Home > Columns > Opinions > Ripping & Download- リッピング違法化と違法ダウンロード刑罰化の行く末は?
衆議院と参議院で相次いで著作権法の改正案が可決された。この法案には「DVDのリッピング違法化」と「違法ダウンロード刑罰化」が盛り込まれ、早々とこの10月1日から施行される。ドイツや韓国でも同様な法案は可決されたけれど、違法ダウンロードに2年以下の懲役が科されたのは日本だけ(もしくは200万円以下の罰金)。リッピングには罰則規定がなく、ツタヤのようなレンタル店がレジの横にDVDーRを積み上げていても犯罪教唆になるかどうかはわからない。なお、ドイツでは1日に30万件の訴訟が増えて収拾がつかなくなったため、すでに法案を改正したとかしないとか。韓国ではダウンロードを違法にしたら、音楽産業が35%も業績を伸ばしたというけれど、その要因は単純に韓国の音楽が面白くなったからではないのだろうか?(『ニューズ・ウィーク』6月13日号の特集「息切れクール・ジャパン」によれば、音楽だけでなく、かつて日本のTVドラマが持っていたシェアもほとんど韓流に奪われたという)。
この法案は、簡単にいえば「所有」を制限しようという法律である。一方で、クラウド化を進めるインターネット文化は「所有」からの自由を謳いにしているわけで、コンピュータ文化が進むべき道程のようなものがあるとしたら、法律に鞭を振るわれなくてもリッピングやダウンロードが時代遅れになっていく傾向があることは否めない。これまでの「CDとか本とか溜め込んでないで、データで持ってればいいじゃん」から「データなんかストックするなよ、PCは空の方がよくね?」という未来からの囁き。それこそiTunesは早々に廃れるといわれ、ハード・ディスクを積み上げたり、USBを落としてデータがトンだというようなことも懐かしい思い出になっていくのかもしれない。これからは接続だけが人生。何も持たないことは素晴らしい。とくに日本のような狭い国土では......。
逆にいえば、接続を制限するだけで、「権力者」はその対象者を牢獄に放り込んだと同じ状態にできるともいえる。銀行に全財産を預けている人が自由に引き出せない状態。好きになった人はみな結婚していて、UFOキャッチャーで何も取れなかったので行きつけの呑み屋に行ったら、その日が定休日で、販売機で缶ビールを買おうと思ったら札しかなくてつり銭切れ、おまけに芸能人が浮気をしている現場を見たのに写メが壊れていて、家に帰ったら鍵がなくなっていたときの気分に近い。データをまとめて預けておくシステムはどことなくヤマギシ会を思わせながら、私有財産が否定されているわけではないし、そもそもリッピングしたって観やしないし、ダウンロードもしただけでそのままという人は多いのでは? 違法ではないけれど、僕もアイコニカがサウンドクラウドにアップしていたDJミックスを保存したまますっかり忘れていたら、もう、今年の分が上がっていた(あちゃー)。ナッティマリなんて1日じゃとても全部は聴き切れないし、パレ・シャンブルグの未発表曲が出たかと思えば、いまだにレニゲイドサウンドウェイヴは過去の曲の別ヴァージョンをせっせとアップしやがる。『ツイン・ピークス』なんて5時間もあるし......(http://www.youtube.com/watch?v=2sOXr0kDsYk)。
そう、違法の前に合法だけでも聴き切れないのが実情で、仮にそのせいでCDが売れないとしたら(つーか、10月1日以降にはっきりするわけですが)、次は合法を取り締まるしかないですよ。名もない新人が宣伝目的で音をアップしたら2年以下の懲役か200万円以下の罰金。そもそも新人の数が多すぎるから1年にデビューできる人数を国ごとに制限して勝手にデビューしたら2年以下の懲役か200万円以下の罰金、大御所の引退は政府あげて奨励し、散々待たせて良い曲がつくれなかったミュージシャンは2年以下の懲役か200万円以下の罰金。アノニマスとか2年以下の懲役か200万円以下の罰金で、チン↑ポムとかドミューンも2年以下の懲役か200万円以下の罰金!
まー、なんというか、「所有」からの自由は、社会と「有料」でつながっている人たちにとっては快適な場所になっていくのかもしれないけれど、社会と切り離される可能性があるデンジャラスな人たちにはディストピアでしかなくなるだけで、それまでお咎めなしだった博打打ちが明治時代のある日を境に犯罪者として扱われるようになったことと同じといえば同じ。それで博打打ちが消えたわけではないし、犯罪者を増やすことにどんな意味があったのかもわからない。もしくは最初からそうだったのかどうかはともかく「共有」することがインターネット文化の目的だったとしたら、やはりインターネットのなかに「有料」と「無料」のラインを引くから面倒くさいことになるので、「有料」を是とするものはディジタル文化から後退し、現在のアメリカン・アンダーグラウンドのように新しい音源はカセットやアナログで販売して、1年後だろうが10年後だろうが、売る気がなくなったらデータ化したものをインターネットに捨てるようにすれば、インターネットを開発した意味もあるとか思っちゃったりするんだけど。映画も映画館やVHSで。そもそもディジタルにしてくれと言った覚えはないし、なんというか、1999年にナップスターが現れた時から一歩も先には進んでない気がするのは僕だけだろうか。それって、つまり、インターネット文化を使いこなしていないということですよね。それもまた人間らしいのかもしれないけれど。