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来るときは、しかし、いきなり来ますね。予兆は充分にあったという人もいるんだろうけど、そういったものに法則性があるなら誰も苦労はしないし、それをいうならむしろ予兆だらけだったといったほうがいいだろうし。とにかくいまは受け止めるだけで精一杯。グリッチ・ギャングスタと呼ばれるオーディオクリップのデビュー作を。
全体に音がユーモラスなので、彼(ら?)がギャングスタと称されるのは単にN.W.A.と同じコンプトン出身だからだろうと思っていたら、あながちそれだけでもないようで、俗語だらけで書かれた声明文のようなものを読んでも正確なところはよくわからないんだけど、コンセプトとして掲げられているのは西海岸の文化を音楽的に解体することらしく、サンプリング音源ということなのか、泥酔いした女の子、コンビニの監視記録による逮捕、ストリート・ファイトの犠牲になった者の恐怖をキャプチャーしたとかなんとか文章は続いている。以下、あまりに適当な訳だけど、「臓器を開き、上手く調整されたスプラッタとして仕立てられたヒップホップのビートを通じて抗争に平和をもたらし、失せろニガー! と叫ぶ男にはもはやそれは不可能であることをわからせたい」とかなんとか(間違ってたらゴメンナサイYO!)。
ヒップホップとエレクトロニカの出会いはアンチ・ポップ・コンソーティアムやアウトキャストなどエイフェックス・ツインを聴いて育った世代によってすでに構築され、それを牛のクソのようにして丸めて世界に投げつけたのが最終的にはカニエ・ウエストということになるだろうか。ビートルズの"ドクター・ロバート"や"タックスマン"に魅了されたローター&ザ・ハンド・ピープルがそればかりを繰り返しているうちに"マシーン"という曲に辿り着き、それを世界にわかりやすく紹介したのがディーヴォだったように。
アンチ・ポップ・コンソーティアム以降に発展したグリッチ・ホップについてはロボット・コッチ『ソングス・フォー・トゥリーズ・アンド・サイボーグス』のところでそれなりに書いたつもりなので、ここでは省略するけれど、フライング・ロータスやノサジ・シング(なぜか昨夏、ダブル・アルバムでリリースし直された)を追うものとして、オーディオクリップやココ・ブライスをここ最近の展開としては位置付けてみたい。いずれもユーモラスかつアシッドな偏向を加えているところが分派としての意味をなす部分であり、個人的にも興味をそそられている理由となっている。とくに前者は「臓器を開き、上手く調整されたスプラッタ」とあったように音の砕き方が独特で、いわゆるチョップド・ビートの方法論を踏まえつつも、それらをノイジーにもイージー・リスニングにも聴かせてしまう手腕はかなりお見事、もはやアウトキャストやプリフューズ73の時代ではないことを思い知らされる。プリンスにグリッチ・ホップをつくらせたような"アンサー・ザ・フォン"、オウテカが酔っ払ってるような「ディフィネイト」、えもいわれぬ叙情性を湛えた"プラムウォーター"......と、どこにこんな音楽が出てくる予兆があったというのだろう。どうせ余震が起きるなら東北大地震ではなく、これに続いて欲しいものだ。あー、また揺れた......
クリア・スリーヴ、ブルー・ヴァイナル仕様。
三田 格