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山崎ヒロが主宰する〈サウンドオブスピード〉は、東京を拠点としたインターナショナルなテクノ・レーベルのひとつである。10年以上前の話だが、彼がこの名前のパーティをはじめた頃に、彼が当時住んでいた新宿の家に行ったことがある。窓を開けると高層ビルがよく見えるマンションの一室の、決して広いとは言えないその部屋で座りながら、彼は「プラッドを日本に呼んでパーティをやったんだけど、ここに泊めてあげたんです」と話していたことを憶えている。それから彼は日本の〈ビッグ・チル〉を目指しながら、ジンプスターやトム・ミドルトン、ミックスマスター・モリスらを招聘しながらパーティを続けていた(現在、パーティは休止中)。その活動のなかでレーベルも生まれたというわけだが、〈サウンドオブスピード〉の初期の傑作のひとつが北海道のクニユキ・タカハシのKoss名義のアルバム『リング』(2001年)で、評価の高いこのアンビエント・アルバムは"チルアウト"を指標するこのレーベルの色を明確に表している。それはIDMスタイル、チルアウト、もしくはジャズ(フュージョン)......である。また、このレーベルから昨年リリースされた(山崎ヒロの友人である)ルーク・ヴァイバートの『リズム』も忘れるわけにはいかない。〈サウンドオブスピード〉からシングルを4枚連続でリリースしてからのそのアルバムは、世界中のチルアウターたちのコレクションの1枚に加えられている(僕のそのひとりである)。
『サークルズ』は、レーベルにとって2枚目のコンピレーション・アルバムだ。アルバムの1曲目はクニユキ&クシティの"ビー・フリー"。ジャジーで、チルアウティで、ユーフォリックなこのトラックはレーベルの音楽性を象徴する、実にブリリアントなトラックだ。続いてオルシッドネイーションによるスペイシーなディープ・ハウス、そしてジンプスターによるアトモスフォリックなミニマル・ハウス......〈サウンドオブスピード〉らしいトランシーでラウンジーなエレクトロニック・ミュージックが展開される。メランコリックなピアノが印象的なリー・ジョーンズ(かつてへフナーとしてジャジー・ダウンテンポを発表している)の"トゥー・イン・ワン"、それからシュリケン(ジンプスターの〈フリーレンジ〉レーベルからのリリースで知られる)によるアブストラクトなハウス......。そしてルーク・ヴァイバートによるアシッディな"メジャシッド"、スウィッチの"ゲット・オン・ダウンズ"のヘンリック・シュワルツによるリミックスを経て、アルバムの最後はふたたびクニユキ&クシティ、曲名は"トレモロ"のクニユキ・ダブ・ミックス......。
アルバムはすでに海外のメディアでも好意的に取り上げられている。今世紀もまたチルアウト・オア・ダイというわけだ、そう、何年経とうが......。目新しさはないけれど、しかし間違いなくクオリティの高いコンピレーションである。チルアウトの夏にそなえよう。
先日、Spangle Call Lili Lineの藤枝憲と、そのシングルのプロデュースを手掛けた相対性理論の永井聖一の対談をする機会があったのだが、そこで藤枝は相対性理論のことを「はっぴいえんど、YMO、フリッパーズ・ギターに続く存在がようやく現れた」と語っていた。自分も基本的にその意見に強く頷く立場である。これまでの日本の音楽業界のしきたりをすべて無効にしてしまうような存在、周りのものを全部古くさく見せてしまうような毒っ気、自分たちのルールでしか動かない不遜さ。それに加えて、数々の共演歴や共作歴からわかるように、彼らは日本のアンダーグラウンド・ロック史や同時代のアート・ロックに愉快犯的に介入し、歴史を書き換えようとさえしている。そんな企みに鈍感なリスナーの一部には、その歌声やナンセンスな歌詞のイメージから、安易にオタク・カルチャーと結びつけてその存在を軽んじる向きもあるが、彼らはそんな誤解をも巧みに利用して、「相対性理論を否定するのはカッコ悪い」という現在の状況を作り上げてきた。このレヴューを書いてる時点で、日本で彼らよりたくさんのCDを売っているのがAKB48だけというのは、そんな彼らの目論見がここまで見事に成功している何よりの証拠だろう。
相対性理論を音楽的に特徴づけるもの、それはその計算され尽くされた中毒性にある。彼らは、「ポップとは物語ではなく、まるでゲームや麻薬のように何度も何度も繰り返したくなるようなもの」であることに、日本のどんなミュージシャンよりも自覚的だ。だから、今作にようやく収められた彼らの代表曲のひとつ"ミス・パラレルワールド"の「東京都心はパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルワールド」というまるで呪文のようなやくしまるの歌に、もし気味の悪さのようなものを感じるとしたら、それはアディクトを怖れる人間の本能として正しいリアクションなのだ。
そして今作には、もうひとつの明確な目的がある。それは、彼らの存在が広く知られるようになった前作「ハイファイ新書」リリース以来、いろんなところで語られるようになった「キーマン=真部脩一」説を払拭するということだ。結果として今作は、反復するコンセプチュアルアートとしての相対性理論をより進化させたものではなく、メンバー全員がコンポーズ及び詞作に関わった、相対性理論の拡大再生産的楽曲集となっている。これまでライヴで演奏してきた未発表曲がほとんど収録されていることからも、これがタネもシカケもない相対性理論の現在すべてだと言うことができるだろう。
もっとも、これまでライヴで聴いたときの印象と、今作で聴くことのできる楽曲群の印象は微妙に異なる。今作では、精密に空間設計されたギターの配置やフレージングから、16ビート、変拍子を巧みに操るドラム、そして曲によって実はかなりファンキーなベースまで、徹底的にメンバー全員が演奏者として「相対性理論の中毒性」をブラッシュアップした上で、意図的にヴォーカルの録音レヴェルを上げている。そして、そこでやくしまるえつこは楽曲ごとに声を使い分け、「私は操り人形じゃない!」とばかりに初めて感情を入れて歌っている。
そこからうかがえるのは、このバンドが各音楽メディアとの慎重な距離の取り方とは裏腹に、自分たちの音楽そのものへの批評に対しては意外にナイーヴだということだ。おそらく今作における作詞作曲、および演奏と歌唱法における、「4人で相対性理論」という強固なスタンスは、この先も継続されていくはずだ。そして、そこからハミ出していく各メンバーのエゴは、今後さらに盛んになっていくに違いない課外活動のほうに吸収されていくのだろう。
先日の渋谷AXでの渋谷慶一郎とのライヴではその片鱗を聴かせてくれたが、音響面を強化、整備するだけでも、このバンドの「聴かせ方」や「見せ方」にはまだまだ大いに伸びしろがある。ただ、そんなふうな生け花や盆栽的な観賞物としての完成度を高めていくだけではない、『シフォン主義』や『ハイファイ新書』をさらに刷新していくような思いもよらない斬新なアイデアとその実践を、自分はどうしても彼らに求めてしまうのだ。フリッパーズ・ギターは3枚で終わったが、きっと相対性理論にはまだまだ続きがある。今作はそのための、これまでの状況整理を兼ねた集大成的なアルバムだと思っている。
1975年、マルコム・マクラレンがニューヨークに滞在していたとき、キングスロードの〈SEX〉で店番をしていたバーナード・ローズ(後のザ・クラッシュのマネージャー)は店に出入りするひとりの19歳の若者のTシャツに注目した。彼はピンク・フロイドのTシャツを着ていたが、そのバンドのロゴの上には「I hate......」という言葉が殴り書きされていた。若き日のジョン・ライドンに関する有名な話である。そしてこれはパンク・ロックがその出自においてヒッピー(プログレッシヴ・ロック)と対立構造にあったことを物語る逸話として、のちに何度も繰り返し語られてきたおかげで、「マルコムが初めてジョンと会ったときに」されたり、「TシャツにはI hate Pink Floyd」と書かれていたりとか、話が真実とは多少違ってしまったほどだ。
今年の2月18日付の『ガーディアン』に「I don't hate Pink Floyd」という興味深い記事があった。54歳のジョン・ライドンが「実はオレはピンク・フロイドが嫌いではなかった」とカミングアウトしたのだ。「彼らは偉大な作品を残している」とあらためてピンク・フロイドを評価するばかりか、『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』は好きな作品だったことさえ明かしている。「ただ、彼らの思い上がった態度が気にくわなかったんだ」
しかしライドンは、その後の彼の人生で何度かデイヴ・ギルモア(ピンク・フロイドのギタリスト)と話す機会を得て、その偏見はなくなったという。元パンク・ロックのアイコンはこう回想している。「まったく問題がなかった」と。
「なんだよ~、いまになってそりゃないぜ」、この記事を読んで正直がっかりした。そしてしばらく考えた。何故なら、どんな理由があったにせよ、結果的に「I hate......」という言葉がパンク・ロックにおいて強力なモチベーションだったことは間違いないからだ。大人への憎しみ、政治家への憎しみ、社会への憎しみ、金持ちへの憎しみ、ポップ・スターへの憎しみ......で、まあ、思えば、「I hate......」という感情ほど現代において自主規制されているものもない......んじゃないだろうか。
音楽シーンをたとえに話すとしよう。日本のシーンを支配しているのは、おおよそ多元主義と迎合主義だ。迎合主義というのは大衆に媚びることで、人気者を集めて商売にする。自分には用がない世界だし、どうでもいいと言えばどうでもいい。1977年、チャートを支配していたのはディスコ・ポップとユーロ・ポップで、パンク・ロックは大衆性という観点で言えば、明らかに"どん引き"されていたのが事実であり、しかしその後の文化的影響力という観点で言えば"どん引き"されたマイナーなそれは革命的だったのだから。"売れている"という観点で音楽を評価するときの落とし穴はパンクからもよく見える。ややこしいのは多元主義のほうだ。
多元主義という思想は、簡単にいえば、「どんなにものに良いところはあるのだから多様性を認めよう」という口当たりの良い考えである。その象徴的なメディアをひとつ挙げるなら『Bounce』というフリーマガジンだ。90年代に生まれたこのメディアは、まさに多元主義的に誌面を展開している。J-POPもドマイナーなインディー盤も並列する。それはリスナーの"選択の自由"を広げるものである。悪いことではない。多くの人がそう思った。ちなみに僕はこの雑誌から、10年ほど前、いち度だけわりと長目の原稿の執筆依頼を受けたことがあったが、そのときに「批判だけは書かないで欲しい、それはうちの方針ではないので」と言われたことを覚えている。まあ、メディアのコンセプトを思えば理解できる話だし、"紹介"だけでも価値のあることはたくさんあるので、僕はその言葉に従った。
そう、従った。が、しかし、多元主義にとって予想外だった......のかどうかは知らないが、結局のところそれが市場原理にとって都合がよいものだったということだ。そりゃーたしかに、資本主義にも、いや、小泉純一郎にだって良いところはあるかもしれない。そう思った途端に、世界は恐ろしく窮屈に感じる。なにせそれは、働いて、買うだけの生活に閉じこめられることで、それがいったい何を意味するのか考えて欲しい。このあたりの理論は専門家に委ねるが、まあかいつまんで言えば、シーンが「I hate......」という言葉を失ったときに得をするのはメジャーのほうなのだ。いっぽう、多元主義の誘惑に負けたマイナーほど惨めなモノはない......"自由"こそが最大の強みであったはずの彼らも所詮はかませ犬、メジャーの引き立て役であり、マイナーはメジャーの骨をしゃぶるだけである。これを音楽界における新自由主義と言わずして何と言おうか!
いや、あるいは......それは単純な話、シーンは「I hate......」という情熱を失っただけの話かもしれない。"嫌悪感"を表明するのはエネルギーがいる。疲れるし、面倒だし、もうどうもでも良くなっているということなのかもしれない。われわれは骨抜きにされ、狭いカゴのなかで飼い慣らされてしまったのだろうか。「I hate......」というのは、善悪の議論ではなく、この窮屈な日常の向こう側に突き抜けたいという欲望の表れだというのに(レイヴァーたちはその感覚を知っている、たぶん......)。
ザ・フォールの新作――通算27作目らしい――『ユア・フューチャー・アワー・クラッター』を聴いた。アルベール・カミュの小説『転落』から名前を頂戴したザ・フォールといえばポスト・パンクの代表格のひとつで、オルタナティヴTVらと並んであの世代におけるキャプテン・ビーフハート(そしてカン)からの影響だが、言うまでもなくバンドの最大の魅力はマーク・E・スミスにある。唸るような、ぼやくようなヴォーカリゼーションで知られるこの男は、中原昌也と三田格とジョン・ラインドンを足してさらに濃縮したようなキャラを持つ。躊躇することなく「I hate......」、いや、「死ねばいい」ぐらいのことを言い続けているひとりだ。
![]() イギリスの音楽界でもっとも気難しい男、 マーク・E・スミス。 |
マーク・E・スミスが大衆に媚びることは絶対にあり得ない。彼がいかに本気で学生を憎んでいるのかを喋っているのを読んだことがある。彼は、ハゲ頭を帽子で隠すオヤジを容赦なく憎んでいる。僕は女子高生を憎み、飲み屋で人生論をかますオヤジを憎んでいる。10代の頃から。実家が居酒屋なので、子供の頃から酔っぱらった人間を見てきているのだ。
なぜ女子高生かって? 最近ある青年から女子高生との音楽をめぐる対話を読まされたからだよ。彼は女子高生に『ロッキングオン』や『ムジカ』、『スヌーザー』や『エレキング』、あるいはテレフォンズなどについて話を聞いているのだけれど(この企画の意図自体、僕にはようわからなかった)、それを読みながら「あー、若い頃はホントに女子高生が嫌いだったよな~」と思い出したのである。本当に憎んでいた。ユーミンを好むような、女子高生であることに満足しているような女にいち度たりとも好意を抱いたことがない。
いまでも女子高生嫌いは変わらない。よく下北沢の駅を利用するのだが、小田急線から井の頭線に乗り換える階段で、短いスカートのケツの部分を押さえながら上っている女子高生を見ると腹が立つ。いったい誰がお前の臭いあそこを覗くというのか......あの手の女がどんな音楽を聴いているか調査してみるがいい。それは酒の席で自分の人生自慢を展開して、説教をたれるオヤジの聴く音楽と同じようなものだろう。しかし、多元主義的に言えば、そんな女子高生にもオヤジにも良いところもあるのだ。そして、こうした無意味な議論から素早く離れ、走れるだけ走り、やれるだけやって、飛ばせるだけ飛ばす、それがロックンロールに象徴される欲望ってヤツである。
ザ・フォールの新しいアルバムはマーク・E・スミスのこんな言葉で終わる。「おまえにロックンロールは向いていない」
追記:この原稿は3月に執筆されている。マルコム・マクラレン――R.I.P.
マイク・インクを聴いたことがきっかけでハウスをつくりはじめ、それによって頭角を現したハーバートは、それ以前にドクター・ロキットやウィッシュ・マウンテンの名義でイージー・リスニングからミュージック・コンクレートの応用まで手を広げ、いわば「なにがやりたいのかよくわからないプロデューサー」の代表格だった。ハード・ミニマルやドラムンベースがフロアを最高潮に持ち上げた後で、いまから思えば次にどっちへ行こうかとシーン全体が模索期に入っていたような時期だったから、どんなつまらないこともネクストにつながる何かに感じられ、ハーバートの試みも、そのひとつひとつがそれなりに意味を持っているように感じられたということもあるだろう。ミステリアスでありながら、彼の存在はなぜか信頼できるような気がし、もしかすると必要以上に評価しながら聴いていたような気がしないでもない。「レディ・トゥ・ロキットEP」(95)、「D・フォー・ドクター」(96)、「レイディオ」(96)、「フーシュ」(97)、「ヴィデオ」(97)......いまから思えばヘンな感じである。聴き返したいような、それもまたコワいような。
ハウスやテクノへの没入が一段落して『ボディリー・ファンクションズ』(01)をリリースした辺りから、ハーバートは匿名性が支配するDJカルチャーの住人であることに距離を取りはじめ、それまで福袋のように差し出されていた彼のたたずまいから明確に作家性というものが立ち上がっていく。それと同時にジャズが表現のセンターコートへと躍り出、ビッグ・バンドへの視座やラテンへの目配せなど、まるで菊地成孔とともに時代を併走しているかのようなタイプへと様変わりしていく。90年代を昇華したハーバートと、それを否定した菊地には、もちろん、ハイブリッド感や音楽に持たせる意味がまったく違っていたようだけれど。
「型」をどう演じるか。何度も書いてきたように、これが00年代の課題だった。ハーバートにとってのジャズは、それを狂言回しのように扱っているという印象を与えることでエレクトロクラシュやポスト・クラシックとも一脈で通じるものがあった。裏側に回ればいろいろと小細工は労しているものの、表面的な音のタッチはあくまでもオーソドックスに徹し、実際、ハーバートのそれは「洗練」された商品としての風格を兼ね備えるようになった。『ミュージック・オブ・サウンド』や『レッツオールメイクミステイクス』は遥かに遠い。そして、ビッグ・バンドなど作品を経てリリースされた『ワン』では、ついに、70's風味のなんら変哲のないポップ・サウンドへと歩を進めてしまった。これまでのソロ作に少しは影を落としていたハウスのフォーマットは霧消し、特別な世界でもなければ日常に埋没するでもない「ポップ・サウンド」そのものへと。
曲名はすべて地名になっている。マンチェスター、ミラノ、ライプチッヒ、シンガポール、ダブリン、パーム・スプリング......本人に訊けば、きっと回りくどいコンセプトが饒舌に語られることだろう(そういうところも菊地成孔と寸分違わない)。『ワン』というのはリチャード・バックのような集合無意識のことをいっているのだろうか。それとも単に『ツー』が続くのだろうか。国名ではなく、都市名になっているところはツアー先を意味するのだろうか。どの曲も適度に感傷的で、この世界はそのような気分の積み重ねでできているといわんばかりである。地味なアルバルだけど、その意志は強く、聴く度に存在感を増し、そして、とても落ち着く。そう、ハーバートは相変わらず「なにがやりたいのかよくわからないプロデューサー」の代表格である。こんな作品になるとはまったく予想できなかった。
「知恵のない4歳半のマイク・スキナーのようだ」――ある人はゴールド・パンダの音楽をこんな風に評している。本国イギリスでは期待の新人として評価され、リトル・ブーツ、ブロック・パーティ、シミアン・モバイル・ディスコ等々、人気アーティストのリミックスを手掛ける彼は、自分の最初のアルバムのリリース先を日本のレコード会社に決めた。
![]() Gold Panda Companion エイベックス・トラックス |
エセックスのBボーイだった彼だが、日本語を学ぶために自分のレコード・コレクションを売るほどの日本文化好きでもある――『ガーディアン』にはそう記されている。「そしてエイフェックス・ツインのように、彼は100トラックも作り貯めている。際だったトラックのひとつである"マユリ"にひび割れた音とやたら低いベース、それからビットとバイトが一緒になったエイフェックス・ツインのグルーヴがあるのも偶然の一致ではないだろう」
"マユリ"? なんていう曲名だ。彼のオモチャ箱をひっくり返したようなエレクトロニック・ミュージックを聴きながら、その曲名が気になって、質問のひとつにメモった。資料を読むとアニメが好きで、日本語も少しなら話せるとある。テクノ好きな日本オタクなのだろう。それにしても何故"マユリ"?
もうひとつ、テクノ好きな日本オタクにしてはいくつかの曲はエモーショナルだし、"ロンリー・オウル"はフォー・テットのような哀愁を帯びている。それにオタクが"ポリス"なんて曲名のハード・テクノを作ったりはしないだろう。いずれにせよ、パンダの音楽には訴えるモノがある。お世辞抜きにして僕は彼の音楽を好んで聴いていたのである......。
どうせ普通の仕事をやってもクビになったりうまくいかないんだから、音楽をちゃんとやってみようと思い直した。そしてロンドンに引っ越して、また音楽に取り組んだんだよ。
iPodのなかにあなたの音楽を入れてよく聴いているんですよ。
パンダ:ホント?
好きなタイプの音楽なんです。IDMスタイル、グリッジ・ホップ、ブレイクコア、クラウトロック......エレクトロニック・ミュージックのいろんなスタイルが詰まっている。あなたの音楽リスナーとしての履歴書を見ているようですよ(笑)。
パンダ:今回いろいろ取材されたけど、僕の音楽性をちゃんと指摘したのは君が初めてだよ。いま君が言ったスタイルが僕は本当に好きなんだけど、何故かダブステップと言われてしまう。とくにIDMスタイルとグリッジは大好きだ。スクエアプッシャーが大好きなんだ。
ちょうどあなたの音楽と同じ部類に入るアーティスト名をメモってきたんだけど、えー、読み上げますね。ビビオ、スクエアプッシャー、ミュージック、エイフェックス・ツイン、クリス・クラーク、フライング・ロータス、フォー・テット......。
パンダ:イエイエ、そうだね、そして僕は彼らのチープ・ヴァージョンだ。彼らと同じ質のものを作りたいんだけど、僕がやると安っぽくなってしまう。僕はスクエプッシャーの弟を知っているよ。シーファックス(Ceephax)、知ってるよね? アンディ・ジェンキンソン、彼はとても良いヤツだよ。
ホント?
パンダ:彼がエセックスに住んでいたことがあって、それで知り合ったんだ。音楽っていうよりも、彼女とか友だちとか、そういうので共通点があってそれで近くなって。
なるほどね。ちょっと話が前後するけど、あなたの資料に、大きく「イースト・ロンドンのダブステップ・プロデューサー」と書いてあるんですけど。
パンダ:えー!
だからダブステップと言われるんだよ。まあ、音を聴けばこれがダブステップではないってことはわかるんだけど、日本の音楽メディアは怠惰だから、ベンガもスクリームもブリアルだってちゃんと聴いていないんですよ。資料にそう書いてあると、「これがダブステップか」と鵜呑みにしちゃうんです。君の責任じゃないけど(笑)。
パンダ:そうだったのかー! 知らなかった。僕はダブステップは好きだよ。ダブが好きだから。でもそれは僕のスタイルではない。君の前の取材でもダブステップだと言われたばかりだよ(笑)。
ハハハハ。新種のダブステップでいいじゃないですか。
パンダ:(日本語で)ムカツクー。
[[SplitPage]]ハハハハ。じゃ、あなたと日本との結びつきについて話してもらえますか?
パンダ:最初はアニメだった。15歳のとき、『アキラ』が大好きだったんだ。ストリート・ファイターも好きだったし、どんどん日本の文化にのめり込んでいった。日本のヴィデオ・ゲームも集めはじめたんだけど、イギリスではホントに高くて、ひとつ100ポンドもする。それでも僕は日本の文化にハマっていったんだ。で、19歳のときに、僕は思いきって東京に行った。ちょうどフィルという友だちが東京に住んでいて......サブヘッドという名前で活動していたんだけど。
フィル? えー!!! マジですか!!! びっくり。そうかー、それでわかった。アルバムのなかに何で"マユリ"って曲があるのか。質問するつもりだったんだけど。(注:フィルはマユリちゃんの元彼氏で、フィルは彼女の家に住んでいた)
パンダ:そうだよ。まさにそのとき川崎のマユリの家に泊まったんだ。観光客みたいにお金があるわけじゃないから、観光地には行かなかったけど、居酒屋行ったり、カラオケ行ったり、すごく刺激的だった。川崎、渋谷、新宿、目黒......すべてが面白かった。
それ何年?
パンダ:1999年。
はぁー。僕もマユリちゃんの家に何度か遊びに行ったことがあったよ。
パンダ:15歳で、僕が音楽を作りはじめた頃、フィルはいつも僕を励ましてくれた。「お前なら音楽で食っていける」って言うんだ。自分はダメなんじゃないかって思っていると、「You can do it, you can do it, you can do it」って言うんだ。そんなのジョークだと思ってたし、友だちだから言ってくれるんだと思っていたよ。だけど、彼が死んだとき、どうせ普通の仕事をやってもクビになったりうまくいかないんだから、音楽をちゃんとやってみようと思い直した。そしてロンドンに引っ越して、また音楽に取り組んだんだよ。ロンドンではセックス・ショップで働いてたりしたんだけど、友だちと通じてブロック・パーティのリミックスをやることになったり......。
ホントびっくりだね。フィルとは何回か飲みに行ったなぁ。下北で彼が酔っぱらってしまって、店内でスティーヴィー・ワンダーを歌ったこともあったよ。
パンダ:モータウンが大好きだったよね。僕は彼が亡くなるときに看取ったんだ。
そうなんだ。
パンダ:彼は年を取りたくないって言っていた。だからああやってパーティという人生を終えて、星になって飛んでいったんだと思っている。
彼は本当に自由に生きていたからね。僕より年上で、ターザンみたいな体格の人だったけど......ボクサーだったんだよね?
パンダ:そうだよ。とても強かった。そういえば、1970年代に彼がやっていたロック・バンドの写真を持っているよ。僕の叔父さんと一緒にバンドをやっていたんだ。
へー、そんなに近い関係だったんだね。幼なじみ?
パンダ:ていうか、僕が生まれたときから知ってるよ。
デヴィッド・ボウイみたいなことをやっていたのかな?
パンダ:聴いたことがないからわからないけど、写真を見るとパンク・ロックみたいだったね。うん、たしかにフィルは、デヴィッド・ボウイが大好きだったよね。
好きだった。
パンダ:だから彼が危篤状態になったときに、僕は"スターマン"を再生してそのイヤホンを彼の耳に突っ込んだんだよ。
それは良かった。ところでフィルのサブヘッドはハードな音楽だったけど。
パンダ:そうだね。
あなたの音楽はまた違っているよね。
パンダ:フィルはハッピーな人間だっただろ? でも僕は悲しくて孤独な人間なんだ。僕は自分のエモーションを音楽に反映させているから、それで彼とは違ったものになるんだろうね。
いやー、僕はあなたのことを日本のアニメが大好きで、〈リフレックス〉のカタログを揃えているようなオタクかと思っていましたよ(笑)。
パンダ:ハハハハ。
本当ですよ(笑)。
パンダ:わかるよ。ある部分は本当だからね。マニアとまではいかないけど、アンダーグラウンドなマンガが好きなんだ。丸尾末広とか。ちょっと危ないヤツ。
丸尾末広は僕らの世代では人気があったんだよ。日本語で読んでいるの?
パンダ:そう。でもアメリカでも出ているんだよ。絵が変えられているんだけどね。ただ、日本では2千円で買えるけど、イギリスではその倍以上するんだ。
古本屋さんを探せばいいですよ。
パンダ:他にオススメは?
花輪和一とか......あとでメールするよ。ところで日本の文化でアニマやマンガ、ゲーム以外には惹かれなかった? 音楽とか?
パンダ:そうだね。「これだ!」っていうモノじゃなくて、もっと日常的なモノというか、街の雰囲気とか好きだね。
へー、日本人からすると「なんだこのクソつまらない街は」って感じなのに。
パンダ:なんでだろうね。僕のなかではすごく興味深いんだ。なんてことはない風景が好きなんだよ。たとえばこの窓の向こうのマンション、あのミニマルな感じとか。イギリスにもマンションはあるけど、日本の建物はもっと規則正しくきっちりしているように見える。何故かわからないけど、それが気持ちいいんだ。僕は金がないから、新幹線に乗って名所を見て回っているわけじゃないんだけど、日本人の普通の生活のなかで「それがいいな」と思えるところがたくさんあるんだ。
へー。
パンダ:先日も友だちと山形に行ったんだけど、そこで見た日常の風景がとても良かった。ぶらっと行ったときに偶然目に入る景色が好きなんだ。目的地を決めて苦労して観光するのは性に合わないんだろうね。それは音楽でも同じなんだ。自分で、フィニッシュを決めて作ると、うまくいかないときにイライラしてしまう。だけど、もっとリラックスしてやっていけばうまくいく。だから曲作りも、てきぱきと済ませるんだ。素早くできた曲のほうが出来がいいんだよ。逆に、時間がかかってしまった曲は収録しなかった。
今回はどこに泊まっているの?
パンダ:市川の友だちのところ。まだ日本で行ったことのないところばかりだし、また日本に住みたいよ。
[[SplitPage]]アルバムも日本先行発売なんだよね。
パンダ:日本のために何かしたいと思っていて、〈エイベックス〉が出してくれるというので、やっと夢が叶った。
日本のためを思うなら、サッカーの日本代表に対する意見を聞かせて欲しいですね。
パンダ:ハハハハ。ワールドカップは好きだけど、フットボールはそんなに好きじゃないんだ。
イギリス人と言えば、パブとフットボールとオアシスだと思っているんで(笑)。
パンダ:ハハハハ。おかしいね、昨日パブに行ったら、たしかにフットボールの映像が流れていて、オアシスがかかっていたよ(笑)。
でしょ。でも、僕がゴールド・パンダのことを知ったのは、『ガーディアン』のサイトの音楽欄の新人紹介の記事でだったんです。読んだ?
パンダ:読んだ。
「彼は捨てられた音の破片から美しい音楽を作る」とか、「ちょっとグライミーな天才だ」って書かれていたんです。すごく評価されていた。すでに人気アーティストのリミキサーでもあるわけだし、イギリスのレーベルから出したほうが売れるんじゃないかと思うんだけど。
パンダ:たしかにそうかもね......いや、でもそんなにオファーが来てないよ(笑)。それに、一箇所に留まっているのは好きじゃないんだ。それぞれの場所で違うものを出すのも面白いんじゃないかな。
コネクションもあるじゃない。
パンダ:コネクションはあるけど、彼らが僕の音楽を好きだとは思わないでしょ(笑)。シーファックスともただの飲み友だちだしさ、音楽の話をしたことがないからね。次はまた別のレーベルから出すかもよ。何で〈エイベックス〉と契約したかと言えば、「J-POPワイフが見つかるかも」って(笑)。
J-POPワイフ?
パンダ:J-POPのスターと知り合って(笑)。
ハハハハ。好きなJ-POPのスターは?
パンダ:ホントに好きなのは椎名林檎。
彼女はイギリスで受けていたよね。
パンダ:木村カエラも可愛い。
えー?
パンダ:音楽はどうでも良いけど。
音楽は酷いからね。
パンダ:椎名林檎はそこは違うよね。ポップだけど良い音楽をやっていると思う。日本での評価は知らないけど、ポップでリスペクトされるってすごいことだから。
でもJ-POPの80%がゴミだと思っているでしょ。
パンダ:そこはイギリスも同じ(笑)。でも、ほとんどの日本人はそれが良いと思っているんだから、君が間違っているかもよ(笑)。
だね(笑)。
パンダ:ハハハハ。
ところ音楽作りは最初はどこから入ったの?
パンダ:サンプリングから入った。最初はヒップホップを作っていたからね。フィルの親友だった僕の叔父さんからサンプラーをもらって、父親のロックのレコード・コレクションからサンプリングしていた。パフ・ダディみたいなタイプのヒップホップだったよ。だけど、スクエアプッシャーの『ビッグ・ローダ』を聴いてびっくりしてしまって、それからブレイクコアやドリルンベース、ドリルンベースというのはドラムンベースのクレイジー・ヴァージョンなんだけど、まあ、そっちの方向に進むんだ。
デデマウスも『ビッグ・ローダ』に衝撃を受けたと言っていたな。
パンダ:あのアルバムはショックだった。オウテカはダメだったけど。オウテカはずっと好きになれなかったんだ......でも、最近になってようやく彼らの良さがわかったよ。音楽のプロセスというものが伝わってくる。セックスと同じでやっているときが興奮するんだ。終わったらもうどうもいい、そんな感じだよ。僕もそこは共感できる。ブリアルにもそういうところがあるよね。彼はツアーをやらない。家で音楽を作っているときが彼にとっての幸福な時間なんだ。僕もこうして取材を受けていると"自分"という気がしない。音楽を作っているときが"自分"だと思う。
ちなみにゴールド・パンダという名前はどっから来たんですか?
パンダ:最初は下らない、バカみたいな名前ばかりにしていたんだ。彼女から「あなたの好きなものをふたつ付けたものにしたらどう?」と言われて、で、色と動物にしてみようと思って、最初に思いついたのがピンク・ワーム。
ハハハハ。ピンク・ワームいいね。
パンダ:なんだかインダストリアル・バンドみたいでしょ。それがイヤだったので、第二候補だったゴールド・パンダにしたんだ。
最近、動物の名前を付ける人が多いでしょ。パンダ・ベア、グリズリー・ベア、フリート・フォクシーズとか。
パンダ:そうなんだよ。あと"ゴールド"も多いよね。ゴールデン・シルヴァース、ゴールデン・フィルターズ......「クソ、なってこったい、"ゴールド"も多いし、動物の名前も多いじゃないか!」って(笑)。「どうしよう?」と思ったんだけど、音楽がぜんぜん違うからいいかと。
なるほど。
パンダ:うん、似た音楽がなくてラッキーだった。
しかし、今日はびっくりしたな。こんなところでフィルの親友と会うとはね......、アルバムの最後の曲名がなぜ"ポリス"なのかも訊かなくてもわかちゃっいました(笑)。
パンダ:フィルも僕もポリスが嫌いだからね。まったく良い思い出がない。昔新聞配達をやっていたときもライトが点いてないって止められたり、ホントに良い思い出がない。悪いことしてないのに、イヤな思いをするんだ。女友だちのひとりが警察になって、しかも警察と結婚したんだ。もう彼女とは会わないだろうね(笑)。いい人もいるんだろうけど、会ったことがないんだ。
ミー・トゥー!
かつてのエイフェックス・ツインのように、本当に彼にはアルバム3枚分ぐらいの曲のストックがあるらしい。テクノ好き――とくにIDMスタイルが好きなリスナーはしばらく聴きたい音楽に困らないだろう。ちなみに彼は"BBCの世論調査における2010年のサウンド"のひとつにリストアップされている。
ここ数年でダブステップの境界線もすっかり曖昧になっている。例の3連打(ダダダ、ダダダ、ダダダ、ダダダ......)がなければテクノと呼んだほうが通りやすい......が、しかしダブステップがどうしても捨てきれないものがあるとしたら、そのひとつはメランコリーの感覚だろう。〈ホットフラッシュ〉レーベルを主宰するポール・ローズ、通称スキューバのセカンド・アルバムを聴きながら、僕はあらためてこのジャンルにおけるポスト・レイヴの素晴らしいメランコリーに思いを馳せている。
ローズがレーベルを立ち上げ、スペクターの名前で自分のトラックを発表したのは2003年のことだが、彼がダンス・カルチャーに足を入れたのは90年代初頭だった。音楽好きの両親に育てられたローズは、幼少の頃から音楽学校に通い、楽器を演奏した。やがてレイヴ・カルチャーがUKを襲い、彼はキスFMでコリン・フェイヴァーとコリン・デイルのDJを聴いた。そしてローズはある晩、偽造IDを使ってクラブに入った――と『Resident Advisor』の取材に答えている。彼はそして初期のジャングルと〈ワープ〉に心酔した。オウテカの『インキュナブラ』、続く『アンバー』が彼の人生に強烈なインパクトを残した。それでも彼は、真っ当な道を選んだ。大学を出ると就職した。が、それは長く続かなかった。大手企業に6年勤めたローズは、仕事を憎悪し、上司や同僚を軽蔑した。こうして彼はアンダーグラウンドの道に踏み入れたというわけである。
初期の〈ホットフラッシュ〉からはローズ本人のほか、ディスタンス、あるいはボックスカッターといった、言うなればテクノ・テイストを持ったダブステッパーたちのトラックを出している。2005年からはスキューバ名義でシングルのリリースを重ね、2008年には最初のアルバム『ア・ミューチュアル・アンティパシー(A Mutual Antipathy)』を発表している。ちょうどその前年にディスタンスが〈プラネット・ミュー〉から出した『マイ・デモンズ』の評判に続くように、このアルバムもずいぶんと賞賛を浴びた。もし〈ワープ〉の"アーティフィシャル・インテリジェンス・シリーズ"でダブステップを企画したらきっとこんな音になっていだろう。ストーンしたエレクトロニックの夢が繰り広げられるものの、昔と違うのはキラキラした楽天性がないことである。少ししかないのではない、まったくないのだ。
スキューバの『トライアンギュレーション』は、彼がロンドンからベルリンに移住してからリリースされる最初のアルバムである。ベーシック・チャンネル系のくぐもるような質感と乾いたミニマリズムがこのセカンド・アルバムを特徴づけている。2009年に〈ホットフラッシュ〉からもトラックを発表したジョイ・オービソンやアントールドのようなジャンルにこだわらない新しい才能にも触発されたのだろう、あるいはまたロンドンのダブステップの狂騒から離れたことも大きく関係しているに違いない、これはダブステップを通過したテクノ・アルバムと考えたほうが良さそうだ。つまり音楽的に幅が広く、間違いなく前作をしのぐ出来なのだ。
それはまるで下水の流れる地下道の湿ったコンクリートにこだまするダブのようである。実際、スリーヴ・アートはそんな具合だ。電子音は壁に染みる水滴のように響く。ガラスが割れる音とともにドラムマシンは走る。暗く続くその道は、どこまでも暗い。振り返っても暗闇だ。
ブリアルに端を発しているダブステップの暗さとは、まやかしの明るさへの拒絶の表れである。僕たちがこのダーク・ミュージックを聴いて居心地の良さを感じるのは、これが僕たちの反発心を後押しするからである。そしてこの暗く湿った地下道は、避難場所でもある。もう後戻りできないことはローズ自身がよく知っているはずだ。
去る3月、ブルックリンと大阪をつなげる企画がニューヨークで開催された。12日にブルックリン(オール・ガールズ)V.S.大阪、16日にニューヨーク(ノット・オール・ガールズ)V.S.大阪、ブルックリン代表がすべて女の子、ニューヨークは男の子も参加したため、こういうサブタイトルが付いている。
![]() moon mama |
![]() Hard nips |
![]() waterfai |
![]() talk normal |
ことのはじまりは、あふりらんぽのぴかのソロ・プロジェクト、ムーン・ママ(Moon♀mama)、そしてウォーター・ファイという大阪のふたつのバンドのニューヨーク・ツアーの企画からだった。それが我が〈ハートファスト〉の推薦するニューヨークのバンドとブッキングして、イヴェントに発展したというわけだ。ブルックリンと大阪という独特の文化を発信するふたつの都市、さまざまなバックグラウンドを持った人たちが一同に集まるのはとても興味深い話で、実際、両方のイヴェントで見かける人も多かった。お客さんとバンドともに交流を深め、バンド同士でも刺激を受けあっていたように思う。
ブルックリン勢として出演したのは、トーク・ノーマル、ハード・ニップス、ニューヨークからはピカ★ユカ(あふりらんぽのぴか、元チボマットの本田ゆか)、プリチャー・アンド・ザ・ナイフが参加。ソーダー・ファインのエリン、DFAのジョナサンのお兄ちゃんでもあるアンディがDJとして盛り上げてくれた。
"オール・ガールズ"ブルックリンのときは、会場はブルックリンのブルアー・フォールズ。ここはローワー・イーストサイドにあるアンダーグラウンド・ライブハウス件カフェの、ケーキ・ショップの2号店だ。"ノット・オール・ガールズ"ニューヨークのときはケーキ・ショップの隣にあるピアノスで開催された。
トーク・ノーマルはブルックリンのガールズ・デュオ。ドラムとギターが絡むゴースト・パンクのような音を出す。SXSWを含む全米ツアー(with xiu xiu)、ヨーロッパ・ツアーに出るちょうど前日だった。この何日か前にも、マーケット・ホテルで、オーサム・カラー、タイヴェック、CSCファンクバンドとのショーがあったばかりだった。ついに日本ツアーも6月に敢行する。
ウォーター・ファイは大阪の女の子5人組のポスト・ロック・バンドで、今回が初のアメリカ・ツアーとなった。ニューヨーク、プロヴィデンス、そしてSXSW(オースティン)でプレイをした。あふりらんぽのぴかは、ムーン・ママ名義のフォーク・ソロと、元チボマットの本田ゆかさんとピカ★ユカ名義で出演した。ぴかの全身からのエネルギーが爆発するようなドラミングと、ゆかさんの宇宙に彷彿させるようなシンセ音の絶妙なコンビネーション。どちらも内容の濃いショーだった。
さて、続いて報告するのは、3月17日(水)~3月21日(日)のオースティン、テキサス州でおこなわれた音楽コンヴェンション、サウス・バイ・サウスvウエスト。世界中からたくさんのバンド、音楽関係者が集まる。SXSWショーケースのバンドは、MNDR、アベ・ヴィゴダ、ノーエイジ、ディデラス、ザ・オーシーズ、J・マスシス、ファックド・アップ、クリスタル・アントラーズ、マイナス・ザ・ベア、ザ・ドラムス、シザー・シスターズ他。私は、先出のウォータ・ファイ、ハード・ニップスとともにオースティンにやって来た。
19日は気候もよく、夜もたくさん人が外に出て、歩行者天国のようになっていたが、翌20日は自分がいままで経験したなかでもっとも寒いオースティンだった。この日は、NYナイト・トレイン/パナシェ・ブッキングのオールディ・パーティ。ステージはインドア、コートーヤード(野外)、ハウス(野外)の3つで、合計47のバンドがプレイした。ダムダム・ガールズ、トーク・ノーマル、キッド・コンゴ・アンド・ザ・ピンク・モンキー・バーズ、チキン・スネーク、オーサム・カラー、ゴールデン・トライアングル、スクリーンズなどのアメリカ勢をはじめ、ブラジル、サンパウロからGarotas Suecas、アイルランドからSo Cow、日本からはニュー・ハウスなども参加した。ニューヨークでもっとも忙しいDJであるNYナイト・トレインのジョナサン・トウビンがDJを担当した。これだけでもすごいラインナップだ。SXSWといえば、どこでもパーティで、バンドもこの期間だけは、1日に2~3個ショーを掛け持ちする。ウオーターファイ、ハードニップスも3回ショーを敢行した。
ここまで来たらジャパン・ナイトものぞいてみようということで、会場前まで行ったが、たくさんの人で入ることができなかった。今年のラインナップはアシッド・マザーズ・テンプル、オカモトズ、チャット・モンチーなど。日本のバンドというだけでかなり人が入る。
今回はさらに、ニューヨークのインディ・バンドのブッキングを仕切っているTodd Pが、初めてメキシコのモンタレイでショーを開催した。オースティンとモンタレイをバスでつないで、SXSWに出演したバンド(しないバンド)を現地に送って、SXSWが終了する土曜日夜にあわせてスタートするものだ。今回はその第一回目なのだが、これが早速大混乱だった。ボーダーを超えようとしても越えられないバンドが多数発生したのだ。バスを待っても待ってもこない(待ち時間8時間、乗ってる時間11時間、さらに1日に2本など)、出演するはずだった半数以上がキャンセルになった。
プレイできたのは、ダン・ディーコン、ライアーズ、ヘルス、ネオン・インディアン、アンドリュー・WKなどなど。結局、ノーエイジ、ザ・オーシーズ、ジャヴェリン、DD/MM/YYYY、ビッグ・トラブルズ、トーク・ノーマル、ジョナサン・トウビンなどはキャンセル。アメリカからメキシコを越えるというのは、それほど簡単ではないのだ。
ニューヨークに帰って来たいまもまだ忙しい感じが続いているけれど、4月になってから、マーケット・ホテルというライヴハウスに警察が入ってクローズダウンになったり、この街はスローダウン気味だ。暖かくなって来たので、これからは野外ライヴなどにも注目していきたい。
90年代後半以降の日本のラウド・ロック・シーンに最も大きな影響を与えていると思われる人物が、ロックのあり方を正面からはっきりと問う作品を発表した。その人物とは、活動休止中のハイ・スタンダードのギタリストで、現在は「Ken Yokoyama」名義でソロ活動を行っている横山健だ。ソロ4作目となる『Four』は、メンバー・チェンジを経て、よりアグレッシヴなサウンドに進化を遂げた作品であるが、その攻撃的な内容はサウンドだけに留まらない。ここでは、歌詞に込められたメッセージに焦点を当てて紹介してみたい。
「パンク」の定義も少し変わったようだ それでもオレは自分を「パンク」なんだと思っている この先にどんな変化が待っていようが関係ない オレは自分の決断を誇りに思う("Punk Rock Dream"より)
オレは断固拒否する カッコ悪い同類だと思われたくない 本物にはなれない お前がロックだと? それならオレはロックじゃない("Your Safe Rock"より)
これまでパンク・ロックに縁のなかったキッズたちを巻き込んで多くのコピー・バンド、フォロワーを生み、(本人たちは意図せずとも)"メロコア"というジャンルを世に広めたバンド、ハイ・スタンダード。アメリカン・ハードコア譲りのやかましくて速いサウンドにキャッチーなメロディーをのせた音楽、そしてキャップやスニーカーといったファッション。そんな新しいスタイルも、ハードコア・パンクがルーツにあることがポイントだったわけだが、いつしか、そこからパンク・アティチュードが抜け落ちた"入れ物"だけを受け継いだようなバンドが増えてしまうことになる。オーディエンスもそうだ。ライヴ会場では予定調和でモッシュサークルが生まれたり、手を繋いでフォークダンスのように回ったり。そういったものまでもが、同じく"パンク・ロック"というカテゴリーにひとくくりにされている。上記の歌詞は、そんな状況に異を唱えたものだ。
また、こんな出来事も背景にはある。2009年の夏、十数万人を動員する〈ROCK IN JAPAN FES〉ではモッシュ、ダイヴ行為が禁止された。モッシュ、ダイヴはKen Yokoyamaが普段演奏するライヴハウスでは日常茶飯事の光景である。横山健は演奏中、たまらず「ロックが良い子でどうすんの?」と声を上げた。その瞬間、堰をきったようにダイヴの嵐が巻き起こったという。
「何しろ大きかったのは去年の夏のフェスティヴァルの光景。もうダメだ!と思って。パンクはもとよりロックがこんな健康的でどうすると思って。普通だったら出なきゃいい話なんだけど、僕はそこに進んで関わっていって、壊すなら中からブチ壊したいんですよ」「他のバンドは逃げたけど、僕はそこを隠さず出したんです。だったら歌詞でも言うしかないんじゃないかって思うんですね」(『インディーズ・イシュー』vol.51インタヴューより)
単なるフェスであれば、特別声を上げることもなかっただろう。問題は、"ロック"という言葉を冠したフェスで、ロックな行為を規制されたことだ。そこに出演するということは、その趣旨に賛同するということ、つまりロック文化の変容を認めることになると、横山健は考えたのである。そして、傍観姿勢をとる者がほとんどのなかで、ライヴハウスでもまれながら育ち、ロック文化を愛する横山健は、はっきりと「NO」を突きつけた。
発言の重み、といったものは痛いほどわかっているだろう。アンダーグラウンドなパンクスではなく、"横山健"という、責任ある大人の、リスクを背負った行動だということ。そこがポイントなのだ。取材などを通して接するなかで、横山健は筆者などよりずっと常識的で、見識もあり、穏やかで、バランスのとれた人物である。本人も「もともとそういう性格じゃないし、ほんとは余計なものに触りたがらない性格なんだけど」と語っていた。しかし、誰かが言わなければならなかった。その役目を代表して負ったのだ。そして、CD作品、そのプロモーションの場という、彼らが持ちうるメディアを使って、発信しまくった。そのアティチュードと行動には、大きな拍手を送りたい。
もちろん、これは特定のフェスや人物に対して向けられたものではない。ロックを守ること、ロックが形骸化していくことに対しての愛あるメッセージなのである。大きなクサビは打たれたことと思う。しかしこれで終わりではない。
そしてオレが死んだら あとはお前次第だ まるで心臓が大きく鳴っているかのように ビートを繋ぎ続けるんだ まるで命を繋ぐかのように ビートは死なせるな("Let The Beat Carry On"より)
次はぼくらの番である。