Home > Interviews > intervew with DE DE MOUSE - 僕の場合、子供っていうのは真っ直ぐさみたいなものの象徴としてあるんです。冒険とか……思春期前の真っ直ぐさ。先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ。
すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって。「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。
エイフェックス・ツインがポップ・カルチャーにぽっこりと残した巨大な玉手箱、そのひとつは"子供"、いわばピーターパンである。アニマル・コレクティヴ、コーネリアス、そしてデデマウス......。ロックンロールが思春期のものであるのなら、その思春期とやらを嘲笑するかのように掃除機で吸い取り、あるいはまるめてゴミ箱に投げる。いや、そんな悪意のあるものではない。もっと愉快なものだ、子供たちを楽しませるような。
DE DE MOUSE 「A Journey to Freedom」 rhythm zone/Avex Trax |
話を聞くために初めてデデマウスに会った。まるで十数年来の知り合いに会ったような気分だった。彼は息つぎする間もなく喋った。僕に質問する間も与えない。これは彼の策略なのだろうか。言いたいことを言い切って、そして走って逃げていく、子供のように......いや、マンマシンのように。
2007年にインディ・レーベルから出した『Tide of Stars』がほとんど口コミを中心に驚異的なセールスを記録して、まさに日本のテクノ新世代を代表するひとりとなったデデマウスは、この度、通算3枚目になる新しいアルバム『A Journey to Freedom』をエイベックスから発表する。以下のながーい話を読んでもらえれば、彼の音楽に特有な郷愁の感覚がどこから来ているのかわかってもらえると思う。あるいはまた、彼の音楽の背後にある理想のようなもの、そしてまた彼が音楽に託す思いのようなものも......。いや、それ以上によくわかるのは、彼が心底エレクトロニック・ミュージックを愛しているってことだ。
シロー・ザ・グッドマンって......近いですよね?
デデ:すごく近いです。でも、最近会ってないです。〈ロムズ〉から「(変名で)ださない?」と言われたことがあって、シロー君と高円寺のラーメン屋さんで会いながら。
飲み屋じゃなくて。
デデ:シロー君、シャイじゃないですか。
そう? ああそうかも(笑)。
デデ:シャイなんで、すごく冗談を言うんだけど、あんま目を見てくれなかったり(笑)。
ハハハハ。いやね、シロー・ザ・グッドマンと......年末だったかなぁ。高円寺で一緒に飲んでて、「いやー、オレにとっての失敗はデデマウスを出さなかったことやわ~」とぼやいていたんだよね。
デデ:ハハハハ。ホントに〈ロムズ〉が好きで、デモを送ってたんですよ。
言ってました。なのにオレは......みたいな(笑)。
デデ:でもダメで、そしたら永田(直一)さんが出してくれるっていうんで「じゃ、出しまーす」って。で、その後、シロー君からオファーされたんだけど、「いまさら鞍替えっていうのも何なんで」って(笑)。
最初から出してくれよって(笑)。
デデ:はい(笑)。正直、そう思いました(笑)。
まあ、それはともかく、デデマウスみたいな明白なまでにテクノをやっている新しい世代が、どっから来たのか興味あるんです。僕らの時代は、ハウスがあって、で、テクノがあってという風に、クラブ・カルチャーの歩みとともにあったけど、たぶん、違うじゃない。
デデ:ああ、はい。
どっから?
デデ:小さい頃はテレビのアニメ・ソング。まさに自分が曲作りするとは思わなかった......というか、歌うのが好きで。だからそれで、光GENJIとか歌って、「自分もこーなりたいなー」と(笑)。音楽とは歌って楽しくて儲かって、っていうイメージで(笑)。群馬の片田舎で育ったんで、テレビぐらいしかなかったんですよ。オレは大きくなったらアイドルになるって(笑)。人には言わなかったけど。さすがに中学生になる頃にはアイドルになろうなんて思ってなかったけど、まわりで地味だったヤツが音楽はじめたりして、バンドやったりね、「なんで、あいつが?」って、それがすごく悔しくて。
負けず嫌い(笑)。
デデ:で、家に父親のクラシック・ギターがあったので、友人からXの楽譜をもらって、クラシック・ギターでコピーしようとしたり。
ぜんぜんテクノじゃないね(笑)。
デデ:小学生のとき『シティハンター』のアニメがあって、そのエンディングがTMネットワークだったんですよ。その影響は実は、僕ら世代では大きい。みんな言わないけどね、実は大きいんです(笑)。それと都会に対する憧れが強い。そうなったときに、ダンス・ミュージックのほうが圧倒的にアーバンなわけですよ、Xよりも(笑)。すごくサイバーな感じがして。小室さんもライヴでシンセサイザーに囲まれていたりするじゃないですか。最初はあれが格好良く見えた。で、13~14歳ぐらいの頃から、ダンス・ミュージックいいなって思っていて、それと電気グルーヴですよ。
ああ、そうなんだ。
デデ:最初はよくテレビに出てたから芸人だと思ってたんですよ。でも、電気が"NO"出した頃から聴くようになって。
3枚目の頃から。
デデ:アシッドとかやりだした頃ですね。『テクノ専門学校』を聴いたり。
それは嬉しいね。中学生?
デデ:中3か高1ぐらい。そう、それで独学でキーボードの練習をはじめるんです。あと父親がオーディオマニアで、ヴィデオテープにFM番組を録音するような。
音質が良いからね。しかしホントにマニアだね、それ。
デデ:そうなんです。それで洋楽の格好良さを僕も知ってしまって。で、父親のコレクションにアバ、シック、カイリー・ミノーグなんかがあるわけですよ。そういうのを聴いているときに、ちょうど高2の頃、テクノ・ブームに当たった。ケンイシイさんが出した『ジェリー・トーンズ』とか。ただ、群馬の田舎だったから、ソニーが出していた〈ワープ〉のCDとか、ハードフロアとか、そんなものしか入って来ないんですよ。デリック・メイの『イノヴェイター』とか、もうちょっと後にはケミカル・ブラザース、アンダーワールド......。
まさにテクノ・ブームだよね。
デデ:当時、NHKでテクノの特番があって、〈レインボー2000〉の映像を流したんですよ。そこでアンダーワールドの"ボーン・スリッピー"を初めて聴いて、「これ、聴きたい!」と思って、買ったのが『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』で、「あれ?」って(笑)。「こんな曲だっけ?」って。しばらくしてからシングルで出ているのを知ったような(笑)。
ハハハハ。
デデ:まあ、そんな感じだったんです。エイフェックス・ツインを知ったのは『キーボード・マガジン』だったかな。すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって、「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。
野田 努(2010年3月24日)