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来るときは、しかし、いきなり来ますね。予兆は充分にあったという人もいるんだろうけど、そういったものに法則性があるなら誰も苦労はしないし、それをいうならむしろ予兆だらけだったといったほうがいいだろうし。とにかくいまは受け止めるだけで精一杯。グリッチ・ギャングスタと呼ばれるオーディオクリップのデビュー作を。
全体に音がユーモラスなので、彼(ら?)がギャングスタと称されるのは単にN.W.A.と同じコンプトン出身だからだろうと思っていたら、あながちそれだけでもないようで、俗語だらけで書かれた声明文のようなものを読んでも正確なところはよくわからないんだけど、コンセプトとして掲げられているのは西海岸の文化を音楽的に解体することらしく、サンプリング音源ということなのか、泥酔いした女の子、コンビニの監視記録による逮捕、ストリート・ファイトの犠牲になった者の恐怖をキャプチャーしたとかなんとか文章は続いている。以下、あまりに適当な訳だけど、「臓器を開き、上手く調整されたスプラッタとして仕立てられたヒップホップのビートを通じて抗争に平和をもたらし、失せろニガー! と叫ぶ男にはもはやそれは不可能であることをわからせたい」とかなんとか(間違ってたらゴメンナサイYO!)。
ヒップホップとエレクトロニカの出会いはアンチ・ポップ・コンソーティアムやアウトキャストなどエイフェックス・ツインを聴いて育った世代によってすでに構築され、それを牛のクソのようにして丸めて世界に投げつけたのが最終的にはカニエ・ウエストということになるだろうか。ビートルズの"ドクター・ロバート"や"タックスマン"に魅了されたローター&ザ・ハンド・ピープルがそればかりを繰り返しているうちに"マシーン"という曲に辿り着き、それを世界にわかりやすく紹介したのがディーヴォだったように。
アンチ・ポップ・コンソーティアム以降に発展したグリッチ・ホップについてはロボット・コッチ『ソングス・フォー・トゥリーズ・アンド・サイボーグス』のところでそれなりに書いたつもりなので、ここでは省略するけれど、フライング・ロータスやノサジ・シング(なぜか昨夏、ダブル・アルバムでリリースし直された)を追うものとして、オーディオクリップやココ・ブライスをここ最近の展開としては位置付けてみたい。いずれもユーモラスかつアシッドな偏向を加えているところが分派としての意味をなす部分であり、個人的にも興味をそそられている理由となっている。とくに前者は「臓器を開き、上手く調整されたスプラッタ」とあったように音の砕き方が独特で、いわゆるチョップド・ビートの方法論を踏まえつつも、それらをノイジーにもイージー・リスニングにも聴かせてしまう手腕はかなりお見事、もはやアウトキャストやプリフューズ73の時代ではないことを思い知らされる。プリンスにグリッチ・ホップをつくらせたような"アンサー・ザ・フォン"、オウテカが酔っ払ってるような「ディフィネイト」、えもいわれぬ叙情性を湛えた"プラムウォーター"......と、どこにこんな音楽が出てくる予兆があったというのだろう。どうせ余震が起きるなら東北大地震ではなく、これに続いて欲しいものだ。あー、また揺れた......
クリア・スリーヴ、ブルー・ヴァイナル仕様。
2011年のヨーロッパは何度目かのシカゴ・ハウス・リヴァイヴァルのようで、今年に入ってデリック・カーターは6年ぶりのミックスCD(『ファブリック56』)を発表、同時期にオリジナル・シカゴ・ハウスの拠点〈トラックス〉レーベルの音源のリエディットものの編集盤『トラックス・リ-エディティッド』もリリースされている。さらにオランダの〈ラッシュ・アワー〉からは5月には『シカゴ・ダンス・トラックス』なる編集盤のリリースも予定されているという。ここに紹介するヴァーゴ・フォーの『リシュアレクション』も〈ラッシュ・アワー〉からこの3月にリリースされたばかりだ。ちなみにポップ・フィールドにおいて、こうしたシカゴ・ハウス・リヴァイヴァルと連動したのがハーキューリーズ&ザ・ラヴ・アフェアだったようで、なるほど! これで今年の正月のデリック・メイのDJにおいてロバート・オウェンスの"ブリング・ダウン・ザ・ウォールズ"がなぜ最初のクライマックスにスピンされたのかという理由がわかった。
それでなくても、最近のアントールドやラマダンマン、ないしはアジソン・グルーヴといったポスト・ダブステップ系の連中はシカゴのアシッド・ハウスに(意識的か無意識的なのかは知らないが、とにかく......)接近しているし、もっとも憎たらしいジョイ・オービソンの音楽からロン・トレントを見出すことだって難しくはない。ジュークがどこまで絡んでいるのかまではわからないけれど、たしかにシカゴはいま来ている感じがする。
ハーキュリーズのアンディ・バトラーが言うようにシカゴ・ハウスは特殊な歴史を有している。その歴史は、貧民街のゲイ・クラブの腕利きのDJとヨーロッパのニューウェイヴに影響を受けた10代の子供たちによって作られた。ドラムセットを買う金を持たない子供たちはドラムマシンに電流を通し、ラジオからは流れない音楽をスピンするDJ連中は子供たちが作ったトラックをクラブでかけた。1980年代のなかばには、シーンからは次から次へと作品が生まれるようになった。煙草の吸い殻とリサイクルしたヴァイナルによる最悪のプレスでリリースされたそれらオリジナル・シカゴ・ハウスは、まずはイギリスで売れるようになった。が、しかし、シカゴの若いプロデューサーに金が入ることはなかった......やがて〈トラックス〉レーベルのラリー・シャーマンは、その輝かしいシカゴ・ハウスの歴史の立役者のひとりでありながら、多くの訴訟にあっている。
こうした醜悪な一面を持っているがゆえに、1990年代なかばにデリック・カーターやカジミエといった第二世代が登場するまでは、シカゴはハウスの故郷でありながら(デトロイトやニューヨークと違って)ほとんどの主要人物たちがいなくなっていた。バトラーはシカゴ・ハウスの特徴を「殺気立つモノ」と見ているが、たしかにそれはセクシャルな"ブリング・ダウン・ザ・ウォールズ"からゲットーな〈ダンス・マニア〉にいたるまでのシカゴ・ハウスに共通する感覚だ。あの抜き差しならない感覚が、シカゴ・ハウスのベースラインに表れているではないか......。ディスコからハードな感性は生まれることはなかったが、シカゴ・ハウスからはURやジェフ・ミルズが生まれ、UKの連中にいたってはシカゴ・ハウスにパンクを嗅ぎ取っている。
ヴァーゴ・フォーは、オリジナル・シカゴ・ハウスにおける伝説のプロジェクトだ。メンバーはエリック・ルイスとマーウィン・サンダーソンで、ふたりが最初にハウスを作ったのはルイスが12歳、サンダーソンが14歳のときだった。シーケンサーはなく、4トラックのレコーダーを使ってのライヴ録音だった。彼らの活動期間は1989年から1993年までの4年間で、すでに数多くのスターを輩出していたオリジナル・シカゴ・ハウスのシーンにおいては、〈トラックス〉から1枚のシングルとUKの〈ラディカル〉から1枚のアルバムを出しただけの地味な存在だった。が、その評価はこの10年でずいぶんと高まっている。〈トラックス〉から発表した「ドゥ・ユー・ノー・フー・ユー・アー?」は隠れ名盤として広く知られるようになり、昨年は〈ラッシュ・アワー〉が1989年の幻のアルバム『ヴァーゴ』を再発している。
『リシュアレクション』は彼らの未発表作品集である。繰り返すようだが、ヴァーゴ・フォーは22年目にしてようやく彼らの未発表曲を求められるようになったのだ。彼らの音楽の多くは初期カール・クレイグやデリック・メイ、もしくはロン・トレントやシェ・ダミエのようにラリー・ハードの影響を受けたセクシャルでロマンティックなディープ・ハウスである。かつて僕の友人はロン・トレンドの音楽を「非行少年を更生させるだけの美しさを持った音楽だ」と評していたが、ヴァーゴ・フォーの音楽も争いよりはセックスを強調する音楽であることは間違いない。CDには15曲が収録、12インチ・ヴァイナル5枚組のボックス・セットにはなんと30曲が収録される。コレクターにとっては迷うことのない選択肢だろうが......。いずれにして、この素晴らしい音楽は22年の歳月を要していまようやく評価されている。こんな宝石のような音楽がまだ埋もれていたのかと驚く次第である。
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GIDEON - A NEW ERA E.P. - FVF Records |
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Felix Bernhardt - Frisch aufgetischt e.p. - Snork Enterprises |
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PACO OSUNA - AMIGOS - PLUS 8 |
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Thor - ICELANDIC LOST TRACKS2 - CONNAISSEUR |
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Unkhown - 9999 - stablo |
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Francesco Bonora & Mirko - THE SOUL SERIES 1 - ETICHETTA NERA |
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COSMIC COWBOYS / LULA CIRCUS - Krokai / Maccaja - BACK AND FORTH |
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NICK HARRIS - THE EVERLASTING EP - nrk |
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UES - THOUGHTS OF A RIDE RIDE - EXPREZOO |
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DELANO SMITH - I FLY - under tone |
都知事選のニュースなどに絡んで出馬予定者のサイトやブログなどをめぐっていると、「夢」という言葉はあっても「理想」という言葉をほとんどまったく見かけないことに気づいた。たしかに「理想」という言葉はなんとなく怖い。ユートピア島がじつは管理社会的な逆ユートピアだったという具合に、その「理想」というのが、誰にとっての「理想」なのかということがここ10年くらいの間は倫理の問題としても一般化した。「誰かの理想が、他の誰かの逆理想になり得る」という命題はアメリカナイゼーションとしてのグローバリゼーション問題、イラク戦争などを考える上でも避けられないものである。「夢」が個人が勝手に思い描くものであるのに対し、「理想」には「こうあるべき」という、他に対する微妙な強制力が含まれるわけだから、いま使いづらい言葉であるのは間違いないだろう。しかしそのことは、理想なき世界を肯定するものでもない。
ローファイやシューゲイズな方法を技術的な背景として、2000年代後半はサイケ/ドリーム・ポップのルネッサンス的状況が続いた。私のなかではこの潮流をふたつに分けて聴いていた部分があって、それがまさに「夢」と「理想」に対応するな、と思った。「夢」派の代表はディアハンター、ウォッシュト・アウト、ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートなど。いわゆるグローファイや、素朴なシューゲイザー・フォロワーなどもこちらに加えることが多い。「理想」派の代表はヴァンパイア・ウィークエンド、アニマル・コレクティヴ、ダーティ・プロジェクターズ、グルーパーなど。ざっと比較すると、理想派は方法意識が強く、そのことで新しい世界を描き出そうとするのに対し、夢派は方法的な試行錯誤よりも、護身のために音を巡らし、そのなかにひきこもろうとする、というところだろうか。リテラルにとれば非難するようにきこえるかもしれないが、もちろん夢派のそうした性質は2000年代末においてきわめてビビッドな発明であったわけで、評価を惜しまない。理想派にはヴィジョンがある。夢派はヴィジョンが壊れている。理想派にはナチュラルな希望がある。夢派にはナチュラルに希望がない。ユートピアとディストピアの対照だ。しかしどちらも「いま」に対する鋭い感性がもたらしたものである。
そして前置きが長くなったが、ジュリアナ・バーウィックは最初のフル・レングスである『サングウィン』(2009)当初から私の中では「理想派」だ。それは、しずかに差し出された未来の形である。そしてじつはなかなかに押しの強い音楽でもある。ほぼ自分の声だけを用いて幾重にも重ね、ループさせる、という方法意識のかたまりのような独特のスタイル。深い残響と整ったハーモニーが教会音楽を思わせながら鳴り渡るばかりで、ビートも歌詞もない。展開というほどの展開もない。しかし、強烈に光を感じる。開き直ったやぶれかぶれのあかるさなどではない。未来という言葉から光が失われた時代に、ベタでもネタでもメタでもなく、不思議な自信を感じさせながら彼女の音は力強く外へと広がっていく。非常に攻めの姿勢のあるクリエイター/アーティストだ。
実際のところ歌姫という要素は彼女には希薄である。声量豊かに長いフレージングをこなしたり、きっちりとした唄ものを霊感たっぷりに表現するといったタイプではない。また、バンドを組むつもりがないことを明言しており、自分ひとりだけで表現することへの強いこだわりをみせている。「バックと唄」という二元論への批評が根本にあるのだ。また、リヴァーブやループなどペダルに多くを依存するスタイルであるため、再現の不可能性について自覚的な発言もしている。2度同じものが作れないような一回的な表現になにを求めているのか。あるインタヴューで、彼女は「スピリチュアルだ」と評価されることを嫌い、「もっともっと、心の底からエモーショナルなもの」を捉えたいのだと述べている。一回的で即興性が強いということのために、自分の音楽を神秘化されたくないのだ。同時にそれは「悲しいから悲しい音を出す」といったレベルを超えたもっと深い彼女のエモーションを拾い上げるための方法なのだということを想像させる。バーウィック独特の楽曲制作/録音スタイルは、おそらくはこうした思いから生まれている。
ピアノがあしらわれた"バウ"を聴いていると、グルーパーとの類似性に気づく。グルーパーの霧の沼のようなドローンと、バーウィックの光のようなハーモニーは対照的だがよく似ている。グルーパーもまた、なかなかにきかん気で、押しの強い音楽なのだ。だが非常に透明度が高い。両者ともに深いリヴァーブがかけられているが、それは「夢派」が用いるような視界を遮る煙幕ではなくて、視界をクリアにし、意識を研ぎすませるための装置であるように感じられる。彼女らには彼女らのヴィジョンがはっきりとある。聴いていれば、少なくとも両者の強い眼差しを感じとることができる。そして、この眼差しの強さにつられるようにして私もまた彼女たちがみようとし、またみているものへと心が動く。はっきりと名指すことはできないが、なにか明るくて、澄んでいて、強いもの。不分明だが、芯が健康なもの。そして、まだみたことがないもの。『マジック・プレイス』にはそうしたものがあふれている。癒しや美学に回収されない、そのなにかしら新しい力のために、バーウィックの音楽は耳を騒がせる緊張感が宿っている。今作が公式なデビュー作ということになるのだろうが、スフィアン・スティーヴンスの〈アズマティック・キティ〉からのリリースとなった。申し分ない。本格的にその存在を見せつけてほしいと思う。
先行リリースされた"リコンストラクチャー2"がバカ格好良かったので楽しみにしていたのだけれど、アルバムは即興演奏によるテクノ・ミニマル・ミュージックとアフリカ、ダブ、ジャズとの接合、そんなところ。とにかく長い。熱心に耳を傾けて音の細部に集中するれば、それなりの物語があるのだろうけれど、子供が絶えずやかましい家で聴いていると、60分のミニマルの旅行はあっという間に終わる。そしてまた再生する......。そしてまたいつの間にか終わっている。そしてまた再生する......そしてまたそしてまたそしてまた......。1曲16分もあるミニマルを集中して聴いていられる環境にいるのは、学生あるいは無職という身分でないのなら、豪邸で自由気ままに暮らすメタルのような芸術家ぐらいしか思いつかないが、いつか自分もそうなれたらと思う。いつかそうなれたら、僕もプログレやアンビエントを楽しもう。
"リコンストラクチャー2"は、12インチ・シングルで発表された昔ながらのクラブ仕様ということもあって、キックドラムが入っているからわかりやすいと言えばわかりやすい。が、しかし、あの蛇のようなビートのうねりからは並々ならぬ老練さが滲み出ていたし、本来ならリミキサーにオリジナル・ダブステッパーのマーラが抜擢されていることに驚くべきなのだろうけれど、ほとんどB面には針を落とさせないほど強烈な惹きとテンションが"リコンストラクチャー2"にはあった。『ホリゾンタル・ストラクチャーズ』は、そのオリジナル・ヴァージョンにあたる"ストラクチャー2"を収録した60分以上におよぶ作品で、モーリッツ・フォン・オズワルト・トリオ(MVOT)にとって『ヴァーティカル・アセント』に続くオリジナル・セカンド・アルバムとなる。メンバーはモーリッツ・フォン・オズワルト、マックス・ローダーバウアー、サス・リパッティの3人を中心に、ギタリストにポール・セント・ヒラーレ(ティキマン)、ベーシストにジャズ畑のマルク・ミュールバウアーを加えている。
MVOTの音楽は、即興である。即興音楽におけるレコードとは、作品であり記録であるが、彼らがいったいどういった意図でもって即興をしているのかを僕は知らない。彼らは取材に応えない。リスナーが勝手に想像すればいい、ある意味では彼らは正しい態度を取っている。
ベースラインの反復からはじまる"ストラクチャー1"は、せっかちな人にはとてもオススメできない。曲の終わりにはアフリカン・ドラムが挿入され場面はドラスティックに変化するが、それまで12分以上もの時間を要する。つまり僕にはこれは、ほとんどプログレに思える。カタルシスを得るためには、長い時間、このミニマリズムとじーっと対峙していなくてはならない。シングルとして既発の"ストラクチャー2"は、そういう点で言えば、最初からリズミカルな刺激を持っている。何よりもヘヴィー級のベースラインが地響きを上げている。そして、15分以上続く機械に制御された正確で淡泊なリズムの反復のうえを、ギターとキーボードは飽きもせずに即興演奏を続けている。"ストラクチャー3"はダブの冒険だが、スタッカートが効いたこの曲からはクラウトロックの混沌を感じる。クラフトワークのファースト・アルバムや初期のクラスターの持っていた落ち着きのない不安定さが続く。僕がもっとも気に入ったのは、細かいパーカッションの発展がユニークな"ストラクチャー4"だが、これが実に20分もある。
アートワークは、前作のロケットに対して今回は骨。そのドイツ流の(あまり面白くない)ジョークを楽しむように、まあ、なんにせよ、気楽な気持ちで聴いて欲しいということなのだろう。
最近遊びに行ったパーティでウータン・クランのハンド・サインを高々と掲げる20代前半の若者を目撃した。90年代に「ウータン旋風」を巻き起こしたニューヨークはスタテン島の実力派MC集団ウータン・クラン。カニエ・ウェストのような実験的なヒップホップが話題になっている2011年であるが、相変わらずウータン・クランのようなヒップホップも支持を得ているようだ。
いや、ヒット・チャートをにぎわしているブラック・アイド・ピーズやピットブルのような、本来の姿とは異なった"ヒップポップ"音楽が、"ヒップホップ"音楽として世間で認知され大流行してしまっているからこそ、逆にウータンのような東海岸系がいま再び支持されているのかもしれない。パーティでDJがヒップホップを流しているにも関わらず、「ヒップホップをかけてください」とリクエストするという事件(!?)が起きる状状況は、ヒップホップ好きとしては正直イヤである。
ウータン・クランのメンバー、ゴーストフェイス・キラーの本作品は、とくに目新しいことをしているわけではない。何か斬新なことをしているわけでもないのだが、とにもかくにもヒップホップ・ファンを安心させてくれる内容だ。相変わらずウィリー・クラーク、ロイ・エアーズ、ザ・イントゥルーダーズといった往年のソウルやファンクの名曲をサンプリングした楽曲を起用している。そしてアルバム全体に渡って、ブラックスプロイテーション映画を彷彿させるサウンドが展開されている。まるでバッドでピンプな格好をしたゴーストフェイス・キラーが、ジザ、キラー・プリスト、バスタ・ライムス、レイクウォン、メソッド・マンにレッドマン、シーク・ルーチ(ザ・ロックス)といったベテランMCたちや、ジョエル・オーティーズやジム・ジョーンズのような若い世代のMCたちとともにキャディラックに乗って街を疾走しているかのようだ。
注目すべき曲は、ザ・ルーツのブラック・ソートを迎えた"イン・ザ・パーク"だ。あの頃は......と、ゴーストフェイス・キラーは曲のなかでヒップホップ創世記の日々を回想している。ブロンクスのブロック・パーティ、ザ・ファットバック・バンドのレコードや、地下鉄Dトレインのグラフィティ、アディダスのスニーカーなど当時のヒップホップ・カルチャーに関する小ネタを挟みつつ、「ヒップホップは公園ではじまったんだ。俺たちは真夜中にやっていた」というM.C.シャンの"ゼイ・ユースト・トゥ・ドゥ・イット・アウト・イン・ザ・パーク"のラインをサンプリングしたフックで、ギュンギュン鳴り響くギターの上で力強くラップしている。彼は昔を懐かしんでいるのではない。「俺たちはヒップホップのルーツをみんなに思い出させなきゃいけない! 俺たちの使命だ!」と、良き日々を忘れてしまったアーティストたちへ、またそれを知らない若者たちへ、「俺が知っているヒップホップはこういうものだったんだぜ!」というスタテン島仕込みのヒップホップ教育も含んでいるように思える。
基本に立ち返っている姿勢を見せているのはゴーストフェイス・キラーだけではない。ウータンの他のメンバー、レッドマンも新作でクール・モー・ディーをフィーチャーし、ヴィデオでは太いゴールドチェーン、グラフィティ、ブレイクダンスなど昔ながらのヒップホップの要素を取り入れている。ここ数年、南部ヒップホップの勢いに押され気味なシーンにおいて、東海岸のベテラン陣も負けてはいられないという意地を感じる。それは、ヒップホップはニューヨークのブロンクスで生まれたんだぜ! という誇りを武器に、自分たちのヒップホップを取り戻そうという動きにもとれる。
とにかく、バランスが良い作品である。ヒップホップについてラップもするが、難しいことを延々と説教臭くラップしているわけではない。セクシーなお姉ちゃんたちとセックスしたいぜ~ともラップするが、かといって銀行口座にいくら金があるか自慢してばっかりのラップでもない。DJプレミアが2010年度の年間アルバム・チャートで、本作品をナンバー・ワンに選んだことも充分に納得できる内容である。
欧米であれだけ人気のドレイクが日本で売れていないと知って、「そうなのか~」と残念な気持ちになった。ドレイクをスルーすることは、言ってしまえば、70年代であればマーヴィン・ゲイを、00年代であればアッシャーをスルーするのと同じようなことだろう。セクシャルな魅力と黒人音楽の技芸によってクロスオーヴァーする色男の系譜。そして私たちが彼らの音楽を聴くことは、異なる国のディープな性文化......いや、大衆文化との出会いのきっかけである。そう、ちゃらちゃらしているようで、ああいう色男が人びとの偽ることのできない欲望を反映していたりする。まあ、当たり前の話です。
と、妙な書き出しになってしまったが、紹介したいのはタイニー・テンパーである。タイニー・テンパーはいまもっともUKのポップ・ミュージック・シーンが熱いまなざしを送るラッパーだ。いわばディジー・ラスカルやワイリーに続くグライム第二世代の期待の新星である。今年2月のブリット・アワードにおいて、最優秀新人賞に当たるベスト・ブリティッシュ・ブレイクスルー・アクトと、全英No.1ヒットを記録し出世作となった"パス・アウト"(本作収録)でベスト・ブリティッシュ・シングルを獲得している。"パス・アウト"は、8ビット・サウンドからダブ、ドラムンベースへとめまぐるしく展開するUKらしいハイブリッドなベース・ミュージックだが、なによりタイニーの伸縮自在のライミングの上手さが際立っている。そこには若さからくる勢いがあり、はっきり言って、ディジー・ラスカルやワイリーにはない技芸がある。
さらに、タイニー・テンパーは2010年のグラストンベリー・フェスティヴァルの大舞台ではスヌープ・ドックと共演し、その堂々たる存在感を示している。階級を超え人気を獲得していて、女の子にも受けている。親しみやすく、ファッショナブルで、『NME』の記事を読むと、プロフェッサー・グリーンがUKのエミネムだとすれば、タイニー・テンパーは自分たちにとってのカニエ・ウェストだ、というようなことが書かれている。タイニーの俗っぽさ、ひょうきんさ、さらにはエゴイスティックなところまでカニエに似ていると言いたいらしい。なるほどな~という感じだが、UKのドレイクと言ったほうが的確なような気もする。
現在22歳のタイニー・テンパーことパトリック・オコグォはサウス・ロンドンで生まれ、ナイジェリア系の中産階級の家庭で育っている。12歳のパトリック少年に決定的なインパクトを与えたのは、2001年のUKガラージにおける最大のポップ・ヒット、ソー・ソリッド・クルー(同じくサウス・ロンドン出身)の"21セカンズ"だった。その後、ディジー・ラスカルの音楽の夢中になった彼は、イースト・ロンドンでおこなわれていたワイリーらのパーティに出入りするようになる。タイニーはグライム第一世代との交流を通じて、アンダーグラウンドでキャリアを積んでいく。とはいえ、タイニーのラップはブリティッシュ・アクセントではあるが、労働者階級のローカル・アクセントをとくに強調するディジー・ラスカルやワイリーとはスタイルが違う。
さて、そして『ディスカヴァリー』はそんなタイニーの記念すべきデビュー・アルバムである。音楽的には、UKのサウンドシステム・カルチャーを基盤にしながら、エレクトロやR&Bへユニークにアプローチしている。レイヴィーでもあり、笑ってしまうほど派手だ。しかし、特筆すべきはやはり......タイニーのラップだろう。ごく単純な話、メロウな感性でもって、繊細に、柔軟に、緩急をつけてラップする彼のスタイルは魅力的だ。女性ヴォーカルをフィーチャーした"シンプリー・アンストッパブル"に彼の個性がよく出ている。あるいは、ザ・ドリームのアルバムに入っていてもおかしくないような甘美なアーバン・ミュージック"ジャスト・ア・リトル"や"オブセッション"で披露するファスト・ラップを聴いてみて欲しい。
北米のラップの史学において、80年代中盤にラキムは官能的なメロディーやオフビートへの巧みなアプローチによってライミングを複雑化し、ラップに変革を起こしたとされている。そしてその後、ナズやエミネムやリル・ウェインが登場するわけだ。UKにおいてはルーツ・マヌーヴァがジャマイカ訛りのラップで独自のアイデンティティを確立し、ディジー・ラスカルはロンドンのローカル・アクセントを強調したファスト・ラップを発展させている。『ディスカヴァリー』のラップの内容はおおよそ、クラビング、酒、キレイなお姉ちゃんや若者のどんちゃん騒ぎについてであり、ここには笑いもある。グライムのような反抗はないかもしれないが、しかしタイニー・テンパーは紛れもなくグライムのシーンから登場したスターであり、ラップの技芸を武器にして、ディジー・ラスカルが踏み込んだことのない領域に入ろうとしている。期待しようじゃないか。
前略。
被災地の方々のことを思うと言葉が出ませんが、地震の被害がこれ以上広がらないことを祈念するのみです。まだまだ予断を許さない状況が続いています。この先を思えば不安を拭いさることができないのが正直なところです。それでも僕たちはいま生きているのですから、前を向きましょう。あくまでも慎重に。そして、ひとり暮らしの音楽好きも多いと思いますが、助け合いましょう。とにかく......、くれぐれも気をつけて。希望を忘れずに!
本日の月曜日、いつものようにreviewをupします。今週upするすべてのreviewは3月11日よりも前に書かれたものです。
良い曲を見つけました。
これはたぶん日曜日にupされた曲です。
But This is Way / S.l.a.c.k. TAMU PUNPEE 仙人掌
さらにこんな曲もありました。
PRAY FOR JAPAN / HAIIRO DE ROSSI Track by EeMu ~ ONE / Aporia