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Zomby - ele-king

 すでにチェック済みの方も多いかもしれないが、去る5月17日、ゾンビーが新たなEP「Vanta」をリリースしている。これまでおもに〈Hyperdub〉や〈4AD〉から作品を発表してきた彼だけど、今回はイマジナリー・フォーシズやツーシン、メルツバウなどを送り出しているドバイの〈Bedouin〉からのリリースで、いやはやこれがじつにクールなテクノ・トラック集に仕上がっているのである(本日更新したスポティファイのプレイリストにも1曲選出)。アナログ盤はクリアヴァイナル仕様でこれまためっちゃかっこいいんだけど……なんと、デザイナーは『ゲーム音楽ディスクガイド』を手がけてくれた Zodiak こと Takashi Makabe なのだ! ぜひ現物を手にとって、サウンドもヴィジュアルも一緒に堪能してほしい。

Zomby
Vanta

Bedouin Records

All tracks produced, arranged & mixed by Zomby
Mastered by Rashad Becker at Dubplates & Mastering
Design by Takashi Makabe / Zodiak
Distributed by Kudos

www.bedouinrecords.com

A1 Void
A2 Bleed
B1 Emerald
B2 Threshold
B3 Zexor

Amazon / HMV / bandcamp / Spotify / Apple Music

Lee "Scratch" Perry - ele-king

 たったいま6月末売りの紙エレキングの「日本の音楽」の特集号を編集している。そこで問われるのは、海外からの影響と土着性との関わりの問題だ。土着性はどのように意識され、海外の影響をどのように取り入れるか。たとえば70年代までのはっぴいえんどからシティ・ポップまでの系譜であれば、アメリカをどこまで受け入れそれをどう日本と混ぜるかということで、これがまんま100%アメリカであればまったく面白くないことは、たとえばジャマイカの音楽を聴いているとよくわかる。
 ジャマイカの音楽は同じようにアメリカの音楽(こと黒人音楽)の影響下にあるが、これがアメリカのR&Bやソウルの模倣に過ぎなかったら、世界の音楽ファンはジャマイカの音楽に目を向けなかった。R&Bやソウルの影響を受けながら、メントのような土着の音楽が残存したからこそスカやレゲエは生まれている。
 イアン・F・マーティンによれば、イギリスのメディアがイギリスっぽいUK音楽を賞揚するのも、骨随までアメリカ文化に支配されていない土着性を重視するからだそうで、なるほど、グライムをはじめ最近の Dave のようなUKラッパーの作品を聴いていても、アメリカに影響を受けながらアメリカを真似しないという姿勢が徹底されている。これは、音楽文化の力が強い国の特徴である。

 リー・ペリーには手に負えないほど強いジャマイカ訛りがあり、それを彼は決して捨てない。彼の代表曲のひとつ、1968年の“ピープル・ファニー・ボーイ”はポコマニア(アフリカ系の土着的な宗教)を取り入れているわけだが、ペリーは長いキャリアのなかで、歌い方、喋り、あるいはその歌詞の世界(スピリチュアリズムなど)においても、長年スイスで暮らしているこのジャマイカ人は、西洋テクノロジーとアフリカの魔術との両方を使いながらジャマイカの土着性を保存し、文化的な混合体を撒き散らしている。そしておそらく、彼に期待されているのはそういうことであることを彼自身もわかっている。ひとつの文化に染まらないこと、その姿勢は、エイドリアン・シャーウッドの〈ON-U〉レーベルにおいてより際だった形で表現されている。

 リー・ペリーとエイドリアン・シャーウッドは、すでに何枚ものアルバムを制作している。もっとも有名なのは1987年の『Time Boom X De Devil Dead』だが、その後も1990年の『From The Secret Laboratory』、最近では2008年の『The Mighty Upsetter』、そのダブ・ヴァージョンとしてリリースされた2009年の『Dubsetter』がある。今作『レインフォードは、このタッグではおよそ10年ぶりのアルバムというわけだが、まったく素晴らしい内容となっている。
 それはひとつの、持たざる者たちの知恵なのだろう。もしこれを読んでいる人があの過剰なダブ・ミキシングが施された『Time Boom X De Devil Dead』を聴いているなら、本作は、むしろ60年代末のジャマイカのサウンドに漂う〈温もり〉のようなものが断片的にではあるが響いていることに気が付くだろう。
 それもそのはずで、本作においてシャーウッドが取った方法論は、60年代のリー・ペリー音源まで遡って、ペリーのこれまでの作品の数々の音源をマッシュアップすることだった。言うなればこれは、サウンドによるリー・ペリーのバイオグラフィーであり、シャーウッドの愛情が込められたオマージュでもある。

 “月の上のコオロギ”というとぼけた曲からはじまる本作は、しかしメッセージも忘れていない。懐かしいジャマイカの響きが随所で鳴っているその音のスペースのなかで、リー・ペリーは国際通貨基金(IMF)を名指しで批判する。悪魔よ、この街から出て行けと繰り返すわけだが、IMFとは経済のグローバリゼーションを押し進めている機関で、外資参入をうながしている。結果としてその国の労働者の仕事が奪われ、格差者社会を加速させていることは、その歪みの表れであるフランスの黄色いベスト運動やイギリスのブレグジットを鑑みればわかるだろう。リー・ペリーは、グローバリゼーションの憂き目に遭う前のジャマイカのサウンドを使いながら、例によって道化たフリをしながらも、現在のジャマイカでおこなわれている経済政策に反論している。82歳という高齢になっても、こうした怒りを忘れないこともまた尊敬に値する。

 まあ、それはそれとして、とにかく本作を特徴付けているのは、その懐かしい響きであり、それこそ“ピープル・ファニー・ボーイ”に赤ちゃんの泣き声がミックスされていたような、ペリーらしいいろんなもののミキシングもまた随所にある。シャーウッドは彼自身のテイストはあまり表に出さず、サウンドにおいても彼なりの解釈でペリーらしさを出すことに注力している。
 「アルバム全体が彼自身についてなんだよ」と、鈴木孝弥によるオフィシャル・インタヴューでシャーウッドはこうコメントしている。「彼と一緒に、彼にとってとても近いレコードを作りたかった。これまでで彼にとって一番私的なアルバムを作るということは、俺にとってはチャレンジだった。でも俺は挑戦することが好きだし、よし、やってみよう! と思ったんだ」
 また、本作には、じっさいのリー・ペリーの人生が描写されている。最後に収められている曲“Autobiography Of The Upsetter”がそれで、歌詞ではコクソン・ドット、デューク・リード、ボブ・マーリーやマックス・ロメオらについて語られ、ブラック・アークを焼き払ったことについても、自分が狂ったと思われたことについても言及している。そのサウンドは70年代後半のブラック・アーク時代のペリーのようでありながら、しっかりと現在にアップデートしたものとなっている。
 久しぶりに昔のアップセッターズをレコード棚から引っぱり出して聴きたくなった。ほとんどの歌をジャマイカで録音し、1曲をブラジルで、1曲をイギリスで録ったという、リー・ペリーの本名を表題に冠した『レインフォード』は、決して過去の焼き直しではない。古くて新しい、これから何度でも聴くであろう愛らしいアルバムである。

野田努

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 アフロフューチャリズムが批評家のマーク・デリーによって1994年に提唱されたとき、音楽におけるその始祖とされるサン・ラーが土星から地球に降り立って50年近く経っていた。アフリカン・ディアスポラにルーツを持つものが、テクノロジーや未来像を用いて自身の物語を生み出すという、思弁的な未来主義が理論化される前から、サン・ラーはすでに彼自身であり続けていたのだ。
 その十数年後、1973年にジャマイカのキングストンから黒い箱舟が宇宙に打ち上げられようとしていた。その操縦士がリー・スクラッチ・ペリーである。彼もまた、アフロフューリズムの概念があとを追いかけた人物である。
 周知の事実のように、エコーやリヴァーヴというエフェクトそのものが楽器として使用されるペリーの録音テクノロジーは世界に衝撃を与えた。デヴィッド・トゥープの『オーシャン・オブ・サウンド』によれば、ペリーのブラック・アーク・スタジオは単なる録音場ではなく、彼の楽曲のタイトルが示すように“スクラッチ研究所(Scratch Laboratory)”であり、“アンダーグラウンド・ニュース局(Station Underground News)”であり、“音楽移植手術(Musical Transplant)”だった。
 電子的かつ思弁的なエンジニアリングは、スタジオをそういったヴァーチャル・リアリティが渦巻く場へと変容させ、ペリーは福音伝道者やフランケンシュタイン博士になったのである。彼のファッションがぶっ飛んでいなければならないのは、あの「装飾具」が、スタジオの潜在性が創出する空間に人間の身体性をフィットさせるための「宇宙服」的な、つまり生存に必要不可欠なアクターであったからだ。
 自身の本名を冠した今作『Rainford』でも、ペリーは宇宙へと飛翔している。6曲目の“アフリカ宇宙船(African Startship)”は、クリエーション・レベルによって1978年に組み立てられ、1980年に〈4D Rhythms / On-U Sound〉から打ち上げに成功している『Starship Africa』が捉えた宇宙空間からの皆既月食のヴィジョンを、船長にハイレ・セラシエ1世を迎え入れることにより、さらに拡大する。ここでペリーのミックス卓の下に置かれているのは、天空の星々すべてである。

船長 ハイレ・セラシエ1世
レッキー・レック 国王万歳 アフリカの王
国王万歳 アフリカの王
乗船せよ
天空の星すべて 私のコントロール下に
ハイヤーアップセッター
マーカス・ガーベイ宇宙船 黒い宇宙船 セブンマイル宇宙船
マーカス・ガーベイ デザイナー 音楽的に 過激に 音楽的に
アフリカ宇宙船 宇宙を飛んでいる
──“アフリカ宇宙船”

 宇宙船の移動速度に合わせトランペットが伸縮を繰り返し、乗船する宇宙飛行士としてのペリーが、アフリカ回帰運動指導者のマーカス・ガーベイが、さらにはイエス・キリストまでもが顔を出す。ここで彼が自らのスタジオをブラック・アーク、つまり黒い箱舟と読んだ理由が想起される。ペリーがトゥープに語るように、彼の目的あらゆるものの上空に位置する箱舟によって、動物、自然、音楽といった万物を平等に救うことである(なお、ペリーの言う「ark」は、宇宙船であるのと同時にモーセの十戒を運ぶ契約の箱「Ark of the Covenant」も意味している)。宇宙のヴィジョンを持つペリーは、偉人たちを対等に並べる。そこでは、同船者としてすべてがイコールになる。
 ペリーが浮遊する宇宙空間においては、その万物間のヒエラルキーは皆無に等しい。この宇宙論、つまりコスモロジーは、ペリーがかつて自身のブラック・アーク・スタジオについてトゥープに語ったことばにも確認することができる。彼によれば、スタジオの機材も人間のように生きており、そこを操作することによって、共存関係にある人間と機械が音楽を作り出す。よって、機械にも魂がある。このペリーのアニミズム的コスモロジーにおいて、機械が人間に操作される側にのみ位置しているような主体-客体関係は適応されない。この事物の水平的関係性は、先ほど触れた宇宙船内平等のアナロジーとしても考えることができる。

悔い改めよ 月の上のコオロギは言った
(……)
月の上でロックしてみろ ロックしてみろ
私は月でローマ法王を蹴っ飛ばした男だ
私は奴を追いだし 奴のケツを蹴り飛ばした
蹴り飛ばせ 蹴り飛ばせ
──“月の上のコオロギ”

 このペリー・コスモロジーは、彼が1曲目で降り立った月面上にも拡張し、動物と人間の垣根さえも曖昧になっている。彼のリリックによれば、月で説教を説くのは人間ではなくコオロギだ。かつてよりペリーの楽曲では自然物の存在が人間を凌駕することがあったように、『Rainford』でも各所にそのモチーフは現れ、バビロンの邪心を退治する存在として描かれている。ここでも従来のヒエラルキーなどなく、力を持っているのは、蹴られるローマ法王よりもコオロギの声である。
 このような彼の宇宙観は、あらゆるアフロ-カリブ文化の混合体でもある。それは黒人の人種的文化的アイデンティティの普遍性を謳歌するラスタファリアン神話にも由来しており、絶対的な王としてのハイラ・セラシエ1世がいるものの、ペリーの宇宙観そのものは絶対的なものではない。5曲目の“マクンバ・ロック”で歌われるように、ブラジルのマクンバや、アフロ-ジャマイカのオベアなど、中南米の黒魔術にもペリーは目を向けている。このように、ペリーの宇宙の捉え方において、ラスタの導きを得つつも、異なる宗教や魔術、エンジニアリング・サイエンスまでもが混在し、それらが楽曲のなかで奇妙なイメージの連鎖を作り上げている(また法王のケツを蹴り飛ばしてはいるものの、彼自身は反キリスト教徒ではないことでも知られている)。
 ボーナストラックの“天国と地獄”や、最後の“アップセッター自叙伝”などで語られるように、自身のルーツというマイクロで、ときに社会問題をつぶさに捉える視点と、宇宙に存在するアフロ-カリビアン文化というマイクロな視点を行き来している点も、『Rainford』を興味深いものにしている。これまでのキャリアで編み出された独自のペリー・コスモロジーだけではなく、彼の表現においていかに非合理的で魔術的で、フューチャリスティックなイメージが生まれようとも、そこにいたる自身のルーツをもペリーは忘れ去ろうとはしない。
 冒頭で述べたサン・ラーは、彼は宇宙を自分の場所とし、シンセサイザーと宇宙船というテクノロジーを装備し、人間に不条理に設定される人種のカテゴリーを拒否した。ペリーも同様に宇宙を目指すが、彼のベクトルはラーとは異なり、その目的は自分がやってきた場所を交差する関係性を増幅させることにあった。遠くへ行くためには、自分自身が何者であるかが分からなければならない。今作からはアフロフューチャリズムだけではなく、ペリーのそのような人生哲学までもが見えてくるようである。

髙橋勇人

Technics 7th in Tokyo - ele-king

 ヴァイナルとターンテーブルを愛するすべての人たちに朗報だ。DJカルチャーに多大な功績を残しながらも9年前に製造終了となっていた Technics の名器 SL-1200MK シリーズ、たとえばテクノ好きのあいだではリッチー・ホウティンとジョン・アクアヴィヴァによって設立され、スピーディ・Jやケニー・ラーキンといった才能を送り出してきたウィンザーのレーベル〈Plus 8〉の名が、同シリーズのピッチ・コントローラーの値に由来することはちょっとした豆知識になっているけれど、なんと去る5月24日、同シリーズ11年ぶりの新モデル SL-1200MK7 が発売となった。
 これを記念し、明後日6月5日 DOMMUNE にてスペシャル・プログラムが緊急配信。アナログをメインとするDJたちが一挙に集結する。第1部のトーク・パートには宇川直宏、DUB MASTER X、Technics の開発担当者である三浦寛らが出演し、SL-1200MK7 の魅力を徹底的に解剖。第2部のDJパートでは MURO、DJ EMMA、Mighty Crown、DJ KOCO a.k.a.SHIMOKITA、Dazzle Drums と、錚々たる面子がプレイする予定となっている。しかも通常3時間のDJタイムがこの日は4時間とのことで、見逃すと後悔する一夜になりそうだ。詳細は下記よりご確認を。

https://www.dommune.com/reserve/2019/0605/

SL-1200MK7 発売記念!!
DOMMUNE にてスペシャル番組配信が決定!!

世界中のレコード・ファン、ターンテーブリスト達が絶大なる信頼を寄せるターンテーブルが Technics SL-1200MK シリーズ。このターンテーブルが Hip Hop、クラブシーンに果たしてきた役割と功績は見逃せない。まさにこの優れたターンテーブルがあったからこそDJカルチャーが隆盛したと言える、そんな名器なのだ。しかし2010年に製造終了となり、世界中のターンテーブル・ファンから再発売を熱望されていたが、ついに5月24日に新モデル SL-1200MK7 が発売となった。

この発売を記念して DOMMUNE でアナログをメインにしたDJたちが集結するスペシャル・プログラムの緊急配信が決定。

出演は、今年1月のラスベガスでのお披露目イベント「Technics7th」でもプレイし話題になった DJ KOCO A.K.A SHIMOKITA、レゲエ界からは世界ナンバー・ワンの Mighty Crown の Masta Simon と Sami-T の2人、King Of Diggin こと MURO、Nagi と Kei Sugano による注目の男女ユニット Dazzle Drums、DJとして長いキャリアを誇る DJ EMMA というこの夜でしか有りえないジャンルを超えて選ばれた超豪華DJ陣が登場する。しかもこの夜は、通常3時間がDJタイムだが、この夜は4時間枠。
つまり前半のトークセッションは1時間に短縮だが、逆に濃い内容となる。Technics のターンテーブル開発担当、三浦氏に加え、リミキサーやエンジニアとして様々な機材を使いこなす DUB MASTER X も登場し、発売された SL-1200MK7 を解剖、また今年1月にラスベガスのベラージオ・ホテルで行われ DOMMUNE と BOILER ROOM で全世界配信され話題となったパーティー「Technics7th」の数百枚の写真から選んだフォト・ドキュメントや映像を交えたリポートも行われる予定。

【番組概要】
■番組名:Technics 7th in Tokyo
■日時:6月5日(水)19:00-24:00
■出演
1部(トーク):宇川直宏、DUB MASTER X、三浦寛(Technics)、石井志津男ほか
2部(DJ PLAY):DJ KOCO a.k.a.SHIMOKITA、Mighty Crown、MURO、Dazzle Drums、DJ EMMA
■配信サイト:DOMMUNE(https://www.dommune.com
※配信時間にPC/スマートフォン等からURLにアクセス頂ければ無料でご覧いただけます。

MURO
日本が世界に誇る King Of Diggin' こと MURO。「世界一のDigger」としてプロデュース/DJでの活動の幅をアンダーグラウンドからメジャーまで、そしてワールドワイドに広げていく。現在もレーベルオフィシャルMIXを数多くリリースし、国内外において絶大な支持を得ている。新規レーベル〈TOKYO RECORDS〉のプロデューサーにも名を連ね、カバーアルバム『和音』をリリースするなど、多岐に渡るフィールドで最もその動向が注目されているアーティストである。
毎週水曜日25:30~ TOKYO FM MURO presents 「KING OF DIGGIN'」の中で、毎週新たなMIXを披露している。

DJ EMMA
1985年よりDJを始め、東京各所のナイトクラブで数々のパーティーを成功させる。1994 年に「GOLD」と契約。クローズするまでレジデンスとして活躍、そのアグレッシブなプレイによって土曜日をまとめあげ、東京中の遊び人(ナイトリスト)たちに決定的な存在感を知らしめた。1995年にはDJプレイに留まらず音楽制作を開始。川内タロウと共に「MALAWI ROCKS」を結成する。同年〈NIGHTGROOVE〉より発売された12inchシングル「Music Is My Flower」が世界的ヒットを果たす。同じく1995年から発売され、日本を代表するMIX CDとなった『EMMA HOUSE』は、24bitマスタリングというMIX CDの枠を超えた徹底的な音作りとダンスフロアの雰囲気を閉じ込めた作品として好セールスを記録。2014年新たな活動を始めた〈NITELIST MUSIC〉から、日本発のACID HOUSE 『ACID CITY』を発売。〈HEARTBEAT〉から2年連続リリースとなったMIX CD 『MIXED BY DJEMMA vol.2』と共にダブルリリースツアーを全国15ヶ所で行う。常にダンスフロアと HOUSE MUSIC を中心に新しい音楽を最高の技術でプレイし続けるスタイルは KING OF HOUSE と呼ばれる。
2016年には活動30周年を記念した『EMMA HOUSE XX~30th Anniversary~』を〈ユニバーサルミュージック〉よりリリース。
2017年、プロデュースユニット NUDE 名義で「NO PICTURE (ON MY PHONE) feat. ZEEBRA」をリリースし、さらには最新作『ACID CITY3』を10月にリリースするなど、DJ及びプロデューサーとして精力的に活躍中。

Mighty Crown
1991年横浜で結成され、今では日本代表のみならず世界のレゲエアンバサダー/カルチャーアイコンとして活躍するダンスホールレゲエサウンド。
2017年11月にはボブマーリーファミリーの主催するカリブクルーズ船上でのサウンドクラッシュで3連覇を果たし、18年7月にはサウンド界のチャンピオンズリーグともいえるジャマイカでの世界大会 WORLD CLASH 20th Anniversarry で優勝を果たす。これまでに8つの世界タイトル、11回の優勝経験をもつ唯一無二の存在である。
観客を煽るMCと、曲をプレイする SELECTOR (いわゆるDJ)からなるチームとして、曲のメッセージ、音楽のパワーを倍増させてフロアに伝える彼らのスキルは随一。選曲やMCの妙で誰が一番観客を盛り上げるかを競う「サウンドクラッシュ」という音の戦いにおいても、早くから国内外で積極的に取り組み、1999年NYで行われた「WORLD CLASH in New York」で優勝。アジア人初のサウンドクラッシュ世界一の称号を勝ち取った。
以降は単に日本代表というだけでなく世界屈指のサウンドとして北米、カリブ諸島、ヨーロッパなど、海外各地を沸かし続けてきた。11個の世界タイトルを獲得し、トロフィーの数だけでなく、世界中にファンとリスペクトを増やし続けている。レゲエのメッカ、ジャマイカにおいても、サウンド文化の貢献者として表彰されるなどその存在と功績はジャンルを越え評価されている。
メンバーは設立からのメンバーである MASTA SIMON と SAMI-T の兄弟に加え、SAMI-T のNY修業時代に知り合い MIGHTY CROWN に加入したファンデーション担当の COJIE、そして MIGHTY CROWN 第二の拠点であるNY在住の NINJA。それぞれの得意分野を生かして単独でも活躍している。
国内外のクラブプレイ、レゲエフェスなどへの出演の他に、“信念とスタイル、そしてスキル”を持つアーティストとして、ジャンルを超え、ハイ・スタンダード主催の《AIR JAM》やモンゴル800 主催の《What A Wonderful World》などロックフェスのクラウドをもレゲエサウンドの手法と MIGHTY CROWN のスキルを活かして盛り上げている。また、人気ドラマ『HiGH&LOW』のサントラや般若、ANARCHY といった HIP HOP アーティストの作品にアーティストとして参加、イベント、レーベル、ブランドプロデューサーなどその進化はとどまることを知らない。

DJ KOCO a.k.a. SHIMOKITA
世界中のバイナルディガー達を圧倒させる選曲と、時折魅せるスリリングなテクニックで、オーディエンスを魅了する。これまでに、7インチのみでのライブミックスなど、数々のMIX作品を出し続けている現在進行形のヒップホップDJ。ファンク、ソウル、ディスコ、レゲエなど様々なジャンルの45'sを使い、ヒップホップ的な解釈で見せる彼のプレイは海外DJ達からも高い評価を受ける。現在、アジアでも活躍しながら、DJ Scratch がブルックリンから配信するDJパフォーマンスのストリーミングサイトで、「ScratchVision Tokyo」と題して定期に出演している。

Dazzle Drums
Nagi と Kei Sugano の2人組ユニット。それぞれが90年代からDJ活動を開始。ダンス/ハウスクラシックスを軸に幅広い選曲で新譜を織り交ぜプレイする。
2005年より楽曲制作を開始。〈King Street Sounds〉、〈Centric Music〉、〈Tony Records〉、〈Nulu Electronic〉、〈Tribe Records〉、〈BBE Music〉などこれまで数多くの海外レーベルからリリースを重ね、Danny Krivit、Joaquin Joe Claussell、Louie Vega、Tony Humphries、DJ Nori、DJ Emma や Tim Sweeney らがプレイし、幅広いDJからの評価を獲得。2010年、自主レーベル〈Green Parrot Recording〉を始動。2014年、1stアルバム『Rise From The Shadows』をリリース。2016年、Louie Vega ファミリー Anane Vega のレーベル〈Nulu Electronic〉から2ndアルバム『Concrete Jungle』をリリース。同年7月 Gilles Peterson 主宰、南フランス Sete で開催される《Worldwide Festival》に出演、12月 Ray-Ban x Boiler Room に出演。2017年、Mix & Compilation CD 『Music Of Many Colours』をリリース、同名のパーティーを Contact で始動。同年7月ヨーロッパツアー、10月アムステルダム ADE 出演。2018年7月2度目の《Worldwide Festival》出演を皮切りにヨーロッパ5ヶ国6都市をDJツアー。レギュラーパーティーは毎月第二日曜日夕方開催 Block Party @ 0 Zero。

DUB MASTER X
一発で彼の音と分る個性的な音作りをするが、そのバランス感覚は絶妙で、歌謡曲からクラブのフロアーを揺るがす音作りまで何でもこなすサウンド・エンジニア&DJ&クリエイター。ごく初期の Mute Beat 時代からダブ・エンジニアとして参加し、全ての作品に参加。Mute Beat 解散後は Remixer やレコーディング・ライブミックスエンジニア、DJとして活躍。「Dub Wa Crazy」シリーズで7インチ・シングルを10枚リリース(のちに全曲を収録した同名の2枚組CDをリリース)。92年にはファースト・アルバム『Dub Master X』を皮切りに『Dub Master X II』『Side Job』をリリース。また藤原ヒロシとの Luv Master X 名義のアルバム『L.M.X』も93年にリリース。Dub wa Self Remix シリーズを始めアンダーグラウンドでの活動をしながら00年には『Dub's Music boX』を、2009年には『Dub Summer Pop』をリリース。2010年には鬼才リミキサーユニット Moonbug に加入。2015年、盟友朝本浩文の事故をきっかけに集まった仲間達と DUBFORCE を結成。
リミックス・ワークとして浜崎あゆみ、倖田來未、Every Little Thing、globe、鈴木亜美、Do As Infinity、華原朋美などの〈エイベックス〉作品を多く手掛ける傍ら、ヤン富田、いとうせいこう、Pizzicato Five、ムーンライダーズ、The Blue Hearts、コレクターズ、キリンジといった玄人好みのミュージシャンの作品も多数制作。既に本人でさえ数え切れないほどの作品に関わっている。
PAエンジニア・レコーディングエンジニア・リミックス・プロデュース・アレンジ・プログラミング・DJ・舞台音響等々、アーティストサイドとスタッフサイドの両方を理解する希有な存在でもある。
2010 年頃より初心に立ち返り気持ちの良い音を探求すべくライブPAエンジニアを主戦場として活動中。Deftech、SUGIZO、柴咲コウ、m-flo、かせきさいだぁ、小島麻由美、MORE THE MAN、SOUR、KanekoNobuaki、POLARIS、柴田聡子、BASSONS、木根尚人等のFOH を担当している。

!!! (Chk Chk Chk) - ele-king

 たしかに、もうみんなわかっている。「こんな暗い時代に……なんてもう聞き飽きたよな。そんなことはみんなわかってる」。ディスコ愛に溢れた前作『Shake The Shudder』から早2年。NYの最高にファンキーなバンド=チック・チック・チックが本日、リスナーへのメッセージとともに唐突にデジタルでシングルをリリースした。しかもダブルAサイドである。“UR Paranoid”も“Off The Grid”も相変わらずダンサブルでかっこいいが、細部に耳を澄ますと……ちょっと作風変えてきてる? いや、そんなことない? まあなんにせよ、もしかしたら新しいアルバムへの布石かもしれないし、とりあえずいまは公開された2曲を爆音で流しながら続報を待つとしよう。

[6月4日追記]
 先日、上述の2曲を突如リリースし話題をさらったチック・チック・チックですが、本日“UR Paranoid”のMVが公開されました。新たにコメントも届いております。

曲を完成させた瞬間、誰にミュージックビデオを監督してもらいたいかが、はっきりとイメージできることは稀なんだ。だけど“UR Paranoid”で、それが起こったんだよ。そして友人であるアマンダ・ラブジョイ・ストリートに監督してもらえて幸運だった。このビデオについて彼女は「実験的映画の劇場や、低予算のホラー映画、ソール・スタインバーグ、カール・ユングへの賛辞を込めた」って言ってた。

てことで……ビデオをチェックしてもらって、曲を爆音で聴いてもらいながら、次の展開も楽しみにしててくれよな。
──!!!

チック・チック・チックが帰ってきた!!!
両A面シングル『UR PARANOID / OFF THE GRID』を突如ドロップ!

唯一無二のディスコ・パンク・サウンドで人気を誇る!!!(チック・チック・チック)が、ファンへのメッセージとともに“UR PARANOID”と“OFF THE GRID”の2曲を収録した両A面シングルを突如リリース! 今後の展開にも注目!

UR PARANOID
https://youtu.be/e0WCYVICNkE

OFF THE GRID
https://youtu.be/ld77rqNL1rw

こんな暗い時代に……なんてもう聞き飽きたよな。そんなことはみんなわかってる。でもマジな話、こんな最悪な中で、疑心暗鬼にならなかったり、自立したくないなんて思うやついるか?
これからだっていいことも辛いこともやってくる。約束するよ。だけど、そんな暗くて、嵐のような夜に書いた最高の2曲でみんなに新しいスタートを切ってもらいたい。
てことで……爆音で聴いてもらいながら、次の展開も楽しみにしててくれよな。 ──!!!

label: WARP RECORDS
artist: !!!
title: UR Paranoid / Off The Grid

Apple Music:
https://apple.co/2MiZH4G
Spotify:
https://spoti.fi/2EMiak1

〈WARP〉30周年記念ポップアップストア開催大決定!

音楽史に計り知れない功績を刻み続け、今年30周年を迎えた偉大なる音楽レーベル〈WARP〉。その輝かしい歴史と功績を称え、6月8日と9日の2日間に渡り東京・原宿にて、30周年を記念したポップアップストアが開催!

目玉アイテムとして、現代美術家:大竹伸朗によるデザインTシャツが販売。Tシャツやキャップなどの30周年記念公式グッズ、さらに昨年発売され話題となったエイフェックス・ツインの輸入オフィシャル・グッズの再販(2日目のみ)、フライング・ロータス最新作『FLAMAGRA』グッズ、プラッド最新作『POLYMER』グッズといった最新アーティスト・グッズやレアな輸入グッズなど、ここでしか手に入らないアイテム満載!(アイテムにより購入制限あり)

イベント詳細ページ
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10275

WxAxRxP POP-UP STORE
開催日程:6/8 (土) ~ 6/9 (日)
6/8 (土) 11:00~20:00 / 整理券発行数 350
6/9 (日) 11:00~18:00 / 整理券発行数 250
※それぞれ整理券優先での入場

場所:JOINT HARAJUKU 2nd.(東京都渋谷区神宮前3-25-18 THE SHARE 104)

Smany - ele-king

 これまで world's end girlfriend と Vampillia‬ のスプリット盤に参加したり、ネット・レーベル〈分解系レコーズ〉からアルバムを発表してきたエレクトロニカ・アーティストの Smany(エスメニー)が、初のフィジカル盤となる4作目『to lie latent』を〈PROGRESSIVE FOrM〉より発売する。同作はこれまで〈分解系レコーズ〉からリリースしてきた3作『komoriuta』『polyphenic』『kotoba』のなかからセレクトされた曲に、未発表曲などを加えた構成となっているとのこと(タブラ奏者の U-zhaanをフィーチャーした曲も)。繊細なヴォーカルと電子音の交錯に耳をそばだてよう。

Smany
to lie latent

2013年にオンライン・レーベルの雄である〈分解系レコーズ〉よりリリースした1stアルバム『komoriuta』以降、2014年の2ndアルバム『polyphenic』、2017年の3rdアルバム『kotoba』とコンスタントにリリースを重ねながら国内外問わず数多くのアーティストともコラボレーションを続け非常に高い評価を得てきたアーティスト Smany、本作は〈分解系レコーズ〉よりリリースした3枚のアルバムよりセレクトされたベストテイクをベースに、名曲の誉れ高い“2113”の2019ヴァージョンや未発表曲“夜間飛行”、タブラ奏者の‪ U-zhaan ‬をフィーチャンリングした“・A・”といった魅力たっぷりの楽曲から構成された4枚目のアルバムとなる待望の初フィジカル作品!

潜在的なという意味のアルバム・タイトル「to lie latent」と冠された本作を聴くにつれ、改めてコンポーザーとしての Smany というアーティストの魅力、また音域が広く素晴らしい声質や表現力の多彩さかつ繊細さといったヴォーカリストとしての才能を感じざるをえない。
それは冒頭でも触れた名曲“2113”、壮大な情景を描いた“静かな嵐は過ぎ去って”、深い精神性を感じさせる“・A・ feat.U-zhaan”のみならず、オープニングを飾り ‪Sigur Rós ‬を彷彿とさせるインストゥルメンタル“The Cycles Of Life”、軽快なリズムがポップなダンスチューン“Music”、感傷と風景が交差するエンディングの“あれから”をはじめ、様々な世界観を表現できうる幅広いバックグランドを感じさせながら、アルバムが一重の糸によって紡がれそっと包み込まれる感覚は、Smany という人物の深く豊かなアーティスト性を色濃く写し出している。

本作は、これまでにエレクトロニックとアコースティックが芳醇な潤いを繋いできたサウンドにおけるヴォーカル作品として、2010年代を総括するアルバム、また先を見据える2020年代という未来をも明示する可能性を存分に秘めたアルバムと言えよう。
それはこれまで Smany に触れてきた人々にとっても、そうではない人々にとっても、優しい光が差し込むがごとく人々を心を照らすだろう。

アートワークは、シュールレアリズムの手法、デペイズマンの影響を強く受け、ユーモアのあるデザイン、根拠のあるデザイン、ターゲティングされたデザインを制作する事を信念とし評価の高いグラフィックデザイナー兼写真家 ISAMYU / YUKI MOTEGI が担当。
マスタリングはミュージシャン/アレンジャー/レコーディング・エンジニア/作曲家/ライターとしても定評の中村公輔が担当。

発売日:2019年6月12日(水)
アーティスト:Smany(エスメニー)
タイトル:to lie latent(トゥー・ライ・レイタントゥ)
発売元:PROGRESSIVE FOrM
販売元:ULTRA-VYBE, INC.
規格番号:PFCD89
価格(CD):税抜本体価格¥2,200
収録曲数:11曲
JAN:4526180482376

Amazon / Tower

Tracklisting

01. The Cycles Of Life
02. Music (Hypo77 Arrange Ver)
03. 2113 (2019 Ver)
04. Maboroshi
05. 砂の城
06. 静かな嵐は過ぎ去って
07. Utakata
08. Himeshi-Lucy feat. Smany (yuichi NAGAO remix)
09. ・A・ feat. U-zhaan
10. 夜間飛行
11. あれから

■ Smany(えすめにー)

東京在住の作曲家、ヴォーカリスト、パフォーマー。
幼少期より家族の影響でクラシック、洋楽、邦楽と音楽の溢れる環境で育つ。
5才から12才までクラシックバレエを習う。
中学時代は合唱部、高校時代は軽音楽部とダンス部に所属。
2003年、テクノロックバンドのフロントマン S-many としてパフォーマンス、電子楽器、VJ等を担当。
2005年、バンドの活動休止と同時にソロでの楽曲制作を始める。
2013年、〈分解系レコーズ〉より1stアルバム『komoriuta』をリリース、OUT OF DOTS、Red Bull Music Academy Weekender EMAF TOKYO 2013 等のイベントに出演。
2014年、〈分解系レコーズ〉より2ndアルバム『polyphenic』をリリース
2015年、world's end girlfriend、‪Vampillia‬、中原中也のスプリット・アルバム『在りし日の声』に朗読者として参加。
2017年、3rdアルバム『kotoba』をリリース。
2017年9月 バンド "えすめにーと愉快なにゃんにゃんオーケストラ" を結成。
その他、ベルリン在住の Yu Miyashita、タブラ奏者の ‪U-zhaan‬、yuichi NAGAO、LLLL、アメリカのエレクトロポップバンド、ビリンダブッチャーズ、フランス〈kitsuné〉所属の Manast LL' 等、国内外問わず数多くのアーティストとコラボレーションしている。
そして2019年6月、初のフィジカル盤となる4thアルバム『to lie latent』を〈PROGRESSIVE FOrM〉よりリリースする。

Ryan Porter - ele-king

 昨年発表した大作『The Optimist』で注目を集めたトロンボーン奏者のライアン・ポーター。カマシ・ワシントンのバンド=ザ・ネクスト・ステップの一員でもある彼が6月19日にニュー・アルバムをリリースする。新作『Force For Good』には前作に引き続きカマシやサンダーキャットらウエスト・コースト・ゲッド・ダウンの面々が参加しているとのこと。きっとLAのいまを伝えてくれる、洗練された1枚に仕上がっていることだろう。現在、先行シングルとして“Heaven Only Knows”が公開中。

RYAN PORTER
Force For Good

カマシ・ワシントン&サンダーキャット参加!!
信頼高いトロンボーン奏者、ライアン・ポーター。
自身の実力を確かに示した、83分を超える待望の新作アルバムが完成!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/ryanporterffg

トロンボーン奏者/作曲家ライアン・ポーターの待望の新作は、カマシ・ワシントンらウエスト・コースト・ゲッド・ダウンのメンバーがまたも全面サポートした力作です。前作『The Optimist』からさらに作曲面にも磨きをかけて、もはやモダン・クラシックな風格さえ漂わせています。1920年代から50年代初頭までジャズのメッカだったLAは、いま確実にジャズの都市として復活を遂げたことをこのアルバムが象徴してもいます。(原 雅明 / rings プロデューサー)

アーティスト : RYAN PORTER (ライアン・ポーター)
タイトル : Force For Good (フォース・フォー・グッド)
発売日 : 2019/6/19
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC51)
フォーマット : CD

Luke Slater × Burial - ele-king

 昨年のコード9との共同ミックスCD『Fabriclive 100』ではなぜかルーク・スレイターが2曲もとりあげられていたけれど、なるほど、きっとほんとうに好きなのだろう、先日ヴァイナルと配信でリリースされたばかりのスレイターの“Love”のリミックス盤にもまた、ベリアル本人によるリミックスがフィーチャーされている。原曲は1997年のスレイターのセカンド・アルバム『Freek Funk』に収録されていたミニマルなダンス・トラックで、ベリアルは大胆にクラックル・ノイズと幽霊的な音声を導入、じつに彼らしいサウンドへと生まれ変わらせている(ちなみに、ベリアルがリミックスを手がけるのは2017年のゴールディと Mønic 以来2年ぶり)。なお、同盤には他にマルセル・デットマンやサイレント・サーヴァントらのリミックスも収録されており、デジタル版にはスクーバも参加。これは必聴よね。

Artist: Luke Slater
Title: Love Remixes
Label: Mote-Evolver
No.: MOTELP05
Release: 17 May 2019

www.mote-evolver.com

Tracklisting:
A1. Love (Burial Remix)
A2. Love (Lucy Remix)
B1. Love (The 7th Plain Collage Remix)
C1. Love (Planetary Assault Systems Low Blow Remix)
D1. Love (Marcel Dettmann City Remix)
D2. Love (Silent Servant Remix)
Digital Bonus: Love (Marcel Dettmann Black Glove Remix)
Digital Bonus: Love (Scuba Bagleys Remix)

Technique / Jet Set / Amazon / Spotify

The Expansions - ele-king

 いまだ衰えることを知らないUKジャズの熱風ですが、またまた興味深いアイテムがリリースされます。ジョー・アーモン・ジョーンズが「最高だから、チェックする価値があるよ」と太鼓判を押すピアニスト、デイヴ・コールも在籍するジャズ・バンドのジ・エクスパンションズが昨年発表したファースト・アルバム『Murmuration』と、その後にリリースされたEP「Mosaic」をカップリングした日本独自企画盤が6月19日に発売されます。要チェックですぞ。

The Expansions
Murmuration & Mosaic Special Edition

UKジャズに吹き荒れる風は、まだまだ止まることを知らない!! ロンドンのジャズ・カルテットEXPANSIONSのファースト・アルバム『Murmuration』と最新作『Mosaic』を1枚にまとめた日本独自企画盤。心地よさがあるコズミック・サウンドに、洗練されたスムースジャズは必聴!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/expansions

ポール・ウェラーをして、“僕のお気に入りの新しいバンド”と言わしめたサウス・ロンドンのカルテット。ドラムとベースのタイトなグルーヴ、ギターの滑らかなフレージングとカッティング、キーボードのスペーシーなコードの響き。シンプルなコンビネーションながら、ヘッドハンターズやウェザー・リポート、ジョニー・ハモンドから4ヒーローまで、過去のさまざまな音楽のエッセンスが散りばめられた曲構成と演奏は、まるで素晴らしいノンストップ・ミックスを聴くかのようだ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

アーティスト : The Expansions (エクスパンションズ)
タイトル : Murmuration & Mosaic Special Edition
発売日 : 2019/6/19
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC50)
フォーマット : CD

Black Midi - ele-king

 マス・ロックの新星、結成1年にしてすでに圧倒的なサウンドを打ち鳴らすこの4人組、彼らはいったい何者なのか。6月21日にデビュー・アルバム『Schlagenheim』を〈ラフ・トレード〉からリリースする彼らが、同作をひっさげ来日ツアーをおこなう。要注目です。

噂のブラック・ミディ
デビュー・アルバム『Schlagenheim』を引っさげての、
初来日ツアーのチケット先行販売開始!
レコード店にてフリーサンプルCDの配布もスタート!

6月21日にデビュー・アルバム『Schlagenheim』をリリースする、大注目のブラック・ミディ(black midi)。
ロンドンを拠点に活動を開始し、みるみる大注目バンドとなったブラック・ミディが、遂にデビュー・アルバム『Schlagenheim』を6月21日にリリースすることを発表した。ブラック・ミディは、ジョーディ・グリープ(vo、g)、キャメロン・ピクトン(b、vo)、マット・ケルヴィン(vo、g)とモーガン・シンプソン(ds)の4人で構成され、メンバー全員が19歳か20歳で、アデルやエイミー・ワインハウス、キング・クルールらを輩出した英名門校ブリット・スクールで出会ったという。ゲリラ・ライブを敢行するなど精力的にライブ活動を行い、常に変化するセットリストやその演奏力とオリジナリティ溢れる楽曲から、噂が噂を呼び早くも完売ライブを連発。結成からわずか1年であることから未だに謎が多いが、今最もアツい新生バンドという評判を早々に確立した。海外のバズを受け、ここ日本でもコアな音楽ファン達の注目を集める中、デビュー作を引っさげた初来日ツアーが決定し、明日よりチケット先行販売がスタート!

また、レコード店ではフリーサンプルCDの配布も開始!

9/5 (THU) 東京:UNIT
OPEN 18:00 START 19:00 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: BEATINK 03 5768 1277 [www.beatink.com]

9/6 (FRI) 大阪:CONPASS
OPEN 19:00 START 19:30 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: CONPASS 06 6243 1666 [https://www.conpass.jp]

9/7 (SAT) 京都:METRO
OPEN 17:30 START 18:00 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: METRO 075-752-2787 [info@metro.ne.jp]

label: ROUGH TRADE RECORDS / BEAT RECORDS
artist: black midi
title: Schlagenheim
release date: 2019/6/21 (金) ON SALE

国内盤CD RT0073CDJP ¥2,400(+税)
ボーナストラック2曲追加収録 / 解説・歌詞対訳冊子封入

内田裕也さんへ──その功績と悲劇と - ele-king

内田裕也(1939.11.17-2019.03.17)さま

 2019年3月17日、あなたの訃報には驚きました。樹木希林夫人の葬儀への列席の際など、ここしばらくテレビで拝見する時は決まって車椅子に乗っておられましたし、通常の速度での会話もままならぬ様子に、「何故この人は身体を弱くしてしまったのだろう、まだ若いのに……」、と疑問を感じていました。死因は「肺炎」との事でしたが、癌などで治療中の人間が亡くなっても直接には「肺炎」となる事が多いと聞きました。わたしの父親も同じでした。やはり他にも大きな疾患があったのではないでしょうか。とにかく驚きました。
 ここ30年ほど、あなたは「ロックンロール」と「シェケナベイビー」、これらふたつのキイワードで世間を渡っていたという印象があります。2014年には指原莉乃と「シェケナベイベー」というシングル盤(エイベックス AVCD-48977/B)を出していました。29年ぶりのシングルという触れ込みでした。わたしは発売時に店頭で取り寄せて入手、今でも手元にありますが、付録のDVDは未だ観ていません。このシングル盤を切っ掛けにしたのでしょうか、同年7月には福岡でHKT48のコンサートにも出演していたのですね。失礼ながら全く知りませんでした。

 裕也さん、わたしが思い出すあなたの記憶は、確かテレビでザ・フラワーズのリーダーとして、“アイ・サンキュー”を唄った時です。1968年だった筈です。原曲はサム・アンド・デイヴのR&Bですから、ニュー・ロックのフラワーズとしてはちょっと違和感がありますが、“アイ・サンキュー”という表現自体がわたしには珍しかったので、今も憶えています。カットの最初と最後は裕也さんの顔アップじゃなかったかな。
 でもその前から存在は知っていました。何しろビートルズの前座を務めていたのですからね。覚えていますよ。3年ほど前にこの時の武道館公演の全てを録画で観る機会がありました。あなたは出番の後、一般客の入れなかったアリーナ最前列に座って彼等を観ていたのですね。あの4人に一番近い距離です。テレビにも映っていたかも知れません。
 4月3日青山葬儀場で行われた「ロックンロール!葬」のテレビ報道では、その時一緒に唄った尾藤イサオさんが「裕也さんはね、『前座じゃねえ、共演してやってんだ』ってずっと言ってました」と笑顔で語っていました。これ、とても良かったな。
 その他、加山雄三の映画『エレキの若大将』にバンド合戦の司会者役で出て来たのも観ています。こちらも上手くハマっていました。ただ“アイ・サンキュー”の印象は、それら以上に強く残っています。何故なのか分かりません。

 1968年当時の日本列島はグループ・サウンズの狂乱状態にありました。テレビもラジオも週刊誌もGSだらけ。小綺麗なお揃いの衣装を着て可愛らしい少年を装った不良たちが、「花」とか「小鳥」をモチーフに純真な「愛」を叫んでいました。ところが欧米ではすでに十代向けのビート・ポップスが、演奏や録音技術の成長と共に世の中を投影する表現行為に変貌しつつあったのです。その音楽は「ロックンロール」から「ロック」と呼ばれ始めていました。中学生の子供だったわたし自身も、漠然とではありますが世界の大きな流れを感じたつもりで、「何か革命的な事をしなくちゃ」と勝手に思い込んでいました。その頃の若者の殆どが、多かれ少なかれこういう思いに駆られていた筈です。しかしこの世界的胎動は断片的な芸能ニュースとしてしか日本に伝わらず、時代の変わる本質を捉えていた人たちは、ほんの一握りしかいませんでした。60年代後半の欧米で毎日のように起こっていた衝撃的な事実は、極東の島国に於いては海の向こうで起こっている出来事でしかなかったのです。
 裕也さん、あなたはビートルズと「共演してやった」後の1967年に、若者文化の震源地ロンドンの他ヨーロッパを旅していたんですね。そして帰国後その現地現場で実際に感じた意識を日本に持ち込んだのです。それが具現化されたのがフラワーズの結成で、この演奏集団はグループ・サウンズではなく、日本にはそれまでになかった真性ロック・バンドでした。
 1969年発表のLP『チャレンジ!』(コロムビアHMJA-108 再発)からは「欧米のロックに追いつけ追い越せ」というリーダー内田裕也の純粋な意欲、高い志が伝わって来ます。ジャケットは、草原に立つメムバの全裸写真。これだけでも充分に欧米水準です。GSの童謡モドキに惚けていたこの国では驚きでした。実はヴォーカル担当の麻生レミさんが他のみんなと一緒に裸になる事に拒否反応を示したので別撮りの合成で仕上げた、という噂もありますが。

 この作品がそのまま受け入れられるほど日本は進んでいませんでした。いま20世紀を知らない世代から逆説的に評価されているとはいえ、このLPには収録されなかったシングル曲“ラスト・チャンス”はモロ歌謡曲で、欧米のロックはまだ遥か遠い存在だったのです。
 フラワーズは、GS人気に陰りが見えお客さんもあまり入らなくなったジャズ喫茶出演の活動が中心でした。70年にスティール・ギターの小林勝彦さんとレミさんは「本場」アメリカに渡る事になり、グループは新たにメムバを増強。この時には裕也さんのもっと本格的なロック・バンドを創るんだ、という想いがありました。そして現れたのがジョー山中さんです。彼は491(フォー、ナイン、エイス)というキリスト教の教えに由来する名前を持ったグループ・サウンズで世に出ましたが、時すでにGS協奏曲は最終楽章で良い結果を出せず思案していたところを、裕也さんに掬い上げて貰ったのです。赤坂のクラブ出演中に見い出されたと聞いています。
 麻生レミと小林勝彦に、まだジョー・アキラとクレジットされているジョー山中を加えた過渡期の最強軍団フラワーズは2枚組LP『ロックンロール・ジャム’70』(Pヴァイン PCD-7228/9 再発)で聞けます。このアルバムは、モップス、ハプニングス・フォー、ザ・ゴールデン・カップス、そしてフラワーズが、渡辺プロダクションの運営だった銀座の「メイツ」というクラブで行った実演の記録です。グループを超えてメムバ相互のセッションも含まれた画期的な演奏会です。これ自体がおそらく裕也さん、あなたの企画ではないでしょうか。1969年に発表された『ライヴ・アドヴェンチュアズ・オヴ・マイク・ブルームフィールド・アンド・アル・クーパー~フィルモアの奇蹟』(ソニー SICP-5368/9 )が頭にあったのかも知れません。出演者たちは皆、欧米水準の同時代的音楽創造意欲を持っていました。
 ここでのフラワーズは凄いですよ。明らかにロックの音を出しています。ギターにはもうビーバーズから石間秀樹(今は秀機)さんが入っていて、レッド・ゼペリンのデビュー・アルバムに収められていた“ユー・シュック・ミー”を、ほぼ完璧に再現していました。この後フラワーズは、ジョー、石間秀樹、そしてベイスは上月ジュンさん、ドラムズに和田ジョージさんを擁して、ザ・フラワー・トラヴェリン・バンドとなります。裕也さんも基本的にはメムバの一人だったのですが、「リード・タムバリン」という人を食ったような楽器の担当で、実際の演奏に加わる事はありませんでした。彼が心の中で目指していた新しいサウンドに、自分は不要だと判断したのでしょう。でも活動には常に同行して、舞台にも上がっていました。結成直後の70年に「花の瘋癲楽団」が朝の若者向けヴァラエティ生テレビ番組「ヤング720(セヴン・トゥー・オウ)」に出演した時、裕也さんはスロウ・テムポーのロックに合わせて、静かに、思わせぶりにリード・タムバリンを振っていました。

 裕也さん、あなたをわたしが初めてぢかに見たのは、あなたがまだザ・フラワー・トラヴェリン・バンドの一員だった時です。場所は京都で、比叡山ロック・フェスティヴァルとかいう名の、スキー場で夜通し行われた音楽大会でした。お昼過ぎから翌朝まで長い時間の開催だったのですが、他の出演者は稲垣次郎とソウル・メディア、そして北山修しか思い出せません。
 真夜中を過ぎて会場に着いたザ・フラワー・トラヴェリン・バンドは別格的なカッコ良さでした。知り合いに会うと深夜なのに「あ、おはようございます」なんて言ってるのもプロっぽかった。野外の音楽会ですから比較的自由に動けたので、わたしは惹かれるようにすぐそばをウロついていたのです。裕也さんに声を掛けたら「おう」と気軽に挨拶を返してくれました。そのすぐ後でツボを抑えられず時間のかかった音響セッティングに苛立っていたのも覚えています。グループはまだ欧米ロックのコピー演奏をしていました。キング・クリムズンの“21世紀の精神異常者”やレッド・ゼペリンの“胸いっぱいの愛を”などは迫真の出来で、大ウケでした。他には「チャーリー・マッセルホワイト・ブルーズバンドの……」と裕也さんが紹介した重たいブルーズ曲も忘れられません。
 裕也さん、あなたはこのステージでリード・タムバリンを打ち鳴らす事はありませんでしたが、演奏に加わらないメムバとして微妙な立場を維持していました。その距離感と身なりが全くもってクールでカッコ良かった。わたしはシビレました。

 その頃の日本に於けるロックは、海外の流行や国内のレコード会社に振り回されていたのが実情です。大きなアムプリファイア、エレキギターを始めとする電気楽器、騒々しい大音量、そしてヒッピーのような風俗と、見た目はそこそこですが、肝心な音楽の主題が希薄でした。結局は借り物で、外側を真似しているだけだったのです。それでも裕也さんは「インタナショナルにならなきゃダメだ」という主張を訴えました。
 この時にザ・フラワー・トラヴェリン・バンドが目標としていたのはイギリス風なハード・ロックだった筈です。レッド・ゼペリンの衝撃波は世界中に凄まじく伝わり、極東の島国にも及びました。わたしは当時からこのグループを目の敵にするほど嫌いなのですが、彼らによって音楽の悦びに目覚めた人たちがこの国にも大勢いる実状は、認めざるを得ません。
 電気楽器、演奏技術の進歩、大音量化、そしてブルーズ的な歪みが美徳になり始めた世の中でポップ音楽がハード・ロック的に進んでいくのは自然な流れで、この国の洋楽ジャーナリズムもハード・ロックを支持していました。裕也さん、あなたは欧米に堂々と対抗出来る、オリヂナル曲を持ったレッド・ゼペリン級のハード・ロック・グループを国内で結成し、世界に君臨する事を目指していたのですね。
 そのためにメムバを送り出した、無謀とも言える1971年のカナダ武者修行で、彼らは途方に暮れていたそうです。見知らぬ土地で頼れるのは自分たちだけ。演奏家ユニオン加入もままならず、仕事を取る手立てもない。「本当に困ってると、いつも裕也さんがお金を持って来てくれた」、これは石間秀機さんから聞いた話です。
 「インタナショナルで勝負するために英語で歌うんだ」これが裕也さんの絶対に譲らない持論でした。GS以前からこの国では「洋楽は邦楽より一階級上の音楽」というおかしな価値基準が定着していて、原語で唄うのがカッコ良く本格的とされていましたから、音楽愛好少年たちがバンド編成で操るのは、覚束ないとはいえ自然と英語になります。それを裕也さんは「インタナショナルで勝負するために」と、強く意識して徹底したのです。
 すでに当時この国では「フォーク」という音楽領域が、青少年を蝕みつつありました。奴らは時折り反体制的な姿勢を見せますが、ほとんどは私小説のような痴話を生ギターで爪弾きながら語る、これがこの国の「フォーク」音楽です。GS騒動で疲弊した音楽業界、次のスターやヒット曲を求める若い世代はすぐ飛びつきました。ロックに較べて装備が軽く真似もし易い。自作楽曲もテキトーにすぐ作れます。
 この形はあっという間に全国津々浦々で定着しました。舞台の上で椅子に座って譜面台を置いてギターの弾き語りをする日本のフォークの様式は、この時に始まったのです。ボブ・ディランは決してそんなスタイルで唄わなかったのに。
 一方で、バンド編成でロック的な音楽性を持っていても母国語、つまり日本語でオリヂナル曲を書き唄うグループが登場し始めます。こちらの代表は、はっぴいえんどです。彼らはエイプリル・フールという名前で新宿のディスコティックやゴー・ゴー・クラブなどに出演していて、中心人物、柳田ヒロのオルガンをフィーチュアしたハードなプログレ的ロックを得意としていました。1969年発表のLP(コロムビア YS-10068)で、その現実を確認出来ます。彼らもまた「外国での反響を知る為には英語でないと……」という方針から、日本語詞を持つ歌はアルバム中2曲だけでした。
 そのエイプリル・フールが発展的に解消し新規に組まれたグループが、はっぴいえんどで、自分たちが日常で接した事象を、普段しゃべっている言葉で、ロック編成の趣味の良いアンサムブルに乗せて唄うという新機軸でした。日本語詞という事でフォーク系の演奏会にもよく出演し、松本隆さんの描いた都会の情景、細野晴臣さんに代表される手堅い演奏で人気を集め、徐々に高い評価も得て行きました。
 裕也さん、あなたはこれが面白くなかったんですね。月刊音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』は、他の音楽誌や電波媒体が採り上げないこの国に於けるロック現象を、いつも現場から真剣に捕らえ、誌上で重要な主題として展開していました。そこでよく行われたのが座談会形式の討論です。あらゆる状況が過渡期だったその頃は、さまざまな問題について語り争われましたが、最も燃え上がるのは「フォーク対ロック」、「日本語対英語」論争でした。もちろんロック派、英語派の代表は内田裕也です。これらの座談会は大抵興奮気味に終わっていました。

 ところで、今も昔もこの国の一般的な人たちの英語力は、それほど高くありません。洋楽を聞いていても、殆どは何を唄っているのか分からない人が殆どで、わたし自身もそこに含まれます。何で日本人が日本人の為に英語で歌わなきゃいけないんだ、と矛盾を感じていた人たちが多くいたのも事実です。
 この頃の欧米にカブレて作られたロックには言葉がなかった。だからフォークにやられてしまったんです。キャロルが1972年に最初のアルバムを吹き込む時、詞(ことば)を英語にするか日本語で行くか、真剣に討議されたと聞きます。英語だったらあんな成功は成し得なかったのではないでしょうか。
 この言語論争にしても裕也さんは「インタナショナル」以外の根拠が希薄で、“銃を取れ”、“世界革命戦争宣言”などを刺激的な日本語で唄った頭脳警察のパンタとは仲が良かったですから、何も日本語で唄う事の全てを忌諱していた訳ではないのでしょう。フォークと呼ばれる健全で保守的、絶対安全地帯の雰囲気、器用に立ち回る小賢しさ、ビューチフルな優しさを強調する軟派な心情が、若者として許せなかったんだ、わたしはそう考えています。まして「ですます」調で都会東京に育った微熱少年の繊細な心の動きを唄う「はっぴいえんど」の動きは大いに癪に障った筈で、これには当時からわたしも同感でした。ただ若者たちのはっぴいえんど支持は強くなる一方で、それが更にあなたを苛立たせたんでしょう。
 この裕也さんの心意気は、田舎育ちの人間にも共感出来ます。その頃のわたしはエルモ・ジェイムズに出会ったばかりでブルーズ音楽にイカれかけていたのですが、迷う事なく裕也派に従いていました。

 今世紀になってはっぴいえんどはとても高い評価を受けるようになり、メムバの細野晴臣さん、大瀧詠一さんは神様のような存在です。そういう再評価の時に、裕也さんとのせめぎ合いの事実がどこからも語られないのが、わたしとしては大いに物足りない。面白い話があります。この論争が激しかった頃、恐らくは1971年前後だったでしょう。はっぴいえんどその他の「フォーク」な人間たちが裕也さんに呼び出されて詰問されたというのです。場所は品川の方で、座敷に座らされて「お前らどういうつもりだ」と、責められたそうです。これは呼び出されたひとりの方から聞きました。ただその場の誰にもこの人は何を言っているんだろう的な印象しかなく、はっきりとした答えも出ないままシラけて散会となったそうです。
 こうした独り相撲や空回りは、常に裕也さん、あなたの得意技でした。まだバンド付きの専属歌手として唄っていた頃、自分のリパトゥワにデューク・エリントンの“キャラヴァン”を選び、一生懸命に稽古して「どうだ、参ったか」とばかりに披露するつもりだったその日、ジャズ喫茶で出順が先だった別のグループが同じ“キャラヴァン”を採り上げ、フツーに唄われてしまったそうです。裕也さんは激怒、「どういうつもりだ」とその唄い手を裏口に呼び出し、半ば喧嘩腰で抗議したという話が自伝に出ていました。当の相手は何の話なのかさっぱり分からなかった事でしょう。

 1970年代初頭の音楽会は大抵がフェスティヴァル形式で、個人やグループの単体公演などはまだ現実的ではありませんでした。そういう場合には関わる全てを取りまとめる人間が必要です。企画立案から始まって、日時場所の決定、出演料、出順、使用機材、告知宣伝、入場券販売、警備そして一番大切な精算など全般を取り仕切る顔役として「プロデューサー」がいなければ開催は出来ません。裕也さんはロックの代表としてこの大役をいつも背負っていました。他に誰もこの種の業務を引き受け、行える人間がいなかったからです。しかも大抵の場合は自分も出演者のひとり。「全部仕切って自分も唄って、それでみんなにギャラ払ってっていうの、ひとりでやるんじゃ辛いね」こんな事も言ってましたね。その通りでしょう。プロデューサーは名誉職ではありません。
 その頂点が1974年の郡山ワンステップフェスティヴァルでしょうか。福島県郡山市の陸上競技場で行われたこの野外音楽会には全国から41組もの「ロック」演奏集団が参加した大規模なものでした。ヨーコ・オノ・アンド・プラスティック・オノ・スーパー・バンドを出演させられたのも、高く評価された点です。内田裕也の考えるロック革命が一歩実現に近づいたのです。一般公演で来日中だったクリス・クリストファスンとリタ・クーリッヂが飛び入り的に出ていたのは、わたしもこれまで知りませんでした。確かに「インタナショナル」です。
 ただし当然ながら現場はかなり混乱していたようで、関係した人たちは終わってからもさまざまな処理に追われました。なのにこの一大催事はすぐに忘れられてしまうのです。わたしより15歳ほど年下で地元郡山出身の非常に真面目なロック音楽好きが、このワンステップフェスティヴァルについて全く知らなかったのは少々驚きでした。
 裕也さん、あなたはここで当時はキャロルのメムバだった矢沢永吉さんと揉めたんですよね。彼の「ヘリコプターで会場に降りたい」という要望を主催者であるあなたが拒否したのが原因だったとか。この確執はその後も続いたようで、ふたりは仲が良くないというのが通説でした。しかしキャロル最終公演のゲストとしてエーちゃんに「ロックンロール・ウチダ・ユーヤ」と呼び出され「俺と矢沢はいろいろあったけど、解散と聞いて残念に思う。4人のメムバに暖かい拍手を送ってやってくれ」と感動的な檄を飛ばしています。小雨のパラつく1975年4月13日、日比谷野音が一番盛り上がった瞬間は、この時でした。わたしも観客としてそこに居ました。実況録音盤『1975.4.13』(フィリップス PHCL-3031)で、次に唄われた“ジョニー・ビ・グーッド”に繋がる流れを聞く事ができます。
 さて内田裕也プロデュースのワンステップフェスティヴァルは翌75年にワールド・ロック・フェスティヴァルとなります。今度は一箇所ではなく札幌、名古屋、京都、東京、仙台を転戦する全国的な催事でした。海外からはジェフ・ベックが、マクス・ミドルトゥン、バナード・パーディらを連れて参加。他にもニューヨーク・ドールズ、フェリクス・パパラルディが出演しました。目玉となるジェフ・ベックが京都と仙台の公演を体調不良で欠場したものの、結果は成功。国内演奏家も海外からの参加者も対等に扱う姿勢に、裕也さんの「インタナショナル」感覚が現わされていました。この時に「イーストランド」という名の事務所も設立されたのではないですか。これが40年以上続いている毎年大晦日に始まって元旦に終わるニュー・イヤーズ・ロックフェスティヴァルに繋がっているのでしょう。

 1973年4月にフラワー・トラヴェリン・バンドの活動が休止状態になると、裕也さんも人前に出る事がなくなりました。それで本腰を入れてロックンロールを唄い出しました。正式なデビューは1959年で、持ち歌はロックンロールと洋楽ヒットのカヴァでしたから、原点回帰とも言えます。ただフラワー・トラヴェリン・バンド時代にだって、得意とするロックンロールは冴えていました。このグループは「欧米に堂々と対抗出来るレッド・ゼペリン級のハード・ロック」が目標でしたし、独自の東洋風なオリヂナリティも加味されていましたから、実演では重たくて複雑な長時間演奏という楽曲が続くのです。その中間部に、裕也さんが登場して古いロックンロールを数曲、チョコチョコっとキメる。これが何とも言えずカッコいい。当時出回っていたレッド・ゼペリンの海賊実況録音盤なども参考にしたのでしょうが、こんなイカした組み合わせはなかったですね。ピカリと光ってました。お客さんも大喜びで気分転換にもなり、重たくて複雑なフラワーの後半戦もより充実します。
 この内田裕也短縮版ロックンロール・ショウには、実はわたしも参加した事があります。72年のフラワー凱旋公演の前座を務めた時に、楽屋でわたしの奇妙な衣装を裕也さんが気に入ってくれて「ユーは何を弾くんだね」と声を掛けてくれたのです。「ピアノです」と答えると、「真ん中でロックンロールを演るから、そん時に出て来いよ、ただし、そのままのカッコで」と誘ってくれました。高校3年生の向こう見ずは喜び勇んで飛び入りしました。キイはその場で石間英機さんが指で教えてくれました。“ブルー・スウェード・シューズ”は「D」で二本指のVサイン、“のっぽのサリー”は「G」なので五本指、じゃんけんの「パー」です。
 わたしは遅れてきた単純なロックンロール好きで、その頃は周囲に数多蔓延るハード・ロック狂どもにひとりで抵抗を続ける毎日でしたが、ここでカタキを取れました。生まれ育った静岡市で1972年に毎月開催されていたサンシャイン・コンサート第3回の出来事です。

 唄い手に戻った裕也さんは専属の「1815ロックンロール・バンド」と共に活動を続けますが、何しろここはメンバが不定で、独自の響きを追求したわけでもありません。リパトゥワにも余り変化はなく、リード・ヴォーカリストの属性だけで維持されていた感が強いですね。結局ロック系フェスティヴァルでの賑やかし的な域を超えられなかったような気がします。
 個人名義のレコード制作も数えてみれば数になりますが、わたしには消化不良となるものが多く、単純なロックンロール好きには、1973年の『ロックンロール放送局』が一番しっくりと来ます。
 その後、裕也さんは映画に出るようになります。前述のように若い頃から端役で何本もの作品に出演していますが、70年代後半からは、いわゆる「問題作」から重要な役どころで声が掛かるようになり、1986年発表の『コミック雑誌なんかいらない』では脚本も担当しました。
 この頃から「内田裕也はコワモテで乱暴な男」という一般認識が強くなって来たように感じます。確かに昔から気に入らない事があると、すぐ喧嘩腰になって言い掛かりを付けるような性格でしたが、ロックに命をかけていた頃のあなたはある意味で謙虚だった。映画に出るようになってからは、確立した「危険な」一般認識の中だけで生きるようになってしまったように見えます。
 もちろん世の中にはそれがカッコいい、として持て囃す人たちが大勢いる事も分かっています。ただ裕也さん、あなたには功成り名を遂げた芸能人が一番売れた頃の自分のパロディを演じて生きるような事は、して欲しくなかった。
 1991年の都知事選立候補も納得が行来ません。政見放送を見ました。あれではただのスタンド・プレイと取られても仕方ないのではないでしょうか。得票は意外と多かったようですね。投票した人たちは何をあなたに託したかったのでしょう。芸能人であろうと運動選手でも、政治に興味を持つのは当然と考えているわたしの見解です。

 裕也さん、あなたが日本にロックを浸透させようと躍起になっていた頃、あなたはふたりの人たちに助けられています。ひとりは中村とうようさんです。1969年にニュー・ミュージック・マガジン社を設立し、「ロックのリトル・マガジン」として『ニュー・ミュージック・マガジン』を創刊した、初代編集長です。
 ふたりの関係を象徴的に現す出来事に、わたしは出くわしています。以前、月刊誌『出版人・広告人』という業界誌の2015年3月号に書いたので、そこから引用いたします。「中村とうよう お別れの会」での話です。

  中村とうようニュー・ミュージック・マガジン(1980年ミュージック・マガジンに改名)編集長は後年、博識な民族音楽愛好家、重鎮として音楽界に君臨していたので、弔辞も「ワールド・ミュージック」への貢献を讃える内容が多く、会全体は非常にアカデミックな雰囲気に満たされていました。
  その最後に、ロックンロール内田裕也が突然登壇。「ワールド・ミュージックが何だ。俺たちにとって中村とうようの最大の業績は、この国に『ロック』を正しく紹介した事にあるんじゃないのか」というような啖呵を切ったのです。カッコ良かったですよ。
  集まった人たちは今でこそ、様々な音楽業務、研究、愛好に携わっていますが、69年のニュー・ミュージック・マガジン創刊期、あの夜明け前に、同じ夢をロックに託した人たちのはず。そこを振り返らないで、ナーニが民族音楽だ、というひと言。みんな凍り付きました。
  何となくお上品な雰囲気がつまらなかったわたしは、その時に思わず「異議なし」の拍手をしました。極めて自然な反応だったのですが、周囲からの冷やかな視線放射を、全身に浴びせられました。そこをカメちゃんが「あ、拍手が起こりました」と被せてくれ、すぐに雰囲気は楽になりました。

 これは、この会で司会を務めた亀渕昭信大先輩について書いた文章ですので、少し焦点がズレていますが、雰囲気は伝わりますでしょうか。遅れて来た裕也さんは白髪を肩まで長く伸ばして、ステッキを突き、上着、ズボン、スニーカーまで白という恐ろしい出で立ち。それだけで、参加者全員が震え上がりました。
 確かに『ニュー・ミュージック・マガジン』誌の創刊はこの国の音楽にとって意味ある事でした。それまで音楽産業に於ける消耗品的だったポップ音楽が世界を変えて行く原動力になりかけていたこの時代に、その動きに対応していたのは『ニュー・ミュージック・マガジン』だけです。そして紹介される音楽の中心はロックでした。
 中村とうよう編集長は誰よりも裕也さんを可愛がっていたように見えます。同じ関西出身者という事よりも、相手が誰であれ世界水準の音楽と対等に接する姿勢、そして長いものには巻かれない反骨精神に共鳴したのではないでしょうか。先に述べたように、他のどんな媒体からも無視されていたこの国に於けるロック現象を重要な主題として展開していた『ニュー・ミュージック・マガジン』を読めば、常に孤軍奮闘という表現がぴったりの裕也さんの動向も測り知ることが出来ました。
 1972年11月号に掲載された、ふたりの半ば個人的なやりとり「ロックンローラーの苦悩につての往復書簡」は、生々しく感動的な内容であると共に、当時の困窮したロック状況を的確に伝えてくれます。実際その頃のロックの人間は本当の食うや食わずで喘いでいました。この時代に彼等がどうやって生計を立てていたかは、大きな謎です。内田裕也もそのひとり、いや代表でしょうか。「金持ちのボンボンかヒモでもなけりゃ、ロックは続けられない」という名台詞を吐いたのも裕也さん、あなたでしたね。
 1973年5月号からは本誌で内田裕也対談が始まります。第1回は五木寛之が相手。その他沢田研二、パンタ、ロンドン取材では犬猿の仲だった成毛滋、フェイセズに加入した山内テツなどが登場、ロックの事実に則る充実した対論が繰り広げられました。連載終了後も何度か内田裕也は誌面に登場します。「内田裕也をなんとか助けよう」そんな情熱的な想いが中村とうよう編集長にあったとわたしはずっと感じています。
 最新の2019年6月号ではあなたの追悼巻頭特集が組まれていて、長いお付き合いのあったエディ藩さんと近田春夫さんの対談が面白かったですね。本音で語られた様々な出来事の思い出から、裕也さんの人格が浮かび上がって来ます。ただこの特集自体が、わたしには大いに意外でした。マガジンとの関係は1991年の都知事選出馬以降、断絶状態だった筈です。中村とうよう元編集長が亡くなった後の2011年10月号に掲載された2頁の談話記事以来でした。現在の編集部員に裕也さんと接触のあった人間はいないでしょう。
 さてもうひとり、あなたを守ってくれたのは折田育三さんです。日本グラモフォンから新設のワーナー・パイオニアに移った折田さんは、ロックの世界をリードしていた親会社ワーナー・ブラザーズに倣ってロック路線を突っ走りました。その代表格がフラワー・トラヴェリン・バンドです。折田さんの理解と協力がなければ『サトリ』から『メイク・アップ』までのレコードが作れなかっただけでなく、グループの存続すら危ぶまれた事でしょう。アトランティック・レコードのネスヒ・アーティガンとの間でシングル盤「サトリ パートII」全米発売の契約を結べたのも、橋渡しをした折田さんのおかげです。その後も内田裕也名義でLPを何枚か作ったり、日本テレビ夕方の子供番組「マンガ・ジョッキー」の主題歌として裕也さんに「マンジョキ・ロックンロール」(ワーナー・パイオニア L-1141E)を唄わせたのも、絶対に折田育三さんの仕業だと睨んでいます。
 裕也さんを大切にしていたという点では、折田さんもとうようさんに負けないでしょう。ワーナー・パイオニアが六本木にあった頃は、彼の権限で内田裕也専用の机が置かれ専任者も出入りしていて、事務所のように使わせてもらっていましたね。あの人はグラモフォン時代に担当していたスタックスのR&Bが大好きな、音楽の分かる人間でした。オリヂナルで世界水準の音楽を作ろうと努力している裕也さんに、大いにこと寄せたのではないでしょうか。
 1981年12月、わたしは六本木ピット・インで、シカゴからやって来たジョン・リトル・ジョンが演奏するブルーズ・ショウのラジオ放送用収録をしていました。その開演直前に、「今そこで裕也にあったんだよ。本物のブルーズのライヴだから、お前も観とけって誘ったんだけど、あいつ来ねえんだよ」、という会話を耳にしました。喋っていたのは、中村とうようさんか折田育三さんのどちらかです。憶えていませんか、裕也さん。

 袖すり合う程度の縁を頼りに、わたしたち静岡ロックンロール組合が1973年に自主制作した『永久保存盤』を送ったら、「このレコード全国で出してやる」と六本木のアマンドに呼び出されました。そしてすぐそばのトリオ・レコードに連れて行かれて、担当者に引き合わされ「マスター・テイプを持って来い」となりました。偶然そこにかまやつひろしさんが居合わせて、「こいつロックンロールなんだ」なんて紹介されて、もうわたしは舞い上がりの絶頂に昇り詰めました。ただ肝心の裕也さんは、この後にすぐニューヨークへジョン・レノンとオノ・ヨーコに会いに行く予定が控えていて、頭の中はそれで一杯だったようでした。「俺はロペに寄ってく。じゃあな」と外苑東通りを信号無視して渡っていった姿を、まだ鮮明に覚えています。ベルボトムにロンドン・ブーツ履いててカッコ良かった。
 マスターはすぐ届けたのですが、結局この話はそれっきりでした。この年は「ロックンロール馬鹿」公演や結婚もあってご自身が忙しかったから、それどこじゃなくなったんでしょう。1990年代に取材でお会いした時、赤坂の蕎麦屋で先の「ロックンロール共演」やこの『永久保存盤』の一件を話したのですが、潔いほど何も覚えてくれていませんでした。そうそうトリオ・レコード事業部の前原進さんという、その時の担当にも後年お会いする機会があったのですが、この人の記憶にも全くなかった。ほぼ幻のような話です。わたしたちにウラミツラミは何もありません。確証はありませんが、この手の話は他にもあったんじゃないか、そんな気がします。
 その何年か後に『週刊プレイボーイ』の企画で「内田裕也が選ぶ12枚のロックLP」に組合の『永久保存盤』入っている、と人づてに聞いた事があります。わたしは実際に確かめた事がなかったのですが、先日の訃報の後で知り合いが証拠写真を送ってくれました。選出の厳密な基準は分かりませんが、スライやストーンズ、キャロル、頭脳警察と並んでいるのは密かな誇りです。フラワーが入っていないのはいいのかな。
 この自主制作盤は2008年、若い世代に「発掘」されCDになりました。正直なところ、とても恥ずかしかったですね、聞き直すのは。

 裕也さん、あなたはいつも時代の狭間に生きていました。わたしがそれに気づいたのは、20歳を過ぎた頃です。例えばロカビリー歌手でデビューした1959年にはもう時代は変わっていて、明るく楽しく健全な洋楽ヒットに日本語詞を乗せたカヴァ・ポップスが台頭していましたから、ここでは大見得を切る事が出来なかった。66年から押し寄せたグループ・サウンズの狂乱期にはすでに10代の男の子ではなく年長者でしたから、渦の中には入れませんでした。大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」であのGS筆頭タイガースをスカウトしたにも関わらず、です。当初はメムバのひとりで、グループ名も「内田裕也とファニーズ」ではなかったでしょうか。それがプロダクションの意向で追い出されてしまった。そしてロックの時代には初めから重鎮でしたから、思うように動けなかったようにも見えます。周りの人もあなたの扱いには困った筈です。
 常に時代とのズレがあって、早いのか遅れているのか微妙な位置でした。これは運命とも言えます。先に挙げた『ニュー・ミュージック・マガジン』の連載対談の中では、この自分の動きと同期しない時代との葛藤が何度か顔を覗かせていて、自分を振り返りながら今までになく深い思考と共にあったような憶えがあります。終生付き纏った、いや、あなたを支配したと言っても良い、潜在的な劣等感にはこの皮肉な現実が作用したのでしょうか。わたしの知りたいところです。
 アルファ・レコードから“学生街の喫茶店”の大ヒットを飛ばしたガロ、彼らを見出したのも、裕也さん、あなただったそうですね。レコード制作の話が裕也さん主導で進んで行く中である日、打ち合わせにはミッキー・カーチスさんが出て来た。メムバのヴォーカルこと大野真澄さんが「裕也さんは……」と尋ねたところ、ミッキーさんが「いろいろあったんだよ」と吐き捨てるように答えたそうです。この話も面白くありませんか。

 裕也さん、あなたはとんでもない照れ屋だったのではないですか。MCなどに英語を使うのは、その現れに見えます。その反面、強烈な自己顕示欲を義務であるかのように背追い込んでいる。この矛盾に適切な対処が出来ないまま、「ロックンロール」と「シェケナベイビー」だけで世を凌ぐ存在が、一般的な印象になり浸透してしまった。これは悲劇です。
 1973年以来続いた不思議な夫婦関係も大いに話題となりましたが、結局は相手が樹木希林さんという少々変わった、しかもしっかりした女優だったからこそ面白い話となったのではないでしょうか。「ここ数年間、ずっと芸能界的なところから離れよう、離れようと努力し続けて来た」、これはあなたがロックの流布に没頭していた頃に、ふと漏らしたひと言です。わたしの心には強い説得力を持って響きました。「芸能界的なところ」とは、かつて在籍していた渡辺プロダクションなのかも知れません。ただ結局は大物女優の破滅型亭主という芸能人で終わってしまった。これも悲劇です。
 わたし自身、裕也さん、あなたから大きな影響を受けたひとりだ、と自信を持って言えます。子供の頃から音楽の裏方仕事を志したのも、あなたの姿を見たからでしょう。唄う人、楽器を弾く人だけじゃなくって、その周りで動く人が大切なんだ、こんな考え方は、裕也さんから学んだ事柄です。決して表方になれなかった負け惜しみではありません。どうもありがとうございます。
 つい色々な想い出話で長くなりました。ご長女の也哉子さんが4月3日の「ロックンロール!葬」で「安らかに眠るな」と送ったそうですね。でもわたしが捧げる言葉は違います。今もたったひとつだけ、引っ掛かる点がありますけれど、裕也さん今度ばかりは、どうぞゆっくりと落ち着いてお休み下さい。

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