「Dom」と一致するもの

Sunburned Hand Of The Man - ele-king

 先日、dommuneの〈ダブステップ会議〉で話したように、キエラン・ヘブデン(フォー・テット)はここ数年で注目すべき音の冒険家のひとりである。彼自身のレーベル〈テキスト〉から発表したブリアルとのスプリット・シングル、そしてアルバムのリリースに先駆けてリリースされたシングル「ラヴ・シティ」でフィーチャーしたふたりのリミキサー――UKファンキーを代表するロスカといま将来を期待されているジョイ・オービソン――を選択するセンス、そしていまから遡ること2007年、USアンダーグラウンドに広がるフリー・フォークのシーンにおいてその中核をなしているサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンの『ファイアー・エスケイプ』(リリース元はノルウェイの〈スモール・タウン〉で、アートワークはヤマツカ・アイ)のプロデュース......こうした彼の新しい動きに対する素早い働きかけとその成果には舌を巻くばかりだ。それらヘブデン絡みの作品のすべてが良いのだ。

 とくに注目したいのは、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンのプロデュースである。何故なら、サンバーンドのようなコミュニティめいた、サイケデリックでフリーキーなインプロヴィゼーション集団に彼のようなエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーが手を加えることは、その筆舌に尽くしがたい音の複雑さを結局のところポップという現代の信仰のもと、ただ手際よく単純化しかねないからである。サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンのようなバンドが、何故大量なリリースを続けているかと言えば(1998年からはじめて、すでに50枚以上)、バンドにとっての目的が演奏行為そのものにあり、その演奏プロセスにのみ真実があり、そしてその結果などは極端な話、まあ、どうでもいいからであろう......というのは僕の勝手な憶測だが、もし本当にそうであるのなら、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンのプロデュースとはバンドの生命にとっての矛盾となる。そういう観点から言えば、ヘブデンは勇気ある試みをしているのだ。

 サーストン・ムーアの〈エクスタティック・ピース!〉からリリースされた『A』は、『ファイアー・エスケイプ』以来のヘブデンのプロデュース作である。以前バンドが〈エクスタティック・ピース!〉から出したアルバム名が『Z』だったので、それに準じて『A』なのだろう。例によってアートワークが秀逸で、ポスターも封入されている。こうした姿勢はこの10年のUSアンダーグラウンドにおいて顕著で、それが商品である前にアートであることを主張しているようだ。それはまあ、いつものサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンである。もっともメディアからの"フーリー・フォーク"というレッテルを拒むかのように、ここ数年彼らははジェリー・ガルシアとジョン・フェイヒィとの中間で鳴っているようなフォーキーな感触を表に出していない(ように思われる、すべて聴いているわけではないのだけれど)。

 新しく録音されたサウンドは、僕の耳にはこれは、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンとフォー・テットのコラボレーション作のようだ。フォー・テットのアルバムをサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンがプロデュースしたと言って良いほど『ファイアー・エスケイプ』以上にエレクトロニック色が際だっている。そして〈エクスタティック・ピース!〉の好みが反映されているのだろう、『A』は『Z』同様にささくれ立っている。あるいは『ファイアー・エスケイプ』より悪戯っぽく、フリーキーだ。電子のイズが耳に付くが、もちろん彼らがブラック・ダイスの背中を見ているようなことはない。フォー・テットが最新作で見せたミニマリズムとダブ処理がところどころで顔を出していて、それが『ファイアー・エスケイプ』にはない効果を生んでいる。

 思いつきで作ったような1分ほどの曲が4曲、3~4分の曲が4曲、7分の曲がふたつある。"ナウ・リフト・ジ・アウター・フィンガー"は不規則な電子ノイズとドローンとファンク・ベースの奇妙な混合で、"ロフト・アット・シー"はクラウトロック的ドラミングと抽象的なミニマル・ダブとのブレンドによるスリリングな展開を持った曲。"ア・レッド・ラグ・トゥ・ア・ブル"は酔っぱらったコニー・プランクがスタジオで踊っているような曲だ。"ザ・ブック・オブ・アビリティ"もユニークな曲で、ヘア・スタイリスティックとベーシック・チャンネルのあいだでこだましている。"アクション・フィンガー"はアルバムのなかでは唯一シンプルな曲で、いわば宇宙ステーションで演奏される電子ノイズとノイ!である。

 『A』は、『ファイアー・エスケイプ』の評判の良さも手伝って実現した作品だろう。僕は、いまの時点で『ファイアー・エスケイプ』か『A』と問われれば迷わず『ファイアー・エスケイプ』を選ぶけれど、数ヶ月後には考えを変えているかもしれない。なにせまだ買って間もないからね。入荷してもすぐに売り切れてしまい、再入荷をこの1ヶ月待っていたのである(好きな人がいるのだ、この世界のいたるところに)。

Burning Star Core - ele-king

 昨年末、正式にリリースされた地味なドローン集『インサイド・ザ・シャドウ』(Rは05年)に続いて、早くもライヴ・アルバムがお目見え。07年にリリースされた驚異の『オペレイター・デッド...ポスト・アバーンドンド』と同じ布陣(つまりヘア・ポリス)に加えて、2人の固定メンバーと、曲によって6人のサポートが出入りしている。つまり、かなりな大所帯の演奏記録。ライヴ・テイクはこれまでRかカセット(それも10本組とか)でリリースされることがほとんどだったのに、97年から08年までの音源から素材を選んで珍しくヴァイナル化され、エディットなどでそれなりに手を加えている模様。レーベルはゆらゆら帝国をニューヨークで迎え撃った〈ノー・クオーター〉。

 KTL、ブラック・マジック・ディスコ(以下、BMD)、そして、バーニング・スター・コアー(以下、BSC)がこぞって07年にサイケデリック・ドローンの頂点を極めたことは『ゼロ年代の音楽』(河出書房新社)のあとがきでも触れた通り。いずれもモノトーンが基調だったドローンをそれぞれのやり方で大きく旋回させ、カラフルに、そして、ゴージャスに変容させ、なかでもBSCのそれは地から湧き出るマグマのごとく、不気味な低音部の蠢きが凄まじかった。

 KTLはアートだろう。実際に、舞台音楽のためにつくられたものだし、マイ・キャット・イズ・アン・エイリアンとジャッキー・オー・マザーファッカーが融合したBDMは前者の資質に引きずられるようにして宇宙空間へと誘うトリップ・ミュージックの極めつけのようなものだった。それに対して、BSCから感じ取れるものは、その大半が暴力衝動に近く、自分でも抑えきれない感情を混乱したまま吐き出しているだけといわれれば、その通りだとしかいいようがない。あらゆる感情が渦を巻き、それらが何も整理されず、混沌としたままであることにしか価値がない。ヒドいものだ。いい大人の聴くものではない。ひとついえることがあるとすれば、1977年は遥かに遠く、セックス・ピストルズではもはや足りないということか。『アセンジョン』辺りのジョン・コルトレーンを音圧を倍増させて聴いているなどというものでは、まったくない。どいつもこいつも死んじまえ。それだけ。そのような気持ちを満たしてくれる音楽は、しかし、意外と少ないものである。

 個人的なことを書いてもしょうがないとは思うけれど、KTLやBMD、そしてとりわけBSCと出会っていなかったら、自分はどうなっていただろうと思う。生きることにはこれといって意味がないとしても、音楽を聴くことでそれに意味を与えることはできる。ここまで世界にファック・ユーを突きつけるということは、まだ、それだけ世界に期待しているということだともいえる。そうでなければいま頃、僕はビートルズのボックス・セットでも買っているに違いない。ハイホー。

intervew with DE DE MOUSE - ele-king

すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって。「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。

 エイフェックス・ツインがポップ・カルチャーにぽっこりと残した巨大な玉手箱、そのひとつは"子供"、いわばピーターパンである。アニマル・コレクティヴ、コーネリアス、そしてデデマウス......。ロックンロールが思春期のものであるのなら、その思春期とやらを嘲笑するかのように掃除機で吸い取り、あるいはまるめてゴミ箱に投げる。いや、そんな悪意のあるものではない。もっと愉快なものだ、子供たちを楽しませるような。


DE DE MOUSE
「A Journey to Freedom」

rhythm zone/Avex Trax

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 話を聞くために初めてデデマウスに会った。まるで十数年来の知り合いに会ったような気分だった。彼は息つぎする間もなく喋った。僕に質問する間も与えない。これは彼の策略なのだろうか。言いたいことを言い切って、そして走って逃げていく、子供のように......いや、マンマシンのように。

 2007年にインディ・レーベルから出した『Tide of Stars』がほとんど口コミを中心に驚異的なセールスを記録して、まさに日本のテクノ新世代を代表するひとりとなったデデマウスは、この度、通算3枚目になる新しいアルバム『A Journey to Freedom』をエイベックスから発表する。以下のながーい話を読んでもらえれば、彼の音楽に特有な郷愁の感覚がどこから来ているのかわかってもらえると思う。あるいはまた、彼の音楽の背後にある理想のようなもの、そしてまた彼が音楽に託す思いのようなものも......。いや、それ以上によくわかるのは、彼が心底エレクトロニック・ミュージックを愛しているってことだ。

シロー・ザ・グッドマンって......近いですよね?

デデ:すごく近いです。でも、最近会ってないです。〈ロムズ〉から「(変名で)ださない?」と言われたことがあって、シロー君と高円寺のラーメン屋さんで会いながら。

飲み屋じゃなくて。

デデ:シロー君、シャイじゃないですか。

そう? ああそうかも(笑)。

デデ:シャイなんで、すごく冗談を言うんだけど、あんま目を見てくれなかったり(笑)。

ハハハハ。いやね、シロー・ザ・グッドマンと......年末だったかなぁ。高円寺で一緒に飲んでて、「いやー、オレにとっての失敗はデデマウスを出さなかったことやわ~」とぼやいていたんだよね。

デデ:ハハハハ。ホントに〈ロムズ〉が好きで、デモを送ってたんですよ。

言ってました。なのにオレは......みたいな(笑)。

デデ:でもダメで、そしたら永田(直一)さんが出してくれるっていうんで「じゃ、出しまーす」って。で、その後、シロー君からオファーされたんだけど、「いまさら鞍替えっていうのも何なんで」って(笑)。

最初から出してくれよって(笑)。

デデ:はい(笑)。正直、そう思いました(笑)。

まあ、それはともかく、デデマウスみたいな明白なまでにテクノをやっている新しい世代が、どっから来たのか興味あるんです。僕らの時代は、ハウスがあって、で、テクノがあってという風に、クラブ・カルチャーの歩みとともにあったけど、たぶん、違うじゃない。

デデ:ああ、はい。

どっから?

デデ:小さい頃はテレビのアニメ・ソング。まさに自分が曲作りするとは思わなかった......というか、歌うのが好きで。だからそれで、光GENJIとか歌って、「自分もこーなりたいなー」と(笑)。音楽とは歌って楽しくて儲かって、っていうイメージで(笑)。群馬の片田舎で育ったんで、テレビぐらいしかなかったんですよ。オレは大きくなったらアイドルになるって(笑)。人には言わなかったけど。さすがに中学生になる頃にはアイドルになろうなんて思ってなかったけど、まわりで地味だったヤツが音楽はじめたりして、バンドやったりね、「なんで、あいつが?」って、それがすごく悔しくて。

負けず嫌い(笑)。

デデ:で、家に父親のクラシック・ギターがあったので、友人からXの楽譜をもらって、クラシック・ギターでコピーしようとしたり。

ぜんぜんテクノじゃないね(笑)。

デデ:小学生のとき『シティハンター』のアニメがあって、そのエンディングがTMネットワークだったんですよ。その影響は実は、僕ら世代では大きい。みんな言わないけどね、実は大きいんです(笑)。それと都会に対する憧れが強い。そうなったときに、ダンス・ミュージックのほうが圧倒的にアーバンなわけですよ、Xよりも(笑)。すごくサイバーな感じがして。小室さんもライヴでシンセサイザーに囲まれていたりするじゃないですか。最初はあれが格好良く見えた。で、13~14歳ぐらいの頃から、ダンス・ミュージックいいなって思っていて、それと電気グルーヴですよ。

ああ、そうなんだ。

デデ:最初はよくテレビに出てたから芸人だと思ってたんですよ。でも、電気が"NO"出した頃から聴くようになって。

3枚目の頃から。

デデ:アシッドとかやりだした頃ですね。『テクノ専門学校』を聴いたり。

それは嬉しいね。中学生?

デデ:中3か高1ぐらい。そう、それで独学でキーボードの練習をはじめるんです。あと父親がオーディオマニアで、ヴィデオテープにFM番組を録音するような。

音質が良いからね。しかしホントにマニアだね、それ。

デデ:そうなんです。それで洋楽の格好良さを僕も知ってしまって。で、父親のコレクションにアバ、シック、カイリー・ミノーグなんかがあるわけですよ。そういうのを聴いているときに、ちょうど高2の頃、テクノ・ブームに当たった。ケンイシイさんが出した『ジェリー・トーンズ』とか。ただ、群馬の田舎だったから、ソニーが出していた〈ワープ〉のCDとか、ハードフロアとか、そんなものしか入って来ないんですよ。デリック・メイの『イノヴェイター』とか、もうちょっと後にはケミカル・ブラザース、アンダーワールド......。

まさにテクノ・ブームだよね。

デデ:当時、NHKでテクノの特番があって、〈レインボー2000〉の映像を流したんですよ。そこでアンダーワールドの"ボーン・スリッピー"を初めて聴いて、「これ、聴きたい!」と思って、買ったのが『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』で、「あれ?」って(笑)。「こんな曲だっけ?」って。しばらくしてからシングルで出ているのを知ったような(笑)。

ハハハハ。

デデ:まあ、そんな感じだったんです。エイフェックス・ツインを知ったのは『キーボード・マガジン』だったかな。すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって、「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。

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で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしておしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。

 

そうだよね。デデマウスの音楽を聴いてまず最初に思うのは、エイフェックス・ツインからの影響だもんね。

デデ:ドラムの打ち込みとかすごいじゃないですか。連打しまくって、感覚だけで作っているっていうか。リズムのバランスも悪いし、あのアルバムのすべてにもっていかれたというか。お気に入りの玩具、ゲーム、そんなようなものというか。いっつも聴いていた。
 衝撃という点ではスクエアプッシャーの『ハード・ノーマル・ダディ』でしたけどね。ジャングルの影響受けながらフュージョンみたいなことやっているし、ホントにびっくりした。96年~97年ぐらいですかね。で、ミュージック(μ-Ziq)も出てくるでしょ。もう、あのブレイクビーツを聴いてまたびっくりしちゃった。スクエアプッシャーの『ビッグ・ローダ』、ミュージック、コーンウォール一派や〈ワープ〉をずーっと聴いていましたね。貪るように聴いた。で、ソニーがしばらくして、〈リフレックス〉の日本盤も出すんですよ。田舎で日本盤しか手に入らないから、それはほとんど買い漁った。あとはもちろんオウテカ。

まあ、通ってるだろうね。

デデ:『キアスティック・スライド』。三田(格)さんがライナー書いていたんじゃないかな。で、その後に出した......。

『LP5』!

デデ:あれがもう最高で! コンピュータが自動生成されたメロディとリズムによるまったく新しい音楽に思えた。

『キアスティック・スライド』や『LP5』はミュージシャンに与えた影響が大きいよね。シロー君たちもあそこら辺からテクノに入ったって言ってたよ。

デデ:ちょうどその頃から学校で上京したんです。もうそうなったら、暇さえあればシスコに行って新譜をチェックするという。

なんか意外と真っ当な道を歩んでいるんだね。

デデ:インターネットがまだ普及していないし。

そうだよね。だけどデデマウスを聴いて、エイフェックス・ツイン、そして〈リフレックス〉からの影響というのはすごくよくわかる。

デデ:そういってもらえると嬉しいんです。僕は、そこは愛を出しているつもりです。

アンダーワールドというほうが意外だよ。

デデ:当時『ロッキングオン』にも流された世代だから(笑)。『ロッキングオン』と『エレキング』に(笑)。リチャード・D・ジェイムスに関する伝説が載ってるじゃないですか。戦車乗ってるとか、1日3曲作ってるとか。

夢のなかで作曲してるとかね(笑)。

デデ:そういうのを全部信じていた(笑)。なんて格好いいんだろうって。

遊んでいる感じがあったよね。当時のエイフェックス・ツインって、20歳そこそこの若者が、業界の大人をからかっている感じがすごくあったでしょ。

デデ:そうそう。ちょっとバカにしている(笑)。それがすごく格好良く思えたんです。暴力的で、悪意に満ちていて、それが最高だって。僕が19~20歳で作った音楽には、ものすごくその影響があったんです。突然ノイズが出てきて、「あーっっははは」って笑ってみせたりとか。
 音響やポスト・ロック系も好きでしたね。モグワイも好きだった。それでもデモを送ったのは〈リフレックス〉でしたけど。で、そうしたら〈リフレックス〉から返事が返って来たんです。まだ英語も読めないし、emailもできなかったんだけど、友だちでパソコン持ってるヤツがいて、彼のところに来たんです。「なんかお前宛に英語でメールが来ているよ」って。そしたらもう怖じ気づいちゃって(笑)。

ハハハハ。

デデ:「これは出せないけど、君は良いものを持っているから、もっと送って欲しい」って。それがものすごくプレッシャーになって、しばらく〈リフレックス〉を意識したものしか作れなかった。

なるほどね。

デデ:そのまま自然体で作れれば良かったんだけど。それでいちどダメになってしまったんです。小心者だから。

まったく小心者には見えないけどね(笑)。

デデ:それくらいからCM音楽の仕事をさせてもらえるようになったんだけど、まだ若いから、カネよりも自分のやりたいことをやるんだって、バイトしてでもやろうと。だけど、90年代末になってくると、かつて自分がエレクトロニック・ミュージックに感じていたワクワク感がどうもなくなってしまって......。

うん、そうだったね。エイフェックス・ツインも「ウィンドウリッカー」(1999年)がピークだったし。

デデ:うん、あれはすごかった。あのフィルの感じとか信じられなかった。

曲もすごかったし、PVもすごかった。ところが2001年の『ドラックス』でエリック・サティとテクノの中間みたいなことになったでしょ。

デデ:でも僕はあれがいちばん好きかもしれないんです。すごくピュアだし。

ああ、たしかに、ピュアであることは間違いないよね。

デデ:みんなはピアノの曲が良いって言うけど、僕はビートが入っている曲が大好きで。ドラムマシンとブレイクビーツの絡みという点では、ものすごく影響も受けた。

なるほどね。

デデ:もちろん「ウィンドウリッカー」や「カム・トゥ・ダディ」は大好きですけど。

ポップということを意識しているよね。

デデ:うん、そうなんです。それでも僕は『ドラックス』のビートものが大好きなんです。構成的にも、ピアノの曲があって、ビートものがあって、まあ、予定調和と言えばそうなんですけど、安心して聴ける。
 「ウインドーリッカー」の後にアルバムが出るって話があったじゃないですか。それをすごく楽しみにしていたんです。当時は大田区に住んでいて、毎日のように川崎のヴァージンに行って、「出てないか? 出てないか?」ってチェックしていたほど楽しみにしていた。でも、結局、あのあと出なかったじゃないですか。ものすごくがっかりしちゃって。あの頃がリチャードに対する気持ちのピークだったかもしれない。

エイフェックス・ツインの音楽のなかにはいろんな要素が入ってるしね。

デデ:そうなんです。エレクトロニック・ミュージックのピークって、やっぱ97年ぐらいがピークだったと思うんです。ジャングルがドラムンベースになって、そこからドリルンベースへと発展して......。で、しばらくしてDMXクルーみたいなエレクトロも出てきて、それはそれで面白いなと思ってたんですけど、正直、それ以外のところではそんな刺激がなくて。ボーズ・オブ・カナダみたいなのも好きでしたけど、あれがエレクトロニカって呼ばれるのが僕にはわからなくて。アブストラクトの流れなんじゃないかなと思っていた。

あるいはサイケデリック・ロックの流れというか。

デデ:そうそう。で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしながらおしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。もっとフィジカルなものだったと思うし。あと......〈リフレックス〉の悪意を変な風に解釈する日本のエイフェックス・ツイン・フォロワーみたいな人たちがいて。敢えて名前を挙げると〈19頭身〉とか。

いや~、知らない。

デデ:2000年ぐらいにあったんですよ、そういうのが。〈ロムズ〉のコーマとかも初期は関係してましたよ。僕も関わっていたし。なんていうか、相手に対してただ攻撃的になればいいみたいな。「それは違うだろう」っていうのが僕にはあって。

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僕にとって〈ロムズ〉は届かない人たちだったんですよ。みんな独自のオリジナリティというか、スキルを持っていて、自分はまだそれを確立できていないから、自分はその辺の人たちと対等にはなれないけど、近づけるようにがんばってみようって。そこからデデマウスのファーストが作られるんです。

 

エイジ君(コーマ)とは、じゃあ、もう知り合っていたんだ。

デデ:その頃はまだ出会ってないんです。作っていた音楽も違っていたし、僕は僕で、リチャードの幻影を追い求めるのは止めて、もっと自分のコード感を出した曲を作っていたし。コーマ君と出会ったのは2004年ぐらいです。僕の友だちの女性シンガーで、Jessicaという子がいて、それをワールズ・エンド・ガールフレンドやジョセフ・ナッシングがアレンジするっていうことで紹介されたのが最初かな。僕もそれに参加したんです。

そのときはもうデデマウスとして活動していたんだ?

デデ:いちおうしてました。でも、そんなにアクティヴではなかった。23歳の頃かな、いちど〈19頭身〉の人と喧嘩になってしまったことがあって、自分も悪かったんですけど、そういうこともあって自信をなくしている頃で、もう外に出るのが恐くなってしまって(笑)。

ハハハハ。

デデ:恐いなって。だから〈ロムズ〉の人たちもきっと恐いんだろうなと思っていました。で、ジョセフと会ったら、すごく変人だけど、すごく柔らかい人で。で、コーマ君は、〈ロムズ〉の3周年に行ったときかな、僕が「すごく良かったです」って声かけたんです。そこでデモを渡したら、後からメールをくれて「君はストリートっぽい音楽をやるよりもメロディものにいくほうがいいんじゃないかな」みたいな内容で、「あ、やっぱそうなんだ」って思って。それもターニング・ポイントだったな。

ホント、気の良い連中だからね。

デデ:〈ロムズ〉のアニーヴァーサリーは毎年行ってましたよ。

なるほど。たしかにデデマウスからは、キッド606からの影響も感じるんだよね。あのアウトサイダーな感覚というか、アナーキーな感覚というか(笑)。

デデ:それはすごく嬉しい。エイフェックス・ツインやキッド606もそうですけど、僕にとって〈ロムズ〉は届かない人たちだったんですよ。みんな独自のオリジナリティというか、スキルを持っていて、自分はまだそれを確立できていないから、自分はその辺の人たちと対等にはなれないけど、近づけるようにがんばってみようって。そこからデデマウスのファーストが作られるんです。

なるほど。

デデ:エイフェックス・ツインはとんでもなくすごいし、〈ロムズ〉の人たちもすごいし、だったら自分にできることをやるしかないって。そう思えるようになってからアクティヴになりました。

どんな場所でやってたの?

デデ:中野の〈ヘヴィーシック〉とか。自分の近くいたのが、ゲットー・ベースの人が多くて。

おお。

デデ:DJファミリーとか。

僕もミックスCD持ってますよ。

デデ:そう、あの頃ゲットー・ベースすごかったじゃないですか。あの辺の下世話で、BPMが速い感じが好きだったから。

デデマウスの音楽とはあんま繋がらないけど。

デデ:そんなことないですよ。自分のなかではあるんですよ。あの下世話さ、ストリート感、そしてメロディというのは実は自分のなかにあるんです。

なるほどなー。話聞いていてすごく面白いんだけど、デデマウスがいた場所というのは、90年代のテクノ熱がいちど終わってしまって、で、廃墟のなかでなんか子供たちが遊んでいるぞっていう、そんな感じだよね。何もないところでさ。

デデ:シーンを意識してなかったですけどね。踊らせたい、メロディを聴かせたい、それだけとも言える。それでも、〈ロムズ〉まわりの人に聴かせるのは恐かった。自信がなかったんです。それでも支持してくれて......〈ロムズ〉5周年のアニーヴァーサリーには僕も出てるんです。

あ、僕もそれ行ってるかも。アニヴァーサリーにはけっこう行ってたよ。

デデ:けっこう来てるんですよね。サワサキさんも来てたって言ってたし。そういうなかで、僕はB級だってずっと思ってたんです。

ジョセフ・ナッシングは〈プラネット・ミュー〉だし、コーマは〈ファットキャット〉だったりとか、海外からも出していたしね。

デデ:〈プラネット・ミュー〉なんか......僕のなかでは夢ですよ。僕、〈ドミノ〉から返事をもらったことがあったんです。

いいじゃない。

デデ:でもリリースまではいかなかった。ちょうどフランツ・フェルディナンドを出した頃で、良い時期だったんだけど(笑)。「がんばれ」みたいな返事だった。それはそれで自信になったんですけどね。
 ただ、僕もふだんは〈ロムズ〉まわりの人たちとつるんでいたわけじゃなくて、月刊プロボーラーっているじゃないですか?

はい。

デデ:あの辺の、テクノの人たちと一緒にやってることも多かったんです。わりと根無し草的に、いろんなところでやっていた。自分のホームを欲しいなと思っていたけど、ボグダン(ラチンス)の影響があったわけじゃないけど、ライヴでめちゃくちゃやるっていうのが......。

ボグダン! あれ面白かったよね。

デデ:わけもわからず「あー」って叫んで(笑)。ラップトップでもああいうの良いなって思って。自分にカツを入れるためにマイクで「ぎゃー」って叫んでアジテートしたり。

時代のあだ花じゃないけど、ブレイクコアみたいなシーンが花咲いたよね(笑)。

デデ:すごかった。「何? ブレイクコア? 意味わかんなくねぇ?」みたいな(笑)。で、そういうなかで「ぎゃーぎゃー」言いながらライヴやってたんですけど、何かそういう、サーカスの見せ物小屋的なところで「こいつ面白い」と言われることも多くて。それがまた勘違いされる第一歩になってしまったというか。

それこそベルリンでジェフ・ミルズが初めてDJやったときは、まわしたレコードをすべて放り投げるパフォーマンスをやったという伝説があって、やっぱそういうサーカスティックな行為って「オレを見ろ!」ってことなわけでしょ?

デデ:格好いい、それ。やっぱそうなんだね。DJファミリーもね、ジャグリングがうまくて、かけたら前に放り投げるっていうことをやっていた。で、そういうことやられると、見てるほうもやっぱ上がりますよね。

重要ですよ、そういうことは。

デデ:で、あるとき〈ユニット〉でやったことがあって。シロー君も出ていて、シロー君は上でやっていて、下で永田さんがやっていて、で、僕の友だちが永田さんに僕のデモを聴かせてくれて、で、永田さんが「君、いいよ」って言ってくれて、そこからアルバムの話に発展するんです。〈ロムズ〉から出したかったんだけど、〈ロムズ〉は何も言ってくれないし(笑)。

ハハハハ。このインタヴューを真っ先にシロー君に読んでもらおう(笑)。

デデ:いやー、怒られちゃいますよ。

おおらかな人だから、笑ってくれるよ(笑)。

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僕のなかの東京のイメージなんです。自然と人工の殺伐としている風景、あんま人間くさくなくて......子供の頃に読んだ『おしいれのぼうけん 』って本があって、僕、あれが大好きで、保育園でいたずらしていた子が押し入れに閉じこめられてしまう話で、そこにはトンネルがあって、トンネルを抜けると夜の大都市に出るんです。

 

デデ:とにかく、それがきっかけで〈ロー・ライフ〉にも出ることになって。で、そのとき、最初はステージがあったんだけど人が押し寄せてなくなちゃって、僕のまわりに客がわーっといて、「オレの機材守れ! テーブルを持て、みんな!」って言って。で、テーブルを持たせながらライヴやって、そんなに激しい曲じゃないのに何人かの客がダイブしたりして。それを永田さんが見て、「新しい時代がはじまった」と感じたっていうんです。それでファースト・アルバムを出すことが決まるんです。

それはすっごくいい話だね。

デデ:でもね、アルバムを出すのは決まったけど、ディストリビューターも決まっていなかった。それなのにアルバムの噂が広まっていたらしくて、タワレコの人や新星堂の人たちから直接メールが来るんですよ。「アルバムを置きたいから」って。でも、「ディストリビューターがいないんです」って言っていたら、〈ロムズ〉のタカラダ君が、ウルトラ・ヴァイブを紹介してくれた。それで出したら、宣伝してなかったんだけど、みんなが応援してくれて......。

それはホントにいい話だよ。宣伝力ではなく音で売れたんだから。素晴らしいよ。

デデ:ホント、最初は信じられなくて。永田さんから「5千枚いくかもよ」って言われたときにはびっくりしちゃった。

口コミなわけでしょ。

デデ:タイミングも良かったんですよ。何故か、爆発寸前のパフュームと比べられたりして。

違うでしょ!

デデ:キラキラ・テクノみたいな(笑)。なんだかテクノ・ポップと扱われたりして。でも、中田ヤスタカさんとかもDJでかけてくれていたみたいで。ヴィレッジバンガードみたいなお店も大プッシュしてくれたりして......ホントに運が良かった。タイミングが良かっただけなんです。

それを言ったら、エイフェックス・ツインだって電気グルーヴだってURだって、みんなタイミングが良かったんだよ。

デデ:絶対にエイフェックス・ツインや〈ロムズ〉にはかなわない、そう思って違うことをやろうとはじめたのがデデマウスだったから。

デデ君のなかで〈ロムズ〉ってホントに大きかったんだね。

デデ:とても。絶対に自分よりすごいと思っていて......、アイデア、ミキシングのテクニック、すべて自分よりレヴェルが高いと思っていたし。

ファースト・アルバムが売れてもそう思っていたの?

デデ:ずっとそう思っていて、セカンド・アルバムでエイベックスに来たのも、テクノというより、自分はフュージョンにはまっていて、スーパーで流れるような音楽を作りたいって、そういう気持ちだったから。ホームセンターとかスーパーでかかるような音楽を目指したんです。郊外のニュータウンとか、僕、大好きだから。

へー、何でまた?

デデ:僕のなかの東京のイメージなんです。自然と人工の殺伐としている風景、あんま人間くさくなくて......子供の頃に読んだ『おしいれのぼうけん 』って本があって、僕、あれが大好きで、保育園でいたずらしていた子が押し入れに閉じこめられてしまう話で、そこにはトンネルがあって、トンネルを抜けると夜の大都市に出るんです。そこでねずみばあさんが出たりとか、いろいろあるんですけど、僕、その誰もいない夜の大都市というのが強い印象に残っているんですね。たとえば、誰もいない夜の高速道路とか。

群馬というのも影響しているのかね?

デデ:あるかもしれない。僕の家の近くに国道が通っていて、夜になると誰もいないんだけど、オレンジの街灯がばーっとあって。うん、だからそれとリンクしたというのもあるかもしれないけど、何故かニュータウン的なものが僕にとっての東京だったんです。

ふーん、それは興味深い話だね。決して、華やかなところではなく。

デデ:そう、閑散としたところなんです。そしてそこのホームセンターやショッピングモールでかかる安っぽいフュージョン、それをイメージしたんです。

ある種のアンビエントだね、"ミュージック・フォー・ニュータウン"とでも呼べそうな。

デデ:そうそう、ホントにそう。ああいうところでかかる音楽が好きなんです。で、スタジオ・ジブリみたいなのも好きだったから、自分の音楽のなかにどうしたら日本的なものを取り入れることができるのかって考えていて、それが、そう、ニュータウンのフュージョンであり......。

『Sunset Girls』?

デデ:そう、『Sunset Girls』です。だからあの、夏祭りのイメージとかも、その考えから来ているんです。

90年代だったら、テクノの目的意識がはっきりしているじゃない。踊らせるとか、トリップだったりとかさ、だけど、デデマウスみたいなゼロ年代のテクノはそうした拠り所みたいなものを喪失しているんだよね。クラブとかDJに90年代のようにアイデンティファイしている感覚とは違うじゃない。

デデ:自分がどこにアイデンティファイすればいいのか、わからなかったですね。

その感じは音楽に出ていると思いますよ。

デデ:上京して、深夜にクラブに出掛けても、4つ打ちのテクノしかかからないし......ハード・ミニマルは好きでしたけどね。

クラブには遊びに行っていたの?

デデ:頻繁に行くっていうほどではない。友だちが出るからとか、つき合っていた彼女から「ケンイシイの出る〈Womb〉のイヴェントに行こうよ」って誘われて行ったり、そんなものですよ。そういうところ行くと、「なんか違う」って思ってしまって。酒飲んで、4つ打ちで踊るって、音楽を聴いているっていうよりは......なんだろう? それでも昔はクラブで遊ぶのが格好いいっていうのがあったけど、いまはもうそんなのないじゃないですか。しかも自分の求めるテクノって、そういうところからはずれているものだったから。

それは90年代からそうだよ。僕がエイフェックス・ツインを好きでも、最初は肩身狭かったもん。「健吾、オウテカって面白いね」って言っても「んー、でも踊れねーじゃん!」みたいな(笑)。やっぱほら、あの頃はテクノと言っても主流はトランスだったから。〈ワープ〉なんてDJやってる連中からけっこう冷ややかだったんだから。

デデ:僕はその頃、学生で東京にいなかったから良かったのかもしれない(笑)。ただ、僕も、ブレイクコアとか、エイフェックス・ツインとか、そんなのを胸はってDJでかけて「ウォー!」ってなるなんて、考えられなかった。

だいたいね、日本で、エイフェックス・ツインの影響を自分の音楽に取り入れた最初の人って、オレが知る限り、コーネリアスだもん。

デデ:あー。

UKやヨーロッパはすぐにフォロワーが出てきたのにね。日本ではムードマンあたりが多少違っていたぐらいで、あとはおおよそトランスだった。で、ゼロ年代になって、〈ロムズ〉やデデマウスが出てきて、僕は初めてエイフェックス・ツイン・チルドレンが顕在化したと思った。USインディもそうだよね。アニマル・コレクティヴだって、バンドだけど、エイフェックス・ツインからの影響じゃない。だから、エイフェックス・ツインの影響って、意外なことにそのあとの世代から面白い人たちがけっこう出てきている。

デデ:コーネリアスの"スター・フルーツ/サーフ・ライダー"がFMから流れたときはホントにびっくりして。

あれはびっくりした。

デデ:ホントにびっくりした。自分がやりたかったことをやっている。『ファンタズマ』の"スター・フルーツ~"にいくまでの流れが最高なんですよ。

「真似しやがって!」とは思わなかった(笑)?

デデ:それよりも「やられた!」って感じでした。あれでコーネリアスはすごいと思った。

デデマウスやコーネリアスっていうのは似ているよ。音楽性はぜんぜん違うけど、「ファンタジーを見せる」っていうところは同じでしょ。

デデ:そう言ってもらえるとありがたいです。僕、アニメが好きで......古典的なアニメなんですけど。世界名作劇場とか、ルパンとか、少年が少女を救うために自分の身を犠牲にするくらいの気持ちで突っ走るっていうか。『未来少年コナン』とか、僕、大好きで。

ハハハハ。オレ、大昔だけど、ピエール瀧から「見たほうがいい」って言われて貸してもらったことがある。VHSのテープ10本ぐらい(笑)。でもさ、『未来少年コナン』なんて、うちらの世代じゃない。

デデ:だから追体験なんです。宮崎駿を掘り下げていったらそこに行ったというね。昔のアニメが好きなんですよ。野田さんがリアルタイムで見ていたような。

『巨人の星』......、いや、『マジンガーZ』とかだよ。

デデ:『マジンガーZ』はないけど、『ど根性ガエル』は好きですね。

ああ、なるほどね。あの時代の真っ直ぐな感じのアニメね。

デデ:そうそう、ラナを救うために命をかけるコナンの真っ直ぐさがたまらなくて(笑)。

実写ものにはいかなかったの? 『仮面ライダー』とか、『ウルトラセブン』とかさ。

デデ:『ウルトラセブン』は早朝、幼稚園のときに再放送で見ていた。

『ウルトラセブン』は幼稚園児には難しいでしょー。

デデ:もちろん重くて政治的なにおいをわかるようになったのは大人になってからなんだけど、ウルトラマンが格好いいと思っていたから。あとね......ロボコンとか。日曜の早朝に再放送してたんですよ。すごく影響受けましたね。

そのへんは、ジョセフ・ナッシングやエイジ君(コーマ)とも共通する体験なのかな?

デデ:どうでしょうね。実はそこまで話したことがなくて。ジョセフとはUFO話をしたことはあるけど(笑)。どうでもいい宇宙知識をいっぱい仕入れて、それで話したことはあったけど(笑)。アニメに関しては、話したことないですね。僕も最初は恥ずかしかったんです。「ジブリが好き」なんて言うと、だいたい「それって違くない?」って言われて。だからあんま言わなかった。......で、もうひとつデデマウスの影響を言うと、バグルスなんですよ。

バグルスって、あのバグルス?

デデ:そう、「ヴィディオ・キルド・レディオスター~」っていう。父親が持っていて。すごく好きになって、あの人のアルバムも聴いたんです。そしたらそのエンディングで、曲がリプライズするんですね。楽器だけの演奏で。そこがすごく好きで、で、それを僕はファースト・アルバムで最初の曲でやったんです。そう、懐かしさ......それも僕には重要な要素のひとつなんです。で、80年代のポップスって、僕のなかでそれなんです。DX-7の音を聴くとすごく懐かしくなるんです。

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童話的な......、色あせているんだけど、煌びやかなっていうか。で、多摩ニュータウンが好きだったから、休みの日に渋谷に行くんじゃなくて、多摩ニュータウンに行くんです。散歩するんですよ。そこをユーミンやボーズ・オブ・カナダを聴きながら歩くんです(笑)。

 

YAMAHAのDX-7と80年代ポップスって、本当は僕の世代なんだけどね(笑)。

デデ:そこは父親が大きいですよね。だから、ジャスティスみたいなニュー・エレクトロとか、僕のなかではしっくりこないんです(笑)。「これがエレクトロ?」みたいな。いまでも解せない(笑)。

あれは文脈が違うからね。エレクトロって呼ばないでほしいよね。

デデ:僕のなかではやっぱメランコリックな要素がなければエレクトロじゃないというか、すごくそれが重要なんですよ。プローンっていたでしょ?

プローン......?

デデ:〈ワープ〉から1枚だけ出した。

はいはい(笑)。

デデ:〈ワープ〉の10周年記念盤のリミックス集のほうにも参加していて、たしかトリッキー・ディスコをリミックスしていたのかな。とにかく......プローンが好きで。プローンが僕に80年代的な記憶を呼び起こしてくれたんです。自分の記憶の奥底で暴れられているような感じというか。『アンビエント・ワークス』よりもプローンのほうが僕はすごかったんですよ。野田さんたち世代はやっぱ『アンビエント・ワークス』がすごいでしょ?

もちろん。

デデ:僕はあんまそれを感じなかった。初めて聴いた17~18歳の当時はね。それよりもプローンのほうが懐かしさを感じたんです。

あれも変な1枚だったよね。

デデ:イージー・リスニング・ブームからすると遅すぎたし(笑)。童話的な......、色あせているんだけど、煌びやかなっていうか。

なるほど。

デデ:で、多摩ニュータウンが好きだったから、休みの日に渋谷に行くんじゃなくて、多摩ニュータウンに行くんです。散歩するんですよ。そこをユーミンやボーズ・オブ・カナダを聴きながら歩くんです(笑)。

なんでユーミン(笑)?

デデ:ユーミンやキリンジみたいなニュー・ミュージックが好きだったんです。

ぜんぜんエイフェックス・ツインとは繋がらないけどね(笑)。

デデ:だから、それを繋げたかったんですよ。ミュージック(μ-Ziq)っているじゃないですか。

はいはい。マイク・パラディナスですね。

デデ:彼のキッド・スパチュラって名義の作品あるじゃないですか。

最高だったよね。あの、〈リフレクティヴ〉から出ているヤツ?

デデ:あの名義で、『Full Sunken Breaks』(2000年)というアルバムがあって。

あー、それ、聴いてないわ。『スパチュラ・フリーク』しか聴いてない。

デデ:あれが大好きだったんです。キッド・スパチュラ......初期のミュージックと言ってもいいんですけど、簡単というか稚拙というか、ものすごいわかりやすいメロディがあったじゃないですか。『アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥ』の1曲目にもそれがあるし。あのアイデアでもって、自分のグッと来るメロディ、コード感でやったらどうなるんだろう?っていうのがあって。

なるほどねー。

デデ:だから、わかりやすいメロディみたいなものを追求したくて。

ミュージックはその辺、すごかったよね。イコライジングされた変態的なブレイクビーツで、しかし上物のシンセがやけにベタなメロディを弾くんだよね(笑)。

デデ:そういう点では、僕、ミュージックからの影響すごいですよ。

あー、言われてみれば、そうだね。

デデ:〈プラネット・ミュー〉はホントに憧れです。

いまはダブステップとグライムのレーベルですよ。

デデ:あー、〈プラネット・ミュー〉から出したかったなー。

ハハハハ。ちょっと話が飛ぶけどさ、ハドソン・モホークみたいな新世代はどう?

デデ:大好き。

やっぱり。

デデ:ニュー・ジャック・スウィングでしょ、あれ。

ハハハハ。うまいこと言うね。R&Bみたいなこともやってるしね。

デデ:プリンスみたいな曲もあるでしょ。「やられたー!」って思った。プレフューズ73のときも「やられたー!」って思ったんだけど、ああいうヴォイス・サンプリングをチョップするの自分もやっていたから。だから、自分はメロディをチョップして、自分なりのものを作ってやるって思った。

そうそう、なんで使っているのが、チベットやインドネシアの少女の声なの?

デデ:ただ手元にあっただけっていう。

アジアに対する妄想があるとか(笑)。

デデ:そういうわけではないんです。ただ、手元にあって使ったら「良いね」って言われて、「じゃ、使ってみようかな」みたいな。

なかばトレードマークになってるでしょ。

デデ:ただ、エイベックスに来たときにあれはもう捨てたかったんですよ。ヴォーカリストを使って、何か他のことをやりたいと思っていたほどなんです。あの声はライヴでも使ってないし......。

しかし......そう考えると、新しいアルバムは好き放題やってるよね。

デデ:うん、そうですね。

僕は6曲目がいちばん好きです。"double moon song"、これ、ホントに良い曲だと思います。テクノが好きな人はこれは好きだと思うよ。

デデ:はっきり言うと、これ、「カム・トゥ・ダディ」の2曲目の"フリム"なんです。ああいう、妖精が飛んでいるような曲を作りたいというのがあった。実はこれ、19歳のときの曲なんです。そのときからほとんど変わってない。ビートがちょっと変わったぐらいで。テクノに対する愛をいちばんストレートに出した曲なんです。

そうだね、ホントにそう思う。

デデ:昔、NHKの深夜番組で風景の映像にアンビエント音楽だけっていうのがあったんです。ボイジャーの映像にテクノがかかるみたいな。そこで『アンビエント・ワークス』の2曲目か3曲目がかかったんです。「いいな~」って思って。そう、そのときの感覚や、"フリム"みたいな感覚、それは僕のなかですごくピュアなものなんです。それをもう1回やってもいいかなと思って。それが結局、今回のアルバムのいちばん中心になった。

3曲目の"sweet gravity"も面白かったな。

デデ:あれはねー、あからさまにやってやれって感じで(笑)。

デデマウス的なアシッド・ハウスというか(笑)。

デデ:アシッドもの好きなんですよ。

やっぱそうなんだ。

デデ:いまやっておけば、4枚目ではもっと出せるかなって(笑)。

ハハハハ。

デデ:だから、自分がやりたかったこと、やってきたことの橋渡し的なことになればいいなと思っているんです。ただ、ぶっちぎり過ぎないようにしようとは思いました。だから、やりたいことをやっているんだけど、デデマウスを客観視して作ったアルバムでもある。ようやく、〈ロムズ〉への劣等感を払拭できたというか、やっとみんなと同じところに立てたのかなというのもある。

〈ロムズ〉は、そこまで大きかったんだね。

デデ:あと去年、タイコクラブに出たとき、そこで見たスクエアプッシャーのライヴがすごく良くって。わかりにくいことをやるのかなと思ったら、初期の頃の名曲と最近のメロディアスなポップスばかり、たとえば"ア・ジャーニー・トゥ・リードハム"とか"カム・オン・マイ・セレクター"とかやるんです。それに励まされて、自分の好きなことをやろうって気持ちをさらに固めた。

ああ、そうか、"ア・ジャーニー・トゥ・リードハム"(1997年の『ビッグ・ローダ』の1曲目)から『A Journey to Freedom』が来ているんだ。

デデ:もう大好きだったから。今回は曲名もすべてパロディなんです。"マイ・フェイヴァリット・スウィング"とか"ニュータウン・ロマンサー"とか。

なるほど。

デデ:最後の曲の"same crescent song"がロキシー・ミュージックの"セイム・オールド・シーン"から来ているというのはわかりづらいかもしれないけど。

絶対にわかりません(笑)。

デデ:それで、ジャケットの方向性が決まったときに、「あ、もうこれは『A Journey to Freedom』でいこう」と。

強烈なジャケだね(笑)。

デデ:強烈ですね(笑)。

下北の駅で見たよ~。でっかいヤツ。

デデ:ハハハハ、ありがとうございます。もう......、血を見るような努力の結果なんで、これ。イラストレーターの先生(吉田明彦)がスクエアの社員の方なんで、社外仕事になってしまうじゃないですか。だから、描いてもらうのに、何度も何度もお願いして断られ、でもお願いしてって。先生自身はやる気になってくれていたんだけど。で、描いてもらえるってことになったときに、自分の入れて欲しい要素をぜんぶ入れてもらおうと思って。だから、背景に団地が描かれている。これ、多摩ニュータウンなんです。奥さんがそっちのほうの方だったので、けっこう感覚的にわかってもらえて。

なるほど。

デデ:誰もいないパレードというテーマもあった。

子供っていうのはテーマとしてずっとあるんでしょ? アルバムも子供の声からはじまっているし。

デデ:僕の場合、子供っていうのは真っ直ぐさみたいなものの象徴としてあるんです。冒険とか......思春期前の真っ直ぐさ。先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ。13歳から15歳とか、僕は、その年代のときには恐怖しかなかったけど、希望とかいうものを託して旅立たせたいという気持ちがあって。で、ひとりでは淋しいから仲間がいれば安心だろうって。そういうことなんです。

タイトルが『A Journey to Freedom』だもんね。

デデ:だけど自分が描いたストーリーはけっこうヘヴィーなんです。8曲目の"station to stars"から9曲目の"goodbye parade"って、曲名にもそれは表れている。ってことは......。

そこはいまは言わないでおこうよ。

デデ:そう、隠しているストーリーがある。パレードが葬儀にも見えるから。だけど、僕なりにメッセージがあるんです。誰も頼れる人がいなくなったときがスタート地点じゃないのかなっていう。自分がデデマウスとして活動しているとき、助けてもらえる環境がすごくあった。彼女もいたし......。だけど、彼女もいなくなって、たったひとりになったとき、「がんばらなきゃ」と思って、そこから物事が進むようになったんです。

なんだかんだ言って、デデ君の場合は、表現する場があったじゃない。それは大きいですよ。

デデ:あんま説教臭いのは好きじゃないんだけど。

そういう音楽じゃないしね。ただ......いまのオタク世代になってくると、デデマウスの思春期とは違う窮屈さがあるんだろうね。インターネットで世界に繋がっている錯覚を覚えて部屋からもでない。誰にも傷つけられないし、誰も傷つけない空間にいるっていうかね。デデ君はいろいろ傷ついたり、傷つけたりしたかもしれないけど、傷つくことを恐れて外に出ないっていうのはものすごく恐いことだと思うんだよね。だからCDが売れててもそのファンたちは、オムニバスのライヴになるとあんま来ないっていうか。自分の好きなもの以外の世界を見ようとしないというか。デデ君はだって、DJファミリーだからね(笑)。

デデ:わかりますよ。ニコニコ動画とか、ああいうなかから、ゆとり世代の子たちが出てきているじゃないですか。面白いんだけど、ああいうのを聴いていて何が足りないのかと言うと、リアルさというか、現場で感じる現場感というか。場を経験していないで作っているのがすごくよくわかるんです。フィジカルさがついてないっていうか。まあ、それは若いから当然なんだけど、でも、やっぱ自分が外に出て行って、生の人間を相手していかないと。そういう意味でも『A Journey to Freedom』なんです。

なるほど。話変わるけど、すごいですね、ロンドンの〈ビッグ・チル〉でリリース・パーティだなんて。しかもプラッドと一緒に。

デデ:いや~、プラッド、大好きなんで、ホントに嬉しい。

あの人たちはホントに才能があると思う。作っている音楽もほとんどはずれないでしょ。

デデ:うん、最高ですよ。

しかし、商業的な成功には縁がないんだよ(笑)。

デデ:地味なんですよね。LFOなんかと違って。だけど、僕はホントに尊敬している。『ダブル・フィギア』(2001年)にはとくに影響された。ああいう、微妙にポップなものが好きなんです。そういう意味ではルーク・ヴァイバートが大好きで。一時期はリチャードよりもルーク・ヴァイバートのほうが好きだったくらい。あれほど才能がある人はいない。

ハハハハ、あの人、マジですごいよね。あれこそ根無し草というか、ホントいろんなレーベルから出しているし、「いったい何枚出しているのか?」っていうか。

デデ:わけわからないアシッド・ハウスを出したかと思えばトリップホップやったり......あの人の(ワゴン・クライスト名義で〈ニンジャ・チューン〉から出した)"シャドウズ"って曲のPVが最高で。

ドラムンベースもアンビエントもIDMも、やれることは全部やってるよね。彼がすごいのは、あれだけ作品数出しながら、彼のスタイルってものがないでしょう。あれはすごい。普通はハウスとかIDMスタイルとか、普通はなにかしらあるじゃない。自分のスタイルってものが。あの人は空っぽだよなー(笑)。それで作品が良いからすごいよね(笑)。

デデ:僕、「いちばん好きなのが誰か?」って訊かれたらルーク・ヴァイバートって言うかもしれない。............(以下、延々と同じような話が続くので省略します)

Jose James - ele-king

 ホセ・ジェムスに関して最初に驚いたのは、2009年のムーディーマンのアルバム『アナザ・ブラック・サンデー』で歌っていたことだ。世界は思っているよりも窮屈ではない。小さな島宇宙を喜んでいるのは......(以下、面倒だから省略)......いや、こうした自主規制がよくないのだろう。それが結局のところ、街で遊ぶことと引き替えに、インテリアに囲まれながら誰にも傷つけられることのない空間を無数に作らせているってわけだ。こうした文化状況がどんな人間にとってもっとも都合が良いのかわかっているのだろうか......。

 で、そう、2008年にホセ・ジェイムスがファースト・アルバム『ザ・ドリーマー』を発表したときによく引き合いにだされたのが、アシッド・ジャズの時代に再評価されたジャズ・シンガー、レオン・トーマスである。『ザ・ドリーマー』は、トーマスに代表される昔のメロウ・ジャズのフィーリングを継承しつつ、ディアンジェロのようなモダンR&Bのエッセンを加えて作られたアルバムだった。それは本当に良くできたメロウ・ジャズで、しかもディアンジェロよりもずいぶんとこざっぱりしている。ローランド・カークのゴルペリーな"スプリット・アップ・アバヴ"のカヴァーにもそれがよく表れていた。ピアノはさえずり、ブルース調のベースはうなる。そして彼のソフトな声は滑らかに伸びていく。多くの識者が言うようにそれはたしかに一流なのだろう。が、その一流が、ムーディーマンのゲットー・ソウルと結ぶつくとは思えなかった。

 そればかりか、2年ぶりのセカンド・アルバム『ブラックマジック』ではベンガの曲のカヴァーまで披露している。そう、あまたのダブステッパーのなかでもいまをときめくスターDJのベンガの曲を......である。そしてまあ、ご存じのようにスティーヴン・エリソン――フライング・ロータスの名前で知られる、目下、ジェイ・ディラ以降におけるトップ・プロデューサーとアルバム中の3曲を共作している。いまのトレンドをベタに押さえた組み合わせと言ってまえばそれまでだが、しかし僕のようなリスナーはそれがゆえに「おや?」と興味を示してしまうのだ(逆に言えばそれだけ現在においてダブステップとフライング・ロータスは脅威なのだろう)。日本人のDJ、ミツ・ザ・ビーツも1曲提供している。

 こうしたメンツを考えれば、前作以上にモダンなクラブ・サウンドになるのだろうと思われるかもしれない。前半に関してはそうとも言えるが、大雑把に言えば、ジェイムスのR&Bテイストを加味したメロウ・ジャズは変わらないと言えばそう変わらない......実際、ベンガのカヴァー曲"ウォリアー"やエリソンがトラックを提供した"メイド・フォー・ラヴ"のような野心的な曲もアルバム全体から見れば、言葉は悪いがオマケのようなものだ。"ウォリアー"でもピアノは軽やかに踊り、"メイド・フォー・ラヴ"ではジェイムスのR&Bが展開される。ムーディーマンとの共作"デトロイト・ラヴレター"も、言われなければそれが彼のトラックだとは気がつかないだろう。『アナザ・ブラック・サンデー』の"デザイヤー"で見せたルーズなエロティシズムとは打って変わって、ジェイムスはその曲で清楚なソウルをロマンティックに歌い上げる。エリソンのトラックによるタイトル・ナンバーである"ブラックマジック"はアルバムを象徴しているかもしれない。要するにどこか別の場所に向かうと言うのではなく、『ブラックマジック』はそれがアコースティック・ジャズだろうと打ち込みだろうと、気がつけばメロウ・バラードな響きに帰ってくるのである。アルバムの統一性はほとんどまったく崩れない。

 が、しかし......、ちなみに先行シングル「ブラックマジック」ではふたりのダブステッパー、ジョイ・オービソンとアントールドをリミキサーとして起用している。オービソンにしてもアントールドにしても、ちょっと意外だった。どちらもテッキーな響きに特徴を持つ、昨年から人気急上昇のプロデューサーである。そしてつまり、こうした事態がまた起きている。まるで90年代初頭のような。......世界は思っているよりも窮屈ではないかもしれない。

Joanna Newsom - ele-king

 還俗、と言うんだろうか。僧侶が普通の人に戻ること。これが僧侶ばかりでなく例えば巫女さんなんかにも使える言葉だとすれば、ジョアンナ・ニューサム、彼女はこの新作において「還俗」した。

 数年前、フリー・フォークという概念とともに彼女のファースト・アルバム『ミルク・アイド・メンダー』を手にした方は多いことだろう。リリースが2004年、フリー・フォークという名が人びとの口の端に上るようになったのもこの前後である。デヴェンドラ・バンハートがキュレートしたコンピレーション『ゴールデン・アップルズ・オブ・ザ・サン』のリリースが同2004年だ(シックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンス、ジョゼフィン・フォスター、エスパーズ、バシュティ・バニヤン、ココロージー等を収録)。ジョアンナはこの後、デヴェンドラとともにツアーに出ている。

 世界史的にはウォーカー・ブッシュが大統領二期目の当選を果たしたものの、開戦前に比して支持率は著しく低下、都市リベラル層の反ブッシュ的なムードが高まっていた頃だ。翌2005年には、ブッシュ政権はイラクの大量破壊兵器問題の報告に誤りがあったことを認めるに至っている。ハリケーン・カトリーナがアメリカを襲ったのもこの年だった。アメリカがひとつの時代の終わりへ向かって、加速しはじめた――そんな時期である。フリー・フォークなる音楽は、その一種超俗的な佇まいによって、このように悲惨でめまぐるしいアメリカからの逃走として、あるいは闘争として、人びとの耳と脳裏に鮮やかに刻み込まれた。当時のリベラルで知的なリスナー層はこれを無視できなかったし、『ピッチフォーク』等の左派的メディアが現在持つ影響力を準備したムーヴメントだったとも言える。
 彼女はこの頃、ほんとうに巫女のようだった。大きなペダル・ハープを抱え、悪魔的なロリータ・ヴォイスで独特の歌い回しをする。それはこの世の外のものを引き寄せ、世界を奇妙に揺さぶる。霊感に満ちた、一聴で人の耳を征服してしまう声。実に驚くべきパフォーマンスだった。

 本作において真っ先に感じるのはその声の変化である。しかも1曲めで使用されているのはピアノだ。『ミルク・アイド・メンダー』がジョアンナだと思っていると、軽い戸惑いを覚えるだろう。これは、言わば「普通」である。少女の形をした悪魔の声、あるいは人ではないものと交信する声、あの声はどうしたのだとそう思うはずだ。
 どことなくバルカンな異国情緒をたたえた哀愁フォーク・ナンバー"イージー"。室内楽的なアレンジを施されている点、前作の『イース』を思い起こさせる。『イース』においては、巫女的な彼女、あるいは悪魔的な彼女は世俗の権力を操って女王となった。それを永遠の寿命の中での退屈しのぎとした......そんなふうな想像を掻き立てる。だってアレンジにヴァン・ダイク・パークス、プロデューサーがジム・オルーク、エンジニアがスティーヴ・アルビ二だ。ジャケットも女王の偉容。大作主義的な佇まいも浮世離れしているし、彼女はこのままいくとどこに行き着くのだろうかと、超俗性が極まってカルト・スターに終わってしまうのではないかと個人的には危ぶんだ。が、本作のこの1曲目。ストリングスの綾の向こうから響くのは普通の声だ。もちろんジョアンナの声ではある。が、巫女ではなく、悪魔ではなく、歌うたいの声だと感じる。
 この感触は表題曲である2曲め"ハヴ・ワン・オン・ミー"、3曲目"'81"により顕著だ。この2曲、楽曲と声自体はむしろ『ミルク・アイド・メンダー』に近い。とくに"'81"はハープのみでシンプルに紡がれる、ジョアンナ得意の3拍子の小品で、初期の破壊力のかわりにおだやかな色彩を感じる。4曲目などはジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロなど70年代の都会派シンガー・ソングライターの手になるピアノ・ポップといった印象さえ受ける。ディスク2はとくにそうした印象が強い(なんと3枚組の箱入り仕様だ)。なるほど、彼女は「還俗」したのだ。そして新章を開こうとしているのではないだろうか。
 "ハヴ・ワン・オン・ミー"は「黒い娼婦」の歌である。19世紀アイルランドのダンサーで、バイエルン王ルートヴィヒ1世の公妾、通称ローラ(国内盤付属の対訳参照)。スキャンダラスなダンスで手にした彼女の栄光と転落、不遇の晩年に取材した叙事詩だ。3枚分のスリーヴにプリントされたジョアンナの写真はいずれもこの「黒い娼婦」を模したものと思われる。自らをかのローラになぞらえ、俗界に舞い降り、人びとに芸を売って生きていく。言葉が悪いなら、フィギュア・スケートに例えたっていい。少女性や若さにしか宿らない一種のエネルギーを、難度の高い技に変換するだけで多くの人びとを魅了できる競技人生を引退し、より多彩な武器を手に、プロとして人びとに芸を売っていく。そうした覚悟が、下着姿のしなやかな肢体に読み取れなくはない。同時にそこには、絶対に客を飽きさせるものかという自信もある。

 ハープの音色で奏でられる彼女のアパラチアン・フォークは、それがかつてはケルトの森からやってきた音楽であることを遥かに思い起こさせる。中世的で、現代的な感情表現が希薄な、緑青の錆びになめらかに覆われた音楽。全体として彼女は等身大の「私」をテーマとしない。古い伝承や古い詩のような物語を節にのせて誦する。時々は風刺も入る。
 ディスク3はまさに中世の吟遊詩人を思わせる曲群だ。他の2章と同様にピアノの曲ではじめ、ピアノの曲で終えているのが象徴的だが、アップライト・ピアノのようにざらついたカジュアルな音を出している点がまた良い。歌のプレゼンスを助ける、完全に伴奏としての音だ。リコーダーや民族楽器をフィーチャーした曲でも、そうした彩りは彼女の歌でつながる絵巻物の背景に過ぎない。はねるような曲は少なく、しっとりとして引力のある曲で構成されている。
 芸を、歌を売るものとして彼女は帰ってきた。再びプロデューサーに、バート・ヤンシュやデヴェンドラ・バンハートも手がけるノア・ジョージソンを迎えている。おそらく彼女は一生歌いつづけるだろう。そして歴史に名を残すだろう。その準備が整ったという印象だ。

Fenno'berg - ele-king

 00年代を予見した音楽としてレイディオヘッドやゴッドスピード・ユーが取り沙汰される時、それは気分的なものを差すことが多い。アラブ・ストラップであれ、フィッシュマンズであれ、90年代末にメランコリックなムードが充満していたことはレイヴ・カルチャーへの反動としても理解できるし、同時多発テロ以降の閉塞感を見通したというのなら、そういう言い方も決して無理ではないだろう。ゴッドスピード・ユーには、しかも、ドローン的な表現との橋渡しになるという音楽的なポテンシャルも少なからずあった。サン O)))やナジャといったドゥームからアルヴァーやヴェルヴェット・カクーンといったブラック・メタルにもその陰は落ち、アンチコン=ヒップ・ホップやブレイクコア=ワールズ・エンド・ガールフレンドがその磁場に引きずり込まれていったことも印象的なモーメントだったといえる。

 予見的な可能性という意味では、しかし、99年も終わろうかという頃にリリースされた『マジック・サウンド・オブ・フェノバーグ』よりも音楽的なポテンシャルの高さを示したアルバムは当時はほかになかった。クリスチャン・フェネス、ジム・オルーク、ピーター・レーバーグという、その後の10年間にわたって存在感をアッピールし続けた3人が抽象的なイメージと具体的なサンプリングをぶつけ合い、勃興期のレイヴ・カルチャーとはまったく異なる混沌がそこには叩きつけられていた(チックス・オン・スピードによる奇怪なアートワークも強烈だった)。それは早くもエレクトロニカの鬼っ子的な表現であり、結果的には実験音楽の復興にも寄与する導線ともなった。あるいはブラック・ダイスというフィルターを経てオーヴァーグラウンドとの接点を探るものとなり、ピーター・レーバーグがサン O)))のスティ-ヴン・オモリーと組む(=KTL)ことでドゥームとのクロスオーヴァーも達成している。ソースはあらゆる方向にぶちまけられたのである。

 KTLが来日した際、レーバーグに話を聞いていると、ふと、彼が「フェノバーグの3枚目が出るよ」と教えてくれた。3年前のことである。なんだよ、ウソだったのかなと思っている頃にようやく『イン・ステレオ』が店頭に並び、輸入盤はすぐに売り切れた。02年にリリースされたセカンド『リターン・オブ・フェノバーグ』(これもチックス・オン・スピードによるアートワークが秀逸)がシャープさを増していたのに対し、3作目は自らがつくりだした混沌を増幅させるようなものではなく、ヨーロッパ的な洗練に磨きがかかっているような印象が強い。唯一のアメリカ人であるジム・オルークが『ザ・ヴィジター』でポスト・クラシカルの決定打といえる方向性にシフトしたことも関係があるのだろう(アメリカのシーンが衰退しているわけではない)。かつては弾け飛ぶように、あるいは、突き刺さるようにアウトプットされていた電子音はここでは何かを撫で回すようにねっとりとした感触に取って代わられ、安直なアンビエント・ドローンへの迎合どころか、部分的にはジョン・ハッセルやラズロ・ホルトバギを思わせるドローン・ジャズとも接合しかねない。なるほどこれはミュージック・コンクレートとクラブ・ミュージックの快楽性を止揚させた成果といえるだろう。そう、クラブ・ミュージックのチープさを批判し、高度な音楽性を訴える者はここまでやるべきではなかったか。

DRUM & BASS SESSIONS
"DRUM & BASS X DUBSTEP WARZ"
- ele-king

 帰ってきた......ドラムンベースの帝王が......初期のシーンから一貫して変わらないその凶暴性と言う名の鎧を身に着けたまま......あの頃から何も変わっていない。変わったのは、ゴールディー以外のものすべてだ。これが本物のカリスマの姿である。

 ドラムンベースのカリスマ"ゴールディー" x ダブステップのパイオニア"ハイジャック"、本国UKでもお目にかかれない共演にUNITフロアは興奮の坩堝と化したスペクタクルなDJショーの幕開けである!!
 振り返れば1996年、伝説の新宿リキッドルームからはじまったDBS。本場UKのリアル・グルーヴをそのまま体感できる数々の伝説的一夜を実現させ、いまなお、ベースライン・ミュージックの"真実"を伝えている老舗パーティ! 今年でなんと13年目に突入した名実ともに日本のドラムンベース界を代表するトップ・イヴェントであるのは言うまでもない。

 さて、2008年5月17日以来の来日となったゴールディーだが、昨年、待望のアルバム『Memoirs Of An Afterlife』をラフィージ・クルー(RUFIGE KRU)名義で発表。メタルヘッズ全開のベースラインが唸るダーク・コアな作品から現在のトレンドであるディープでアトモスフェリックなフィロソフィック・チューンなど......健在ぶりを知らしめるだけでなく、その存在価値、音楽的才能をさらに押し上げる歴史的傑作となったのは記憶に新しい。

インターナショナルに活動する
日本のダブステッパー、ゴス・トラッド
オリジナル・ダブステッパーのひとり、ハイジャック

 オープニングを務めたのは日本のダブステップ・シーンにおける先駆者"ゴス・トラッド"。DJセットの今回でもタイトかつテッキーなセットでフロアをロック。あらためて世界で活躍する日本のダブステップ界のパイオニアである彼の力を知らしめた。そして1時を回ってハイジャックの登場だが......saloonでプレイしていた筆者と時間帯が被ってしまい、残念ながら生で見れなかった......何人かに取材したところ、賛否両論。「ダブを惜しげもなくプレイしていて素晴らしかった」、「PCDJで残念」、「ダブステップ創世の息吹を感じた」等々......。いろいろ感想はあるようだが、彼のエクスクルーシヴ・ミックスをオンエアしたインターネット・ラジオ・ステーションTCY RADIO TOKYO"Stepp Aside!!!"でも聴くことのできる彼のプレイ――ダブの数々や最新リリース・チューンを躍動感溢れるそのミックス・テクニックによって披露し、フロアをロックしたことは間違いない。もうひとつ言えることは、彼がシーンのパイオニアのひとりとして、ダブステップの創造力、躍動力、高揚力を日本に運んでくれたことであり、本場UK最高の"熱"を伝えてくれたことである。現在最高点に近い盛り上がりを見せている本場UKだが、日本ではまだまだ熱しきれているとは言い切れないのが現状で、だからこそハイジャックのようなパイオニアが日本でいまプレイすることは重要である。是非この先も日本のパーティ・ピープルに驚きと発見をもたらして欲しいものだ。
 ちなみに、ハイジャックの裏でもろに被ったsaloon@TETSUJI TANAKAでありましたが、たくさんのオーディエンスに来て頂いて大熱狂!!! 陰様でフロアが満員になり、大盛り上がりでした。その時間帯saloonに来て頂いた方、踊ってくれた方、ありがとうございました! 次は4月17日、今度はUNITメインフロアで会いしましょう。
  

 いまかいまかとオーディエンスが待ち望んでたゴールディーだが、ハイジャックの途中からなんとマイクを持ち、自らMCでナビゲート。われんばかりの歓声が飛び交ったのは言うまでもないが、とにかくこのカリスマは煽り続けたのである。そして、ゴールディとハイジャックが交代するその光景は、新旧各シーンのパイオニア同士がジャンルの境界を跨ぎ、行き来するまさにUKダンス・ミュージックの象徴"ハイブリッド"の生の姿であり、DBSが呼び込んだ貴重な偶発的かつ必然的姿であった。

マイクを持って叫ぶドラムンベースの王様! マイクを持って叫ぶドラムンベースの王様!
UKアンダーグラウンドの両雄! UKアンダーグラウンドの両雄!

 こうして、ゴールディーのプレイが大熱狂のなかはじまった。彼自身やメタルヘッズのダークコアな作品、ディープ・ミニマルな選曲構成を中心にプレイ......歓声とベースラインがリフレインしている......この光景、この姿、この形こそリアル・アンダーグラウンド・ミュージック"ドラムンベース"本来の状態なのだ。そう感じた矢先、ゴールディーがあるひとつの強力な武器を持ち出した。その場においては異質とも取れる曲は......何か......発した瞬間、ジャングリストたちの秘めた熱狂性とその現在のトレンドで覆っていたカレントリーな空間を瞬時にスイッチ......DBSでは稀な光景である。生粋のパフォーマーとしても名高いゴールディーが最高潮に煽りだし、サイドに付いたドラムンベースMC日本代表カーズとともに縦ノリに変化したオーディエンスと渾然一体となり、その勢いはまたく止まらない。その武器とは、ニルヴァーナ"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"のオリジナルだった!

 時代淘汰されることなく歩み続けたロック・ミュージックとエレクトロニクスの発展により90年代に時代を捉えたドラムンベース。すべてを呑み込む許容性があるこのジャンルに不適切、不適合は存在しないと改めて実感させらてた。本当にフレキシブルで独自の進化を歩んだからこそこうして多くの人たちを魅了しているのだ。ダブステップもこれとまったく同じ道を辿っているのは、周知の通りである。すでに本国UKではドラムンベースを"越えてしまった"感があるこのダンス・ミュージックの新たな"核"が必ずやこの先も我々をユートピアに誘うだろう。世界中の隅々で......。

 それからゴールディーは、後半に差し掛かった辺りから選曲を懐かしのドラムンベース・クラシックスにシフト。LTJブケム、アートコア・マスターピース"Horizons"をスピン。オールド・ファンの心を掴んだだけでなく歴史の生き承認としても歩んできたゴールディーの懐の深さも垣間みれた瞬間だった。ふと時計を見たら5時を回っている。大幅な延長プレイにみんな大満足だった。まったくプレミアムな空間に包まれたのである。そして2010ジャパン・ツアー最後の曲は、これまたメタルヘッズ・クラシックス、名盤中の名盤、ラフィージ・クルー"Beachdrifter"。こうして感動的かつ叙情的な閉幕となった。

 ドラムンベースの限りない底力とダブステップのさらなる躍進、今回もまたそれを感じた最高のパーティだった。ベースライン・ミュージックを二分するこれらジャンルに向けて賞賛の意を表したい。DBSの持っている"力"にあらためて尊敬の念を表し、これからも筆者は歩んで行くだろう......ベースラインが消えない限り。

 次回パーティ・リポートは筆者も出演の4/17DBSを予定しております。乞うご期待!

Autechre - ele-king

 ダブステップのレーベルとして知られる〈ホットフラッシュ〉を運営するスキューバにとっての最大の影響がオウテカの『インキュナブラ』『アンバー』だそうだ。たしかに初期のこの2枚にあるものと言えばダンス・カルチャー(レイヴ・カルチャー、いや、セカンド・サマー・オブ・ラヴと言ってもいい)からの影響......というかその時代の甘い夢のような感覚だ。『インキュナブラ』には明らかにアシッド・ハウスの脳天気なトリップ感が漂っているし、いまとなっては「あのオウテカでさえもこの時代は......」といったところだろう。その1年後の、ダンスの俗的な熱狂から離れて、そしてIDMというサブジャンルを開拓したと言われる『アンバー』にいたっては満場一致で初期のマースターピースである。

 『アンバー』が面白いのは、"Nil"のようなぞくっとするほど美しいアンビエントがある一方で、おそらく彼らのもうひとつのルーツであると思われるインダストリアル・サウンドをよりアシッディに変換した"Foil"のような曲があることだ。そういう意味で引き裂かれているのだが、"Foil"をアルバムの1曲目に持ってきたように、それに続く『トライ・レペテー』以降のオウテカは"Foil"の路線、要するにアシッド・ハウス的な夢からどんどん醒めて、彼らのインダストリアルな感性を急進的に磨いてきたそのときどきの結実だと言えるだろう。

 まあ、それでもまだ『トライ・レペテー』には甘い記憶がある。が、シロー・ザ・グッドマンやコーマが影響を受けたという『キアスティック・スライド』にしても、あるいは『LP5』にしても......、いやいやそれを言ったら『コーンフィールド』以降にいたっては......、まあとにかくオウテカのリズム・トラックからはなかばサディスティックなまでのインダストリアルな感性が聴こえてくる。アレックス・ルタフォードが自身のLSDトリップをヒントに作ったという『ガンツ・グラフ』の映像、あるいはオウテカの作品を飾る一連の素晴らしいデザイン――例えばフランク・ロイド・ライトの建築を引用した「エンヴェイン」、フェティッシュな人工美をデザインした『コーンフィールド』や『ドラフト7.30』等々のアートワークからもそれは充分にうかがい知ることができる。こうした人工美への病的とも思えるこだわりこそ彼らがマントロニクスの音楽から聴き取ったものなのだろう。同じエレクトロ・ヒップホップをルーツに持ちながらもそこがプラッドらとは大きな違いである。そしてあたかも音楽表現における精神主義に逆らうように、工業都市マンチェスターからやってきたふたりの頑固者は自分らの美学を曲げることなく、しかもリスナーの耳を離さなかったのである。

 が、そんな理解のあるリスナーからも、さすがに『アンティルテッド』(2005年)に対しては「冷たすぎる」という拒否反応があった、と彼らは言う。冷たさはオウテカの魅力のひとつではあるが、彼らはやり過ぎたのかもしれない......先日『SNOOZER』誌で取材したときにロブ・ブラウンが語ったのは、『アンティルテッド』ほどファンの好き嫌いを分けた作品はなかったということだった。ブラウンは、しかし『クオリスタス』(2008年)によってそれを覆したと言うが、本当にそれができたのは本作『オーヴァーステップス』である。

 『オーヴァーステップス』はディテールにおいてより複雑である――とふたりが話すように、このアルバムは面白いように彼らの複雑性を楽しめる。いわゆる"non music"と呼ばれるものの最新型であろう。これを聴いたあとでは『LP5』や『ep7』がポップに思えるほどだ。

 僕がオウテカのアートワークのなかでもっとも気に入っているのは『アンバー』だ。彼らの作品中で唯一、自然の景色をジャケットにあしらっているアートワークだが、しかしそれは......砂丘なのだ。デザインを手掛けたデザイナーズ・リパブリックのセンスを褒めるべきなのだろうけれど、あの写真の、自然が自然ではないような際どさを醸し出している図像はオウテカの音楽とたしかに重なる。そうした絶妙な不確定さが『オーヴァーステップス』にはある。音像の細部に変化があり、つかみどころがなく、下手したら無人島に置き去りにされたような悪夢を味わうかもしれないけれど、それでもこの作品はいままで以上に耳を楽しませる。また、嬉しいのは、このところ続いていた過剰な激しさの代わりに穏やかで美しい瞬間が聴けることだ。『アンバー』の頃のような美を聴くことさえできる。アートワークも素晴らしい。

 話を冒頭に戻そう。オウテカの徹底的に無機質なアンビエンスはダブステップの"ダークの芸術"にも通じる。スキューバは、「しかしいまのオウテカは聴けたものじゃない」と話しているけれど、『オーヴァーステップス』を聴いたら考えを変えて、納得するかもしれない。『アンバー』が15年かけて凄みを増し、何か別のモノに化けてしまったということに。

Wet Hair - ele-king

 ブルース・スプリングスティーンやザ・ホラーズとのスプリット・10インチ・シングルをはじめ、限定3000枚のCD6枚組のボックス・セットで発売された『Live 1977-1978』など、この2~3年で加速的に再評価されたのがスーサイドで、以前ファック・ボタンズに取材したときも、このニューヨークのトランス・アート・パンクの伝説こそ若い彼らにとっての最高の追体験だったと話していた。もっとも多くのファンを驚かせたのは、ザ・ホラーズやファック・ボタンズではなくブルース・スプリングスティーンによる"ドリーム・ベイビー・ドリーム"のカヴァーだった。しかし、これとて深い縁があったことをアラン・ヴェガはあるインタヴューで明かしている。つまり、スーサイド再結成後の2002年に〈ミュート〉傘下の〈ブラスト・ファースト〉から発表したアルバム『アメリカン・シュプリーム』が9.11を主題としたもので、ヴェガはその取材でこれでもかと反ブッシュを叫んでいる。こうしたヴェガの政治的主張もスプリングスティーンとの仲を深めるのに大いに働いたことだろう。

 ちなみに〈ミュート〉は2000年に未発表を加えたCD2枚組としてスーサイドのファースト・アルバムをリリースしている。未発表音源に関する興味と(それがまたホントに良かったのよ)リマスタリングということで僕も買ったのだけれど、封入されたブックレットにはヴェガとマーティン・レヴの対談も載っていて、そこでヴェガは彼のセシル・・テイラーについて、あるいはイギー・ポップからの影響について語っている......。まあ、そう言われてみればたしかにストゥージズだ。

 ウェット・ヘアーは完璧なまでにスーサイド・フォロワーである。フォロワーというか、最初に聴いたときはスーサイドの新作かと思ったほどだ。僕はこのレコードが渋谷の〈ワルシャワ〉でかかったときからおよそ1時間悩んで、それで、結局買った。かれこれ1ヶ月前の話だ。

 アイオワで〈ナイト・ピープル〉なる(主にカセットをリリースする)レーベルを運営するライアン・ガーブスとショーン・リードのふたりによるウェット・ヘアーは、昨年のはじめに最初のアルバム『ドリーム』を発表して、そして年末にセカンド・アルバム『グラス・ファウンテン』をリリースした。ヴィンテージ・シンセサイザーとエフェクトをかましたうなり声、ドラムマシン、まさにスーサイド・スタイルだが、本家よりもノイジーでさらにトランシーでもある。そのあたり、モダンなセンスが注入されている。

 アルバムは気が遠くなるようなミニマリズムとうなり声からはじまるが、このバンドの個性はメランコリックな曲作りにある。A面2曲、B面3曲の計5曲入りだが、僕にはB面の1曲目"正しいときが来たら"のメランコリーが最高だ。それはスーサイドの"キープ・ユア・ドリーム"というか、豪雨のなか殺人者が歌うオールディーズ・ポップスのように聴こえる。"コールド・シティ"のメロディも悪くないし、"ステッピング・レイザー"は"ロケットUSA"というか......。

 ウェット・ヘアーのようなここ2~3年で台頭してきた新種のUSインディでもうひとつわからないのが、彼らがデジタルを放棄していることである。『ドリーム』は別のレーベルがCD化したが、『グラス・ファウンテン』に関してはいまのところヴァイナルのみでダウンロードすらない。こうした時代と逆行するかのようなアプローチも興味深い(テクノ系ではあれだけアナログにこだわっていたベーチャンが批判されながらデジタルに進出したものだが、シャックルトンはアンチ・ダウンロードを貫くらしい......)。

 ところで〈ミュート〉からの再発盤のブックレットによれば、ヴェガとレヴはスーサイドをはじめた当時一文無しで、ヴェガいわく「ケツを凍らせながらテントで寝ていた」という。彼らは純粋なまでに極貧で、自殺者という名前もまんざら大袈裟ではなかったようである。都市の辺境のギリギリのところから発せられたのが、ヴェガのあの叫び声だったのだろう。スーサイドの1978年のザ・クラッシュとのツアーは有名で、ふたりはステージで客から罵声を浴び、モノを投げられ、血を流し、暴動を誘発した。スーサイドのふたりから見たら、ザ・クラッシュの絵に描いたような左翼っぷりはどんな風に見えたのだろうか......。ファッションに見えただろう。しかし多くの聴衆が崇拝したのはザ・クラッシュだった。そして僕は紛れもなく崇拝者のひとりだった。

銀杏BOYZ - ele-king

"ボーイズ・オン・ザ・ラン"のPVが話題になっている......いや、すでに数週間前の話だが。とにかく、それなりに話題になっていた。ご覧くださればその理由もおわかりになるはず。あの『SNOOZER』もまったくスルーした"ボーイズ・オン・ザ・ラン"のPV、その合評をどうぞー。

観て一驚を喫したのは、そこに映し出されていたのが、
このとき振り落とされた男性たちであったことです。文:橋元優歩

 GOING STEADY時代のファンが多いというだけのことかもしれませんが、驚いたのは、あの女性ジャケのシングルを実際に被写体のような女性が買いにくることです。いまはなき御茶ノ水の某店舗、パンクとインディ・ロックだけを置いた薄暗いフロアにて、ファースト・アルバム2枚同時リリースから2年半を経て、銀杏BOYZのシングル「あいどんわなだい」が店頭に並んだとき、鋲打ちジャケットの男性や若いサラリーマン等々の後ろから、正月でもないのに着物を着た可愛らしい女性がちょこちょこと入ってきて「みねたくんのシーディーください」(!)と言ったことは、非常に印象深かったです。その週は女性客がいつになく多く、もちろんたいていは「みねたくんのシーディー」のお客さん。そしてたいていが可愛らしい。ちょっと待ってください、あなたがたは、スカートをめくられ("日本人")、体操服を盗まれ("Skool Kill")、1000回妄想("トラッシュ")されているのですよ!? しかし「みねたくん」ならよいのです。

 曲中では、女性=「あの子」はいつも手が届かないひとつの究極の存在として表象されるし、そのために結局は転校してしまう("あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す")けれど、実際にはモテてしまう「みねたくん」。彼が同世代の男性に課したハードルはとても高い。

 PEACEとPISSを心に放て スカートをめくれ/凶暴的な僕の純情 キュートな焦操/
(中略)/球場を埋め尽くす十万人の怒号と野次/グラウンドに投げ込まれるゴミの嵐にも負けず/九回の裏50点差の逆転を狙う/素っ裸の九番打者に僕はなりたい――"日本人"

 デビュー・アルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』収録曲ですが、2005年に、この主題はあまりにハードです。地下鉄サリン事件から数えても10年も経っている。九回裏での50点差......九回裏ってものが、10年前に終わってしまっている。これを言えるならヒーローだ。それなら女性もついてくる。また、ついてくるからこそそう言える。しかし、この主題を真に受けるなら、ほとんどの者がそこからこぼれ落ちるだろう......。

ボーイズ・オン・ザ・ラン 銀杏BOYZ
ボーイズ・オン・ザ・ラン


初恋妄℃学園/
UK.PROJECT

 久しぶりのリリースとなる本シングルのPV「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を観て一驚を喫したのは、そこに映し出されていたのが、このとき振り落とされた男性たちであったことです。一種のドキュメンタリー・ムーヴィーの形をとっていて、「将来の夢」とおぼしき事柄を書いたフリップを持った男性が次々と現れ、簡単なインタヴューを受ける。それが延々と続く。セーラー服や、彼らの3枚のシングルのジャケットを飾る、あのあどけない表情をした女性の登場を予期していると、完全に肩すかしを食らいます。それどころか女性はひとりも出てこない。戦争オタクを皮切りに、アイドル、ガンダムなど各種オタク、「脱ニート」や「リア充」を掲げるライトな生活者、正社員志望のロスジェネ既婚者から5000万円を女性に貢いでしまった中年男性、親の介護で消耗しきっている青年等々矢継ぎ早に映し出され、そのいっぽうで「世界一周」や「ストパーかけたい」というささやかな願望も語られる。ごく普通の若い人もいるけれど、頭の薄い人や話し方が宿命的にイタい人など、ある一定の線は充分に意識されている印象を受ける。ひどく滑舌の悪い中年男性の夢は「21世紀のリーダー」だ。

 素っ裸の九番打者どころの話ではないです。過剰な流動性を生み出す成熟社会にあって、また、生きていくのに必要なだけのストーリーを調達するのに以前ほどには素朴でいられないポスト・モダン状況にあって、多くの人が舵を切り損ねている。あるいはオタク化するなど急ハンドルを切っている。

 「みねたくん」の言葉は今度は彼らに届くのでしょうか。もういちど彼らを挑発することができるのでしょうか。率い、目指され、より説得力のある男性モデルを立ち上げることができるのでしょうか。映像は画面転換の速度を増し、曲はバーストし、とくに結論は導き出されない。ただ、最後に写った男性の言葉は、とても印象的に使われていました。「まあ、なるまで......闘います。闘ってもダメだったら、まあ勝つまで、諦めない、まあ死ぬまで、まあ天国に行っても、諦めません。」

 彼は何になるのか? なりたいのか? 正社員に、です。「ほぼ見込みがないかも」という自信のなさをありありと表情に伺わせながら、「まあ」を多用して諦めないことの照れを隠しながら、ただ「諦めない」というキャラだけは自分に設定しておこう、と。もう切なくて観れたものではないです。天国に行ってから正社員になってもまったく意味がないのですから。

 前シングルからさらに2年のインターバルを置き、自らのテーマの洗い直しをおこなったかに見える本作は、だから以前までは曲の対象からはずされていた種類の女性に対しても届き得るものになっているのではないでしょうか。おひとりさま、腐女子、カツマー、さらには森ガール等々の類型は、上に出てくる男性たちと対称形を成している。それは流動的な社会を生きる上で、ひとつの拠り所として切実に選択された態度です。

 サア タマシイヲ ツカマエルンダ――"若者たち"

 つかまえあぐねている人びとに、もう以前のようには煽らない。そこにはそれ相応の背景や事情があるから。でもやっぱり、さあ、魂を、つかまえるんだ。複雑な社会であることはわかっているけど、やっぱりやらなければいけない、「もう一丁」!――"ボーイズ・オン・ザ・ラン"

 "ボーイズ・オン・ザ・ラン"は、それを以前のように直接言わないことで、より普遍的な表現を勝ち得た力作であり、PVとしては破格の喚起力を持った問題作である。もちろん、社会問題が絡む以上は若干の既視感は否定できない、が、実際にいまを生きている男性の顔を正面から撮りまくるというのは、方法的にも非常に有効であると思う。人が素でカメラに向かうと、いろいろなものが写り込むから。

文:橋元優歩

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何がそんなに腹立たしかったのか。それは、制作側の銀杏BOYZの、「イケてる/イケてない」という判断基準のベタさ加減だ。「勝ち/負け」にたいする想像力の貧困さと言い換えてもいい。文:二木 信

銀杏BOYZ
ボーイズ・オン・ザ・ラン


初恋妄℃学園/
UK.PROJECT

 "ボーイズ・オン・ザ・ラン"のPVが巷で話題になっていると聞いて、youtubeで見てみた。いまさらこの映像に鼓舞され、熱狂する若者がいると思うと悲しくなった。愕然とし、無力感に襲われ、そして、「もういい加減にしてくれよ」とひとりごちた。銀杏BOYZが関わっているとだけ教えられた僕はその時点で映画も観ていないし、原作の漫画も読んでいなかった。銀杏BOYZを聴いたこともなかった。それでも、けっこう期待していたのだ。好き嫌いはあるとしても、若者から熱烈な支持を得ているロック・バンドが関わっているのだ。何かこうヴィヴィッドなものを見せてくるのだろうと。それなのに......僕は映像を見た後、しばらくして腹が立ってきて、悪態をつく衝動を抑えることができなかった。

 "ボーイズ~"は、たしかに現代の日本社会のある側面を捉えている。映像は、街頭に立つ男たちと彼らが画用紙に書いた「夢」を次々に映し出す。場所はおそらく、渋谷、原宿、秋葉原だろう。「世界征服」「平和」「21世紀のリーダー」「脱ニート」「童貞を捨てる」「北川景子とベロチュー」「アイドル万才」「公務員」。男たちはカメラに向かって、意気揚々と夢を語り、現実の厳しさを訴え、ふざけた調子で踊り、怒りを吐き出す。衰弱した様子の中年の男は、精神科に入院する母親の介護から解放されたいといまにも泣き出しそうな表情で訴える。また、排外主義者の若い男は、外国人地方参政権に反対だという主張を捲くし立てる。登場するのは、だいたいが冴えない日本人の男たちだ。彼らの多くは、切実であり、切迫している。感情を揺さぶられる場面がないわけではない。

 では、何がそんなに腹立たしかったのか。それは、制作側の銀杏BOYZの、「イケてる/イケてない」という判断基準のベタさ加減だ。「勝ち/負け」にたいする想像力の貧困さと言い換えてもいい。制作側は、意図的に「イケてない」男たちを選んでいる。そして、顔や風貌が冴えない男たちの振る舞いをどこか滑稽に撮影している。その偽悪的な撮影手法の裏には彼らなりの倒錯した愛があるのだろう。ただ、"ボーイズ~"が人を腹立たせ、不快にさせるのは、この場合転倒を図るべき新自由主義政策以降の社会における既存の「勝ち/負け」の基準を結果的に補強してしまっているからだ。世のなかには、経済的に恵まれていて、それなりに社会的地位があって、容姿が良くても不幸な男はいるし、その逆もまた然りである。顔や風貌が冴えなくて、貧乏で、ちょっと狂気じみている男たちだけが「負け組」で、「モテない」とは限らない。「勝ち/負け」というのはそんな単純なものではない。結局、多様性を打ち出しているようで、映像で提示されている「負け」はステレオタイプなものばかりなのだ。それは、単純に表現として退屈だ。

 自分だけが被害者だと思う人間は最大の加害者になる、というようなことを書いた橋本治の言葉を思い出す。不幸なのは自分たちだけではない。中二病的な自己憐憫で心を慰撫し、小さい自意識に固執して、「モテる/モテない」などという他人の尺度ばかりが気になるというのは本当に恥ずかしいし、イタい。時に醜悪でさえある。翻弄されるぐらいならば、そういうゲームからさっさと退場するべきだし、その方法を考えるべきだ。

 そもそも映像は、ゼロ年代を通じて可視化した社会的弱者のあり方をなぞっているに過ぎない。別の言い方をすれば、雨宮処凛や湯浅誠らが組織した、プレカリアート運動や反貧困系の運動以降の青春パンクと言うことができる。「フリーター」「ニート」「派遣」「格差社会」「ワーキング・プア」「ファシズム」「モテ/非モテ」「オタク」。新聞、週刊誌、テレビからネットまで、ありとあらゆるメディアが散々取り上げてきたキーワードだ。さすがにそれらを前提にして、男たちの自分語りの映像を見せられても白けてしまう。早い話が、"ボーイズ~"は、手垢のついた記号を引っ張り出して、捻りもなしに「イケてない」男たちに当て嵌めているのだ。12分近くにもおよぶPVの中盤以降、連帯を促すようにかき鳴らされるメロディアスなギター・サウンドの演出の陳腐なこと! 男たちのカタルシスだけで社会が変革できるのであれば苦労はない。銀杏BOYZというのは、いまだ社会化/可視化されることのない、こんがらがった言葉や感情を表現して時代の先を行くバンドだと思っていたが、"ボーイズ~"のPVは、完璧に時代から一歩も二歩も立ち遅れてしまっている。

 そう、花沢健吾の原作漫画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』のクライマックスがあんなにも素晴らしいのに。いわゆる非モテの主人公、田西敏行が鼻水を垂らし性に翻弄されながら駆けずり回る前半から、複数の物語が絡み合いながら、「家族=共同体」再編というメッセージが練り上げられていく後半へのドラスティックな展開は感動的だ。荒れた父子家庭で父親に無視され、学校では凄惨ないじめにあい、ボクシング・ジムに入り浸る小学生の男の子「シューマイ先輩」、荒くれ者の元ボクサーの夫を持つ、耳の聞こえないボクシング・トレーナーの女「ハナ」、そして田西が、時に傷つけ合い、時に助け合いながら絆を深めていく。ある時、ハナの夫にボコボコにされた田西は、「結局......非力な人間は負け続けなければならないのか?」というシューマイ先輩の問いに、「自分ざえ認めぎゃ、まだ負けじゃないっずっ!!」とぐしゃぐしゃな顔で答える。最終的に3人は、それぞれの「負け」を噛み締め、お互いを認め、前を向き、家族=共同体として生きようとする。社会の片隅で生きる女と子供と男が寄り添いながら、ともに堂々と胸を張って歩きはじめるのだ。とても美しいし、夢があるし、素敵な物語だ。そして、いまの時代に、説得力を持ち得る物語だ。

 PVには、その、原作の重要なメッセージがまったく反映されていない。PVの最後は、「一日も早く正社員になりたい」という夢を持つ男が、「まあ、(正社員に)なるまで闘います。闘ってもダメだったら、勝つまで諦めない。死ぬまで、天国に行っても諦めません」と、自身の労働問題をなかばテンパり気味に語るシーンで締めくくられる。それは、前述した田西の発言に対応している。労働問題、重要である。競争も熾烈だ。現実は厳しい。ただし、少なくとも僕は、被害者意識に呪縛された男たちだけの共同性より、女と子供と男が入り乱れた予測不能な共同性の方に圧倒的に可能性を感じる。

文:二木 信

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酷く複雑な気持ちになるのは、その映像の露悪性と、音楽の露善性の強烈なギャップだ。銀杏は彼らを思いっきり突き放すと同時に、同じ強さで抱きしめる。文:磯部 凉

「セックスのことを24時間考えている」。所謂"童貞"ブームの代表格だったマンガ家・古泉智浩が、童貞を失った後の世界を描いた単行本『ピンクニップル』(08年)の、自身による後書きには、そんなタイトルが付けられている。何故、考え続けなければならないのだろうか? それは、決して満たされることがないからだ。ひたすら虚しいセックスを繰り返す同作の主人公同様、私達は言わば餓鬼道に堕ちた罪人である。

 00年代前半は、サブ・カルチャーにおいて、性愛の問題が重要な位置を占めた時代だった。もちろん、性愛の問題は常にあるものなのだけれど、キーワードを並べていくと、90年代後半に特徴的だったのが、援助交際が物議を醸した"コギャル"や、青山正明が先導した"鬼畜系"等、アンチ・モラリズム的な傾向だとしたら、00年代前半に特徴的だったのは"ケータイ小説"や"セカイ系"、"童貞"など、反動としてのよりモラリズム的な傾向である。また、ふたつのタームのあいだにあるのは断絶ではなく、あくまで変化であって、最初に挙げた"コギャル"が、その後の"ケータイ小説"へと形を変えたのだと考えられる。例えば、社会学者の宮台真司は、当初、援助交際を性愛のセルフ・コントロールとして高く評価していたのを、その後、当事者である女子高生の多くが精神のバランスを崩して行ったのを受け、彼女たちを守るシステムを構築するために保守主義へと転向していったが、速水健朗『ケータイ小説的ーー"再ヤンキー化"時代の少女たち』(08年)で指摘されていたように、純愛モノの仮面を被った"ケータイ小説"の裏に隠れているのはデートDVという醜い現実であり、その物語世界は、現実世界の性愛関係で受けた傷を治すための、ある種のヒーリングとして機能しているのだ。ありもしないふたりだけのセカイを夢想するのも、過ぎ去った童貞時代を美化するのも、また然り。00年代も中頃になると、なかには、最初から傷付かないために現実の性愛関係自体を回避するという極端な思考まで登場した。ライト・ノベル作家の本田透が発表したエッセイ『電波男』(05年)がそうで、リアルな女性に見切りを付け、ヴァーチャルな女性との恋愛を楽しもうという提案がなかば本気で試され、支持を得ていたのは記憶に新しい。

 さらに言えば、性愛の問題とは、イコール、コミュニケーションの問題である。どんな人間もひとりで生きていくことはできない。いや、肉体的には生きていくことはできるだろう。ただ、人間は家族や友人、恋人といった他人とコミュニケーションを取り、彼らから承認を得ることによって、初めて生きていく意味を得るのだ。本来、セックスは、その承認を得る行為のひとつであるはずだ。セックスの機会自体は、ポスト・モダン化が進むなかで、多種多様な性的コンプレックスが解放され、増えたかもしれない。しかし、日本では、コミュニケーションの総体としての社会が80年代のバブル景気以降、一気に形骸化してしまった。つまり、セックスとコミュニケーションが切り離され、セックスだけがデフレ化してしまったのだ。90年代後半のアンチ・モラリズムとは、若者たちがそんな社会に対して発した、ある種の警戒だった。それでも、当時はまだそのストレスを消費によって発散させてくれる経済的な余裕があったため、露悪的な表現で済んだのが、00年を越えて不況が現実化し、しかも、政府が対策として新自由主義を打ち出し、格差が拡大するーーさらにコミュニケーションが枯渇するという焦りが拡大すると、若者のあいだで防御としての露善的な表現が浮上しはじめる。警戒から防御へ、反応のレヴェルが上がったのだ。

 ポップ・ミュージックで言えば、強くモラルを訴えていた、当時の青春パンクや日本語ラップがそうで、その際、シーンや国家といった架空の共同体を通して、社会性の復権を計るという点ではネット右翼も同じである。そして、露悪的な表現よりも、露善的な表現のほうが、善というあってないような価値観に無条件で寄り掛かっているために、質が悪いし、深刻なのだ。00年代後半、露善的な表現はさらにその純粋さを過剰化していった。まぁ、桜ソングや応援歌ラップみたいなものがTVや街頭のスピーカーから垂れ流されている分には、チャンネルを変えたり、ヘッドフォンをして他の曲を聴けば済むだけの話なのだけれど、それまで、あくまでヴァーチャルな世界のなかに留まっていたネット右翼が"在特会"のように、リアルな世界に溢れ出て来た時は、ナチスが台頭して来た頃のドイツを連想し、ゾッとしたものだ。ナチスこそはまさに、愛国と経済再建をモットーに掲げ、その意に沿わないノイズを徹底的に排除していった、露善的な団体ではなかったか。

 ところで、銀杏BOYZ(=峯田和伸と、イコールで結んでしまってもいいだろう)の『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』という2枚のアルバム(共に05年)を特徴付けているのは、言わば露悪的な表現と露善的な表現のミックスである。例えば、『君と僕~』のちょうど折り返し地点である6曲目"なんて悪意に満ちた平和なんだろう"は、当時の日本のサブ・カルチャーにはっきりとあった、戦争反対というメッセージを通して皆がひとつになろうとするようなムードに冷や水を浴びせる、つまり、戦争反対もまた、戦争と同じ全体主義ではないのかという"戦争反対・反対"ソングだが、続く7曲目"もしも君が泣くならば"は一転、「もしも君が死ぬならば僕も死ぬ」と熱唱する、何処となく軍歌的な響きのあるシング・アロング・ナンバーで、そこでアルバムは露悪的な前半から、露善的な後半へと突入していく。そして、その二律背反的な二部構成は、どっち付かずや分裂症的というよりは、『DOOR』もほぼ同様の構造を持っていることからも、かなり意図的に制作されていることを思わせる。一方、前身のGOING STEADYが残した2枚のアルバムはストレートに露善的であり、要するに、バンドが銀杏に発展し、新たな要素として付け加えられたものこそ、露悪的な表現だったのである("なんて~"は新曲だが、"もしも~"はゴイステ時代から歌われている曲だ)。考えるに、銀杏がここでやりたかったのは、当初の青春パンクが持っていたヒーリング的な側面を機能させつつも、その表現が陥りがちな純粋性の強調の果ての、ノイズの排除に向かわないために、露悪性を導入することだったのではないだろうか。その試みは、最近で言うと神聖かまってちゃんのようなバンドにも引き継がれているし、興味深い事に、SEEDAの『花と雨』(06年)のリリースがきっかけで日本語ラップ内に起こったハスラー・ラップ・ブームともリンクしている。ドラッグやセックス、ヴァイオレンスについて歌った露悪的な楽曲と、家族や友人、恋人への愛を歌った露善的な楽曲という、一見、チグハグな組み合わせこそがハスラー・ラップ・アルバムの肝だからだ。

 ただし、もっと細かく言えば、峯田の変化は、『君と僕~』と『DOOR』ではなく、GOING STEADYが2枚のアルバムを経てリリースしたシングル『童貞ソー・ヤング』(02年)からはじまっている。古泉智浩がジャケットのイラストを手掛けた、その名もズバリ、"童貞"ブームを象徴するような、前述したロジックで言うならモラリズム/露善的なタイトルのこの楽曲で、峯田は「一発やるまで死ねるか!!!」と叫んだ後、「一発やったら死ねるか!!? 一発やったら終わりか!!?」と続けている。つまり、ここで歌われているのは、童貞的な純粋さに逃げ込むのではなく、むしろ、童貞を捨てた後にはじまる現実こそを生きていけ、というメッセージなのだ。中学生時代に担任教師から性的虐待を受けたことが原因で、異性と話しただけで嘔吐してしまう程の性的コンプレックスを抱いていた峯田にとって、性愛はもっとも重要なオブセッションであり続けているが、同曲は極めて重要なターニング・ポイントとなった。自身の性的コンプレックスに初めて向き合うことで、他人とのコミュニケーション、延いては社会を相対化することに成功したのだ。セカイ系から世界系へ。この成長は、この時期においては、かなり真っ当だったと言えるのではないか。

 やがて、00年代も後半に差し掛かると、所謂"童貞"モノのなかにも、『童貞ソー・ヤング』の後に続くように、ポスト"童貞"をテーマにした作品が現れはじめる。松江哲明の映画『童貞をプロデュース。』(07年)は童貞を拗らせた教え子(=かつての自分)に業を煮やした監督が彼らを現実に立ち向かわせるドキュメンタリーだったし、花沢健吾のマンガ『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(05年~08年)は、前作『ルサンチマン』(04年~05年)におけるヴァーチャル世界=童貞のディストピア(『電波男』の表紙にも引用されている)が崩壊するラストから地続きに、リアルな恋愛の地獄をしっかりと描いた作品だった。それでも、マンガ版『ボーイズ~』の読後感は悪くない。銀杏の『僕と君~』『DOOR』が、"アンチ・モラリズム/露悪→モラリズム/露善"という流れを持っているため、あくまでポジティヴな印象が残るのと同じ物語構造を採用しているからだ。そこを甘いと感じる人もいるだろうが、これはこれで悪くない。何故なら、もともと現実の性愛関係に疲れて、妄想の性愛関係に逃げ込むような人間に、いきなり、徹頭徹尾厳しい現実を突きつけたからといって、拒否反応を起こしてしまうだけだからだ。リハビリとしてはこれぐらいで調度良い塩梅なのだ。

 しかし、さらに社会の状況が悪化していくにあたって、いつまでもそのようなロマンチシズムに留まっていられないのもたしかで、例えば、この1月に公開された映画版『ボーイズ~』は見事、そんな時代に対応した傑作である。00年代演劇において、チェルフィッチュの岡田利規と並んで露悪的なアプローチでもって性愛の問題に取り組み、だからこそ露善的なアプローチが幅を利かせるエンターテイメントの世界ではいまいちポピュラリティを得ることができなかったポツドールの三浦大輔は、この初の大舞台となる映画第3作で、ここぞとばかりに、原作では掴みに過ぎない露悪的な面を強調し、後味の悪さを残すことにひたすら賭けている。全10巻に及ぶマンガの第一部まででストーリーを終えるのは、映画の尺の関係で仕方がないとして、原作では主人公を承認してくれる役割のヒロインをバッサリとカットしてしまったのは見事だった。その選択によって、映画版は、原作版のロマンチシズムと引き換えに、新たなリアリズムを得ることに成功しているのではないだろうか。

ボーイズ・オン・ザ・ラン 銀杏BOYZ
ボーイズ・オン・ザ・ラン


初恋妄℃学園/
UK.PROJECT

 そして、映画版『ボーイズ~』で主演を務め、銀杏として同名の主題歌を手掛けた峯田は、自身が監督した12分にも及ぶPVにおいて、映画版にタメを張る才能を発揮している。それは、まるで『君と僕~』と『DOOR』の全29曲を混ぜ合わせてひとつにしたような作品であり、この世界そのものように混沌としている。映像は、松本人志の『働くおっさん人形』(03年)を思わせる露悪的なインタヴュー形式で、ネット右翼からヤンキー、童貞からホストまで、極端なタイプの若者達に夢ーーそれはさまざまな形の承認欲求であるーーを語らせ、現代日本若者像のステレオタイプを浮かび上がらせていく。そして、そのバックには銀杏のシングルとしては初めてと言っていいくらい、ストレートに露善的な、如何にも青春パンクといった歌詞と曲調の楽曲版『ボーイズ~』が鳴り響く。画面に映る"ボーイズ"たちこそは、まさに、銀杏のファン像であり、そして、銀杏が承認してあげたいと考えている若者たちなのだろう。しかし、本PVを観ていて酷く複雑な気持ちになるのは、その映像の露悪性と、音楽の露善性の強烈なギャップだ。銀杏は彼らを思いっきり突き放すと同時に、同じ強さで抱きしめる。これは、J-POPでも日本語ラップでも、ファンを囲い込み、ノイズを排除し、現実を切り離してしまうような、日本のポップ・ミュージックにありがちな態度とは真逆のやり方である。私はつい先日、twitterでこのPVを紹介し、さまざまな人のあいだで賛否両論の議論が巻き起こり、広がっていくのを目の当たりにした。また、同じ問題を巡って、アンチ銀杏を表明している田中宗一郎の「何故、自分がこのバンドを嫌いなのか明確になった」というコメントをネットを通して読み、同じくアンチ銀杏だったはずの野田努の「峯田和伸には江戸アケミ的なところがあると思った」という発言を直に聞いた。その過程で私は、彼らが00年代の日本においてもっとも重要なロック・バンドであることを再認識したのだった。いま、こんなにも議論を呼ぶバンドが、日本に他にいるだろうか。

 そして、この猥雑とした映像に辛うじて整合性を与えているのが、ラストにほんの一瞬だけ映るライヴ・シーンである。血と汗と涎まみれになって演奏を終えたメンバーたちは、それでも満足できないのか、まず、ギターのチン中村が天井に上がっていく垂れ幕に飛びついてぶら下がり、あわやというところで手を離し、落ちて来る。それをきっかけにベースの我孫子真哉が、続いて峯田が、次々とフロアに飛び込んでいく。と、突然、映像は真っ暗になる。そこに、Youtubeをぼんやり覗き込んでいた自分の顔が写り、人は我に変えるだろう。いま、画面のなかで喋っていた醜い奴らと自分は同じなのだと。それは、現代日本の優れた演劇やコンテンポラリー・ダンスが、かつてのように肉体の可能性を模索するのではなく、むしろ、肉体の限界性を表現することで、現代を描写するのと同じヴェクトルを持っている。当たり前の話、人間は飛ぶことはできないし、ロックは世界を変えることはできないのだ。銀杏には『僕たちは世界を変えることができない』というDVDがある。そのタイトルは決してシニシズムではなく、むしろリアリズムである。願わくば、この批評性を楽曲だけでも表現して欲しいと思うが、モダンなロックンロール・バンドとしては、自身の肉体や人生までも含めたありとあらゆるメディアを通じて、メッセージを発信していくのは、私はありだと思う。最近のPVでは、南アフリカはケープタウンのホワイト・トラッシュたちによるクワイト・ユニット、ダイ・アントワードの「ゼフ・サイド」と並ぶ衝撃だった。これら、地理的に遠く離れているだけでなく、音楽性もかけ離れた2本の作品に、唯一の共通性が見出せるとしたら、それは、自分たちを取り囲む状況に対する批評性ではないだろうか。そう、批評こそは、地獄に丸腰のまま落とされた私たちにとっての、唯一の武器なのである。

文:磯部 凉

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