一生かけても言葉でこの街改造/野望はでかいぞ ――漢
拡声器空間~MIC SPACE(FROM MS CRU)
“新宿アンダーグラウンド・エリア”(2002年)
ここに掲載するMC漢のインタヴュー記事は、昨年9月25日にDOMMUNEで放送された番組「鎖GROUP presents MC漢SPECIAL!!」における「MC漢、激白インタヴュー!」を構成/編集したものである。
漢はその日、自身のヒップホップ・フィロソフィー(ヒップホップ哲学)を生々しい体験談を交え、ユーモラスに語った。きわどいブラック・ジョークやギャグを巧みに駆使しながら。その卓越した話術に多くの視聴者が舌を巻き、彼のラッパーとしての神髄を見たにちがいない。
![]() MC漢 & DJ琥珀 Murdaration 鎖GROUP |
『ヒップ――アメリカにおけるかっこよさの系譜学』(篠儀直子+松井領明訳)の著者であるジョン・リーランド風に言えば、漢が2000年代に切り拓いた地平はひとまずこのように説明できるだろう。つまり、「漢は善悪の古臭い対立をなくし、救世主と悪漢というお決まりの枠から日本のラップを解放した。そのかわりに彼がラップのなかで描く人びとは自分自身と衝突することになった――性的、道徳的、および職業的に」と。そして、このインタヴューで漢が語ったヒップホップ哲学は、「では、その後、どう生きるのか?」という、一筋縄ではいかない、普遍的な問題提起をはらんでいる。
漢は2012年の夏にヒップホップ・レーベル〈鎖グループ〉を立ち上げ、実質上のセカンド・アルバム『MURDARATION』を発表している。それから2年、ついに〈鎖グループ〉が本格始動する。6月4日には、前述した番組の続編がDOMMUNEで放送される。僕はいま、漢と〈鎖グループ〉の挑戦と彼らのヒップホップ・ドリームについてより多くの人びとと議論したいと考えているが、なによりもまずは、漢の痛快なトークを思う存分堪能してほしい。
いまは、また再びスタート地点に立っただけですね。
■今日の主役のMC漢さんが到着しました。どうぞよろしくお願いします。
漢:よろしくお願いします。
■DOMMUNEへの到着、番組開始のぎりぎりでしたね。
漢:どうも、みなさんにご迷惑をおかけして、たいへん吸いました。
(会場爆笑)
■ハハハハハ。漢さんはこれまでもDOMMUNEに何度か出演されていますよね。
漢:これまでというか、近年、宇川さんとDOMMUNEにはすごいお世話になっていますね。(出演は)今回で確実に3回めですね。
■ただ、こういう形でインターネットの生放送番組で単独インタヴューを受けるのははじめてですよね。かなり貴重な機会だと思います。
漢:なんだろうね? これまでこういう機会がなかったんですよね。はじめて宇川さんとここで会ったときから、良い意味でいろいろ近くなれるのかなっていう感触ですかね、それがありました。はじめて会ったときに、まだ俺の達していないレヴェルの人だなっていうのはわかりましたから。
■漢さんが主宰を務めるヒップホップ・レーベル〈鎖グループ〉を立ち上げたのは去年でしたか? それとも一昨年でしたか?
漢:一昨年ですね。立ち上げたというか、登記したのは。だから、いまは、また再びスタート地点に立っただけですね。
■これから本格始動していこうと。
漢:うん。〈鎖グループ〉を立ち上げるまでは、制作は〈ライブラ〉に任せていたけど、〈鎖グループ〉っていうのは、〈ライブラ〉のなかの〈鎖グループ〉ではなくて、完璧に独立した会社なんですね。
■〈ライブラ〉を辞めて、〈鎖グループ〉を立ち上げて新たなスタートを切ったと。
漢:そうですね。ただ、進み方にはまだちょっと不満がありますね。その不満を解消して、確実にいい感じで広げていけるパワーが集まってきてはいますけどね、いま。元気玉みたいな感じなんでね。今日はその第一歩になるようなインタヴューにしたいなと。
■そうですね。
漢:うん、最初は少し時系列的にいこうか。もともとMSCっていうのは、俺とGO、PRIMAL、O2、TABOO1ってヤツらとDJ陣がいたりしてはじまったわけですよ。SATELLITE(少佐、DOGMA、SAWから成るMSCの別動隊)と呼ばれるヤツらも当時からいて、それが原形だった。で、〈ライブラ〉っていうのは、俺やTABOO1が住んでいる、明治通りをはさんで反対側の神楽坂や牛込あたりの人たちで、二十歳以降に知り合ったっていうかね。お互い名前も知っていて、〈ライブラ〉の社長も俺のことは、まあ、噂で聞いていたんですね。カッコよく言うと、ストリート的な感じのビジネスで知り合って、そこから、いろいろつながって、MSCと〈ライブラ〉が合体したんですね。
■それが、2003年ころですね。
漢:うん。いちばん最初にリリースしたEPの『帝都崩壊』(2001年)は〈Pヴァイン〉から出していましたからね。で、2003年のEP『宿(ジュク)ノ斜塔』から〈ライブラ〉の制作で、ファースト・アルバムの『MATADOR』もそう。だからいきなり鬼のようなスピードで加速して行った。MSCにはDJしかいなくて、トラックメーカーがいなかったから、I-DeAのスタジオでデモテープを録らせてもらって、そのときにはじめて「トラックを作るにはMPCが必要らしいぞ」って知ったぐらいだからね(笑)。作り方もよくわからない状態で作っていたんですよ。『MATADOR』のマスタリング作業には、メンバーのなかで俺だけ参加していたんだけど、マスタリングが終わったときに、当時MSCを担当してくれていた元〈Pヴァイン〉のA&Rの佐藤(将)さんに俺が言った一言は、「これ、ほんとに出しますか?」だったからね。
■それはどうしてですか?
漢:自分たちがイメージしていたヒップホップではなかったから。
■それはサウンドが?
漢:全部が! 自分でもよくわからなくなって、当時持っていた自信が揺らいだというかね。「あれ、大丈夫か?」みたいな感じになった。だけど、『MATADOR』はじょじょに効いてくるんですよ。「この音楽はヤベエくせぇな」と。最後は、「この音楽はオリジナルだ」って解釈したね。ただ、当時の自分の理想のイメージに近かったのは『宿(ジュク)ノ斜塔』で、あっちのほうが良いマインドで作れていると思う。
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社会や政府のせいにするところから、だんだん近寄って問い詰めて行って、やっぱり原因はストリートにあるのかと考えるようになっていくわけですよ。
■『MATADOR』から10年経って、あの作品をどう解釈、評価していますか?
漢:当時の俺らはいい年こいて、バカみたいにアメリカン・ヒップホップを自由に解釈して、日本人文化なりに変形させるところは変形させてやっていたんだよね。それと、我々のスタート地点には、仲間のせいとか身の回りのヤツのせいにはしたくないというのがあったんですよ。「まずは社会や政府のせいにしようぜ」って。それが『MATADOR』という形で表れた。社会や政府のせいにするところから、だんだん近寄って問い詰めて行って、やっぱり原因はストリートにあるのかと考えるようになっていくわけですよ。
■それはかなり興味深い話ですね。
漢:だって、いろんな経験をしてさんざん食らったりした連中が、「つまんねぇな、こいつら」とか「つまんねぇな、ここ」とかっていう不満からはじめているのがヒップホップでもあるでしょ。俺らは、そういう感じでヒップホップをやっていたから、いきなり仲間のせいにはしたくないよね。だから、おのずと社会や政府のせいだって話になるよ。当時の俺とPRIMALは、そういう話ばっかりしていたよね。だから、俺らは逆ヴァージョンなんだよね。他の日本のヒップホップのみんなはだいたいストリートから国とか政府に行くんだろうけど、俺らはいきなり社会や国や政府のせいにして、そこから身の回りというか、ストリートというか、人というか、そんな感じじゃないですか。
■2000年初頭にMSCが北新宿に構えていたアジトではテレビを見るのが禁止だったそうですね。そう考えると、MSCはパブリック・イメージからするとちょっと意外なのが、ストイックで、規律のある集団だったわけですよね。
漢:ある時期からはゲームも禁止だったね。ま、ゲーム禁止令は俺が出したんですけどね。それはさ、いい年こいてんのにヒップホップやってるんだから、危なくなるでしょ、ある程度。俺らはそこに関しては、バカみたいに本気でやっていたと思うね、ピュアに。だから、俺は、趣味じゃなくて、まあ趣味だとしてもいいけど、本気でやろうぜって考えていたね。言い方は悪いけど、MSCのリーダーが俺だとして、俺をピュアに信じているメンバーがいるときは、ちょっと無茶なレヴェルに達しても、俺が言葉で「大丈夫だからさ、行けるよ」みたいな感じの説明をして成功するんですよ。みんなが100%信じ切ってくれれば。でも、ひとりでも疑いを持ちはじめたり、本気を出さないヤツが出てくると、失敗し出す元になるんだよね。当時の俺らは100%ピュアな感じで、一丸となって固まっていましたよ、気持ち悪いぐらい。そういう時代ですよ。
■ある種、カルト的な雰囲気がありましたよね。
漢:当時は、なんで俺らみたいな若者が生まれちゃったんだって話をよくしていたよ。俺らの親の世代の時代や戦争の時代とか、どんな金持ちがいたとしても、日本は貧しいのが基本だったわけじゃないですか。そういう時代を経験した世代が、やっぱり自分の子どもたちには自分みたいな貧しい思いをさせたくねぇっていう甘やかしが蔓延ったのかなとかさ。だから、いまの俺らみたいのがいるんだろ、みたいな裏づけを勝手に考えたりしていたよね。でも、その時点で俺らは誰かのせいにしちゃってたんだよね、すでに。
で、意外とちびちび指を切り出すんですよ。「切れる? そのやり方で」なんて言いながら、「うわっっつっ」って(笑)。まあ、そういう感じで研ぎ澄まされていたから、あんまり失敗したことないですよ。
■世の中に自分たちがいる理由を考えていた、と。
漢:そうそう。俺らのなかでは、実際にあったことを題材にリリックを書いたり、パンチラインを出したり、歌うんだけど、つい出てしまった言葉は、後付けでもやっちまえばリアルだぞって。そういうルールがあったんですよ。
■恐いですね、それ。
漢:そりゃ、恐いですよ。
■言葉が背後から迫ってくる、みたいな。
漢:「だったら血判を押そうぜ」って、またPRIMALが言い出すんですよ。こっちは、「血判ってなんだろう?」って感じですよ。紙と刀で。あ、刀は違うけど、まあ持ってくるんですよ、本気で指を切るものを。危なくないですか?
■危ないですね、ハハハ。恐いですね。
漢:で、意外とちびちび指を切り出すんですよ。「切れる? そのやり方で」なんて言いながら、「うわっっつっ」って(笑)。まあ、そういう感じで研ぎ澄まされていたから、あんまり失敗したことないですよ。
■言葉を先に吐いて、その言葉をあとから実践して、自分を言葉に追いつかせていくっていうリアルのとらえ方は、逆転の発想ですよね。
漢:まあ、プロのMCになりたきゃ、リリックでも言っているんだけど、「まず根拠のない自信が必要」で、「プロの世界で生き残りたければ今度は言葉の裏付け取る必要」(“次どこかで”)があると。そういう感じですよね。俺がだいたいイケてるなって思っていたり、ある程度の線を超えていると思うラッパーの人たちや業界の人らは、ヒップホップやレゲエ関係なく、それぞれがその部分で勝負していたり、ルールを守っていたりしている人が多いかな。感覚で言うとね。
■なるほど。
漢:これは俺の持論で、リリックでも言っているけど、やっぱり「縦でもない横でもない斜め社会」(“次どこかで”)が必要なんですよ。縦社会でも横社会でもない、“斜め社会”を作って自分らで物事を決めていくというね。ただ、日本社会は年功序列で、リスペクト文化じゃないですか。たとえば敬語という文化は、みんなが幸せに生きるためのルールでしょ。なにかやるときでもとりあえず敬語を使っておけば、無駄な争いはいちおう避けられると。あと、当たり前に法律がある。裏社会も表社会も体育会系も警察でも政府でもヤクザでも、そのルールはぜんぶいっしょですよ。小学校の学級会みたいのは、その練習というか、けっきょく形式は似ている。だから、会長や社長やリーダークラスのあいだでは、下のヤツらがわからない話ができていて、で、そういう人たちの下に組合やサークルみたいのがいくつもあって上手く回っていたのがこれまでの日本社会で、そういうルールで生きてきたのが、まあ俺が思う我々日本人なんですよ。ただ、いまの時代、日本もアメリカナイズされて、そういうルールもいろいろな崩れ方をしているわけでしょ。君みたいにアメリカナイズされて、こうね。
■ハハハ。そういう既存のルールが崩れかけている時代にどう生きるか、と。
漢:そういうなかで、これまでのルールややり方を簡単に止められないというのも社会だし、こういう時代に考え方が変わったり、変えるのも人間だし、変えないで貫くのもカッコいいけど、まあ、だから答えはひとつじゃなくて、“のぼり方”はいろいろあんだから、試そうぜと。俺は〈ライブラ〉のなかで、そういう違う“のぼり方”をどんどん説明していたんだけど、それを信じてくんねぇのかと。それだったら、自分は命綱なしに、他のルートで先にのぼってやっからな、と。勝手にのぼって、手助けしてやんのもいいよって感覚で独立しているんですよね。
[[SplitPage]]まあ、プロのMCになりたきゃ、リリックでも言っているんだけど、「まず根拠のない自信が必要」で、「プロの世界で生き残りたければ今度は言葉の裏付け取る必要」(“次どこかで”)があると。
■MC漢の定義からすると、たとえば、DOMMUNEの場は“斜め社会”ですか?
漢:まあ、ここは意外と斜め社会系ですね。
■意外と斜め社会系(笑)。
漢:あやふやでも許される、ある意味、心が広い系ですよ。
■心が広い系!?(笑)
漢:ただ、やっぱり俺が日本のラッパーを好きなのは、そうだな、日本にはアメリカとは違うヒップホップのおもしろさがあるからなんですよ。アメリカ人からしたら、日本人のラッパーが「おいっす」(握手のジェスチャーをする)とか、こうやったりする(会釈のジェスチャーをする)だけでも、「おっ、なんだよ」みたいな目で見てきたりする。「あ、お辞儀した」みたいな驚きなのか、「かっけーじゃん」って感じなのかはわからないけど、まあ、そういう挨拶が日本人とアメリカ人の間で自然にできる世代もいるしね。それはそれでよくて、俺は「仲間入れろ、コノヤロー」って感じだね。
■ほお。
漢:たとえば、こう、ZEEBRAというラッパーやDABOってラッパー、RYUZOってラッパー、いろんなラッパーがしゃべったりしているのを見ていても、日本人だったら、そこからいろんなものが読み取れるでしょ。そのしゃべり方や、どこに敬語でどこには敬語じゃないとか、そういうことから。その背景を分析できて、ちゃんと説明できるヤツがいたら、だいぶおもしろいよね。俺は彼らのことをもうとっくにリスペクトしていて、みんなどんどん仲良くなっていいんじゃないですか。
■かつてはDABO氏とのビーフもありましたし、いろんなビーフを経て、いまそういう考え方に至ったということなのかなと。長い間〈ライブラ〉とともに活動してきて、一昨年に〈鎖グループ〉を立ち上げる経緯についても教えてもらえますか。
漢:ヒップホップのクルーでメシを食う、日本のなかで音楽でメシを食うっていうのは、だいぶ難しいんですよ。日本では、「おまえ、ヒップホップのラッパーでメシ食うだぁ? ふざけんな!」っていうのが普通の、一般的な感覚じゃないですか。けっきょく、武器になるのはソロなんですよ。やっぱりみんながソロを出せるようになっていかなきゃいけない。最初に話したとおり、MSCと〈ライブラ〉が合体したのは、隣町の先輩、要は日本ルールの先輩で、協力できると思える先輩がはじめてできたんですよ。俺もべつにそういう関係は嫌いじゃないですから。そういった仲ですし、契約書もなくて、最初は純粋な気持ちで楽しくスタートしたんですよ。べつに会社の役員とかになったわけではないんですけど、重役として会議にも参加して、自分の意見もけっこう通っていたんですね。
■2005年からスタートするフリースタイル・バトルの大会の〈UMB〉の発案者も漢さんだったんですか。
漢:〈UMB〉はもともと、その前にあった〈お黙りラップ道場〉っていうイヴェントが原形なんですよ。当時〈ライブラ〉にいたA&RのMUSSOっていう中学の同級生のヤツが、イヴェントで自分の力を試すためにやってみるって話からはじまっている。「ラップ・バトルやろうぜ!」って。俺もラップ・バトルで優勝していたし、俺もアイディアを出して、気持ちとしても〈B-BOY PARK〉には出たくないってヤツらが集まるかなって考えていたね。
■2002年の〈B-BOY PARK〉のMCバトルでMC漢が優勝したことが、日本のフリースタイル・カルチャーの大きな転換点ではありますよね。その流れで〈UMB〉が立ち上がるわけですよね。
漢:そうそう。そのあたりで、日本でもルールのあるバトルが本格的にはじまった。で、〈UMB〉のDVD作ったり、ソロ・アルバム『導 ~みちしるべ~』(2005年)やMSCの『新宿STREET LIFE』(2006年)が出たりして、俺ひとりだったら、最初の1、2年は、まあお金はもらっていましたね、それなりに。
■そうですか。
漢:でも、俺らの仲間がどれだけのギャランティをもらっているのかという話はしていなかったんですよ。ただひとつ言えるのは、ストリート・ハスリングみたいな感じでやっていようが、ラップの金でやっていようが、組織やグループだったら、ある程度のところまでみんなが潤わないと、誰かが犠牲になることになる。そのあたりで、俺の理想と違うなあっていうところも出てきたわけですね。不安な部分もあるなと。余裕がないなら、まあまあ、俺が犠牲になってもいいよ、じゃあ、そこは、という気持ちもあったけど、身近な人間に抱きたくもない感情が増えてきたり、そういう人間社会現象が起きてきちゃうわけですよ。ドーナツ化現象の内側のドーナツ部分の壁みたいな感じの狭いところでループするようになっていきましてね。
■ドーナツ化現象の内側のドーナツ部分の壁?
漢:ドーナツ化現象の内側のドーナツ部分の壁みたいなところですから、そこにいる人たちは外部の人間ではない。でも、その短い距離で人が離れていく。そうなっちゃうと、俺のなかではヒップホップじゃない。俺の一言にたとえ騙されてでも、それが100%だったら成功するルールじゃなくなってきた。主婦的行動の井戸端会議で極端な憶測も飛び交うようになってしまって、ブルい過ぎてしまうぞ、エヴリデイ、みたいな現象が起きてきたわけです。
■どういうことですか?
漢:まあ、やっぱり人間が増えると、社会になりやすいですよ、日本ってね。身内でえげつねえ、みたいな現象が起きてくるようになるんですよ。「なんで、この短い距離でそのことを確認すんだよ」ってなってくる。そういうところから、僕がいまインターネット・サーフィンに乗せているインタヴューの旅がはじまっているんです。
[[SplitPage]]組織やグループだったら、ある程度のところまでみんなが潤わないと、誰かが犠牲になることになる。そのあたりで、俺の理想と違うなあっていうところも出てきたわけですね。不安な部分もあるなと。
■つまり、そういう背景があって、〈鎖グループ〉を立ち上げようと動きはじめると。
漢:そう。ヒップホップだけで食っていくためにはいろんなところを改善したり、ルールを作らないといけないなと考えるようになったんですよ。独立して、自分のやり方や力を試して、なるべく日本の音楽でアーティストにお金が入るシステムって作れないかと考えた。そのためには、プレイヤーがやるレーベルじゃなきゃ意味がねぇなって考えたわけです。だから、早く〈鎖グループ〉を立ち上げて、軌道に乗せたかったんですけど、俺が独立するとなると、今度は不安がる人たちが増えちゃったんですよ、なぜか。
■うーん。
漢:俺は、友だちとか先輩と言うのであれば、自分から問いかけてこないかぎりは信じないスタイルなんですよ。でもそうなると、今度は、「ナメられている」と勘違いしちゃう人も出てくるんですよ。いい歳をして使う言葉じゃないと思うんですけどね、「ナメられている」というのは。
■MSCの結束力も揺らいだ?
漢:結束力の前に、そこが崩れることはまずないんです。MSのヘッズのオリジナル・メンバーに関しては、俺が身内社会でなにを言われていようが、風評があろうが、「いや、あいつは最初からそうだから大丈夫でしょ」という感覚なんです。お互いたしかめることもしない。我々は小さいながらも、いろんな形のヤマを乗り越えてきたメンバーだから、そこは大丈夫なんですよ。だけど、それ以上の人間の人数が関わっているので、その影響もある。たとえば、警察だったり、黒い世界の人たちだったり、井戸端会議の勝手な憶測で、そういう名前が浮上して、ぜんぶが俺のせいになるのであれば、俺は離れた方がいいじゃないですか。そういう話になったんですよ、〈ライブラ〉で。だから、まあ俺にも氷河期っていうのがあるんですよ。
■氷河期なんてあったんですか!?
漢:ありますよ、ビックリすることに。簡単に言ったら、〈鎖グループ〉を立ち上げて、まずCDを一枚出して、出せなかった曲も出した。で、そのときに俺が予想していた一年から一年半よりももっと早く、半年という期間で〈鎖グループ〉の当時のメンバーとかアーティストたちはいちど散った感じですよね。散ったとしても戻ってくるんだろうなっていうのはわかっていますけど、いまの〈鎖グループ〉は、MASTERとDJ 琥珀と自分の3人がメンバーなんです。俺の氷河期のころのちょっと聞いたことがないおもしろい話をひとつしようか。いまはカタカタ(キーボードをタイプするしぐさ)の時代でしょ。
■それ、インターネットのことですか?
漢:はい。駐車場を〈鎖グループ〉の会社名義で借りようとしたら、審査に落ちましたよ。駐車場の審査に落ちるなんて話は、俺はいっさい聞いたことがありませんよ、知り合いの不動産屋に聞いても。銀行系もギリでしたね。
■えぇぇ。
漢:はい、ギリでした。そういう氷河期のときに、なるべく俺に暖房をあててくれたのがMASTERだったり、DJ琥珀がすげぇ優しくケツを叩いてくれたり、このふたりがいたから、〈鎖グループ〉は氷河期を越えることができましたよ。その当時、D.Oの曲がグッサリ刺さっちゃって。
■どの曲ですか?
漢:「みんな俺に大丈夫か? って訊くが/みんなは逆に大丈夫か?」(“I'm Back”のD.Oのラップの真似をしながら)ってリリックに、「うわーっ」ってなっちゃって。
(会場大爆笑)
■アハハハハハッ。
漢:まさに俺に「大丈夫か?」って訊いてくる「おめぇが大丈夫か?」って話だったんですよ、当時は。それを俺に言わせんなよって。だから、俺もひとりずつメンバーを呼んで、「俺は〈鎖グループ〉をやるから」と宣言したんですよ。
いち早く、若いうちにがっつりメイクできるのが、ヒップホップのひとつのドリームじゃないですか。そっから失敗しようが、成功しようが、そういう夢があるのがヒップホップだから。
■こういう言い方も陳腐かもしれませんが、一世一代の勝負だったと。
漢:お笑いの世界とかをバカにしているわけじゃないけど、日本ルールで「30になってから売れる」とか「男は30から」とか、そういうのはヒップホップじゃないと俺は思っている。いち早く、若いうちにがっつりメイクできるのが、ヒップホップのひとつのドリームじゃないですか。そっから失敗しようが、成功しようが、そういう夢があるのがヒップホップだから。音楽を作って出して、もらえるもんはもらう、それで、見る夢は見る。そうじゃないと、モチヴェーションがなくなっちゃうでしょ。だから、〈鎖グループ〉を立ち上げたんです。俺もこれまで吐いたツバは多少、三口、四口飲んだことはラップやっているからあるかもしれないけど、たとえば、夏だからって、吐いたツバをキンキンに冷やしたジョッキでガブ飲みするようなことはしませんよ。
■アハハハハ。
漢:そんな吐き気がするようなことはしないし、したくない。ただ、さすがに氷河期のころは、そこまであからさまにガブ飲みするような現象が起きるのかもしれないってところまで行った。だけど、もう氷河期を越えることができました。
■最後に、今後のMC漢と〈鎖グループ〉の野望について訊かせてください。
漢:お互いがちょっとでも理にかなっていたり、おもしろい曲ができたり、意外とこういう人らがつながって、こういう曲になるんだとか、いまの日本で物足んなかったヒップホップやスタイルを提示していきたいと思っているね。さっきも言ったけど、「縦でもない横でもない斜め社会」で、タテノリ、ヨコノリよりも、35歳でいまだにワルノリで、ブリブリになれればいいなって感じですよ。俺の場合はやっぱりヒップホップだから、正式契約書にサインして、その場で楽曲を発表する契約公開を次はやりたいと考えていますね。宇川さん次第ですけど、できればドミューンで第2回めの放送もやらせてもらいたいなと。〈鎖グループ〉で俺がやろうとしているヒップホップ・ドリームは実現できると思っているんで。そうしたら、もっと威張りクサリますよ。
■2014年6月4日(水)
19:00~21:00 「BLACK SWAN presents THE SHO a.k.a. 佐藤将~ある日本語ラップ狂の唄~」
出演:DARTHREIDER(BLACK SWAN)、TONY BOY、黒鳥 司会:二木信
21:00~24:00 「9SARI OFFICE presents 鎖グループ&BLACK SWAN公開記者会見&SPECIAL LIVE!!!」
出演:MC漢(鎖グループ)、DARTHREIDER(BLACK SWAN)、MASTER(鎖グループ)、鎖グループ&BLACK SWAN契約アーティスト8、9組 司会:二木信
DJ:琥珀(鎖グループ)、KOPERO(BROTHER'S MACHINEGUN FUNK) & MORE!!!
DOMMUNE前回放送で話題が爆裂したMC漢率いる鎖グループ。社内別LABEL 〈BLACK SWAN〉の代表にDARTHREIDERを向かえ、新体制でついに始動! 前半は、〈BLACK SWAN〉前代表、故佐藤将氏の功績を辿る、佐藤将追悼特集「THE SHO a.k.a. 佐藤将~ある日本語ラップ狂の唄~」。後半は、公開記者会見を放送しレーベル構想を一気に語りまくります。メディアを呼び込み、それぞれが報道する新しい情報発信の形を提示します。所属アーティストとの公開契約、アーティストライヴ、質疑応答など内容は盛りだくさん。さらに、MC漢による爆弾発言のコーナーも……? 何が起こるのか……。間違いなく想定外な2時間! 今年、もっとも見逃し厳禁なHIPHOP放送!








1995年にオーストリアの電子音響レーベル、〈ミゴ〉から12インチ「インストゥルメント」でデビュー。ギターをコンピューターで加工し、再/脱構築した綿密なスタジオ・ワークで注目を集める。1997年のデビュー・アルバム『ホテル・パラレル(Hotel Paral.lel)』(ミゴ)以降も順調にリリースを重ね、2001年のサード・アルバム『エンドレス・サマー』(MEGO)は、ジム・オルークの〈モイカイ〉からのシングル「プレイズ」(99年)をさらに発展させたサウンドで各方面から絶賛された。コンピューターで加工したアコースティック・ギターの音色と、温もりのあるグリッチ・ノイズを絶妙のバランスで編集/ブレンドして叙情感溢れるサウンドスケープを完成させている。ほかにデヴィッド・シルヴィアンとの仕事のほか、ジム・オルーク、ピタことピーター・レーバーグとのトリオ、フェノバーグや、キース・ロウのエレクトロアコースティック・プロジェクト、MIMEOへの参加などのコラボレーションなども評価されている。今年2014年、新作『ベーチュ』を〈エディションズ・メゴ〉からリリースした。
たくさんのことが変わった、が、まだ法律は変わっていない。多くのメディアでも大々的に報じられた〈NOON〉裁判の無罪判決には、僕はひとまずほっとしたというところだ。でないと先には進めないだろう。ひとつはっきりと言えるのは、風営法にただ中指を立てる時期はもう終わったということだ。ダンス文化推進議連による風営法改正案は今月中に国会に提出されるということだが、ここからは地道かつアクチュアルな展開が求められてくるだろう。「法律に詳しいひとたちがすることだから……」ではなく、ともに考えることを僕たちは経験してきたはずで、いまこそその続きが求められている。それに昨年末の紙『ele-king』における座談会でもまさに議題となったが、法律が改正されたからといってクラブ・カルチャーが絶対に盛り上がる保証なんてない。しかし、だからこそ新しいアイデアのチャンスだし、そこで楽しめることもあるはずである。

