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interview with Keiji Haino - ele-king

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の素の対話を公開するシリーズの3回目。今回は、灰野の初の電子音楽作品『天乃川』についての回想。『天乃川』は宇川直宏が主宰するインディ・レーベル〈Mom'n'DaD〉から93年にリリースされたソロ・アルバムだが、実際に録音されたのは73年だった。流行とは無関係のあの特異な作品がどのようにして作られたのか、そして制作から20年の時を経て世に出るまでの経緯について、語ってもらった。

宇川くんの〈Mom'n'DaD〉から出た『天乃川』は73年のライヴ音源ですよね。


『天乃川』

灰野敬二(以下、灰野):ロスト・アラーフがまだぎりぎり続いていた頃、京都でやったソロ・ライヴの記録だね。機材を全部一人で持って行って大変だった。昔は両方の手でそれぞれ20キロずつの荷物を現場まで持っていってたからね。ある時なんか、右の肩にサックスをかけ、背中にチェロを背負い、旧式の重いテープ・エコーなどエフェクター類とギターを手に持って移動したこともあった。

京都でやった経緯は?

灰野:確か、ダムハウス(本シリーズ第1回で紹介)で知り合った後、何度か連絡を取り合っていた人からのお誘いだったと思う。当時はジャズやブルースにどっぷりだっけど、エレクトロニクスに対する興味も強まっており、どうせだったらそれでやってみようと思ったんだ。

音を聴いただけではわからないんですが、どういう機材を使ったんですか?

灰野:実は、メインの楽器は生のアップライトピアノなの。ものすごく速い演奏をしているし、しかもディレイをかなり深くかけているから、ちょっと聴いただけではわからないと思うけど、よーく聴くと、ちゃんとピアノの音が聴こえるはずだよ。で、そのピアノの音を電子的に変調させている。ピアノの中に仕込んだ1本のマイクでは、ファズ、ファズワウ、エコー・チェンバーをかけて音をループ状にして出し、もう1本のマイクではエレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーを使ってピッチを変化させた。あと、電子オルガンの基盤部分を発信機として使っているし、ヴォイスとコブラの笛(プーンギ)とリズム・マシーンの音も重ねている。
 コブラの笛からはダブル・リード付きの管が2本出ているんだけど、その1本のリードは自分でリードを削って音色を変えていた。リズム・マシーンは、昔のすごくシンプルというかチープなやつね。それのシンバルのボタンをガムテープで固定して、ずっと高速でオンにしたままでテープ・エコーをかけている。
 エレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーは当時、ロスト・アラーフにちょっとだけ在籍していたベイシストに教えてもらったもので、画期的な機材だった。今中古で買うと、かなりするんじゃないかな。コントロールするのが難しいから、使っている人は当時もほとんどいなかったけど、ゴングの初期のアルバムなどでは使われてるよ。


『天乃川』

かなり手のこんだパフォーマンスだったんですね。

灰野:うん、自宅でかなり時間をかけて準備して、ライヴに臨んだからね。だんだん思い出してきた……マイクは少なくとも3本あったはず。歌っている時、なぜか足も使っていた。身体全部でやった記憶がある。もしかしたら、リズム・マシーンのガムテープがはがれないように、ずっと足で押さえつけていたのかもしれない。だから、すごくカッコ悪い体勢で演奏していたと思う。あの頃、エレクトロニクスにもっと本格的に取り組んでいたらミキサーを買ってたと思うけど、まだそこまでは行ってなかったし、なにしろ高価で、個人で宅録に使えるような手頃なものはまだなかった。だから今でも残念なんだけど、エコーのかかっていない楽器もあったんだ。もしミキサーを使って、エフェクターを全部かませていたら、音色も統一できただろうに。でも反対に、音色がばらついていたから、妙に生々しい音になったんだとも思うけどね。

非常に独創的なサウンドですよね。これが73年のソロ・ライヴの音だとは思えない。今聴いても、刺激的です。

灰野:オーレン・アンバーチも、「一体どうやってあのサウンドは作ったんだ。うちで出したい」と言って、2016年にはLPで再発してくれた。

その時のお客はどれくらいいたんですか?

灰野:10人もいなかったと思う。その企画した友達が集客してくれたから、きっと大半が彼の知り合いだったんじゃないかな。


『天乃川』で使用した電子オルガンの基盤部分

そもそもなぜ、エレクトロニクスへの興味が強まったんでしょう。何かきっかけがあったんですか? 

灰野:それはよく憶えていないんだけど…たぶん楽器屋のセールで安い機材を買ったことだったんじゃないかな。リズム・ボックスとか。

レコードは? タンジェリン・ドリームなどジャーマン・ロックとか。

灰野:その可能性もあるね。3作目の『Zeit』(72年)とか4作目『Atem』(73年) あたりは聴いていたし。あるいはシュトックハウゼンなどの現代音楽系の電子音楽とか。当時からロックだろうが現代音楽だろうが、自分の知らないものは区別なく関心を持って聴いていたからね。キーボードを入手したのは、テリー・ライリーがきっかけだった気もするな。BYG盤のGerm, Terry Riley, Pierre Mariétan『Keyboard Study 2 / Initiative 1 (+ Systèmes)』(70年) ね。当時、テリー・ライリーのアルバムで日本で手軽に入手できるのはあれしかなかった。もっとも、あのアルバムからは特に影響は受けなかったし、あまり興味もなかったけどね。

未発表音源をまとめた4枚組ボックス『魂の純愛』(95年)にも、70年代の宅録エレクトロニクス作品が収録されてましたよね。

灰野:そう、あの音源の方が『天乃川』よりも半年ぐらい前なんだ。だから、あれが俺の電子音楽の原点だね。『魂の純愛』に入っているエレクトロニクス作品を作った時は、入力レヴェルが大きすぎた上に、エフェクター類をむちゃくちゃぶち込んじゃったのでテープ・レコーダーが壊れたんだった。当時はレッド・ゾーンなんて知ったこっちゃなかったし。自宅で多重録音をやり始めたのは、そのちょっと前だったから、72年頃かな。『魂の純愛』には、クラリネットとヴァイオリンの多重録音曲も入っているし。あの頃は、発信機やテレコでどういうことができるのか、いろいろ実験していた。


『魂の純愛』

そのテープ・レコーダーというのは、カセット?

灰野:いや、もちろん家庭用のオープン・リール・レコーダーだよ。録音した音をスピーカーから流しながら、演奏を重ねていく。途中でテープ走行がおかしくなったりテープがよじれたりすると止めて、ピンチローラーを洗浄したりと、かなり大変な作業だった。だから逆に、今のエレクトロニクス機材は嫌いなんだよ。苦労しないで、簡単に音を作れるから。とは言っても、テープの切り貼りまではやらなかったけどね。あの頃もし、ロック・バンドはやーめた、となってたら本格的にエレクトロニクス音楽やっていたかもしれないね。

カセット・テープのマルチ・トラック・レコーダーを手軽に買えるようになったのは70年代末期でしたよね。

灰野:そうだね。その頃、俺も買って1年ぐらい使ってたけど、レヴェル調整とかがすごくストレスなので、すぐに使うのを止めた。ああいう作業は、俺にとってはロックじゃないし、何よりも、あの安易さが嫌だった。

『天乃川』のソロ・ライヴも、オープン・リール・レコーダーで録音したんですか?

灰野:いや、カセットだよ。70年代の半ばに一度、そのカセットを間章さんに預けたことがあった。彼がヨーロッパに行くので、何かチャンスがあるかもしれないと思って。で、彼がロンドンのヴァージン・レコード本社に行った時、たまたまクラウス・シュルツェに会ったので、そのカセットを彼に聴かせたら、ものすごく関心を持ったそうだ。彼曰く「青ざめていた」と(笑)。でも間さんはなにしろ話を盛る人だったし、ヨーロッパ滞在中にそのカセットを紛失しちゃったんだ。だから、俺の怒りをなだめるためにそんなお世辞を言ったのかもしれない。

当時は間章さんとかなり親密なつきあいだったんですよね。

灰野:そうだね。73~74年は俺はヨガに熱心で、人と会うことはほとんどなかった。それこそ、よく会っていたのは間さんぐらいだった。彼との会話は面白かったからね。月に1~2回は会っていたんじゃないかな。いつも渋谷の名曲喫茶「らんぶる」で。そういう時に、これを誰かに聴いてほしいと言って『天乃川』のカセットを渡したんだったと思う。

では、結局93年に〈Mom'n'DaD〉から『天乃川』を出す時は、音源はどこから調達したんですか?

灰野:紆余曲折あってね……間さんが無くしたと思っていたカセットは、ちょっと後に、カバンの底にあったと言って返してくれたんだけど、その後、今度は俺がフランスで盗まれたんだ。92年5月末から7月頭にかけてヨーロッパでライヴ・ツアーをやり、フランスではクリストフ・シャルルが仕切ってくれた。ヨーロッパでも関係者に聴かせたいと思って、俺はそのカセットを持って行ってたんだけど、それが入った荷物をニースで盗まれたの。8個あった荷物を全部。警察にも届けたけど、窃盗集団の仕業なので、もう出てこないと言われた。現金とパスポートだけは身につけていたから帰国できたんだけど。
 だから、その時点でマスター音源のカセットは永遠に消えたわけ。でも、その10年ほど前に、ピナコテカで1stソロ・アルバム『わたしだけ?』を作る時、ピナコテカの佐藤隆史くんが『天乃川』のカセット音源をオープン・リールにダビングしてくれたんだよ。ピナコテカから出すアルバムの候補として、最初に俺が『天乃川』を提案していたから。そのテープを佐藤くんがちゃんと保管してくれていたから、〈Mom'n'DaD〉で出せたの。

〈Mom'n'DaD〉の宇川くんには、灰野さんからアプロウチしたんですか?

灰野:いや、〈Mom'n'DaD〉からハナタラシ(92年) やマジカル・パワー・マコ(93年) が出た少し後、突然彼が「ファンです」と会いに来た。そして「灰野さん、何か出しましょうよ」と。始めは、ロスト・アラーフの〈幻野祭〉での完全版を出そうと思ったんだけど、当時俺の手元にあった〈幻野祭〉のライヴ音源は状態がイマイチで、迫力に欠けた。で、この音源のことを思い出して彼に聴かせたら「これです!」と一発で気に入った。

『天乃川』というタイトルは宇川くんがつけたんですか?

灰野:あれは作った当時から俺がつけていたものだよ。真っ暗な中にキラキラしたものが流れている感じがするから。面白いことに天の川って宇宙の川で、宇川も宇宙の川なんだよね。偶然だけど。そういう意味でも〈Mom'n'DaD〉にふさわしい。

間さんに渡し、ピナコテカの佐藤さんにも提案し、宇川くんにも聴かせたということは、灰野さん自身、この音源には20年間ずっと強い愛着があったわけですよね?

灰野:もちろん。自信作だったし、思い入れも強かった。俺は元々、レコードを作ることは好きじゃなかった。音楽は一瞬で消えるものだと言いながらもレコードを作るってのは矛盾していると思っていたから。でも、あれ(『天乃川』)だったらいいんじゃないかという気持ちが最初からあった。あと、『天乃川』があったからこそ最初の『わたしだけ?』も納得いくまで時間をかけて完成させられたのかもしれない。実際、『わたしだけ?』はジャケット写真の件で写真家の佐藤ジンさんと揉めにもめて、リリースも1年近く延び、もうやめようかなという状況にもなったしね。そういう時にも、『天乃川』が心の支えになっていたんだよ。

そういう自信作だったにもかかわらず、エレクトロニクスでの作業は、その後長いこと途絶えましたね。

灰野:ある意味、『天乃川』はフィニッシュだったんだよ。自分の中でのエレクトロニク・ミュージックとしては。近年、俺はエア・シンセを使っているけど、あれは形態の違うデジタル・サウンドだしね。センサーを使って音を出すなんて70年代当時は考えもしなかった。テルミンもオンド・マルトノも、ものすごく高価だったし。当時もしそういう楽器が手軽に入手できていたら、真っ先にやっていたかもしれないね。
 あと、『天乃川』の後エレクトロニクスを使わなくなった背景には、ヤニス・クセナキスの存在があるの。70年代に彼の電子音楽作品をいろいろ聴いて、電子音楽はもうこれでいいんじゃない? という思いが強まった。特に『ペルセポリス』は圧巻だよね。ついでに言うと、72年にEL&Pの初来日公演を観てがっかりしたこともちょっと関係あるかな。その時、キース・エマーソンはすごく高価で巨大なシンセサイザーを使っていたんだけど、そのシンセから出てくるのはピョ~ンピョ~ンみたいな、俺にとってはつまらない音ばかりで、あきれちゃったんだよね。


『わたしだけ?』
米Black Editions からの2017年再発LP

interview with Keiji Haino - ele-king

ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の対話を紹介するシリーズの2回目。今回は、高校時代からロスト・アラーフ参加までの1969~70年頃のエピソードを2本ピックアップする。ロック・シンガー灰野敬二の揺籃期である。
 ちなみに本稿がネットにアップされる頃、灰野は今年2度目のヨーロッパ公演(イタリア、ベルギー、フランス)へと旅立っているはずだ。

■ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン

灰野さんが高校時代からドアーズやブルー・チアの熱心なファンだったことは有名ですが、当時、特に好きだったミュージシャンとしては他にはどういう人たちがいたんですか?

灰野敬二(以下、灰野):高校の学園祭では “サティスファクション” などを歌ったんだよ。先輩たちのバンドのシンガーとして。学園祭のためだけの即席バンドね。3年生のギタリストはジェフ・ベックに似ていた。その他にも、ビートルズやナインティーンテン・フルーツガム・カンパニー(1910 Fruitgum Company)の “サイモン・セッズ Simon Says” とか歌った。当時流行っていたロックやポップスの曲ばかり。先輩から声をかけられて参加したバンドだし、曲も先輩たちが決めていたからね。でも、“テル・ミー” と “サティスファクション” を10分ぐらいずつやった時は、普通の演奏をバックに、ドアーズ “When The Music's Over” を意識したストーリーテリング的ヴォーカルにしたんだ。あと、俺はテイスト(Taste)の「シュガー・ママ Sugar Mama」(69年のデビュー・アルバム『Taste』に収録)をやりたいと言ったの。でも、誰も知らなかった。俺は『Taste』の米盤を持ってて、特にロリー・ギャラガーのギターが大好きだったから。
 ギターに関しては、もちろん最初はエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリクスなどを熱心に聴いていたけど、ロリー・ギャラガーはそういったブルース・ロック・ギタリストとはどこか違うと感じていた。変だなと。曲の作りが、ロックでもブルースでもカントリーでもない。リフも他のギタリストとは全然違う。理論ではなく直感としてそう思った。たとえば、ジミヘンやクラプトンの音楽が五つの要素から成っているとすると、ギャラガーは七つの要素で成っている。だから、飽きない。バロック音楽的要素も感じたりして。で、当時の自分の中でギャラガーは最高のギタリストになった。ちょっと後、渋谷ジァン・ジァンなどに日本のバンドのライヴを観に行くとみんなでクラプトン大会とかやってて、フーンと思っていた。当時から日本のロック・シーンはそんな感じだったんだ。


Taste “Sugar Mama”

今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。

17才でロリー・ギャラガーの特異性をしっかり感じ取れたってのはすごいですね。

灰野:とにかくいつも “違うもの” を探し求めていたから。ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。ジミヘンもクラプトンもカッコいいけど、彼らはやはりロックの優等生なの。ギャラガーだってもちろん優等生だけど、そこにとどまらない、更に何か違うものがある。

アイリッシュという属性も関係してたんでしょうね。

灰野:そうそう。彼の表現の根底には反イギリスの感覚がある。ヤマトの人間が持ちえないセンスをアイヌや沖縄の音楽家が持っているように。俺はお前たちとは違うぞ、俺たちにも目を向けろ、という意志を感じる。彼の音楽の中にあるカントリー・テイストも、ルーツはアイリッシュ・フォークだし。

ロリー・ギャラガーの他には?

灰野:デビュー時のレッド・ツェッペリン。高校1年の冬だったと思うけど、パック・イン・ミュージックの火曜日、福田一郎さんが、日本盤はまだ出てなかったツェッペリンの1st『Led Zeppelin』(欧米では1969年1月リリース)の “You Shook Me” をかけたのを聴いてショックを受け、翌日か翌々日、日本の発売元だと思われる日本グラモフォンに電話した。「ツェッペリンのファン・クラブを作ってくれ」と。それぐらいこのデビュー・アルバムにはずっと、ものすごい愛情を持ってきた。“You Shook Me” の最後の部分のギターとヴォーカルの掛け合い、俺はあれでヴォーカリゼイションに目覚めたの。ブルー・チアのグルーヴ感とロバート・プラントのヴォーカルが、ミュージシャンとしての自分のスタート地点になったと思う。ドアーズの演劇的表現は別にして。


Led Zeppelin “You Shook Me”

 とにかく “You Shook Me” はショックで、パック・イン・ミュージックを聴いた後、寝られなくなった。当時はまだ高校を辞めてなかった頃で、翌日学校から戻るとすぐにお金を握りしめて渋谷ヤマハに駆け込んだ。当時あそこは6時15分が閉店で、学校から帰宅してから急いで行くとだいたい6時ちょい前ぐらいに着く。だから、試聴している時間などない。幸い、盤はあり、それを大事に抱えて帰宅したのを憶えている。米盤で、3000円近くした。当時は英盤はなかなか入ってこなかった。
 日本の発売元が日本グラモフォンだとどうやってわかったのか……はっきり憶えてないけど……当時の日本ではいいバンドの発売元はだいたいグラモフォンだったから、勘で電話したんだと思う。でも、電話に出た人はツェッペリンのことを知らず、話がまったく通じなかった。もしわかっている人が出ていたら、俺は日本のツェッペリン・ファン・クラブ会長になっていたかもしれない。だいたい、当時はヤードバーズやキンクスだって、日本ではあまり知られてなかったからね。
 ツェッペリンは今でも1stが一番好きだね。というか、2作目以降は関心がなくなった。1stはアヴァンギャルドでしょう。今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。
 “You Shook Me” を聴いて、音楽や歌や声に対する概念が自分の中で変わったと思う。ああいうことをしてもいいんだ、なんでもありなんだ、と。あと、ロックじゃないけど、ヴォーカリゼイションのヒントということだと、パティ・ウォーターズも大きかった。今はもうロバート・プラントは嫌いだよ。歌がヘタだから。声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

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声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

■錦糸町の実況録音

 音楽家になる決意を固めた灰野敬二が高校を中退したのは1969年、高校2年の2学期。17才になって間もなくの頃だ。そして、ロスト・アラーフに参加するのが70年7月。その間に灰野が短期間参加したバンドが錦糸町を拠点とする実況録音である。

狭山の高校を中退してからロスト・アラーフに参加するまでの1年ほどは、どういう活動をしていたんですか?

灰野:中退したちょっと後、69年の秋だったと思うけど……都内の高校に通っていた中学時代の級友から「友人のロック・バンドがシンガーを探しているんだけど、会ってみないか?」と誘われたんだ。彼は中学時代に俺に最初にビートルズを教えてくれた友人で、高校に入ってからも地元でのつきあいが続いていた。
 で、さっそくそのバンドのドラマーの実家の倉庫でバンドと対面した。川越の高校生とは違い、格好からして全員すごく洗練されてて、ギタリストなんて3才ぐらい年上に見えたし、最初、ちょっとナメられている感じもした。で、その彼からいきなりポール・バターフィールド・ブルース・バンドの “絶望の人生 I Got A Mind To Give Up Living”(66年の2nd『East-West』に収録)を歌ってみてくれと言われてね。当時、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドなんてちゃんと聴いている人はほとんどいなかったし、いきなり “絶望の人生” を歌ってくれと言われて驚いたけど、俺はちゃんと歌えた。最初の一節を歌っただけで、ナメた態度だった彼ら3人は「オーッ!」とびっくりした。結局その倉庫で2回ぐらい練習した後、メンバーの一人が通っていた高校の学園祭に出たんだ。その時一緒に出ていた別のバンドのシンガーが俺のヴォーカルを絶賛してくれたのはよく憶えている。彼は俺以上の長髪で、レッド・ツェッペリンの大ファンだった。


The Paul Butterfield Blues Band “I Got A Mind To Give Up Living”

そのバンドとはその後も一緒にやったんですか?

灰野:いや、それっきりだったと思うけど、その学園祭を見に来ていた人から声をかけられたんだよ。高橋さんというドラマーだった。「自分たちは錦糸町界隈でブルース・バンドをやっているんだが、歌ってくれないか?」と誘われて、会いに行った。まだバンド名がないそのグループのメンバーは皆、俺よりもちょっと年上で、俺が加入してから実況録音というバンド名をつけた。彼らは当時、フリートウッド・マックのカヴァーなどをやっていた。皆、ピーター・グリーン好きで。でも、俺がグランド・ファンク・レイルロードやMC5を歌いたいと提案したら、面白そうだからやろうということになった。その時のベイスが、70年代にカルメン・マキ&OZに参加した川上シゲ(川上茂幸)だよ。

その実況録音というバンドが、初めて参加したプロのバンドですか?

灰野:一応形の上ではギャラが発生するバンドという意味では、そういうことになるね。実際はギャラなんてなかったけど。
 実況録音はビアガーデンやゴーゴー喫茶などで演奏していた。鶯谷とかの怪しい店で。俺が実況録音で歌っていたのは、1970年の前半の半年足らずだったと思うけど、どの場所でもたいていは、一回演奏しただけで、あるいは途中で止められて、もういいと帰されていた。客が全然踊れないし、いつも俺が絶叫していたから。実況録音はロック・バンドと名乗っていたけど、彼らにしてみればロックでもなんでもなく、ノイズだったわけ。でも、メンバーも、もっと普通に歌えとかは一度も言わなかった。俺は一番年下なんだけど、彼らは常に俺に興味を持ってくれてたし、ソウルフルで礼儀正しい奴、という見方をしてくれていた。とてもいい関係だった。俺はライヴが終わると川越まで帰れないから、よく川上が泊めてくれたんだ。

客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。

実況録音の音を録音したものは残ってないんですか?

灰野:いや、まったく。もしかしたら、どこかにあるのかもしれないけど……あったとしても、俺が怒鳴っている声とかが入っていると思う。いつも「ヤメロー!」とか野次る客と怒鳴り合いをしてたから。銀座のソニー・ビルの屋上ビアガーデンでやった時のことはよく憶えている。1曲目でグランド・ファンク・レイルロードの “Are You Ready”(69年のデビュー・アルバム『On Time』に収録)をブルー・チア風にやったら、客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。もちろんギャラももらえなかった。ビートルズの “And I Love Her” とか、当時のビアガーデンの定番曲を普通にやっていればいいものをね(笑)。


Grand Funk Railroad “Are You Ready”

 実況録音のメンバーとはその後は長いことつきあいが途絶えたままだった。川上がOZなどメジャーで活動していることは知っていたけど、俺的にはOZは違うという認識だったし。でも、彼らとは数年前に再会したんだよ。ネットで調べて、ギタリストでリーダーだった伊藤寿雄さんを見つけた。伊藤さんたちは、今でも年に一度ぐらい集まってライヴをやってて、俺も彼らのライヴを観に行った。2019年の正月には、普段は錦糸町で惣菜屋をやっている伊藤さんの家に招かれて、食事もしたし。伊藤さんには俺のライヴも観てもらった。俺がギターを弾くなんて彼は知らなかったからびっくりしていたけど、「ロックだな」と言われて、うれしかった。

 ちなみに、このインタヴュー後の2022年7月2日、灰野は《三様》なるライヴ・イヴェント(高円寺 ShowBoat)で52年ぶりに伊藤、川上と一緒にステージに立った。伊藤がスタンブル・ブルース・バンド(Stumble Blues Band)のギタリストとして、川上が川上シゲ with The Sea のベイシストとして、そして灰野が川口雅巳とのデュオとしてそれぞれのライヴをこなした後、最後に、伊藤・川上・灰野 +サポート・メンバーという形で実況録音の同窓会ライヴが繰り広げられた。ステージ上で時折笑顔になる灰野を私が観たのは、後にも先にも、その時だけである。


2022年7月2日高円寺 ShowBoatでのライヴ

interview with Keiji Haino - ele-king

俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の取材を始めてからちょうど3年が経った。周辺関係者インタヴューも含めて今なお継続中である。この取材は、「灰野さんの本を書いてくれ」というエレキング編集部からの依頼がきっかけだが、私自身の中にも「灰野さんの軌跡をちゃんと残さなくてはならない」という思いがずいぶん前からずっとくすぶっていた。灰野敬二ほどオリジナルな世界を探求し続けてきた音楽家は世界的にも稀、というか他にいないという確信があったから。半世紀以上にわたり、自分だけの音楽を追い求め、膨大な数の作品を残してきた彼の評価は、日本よりもむしろ海外での方が高いし、灰野の全貌を知りたがっているファンが世界中にいる。この貴重な文化遺産をできるだけ詳細かつ正確に文字として残さなくてはならないという一種の使命感に背中を押されて、私はこの仕事を引き受けた。

 灰野と私の関係についても少し説明しておく。私が灰野の存在を知ったのは1979年、彼が不失者を結成して間もなくの頃で、私は大学2年生だった。10月14日に吉祥マイナーで初めて不失者のライヴを体験し、続く27日にも法政大学学館ホールで観た。当時の不失者のベイスはガセネタの浜野純。その後も80年代には不失者だけでなくソロなどいろんな形態での彼のライヴに通い続けた。85年頃からは個人的なつきあいも始まり、不失者のライヴ・ツアーを主催したこともあったし、互いの家でレコードに聴き浸ることもしばしばだった。90年代以降は、ライヴを観る機会がめっきり減り、雑誌の取材などで時々会う程度の希薄な関係になったが、レコード・リリースやライヴ・ツアーなど海外での活躍が目立つようになった彼を遠くから眺めつつ、「ようやく灰野敬二の重要さが認められる時代になってきたな」とうれしく思っていた。そして、ここ3年間、100回以上のライヴに通い、彼の自宅でのインタヴューを続けてきた。

 今年秋に出すつもりで進めている本は、灰野敬二の音楽家としての歩みをまとめた、伝記的なものになるだろう。2012年に出た『捧げる 灰野敬二の世界』(河出書房新社)は、灰野が音楽家としての哲学を語った対談集とディスク紹介、年譜という内容だったが、今回の本では自身の言葉で音楽活動の軌跡を詳細に語ってもらっている。また、私生活や様々な交友関係など音楽からちょっと離れたことにもできるだけ触れてもらい、人間・灰野敬二の全体像、それを取り巻く時代の空気を描くことをめざしている。雑談的に語られるエピソードが彼の本性を照らし出すことは少なくないはずだ。まだリストアップされていないが、灰野が好きな音楽家やレコードを紹介するページは、私も楽しみにしている。

 というわけで、今月から、本の前宣伝を兼ねて、これまでにおこなってきた灰野インタヴューの中からちょっと面白いエピソードをランダムに紹介していく。単行本にする際は、膨大な発言を整理、編集しなくてはならないわけだが、ここではできるだけ対話を素起こしのまま(若干の補足説明を加えつつ)紹介したいと思う。単行本には載らないであろう言葉も多いはずだ。第1回目は、「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」、そして「ダムハウス」について。

■《エレクトリック・ピュア・ランド》と水谷孝

 《エレクトリック・ピュア・ランド》は、ロスト・アラーフのヴォーカルの灰野とドラマーの高橋廣行=通称オシメ、そして裸のラリーズの水谷孝が共同で企画したライヴ・イヴェント・シリーズで、73年から74年にかけて計5回開催された。ロスト・アラーフ(当時はキーボードの須田とベイスの斉藤も随時参加)とラリーズ以外に出演したのは、頭脳警察、カルメン・マキ&OZ、セブン(アシッド・セブン)、紅とかげ、南正人などである。

《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回は73年7月3日、池袋シアターグリーンですね。

1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。

灰野敬二(以下、灰野):1回目の出演者はロスト・アラーフと裸のラリーズだけだったけど、その後、南正人さんなどいろんな人たちに出てもらった。中心になって企画を進め、現場を仕切っていたのはオシメ。彼は元々プロデューサー志向が強い人だったからね。

灰野さん自身とラリーズとの接点は?

灰野:水谷氏と初めてちゃんと話したのは70年、7月に富士急ハイランドで開催された《ロック・イン・ハイランド》の少し後だったと思う。場所は、ちょうど楽器セールをやっていた渋谷道玄坂のヤマハだった。「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われたんだよ。でも、俺が初めて彼を見たのは、70年3月の南正人さんの《魂のコンサート》の時だった。俺が学生服姿で飛び入り参加したそのコンサートでは、南さんが「渋谷を歩いていたら雰囲気のある奴がいて、シンガーだというから連れてきた」と言って水谷氏をステージに上げ、彼は弾き語りをしたんだよ。俺はそれを観ていただけで、彼との会話はなかったけど。水谷氏が俺を初めて認識したのはさっきの《ロック・イン・ハイランド》にロスト・アラーフが出た時だったみたいだね。「ラリーズが会場に着いた時ちょうどロスト・アラーフをやっていた」と、後日、山口富士夫がオシメに言ったそうだよ。だから、水谷氏はヤマハで俺に話しかけたのかもしれない。あと、俺がロスト・アラーフに加わって最初に練習した(70年7月)のが渋谷の宮益坂のミウラ・ピアノ・スタジオという場所だけど、後にラリーズもそこをよく使っていたね。
 当時の我々の行動パターンは、道玄坂のヤマハでレコードを買って、ブラックホークかBYGかムルギーに行くという流れだったから、そのあたりで音楽関係者と顔見知りになることが多かった。水谷氏と道玄坂ヤマハで立ち話をした時、俺は下の部分がない中途半端なフルートとコンガを買ったのを憶えている。持って帰るのが大変だった。フルートはその頃から練習し始めたけど、人前で吹き出したのは80年代以降だね。

オシメはロスト・アラーフ解散後の75年には、一時期、ラリーズのドラマーとしても活動してましたよね。水谷さんと仲が良かったのかな?

灰野:《エレクトリック・ピュア・ランド》からのつきあいに加え、オシメが経営していた渋谷のアダン・ミュージック・スタジオをラリーズがよく使っていたからね。ラリーズはちょうど、ドラムの正田俊一郎が脱退した頃だったから、オシメが代わりのドラマーになったんだよ。で、オシメの後にサミー(三巻俊郎)がドラマーになった。

ヤマハで水谷さんから「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われた時、灰野さんはラリーズに関してはどの程度知ってたんですか?

灰野:ほとんど聴く機会はなかったけど……まあ、普通の8ビートのロックだなと思っていた。《ロック・イン・ハイランド》の時も俺は観ていない。ライヴをちゃんと聴いたのは、《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回(1973年7月3日 池袋シアターグリーン)の時だった。その時俺は水谷氏に「ヘタだけど好きです」と言ったんだ。水谷氏は「ヘタは余計じゃないか」とあの口調で言った。俺はいつも正直に言うからね。それに、上手い下手よりも、好きかどうかが大事だし。気持ちって、隠そうとしても、どうしても伝わってしまうからね。ラリーズはロックの新古典派だと思っている。

水谷さんは灰野さんの歌に関してはどう言ってました?

灰野:その頃ではなく、『わたしだけ?』(81年)が出た頃のことだけど……彼とは《エレクトリック・ピュア・ランド》の後もずっとつきあいがあり、時々会ったりもしていたし、喧嘩も何度もした。アルトーとマラルメのことでもめたり(笑)。で、『わたしだけ?』が出た後、「歌詞もしっかり読んだよ」と彼に言われてうれしかった。


灰野敬二『わたしだけ?』

 俺と水谷氏はみんなが思っているほど仲が良かったわけじゃないし、みんなが思っているほど仲が悪くもなかった。俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。
 時間と共に、皆、優等生になっていってしまう。90年代に流行ったロウファイとかヘタウマも、そういうスタイルの優等生にすぎない。自分たちの世界を作り上げたがゆえに、それを保険にして、その枠から出ようとしなくなる。俺は絶対に自分の形を守ろうとはしないよ。

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あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。

■ダムハウスのアニキ

73年に京都にしばらく滞在していたそうですね?

灰野:銀閣寺の近くにあるダムハウスという喫茶店ね。俺がアニキと呼んでいるそのマスター飯田さんと最初に会ったのは渋谷のアップルハウスだった。オシメが浅海さん(ロスト・アラーフの初代ピアニスト浅海章)と出会い、ロスト・アラーフ結成のきっかけにもなった場所で、ビートルズ・シネ・クラブの本部があった場所。俺も時々行ってて、京都からふらりと遊びに来たアニキとそこで出会った。ジャズやブルースに非常に詳しい彼から、「ジャズを聴いた方がいいよ。君だったらいつ来てもうちに泊めてあげるから」と言われたんだ。当時俺はジャズにはほとんど興味がなかったんだけど、時間もあったので、京都まで行ってみた。結局ダムハウスの2階に一ヵ月半滞在し、ひたすらジャズとブルースのレコードだけを聴いていた。店の手伝いをしながら。店が1階で、2階が住居。毎日、定食もごちそうになって。隣が風呂屋だったから便利だったな。バックパッカーみたいな連中もよく泊まってた。音楽中心のちょっとしたコミューンみたいな感じだった。後の「どらっぐすとぅあ」などにつながってゆく感じだね。

京都では演奏はしなかったんですか?

灰野:いや、その一ヵ月半は一切しなかった。レコードを聴くだけ。でも、ライヴを観に行ったりはしたよ。思い出深いのは、京都大学西部講堂での山下洋輔トリオだね。アニキはチャーリー・パーカー以上はいないと言い切るほどのパーカー信者で、巷間「フリー・ジャズ」と呼ばれているものにはまったく興味ない人だったけど、なんとなく一緒に観に行ったの。オシメが山下洋輔ファンだったから、俺も彼から『木喰』(70年)だけは借りて聴いていたけど、あまり惹かれなかった。既に聴いていたセシル・テイラーの二番煎じみたいだな、という印象で。彼らはステージ上ではなく、フロアで演奏しており、俺は一番前、彼らのすぐ目の前で聴いていた。21才の若造が、フーン、なるほどね……みたいな感じで。で、演奏の途中で突然ブレイクして音が一瞬止まった時、俺はジャンプしたんだ。彼らを試してみたくなって。でも、彼らはまったく動揺することなく、また演奏が始まった。その時、彼らの覚悟を見た気がした。これは違うなと。

その時のメンバーは?

灰野:山下洋輔(p)、坂田明(as)、森山威男(ds)。30年ぐらい後、一緒にやるようになってから坂田さんにその時のことを話したけど、彼は全然憶えてなかった。


山下洋輔トリオ『Clay』

で、ダムハウスでは具体的にどういうレコードを聴きこんだんですか?

灰野:ジャズとブルースだけ。毎日、何度も何度も聴き続けた。これだけを徹底的に聴けば他は必要ないと、アニキが12枚のLPを選んでくれたんだよ。その12枚は、チャーリー・パーカー『"Bird" Symbols』(61年)、チャーリー・パーカー・クァルテット『Now's The Time』(57年)、ピアニスト/シンガーのリロイ・カーとギタリストのクラッパー・ブラックウェルのデュオ作『Naptown Blues 1929-1934』(73年)、ファッツ・ナヴァロ『The Fabulous Fats Navarro Volume 1』(57年)、セロニアス・モンク『Genius Of Modern Music Vol. 1』(56年)、ブラインド・レモン・ジェファーソン『The Immortal Blind Lemon Jefferson』(67年)、ジョン・リー・フッカー『No Friend Around』(69年)、T-ボーン・ウォーカー『Stormy Monday Blues』(70年)、ゴスペルのコンピレイション盤『Ain't That Good News』(69年)。タイトルがすぐ出てこないけど、レスター・ヤングとグレン・グールドもあったな。彼にとってはグールドもジャズというとらえ方だった。あっ、一番肝心なのを忘れてた。チャーリー・クリスチャン & ディジー・ガレスピー 『Dizzy Gillespie / Charley Christian 1941 (Minton's Playhouse & Monroe's Uptown, New York City)』(53年)。これは特に徹底的に聴かされた。

アニキとはその後のつきあいは?

灰野:ずっとある。いつだったか、ダムハウスはその後閉店したんだけど、アニキとは10年に1度ぐらい連絡を取り合い、うちにも遊びに来たことがあった。彼はその後、新たな店を始めたんだ。バロック音楽しかかけない「ロココ」という喫茶店。

このダムハウスでの修行的な集中リスニング体験は、その後のミュージシャンとしての活動にどのような影響を与えたと思いますか。あるいは、土台になってますか?

灰野:もちろんなっているんだけど、特にジャズは勉強として聴いたし、こうあるべきだという聴き方をしたせいで、ジャズが楽しくなくなっちゃたんだよね。ずっと呪縛があった。反対に、スワン・シルヴァートーンズなど50年代のゴスペルはロックとして聴けるようになったけど。

でも、モンクやチャーリー・クリスチャンなどは大好きだとずっと言ってきたじゃないですか。昔、僕にもずいぶん勧めましたよね。実際僕は、80年代半ばに灰野さんに言われてチャーリー・クリスチャンのレコードを買ったし。

灰野:ジャズの美しい形として聴くべきだと言ったの。なんでもそうだけど、ひとつのことをやると、もう一方のことを忘れてしまいがち。俺の場合は、ジャズの色を楽しむということを遮断されちゃった感じなの。音の表と裏の関係は深く理解できたけど。だからこそ俺は、表と裏の真ん中を自分で勉強したわけ。そこから生まれたのが不失者だよ。微妙なタイミングのとらえ方は、この時のジャズとブルースの勉強が土台になっていると思う。そこから更に、1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。俺は京都から戻ってから、この12枚を自分で揃えて、更に徹底的に聴いて学習した。冬、コタツに入って夜中にずっと聴き続けてそのまま寝落ちして、明け方牛乳配達の音や小鳥のさえずり、通りを箒で掃く音などで目が覚めるんだけど、そういった一つひとつの音を裏、表、裏、表……と感知して、頭がおかしくなりそうだった。物と物が触れているか触れていないか、その関係を無限に探求し続けるぞと思った。

京都での一ヵ月半は、その後の音楽家人生にとってものすごく重要だったわけですね。

灰野:そう。笑っていいけど、あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。俺はあの時から、音楽の根源を知りたいと思うようになったの。あれが本当の始まりだったと思う。当時、アニキは「君は既にやっているよ、無意識で」と言っていたけど。よせばいいのにということをやっちゃう、それでしか得られないことがある。アルバート・アイラーはやったけど、コルトレインはやっていない。だから俺はずっとアイラー派なの。アニキと俺の関係は、ボクシングの名トレーナーが一つの才能を見つけて育てたようなものだと思う。間違いなく恩人だよ。彼と出会わなくてもモンクもチャーリー・クリスチャンも聴いただろうけど、彼はそこに違う見方や回路を示してくれたんだから。

灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回「ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン」そして「錦糸町の実況録音」について

Keiji Haino - ele-king

 NYにファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ(FCA)なる財団がある。1963年にジョン・ケージや画家ジャスパー・ジョーンズらによって創設された非営利団体で、8つの賞の授与をつうじて芸術家を支援することを目的としている。
 そのうちのひとつにポップアートの代表的な画家、ロイ・リキテンスタインの名を冠した賞があり、これまで詩人でありブラック・スタディーズの研究者でもあるフレッド・モーテン、フェミニズムやLGBTQにまつわる表現をつづけてきた写真家のイヴ・ファウラーなどが受賞しているのだが、その2023年度の受賞者として灰野敬二が選ばれることになった。音楽家としては初の受賞となる。国境を越え、音楽に留まらずさまざまな分野の芸術家たちとコラボレーションをおこなってきた、その50年以上にわたる活動が評価されたということなのだろう。
 昨年70歳を迎えた灰野敬二。コロナ禍以後、海外ツアーには出ていないものの、昨年の国内でのライヴは46本と近年でも最多。最新リリースは〈サブ・ポップ〉からの7インチ・シングル、そして2016年に深センでドイツのファウストと演奏したライヴ・アルバム(2LP+CDのボックスセット)。まだまだ衰えることはなさそうだ。

音楽家・灰野敬二が2023年度ロイ・リキテンスタイン賞を受賞(米ファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ)

 ニューヨークのファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツ(Foundation for Contemporary Arts/FCA)は2月15日、2023年度の助成芸術家を発表し、音楽家の灰野敬二がロイ・リキテンスタイン賞(Roy Lichtenstein Award)を受賞することが決定した。
 FCAは芸術家個人の支援を目的として、作曲家のジョン・ケージと、画家のジャスパー・ジョーンズによって1963年に創設された非営利組織。設立当初より、アール・ブラウン、マース・カニングハム、コーネリアス・カーデュー、メレディス・モンク、トリシャ・ブラウン、スティーヴ・ライヒといった数多くの芸術家への支援を行い、1993年には、ダンス、音楽/サウンド、詩、ヴィジュアルアーツ、パフォーマンスアート/演劇と、広範囲にわたる芸術家への助成金プログラムを公式化した。
 2023年度の助成対象者には、長年FCAと関わりのある芸術家にちなんだ8つの賞、マース・カニングハム賞、ヘレン・フランケンサーラー賞(絵画部門)、ロイ・リキテンスタイン賞、リチャード・パウセット・ダート賞(本年度より新設)、ロバート・ラウシェンバーグ賞、ドロテア・タニング賞、サイ・トゥオンブリー賞(詩部門)、C.D.ライト賞(詩部門)の受賞者が含まれる。対象となった21人の芸術家全員にそれぞれ45,000米ドルの助成金が贈られる。
 灰野が受賞したロイ・リキテンスタイン賞は、ポップアートを代表する画家リキテンスタインの精神を反映すると認められた優れた活動や業績に対して贈られるもので、2018年に創設されて以来、毎年候補者の中から非公開の選考によって決定される。過去の受賞者は、フレッド・モートン(詩)、アンディ・ロバート、イヴ・ファウラー、コンスタンティナ・ザヴィツァノス、フレデリック・ウェストン(以上、ヴィジュアルアーツ)で、音楽家の受賞は灰野が初となる。
 FCAのウェブサイトに英文で掲載されているアーティスト・ステートメントとバイオグラフィの原文は以下の通り。

【アーティスト・ステートメント】
わたしと 今 どっちがどっちに にじんでいる

1というものを成就させる事によって、次を必要としているか、さらにその次に動きたいか。1を成就させてあげれば、次(2)は全く違う次(2)を隣に呼びたいでしょう。そのとき、呼ばれるものをそれぞれ速度の違う、形状も違うものを呼びたいと思うでしょう。それが数字(メトロノーム)に表せない、人が理解しにくい一番深い今として現れます。そのことを人々は間という言葉で片づけてしまいます。私も説明がしきれないので、そのように呼んでいました。

特に私のパーカッションの演奏について、人々は即興という形容をします。しかしそれは前記の如く一音一音を成就させていることであり、時には床を打つ、壁にジャンプする、自分の身体を楽器に近づける等の行為を行うことで、ひとつの宇宙を形成しようとしています。それはその場で考えながら行っていく作曲とも編曲ともさらに変容(憑依)とも言い切れない試みです。音楽と呼ばれているものが次の何かになっていくことです。

私が考えていることは、全ての呼吸をしているものと繋がりたいということです。そして、それは呼吸をしていない全てのものともつながる為の修行だと思っています。
2022年12月

【バイオグラフィ】
 灰野敬二は、一つ一つの音の発生を唯一かつ不可逆的とみなす音楽的一元論を標榜する音楽家で、その実践は作曲とパフォーマンスの区別を消滅させ、(楽譜の)再現と即興という両方の概念を無効化する。彼はロックからインスピレーションを受け取っているが、それはロックから否定性、固着性、復讐心を除去した上でのことである。灰野の独自のテクニックはギター、ハーディ・ガーディ、その他の弦楽器、管楽器、打楽器、DJ機器、エレクトロニクスなどの性能を極限まで引き出し、あらゆるジャンル、スタイル、伝統の自由な探究、コラボレーション、実験を可能にしている。
 灰野は当初アントナン・アルトーに触発され演劇を志したが、ザ・ドアーズに遭遇し音楽に転向。以来ブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめとする初期ブルース、ヨーロッパ中世音楽から歌謡曲まで幅広い表現を検証し吸収した。
 1970年、エドガー・アラン・ポーの詩から名を取ったグループ「ロスト・アラーフ」にヴォーカリストとして加入。また、ソロで自宅録音による音源制作を開始、ギター、パーカッションを独習。1978年にロックバンド「不失者」を結成。滲有無、哀秘謡、Vajra、サンヘドリン、静寂、なぞらない、The Hardy Rocksなどのグループでも活動し、デレク・ベイリー、ペーター・ブロッツマン、リー・コニッツ、ジョン・ダンカン、フレッド・フリス、チャールズ・ヘイワード、ローレン・コナーズ、ジョン・ゾーン、ファウスト、ジム・オルーク、スティーヴン・オマリー、オーレン・アンバーチ、SUMAC、Boris、巻上公一、メルツバウ、大野一雄、田中泯、勅使川原三郎など様々な音楽的、芸術的バックグラウンドの芸術家とコラボレーションを行っている。
 灰野はこれまでに200点を超える音源を発表しており、ライブ・パフォーマンスは確認されただけでも2,000回以上を数える。


関連リンク(FCAウェブサイト)
2023年度ロイ・リキテンスタイン賞 灰野敬二(音楽家)
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/keiji-haino/
ロイ・リキテンスタイン賞 これまでの受賞者一覧
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/grant/roy-lichtenstein-award/
助成アーティスト一覧
https://www.foundationforcontemporaryarts.org/recipients/?page=2&limit=20

HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS - ele-king

文:ジェイムズ・ハッドフィールド(訳:江口理恵)[8月19日公開]

 1960年代に入ってしばらくするまで、カヴァー・ヴァージョンというのはロック・バンドが普通にやるものだった。ビートルズの最初の2枚のアルバムに収録されている曲の半分近くは他のアーティストの作品だ。初期のローリング・ストーンズは、自らのソングライターとしての才能を証明するよりも、ボ・ディドリーを模倣することの方に関心があった。しかし、LPがロック・ミュージックのフォーマットに選ばれるようになると、ファンはアーティストにより多くの革新を期待し、レーベルもオリジナルの音源の方が金になることに気付き出した。カヴァー・ヴァージョンは、ありふれたお馴染みのものから、ロック・ミュージシャンがより慎重に意図を持って使うものになっていった。敬意を表したり、いつもの定番曲に新風を吹き込んだり、キュレーターとしてのテイストをひけらかしたり、あるいは完全に冒涜的な行為を行うための。

 『きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか』の収録曲では、これらのことの多くが、時に同時進行で行われている。灰野敬二が70歳の誕生日を迎えたわずか数週間後にCDとしてリリースされたこの変形したロックのカヴァー集は、実質的にはパーティ・アルバムであり、クリエイターの音楽的ルーツを探る、疑いようのない無礼講なツアーのようだ。全曲を英語のみで歌う灰野敬二が、角のあるガレージ・ロック・スタイルのコンボ(川口雅巳(ギター)、なるけしんご(ベース)、片野利彦(ドラム))のヴォーカルを務め、ロックの正典ともいうべき有名曲のいくつかを、ようやくそれと認識できるぐらいのヴァージョンで披露している。

 灰野がカヴァー・バンドのフロントを務めるというのはそれほどばかげた考えではない。彼の1990年代のグループ、哀秘謡では、ドラマーの高橋幾郎、ベースの川口とともに、50年代・60年代のラジオのヒット曲の、幻覚的な解釈をしてみせた。ザ・ハーディ・ロックスの前には、よりリズム&ブルースに焦点を当てたハーディ・ソウルがあり、その一方で灰野はクラシック・ロックの歌詞を即興のライブ・セットに取り入れることでも知られていた。つまり、このアルバムが、一部の人間が勘違いしそうな、使い捨てのノヴェルティのレコード(さらに悪くいえば、セルフ・パロディのような行為)ではないことを意味している。

 2017年に、ザ・ハーディ・ロックスを結成したばかりの灰野にインタヴューしたとき、彼はバンドがやっていることを「異化」という言葉で表現した。これは英語では“dissimilation”あるいは“catabolism”と訳されるが、ベルトルト・ブレヒトの、観客が認識していると思われるものから距離を置くプロセスである“Verfremdung”の概念にも相当する。ここでは“(I Can’t Get No ) Satisfaction”のように馴染み深い曲でさえ、じつに奇怪にきこえる。キース・リチャーズの3音のギター・フックが重たいドゥームメタル・リフへと変わり、灰野が喉からひとつひとつの言葉をひねり出すような激しさで歌詞を紡ぐ。驚くべきヴォーカル・パフォーマンスを中心にして音楽がそのまわりを伸縮し、次の“Hey Hey Hey”への期待で、いろいろな箇所で震えて停止してしまう。

 あえて言うまでもないが、灰野は中途半端なことはしない。レコーディング・エンジニアの近藤祥昭が、不規則で不完全な状態を捉えたこのアルバムでの灰野のヴォーカルは、まるで憑りつかれているかのようだ。金切り声や唾を吐く音が多いにもかかわらず、何を歌っているのか判別するのはそれほど難しいことではない。バンドは重々しい足取りでボブ・ディランの“Blowin’ In The Wind”をとりあげているが、それはもっとも不機嫌な不失者のようでオリジナルとは似ても似つかないが、それでもディラン自身が2018年のフジロックフェスティバルで演奏したヴァージョンよりは曲を認識できる。

 注意深く聴くとたまに元のリフが無傷で残っているのがわかるが、音の多くの素材は、不協和音のコード進行や故意に不格好なリズムで再構築されている。このバンドの“Born To Be Wild”では、有名なリフレインに辿り着く前に灰野がジョン・レノンの“Imagine”からこっそりと数行滑り込ませている。“My Generation”では、崩壊寸前の狂気じみた変拍子でヴァースに突進していく。川口が灰野のヴォーカルに合わせて支えるように、しばしば、エフェクターなしでアンプに直接つないだ生々しいギターの音色を響かせる。なるけと片野は、様々なポイントでタール抗の中をかき分けて進むかのように演奏している。

 ビッグネームのカヴァーが多くの人の注目を引くだろうが、ザ・ハーディ・ロックスは、日本のMORでも粋なことをしている。アルバムのオープニング曲の“Down To The Bones”は、てっきり『Nuggets』のコンピレーションの収録曲を元にしていると思っていたが、YouTubeのプレイリストを見て、これが実際には1966年に「骨まで愛して」で再デビューした歌謡曲のクルーナー、城卓矢のカヴァーだと判明した。“Black Petal”は、水原弘の“黒い花びら”をプロト・パンク風の暴力に変えるが、日系アメリカ人デュオのKとブルンネンの“何故に二人はここに”については、灰野にかかっても救いようのない凡庸さだ。

 もっとも異彩を放つのは、アルバム終盤に収録されたアカペラ・ヴァージョンの“Strange Fruit”だろう。これは奇妙な選択であり、「Black bodies swinging in the southern breeze(黒い体が南部の風に揺れる)」という歌詞を静かに泣くように歌い、本当の恐怖を伝える灰野の曲へのアプローチの仕方には敬意を表するが、私はこの曲を再び急いで聴こうという気にはならない。しかし、アルバム全体は非常に面白く、このクリエイターの近寄り難いほど膨大なディスコグラフィへの入り口としては、理想的な作品である。



HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS


きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか
(“You’re either standing facing me or next to me”)


P-Vine Records

by James Hadfield

Until well into the 1960s, cover versions were just something that rock bands did. Nearly half of the songs on the first two Beatles albums were by other artists. The early Rolling Stones were more interested in channeling Bo Diddley than in proving their own abilities as songwriters. But as the LP became the format of choice for rock music, fans began to expect more innovation from artists, while labels came to realise there was more money to be made from original material. Cover versions went from being ubiquitous to something that rock musicians used more sparingly, and intentionally: to pay respects, put a fresh spin on familiar staples, flaunt their curatorial taste, or commit acts of outright sacrilege.

The songs on “You’re either standing facing me or next to me” are many of these things, sometimes all at once. Released on CD just a few weeks after Keiji Haino celebrated his 70th birthday, this collection of deformed rock covers is practically a party album, and a distinctly un-reverential tour of its creator’s musical roots. Singing entirely in English, Haino acts as vocalist for an angular, garage rock-style combo (consisting of guitarist Masami Kawaguchi, bassist Shingo Naruke and drummer Toshihiko Katano), who serve up just-about-recognisable versions of some of the most famous entries in the rock canon.

The idea of Haino fronting a covers band isn’t as absurd as it may seem. His 1990s group Aihiyo, with drummer Ikuro Takahashi and Kawaguchi on bass, did strung-out interpretations of radio hits from the ’50s and ’60s. The Hardy Rocks were preceded by the more rhythm and blues-focused Hardy Soul, while Haino has also been known to incorporate lyrics from classic rock songs into his improvised live sets. All of which is a way of saying that this isn’t the throwaway novelty record that some might mistake it for (or, worse, an act of self-parody).

When I interviewed Haino in 2017, not long after he’d formed The Hardy Rocks, he used the term “ika” (異化) to describe what the band were doing. The word can be translated as “dissimilation” or “catabolism” in English, though it also corresponds with Bertolt Brecht’s idea of “Verfremdung”: the process of distancing an audience from something they think they recognise. Even a song as familiar as “(I Can’t Get No) Satisfaction” sounds downright freaky here. Keith Richards’ three-note guitar hook is transformed into a lumbering doom metal riff, as Haino delivers the lyrics with an intensity that suggests he’s wrenching each word from his own throat. It’s a remarkable vocal performance, and the music seems to expand and contract around it, at various points shuddering to a halt in anticipation of his next “Hey hey HEY.”

As if it needed stating at this point, Haino doesn’t do anything by halves, and his vocals on the album—captured in all their ragged imperfection by recording engineer Yoshiaki Kondo—sound like a man possessed. But for all the shrieks and spittle, it’s seldom too hard to figure out what he’s actually singing. The band’s lumbering take on Bob Dylan’s “Blowin’ in the Wind”—like Fushitsusha at their most morose—may sound nothing like the original, but it’s still more recognisable than the version Dylan himself played at Fuji Rock Festival in 2018.

Listen closely and you can pick out the occasional riff that’s survived intact, though more often the source material is reconfigured with dissonant chord sequences and deliberately ungainly rhythms. The band’s version of “Born To Be Wild” eventually gets to the song’s famous refrain, but not before Haino has slipped in a few lines from John Lennon’s “Imagine.” On “My Generation,” they hurtle through the song’s verses in a frantic, irregular meter that’s constantly on the verge of collapse. Kawaguchi matches Haino’s vocals with a bracingly raw guitar tone, often jacking straight into the amp without any effects pedals. At various points, Naruke and Katano play like they’re wading through a tar pit.

While it’s the big-name covers that will grab most people’s attention, The Hardy Rocks also do some nifty things with Japanese MOR. I was convinced that album opener “Down To The Bones” was based on something from the “Nuggets” compilations, until a YouTube playlist alerted me to the fact that it was actually “Hone Made Ai Shite,” the 1966 debut by kayōkyoku crooner Takuya Jo. “Black Petal” turns Hiroshi Mizuhara’s “Kuroi Hanabira” into a bracing proto-punk assault, though the band’s take on “Naze ni Futari wa Koko ni,” by Japanese-American duo K & Brunnen , is a pedestrian chug that even Haino can’t salvage.

The most out-of-character moment comes near the end of the album, with an a cappella version of “Strange Fruit.” It’s an odd choice, and while I can respect the way that Haino approaches the song—delivering the lyrics in a hushed whimper that conveys the true horror of those “Black bodies swinging in the southern breeze”—it isn’t a track that I’ll be returning to in any hurry. But the album as a whole is a hoot, and an ideal entry point into its creator’s intimidatingly vast discography.

ジェイムズ・ハッドフィールド

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文:松山晋也[9月5日公開]

 9月7日に出るLPが届いた昨日だけで立て続けに3回聴いた。いま、そのハードさに改めて打ちのめされている。LP版は、11曲収録のCD版よりも2曲少ない9曲入りなのだが、「最初からLPを念頭に作ったアルバム」と灰野が語るとおり、サウンド全体のヘヴィネスと密度が強烈で、ハーディ・ロックスというユニット名に込められた灰野の思いもより明瞭に伝わってくる。5月に出たCDを買った人もぜひLPの方も聴いてほしいなと思う。ひとりのファンとして。

 ロックを極限までハードに表現すること──ハーディ・ロックスという名前に込められた灰野の思いは明快である。実際、ライヴ・パフォーマンスも極めてハードだ。灰野+川口雅巳(ギター)+なるけしんご(ベイス)+片野利彦(ドラム)から成るこのユニットでは灰野はギターを弾かず、ヴォーカルに専念している(曲によってはブルース・ハープも吹く)のだが、1回ライヴをやると体調が完全に回復するまで半年かかると本人は笑う。それくらい尋常ではないエネルギーを放出するわけだ。しかし、ハード=ラウドということでもない。バンドの演奏も灰野のヴォーカルもなるほどラウドではあるけど、彼らの表現の核にあるのは音量やノイズや速度では測れない何物かだ。原曲の歌詞やメロディに埋め込まれた思いや熱量にどこまで誠実かつ繊細に向き合えるのか、という “覚悟” が一音一音に刻み込まれている。その覚悟の真摯さ、強固さを灰野は「ハーディ」という造語で表明しているのだと思う。

 ハーディ・ロックスは、海外の楽曲(ロックや、R&B、ジャズなど)や日本の歌謡曲を英語でカヴァするためのプロジェクトとして数年前にスタートした。98年にアルバム『哀秘謡』も出た歌謡曲のカヴァ・プロジェクト=哀秘謡、2010年代にやっていたソウルやR&Bのカヴァ・プロジェクト=ハーディ・ソウルの延長線上というか、総決算的プロジェクトと言っていい。これら3つのプロジェクトに共通しているのは、“なぜ(原曲は)こんな演奏と歌い方なんだ!” という原曲に対する愛と不満だろう。
 今回のアルバム(CD版)に収録された曲目は以下のとおり。このうち⑤⑥の2曲はLP版ではカットされている。

① 城卓矢 “Down To The Bones(骨まで愛して)”
② ボブ・ディラン “Blowin’In The Wind”
③ ステッペンウルフ “Born To Be Wild”
④ エディ・コクラン/ブルー・チア “Summertime Blues”
⑤ バレット・ストロング/ビートルズ “Money (That’s What I Want)”
⑥ Kとブルンネン “Two Of Us(何故に二人はここに)”
⑦ ローリング・ストーンズ “(I Can’t Get No) Satisfaction”
⑧ ドアーズ “End Of The Night”
⑨ 水原弘 “Black Petal(黒い花びら)”
⑩ ビリー・ホリデイ “Strange Fruit”
⑪ フー “My Generation”

 ① “骨まで愛して” と⑥ “何故に二人はここに” は『哀秘謡』でも日本語でカヴァされていたが、今回の英語ヴァージョンと聴き比べてみると、20数年の歳月が灰野の表現にどのような変化/深化をもたらしたかよくわかる。“骨まで愛して” は『哀秘謡』版ではリズムもメロディも極限まで解体されていたが、その独特すぎる間合いと呼吸が今回はロック・バンドとしてのノリへと昇華された感じか。“何故に二人はここに” の『哀秘謡』版は灰野にしては意外なほどシンプルだったが、今回はそのシンプルさに拍車をかけたダイレクトなガレージ・ロック調。灰野の作品でこれほどポップな(演奏のコード進行もヴォーカルのメロディもほぼ原曲どおり!)楽曲を私は聴いたことがない。LPに収録されなかったのは、時間的制限という問題もあろうが、もしかしてシングル盤として別に出したかったからでは?とも勘ぐってしまう。ちなみに灰野が14才のとき(66年)に大ヒットした “骨まで愛して” は、発売当時から灰野はもちろん知ってはいたが、本当に惹かれたのは後年、前衛舞踏家・大野一雄のドキュメンタリー映画『O氏の死者の書』(73年)の中で、サム・テイラー(たぶん)がテナー・サックスで吹くこの曲をBGMに大野が豚小屋で舞うシーンを観たときだったという。また、第二のヒデとロザンナとして売り出されたKとブルンネンの “何故に二人はここに”(69年)は、『哀秘謡』を作るときにモダーン・ミュージック/P.S.F レコードの故・生悦住英夫から「歌詞が素晴らしい曲」として推薦されたのだとか。

 海外の曲の大半は、灰野が10代から愛聴してきた、あるいは影響を受けた作品ばかりだと思われるが、中でも④ “Summertime Blues” と⑧ “End Of The Night” に対する思い入れは強いはずだ。なにしろブルー・チアとドアーズは、灰野のロック観の土台を形成したバンドだし。70年代前半の一時期、灰野は裸のラリーズの水谷孝とともにブルー・チアの曲だけをやるその名もブルー・チアというバンドをやっていたこともあるほどだ。だから、曲の解釈や練り上げ方にも一段とキレと余裕を感じさせる。ジム・モリスンがセリーヌの「夜の果てへの旅」にインスパイアされて書いた “End Of The Night”(ドアーズの67年のデビュー・アルバム『The Doors』に収録)は短いフレーズのよじれたリフレインから成るドラッギーな小曲だが、原曲と同じ尺(約2分50秒)で演奏されるハーディ・ロックスのヴァージョンは、ドアーズが描いた荒涼たる虚無の原野を突き抜けた孤立者としての覚醒を感じさせる。灰野敬二の表現者としての原点というか、灰野の心臓そのもののように私には思えるのだ。

 その他、特に面白いのが、アカペラによる⑩ “Strange Fruit(奇妙な果実)” か。彼らは最初これを演奏付きで何度も試してみたのだが、どうもしっくりこず、最終的にヴォーカルだけにしたのだという。なるほど、この歌で描かれる凄惨な情景、木に吊り下げられた黒い躯の冷たさにここまで肉薄したカヴァはなかなかないだろう。あと、③ “Born To Be Wild(ワイルドで行こう!)” の途中で突然ジョン・レノン “イマジン” のワン・フレーズが挿入されているのも興味深い。ノー・ボーダーな野生児による宇宙との一体化という歌詞の共通点から挿入したのか、単なる直感や気まぐれなのか、そのあたりは不明だが。

 これらのカヴァ・ワークは、“何故に二人はここに” 以外はいずれも、ちょっと聴いただけでは原曲が何なのかわからないほどメロディもリズムも解体されており、ビーフハート作品のごとく極めて微妙なニュアンスに溢れた演奏の背後には、かなり長時間の集団鍛錬があったはずだ。抽象的な言葉を多用する灰野のヴィジョンをサウンドとして完璧に具現化するためだったら、すべての楽器を灰野自身が担当した方が録音もスムースだろうし、実際それは可能だと思うのだが、それをあえてやらないのがこのユニットの醍醐味だろう。誤解や齟齬によって生まれる別の匂いを楽しむこと、「わからないということを理解する」(灰野)ことこそが灰野にとっては大事なのだから。

 振り返れば、灰野の目はつねに “音楽の始原” という一点だけを見つめてきた。灰野のライヴでいつも驚かされるのは、どんな形態、どんな条件下であっても我々は音楽が生まれる瞬間を目撃できるということである。ここにあるのは、誰もが知っている有名な曲ばかりだが、同時に誰も聴いたことがない曲ばかりでもある。

松山晋也

HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS - ele-king

 先日不失者の2デイズ・ライヴ情報をお伝えしたばかりだが、また新たなニュースの到着だ。
 2016年、灰野敬二が若手の実力派たちと結成したロック・バンド「HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS」。同バンドで灰野はヴォーカリストに徹し、自身の原点たるロックンロールやR&B、ソウルやジャズを英語で歌い、精力的にライヴをこなしてきた。その音源は昨年、ロンドンの Cafe Oto からデジタルでリリースされているが、きたる5月11日、待望のスタジオ・アルバムがリリースされる。
 また、6月15日には渋谷WWWにて同作のリリース記念ライヴが開催。チケットの販売は明日から。ご購入はお早めに。

灰野敬二率いるリアル・ロック・バンド、HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS待望のスタジオ・アルバム、5/11リリース。6/15に渋谷WWWにてリリース記念ライヴを開催。

これだけがロック。私が言うロックという言語を、古文書の封印が解かれていくように開示する。――灰野敬二

1970年に前衛ロック・バンド、ロスト・アラーフのヴォーカリストとしてデビュー、1978年に不失者を結成、それ以来ソロのほかに滲有無、哀秘謡、Vajra、サンヘドリンなど、多様な形態で活動し、国際的に高い評価を受ける音楽家・灰野敬二。

常に「今」を追求しつづけている灰野が、川口雅巳(Kawaguchi Masami's New Rock Syndicate)をはじめ若手実力派ミュージシャンとともに2016年に結成したロック・バンド、HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKSの待望のスタジオ・アルバム。

録音はアナログ・レコーディングで定評のあるGOK SOUNDにて、エンジニアにバンドが絶大な信頼を寄せる近藤祥昭を迎えて行われた。

灰野がヴォーカリストに徹し、自らの原点といえるロックンロール、R&B、ソウル、ジャズ、そして日本の曲も英語で歌うという明確なコンセプトを打ち出し、精力的にライヴ活動を展開、2021年にイギリスのレーベルから配信でライヴ音源がリリースされ好評を得た。

ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ドアーズ、ボブ・ディラン、ザ・フーなどの名曲が、徹底的に解体・再構築され、曲の“本性”がむき出しになった究極のリアル・ロック。その衝撃は世代を問わず幅広いロック・ファンにアピールするでしょう。

6月15日に渋谷WWWにて本作のリリース記念ライヴを開催。リアル・ロックを体感してほしい。

HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS
灰野敬二 HAINO KEIJI vocal, harp
川口雅巳 KAWAGUCHI MASAMI guitar
なるけしんご NARUKE SHINGO bass
片野利彦 KATANO TOSHIHIKO drums

[リリース情報]
アーティスト:HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS
Title: You’re either standing facing me or next to me
タイトル:きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか
レーベル:P-VINE
フォーマット:CD
商品番号:PCD-28048
価格:定価:¥3,080(税抜¥2,800)
発売日:2022年5月11日(水)

収録曲
01. Down To The Bones
02. Blowin' In The Wind
03. Born To Be Wild
04. Summertime Blues
05. Money (That's What I Want)
06. Two Of Us
07. (I Can't Get No) Satisfaction
08. End Of The Night
09. Black Petal
10. Strange Fruit
11. My Generation

フォーマット:LP
商品番号:PLP-7849
価格:定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2022年9月7日(水)
完全限定生産

収録曲
A1 Down To The Bones
A2 Blowin' In The Wind
A3 Born To Be Wild
A4 Summertime Blues
B1 (I Can't Get No) Satisfaction
B2 End Of The Night
B3 Black Petal
B4 Strange Fruit
B5 My Generation

[ライヴ情報]
HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS
出演:HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS
日程:2022年6月15日(水)
会場:渋谷WWW
時間:開場18:30 開演19:30
料金:前売¥4,000(税込/ドリンク代別/全自由)
チケット一般発売:4月2日(土)10:00 e+にて
問い合わせ:WWW 03-5458-7685
https://www-shibuya.jp

灰野敬二が若手実力派ミュージシャンとともに結成したロック・バンド「HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS」。灰野がヴォーカリストに徹し、自らの原点といえるロックンロール、R&B、ソウル、ジャズ、そして日本の曲も英語で歌うという明確なコンセプトを打ち出す。

2021年にはロンドンのCafe Otoからデジタルリリースし好評を博したそのバンドの待望のスタジオ・アルバム「You’re either standing facing me or next to me」が5月11日P-VINEからリリース、リリース記念ライブを6月15日に開催する。

ロックの衝撃がここにある、本当のロックを聴きたい人は、集まれ。

https://www.fushitsusha.com

灰野敬二/不失者 - ele-king

 70歳まではハードな音楽をやっていたい──そう公言していた灰野敬二、2010年代には Sunn O)))スティーヴン・オマリーオーレン・アンバーチとのバンド、ナゾラナイなどもやっているエクスペリメンタル・ミュージックの巨匠が、来る5月3日、ついに70歳を迎える。まさにその当日と翌日、不失者の2デイズ・ライヴが開催されることになった。3日は高円寺ShowBoatにて、4日は渋谷WWWにて。長きにわたる灰野の活動の、その次を目撃する二日間。

─70歳まではハードな音楽をやっていたい。
そう公言していた灰野敬二が、2022年5月3日、70歳になる。

ハードの次に、ロックの後に、
何がある のか。何になる のか。

その先を、目撃する2日間。

不失者 日.日

灰野敬二 / 不失者 2DAYS
不失者 日.日

DAY 1
日程:2022年5月3日(火・祝)
会場:高円寺ShowBoat
時間:開場15:00 開演16:00
問い合わせ:ShowBoat 03-3337-5745 (14:00~23:00)

DAY 2
日程:2022年5月4日(水・祝)
会場:渋谷WWW
時間:開場17:00 開演18:00
問い合わせ:WWW 03-5458-7685

チケット
一般発売:3月26日(土)10:00
販売URL:https://eplus.jp/fushitsusha-www/
・2DAYS チケット:¥8,500(全自由/ドリンク代別)
・DAY1 チケット(5月3日 高円寺ShowBoat):¥4,500(全自由/ドリンク代別)
・DAY2 チケット(5月4日 渋谷WWW):¥4,500(全自由/ドリンク代別)
https://www.fushitsusha.com/

Nazoranai - ele-king

 灰野敬二、スティーヴン・オマリー(Stephen O’Malley)、オーレン・アンバーチ(Oren Ambarchi)らによるNazoranaiの新作が、トニー・コンラッド(Tony Conrad)やジョン・ギブソン(Jon Gibson)などのリイシューで知られる〈Superior Viaduct〉のサブレーベル〈W.25TH〉からリリースされた。〈W.25TH〉は、これまでブライアン・イーノ(Brian Eno)とのアンビエント・シリーズでも有名なララージ(Laraaji)が、サン・アロウ(Sun Araw)とコラボレーションを行った『Professional Sunflow』とウーマン(Woman)のパトリック・フレーゲル(Patrick Flegel)によるシンディ・リー(Cindy Lee)『Malenkost』などの個性的な2アルバムをリリースしている。そして、この『Beginning To Fall In Line Before Me, So Decorously, The Nature Of All That Must Be Transformed』はレーベル3枚目のアルバムなのである。まだリリース数は少ないが、レジェンドと現在性を交錯させるマニアックかつコアなレーベル・キュレーションが素晴らしい。
 ちなみにNazoranaiのこれまでのアルバムは、〈Editions Mego〉傘下でスティーヴン・オマリーが主宰する〈Ideologic Organ〉から『Nazoranai』(2012)、『The Most Painful Time Happens Only Once Has It Arrived Already... ? = 一番痛い時は一度だけそれは もう 訪れているのかな...』(2014)がリリースされていたが、〈Ideologic Organ〉以外のレーベルからアルバムをリリースするのは今回が初。収録されている音源は、2014年3月4日に東京のスーパー・デラックスで行われたライヴ録音の長尺2曲。曲名は即物的に“Part 1”、“Part 2”と名付けられており、アナログのA面とB面に収録されている。

 アルバムの音源を耳にしたリスナーは、その成熟と鋭さを併せ持った演奏/サウンドに驚くだろう。3人の演奏は、「3」という数字を拡張するかのように展開する。生成されていく漆黒の音響空間は、それぞれの演奏が、まったく別の層に存在しつつも、しかし繊細かつ大胆に、互いに互いの音の尖端に敏感に反応し、水のように変化し、濃厚な空気のような新しい音の層を生み出していく。
 闇の中の光のような灰野のギター、弦、ヴォイス、念仏のように呻くスティーヴン・オマリーのヘビーなベース、タイトでミニマルなリズムキープをベースにしつつも、その根底で音を崩しにかかるオーレン・アンバーチのドラム/パーカッションなど、どれもバンドとしてアンサンブルが極まっている。“Part 1”など、本年2017年に〈Ideologic Organ〉から発売されたザ・ネックス(The Necks)『Unfold』のサウンドを思わせる多層的ドローン/アンサンブルであり、この曲の録音自体は2014年ということに驚いてしまう。続く“Part 2”は、灰野の鋭くも柔らかいエレクトリック・ギターとヴォイスが、ふたりの演奏に、その都度、アタックを加えるように鳴り響く。サウンドを硬化させず、ノイジーであっても柔軟なアンサンブルを実現しているように聴こえた。
 このバンドは音の形式をただ「なぞっている」だけではないし、そんなことはもはや許されないのだろう。いや、そもそも即興を主体とする音楽、つまりは「ロック」においては、当然のことを当然のように灰野たちは実践しているだけなのかもしれない。いわば彼らは最後のロックの墓標を立てようとしているかのようなのだ。その意味で同時期に活動する灰野、ジム・オルーク(Jim O’Rourke)、オーレン・アンバーチのコラボレーション、不失者『光となづけよう』(2012)、『まぶしいいたずらな祈り』(2013)も同様に「最後のロック」といえよう。
 が、それでもなお新作『Beginning To Fall In Line Before Me, So Decorously, The Nature Of All That Must Be Transformed』のアンサンブルには、ほかにはない独特の、端正ともいえる「美しさ」が、まるで闇夜に光る花のように咲いているように思えてならない。これはいったいどういうことか。あまりに鋭く、美しく、そしてドープなのだ。私は、このアルバムにうごめいているサウンドの、アンサンブルの、ノイズの、響きの、音の、その崩れそうなほどに儚い美しさに惹かれてしまう。夢と現実の境界線を、その横溢する圧倒的な音の快楽/陶酔の中で、しかしその陶酔を冷めるように覚醒させる「鋭さ」が同時にあるように思えるからだ。
 音の複数性と、美の共存。このアルバムに横溢するノイズとアンサンブルは、最後のロックの墓標に飾られた、たった一輪の終わりの華のようだ。つまりは、とても官能的で、儚く、刺激的なのである。

環太平洋電子音楽見本市 - ele-king

Day 1  語るべき音楽世界がまだある

Phew + Rokapenis
Black Zenith
Amplified Elephants
Philip Brophy
DJ Evil Penguin

文:松村正人 写真:伊藤さとみ / Satomi Ito

 コープス・ペイントの上半身裸の長髪の男が楽屋口からステージへ肉食獣のように歩み寄り壁際のドラムセットに就く。11月13、14日の2日間にわたって開催された「JOLT Touring Festival 2015」の初日はこうして幕を切った。


Philip Brophy

 メンバーはほかにいない、ドラム・ソロのようだ。やおら打ち込みの音が鳴る。ダンスミュージック的……だがどこか古びている。しかしまだはじまったばかり、意想外の展開があるかもしれない……がとくにない。1曲めを叩ききった。オーディエンスからまばらな拍手。説明もなく2曲め。似たような展開だが、ちょっと待て、よく聴くとこれはイエスの“燃える朝焼け”のリフか。ブラックメタルの恰好をした男が自作カラオケに合わせてドラムを叩く。しかもそれがブラックメタルとはそぐわない古典的プログレの、さらにいえば、超訳とでもいうべき、きわめて恣意的なトラック(基本的にメイン・リフをくりかえすだけ)というある種のコンセプチュアル・アートかもしれないが、伝わりづらい。学園祭のにおいがする。Xジャパンの恰好でTスクェアをカヴァーするような、そぐわないものを同居させる思いつきイッパツのパフォーマンス。私は嫌いでないどころか、学生時代はそういうことを喜々としてやった。ところが、そういうことをするとベクトルは内に向かう。楽屋オチというヤツだ。ああ3曲めはAC/DCの“サンダーストラット”か。私はその外しっぷりに色めきたつが、ほかのお客さんは遠くにいったような気がする。AC/DCに乗せ、〈スーパーデラックス〉がスタジアムになった瞬間である。

そのようにして、トップバッターのフィリップ・ブロフィのステージは終わった。つけくわえると、彼はカルト映画『ボディ・メルト(Body Melt)』の監督もつとめた才人で、パフォーマンスは毎回主旨を変えたコンセプチュアルなものになるのだという。そのことばにウソはなかった。

***


Amplified Elements

 微妙に温まった会場に次に登場したのはジ・アンプリファイド・エレンファンツ。今回は障がいをもつ男女、それぞれふたりがサンプラーやカオスパッド、タブレット端末を操作し、それをJOLT Inc.の創設者でもあるジェイムス・ハリックがサポートする、ソニックアート・グループ──と聞くと、日本のギャーテーズあるいは明日14日のフェスに出演する大友良英の音遊びの会などを思い出す。この2組はなりたちも音楽性を異にするが、前者は声ないし生楽器といった、比較的身体にちかい楽器をもちいているのが、エレファンツは電子楽器という、インターフェイスを介在する機材をもちいているのがユニーク。もちろん、上述のように彼らの使用機材は直感的に使用できるものが多いが、彼らはそれらの機材と戯れるように音を空中に放っていく。


 電子音楽のおもしろさは既存の楽器編成では実現できない音楽空間の生成だが、彼らの演奏は、既存のサウンド/アートの構図が、よくも悪くもその意味で先行する音楽的価値観を(意識せずとも)視野に収めがちなのにたいして、そもそもその前提に立っていないうえにメンバーの自由闊達な演奏の交錯は即興の理想のひとつにひらかれている、それはぎゃーテーズや音遊びの会にも通じるものだ。そのベクトルは聴取に向かうだけでなく、作品を作曲/構成するハリックの意図そのものにもむかい、音楽を時々刻々つくりかえる、緊張より融和を思わせるが、だからといってだれていない、非常に興味深いものだった。

***


Black Zenith

 エレファンツにつづくダーレン・ムーア、ブライアン・オライリーからなるシンガポールのデュオ、ブラック・ゼニスはアブストラクトな映像との相乗効果による無情にまでにハードコアな世界。回路がショートする衝撃音を構造化するような音響はノイズないしインダストリアルを想起させるところもあるが、会場全体をあたかもモジュラー・シンセのパッチに接続するかのような錯覚をおぼえさせる、力感あふれるものだった。それはトリをとつめたPhew+ロカペニスとは好対照で、Phewのアナログ・シンセ弾き語りとロカペニスの映像を対置した演奏はやわらかとかかたいとか、あるいは色彩ゆたかだとか逆にモノクロームだとか、印象論で語れるものからどんどん遠ざかっていく。



Phew + Rokapenis

 抽象的なだけではない。ときにメロディ(の断片のようなもの)も見え隠れするが、それらはたやすく像を結ばない。声は音の一部だが、意味もなさないこともなく、たとえば近日リリースの新作にも収録する“また会いましょう”の星雲のような電子音のカーテンがひるがえる向こうに垣間見えるとことばとたんに寓話めく、Phewはおそらく、かつてないほど独自な境地にいたりつつあり、詳しくは新作リリース時に稿をあらためることもあるだろうが、はからずも電子音楽の環太平洋見本市の感もあったこのたびの「JOLT TOURING FESTIVAL 2015」初日はともに語るべき音楽が世界にはまだまだあることを示唆するえがたい機会だった。また会いましょう。

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Day2 即興音楽の構造化をめぐる3つのありよう

灰野敬二 + 大友良英
L?K?O + SIN:NED + 牧野貴
田中悠美子 + Mary Doumany
森重靖宗 + Cal Lyall
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中山晃子 (alive painting)
DJ Evil Penguin

文:細田成嗣

 〈JOLT TOURING FESTIVAL 2015〉は、音響作家のジェイムス・ハリックが主宰するオーストラリアの団体〈JOLT〉が中心となって企画した、香港とマカオを巡るツアー・イヴェントの一環として行われた。ここ日本では、現在は東京在住のカナダ人アーティスト、キャル・ライアルが運営し、都内で継続的な無料イヴェントを手がけてきた〈Test Tone〉との共催というかたちになっている。〈JOLT〉は過去2012年と2014年にも日本でのフェスティヴァルを開催しているが、3年前のそれが日本の各都市を経巡りながら行われ、昨年は日本とイギリスとで開催されたのに対し、今回スポットが当てられたのは、近年そのオルタナティヴな音楽シーンへの注目度が高まりつつあるアジア圏だったと指摘することができるだろう。とはいえ、それはあくまでツアーの全体像から導き出されることであって、〈スーパーデラックス〉で行われたこのフェスティヴァルに、とくにアジア圏に対する目配せがあったとか、ましてやそれを代表するものだったというようなことはみられなかった。

 終始閑散としていた前日とはうってかわって、2日めは開場後も入り口の外まで人が並ぶほどの賑わいをみせていた。これから行われるライヴ演奏が、誰もが未だ体験していないものである以上、観客の人数が演奏の質をそのまま表しているわけではないことは言うまでもないが、そこにかけられた期待の大きさは推して知ることができる。おそらく7年ぶりに共演する灰野敬二と大友良英のデュオにとりわけ注目が集まったものと思われるが、全体が3部構成にプログラムされたこの日のイヴェントでは、まさに期待の中心が熱狂の頂点に達するようにして、圧巻のライヴをみせてくれた。同時にこの3部のプログラムは、即興音楽の構造化をめぐる3つのありようを、それぞれ提示していたようにも思う。まず第1部において、もっとも自発的な形態での構造化、すなわち、演奏家が演奏を始めることによって音楽が始まり、そこから演奏家が終わりを見出すことによって音楽が終わるという、即興演奏におけるスタンダードなありかたが示される。続く第2部では、演奏家の外部に設けられた開始と終了に対して、その中間をいかにして彩るかということに焦点が当てられることになる。そしてこのふたつのプログラムを受けて、第3部では、それらを止揚するような取り組みがなされていった。

***


Yumiko Tanaka + Mary Doumany

 最初に登場したのは義太夫三味線の田中悠美子とハープのメアリー・ダウマニーだった。ダウマニーがハープを打楽器的に扱いながら生み出すリズムにのせて、卓上に寝かせられた三味線を田中はときには叩き、ときには弾きながら応対していく。即興演奏に特徴的ともいえる、相手の出方をうかがいながら有機的に反応していくやりとりは緊張感溢れるものだった。ふと気づくと地響きのような低音が聴こえはじめ、ごく自然な流れで演奏に参加していたジェイムス・ハリックがピアノの内部奏法を行なっている。さらにキャル・ライアルと森重靖宗がそれぞれバンジョーとチェロをもって参加し、クインテットによる集団即興へ。



森重靖宗 + Cal Lyall + )-(U||!C|< + 中山晃子

 ハリックとダウマニーによる唸るようなヴォイスが、田中の義太夫節とあいまって、どこか「日本的」ともいうべきおどろおどろしさを生み出していく。演奏者の背後の壁には、ヴィジュアル・アーティストの中山晃子によるアライヴ・ペインティングが映し出されていて、その都度の演奏にイメージを付与していたのだが、手元に用意した極彩色の液体を、垂らしたり流したりしつつその場で絵画を描き、それを拡大して投射された映像は、演奏の「おどろおどろしさ」と共犯関係を結ぶようにもみえた。その後、田中とダウマニーのふたりが退場し、残されたトリオによる演奏になる。バンジョーによる音楽的な和音を響かせもするライアルの演奏と、舞踏家のような身のこなしでチェロから深い低音を紡ぎ出す森重、それに引きつづき唸り声をあげながら解体されたピアノ演奏を聴かせるハリックの3人が、デュオからはじまった音楽に終着点を見出していった。

***

 転換を挟んで行われた次の演奏は、ターンテーブル奏者のL?K?Oと香港出身の音楽家SIN:NEDによるデュオが、映画作家の牧野貴によって作成された/されつつある映像作品に対峙しながら聴覚的余白を埋めていくというものだった。このまえに行われた演奏を第1部とするなら、この第2部はそれと好対照をなすものだったといえる。演奏家とコミュニケートしながらその場で即興的にイメージを生成していった中山晃子のペインティングと比較するとき、牧野の映像は演奏に触発されて変化していくというよりも、あらかじめ定められた枠組みの中で、不確定的に散りばめられていったノイズが、偶発的なイメージを生成していくといったものだった。


L?K?O + SIN:NED + 牧野貴

 その内容も対照的で、滴り落ちる極彩色の液体がグロテスクかつ官能的に蠢いていた中山の映像に対し、高速度で明滅する宇宙的なイメージから生み出される牧野のそれは、まるで内的世界がテクノロジーの力を借りて視覚化されたもののようだ。演奏のほうも、第1部のそれがアコースティック楽器による丁々発止のやりとりだったのとは異なり、電子的なノイズが、共同して映像作品に対する音楽を生み出していくといったふうであり、サウンドの移り変わりも緩やかに変化していった。とりわけ印象的だったのは、ドローン/アンビエントな響きからはじまった演奏において、中途、ターンテーブルの演奏も行なっていたSIN:NEDが、そのトーンアームの先端を咥えて「吹奏」しはじめたことだ。

 それを契機とするように、演奏は轟音ノイズの海へと突入していった。まるで教会オルガンのような奥行きのある共鳴が聴こえたターンテーブルの「吹奏」は、しかしながら、むしろ呼吸する根源的な身体性が、電子回路によってつねにサウンドと断絶させられてしまうという事態を象徴していたように思う。第1部における演奏者の身体性は、ここでは機械的な操作性へと変わり、ライヴの枠を演者のそれぞれが推し広げていったパフォーマンスは、枠によって切り取られるべき演奏をどのように満たしていくかという問題へと移されていった。

***

 対照的なふたつのライヴを経て、灰野敬二と大友良英によるデュオがはじまった。2日間のフェスの大トリでもあるこの演奏は、まさに大円団というに相応しい圧倒的なもので、予定時間を大幅に超過して行われることとなった。灰野が歌唱する“イエスタディ”から幕を開けた演奏は、当然のことながらメロディがぐにゃりと変形したそれにビートルズの面影はなく、時折聞こえる、それもまた定かではないが、歌詞の部分的なフレーズによってそれがその曲なのだと判別できるもので、それに対して大友のギターは弦と金属の衝突による打楽器的ノイズで応戦していく。


灰野敬二 + 大友良英

 伴奏というよりも歌と拮抗するようにギターが向かい合う演奏だ。歌唱が終わると灰野はギターを手にとり、ギター同士によるノイズのデュオがはじまった。爆音の渦が観衆を包む。第1部でパフォーマンスを行っていた中山晃子が、ここでも演奏にイメージを付与していたのだが、一瞬だけ、灰野の背後に妖気が立ち昇るかのようなモヤモヤとした映像が投射されていた場面があった。だが「おどろおどろしさ」が、オーストラリア勢によるちょっとしたサービス精神のあらわれでもあったと思えば、ここにそれが出る幕はなく、そしてそのことを強調するかのようにして、中山はすぐさま別のイメージへと変化させていった。

 終了予定時刻を大きく過ぎてから、なんども大友が終わりの合図を出していたように思う。即興演奏において、その演奏を終了する場面は明確に定まっているものではないが、演奏しているとたしかにその時が訪れる、ということを、大友をはじめとした多くの即興演奏家はよく口にしている。そういった終了の契機がなんどもみられたように思う。だがそれも、灰野がつねに終わりを逸脱していくようにして拒みつづけ、演奏は継続していく。こうなってしまった以上、果たしてこの演奏は終わりを見出すことができるのかどうか、あるいはこのまま延々と続いていくのではないか……とまで思われた。だがしかし、それから暫く経ったあと、灰野がギターを置いてマイクを手にすると、大友もそれに合わせてギターを持ち直したのである。そして締めの一曲として「奇妙な果実」を歌いはじめたのだった。
 つまり、このデュオによる演奏は、はじめから終わりが定められていたのである。その瞬間、いままで見せていた「終わり」に対する逸脱が、ことごとく演奏の「中間」におけるパフォーマンスであったことに切り替わった。それは次の展開をその場で切り開いていく即興演奏に、あらかじめ「終わり」が設定されていることによって、より大胆に、かつどこまでも遠い地点を見せながら、「終わらない」演奏をなし得るように仕掛けた巧妙なトリックだったのである。

 これを第3部とするならば、すなわちパフォーマンスの枠をその場で構築していった第1部と、あらかじめ規定された枠のなかでパフォーマンスがなされた第2部を受けて、第3部では、始まりと終わりの行為が決められながら、むしろ決められていればこそ、その枠を自在に拡張し変化させることによって、予見不能な構造化をなしていったということができるだろう。個々別々に体験するだけでは捉えきれない原理のようなものが、ひとつの場所に複数並置されることで浮上する――フェス特有の異化作用が一層スリリングな展開をもたらした一夜だった。


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