「Dom」と一致するもの

Lightning Bolt - ele-king

 2009年11月15日、DMBQの演奏が終わった〈新代田フィーヴァー〉のフロアから数十人の客が押しだされるようにエントランスにあふれ、場内の熱気がここまでたちこめた。DMBQのステージを饒舌に語り、その前に演奏したインキャパシタンツとサーファーズ・オブ・ロマンチカに言及したかとおもえば、久しぶりに会った友人と肩を叩きあい近況を語りあう彼らの上気した顔はフットサルを一試合終えたかのように上気していて、汗の匂いの混ざった人いきれはライヴハウスよりもスポーツ会場のそれにちかいと思ったのは、私がビザの問題で中止になった3年前の来日公演の2年前に渋谷の〈O-NEST〉で見たライトニング・ボルトのライヴの印象をそこに重ねていたせいだろう。

 00年代のオルタナティヴ・シーンはその前半は90年代の圏域にあって、テクノからエレクトロニカへの生成変化をダンス・ミュージック・シーンのトピックだとすると、誰もが当時はサブジャンルの増殖が音楽史の要請というかリニアな歴史の必然(?)だと思っていたが、小泉政権下の平板化した価値観と対立したサブカルチャーに、どこかゆっくりと停滞していく感を抱いていていなくはなかったか? オルタナティヴ・ミュージックも例外ではなく、ライトニング・ボルトは94年に結成した私と同世代のバンドだから、97年のファースト『Lightning Bolt』のサイケデリックなトリップ・ミュージックには90年代のジャンクやノイズの残像がつきまとっていたし、ドラムとベースのアクロバチックな対比をコンポーズしたセカンド『Ride The Skies』(00年)からもメルト・バナナやルインズと似たコンビネーションが透けて見えて、スリリングだが完全に新しいとは思えなかった。私は当時の彼らの音楽はテンション――緊張感という意味とともに楽音と雑音のボーダーを志向するテンション・ノートの含意もある――があふれていて、彼らは即興演奏と同じスタンスで演奏に向きあっていたのではないかと思う。フリー・ジャズかフリー・インプロヴィゼーションかという問いの繰り返しになる気がするが、丁々発止の演奏の弁証法は意外にクセモノで、最後にはカタルシスに昇華する演奏は類型化しがちだったりする。それを回避するためにデレク・ベイリーはノン・イディオマチックなフレーズをノン・エフェクトで演奏する方法を選んだわけだし、ノイズ・ミュージックは五線譜をトーンクラスターで塗りつぶすことであらがった。ライトニング・ボルトはファースト以降、「即興的」なメソッドから切りかわった印象をもたせながら、ブライアン・チッペンデイルとブライアン・ギブソンには00年代にはいってしばらくはまだ引き出しがあったはずだ。それはなにを指すかといえば、プレイヤーに染みついた手クセ......といって悪ければフレーズやリズムのストックみたいなもので、互いに手札を切り合うふたりの関係がライトニング・ボルトのテンションに担保していたのではないかと彼らのキャリアを振り返ると思える。批判でなくそれはアートスクールの学生バンドだった彼らがどうやってライヴにインパクトをもたせるか直感的に導き出した道だったはずで、四の五のいわず彼らのライヴに足を運んだ誰もが体感することだと、二度目の来日公演(04年)でできたモッシュ・ピットのなかにいた私は思う。そのときもフロアでうねる人の波の中央でライトニング・ボルトは汗を飛び散らせて演奏していた。彼らの様子をこの目におさめるにはモッシュのうねりに踏みこまなければならない。そこにはダンス・ミュージックとハードコアの邂逅が起こったこの国の00年代DIYカルチャーへの米国からのアンサーの趣さえあった。

 数年前のライヴは90年代から00年代へのシフトを印象づけた――彼らは結成当初からずっとそんな感じだから自覚なんてないだろう――けど、一方で反論の余地のない圧倒的な肉体性はそこに注視するあまり音楽性の移り変わりに向ける目を曇らせた。私は『Earthly Delights』のライナーで「高いピッチにチューニングしたドラムスと、トリッキーなベースによるリフでストップ&ゴーをくりかえす構築方法に作品ごとの異同はない」と書いた。私は今回のライヴでそれを追認するだろうと高を括っていた節がなくもなかった。エントランスからライヴ・スペースに戻るとフロアにしつらえられたドラム・セットのまわりには人垣ができていた。人垣はすでに前のめりだった。私は今回は後方に構えていた。演奏がはじまると、客同士は肩をぶつけあいモッシュがはじまった。彼らの姿はここから見えない。私はしずかに演奏に聴き入っていたが、そのうち身体を揺する衝動に勝ってドラムスとベースの最小単位のユニットが繰り出す音の重なりに耳を奪われた、むかし(?)のいい方でいうとロックされたっていうの? 平面だと思っていた絵が立体にみえたというか、演奏の奥行きは肉体性の発露と拮抗したインナーなトリップ感をもっていた。前方の人壁を眺めていた私の視界の右から左へ塩田正幸が担ぎ上げられ横切っていった。私は終盤にむかう演奏を聴きながら、彼らはライヴ・バンド然としたパフォーマンスの土台にある音楽性を進化させ、リフ(レイン)の組み合わせで構築した楽曲に演奏の成熟度が垂直のレイヤー構造とも和声的な厚みを加えてきて、4作目の『Hyper Magic Mountain』(05年)で音が変わったと思ったのは音質がよくなったせいだけでなく、両ブライアンの音楽に向かうスタンスが変わったせいじゃないかと自問しはじめた。そこにはスポーティなまでのテクニックのせめぎあいから音楽の有機的な結びつきへのたしかな「異同」があり、『Hyper~』を経て、『Earthly Delights』で彼らはオルタナティヴ・ミュージックの90Sから00Sへの微細だがしかし見過ごせない変化を推し進めてきた。

Matias Aguayo - ele-king

 ミニマルの将来だって? 知ったこっちゃないわよ。昨年のシングル「ミニマル」(DJコーツェによるリミックスを含む)によってヒットを飛ばしたチリ人で、かつてクローザー・ミュージックのひとりとして活動しながら、初期〈コンパクト〉の名声にも一役買っていたマティアス・アグアーヨは、しかしミニマルが同じところをぐるぐる回っている事態を許さない。2005年の『Are You Really Lost』以来のセカンド・アルバムとなる本作は、おおよそスペイン語の声だけで作られたミニマルである。15歳の石野卓球も同じことをしていた。高校1年生の彼は、自分の声をボスのギター用のコンパクト・サンプラーに取り込んでループさせ、その上にシンセをかぶせながらデペッシュ・モードの"ニュー・ライフ"をカヴァーしていた。あの時代とは、機材も状況もぜんぜん違う。で、可笑しいのが、アグアーヨがこのアルバムで展開している"実験"は、どうにもテクノ・ポップめいていることなのだ。声のサンプルを楽器代わりに使うという発想が、まあ、80年代的ではある。

 シングル・カットされている"Rollerskate"は良くできたポップ・ミニマルで、男の低い声と女の声が絶妙に交わっているトラックにディスコ・ソングが乗っかる。〈コンパクト〉らしい無邪気な音楽だ。"Ritmo Tres"は『ピッチフォーク』によれば「トーキング・ヘッズ・オン・E」だそうで、まあ、「ミニマル」もそうだったが、たしかにそのアフロビートはテクノ・サウンドのなかで咀嚼され、ユーフォリックに変換されている。僕はこの人のフェイクなエキゾティズムが気に入っていて、だから僕に言わせれば「マーティン・デニー・オン・E」となる。アルバム最後の曲"Juanita"は、ケルンのクラブとポリネシアの海岸を繋いでいるようだ。一瞬、何か騙されたような気持ちになるかもしれないが、しばらくすれば心地よくなる。ユーフォリックに変換されているから。"Koro Koro"も好きな曲のひとつ。これはまるで......リオの海岸でクラフトワークがサンバを演奏しているようだ。

 だいたいiTUNESでこのアルバムを取り込むと、ジャンルは"Easy Listening"となる。まあ、たしかにそうかもな~。

intervew with 2562 - ele-king

正直言うけど、ミニマル・テクノにはいっさい肩入れしたことはないんだ。それよりも僕はソウルフルなデトロイト、あるいは生でディープなハウスを好む。

 去る11月17日、代田橋の〈FEVER〉に七尾旅人のライヴを聴きに行ったとき、偶然にも中原昌也と会って、その雑談の途中、なぜか話が2562のセカンド・アルバムに......。そうです、いまではすっかりオランダのダブステッパーとして認知されてしまったデイヴ・ハイスマンスによるダブステップ・プロジェクト、2562のセカンド・アルバム『アンバランス(Unbalance)』が本当に面白い。

 1年前の、2562名義によるファースト・アルバム『エイリエル(Aerial)』は、欧米でも日本でも「ダブステップとミニマル・テクノとの出会い」と評価されたものだけど、どうやらこのオランダ人はそれが気にくわなかったらしい。以下、簡単ではあるけれど、来日前に彼にメール・インタヴューを試みて、いろいろわかった。あー、そうか、それで今回の新作『アンバランス』は、解釈の仕方によっては、音に酔うことを拒んでいるようにさえ聴こえるのだ。

 それはファーストとは全然違うし、同じオランダ人で、同じようにハウス/テクノからの影響をダブステップに混ぜるマーティンの、今年出たファースト・アルバムとも全然違う。マーティンの耳障りの良いダブステップ・ハウスと比較して、2562のほうはまさにバランスを失っているようだ。が、それは際どいところでデトロイティシュなファンクとして成立している。ダンス・ミュージックとして踊れるけれど、関節を逆に曲げてしまいそうである。

 とにかく、シングルとして先行リリースされた「Love In Outer Space」が象徴している。人はこのトラックを聴いて、まさかこれがダブステップだとは思わないだろう。強いてジャンル分けするなら、テクノが妥当だ。僕ならモデル500あたりのエレクトロの近くに並べる。とはいえ、それでもこのグルーヴ――ややつんのめるような、もたついたビート感覚は確実にダブステップ以降のものではある。そしてそれはクラウトロックのように真っ直ぐ進んでいく感覚ではなく、やたら曲がりくねったりしうながら進んでいるのか戻っているのかよくわからない感覚......、関節を逆に曲げて踊ってしまいそうな......。
 手短に言えばエレクトロ・スペース・ファンク、ただしものすごくユニークなそれ......である。

こんにちわ、このメール取材を受け入れてくれたありがとう。最近はDJで忙しい?

秋はホントに忙しかったよ。数週間前にオーストラリア・ツアーから戻ってきたばかりなんだ。その前は、イギリスでもずいぶんとプレイしたな。こんど日本でやるギグが今年最後になる予定だ(注:取材は来日前にしている)。12月は家でリラックスしながら、新しい作品を作りたいと思っている。

僕は一度だけデンハーグに行ったことがあるよ。クリーンな町だったという印象を持っているんだけど。

ホント? きっと天気が良かったんだね(注:実際に良かった)。僕はあの町が好きだけど、同時に、ちょっと退屈で灰色な感じにも思うんだ。でもそれが良いことでもある。あまり面白味のない町だから、自分のことに集中できるんだよ。

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そもそもあなたはどうやって音楽のシーンに入ったの?

基本的に、ダンス・ミュージックが好きなんだ。ひとつの種類の音楽だけを聴いてきたわけじゃないけどね、ダンス・ミュージックは10代の頃からずっと好きだった。90年代初頭にハウスにハマって......だけどプロダクションを覚えたのはずいぶん遅くて、わずか6年前さ。僕は心底音楽を作りたいって思っている、それも以前にはないような新しいものをね。で、ダブステップにもその過程で出会ったんだよ。とても興味を抱いた、2005年ぐらいだったかな、シーンのなかに多くの実験が繰り広げられていたんだ。でもね、ハウスとテクノがいまでも僕のホームだ、自分ではそう思っている。

何歳ですか?

30歳。

2562って名義は......?

ハーグで昔住んでいた僕のエリアコード。もう引っ越してしまったけど、その家の部屋でずいぶんと音楽を作った。アルバム(Unbalance)に収録した"Narita(成田)"がその家で仕上げた最後のトラックだったな。1年前に日本に来たときに作りはじめた曲なんだよ。

A Made Up Sound名義とDogdaze名義について教えて。

A Made Up Soundは僕のなかでもっとも長いプロジェクト。僕にとってまさにハウスやテクノといったエレクトロニック・オリエンティッドな音楽をやるときの名義だ。2562はベース・ミュージック。このふたつの名義の作品はたまに近づくことがある、だけど僕のなかでは明白に分けて考えている。Dogdaze名義はサンプル主体のプロジェクトだったけど、もうこの名前は使わない。2562の新しいアルバムのなかでその名残りが聴けるよ。

ブリストルの〈テクトニック〉からリリースすることになった経緯を教えてください。

〈テクトニック〉が、僕が最初に2562の音源を送ったレーベルなんだ。何故かと言えば、僕は彼らの音が大好きだから。ここ2年、2562は〈テクトニック〉から出している。レーベルをやってるピンチも最高のヤツだし、他のレーベルを探すなんて考えられないね。

2562が出てきたときダブステップとミニマル・テクノの混合だってみんな評価したよね、そのあたりのバックグラウンドについて話してください。

正直に言うけど、ミニマル・テクノにはいっさい肩入れしたことはないんだ。それよりも僕はソウルフルなデトロイト、あるいは生でディープなハウスを好む。90年代半ば以降はドラムンベースやブロークンビーツも好きだった。〈メタルヘッズ〉や〈リーンフォースド〉......というかそのシーンのすべてが。

あなたのシングル「Love In Outer Space」がホントに好きでね、この音楽からはデトロイティッシュなフィーリングを感じましたよ。モデル500、UR、カール・クレイグ......。

それは、ありがとう。実際のところ、このトラックは2年前にエレクトロ/テクノのトラックとして作りはじめたんだよ。しばらく放っておいて、こないだの夏に完成させた。デトロイト・テクノは大好きだ。90年代、僕はまだ若過ぎて、それをリアルタイムで聴いていなかった。だから、追体験したんだよ。デトロイトはテクノのルーツだ。だから、テクノに影響される――それはデトロイトに影響されるってことを意味するんじゃないのかな。

セカンド・アルバム『Unbalance』のコンセプトについて訊きたいんだけど。

アルバムは『Aerial』が出る前から作りはじめている。あのアルバムが出たとき、実はまったく嬉しくなくて、もうとにかく新しいことをやりたかっただけなんだよ。正直言って、作りはじめたときはコンセプトはなかった。わかっていたことと言えば、自分が何か違うことをやりたがっていたこと。そのひとつの例が、昔自分がやっていたサンプル主体の音作りだったりするんだ。

タイトルを『Unbalance』としたのは?

最初にそのタイトルの曲ができたんだ。アルバムの多くのトラックは僕に落ち着きのなさを与え、その言葉がアルバムのタイトルにするに相応しいと思った。自分の音楽について心理学的な説明をするのは好きじゃないけど、たとえばの話をしよう。ある日突然自分の作品が世間から注目されて、毎週末ギグ(DJ)のために飛行機に乗るような生活になってしまう。それはその人の人生にものすごいインパクを与えてしまうものなんだよ......。

マーティン(Martyn)は古い友だち?

彼の音楽は大好きだよ。

ふたりとも似ていると思うんだけど。つまり、ハウス/テクノからの影響をダブステップに混ぜているという点が。

知り合ったのはこの2年。音楽を通じて知り合ったんだよ。彼の音楽は本当によく聴いている。人が僕たちふたりを比べたがるのはわかるよ。同じオランダ人だし、同じようにハウスとテクノが好きだし、似ていると感じるのはわかるんだけど、僕自身はまったく別物だと思っているんだ。だいたい彼のほうが僕なんかよりもメロディアスだし、キャッチーなフックがあるでしょ。ハハハハ。

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あなたの音楽でもっとも大切なものは?

作った音楽による。クラブ・トラックならグルーヴとエナジーをもっとも大切にする。アルバムにおいては物語性を重視するよ。音楽が語り出して、聴き手を最後まで惹きつけていく、それが僕の目指すところだ。おそらく緊張感はそのために必要なんだ。ただし、リスナーに感情を押しつけるようなことはしたくない。むしろ自由に解釈できる余白を残しておきたい。

おそらく人は、いまでもダブステップを内向的でダークな音楽だと思っています。しかし、現実的にはダブステップは加速的に多様化しています。ダブステップの将来に関するあなたの意見を聞かせてください。

僕は最近は、ダブステップに関してはそれほど注意を払っていないんだ。だから将来については何とも言えないな。ただ、最近はとても多くの興味深いベース・ミュージックが出ているように思う。それらはどんなカテゴリーにも当てはまらない類のものだ。それは実に健康的なことだよ。そしてそこには多くの実験が繰り広げられている。本当に早く、再び、ことが動いているんだ。

 2562のセカンド・アルバム『アンバランス』を聴いていると、いちど売れてしまったことでなおさら彼のなかの欲望が増幅したことを感じる。今年彼がA Made Up Sound名義で出したシングルも良さそうなんだよな~。本当は、僕はシングル「Love In Outer Space」のB面が好きなのだ。アルバム未収録のその曲"Third Wave"は、はっきり言ってデトロイト・テクノそのもの、実に格好良く決まっている。

Jimi Tenor & Tony Allen - ele-king

 トニー・アレンに関しては2006年にロンドンの〈Honest Jon〉が出した『Lagos No Shaking』が素晴らしかったが、昨年の『Lagos Shake: A Tony Allen Chop Up』も面白かった。話題となった"Ole"のモーリッツ・フォン・オズワルドによるリミックスや"Fuji Ouija"のディプロによるリミックスをはじめ、マーク・エルネストゥスやカール・クレイグならまだしも、なんとリオデジャネイロのバンド、ボンジ・デ・ホレのリミックスまで聴けるし、アレンと最近のクラブ・カルチャーとの親密さがよく表れていた。もっともアレンを再評価しているのはクラブ界隈だけではない。アフロビートの父は、この10年かなりの売れっ子で、デイモン・アルバーンからシャルロット・ゲンズブール、エールからジェイヴィス・コッカー、あるいはポール・サイモンまでとその交友関係は異様に幅広い。10年前くらいだろう、僕はこの偉大なドラマーのライヴを、フランスとベルギーの国境沿いで開かれた、リッチー・ホウティンやカール・クレイグなんかが出演するようなフェスティヴァルで観ている。

 何故この10年、アフロビートは求められたのだろうか。フェラ・クティが1997年に他界したことで今年69歳になるドラマーは再評価されたのだろうか。はっきりわからないけれど、結論を言えば、ヨルバ族のリズムとアート・ブレイキーとの結合によって生まれたアレンのビートは、ダンスの時代においてもっとも偉大なドラミングとなった。しかも......、ここ数年アレンを引っ張り回した連中の顔を見ればわかるが、揃いも揃ってインテリはアフロで踊ったというわけである。たしかにアルバーンのように政治的にも、われわれはアフリカを注視すべきなのだろうが......。

 ワールド系やブラック・ミュージックを得意とする〈K7!〉傘下のサブレーベル〈ストラト〉の"Inspiration Information"シリーズの第4弾は、アレンとフィンランドのアーティスト、ジミ・テナーとのコラボレーションになった。ちなみにこのシリーズは昨年、デトロイトのアンプ・フィロラーとスライ&ロビーとのコラボレーション作を出しているが、はっきり言ってパッとしない内容だった。買って損した気分なって、中古屋に売った。そういう苦い経験から、今年の春に出たエチオピアのドラマー、ムラトゥ・アスタトゥケとザ・ヘリオセントリックスとの同シリーズは見送ったし(評判は良いですけど)、今回もまた疑りながらこのアルバムも聴かなければならなかった。ジミ・テナーというのも微妙だったりする。この男は、ハウス、エレクトロ・ポップ、フリー・ジャズ、いろんなことに手を染めすぎている。......が、世界でもっとも偉大なるドラマーがその窮地を救ってくれた。
 70年代から80年代にかけて、アレンの創出したリズムを史家たちは「アフロファンク」と呼ぶが、本作はまさしくアフロファンクの作品だ。ジミ・テナーとテナーが関わっているベルリン在住のバンド、カブ・カブのメンバーたちがこの巨匠を迎えての録音で、アレンのパワーと共振しながら迫力ある演奏を展開する。驚いたのは、ジミ・テナーがベースを演奏してアレンとともにアフロファンクの一部となっていることだ。それは確実にこのダンス・ミュージックのグルーヴを強調している。が、それはお決まりの"アフロ"ではない。サン・ラーめいたオーケストレーションもあれば、ラロ・シフリンかと思わせる洒落た展開、あるいはジャジーでドリーミーなノスタルジア......かと思えばギル・スコット・ヘロンのようなMCも登場する。テナーは歌い、ほとんどのメロディー楽器(フルート、テナー・サックス、キーボード、カリンバ、、マリンバ等々)を操り、この出会いに色気を与えている。
 アレンとテナー、この意外な出会いによって、そして目もくらむような音楽が生まれたというわけだ。

Hudson Mohawke - ele-king

 春先の6曲入り「ポリフォーク・ダンス」に続くエレクトロニック・アブストラク・ヒップホップのファースト・フル・アルバム。これまでにリリースしてきたヘラルズ・オブ・チェインジ名義のEP群やルーキッドなどに提供したリミックス・ワークなどをまとめて使いまわしたような仕上がりで、いささか新鮮味には欠けてしまったものの、「プリンス+エイフェックス・ツイン」ともいえる音楽性は方向性も定められて、ひとつの終わりとして聴くには充分ではないかと(プリンスに寄ったプロジェクトとしてはオリヴィエ・デイ・ソウル『キロワット』、エイフェックス・ツインに寄ったものとしてはヘラルズ・オブ・チェインジ「シークリッツEP」がグー)。そういう意味ではフライング・ロータスをスラップスティックに解釈し直したクップ・ケイヴ『ガーベイジ・ペイル・ビーツ』(08)と共有しているものは多く、ブラック・ミュージックとヨーロッパ的なディスロケイション趣味が結びつこうとする衝動には一種の高まりが感じられる(シングル単位でいうとドリアン・コンセプトは控えめな方で、ショートスタッフやスターティング・ティースはあっという間にクルクルパー。ジェイミー・ヴェクスドによるスターキーのリミックスもいい線行ってます)。

 グラスゴーという土地柄とはどうも結びつかないので、グローバルな気運を体現してると考える方がよさそうだし、昨年、実際に粉川哲夫氏がグラスゴーに行くというので彼のライヴがあったら観て下さいとサジェスチョンしたところ、土地の人でモーホークの名前を知っていた人はひとりもいなかったそうだ(氏は同地で行われた音楽イヴェントのために渡英している)。つまり、どこからどこへ向かう音楽なのか全体的にはまだ把握しきれていないということですね。必要なのはリアクションという時期だということでしょう。前述「ポリフォーク・ダンス」とのダブりはなし。オール・シティからリリースされて、すぐに売り切れたハドスン・モー名義の7インチ・シングル「スター・クラックアウト」は再録(これはドローンとはいわないけれど、プリンスともエイフェックス・ツインとも違う賛美歌風チル・アウト)。オリヴィエ・デイ・ソウルも2曲でヴォーカル参加。

 仕事の場面で誰かを誰かに紹介することは多い。このところ、そのような場面でいきなり自分のことを克明に「説明」する人が増え、いささか面食らっている。え、なんで、それ、いま、必要? ......と思った時にはもう遅い。それは売込みとも違うし、本人に自覚があるのかすら怪しい。とにかく僕からしてみれば突拍子もなく、リアクションがまったく思いつかない。困ったとしかいいようがない。

 菊地成孔がフロイトを持ち出した辺りからそれははじまっていたのかもしれない。僕の記憶ではECDがまずはそれを新たなステージに上げ、海猫沢めろんや香山リカがその後に続き、『モーニング・ツー』ではじまった新連載を読むと、西島大介も同じことをはじめようとしているように見える(雨宮処凛や吉田アミもそうなのかな?)。そう、00年代に人気が出た人たちは、なぜかこぞって「自分語り」に手を染めている。西島の連載を指して僕がそういうと、NUの戸塚くんは「そういえば佐々木敦の新書も自伝に読めなくもない」といい、それを聞いていたタキシムが「実際に、次は自伝を書いているようですよ」と会話に割り込んできた。本当かどうかは知らない。すでに自伝として読めなくもない本が書かれているというのだから、それで充分だろう。僕たちはその時、クアトロにいた。31年ぶりに聴いたフューの演奏が終わり、初めて聴く前野健太のステージがはじまる直前ではなかったかと思う。自分探しの90年代から自分語りの00年代へ。『SPA!』の中吊り広告じゃないんだから。

「自分はない」というのが80年代の流行りだった。蓮見重彦の文章からは主体を指し示す指示代名詞が消えてなくなり、思想界というところでは「私は」とか「僕は」と書く人は跡形もいなくなった。例外は粉川哲夫と栗本慎一郎だけで、僕はこの2人にフィリップ・K・ディックについて書いてもらうことにした(『あぶくの城』)。フィリップ・K・ディックの小説もまた主体がはっきりしていないものが多い。『ヴァリス』が4重人格の話ではないかと思うようになったのは、だいぶ後のことだった。

 自分について語る人は、だから、あまりいなくなってしまった。それまでは全共闘の昔話が主流だった。その代わりにモノについて語る人が増え、10年も経たないうちに「おたく」というタームが広まった。それもまた異常なことだと認識されることになっても、自分の話をする人が戻ってきたわけではない。合コンで自分のことばかり話す人が嫌われるのと同じようなものだろう。ジャック・ラカンやマリリン・モンローの「自分語り」なら聞きたかった人たちもそれなりにいただろうけれど、どう考えても一般にその流れが戻ってくるとは思えない。自分の話をひとつの例として、ある種の普遍性に還元するんだという意気込みがある場合もあるだろう。マイケル・ジャクスンや『ベンジャミン・バトン』のようにあまりにも特殊な話なので、単なる自分語りとは違うんだと主張する向きもあるだろう。それぞれの動機というものはわからないし、そこまで踏み込む気はない。しかし、それは同時多発的に増え、いまや、僕の会議の席にも押し寄せてきている。少しばかり辟易とさせてもらうことは許してもらえるだろうか。

 ECDも海猫沢めろんも香山リカも西島大介も佐々木敦もすべてに目を通して共通していえることがあれば、この文章も締まったものになるはずだったけれど、しまった......どれも読んでいなかった。とくに友だちのことはあまり詳しく知りたくないということもある。クラブで知り合った人たちとは、いつも、そのように付き合ってきたし、その方がいざとなったら助け合うことは容易だから(ほかではどうなのか知らないけど、クラブで知り合った友人たちはよくわかっていないからむしろ助け合っているとしか思えないことが多い。よく知っていたらとても助ける気にはならないとでもいうように)。そういえば、クアトロのライヴで前野健太がMCで話していた『ライヴ・テープ』を観て、彼が吉祥寺の街を歌いながら歩き続けるシーンはとてもよかったのに(それだけの映画なんだけど)、エンディング近くになって監督が前野健太に歌をはじめた動機を尋ねることですべてが台無しになってしまったような気がした。

彼が歌いながら歩いているシーンはさながら「ひとりサウンドデモ」で、誰ひとり彼のことを振り返らないことや、誰も彼の歌を聴こうとしないために、外に出て大声で歌っているのに引きこもりのように見えてしまうということが世の中との距離感をはっきりと印象付け、それこそテロリストにさえ見えかねなかったのに、彼の個人史がそこで顕わにされることで、その辺にいた人たちとあまり変わらないものに思えてきたのだ。街のなかにあって宙に浮いていた彼の歌を世の中に接着させるもの。それが彼の(強制された)「自分語り」だとしたら、いま、自ら進んで自分語りを行うということは、この世界で無条件に浮いていることに辛さを覚えるようになった人気者たちがどこかに接着されたくて......ま、やめときましょう。どれも読んでもいないし、多分、間違っているし。

RUMI - ele-king

 『Hell Me Tight』『Hell Me Why?』に続く、Hell Me三部作の最終章だという。ポップになった前作は踏襲され、詩の内容は、周囲から社会全体への批評性に富んだ前作をさらに深化させている。テーマはそうした批評性に加え、表題のNATONを冠した「RUMINATION」というタイトルがほのめかすとおり、MC、RUMIのアイデンティティ宣言が印象深い。
 はじめに急いで言っておきたいのだけれど、"RUM"Iだのヒップホップというカテゴリーやイメージを越えるようなものすごい名曲も複数含まれている!(詳しくはまたあとで)

 トラックはKaoru Miura、YOUICHI、DJ MARTIN、SKYFISHらが作り、SHINGO☆西成、MACDDY、漢をフィーチャーしたものもあり、スタンダードなヒップホップが中心だがバラエティに富んでいる。が、どの曲も、とくに歌詞がすばらしい。高校時代に音楽キャリアをスタートさせ、"OL生活"をしながら音楽活動をしてきたRUMIも三十路を越え(というフレーズもちゃんと出てくる)た。というわけでいま一度、音楽で生きて行くことを選びなおし、そういう自分はどんな人間であるのかを、シリアスさと茶目っ気の絶妙なバランスで告白している。

 前作がリリースされた04年というのは、終わったといわれた戦争が泥沼への一歩を踏み出し、国内では集団ヒステリーのような小泉フィーヴァー収まりやまず、戦場で誘拐された若者たちの"非国民ぶり"を政府もマスコミもあげて攻撃していたころだ。合言葉は「空気を呼んで勝ち馬に乗ろうぜ!」で、それが「熱意と能力」の必須条件だった。しかし時は過ぎ。
 当時のすべてが否定的評価を受けていよいよ政権交代が起きた"チェンジの秋"に新作をリリースする(制作はそれ以前である)ということはある種のリスクが伴うかもしれない。この数年、30代を中心に批判してきた日本社会のある面と、40代後半以降の逃げ切り世代が懐古し始めた社会像とのギャップが切なくも微妙な瞬間的共闘を結んだ結果にも見えるこの政権交代は、中期的にはともかく短期的には、昨年までの常套的な批判的言説を陳腐に感じさせるだろうから。
 けれども、RUMIの社会批評はその陳腐化をまったく免れた。
 「成果には報酬を」を一つ覚えにした小泉政権が確信犯的に推進した政策に疲弊した社会では、「真面目に働く人に人間らしい生活を!」という"要求"が最大の項目に成り果てている。ずいぶん謙虚な願いだ。「真面目に働かない人間にも人間らしい生活を! 真面目に働いたらそれ以上を!」と、それが20世紀の"先進国"がようやく到達したシュプレヒコールだったというのに。
 RUMIの宣言は、ある意味で00年代の"要求"を超えている。ハローワークの窓口で啖呵切ってるような「公共職業安定所」という曲では、「年齢制限越えてるけど心は19」だのと求人条件不適合の自分を売り込みながら、「ツアーに出るから長期休暇が必要」などとこっちから条件を突きつけはじめ、ついには「職安にないわ、私の職業」という結論にたどり着く。安定も儲けもない、未来なんて何も見えないけど、「限りない自由」だけを求めて、あたしはマイクを選ぶんだと宣言する。
 自己責任? そうじゃない。RUMIは社会にたくさんのことを要求する。社会が、自分のやり方、生き方で生き易いところになるようにたくさんのことを提案して、社会(の人たち)に変われば?、とアジってる。自由と引き換えに不安は引き受けるけど、それ以上のこと――たとえば空気を読んではみ出さないようにすることや他人の価値観を素直に受け入れることなんか――を強要されるのははっきりと拒絶する。それどころか、そんな生き方つまんないよと、「生きづらい」と縮こまる人たちを鼓舞して、巻き込んでいく。
 けれども彼女の煽りが素朴な「励ましソング」にはならないのは、彼女の自意識のクールさゆえだろう。「RUMINATION」というアルバム・テーマでもある自己認識、自意識への距離感がとても成熟している。

 子どもは生まれる場所、生きる場所を選ぶことは出来ない。どんな子どもも与えられた場所から生来的に生まれる苦痛を訴える。おとなになるということは、自分の立ち位置を自分で選びなおすことができるようになるということだ。経済的階層のことではなく、価値観というものを自分の意思で選んだという意識が人を大人にしていくのだと思う。自意識との対峙はその過程で試行錯誤され、自分にとっても周囲にとっても適正な距離感をとることができていくのではないか。その意味でRUMIの成熟はその可愛らしさにもかかわらず大人びている。分別ぶったり正論に屈したりするわけではなく、ポップと茶目っ気と他者への思いやりあるまなざしを発揮することで、結果的に自身を最大限に主張するといった巧妙さといえばいいのか。
 どの曲も捨てがたくリピートしたいが、「傑作!」と唸らされたのは"ゆけむり風呂ダクション"。妙齢の女が、妙齢ならではの疲れを癒しに行った風呂屋の大きな鏡の前でお腹をへこませたり、体重計に乗ったり、癒されたり文句言ったりしているんだが、スチャダラパーもかくやの多層なイマジネーションを喚起させる。
 もう字数制限を越えてるぞ、もう一つだけ、といわれたら"迷子"を挙げようと思う。自分で選んだ道でだって人は迷子になることがある。むしろ自分で選んだ道だからこそ迷うんだ。弱気にもなるし、引き受けたはずの不安や孤独だって放り出したくなることもある。そんな覚えのある女の子なら泣いちゃうよね。

鎮座DOPENESS - ele-king

 2009年の日本のヒップホップの重要作を挙げろと言われれば、僕は迷うことなく鎮座ドープネスのファースト・アルバム『100%RAP』を挙げる。なぜか? そんなことを考えながら、MSNニュースを何気なく眺めていると、興味深い記事を見つけた。鳩山首相がシンガポールの新聞社のインタヴューに、「(日本が)中国に経済力で抜かれることは人口のサイズから言っても当然だ。体のサイズに合った形の経済の展開をすればいい」と応じたという。中国との比較云々よりも、日本がすでに飛躍的な経済成長の夢を抱けるような国ではないという事実を首相が認めたことのほうが重要だろう。だから、経済の"成長"ではなく、"展開"と表現した点は実に正しいと思う。庶民は誰も飛躍的な経済成長なんてもはや期待していないのだから。そんなことは随分前から町では常識だ。我々は金がなくても少々度が過ぎるほど陽気に、ダラダラと勝手にやるしかないのだ。そのほうがいまを生きるためにずっと切実なテーマなのだよ。だから、僕は鎮座ドープネスを聴いて怠け心を飼い育てている。

 少々逸れたが、僕はここで政治や経済の話ではなく、音楽の話をしようとしている。鎮座ドープネスというアーティストの話を。

 1981年東京都調布市生まれの鎮座ドープネスは、スチャダラパーやノートリアスB.I.Gをきっかけに高校から本格的にラップをはじめている。2003年、2DJ5MCのカップス・オブ・チャイというグループで『Seven Cups Of Chai EP』を発表、解散後、残ったメンバーとコチトラ・ハグレティック・エィムシーズを2004年に結成する。コチトラは現在、鎮座ドープネス、サボ、カトマイラの3MCに落ち着き、昨年リリースしたデビュー・アルバム『HAGU LIFE』は、日本語ラップ・シーンで反響を呼んでいる。鎮座ドープネスはそして、今年9月、満を持して〈EMI MUSIC JAPAN〉から『100%RAP』をリリースしている。

 アルバム・タイトルは、ヒップ・ハウス、R&Bからユーロ・ビートまでをラップ物としてパッケージしたUSのコンピ・シリーズが元ネタで、鎮座ドープネスは、ラップが本来持つそんな自由を、ハイファナ、DJヤス、エビスビーツ、スカイフィッシュといった一癖も二癖もあるプロデューサーが制作した多彩なトラック(エレクトロ、Gファンク、ダンスホール、メロウ・ソウル)に乗って謳歌している。その並外れた身体能力を武器にした変幻自在なラップの巧さは、現在の日本のラッパーのなかで間違いなく上位5位に食い込むはずだ。
 アルバムはいまは亡き流浪のフォーク・シンガー、高田渡が1971年に発表した"ごあいさつ"のカヴァーからはじまる。慌しい時代の流れをやり過ごすように、のらりくらりと......。「どうもどうもいゃーどうも/何時ぞや色々この度はまた/まあまあひとつまーひとつ/そんな訳でなにぶんよろしく/ナニの方はいずれナニして/そのせつはゆっくりいゃどうも」"ごあいさつ"
 白いタキシードや腹巻き姿ではしゃぎまくる、バウンシーな酒飲みチューン"乾杯"のヴィデオ・クリップは植木等へのオマージュだ。植木等が在籍したクレイジーキャッツによる1961年の"スーダラ節"――高度経済成長真っ只中におけるサラリーマンの能天気な様子をコミカルに描いたその歌詞とスウィンギーなリズムに特徴を持つそのヒット曲がサンプリングされている。「嬉し恥かし/野放し飲んべ~/道端寝そべる/分かっちゃいるけど!」と、こんな感じ。そういえば、『ブラック・ノイズ』の著者、トリシア・ローズはサンプリングを"音楽的タイムマシン"と巧く言ったものだけど、鎮座ドープネスは埃を被った高度経済成長期の日本の大衆音楽に新しい息吹を吹き込んで、底がすっぽりと抜けてしまった時代の酔狂なサウンドトラックとして再生させているようだ。そして、"ドンスタ"では、跳ね上がるファンキーなビートの上で「現代社会頑張りすぎ~/生産工場止まらない~」と、窮屈な日本社会を揶揄する。ちなみに、忌野清志郎が彼に大きなインスピレーションを与えていることも付け加えておこう。

 ニヒリズムを出発点としたハードコア・ラップ(あるいはギャングスタ・ラップ)のストリート・リアリズムもそうだが、あまりに中身のないポップ・チャート・ラップとも異なるリアリティが日本のヒップホップに息づいていることは喜ばしいことであり、貴重でもある。このテーマについて詳しくは今後の原稿に譲るが、何はともあれ、鎮座ドープネスのあっけらかんとした陽気さや怠惰を抱擁する余裕を僕らはいま必要としている。まあ、大変だけど肩の力を抜いてやろうやと。ということで、『100%RAP』は2009年、ベストの1枚である。
Everything's Gonna Be All Right.

Lorent Dent - ele-king

アンビエント・ミュージック 1969-2009』(INFAS)が校了した後で、コップを使ったザッハ・ヴァラス『グラス・アルモニカ』やビリー・ゴンバーグ『コム』など悪くないアンビエント・アルバムのリリースは続いていたが、前者は同書で00年代屈指のアンビエント・レーベルとして紹介したつもりの〈インフラクション〉から90年代に揺り戻すかのようなバリアリック系へのヴェクトルを持ったセカンド・アルバム。悠然としていて厳か、あるいは幽玄的なスターズ・オブ・ザ・リッドを思わせつつ、その彼方にはニュー・エイジからの影響を隠さなかったグローバル・コミュニケイションもぼんやりと陰影をちらつかせているといった位置になるか。前掲書でも00年代に主流となっていったドローンやエレクトロニカ系の音から遠ざかりつつあるという含みを持たせて09年の代表作にはヘックスラヴをチョイスしたけれど、これもまたドローンからクロスオーヴァーを仕掛けている1枚といえ、時代が変化しつつあることを予感させる。重くなく、軽くなく、明るくもなく、暗くもない。それこそニュートラルとでも呼ぶしかないウォール・オブ・アンビエント・サウンドが少しずつ表情を変えていくだけ(つーか、なんで包み込まれるような音像のことをフィル・スペクターは「ウォール」に喩えたのかなー?)。

 後者はスノウイフェクトやオリエンタル・ホームワードで知られる吉祥寺のレーベルからハロルド・バッドやドゥルッティ・コラムを思わせるポスト・クラシカルのデュオによる座禅系チル・アウト。ピアノとギターを基本に重くのしかかるような内面描写が続き、誰かに重大な秘密を打ち明けられて嬉しいような面倒くさいような......つーか。録り音は非常に綺麗でどこまでもみずみずしく、この季節に聴くといかにも冬景色といった感じです(夏に聴いたらどんな感じだったんだろー)? デザインも表側は寒々しく、内側はいかにも夏といった景色だったりするし、アンビエントというよりも心象風景音楽として申し分ない感じ。......さてと、マンガでも読むかな。沖縄を舞台にした『アンダーカレント』とか?

Yo La Tengo - ele-king

 ele-kingにヨ・ラ・テンゴ。どうなんだという声がしそうだけど、まあ聴いてみてくれ。とくに10曲目から12曲目(オリジナル・アルバムのラスト3曲。日本盤にはそのあとにキャロル・キングのカヴァーを1曲収録)。

 ヨ・ラ・テンゴは1984年にアメリカはニュージャージーのホーボーケンで、現在は夫婦となったアイラ・カプラン(ギター、ヴォーカル)とジョージア・ハブレイ(ドラムス、ヴォーカル)によって結成されたバンド。途中でジェイムズ・マクニュー(ベース、ヴォーカル)が参加して現在に至る。不思議なバンド名はスペイン語で、英語だと「I got it」。

 1986年に『Ride The Tiger』でデビュー以来、本作で12作目となるオリジナル・アルバムは、まずはそのストレートなアルバム・タイトルが印象的だが――。

 ホーボーケンといえばdB'sを嚆矢とするパワーポップ・バンドの聖地として知られているが、ヨ・ラ・テンゴもその系統から大きく外れることはない。事実そういう曲がメインとなっている。が、しかしそれよりもむしろ当初からギター・ロック的な曲のフォーミュラを意識的に崩していこうとする意思を感じさせていたことのほうが僕には気になっていた。1993年に米インディの名門マタドールに移籍して発表した6枚目『Painful』からはその感覚はより露になり、ギターを中心としながらも、エレクトロを加味したことによる幻視的なサウンドを聴かせるようになる。そして1997年の『I Can Hear the Heart Beating as One』からはとくにその傾向が強くなり、以降のアルバムには必ず10分以上におよぶ幻想的な実験的トラックを収録してきた。前作である『I Am Not Afraid of You and I Will Beat Your Ass』(2006)では、長尺の「Pass The Hatchet...」は、なんとアルバムの冒頭に置かれているのだから恐れ入る。

 しかし、である。この新作『ポピュラー・ソングス』における後半3曲のトビぐあいは、これまでの彼らの試みと比べても、想像を絶するほどの展開を遂げている。この3年間に彼らに何があったのか?と訝ってしまうほど、この3曲(トータルで40分近い!!)の存在は奇跡としかいいようがない。この壮大なトリップ・アンビエント・シンフォニーは、彼らの集大成であると同時に、いきなりハイジャンプを決めてしまったようにも思える。エレクトロニクスかギターかという論議すらここでは無用だし、なによりここで鳴っているサウンドは、聴き手のココロに揺さぶりをかける。それは常に微笑みと等価だ。なんて幸福な音楽なんだろう。この素敵な音楽には、意外にもこんな普遍的なタイトルがふさわしいのかもね。もちろんこの3曲以外もいいです。ストリングスが入った曲とか特に。でもやっぱり最後の3曲が素晴らしすぎて......。

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