ああして外に見える形で出している」と評することはできると思う。セクシュアリティ、そしてジェンダーの双方の意味合いでね。

はい。

アルカ:で……だから、僕はそれと同じように、自分は100%プロデューサーだとも、あるいは自分は100%シンガー・ソングライターだとも感じていないんだよ。思うにそれもまた、僕が「自分は中間にいる、どっちつかずだ」と感じる、そういう場所のひとつなんだろうね。そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……「中間に存在する」っていう瞬間の集積なんじゃないかな。で、「中間点」っていうのは、普通はみんなが避ける場所なんだよ。というのも、ものすごく居心地の悪い状態だから。

(笑)たしかに。

アルカ:そういう状態にいるなと自分が感じていると、まず、他者とのコミュニケーションが難しくなる。それに……自分自身に対しても楽でいにくくなる。というのも、「自分はどこにも属せないんだ」って風に感じているわけだからね。だから、たぶん、僕のこれまでの人生というのはすべてそうした「中間点/どっちつかず」の連続だったんだろうし、そんな空間に存在することで自分の感じている苦痛を、僕は……美しいものとして見ようとしている、あるいは、その苦痛から何かしら美しいものを作り出そうとトライしているんだ。おそらく、それがある意味、人間としての僕がたどる人生における旅路なんだろうね。ということは、それらは僕の作る音楽の中にも反映されることになる、という。

なるほど。ある意味、音楽作りを通じて、あなたはあなた自身が快適に感じられる「自分の空間」をクリエイトしようとしてきた、とも言えますか?

アルカ:まあ、そういう風に言うことも可能だろうね。ただ、僕だったらべつの言い方をするだろうね。だから、自分だったら、それをこう言うんじゃないかな……「僕は、自らの弱さの数々を“パワー”に変えようとしている」と。

ああ、分かります。

アルカ:だから、たとえば僕が自ら「恥だ」と感じるような物事、それらを僕は……祝福しようとトライする、というか。自分を悲しくさせてきた色んな物事、それらの中に、僕は……美を見出そうとする、と。だから単純に公平でニュートラルというのではないし、ただたんに「自分が楽に存在できる空間を作ろうとする」ではないんだよ。そうではなく、自分が自分のままで輝けるスペースみたいなものであり、かつ……自分は愛情を受けるに値するんだ、そんな風に感じられる空間、ということなんだ。

はい。

アルカ:だから……ただ「自分のことを許容し、大目に見てもらえる」程度の場ではなくて……愛を見つけることのできる、そういう空間を作ろうとしているんだよ。

と同時に、そこは「あなたがありのままのあなた自身でいられる場所」、でもあるんでしょうね。

アルカ:うん、そうだね。ただし……そう言いつつ、僕はいまのこの回答もややこしくしたいな、と思ってしまうんだけど。

(苦笑)はい。

アルカ:だから、ただたんに「自分自身のままでいることを許す」だけではなくて、同時に自分自身に「変化」も許す、という。

ああ、なるほど。

アルカ:だから思うに、ある意味……「自己」というのはそもそも存在しないんだよ。僕にとっては、そうだね。そう思うのは、もしかしたら僕の生まれ育ちのせいかもしれないけれども。だから僕はこれまで数々の「中間点」に存在する経験を経てきたわけだし、それもあって……僕たちはみんな、ちょっとばかり役を演じているところがあるんじゃないか? そう僕は思っていてね。だからたとえばの話、Tシャツにどうってことのないただのショーツ姿の男性を見かけた、としようか。気取りはいっさいなしだし、とても普通な見てくれの男性。ところが、そんな格好にしたって、やっぱりひとつの選択であることに変わりはない、みたいなね。要するに、ごく普通の格好をするってのは、その人は「目立ちたくない」と思ってるってことだよね。ただ、その「目立ちたくない」という想い自体、その人間が何らかの決定を下した結果だ、という。
 そんなわけで僕からすれば、自分たちの内面世界を、それがどんなやり方であれ、外に見える形で現した表現というのはすべて……とにかく、そこには「リアル」も「フェイク」も存在しないんだ、と。だから、僕たちはたまに自分たち自身で「自分は何かにすごく捕われている」と感じる状態に追い込んでしまうんじゃないか、僕はそう思っていて。ひとは「わたしはこういう人間です、これがわたしなんです」、「わたしはこうじゃなくちゃいけない」などと言うことによって自らを閉じ込めてしまう。そんなわけで、きみに「あなたの音楽は、あなたが自分自身であるためのプロセスということでしょうか?」と問われたら、僕は「イエス」と答えるわけだけど、と同時に「だけど、それ以上に大切なのは、僕自身が変化することのできる、そういう場所を見つけることだ」と言うだろうね。だからそのときどきの僕の感じ方次第で、あるいはその日に自分の感じた「僕はこんな人間なんだな」というフィーリング次第で変われる、そういう場所。だから……たんに「どちらか一方」という話ではなくて、その両方を切り替えることのできる状態、という。それって……より自由に自らを表現させてくれる、そういう何か、なんじゃないかな?

何に対してもコメントがくっついてくる、という。だから、あらゆるものがインターネットによって消費されている時代だし、少なくとも西洋社会のウェブサイト群においては、そこにかならず「ユーザーのコメント欄」みたいなものが添えてあるじゃない?

あなたのアルバム作品はこれまでもセルフ・ポートレイト的な意味合いが大きかったと思うのですが――

アルカ:ああ、うん。

本作『アルカ』ではさらに踏み込んであなたの内面の愛や欲望、性愛といったモチーフが赤裸々に言葉で歌われています。アルバム・タイトルを『アルカ』にしたのも、自身の正体もしくはトラウマを明かすという意味があるのでしょうか?

アルカ:んー……僕としては……「さらに踏み込んだ」、以前よりもその度合いが増したとも、減った、とも言わないね。正直なとこ、そうだな。思うに……僕の中には……人々とコネクトする、それだけの強さを充分に備えた部分もあるからね。

ええ。

アルカ:だから、僕は……自分の音楽において「正直であろう」、そう非常に努力しトライしてきたんだよ。で……ただ、今回のアルバムについては、たまにこんな風に感じもしたんだ。「もしもここで自分を誤解されても、僕としてはオーケイ、かまわない。けれど、僕はより無防備で傷つきやすい何かを、自分自身にもっと近い何かを聴き手とシェアしたいんだ」、とね。で、それをやるのは本当に難しかったんだよ。というのも、とてもおっかないことだからね。そうやって自分の内面を明かすのは、とても恐ろしいことだ。というのも、思うにいまみたいな時代、この2017年という年は、何もかもがこう、ものすごく「即座」なわけじゃない? 僕たちが音楽を消費する、そのやり方にしても一瞬なわけで。

はい。

アルカ:そんなわけで、何に対してもコメントがくっついてくる、という。だから、あらゆるものがインターネットによって消費されている時代だし、少なくとも西洋社会のウェブサイト群においては、そこにかならず「ユーザーのコメント欄」みたいなものが添えてあるじゃない?

ええ。

アルカ:で、そういう2017年の社会に対し自分自身を開いて明かすってのは、かなり……なんというか……フム……だから「危険な行為だ」ってフィーリングがある、という。ゆえにそれをやるには、自分は本当に強いんだ、自らを明かすだけの確信が自分にはちゃんとある、そう強く感じる必要があるんだよ。でも僕にとっては、自分をもっとクリアなやり方で人びとから理解してもらうべくトライすること、それはとても重要だったし、かつ「自分はどちらでもない“中間点”にいる」という風に強く感じている、そういう他の人びととコネクトしようと努めることは非常に大切だったから、(たとえ危険な行為であっても)これはやるに値することだ、そう感じた、みたいな。

なるほど。

アルカ:きっと、それなんだろうね、ひとりの人間としての僕にとって重要なことというのは。だから、人びとから「あなたの音楽を聴いたおかげで、『自分はひとりじゃない』と感じて、孤独感が薄れました」と声をかけられたときだとか……あるいは、「自分は異形の者だ」とか、「自分はミュータントだ」なんて風に感じている誰かのことを、たぶん僕は自分の活動を通じて……ただたんにそのひとに「自分はこのままでかまわない、オーケイなんだ」って感じさせるだけではなくて、彼らを彼らたらしめている「他との違い」を、彼ら自身に祝福させることができるんじゃないかな。あるいは、彼らが自ら恥だと感じているような物事を、そうではなく美しいものとして眺めようとすること、というか。だから、さっききみが言っていたような「自らの内面を明かそう、自分自身の内面における対話をもっと表そう」っていう勇気を僕に与えてくれたのは、たぶん、そうした想いだったんだろうね。意味、通じるかな?

はい、分かります。で、自分自身でこれは重たい作品だと思いますか?

アルカ:(軽く、「ハーッ」と息をついて)……うん、たしかにヘヴィな作品だと感じるけれど……なんというか、その重さというのはある意味……重いんだけど、でも、同時にほとんどもう「祝福」みたいなものでもある重さ、というか。で、これって、以前に友だちに説明しようとしたことと同じ話なんだけど……僕たちのレコードというのは……そうだな、まあ、ここでは、自分が毎回使うおなじみのメタファーにまた戻らせてもらうけれども――まず、「自分はドロドロの沼地の中に立っている」、そういう図を想像してみてほしい。

はい。

アルカ:で……そこは何やら暗い場所で、しかも沼は毒を含んだ有害なもので。その水に、きみは膝まで浸かっている。いや、もっとひどくて、胸までその水に浸かった状態、としよう。

(苦笑)うーん、嫌ですねぇ。

アルカ:ところが、そんな君の頭上には、白い光のようなものが差している、と。だから、その有毒な水というのは、きっと……深淵(abyss。地獄の意味もある)や罪、そして悲しみすら表現しているんだよ。対して頭上にある光というのは、ある種の……希望だ、と。だから、そんな毒性のある水に浸かってきたとしても、その人間がいまだに頭上にある光に目を向け続けているとしたら……それはある意味、ただただ楽しいだけのレコード、「FUN」について歌っただけのレコードよりも、もっとオプティミスティックなものなんじゃないのかな? そうやって重さに敬意を表し讃えるのは、自分が楽しい状態になるための、そして「生」を祝福するための、僕なりのやり方なんだ。というのも、あらゆるものというのは……同じコインの裏/表みたいなものじゃないか、僕はそんな風に思っているからね。たとえば苦痛と歓喜とは、何らかの意味を持つためにそれぞれお互いを必要としているわけだし……そうだね、イエス! だから、僕はこれを「重いレコード」と呼ぶだろうけど、なぜヘヴィな方向に向かったのか? と言えば、それはある意味において、僕が光を信じているからなんだよ。

なるほど。

アルカ:もしも光を信じていなければ、これほど重く感じられる何かを作る、それだけの強さが僕には備わらなかっただろうからね。

そう言われると、これは個人的な印象に過ぎませんけど、アルバムの最後のトラックである“Child”は特に、聴いていると心の中に光を感じる、そういう美しい曲だと思います。

アルカ:それは、とても……(軽く感極まったような口調で)きみがそこを僕と分かち合ってくれたのは、本当に嬉しいよ!

いやいや、こちらこそ、ありがとうございます。

» アルカ、ロング・ロング・インタヴュー(2)

Juana Molina - ele-king

 先週、3年半ぶりとなる最新アルバム『ヘイロー』を日本先行でリリースしたばかりのフアナ・モリーナですが、このたび彼女の来日公演が発表されました。フアナは先日のインタヴューで「東京と京都に行きたい」と語っていましたが、見事にその夢が叶いましたね。8月19日にサマーソニックの東京会場に出演、翌8月20日には京都METROにて単独公演をおこないます。いったいどんなステージになるのでしょう。すでにチケットの受付が始まっていますので、早めにチェックしておきましょう。

フアナ・モリーナ、3年半振りのニュー・アルバムが日本先行発売!
サマーソニック出演&京都公演も決定!
“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオが公開に!

先週金曜日に、約3年半ぶりとなるニュー・アルバム『ヘイロー』を海外に先駆け日本で発売したフアナ・モリーナが、この夏サマーソニックに出演することが決定した! 当日はEGO-WRAPPIN’の中納良恵を迎えたスペシャル・セットとなっており、8月19日(土)に東京GARDEN STAGEに出演する。また翌日には、京都METROにて単独公演をおこなうこともあわせて決定!! こちらの公演は5月2日(火)より早割チケット(¥3,500)の受付スタートとなっている。

好評発売中のニュー・アルバム『ヘイロー』は、フアナらしいエクスペリメンタルな方向性と独特の歌声は健在ながらも、さらなる高みを目指した12曲を収録。催眠作用のあるリズム、魔術、虫の知らせや夢といった隠喩を用いたミステリアスなリリック、感情やムードを体全体を使って表す様は、これまでに増してマジカルである。
そんななか、先日収録曲より“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオが公開となった。

--------------------
“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオはこちら:
https://youtu.be/--pC7g_eGgo
--------------------

これはけっして新たに発見されたマン・レイやハンス・リヒターが作る、1920年代のモノクロのエクスペリメンタルな超現実主義的映画ではない。アルゼンチン人映画監督マリアーノ・ラミスが制作した、フアナ・モリーナの新曲のミュージック・ビデオなのだ。
フアナとふたりでアイデアを出し合って完成したこのビデオは、同楽曲を書く際にフアナの脳裏に浮かんできたという“ひし形をしたヘイロー”に関する伝説がインスピレーションの元となっている。
「ヘイローっていうのは、灯りから発されるぼんやりした光や、聖人の頭の後ろに浮かんでいる後光のこと。それは聖なる光ではなくて、夜に野原を漂う緑色の邪悪な光なの。人を追いかけてくることもあって、200年ぐらい前の田舎に住む人びとは恐れていたらしい。現代になって、それは腐った骨から発せられる蛍光性の光だと判ったそうなの」とフアナは話す。

他にも、収録曲“Cosoco”やアルバムのティーザー音源も公開となっているので、あわせてチェックしよう!

--------------------
アルバムのティーザー音源試聴はこちら:
https://youtu.be/W6_Dzl712i8
--------------------
「Cosoco」の試聴はこちら:
https://soundcloud.com/crammed-discs/juana-molina-cosoco-1
--------------------

■来日公演情報

●サマーソニック2017
2017年8月19日(土)、20日(日)
※フアナ・モリーナは8月19日(土)に東京GARDEN STAGEに出演します。
東京会場:ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
大阪会場:舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
サマーソニック公式サイト:https://www.summersonic.com/2017/

●晴れ豆インターナショナル presents JUANA MOLINA Japan Tour 2017 京都公演
@京都METRO
Open 19:00 / Start 19:30
チケット:5/13より一般発売開始
早割¥3,500 ドリンク代別途 [受付期間:5/2~5/12]
前売¥4,000 ドリンク代別途
当日¥4,500 ドリンク代別途

【限定早割】
----------------------------------------------------------------
★期間限定:早割¥3,500 ドリンク代別途 [受付期間:5/2~5/12]
※『特別先行早割お申し込み方法』
→ タイトルを「8/20 フアナ・モリーナ 早割希望」として頂いて、
お名前と枚数を明記して 宛てでメールして下さい。
----------------------------------------------------------------

【一般PG前売り】
--------------------------
チケットぴあ (0570-02-9999、Pコード:332-717)
ローソンチケット (ローソンLoppi、Lコード:53857)
e+ (https://ur0.work/DfpZ)
にて5/13より発売開始
--------------------------
詳細: https://www.metro.ne.jp/single-post/170820
お問い合わせ: 075-752-4765


■リリース情報
アーティスト:Juana Molina(フアナ・モリーナ)
タイトル:Halo(ヘイロー)
品番:HSE-6388
レーベル:Hostess Entertainment
定価:2,490円+税
発売日:発売中!(海外発売:5/5)
※日本盤は先行発売、ボーナス・トラック1曲、歌詞対訳、ライナーノーツ(石田昌隆) 付

【トラックリスト】
1.Paraguaya
2.Sin dones
3.Lentísimo halo
4.In the lassa
5.Cosoco
6.Cálculos y oráculos
7.Los pies helados
8.A00 B01
9.Cara de espejo
10.Andó
11.Estalacticas
12.Al oeste
13.Vagos lagos *
* 日本盤ボーナス・トラック

※新曲“Cosoco”iTunes配信スタート&アルバム予約受付中!
リンク:https://itunes.apple.com/jp/album/halo/id1205397001?app=itunes&ls=1&at=11lwRX


■ショート・バイオ
音楽ジャンルの壁を凌駕する唯一無二の独創的才能を持つアルゼンチンのアーティスト。1996年デビュー。'00年に発表した2ndアルバム『セグンド』によって人気に火がつき、徐々に世界にその名が知られ始める。3rdアルバム『トレス・コーサス』は、U2、ビョーク、カニエ・ウエスト、アニマル・コレクティヴなどのアルバムと並んで、『New York Times』の "The Best Pop Album of 2004" に選出される。'04年には元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンと全米をツアー。来日も多く、レイ・ハラカミ、勝井佑二(ROVO)、高橋幸宏、原田郁子(クラムボン)、相対性理論など日本のアーティストとの共演多数。中納良恵(EGO-WRAPPIN')からフィリップ・セルウェイ(ds. レディオヘッド)まで、様々なアーティストからフェイヴァリットに挙げられている。2013年11月、約5年ぶりとなる最新作『ウェッド21』をリリース。その後もほぼ毎年来日し公演をおこなっている。2017年4月、約3年半ぶりとなるニュー・アルバム『ヘイロー』を発売。8月にはサマーソニックへの出演が決定。

interview with Carl Craig - ele-king


Carl Craig - Versus
InFiné/Planet E/ビート

Techno not TechnoOrchestral

Amazon Tower HMV iTunes

 かつてカール・クレイグは指揮者だった。
 彼は1999年の『ele-king』(vol.27)に興味深い発言を残している。「自分自身のことをミュージシャンである以上に作曲家とか指揮者だと思うことは?」というジョン・レイトの質問に対し、カール・クレイグは「それは思うね!」と即答している。「プロデューサーとしてであれ、指揮者としてであれ、作曲家としてであれ、僕たちがやってるのはすべてのものを構築するということ、つまりすべてのバランスをとることなんだよ」。これはインナーゾーン・オーケストラ(という名の仮想のオーケストラ)のアルバムがリリースされたときに組まれた、4ヒーローのディーゴとの対談記事における発言で、いまから18年前のものだ。カール・クレイグはかつて「すべてのものを構築する」ということに、そして「すべてのバランスをとる」ということに意識を向けていたのである。

『Versus』はオーケストラ vs エレクトロニックだ。エレクトロニック、テクノのアーティストである自分とオーケストラの対決だ。しかし、最終的には対決というよりも、コラボレイションになったかな。 (オフィシャル・インタヴューより)

 このたびリリースされたカール・クレイグの新作『Versus』は、本物のオーケストラとのコラボレイションである。そのリリースにあたって録られたオフィシャル・インタヴューでも彼は、それまでの自身の制作スタイルと今回のオーケストラとの共同作業とを対比するために、自らを指揮者になぞらえている。

ひとりでコンピュータを使って音楽をつくるときには、自分が指揮者で。自分の感情をシーケンサーに入れて録音すればいい。 (オフィシャル・インタヴューより)

 かつて彼は指揮者だった。では、実際にオーケストラとコラボレイトするにあたって彼は、どういうポジションに立つことになったのだろうか? 今回も彼は「すべてのものを構築すること」「すべてのバランスをとること」にその意識を向けていたのだろうか?
 以下に掲げる『ele-king』のエクスクルーシヴ・インタヴューにおいてカール・クレイグは、これまで実際にオーケストラの一員になることがどういうことなのかわかっていなかった、と語っている。オーケストラが実際に演奏する際に、自らは歯車の歯のひとつでしかないということ、自身が作曲家であるからといって特別な地位を占めるわけではないということ、演奏全体をコントロールするのは指揮者であって自分ではないということ、そういったことを『Versus』をプレイする過程で学んだのだという。
 カール・クレイグとオーケストラ、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、今回の新作にもひっそり参加しているモーリッツ・フォン・オズワルドとの共同名義で発表された、2008年の名作『ReComposed』だろう。あのアルバムで素材として取り上げられていたのは、ラヴェルの『ボレロ』と『スペイン狂詩曲』、それにラヴェルが編曲したムソルグスキーの『展覧会の絵』という、まさに「超」のつく有名曲ばかりだったわけだが、『ReComposed』の核心はそれらの楽曲の知名度にあるわけではなかった。あのアルバムでもっとも重要だったのは、その素材としてカラヤンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音源が使用されていた点である。カラヤンといえば、音と音とを滑らかに繋いでいくレガート奏法で有名な指揮者だけれど、そんな彼の流れるように麗しい録音物をミニマル(クラブ・ミュージック的な意味でのそれ)の文脈に落とし込んで、ぶつぶつ切断しては繋ぎ直し、再構築してみせたことこそが『ReComposed』の真髄であった。そもそも流麗さが売りのカラヤンが、ミニマル(現代音楽的な意味でのそれ)の祖とも言われる『ボレロ』を振ること自体、ラヴェルに対する挑発的行為でもあったわけだが、そのカラヤンの虚飾を解体してみせたのがカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドのコンビだったのである。素材にカラヤンの音源が選ばれたのがふたりの意図によるものだったのか〈ドイツ・グラモフォン〉側からの指定だったのかはわからないけれど、いずれにせよ『ReComposed』はカラヤンに対する優れた批評であると同時に、そこからラヴェルまで遡及して「ミニマル(両方の意味でのそれ)とは何か」ということを考えるためのひとつの問題提起でもあった。
 そんなふうにオーケストラの過去の録音物との格闘を試みたのと同じ2008年に、カール・クレイグは生のオーケストラとの共演にも挑戦している。2008年にパリでおこなわれたレ・シエクルとのコンサートがそれで(その様子はYouTubeにフルでアップされている)、そのときの試みをアルバムという形にまで昇華したのが今回の新作『Versus』である。
 ジェフ・ミルズのときと同じように、今回カール・クレイグがオーケストラとコラボレイトしたことに驚いているリスナーもいるだろう。カール・クレイグの音楽はテクノに分類されるのが慣例なので当然と言えば当然ではあるが、しかしこれまたジェフ・ミルズと同様、カール・クレイグは最近になって急にオーケストラ・サウンドに興味を抱いたわけではない。

若い頃から、ストリングスやオーケストラの音にはポップ・ミュージックを通じて親しんできた。当時からポップやジャズを聴いていたからね。〈モータウン〉やプリンスだったり、ジャズであればランディ・ルイスやマイルス・デイヴィスの『スケッチズ・オブ・スペイン』だったりとか。とにかく、若い頃から聴いてきたたくさんの音楽にオーケストラが使われていた。ウェンディ・カルロスによる『時計じかけのオレンジ』のサントラだったり、『2001年宇宙の旅』のサントラだったり。 (オフィシャル・インタヴューより)

 ここで彼がマイルスの『Sketches of Spain』を挙げていることは示唆に富む。というのも、あのアルバムの主幹をなしていたのは、ギル・エヴァンスによって再解釈されたホアキン・ロドリーゴの『アランフエス協奏曲』だったのだから。ということは、この『Versus』では、編曲を受け持ったフランチェスコ・トリスターノがギル・エヴァンスの役割を担っているのだろうか?

フランチェスコには、クリエイティヴ的な自由をできるかぎり与えたんだ。あまり、「これは、こうじゃない」とか言わないように心がけていたよ。やはり実験的な試みや新しいことをやろうとしたときに、自分の権力をかざして否定してしまうのは制約になってしまうと思うんだ。むしろ、フランチェスコは自分とは違う音楽的な訓練を受けてきているわけだし、彼のアイデアによって自分のアイデアよりもよくなる可能性だってあるわけだから。 (オフィシャル・インタヴューより)

 やはりフランチェスコ・トリスターノの貢献は大きいようである。しかし、ギル・エヴァンスが編曲のみならずオーケストラの指揮まで担当していた『Sketches of Spain』とは異なり、『Versus』で指揮を務めているのはパリ生まれの気鋭の若手、フランソワ=グザヴィエ・ロトだ。

自分の感情を込めたシンセサイザーのソロがあって、それをフランチェスコが解釈してアレンジして、そのアレンジを指揮者が解釈して、ヴァイオリン奏者に伝えるわけだから、間に数人を介してのコミュニケーションになる。 (オフィシャル・インタヴューより)

 フランチェスコ・トリスターノ、フランソワ=グザヴィエ・ロト、彼の指揮するレ・シエクル、それにモーリッツ・フォン・オズワルド(かつて『ReComposed』でカールの相棒を務めた彼は、本作では「スピリチュアル・アドバイザー」なる肩書きを与えられている。「『ReComposed』の楽曲を最初の公演でやったから、彼も当初のラインナップには入っていたんだ。レコーディングの段階では、その曲は入っていなかったけれど、参加してもらうことにしたんだ。彼はスピリチュアルなアドバイザー的な役割をしてくれた。実際に手を動かす技術者というよりはね」とカール・クレイグはオフィシャル・インタヴューで説明している)――この『Versus』にはさまざまな人たちが関わっている。そんなかれらを統べるのは、カール・クレイグではない。彼は指揮者ではないのだ。まさにそれこそが本作の大きな特徴だろう。
 さらに、もうひとつ注目すべき点がある。『Versus』にはカール・クレイグが書き下ろしたいくつかの新曲とともにフランチェスコ・トリスターノの楽曲も収録されているが、しかしアルバムの中核を成しているのは“At Les”や“Desire”、“Domina”といったカール・クレイグの往年の名曲たちなのである。

選曲については、フランチェスコと僕で選んだ。基準はオーケストラでの再現性だった。だから、自分の曲でもオーケストラで再現することが不可能なものもあった、たとえば“Neurotic Behavior”だったりとか。プログラミングでできても、生演奏ではできないことがある。だから、フランチェスコが可能か不可能かのジャッジをしてくれた。 (オフィシャル・インタヴューより)

 再現、とカール・クレイグは言っているけれど、それはもちろんコピーということではない。既存の彼の楽曲を、いかに異なるスタイルへと変換してみせるか。言い換えれば、既存の彼の楽曲をいったん解体した後に、いかにそれを再構築してみせるか。それこそがこのアルバムのもうひとつの主眼と言っていいだろう。『Versus』は「構築」ではなく「再構築」を目指している。だからこそこのアルバムは、ジェフ・ミルズの『Planets』とは異なって、カール・クレイグの既存の曲を中心に構成されているのである。
 ゆえに本作は、「カール・クレイグ」という名義で発表されてはいるものの、いわゆる彼のソロ・アルバムではない。かつてラヴェルがムソルグスキーを管弦楽化したように、かつてカラヤンがラヴェルを骨抜きにしたように、かつてカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドがカラヤンを解体して再構築したように、いまフランチェスコ・トリスターノやフランソワ=グザヴィエ・ロトたちが、カール・クレイグの解体と再構築を試みている。そしてカール・クレイグ本人は、その過程を受け入れるということをこそ自らの大きな任務と見做している。
 そのような再構築への意志があるからこそ彼は、以下のインタヴューで自らのキャリアの開始点がデリック・メイとのユニットだったことを強調しているのだろう。彼はいま「バンドの一員」であることに徹しようとしている。彼は司令官ではなく補佐官であろうと努めている。だからこのアルバムのジャケットに掲げられている彼の名は、クラシックのレコードにおける作曲家の名のようなものなのだろう。カール・クレイグは能動的に対象となった。彼は音楽家として次のステージへと進むために、自らの楽曲を他の人たちに再解釈させることで、自らとその楽曲たちを再構築しようとしているのである。
 かつてカール・クレイグは指揮者だった。いま彼は積極的に、歯車の歯であろうとしている。

[[SplitPage]]

オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。

〈プラネットE〉からは最近ニコ・マークス(Niko Marks)のアルバムがリリースされていますね。いま他に注目しているアーティスト、〈プラネットE〉から出したいと考えているアーティストはいますか?

カール・クレイグ(Carl Craig、以下CC):最近は〈プラネットE〉から音楽を徐々にリリースしている。今回、初めてニコ・マークスのアルバムをリリースしたが、ニコの音楽はそれ以前もリリースしたことがある。〈プラネットE〉からは2枚目となるテレンス・パーカー(Terrence Parker)のアルバムも、もうすぐリリースされる。いろいろなアーティストから、良いデモがたくさん届いているから、その他にも、新しい音楽をリリースしたいと考えている。東京のアーティスト、ヒロシ・ワタナベ(Hiroshi Watanabe)もそのひとりだ。彼は素晴らしい音楽を作っている。〈プラネットE〉からリリースされる音楽は、僕のヴィジョンに合ったもので、リスナーにとって力強い音楽的主張があるものでなくてはならない。今年、レーベルは26周年を迎える。レーベルのレガシーをさらに広めていってくれるような作品を発表していきたい。僕が個人的にリリースする音楽は、そういう点に注意していままでやってきた。長年、同じような音楽をリリースするのではなく、可能性の領域を広げながら、リスナーが僕に期待しているような作品や、テクノに期待している音楽を発表していきたいとつねに意識している。

あなたはかつてナオミ・ダニエル(Naomi Daniel)を世に送り出しましたが、近年、彼女の息子であるジェイ・ダニエル(Jay Daniel)が精力的に活動しています。彼や、カイル・ホール(Kyle Hall)といった若い世代の活躍についてはどうお考えですか?

CC:デトロイト出身のアーティストもそうだが、僕は、興味深い活動をしている人たちは、サポートしたいとつねに思っている。10年前、僕とルチアーノ(Luciano)が一緒に活動を始めたとき、僕は彼を支持する第一人者だった。ルチアーノの才能を見出していたから。カイルやジェイも同じで、僕はインタヴューでは毎回彼らについて話すようにしている。彼らは今後の世代だし、素晴らしい音楽活動をしている。〈プラネットE〉を創立した1991年にとどまったまま、当時が最高であり、新しい音楽には良いものが何もない、などとは言っていられない。それは音楽というものにとって、まったく道理をなさない考えだ。音楽は成長する。若い世代による音楽の解釈や音楽スタイルの解釈は、つねに称賛されるべきだ。僕と同じような考えを持っていたのがマーカス・ベルグレイヴ(Marcus Belgrave)で、僕は彼をつねに意識してきた。マーカス・ベルグレイヴは、つねに若い世代のアーティストを世に送り出そうとしていた。若い世代を強く支持していた。彼がいたからこそ、次の世代のアーティストたちが才能を認められ、称賛された。マーカス・ベルグレイヴが指導していたのがアンプ・フィドラー(Amp Fiddler)で、アンプ・フィドラーはジェイ・ディラ(J Dilla)を指導していた。繋がりが見えてきただろう? このように、僕も、ジェイ・ダニエルや若い世代の奴らを指導できるような環境を整えるのは非常に重要なことだと思っている。僕と若い世代との間に20年以上の歳の差があったとしても、才能が感じられるのであれば、僕はその才能を支持したい。

今回のアルバムはオーケストラとのコラボレイションです。2008年にパリでおこなったレ・シエクル(Les Siècles)とのコンサートが本作の発端となっているそうですが、指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロト(François-Xavier Roth)や、彼が創始したオーケストラのレ・シエクルとは、どのような経緯で一緒にやることになったのでしょうか? 他の指揮者やオーケストラとやるという選択肢もあったのでしょうか?

CC:『Versus』プロジェクトのパートナーになってくれたのは、〈アンフィネ〉を運営する、アレックス・カザックで、フランソワと僕を繋げてくれたのは彼だ。最初、彼は、僕にフランチェスコ(・トリスターノ、Francesco Tristano)を紹介してくれた。そしてフランソワをプロジェクトに招待した。フランチェスコが音楽のアレンジを担当した。このプロジェクトはアレックスのヴィジョンによって始動したといっても過言ではない。フランソワはフランス人だし、僕はそれ以前にフランソワとは面識がなかった。僕の持っている、アメリカでのコネクションを超越したコネクションが必要だった。それを実現してくれたのがアレックスだった。

今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。

この新作にはさまざまな人が関与していますが、かれらとの作業やコミュニケーションはどのような体験でしたか? 苦労したことや新たに発見したことがあれば教えてください。

CC:今回は僕にとって新しい発見の連続だった。今回のような状況での作品制作はいままでおこなったことがなかったから。自分の曲が、再解釈・再編成され、オーケストラによって演奏された。過去にオーケストラの演奏を聴いたときも、オーケストラ音楽がどのような仕組みで演奏をし、オーケストラの一員になるということがどういうことなのか、あまり理解していなかった。2008年後半から2009年にかけて『Versus』の演奏をしたときに学んだのは、オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。学びのある経験だった。自分をそのような状況に置いたのは、プロジェクトの最終的な目標が、僕にとってのさらなる一歩となるとわかっていたから。インナーゾーン・オーケストラ(Innerzone Orchestra)をやったときや、ジャズのレジェンドたちと一緒にデトロイト・エクスペリメント(The Detroit Experiment)をやったとき、また〈トライブ〉とプロジェクトをやったときとも同じで、新しい一歩を踏み出すというのが目標だった。今回は、このプロジェクトを通して、オーケストラのなかでの自分の価値や位置付けを理解しようとした。今回のプロジェクトではたくさんの悟りを得ることができた。本当に素晴らしい経験だった。

〈アンフィネ〉はパリのレーベルです。指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロトもフランス人です。他方、フランチェスコ・トリスターノはルクセンブルク出身で、モーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz von Oswald)はドイツ人です。そしてあなたはデトロイト出身です。あらかじめ意図したことではないと思うのですが、結果的にこのアルバムがそのような国際性を持つに至ったことについてどう思いますか?

CC:最高だよ! 僕がギグをやるとき、たとえば今夜はドバイに行ってプレイするが、そこにいるのはアラブ人だけではない。イギリス人、フランス人、アメリカ人など外国人居住者も集ってくる。アルバムは、僕のギグや、長年、僕と僕の音楽を支えてくれた人たちを反映している。また、この世界をも反映している。世界は、一種類の人間から成り立っているのではない。世界は、多文化で他民族だ。アルバムがそれを表している。

ジェフ・ミルズ(Jeff Mills)がオーケストラと作った新作『Planets』はお聴きになりましたか?

CC:まだ、聴いていない。もうリリースされているのか?

通訳:はい。日本では2月にリリースされました。

彼も10年ほど前からオーケストラに関心を持ち始め、コラボレイションを続け、今回あなたとほぼ同じタイミングでその成果を発表することになりましたが、そういう同時代性についてはどう思いますか? あなたの今回のアイデアとの類似性や親近感などはありますか?

CC:オーケストラに関して言えば、ジェフは僕より先に、壮大なプロジェクトを成し遂げている。ジェフは僕たちのために道を切り拓いてきた。オーケストラに対するジェフの概念や、オーケストラとのジェフの作品は、僕のそれとは少し違う。ジェフはオーケストラと音楽を作るときも、自分の音楽を作っていて、作曲家は自分である、ということを大切にしている。『Versus』プロジェクトを完成させるにあたり、僕が最終目標としていたのは、作品がバンドのように、まとまりのあるものになるということだった。「カール・クレイグ+オーケストラ」ではなく、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)やバーケイズ(The Bar-Kays)のアルバムを聴くのと同じ感じで『Versus』を聴いてもらいたかった。ジェフと僕の思想は似ているかもしれないが、違いもある。ジェフは、僕とは違うタイプのアーティストだ。ジェフはデトロイトで大活躍するDJとしてキャリアを進めてきた。彼はつねにソロのアーティストとして活動してきた。一方、僕は、バンドの一員としてキャリアをスタートさせた。デリック・メイ(Derrick May)とリズム・イズ・リズム(Rhythim Is Rhythim)というバンドをやり、その後にソロ・アーティストになった。だから、僕の道のりはジェフのそれとは少し違う。もちろん、ジェフがオーケストラ音楽に傾倒し始めたとき、それは僕にとって大きなインスピレイションになったが、ジェフが80年代にDJとして活躍していた頃から、ジェフには大きなインスピレイションを受けていた。彼は驚異的なDJだった。

フランチェスコ・トリスターノが昨年リリースしたアルバム『Surface Tension』には、デリック・メイが参加していました。そして最近はジェフ・ミルズがオーケストラとの共作を発表しました。いま、デトロイトの巨匠たちが一斉にクラシック音楽に関心を向けています。もちろんみなさんは、ジャズや〈モータウン〉の音楽や、あるいはSF映画などを通して、若い頃からずっとオーケストラ・サウンドには触れてきていたとは思うのですが、なぜ2010年代後半というこの時代に、ほぼ同じタイミングで、3人の関心がそこへ向かっているのでしょう?

CC:先ほども言ったが、ジェフがオーケストラに興味を持ち始めたのは、僕より少し前だ。僕がオーケストラに興味を持ち、『Versus』プロジェクトを始めたのはジェフの1年、2年後だ。(ジェフの)『Blue Potential』はたしか2006年にリリースされ、『Versus』(のプロジェクト)は2008年に発表した。デリックが作品を最終的に発表したのは2015年だったと思う。だからその間にはかなりの時間が流れている。だが、1989年、1990年頃、僕がデリックのグループの一員だったときから、僕たちはサウンドトラックをやりたいという話をいつもしていた。僕たちの周りの人たちがサウンドトラックをやる話をするずっと前から、僕たちはサウンドトラックをやろうという話をしていた。ヴァンゲリス(Vangelis)のような音楽を作りたいと話していた。僕はクラシック音楽という呼び方が好きではない。変なものを連想する奴らがいるからな。交響曲音楽かオーケストラ音楽という呼び方をしている。その方が僕の活動にしっくりくるからだ。僕がやっているのはクラシック音楽ではない。今回僕が作ったのは交響曲アルバムだ。
 とにかく、僕たちはサウンドトラックを作るという、素晴らしいアイデアを昔から持っていた。最近のサウンドトラックは、エレクトロニック音楽と交響曲を巧みに合わせて作られている。今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。最近のサウンドトラック・アーティストたちの作品は素晴らしいと思う。彼らにも強い影響を受けてきた。だから、今回のアルバムができたのは、自然な流れによるものだった。まさに、僕とデリックが1989年、1990年頃に話していたことが、今回のリリースで実現したということだ。アルバムのストリングスの部分は2009年~2010年にレコーディングされたから、素材が7~8年もの間、温められていたということになる。ジェフの音楽がリリースされたのも、そのくらいの時期だ。同じような時期に、僕たちは似たような音楽活動をしていたということだ。

Lapalux - ele-king

 いま破竹の勢いで快進撃を続けているフライング・ロータスのレーベル〈Brainfeeder〉から、新たなアナウンスがありました。なんとラパラックスのニュー・アルバムがリリースされるとのことです。ラパラックスといえば、個人的にはいまでもEP「When You're Gone」のあのなんとも言えない猥雑なサウンドが思い出されますが、その後のアルバム『Nostalchic』『Lustmore』を経て彼は、まさに「フライング・ロータス以降」を代表するトラックメイカーにまで成長しました。そんな彼がいまいったいどんなサウンドを響かせるのか。楽しみですね。リリースは6月30日とのことで、この日の星の動きにも注目です。


今年も絶好調の〈Brainfeeder〉からフライロー直系の
人気ビート・メーカー、ラパラックス
待望の最新作『Ruinism』を引っさげ帰還!
新曲“Rotted Arp”とアルバム・プレヴュー・ミックスを公開!

昨年はファンクの神様、ジョージ・クリントンのレーベル参加の噂も大きな話題となり、サンダーキャット『Drunk』のスマッシュヒットで今年も大きな話題を振りまいているフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉から、UKエセックス出身でフライング・ロータス直系のビート・メーカーとして、リリースを重ねるごとに人気、実力ともに存在感を際立たせているラパラックスことスチュアート・ハワードが、待望の3rdアルバム『Ruinism』のリリースを発表! 先行トラック“Rotted Arp”とアルバム・プレヴュー・ミックスが公開された。

Lapalux - 'Rotted Arp (feat. Louisahhh)’
https://youtu.be/NBJTywsyiO4

Lapalux - ‘Ruinism' - (Album Preview Mix)
https://youtu.be/fqzRsuiaYuo

覚醒と睡眠の間で意識が停滞することを意味する「ヒプナゴギア」という概念がヒントとなって前作『Lustmore』に続く今作では、その探求をさらに進め、生と死の狭間という、より陰鬱な中間地帯へと踏み込んでいる。有限と無限が入り交じるその場所で、ラパラックスのサウンドはこれまでにないほどの自由を手に入れた。

『Ruinism』のインスピレーションの大部分は、イースト・ロンドン墓地で上演されたパフォーマンス・アート作品「Depart」のためにラパラックスが書いたミュージカル曲から生まれている。

『Ruinism』というのは、混ざり合った音の要素とインスピレーションが互いに影響し合ってこのアルバムができ上がったことを表すために僕が造った言葉なんだ。例えばシンセサイザーとドラム音をレコーディングしたら、サンプリングし直して、ピッチを変えて、ねじって混ぜて、サウンドを『破壊(Ruin)』する。それから残骸を救い出して、形のあるものを作るんだ。- Lapalux

崩壊と再生は、この世界そのものを表している。不確かで、流動的で、つねに摩耗しているのに、それでも人間はそこに残されたものを救いだしている。残骸から可能性を見つけ出し、混沌の中に希望と秩序を探し求めて、どうにか反対側に抜け出そうとする。ラパラックスが荒涼とした原始芸術と美の再開拓によって『Ruinism』で再現してみせたのは、まさにそれなのだ。

ラパラックス待望の3rdアルバム『Ruinism』は6月30日(金)世界同時リリース! iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Rotted Arp”がいちはやくダウンロードできる。


label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: LAPALUX
title: Ruinism

release date: 2017.06.30 FRI ON SALE

iTunes: https://apple.co/2pF9k1v

Various Artists - ele-king

 現代的なアンビエントの定義は曖昧である。イーノ的なアンビエントとも、KLFやジ・オーブ的なアンビエントとも違う。儚さ。夢。美しさ。現実。崩壊。夢。境界線。持続。消失。空気。霧。時間。曖昧さ。コンセプトや効能・機能性よりも、記憶のように不定形で、物語の気配のように抽象的なもの。フラジャイル(弱さ)への志向/嗜好。それが現代のアンビエント音楽の特徴といえないか。
 「弱さ」といっても、単に繊細なだけのものではない。そうではなく、静謐な映画のシークエンスのように断片的であり、想像力を喚起する力がある音。時間が溶け合うような静けさと物語の兆候のような想像力がうごめく音。

 〈パン〉初のコンピレーション・アルバムとしてリリースされたアンビエント・コレクション『Mono No Aware』(もののあわれ)は、このような記憶と物語の境界線のムードを醸し出しており、すぐれて現代的なアンビエント・アルバムといえる。
 参加メンバーは、ビル・コーリガス(Bill Kouligas)をはじめ、イヴ・テューマー(Yves Tumor)、ヘルム(Helm)、ADR、ジェフ・ウィッツチャー(Jeff Witscher)、Sky H1、M.E.S.H.など、過去に〈パン〉からアルバムなどをリリースしてきたエクスペリメンタル・アーティストたちのみならず、カリーム・ロトフィー(Kareem Lotfy)、マリブー(Malibu)、AYYA、フローラ・イン=ウォン(Flora Yin-Wong)、マヤ・ゴメス(Mya Gomez)、TCF、ジェイムス・K・フィーチャリング・イヴ・エセックス(James K feat. Eve Essex)、オリ・XL(Oli XL)、DJハヴァド(DJ Hvad)・パン・ダイジン(Pan Daijing)など、新鋭からマニアならば唸るようなアーティストまでが多く参加している(マスタリングはラシャド・ベッカー)。
 彼らが必ずしもアンビエント・ミュージック専門ではないという点が重要である。アンビエント、ミュジーク・コンクレート、フィールド・レコーディング、ニューエイジ、ドローン、ヴォイス、楽器音など、さまざまな音楽的要素を交錯させつつ、「音楽」によって生成されるアトモスフィアな現代的なアンビエント/ミュージックを構成・生成しているのである。

 アルバム冒頭は、新鋭カリーム・ロトフィーの“Fr3sh”。弦を思わせる電子音と環境音による柔らかなアトモスフィアが耳に心地良く、映像的ですらある。続くマリブー“ヘルド”は、同じようにシルキーな電子音のレイヤーで幕を開け、やがて重厚なシンセ・ストリングスへと展開する。この曲も映像的な想像力が刺激されるが、すぐに音楽は途切れ、途中で何らかの映画からの引用のようなセリフと環境音(何かから逃げているような吐息と足音が聞こえる)が展開し、楽曲は音のない映画的な音響空間へと変貌を遂げていく。やがてそこにギターらしき音や声がレイヤーされ、トラックは「音楽」へと舞い戻る。コンクレート的技法と音楽的要素とアンビエントな音響が交錯する本トラックは、このアルバムのイメージを代表する曲であろう。
 続く、イヴ・テューマーの“リメレンス”もまたアンビエント/環境音/声のコンクレート的な技法を展開する。イヴ・テューマーの音響作家としての才能を垣間見る(聴く)こともできた。反対にヘルム“エリミネーター”は彼らしい硬質なインダストリアル/アンビエントを展開し、前3曲との絶妙なアクセントとして機能しているように思える。ADRの“オープン・インヴィテーション”は音響の中に溶け合っていくような声と電子とノイズが交錯する壮大なトラック。以降、アルバムは「もののあわれ」のムードを変奏しながら(唐突に挿入されるビル・コーリガス“VXOMEG”のノイジーなトラックの妙!)、まるで音によって想起される「イメージの演出」のように全体が構成されていく。

 そう、本作に収録された各曲は、独立した曲であり、同時に、『Mono No Aware』という作品=総体を形成するシークエンスのようである。それらをまとめ、ひとつの作品=映像のない映画のようなアルバムに仕上げた〈パン〉(ビル・コーリガスの?)の美的感覚は冴えわたっている。なにより前衛電子音楽とクラブ・ミュージックを結び付けたレーベルが、このように儚い「もの/ごと」への繊細にして大胆なアンビエント音響を生み出したことが大切なのだ。
 持続を僅かに変化させ、折り重なるサウンドに自己の感性や感情の微妙な揺らぎを重ね、そして溶かしていくこと。音とモノと耳と世界との境界線を溶かすこと。具体的な、微かで、抽象的な音による『Mono No Aware』のアンビエンスは、インターネット/世界という騒がしくも非物質的な空間に対して、フラジャイルなモノ=音たちからのカウンターに思えてならない。

interview with Juana Molina - ele-king

新しいアルバムを作るときに大事にしているのが、いかに前作と違う作品を、違う人間にならずに作るかということ。


Juana Molina - Halo
Crammed Discs/ホステス

PopExperimental

Amazon Tower HMV iTunes

 フアナ・モリーナの3年半ぶり、7作目のアルバム『ヘイロー』がリリースされる。彼女のアルバムは、遠い海の向こうのアルゼンチンから届く、ちょっと風変わりで、でも届くのが楽しみなグリーティングカードのようだ。あの名作『セグンド』(2000)以降、『トレス・コーサス』(2002)、傑作『ソン』(2006)などのアルバムがリリースされるたびに、「ああ、また、フアナの音の世界に行ける」と思ってしまったほど。シュールで、少し怖くて、だけどポップな、あのフアナ・ワールドに(ちなみに、もはや「アルゼンチン音響派」など死語といっていい)。

 とはいえ、彼女の音楽は、いつも一筋縄ではいかない。じつに不可思議な世界観とサウンドを持っているのだ。それはシュールでもあり、少し不気味でもある。細やかでもあり、大胆でもある。反復的でもあり、非反復的でもある。映像的でもあり、まるで活字の世界のように抽象的でもある。
 本作『ヘイロー』も同様だ。少しダークな夢のなかに迷いこんだようなポップ・ループ・サウンド。親しみ深く、複雑で、しかし素朴でもあり、同時に、そこはかとない怖さや、美しさをたたえているアルゼンチン・エクスペリメンタル・ポップ・ミュージックに仕上がっているのだ。

 今回、アルバムの制作を終え、リリースを待つばかりのフアナにインタヴューをすることができた。ブエノスアイレスからテキサスまでを越境しつつ制作・録音されたフアナ流ダーク・ポップの創作の秘密を、いかにもフアナ・モリーナらしく素直に、しかし謎めいた言葉で、しかし誠実に語ってくれた。とくに本作のラストに収録されたフアナ史上、屈指の名曲(!)といえる“Al oeste”の意外な誕生秘話にも注目してほしい。
 ぜひ新作を聴きながら、ぜひとも彼女の言葉を追っていただきたいものだ。この新作アルバムの魅力が、より一層伝わるのではないかと思う。

食べ物に例えるとしたら、音楽は味みたいなものかな。もしすごく興味があってもっと掘り下げたいなら、その材料を調べればいい。でも私のメイン・ゴールは、完成されたお料理を出すこと。どのパートも互いに溶け込んでいい感じになっているような料理。

前作『ウェッド21』から約3年半ぶりのアルバムですね。アルバムの制作はいつ頃から始められたのですか?

フアナ・モリーナ(Juana Molina、以下JM): 2年前くらいに始めたかな。合間にいろんな邪魔が入って、ゆっくりと進めていた感じだった。最初はアイデアを作るところから始めて、その種が徐々に曲に育っていった感じだったわ。

新作『ヘイロー』のテーマやコンセプトはどのようなものですか?

JM:私はアルバムを作る前にコンセプトを決めることは滅多にないの。まずはいろんなアイデアが降りてくるのを自然に任せて、後から枠に入れていく感じなのよね。そのときもコンセプトっていう感じじゃなくて、ほんと、なんとなく枠に入れてみる感じ。例えば前作にしても、決め込んでタイトルに合うようなアルバム内容にしたとかはなくて、自然とそうなったのよね。

サウンドメイクで意識されたことはどういった点ですか?

JM:新しいアルバムを作るときに大事にしているのが、いかに前作と違う作品を、違う人間にならずに作るかということ。だから新しいことにチャレンジしながらも、自分らしさも失わないでいることを意識しながら作っているわ。自分を新しい方向に誘うことを恐れないで、そういう挑戦を大事にしているのよ。新しいサウンドに挑戦してみたり、ほかの人が私にもつイメージに耳を傾けたり、これまで軽くイメージしていた新たな挑戦にもっと踏み込んでみたり。そういう感じで新しい作品には取り組んでいるわ。

フアナさんの楽曲は「ループ」がポイントと言われていますね。「ループ」は、どのような意味を持っていますか?

JM:ループには意味はないの。すごく自然に出てくるもので、考えてやっている訳ではないから。ループはどちらかというと、自分のプレイ(演奏)の形みたいなものなのよね。この言葉が認知される前から私はこのスタイルでプレイしていたの。あるフレーズを繰り返し弾いていて、それが「ループ」っていう手法だとはそのときはまったく知らなかったわ。それをすることで催眠術的な感じがしていたのよね。いろんな音をループすると、そういう浮遊感みたいな感じが生まれて。でもいまは前よりもループをすることが減ってしまったとは思う。それは、いろんなインタヴューでジャーナリストたちがそのことについて聞いてくるなかで、いままで無意識的だったことが意識的になってしまったから。だからたまにあまり取材を受けない方がいいのかなぁって思うことがある。取材で聞かれたことで、いままで無意識だったことを意識的に気にし始めてしまうから。いままで自然だったからこそ美しく感じていたこともそうじゃなくなっちゃって、マジックが壊れてしまうって感じることがあるの。

なるほど。たいしてヴォーカルは反復から逃れていて、とても自由に感じます。ヴォーカル(ヴォーカリゼーション)で気をつけている点はどういったことですか?

JM:そういうふうに聴こえる? やっぱり人の意見って聞くと面白いわ。あまり何も意識したことなかったけど、これもこれから意識することになるのかもしれない(笑)。でもそう言ってもらえて光栄よ。本当に自由に歌っているだけなの。でもそれでたしかに解き放たれる気持ちになることもあるかもしれないけど、どちらかというとヴォーカルは音楽の一部って考えているわ。

フアナさんのリズム・アレンジは、とてもヴァリエーション豊かですね。リズムが音楽に与えるものは、どういったものですか?

JM:リズムが加わることで、暗黙さが軽減されて、明確さが増す気がする。リズムもまた、自分が最初に弾いたものによって自然に訪れる。でもリズムに関してそう感じるのは私だけだったりするのよね。それが証明されるのが、ほかの人と演奏しているときに、自分にとっては当たり前のリズムだったものが、ほかの人が弾くとちょっと違ったりして。すごく明らかなリズムだと思っていても、人にとってはそうではないって気づく。もちろん、リズムは人によっていろんな捉えられ方をされると思うのだけど、どうして私がたくさんリズムを重ねるかというと、自分に降りてきたリズムをそういう手法で説明したくて、そうしちゃうのよね。

どの曲も、ベースラインがとても独特です。リズムとベースラインの関係について、どのような点を意識されていますか?

JM:関係については考えないと思う。すべては同じ絵の一部で。リズムかベース、どっちを先に録音するのかにもよるけど、どちらかを先にとったら、次はどちらかが足りない部分を補うみたいな感じかな。私にとって音楽は、パート、パートで別々のものとは感じてないの。私が、もっとも音楽で満足することとは、みんなに完全なものとしてその音楽を届けること。食べ物に例えるとしたら、音楽は味みたいなものかな。もしすごく興味があってもっと掘り下げたいなら、その材料を調べればいい。でも私のメイン・ゴールは、完成されたお料理を出すこと。どのパートも互いに溶け込んでいい感じになっているような料理。

私が街にいようが砂漠にいようがどこにいようが、音楽は自分のうちにあるものだから変わらないのよね。でも歌詞は、見たものを言葉にしたときにそれがいい言葉だったらそのまま歌詞になったりするから、場所は影響すると思う。

フアナさんの音楽は、即興と作曲が絶妙なバランスで同居しているように思いました。アルバム制作においては、どちらの比重が高いですか? もしくは、即興と作曲のバランスをどのようにとっているのですか?

JM:ほとんど即興だと思う。例えばギターとメロディが浮かんだとして、しばらくそれでいろいろ試してみるの。即興でやっているなかで、自分のなかでピンときたものがあればとにかく録ってみる。頭に浮かんだものをすぐに録音するわけじゃなくて、いま言ったみたいにアイデアで少しは遊んではみるけど、特にそのあとこうしようとかそういう構想はなく、ほとんど即興に近い形で曲を作り進めていくの。最終的には即興で録音した音を組み合わせて、曲を作り上げることが多いわ。

“In the lassa”など、部分的にエレクトロニックなトラックがあります。テクノやエレクトロニカなどからの影響はありますか?

JM:ハウス・ミュージックとテクノは好きなんだけど、家ではまったく聴かないのよね。だからじつはジャンルとかもぜんぜんわからなくて。でも私は踊るのが大好きだから、友達がおうちで開くパーティによく行くの。最低月に1~2回は必ずあるんだけど、エレクトロニックな音楽を聴くのは唯一そこでだけかな。そこで「この曲いいわね!」って友達に言うと、「それはハウス・ミュージックよ」ってジャンルを教えてもらったりするわ(笑)。

ブエノスアイレス郊外のホーム・スタジオとテキサスのソニック・ランチ・スタジオで録音されたそうですね。

JM:いちばん大きな理由が、自宅スタジオの機材がいろいろ壊れていたからなの。何かを録音しようとすると、マイクが壊れていたり、ソフトウェアがクラッシュしたり、いつも何か駄目なことが起きちゃって、ほんと何もかもがうまくいかなかった。その状況が何ヶ月も続いちゃって、すごくストレスが溜まったの。そしたら一緒にレコーディングしていたオーディン・シュヴァルツが「もうどこかスタジオに行こうよ!」って言ってきて。でも私は別のスタジオにはぜんぜん行きたくなくて。過去にスタジオでレコーディングして、すごく嫌で、危険なことをしたことがあるから。そもそも自分がレコーディングしようとしているときに、ほかの人がいたりするのがすごく嫌いなのよね。まるで見知らぬ人の前で裸になっているみたいで。あと、スタジオは時間も決まっているし、お金もかかっちゃうし、家にいるときみたいにアイデアが浮かんだら時間とか関係なく、すぐにレコーディングするとかができない。そしたらミックスをしてくれたエンジニアが、テキサスにいいスタジオがあるって教えてくれたの。そのスタジオはテキサスの郊外にあって、住みこみができる貸し切りスタジオだったの。だから24時間いつでも使えるし、街から離れているから気が散ることもないし。値段もリーズナブルだったし。みんなからの「いいから、スタジオ借りてみよう! 過去の悪いイメージは捨てて! 同じことにはならないから!」って言われるプレッシャーにも負けて、スタジオを借りることにしたの。結果、すごくいい経験になったわ。スタジオに行って本当によかったなぁと思うのが、そこで膨大な数の楽器に触れることができたの。新しい楽器っていつだって新しいアイデアになるから、それがすごく良かった。また行ってもいいなぁって思えるようになったわ。

[[SplitPage]]

音楽を作るとき私にとってその音楽はふわふわ浮いていて、浮遊しているみたいなもので。それで、その浮遊している音たちは、自分にとってすごくパーフェクトなもの。でも歌詞をつけることで、その浮遊して夢のあるものが、すごく現実的になってしまう気がして。その夢が壊れてしまうんじゃないかって怖くなっちゃう。


Juana Molina - Halo
Crammed Discs/ホステス

PopExperimental

Amazon Tower HMV iTunes

テキサスでの録音が本作に与えた影響は?

JM:歌詞のアイデアはもらったかもしれないけど、音楽的には変わってないと思う。私が街にいようが砂漠にいようがどこにいようが、音楽は自分のうちにあるものだから変わらないのよね。でも歌詞は、見たものを言葉にしたときにそれがいい言葉だったらそのまま歌詞になったりするから、場所は影響すると思う。

今回、コンゴトロニクスVS ロッカーズで出会ったディアフーフ(!)のギタリスト、ジョン・ディートリックさんが参加されています。彼とのコラボレーションは、この作品に、どのような効果をもたらしましたか?

JM:彼は私が考えもしないようなギター・フレーズを入れてくれるの。最初に聴くと「何これ! こんなギター・フレーズ聴いたことないわ」って衝撃を受けるんだけど、いつしかそれ無しでは生きていけないみたいになって(笑)。彼とのコラボレーションはコラボレーションのあるべき姿だと思う。だって彼は私が絶対に思いつかないようなことをやってくれるから。私のアイデアとかけ離れたことをやってくれるから逆にそれがいい形でハマっているんだと思う。彼は本当にアイデアをたくさん生み出す人で、次から次へと出てくるから止めなきゃいけないくらいなの(笑)。すごく親しみやすい人だし、大好きだわ!

ライヴでおなじみのシュヴァルツ・オーディン・ウリエルさん(キーボード、ヴォーカル、ギター、ベース)、ディエゴ・ロペス・デ・アルコートさん(ドラムス)も参加されていますね。彼らの演奏はこのアルバムにどういった色彩を与えてくれたとお考えですか?

JM:正直に言うと、あまり色彩は与えてないと思う。というのも私は自分の音楽になると、自分の世界が広がってしまうから。だから私と音楽をやるのはすごく難しいと思う。でも彼らはミュージシャンとしては大好きよ。ディエゴが叩いてくれたドラムがレコーディングに採用されたんだけど、だからといってそれがアルバムの何かを変えたかというとそうではない。ただ、本当に良いドラムだったからそれを使った感じなの。

今回もエドワルド・ベルガージョさんがミックスを手掛けられていますね。今回のアルバムでも重要人物ではないかと思うのですが、彼の仕事が本作に与えた影響を教えてください。

JM:これもさっきと同じで「影響」っていうと、答えるのが難しいかもしれない。彼とは何度も何度もミックスのやり取りをするの。彼はいつもたくさんディレイやリヴァーブをつけて戻してくるんだけど、私はそれがすごく嫌で。あと彼はすごくパンチの効いた音にしたがるんだけど、それも私は嫌で。でも彼は私のやりたいこととか、私がどういうミックスを求めているのかとかはちゃんとわかってはくれているのよね。私はある程度自分でミックスしたものを彼に渡すから、まっさらなミックスをするんじゃなくて、私がミックスしたものが基盤になる。それでも彼なりに挑戦してくるときもあって、それが採用されることもときどきあるのよ。例えば“Lentísimo halo”では、私のミックスに比べて、彼はギターのヴォリュームを3倍くらい上げたの。最初はびっくりしたんだけど、どんどんそれが良く感じてきて。それで曲のムードがとても良くなったの。あれをやった彼は正しかったわ。

フアナさんのリリックは日本人である私には意味はわからないながら、とても心地よい響きを感じます。フアナさんにとって「言葉」とはどういった意味を持っていますか?

JM:「言葉」とは音楽をもっと生かすものだと思う。地に足をつけてくれるものだと思う。だから私はいつもアルバム制作の最後の方に歌詞を書くのよ。私にとって歌詞を書くことはとても難しいことなの。説明が難しいけど、音楽を作るとき私にとってその音楽はふわふわ浮いていて、浮遊しているみたいなもので。それで、その浮遊している音たちは、自分にとってすごくパーフェクトなもの。でも歌詞をつけることで、その浮遊して夢のあるものが、すごく現実的になってしまう気がして。その夢が壊れてしまうんじゃないかって怖くなっちゃう。だからあまり歌詞って好きじゃないのよね。だから少しでもそれを崩さないように、オリジナル・メロディの音にきちんと合う言葉を選んでいるの。私にとって大事なことは歌詞がメロディに溶け込むということ。だから言葉選びに関してはすごく厳しいわ。

過去に日本人音楽家とも共演されていますが、現在、気になる日本人音楽家はいますか?

JM:いまは誰もいない。その理由が最近すごく怠け者になってしまって、ぜんぜん新しい音楽を探さなくなってしまったの。だからこういう質問をされると申し訳なくなる、答えがなくて。正直なことを言うと、ここ2年くらい、自分自身が音楽に圧倒されちゃって、音楽をあまり聴かなくなっちゃったの。友達で音楽ライターの人がいるんだけど、いつも彼が私にいろんな新しい音楽を勧めてくれていたんだけど、最近彼にも会ってないから私に音楽を教えてくれる人もいなくて(笑)。

余談ですが日本のマンガ『NARUTO -ナルト-』のファンということですが、気になっている日本のマンガやアニメーションなどはありますか?

JM:宮崎駿の大ファンよ。みんな彼の大ファンだとは思うけど。彼の作品は本当に美しくて、感動的で、完璧で、でもどことなくシンプルで。何気ないところにすごく動かされるのよね。例えば『崖の上のポニョ』で、ポニョが笑顔で水面を駆け抜けるシーンとか、ああいう場面を想像できるってある意味すごくクレイジーだと思うんだけど、本当に美しくて心動かされるわ。本当に彼は世界が誇る天才だと思う。最初にアメリカ版を観てから日本版を見てみると、ディープさとダークさがより際立つのよね。アメリカ版だと削除されているシーンも多くて。だから日本のオリジナル版を観ると、強烈さと感動が増すのよね。

オリジナル・アルバムのラスト曲である“Al oeste”は、メロディ、ギターの演奏など、シンプルにして、とても美しい曲に思いました。

JM:この曲は驚くかもしれないけど、前作よりも前に書いていた曲なの。サウンドチェックのときに書いたのよ。このアルバムの多くの曲はサウンドチェックで書いたの。この曲は、何かが足りなくて、だから前作には収録されなかった。それで、今回のアルバムを制作していて、スタジオの準備をしているときに誰かが、この曲のデモを流したの。そこにジョンもいたんだけど、彼が特に気に入って、「こんな曲あったのか! すごく美しい! アルバムに入れるべきだ!」って言ってくれて。私にとってはちょっと間抜けな感じの曲だったから、みんなが気に入ってくれたことにびっくりしたわ。すごくシンプルな曲だったから。でもみんなのリアクションを見て、私もこの曲に対する気持ちが変わったの。人のリアクションってやっぱり影響すると思う。特に「悪い」とね。センシティヴ(神経質)すぎかもしれないけど、リアクションで自分の気持ちすら変わってしまうこともある。この曲に関してはベンにありがとうって言わなきゃいけないと思う。彼がこの曲を引っ張りだしてきてくれなければ、私の判断では絶対にこの曲はアルバムには収録されなかったと思う。

いつもアートワークが独特ですね、今回は目と骨のイメージです。何を意味するのでしょうか?

JM:これは誰もわからないわ(笑)。私はいつもアレハンドロにアートワークをお願いするんだけど、じつはこれになる前に、もうひとつアートワークができていたの。でもそれが過去にもやったことのあるようなアートワークで、なんかしっくりこなくて。そしたら、アレハンドロが「じゃあ、ちょっとそこに立って、目の写真を撮らせて」って言って、突然私の写真を撮り始めたの。自分のiPhoneで。私が「え! 何? 何をするつもりなの?」って聞いても、「いいから! とにかく写真を撮らせて!」って言ってきたの。それで彼が目の写真を撮った。もう一度同じ写真を撮り直してみたんだけど、その目にはならなくて、結局彼のiPhoneで撮影した目写真が使われることになったの。彼が何をするのかまったく想像できなかったんだけど、結果、想像を絶する素晴らしいイメージができ上がったと思う。最初に見たときは、あまりの奇妙さに本当に大爆笑したわ(笑)。とても奇妙だし、不気味だし、でもなんか目が離せなくなっちゃって(笑)。知り合いに見せても、すごく酷いリアクションをされたりして(笑)。でも思ったのが、何もリアクションがないより、それがネガティヴなリアクションでも、記憶に残るくらいインパクトがあるものの方がいいなぁって。それとタイトルにも合うことに気づいて。タイトルの『ヘイロー』は、昔郊外に存在していた神話なの。白く蓄光する光が地面から浮いていて、みんなそれを恐れていた。何か悪いことが起きてしまうんじゃないかって。その光は、人の後をついていったり、脅かしたりして、人びとにいろんな違う側面を見せるから、人びとはその光の行動をオラクルとして捉えていたの。その白く蓄光している光は、動物の死骸の骨からその光を放つようになったの。だから偶然にもアートワークにも骨があって、『ヘイロー』と合うって感じたの。

なるほど。話が少し前後しますが、アルバム名を『ヘイロー』とした理由を教えてください。

JM:どうして『ヘイロー』にしたかというと、タイトルを何にしていいか、まったくわからなかった。それでアルバム全体の歌詞を見直して、アルバムに合う言葉がないか探したの。そしたら“Lentísimo”っていう曲に「Halo」っていう言葉があって、なんかピンときて。だからその曲のタイトルも“Lentísimo halo”に変えたのね。さっきも言ったけど、もともとコンセプトはないところからスタートするんだけど、結果、パズルのようにすべて引っ付き始める。ひとつの行動でいろいろと変わるのに、結果、いろいろつながるのはアートのマジックだって感じるわ。

音楽も含めて、最近、もっとも感動したことは?

JM:何かあるとは思うけど、なんかいまは頭が真っ白で思いつかないわ(笑)。インタヴューが終わった瞬間に100万個くらい浮かびそう(笑)。

最後に、今後のご予定などを教えてください。

JM:アルバムが5月に出てからは、アルゼンチンで4公演ライヴをする予定なの。その後はヨーロッパでツアーをしつつ、ソナー・ミュージック・フェスティヴァルにも出る予定よ。まだ長いツアーではなくて、短いツアーからスタートする感じ。本格的な長いツアーは秋以降かな。そのときには日本も行きたいと思っているわ。東京と京都に行きたいわ。

Run The Jewels - ele-king

←前編

エル・Pとキラー・マイクの出会いは、ボム・スクワッドとアイス・キューブが出会って作り上げた『AmeriKKKa's Most Wanted』にたとえられたりもしますね。 (二木)

ふたりは、人種、出身地、スタイルの違いを越えて、ラップ・ナードであるという共通点によって奇跡的にベスト・パートナーになったと。 (吉田)


Run The Jewels
Run The Jewels 3

Run The Jewels Inc. / Traffic

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

吉田:今回のビートもクラブ・ミュージックの文脈が色濃いですが、エル・Pがソロで2012年にリリースした『Cancer 4 Cure』ってアルバムからスタイルや音像が変わっていて。最初はずっとサンプラーを使っていたじゃないですか。で、『Fantastic Damage』からシンセとか使い出すんですよね。だけどその頃はまだローファイなサンプル・ベースの音像で、それにシンセの音を合わせていく感じ。で、その後ソロがもう1枚あって、そこまではまだ全体のトーンとしてはローファイな印象です。それで2012年のソロ・アルバムからラン・ザ・ジュエルズの3枚にかけて、このローファイとハイファイの融合を図っているというか。もちろん全体的にはハイファイ側に寄ってきているんだけど、初期のエル・Pの特徴はやっぱりローファイなので、持ち味を崩さずどのようにこの二層のレイヤーを重ねるかを考えたのかもしれません。それから近年はリトル・シャリマーとワイルダー・ゾビーという楽器ができる兄弟ふたりとビートを共作しているんですよね。

二木:あー、そうなんですね。『I'll Sleep When You're Dead』から楽器演奏者が参加するようになってその路線を推し進めて到達したのが『Cancer 4 Cure』ですよね。

吉田:今回のアルバムは特にそうかもしれないですけど、音楽的じゃないですか。ビートが効いていてグルーヴが楽曲を引っ張るんだけれど、フックになると楽器の音が入ってきて、カマシ・ワシントンがサックスを吹いている曲もそうですけど、フックがコード感や旋律のある展開になっているんですよね。見方によっては楽器の生演奏をサンプリング・コラージュしているとも取れると思いますが。しかし特徴的なのは、その音楽的というのがR&Bやソウル的なものではないじゃないですか。曲によってはもろにナイン・インチ・ネイルズっぽいと思うけど(笑)。

二木:まさにインダストリアル。

吉田:だからそこも逆に日本の従来のラップ・ファンにはいまいち受けづらいのかもしれないですね。音数も多いし、たとえばいまトラップが好きという人にこれを勧めようとすると……。というかこれは磯部涼氏も言っていたんだけど、音数多そうだし、言葉も多いし、言っていることも密度がありそうだし、いまはそういう雰囲気じゃないんだよねぇ、いまはミーゴスで踊っていたいんだよ、みたいな(笑)?

二木:例えば、『Run The Jewels 3』の“Call Ticketron”ではリン・コリンズの“Think”をサンプリングしているけれど、その声ネタによるリズムのアクセントの付け方はまさにロブ・ベース&DJ E-Zロック“It Takes Two”ですよね。で、ブーストしたプリミティヴなベースとキックがぐいぐい引っ張ってその上でスピットしまくる。だから、オールドスクール/ミドルスクール・マナーを継承しながらいまのダンス・ミュージックをやっていますよね。さらに音楽的という点では、本人たちが意識していたというのもありますし、エル・Pとキラー・マイクの出会いは、ボム・スクワッドとアイス・キューブが出会って作り上げた『AmeriKKKa's Most Wanted』にたとえられたりもしますね。サンプリングやスクラッチや演奏が騒々しく、しかも緻密にアレンジされているという。それと彼らのもうひとつの大きな特徴はなんと言ってもバトル・ライムじゃないですか。まずはセルフ・ボースティングありきなんですよね。バトル・ライムがポリティカルなメッセージと下品なジョークやFワードを共存させていると言えますよね。最終的にバトル・ライムによるセルフ・ボースティングに昇華していきますよね。あるアメリカ人の友人が『I'll Sleep When You're Dead』ってタイトルも洒落が効いていて面白いと言うんですよ。どういうことかと言うと、一般的には「I'll Sleep When I’m Dead」と表現して「俺は死んでから、寝る」みたいな意味になるけど、それを「I'll Sleep When You're Dead」とすると、「お前が死ぬまで、俺は眠らねえから」という攻撃的な意味合いになると。あと、『Cancer 4 Cure』も「Cure For Cancer」つまり「ガンの治療」という意味を逆転させているところとかどこか皮肉っぽい(笑)。

吉田:たしかに、最初のソロの『Fantastic Damage』というタイトルもそういう意味で皮肉めいてるし、やはり滅茶苦茶ヒップホップ思考ですよね(笑)。

二木:滅茶苦茶Bボーイ・スタンスを感じますね(笑)。

吉田:だからこそこれだけ評価され続けているんだと思うんですけど、その基本が揺るがないんですよね。要するにビートはローファイとハイファイの融合、サンプラーとシンセの融合、ブレイクビーツとTR-808のダンス・ビートの融合に成功して、進化したと。じゃあ従来の「ロー」なバトル・ライムをどんな「ハイ」コンテクストなボキャブラリーとデリバリーで進化させられるんだろう、みたいなことをヒップホップ・メンタリティでずっと考え続けているみたいな(笑)。

二木:そうそう。

吉田:ヒップホップの外側から考えたんじゃなくて、内から考えているんだと思うんですよね。

二木:まさにそうですね。日本に置き換えて考えてみると、エル・Pのラップに関していえば、例えばの話ですけど、降神の志人が攻撃的なBボーイ・スタンスに軸足を置きながらスピリチュアルなタームやヒッピー的な思想、寓話的なストーリーテリングをバトル・ライムでスピットするような感覚に近い気もしますね。スピリチュアリズムやヒッピー・カルチャーに軸足を置きながらラップするんじゃなくて、ヒップホップに軸足を置きながらそういった文化や思想をシェイクしてラップするような感じですかね。それか、SHING02が“星の王子様”をセルフ・ボースティングとしてラップする、みたいな(笑)。いずれにせよ、エル・Pがヘッズを唸らせ続けることができるのは、そのアグレッシヴなBボーイ・スタンスゆえですね。

吉田:SFというのも具体的にはアーサー・C・クラークとか、ディストピア繋がりでジョージ・オーウェルとかも引用していたりするんですけど、やっぱりフィリップ・K・ディックはデカいと思うんですよね。ディックの小説に特徴的なパターンとしてあるのが、いま目の前の現実に見えている世界は、実は何らかの装置や権力が見せている偽の現実、幻影みたいなもので、その現実だと思っていた世界が崩れていくみたいな話じゃないですか。例えばこのアルバム(『Run The Jewels 3』)も前半は直接的に現実の近さで歌っていて、だんだん寓話とともに世界のほころびが入ってきて、最後にすべてを裏で牛耳っている権力が目の前に現れて「支配者を殺せ!」と叫びながら世界が崩壊するというような流れになっている。そういう構造を取り出すと、ディックの小説をなぞっているようにも見えて、やはりエル・Pにとってディックの影響力は大きいと思うんですよね。ディストピアと言っても描き方が色々あると思うんですけどね、例えばカンパニー・フロウの“Tragedy Of War (In III Parts) ”や“Population Control”なんかは戦争をトピックにしていますが、SFの歴史改変モノのように見ることもできる。

二木:あと、僕はそれこそGen(ocide)AKtionさんの『探求HIP HOP』の記事で曲の意味をより深く知ることができたんですけど、エル・Pの“Stepfather Factory”の資本主義批判もSFモノですよね。

吉田:そうそう。あとはこのようなエル・Pのやり方が後世に与えた影響力も大きいと思うんです。まず直接的には〈デフ・ジャックス〉のアーティストであるキャニバル・オックスとかエイソップ・ロックに出たじゃないですか。キャニバル・オックスはジャケットからしてわかりますがSF的な世界観にストリートを歌うラップを乗っけたらどうなるかっていう、ある意味実験ですよね(笑)。で、エイソップ・ロックはエル・P以上に難解で詩的なライムで、SFと言うよりは寓話的なところがありますが、シニカルな視線も持ち合わせていて、それはそれこそ西海岸のアンチコン以降の流れにもつながるという。実際にエル・Pとアンチコンのソールのビーフも有名ですが。しかしともかく絶対エル・Pがいなかったら「ここまで自由にやっていいんだ」ってことになっていなかったと思うんですよね。その辺は当時の日本ではリリックの翻訳があまりなかったこともあって共有されていなかった印象ですが。

二木:さっきも少し話しましたけど、エル・Pや〈デフ・ジャックス〉、〈ローカス〉の日本での受容のされ方は、パフ・ダディを象徴とするようなメインストリームのヒップホップへのアンダーグラウンドからのアンチテーゼとしてまずあったと思います。彼らこそが“ヒップホップの良心”だと。1999年のDJ KRUSHとMUROが表紙の『ele-king』で「パフ・ダディは表現者? ビジネスマン?」というテーマでDJヴァディムとアンチ・ポップ・コンソーティアムのメンバーが激論を交わすという記事があって、当時はそういうメインストリームとアンダーグラウンドの対立構造が産業的にも表現的にもいまよりも明確にあった気がしますね。そういう90年代後半に、モス・デフとタリブ・クウェリのブラック・スターもいたし、DJスピナのジグマスタズ、ショーン・J・ピリオドとかもいたじゃないですか。そういう中でカンパニー・フロウも聴かれていましたよね。

吉田:当時は、〈ニンジャ・チューン〉なんかを中心にアブストラクト系も盛り上がっていましたからね。

二木:そう、アブストラクト系みたいな括りの中で聴かれていましたね。僕の知るかぎりエル・Pの言葉や思想を深く掘り下げた当時の記事とかはあまり思いつかないです。

吉田:ですよね。だから当時DJ KEN-BOが……(笑)。

二木:KEN-BOさん!

吉田:KEN-BOさんが『FRONT』誌で10枚の12インチを紹介するコーナーで「Eight Steps To Perfection」を紹介していて、俺もそれをシスコで買ったんですよね。KEN-BOさんはRZAの変則的な感じが表れているとコメントしています。たしかにそのときはとにかくちょっと変わっているって感じで、ビートがダークでぜんぜんキャッチーじゃないし、ネタも怪しげなノイズみたいなのが入っているしで。

[[SplitPage]]

彼らのもうひとつの大きな特徴はなんと言ってもバトル・ライムじゃないですか。まずはセルフ・ボースティングありきなんですよね。バトル・ライムがポリティカルなメッセージと下品なジョークやFワードを共存させていると言えますよね。 (二木)

従来の「ロー」なバトル・ライムをどんな「ハイ」コンテクストなボキャブラリーとデリバリーで進化させられるんだろう、みたいなことをヒップホップ・メンタリティでずっと考え続けているみたいな(笑)。 (吉田)

二木:さきほど吉田さんが『Run The Jewels 3』が、「最後にすべてを裏で牛耳っている権力が目の前に現れて『支配者を殺せ!』と叫びながら世界が崩壊するというような流れになっている」という話をされていたじゃないですか。そこで今日話そうとしていたことを思い出したんですけど、最近炎上したペプシのCMのことなんです。ペプシが近年のいわゆる「ブラック・ライヴズ・マター」のデモを連想させるようなCMを作って公開したんですよね。そのCMでモデルのケンダル・ジェンナーという女性が群衆の前に立ちはだかる警官にペプシを渡してそれを警官が飲むと、群衆と警官隊が歓喜の渦に包まれてみんなが仲良くハッピーになるというようなものなんです(笑)。それに対して、キング牧師の娘をはじめ、いろんな人から批判の声が上がったんです。キング牧師の娘は「父もペプシの力を知っていればよかったのにね」みたいな皮肉めいたツイートをしたんです。このCMに対する批判のポイントはおそらくいくつかあって、「デモや政治活動を商業利用するな」という批判から「デモ隊と警官隊がペプシを飲んだくらいで和解するわけがないだろ」という批判まであると思う(笑)。

吉田:それはベタなツッコミですよね(笑)。

二木:結局ペプシはCMを取り下げることになったんですけど、実はこのCMのパロディ映像があって、ジョン・カーペンターの『ゼイリブ』風に仕立てられているんです。ある特殊な眼鏡をかけると、権力者や支配者の座につき地球を支配するエイリアンの姿が見えるというあの有名なSF映画です。要は警官隊がエイリアンだったという10秒ぐらいのパロディ映像があるんです。で、その映像にエル・Pのラップが使われているんですよ。

吉田:へえ、それはハマってますね。

二木:その映像がエル・Pの知るところになったんですよ。そこで、あるアカウントが「これはあなたの許可取ってんの?」みたいなメンションをエル・Pに飛ばしたら、「許可は取っていない。でもこのケースはOKだ」みたいなことをツイートしていて。

吉田:「俺のことよくわかってるな」みたいな(笑)。

二木:そうそう。で、そのリリックは『ラブル・キングス』っていう1960年代後半から1970年代初頭のニューヨークのギャングを描いた日本未公開のドキュメンタリー映画にRTJが提供した“Rubble Kings Theme”っていう曲のエル・Pのあるラインなんです。で、吉田さんだったら正確に訳せるんじゃないかなと思って、そのリリックを持ってきたんですけど(笑)。

吉田:(リリックを見ながら)やっぱり権力に対するプロテストみたいです。「悪いがオレたちはお前らの賛歌は歌わない/誓約にもノラない/クズの中から現れる/落ち着きのない人々の支配者たちよ/オレらを試しても無駄だぜ」みたいな感じですかね。

二木:だいぶ詩的ですね。

吉田:さっきの話で言うと、これが警察権力みたいなこととも言えるし。このアルバム(『Run The Jewels 3』)の中心に据えられているのは、資本主義批判で、権力者批判であり、そこはエル・Pもキラー・マイクも足並みが揃っているところだと思うんですが。キラー・マイク目線では警察権力に対する視線もありつつ、やはり格差の問題ですね。1%の人間がすべてを支配している世界で、その支配者たちを“Kill Your Masters”と繰り返し言っていて、それもバトル・ライムのマナーで「Kill」と強い表現で。またコー・フロウの話になっちゃいますけど、コー・フロウのときに“Bladerunners”って曲があったじゃないですか。あれはマイク・ラッドの曲にフィーチャリングされるという形でしたが、当時はSF的な想像力でディストピアを描いていた。今回のアルバム(『Run The Jewels 3』)は、ザック・デ・ラ・ロッチャのヴァースで最後締められる“Kill Your Masters”って、別の世界の話じゃなくてこの現実の世界の話なんだけど、彼がかつてSF的想像力で書いていたディストピアといまの現実が重なっちゃったというところにアイロニーがあるなと思って。

二木:なるほど。ディストピアといまの現実が重なっちゃったアイロニーという話で言うと、DJシャドウがRTJをフィーチャーした“Nobody Speak”のPVを思い出しますね。ダーティな言葉が散りばめられたキラー・マイクとエル・Pのライムを、どこかの議会かサミットに集まった、ビシッと背広を着た各国の代表者か政治家に扮した出演者に口パクさせて、円卓を挟んで罵り合わせて最後は大乱闘になるという作りになっている。しかもその中のひとりがアメリカの国旗を振り回しながら大暴れするという(笑)。このPVを一緒に観ていたNYの友人が隣でゲラゲラ笑いながら、「でも、これっていまのトランプ以後の世界っぽいよね」って言うんですよ。キラー・マイクとエル・Pの下ネタやキワドイ言葉を織り交ぜた政治批判、社会風刺のライムは、コメディアンからの影響もあるんだと思いますね。彼らは、インタヴューでレニー・ブルースやリチャード・プライヤー、ジョージ・カーリン、ビル・ヒックスといったコメディアンの名前も挙げてます。だから、彼らのライムってブラック・ジョークなんですよね。そういういわゆるメタ視点があるところが、同じようにNワードやFワードを連発するトラップやギャングスタ・ラップとの違いでもあると思いますね。吉田さんが言うように、ディストピアではないですけど、戯画化して描いていた世界がそのまま現実と重なってきているというのはありますよね。

吉田:そうですよね。シャドウとやったのもタイミングが絶妙で。

二木:うん、この曲はかっこいいですよねー。DJシャドウやってくれた!って感じです。

“Kill Your Masters”って、別の世界の話じゃなくてこの現実の世界の話なんだけど、彼がかつてSF的想像力で書いていたディストピアといまの現実が重なっちゃったというところにアイロニーがあるなと思って。(吉田)

彼らのライムってブラック・ジョークなんですよね。そういういわゆるメタ視点があるところが、同じようにNワードやFワードを連発するトラップやギャングスタ・ラップとの違いでもあると思いますね。 (二木)

吉田:そういう意味だと、シャドウもいままでのやり方に安住しない男じゃないですか。だからちょっとエル・P的な進化をし続けるんだけど、昔の様式美として何度も同じものを求めるファンからすると「変わってっちゃうから今回のどうなの?」と言う人たちもいると思うんですが、そこはやはり自分の革新的な音楽への探究心にすごく誠実でいるというか。昔のエル・Pのビートに対してのラップのしかたってひたすら詰め込むスタイルで、オフ・ビートというか、ビートに対してスクエアじゃなかったと思うんですよね。最初の“Eight Steps To Perfection”はオーソドックスなビートにジャストのラップなんだけど、“Vital Nerve”なんかになると急激にビートの隙間を埋めたり外れたり複雑なライムで、いわゆるエル・Pらしいものになっている。で、今回はビート自体はもうグリッドに対して変則的な打ち方、ヨレるとかズレるってことはなくて、打ち方は変則的だけれど完全にクオンタイズされた世界じゃないですか。そんなビートの上に乗るライムもグリッドにすごく合っているじゃないですか。それってある意味では後退にも見えるし、90年代にもシンプルなライム回帰みたいなものってあったと思うんですよね。例えばブラック・ソートとか、後はOCなんかも僕の中ではそうだったんですけど、最初に出てきたときはけっこう複雑なライムをしていて、韻を踏む場所もけっこう凝っていたり、でもそれがシンプルにただケツで踏むだけのスタイルに近付いたりと。それがオールドスクール回帰みたいな良さもあった一方で、物足りなさもあったと思うんですよね。RTJではエル・Pもある意味ではそれに近いような原点回帰でケツで踏んでいて、あれだけビートから外れて言葉を詰め込みながら中間韻で複雑に踏んでいたのに、それをある種捨てているようにも見える。でも言葉の密度は相変わらず高くて、ぜんぜん物足りなくないじゃないですか(笑)。

二木:ぜんぜん物足りなくないですね。『Run The Jewels 3』の“Everybody Stay Calm”のエル・Pとキラー・マイクのラップの掛け合い、それとこの曲のスペーシーな上ネタは、ボブ・ジェームスの“Nautilus”をサンプリングしたラン・DMCの“Beats To The Rhyme”を彷彿させますよね。ビートの打ち方は変則的で、ここでもオールドスクールを継承しながら、また新たな試みをしようとしていると思いました。

吉田:なるほどね。あとはやっぱりそうは言ってもトラップ的な流れのスタイルも無視できなくて、トラップのBPMが70だとして、今回はもうちょっと速いのが多いですけど、ハイハットの32分音符が意識される作りになっていて。トラップのラッパーたちはその32分音符が意識されるビートに16分音符や3連符を多用して速度でなくてフレージング重視で乗せるけれど、昔のそれこそフリースタイル・フェローシップ周辺の奴らなんかだと普通にスキルフルに倍速で乗せるじゃないですか。例えばボンサグとかの世界になるんですよね。

二木:倍速で乗せるか、あるいはBPMを半分に落としてビートの合間を縫うような発想でラップをするかってことですよね。

吉田:そうそう。それでラン・ザ・ジュエルズも今回は倍速とか3連の磁場がすごく効いていて。その中で先ほど「物足りなくない」と言ったのは、リリックの内容の話は一切抜きにしてただ音楽として聴いたときに、倍速とか3連のフレージングでケツで踏むっていうオーソドックスなスタイルにも関わらず音楽的に素晴らしいという。それは彼らの絶対的なスキルに支えられていて、それがまたさっきのヒップホップの話になると思うんですよね。やっぱりヒップホップのスキル至上主義、バトル・ライム/ボースティング至上主義というのがあって、これだけ作品を出している中で、エル・Pって今回もつねにそこがマックスなんですよね(笑)。

二木:まったく衰えていない。というか、年齢を重ねてレイドバックするどころか、 バトル・ライムにしろ、スピットにしろ150キロの剛速球を投げ続けている感じですよ。

吉田:そうそう(笑)。だからそこの徹底した美学というか、本当にヒップホップの人なんだなという。年も食って人間としては丸くなっている感じがあるし、ライヴでもにこやかなんだけど、ラップしはじめたら絶対誰にも負けないという感じ(笑)。キラー・マイクとエル・Pのふたりの馴れ初めも、キラー・マイクがエル・Pに1曲やってもらったときにめちゃくちゃ惚れて「アルバムもやってくれるってことなんだよね?」って毎日電話して口説いて、エル・Pが「しょうがねえな」って言って(笑)。

二木:やってやるかと。

吉田:それでマジックが生まれたみたいなことを言っていますけど、さっきの対照的なことは色々とあるにせよ、例えば〈ローカス〉繋がりで言うと(笑)、昔タリブ・クウェリが「絶対クルーはちゃんと選べ。ワックな奴とやるとお前もワックになるぞ」と言っていましたけど、そういう意味でベスト・パートナーですよね。だってラン・ザ・ジュエルズももう3枚も続いているし、けっこうああいうふうに見えてふたりの仲には「やったらやり返す」みたいな関係性も絶対あると思うんですよね。「あいつやばいヴァース出してきたな、オレも絶対負けられない」みたいな(笑)。そういうことが裏には絶対あると思うんですよ。

二木:それはありますね。さっき例に出した“Everybody Stay Calm”の掛け合いもまさにそうですしね。だからエル・Pもキラー・マイクもお互いすごくいいパートナーを見つけたってことですよね。エル・Pはキラー・マイクに対して、自分が言えないことを言ってくれているという頼もしさも感じていそうですし。これがザック・デ・ラ・ロッチャとエル・Pで成立するかと言われたら絶対に成立しないですよね。

吉田:そうそう(笑)。ビッグ・ジャスとの関係もかなり面白かったんですけどね。ビッグ・ジャスはビッグ・ジャスで相当ぶっ飛んでいたというか、ソロやオルコ(・エロヒーム)とのユニットでもかなりアヴァンギャルドなアルバムを出していました。内容も社会批判系からスピリチュアル系、陰謀論系まで。

二木:ラップ・ミュージックで社会批判を生真面目にやりすぎると陰謀論になってしまうというパターンもあったりしますからね。90年代のモブ・ディープやアウトキャストにもそういう側面が多少ありました。

吉田:そう。そういう意味だとキラー・マイクはアウトキャスト文脈で出てきているけど、あんなちゃんとしている人っていう(笑)。めちゃくちゃ真っ当なことを言うという。

二木:キラー・マイクはお父さんが元警察官だったんですよね。

吉田:そうなんですよね。警察権力についてはRTJの前作の“Early”って曲でもすでに歌っているから、そこはすごく問題意識としてあったんでしょうね。しかしコンシャスな曲にしても今作と前作でもまた取り上げ方が違いますね。同様に彼のソロとRTJでも違う。

二木:なるほど。南部のアトランタのキラー・マイクとNYブルックリンのエル・Pが一緒に共作している面白さもありますよね。

吉田:いまだとサウス、特にトラップの世界を考えたときに、ニューヨークとはいちばん相容れないというか、いちばん遠い存在だとすると、それが90年代だと西と東が同じような距離の状態だったわけじゃないですか。だから、キラー・マイクとエル・Pの出会いをボム・スクワッドとアイス・キューブの出会いに重ね合わせるのは本当にその通りだと思いますね。そしてふたりは、人種、出身地、スタイルの違いを越えて、ラップ・ナードであるという共通点によって奇跡的にベスト・パートナーになったと。もちろんニューヨークと南部でもラッパーとしてコラボするみたいなことはあるわけですが。

二木:そうですね。キラー・マイクとエル・Pみたいにここまでがっつりタッグを組んで立て続けにアルバムを3作も出すことはなかなかない。RTJは間違いなく素晴らしいので、あとは聴いてたしかめてください!ってことですね(笑)。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291