Home > Interviews > intervew with DE DE MOUSE - 僕の場合、子供っていうのは真っ直ぐさみたいなものの象徴としてあるんです。冒険とか……思春期前の真っ直ぐさ。先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ。
で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしておしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。
そうだよね。デデマウスの音楽を聴いてまず最初に思うのは、エイフェックス・ツインからの影響だもんね。
デデ:ドラムの打ち込みとかすごいじゃないですか。連打しまくって、感覚だけで作っているっていうか。リズムのバランスも悪いし、あのアルバムのすべてにもっていかれたというか。お気に入りの玩具、ゲーム、そんなようなものというか。いっつも聴いていた。
衝撃という点ではスクエアプッシャーの『ハード・ノーマル・ダディ』でしたけどね。ジャングルの影響受けながらフュージョンみたいなことやっているし、ホントにびっくりした。96年~97年ぐらいですかね。で、ミュージック(μ-Ziq)も出てくるでしょ。もう、あのブレイクビーツを聴いてまたびっくりしちゃった。スクエアプッシャーの『ビッグ・ローダ』、ミュージック、コーンウォール一派や〈ワープ〉をずーっと聴いていましたね。貪るように聴いた。で、ソニーがしばらくして、〈リフレックス〉の日本盤も出すんですよ。田舎で日本盤しか手に入らないから、それはほとんど買い漁った。あとはもちろんオウテカ。
まあ、通ってるだろうね。
デデ:『キアスティック・スライド』。三田(格)さんがライナー書いていたんじゃないかな。で、その後に出した......。
『LP5』!
デデ:あれがもう最高で! コンピュータが自動生成されたメロディとリズムによるまったく新しい音楽に思えた。
『キアスティック・スライド』や『LP5』はミュージシャンに与えた影響が大きいよね。シロー君たちもあそこら辺からテクノに入ったって言ってたよ。
デデ:ちょうどその頃から学校で上京したんです。もうそうなったら、暇さえあればシスコに行って新譜をチェックするという。
なんか意外と真っ当な道を歩んでいるんだね。
デデ:インターネットがまだ普及していないし。
そうだよね。だけどデデマウスを聴いて、エイフェックス・ツイン、そして〈リフレックス〉からの影響というのはすごくよくわかる。
デデ:そういってもらえると嬉しいんです。僕は、そこは愛を出しているつもりです。
アンダーワールドというほうが意外だよ。
デデ:当時『ロッキングオン』にも流された世代だから(笑)。『ロッキングオン』と『エレキング』に(笑)。リチャード・D・ジェイムスに関する伝説が載ってるじゃないですか。戦車乗ってるとか、1日3曲作ってるとか。
夢のなかで作曲してるとかね(笑)。
デデ:そういうのを全部信じていた(笑)。なんて格好いいんだろうって。
遊んでいる感じがあったよね。当時のエイフェックス・ツインって、20歳そこそこの若者が、業界の大人をからかっている感じがすごくあったでしょ。
デデ:そうそう。ちょっとバカにしている(笑)。それがすごく格好良く思えたんです。暴力的で、悪意に満ちていて、それが最高だって。僕が19~20歳で作った音楽には、ものすごくその影響があったんです。突然ノイズが出てきて、「あーっっははは」って笑ってみせたりとか。
音響やポスト・ロック系も好きでしたね。モグワイも好きだった。それでもデモを送ったのは〈リフレックス〉でしたけど。で、そうしたら〈リフレックス〉から返事が返って来たんです。まだ英語も読めないし、emailもできなかったんだけど、友だちでパソコン持ってるヤツがいて、彼のところに来たんです。「なんかお前宛に英語でメールが来ているよ」って。そしたらもう怖じ気づいちゃって(笑)。
ハハハハ。
デデ:「これは出せないけど、君は良いものを持っているから、もっと送って欲しい」って。それがものすごくプレッシャーになって、しばらく〈リフレックス〉を意識したものしか作れなかった。
なるほどね。
デデ:そのまま自然体で作れれば良かったんだけど。それでいちどダメになってしまったんです。小心者だから。
まったく小心者には見えないけどね(笑)。
デデ:それくらいからCM音楽の仕事をさせてもらえるようになったんだけど、まだ若いから、カネよりも自分のやりたいことをやるんだって、バイトしてでもやろうと。だけど、90年代末になってくると、かつて自分がエレクトロニック・ミュージックに感じていたワクワク感がどうもなくなってしまって......。
うん、そうだったね。エイフェックス・ツインも「ウィンドウリッカー」(1999年)がピークだったし。
デデ:うん、あれはすごかった。あのフィルの感じとか信じられなかった。
曲もすごかったし、PVもすごかった。ところが2001年の『ドラックス』でエリック・サティとテクノの中間みたいなことになったでしょ。
デデ:でも僕はあれがいちばん好きかもしれないんです。すごくピュアだし。
ああ、たしかに、ピュアであることは間違いないよね。
デデ:みんなはピアノの曲が良いって言うけど、僕はビートが入っている曲が大好きで。ドラムマシンとブレイクビーツの絡みという点では、ものすごく影響も受けた。
なるほどね。
デデ:もちろん「ウィンドウリッカー」や「カム・トゥ・ダディ」は大好きですけど。
ポップということを意識しているよね。
デデ:うん、そうなんです。それでも僕は『ドラックス』のビートものが大好きなんです。構成的にも、ピアノの曲があって、ビートものがあって、まあ、予定調和と言えばそうなんですけど、安心して聴ける。
「ウインドーリッカー」の後にアルバムが出るって話があったじゃないですか。それをすごく楽しみにしていたんです。当時は大田区に住んでいて、毎日のように川崎のヴァージンに行って、「出てないか? 出てないか?」ってチェックしていたほど楽しみにしていた。でも、結局、あのあと出なかったじゃないですか。ものすごくがっかりしちゃって。あの頃がリチャードに対する気持ちのピークだったかもしれない。
エイフェックス・ツインの音楽のなかにはいろんな要素が入ってるしね。
デデ:そうなんです。エレクトロニック・ミュージックのピークって、やっぱ97年ぐらいがピークだったと思うんです。ジャングルがドラムンベースになって、そこからドリルンベースへと発展して......。で、しばらくしてDMXクルーみたいなエレクトロも出てきて、それはそれで面白いなと思ってたんですけど、正直、それ以外のところではそんな刺激がなくて。ボーズ・オブ・カナダみたいなのも好きでしたけど、あれがエレクトロニカって呼ばれるのが僕にはわからなくて。アブストラクトの流れなんじゃないかなと思っていた。
あるいはサイケデリック・ロックの流れというか。
デデ:そうそう。で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしながらおしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。もっとフィジカルなものだったと思うし。あと......〈リフレックス〉の悪意を変な風に解釈する日本のエイフェックス・ツイン・フォロワーみたいな人たちがいて。敢えて名前を挙げると〈19頭身〉とか。
いや~、知らない。
デデ:2000年ぐらいにあったんですよ、そういうのが。〈ロムズ〉のコーマとかも初期は関係してましたよ。僕も関わっていたし。なんていうか、相手に対してただ攻撃的になればいいみたいな。「それは違うだろう」っていうのが僕にはあって。
野田 努(2010年3月24日)