Home > Columns > Opinions > Summer of Hate in Osaka- 大阪の夜にはダンスがない
大阪で20年以上生活してきたが、この数年で街がもっとも大きく変わったように感じる。ついこのあいだまで、都市部のどこに行っても工事中の箇所ばかりで迷路のように入り組んで歩きにくいことこの上なかったのだが、気がつけば新しいデパートやショッピングモールが次々に完成していた。小奇麗に整備された(しかしまだ工事中の場所も多く、これからも改装が続けられるのだろう)JRの大阪駅の周辺は、いまでは「OSAKA STATION CITY」と呼ぶらしい。
大阪でクラブの摘発が大々的にはじまったのは、「歩きにくい」と感じていた最中の2010年の末のことだ。西心斎橋の繁華街、通称アメリカ村のクラブが摘発されたことを報じる新聞にはお決まりの騒音や犯罪、ドラッグの問題(単にイメージでしかないものも当然あるだろう)が取り沙汰されていたが、摘発の理由はそのどれでもなく風営法違反であった。はじめの摘発はまさにイヴェントの最中におこなわれ、見せしめのようにしか感じられなかったのが僕としては率直なところだ。
風俗営業許可において、「客にダンスさせる行為」は3号もしくは4号の営業許可が必要となるが、いずれもダンスフロア面積が66m2以上必要であり(つまり小箱のクラブはこの時点で許可が取れない)、また、これを取得すると24時までの営業となる。そうではなく、バーや居酒屋のように深夜営業の許可を取ると、今度は深夜にダンスをさせるという営業行為ができなくなってしまう。いずれにしても、深夜のクラブ営業......24時以降酒を販売してダンスさせることは法律上規制されることとなってしまう。現行のクラブ・カルチャーと噛み合っていないのは明白だが、事実として法が改正されていない以上、深夜に酒を出して客を踊らせているクラブはいつ摘発されてもおかしくない、ということがその時点で改めて示されたのであった。実際、その摘発をきっかけに次々とクラブが警察に摘発されたり、厳重注意されたりすることが続いた。
以来、大阪では深夜営業を自粛するクラブが相次ぎ、さらには自主的に営業を中止する店も現れた。当然クラブ・イヴェント自体が減り、大物のDJが海外から来日しても24時でクローズせざるを得なくなり、大阪のクラブ・カルチャーは瀕死も同然となった......。それでも、大阪のDJたちやオーガナイザーたちは涙ぐましくも法に抵触しないように夕方から日付が変わる前ぐらいに終わるイヴェントを地道に続けていたし、さらにはそれまでのクラブ営業の問題点(治安や騒音、ゴミなど)を反省し、より地域と共存できる営業をするべきだという意見も多く挙がっていた。「法改正はすぐに実現しなくても、現行でできることもある」、と。今年のはじめ友人のDJが(もちろん夕方に)開催しているイヴェントに足を運び、ダンス・ミュージックのイヴェントをこの状況下で開いている彼の努力を讃えると、彼は「まあ細々とやるしかないよなあ」と言いつつ、若い世代がやっているエレクトロニック・ミュージックのイヴェントが面白いことを教えてくれた。こんな街でもまだダンス・ミュージックは鳴っているのだとそのときは感じたのだが......NOONの摘発が起こったのはその矢先だった。
今年の4月5日、老舗のクラブ/カフェであるNOONが21時50分ごろに「客を踊らせていた」事実で警察が押し入り、摘発された。この日のイヴェントは23時過ぎに終わる予定であり、深夜帯でないにもかかわらず、だ。釈然としないが、「より厳密に風営法を摘要した」結果だというのが警察の言い分だそうだ。こうなってくると、もはや営業形態の問題の範疇を超えているように思われてくる。現在のクラブを片っ端から公権力が潰そうとしているように感じられても仕方ないのではないか......。
「公共圏」がテーマであった紙ele-king5号のミタイタルトライアングルにおいて、三田格が言うように「特殊なところから一般的なところに応用範囲が広がっていくのは目に見えている」こと、まさにそれが起きている。しかしなぜ、そうまでしてクラブを取り締まらなければならないのか? その背景には、クラブが薬物や犯罪の温床であるというような短絡的なイメージの蔓延や、大阪でのここ数年の政治体制の変化や、都市部の再開発など、さまざまな要素が複雑に絡み合っていることだろう。その不透明な不気味さのなか、大阪の夜からはダンス・ミュージックは鳴り止んでしまった。東京や福岡でのクラブ摘発のニュースも記憶に新しいが、いつどこで、大阪で起こったことがはじまってもおかしくはない。そのDJの友人がイヴェントをやっていたクラブが閉店するという話をその後耳にしたが、悔しさはあってももはや驚きはなかった。LCDサウンドシステムがかつて歌ったことを自分の街で経験するとは思っていなかった。が、いまはまさに、大阪は俺を落ち込ませる......そんな気分だ。
それにしてもあらためて思い知らされて愕然とするのは、クラブ・カルチャーがこの国では文化としてきちんと認められていないという事実だ。経済とは別のところにある価値観は簡単に無視されてしまう。
個人的なことを書くと、僕自身も大阪のクラブで踊った経験は何度もある。たしかにケンカや酷い酔っ払いを目撃して嫌な思いをしたこともあるが、それ以上にたくさんの音楽やひととの出会いがあった。なかでも最高だったのは、20歳のときに観たオウテカのライヴで、フロントはなんとLFOという豪華さだった。オウテカが登場すると照明はすべて落とされ、真っ暗闇のなか、ビートと金属音が入り乱れ、カオティックに狂ったファンクネスに身体を無理矢理動かされた。そこには本当に純粋に音しかなかった。もちろんあんな強烈な体験は、いまの大阪では絶対にできない。
ただ、オウテカの名前を出したのは昔を懐かしむためではなくて、彼らがかつてクリミナル・ジャスティスが禁じた「反復的ビート」に対抗して「アンチEP」を出したことに何かしらのヒントがあるのではないかと思うからだ。「俺たちの音に反復的ビートはない」という皮肉めいた反抗心の根底にはもちろん、明確な意思表示がある(※)。
もういちど大阪の夜のフロアで踊るために、わたしたちにできることはあるだろうか? この気味の悪い夜の静けさの背後にある状況について、関係者や詳しい方々に話を聞きつつ、引き続き考えていきたいと思っている。
(参照:風俗営業許可申請ネットワーク http://www.e-fuei.net/102.html)
(※)「反復するビート(Repetitive Beats)」を禁止する法律、クリミナル・ジャスティスに対して、オウテカが『アンチEP』になら、アンドリュー・ウェザオールはRetribution (仕返し)という名義で、堂々と「Repetitive Beats」という題名のシングルを発表した。ドラム・クラブが"キル・ザ・ビル・ミックス"、プライマル・スクリームが"ノー・ユア・ライツ・ミックス"、ウェザオールは"ウェイストランド・イングランド・ミックス(不毛の英国ミックス)"などを手がけている。