Home > Reviews > Old & New > Family Fodder- Monkey Banana Kitchen
表現手段を追い越した衝動があちこちで胞子をまき散らし、頭にポストをくっつけたパンクがわがままで色とりどりな花を咲かせた時代——1979年にアリグ・フォッダーを中心にUKで結成されたニューウェイヴ・バンド=ファミリー・フォッダー。現在も活動を続ける彼らの入手困難であった作品が、ドイツからフランスに移転した(いつの間に?)新旧おもしろ音楽発掘レーベル〈シュタウブゴールド〉よりリイシューされた。しかもCD盤にはファースト・アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』(1980)、12インチEP『スキゾフレニア・パーティー』(1981)、そして、7インチEP『フィルム・ミュージック』(1981)と『ザ・ビッグ・ディッグ』(1982)がまとめてみっちり収録されていて、初期ファミリー・フォッダーの魅力を余すことなく伝えてくれるから耳からヨダレだ。
さて、内容のほうはというと、かのナース・ウィズ・ウーンド・リスト(ストレンジ・ミュージックをたしなむものにとっての教科書)に掲載されていたり、ディス・ヒートのチャールズ・ブレンやザ・ワークのミック・ホッブスとリック・ウィルソンが参加していたりと、好きものにとっては文字情報だけでもんどり打ってひっくり返りそうな事態になっている。そして、そのサウンドがまた機知に富みまくりですこぶるぶっ飛んでいるのだから二度びっくりだ。
基本はキーボードが導入されたポストパンクながら、マルチ・インストゥルメンタリスト、アリグの実験小細工が、ところどころ絶妙に盛りこまれていてとても愉快。シャープでプリミティヴなパーカッション、エフェクティヴなギターに、ヴァイオリンがギ〜コギコ、サックスがブビベボ〜、ハープがシャリラ〜ンと愉悦を与え、高らかにハメを外す男女混成コーラス(チャールズ・ブレンのあの歌声も聞こえるではないか!)に心躍らされる。まるでデルタ5が膝をカックンとされ、レインコーツが猛ダッシュし、ルーダスがサイケに寝返り、エッセンシャル・ロジックがレコメン化したようなこの感覚。そして、感覚といえばファミリー・フォッダーのサウンドの土台をなすのがレゲエ/ダブの要素だ。「これってデヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズ)の仕事ですよ〜」と言われても信じてしまいそうな、でかいベースにぴゅんぴゅん音が舞い飛ぶ空虚で乾いた音響質感は、UK産パンキー・レゲエ好きならいちころ。さらに女性ヴォーカル、ドミニクの英語とフランス語が入り混じった歌と言葉の脱臼も、存在感ありまくりのエスプリ効きまくりでポップでキッチュな微光を発している。
こんなバンド、いまもなかなか見当たらない。あわや複雑骨折な危なっかしいアレンジ、調子っぱずれな男女コーラス、予測できない突然の爆発力に、ふと、ダーティー・プロジェクターズなんかを思い出したりもしたけれど、ファミリー・フォッダーはもっと思いつきで、ずっとフットワークが軽い。考える前にやってしまう。パンクの燃えカスを横目に、クールなふりしてひねくれながらも、ツノ出せヤリ出せするささくれ感がとびきりだ。
アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』も最高だけれど、ぜひ、本作にカップリング収録されているポストパンク・クラシック“ダイナソー・セックス”を聴いてほしい。カウベルの連打と軽妙なダブ処理。そして、ミニマル・ファンクがどんどん先鋭化していきクラウト・ロック化する場面もあったりして、コンク、リキッド・リキッドらNYニューウェイヴ・ダンス一派との親和性も皮膚感覚で味わうことができて発奮。さらにはエリック・サティ“グノシエンヌ第1番”のへっぽこダブ・カヴァーなんかも飛び出したりして、根底に横たわるパーティ感覚と出し惜しみのないサービス精神も旺盛だ。
スタイルだけを模したポストパンク・リヴァイヴァルなんていまは昔。少し話がそれるけれど、今年、電子音楽界の新進気鋭shotahiramaが『ポストパンク』なるタイトルを掲げたアルバムをリリースしたのは極めて重要なことである。なぜなら、本来のポストパンクとはまったく異なるスタイルであるコンピューター・ミュージックに、初めてポストパンク(パンクではなく)のアティチュードを持ちこんだ作品だからだ。そんな年にリイシューされたファミリー・フォッダーのオリジナル・ポストパンク作品。80年代初頭の音楽でありながら、いまに連なる精神性をそこここに発見できるはずだ。いまこそ好きものだけでなく、多くの人に聴いてほしい。誰もが鼻孔を広げて息を荒げ、ふんふんうなずきながら膝を打つことうけ合いだから。
久保正樹