「Noton」と一致するもの

そこにはポップのすべてがあり、
それは戦後アメリカの最初に陰り(=ベトナム戦争)のなかで起きた。
そしてそれは、いまだに眩しい……

重版出来『ボブ・ディランは何を歌ってきたのか』、ヒット作『70年代シティ・ポップ・クロニクル』に続く萩原健太の書き下ろし新刊。
『スターウォーズ』を撮る前にジョージ・ルーカスが手がけた最初の商業映画、『アメリカン・グラフィティ』の徹底解説にしてポップ・ミュージックの原点を巡る旅。
それは戦後アメリカで、最初に陰り(=ベトナム戦争)が見えた時代に起きた分水嶺だった。時代の光と闇のなかで生まれた音楽、そしてその後さまざまスタイルに多様化し、世界中の多くの人たちを魅了するポップ・ミュージックのすべては『アメリカン・グラフィティ』に集約されている!

古き良き時代への抑えがたいノスタルジー、アメリカという国が見せる光(文化)と闇(政治)の合奏、そして21世紀のいま、なぜ『アメリカン・グラフィティ』なのか。
ほろ苦くも心温まる、音楽エッセーです。

Steve Hauschildt - ele-king

 エメラルズは00年代末期から10年代初頭の「インディペンドな電子音楽」たちに重要な影響を残したバンドだったと思う。ゆえに2010年に彼らが〈エディションズ・メゴ〉から出した『ダズ・イット・ルック・ライク・アイム・ヒア?』を聴いたとき、もしかするとこのバンドは近い将来、〈ワープ〉に移籍し、時代を代表するバンドになるのではないかと想像したものだが、しかし、現実には、同年〈エディションズ・メゴ〉からアルバム『リターナル』をリリースしたワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)が、そういう存在になった。歴史に「もしも」はないが、仮に未遂のまま残された「可能性」があるとしたら、エメラルズというバンドもまたそういった「可能性」のひとつだったのではないかと常々、考えてきた。そう思ってしまうほどに、ラスト・アルバム『ジャスト・トゥ・フィール・エニイシング』には、とても悲しい分裂が、ある種の中断のように生々しく刻印されている。

 なぜ、エメラルズは崩壊し、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは継続したのか。答えは簡単だ。前者がバンドであり、後者はソロ・プロジェクトであったからだ。となればエメラルズの最大のウィークポイントはもしかするとバンドであったことにあるのか。だが、それは必然でもあるのだろう。なぜか。バンドはやがて解散する。これは真理だ。むろん、解散しなくても固定化する。もしくは流動化する。これらもやはり真理だ。いずれにせよ形式化する。つまり多と他の融合から生まれる刺激は消え去る。言うまでもないが他人との融合から生まれた可能性は壊れやすい。しかし、それゆえ魅力的であったりする。

 エメラルズはシンセサイズドされた電子音とギターによるサイケデリックな音楽を奏でるバンドであった。タンジェリン・ドリームからアシュラ・テンプル、 テリー・ライリーからポポル・ヴーを思わせるオールドスクールな電子音は、むろん、単なるレトロ趣味ではなかった。ギターのマーク・マクガイア、シンセのジョン・エリオット、エレクトロニクスのスティーヴ・ハウシルトらは当時20代であり、回顧趣味などとは無縁に同時代のモードを体現していたはず。それは、エメラルドのような電子音サイケデアリアの実現である。まだ、「ポスト・インターネット」なる言葉が一般化する前の時代のことだが、2010年代前半以降のヴェイパーウェイヴやシンセウェイヴ的な音とエメラルズのサウンドはどれも近似性が高い。2009年に〈ノー・ファン・プロダクションズ〉からリリースされた『ホワット・ハップンド』や、同じく2009年に〈ワゴン〉からリリースされた『エメラルズ』などを今の耳で聴き直してみると、現行のシンセウェイヴ的な作品たちに与えた影響の大きさを痛感してしまう。となると、2010年に〈エディションズ・メゴ〉から出た『ダズ・イット・ルック・ライク・アイム・ヒア?』がいかに決定的なアルバムであったのかも分かってくるだろう。グリッチ・オリジンたるこのレーベルがピックアップした「新しい電子音楽」だったのだ。2010年においてエメラルズとワンオートリックス・ポイント・ネヴァーはそのような輝きを持っていた。

 だが、エメラルズは分裂する。メンバー間の音楽的な嗜好性に大きな変化が生じたのだ。『ジャスト・トゥ・フィール・エニイシング』において、これまでマニュエル・ゲッチングをインディ・ロック化したようなマーク・マクガイアのギターを中心に作られていたトラック/アンサンブルは、メンバー間の新しい音楽の志向を模索するかのように、ものの見事に(と言いたいほどに)バラバラになった。中でも、もっとも重要なのは、スティーヴ・ハウシルトの変化だ。彼は、多彩なジョン・エリオットの影に隠れていた印象があったが、『ジャスト・トゥ・フィール・エニイシング』には、彼の存在を強く感じた。それは端的にいえば、ビートの導入である。しかし、その新しい要素=ビートが、エメラルズの奇跡的なアンサンブルを変化させてしまったことも事実だ。当時のマーク・マクガイアのギターとジョン・エリオットのシンセは、それほどビートを必要としていなかったのではないか。

 しかし、である。エメラルズというバンドが「ネクスト」へ至るためには、ビートの導入は避けがたいものだったのかもしれない。なぜなら、そのような「異物」の導入がないと、次第にマーク・マクガイアのギターは洗練され、いわゆるカフェ・ミュージックに近いものになってしまったはず。じじつ、エメラルズ以降の彼のソロは、それほどエポックな印象を残してはない(すぐれた作品であるのは大前提だが)。たぶん、スティーヴ・ハウシルトはバンドのサウンド・デザイナーとして、未来を見据えていたのだろう。とはいえ、スティーヴ・ハウシルトの2012年作『セクィトゥル』を聴いてみると、『ジャスト・トゥ・フィール・エニイシング』と非常に近いサウンドを展開しており、エメラルズ解散の理由が分かってしまうし、まだ自身のサウンドを掴み切っていない印象でもある。しかし、〈エディションズ・メゴ〉からリリースされた自身の未発表曲集をまとめた『S/H』を経て、2015年に〈クランキー〉からリリースされた『ホエア・オール・イズ・フレッド』で、彼はついにエメラルズ以降のサウンドを見出したように思う。シンセのレイヤー/アンサンブルに確信に近いものが生まれていたのだ。コンポーザーとしての力量も格段に上がったように思える。

 そして、この新作『ストランズ』である。リリースは常連の〈クランキー〉から。本作こそ、あのエメラルズが残した(もしくはやり残した)「理想」を引き継ぐアルバムに思える。まず、シンセサイザーのレイヤー感覚が、オールドスクールで10年代的なシンセ・サウンドを基調にしつつ、より音楽性の拡張を感じさせるものになった。1曲め“ホライズン・オブ・アピアランス”や6曲め“タイム・ウィ・ハヴ”に象徴的だが、よりエモーショナルな楽曲になり、コンポーザーとサウンド・デザイナーのふたつの側面が見事に拮抗している。さらに、2曲め“セイム・リヴァー・トゥワイス”には「声」の要素も導入され、色彩豊かな音楽性も実現した。加えて、エメラルズ時代から長年の課題であった「ビート」が、よりシンセ・サウンドにマッチングするように音色やプログラミングも含めて大きく変化したのだ。「ビート」という点では、4曲め“ケトラセル”に注目したい。ミニマルな印象のリズム・トラックに、ミニマルなシーケンス・フレーズと幽玄なメロディが重なり、これぞアフター・エメラルズではないかという感慨を持ってしまった。

 そう、本作こそエメラルズがやり残した「課題」の実現であり、(ジャーマンロックの系譜に繋がるサイケデリックなシンセ・サウンドの(ポップな)拡張という点で)、エメラルズの「理想」の延長線上にあるアルバムではないか。00年代末期に生まれ、10年代初頭にヴェイパーウェイヴやアンビエント/ドローンなどに花開いたインディペンデントな電子音楽の理想、つまりはフィクショナルの電子音楽サイケデリアの生成である。ほぼ同時期にリリースされたジョン・エリオットのアウター・スペース名義の新作『ジェミニ・スイート』とあわせて聴いてみると、エメラルズというバンドの「分母」が、より明確に分かるのではないかと思う。

なりたがりやのくも - ele-king

38年前に刊行された絵本「なりたがりやのくも」は、現代詩人の白石かずこと、
画家・イラストレーターの湯村輝彦が組んだ幻の絵本。
空を漂う主人公の雲が、カタチを変えて変身していきます。
肩の力が抜けるようなゆるい線と彩色で、流れゆく雲の表情を見事に表現しています。
現在、市場にまったく出てこない貴重な絵本を完全復刻します。

Radian - ele-king

 7年ぶりのラディアンの新作『オン・ダーク・サイレント・オフ』は、 トラピストのギタリスト、マーティン・ジーヴェルトが加入したことでエレクトリック・ギターが全面化し、このバンドのサウンドに内包されていた「ロック」と「ポストロック」の問題が、より全面化したように思える。では「ロック」とは何か。簡略化していえば、「ロック」とはリフとビートとノイズであり、それらが電気によって増幅された/される大衆音楽である。ロックにはそもそも非楽音と楽音が内包されていたのだ。

 対して「ポストロック」とは、「録音と編集」の問題が全面化する音楽といえよう(となれば録音作品/商品としてのロック・ミュージックは最初からポストロックたることを「運命づけられていた」)。ポストロックとはロックの継続性と可能性と拡張の問題なのだ。つまり、カート・コバーンの死によって「終わった」とされた「ロック」の荒野に留まることを選び、その場所で、そこに内包されていた可能性を追求していった音楽。そこでの鍵は「演奏」から「聴くこと=編集」への変化である。いまや、ポストロックとは「エモい」インストロック程度に認識されている言葉だが、むしろロック以降の環境の問題なのだ。その環境とは20世紀的な何か(複製、消費、リサイクル)でもある。

 その「ポストロック」においてラディアンは、トータスらに続く世代のバンドだ。ポリヴェクセル、トラピストのメンバーであるドラムのマーティン・ブランドルマイヤー、インノードとしても活動し、ソロ作(2008年リリースの傑作『フィルム』!)もリリースしているシンセ、ギターのステファン・ネメス、さらにエンジニアであるベースのジョン・ノーマンら、いわばオーストラリアはウィーンの音楽家/インプロヴァイザー/エンジニアらがオリジナル・メンバー。彼らは98年に最初のEP「ラディアン」をリリースする。つづく00年に〈メゴ〉からファースト・アルバム『TG11』を発表。そして、トータスのジョン・マッケンタイアをエンジニアに迎え、02年に〈スリル・ジョッキー〉からセカンド・アルバム『Rec.エクスターン』を、04年にサード・アルバム『ジャクスタポジション』をリリースした。これらEPとアルバムの衝撃は凄まじいものであった。ここ日本でも『Rec.エクスターン』と『ジャクスタポジション』の時期は、佐々木敦氏が主宰する〈ヘッズ〉から刊行されていた雑誌『FADER』で特集が組まれ、〈ヘッズ〉から『ジャクスタポジション』やトラピスト『ボールルーム』の国内盤もリリースされたこともあり、「ウィーン音響派」は熱心なリスナーを獲得した。大友良英氏も当時、ラディアンを高く評価していたと記憶する。じじつ、ラディアンのアルバムは、まるで無菌室で生成されたアブストラクト・ロックとでも形容したいほどの実験性と冷徹なクールネスがサウンドの隅々まで横溢しており、トータス、ガスター・デル・ソル以降、最大のポストロック/音響派といっても過言ではない刺激と斬新さと完成度を兼ね備えていたのだ。ガスター・デル・ソルやトータスが見出したロックの荒野(廃墟ではない)から始まる音楽である。

 換言すれば、ブランドルマイヤーをはじめとするメンバーらのインプロヴァイザーとしてのキャリアを「ロック」というフォームのなかに生成変化するようなスリリングさがあったのだ(その意味で、若いジャズ・ミュージシャンを起用したデヴィッド・ボウイの『ブラックスター』と比較してみるのもいい)。じっさいブランドルマイヤーのドラムは叩く、擦るなど、さまざまな方法で音を出し、まるでドラムセットをグリッチ・ノイズの発生装置としてしまう。そのブランドルマイヤーのドラムに、冷徹なネメスのシンセサイザーは非常にマッチしていた。くわえてノーマンのマシニックなベースもアンサンブルの骨組みを支えていた。完璧なトリオであった。しかし、09年にリリースされた『キマイリク』以降、アルバムのリリースは途絶えてしまう。また、ネメスがこのアルバムを最後に脱退したという。この時期は、ある意味、バンドにとってネクストを模索する時期だったのではないか。そして、5年後の14年、ハウ・ゲルブとのコラボレーション・アルバム『ラディアン・ヴァーサス・ハウ・ゲルブ』を突如、発表。その「成果」をふまえ、さらに2年後の2016年、ついに7年ぶりのオリジナル・アルバム・リリースとなったわけである。では、この月日で、ラディアンの何が変わり、変わらなかったのか。

 最初に書いたように本作ではトラピストのマーティン・ジーヴェルトが新ギタリストとして参加している(彼は本作のマスタリングも手がけている)。ジーヴェルトはブランドルマイヤーらとトラピストとして活動していることを考えると、この新ラディアンは、ラディアンとトラピストの融合のようにも思えるし(とはいえ彼らは皆、友人のはずだから、もっとカジュアルな加入だった可能性も高い)、ジーヴェルトのギターは当然ながらトラピストを思わせもする。では、トラピストとラディアンの差異はどこにあるのか。簡単にいえば、トラピストは即興演奏メインだが、ラディアンは演奏からポスト・プロダクションの間にある変化の比重が大きい点である。そして、本作のポスト・プロダクションの緻密さや大胆さは、まさにラディアン的としかいいようのないものであり、あのクールな無菌室実験ロックが本作でも展開されている。2曲め“オン・ダーク・サイレント・オフ”などに随所な傾向だが、いくつもの演奏ブロック(リフ/持続)を繋げていくような構成が実に見事である。ここではブランドルマイヤーやジーヴェルト、ノーマンらの個性的な演奏は、そのコアを存分に抽出したうえで、細部を切り刻まれ、組み替えられ、加工され、極めて斬新な音響空間を生み出している。ロックの遺伝子を拡張するかのように。

 アルバム・ラスト2曲“コーズ・アンド・サウンズ”や“ラスティ・マシーンズ、ダスティ・カーペッツ”は、前半から中盤の緊張感を霧の中に溶かすような楽曲だが、最終曲“ラスティ・マシーンズ、ダスティ・カーペッツ”のサイレンスの挿入には驚いた。無音にも関わらず、本作の再構築的な音楽を聴いてきた耳には、その静寂が、とても清冽に聴こえた。それは音楽の演奏、分解、再構築であり、作曲自体のリ・コンポジションから生まれたサイレンスのようにも思える。肉体と機械。楽音とノイズ。演奏と録音。時間と記憶。その交錯。つまりは現実の解体と再構築。そう、真のポストロックとは「現実=演奏以降」の音楽なのである。本作には、ラディアンが自らの肉体性に向かい合いながらも、それをさらにしなやかに解体していくようなスリリングな音響的な実験が全編に渡って実践されている。ここではエモーションですら、分解され再構築されるだろう。いわば「ポスト演奏」としてのラディアンが、ここに復活したのだ。

Yussef Kamaal - ele-king

 ユセフ・カマールというイスラム系の名前に、アルバム・ジャケットもアラビア文字を使ったものなので、ジャズ・ファンの中にはブラック・ムスリム系のスピリチュアル・ジャズを連想する人も多いだろう。恐らくそうしたイメージは間違っていないし、このユニットは意図的にそうした方向性を打ち出している。ただし、ユセフ・カマールは1960年代後半から1970年代前半のアメリカのスピリチュアル・ジャズではなく、現在のイギリスの若手ジャズ・ユニットである。だから、カマシ・ワシントンのようなロサンゼルス~米国西海岸スピリチュアル・ジャズの伝統を引き継ぐ存在ではなく、クラブ・サウンドとしてのジャズが根付くUKらしいユニットである。彼らが提示するスピリチュアルなフィーリングやブラックネスも、やはりクラブ・ミュージックとしてのフィルターを介したものであり、純粋な意味でのスピリチュアル・ジャズやフリー・ジャズとは少々異なる。むしろフュージョンやジャズ・ファンクの部類に属するもので、アフリカ色の強かった初期ハービー・ハンコックやアース・ウィンド&ファイアから、1970年代中盤のゲイリー・バーツやカルロス・ガーネット、そしてロニー・リストン・スミスやロイ・エアーズなどに繋がるものだ。

 ユセフ・カマールはユセフ・デイズとカマール・ウィリアムスによるユニットで、ユセフはアーマッド、カリームら兄弟とともにユナイテッド・ヴァイブレーションズというバンドで活動している。ドラマーの彼はほかにもルビー・ラシュトンというユニットにも参加しているが、そのどれもがブラックネスやアフリカニズムに富むジャズ・サウンドを作り出している。一方、カマールは本名がヘンリー・ウーという中国系プロデューサー/鍵盤奏者。ルビー・ラシュトンのリーダーであるテンダーロニアスの主宰する〈22a〉ファミリーのひとりで、Wu15(ウー15)というユニットで〈エグロ〉からEPを出し、そのサブ・レーベルの〈ホー・テップ〉からも作品リリースがある。それらの作品はジャズ・ファンク~フュージョンとディープ・ハウスやビートダウンの融合によるエレクトロニック・サウンドで、セオ・パリッシュからフローティング・ポインツに繋がるような作風だった。彼らはボイラー・ルームでのワンナイト・セッションで意気投合し、本格的なユニットとして活動を開始した。アルバム制作に関しては、アデルのバック・バンド・メンバーでもあるベーシストのトム・ドライスラーをサポートに招き、トリオ態勢で楽曲制作・演奏をおこなっている(楽曲によってトランペットなどのホーンも交えている)。

 『ブラック・フォーカス』というタイトルが示すとおり、アルバム全体は1970年代のアフロ・アメリカン・ミュージシャンが志向したトーンの影響を受けている。特にハービー・ハンコックやロニー・リストン・スミスなどの方向性に近く、土着的でポリリズミックなアフロ・ジャズというより、スペイシーでミスティックな質感のもの。表題曲でのユセフのドラムはアフリカ的なモチーフに富むが、カマールのフェンダー・ローズは極めてクールなもの。彼の鍵盤がアルバム全体にコズミックなフィーリングをもたらしている。“ストリングス・オブ・ライト”は、かつてディーゴやIGカルチャーらがやっていたウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・サウンドに近い。ユセフのドラムは不定形ながらソリッドでグルーヴに富むビートを作り出し、その上で浮遊するカマールのシンセがトリップへと誘う。“リメンバランス”は〈CTI〉時代のボブ・ジェームス作品あたりに近い質感で、彼がプロデュースしたアイドリス・ムハマッドの“ピース・オブ・マインド”を想起させる導入部だ。都会的でモダンな方向性を打ち出すことにより、黒人のコズミックなフィーリングやブラックネスを体現したのが1970年代のジャズ・ファンクやエレクトリック・ジャズだったが、それと同じベクトルを持つ曲である。“ヨー・シャヴェズ”は柔らかな浮遊感に包まれ、カマールの持つアンビエントな側面がよく表われている。この曲から“アイラ”、“O.G.”へと繋がる展開は、フローティング・ポインツの傑作『エレーニア』にも匹敵するだろう。

 そして、カマールのダンス・ミュージック・プロデューサーとしての才能は“ロウライダー”に見てとることができる。1970年代後半のロイ・エアーズやジェームズ・メイソン、そのメイソンや川崎燎も参加したタリカ・ブルーを想起させるブギー・フュージョン的なリズムを持ち、それと同時に前述のウェスト・ロンドン・サウンドやその当時2000年前後のクラブ・ジャズの流れを汲むものと言えよう。“ジョイント17”はクールなジャズ・ファンクを基調としつつ、ユセフのドラム、カマールのキーボードがインプロヴィゼイション感覚に富むプレイを繰り広げ、最後はボイラー・ルームでのギグにポエトリー・リーディングを交えたような展開で締め括る。アルバム全体のコンセプトやイメージ構築、流れや展開の持っていき方、各楽曲のモチーフの集め方など、ジャズ・ミュージシャンではなくクラブ・サウンドのプロデューサー的な編集感覚で作られたアルバムであり、そうしたエクレクティックな作業はUKクラブ・シーンならではのものだ。

自己実現! 文句あるか?

戸川純、デビュー35周年企画、すべての読者に生きる勇気を与えるであろう、
本人による全歌詞解説。
いま彼女の言葉の意味(秘密)が明かされる!

クラシックからパンクまで、レインボウボイスで数々の物語を歌ってきたポップ・シンガー、戸川純による初の全歌詞解説集。
「玉姫様」「蛹化の女」「赤い戦車」「好き好き大好き」──率直さとギミック、ギリギリの切なさと宇宙でいちばんの身勝手さ。情念と論理、思想も身体も!
デビュー35年、いまだから言えるあの曲の秘密、この曲のたくらみが、独特の冴え渡る論理性で明かされる。35年分全曲網羅の保存版! !
さあ、底辺の者よ、忘れるな、若き日に抱いた大志を。いつだって「生きるために生まれたのだ」という確信にいたる、後期近代の歌玉姫による情熱と意見!

【※完全初回数量限定生産となります。数に限りがございますので、在庫切れの際は何卒ご了承頂けますようお願い致します。】

日本が世界に誇るアーティスト、田名網敬一が、ポップ感覚全開で1970年前後に密かに制作していた禁断のコラージュ作品が、大量に発掘された!
ウォーホルもリキテンシュタインも凌駕し、ポップ・アートのディープな奥義に到達した田名網敬一の“狂気絢爛”なコラージュが、半世紀の時を超えて奇跡の初公開! !
また、制作途中のままで残された当時の素材をもとに、新たに制作しなおした復刻版コラージュも多数収録。
戦前の映画雑誌から60年代のアメコミ誌、ポルノ雑誌までを切り刻み、貼り合わせ、独自のエロティシズムを結晶化した作品群は、世界のアートシーンを驚愕させるだろう。


明るくユーモラスなだけではなく、どこか狂気をはらんだ凄みが見え隠れする田名網のコラージュは、同時に日本におけるポップの両義性を体現している
──池上裕子(現代美術史家)


コラージュされた夥しい写真が語りかける歴史のドラマは、重層的に貼り込まれた分厚い材質感とともに私の内なる記憶をよみがえらせてくれた──女優だった花柳小菊の鮮やかな柄の着物となんともいえないおしろいの香りは、幼い私が最初に意識した異性であった
──田名網敬一


Dream Fragment(夢のかけら) - ele-king

ここに描かれた世界は善や悪も、苦悩や恐怖さえも超越した私にとって、死後の楽園のようなものだ。 ――田名網敬一


「夢のかけら」を重層化させた目眩く新旧のコラージュと、コラージュ的な方法論で描かれた新作ペインティングによる饗宴!
1970年前後に制作された未発表のコラージュ作品と2010年代の奇想天外な大作絵画が作り出す、クラクラするほどの摩訶不思議な田名網敬一ワールドが凝縮された1冊。
幼少時の戦争体験と青年時のポップカルチャー体験が涵養した、田名網独自のエロティシズムが時空を超えて炸裂する『Dream Fragment』は、世界一ポップなポップ・アートだ!



無数の素材を複雑に組み合わせながら1枚の絵に作り上げるコラージュ的方法論が、現在のペインティングと50年前のコラージュの共存を可能にしている。コラージュ制作のような切り刻む行為自体にある種のエクスタシーを感じるのは、人間の本能に起因するのだ。
――田名網敬一


Jay Daniel - ele-king

 だからなんども言っているように、ぼくはトラップは嫌いじゃない。デトロイト・テクノの根っこが同じくエレクトロ・ファンクであるから、マイアミベース経由の現在形とはいえ、むしろサウンド的には親しみを覚える。ただ、それは、おそらくは「考えるな、感じるんだ」であり、決して「考えろ、考えろ、それはイリーガルではない」(byジョージ・クリントンの名言)ではないように思う。ぼくが間違っていたら指摘してくださいね。「考えるな、感じるんだ」は、たしかに説得力がある。妄想が膨らむ。しかし、ぼくは「考えろ、考えろ」のほうに惹かれてきた。デトロイトは、「考えろ、考えろ」の音楽の街である。「考えるな、感じるんだ」は、初期衝動は良いが、すぐに行き詰まる。サッカーも同じだ。レヴェルが高いところでは、運動神経だけでは通用しない。いや、まあ、運動神経だけでもある程度のところまではいけるんだけど、そう、ある程度までは。
 ジェイ・ダニエルは、なんども言っているように、ナオミ・ダニエルの息子である。ナオミ・ダニエルは歌手で、90年代にカール・クレイグのレーベルから2枚の12インチ(うち1枚は2枚組)をリリースして、そしてその2枚、いや、正確にいえば2曲なのだが(つまり、ヴァージョン違いが多数あるだけ)、その2曲は、いまでもうっとりする素晴らしい歌モノのハウスで、名曲で、クラシックで、中古で見つけたら絶対買いで、ぼくは彼のお母さんの曲の大ファンなのだが(正直、ナオミ・ダニエルがなぜアルバムを残さなかったのか不思議でならない)、息子のジェイは母がやったことをなぞろうとはしなかった。

 アフロ・フューチャリズムとは、黒人の宇宙観/SF趣味のことだけではない。アフリカ系アメリカ人の文化において、若い世代は必ず親の世代のやったこととは別のことをやること、新しいことに集中すること、つまり、ソウルで育った親の子供がテクノをやること、その更新力のことも意味する。
 白人や日本人の黒人音楽ファンは、つねに古きよきブラック・ミュージックを求めたがる。エイミー・ワインハウスでもアデルでもノラ・ジョーンズでも、拍手される彼女たちの音楽は、基本、ひと昔前のソウルである。黒人音楽はこうであって欲しいという願望が、そこには見え隠れする。しかし、たとえば、今年最高のダンス・アルバムを発表したジャマイカのイキノックスは、ルーツ・ミュージックから離れて、むしろベース・ミュージックとシンクロしている。手に負えない新しいモノ好き。ブラック・カルチャーのその本質の一部を、懐かしむべき過去を持たないための未来志向と解釈したのが、アフロ・フューチャリズムとも言えるのだ。
 とはいえ、ことはそう単純ではない。すでに懐かしむべき過去がブラック・カルチャーにあることは、URやムーディマンのリスナーでも知っている。トラップやドリルのような音楽のほうが、現時点では、過去を懐かしまないアフロ・フューチャリズムだと言えよう。しかしそこには、かつての、いち部のハウスやテクノのように、刹那主義以上のものはない。刹那的だからこその美しさもあるし、まあ逆に言えば、いまさえ良ければもうどうでもいいというくらいに、逼迫しているのだろうけれど。

 ジェイ・ダニエルは、カイル・ホールもそうだが、親の世代を否定せずに新しいことをやろうとしている。そのとき彼らは、まずはリズムから入る。というか、リズムしかない。リズム・イズ・リズム。本作『Broken Knowz』において、ジェイはリズムを更新するためすべてを機械まかせにせずに、ドラムスティックを握って、叩き、試行錯誤したという。要するに、古きを重んじながら新しきを追い求めた結実が、これだ。このリズム。反射神経だけに頼らず、「考えろ、考えろ」の街で生まれた、リズムである。それは……ある種コスモポリタン的な、と同時に生粋のアフリカンなのだろう。2曲目の(アルバム中のベスト・トラック)“Paradise Valley”とは、1920年代から50年代にかけて、デトロイトが北部の工業都市として賑わっていた時代の、アフリカ系の人たちの華やかな商業/娯楽エリアのこと。白も黒もジャズを楽しんだ場所であり、しかし43年の暴動以降、白と黒の溝は空き、そして重なる再開発に打撃を受け廃れていったエリアだという。それからジェイは5曲目の“Squeaky Maya”では中米の先住民をたずね、クロージングの "Yemaya"では西アフリカの生みの女神をテーマにする。それらの曲でも強調するのは、リズムだ。
 ジェイは、決して認めないだろうが、ぼくなりに彼の最初のアルバムを言い表すなら──リズム・イズ・リズムの「ザ・ビギニング」の続きを見たと。25年経ったいま、なんて素晴らしいことだろう。

Oren Ambarchi - ele-king

 ジム・オルーク、マーク・フェル、リカルド・ヴィラロボス、アート・リンゼイ、キース・フラートン・ウィットマン、ウィル・ガスリー、ジョー・タリア、コンラッド・スプレンガー……。〈エディションズ・メゴ〉よりリリースされたオーレン・アンバーチの新作アルバムには、実に個性豊かなゲストが参加している。近年では灰野敬二との継続的なコラボレーションも話題のアンバーチが、いかに多くの音楽家から信頼され、また、優れた仕事をともにおこなってきたのかの証明にもなると思うのだが、しかし、大切なことは本作が「ゲストの豪華さ」に呑まれていない点にある。そう、彼の音楽観を見事に反映したアルバムなのだ。

 本作はミニマルなリズムを中心に構成される。アンバーチは、10年代以降の〈エディションズ・メゴ〉からリリースしたアルバムで、ミニマル・テクノ的なアプローチを実験・実践してきた。私見ではこのミニマリズムには、カンなど、クラウトロックからの影響も窺えると思えるのだが(灰野敬二とのコラボレーションではミニマルなドラム演奏を展開する曲もあったほど)、彼にとってはクラウトロックからテクノへと至るコンテクストもまた重要なのではないか。すなわち文化の交錯地点に生まれるミニマリズムの追求であり、反復とループの応用と実践である。本作の多彩なゲストは、そのために適材適所に召還されたのだろう。

 アルバムは全3曲の構成である。21分47秒におよぶミニマル/リズムな“パート1”、フォーキーなギターの反復を基調にした1分53秒のインタールード的な“パート2”、ふたたびミニマル/リズミックな16分34秒の“パート3”と、どれも「オーレン・アンバーチの考えるミニマル・ミュージック」が実現された秀作である。マーク・フェル(コンピューター)やジム・オルーク(シンセサイザー)らが参加した“パート1”は、ラーガ・テクノとも形容したいトラック。端正にコンポジションされた反復と逸脱が、聴き手を一定のリズムの波へと誘ってくれる。いわば瞑想効果の強い曲だ。続く“パート2”は、00年代に〈タッチ〉からリリースしていたアルバムに近い作風で、繰り返されるアコースティック・ギターのアルペジオとヴォイスが非常に心地よい。ふたつのパートが接続され、短い曲ながら景色が変わっていくような感覚がある。6弦ベースはジム・オルークによるもの。そして3曲め“パート3”は、リカルド・ヴィラロボスがエレクトロニック・ドラムやエレクトロニクスで参加し、彼らしい複雑なリズム/ビートが全編にわたって展開する。加えて、ウィル・ガスリー、ジョー・タリアら実力派のドラムがグルーヴの層をさらに複雑化し、リズムの魅惑を上げていく。そこにキース・フラートン・ウィットマンのシンセサイザーが彩りを加えてゆき、あのアート・リンゼイの強烈なノイズ・ギターが炸裂する。このノイズ・ギターが圧倒的に素晴らしい。本楽曲は、ヴィラロボスとリンゼイの影響もあってか、まるで初期カンのような雰囲気が濃厚な曲。陶酔と覚醒を行き来するようなミニマル・トラックだ。

 全3曲、個性豊かなゲストの濃厚な演奏の核を抽出しつつも、ミニマル・ミュージックをメタ化する試みが実践されている。いわばメタ/ミニマル・ミュージック。リカルド・ヴィラロボスのビートと、アート・リンゼイのノイズ・ギターは、どこか「別の場所」で鳴り響いているように聴こえるのだが、しかし同時に、ひとつ(にして複数の?)の音楽を構成する。反復と逸脱によって、音楽の歴史と時間と場所を越境し、繋ぐのだ。クラウトロックがアメリカとドイツの交錯地点に鳴り響いたように。“パート3”をはじめとする本アルバムには、そんなアンバーチならではの音楽の音楽観(=思想)が凝縮されている。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335