「Noton」と一致するもの

Sophie - ele-king

 UKガラージのコンテンポラリーな王道を再定義したディスクロージャーのブレイクをピークに、一連のUKベース・シーンのメインストリーム進出もそろそろ幕を引きそうな気配となっていますが、さて、文化系かつ進歩的ポップ・ミュージック愛好家のみなさま、果たして次はどこを拠り所にお過ごしでしょう。全世界のDQNを巻き込んで猛威を奮いつづけるEDMの圧倒的パワーを目の当たりにして、もはや行き場を失って呆然とする……なんて方がいらっしゃらないかと、余計な心配も募るわけです。ナードかつギークではあるけれど、根本的に苦悩のない僕みたいなタイプは、正直なところジェイムス・ブレイクが歌いはじめたあたりから脱線気味で、後のポスト・ダブステップ〜IDM再興にしても、脇道のインダストリアル、アンビエント、グライムにしても、どうにもシリアスな成分が多すぎて馴染めないと思ってきたわけです。

 そんな折、個人的にもえらくハマったのが、2014年から話題となっている〈PCミュージック〉というネット・レーベルを中心に盛り上がる、90’sレトロ・フューチャリスティックなエレクトロ・ポップ・ミュージック、俗称“バブルガム・ベース”です。その名の通り、風船ガムのようにカラフルで甘く刹那的(つまり俗っぽくキャッチーで安っぽい)ユーロ・ポップと、10年代のベース・ミュージックのマナーが意図された音楽ということで、かなり絶妙なタグ付けではないかと思います。

 A.G.クックの主宰するこの〈PCミュージック〉については過去に日本語のテキストもいくつか出ているので省略させてもらいますが、そのA.G.クックの盟友であり、シーンの象徴的アーティストであるソフィーが、ついにデビュー・アルバム『プロダクト』をリリースしました。

 2013年にグラスゴーのUKベース・ミュージック名門〈ナンバーズ〉からリリースしたセカンド・シングル『ビップ/エル(BIPP/ ELLE)』のヒットで注目を集めたソフィーは、サミュエル・ロングによるソロ・プロジェクト。当初は素性がよくわからず、アーティスト名と女性ヴォーカルを起用したサウンド、モデルと思われる女の子をつかったビジュアル・イメージを使用するために、女性アーティストと思っていた人が多かったよう(もちろん意図的な仕掛け)ですが、20代の男性アーティストです。

 古いWindows内蔵のFM音源(もしくはエミュレータなのかな?)を使用して制作されたと思われる、不協和で歪んだエレクトロ・サウンドと、異常にピッチを上げられ女性ヴォーカルの組み合わせで展開される彼のポップ・ミュージックは、とにかく記名性が高くキャッチー。つづく2014年のグリッチ・ヒップホップなシングル「レモネード」(※今年になって米マクドナルドのCMにも採用)も話題となり、前述のA.G.クックとのユニットQTで〈XL〉からリリースした「ヘイ・QT」のヒットを受けて、メインストリームのミュージック・シーンでも注目を集めました。ここからのスピード感は流石に10年代という展開。ディプロのフックアップを受けて、なんとマドンナのシングル曲“ビッチ・アイム・マドンナ(Feat. ニッキー・ミナージュ)”を共同プロデュース。さらにチャーリーXCXの次回作にもプロデューサーとして参加が決定しており、相当な変化球ながら、一躍売れっ子プロデューサーの仲間入りを果たしそうな勢いとなっています。また日本では、安室奈美恵の最新アルバム『_genic』に収録の“B Who I Want 2 B feat. HATSUNE MIKU”の楽曲プロデュースを手がけているというトピックも面白いですね。

 余談になってしまいますが、〈PCミュージック〉界隈のアーティストの嗜好性とサウンドの親和性から期待するに、久しぶりに日本と英米のポップ・カルチャーがリンクした盛り上がりの芽があるかもしれないですね。ソフィーやA.G.クックは、じつは〈マルチネ〉からリリースしているボーエン(bo en)やケロケロボニトのメンバーとは同じ芸術大学の友人同士だったようで、相当にコアなJポップ(とくに中田ヤスタカ周辺)マニアが集まっていたご様子。QTのコンセプトには明らかにPerfumeの影響があるだろうし、先日は〈PCミュージック〉のダックス・コンテンツがSekai No Owariをリミックスするなど、アーティスト同士の交流が急速に具体化してきている。ライアン・ヘムズワースやポーター・ロビンソン、スカイラー・スペンスあたりのポスト・インターネット世代のアーティストによる、Jポップ・カルチャーに対するポジティヴな評価というのは、日本側の視点からするとファンタジーではあるのだけれども、たしかにEDMのような圧倒的なマッチョイズムへの抵抗手段として、中田ヤスタカの方法論はパーフェクトに映るのかもしれない。「カワイイ」みたいなのがキーワードになるのは、HCFDM(ハッピーチャームフールダンスミュージック)のときといっしょだし、結局、日本人が得意なのはそこだよねと思います。


 さて、話を戻して、ソフィーのアルバム『プロダクト』。これまでにリリースされたシングルに収録された“レモネード”“ビップ”“ハード”“エル”に、新曲4曲を収録したシングル・コンピ的内容の作品ということで、正直なところ何か新味があるわけではないのだけれども、媚もない、これまでのサウンドとヴィジュアル・コンセプトが貫徹された内容。つまりエッジは充分すぎるほど効いている。ポップ・ナンバーとしては新曲“ジャスト・ライク・ウィ・ネヴァー・セッド・グッバイ”が彼の関連作の中でもトップクラスの好曲だけど、〈ナンバーズ〉からのリリースにふさわしい、ベース・ミュージックらしいグルーヴを成立させたヒップ・ハウス・チューン“Vyzee”も人気を呼びそうですね。

 ヴェイパーウェイヴの醸造したポスト・インターネット以降のシーンを震源地にしたアーティストが、現実のメインストリームのポップ・チャートまで侵食していく、いよいよそんなタームに入ってきたことを象徴する1枚として、2015年の重要作に推しておきたいと思います。

 B.B.キング評伝の名著にしてブラック・ミュージック研究本の古典、35年を経ての初の翻訳刊行。

 彼はなぜ“ブルースの王者”なのか。彼を真のブルースマンたらしめたものの正体とは?
そして、14歳のときにミシシッピの農園で綿花の小作農をしていた孤児の少年が、いかようにして49歳にして世界的な名声を得ようとするまでに至ったのか──?

 ブルースの王様、B.B.キングの評伝の決定版がようやく日本で刊行される。1930年代のアメリカ南部の、まだジム・クロウ法(人種差別制度)が存在した時代においてブルースマンはどのような人生を歩み、そして音楽は研磨されていったのか……。


追悼:水木しげる - ele-king

 熊野で語り草になっていることがある。80年代初めに行われた白虎舎の合宿で、正確には暗黒舞踏のオーディションのようなものであった。僕も実態はよく知らなかった。なにがどうしてどうなったのか僕はスタッフとして誘われ、軽い気持ちで車に乗った。熊野という場所にも興味はあった。

 体を動かすのは午後からで、午前中は様々な講師陣がいろんな話を聞かせてくれた。そのなかに水木しげるさんもいた。「騙されて連れてこられた」と後には語っていたそうだけど、水木さんは1週間に渡って滞在し、ほとんど毎晩のように僕たちスタッフにもいろんな話を聞かせてくれた。片腕がないことを、僕はその時まで知らなかった。『河童の三平』や『ゲゲゲの鬼太郎』は片手で描いていたのかと僕はショックを受けた。単純に片腕の重さがないわけだから、水木さんが歩くと上半身はバランスを取ろうとして大きく揺れる。水木さんは振り子のように歩いていた。大変だなー、大変なんだなーと僕は水木さんが視界に入るたびに思った。斜めに傾いたまま夕陽のなかに突っ立っていた水木さんの姿が僕は忘れられない。理由はわからないけれど、誰もいない廃校のグラウンドに水木さんはひとりでじーっと立っていた。

 午後の授業には水木さんも参加していた。塾生たちと一緒に体操をしたり、ハードな内容の時には遠巻きに眺めていたりした。スタッフは自主参加だったので、僕も気楽な気持ちで同じようにやっていた。5日目からは、しかし、それができなくなった。白虎舎の教官たちが塾生たちの髪を剃ろうといきなり滝壺で襲い掛かったのである。後で説明を聞くと、髪を剃られまいとして激しく抵抗した者を新メンバーとして加えたかったのだそうである。結論から言うと、その年は噂を聞いて前の晩に逃げ出した人たちと黙って剃られた人たちの2通りしかいなかった。つまり、スカウトしたい人はいなかったということになる。女性は皆、眉を剃られてしまった。

 次の日の午後も同じように体操などのメニューが消化されていった。しかし、残った人たちの気迫が違う。僕も水木さんもその場にいることが難しくなって早々に離脱してしまった。いても迷惑になるだけだと感じ取ったのである。そして、ヘルムートというドイツ人のフォトグラファーと3人でなぜか車座になって、今度は昼間から水木さんの妖怪話を聞くことになった。ところがドイツ人には何ひとつ日本の妖怪話が通じない。水木さんが「暗い森に入っていくと……」と語り始めればヘルムートが「それがどうしてコワいんですか?」、「打ち捨てられた傘がやがて妖怪となり……」と言うと、「なんで? なんでモノが妖怪に?」と、いちいち話の腰を追ってしまい、さすがの水木さんも匙を投げてしまった。どちらかというと話を盛るタイプなので、これはどうだ、これはどうだと、様々な角度から攻め入ったあげく、どうにもならないといった表情で水木さんは無言になってしまった。そして、1週間が過ぎて水木さんは東京へ帰っていった。合宿はその後も1週間近く続いた。

 東京に戻った僕は水木さんの『総員玉砕せよ!』を始め、戦記モノを読み漁った。戦地での話が印象深かったからである。水木マンガは妖怪マンガしか知らなかったので広がりとして新鮮だったということもある。水木さんが話してくれたのと同じ話もあったし、そうでない話もあった。とくに『総員玉砕せよ!』を読んだ時は、常日頃から感じていた日本的集団性が凝縮して告発されているように感じられ、就職活動すらしなかった僕には非常にリアリティをもって訴えかけてくるものがあった。昔のことを描いているだけとは思えなかったし、日本がもしも戦争になったら日本全体が水木さんが描いているような日本的集団性に隙間なく覆われてしまう。小学生の時から通知表に「協調性がない」と書き続けられた僕としては(あれはあれで傷つきますよね)、それを避けるためにも戦争には反対だと思うようになった(後に知ったことだけれど、『総員玉砕せよ!』は水木さんが原稿依頼を受けて描いた作品ではなかった。出版社を当てにせず使命感だけで描きあげたそうである)。

 水木さんにもう一度会える日が来るとは思わなかった。それは赤塚りえ子の次のひと言から始まった。「最近、水木プロも娘さんが社長になったんで、お互いにがんばろうと食事会を開いたんだ」と。ピーンと来た。その少し前にメタモルフォーゼで赤塚りえ子と手塚るみ子が初めて出会った場にもたまたま居合わせたので、子どもの頃に読んだマンガ家の娘が3人とも揃っているところを想像してしまったのである。企画を持ち込んだ朝日新聞の近藤記者も僕の話を最後までは聞いていなかった。あの企画は本当に早かった。『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』の編集がこうして始まり、赤塚不二夫の死を挟んで鼎談集は完成した。記憶違いでなければ、その本を見て水木さんは「ふ~ん」とだけ言ったそうである。

 『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』には3冊のスピン・オフがあり、『赤塚不二夫 裏1000ページ』『手塚治虫エロス1000ページ』と併せて『水木しげる 超1000ページ』というアンソロジーも僕は編集させていただいた。『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』を読むと、当たり前のことだけれど、等しく国民的なマンガ家の娘で、似たような年頃とはいえ、ぜんぜん違う性格だということがよくわかる(順に「父ちゃん、パパ、お父さま」と呼び方からして違う)。そして、それ以上に違いが出たのはアンソロジーの編集の仕方だった。大雑把に言えば、手塚さんと赤塚さんは父親の作品であろうとも批評的に接し、手塚さんは時代性を重視する編集者的な視点、赤塚さんは普遍性に重きを置くアーティスティックな感覚を持っている。彼女たちとの共同作業はそうした批評性を共有し、時には議論を戦わせることに醍醐味があった。これに対して水木姉妹は父親の作品に優劣があること、それ自体がわからないという。コンセプトを固めるまでは非常に精緻な議論を展開していたのに(あまりに厳格なので、途中で一度、編集を諦めようかとさえ思った)、商品のコンセプトが明確になると、そこから先は口を出さないから自由にやってくれというのである。あれとこれではどっちがいいかという相談もできなかった。

 『水木しげる 超1000ページ』のコンセプトは、あらゆる作風を網羅するというものであった。結論から言うとやはり全体のバランスを考えてしまうので網羅はできなかったものの、かなりな範囲までカヴァーでき、しかも、水木さんがかつて「ガロ」に東真一郎の名義で書いたエッセイを初収録することもできた。妖怪モノと戦記モノはほぼ読み漁っていた僕も本腰を入れて読み始めてみると、こんなものまで描いていたのかと、そのキャパシティには驚くべきものがあった。ハイチの独立運動を描いた歴史モノやフェミズムに対する微妙な回答、「ゴーマニズム宣言」の書評やメキシコでのドラッグ体験、リチャード・マシスン調もあれば、『デスノート』とまったく同じ話まであった。これらの作品を、しかも、水木さんは一度も締め切りに遅れたことがなく、描き続けたそうである。なぜか。仕事が来なくなったら、またビンボー暮らしに戻らなければいけなくなると思っていたからだそうである。

 普段から本屋で自分の本を見つけると何冊でも買ってきてしまうという水木さんは、『超1000ページ』もたいへん気に入っていただいたそうで、見本とは別に30セットも買っていただいた。その上、それからほどなくして帝国ホテルで行われた「米寿を祝う会」にもお招きいただき、25年ぶりに歩く姿を拝見することができた。一躍、時の人となった「ゲゲゲの女房」と手を取り合って2人で入場してきた刹那、同じといえば同じ、歳をとったといえば歳をとった水木さんがそこにいた。大勢の拍手に照れるでもなく、嬉しそうでもなく、かといって無表情でもなく、何か考え事をしているような表情だった。

 以前書いたことの繰り返しになってしまうけれど、米寿の会でとくに印象深かったのは、水木さんの人生を振り返るショート・ムーヴィを見終わった後、司会の荒俣宏さんにコメントを求められ、水木さんが「戦争のことしか思い出せない」としか言わなかったことと(場内、ちょっとシーンとしてしまいました)、そして、退場される時に、まだ山と残っていた食べ物の山を見て「どうしてこんなに食べ物が残っているんだ」というような表情でしばらくテーブルを見つめていたことである。水木さんのことなので「食べたいな」と考えていた可能性も捨てきれないところはあるものの、やはり、あの時の表情は現代の生活様式に対して、ちょっとした敵意のようなものを覗かせた瞬間のように僕には見えてしまった。この時の表情もあまり描写できない。

 『総員玉砕せよ!』は水木さんが戦地で経験したことをそのまま再現したもので、それはいわゆる直接的表現になるかと思うけれど、水木さんが戦争を通して抱いた死生観を作品に強く滲ませたものとしては、『河童の三平』が僕はダントツだと思う。生と死の境を歩き続ける三平の無力感は死に対して常に抗いながらも、人がそれほど死に対して強くなれないことも同時に表現し、生きるという価値観に親鸞が示したような逆説もない。それこそ人間はどこか漂うようにしか存在できないものとして扱われている。水木さんが常日頃は非常に楽観的な人であったことを思うと、そのギャップにはどうしても痛々しいものが含まれてしまう。三平のまわりにいるのは動物か、さもなければ空想上の存在ばかり。三平の味方をする人間はほとんどいない。

 戦争体験を後の世代に伝える「作家」のひとりが水木しげるであったことを僕たちはもっと深く感謝すべきなのだと思う。そして、そのユーモアに。合掌。

GUITAR POP definitive 1955 - 2015 - ele-king

ギター・ポップの古今を訪ねる、名盤500枚の旅。

好評のディスクガイド、“ディフィニティヴ・シリーズ”最新刊!フォーク・ロック、ボサノヴァ、カントリー・ポップからネオアコへ、そして、21世紀のギター・ポップへ。

これは、ギター・ポップをめぐる成熟と未成熟の物語だ──。
変わることなく、しかしその不変の輝きによっていつの時代においてもファンを生みつづけてきたギター・ポップ。
本書は、ポスト・パンク期の名門レーベルやバンド、国内においてはネオ・アコースティックとして愛され親しまれたアーティストたちはもとより、彼らに先行する存在へと遡行し、また、新しい世代の音にその遺伝子と普遍性とをたずね、年代順に掲載するディスク・ガイドです。

ラテン・ポップス、ソフト・ロック、ネオ・アコースティック、ギター・ポップ、そして現在。
5つのカテゴリーでつぶさに眺める、新しいギター・ポップ本!

好評のele-king books“ディフィニティヴ・シリーズ”最新刊として登場です。


監修:
岡村詩野

執筆者:
北中正和、木津毅、坂本麻里子、沢井陽子、土屋恵介、デンシノオト、中村義響、野田努、橋元優歩、増村和彦、松村正人、松山晋也、水越真紀、三田格、与田太郎

『ノーツ』についてのノート - ele-king

 今回のアルバムのA&Rを務めました、柴崎と申します。日々、いろいろなアーティストの皆さんのCDやレコードの制作を担当させてもらっています。そんな中、今回はダニエル・クオンというこの特異なアーティストとアルバム『ノーツ』について、制作に関わったものとして、その魅力と妙味が皆さんへ伝わって欲しい…という思いのもと、おこがましくも筆を取らせていただいております。アルバムの内容の論評については他執筆陣の皆さんが手がけられていると思いますので、ここではレコーディングを進めていくにあたってのエピソードや私が感じたことを中心に、記してみたいと思います。

 私が初めてダニエルと出会ったのは、東京・高円寺の〈円盤〉で月例開催されているイヴェント「不明なアーティスト」において。一般的には未だ名が広く知られているとはいえないけれど個性的なアーティスト諸氏を迎え、まずはじめに演奏を披露してもらい、その後に企画者の新間功人氏(1983, ENERGISH GOLF etc)と不肖私を交え、昨今ミュージシャンに訊く機会もなかなか無いであろう「最近お気に入りの音楽」について改めてじっくりトークをするという趣旨の集まりなのですが、2013年6月に行われたその第1回目ゲストの一人としてダニエル・クオン氏を迎えたのでした。それまで私は漠然とした知識で彼の活動や存在は把握していたのだけれど、実際にどんな音楽を奏で、どんな人となりなのかといったことはその時点では失礼ながらよく知らずにいました。また、その時のライヴ演奏もじつをいうとあまり記憶に残っていなくて(本イヴェントの第1回目ということもあり「自分もこの後トークショーへ登壇する」ということへの緊張が烈しかったもので……)なんとも不甲斐ない限りなのですが、よく憶えているのは、彼の特異なキャラクターとその音楽趣味でありました。6月にもかかわらず外套を羽織り、終始俯き気味の姿勢で、日本語と英語を交えてポロリポロリと語るその姿容のインパクトもさることながら、彼が好む音楽として紹介していた数々のレコードのチョイスの興味深かったこと。チャールズ・アイヴス、ポール・マッカートニーの『マッカートニー2』、石川セリ、スコット・ジャレットなどなど……。その乱脈なチョイスからうかがわれる音楽嗜好に強く惹かれた私は、さまざまなレコード・トリビアでダニエルともども大盛り上がり、お陰様でトークショーは快調、お客様にもご満足いただいた(のではないか)……という一幕となりました。

 その後私も何やかやと日々を過ごす中、当時ファースト・アルバムをリリースしたばかりだった森は生きているのメンバー岡田拓郎氏よりある日、「ダニエル・クオンの『Rくん』(*1)聴きました? すごいですよ」と聞かされ、「ダニエルってあのダニエルか」と思った私は早速入手し、果たしてびっくりしたのでした。すごくて。あの、嬉しそうにレコードの話をするうつむき加減の青年の姿容と、この極めて刺激的な作品の内容が非常にすんなりと自分の中で結合していくのでした。「エクスペリメンタル」や「アヴァンギャルド」と形容しても、どこかそれだけでは捉え得ないユーモアや諧謔も色濃く匂い立ち、すっかり気に入った私は人に会うと「『Rくん』、いいよねー」などと喧伝する日々となったのでした。そんな知ったようなことを喧伝しながらも、実際に彼に再会する機会には恵まれること無く日々は過ぎていったのですが、2013年の冬ころだったかと思いますが、ある時ダニエルが新しいアルバムを作ろうとしているという情報をキャッチし、実際本人に再度会ってみて、どんな作品つくりたいのか、聞いてみましょうということになりました。その再邂逅の場でもはじめは俯き気味の彼でしたが、お互いにアルコールがからだに入ると饒舌になるという生理現象を最大限に活用し、具体的なアルバム制作のことはうちやって、エミット・ローズやクイーン、スパークス、フリートウッド・マック、フランク・ザッパなどなどのレコードについて、前述の岡田氏の他に同席していたPadok氏も巻き込んで、ただただみんなしゃべりまくり……その日のことはよく覚えていません。

 いま振り返って思い出したのですが、ダニエルと会うとお酒を飲んでばかり……。ひたすら最近聴いているレコードの話や彼の日々の生活の鬱屈についてなど、まるで制作と関係無いようなことばかりを話していた気がしますが、もちろんダニエルも私もサボっていたわけではなく、ゆっくりとしたペースではあれど、アルバム制作に向けての準備は着々と進んでいき、2014年春頃には録音担当のPadok氏と具体的な製作方法を吟味し、スタジオを選定(*2)するなど具体的な作業がはじまっていきました。

 そして……そこからはもう一気呵成、怒涛の工程で、と書きたいところであるのですが、まさしくここからが彼の真の才気と本領を思い知ることに……。溢れ出るアイデアが溢れるままに任せる彼のレコーディング・ワークに、私やPadok氏、ドラムス担当の牛山健氏も頭に「??」を浮かべながらも応えていく日々。そもそも楽曲の「構成」を決め込んでからレコーディングに臨む、といった一般的な手法は彼にとってはあくまで手法の一つでしかなく(当たり前と言っては当たり前なのですが)、次々に変化を遂げていく楽曲に、その日のその日のラフミックスを聴く私は「あれがこの曲でこれがあの曲で、これがこう録り直したからこうなって、こういう楽器が入っているファイルが最新でこれが前のやつで……」と頭のなかが沸騰寸前、というか沸騰してしまい……そこで悟ったのです。これは一度自分の中の自明性を破壊せねばならぬ、と。何を大袈裟な、というハナシですが、ダニエルの提出するアイデアのスピード感に追いついていくためには、このようなある種の達観というか、「なんでもこいや」的に自分の心身を大きなアンテナに化し、ある種のアフォーダンス状態に自分をおいて……とかとかぐるぐると考える日々。私などからすると「ここにそんなフレーズを!? え、逆にあそこはなにも手を付けないの!?」といった具合で喫驚するばかりでしたが、煩悶しつつも一方で確信めいたような態度とともに、スタジオでいろいろな想念を爆発させながら試行錯誤を繰り返しているダニエルの姿が印象的でした。この時期、増村和彦氏を招いたパーカッション録音(増村氏は後に数曲のドラムスでも演奏に参加)や、小林うてな氏を招いたスティール・ドラムの録音なども行っています。

 そして、2015年に入ってからも散発的にスタジオ作業を続けながら、入れ替わるように、牛山氏宅などでの録音や、ダニエル一人によるレコーディングとミックスの作業に入っていくことになります。同時にレコーディング機材環境の整備や新たな曲への制作などを行いながら、今回のアルバム『ノーツ』に特徴的に聴かれるフィールドレコーディングの作業も彼は日常的に行っていたようです。彼本人もその方法を私に語ってくれたことがありますが、映像的な感覚を重視して、それぞれの音を採集し、配置していくという行き方の元、モノクロの下書きに彩色されるように加えられていく音の数々。都市生活に浸っている我々には当たり前すぎて見過ごし聞き逃してしまうような日常的な雑音(電車の発車ベルであったり、街頭での演説であったり、遊戯にふける児童の嬌声であったり……)が、音として掬い取られていくようでした。

 あるとき、ダニエルがお気に入りとして挙げた小説として、19世紀末フランスの作家J.K.ユイスマンス(*3)による小説『さかしま』があります。この象徴主義の巨匠の代表作は、日本では澁澤龍彦訳によっても読まれている古典的名著でありますが、遺産を食いつぶしながら隠遁生活を送る貴族である主人公デ・ゼッサントが、蕩尽の限りを行うばかりで物語的な筋というものもとくに無い、だけれど非常に特異な魅力を湛えた小説です。デカダンの大伽藍的な作品として世に評価されていることもあり、ダニエルもそのようなデ・ゼッサントの浮世を厭うピカレスク的な一面に共感を抱いているのかな? と思ったりもしましたが、どうやらもっと違った共通点があるような気がしてきました。


ジョリ・カルル・ユイスマンス
『さかしま』(1884)
※桃源社 1962 /
光風社 1984 /
河出文庫 2002
 
澁澤龍彦訳

 デ・ゼッサントはまあ確かに、現代の視点から見ると、経済的な生産活動を忌避してただ個人的な消費と愉楽に遊ぶいわゆる「ダメ人間」ではありますが、重要な点はそうした彼の生活風紀上の特異さについてではなくて、もっと根本的な、モノや美を観るときの視点という気がするのです。たとえば、デ・ゼッサントが、色彩に対して異常なコダワリを開陳しながら屋内の調度品の配置を物語っていくところなど、まるでダニエルがさまざまな楽器の音色効果とその配置を嬉々として語っている顔が浮かんでくるみたいです(ちなみに、ダニエルはデザイナーでもあります)。また、「健康的な読み物」としてのディケンズの小説を読み触発されたデ・ゼッサントが、思い立ってロンドンへ旅行しようと外に出かけようとしたけれど、どうせ旅先では不愉快なことがたくさんあるんだろう……と月並みな旅行中に具体的に起こりうる不愉快な事案を次々に思い浮かべたとたんにロンドン行きを翻意にして、そして、そうした想念が膨らんでくるにしたがい、そもそもそういう想念をもって起こりうる自体が事細かに心に浮かんだ時点でもう彼の地(ロンドン)に行ったのも同然だからもはや行かなくてもいい、むしろ想念上のロンドンの方が事実自分にとっては気味のよいものであろうと嘯く場面……。そんな場面に見られるような、ユイスマンスならではの曲折したユーモアについても、ダニエルのそれと共振をしているのではないかと感じます。これは、単なる主人公デ・ゼッサントの負け惜しみ的述懐というわけではなく(一見そう感じさせるところにユイスマンスの卓越したユーモアセンスがあるわけですが)、頭のなかで想念がインフレーションを起こした時に現れる滑稽を愛でるような筆致で描かれたこのロンドン旅行取り止め事件は、世に広く共有される現場・経験重視的な思考法への軽蔑と撹乱、想念の側に美徳の盃を取らせる象徴的な勝利宣言でもあるとも読めるわけです。そして、ダニエルにおける「音」と小説のここでのトピックたる「旅」が並置されるとき、大勢の人に経験されることでさまざまな意味付与をされクリシェへと成り下がってしまった「意外性に乏しいポップミュージック」(=多くの人に経験されたであろう「意外性に乏しいロンドン旅行」)を珍重するよりも、自らの頭の中に渦巻く想念を培養基として、ポップ・ミュージックの意味性を撹乱し、いきおい想念の自由さを浮かび上がらせるようなダニエルの創作態度との関連性も見えてくるようです。また、デ・ゼッサントが語る、西洋宗教芸術へのペダンチックな興味や、信仰や形而上学的問題への志向性などといった部分でも、本アルバム『ノーツ』の歌詞に数々の現れる宗教的キーワードと何がしかの関係性があるのではないかしら……? あるいは、「シンガーソングライター」という形容を極度に嫌うダニエルのこと、ユイスマンスの反私小説的態度及び反自然主義的な態度にも共鳴をしているのか……? ああ、また頭が沸騰してきました……。

 何やら下手くそなユイスマンス論めいてきてしまったのでこのあたりで止しますが、一方で大変重要なのは、デ・ゼッサントが想念のみの世界に閉じこもるのではなく様々な嗜好品や優れた芸術品の価値を積極的に愛でながら独自の思想を語っていくように、ダニエルも自らの想念のみに拘泥するわけではもちろんなく、これまでに産み落とされてきた優れたポップ・ミュージックへの憧憬を隠そうとしないということでしょう。彼と会う度に語られるエミット・ローズ、スパークス、ルパート・ホルムズ、10ccなどへの敬愛には、それらの先達たちが彼らの想念とともに作り上げた音楽が担ってきたラジカルリズムへのシンパシーと、そうして不断に蓄積されてきたポップ・ミュージックの豊穣な歴史を愛でる確かな視座、そうした重ね合わせを感じるのです。

 こういった考えは、今年夏からのアルバム制作の終盤の頃、彼自身による執拗なダビング作業と音響効果の追求(一般的な「ミックス」という工程上の用語と、ニュアンス的にどうも違うので、「音響効果の追求」と書きます)の日々の中でいろいろとやりとりしながら、私の中で徐々に深まっていったものでした。徐々に歌入れを進める中で明らかになっていく歌詞世界に窺われる、音韻そのものとしての言葉を無遠慮に配置することで意味を無力化していこうとするような鋭敏な感覚と、一方で同時に意味性の連鎖の中に違和を創出してゆくような高度なユーモア性といったもの。あるいは、「A~B~サビ~A~B」といったような一般的なポップ・ソングの構造を食い破るように「A~B~C~D~E……」と、作業を経るごと増殖分裂をしながらアップデートされていく曲構成にしても、ポップ・ソングの定石性へのラジカルな批評になっているようでいて、ポップ・ソングそのものへの理解と偏執とそのフォーマットへの愛が逆説的にほとばしってくる……。そういった二重性というものが彼の創作に通底する態度であり、突出した魅力なのではないか、という考えが日々私の中で強く沸き上がっていき、いよいよマスタリングを経て完成した時に確信となりました。

 つらつらと書き散らしてきましたが、そもそもインサイダーたる私がこのように作品をホメるのも恥ずかしいのですし、こそばゆいことおびただしい。だけれども自信を持っていうことができますが、このアルバムはいわば、ラジカルと歴史的豊穣の重ねあわせの中にたゆたっているポップ・ミュージックのイデアをはっしと掴み、作品の中で充分に輝かせることに成功している、相当に稀なる一作ではないでしょうか。そしてさらには、そうした重ね合わせ状態のテーゼが、どこまで意図的に仕組まれているのかといったこと自体がまた別のミステリーであるという、三次元的な奥行きを持った構造も見え隠れするという……。
 うーん、でもたぶん、ダニエルは苦笑を浮かべながら「柴崎、おまえは考えすぎだ」と言いそうです!
ダニエル・クオンの最新アルバム『ノーツ』、是非末永くお聴きいただけましたら幸いです。きっと、ずっとあとになっても新鮮さを失わない作品だと思いますので。

*1
ダニエルが変名「Rくん」名義でリリースした、前作に当たるアルバム『Rくん』のこと。

*2
宅録とフィールドレコーディング中心の『Rくん』の反動もあり、一般的なスタジオ環境にてドラムをレコーディングしたり、生ピアノでの録音など、いわゆる「一般的な」の制作手法を踏襲するような進め方にトライしたいというダニエルの希望もあり、何曲かのリズム・レコーディングはそうした方法で行いました。

*3
ジョリス=カルル・ユイスマンス。19世紀フランスにおいて象徴主義を代表する作家として活躍した。代表作に、本文でも触れられている『さかしま』がある。

James Ferraro - ele-king

 ダーク・アメリカ。超高層ビル。喧騒。ビジネス。エリート。キャデラック。金。路上。貧困。犯罪。夜。喧騒。人工的な光。広告。サイレン。孤独。インターネット。不穏。ジェイムス・フェラーロの前作『NYC, Hell 3:00 AM』(2013)は、監視カメラで捉えたような現代の状況/現実を、富裕層から略奪したかのごときフェイクなR&Bスタイルによってアルバムに封じ込めた傑作であった。新作『スキッド・ロウ』もまた同系列の作品といえるのだが、圧縮された音楽情報は世界そのもののように、よりいっそう錯綜している。デジタル・エディットされるヴォイス、アタックの強いシンセ・ベース、ストレンジな電子音、人工的なシンセストリングス、硬いビートと、現代アメリカの断片を切り取るような環境音が、まるで映画のサウンド・トラックのように交錯する。その情報量は前作を軽く超えている。音楽であると同時に、ディストピアなムードを放つ社会的ポップ・アートといった趣だ(※1)。

 高層ビルがひしめく都市空間。地上から虚栄の光の塔を見上げるような彼のフェイクR&Bトラックは、陶酔感や浮遊感がまるでない。フェラーロの音楽は重力に引っ張れるように下へ下へと下降する。オープニング的なサウンド・コラージュ・トラックである1曲め“バーニング・プラス”からシームレスに繋がる2曲め“ホワイト・ブランコなどに象徴的だが、R&B的なトラックは、突如、挿入されるユーチューブの動画から聞こえてくるような環境音のコラージュ・トラックによって断片化され、虚飾を剥がされていく。ボーカルはデジタル加工・劣化・圧縮され、スマートフォンのスピーカーから流れる声のように聴こえるだろう。繰り返すが、セレブリティな拝金主義などR&B的な記号はない。むしろ、手に入らないであろうそれらを嘲笑すらしている。ここにあるのは24 時間体制で監視されるようなポスト・インターネット社会の嫌悪と嘲笑に充ちた寒々しいリアリティなのである。虚飾を剥ぎ取ったミニマルなメタR&Bと電子音は、そんな私たちの現実=世界を鏡のように映し出している。たとえば“1992”で展開されるクラシカルな弦と会話のモンタージュは、21世紀の都市における空虚そのものだ(モニターのホワイト・ノイズのようなアートワークは、24時間監視世界の空白を表象しているのか)。そう、ジェイムス・フェラーロの音楽もまたOPNやアルカと同じく、ポスト・インターネット的世界における環境音楽であり実存的な哲学でありアートなのである(そこにおいて音楽の形式上の新しさ/古さなど宙吊りにされる)。不平と不安。一瞬と快楽。孤独と嘲笑。監視と不眠。本作には、21世紀特有のディストピア社会をめぐる鋭い考察が、その音楽の中に内包されているのだ。

 私はこのアルバムを聴くと、ジャン・ボードリヤールの1976年の書物『象徴交換と死』を思い出してしまう。 同書には「クール・キラー、または記号による反乱」というグラフティを扱った論文が収録されているのだが、これを39年後の現在「ジェームス・フェラーロ論」として「読み変える」ことは可能だろう。最後にボードリヤールの言葉を引用しよう。「……匿名性をひっくりかえすこの呪文、白人社会の首都の只中で象徴的爆発をくりかえすこの変容の響きに、今こそ耳を傾ける必要があるのだ。」。

※1 ジェイムス・フェラーロは、現在、東京都現代美術館で開催中の「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる。」において作品が「展示」されている。キュレーターはインターネット上でポスト・インターネット・アートを「展示」するというサイト「EBM(T)」(=ナイル・ケティング&松本望睦)による。1989年生まれと1990年生まれの彼らの感覚と感性は時代の今を鋭く切り取っている。現在、注目のユニット、人物。https://ebm-t.org/)。

第35回:花と血の時代 - ele-king

 テロルである。
 またもや欧州でテロル勃発。今回は規模が大きいぞってんで、すわ戦争か。とゴリラのように拳で胸を連打しているマッチョな人たちがあんまり多いもんだから、なんだか息苦しいわ。と思って、ちょっとまじめな記事を書いたらとんでもないことになり、いやネットのニュースサイトってのは半端ない。間違ってトップページにでも出ようもんなら、違う考え方を持つネット政治運動家の方々から、文体は硬質なのに内容な粘質。みたいな抗議、嫌がらせのメールがわらわらと殺到し、布団を被ってぶるぶる震えていたのですが、実はあの日は同じサイトのエンタメ欄のほうでも、「チャーリー・シーン、ゴムを使わずにセックスしたのは2人だけ」という当方の記事がアクセス1位を達成していたのですが、その辺りを突いてきたメールは1通もなかったので、ちっ。と思いました。
 まあ、そんな話はどうでもいいか。

               *******

 翌日、いつものように子を学校に送り、バス停に立っているとイラン人の友人が歩いて来るのが見えた。
 「ハーーイ!」と言ってひしっと固くハグ。って別にそんなことをしなくとも、彼女とは緊縮託児所(eg昔の底辺託児所)で一緒に働いている仲なのだが、ネットの暗がりの後には生身の人間の感触がうれしい。そのまま峠の茶屋に直行することになった(いやそれが本当に坂の頂上にあるのだ。グリーンティーも出してるし)。
 彼女に思わずバス停で抱き着いてしまった理由を話すと、友人はぎゃははっと笑った。
「テロはテロを呼ぶからね」と彼女は言う。
「……ああ」
「やる方もやられる方も傍観する方も、みんなアグレッシヴになる」
「なんかそういう世の中になったよね。やけに暴力的だもん。ここんとこ目にするものが」
「そう? ニュースの見すぎじゃない?」
「ああ……。やっぱ見ないほうがいいの?」
「いや、そういうのが好きなら見ればいいと思うけど、こっちのが可愛くない?」
と言って、彼女は自分の携帯の待ち受け画像を見せた。イランにいる親戚の赤ん坊の写真だという。何か昭和の頃の日本の写真館で撮られた写真のようなアナクロさがあり、座っている赤子の周囲に花々が美しく咲いていて、ボリウッド映画のスティルまたはピエール&ジルの作品さえ髣髴とさせるクオリティーだ。
「ああ、花だ」と思わずわたしは言った。
「ははは。私の国ではプロが写真撮るとこうなるの。家族写真でも何でも」
「キュート」
と言いながらわたしは別のことを考えていた。
 なんか最近、やけに花なのである。
 硬質ぶっても粘質な数々のメールが来る原因となった記事もバンクシーの「Flower Thrower」という作品についてのものだし、「パンと薔薇」だの「米と薔薇」だの、われながら最近は花についてばかり書いている。なんかそうなってしまうのだ。

              ******

 モリッシーがジーンズの尻ポケットからグラジオラスの花を垂らして登場した「トップ・オブ・ザ・ポップス」のザ・スミスの演奏シーンは、UKポップ・カルチャー史のアイコン的シーンと言われる。ザ・スミスには、「花の時代」と呼ばれる時期があった。それは1983年から1984年春までで( Mozipediaより)、ギグでもステージを花で覆ったりしていた。最初にザ・スミスのステージに花が登場したのは、1983年2月4日のハシエンダでのステージだったそうだが、花を使った意図は、マンチェスターの音楽シーンとハシエンダを取り巻く「殺菌されたようで非人間的な」環境に対する抗議だったという。「誰もが非人間的で冷たかった。花はとても人間的なものを象徴する。それは自然との調和でもある」「花は僕たちのツアーではPAシステムより重要」とモリッシーは当時語っていた。

 当時のUKのおもな出来事を振り返ってみると、非常に暴力的な時代だったことに驚く。炭鉱ストライキにおける労働者と警察の衝突。IRAの爆破テロ。航空機ハイジャック。フーリガン、レイシズム、相次ぐ暴動。人間と人間のグループが常にぶつかって負傷したり死んだりしていた時代だったのだ。そして、その世の騒乱を押さえ付け、締め付けることによってさらなる衝突と暴力を生んだ指導者がマーガレット・サッチャーだった。
 あの時代もニュースはさぞ物騒で血なまぐさい絵のオンパレードだったろう。花が見たくなる気持ちはわかる。ザ・スミスはステージ全体を花で覆うことで、その渇望をカウンター的ステートメントに変えたのだ。
 だが、すぐにファンも花を持ち寄ってステージに投げるようになり、そのうちモリッシーが花々に足を取られて転ぶようになって、ザ・スミスの「花の時代」は終わる。
 花もけっこう危険なのである。

              ******

 緑茶をすすりながらイラン人の友人は言った。
「花って言えば、最近、センターであったポピー事件って知ってる?」
「何それ」
「いや、それが大変だったのよ」
と彼女は解説を始めた。センターというのは、わたしと彼女が働いている託児所の本体にあたる場所であり、無職者と低額所得者、移民・難民やホームレスの方々を支援している慈善施設である。
 彼女の話を聞くと、こういうことであった。英国では11月11日の第一次世界大戦休戦記念日は戦没者記念日でもある。日本は戦没者というと第二次世界大戦を思い浮かべることが多いが、英国は断然、第一次世界大戦だ。第一次世界大戦の激戦地だったフランダース地方に咲く赤いポピーの描写で始まるカナダの詩人ジョン・マクレーの詩が英誌に発表されて大反響を呼び、以降赤いポピーは戦没者たちのシンボルとなった。11月になると多くの英国人が胸にポピーのバッジをつけて歩いている所以である。
 で、あるムスリムの家族が11月の初めに全員胸にポピーのバッジを付けてわたしたちが働く慈善センターにやって来たのだという。
 彼らはパキスタンからの移民で、一家を支えていたお父さんは市役所に勤めていたそうだが、勤務していた部署がこの緊縮のご時世でリストラされ、4人の子供を抱える彼の家庭は我々の施設に相談に来たらしい。
 地方の街では、ムスリムが11月にポピーのバッジを付けているというのは見たことがなかった。が、ここ数年で変わって来ている。ISが世間を騒がせたり、社会の右傾化が進むにつれ、ムスリム・コミュニティーの一部の若者の間で「ポピーを胸につけよう」運動が広まっているのだ。特に若い女性は、赤いポピー柄のヒジャブを頭に巻いたりしているし、アナキスト団体経営のカフェなどに行くと、その運動をサポートする英国人女性もポピー柄のヒジャブを頭に巻いてカウンターで働いている。
 くだんのパキスタン人家庭の長女もポピー柄のヒジャブを巻いていたそうで、両親も弟たちもポピーを胸につけてセンターの食堂に現れたという。
 すると、食堂の隅に座っていた英国人のおっさんが唐突に激怒して暴れ出し、そのポピーを外せと彼らに怒鳴りつけ、止めに入ったヴォランティアの大学生がおっさんに殴られて軽傷を負うという騒ぎがあったらしい。
「そのおっさんって誰? わたしも知ってる人?」と聞くと友人は言った。
「M」
「ああMかあ…」
とわたしは放心してため息をついた。
 Mというのは元パンク&アナキストの60代の爺さんなんだが、鬱を認知症でこじらせているという噂があり、言動がここのところ不安定だ。
「で、その一家はどうなったの?」と尋ねると友人は言った。
「いやさすがに、それっきり来てない」

 ポピー問題は、今年は特に悩ましかった。女優のシエナ・ミラーが英霊追悼週間にポピーのバッジをつけずにテレビに出たというのでバッシングされ、英霊記念日式典に労働党首として出席したジェレミー・コービンのお辞儀の角度が足りなかったとかで、彼の頭部と胴体の角度を測って10度だ15度だと分析していたメディアもあった。こうしたムードを受け、キャメロン首相も自分の写真にフォトショップ加工でポピーバッジを貼らせていたという疑惑が浮上していたし、一番びっくりしたのは、ブライトン市内のある公立小学校のフェンスに直径2メートルはあろうかという真っ赤なプラスティックのポピーが複数出現し、校庭上空に英国旗が、ってそれも1本や2本じゃないのである。『幸福の黄色いハンカチ』状態でユニオンジャックがびっしりはためている様(先週からこれはフランス国旗に変わっている)をバスの窓から見たときには「まじかよー」と思った。あんなにキッチュ(ミラン・クンデラが言う意味での)な追悼の場をわたしは見たことがない。

 「ポピー問題は気が重いね。あれも一応、花なんだけど」
とわたしが言うと、十代の頃に国が戦時中だった友人は表情ひとつ変えずに言った。
「あれは花じゃなくて、血でしょう」
 一面に咲いた赤いポピーの中を歩きながら戦没者を追悼する女王の写真が頭に浮かんだ。
 欧州は花と血の時代に突入したのかもしれない。
 

Khalife Schumacher Tristano - ele-king

 ルクセンブルグの旗手にして、エレクトロニック、クラシックとジャズの音楽界で旋風を巻き起こし、カール・クレイグやモリッツィオとの共 演で世界にその名を知らしめた若き天才ピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。ヨーロッパ・ジャズ界の代表選 手の一人であるヴィブラフォン奏者、パスカル・シューマッハ。そして、この二人の演奏に補完するリズム の礎を築き、このトリオの斬新なライヴを新たな音楽領域に導かすレバノン出身のパーカッションの最高峰、バシャール・カリフェ。このトリ オのライヴには魅惑的な音楽オーラが満ち溢れ、歓喜の静穏が浮かび上がり、円熟さが感じられる。彼等の新スタンダード・ミュージックの真骨頂を遂げようとする、壮絶なライヴが、 遂に日本初上陸! 今回のトリオのライヴで手厚いDJサポートするのは、何と松浦俊夫と、フランチェスコ・トリスターノと海外で共演したHIROSHI WATANABEだ!

2015年12月4日(金)
Dec. 4th, 2015 (FRI)
At CAY

開場:19:00時/開演:20:00時
Open: 19:00pm / Start: 20:00pm

前売:¥4、500 当日:¥5、500
Advance: 4,500 Yen Door: 5,500 Yen

〒107-0062 東京都港区南青山5丁目6-23 SPIRAL B1
Address: Spiral B1F, 5-6-23, Minami-Aoyama, Minato-Ku, Tokyo

For More Info: 03-3498-7840
https://www.spiral.co.jp/shop_restaurant/cay/
https://www.giginjapan.jp

 風邪をひいたのかどうも喉が痛いです。そんなとき口ずさむのは破裂音が比較的少ない、フレッチポップあたりが喉に優しいのかもしれません(適当)。
 と言ったところで……、本日ご紹介するのはこちら!


注:手書きポップに書かれているイニシャル「W.A」とは僕のこと。このポップを書いた2012年当時は33歳だったが現在はもう少し歳をとっている。以後すべて同。

 このCDは、90年代以降のフレンチ・ポップを代表するミュージシャン、マチュー・ボガートの1998年のアルバム。端的にめちゃくちゃ小気味良くて超オサレサウンド。それだけでなくアンサンブルも重層感溢れる作り込みなのでかなり聴き込める内容です。最近では、齢を重ね小太りになったご本人が全裸でオルガン弾いているPVが、Youtubeで話題になったこともありましたね。

 まず、のっけから「おいおい、ジャケないじゃねぇか!」って感じなのですが、これは僕がなくしたのではなく、「CDだけ」を借りパクしてしまったパターンなのですよ。


ジャケはどんな感じだったかな……
Mathieu Boogaerts / J'En Ai Marre D'Être Deux / Island / 1998

 どういうことかと申しますと、たしか2000年代のはじめだったと思いますが、当時新婚ホヤホヤだった姉貴とその旦那(つまり僕の義兄)であるまっちゃんといっしょに車に乗っていたとき、運転しながら彼がこのアルバムをかけてくれたんですよね。まっちゃんは音楽好きで、学生時代にベースも演っていたらしく、ちょくちょく音楽の話もすることがあったんだけど、彼の口から出てくるミュージシャンはELLEGARDENとかマキシマムザホルモンとかまぁざっくりエモ系ロック(まずその2つをいっしょにすんなよって感じですよね……、でも音楽ジャンルの詳細は本コラムではひとまず置いておいて……)だったんですよ。そんな彼が突然、超クルーナー・ヴォイス(つぶやき系)バリバリのフレンチ・ポップをかけてきたもんだから、車中で思わずびっくりしちゃいまして。しかも、それが良かった。そして「ねぇ、これなに?」って訊いたら、彼も「ええっと、マシュー、いやいやマチュー……えー、ボガ、ヴォガ……」みたいになってしまって要領を得なかったので、自分であらためてネットで調べてみたのでした。まずは自分でマチューのCDを買う「参考までに」ですね、彼からこのCDを拝借。家にあるPCでCD-Rに焼いてその日中に返すつもりだったからジャケもケースも借りず、CDだけを裸で頂いた記憶があるんだけど、でもなぜ返さなかったのかが未だに思い出せず……。

 この「家族・親族ネタ」っていうのは、「いつでも会えるしね……」という謎の余裕感のもと、結局、お盆も、年末年始も、返すことはないのですよ。まだまだありますよ。親父からはあれを、姉貴からはあれを……。それはおいおい紹介していくとして、まずはまっちゃん、ごめんなさい。お仕事頑張ってますか? 改まって訊きますが、そもそもなんでこのCD、持ってたんですか?


Illust:うまの


パクラーのみなさまからのお便り

お名前:賭博食事録ヒマンジ
性別: 男性
年齢:23

借りパクした作品:
LIBRO / 雨降りの月曜(12インチ限定アナログ盤)(2007)

借りパクした背景、その作品にまつわる思い出など:

 高校生の頃の私は家が貧乏で小遣いも少なく、そこから部活動に必要な道具を買っていました。そして余ったお金を少しずつ必死に貯めて、中古とはいえ念願のターンテーブルを手に入れたところで貯金が尽きてしましました。田舎に住んでいたのでネットでしか物が買えず、送料等を考えると貧乏高校生にはとても買えるものではありませんでした。そこで、遠くに住んでいる音楽が好きな従兄に電話をしました。「何でもいいから、一枚でいいからレコードを貸して! 送って! ちょっとしたら返すから!」と。従兄は笑いながら承諾をしてくれて、数日後にこのレコードが送られてきました。うれしかったですよ。初めての生のレコード。興奮したのをいまでも覚えています。返さなきゃと思いながらも、もったいなくて返せずにいました。もう返すこともできません。従兄は事故にあって他界してしまいました。返してくれと一言も言わず、ずっと貸してくれていました。長くなってしまいましたし、本来の意向とはちがうものかもしれませんが、こんなことを思い出し投稿してしまいました。これが私がいまのところ人生で一度だけしてしまった借りパクです。

借りパク相手への一言メッセージ:
いまでも大事に持ってるよ。音楽が、日本語ラップが好きになったきっかけだよ。おかげで音楽に携わる仕事に就くことができています。ありがとう。

※文字表記等は一部編集部にて変更させていただいております


LIBRO / 雨降りの月曜


アサダからのエール

 賭博食事録ヒマンジさん、お手紙ありがとうございます!!
 じつはヒマンジさんはいちばん最初にお便りをくださった方なんです。あらためて御礼を申し上げつつ、僕なりにエールを送らせてください。

 まず返そうと思っても返す相手がもうこの世の中に存在しないという空虚さについては、正直僕はまだ経験したことがないので、軽はずみなことは言えないなと思っています。
 でも、この従兄さんの一枚のレコードがとにかくヒマンジさんの人生を確実に変えたこと、それ自体は僕はとっても素晴らしいことだと思います。

 そのレコードがLIBROの「再発盤」だったということがとても気になりました。
 LIBROの“雨降りの月曜”が収録されているアルバム『胎動』はたしか1998年リリースで、まさに僕にとっては10代後半のもっとも音楽に多感な時期に聴いたものでした。
 そしてこの頃聴いていた音楽というのは30才を越えてからなぜだか再び聴きたくなるもので、いまでもそういった音楽が僕のまわりにはたくさんあって心の中で「リサイクル」されています。
 従兄さんの世代はお手紙ではわかりませんが、ひょっとしたら1998年やそのあたりにこの“雨降りの月曜”をリアルタイムに聴かれていたのではないでしょうか?
 それを「懐かしい」と感じて2007年に再発された限定アナログ盤を再び聴き、その音楽をヒマンジさんのようなさらに若い世代に引き継ぐ責任(もちろん直感に近いものだと思いますが)のようなものを持ちながら、あなたにこのレコードを貸したのではないかと、勝手に妄想してしまうのです。

 そう、あくまで僕の妄想です。でももしそうだとしたら、まさに、いまヒマンジさんがJ-HIPHOPに目覚め、そして、音楽に携わる道へと導かれたことは、月並みな言い方なのは覚悟の上ですが、きっと従兄さんは空の上からそのことをとても喜んでいるのではないかと思うのです。なんだか勝手なことを申してごめんなさい。

 とにかく、僕も久しぶりに『胎動』をApple Music‎で堪能しながら、この返答を書いています。この曲、ほんといいですね。
 まとまりがありませんが、どうぞ、これからも音楽のお仕事頑張ってくださいね。


■借りパク音楽大募集!

この連載では、ぜひ皆さまの「借りパク音楽」をご紹介いただき、ともにその記憶を旅し、音を偲び、前を向いて反省していきたいと思っております。
 ぜひ下記フォームよりあなたの一枚をお寄せください。限りはございますが、連載内にてご紹介し、ささやかながらコメントとともにその供養をさせていただきます。

Arca - ele-king

禍々しい美
木津毅

 faggot、すなわちカマ野郎――という言葉が消えていく。性の多様性が正しいこととなっている現在において、不適切な単語はより無難で口当たりの良いものによって覆い隠されていく。まるで「カマ野郎」への侮蔑も消え失せてしまったかのように……。だが、まだそのワードに出くわすところもある。インターネットと、そしてアルカの新作である。
 アルバムの最後から3曲めに収められた、アルカにおけるアンビエンスがより追求されたそのトラック、すなわち“ファゴット”がなぜそのタイトルとなったのかまず自分は引っかかった。抽象的かつインダストリアルな感触の残るビートと複雑に折り重なっていくように鳴らされるほのかに東洋的なメロディとピアノの単音。アルカの入り組んだ美への探究は明らかにここで繊細な進化を見せている。このトラックを“ファゴット”と名づけずにはいられないところに彼のアーティストとしての姿勢が見て取れるが、これに呼応するのはアルバム・タイトルでもある“ミュータント”だろう。そこで金属音は地を這いずり回っている。それはミュータントなる生命体がもがき苦しんでいる姿が音像化されたようであり、そしてそれはもちろん、前作のタイトル『ゼン』から連なる、無性の生命体――アレハンドロ・ゲルシが変身した姿である。

 その作品においてセクシャリティが抜き差しならない問題となっている点、あるいは進んで異形の者であろうとする点において、アルカは現代のエレクトロニカにおけるアントニー・ハガティである。『ゼン』においてはおもにアートワークからその連想をしたのだが、『ミュータント』においてはむしろ音からそのことを思う……よく歌っているアルバムだからだ。もちろん、相変わらず圧倒的な情報量がおもにビートにおいて分裂的に次々と姿を変えていくのだが、ゲルシが奏でるメロディはトラックによって色を使い分ける彼自身の声のようであり、それらは本作でよりダイレクトに体感できる。4曲め、“シナー”でガシガシした打撃音の上からピアノの音が降り注いだかと思えば、“スネイクス”や“フロント・ロード”のようにはっきりとしたメロディ・ラインが牽引するトラックもある。そしてそれらはとてもエモーショナルだ。内省的だった『ゼン』と対比すれば、ファッション・ショウのために書き下ろされたためある意味で企画ものだった『シープ』を挟み、より外交的でそのポップ・センスが磨かれたアルバムだと言えるだろう。ほぼノン・ビートの“エルス”の静謐さなどに顕著だが、クラシックへの素養をさらに前に出し、その優美さも高めている。チェンバロやハープを思わせる音色。“グラティテュード”から“エン”へと至る、荒々しく吹き荒れるエディットのなかで陶酔的なメロディが宙を回り続けるときの息を呑むテンションこそが、アルバムのピークを描いていく。それはミュータントのエクスタシーだ。
 アルカ本人が出演する本作の一連のヴィデオによく表れているが、身体ごとさらけ出し、自身の深い、そしてたぶんに抑圧されていた官能をゲルシはここで解放し飛翔させようとする。OPNやD/P/I/よりもストレートに感情のひとだろうと思うし、その異物感において、オート・ヌ・ヴの『エイジ・オブ・トランスパレンシー』の狂おしさと並べられるものであるとさえ思う瞬間もある。前提として自らを忌避されるような存在――「ファゴット」と呼ばれるような――と規定し、ときに過度にグロテスクなものとして現れつつ、しかしそこから立ちのぼる禍々しい美でアルカはわたしたちを引きずりこんでしまう。

木津毅


» Next 「赤いやつの進撃」(橋元優歩)

[[SplitPage]]

赤いやつの進撃
橋元優歩

「アルカのノイズって、世間に爪を立ててるんだと思うんだよね」と言うのは隣でPCを叩いている編集長だ。

 まったく、筆者にもそうとしか聴こえない。
 作風が変化したというほどではないが、このアルバムはどこか威嚇的で、外に向かって刃物を振りまわすようなかたくなさがある。神経に障る音が次々と落ち着きなく現れ、ビートからは快楽性が剥がれ落ち、メロディはなかなか形を成さない。しかし閉じない展開の中で発信者の心拍数は上がりつづける。OPNの余裕、コ・ラのふてぶてしさともまったくちがう──それはちょうど、手負いの生き物が「爪を立てている」姿を彷彿させる。

 そしてたいてい、そんなふうにしてつけられた傷は世間の側にではなく自分に残るのだ。本作『ミュータント』は、24、5にもなろうという人間にしてはあまりにピュアな、闘争意識と傷を全身に貼りつけたアルバムである。そしてそれは、正体不明のプロデューサーとして『&&&&&』の奇怪な生物(https://www.ele-king.net/review/album/003367/)の向こうにハイ・コンテクスチュアルな音を揺曳させていた頃のアルカに比して、むしろ痛ましいほどにみずみずしい。

 アルカことアレハンドロ・ゲルシは、ベネズエラ生まれのプロデューサー。政情不安と神秘の残るかの国で多感な時期を過ごし、高校時代にニューロの名で楽曲制作をはじめ注目を浴びるが、その後アルカを育んだのはニューヨークのアンダーグラウンドだ。音楽、映像、ファッション、多様な文化や性が混淆したトレンドの一大発信地として知られるパーティ〈GHE20G0TH1K〉などを通じ、ミッキー・ブランコやケレラといった、その後の一時代を築いていくことになるヒップなシンガーたちと出会ったばかりか、カニエ・ウェストの6作め『イーザス』への参加を請われることになった。その後のビョークとのコラボレーションや、オルタナティヴR&Bのアイコン、FKAツイッグス『LP1』(2014)などへの参加といった活躍は詳述するまでもない。

 しかし年端もいかないまま、アンダーグラウンドから突如世界的なステージに上げられたゲルシは、ただ時のプロデューサーとして以上の混乱や葛藤を抱え込むことになったようだ。メディアからの取材もほぼ受け付けないから、その思いの在り処は、ただ音と、そして彼に伴走するジェシー・カンダによる造形からしか量ることはできない。

 関節の崩れた真っ赤な塊は、腐敗した実の表面のように膨張あるいは萎縮して、しかし関節こそが身体の謂となるベルメールの人形にせまるほど、われわれにそれの存在を思い出させる。デビュー・アルバム『ゼン』における「ゼン」とは、sheでもheでもある自身の分身だったが、それがただオルタ―・エゴの類、つまり人格や精神としてだけではなく、分「身」としてジャケットに写る体を与えられたことは興味深い。性的なアイデンティティをめぐる若き苦悩があったということを知っていても知らなくても、ゲルシにとって身体こそが重要な表現の命題であるのだろうということを多くの人が感じただろう。そして、今作リリース前に、能面のような頭部を持つ赤い塊と、露出させた肌にハーネスで武装を施した本人のヴィジュアルが公開されたときに、そのテーマはよりはっきりとした。
 しかし、ゲルシはそれを「ミュータント」と呼ぶのか──突然変異体であると? もし自身をそう認識し、リプリゼントするのだとすれば、『ミュータント』はすさまじい自己肯定と、それと同程度の自己否定を含んだ、やはりなかなかにへヴィで痛ましいアルバムだと言わざるをえない。

 ヒップホップに軸足を置きながらも、クラシカルなピアノの素養もあるゲルシだが、それがジェイムス・フェラーロやゲームスなどとともに〈ヒッポス・イン・タンクス〉周辺のアブストラクトな音像を伴って表われていたこれまでのEPや『ゼン』を聴くと、彼の境遇やアートワークをふくめ、彼がなぜカニエやビョークといったハイ・カルチャー志向のセンスに好まれるのかということが察せられる。しかし、たとえばノイズといっても、アルカはインダストリアルに興味があるとか、クリックやグリッチといった方法を検証したいといった研究肌のノイジシャンではない。当人にもさほどノイズという意識はないだろう。とても感覚的で、若いエネルギーがそのひとつひとつの音に過剰に情報をつけくわえ、ノイジーさを生みだしている。

 2、3分ほどの短いトラック群には、“シナー”のようにビートとテーマが溶けてしまったようなインダストリアルな断章もあれば、“セバー”のチェンバロのように旋律が押し出されたものもあり、全体としては楽曲というよりはこのミュータントの挙動に付随するSEのようだ。もしくはサウンドトラック。その進路には天然の光はなく、金属の花々が咲き、赤い生命体は自らの収まるべき場所を求めて破裂や収縮を繰り返す……そんな妄想をゆるすほど、たとえば“サイレン・インタールード”から“エクステント”への流れなどには、とくに映像喚起的なものがある。物語と情感と映像を収める装置、楽曲というよりはそうしたメモリのようにトラックが並び、ひとつひとつに罪や痛みの名がラべリングされている。
 かつてネット・カルチャーにおけるラディカリズムを、ポスト・インターネット的な感性で描き出す若き才能として認識したアルカだったが、それだけではむしろ時代に消費されてしまっただろう。アルカがなにか素通りできず、シーンの空気をざわつかせるのは、そうした時代性を持つという以上に、これだけ正面から、存在証明という古めかしく大上段なテーマ性を抱えてのたうっているからで、われわれは結局、それに向かいあう人間への興味を捨てきることはない。
 傷がつけられるのは身体を得てこそだ。爛れ、膿んだ赤い塊から新たな生命の萌芽を見ることができるのか、見れなかったとしても、このときゼンが生き、ミュータントが動いていたことを、未来覚えている。

橋元優歩

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335