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James Ferraro

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James Ferraro

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デンシノオト   Nov 27,2015 UP

 ダーク・アメリカ。超高層ビル。喧騒。ビジネス。エリート。キャデラック。金。路上。貧困。犯罪。夜。喧騒。人工的な光。広告。サイレン。孤独。インターネット。不穏。ジェイムス・フェラーロの前作『NYC, Hell 3:00 AM』(2013)は、監視カメラで捉えたような現代の状況/現実を、富裕層から略奪したかのごときフェイクなR&Bスタイルによってアルバムに封じ込めた傑作であった。新作『スキッド・ロウ』もまた同系列の作品といえるのだが、圧縮された音楽情報は世界そのもののように、よりいっそう錯綜している。デジタル・エディットされるヴォイス、アタックの強いシンセ・ベース、ストレンジな電子音、人工的なシンセストリングス、硬いビートと、現代アメリカの断片を切り取るような環境音が、まるで映画のサウンド・トラックのように交錯する。その情報量は前作を軽く超えている。音楽であると同時に、ディストピアなムードを放つ社会的ポップ・アートといった趣だ(※1)。

 高層ビルがひしめく都市空間。地上から虚栄の光の塔を見上げるような彼のフェイクR&Bトラックは、陶酔感や浮遊感がまるでない。フェラーロの音楽は重力に引っ張れるように下へ下へと下降する。オープニング的なサウンド・コラージュ・トラックである1曲め“バーニング・プラス”からシームレスに繋がる2曲め“ホワイト・ブランコなどに象徴的だが、R&B的なトラックは、突如、挿入されるユーチューブの動画から聞こえてくるような環境音のコラージュ・トラックによって断片化され、虚飾を剥がされていく。ボーカルはデジタル加工・劣化・圧縮され、スマートフォンのスピーカーから流れる声のように聴こえるだろう。繰り返すが、セレブリティな拝金主義などR&B的な記号はない。むしろ、手に入らないであろうそれらを嘲笑すらしている。ここにあるのは24 時間体制で監視されるようなポスト・インターネット社会の嫌悪と嘲笑に充ちた寒々しいリアリティなのである。虚飾を剥ぎ取ったミニマルなメタR&Bと電子音は、そんな私たちの現実=世界を鏡のように映し出している。たとえば“1992”で展開されるクラシカルな弦と会話のモンタージュは、21世紀の都市における空虚そのものだ(モニターのホワイト・ノイズのようなアートワークは、24時間監視世界の空白を表象しているのか)。そう、ジェイムス・フェラーロの音楽もまたOPNやアルカと同じく、ポスト・インターネット的世界における環境音楽であり実存的な哲学でありアートなのである(そこにおいて音楽の形式上の新しさ/古さなど宙吊りにされる)。不平と不安。一瞬と快楽。孤独と嘲笑。監視と不眠。本作には、21世紀特有のディストピア社会をめぐる鋭い考察が、その音楽の中に内包されているのだ。

 私はこのアルバムを聴くと、ジャン・ボードリヤールの1976年の書物『象徴交換と死』を思い出してしまう。 同書には「クール・キラー、または記号による反乱」というグラフティを扱った論文が収録されているのだが、これを39年後の現在「ジェームス・フェラーロ論」として「読み変える」ことは可能だろう。最後にボードリヤールの言葉を引用しよう。「……匿名性をひっくりかえすこの呪文、白人社会の首都の只中で象徴的爆発をくりかえすこの変容の響きに、今こそ耳を傾ける必要があるのだ。」。

※1 ジェイムス・フェラーロは、現在、東京都現代美術館で開催中の「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる。」において作品が「展示」されている。キュレーターはインターネット上でポスト・インターネット・アートを「展示」するというサイト「EBM(T)」(=ナイル・ケティング&松本望睦)による。1989年生まれと1990年生まれの彼らの感覚と感性は時代の今を鋭く切り取っている。現在、注目のユニット、人物。http://ebm-t.org/)。

デンシノオト