「S」と一致するもの

O.K?Tropical Ghetto HP
https://www.tropicalghetto.com/

PICK UP DJ スケジュール
・4/28 (月) 東京都 “”Second MORE of LOVE “” at 下北沢 more
・5/3 (土) 神奈川県 ””PRINS THOMAS III ALBUM RELEASE PARTY-man II man-”” at 江の島OPPA-LA
・5/1 (木) 東京都””光る夜”” at 新宿 open
・5/24 (土) 沖縄県 “”O.K?Tropical Ghetto feat. クボタタケシ”” at 熱血社交場 a.k.a NEKKE 2
・5/30(金) & 5/31(土) タイ “”GIANT SWING 4th anniversary party”” atバンコク
・6/7 (土) 神奈川県””Apache”” at江の島OPPA-LA w/KZA (Force Of Nature) / A-THUG / stickey

JAPANESE 7inch Records


1
坪山 豊 - ワイド節 - 奄美民謡ンナルフォンレコード

1
Yasu-Pacino - Spy vs Spy Remix - HONEY RECORD

1
KEN2-D SPECIAL - I Fought The Law (Re:DUB) - Reality Bites Recordings

1
田我流 feat. Big Ben - 墓場のDigger - 桃源響RECORDS

1
坂本慎太郎 - Wine Glass Women - zelonerecords/republic records

1
RC Succession - Love Me Tender (非売品) - Eastworld

1
50 (5lack × Olive Oil) - 早朝の戦士 (A Lata Mete Ill Remix) - 高田音楽制作事務所 × Oilworks Rec.

1
Popo Johny - キーストーン - Akazuchi Rec × SMR Records

1
Boogie Man - Step Up - カエルスタジオ JPN

1
Karamushi & Friends - Asia Unite - Fantastic Karamuseed

1
水前寺清子 - 三百六十五歩のマーチ - CROWN

Millie & Andrea - ele-king

 1(800)999-9999は、ホームレス、自殺、家出、虐待など、アメリカで、緊急時に対応するフリーダイヤルの電話番号だ。ふたりの老人が座るバス停には、そして次のように書かれている。「何故なら、路上の生活とは行き止まりである(その先に人生はない)」
 先のない人生──この暗示的かつリアルな言葉、バスを待つふたりの老人──この暗示的かつリアルな場面は、見事にミリー&アンドレアのデビュー・アルバムの音楽に意味を与えている。無理もない、事態の深刻さは日本でも同じ。僕は、日本でロック・バンドをやっている連中の一部がよく口にする「ジジイ/ババア」という言葉を笑って言えるほど良い社会を生きていない。身内に高齢者がいる人にはよくわかる話だ。人生をデッドエンドにしているのは特定の世代ではないのだ。

 マイルス・ウィッテカー(デムダイク・ステア)とアンドレア(アンディ・ストット)のコンビは、しかし、この見事なアートワークに反して、「先」を探索している。

 『ドロップ・ザ・ヴォウルズ』は、純然たる新作というわけではない。既発の曲がふたつほど混じっている。ミリー&アンドレアは、Discogsを見ると2008年にはじまっている。マイルス・ウィテカーに紙エレキングが取材したのは2012年の初頭だったが、そのとき彼は、「自分たちの音楽はたぶん他の誰よりも正直なだけだ」と言った。
 また、彼は紙エレキングにおいて、自分のフェイヴァリット10枚の最初にナズの『イルマティック』を挙げている。
 あるいは、アンディ・ストットの来日時のライヴを思い出してもらってもいい。あのときもジャングル/レイヴ・ミュージックへと展開したものだが……

 昨年の、ミニマリズムをダーク・アンビエント的に咀嚼したマイルス・ウィテカーのソロ『Faint Hearted』(https://www.ele-king.net/review/album/003212/)もユニークな作品だったが、コンセプトとして「追い詰められた我らの時代を描く」ということを言えるなら──ウィテカーが言うところの正直な表現という意味において──、昨年のザ・ストレンジャー(ザ・ケアテイカー、ウィテカーが尊敬するひとり)のアルバムの世界観にも近く、しかもジャングル・リヴァイヴァル/ハウス・リヴァイヴァルと「リヴァイヴァル」続きの現代にあって、アントールドのアルバムと同様に、『ドロップ・ザ・ヴォウルズ』には、結局は後戻りできないという感じも良く出ている。
 まあ、アートワークの良さもたしかに大きい。『ラグジュアリー・プロブレムス』もあの写真でなかったら……と自分の耳を疑いたくなるほど、〈モダン・ラヴ〉はうまいことをやっている。また、本人たちは「正直……」と言うものの、ベタな日本人からすると、いかにも英国風のアイロニーも効いていて、アルバムには“Stay Ugly”すなわち「醜くくいつづけよ」などという曲がある。「stayなんたら」はひとつのモットーでありクリシェだが、スマートなのものは信じるなとでも言いたげな逆説的な曲名である。

 実際、これはスマートなジャングルではない。単純明快なグルーヴではないし、目から血を流している少女でもない。折衷的で、無残にも圧縮機で潰されたごときジャングルに喩えられる。“Temper Tantrum”(オリジナルは2009年)のようにレイヴ・ミュージックとして機能すしやすい曲もあるが、気持ちに突き刺さるのは“Stay Ugly”のような、奇妙極まりない曲だ。

 それでも、誰もがこのアルバムに秘められた享楽性を否定できないだろう。ミニマル・テクノ調の“Spectral Source”からはアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックとしての楽しみの感覚が滲み出ている。ジュークめいたエレクトロ・スタイルの“Corrosive(腐食)”は、僕にはドレクシアへのオマージュにも聴こえる。近年のブリアルの支離滅裂さからすれば、ずいぶんと聴きやすい。
 ジャングルの新解釈(ニュー・スクール)とテクノとの結合という観点では、マンチェスターのアコード(Akkord)とも重なるところはあるのかもしれない。ジャングルというスタイルには、アンダーグラウンド・ミュージックが良かった時代の記憶があるばかりではなく、音楽的にもまだ開拓する余地があり、横断的に、そしていろんなアプローチを取り入れることができるのだ。
 とはいえ、ひとつの曲のなかの階層は、こちらがより深い。タイトル曲の“Drop The Vowels”は、装飾性のない、パーカッシヴなブレイクビートと低く暗い音響との掛け合いだ。マイルスの、デムダイク・ステアにおけるダーク・アンビエント/ドローンの実験と、そしてアンディ・ストットのダンス・ビートとが刺激的な一体化を見せている。
 つまり、全8曲というのは物足りないようにも感じるが、幸いなことに、事態の深刻さによって身動きが取れないほど圧せられているわけではないようだ。このアルバムには動きの感覚、リズムがある。いたずらに微笑みはしないだけだ、正直な表現として。

Pure X - ele-king

 リアル・エステイトのマーティン・コートニーはいつのまにかジョージ・ハリスンのようなひげをたくわえ、先日のインタヴューでそのあたりをぼかしつつ訊ねると、「ジョージ・ハリスンのコスプレだよ(笑)」との答えが返ってきた。むろんのこと、レイドバックした音は同時代への批評とともにある。ふるいものが純粋に新鮮だったり、そのなかの普遍的な魅力に打たれる体験もふくめて、それは必ず、どこかで時代や社会と接続する回路をもっているものだ。
 だから、たとえばピッチフォーク誌のように、ピュア・Xの3枚めとなるフル・アルバム『エンジェル』について、「そのエスケーピズムや、現実との葛藤を拒否するような部分について批判するのはたやすい」と言うことこそたやすい。むしろそのエスケーピズムが社会や「現実」というものにすっかりと包摂されてしまっていることを音楽(=アート)は許容するべきかどうか、というところが重要で、そこまで踏み込まないとポスト・チルウェイヴは実りを生まない。筆者は、リスクなく、いい感じに社会とベタオリする逃避感覚が、それでも清潔な情感をもって鳴らされていたことがチルウェイヴのおもしろみであり、リアリティであったと認識している。さて、その種子たちはその後の時間をどのように生きているのか。
 マック・デマルコは(チルウェイヴの嫡流だと言うつもりはないが)、そのうちほんとうに社会や現実から離り、いわゆるアウトサイダー・アート的な領域をゆくことになるのかと思っていたが、新作『サラダ・デイズ』においては音楽的な一種の充実とともに、強烈な弧を描いて「現実」側に戻ってきた。これに近い感触はリアル・エステイトにもある。プレイヤビリティと洗練──マシュー・モンデナイルのギターが後景に退き、ドラムを正式に迎え、セッションとメンバー個々のたしかなプレイヤビリティが各楽曲を支え、アレンジやプロダクションにも洗練が加えられた──は、彼らの今作の特徴であり、リアリティだ。この種の洗練はえてしてとても地味な外見をしているが、中身は豊かで、年代を耐えていける充実がある。だが、彼らのその地に足のついた上質なソフト・サイケは、『リアル・エステイト』(2009年)の浮遊感やエクスペリメンタリズムを経て手にされたものであり、逃避的なモチーフと対立するものではない。逆に、社会の中に築いた逃げ場を守るべくして得られた洗練だというふうに思えてくる。デマルコの洗練も同様に、ただそれがトレンドだから、それがミュージシャンとしての成長だから、ということ以上に、鋭く研ぎ澄まされたエスケーピズムを感じさせる。光学迷彩のように、完璧に姿を隠してしまうのではない。そこに見えながら、どこまで逃避を容認してもらうのか、そのためのひとつのソフィスティケイトされたマナーが彼らにはあり、時代は『ライフ・オブ・レジャー』(ウォッシュト・アウト、2008年)から進んだのだとあらためて思う。

 さて、この点、ピュア・Xはどうか。オースティンのインディ・ロック・バンド、ピュア・X。2011年にリリースされた最初のフル・アルバム『プレジャー』は、ジョイ・ディヴィジョンやポストパンクの埋もれた名盤というようなたたずまいのジャケットにつつまれ、ジーザス&メリーチェインと比較され、現代のウォール・オブ・サウンドと評される深くウォーミーな残響を生み、リアル・エステイトやウッズらと地つづきのシーンで愛されていた。スリープ∞オーヴァーのステファニー・フランコッティともいっしょに活動していたりと、2000年代後期のドリーミーなローファイ・バンドたちの盛り上がりのただなかで輝いていたバンドのひとつである。
 あの当時のどろりとまどろむようなリヴァーブ感や歪んだギター・サウンドは、今作ではあまり聴こえてこない。果てもきりもないセッションは、整った輪郭と洒落たアレンジを持った楽曲にとってかわられた。“リヴィン・ザ・ドリーム”などのタイトでシックなドラミングは、「ドリーム」を生きることが、陽炎のように立つ残響のなかで過ごすイメージではなくなったことを告げている。海とハートが溶け出すジャケットのアートワークは、サマー・オブ・ラヴへの皮肉でも思慕でもあるだろうが、このアルバムの聴きやすさは、あくまでもそれが社会の内側で鳴る音であること──内側に外を築き、守るための繊細な工夫のひとつであることを感じさせた。とはいえ、その洗練の度合いにおいては、リアル・エステイトらに一歩遅れをとるかもしれない。この方向で生まれてくるであろう、次の音にさらに美しい知恵をみることができるのではないかと期待がふくらむ。

TETSUJI TANAKA - ele-king

日本のD&B/DUBSTEPの総本山/パイオニアイベント我らがdbsで奇跡の共演LEEBANNON x SOURCE DIRECTが実現!!
ニンジャ・チューンから衝撃アルバム「オルタネイト/エンディングス」を放った奇才リー・バノンが急襲!
そして90’s ドラムンベースを急進させたダークの権化。あのレジェンド、ソース・ダイレクトが実に17年振りの来日!!
ジャングル/ドラムンベースが勃発してから20年、時を経て今新たに甦る爆発する漆黒ビーツ!!
LB x SD奇跡の競演を見逃すな!!TETSUJI TANAKAも90’s dnb setでメインフロアのトリとして出演します!!
https://www.dbs-tokyo.com/top.html

<DJ SCHEDULE>
4/19 dbs FT. LEE BANNON & SOURCE DIRECT @UNIT
4/27 TT BD 2014 @ 青山ever
5/4 INTERGALACTIC @ WOMB
5/11 TBA @青山fai
and more...

自身が所属、主宰するelenic productinsがプレオープンしました。
今後のスケジュールやDJ BOOKING、制作などこちらまで。
https://elenic-productions.crossgroove.jp.net/

<RADIO出演>
4月で4年目に突入した日本唯一のドラムンベース専門ラジオ番組"block.fm Localize!!"
毎週水曜日22:30~24:00にてレギュラー・オンエア!!
DRUM & BASS SHOW BY TETSUJI TANAKA & CARDZ
https://block.fm/program/localize/
https://twitter.com/TETSUJI_TANAKA

<リリース情報>
1/27 Bandcamp、2/28 UK iTunesワールドリリースTT & NAVE REMIX収録!

OPUS IIIとして活躍後、世界中のチャートを席巻したTIESTOとの共作「Just Be」やBT、ULRICH SCHNAUSSなど数多くの名曲やクラブアンセムを歌い、手掛けてきたUKを代表するレジェンダリー・シンガーKirsty Hawkshaw主宰のニューレーベルWELLHEAD RECORDSから日本を代表してTT & NAVEがビッグ・リリース!!

TOBIAS ZALDUA / Let It Go with Kirsty Hawkshaw (TT & NAVE Remix)
https://wellheadrecords.bandcamp.com/track/let-it-go-tt-nave
https://soundcloud.com/tobiaszaldua/let-it-go-tt-nave-with-kirsty

TETSUJI TANAKA Dark dnb/jungle set chart


1
ABSOLUTE ZERO & SUBPHONICS / Code / RENEGADE HARDWARE

2
NASTY HABITS / Shadow Boxing (OM UNIT REMIX) / 31 RECORDS

3
SOURCE DIRECT / Snake Style / SOURCE DIRECT RECORDINGS

4
BAD COMPANY /The Nine / BC RECORDINGS

5
ED RUSH & OPTICAL / Funktion / V RECORDINGS

6
RUFIGE KRU /Dark Metal / RAZORS EDGE

7
OM UNIT /Timelines / METALHEADZ

8
FLYTRONIX / Contemporary Accousticz Jam(ORIGIN UNKNOWN REMIX) / MOVING SHADOW

9
GROOVERIDER / Where's Jack The Ripper? / HIGHER GROUND

10
SPECIAL FORCES / Exocet / PHOTEK PRODUCTIONS

Oliver Sperl - ele-king

 なにかにつけてベルグハイン最高と言われると、どうにもケチを付けたくなるものだが、そんな皮肉屋も、しばらくベルリンに住んでいたデザイナーの真壁昂士(日本でもっともぶっ飛んだ雑誌『Erect Magazine』を手がけるデザイナー)の話は耳を傾けるに値する。ベルリンに滞在した数年間、ベルグハインに通い続けたこの男が言うには、「ベルグハインは音の良さばかりが日本で言われているが、実はアートもすごい」とのことで、そのアート(主にフライヤー)を手がけているのが、Oliver Sperlである。
 エッシャーとバンクシーとジェイミー・リードをマルキ・ド・サドがミックスしたような混沌とした世界は、たまらく魅力的である。この機会にベルリンのクラブ・カルチャーに深く関与するアートに触れてみよう。

Oliver Sperl 個展 「raw material」

2014/4/26(土)- 5/2(金)
13:00-20:00
at KATA (東京・恵比寿 LIQUIDROOM 2F)
https://www.kata-gallery.net

闇に差し込む躍動の光は、現代社会を反映し、不条理なフォルムを描き、原始の鼓動と来るべき未来を彷彿とさせる! オリバー・シュピールは、あのベルリンのウルトラフロア=BERGHAINのアートワークも手がける最前衛アーティスト! 彼の眼差しは、URのアイコンを無数に生み出したアブドゥール・カディム・ハックがデトロイトを象徴したように、 現在のベルリンのエクストリーム・ミニマル・ソサエティを表層する批評眼なのだ!!!!!宇川直宏(DOMMUNE)

イラストレーションとコラージュという工具を使い、漆黒の闇の中、地下深くに広がる真っ黒なメルヘン世界をデザインし続けている。そして、それは現代社会を記した絵巻物なのだ河村康輔(ERECT Magazine)


■オープニングレセプション
2014.4.26(Sat)18:00-21:00
入場無料
DJ:
37A (PANTY)
DJ Soybeans
Takashi Makabe
※オープニングレセプションでは、作家が在廊いたします。
作家と共に作品の世界に触れられる機会ですので、どうぞ足をお運びください。


■クロージング・パーティー
「Orange Lounge」
2014.5.2(Fri)19:00-23:30
entrance free *1st drink charge 1,000yen(include music charge)
at Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]

music by
Nobu (FUTURE TERROR/Bitta)
河村康輔
JUBE (BLACK SMOKER RECORDS)

※Orange Lounge詳細は以下より
https://www.timeoutcafe.jp/
news/140502000726.html

::ARTIST PROFILE::
Oliver Sperl https://oliversperl.de

70年代後半 - 幼いOliverの目に焼き付いたのは、ローゼンタール磁器工場に金色のポルシェで通うグラフィック・デザイナーの隣人の姿だった。
この強烈な印象が彼をグラフィック・デザイナーに道へと進ませるきっかけとなった。
ベルリンのLette-Vereinでグラフィック・デザイン、そしてHamburg’s University of Applied Sciencesでイラストレーションを学んだ後、サンディエゴでフリーランス・デザイナーとしてキャリアを積む。
2000年にベルリンに拠点を移し、現在に至る。主なクライアントは音楽レーベルや出版社、ベルリンのテクノ・クラブとして名高いBERGHAINや日刊紙tazなどがある。



When Oliver was a little boy in the late seventies he once saw his neighbour, a graphic designer at the Rosenthal porcelain factory, drove by in a gold-coloured Porsche.
This powerful and lasting impression was the impetus for him to study graphic design at the Lette-Verein Berlin and illustration at Hamburgs University of Applied Sciences- He has also worked as a graphic artist in San Diego, California, and since the year 2000 has been working as a self-employed designer in Berlin.
Among his clients are music and publishing houses, the party temple Berghain, as well as the Berlin-based daily newspaper taz.


 本堂の障子から西日がこぼれ、畳の上に大きな影ができる。すっかり肌寒くなった頃、ステファン・マシュー、テイラー・デュプリー、フェデリコ・デュランド、そしてイルハのふたり、計5人は機材を囲むように座ってドローンをはじめた。音量は小さく、本堂の外の音も耳に入る。僕の隣では、外国人の女性がひたすらメモを取っている。が、しばらくするとメモを置いて、畳の上に身体を仰向けに倒して、目を閉じて聴き入ってしまった。僕と一緒に行った連れ合いも、同じように目を閉じている。いや、寝ている。
 光明寺は、浄土宗の大本山だけあって、広く、その日、200枚以上のチケットが売れたというが、来た人たちは、みんな、窮屈な思いをすることなく、ノビノビと聴けた。本堂の前にはいくつかの出店もあって、そこでは飲み物や食べ物が売られていたので、ちょっとしたフェス……とまではいかないまでも、居やすさ、居心地の良さ、フリーな雰囲気があった。オーディエンスは思うがままに、地ベタに座って飲食も楽しみ、気が向けば本堂に入ってアンビエント・ミュージックに浸った。寺を出ればすぐ目の前は海だし、飽きたら誰かと話せば良い。

 鎌倉駅から徒歩で30分以上、バスで10分ほどの、決してアクセスが良いとは言えないところに、よくもまあ、みんな来るものである。イルハの伊達トモヨシは時代の変化を肌で感じていただろう。ひと昔前ならこうしたイベントは、マニアの集会のようになっていたが、現代では、主に若い世代が集まる身近なものになっているようだ。
 僕は、青山CAYのライヴ──そのときは、イルハ→オピトープ→ステファン・マシュー+テイラー・デュプリーという順番だった──も見ているのだが、音楽体験においてロケーションは重要で、正直、電車を何本も乗り継いで鎌倉まで来た甲斐があった。
 アンビエント・ミュージックは、必ずしも、ゆるくて、のんびりしているものではない。中村としまと秋山徹次のふたりによる緊張感ある即興は、その場にすっかり溶け込んでいた。住職による琵琶による「耳なし芳一」が演奏されたが、それとて違和感なく、その前後に演奏された電子の残響と混じった。
 「音を聴いていると寝てしまったが、鈴の音が近づき、遠のくのもわかるように、寝ていても頭は醒めて、音は耳に入って来た。どこかに連れて行かれたようだったが、すーっとまた戻ってきて、目が覚めたときには新鮮な気持ちだった」と、僕の知り合いのひとりは感想を言ったが、同じような経験を覚えた人は少なくないだろう。初めてアンビエント・ミュージックのライヴに触れた何人かも、それぞれの新鮮な驚きを説明してくれた。
 お昼過ぎにはじまった演奏は、6時過ぎに終わった。バスに乗る頃には、あたりは暗くなって、気温はぐっと下がっていた。次回があるのなら、また来る人は多いだろう。時代のなかで芽生えた、音楽のあらたなる現場。そうだ、今度こそマサやんを誘おう。

Rainbow Disco Club 2014 - ele-king

 4月29日、晴海で開かれる注目の「Rainbow Disco Club 2014」、タイムテーブルが発表されました!
 お昼から夜の8時まで濃いですが、マジック・マウテン・ハイはどちらかと言えばゆったり目の音楽なので、やはりプリンス・トーマスから上がっていく感じでしょうか。
 ムーディーマン2時間~ヘッスル・オーディオ1時間半の後半は、ちょっとすごいですね。
 そういえば、ベンUFOのインタヴューがRAに載ってますが、彼は現在のロンドンのナイスなDJのひとりだと思います。
 あとはどうか、4月29日に雨が降りませんように……と祈るだけです。

Rainbow Disco Club 2014
-TIME TABLE-

[Rainbow Disco Club Stage]

1000 - 1230 Sisi
1230 - 1400 MMH live
1400 - 1630 Prins Thomas
1630 - 1830 Moodymann
1830 - 2000 Hessle Audio

[Red Bull Music Academy Stage]

12:00-14:00 Kez YM
14:00-15:00 Hiroaki OBA live
15:00-17:00 San Soda
17:00-18:00 Kuniyuki live
18:00-20:00 Secret Special Guest

※タイムテーブルは予告なしに変更する場合がございますので予めご了承ください。


Family Fodder - ele-king

 表現手段を追い越した衝動があちこちで胞子をまき散らし、頭にポストをくっつけたパンクがわがままで色とりどりな花を咲かせた時代——1979年にアリグ・フォッダーを中心にUKで結成されたニューウェイヴ・バンド=ファミリー・フォッダー。現在も活動を続ける彼らの入手困難であった作品が、ドイツからフランスに移転した(いつの間に?)新旧おもしろ音楽発掘レーベル〈シュタウブゴールド〉よりリイシューされた。しかもCD盤にはファースト・アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』(1980)、12インチEP『スキゾフレニア・パーティー』(1981)、そして、7インチEP『フィルム・ミュージック』(1981)と『ザ・ビッグ・ディッグ』(1982)がまとめてみっちり収録されていて、初期ファミリー・フォッダーの魅力を余すことなく伝えてくれるから耳からヨダレだ。

 さて、内容のほうはというと、かのナース・ウィズ・ウーンド・リスト(ストレンジ・ミュージックをたしなむものにとっての教科書)に掲載されていたり、ディス・ヒートのチャールズ・ブレンやザ・ワークのミック・ホッブスとリック・ウィルソンが参加していたりと、好きものにとっては文字情報だけでもんどり打ってひっくり返りそうな事態になっている。そして、そのサウンドがまた機知に富みまくりですこぶるぶっ飛んでいるのだから二度びっくりだ。
 基本はキーボードが導入されたポストパンクながら、マルチ・インストゥルメンタリスト、アリグの実験小細工が、ところどころ絶妙に盛りこまれていてとても愉快。シャープでプリミティヴなパーカッション、エフェクティヴなギターに、ヴァイオリンがギ〜コギコ、サックスがブビベボ〜、ハープがシャリラ〜ンと愉悦を与え、高らかにハメを外す男女混成コーラス(チャールズ・ブレンのあの歌声も聞こえるではないか!)に心躍らされる。まるでデルタ5が膝をカックンとされ、レインコーツが猛ダッシュし、ルーダスがサイケに寝返り、エッセンシャル・ロジックがレコメン化したようなこの感覚。そして、感覚といえばファミリー・フォッダーのサウンドの土台をなすのがレゲエ/ダブの要素だ。「これってデヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズ)の仕事ですよ〜」と言われても信じてしまいそうな、でかいベースにぴゅんぴゅん音が舞い飛ぶ空虚で乾いた音響質感は、UK産パンキー・レゲエ好きならいちころ。さらに女性ヴォーカル、ドミニクの英語とフランス語が入り混じった歌と言葉の脱臼も、存在感ありまくりのエスプリ効きまくりでポップでキッチュな微光を発している。

 こんなバンド、いまもなかなか見当たらない。あわや複雑骨折な危なっかしいアレンジ、調子っぱずれな男女コーラス、予測できない突然の爆発力に、ふと、ダーティー・プロジェクターズなんかを思い出したりもしたけれど、ファミリー・フォッダーはもっと思いつきで、ずっとフットワークが軽い。考える前にやってしまう。パンクの燃えカスを横目に、クールなふりしてひねくれながらも、ツノ出せヤリ出せするささくれ感がとびきりだ。
 
 アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』も最高だけれど、ぜひ、本作にカップリング収録されているポストパンク・クラシック“ダイナソー・セックス”を聴いてほしい。カウベルの連打と軽妙なダブ処理。そして、ミニマル・ファンクがどんどん先鋭化していきクラウト・ロック化する場面もあったりして、コンク、リキッド・リキッドらNYニューウェイヴ・ダンス一派との親和性も皮膚感覚で味わうことができて発奮。さらにはエリック・サティ“グノシエンヌ第1番”のへっぽこダブ・カヴァーなんかも飛び出したりして、根底に横たわるパーティ感覚と出し惜しみのないサービス精神も旺盛だ。
 
 スタイルだけを模したポストパンク・リヴァイヴァルなんていまは昔。少し話がそれるけれど、今年、電子音楽界の新進気鋭shotahiramaが『ポストパンク』なるタイトルを掲げたアルバムをリリースしたのは極めて重要なことである。なぜなら、本来のポストパンクとはまったく異なるスタイルであるコンピューター・ミュージックに、初めてポストパンク(パンクではなく)のアティチュードを持ちこんだ作品だからだ。そんな年にリイシューされたファミリー・フォッダーのオリジナル・ポストパンク作品。80年代初頭の音楽でありながら、いまに連なる精神性をそこここに発見できるはずだ。いまこそ好きものだけでなく、多くの人に聴いてほしい。誰もが鼻孔を広げて息を荒げ、ふんふんうなずきながら膝を打つことうけ合いだから。

Atom™ & Marc Behrens - ele-king

 90年代のエクスペな音楽状況を振り返ると、当時それなりに知られていたにも関わらず、いまではほとんど忘れ去れているシュトック、ハウゼン&ウォークマンというユニットを思いだしてしまう。

 彼らはモンドでラウンジな60年代のレコードのサンプリングによるコラージュ・アート、そのサウンド版といった趣のアナーキーなユニットだった(リーダーのマット・ワンドはユニット結成以前、デレク・ベイリーのカンパニーで活動していたらしい)。デビュー・アルバムは91年リリース(2001年解散)。ユニット名の元ネタは、いうまでもなく有名な某プロデューサー・チーム、そして、あの超有名現代音楽家との掛け合わせというヒトをくったもの。もともとはジャンク&ノイズ&スカムな音楽といえる彼らの音楽性だが、95年にリリースされたネコちゃんジャケのアルバム『ヘアボールズ』が、小山田圭吾や緒川たまきによって紹介されたこともあって、一気に「中期渋谷系基本アイテム」化した雰囲気もあった(実際はどうか知りません・笑)。つづく96年リリース『オーガン・トランスプランツ Vol. 1』もモンド/ラウンジな傑作。そう、90年代中期は「グランジからラウンジ」だったのだ。

 このアトム™とマーク・ベーレンス『Bauteile』を聴いたとき真っ先に思い出したのは、シュトック、ハウゼン&ウォークマンだった。テクノからヒップホップ、ガレージ・ロックからアンビエント、フリージャズから電子音楽/音響まで圧倒的な情報量が接続されていくコラージュの技法に、90年代型のサウンド・コラージュ作品の2010年代版という印象を聴き取ったからか。それゆえアフター・モンド・ミュージックを感じたからか。

 90年代。モンド・ミュージックの時代。サンプリングによるサウンド・コラージュの時代。少しだけそんな時代を振り返ってみると、異論はあるかもしれないが、95年あたりからこのシュトック、ハウゼン&ウォークマンを巻き込むカタチで起きていたムーヴメントがいわゆる「モンド・ミュージック」ブームである。「モンド・ブーム」は、60年代~70年代の知られざる音楽たち(モダンなムード・ミュージック、奇天烈な電子音楽、ソフトロック、サイケロックなどなど)を発掘すること(DJ的な行為・およびその真似事という名の単なるリスナー)と、それをサンプリングして楽曲に取り込むこと(音楽家的な行為)の二つからはさみこむことで成立していた。その価値観の中心は、80年代までの「名盤ガイド」には掲載されないような音楽を積極的に再評価すること。それが折からのDJブーム、サンプリング・ブームと並走するかたちで人気・支持を得たものであった。

 もちろん、これは日本独自のものではなくて、たとえば米国『リ・サーチ』誌などの先駆的な例があってのこと。とはいえ日本でのモンド需要は日本ならではの特殊性もあって、90年代初頭に60年代~70年代のフリーソウルやソフトロック、サントラ・ブームなど「名盤ガイドに掲載されていない」レコを発掘し、元ネタとして自作に取り込む「渋谷系」というムーヴメントからシームレスにつながるかたちで存在していた点だ。90年代中盤頃、渋谷系ムーヴメントは、お洒落悪趣味路線(ザックリ書けばデス渋谷系や雑誌『クイック・ジャパン』など)へとシフトしつつあり、90年代中期のユースカルチャーの空気とモンド的センスは結びつきやすかった。結果、スムーズに渋谷系→モンド系へと移行ができたのではないかと思う。たとえば95年刊行の『モンド・ミュージック』にこんな内容の記事があった。「モンド・ミュージック」のメジャーからのアイコンとでもいうべきビーチボーイズ=ブライアン・ウィルソン=『スマイル』をめぐるテキスト内で、フリッパーズ・ギターのファンと思える男女が、レコ屋で“ゴッド・オンリー・ノウズ“がかかった瞬間に「コレ誰ですか!」と店員に詰め寄ったという描写がなされているのだ。

 90年代中期(97年くらいまで)で、「世界同時渋谷系化」などといわれたり、ピチカート・ファイヴやコーネリアスが高い人気を得たのも、その音楽的な力量は当然として、このようなレコードを選ぶ/聴く、「目(耳)利き」的なセンスが、世界/ニッポンの音楽的潮流とリンクしていたからのように思えるのだ。60年代~70年代の誰も知らないセンスのいいレコを、90年代的なセンスで編集するようにセレクトすること。それが日本の渋谷系からモンド・ミュージック・ブームで共有されていた空気だった。ちなみにモンド・ミュージックは、その後期(99年あたり)においてシカゴ音響派にもつながり、キー人物はジム・オルークとなる。結果、日本では渋谷系→モンド・ミュージック→シカゴ音響派とつながっていく。そもそもニッポンにおいて「モンド」と「音響派」はそう遠くない起源を持っているのだ。

 今回取り上げる、アトム™とマーク・ベーレンスの『Bauteile』を聴いたとき、即座に浮かんだのが以上のようなキーワードだった。シュトック、ハウゼン&ウォークマン。モンド・ミュージック。90年代。ポップのいかがわしさと、人工的なリゾート感。サンプリング・コラージュ。音響派。00年代的エレクトロニカ。もちろん、『Bauteile』はそれらとは違う。そもそも時代が違う。だが音楽のコラージュ、過去の音楽のリサイクル的なコラージュ感、そして何より、ポップ感に近いものを感じてしまったのだ。ほとんどサンプリングを用いない自分音源によるテン年代のシュトック、ハウゼン&ウォークマン?(アトムとマークが80年代からやりとりをしていた音源が素材だという。また、多少なりともレコ音源などのサンプリングはあるように思える。終盤に出てくるサックスなど)。

 ちなみにアトム™は、テクノからラウンジ、エレクトロニカからアンビエント、ラテンからモンドまで、20世紀のポップの記憶をエレクトロニクス・ミュージックに圧縮するような曲を作りつづける多作なアーティストだ。モンド・ブーム時にはリサ・カーボンのアルバムをリリースした(名盤)。そしてときおり挿入される硬質なノイズは、マーク・ベーレンスのものか。ベーレンスはアトムとは正反対といっていい作風のサウンド・アーティストで、インスタレーション作品なども制作している。昨年ポルトガルの美術館から刀根康尚の素材を用いた音響作品『イレギュラー・キャラクターズ』をリリースしており、刀根的なグリッチ音とマーク・ベーレンスの物質的な音がぶつかり合う傑作であった。そして『Bauteile』にも似たような音の質感が感じられた。

 CDを再生すると、冒頭はまず低音の持続。そして微かなノイズとカタカタと鳴る音、声(の痕跡のような音)などが折り重なる。やがて弦の音やアコーディオンがサウンド・ロゴのように鳴り響く。そこから4分後くらいにはビートが鳴りはじめ(すぐに消えていく)、エレクトロ、ヒップホップ、エレポップ、テクノ、ハウス、ガレージロック、フリージャズ、ノイズ、アンビエントなどが次から次へと音の坩堝のようにコラージュ/エディットされていくのである。その圧倒的な情報量には耳もクラクラしてしまう。

 この本作のコラージュ感は、サンプリングによるコラージュというよりも、PC内でのデジタル・エディットだからこそできる過剰な情報量が圧縮されている点が大きな特徴だろう。90年代のシュトック、ハウゼン&ウォークマンが、レコード「サンプリング」のコラージュ・アートとしたら、テン年代の『Bauteile』は、過剰な情報の「コピー&ペースト」のコラージュ・アートだ。そして現在「コピー&ペーストなコラージュ・サウンド」は進化の只中にある。彼らよりも若い世代のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーなども「コピー&ペーストなコラージュ・サウンド」を生み出している。その意味でワンオートリックス・ポイント・ネヴァーはデジタル時代のシュトック、ハウゼン&ウォークマンである。

 いまという時代は、異なる世代が20世紀大衆音楽の記憶をコピー&ペーストするコラージュ・ミュージックを制作している時代とはいえないか。そして、この『Bauteile』には、モンドから音響派までの音楽的な変化が圧縮されている。それは20世紀の大衆音楽の記憶だ。さらに重要なことは、この「コピー&ペースト・コラージュ・アート」は歴史を無化するものという点である。となると、これは20世紀を真に忘却するための儀式なのではないか、とわたしなどは思ってしまうのである……。

interview with patten - ele-king


patten
ESTOILE NAIANT

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 音楽の「ジャンル分け」が卑しいものなのかどうか、これは音楽について考えたり書いたりする際に必ずつきまとってくる問いのひとつだが、アーティストの側からすれば気持ちのよいものではないのだろう。しかし物事を分節し名づけることでわたしたちの生活と歴史が成り立っている以上、ジャンルを立てて括ることもまた、わたしたちが音やアートというものに向かい合う上での本質的な行為のひとつだと言える。いつか人が言語を話す必要がなくなったら、ジャンル分けというものもなくなり、音楽も言葉も人も完全にひとつにつながるのだろうけれど──。

 新作とそれに先立つEPを〈ワープ〉からリリースし、先日のOPN来日の際にもその存在をあらためてアピールしたロンドンのプロデューサー、パテン。彼との問答は、そうした「物事の分節」をめぐってつねに同じ場所で岩に乗り上げる。以下のインタヴューは対面ではないため不必要な重複を生んでいるところがあるが、しかし、「心と体は同じ」「主観と客観も同じ」「作品はひとかたまりのもの」「好きなもののいちばんを決めない」等々、あるものを切り分け、整理して捉える思考を忌避するパテンのスタンスが非常にはっきりと感じられると思う。これは彼の強い特徴であり、おそらくは倫理であり、それはたとえばジャケット・デザインのコラージュなどに端的に表れている。パテンの音や思考はつねにその「物事がひとつながりの世界」からはじまる……、あるいはそこからはじめたいという願いからはじまっている。
 彼が、最初のアルバムに誰も発音の仕方がわからない『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』(〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉、2011年)というタイトルをつけたり、そのリリース当初のインタヴューでは映像で回答したりと「謎の」存在感を醸していたのも、話をきいてみれば謎でもなんでもなく、ただ物事はそうはっきりと分節できるものではない、そう簡単に説明し分類できるものではない、ということを繰り返し主張していたのだということに思い当たる。

 さて、〈エディションズ・メゴ〉と〈メキシカン・サマー〉をまたぐOPNが〈ワープ〉とサインしたインパクトに次いで、現〈ワープ〉のアブストラクトでアンビエントな方向性を明確にするものとなった新作『エストイル・ネイアント』。このアルバムを携えて来日したパテンに質問状をぶつけることができたので、ご覧いただきたい。この思索的な言葉の端々から感じられるのは、彼もまた「分節」の能力に長け、むしろ見えすぎるほど物事の分析を行って生きてきたのではないかということだ。そのことを否定しながらみずからの表現を立てていく姿に、リアリティと共感を感じずにはいられない。
 言葉には分けられないものの存在を、彼は水の中に放した。『泳ぐ星(エストイル・ネイアント)』は、手を差し入れればゆらゆらと輝く。

音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。

今作も『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』につづいてアートワークにコラージュがもちいられていますが、何か意図があるようでいて、意図をもたせているように見せかけるところに主意があるようにも思います。あなたの音楽にとってジャケットはどのような意味を持っているのでしょう?

D:作品のヴィジュアル要素は、音楽そのものと同じくらい大切だと思っている。このインタヴューだってそう。なぜなら、作品に関する考えや意見を文章という情報にして世の中に送り出しているから。そういったものはすべて作品とつながっている。そういう意味において、ジャケットのアートワークやミュージック・ヴィデオなどは音楽そのものと同等の価値を持つものだ。それぞれが、作品のアイディアを発展させたり、作品のアイディアを世の中に広める役割を果たしてくれる。
 意図をもたせているように見せかけるところに主意がある、という表現は興味深いね。意図があるのか、意図があるように見せかけているのか、ということだね。作品のすべての部分──つまりサウンド/ヴィジュアル/ヴィデオ/ライヴ体験など──に関して言えることは、それらの主な目的というのは、人々に独創的な考え方をする機会を与える助けとなることだ。物事の多様な意味を考えたりする環境を提供したい。作品を通して、「認識する自己」というものを体験して自己発見をしてもらいたい。
 われわれは、慣れ親しんでいるもの──たとえば見たことのあるヴィジュアルや展開が予想できる状況など──に直面すると、先入観が働いて、認識するという機能が敏感に働かないことがある。だが、親しみのない、未知のヴィジュアルやサウンドや環境に直面すると、それをちゃんと意識する。よって、「認識する自己」というものを体験することができる。外部からの情報を認知して、能動的に現実を創造する個人として自己を認識することができる。パテンというプロジェクト全体を通して僕が望んでいるのは、作品のさまざまな要素がそういう環境を生み出すことだ。そしてそれが、人々が自分自身について掘り下げて考え、また世界のあらゆることについて再考する機会のきっかけになればいいと思う。

とくにこだわっているわけではないのかもしれませんが、コラージュを手法として好んで用いるのはなぜですか?

D:コラージュは、並置や再文脈化や異なる見解を用いて、アイデアが存在できる環境を生み出し、個人に働きかけることのできる手法の一つだ。先ほども話したように、個人に働きかけるというのは、与えられた情報・状況を認知して多種多様な論理として自己で探索するという意味だ。そういう意味でコラージュはとても有効だと思う。

あなたの音楽においてビートは複層的に展開されていますが、これはより快楽的に追求されたものなのでしょうか? それともコンセプチュアルに目指されたものなのでしょうか?

D:まず、体と心は一体であるように、身体的なものと心理的なものは対立するものとして存在していないと僕は思っている。音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。そして、この作品に関して言えるのは、リズミックであるとか、メロディックであるという、後づけと認識できる情報をベースにした区分けはとくにしていないということだ。つまり、ひとつのものが作られたということ。ビートを作って、次はメロディを作って……という感じではなくて、統一性を持って制作が進められている。だから、制作プロセスは区切られたものではない。
 だが、作品全体が、コンセプチュアルに作られたか身体的な快楽を追求したものか、と訊かれると、さっきも話したように、僕にとってそのふたつに大きな違いは感じられない。対立するものではないと思うから。だが、質問には「僕の快楽を追求したものか」という部分に関して面白い発想があって、僕はいまそれを追求しているところだ。ようは、自分のマインドに制限されないようにしている。つまり、自分自身のイマジネーションを超越しようとしている。自分の想像を超えるようなものを作りだせるような選択ができるようにさまざまな方法を試している。
 詳しく話そう。たとえば、あるアイディアがあってそれを実現させたいと思う。アイディアについて考え、それを形にして作り、世の中に出す。だけど、この方法で作業すると──もちろん、この方法に何の問題もないし、人々がこの方法でやっていくのは大事なことだと思う。個人的なプロジェクトとしての話だ──自分のイマジネーションに制限されてしまう。自分が想像するものしか作れない。なぜ自分のイマジネーションに制限される必要があるのか、と僕は考える。自分が作れると想像していなかったものを作ることのできる状況を作り上げてみてはどうだろう? この考えが、このプロジェクトの重要な部分を担っている。加えて、自分の嗜好というものは、制作の障壁になることもある。たとえば、何かを作っていて「これは素晴らしい。よいものだ。」と思い、その作品を価値あるものとみなし、作品は完成したものとして制作を終了する。その一方、何かを作っていて「これはダメだ。良くない。」と思い制作をやめる。でも、なぜそれが(良いのか良くないのか)わかるのか? 意味のないもののように見えるものは、本当に価値がないものだとなぜわかるのか? 個人的には認知できない何かがその作品にはあるかもしれない。だが、他の人には何かしら価値が認知できるかもしれない。反対に、「これは素晴らしい。よいものだ。」と思って完成だと思ったものは、完全に取り壊して作りなおした方がより良いものができたかもしれない。だから、「自分を中心に物事を考える」という考え方から自分を離して、自己という制限を超越したところで制作に臨める方法を模索している。

それは主観ではなく客観的に制作をするという意味でしょうか?

D:主観も客観もどちらとも個人の状態なので、先ほども言ったように、必ずしも対立しているものではないと僕は思う。僕が説明しているのは手法であって状態ではない。だが、具体的にどういうことかというと、たとえば、異なる精神状態で制作をしてみる。集中して頭が冴えているときに制作をしたり、睡眠不足で集中力が100パーセントでないときに制作をしたりする。さまざまな状況における選択を制作過程の一部分として取り入れる。もしくは、楽器などのツールを使うときに、当たり前の使い方以外の使い方をしてみる、など。
 たとえば、ピアノを弾くとき、実際に弾く前にすでに手のポジションが決まっていることがわかっている。そういう先入観を覆すような使い方をしてみる。物事に対して、オープンに、変わった考え方をする、ということだ。そういう考え方をこのプロジェクトでは大事にしている。

過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。

”エイジェン(Agen)”のMVにおいてはサブリミナルに、高速でイメージが提示されますね。俳句に「二物衝撃」という手法がありますが、これはまったく異なるふたつのものを故意にぶつけることで、新しいイメージを引き出すというものです。俳句は短いためこのような手法で表現の領域を広げます。ですが、そもそも表現として広い選択肢をもっているはずの映像や音楽が”エイジェン”のように二物の対照を生むと、そこに含まれる情報量はさらに乗算的に増えるように思います。あなたや映像作家のジェーン・イーストライトは、情報社会とアートや音楽との関わりについてとくに関心があるのでしょうか?

D:俳句の手法に喩えるのはとても興味深いね。まったくちがう分野に属するニ物をぶつけると、第三のものが新しく生まれる。面白いことに、その第三のものとは、言葉では表現できないものだったりする。前言語的な分野──つまりアイディアなどの、言語では説明しにくいもの。詩の持つ気品というのは、幻想を明確に表現できることにある。あなたが言うとおり、音楽やヴィジュアルを作っている場合でも同じ目的でそういう手法を使ったりする。幻想的なイメージや明確に表現しづらいものを、上手く表現するためにね。
 情報社会と言ったけど、この世には驚くほどの量の情報が出回っている。だが、考えてみてほしいのは、その一方で、情報の種類として限定されたものも存在するということ。詳しく説明しよう。過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。たとえば17世紀の画像などはあまりない。実際、17世紀に関する情報は何千もの本や教科書などに資料として残されている。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。人間がいままで世に生み出したマテリアルを掘り起こす、というアイデアとして面白いのではないかと思う。欠けている情報というのもあるから、情報社会といっても奇妙なものだ。
 ヴィデオに関して言えば、たしかにさまざまなヴィジュアルが並置されている。ヴィデオも、先ほど話したようにアルバムのジャケットや、アルバムの音楽と同じように作用してほしいという期待のもとに作られている。それは、作品が、人々が考えたり認知したりする環境を提供するものとして作用するということだ。だから寛容に作られていると言っていい。俳句に関しても、言葉単体は不活性なものだ。読み手の頭の中で初めて生きてくる。われわれが制作するものも、そういった作用を人々に及ぼしてくれたらいいと思っている。

国立美術館テート・ブリテンで行われた、〈ワープ〉とジェレミー・デラー(Jeremy Deller)とのインスタレーションは非常に反響があったようですね。あなた個人にとってはどのような影響がありましたか? 感想もふくめて教えてください。

D:とても面白いイヴェントだった。異なる組織が協力して、コラボレーションとして何が作り出せるのか、を考えて実行するのはとても興味深い。俳句のように、ちがった世界に属していたと思っていたものたちをぶつけて、新しいものを生み出す。でも、実際に〈ワープ〉やテートがやっていることというのは、存在する・体験する・感じるというような、人間らしさというさまざまな面で価値あると思えるものをアイディアとして表現するということだ。だから、〈ワープ〉とテートがコラボレーションするのはある意味、当然のような、理にかなったことに思える。観客がその感性を理解してくれるのは素晴らしいことだし、観客もそのコラボレーションの結果に関与してくれたことは最高だと思う。今後も、世界中でそういった大胆な活動が増えていけばいいと思う。

アシッド・ハウスはおそらくリアルタイムでご経験されていないのではないかと思いますが、いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」についてあなたはどのような認識や意見をお持ちなのでしょう?

D:世界において、ある特定の時代に、さまざまな状況が重なり合って、クリエイティヴな作品がものすごい勢いで生み出されるという状況をもたらすのはとても興味深いと思う。限られた集団のなかで、限定された社会のなかにおいて、そういった現象が起こり、その現象は世界各地のさまざまな時代で起きてきた。その現象は予測することもできないし、作為的に作ることもできない。自然に起きる現象だ。たとえば、カフェの出現を取ってみても、本来の目的からはじまり、その後、カルチャーにも大きな影響を及ぼすものとなった。ルネッサンスという時代も、人々は、人間というものがどのような存在であるかという思考に関する想像性が過剰に働き、それがヴィジュアル・アート、音楽や建築として実を結んだ。概して、僕はそのような瞬間に対して魅了されると言える。そういう現象は、社会や人間を評価したり、再考・再検討する機会になるし、新しいものの見方で自分たちのアイディアを表現できる機会になる。「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」もその現象のうちに含まれると思う。

あなたの「RE-EDITS」シリーズについて教えてください。これは何の「RE-EDIT」なのでしょうか。そして、どんな基準で「RE-EDIT」の対象物を選んでいるのでしょう?

D:「RE-EDIT」の対象になるのはさまざまな音楽だ。「RE-EDITS」の作品はすべて、4つか5つのトラックから成っていて、トラックが何層にも重なっていたり、トラックの要素がほかのトラックの要素と混ざったりしている。「RE-EDIT」の曲が、ある特定の曲のリエディットだ、という意見をよく耳にして面白い。ヴォーカルの部分を聴いて、ヴォーカルに気づくから、その曲のリエディットだ、と思うらしい。でも、ヴォーカルの要素以外にもたくさんの要素が入っている。べつに隠しているわけではないから、そういうヴォーカル以外の要素にも、オリジナルの曲を知っている人だったら気づくと思う。作品を発表して、人の反応を見るのはとても面白い。
 対象物を選ぶ基準についてだが、「RE-EDIT」ではない作品を作るとき、僕はとてもオープンな姿勢で制作に臨む。だから想定外の衝撃が起こったり、先ほども話したように、自分でも驚くような選択をすることもある。

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僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。


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ESTOILE NAIANT

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アルバム収録の曲よりももう少しシンプルなトラックやUKガラージ風のものが目立つように思いますが、そういうわけでもないのですか?

D:そういう見方で曲を捉えないようにしている。曲を世に送り出した時点で僕の役割は終了している。僕が発表した曲に対して人々がどのような反応をするかを見るのは面白いけど、僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。

OPNは意識しますか? もしよければ『アール・プラス・セヴン(R Plus Seven)』、『リターナル(Returnal)』、ゲームス「ザット・ウィ・キャン・プレイ(That We Can Play)」、フォード・アンド・ロパーティン『チャンネル・プレッシャー(Channel Pressure)』のなかでどれがいちばん好きか教えていただけないでしょうか。

D:プロジェクトの途中だと、それがどんな作品になるかを見極めるのは不可能だ。僕はその不可能性を受け入れている。繰り返すようだけど、僕にとって重要なのは、作品を分類したりする必要のない状態にいることだ。自分の作品や他の人の作品に対してオープンな視点を持っていたい。だから、どれがいちばん好きかを選ぶことはしないようにしている。すべての作品を同等なものとして見たい。OPNの作品とは関係ない話だが、評価方法について。自分がいちばん楽しめないものが、じつは、自分にとってもっとも価値のあるものだというケースもある。だから自分がいちばん好きなものが、もっとも価値のあるものであるとは一概に言えないのではないかな。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは好きですか? 

D:マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても興味深いと思う。興味をそそられるし、魅了される部分がたくさんある。心を打つ。僕が興味をそそられる音楽の多くは、言葉を超越したところにあるものだと思う。それが音楽すべての目的なのかもしれない。説明するのが不可能なことをはっきりと伝える。はっきりと伝えなくても、それを体験として作り出す。ものごとを表現するだけでなく、実際の体験を作り出す。そういうことを達成してくれる音楽が存在する。そういう意味でマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても面白いと思う。

UKのロックとUSのロックではどちらにより親しみを感じますか?

D:UKのロックとUSのロックをまったく別のものとして見るのは難しいと思う。僕は、そういう区別の仕方で音楽を捉えていない。UKのロックもUSのロックもロックだし、ふたつは繋がっている。ロックとそれ以外の音とのつながりを見つけるのだってそんなに難しいことではない。もっと統合的な見方で僕は物事を捉えている。

〈ワープ〉の歴史はあなたの個人史において大きな意味を持っていますか?

D:〈ワープ〉とパテン・プロジェクトの面白い点というのは、ある特定の美学や技術的アプローチに基づくというよりも、イデオロギーに特異性があるところだ。そのイデオロギーというのは、実験や、人間という存在についてのアイディアを伝える行為に焦点を置いている。そして、感情的に共鳴できる作品を作る。それは難しいことかもしれない。その作品は、ただ感情を引き起こすだけでなく、個人の持つ技術をさらに探求し発展させ、自分と自分の住む世界に対する理解を深めていくのが目的だ。そういう意味において、〈ワープ〉とパテンはつながっていると思う。

来日されたのをうれしく思います。日本という場所は、あなたの音楽や演奏に何か影響を与えますか?

D:日本に来たのは初めてだ。とても特別で魅力的な国だと思う。僕がつねに言っているのは、親しみのない場所や状況に影響され、そういった場所や状況に対して、不思議さに驚嘆する感性を持って臨むのが大切だということ。だけど、慣れ親しんだものや日常的に目にするものに対しても、同じような(新鮮な)姿勢で臨むのが大事だと思う。いま、日本でいろいろなものを見ていろいろな体験ができているのは素晴らしいことだと思う。だけど、母国でも同じような感性を持っていられることが大事なことだ。普段目にしているものに対しても、そのものが有する豊かさをしっかりと認めることができるのが大事だと思う。まるで、それを初めてみるかのように。そういう見方はとても大事だと思うし、パテン・プロジェクトにおける重要な部分でもある。

人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。

ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されていますが、これはあなた自身のパーソナルな音楽性によるものでしょうか? それとも時代を読んでのことでしょうか?

D:いままでの会話から、僕の答えはそのどちらでもない、ということがわかると思う。話したように、パテン・プロジェクトはさまざまなプロセスを経て特定の結果がもたらされるわけだが、ある人はそれをいま言ったように(「ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されている」)表現する。そういう人の反応を見るのは面白い。僕個人としてはそういう表現はしないけれど、他の人がどう表現するのかを見るのは面白い。プロジェクトは、現在という瞬間に存在する、ということを大事にしていて、先を読んでのことでもないし、この10年を見越して作られたものでもない。今後20年でも30年でも50年を見越したものでもない。それとはまったく別の規模の考え方で、歴史や現在に関わり、できるだけ完全に、また豊かに表現するように試みたものだ。だから来週や5年後は関係なく、先週や5年前も関係ない。それよりもっとオープンな方法で捉えている。

たとえば『グラックジョー・ザックソウ』というタイトルがそうであるように、「発音のしにくさ」「正体のつかめなさ」はあなたの作品全体について当てはまることのように思います。テクノロジー一般は、物事を単純明快にする方向に発展していますが、あなたにはそうしたものに対するカウンターとしての意識はありますか?

D:テクノロジーが物事を単純明快にする、という発想はとても興味深い。スマートフォンやパソコンを使える人は、この世界の特定した地域においてはかなりの数が存在すると思う。だが、実際にスマートフォンやパソコンがどのように機能するのかを理解している人は非常に少ない。僕が言いたいのは、テクノロジーによって不透明性を増した物事もあるということ。テクノロジーによって、以前は見えていたものが、見えなくなってしまう。だから、テクノロジーが物事を単純明快にするという発想は必ずしも真実とはいえない。たとえば、太陽系の惑星をすべて挙げよ、と言われたら人はすぐスマートフォンで調べるかもしれない。だけど、実際に、太陽系の惑星を記憶している人は少ないかもしれない。でも単純なことだ。知っているべきことだ。情報はたしかに存在する。だが、テクノロジーによって物事は単純明快になっているのか、それとも物事を隠して不透明にしているのか? テクノロジーによってというよりも、われわれがどのようにテクノロジーを使うかによる。テクノロジーに依存した社会というのは、より単純明快な社会であるのか? それは誰にもわからない。
 タイトルの話に戻るが、「発音のしにくさ」という感覚はない。あなただって完璧に発音できたでしょう。『グラックジョー・ザックソウ』の裏にある理論としては、「あるもの」に特殊な名前をつけたいという思いからだった。音楽・ヴィデオ・ヴィジュアルに存在する「あるもの」ができた。そのあるものが『グラックジョー・ザックソウ』だ。そしてタイトルそのものも、音で構成されたものである。また、視覚的な構成物である。

「エストイル・ネイアント(ESTOILE NAIANT)」とは何なのですか?

D:「エストイル・ネイアント」は、紋章記述(Heraldic blazon)という中世の言語を使い、僕が考えた言葉だ。紋章記述というのは、盾や旗に用いられる紋章の正式な説明文である。この言語を調査して詳しく調べていた。俳句もそうだけど、この紋章記述も、ヴィジュアルを作るために特化した言語ということで非常に興味深い。僕はこの言語を使ってあるヴィジュアルを作った。そのヴィジュアルは、プリズムのようなもので、それを通してこのレコードを経験してもらいたいと思っている。レコードだけではなく、いままで話してきた内容や、われわれが作成するマテリアルすべてを経験してくれたらいいと思う。
 われわれの制作物は、存在意義についての考え方や、存在意義の認知について、また人と関わり合う事についての考え方を人々に伝えるという目的のもとに作られている。人々とコミュニケーションをとるためにマテリアルを作っている。人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。われわれはみな、その人生に関する対話の一部分を構成している。一人ひとりの人生は微々たるものだが、人生の対話は、とてつもなく巨大だ。それはわれわれという人々であり、われわれの都市であり、国であり、大陸であり、世界である。その対話というのは、人間が地球に存在したときからずっと行われてきたし、この先も人間が滅びるまでつづくものだ。
 ヴィジュアルというのは、「泳ぐ星」だ。「ESTOILE NAIANT」は「泳ぐ星」という意味。水に反射している太陽を、泳いでいる星に見立てた。このヴィジュアルは、日常的で微々たるもの、見慣れたもの、そして流動的なものと、巨大で想像を絶する規模のもの、つまり太陽のように不朽のもの、遍在するものとのデリケートなつながりの瞬間を象徴している。太陽がわれわれの生命を可能にする。そういうアイディアを追求したものだ。

リミキサーとしてもひっぱりだこですが、あなたはご自身のオリジナル作品を作ることよりも、作品というメディアを通して人と自分や人と人をつないだりすることにより興味があったりするのではないですか?

D:僕にとっては、そのどちらも、クリエイティヴな仕事に関与することの一環だと思う。音楽という仕事をするということは、音楽を作ることも仕事の一つだけど、同じように、他の人のために状況をセッティングしてイヴェントをやったりすることも音楽という仕事の一つだと思う。イヴェントを実現したり、レーベルを運営したりするのは、新しい考え方ができるような環境を作る、という意欲の延長に過ぎない。だから全てはつながっていると思う。

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