「Dom」と一致するもの

Bathsの素敵な12月 - ele-king

木津:やってまいりました、ゆうほとつよしのアラサー女子力対決「とびっきり素敵な12月」のコーナー。

橋元:勝てる気がしませんね。

木津:闘いましょうよ(笑)! 年末といえば来年の星占い記事とクリスマスでしょう? 橋元さん、クリスマス・ケーキもう決めました? それと自分へのごほうび♡

橋元:木津さんはあれでしょう? ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)の痛ケーキ。……あ、ちがうわ。お得意の〈ピエール・エルメ〉ね!

木津:だってこの美しさですよ! 今年の僕のケーキは「エラ」です。あー、ワインも買っちゃおうー。

橋元:「エマ」じゃないんだ。それにしても、いずれ劣らぬご褒美価格。「エラ」の赤い艶はとくにラグジュアリーですね。その点はシャアザク・ケーキもいい勝負なんですがね。

木津:オ、オタクリスマス……。まあ、クリスマスを楽しまないと年越せないですよ。締めくくり、せっかくなんで満喫しましょうね!

橋元:もちろんです。SNSが普及してから、年中行事の果たす役割が急に大きくなったように思いますね。それはいいとして、何か素敵な12月のプランはありますか?

木津:クリスマス・マーケットは行くとして、ライヴや音楽イヴェントも満喫して年を終えたいですねー。

橋元:そう、12月は本当に楽しそうなイヴェントがたくさんあります。今日はそのなかから、13日(金)にスタートするLAのビートメイカー、バス(Baths)くんの来日ツアーについてお話しましょうか。バスのセカンド・フル『オブシディアン』は、木津さん、どうでした?


左・Cerulean(2010)/ 右・Obsidian(2013)

木津:いや、前作(デビュー・フル『セルリアン』)のイメージがけっこうクリーンな感じ、やわらかな感じだったので、今回の陰影にはビックリしました。が、ある意味しっくりもきて。ダークで烈しいモチーフになってますけど、なんていうか、汚くはけっしてないんですよね。思春期的な潔癖性というか。

橋元:そうそう。前作のモチーフが「天上」のイメージなら、今作は「地獄」ですね。実際に『セルリアン』という色には天上のイメージがあったといいますし、『オブシディアン』は黒死病(ペスト)を題材にした中世の絵画からインスピレーションを得たといいます。1枚めから2枚めであまりにあからさまに天から地下へ直滑降しているんですが、その直滑降っぷりが本当に思春期的で潔癖的。
彼自身はハタチを過ぎているんですが(笑)、あのアンファン・テリブルな雰囲気というのはずっと失われないですね。ドリーミーだけれども攻撃的。14才の攻撃性です。それは両作ともそう。

木津:ドリーミーというキーワードは健在ですね。ゴシックなモチーフに惹かれる感覚、っていうのはある種の暗さの夢想ですし。ノイジーなんだけど聴いている感覚としては、すごくふわふわできるというか。

橋元:わかります。暗さがそのままロマンティシズムに結びついていますよね。「闇落ち」のドラマツルギーみたいなものがあって、『オブシディアン』はそういうものが根本に持つロマンチックでドラマチックな感覚があふれていると思います。もちろん無意識なんですけど。

木津:前作がチルウェイヴからの距離で測れた作品だったとすれば、『オブシディアン』はインダストリアルな感触もあって、すごくいまっぽい。天然かもしれないけど、感性もアンテナも鋭いですよね。

橋元:きっと天然ですね。インダストリアルを方法として意識しているとは思えないですし、あるいは今作でちょっと顔を覗かせているブラックメタル的な感覚も、「わりとそういう気分だった」というところだと思います。
でも“アース・デス”とかびっくりしました。そもそもはデイデラスに見初められて、〈ロウ・エンド・セオリー〉でDJを務めたりというキャリアがあるわけですけど、そういう「LAビート・シーン」を引っぱろうというような意識はすでに微塵もなさそうですね。ファーストのあの跳ね回って錯綜するビートが姿を消しつつあります。

木津:たしかに。でも、確実にシーンの重要なキャラクターでもあるのがおもしろいですね。僕がいちばん最近にバスくんの名前を見たのは、気鋭の23歳トラック・メイカー、ライアン・ヘムズワースのアルバムのゲストでです。彼はカナダ人ですけど、やっぱりLAビート・シーンに足を突っ込んでるひとで。僕はその「思春期的なムード」を彼にも感じ取ったんですけど、あの界隈ってそういう叙情性と親和性のあるところなのかも、じつは。ノサッジ・シングなんかもですけど。

橋元:そうですね、ティーブスとかもそう。恐れることなく叙情しますよね。それはやっぱり、彼らの音楽の基本がビートにあるなんだと思います。ドリーミーなモラトリアム感覚はチルウェイヴにも通じるんだけど、チルウェイヴの方がちょっと苦くて、かつぼんやりしていて、方法的にも甘い。適当な言い方だけど20代の甘さみたいなものを感じます(笑)。対するにバス勢の(10代的な)攻撃性は、テクニックとファンタジックな想像力に支えられたものだと思いませんか?

“Lovely Bloodflow”(『Cerulean』収録)

 このMVは『もののけ姫』のイメージだったそうなんですけど、じつに構築的というか、コンセプトの根幹がしっかりしている。ドリーミーというよりもファンタジックというほうがハマると思うんです。ぼんやりしているんじゃなくて、積極的に夢を見にいっている。彼らの複雑でアブストラクトなビート構築というのは、こういう想像力と噛み合って存在しているものだと思います。

木津:なるほど。ファンタジックというのはわかります。『セルリアン』は子どもの空想が元気よく暴れている、無邪気さゆえの危なさ、みたいなものも感じましたね。

橋元:あと、彼らがその意味で大人にならないのかなるのか問題は興味があります。映画は詳しくないんですけど、『テッド』とか? 大人になりきれない成人のグダグダをおもしろく描きつつも、アメリカの映画は、最後は何らかのかたちで彼らが社会的な責任を引き受けるという成長譚になりがちだってききます。
その功罪は措くにしても、「大人になったからつまんなくなった」とか「子どもを突き通しているからおもしろい」とかそういう短絡を拒絶する「なんだかスゴイ展開」をバスの少年性には期待したいです。

木津:成長譚、なりがちですねー。音楽ではアニコレ以降、その境目がどんどんぼやけていったけど、ただ映画でもアメコミ原作ものなんかは、そういう感覚にも抵触してるかもしれないです。その辺りの思春期性の「揺れ」に注目ですね。

橋元:ダイナミックに「揺れ」てますよねー。さて、バスくんのパーソナリティなんですが、先ほどの〈ジブリ〉の影響を指摘するまでもなく、かなり日本のカルチャーには親しみを持っているみたいですね。

木津:おお、OTAKUですか。

橋元:モラトリアム云々という話を置いておくにしても、かなりのポケモン好きらしいですし。

初来日の際に真っ先に向かった〈ポケモンセンター〉前でのもの。

木津:はははは。でもポケモンっていうのがほんと、男の子感あっていいですねー。変にエグい方向ではなくて(笑)。

橋元:そういうところもキュートなんですけど、その表出がけっこうアートっぽかったりするところもミソですね。ツイッターなんかには自分のイラストも投下するし、自身の全身タイツ姿をとってもイマジナティヴに撮ってアップしたりね、多才だと思います。

木津:クリエイションもするんですね。ビョークが好きだというのもなんだか頷ける。

橋元:そうそう、ビョークすごく好きみたいですね。お父さんがテレビ・ドラマとかの脚本家で、お母さんが画家だったかな。お家の環境から受けた影響も少なくないでしょうね。彼に実際に会うと感じるんですけど、すごくタレンテッドなというか、「お隣の兄ちゃん」って感じはさらさらないんですよ。変人でも変態でもないんだけど、天才型な雰囲気をバンバン出してます。


Baths / Pop Music / False B-Side / Tugboat(2011)
Bサイド集。ジャケットの絵はBaths本人のもの

木津:橋元さんはインタヴューされてますもんねー。『イナズマイレブン』のノートを見てすごく喜んでくれたとか……。あと、バスくんが描いたキュートすぎる絵も強烈に覚えてますよ。

橋元:そうですよね。彼のツイッターなんかを見ていると、無邪気にオジサン好きに見えるんですが、あれって無邪気に見えちゃうほど複雑な感覚が隠れていたりするんですかね?

木津:たぶん複雑な回路は彼のなかにあると思うんですけど、アウトプットを無邪気にしている時点で、僕にはひとつの態度表明に思えますね。たしかに僕は、男が好きな男ということを異化できるひとの表現にほうにより興味はありますけど、あの無邪気さっていうのは、知恵なんだと思うんですよね。つまり、社会的なアングルを一切廃した場所で、自分の感情(とリビドー)が正しいんだ、という。やっぱりオタク少年っぽいんですよ。そういう意味では理解はできますよ。でもバスくん、キレイなマッチョが好きなんですねえ……。

橋元:キレイなマッチョ(笑)。彼のまわりのオジサンにはデイデラスがいますけど、木津さんはデイデラスのヒゲはどうです?

木津:僕が好きなヒゲは、順に髭(口ヒゲ)、髯(ほおヒゲ)、鬚(あごヒゲ)なんですけど、口ヒゲがないのは大きくマイナスですよねえ……独自のセンス出しすぎ……。

橋元:はは。わっかんねー……。

木津:でも、奥さんとラブラブなのはいいです。奥さんを大事にしているオーラのある男のセクシーさってありますよね~。ともかく、知的にぶっ飛んだひとですよね。ヒゲはイマイチでも、存在は大好きです。

橋元:なるほど、奥さんのローラ・ダーリントンとは付き合いも古そうな感じが素敵ですね。ジェントルがネタなようでいてとても本気っていうのも好きです。キマってます。

木津:ライヴ、僕は観たことないんですけど、どういう感じですか? 音源を聴く感じだと、歌が重要なんじゃないかなという予想があるんですけど。

橋元:はい。ライヴはとにかくエネルギーに満ちていて。それこそデイデラスが華麗にサンプラーのパッドやツマミをいじるように、ヴィジュアル体験としてもかなり充実したものがあります。京都はseihoさんも出演されますが、彼との競演というのはちょっとすごいと思いますよ。アルバムのヴァージョンの何割増の音数、ノイズ。音圧ももちろん比べ物にならないですし、当然のこと、彼のライヴの本懐は音源の再現・再生にはありませんね。

木津:へえー! ノイズばりばりっていうのはいいですね!

橋元:ご指摘のように歌(メロディ)は重要で、とにかく声量もすごい。あのファルセットは吠えるように出てきます。なんだかそういうことも含めてマンガっぽい存在というか、けっこう規格外ですね。

木津:ああ、エクストリームな感じになっちゃうんですね。それはすごく理に敵ってる感じしますね。

橋元:ただ、今作は音楽的にずいぶんと装いが変わっているので、どんなかたちになるのか楽しみです。カラオケ状態ってことはないと思いますが、さらに歌に重点が移っているとも考えられますよね。

木津:今年は歌の年でもありましたし、声とメロディを聴きたい気分ですよね。バスくんの歌心を発見できたら、まさにドンピシャなんですけどね。

橋元:彼にはビートを跳ねて暴れまわらせる、本当に奔放でやんちゃな天使といった佇まいがあるんですけど、ビートを抑圧する展開があるとすれば、彼はその分のエネルギーをどうやって放出するんだろう……。

木津:抑圧があるってことは抑揚があるってことですから、その分ビートが暴れる展開のカタルシスはあるのかのしれない。あとはやっぱり、何よりも彼のエモーショナルな部分を僕は見たいですね。

橋元:その点はもう、エモーションの塊ですよ! 12月の空からね、バスのエモーションがキラキラ降ってきます。そういうことがやれちゃう個性、やれちゃう音ですね。
 ちなみにバスは4月16日生まれということなので牡羊座ですけれども、牡羊座ってどんな感じなんです? 相性ですとか。

木津:えっ、橋元さんとの相性ですか(笑)? 牡羊座も獅子座も火の星座だからバッチリですよ! ちょっと暑苦しい相性ですね。牡羊座は猪突猛進で、直感を信じるタイプです……バス、そんなところありますね。ちょっと納得しましたよ。

橋元:ははは! わたしとの相性はまあおいといて(笑)。じゃあ獅子座の人は運命の出会いになるツアーかもしれませんね。

 11月といえばホリディ。今回はホリディ前後のイベント・レポートをお届けします。

■11/23 (Sat)
 ホリディ1週間前の週末は、NYから約4時間北のロードアイランド州のプロヴィデンスへ遠征。今までたくさんの伝説を作ってきたロフトビル’ビルディング16’の最後のショーが行われた。昔ライトニング・ボルトが住んでいたフォート・サンダー(コンタクトレコーズからの『u.s. pop life vol.11 トリビュート・トゥ・フォート・サンダーCD』に日本語で詳しく解説)の現在版とも言えるこのビルディング16。このショーを最後に、このビルは(も)立ち退きになる。住所は掲載していないのに、どこから集まったのかプロヴィデンスのキッズたちで大混雑。バスルーム近くに真っ赤な棺桶があり、ビルディング16にメッセージを書いて、カードを棺桶に入れるようになっている。ショーのクライマックスは、ハウス・バンドのワット・チアー・ブリゲイト。ボリウッド、バルカンズ、ニューオリンズ、サンバ等々をミックスした19人(!)のブラス・バンドで、子供から大人までを巻き込むお祭りバンドである。ステージに入りきらないので、フロアやスピーカーの上にもメンバーがいるし、観客が天井によじ上ったりするのは当たり前で、メンバーが観客にダイブし、ドラムごとドラマーを持ち上げたり、観客とバンドの盛り上がりの半端ない事。フィナーレでは、バンドがビルディング16の棺桶を、外に持ち出しマーチング(バンドは、外でもプレイを続ける)、観客はひとりひとり花火を渡され、棺桶に火をつけ燃やしてしまう。火力は相当強いし火事にならないのかと心配したが、勢い良く燃えて形がなくなって行く棺桶を見て、ぐっと心に突き刺さる物があった。長い間お疲れさま。これがプロヴィデンスのパーティ・スタイルのようだ。


ラストショーの写真集
https://everydayilive.com/bands/building16farewell/

Building 16

■11/25 (Mon)
 NYに戻ると、少し前から噂されていたロンドンのレコードショップ、ラフトレードのNY店がウィリアムスバーグ/グリーンポイント・エリアにオープンした(https://www.roughtradenyc.com)。元々HBOの倉庫だった場所(イースト・ロンドンの本店より3倍大きい)は、レコード店兼カフェ(byファイブ・リーヴス)、ギャラリー、音楽会場などの多目的スペース。初日(11/25)は、スカイ・フェレイラ(フリーw/CD購入)、チャールス・ブラッドリー(フリー)のインストアがあった。スカイはきっぱり諦め、チャールス・ブラッドリーを目指して行く。先に行った友だちは、ワンブロック以上の行列ができて入れなかったと言っていたが、タイミングよく前に5人ぐらい待っていただけで5分ぐらいで入れた。遅めに着いて正解。
 新譜100%の店内は、まだ空いている棚が多かったが、1階が新譜レコード/CD、メインドラッグが展開するギア・コーナー。2階には本&雑誌コーナー、ロンドンとNYをつなぐデジタル・ニュース、ガーディアンによるブース、アートギャラリーなどの分かれた小さいセクションがある。店内の作りがタワーレコード的、と思ったのはメガストアだからか。アートギャラリーの最初のキュレーターは、チルディッシュ・ガンビノで、彼は12/8でここでショーも行うのだが、ブライアン・ロッティンガーによるアート作品、ドナルド・グローバーのベッドルームの再現(サイケデリック・レインボウのライト・デザイン)が展示されていた。
 音楽会場は250人を収容、イスも設置されたバルコニーがあり、バワリーボールルームの縮小版のようだった。2階の後ろにはピンポンテーブルが2台設置されていた(チケット制のショーの時にはないとの事)。
 ジェイムス・ブラウンに影響を受けたというチャールス・ブラッドリーは、ステージにいるだけでカリスマ性があり、独特のソウルフルで無敵の動きを惜しげなく披露。彼を見ていると思わず笑顔になるし、バンドもとても楽しそうだ。近くで見れること自体がレアな、64歳の彼をオープニング・ナイトに持ってくるのは、さすがラフトレード。ショーの後も、追い出される事なくバーでハングアウトしたり、レコードを探しに行ったり、2階でピンポンしたり、ここはアミューズメント満載。ダニー・ブラウン、マシュー・E・ホワイトのフリーショー、ソールドアウトのテレヴィジョンのショーが終わり、12/3はジョン・グラント(フリーw/CD購入)、12/6はアンドリュー・バード(ソールドアウト)、12/6はアララス(ソールドアウト)、12/7はダイブ(ソールドアウト)、12/8はニック・ロウ(フリーw/CD購入)、などのフリー&チケット制のショーが続く。ブッキングを担当しているのがバワリー・プレゼンツなので、納得のラインナップである。
 キャプチャード・トラックスの記事でも書いたように、最近グリーンポイントエリアに、レコード店が密集している。
https://www.thelmagazine.com/TheMeasure/archives/2013/07/30/greenpoint-is-becoming-the-best-record-store-hood-in-brooklyn
 2013年にレコード店をオープンするという事自体が大胆だと思うが、それぞれのインディ・ショップは自分たちのカラーを売りにし、それに対抗するラフトレードは、長年の歴史もあり、レコードセレクションの特徴(ラフトレード限定版の物を多数扱う)と、多目的スペースにすることで、レコード店という場所の定義を変えるかもと期待が高まる。

https://www.roughtradenyc.com
https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/11/some_very_initi.html
https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/11/sky_ferreira_pl_3.html

rough trade nyc

■11/28 (Thu)
 音楽関係の仕事や、自営業をしている限り、ホリディと言っても、いつもと変わらずなのだが、アメリカ人は自分の田舎へと帰って行くため、ホリディNYは静かで、仕事をするには実はもってこい。夜になると、観光客と何処にも行けない移住者が集まりだし、ささやかにパーティをするのである。今年の著者のサンクスギヴィングは、ウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンドを主催するアーサーの仕事場兼のロフトでパーティ。来ている仲間はアーサーのアシスタントをはじめ、ファッション、音楽関係者達なので華やか。サンクスギヴィングと言えばターキー(=七面鳥)なのだが、探究心あるアーサーは今年はグース(=ガチョウ)に挑戦。ガチョウの首でスープを取ったり料理はこなれた感じ。付け合わせのスタッフィング、クランベリー・ソース、グレイビー、マッシュ・ポテト、ビーン・キャセロール、温野菜のグリル、特製のフレッシュ・ペストソースはすべてアーサー作。ゲストは、オックステイル・シチュー(絶品!)、ビーツ・サラダ、マック・アンド・チーズ、ポテト・サラダ、更にスナックなど、これでもかというぐらいのごちそうが振る舞われた。5時に集合をかけたが、みんなの料理&集合事情でディナーが始まったのは結局9時過ぎ。サンクス・ギヴィング・ディナーには良くある事で、料理が出来上がる頃には、つまみ食いをしすぎてお腹いっぱい。ディナーが終わると、来ていた別の友だちの家に移動。そこは、お手製チーズケーキ(プレーンw/ラズベリーソース&チョコ)、コーヒー&サイダー、そしてダンス・パーティと、別の天国が待っていた。月に3、4回ショーもホストする場所なので、パーティの用意は完璧。ディスコボールが周り、サウンドシステムも完備。チーズケーキのあまりのおいしさに倒れそうになり(おばあちゃんのレシピらしい)、ホストの自家製フレッシュミントをインフューズしたウィスキーなど、キャラクターのあるドリンク&楽しい仲間で、サンクスギヴィングという名目のパーティは夜な夜な続いた。この場所はワイルド・キングダム。ウエブサイトはないが、NYに来たら、目の前の高架を通る電車に野次をとばしながら、ベランダでハングアウトするには最高の場所である。

https://williamsburgfashionweekend.com
https://www.ele-king.net/columns/regulars/randomaccessny/001412/

thanks giving dinner

■11/29 (Fri)
 11月からはじまっているブルックリン・ナイト・バザーに参加。2011年からはじまったこのイベントは、ウィリアムスバーグのホリディショッピングの強い見方で、ホリディ時期になると、いろんなエリアに出没していた。今までは、毎年場所を移動していたが、今年はグリーンポイントにようやくパーマネントの場所を見つけ、1年を通してオープンする(夏には、アウトドアのビアガーデンがオープン!)。アジアン・マーケットの雑多な感じをモデルにしたというマーケットは、100ものアーティスト&クラフトショップ、20のフードベンダーなどがすらりと並ぶ。一角には、地元の媒体がオーガナイズするライブショーがあり(ベンダーがない時には1800人収容できる、ブルックリンで2番目に大きい会場となる)、ピンポン・テーブル、インドア・ミニゴルフ、WIFIもあり、仕事できるスペースもある。ラフトレと同じ多目的仕様。去年は、著者の大好きなパックマンのイヤリングを発見したのだが、今年は、キャラクター物はあまり見られず、ジュエリー、洋服からiPhoneケース、タオル・ヘアバンド、古本をベースにした時計、アート・レギンスなどアーティなお店が並ぶ。著者のお勧めブランド、RHLSも出店していた。この日のバンドは、ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャー、ドーン・オブ・ミディ、ポンティアック、ウッズマン。ショッピングに夢中になり、ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーしか見れなかったが、映像とスモークで、ほとんどバンドが見えなかった(後で聞いたらスタイルのようだが)。毎週のようにバンドが見れ(オウ・レヴォワール・シモーヌ、ティーン、マーク・デマルコなど)、アーティストの作品が随時入れ替わり、アミューズメントもありで、ハングアウトリストがまた増えた。そして、今日はキャサリン・ハンナのパンク・シンガーの上映会へ。Q&Aやライヴもあるらしい。
https://bkbazaar.com

brooklyn night bazzar

Melt-Banana - ele-king

 本作のリリース前からニュースなどでこのバンドに対して使われている「ノイズコア」という形容にどうもひっかるものがあるのは理由がいろいろあるのだが、まず第一には彼らの演奏はノイジーではあるけども、極めてコントローラブルで再現可能なものなので、「ノイズ」という形容が適切とは思えないという点がある。彼らの演奏は初期のころから一貫してインプロヴィゼーションの要素はかなり少ないはずだ。
 もう一点としては、彼らの出自がハードコアではないという点にある。ハードコア系の企画に出演することは多いが、決してハードコアシーンに属しているわけではない(あるんですよ、シーンっていうのは厳然と)。

 もともと、彼らのルーツはポストパンクやニューウェイヴにあり、初期からのトレードマークであるスライド・ギターは『ノー・ニューヨーク』収録のティーンネイジ・ジーザス&ジャークスにヒントを得ているし、前身バンドを見たことのある人によれば当時はセックス・ギャング・チルドレンやバースデー・パーティなどのニューウェイヴ/ポジティヴ・パンクの影響を感じさせるサウンドだったという。
 94年にリリースされたゼニゲバのK.K.Nullのプロデュース、スティーヴ・アルビニの録音によるファースト『Speak Squeak Creak』で聴けるのはたしかにそうしたポストパンクを高速化したようなサウンドで、スライドギターの多用によりグニャグニャなのに金属的、という独特の感触がある(ところで彼らがずっと精力的に海外ツアーをおこなってきたのは、初期の時点でゼニゲバの姿を見ていたことも影響しているのではないかと思う)。
 当時のドラマーの須藤俊明は自身のドラムスタイルについて、ロバート・ワイアットの影響を受けていると発言している。たしかにいま聴いてみると、ハードコアのドラムとはまた違った、手数の多いドラミングである。
 95年のセカンド『Scratch or Stitch』(前作に続きアルビニのプロデュース、録音はジム・オルーク)も前作の延長にあるサウンドである。この時期にMr.Bungleのオープニングアクトとしてアメリカツアーを行ったことで一気に海外での知名度が上がったと思う。あと、須藤が現在ジムのバンドのメンバーになっているのはこの頃からのつながりなんでしょうね。

 90年代中頃のハードコア・シーンではファストコアとかパワーヴァイオレンスと呼ばれる「速さ」を重視したスタイルが盛り上がっており、メルト・バナナも内外でそうしたバンドと共演する機会が増えてくる。そんななか、須藤が脱退し、元サタニック・ヘルスローターのオオシマが加入(現在はWatchman名義のエレクトロニカ・ユニットで活躍している)。サウンド面では一気にハードコアに接近する。ジョン・ゾーンのレーベル〈Tzadik〉からリリースされたライヴ・アルバムは1〜3枚目までのベスト的な選曲になっているので、ノリの違いを聴き比べても面白いと思う。

 そんなオオシマも4枚目のアルバム『Teeny Shiny』を最後に脱退。以後、固定ドラマーを持たないまま彼らは活動を続けることになる。日本国内と海外でドラマーを分けて活動するというスタイルには何らかの苦労がうかがえるというか、「これからのバンドは海外活動に目を向けるべきだ」みたいなことはよく言われてるけども、ツアー中心の生活ってのはなかなか誰にでもできるってもんでもないんだろうな、という気にさせられる。
 2003年の5枚目『Cell-Scape』で急激にサウンドがエレクトロニックな印象になるのは、固定ドラマーがいなくなったことも関係あるのではないかな、という気はする(まあ単純にギターのエフェクターとかが大きいんだけど)。
 その後、サンプラーを使った打ち込み版メルト・バナナともいうべき「Melt-Banana Lite」というユニットでの活動を平行して行うようになり(Liteによるライヴ・アルバムもリリースされている)、ついにはオリジナル・メンバーのベーシスト、Rikaが脱退。以後、ヴォーカルのYakoとギターのAgataのふたりとなったメルト・バナナは、ベースもドラムもすべて打ち込みという形での継続を選択した。

 とまあいろんなことがあって、ふたりとなったメルト・バナナの初めてのアルバムとなった『Fetch』がリリースされるには、実に8年というブランクがあった。そんなブランクにも関わらず、先行無料ダウンロード・トラックが『Tiny Mix Tapes』での配信だったのをはじめ、発売に際しては多くの海外メディアで取り上げられているのは、その間も毎年精力的なツアーを怠らなかったことによるものが大きいだろう。
 打ち込みになったとはいえ急にEDMとかダブステップになったりするわけもなく、基本的にはバンドサウンドを再現することに注力されているのだが、やはりここ数年来のサウンドの延長で極めてエレクトロニックな感触である。冒頭の話題に戻るけども、メルト・バナナがノイズ的と言われるのはおそらくはギター・サウンドが極めてギターっぽくないからなんじゃないかと思うのだが、むしろエレクトロニック・ミュージックの攻撃的な電子音を聴き慣れた耳には普通に「楽音」として捉えることが可能なんじゃないかと思う。エレキギターの可能性を縦横に拡張し続けているAgataの尽きることないアイデアにはいつも感服する。
 あと、ハイトーンのシャウトを基調とした女性ヴォーカルってなんとなくヒステリックな印象を与えがちなのだけど、Yakoのヴォーカルは常にどこか情念みたいなものを排した感じがあるので、(録音のせいもあるけど)わりとプラスティックな印象をあたえる。この辺も、エレクトロニック・ミュージックと近い感触のもとになっていると思う。

 個人的には何より驚いたのはふたりになってからのライヴである。ステージ後方にずらりとアンプが並び、確認したわけではないがおそらくドラムとベースと、それぞれ別系統でスピーカーから音を出している。ステージそでにラップトップが置かれているが単にトラックを流すのではなく、Yakoが片手にコントローラーみたいなのを持って操作している模様。リズムトラックにギターと歌を乗せた演奏って録音はまだしもライヴだと音色面や「ライヴ感」みたいな部分でどうしても不満が残りがちなんだけど、彼らの演奏に限ってはそういったことはほとんどなかった。

 こうして振り返ってみると、中心になるふたりは不動ながらもメンバーチェンジがしっかりサウンドの変化に結びついていることがわかる。今作は『Cell−Scape』以降の集大成のようなアルバムになったと思うが、今後ふたりになったメルト・バナナが今後さらにエレクトロニックになっていくのか、はたまた新たにベーシストやドラマーを迎えるのか。いずれにしてもとても楽しみだし、彼らを見ているとロックにはまだまだできることがあるんだなあと思えて、とても嬉しい。

MAD PROFESSOR JAPAN TOUR 2013 - ele-king

 UKダブの伝説、マッド・プロフェッサーが12月13日に東京(代官山ユニット)、14日に大阪(心斎橋CONPASS)で公演をやる。東京公演では七尾 "DRY" 茂大(ドラム)と秋本 "HEAVY" 武士(ベース)からなる、日本最強のレゲエ・リズム・チームドライ&ヘビーの生のダブミックスをマッド・プロフェッサーが手掛けることが決定しているほか、8年振りとなる作品『ANOTHER TRIP from SUN』をリリースしたサイレント・ポエツこと下田法晴もDJで出演。また、「踊ってはいけない国EP」で素晴らしいリミックスを見せたDJヨーグルトもレゲエ・セットを披露。地下のSALOONでは、若きダブ・クリエーターJah-Lightが出演する。そして大阪公演ではBAGDAD CAFE THE trench townが出演。日本人のアクトにも注目が集まるでしょう。

〈東京公演〉
12.13 fri @ 代官山 UNIT
Live Acts: MAD PROFESSOR - Dub Show, DRY&HEAVY - Live Dub Mix by Mad Professor
DJs: Michiharu Shimoda (Silent Poets), DJ Yogurt (Upset Recordings) Reggae/ Dub/ Bass Music Set, Jah-Light
Open/ Start 23:00-
¥3,500 (Advance), ¥4,000 (Door)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) https://www.unit-tokyo.com

TICKETS: PIA (P: 217-297), LAWSON (L: 72460), e+ (eplus.jp), diskunion Club Music Shop (渋谷/新宿/下北沢/吉祥寺), DISC SHOP ZERO, DUBSTORE RECORDS, UNIT

〈大阪公演〉
12.14 sat @ 心斎橋 CONPASS
Live Acts: MAD PROFESSOR - Dub Show, BAGDAD CAFE THE trench town
DJ: HAV (SOUL FIRE)
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) plus Drink Charge @ Door
Open 20:00, Start 20:30
Information: 06-6243-1666 (CONPASS) https://conpass.jp/

TICKETS: LAWSON (L: 53414), e+ (eplus.jp), CONPASS (Mail Reservation: ticket@osaka-conpass.com)


〈出演者プロフィール〉
■MAD PROFESSOR (ARIWA SOUNDS, UK) https://www.ariwa.com

泣く子も黙るダブ・サイエンティスト、マッド・プロフェッサーは1979年にレーベル&スタジオ「アリワ」設立以来、UKレゲエ・ダブ・シーンの第一人者として、四半世紀以上に渡り最前線で活躍を続ける世界屈指のプロデューサー/アーティストである。その影響力は全てのダンス・ミュージックに及んでいると言っても過言ではない。その信者達は音楽ジャンルや国境を問わず、常にマッド教授の手腕を求め続けている。なかでもマッシヴ・アタックのセカンド・アルバムを全編ダブ・ミックスした『No Protection』は余りにも有名である。伝説のリズム・ユニット、スライ&ロビーとホーン・プレイヤー、ディーン・フレーザーをフィーチャーして制作された『The Dub Revolutionaries』は、2005年度グラミー賞にノミネイトされ話題となった。まだまだ快進撃中、止まることを知らないマッド教授である。ここ近年だけでも、伝説的なベテラン・シンガー、マックス・ロメオ、レゲエDJの始祖ユー・ロイ、レゲエ界の生き神様リー・ペリーに見出されたラヴァーズ・ロックの女王スーザン・カドガン、UKダンスホール・レゲエのベテラン・アーティスト、マッカBのニュー・アルバムをプロデュースしている。自身のアルバムも『Bitter Sweet Dub』『Audio Illusions of Dub』『Roots of Dubstep』などをコンスタントにリリース、最新作はリー・ペリー・プロデュースの金字塔アルバム『Heart of The Congos』で知られるThe CongosのCedric Mytonとのコラボ・アルバム『Cedric Congo meets Mad Professor』を2013年にリリースしたばかりである。相変わらずのワーカホリックぶりを発揮している。最新テクノロジーと超絶ミキシング・テクニックを駆使して行われる、超重低音を轟かせる圧巻のダブ・ショーで存分にブッ飛ばされて下さい。

■DRY&HEAVY
https://ja-jp.facebook.com/Dryheavy
https://twitter.com/DRY_and_HEAVY

七尾 "DRY" 茂大(ドラム)と秋本 "HEAVY" 武士(ベース)というふたりからなる、日本最強のレゲ エ・リズム・チーム。90年、VITAL CONNECTIONなるバンド内にてリズム・コンビである〈DRY&HEAVY〉としての活動をスタート。95年にはLIKKLE MAIや井上青らをフィーチャーした編成と なり、97年の『DRY&HEAVY』でアルバム・デビュー。その重量級のルーツ・レゲエ・サウンドと過激なダブワイズが幅広い注目を集める。その後コンスタントにアルバムをリリースする一方、海外での活動も活発に行って各国で話題となる。 だが、日本屈指のレゲエ・ユニットとして活動を続けていた2001年のフジロック・フェスティヴァルにおいて、秋本が衝撃の脱退宣言。七尾は秋本抜きの編成でDRY&HEAVYを継続し、秋本はGOTH- TRADとのREBEL FAMILIAおよび若手と結成したTHE HEAVYMANNERSにて活発な活動を続けた。 そうしたなか、2010年に七尾と秋本によるオリジナルDRY&HEAVYが奇跡のリユニオン。新時代のサウンドを携え、伝説のリズム・チームが新たな一歩を踏み出す。

■Michiharu Shimoda (Silent Poets) https://www.silentpoets.net
1992年 FILE RECORDSより1st アルバム『6 pieces "sense at this moment"』でデビュー。 現在までに通算8 枚のオリジナル・アルバムと多数のリミックス・アルバムやミニ・アルバムなどをリリース。海外からの評価も高く94 年にドイツの99レーベル、Bellisima UKよりヨーロッパでもアルバムがリリースされる。95年に人気コンピシリーズである「Cafe Del Mar Vol. DOS」に日本人として初めて収録されたのをはじめ、現在までアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどで40作品を超えるコンピレーション・アルバムに楽曲が収録される。2000年にはパリのレーベルYellow Productionsよりアルバム『TO COME...』がリリースされ、翌年にはアメリカのアトランティックよりリリースされる。同年より、下田のソロ・ユニットとなる。活動は多方面に渡り、パリ・コレクション等のフアッションショーの音楽の担当や、他アーティストのプロデュース、リミックス、映画等にも楽曲を提供。活動20周年にあたる2012年、トイズ・ファクトリー時代の音源(Potential Meeting ~ To Come)が世界111カ国のiTunes Storeにて配信開始。2013年9月、自身のレーベル ”ANOTHER TRIP" を設立し、New DUBアルバム『ANOTHER TRIP from SUN』、また前作「SUN」の2013年Newエディション『SUN - Alternative Mix Edition -』を11月20にリリース予定。いよいよSilent Poetsの活動を本格的に再開。2014年リリース予定の10thオリジナルアルバムの制作も同時進行中。

■DJ Yogurt (Upset Recordings) https://www.djyogurt.com
いまはなきCISCO テクノ SHOPでバイヤー勤務しながらDJをはじめ、98年には音楽制作ユニットUpsetsと自身のレーベルUpset Recを始動。以後現在に至る15年間に渡ってテクノ~ハウスからDUB、アンビエント等など幅広い作風の楽曲のレコードやCD、MIX CDのリリースを毎年おこなっている他に、曽我部恵一や奇妙礼太郎トラベルスイング楽団等の歌もの楽曲のダンス・リミックスもおこない、リミックスが収録されたレコードは全て完売して中古価格が定価以上に高騰中のものも。2010年にYogurt & Koyasとしてリリースした『Chill Out』 はIdjut BoysのConradやSoft Rocks達から絶賛。2011年にはテクノ・アルバム『Sounds from Dancefloor』をリリースして、テクノをプレイする機会も増加中。2013年12月にはあの故Arthur Russellのバンド・メンバーのユニットArthurs Landingの "Miracle 2" をRemixしたVersionが欧米で流通する12インチとしてリリース。これまでの出演イベントはアンダーグラウンドな小箱でのパーティから、 大会場でのフェスまで多岐に渡り、2010年はエレクトラグライド@幕張メッセに、2011年はSONAR JAPAN等のビッグフェスにも招聘され、2010年から2012年にかけて3年連続でFUJI ROCK FESにも出演。テクノ~ハウスを軸に、レゲエ~Dub、ジャズやアフロ、ブラジリアン、ロック、 サイケデリックやバレアリック、ダブステップ、ワールド・ミュージックそしてアンビエント、数々の最新の流行のリズム・様々なジャンルの音楽性を交錯させた選曲で、毎週のように日本各地の音楽好き、踊り好きが集まるパーティでDJをおこなっている。

■JSH-LIGHT https://www.jah-light.com
"Real Roots Sound" をテーマに2004年からサウンドシステムを開始。2007年、自身のレーベル "LIGHTNING DTUDIO REC" を立ち上げると同時に、1st Singleとなる "Independent Steppers" をリリース。2012年、新レーベル "DUB RECORDS" からリリースされた1st 10" Singleでは、A: Mighty Massa / Warriors March, B: Jah-Light / Diffusion" といったコンビネーション・プレスで純国産ルーツを世界に向けて発信。現在、Youtubeにて自身の楽曲をダブミックスした映像を配信中なので、ホームページ内の "Dublog" をチェック !!!

■BAGDAD CAFE THE trench town https://bagdad-creations.com

進化を続けるCREATE集団! 関西を代表する大所帯REGGAE BAND、BAGDAD CAFE THE trench town。圧倒的なライヴ・パフォーマンスで、FUJI ROCK FESTIVAL, 朝霧JAM, SUNSET LIVE, 頂, WIND BLOW, FESTA DE RAMA, FREEDOMなど、数々のフェスティヴァルを盛り上げる。 2000年結成。1stアルバムで、新人では異例のFM802ヘビーローテーションに選ばれる。その後もアルバムを出すたびに、全国各ラジオ局のパワープレイに選ばれ続ける。タワーレコードのポスターNO MUSIC NO LIFE、テレビやラジオの音楽番組に多数出演。 2013年5月11日、充電期間を終えたVo. maiやコーラスも完全復活! BAND名も、BAGDAD CAFE THE trench townに戻し、最高のメンバーで再始動!! 主な共演者は、 BES, BUN BUN the MC, ET-KING, KURTIS FLY, Keyco, Leyona, Likkle Mai, Metis, Miss Monday, MOOMIN, SHINGO☆西成, Shing02, Spinna B-ILL, RYO the SKYWALKER, RANKIN TAXI, PAPA U-Gee, PUSHIM, 韻シスト, カルカヤマコト, こだま和文, 多和田えみ, プロフェッサーチンネン, 卍LIN……


Le1f - ele-king

 あるいはこれを、ヒップ気取りたちによるクリシェと呼ぶ向きもあるだろう。アフロ・フューチャリズムの最新ヴァージョン……を騙ったフェイクだとかなんとか。そう、ニューヨークのアンダーグラウンド・ヒップホップ、『ピッチフォーク』が言うところの「クィア・ラップ」のシーンは、ミッキー・ブランコとリーフという得難いタレントを輩出しつつも、むしろそのわかりやすいイメージ──ニューヨーク、ゲイ、黒人、ラップ──のキャッチーさゆえにか、いまだに決定的なバズを迎えていない。
 あらためてな話になってしまうが、これは、例えば小林雅明氏が本誌の紙版『vol.8』号で書いているような「高度な作品性を兼ね備えたものも多いミックステープが、フリーダウンロードであることにもありがたみなど感じさせないほど供給過多な状況」の弊害だと思われる。こうした無限供給に近い状況は、ヒップホップの多様化を下支えするとともに、その消費の高速化にも拍車をかけている。高速化どころか、それは空虚化と言ってもいいのかもしれない。クィア・ラップの色さえも、それは軽く呑み込んでしまうのだ。
 もちろん、ミックステープの軟派な利用者のひとりとして、僕も偉そうなことを言える立場ではない。しかしあらためて今年を振り返ったとき、胃袋に縫い付けられた鉛のようにズシリとのしかかってきたのは、<UNO NYC>からリリースされたミッキー・ブランコのEP『Betty Rubble: The Initiation』であり、リーフの二枚のミックステープ、『Fly Zone』と『Tree House』だった。少なくとも「黒人音楽の現在2013」を考える時、ニューヨークのアンダーグラウンドは輝いていた。それも、とても禍々しく。真夜中のための、二重生活者のための、そしてアンダーグラウンドのための音楽が、間違いなくそこにあった。

 ドローント・ラップ。欧米の一部批評筋ではそう呼ばれている。とくに、リーフの2013年2作目となる本作『Tree House』は目立って異質だ。手短に言うなら、ここには宇宙とディストピアが同時に拡がっている。
 いまになって振り返れば、最初のミックステープ『Dark York』は、〈Fade to Mind〉の気鋭・Nguzunguzuらがプロデュースしていることで知られているが、それはディジー・ラスカルやM.I.A.を高校生の頃に聴いたという世代感覚がストレートに発揮されたアグレッシブな内容だった。それがここに来て、ビートはよりテンポ・ダウンし、ラップも含めてムードは終始ダウナー。ビート・プロデュースはほぼ全曲で異なるトラックメイカーが務めているが、雰囲気は共振しており、重厚でありながらドローン風に浮遊するシンセウェイヴ、地底から響いてくるような遠くも重いベース、そしてそこに、キックよりもハットやスネアが強調されたトラップめいたビートが合わせられる。一般にヒップホップと言って想像する音からすれば、これはもはや、アンビエント・ミュージック。が、限られた音のなかにあっても、シンセのうねりまで含めたトラック全体のグルーヴとしては不思議とバウンスさせてしまうのだから、各トラックメイカーたちの手腕はもう見事としか言いようがない。
 少しだけ紹介しておくなら、今年『Contact』という怪物のようなアルバムをリリースしているシカゴのThe-Drum、一作目からの付き合いにして、EP『LIQUID』を共同でリリースしているBoody、ニューヨークの注目株・Shy Guy、アメリカ生まれの日本育ちだというCybergiga、そして、3曲入りのEPのみの形式に限定して作品を配信しているLAのカッティング・エッジなネット・レーベル<TAR>からは、LAのDEに加えてUKのAeirs TVが参加し、コズミックなクローサー・トラックにして本作のベストのひとつ“Cry Bb”にビートを提供している。確かに、二木信の言うとおり、「インターネットの大海原には、Arcaに匹敵する才能はゴロゴロ転がっている」というのは間違いではない。あとは、それを誰がどう編むか、だ。
 そういう意味では、そもそもがArcaとのタッグで知られたミッキー・ブランコの作品に、<Hippos in Tanks>のGatekeeperや、ハイプ・ウィリアムズのライブ・ドラマーでもあるGobbyが参加してきたことには触れておくべきだろう。そしてもう一人、この界隈における重要人物を挙げるなら、ボルチモアのRICK RABがプロデュースした“Blood Oranges”に参加しているシンガー/ソングライター、Ian Isiahだろう。“M1NDFVCK”(https://vimeo.com/64564103#)がとにかくクラシックだが、ミッキー・ブランコともメロウなR&B“Ace Bougie Chick”で共演しているほか、アンダーグラウンドのスーパーグループ、Future Brownのアルバムにも参加予定。本人名義でも、スィートなデビュー・アルバム『The Love Champion』が<UNO NYC>からリリースされている。

 ではそろそろ、本人らのコメントを引用しつつ、冒頭の話に戻ろう。

「ゲイ・コミュニティのラッパーたちが世間の注目を浴びるのは、やはり素晴らしいことだと思う。でも、“ゲイ・ラップ”というのはジャンルではない、ということをよく理解してもらう必要がある。自分が何者であるか、というだけのことで音楽のスタイルを定義されたくないんだ。あくまでも自分が作った音楽で判断してほしい。ミックステープ『Dark York』には21もの楽曲が収められていたけど、同性愛のことをテーマにしたのはたった5曲だよ」──リーフ(『インタビュー』マガジンでの発言から

 あるいはミッキー・ブランコは、「自分の活動が(集客を前提とした)パフォーマンスである、ということをみんなよく考えるべきじゃないかな」とけん制した上で、自らの音楽を「ライオット・ガールとゲットー・ファビュラスの激しい衝突」と切れ味よく説明する。あるいは、「自分としてはただグラム・ロックをやっているつもりなんだけどね」とも(すっかり書きそびれてしまったが、クィア・ラップのシーンはミュージック・ヴィデオがどれもラディカルで、シーパンクとの共振性もたびたび指摘されている)。
 そして、詩の朗読者ないしはパフォーマー上がりのミッキー・ブランコとは対照的に、もともとトラックメイカーとして出発しているリーフは、(本人曰く)すぐにゲイのそれと分かってしまうイントネーションに当時は自信が持てず、これまでにもラッパーとして音源をリリースする機会もあったそうだが、見事に「何も起こらなかった」という。であればこそ、このような発言が出てくるのも頷けるかもしれない。「自分はエイリアンなんだって感じるよ。少なくとも、ゲイ・ラッパーなんだって言われるよりはね」
 これをアフロ・フューチャリズムの最新ヴァージョンと呼ぶのは、あまりにベタだろうか。そうかもしれない。だが、例えばアルカのミックステープ『&&&&&』の評で紹介したディストロイド的な感性、つまりインダストリアルとアンビエントとグライムを激突させてしまうセンス、あるいは本作で展開されている異形のドローントラップにしてもそうだが、それらアンバランスで宇宙的/異次元的な(それこそクィアな)ビートの鳴りを、自らのミュータント的なイメージに引き付けてしまう大胆さが、ここにはある。自分の英語力の無さを開き直るようで申し訳ないが、懇切丁寧な歌詞の翻訳集をとても待ってはいられない。ミュータント・エンジェルたちの美しいトリップに酔ってしまえ。

The Strypes - ele-king

 カヴァン。(現地出身者は「キャーーヴン」と発音する。その発音はダブリン在住者の間では「田舎者」を意味する表現にもなっている)というアイルランドのカウンティは、わたしにとって縁の深い場所である。若い娘だった頃、カヴァン出身の男と一緒に住んでいた。で、その後、ロンドン出身の男と結婚したら、そいつの父方の家族も代々カヴァンの人びとだった。
 で、このザ・ストライプスもカヴァン出身なんだよねー。みたいなことを言っていると、連合いが言った。
 「おめー見てるよ、そのキッズ。何年か前に、カヴァンで」

 どうやら、カヴァンのロック・フェスに出演している姿を見たらしい。ロック・フェスといっても、修道女と羊ぐらいしかストリート(農道)を歩いていないカヴァンのことである。著名バンドなどは出ておらず、近所のパブに集まるおっさんたちのTHEMのコピー・バンド。とか、子育てを終えたお母さんたちの熟女メタル・バンド。とか、巡査さんの弾き語りボブ・ディラン。とか、そういうのどかなメンツに混じって、たしかにやけに上手いちびっ子バンドが出ていたと記憶している。
 が、あの頃のザ・ストライプスは全然いまとは違うファッションをしていた。なんかこう、袖の長い赤いモヘアのセーターやカラフルなチェックのシャツにブルージーンズ。みたいな、ちょっとアメリカンな、それ故いかにもアイルランドの子供。といった外見だった。平均年齢13歳ぐらいだったろう。ローティーンの子供たちが普通に演奏するビートルズの曲とかを普通に演奏していた記憶があるが、たしかに芸達者だった。しかし、それにしたって、「あいつらは俺ら以上に音楽好き」と英国人も一目置くアイルランドのことである。はっきり言って、あの程度の子供はわりといる。
 ということは、ザ・ストライプスって、あれから大化けしたのね。と思って、おばはんも一念発起して彼らのデビュー・アルバムを聴いてみた。ストーンズ、ビートルズ、ザ・フー、キンクス。などのUKバンドを引き合いに出されることの多いザ・ストライプだが、わたしが連想したのは、アラン・パーカー監督の『ザ・コミットメンツ』のサウンドだった。あの、「アイリッシュはヨーロッパの黒人種だ!」と宣言した映画のアイルランドのパブロック、ならぬ、パブR&Bである。

              **********

 彼らに惚れ込み、自分のマネジメント会社と契約させたエルトン・ジョンは、LGBT運動にも熱心だが、労働者階級という自らの出自にも拘り続けている。UKの労働者階級の若者がもっともクールだったのは60年代だそうだから(ツイッギーやマイケル・ケインの時代だ)、その頃に青春を送ったエルトンが、ブライトンのパブでザ・ストライプスを見てぶっ飛んだというのはわかる。イメージ的にブリティッシュ・ビートっぽいパッケージングが施されているのはそのせいかとも思うが、だからと言って彼らをポール・ウェラーやマイルズ・ケインの少年版と整理しても良いのかというと、それは違う。彼らの音はもっと泥臭いというか、随所で『ザ・コミットメンツ』が毀れている。

 彼らのレヴューには、英日を問わず、ルーツ。という言葉が頻用されている。ロックが好きになった子供が、現在のそれのルーツであるところのストーンズやDr フィールグッドを発見し、さらにそのルーツであるところのチャック・ベリーやボ・ディドリーを発見して、夢中になる。その発見をティーンズが演奏しているのが新しい。というような文脈は、しかし果たしてそうだろうか。と思う。
 なぜなら、このルーツ探しの旅は、昔からロック好きの若者が通って来た道であり、とくにアイルランド(の田舎)のような老いも若きも一緒くたになってパブで音楽を奏でているような国では、ロックンブルーズは不変のスタンダードだ。ザ・ストライプスのサウンドには「温故知新の新しさ」というより、脈々とそこに流れて来たものとしての腰がどっしり入っている。彼らが抜きん出ているのは、むしろ彼らを生み出した土壌のせいだろう。

 最後に、そしてたいへん重要なことに、アイルランドは詩人の国としても有名だが、この点におけるザ・ストライプスはどうなのだろう。

 「彼女が僕のドアをノックするときは、いつもティーカップを手にしている 彼女はミルクと砂糖が欲しいだけ でも僕は彼女が欲しいだけ」“Blue Collar Jane”

 「基本的に、『Snapshot』の曲の歌詞を聞いていると、テレタビーズのほうがよっぽど知的なのではと思えてくる」とSputnikmusicのレヴューでアイルランド人寄稿者は嘆いている。
 とは言え、彼らはジェイク・バグのようなストリート詩人ではなく、ロックンブルーズの兄ちゃんたちなのだから、歌詞はバカで良いのだ。が、せめて同じ紅茶ならば、「絞って僕のレモンを あなたの好きなだけ/たっぷり僕のレモンを あなたの紅茶の中に/アーアーアー ふたりで飲みますレモンティー」と書いた柴山俊之ぐらい肉感的なひねりを見せて欲しい。
 そうしてミルクティーを何かもっといやらしいものに転化できたときこそ、ザ・ストライプスはめちゃうま子供バンドを卒業し、次の地平に進むのだろう。

DJ NOBU× NHK yx koyxeи - ele-king

 〈ラスターノートン〉や〈エディションズ・メゴ〉のファンはクラブで踊るのでしょうか? アヴァンギャルドとダンスはつねに分離しているのでしょうか? 今週末の12月6日(金)からDJノブとNHKコーヘイのツアーがはじまります。6日はの岐阜Emeralda、7日は名古屋Mago、10日はDOMMUNE、14日は東京のSolfa。
 ベルリン帰りのNHKコーヘイは、最近、〈PAN〉(ヨーロッパでは人気のリー・ギャンブルなど、実験電子系で知られる)からの『Dance Classics』シリーズ3部作の最終作を発表したばかり。エンプティセットやピート・スワンソンのファンも、要チャックですよ。レジデント・アドヴァイザーに、彼のインタヴュー記事がアップされています
 電子音楽は、ダンス文化の良きパートナーとして拡張しています。DJノブとNHKコーヘイとのセッションもあるらしいです。

https://nhkweb.info/

interview with CORNELIUS - ele-king


Cornelius
攻殻機動隊ARISE O.S.T.

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 つづら折りになったジャケットには、内側になるにしたがってどんどん小さくなっていくように四角い穴がくり抜かれ、あたかも「記憶」のより深層へと降りていくかのような演出が施されている。キャラ絵や作品タイトルこそを見せたい・見たいはずのアニメのサントラ盤にあって、これほどミニマルでデザイン性の高いジャケットを提示することはずいぶんと挑戦的であるようにも思われるが、これが『攻殻機動隊』シリーズの劇場版最新作のサントラであること、そしてコーネリアスの仕事であることを考えれば納得だ。シリーズに通底するテーマと世界観がとてもシャープに表現されている。

 監督や脚本、キャストが一新され、“第4の『攻殻』”とも言われる『攻殻機動隊ARISE』。特殊部隊「攻殻機動隊」創設までのエピソードを、ヒロイン・草薙素子の過去に光を当てるかたちで描き出す最新作であり、全4部作となるうちの1作め『攻殻機動隊ARISE Border:1 Ghost Pain』が今年6月に公開、つづく『攻殻機動隊ARISE border:2 Ghost Whispers』が11月30日より全国劇場にて公開となり、注目が集まっている。

 コーネリアスはこのシリーズのサントラを手がけるとともに、「ゴースト・イン・ザ・マシーン」と名付けられたブッダマシーンの最新モデルなどの企画も行っている。経典音読マシンがルーツだったというあの四角い箱のコアに素子ともおぼしき女声(=ゴースト)を宿らせたこのモデルに筆者は震えたが、何よりも、コーネリアスの音楽自体が「楽曲を作る」ということで単純に完結してしまうものではないのだろうということを感じさせる。ヴォーカルにsalyu、青葉市子、歌詞に坂本慎太郎を加えた新鮮なコーネリアス・パーティも、期待を掻き立てるものだ。

 インタヴューでは「空気感」という言葉をひとつのキーワードとして感じた。そしてそれは、筆者が『攻殻機動隊ARISE Border:1 Ghost Pain』のトレイラーを初めて観たときのちょっとした違和感と驚きの源でもあったかもしれない。
 コーネリアスは、ロジカルでディストピックな『攻殻機動隊』の世界に奇妙な空間性を開いている。たとえばこれまで激しいブレイクビーツが多用されてきたような、タフでハード、隙間なくテーマ性と論理が敷き詰められたシリーズのなかに、まさに「空気感」という曖昧なものを感受しかたちにするコーネリアスの手つきは、何か新しい光源をもたらしてはいないだろうか。それはシリーズを一新する本作にちょうどふさわしい違いかもしれない。筆者にはその僅かな違和が、相対的な明るさとして感じられる。 

明るい作品じゃないですか?

でもコーネリアスにしてはダークだと思ったよ。
――うん、そうだと思うんだよね(笑)。

映画の劇伴というのは、依頼がまずどーんと来て、テーマ曲から作りはじめるというような進行なんですか?

小山田:そうですね、まさにそんな感じですね。

オーダー・リストみたいなものがあって、それに従って作っていくというような……?

小山田:そうです。そんな感じです。

そのリストというのは、場面みたいなものが書かれているんですか? 感情みたいなものが書かれているんですか?

小山田:まず台本みたいなものがあって、それに従って音響監督が、「このシーンでこういう音が欲しい」というようなことを指定してくるんです。「何秒で落ちる」とか「何秒でまたアップ」っていう感じで。

なるほど作るのも秒単位なんですね。その指定に基づいてどんどん収めていくわけですか。

小山田:基本的にはそうなんだけど、結果として指定された箇所とは違うところで使われたり、まるまるなくなっていたりすることもありますね。場面に合わせて編集されていたりとか。だから、言われたとおりに作るんだけど、言われたとおりに使われるとは限らないという感じです。

お題というよりも、台本に沿ってオーダーがあるんですね。

小山田:そうですね。でも、言われていたシーンと違うところで使われるのが逆におもしろかったりはしますね。

どう使うかということですよね。……ということは、作りはじめる前に台本なりを通して作品への理解がはっきり生まれているわけですか。

小山田:うっすらと(笑)。

(一同笑)

では作品理解ありきというよりは、コーネリアスというアーティストとの綱引きが求められている感じなんでしょうか?

小山田:いえいえ、そこは作品ありきなんですけど、それも感じつつ自分なりの解釈で作っていくということかなと思います。

「サントラってこういうものだな」とあらためて感じられた部分はありますか?

小山田:やっぱり、基本的に暗い話なので、感情も限定されてくるというか。そんなに明るい感情というのはなくて、ちょっとしたユーモアみたいなものはキャラクターによってはあったりするんだけど、中心になるのはダークな世界観ですよね。あとはバトルとか心理的葛藤とか。それも段階がいくつかあって、すごい深いものからニュートラルなものまで幅があるんだけど、基本的なところは限定されていきますかね。この映画の世界観に沿っていくと。
そういうものは自分のなかに日常的に持っているわけではない、パーセンテージとしてはわずかにしかない感覚なので、そこを増幅して作品にできるのはおもしろいなと思いました。

ああー、まさにそこもお訊きしたかったんですが、『攻殻機動隊』って近未来の過剰な管理社会をディストピックに描くものですよね。おっしゃるように基本的に暗い世界だと思うんですが、サントラにはわりと一貫して明るい印象を受けるんです。柔らかい光源を感じるというか。明るさを意識したりはしませんでしたか?

野田:でもコーネリアスにしてはダークだと思ったよ。

小山田:うん、そうだと思うんだよね(笑)。

そうですか。小山田さんの特徴というだけのことかもしれないですが、でも暗いイメージに寄り添う以外に、ご自身のなかにもう少し違うイメージがあったりはしませんでしたか?

小山田:うーん、そんなに強く意識はしてないんですけれど、無意識に自分にちょうどいいバランスに調整している部分はあるので……。まあ、こういう感じになっちゃったというところ(笑)。


「音楽メニュー」と呼ばれる楽曲のオーダー・リストには、カット番号と「混乱」などの簡潔なテーマが記されている。 はじめはミュージック・ヴィデオのように細かくタイミングを合わせて作っていたものの、セリフ等との兼ね合いもあり、その後の段階でのエディットは音響制作側にまかせたとのこと。

音にするときに、とくにポイントになる視覚的要素というとどんなところですか?

小山田:それはたくさんあって、最初はそういうものに偏執的に合わせて作ってたんだけど(笑)、結果ズレていったり修正が大変だったりして。

要素としては動きとかになりますか?

小山田:うん。動きですね。あと、色味が変わるとか、カットが変わるとか。

表情とかエモーションとかっていう内面的な要素よりは、アクションとか場面転換みたいなものに音が影響されるという?

小山田:それは両方ですね。

今回の『ARISE』は、まだ未熟な(草薙)素子の揺れる内面とか、孤独な闘いとかが印象的ですよね。昔のシリーズ(『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』)は公安9課というチームワークもあったりしてグルーヴィーなんですけど、それに比べてよりインナーなテンションがあるように感じます。でも、小山田さんの音楽って、そういうインナーなもの……気持ちみたいなものを文学的にしないというか、そういうものをどちらかといえば無視していくもののように思うんです。

小山田:なるほどね。気持ち……。気持ちというより雰囲気という感じですかね(笑)。

ああ、なるほど。空気みたいなものとかでしょうか。

小山田:ストリングスで泣きメロを入れたりとか、そういうハリウッドっぽいスコアリングじゃなくて……。そうですね、メロディってエモーショナルで内面的なものを表すって一般に言われるけど、もうちょっと空気感で内面的なものを表すことができるっていうか。まあ、「内面的なもの」って、わかんないんだけどね(笑)。空気感で「内面」とかその状況を表すという、どちらかというとそんな要素の方が大きいのかもしれないですね。

よくわかります。小山田さんは、近年は『デザイン あ』とか『CM4』ですとか、リミックスとかサントラのリリースが続いていますけれども、そういうものはオリジナル・アルバムでキャリアをつきつめていくというのとは逆で、人と人との間とか、社会のなかで機能する音を考えていくという仕事になると思います。小山田さんには、そうした作品制作を通して見える、社会の色とかってありますか?

小山田:うーん、色って言われて思い出したのは、オウムの事件があったときに「世界は黄色だ」っていうような歌を歌っていたことですかね。テレビで、誰だったか容疑者の人が「世界は黄色だ」って。

ええー、すごい感性ですね。黄色ってちょっと出てきませんでした。それはなんだかインスパイアされるお話です。

野田:すごいねえ。

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アニメOPの条件

アニメのオープニング・テーマって、タイトルも言ってほしいし、必殺技の名前とかもできれば言ってほしい(笑)。


Cornelius
攻殻機動隊ARISE O.S.T.

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野田:映画のサントラとかって、今回が初めて?

小山田:ちゃんとしたのは初めてだね。

野田:サントラとか好きだったじゃない? いまはないけど、渋谷の「すみや」っていうレコード屋で、日本盤で出てないイタリア映画のサントラとかを漁っていた人なわけだから。

小山田:あははは。そのときからそうなんですけど、観たことない映画のサントラとかを聴いたりしていて、それ自体は何かの映画のなかで機能させるために作られたものなんだけど、iPodとかで聴くとまったく別のもののようにも聴こえるというか。その映画と切り離されたところで楽しめる部分っていっぱいあって。
そういう意味では音楽って器というか、何かのために作られたものが別のかたちで機能することがありますよね。サントラはとくにそうかも。だから、僕はこのサントラを『攻殻機動隊』のために作ったけれども、それを切り離した部分でも聴けるものにしたいなというところはありますね。

アニメ音楽で参照されたものとかはありますか?

小山田:わざわざ聴いたりとかはしていないんですけど、“ゴースト・イン・ザ・シェル・アライズ”っていう『ARISE』のテーマ・ソングでは、頭にあったのは『ルパン三世』のはじめの曲ですね。「ルパン~ルパン~」って、ひたすらルパンっていうタイトルを連呼する曲で、それを意識しました。「ゴースト・イン・ザ・シェル」をひたすら連呼する、みたいな。

へえー。

野田:なんで『ルパン』だったの?

小山田:『ルパン』がっていうより、タイトルを連呼するっていうところですかね。僕のなかでは、アニメのオープニング・テーマって、タイトルも言ってほしいし、必殺技の名前とかもできれば言ってほしい(笑)。ちゃんとそのコンセプトに合ったものが入っていてほしいっていうのがあって。それで、アニメ「らしい」オープニング・テーマというと、どうしても『ルパン』が出てくるという感じです。

小山田さん的なアニメOPの条件みたいなものが、ちゃんと入っているんですね。

小山田:うん。それに、ひたすら繰り返すから曲のミニマルな構造に合うというか。そういう曲って他にないなと思って。

連呼というところでは、「きおくきおくきおく……」(“じぶんがいない”)もそうかと思いますが、「記憶」も『ARISE』のひとつのテーマですよね。記憶が勝手に操作されたりいじられたり、不安定で信用できないものとして描かれています。この曲はそのテーマをそのまんまというか、かなり直接的に使っていておもしろかったんですが、音節ごとに「き」「お」「く」と切ってエディットされているのも、やっぱり「記憶をいじる」というようなテーマを意識してのことなんですか?

小山田:歌詞は坂本(慎太郎)君が書いてるんだけど、それは曲の後にできたものなので、最初から音のなかに「記憶」という言葉が当てはまっていたわけじゃないんだよね。ただ、素子が「義体」というキャラクター――人間とロボットの中間、アンドロイド的なものなので、あんまり人間ぽくない編集で作ったヴォーカル・ラインが合うのかな、とは思っていて。
歌詞は、最初に「き、き、き」ときて、次に「きく、きく、きく」ときて、最後に「きおく、きおく……」となるんですけど、「一文字でも意味があって、二文字でも意味があって、三文字でも意味があって、という構造になっている言葉が何かないかな?」って坂本くんに相談したら、「きおく」っていう言葉を出してきてくれたんです。

へえー、必ずしもテーマから来たものではないんですね。

小山田:もちろん坂本くんは、ちゃんと脚本を読んで言葉を選んできたとは思うんだけれども。

なるほど。戦後詩では最初、谷川俊太郎の『ことばあそびうた』みたいなものが精神的に低いものとして厳しい評価を受けていたようですけれども、言葉遊びみたいなものの方が、逆に空気を受容する器にはなりやすいのかもしれないですね。
 詞が後に上がったということですが、今回、詞のついているものは全部そうですか?

小山田:うん。

それをまた組み替えるということですか。

小山田:あ、組み替えはしないですね。

そのままでしたか。では、本当にうまくはまっているんですね。

小山田:そうですね(笑)。

ブッダマシーンは草薙素子の夢をみるか

あれは、もともと中国にあった「電子念仏機」っていう機械がモデルになっているんですよ。

なるほど。ところで、「ゴースト・イン・ザ・マシーン」という新しいブッダマシーンとダミーヘッド・マイクを使って、動画を撮っておられますね。あれはどこから来たアイディアなんですか?

小山田:ダミーヘッド・マイクに関しては、たまたま使っていたスタジオにあったんですよ。ブッダマシーンを作ったんですけど、あれってたくさんで鳴らすとおもしろくって。いろんな層で音楽が流れていて、ずっとドローンで、ピッチも変えられるし、演奏みたいなこともできるし。あのときは同時に4台使ってるんですけど、おもしろかったですね。

ダミーヘッド・マイクって、まだまだおもしろい使い方があるんでしょうか? ドラマCDみたいなものではさかんに使用されていますけれども。

小山田:ん? ドラマ?

はい。お話とかセリフの朗読が収録されているCDなんですけど、耳もとで甘い言葉を囁かれるとか、そういうことがリアルに感じられるようにダミーヘッドで録音されていることが多いんです。でも、音楽でそんなふうにうまいこと使用されている例はあんまりありませんよね。

小山田:たしかにね。CDでやってもあんまりよくわかんないというか。ダミーヘッドを使ってる例だと、マイケル・ジャクソンとかルー・リードとかもやっているんですよね。

へえー。

野田:ルー・リードも?

小山田:そう、他にもいろんな人がやってるんだけど、「ギター、ドラム、ベース」みたいな音楽で使ってもべつに何もおもしろくないというか(笑)。

それはそうですよね(笑)。以前に読んだインタヴューで、髪の毛を耳元でちょきんと切られる音が立体的に再現されたCDで感動されたというお話をされていたように思うんですが……。

小山田:うん。やっぱりいちばんおもしろいのは髪の毛をきってもらったりとかだよね。

なるほど(笑)。このマイク自体はけっこう歴史の長いものなんですね。

小山田:うん。80年代くらいからかな……。70年代くらいからあったっけ?

その頃からの進歩ってあるんでしょうか?

小山田:だいぶ進歩しているんじゃないですか? ダミーヘッドじゃなくてさ、ヒューゴ・ズッカレリっていう人がいて、知ってる? アルゼンチンかどこかのちょっとマッド・サイエンティストみたいな人で、詳細は明かしていないんだけど、立体音響に関してちょっとすごい録音技術を持っている人なの。マイケル・ジャクソンとかはそのやり方を使っているみたいなんだよね。それはダミーヘッドではないって言われてるんだけど、どういうノウハウかはわかってない。

へえー。

小山田:サイキックTVとかもそうだよね。80年代後半とかに、一時期すごい話題になってた。

野田:あー、そうだったね。

あの動画に関しては、「あ、頭の後ろ通った!」っていう気持ち悪い感触とかが生々しくあって、おもしろかったです。小山田さんにとっては、旋律とかそれがリニアに導いていく物語じゃなくて、こういう体験のようなもののほうにより興奮があるんじゃないかなと思いました。

野田:ほとんどそうでしょう。ライヴとかを観るとほんとにそうだよ。

小山田:はははは。

音響体験のほうが優先される。

小山田:まあ、このサントラに関してはわりとそういうものですよね。

GHOST IN THE MACHINE
https://www.jvcmusic.co.jp/ghostinthemachine/

テーマ性がたしかに色とか空気みたいなものとして感じられます。では、ブッダマシーンのほうはどうでしょう? そもそもはあのガジェットのなかにブッダがいる、というジョークみたいなものだったように思うんですけれども。

小山田:あれは、もともと中国にあった「電子念仏機」っていう機械がもとになっているんですよ。お経を自動で流してくれる機械。それをみんな流しながらお祈りとかをしていたみたいで。それを、中身をミニマルっぽくしてあんなかたちに仕上げたのがブッダマシーン。

実用的なものだったんですか!

小山田:そう。昔、中国に行ったときにお土産でもらったことがあって、それには本当に念仏が入ってた。形とかもだいたいあんなものですね。わりと最近になって中国の若い人がブッダマシーンのかたちにしたっていう。

そうなんですね。わたしもシリーズの最初のマシーンから知っているんですが、てっきりヨーロッパが作り出したオリエンタルなジョークみたいなものだと思っていたんです。そんな日用品だったとは意外ですね。

小山田:うん。ふつうにあったものなんだよね。

なるほど。そうすると余計おもしろいんですが、『攻殻機動隊』には、ロボットとかマシンみたいなものにゴーストが宿ることがあるか、あるとすればどんな条件のときか、っていうようなテーマも通底していますよね。ブッダマシーンの「機械のなかに宿った声(=ゴースト)」っていう性格は、なんてこの作品にぴったりなんだろうって思ったんです。

小山田:はははは。「ゴースト・イン・ザ・マシーン」っていう名前つけてるしね。

野田:あ、意識しているんだ。

小山田:もちろん。

あれ? このブッダマシーンのアイディア自体、小山田さんのものなんですか?

小山田:そうです。

そうなんですか! これ、すごくびっくりしたんですよ。よく『攻殻』とブッダマシーンが掛け合わさったなって、すごく不思議だったんです。いままでのブッダマシーン・シリーズでいちばん気がきいていると感じましたし。実際に声優さんの声が入ってるんですか?

小山田:声優さんの声は入ってなくて……、あ、ちょっと入ってるか。でも基本は声優さんの声じゃないんです。

へえー。「機械のなかの心」みたいなものへのロマンチックな気持ちは、小山田さんのなかにありました?

小山田:……なかったね(笑)。

(一同笑)

野田:そこまで少年じゃなかった(笑)。

ははは。すっごいドライなんですね。バトーさんが天然オイルを与えつづけたタチコマにだけは、ゴーストが宿った? みたいなエピソードもとても印象でしたけれども、そういうロマンティシズムも作品を牽引する強さだと思うんですね。ものに宿るゴースト、みたいなものはぜんぜん感じませんか。

野田:『ファンタズマ』の人だもんね。

小山田:(笑)そういうのとはちょっと違うかもしれないんだけど、何かつかみきれないものというのは意識していて。曲の構造だったりもそう。“ゴースト・イン・ザ・シェル・アライズ”も、ただ「ゴースト・イン・ザ・シェル」って言っているだけなんだけど、頭のなかに残らないというか……。同じように展開しているように聴こえるかもしれないんだけど、実際はぜんぜん解決しないままどんどん進行していくっていう構造になっていて、そこはつかみきれない感じを意識してはいますね。

すごく複雑で、複雑すぎて不透明になっている感じでしょうか。でも、そういうつかみきれない模糊としたものが表現されつつ、やっぱりコーネリアスって、音は透明になる感じがするんです。その透明な感じは、この新しいシリーズのなかにも大きなインパクトを与えていると思うんですけどね。

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おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった

「おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった/ほら 静か」(“外は戦場だよ”)っていうところがあるんだけど、そういうところに共感しますね。


Cornelius
攻殻機動隊ARISE O.S.T.

flying DOG

Tower HMV iTunes Amazon

ここ数年、音楽シーンのひとつのモードとして、ちょっとニューエイジなものがリヴァイヴァルしているところがあるんですね。(クリスチャン・)ラッセンにスポットが当たったり、「シーパンク」って呼ばれるようなファッションが注目されたり……

小山田:ええ! ラッセンなの?

そうですね。何かとイルカなムードなんです。

野田:ほら、90年代リヴァイヴァルでもあるからさ。

小山田:ああ、(ジ・)オーブとかの感じ。

野田:そうそう。

はい。一方にそういうちょっとドリーミーでメディテーショナルな感覚があって、そこではあんまり暗い気持ちとか、絶望みたいなものは鳴らされていないんですね。どこかでそういうモードを感じられていたりしたところはありませんか?

小山田:そういうムードがあるっていうのは知らなかったけど(笑)。

ふだんは社会というところが暗いというふうに感じますか?

小山田:まあ、暗いといえば暗いし……。

すみません(笑)。「暗い曲が多い」という認識に対して、どこか明るく感じられるところにこだわりたかったので……。90年代リヴァイヴァルということについては、何か感じられている部分はありますか? ハウスとかR&Bを中心にして、いま本当にそんな機運なんですよ。

小山田:あんまり感じないですけど、まあそろそろかな、という気はしますよね。

野田:これからどんどん感じると思いますよ。

小山田:ひととおり80年代の巡回も終わってるように見えるから、90年代にちょっとフレッシュな感じがあるんだろうなとは思います。

野田:フリッパーズ・ギターとかがね。

血を引くような存在が出てきていますよね。

野田:フリッパーズ・フォロワーみたいなバンドが、新鮮な感じで受け入れられているんだよね。

小山田:ほんと? 絶対(フリッパーズのこと)知らないでしょう?

野田:いやいや、ぜんぜん知ってるよ。20歳くらいの子たちにしてみれば90年代ってすごく新しいからね。

小山田:そっか。年齢的には僕らの子どもくらいになってくるよね。その子たちが生まれたころが90年代くらいでしょ? ちょうど、僕たちに60年代とか70年代のものがカッコよく見えたのとまったくいっしょなことなんだろうね。

リヴァイヴァルっていう意味はおいておくとしても、ハウスを意識した部分はなかったですか? わりと「ドッチンドッチン」っていうトラックが入っているんですけれども、ちょっと新鮮でした。

小山田:うん、「ドッチンドッチン」はわりと入ってますね。

躍動感を出すため、みたいな理由でしょうか。いまわりと世間的にこういう気分だっていうふうに感じていた部分はないですか?

小山田:うーん、両方かな……。

野田:でもダンス・ミュージックを作ってるっていうところは、トピックだね。わりと直球なね。

そう思います。

小山田:うーん、そうかもね。

野田:だって、『カメラ・トーク』の福富(幸宏)さんがリミックスした曲(“ビッグ・バッド・ビンゴ”)、あれをいまみんな探してるんだよ!

小山田:ええ、うそ! へえー……。若い子が?

野田:そう。しかも日本人だけじゃなくてね。

小山田:そうなんだ。

あとはクラウトロックっぽいものの気分もありました。2000年代後半は、若いバンドやアーティストにすごく参照されて、スターも生まれて。“スター・クラスター・コレクター”とかも、ちょっとそういう琴線に触れるんじゃないかと思います。

小山田:へえー、そうなんだ。でもまあ、どっちも偶然かなあ。クラウトロックはずっとあるといえばあるし。

それもたしかにそうなんですけど、ジャンルをまたいで一気にメディテーショナルなモードが広がって、そのなかでクラウトロック的なものの存在感はとても大きいものだったんです。
……というムードもまだ余韻を引いているなか、“外は戦場だよ”というボーダー2(『攻殻機動隊ARISEborder:2GhostWhipers』)のエンディング曲が鮮やかでした。小山田さんには「外は戦場」というような感覚はありますか?

小山田:外は戦場……。うーん、どうなんだろうね。

言葉尻からすると酷薄な世界観のようにも見えますけれども。

小山田:いや、そういうことよりも……。なんて言ったらいいのかな……。最後の方に「おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった/ほら 静か」っていうところがあるんだけど、そういうところに共感しますね。

ああ……。それは、「おおきなこえをだすひとたち」は、干渉するものっていうような感じでしょうか。暴力とかもふくめて。

小山田:うーん、そうね……、ほっといてほしい感じ。……何なんだろうな(笑)。

ここはとっても両義的な部分かと思うんですが(※)、「ほら 静か」は、肯定的な感じですか? そうならざるを得なくなってなったという静かさですか?
(※詞のなかばに「心配ない/見て/外は/戦場だよ」という逆説がある)

小山田:うーん。

より自分にとって居やすいところになったのか、その逆なのか……。

小山田:なったんだかなっていないんだか、実際はよくわからないんだけど、どっちも含んでいる感覚なのかな。

Jazzdommunisters - ele-king

 このコンセプト・アルバムは複数の位相において挑戦的で、作品を賞賛すること自体も挑戦となるかもしれない。え、あの菊地成孔と大谷能生のヒップホップ・アルバムでしょう~という先入観と偏見が、ある人はどうしてもあるでしょう。なにせ、あの、ひとクセもふたクセもある菊地成孔と大谷能生だ。僕自身にもそれがまったくなかったとはいえない。たとえば、理詰めで作られるヒップホップに生気はあるのか──もし君がそう思っているなら、間違っている。多かれ少なかれ、理屈がなければ作品は作れない。音楽に気持ちが必要だとするなら、『Birth of Dommunist』には唖然とするほど気持ちが横溢している。そして、彼らは自分たちをさらけ出している。格好付けているが格好付けていない。こそこそしていない(ま、ドミューンにはじまっているのだからこそこそしようがない)。
 なんて、偉そうなことを僕が言えた義理でもない。僕がこのCDと出会ったのも探求心からではなく、偶然によるものだった。たまたま、数年ぶりに見たデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの素晴らしいライヴ演奏が、会場で売られている本作を買うことに迷いを与えなかったのである。ジェイク・バグは新作で、「俺たちはそれを言葉にすると誰かがツイートするんじゃないかと恐がっている」と歌っている。それではツイッターを恐がらずに書いてみよう。我々は村社会を出て、アーバンに生きているのだから。

 そして、俗事に耽り、ゴミの山から聖なるものをほじくりだそうとする。『Birth of Dommunist』からは、まずはそんなアンビションを感じる。ジャズとヒップホップ、そのふたつの混合に関しては、マッドリブにせよ、フライング・ロータスにせよ、目新しい試みではないのだが(20年前は、ジャズをサンプリングしただけでジャズ・ヒップホップなんて呼ばれましたな)、ジャズドミュニスターズのジャズ・ヒップホップは、彼らなりの根拠にもとづいている。ジャジーな雰囲気を楽しむものとは違って、より実践的で、よりコンセプチュアルだ。ラップのフロウ(フリースタイル文化)はジャズの即興性において再解釈され、ヒップホップ・ビートの先鋭性は彼らの回路のなかで読み取られる。彼らなりの確固たるジャズがあり、ヒップホップがある。新宿二丁目を彷彿させるニューウェイヴ・ディスコ風の曲もある。

 ジャズとヒップホップ、言うまでもなく、ともに夜の都会の喧噪のなかで研ぎ澄まされた夜行性の文化だ。陶酔がなければ人は集まらないし、高揚がなければ人は喜ばない。ゲスで、なおかつ高尚でなければならない。『Birth of Dommunist』はそうした要望に応える。アルバムのオープニングは、ばかばかしく、酔っぱらっているかのように、ふざけている。フランス語と英語を交えての悪ふざけは、かたや呆れられ、かたや彼らへの偏見を逆なでするかのようだが、2曲目の、絶妙につんのめるエレクトロ・ファンク・ビートが鳴り響けば、場面は転換して、数秒後にはこの音楽から離れられなくなっている。菊地成孔からOMSBへとマイクは渡され、『Birth of Dommunist』のいびつさの片鱗が見えはじめる。いびつさ、猥雑さ、カオス……
 飲み屋のカウンターにずらっといろんな世代が並んでいるように、ベテランのジャズマンが20代のラッパーとマイクを交換し合っている。それ自体が画期的といえば画期的だ。複数のラッパーがいて、アルバムのなかではフロウの種類の違いを意図的に見せているという話を、次号紙エレキングの取材において菊地成孔はしてくれたのだが(本人のラップは、近田春夫をはじめとする日本のオールドスクールを意識したもの)、MOEが参加しているように、『Birth of Dommunist』はラップ以前のポエトリー・リーディングにもアプローチしている。語彙の多さはジャズドミュニスターズの武器のひとつだ。饒舌で知られるふたりは、なかばダーティに、言葉で楽しませることを忘れない。
 もちろん、OMSB、DyyPRIDE、MARIAといったシミラボからの3人、MOE、市川愛らの客演も“売り”になろう。個人的に言えば、シミラボの3人が参加しているということも購入の動機になっている。だが、このアルバムの大きな魅力は猥雑さにあると僕は見る。猥雑さは、放漫さは、ジャズドミュニスターズの衣装であり、素振りであり、故郷だろう。
 「街の中で、生まれるということは、 一生を放浪して過ごし、自由であることを意味する。」──“HERE & THERE”において朗読される吉田健一の訳によるヘンリー・ミラー『暗い春』に、菊地成孔はジャズドミュニスターズのコンセプトを代弁させている。そして、この見事な引用は、いまも呼吸しているアーバン・ミュージック/ストリート・ミュージックへの賞賛と共感を意味しているかのように聴こえる。都会の詩人は他界したが、都会の詩は生き続けているのである。
 だが、『Birth of Dommunist』がベテランのジャズマンと若いラッパーによる、よく練られた都会の叙情詩というだけの作品であったのなら、僕はこんなレヴューを書かなかった。アルバムの本当のクライマックスは、DyyPRIDEとMOEをフィーチャーした“Agitation”という曲にある。こんなにもむき出しに、怒り、アンガーを表明にしている菊地成孔は見たことがない。いちど聴いたら忘れらないほど、その怒りは堂々としていて、力強い。そのとめどなく溢れる感情は、知性のある、大人な彼らをもってしても、予想外の、即興的な発露だったのではないだろうか。

 追記:本日29日、エレグラで出店しております。橋元優歩もいるので、彼女に励ましのひと言を! 編集部はつねにヒップな殺し屋=ライターを募集しておりますので、そんな夢のある方も声をかけて下さい。午前2時ぐらいまでなら、生きていると思います。

interview with Downy - ele-king

 絶え間なく展開する変拍子のはざまに、「曦(あさひ)」という文字が落ちる。乾いたドラミングと硬質なギターの音の上で「春」という字がにじむ――詞のカードを見てみてほしい、そこには旧カナを散りばめ文語体でつづられたうたの言葉が、近代詩のような佇まいで並んでいる。
これがインドとビートルズと沖縄をルーツに持つ文体だと知ったときに、筆者の凝り固まった観念は激しく攪拌された。なんというミクスチャー。

 エスニックの意匠をいたずらにかけあわせたり、性質の異なるものを無邪気に混ぜ合わせたりするのではない。それらが、ひとりの人間の生きてきた時間とその経験体験のすべてのなかにたくしこまれるかたちでミックスされたものであることに感動してしまった。ダウニーの中心人物、青木ロビンはそのリスペクトすべき人格もふくめて非常に魅力的な人物だ。その彼の内側から波を打って広がっていく異形のヴィジョンを、緻密に構築されたバンド・アンサンブルが支え、展開させていく。それがこのバンドの非常に強力な柔構造なのではないかと思う。青木裕、仲俣和宏、秋山タカヒコ、石榴、各メンバーはそれぞれが別のプロジェクトや名だたるアーティストたちのサポート・メンバー、プロデューサー、映像作家としても活躍する磐石のプレイヤーたちだ。インプロ・パートの安定感とダイナミズムなど、それだけでもじゅうぶんに素晴らしく、9年の空白をものともしない熱心なファンがいることの理由がよくわかる。


downy
第五作品集『無題』

Felicity

Tower HMV iTunes

 そう、ダウニーは2000年の結成以降4枚のオリジナル・アルバムを残し、2004年から約9年もの活動休止の期間を迎えていた。ポストロックという言葉が国内において実体を備え輪郭を現しはじめる、その黎明のなかにいたバンドである。輝かしい軌跡のなかのその空白部分についてはこのあと語られるわけだが、すでに「ポストロック」という言葉が歴史の項目のひとつに格納されてしまっている時代、彼らはそこから歌と人生とを引き出した。もちろんダウニーはダウニーなので、演歌でもフォークでもない。ギターはソリッドでポストパンク的な荒涼感があるし、爆ぜるようなドラミングにもそのプロダクションにも殺伐という表現が似つかわしい。エレクトロニクスにもさえざえとしてドライな覚醒感がある。しかし「僕のなかでかなり温かい作品なんです」(青木ロビン)と語られるその温かさとは取りも直さず、人生の熱ではないだろうか。

 筆者があまりテクニカル系の「ポストロック」に親しみを感じてこなかったのは、閉塞的なテクニカル信仰をよんだり、折衷性(メタ性)を評価されるわりにベタにロマンチックだったり、エモーションの扱いが粗雑だったりする悪い例をたまたまいくつか目にしてきたせいかもしれないけれども、それは単にシーンが若かったということなのかもしれない。テクニックこそは人間の生きる長さとともに意味を増していくものなのかもしれない。ロックが仮に青春期以降を乗り越えられずにゾンビ化しやすいものだとすれば、ポストロックはむしろそのあとの時間において真価を発揮するものなのかもしれない。――そのようなことをこのダウニー5枚めの復活アルバムで感じさせられた。これまでの作品を否定するのではない。筆者が手ぶらの一般リスナーとして、とても親身な思いでこれを聴いたということに共感していただけるだろうか? 趣味や好みを越え、敬意をこめて聴いた一枚だ。日本のポストロック第一世代バンドがそれぞれどのような2010年代を迎えているのか詳しくはないけれども、この作品はひとつの感動的な例を示しているのではないだろうか。

9年という時間

単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね。

今回9年ぶりの新作ということなんですけれども、そう聞きますと、「マイブラ22年ぶりの新作」みたいな感じで、妥協しないからこそリリースしないというような、非常にストイックな印象も受けます。実際のところはどうなんでしょう?

青木:単純に活動を休止していたので、その間、制作する気がなかったっていうだけなんですけどね。で、いざ電話して「やりましょうボチボチ」っていう流れなんです。

野田:やる気を失った理由っていうのは何なんですか?

青木:いやー、9年前のことなんでドンピシャで覚えてないんですが、単純にやりたいことがもっといろいろあってですね。それは音楽以外のことも含めて。いちど音楽から解放されたいというか、音楽を普通に聴く耳に戻りたいというか、そんな気持ちがありました。

ああー、切実ですね。

青木:なんか何を聴いても、「どう作ってるのか」とか、そういうふうにしか聴けなくなっちゃっていたので。食あたりじゃないですけど(笑)、「聴けない」みたいになっていました。

とすると、いつか再開する予定を立てながら休んでいたというよりも――。

青木:そうですね、ほんとに無期限で。何度かタイミング的にはターニング・ポイントがいくつかあったんですけれども、「まだかなー」みたいな感じだったんですよ。

なるほど。

青木:まあメンバーとちょこちょこ連絡取り合ったりとか、彼らの出す音源はもちろん聴いていたし。3年ぐらい前から「いつやるかねえ」みたいな話はしてたんです。2年前に「やりますよ」って電話をちゃんとして、「やりますか!」ということになって。

最後に背中を押したものというか、決め手みたいなものって何かあったんですか?

青木:何でしょうかね。これは訊かれると思ってたんですけど、とくになくて(笑)。「いまだな」って思っても、自分のタイミングとみんなのタイミングがちょっとずれたらできなくなりますから。みんな各々アーティストとして頑張っているんで……。ほんとにたまたまだと思います。電話してみたら「そうかもね、いまかもね」みたいな感じでした。

なるほど。10年ぐらいのけっこうな時間ですけど――。

青木:そうですね、はい。

漠然とした質問なんですが、どういった9年間でしたか?

青木:僕個人としては、ほんとにやりたいことをあれこれ仕事して。会社作って、飲食店やって、ほんとにいろんなことをしました。子どももできていたので、子育てして。で、新しく友だちができて、みたいな(笑)。海外での仕事もしていたので、いろいろ土地も回って。

野田:海外の仕事ってどんなの?

青木:アパレルですね。

野田:へえー。

なるほど。音楽活動からはずいぶんと変化した時間だったんですね。

青木:変化というか、単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね(笑)。

(笑)生活のなかに、社会ってものがせり出てきたんですね!

青木:そういう意味でも、「音楽だけ」ってことになるのが、最後らへんはイヤになってきていたというのもあって。4枚目のアルバムくらいのときには、服の会社をもう立ち上げてやっていたんです。でも、最近感じるんですが、いま若いバンドマンなんかといっしょに曲を作らせてもらう機会があると、みんなすっごい丁寧ですね。

ああ、なんかちょっとわかります。

青木:「俺こんなじゃなかった」とか思いながら。みんなすごいな、と思って(笑)。

いまの若い方が、アーティストとしてのエゴよりも、そういったものを大切にされてるなっていうのは、わたしもすごく感じますね。

青木:そうそう。大事なことですよね。単純に印象がいいですからね(笑)。

ははは……

青木:俺が印象悪かったなって(笑)。

そうなんですか(笑)? お会いして、すごく丁寧な方という印象を受けましたけども。

青木:いやいや。いまはこうなりました。

はははは。9年のひとつの成果というか(笑)。

青木:ひととだいぶ喋れるようになったので。オープンにはなったと思います。

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踊らない身体

僕はだから、踊らないんですよ。

なるほど。いっぽうで音楽的な意味でこの10年を見てみますと、2000年代の初頭は、まだポストロックっていう言葉が機能していたと思うんですけども、その状況は変わりましたね。つい最近だったらアンビエントとかドローンとかダブとかに影響力があるように、構築性の高さやバンドのセッションのダイナミズムみたいなものよりも、どちらかといえば、そういうものを解体していく流れっていうのがこの10年を作ってきたようにも感じます。ダウニーの方向性と世間の流れみたいなものとを比べたり、あるいはそこで迷ったりってことはありましたか?

青木:新作に関してってことですか?

そうですね。

青木:3年ぐらい前から、僕はもう一回曲作りしようと思って――まあもとからちょこちょこ家で触ったりはしてたんですけど、ほんと趣味程度にはやっていて。なんというか、音楽をほんとに「聴く」耳にやっと戻ったんですね。自分の飲食店で流す音楽を、当時は絶対聴かなかったカフェで流れるような音楽にしたりとか。やっぱり心地いいんですよね、そこでコーヒーを飲むと(笑)。それが居心地の良い空間を作ってあげるという、自分のひとつのデザインであり、作品でもあるので……。飲食店という仕事においては、ですが。沖縄に移り住んで、海沿いでレッチリ聴いたりして、「気持ちいいなー、レッチリ。やっぱ海沿いなんだなー」とか(笑)。

(笑)

青木:なんだろうな、ほんとに作り手の耳ではなくなって。沖縄ではクラブ関係者の友だちが多いんですが、その子たちのイヴェントに行っても、「いまかかったの何!?」じゃなくて、「あー気持ちいいなー」みたいな、やっとそういう風に音楽が聴けるようになってですね。僕は、自分で音楽をやろうと思ったときから、聴き方が全部「あれは何の音だ、何のエフェクターだ」っていうふうになっていたので……。ほんとに単純に、子どもといっしょに子どもの音楽を聴いたりして、「俺もこんなの聴かされたんだろうな」とか思ったりするようになったし、音楽って、みんなにとっては生活にもっと密接したものだし、そのときそのときでチョイスするものなんだっていうことがようやくちゃんと理解できて。
 ダウニーの制作の話に戻ると、僕の作る音楽はもともとやりたいことが明確にあるので、最初は全部打ち込みで作ったものをメンバーにやってもらおう、ぐらいのつもりで、デモをバーッと作りました。じつはEDMの要素も少し入っていたんですけど、メンバーと話して、ダウニーってバンドでそれをやると、なにか古い音楽になってしまうんじゃないかっていうことで、一回解体して。で、今度はスタジオ・セッションをメインに構築していきました。だけど、それはそれで前のままじゃないかと。それで、いまの形になりました。データのやり取りをする。僕が、もらったデータをどんどん曲にしていって、投げて、もう一回作り変えてもらって、みたいなやり方です。
 肉体とエレクトロニックの狭間といいますか、そういうものを作りたくてですね。今回悩んだってところは、すごくボツったことですかね。30曲ぐらい書いて、残った曲でやっているんです。もはやネタになってますけど、自分のなかでは7枚目のアルバムにしたいぐらいの心境です、はい。

僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。

へえー! いまエレクトロニックっていう言葉が出てきましたけど、たしかにキーになっている音楽性ですよね。65デイズオブスタティックとかは、やっぱり一時代を作ったと思うんですけど、ポイントだったのはやっぱりそこにエレクトロニックなものが介在していたことです。ポストロックって、エモに行くものもあれば、フィジカルをストイックに追求したマス・ロックみたいなものもあれば、ハードコア・パンクの流れ――ビッグ・ブラックとか、シェラックとか――から続くものもありますよね。そんななかで、65デイズオブスタティックはすこし違う身体性を持ってたと思うんですよ。あるいは、ダウニーっていうバンドも。そのエレクトロニックっていう部分に寄っていったきっかけというか、アイデアみたいなものについてお訊きしたいです。何かに触発されたものなんですか?

青木:僕が若い頃からクラブにしか足を運ばない人間になっていたので、結局自分の身体に入ってくるものがすんなり出てくるんですね。父親がヒップホップのお店をやっていたりとか、いろいろ経緯もあるんですけど。

野田:すごいですね、それ。お父さんが?

青木:そうですね(笑)。インド人なんですけど。

野田:へえー!

青木さんは沖縄で育って、お父様がインドの方で、ヒップホップのお店をやってらっしゃってという、けっこうルーツとしては複雑な方なんですよ。

野田:すごいよ。

青木:そうなんです。で、母がビートルズの追っかけだったんで。家では小さいときからビートルズやドアーズが流れていました。そのあたりの洋楽は普通に……まあ5歳まで香港に住んでいたので、イギリス圏だったということもあって、テレビでずーっとビートルズとかのPVが流れているようなチャンネルがあったので。それ観て、意図せずにそうした音楽が入ってきましたね。
 で、クラブ・カルチャーにすごく傾倒する時期があって、自分はバンドマンとしてどうやってそれを表現していくかっていうことを、すごく考えたんです。それが結果としてダウニーの曲の作り方になっていますね。けっこう早い段階から、僕らは周波数の場所を決めてアレンジしていこうとか、そういう考え方をしていたので。当時、時代はシューゲイザーがガーッと音の壁を作って、みたいな感じだったんですけど、それはげんなりしていました。もっと音数が少なくていい。で、やっぱりミニマルですよね。それが大事だった。それを生でやるからこそ、体感できるリズムやノリがあるし、重ねれば重ねるだけ熱量が上がっていく。まあ、いまはPCでもそれができるんですけど、昔はもっとダンス・ミュージックの熱量が楽器によってプラスされていましたね。人間だからできることというか。僕らはずっとそれをやり続けて、いまに至っています。

ダンス・ミュージックがいかにダウニーの音楽にとって大きな要素であるかということはわかったんですが、たとえばダウニーの変拍子とかって、もっと身体をがんじがらめにするようなものなのかなってイメージがあったんですね。もともとすごくストイックなバンドという思い込みがあったので、そういうクラブ的なルーツには意外な感じがしました。

青木:僕はだから、踊らないんですよ。

あ、そうそう! わかります(笑)!

野田:(笑)

青木:とりあえず聴いていればいい、っていう、なんかそんな感じでした。

ああー。先ほどから、青木さんがすごくしっかりとしたお考えと哲学をお持ちの方なんだということに感銘を受けまくっているんですが、遊び心みたいなことでいうと、あんまり感じないというか、すごくマジメな印象を受けますね――。

青木:そうですね(笑)。それが悪いところでもあり(笑)、まあいいところでもあると思うんですけど。

実際に悪いと思ってらっしゃるんですか?

青木:そうですね。

へえー。

青木:遊びの成分を入れてみたりするんですけどね。

その遊びが「音の周波数」だったりすると、あんまり遊びって感じじゃないですけど(笑)。

青木:今回クラップが途中まであったんですけど、やっぱり結果的に「うーん、いらない」ってことになって。ミックスの最後の最後になくなっちゃったりとかしましたね。

それを削いでいくのはやっぱり、みなさんのマジメさなのでしょうか?

青木:まあたぶん、僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。

ああ、なるほど。

青木:「これはダウニーじゃない」「これはダウニーだ」みたいな。とくに彼らはずっと東京でミュージシャンをやってきて、周りからの反応をずっと感じてるんだと思うんですね。「こうだった、こう思ってた」とか。僕は逆にずっと離れていたので、そうでもありませんでした。まあ、ほんとにたまに、沖縄の店にも「ダウニー好きだったんですよ」って言って来てくれる子がいたりするくらいで。ダウニーTシャツを着たお客さんが来て、「カフェ、こういう感じなんですね」みたいなひとコマがあったり(笑)。なんかちょっと違う、みたいな顔されたりするんですけど(笑)。

はははは! ちょっと開放的な感じとかが。

青木:自分はそこまでないんですが、メンバーのほうにはもうちょっと「ダウニーらしさ」っていうものがあるみたいですね。ダウニーっていうのはこうです、って。

じゃあほんとに、この9年というのは、自分たちを客観的に見て対象化するとともに、音楽とも出会い直すような時間だったんですね。

青木:そうですね。そうだったと思います。

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Downyの漢字仮名世界

僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで。

なるほど。さんざんストイック、ストイックという言い方をしてしまいましたが、そのいっぽうで、エモーショナルでロマンティックな音楽でもあると思うんですよね、ダウニーの音楽というのは。ご自身がロマンティストだな、と思ったりすることはあります?

青木:いや、僕まったくないでしょうけどね。

あ、そうなんですか? でも、たとえばこの、歌詞の漢字仮名使いというか、旧漢字・旧仮名・擬古文調の言い回しを使いながら、文学の香りみたいなものを立ち上らせていくところは、ダウニーのすごく重要なイメージだと思うんですよ。大正ロマンとか明治ロマンっていうことを言うつもりはないんですが、こういう雰囲気はロマンティックだなーと感じるんですけどね。

青木:ロマンティックですかね(笑)。いや、わかんないです。そうなのかもしれないです(笑)。自分では感じないだけで。

へえー! これはどこからやってきたものなんですか? 好きな文学作品があったりとか、そういうことなんでしょうか?

青木:そうですね、僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで、最初すごく苦労したというか、イヤな目に遭ったというか。

そうなんですか!

青木:ものすごく勉強したんです、単純に。誰よりも漢字を知りたかったし。本を漁っているなかに好きな作家がいたりですね。詩ってこんなふうに書いていいんだ、とか、文章ってこんな形があるんだなって。ずっと自分なりにそういうふうな表現ができたらいいなと思って、闘っているというか、書き続けてるというか。

へえー! 言葉に対する不器用が生んだ一種の器用、みたいな感じなんですかね!

青木:そうなんですかね(笑)。

これ、完全にダウニーという世界を作っているじゃないですか。

青木:そうですね。

しかも観念的な作風というか。たとえば“下弦の月”って曲がありますけど、これは下弦の月を実際に見て書いたんじゃないだろうなって思うんです。いや、見て書いたのかもしれないですけど、それとは違う「下弦の月の世界」が頭のなかにあるんだろうなっていうふうに、すごく感じるんですよ。

青木:そうですね。自分しかわからないって言うと残念なんですけど(笑)、映像があって、イメージがあって、それに音をつけて、歌詞をつけてって感じですね。まあ、結果的にライヴだったら映像がついて、そのイメージをひとに伝えることができるようになるんですけどね。この歌詞の字面(漢字旧仮名表記)も含めてなんですけど、まあこういうイメージなんですね(笑)!

はい、すごくわかります。でも、ライヴじゃなくてもばっちりイメージで来ますよ。あるときあるひとが見た、事実としての月があるんじゃなくて、もっと観念的に構築された世界があるんだろうなって、すごく感じるんですよね。それがダウニーという、すごく特徴的な世界観を作ってもいて。

青木:(小声で)ありがとうございます。

ああ、でもなんかすごく意外でした。日本語ができない段階でいらっしゃったというのは、何才ぐらいのことですか?

青木:小1ぐらいです。そのくらいで日本語が喋れないと、もうすごいストレスというか。すごくイライラしてたのを覚えています。

野田:いきなり日本に来て日本人と同じ学校? インターナショナル・スクールとかじゃなくて。

青木:そうですね。親もなかなかなんですけど(笑)。

はははは!

青木:最初は東京だったんです。それが幼稚園の最後ぐらいで、やっと言葉を覚えたと思ったら、今度は沖縄に行って、「なんじゃこりゃ!」ってなって。何を言っているか全然わかんなくて……。

野田:ああ、方言だから。

青木:「イチから俺これやんの?」と思って(笑)。すごくイヤだったのを覚えています。

いちおう小学1年も「あいうえお」から学びはじめますけど、ネイティヴな子たちが基本だから、スタート・ラインがぜんぜん違いますよね。

青木:そうですね、ずっと怒ってましたね。「シャラップ!」ってずっと言ってたのを親が覚えていて(笑)。

はははは!

青木:「シャラップ」しか言ってなかった(笑)。

でも、それは幼い頃だと――

青木:そうですね、ダメージがけっこうね。

ねえ。でもそういう頃から、おうちに帰れば音楽が鳴っている環境だったんですか?

青木:そうですね。父親の部屋ではインド音楽が流れ、母親の部屋ではロックだったり、ジョージ・ウィンストンが流れてたり(笑)。ムチャクチャな感じでした。

なるほど(笑)。わたしはほんとに思い込みで、この文語っぽい感じっていうのは、中学とかで文学的な嗜好が強い男の子が傾倒する表現かなって思っていたんですよ。――なんというか、一種の青さとロマンティックさが強い文学性と結びついて生まれるような、エネルギーの高い文語表現。そういうものがこの歌詞世界の後ろにあるのかなと思ったんです。……それが、インド音楽とビートルズとネイティヴじゃない日本語話者から立ち上がってきたものだとわかると、全っ然、見え方が変わりましたね。

青木:自分の通過してきたものよりも、聴いたことのないものをやりたいという性分でして。歌詞もそういうことなんだと思います。まあ僕はこの歌詞の書き方しか知らないんで……。他がわかんないので、ちょっと何とも言いがたいんですけど。

野田:とくに好きだった作家はいますか?

青木:えっと、最初ほんとに「これは!」ってなったのは、萩原朔太郎。石原吉郎も「えー!」っていう。

朔太郎! じゃあどっちかって言うと、詩に寄っている側っていうか。

青木:いまでも、何でもかんでも本は読むんで。そのあたりを小学校ぐらいでカッコいいなーって思ったのを覚えてますね。

はあー。その最初の感動を、ダウニーを通してわたしも感じる気がします。

青木:そうですか(笑)。

なんかわかります。追体験しちゃいますね、小学校の頃、教室で詩集を読んだの。メンバーの方が詞を作るってことはないんですよね?

青木:ないですね。

たぶん他のひとからすると、この言葉の作られているテンションっていうのは高いもの――エネルギーの高い詞だと思うんですね。で、演奏があるわけですけれども、最初は、ダウニーのアンサンブルや変拍子って、詞のテンションの高さを解体するものとして働いていると思ったんです。だけど、もしかすると加速してるのかもしれないですね。どうなんでしょう、みなさんは詞にインスパイアされて、って感じなんですか?

青木:イメージは最初に伝えるので、共通していくものがどんどん出てくると思います。シンプルに“雨の犬”だったら、「雨の犬」っていう仮タイトルがあって、イメージがあって。わりとみんな長くいっしょにやっていたんで、それですぐ伝わったりはするんですけどね。どうかな、そこまで歌詞のこと考えてるかな、みんな(笑)。考えてるのは俺だけかもしれない(笑)。ただ、「どこの部分が好きだ」とかは言ってくれますけどね。たぶん、歌詞に関しては一任されてるんじゃないかな。

なるほど。それぞれスキルのある人々がやっているセッションですから、歌詞があろうがなかろうが、やろうと思えばどこまでも続くでしょうし、いくらでもできるでしょうし。だから言葉や歌はそこにふわっと乗ってくるだけ、という側面もあるんでしょうね。

青木:とくに今回、歌ものにしたいっていう思いがあったんですが、それはあまりダウニーのやってないところでもあったんですね。ずっと自分で歌を歌うのがイヤだったので。ほんとに、別のひとが歌ってくれればいいのにってずっと思ってたんですけど、これまではあんなにパーツの少ない歌のためにヴォーカルに立ってくれるひとはいなかったし(笑)。

ああ、なるほど(笑)。

青木:結局自分がやるほうが早かったりしちゃうんで。でもこの9年、子どもたちと歌ったりですね、なんだろうな、シンプルな歌ものとか……もちろん形とか方向性は違うんですけど。
僕にしかできないメロディがあって、僕にしか出せない言葉があるなら、もっと明確にそれを伝えていってもいいかなっていうのが今作にはあって。なんか……そんな感じですね(笑)。

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柔らかくなりあたたかくなること

いま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。

すごくいいお話です。曲はギターで作る感じですか?

青木:いや……? メロディが先な場合もありますし、トラックを作ってそれに歌を乗っける場合もあります。それに付随してコードを変えていったりとか、アレンジを変えてアンサンブルを変えていったりとか。ここでもっと盛り上げたいとか。ここはノイジーなんだとか。みたいなことは伝えますけどね。

ああ。ひとりで趣味で曲を作っているとおっしゃっていたので、もしギターを爪弾きながら曲が出てくる感じだったとすれば、それはそのままサッドコアみたいなものになるかなーと思ったんですけど。

青木:曲によりけりですね。“燦”とか“雨の犬”だったら、ギター弾きながら歌って作って、メンバーに送って、メンバーが楽器をつけていくって流れだったり。曲によっては完全にリズムから先に組んじゃって、それを叩いてもらってアレンジしてもらってとか。全然まるで変えてきちゃったりするんで、彼らは(笑)。メンバーが3人でスタジオに入って作ってきたものを僕に投げて、僕がそれをまた構成立ててっていうのもあれば、いろんなかたちがあります。

なるほど。さっき、ライヴだと映像でちゃんとイメージが提示されるってお話がありましたけど、映像でもダウニーは際立った作家性を残されているっていう印象があります。それは作られているメンバーの方が――

青木:zakuroです(笑)。

(笑)zakuroさんに一任されている感じなんですか?

青木:もちろん彼も作るんですけど、彼はディレクターみたいな形かな、いまは。いちばんわかりやすく言うとそんな感じです。あとは現場のVJですね。ひとの紹介だったりとか、僕が何人か挙げていったひとたちのパイプ役をやってもらっていて。そのあたりのイメージがわりと共通している。僕のことをすごく理解してくれています。いまは、これはないよね、これはあるよね、みたいなことをやってもらっていますね。もちろん本人もPVを作りますし。でも、今回は9年のなかで出会ったひとたちがいて、彼らとやってみたいなっていうのがあるので、オファーしているところです。いま数人でいろいろ作っていますよ。

あ、なるほど。映像も歌詞に負けず劣らずというか、けっこう思索的な内容を含んだものだなーって感じるんですよ。過去のもので、“漸”とか、“形而上学”とかの、ずっと扉が開いていくイメージ。あの正解のなさみたいなものを突きつけてくる感じっていうのはzakuroさんの個性だったりするんですか?

青木:“形而上学”は小嶋さんって方にやってもらったんですけど、それも当時僕の頭にあるものを無理矢理具現化するみたいなところがありましたね。当時は「この手法を試してみたい」とかって思って、自分でもカメラ持ちましたし、編集も立ち会いましたし。「もっと画角を」とかですね(笑)、そんなことを言ってたんです。今回は大人になって寛容になったので、向こうが言っているものが良かったりもするって、気づきました。いいものをどんどんオッケーしていけばいいなーと思ってます。

あ、じゃあその寛容さっていうのが一種の歌心みたいなものを引き寄せたりもしてるんですかね?

青木:そうなのかもしれないですね。自分では自分のことなのであんまり考えてなくて、インタヴューされてはじめて考えることのほうが多いんですけど。やっぱりいま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。ふたつのアイデアなら、1たす1は2じゃなくて、3以上にしなければいけないわけですし。それができるようになったのがいまの強みなのかなとは思っていて。考えもしなかったんで……たとえばひとに曲を書くとかですね。なんか、できるようになりました(笑)。

はあー、なるほど。本当にいいお話です。いろんな自分のなかの扉みたいなものが開かれていく感じだったんですかね。

青木:まあ、揉まれましたよね(笑)。

なるほど(笑)。

青木:いや、やっぱ優しいひとにいろいろ出会って。みんな優しいなと思って。自分もですけど、子どもを見る目としてこんな気持ちになるんだなっていうのが強くあって。何て言葉にしていいかちょっとわからないんですけどね(笑)。もちろん自分の大事なものは絶対守んなきゃいけないですし、自分の正解は必ず残すんですけど、もっといろんな見方があって、その見方を受け入れることができなかったら逆に向こうも受け入れてくれるわけがないというか……。現時点ではそこにいるんだと思います。

ハッピーだからハッピーな曲になるとか、そういう単純な表現をしないわけじゃないですか。一見重たくて厳しいような感触がありますが、今回の作品にはおそらくそういうふうなものが溶け出ているんでしょうね。

青木:はい。そうだと思います。今作は自分のなかでめっちゃ明るいんですけど。めっちゃ明るい曲ばっかり並んでるなーと。だけど、いままでダウニー好きなひと大丈夫かなー、みたいな(笑)。

へえー! それすごく太字で書きたいです(笑)。

青木:明るいって言われるんじゃないかなと思ってたんですけど、どうやらそうは思われないみたいなんで、それはそれで良かったと思うんですけど(笑)。

5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。

ははは! 明るいというか、プロダクションがすごく綺麗に整えられてる、角とかガサガサしたものが削られてるという感じは受けましたけどね。元々すごくソリッドなギターの音だったり、それこそポスト・パンクっぽいっていうような、ラフさみたいなものがあったと思うんですけど、今回はすごくクリーンというか音響的に透き通っているというか。ジム・オルークとまで言うと何なんですが(笑)、そんな印象を受けました。そのあたり、考えていたことはあるんですか?

青木:でも元々ダウニーは、ひずみ、ブーストするのがイヤなんで。

あ、そうなんですか? さっき言っていたようなシューゲ否定みたいな感じがあったわけですか。

青木:そこまでは言わないですけど(笑)、ひずませればいい、みたいなのがなんかね……。誰でもできるし。もっとアンサンブルで凶暴さを出すってことですね。リズム・セクションとして凶暴さというか、僕らの持っている闘う姿勢を出していけたらいいなと、いつも思ってやってます。あんまり姿勢としては変わってないんですが、やっぱり僕らも年を取ったし。5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。どう映るかはちょっと置いといて(笑)。

あー、でもそれはすごくいい話です。

青木:いまの僕らにできること。だから無理矢理冷たくすることはやっぱりいまの僕らにはできないですし、怒ってないのに無理矢理怒ることもやっぱりできないです。ほんとに、いま僕らのあいだにある人間関係が生み出したものなんじゃないかなと思います。
 だからわりと楽しく作って――まあもちろんキツいんですけど。ダウニーっていうのは制作自体がほんとに何回でもボツりますし、何回でもやり直すし、正解がどこにあるのかほんとにわかんなくなるときもあるぐらい悩みながら、トラック・メイキングしていくっていうバンドなんです。それをしかも、PCという選択肢もあるのに、わざわざ自分たちで弾き直してやるので。すごくキツい作業ではあるんですけど、わりと楽しくというか、またこのバンドでできるっていう喜びをちゃんと味わいながらやれていたとは思います。

その楽しさとか温かさ、柔らかさ、それから10年分の成長なり、音楽との出会い直しとかっていう新しい要素のいっぽうで、これまで一貫してきたものとして、いま「闘う」っていうキーワードが出てきましたね。それは、何との闘いってことなのでしょう?

青木:やっぱり自分たちの作ってきたものを、10年経っても聴いてくれるひとがいて、音源を出してくれるレーベルがいてくれるというだけでも、「どれだけ信頼してるんだよ」って――愛してもらってるんだなって思うので、そのひとたちに「ダウニーはやっぱりまたスゲーの作るな」と思わせなきゃいけないですよね。
だから、いちばんの敵は自分たちだし、自分らは前作を超えなきゃいけないですし。そこについては、メンバーがみんな一貫して「ダウニーっぽい」っていうイメージを持ち続けていたのが――首を絞めもしましたが(笑)――結果やりやすくなったんじゃないかなと思います。まずレーベルのひとたちがカッコいいって言ってくれないとはじまらないですし、僕ら自身もそうですし。

自分たちが闘いの対象だというのも、ダウニーのストイックな部分のひとつだと思うんですけれども、もうちょっと社会的な部分で、外に向かう闘いみたいな、そういうことはあんまりないんですかね?

青木:まあ、べつにシーンに一石を投じるとか、そこまで大仰なことは僕も思っているわけではないんですが……。9年のブランクがあって、僕はいわばルーキーなんですよ、いま。イメージとしては学生ぐらいの感じなんで(笑)。ほんとにギター持ったばっかりの頃の初心に戻っているので、そこまでおこがましいことは思っていないですね。まあでも、ファン以外の人にも聴いてもらうわけですから、他のバンドに「あいつらと対バンしたくねー」ぐらいに思われることはやんなきゃいけないと思います。自分らの音楽が、いまのところの自分らの正解であるというところまでは、ちゃんと作り上げたいので。
 社会に対して、という部分は、僕ら元々そういうスタンスでもないですから。もっと単純に、「こういう表現がしたい」っていうことを突き詰めているバンドだと思います。僕に至っては、自分の頭にあるものを映像でも何でもいいから吐き出していくというだけですしね。そこを目的にしています。

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沖縄という場所

なるほど。それはとてもよくわかります。でも、音楽にする必要はさらさらないんですけど、沖縄にいらっしゃると内地では見えなかったことが見えたりする部分もあるんじゃないですか?

青木:そうですね、たとえば基地の問題なんかは根深いです。誰も欲しいとは思っていないけど、依存している部分もあると思います。なければ実際に沖縄の経済が支えられないというような現実もあって。

ああ、なるほど。産業って観光くらいなんでしょうか。沖縄って、シングル・マザー率が高かったり、所得の水準が低かったり、常夏の楽園ではない、暗い部分を抱えていたりもしますよね。地震のあとはこちらから移住する人もけっこういたんじゃないかと思うんですが。

青木:そうだと思います。ただ、沖縄もそれぞれのコミュニティは小さなものなので、そこで元々の住民と分離せずに馴染んでうまくやっていけるかどうかというところでは、必ずしもうまくいっていないところもあるのかもしれません。

ああ……、今後ますますくっきりと明暗の出てくる問題なんでしょうね。逆に東京から距離をおいたことで、東京を客観的にとらえて見えてくるところもあったのではないかと思いますが、何か問題や欠点みたいなものは見えますか?

青木:そうですね……。沖縄では、子どもを夕方家に連れて帰ってくるときなんかに、いっしょに近所の子の面倒もみたりするんですよ。気軽に声をかけて、ちょっと注意したり、連れて帰ってきたり。そういうことは、東京だとできないことかもしれませんね。

ああ、地域社会が機能しているんですね。青木さんは、本当にきちんと沖縄という土地に住まわれているんですね。わたしも、実家の方はまだそんな感じだと思います。

青木:田舎はそうですよね。沖縄はやはり田舎でもあるので、アーティストがあまり来ないんですよ。ライヴ公演が少ないんです。モトを取れるほど集客ができないので……。そのかわりクラブがとても盛んですね。

ああ! なるほど! 田舎であるがゆえに、持ち寄り文化というか、自分たちでてきるパーティが主流になると。

青木:DJだったらひとりですし、呼びやすいですからね。僕の店でもいろいろやってるんですよ。

あ、それは素晴らしいです。

青木:レイ・ハラカミさんも、ご生前最後にライヴをされたのがうちの店なんですよ。

ええー、そうなんですか! 地方で、ご自身のやれることをちゃんとマネタイズしながらも純粋にやって、地元の音楽の現場もきちんとあっためて、子育てもして……、すごい10年だったんですね。新作も、錆びるどころか、本当にそうした人としての充実までが音に結びついているということがよくわかりました。お人柄もふくめて感服いたします。では、活動が再開したからといって、東京には引っ越されないんですかね。

青木:いまのところはそうですね。

ぜひ、お店に『ele-king』置かせてください!

青木:ぜひ!

わー、ありがとうございます!

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