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OPNがサウンドトラックに参加していることで話題のソフィア・コッポラの『ブリングリング』は、たしかにこれまでと違って物欲盛んな悪ガキたちを主人公にしているが、結局彼女の少女たちの捉え方は『ヴァージン・スーサイズ』の頃から変わっていないように思える。ただ、思春期の虚無感が融解する先がインターネット・カルチャーとセレブリティ・カルチャーに向かったのが前者で、70年代のノスタルジーに封印されたのが後者だとすれば、より幸福で美しいのは自死を選んだ少女たちのほうなのだろうか。そこでその「揺らぎ」は永遠になり、ソフィアもまたそれをデビュー作に据えたことで、彼女自身がそのイメージを引きずっているように見える。
カナダ人のDJ/プロデューサー、ライアン・ヘムズワースのことが気になったのは、多くのひとが即座に『ヴァージン・スーサイズ』を連想したであろう“カラー&ムーヴメント”のややサイケデリックなヴィデオを見ていると、そこからエリオット・スミスの“エヴリシング・ミーンズ・ナッシング・トゥ・ミー”のサンプルが聞こえてきたからだ(同曲ではドイツのロック・バンドであるノーツイストのサンプルも使用している)。大きく言ってヒップホップのトラック・メイカーであるヘムズワースだが、突然この世から消えてしまったシンガーソングライターのいまにも壊れそうな歌声を取り入れる彼の感性は、他のトラック・メイカーにはなかなか見当たらないものに思えたのだ。俄然彼に興味が沸き調べてみると、メイン・アトラクションズのトラックを担当することもあるという22歳の青年だという。それが今年の頭のことだ。それから様々なところで彼の名前を見るようになり、本作が現在は23歳の彼のデビュー・アルバムとなる。
様々なところ、とはライやフランク・オーシャンからカニエ・ウェスト、グライムスまでのリミックスであり、あるいは逆に情報デスクvirtualによるリミックスなどなど、だ。要するにクラウド・ラップ、チルウェイヴにチル・アンド・ビー、さらにはヴェイパーウェイヴまでをまたぐ領域にいるということで、実際、『ギルト・トリップス』からはそれらの反響がすべて聞こえてくる。もう少し離れて見れば、ハドソン・モホーク以降のチップチューンのアップグレード版も微妙にあるし、〈ロウ・エンド・セオリー〉周辺と共鳴するものもあるだろう。ヘムズワースはLA拠点のプロデューサー集団〈WEDIDIT〉のメンバーでもあり、LAビート・シーンはおそらく彼の音楽的アイデンティティの置き場だと考えられる。
けれども、アルバムを聴いていてもっとも尾を引いて残るのは、「ドレイクのエモ・ヒップホップとサンプルを基調としたエレクトロニカの接続」と説明されるときの「エモ」の部分だ。彼の発言によると10代の頃はエリオット・スミスとブライト・アイズが好きなインディ・ロック少年だったそうだが、『ギルト・トリップス』でももっとも大切に扱われているのは、その、いまなお引きずる思春期性ではないか。オープニングの“スモール+ロスト”でスムースな女性ヴォーカルが演出するメランコリーの純度の高さを聴くとそんな風に思わずにはいられないし、バスが参加した“スティル・コールド”なども、驚くほどナイーヴでささやかなトラックだ。ビートがアグレッシヴなほうの“ハピネス&ドリームス・フォーエヴァー”でさえタイトルから想像されるようなフラジャイルさを湛え、タイトルに自分の名前を出してしまう“ライアン・マスト・ビー・デストロイド”でも電子音が物悲しく歌う。ライアン少年はアコースティック・ギターを持って歌う可能性だってあっただろうが、だがヒップホップ・ビートでこそ彼のエモーションを丹念に滲ませていく。
ここには現在の彼の「揺らぎ」が漂っていて、しかしそれはサウンドともに今後変わっていくだろうという予感がある。非常な旬な音がヴァラエティ豊かに本作にはあるが、そのコアはまだ見出しにくいからだ。だが、だからこそどんな方向にも行けるだろう。そのとき彼の感情のアウトプットがどのような姿になるのか、僕は強い興味を掻き立てられる。が、『ギルト・トリップス』にはナイーヴな青年の甘美なメランコリーがあり、いまはそれでじゅうぶんだ。
木津 毅