「AY」と一致するもの

interview with Young Marble Giants - ele-king

 最小限の音数で、静かで、そしてその音楽は部屋の影からそっと現れたようだった。抑揚のない声のヴォーカル、隙間だらけのベースとギター、ときにリズムボックスとオルガン。曲がはじまると、気が付けば終わっている。終わった後にはまた沈黙。実際、1980年に登場したヤング・マーブル・ジャイアンツ(YMG)は成功したにも関わらず、わずか1年でシーンからそそくさと退席した。
 YMGはウェールズのカーディフという街にて、1979年に結成された。スチュアート・モックスハム(g)とフィリップ・モックスハム(b)という兄弟を軸とし、シンガーのアリソン・スタットンが加わり、バンドは始動した。「若い大理石の巨人」というバンド名は、彼らがたまたま古典彫刻の本から見つけたものだった。
 地元で活動しつつ、〈ラフトレード〉に送ったデモテープが気に入られて、1980年にまずはアルバム『Colossal Youth』、そしてシングル「Final Day」という2枚の傑作を発表する。CNDが大規模な反核集会を開いたその年のシングル「Final Day」では、オルガンのドローンをバックに、核戦争後の世界、世界の終末の、その終わりの最期の日が圧倒的に簡素で静かな演奏によって表現されている。また、アルバムのほうには、秀逸なアイデアとコンセプトを持ったバンドの魅力がしっかり記録されている。

 ポスト・パンクが許可した「非完全さ」ゆえの独創性を指摘したのはサイモン・レイノルズだが、個性豊かなバンドが数多く出現した当時においても、YMGはあまりにも、ホントあまりにも独創的だった。たとえばそれは70年代末のクラフトワークをギターとベースでカヴァーしたかのようなタイトな演奏だったり、お茶の間に流れてきそうなメロディを擁しながらどこまでも孤独な響きだったり、賛美歌のパロディのようだったり、鼻歌のようだったり、だった。そういったトラックにアリソンの涼しげで、そして甘美な声が挿入される。
 レイノルズが『アナザー・グリーン・ワールド』のポスト・パンク・ヴァージョンと評した『Colossal Youth』は、その年もっともヒットしたインディ作品だったし、人気も評価も、ファンからのバンドへの期待も高かった。彼らはれっきとした成功したバンドだったのだ。それからYMGは、アルバムとは別方向の、TV音楽にインスパイアされた実験的なインストルメンタル集「Testcard EP」をリリースすると、しかし成功など知らなかったかのように、その数か月後にバンドは消滅するのである。

 このたび『Colossal Youth』の40周年を記念して〈ドミノ〉からスペシャル・エディションがリリースされた。貴重なEPやコンピレーションからの楽曲も収録し、ライヴ映像収録のDVDまである。まあ、これでYMGの音源は完璧に揃っていると言えよう。では、40周年を記念してのインタヴューをどうぞ。

私にとっては間違いなくイーノの作品における雰囲気っていうものが大きかったし、それはYMGの曲の雰囲気にも影響していると思うわ。ソングライティング全般もそうだけどね。
──アリソン・スタットン

コロナがまだたいへんなことになっていますが、いまどんな風に過ごされていますか?

スチュアート・モクサム(以下S):実は僕の場合は普段とそれほど変わらない。なにせ自営業で、ひとり暮らしで、仕事までの移動も許容範囲内の距離で、自宅から15kmくらいのレコーディング・スタジオにも行けている。そっちはどう、アル?

アリソン・スタットン(以下A):こっちはかなり影響があって、私はカイロプラクターだから仕事ができない時期があったわ。いまは営業を再開してるけど、密な接触だからまだ多くの人は躊躇していて、やっぱり客足はまばら。マスクや手袋といった対策はしているけどね。夫と一緒に住んでるから話し相手はいるけど、まあ冬眠状態といったところ。

S:僕のパートナーが徒歩10分ほどのところに住んでいて、彼女は95歳の父親の介護をしているんだ。そのふたりと同じバブルにいるから、まったくひとりというわけではない。それから経済的な話でいうと奇妙なことに好調なんだ。Tiny Global Productionsや他のレーベルのマスタリングの仕事をやっているからね。

YMGがプログレやクラウトロック、あるいは70年フォーク・ロックからの影響を受けていた話は知られていますが、そのなかで、もっとも重要な影響となったアーティストを3人挙げてください。ぼくの予想では、クラフトワークは間違いなく入ると思いますが。

A:イーノ。

S:クラフトワーク。それから、当たり前だけどビートルズ。どう?

A:そうね。当たり前すぎて忘れるところだった。ビートルズってもうDNAに組み込まれてるから。

S:そうだね。3組と訊いてくれてよかったよ。

ちなみに、イーノから受けた影響でもっとも大きなことはなんだったのでしょう? 音楽の考え方?

A:ひとつには、彼が自分の曲中で生み出した雰囲気というか。時にすごく広々とした空気感というか。私にとっては間違いなくイーノの作品における雰囲気っていうものが大きかったし、それはYMGの曲の雰囲気にも影響していると思うわ。ソングライティング全般もそうだけどね。

S:同感。それについてちゃんと考えたことがなかったな。訊いてくれてありがとう。まず、ブライアン・イーノのような人物は彼の前にはいなかったということ。それに彼はものすごくたくさんのアイデアを持っていて、彼の音楽は何百万人という人を刺激したと思う。“Baby’s On Fire”にしてもどの曲にしても、ストーリーではなくてほとんどファンタジーのような歌詞で、物語ではない形での言葉がある。カットアップという手法を用いたボウイもそうだけど、個人的にはイーノの方が優れていると思ったね。

A:すごく抽象的でね。スチュアートの曲にも、たとえば“Choci Loni”だったり、そういう部分はあったと思う。

S:たしかに。それからイーノはアート的だったと思う。ロックンロールでもないし、どの音楽ジャンルでもなく……最初はかなりポップだったけどね。とにかく全体的なあの雰囲気にすごく魅力を感じたね。ポップ・ミュージックは単に牛乳配達員が口ずさむためのものだというような言われ方をすることがあるけど、れっきとした現代のアートなんだよ。そしてイーノは間違いなくそのアート的な側面の頂点に位置づけられると思う。そしてさらにトーキング・ヘッズのようなバンドがいる。僕が聴いてきたのは50年代、60年代、70年代の音楽でありポップ・ミュージックで、なかにはヒドい代物もあったけど、素晴らしいものも多かった。キンクスにしてもほかの何にしても。ただ当時のポップ・ミュージックにはまだアートが入り込んでいなかった。まあブライアン・ウィルソンが最初かもしれないな。

パンクやロックンロールが好きになれなかった理由はなんだったのでしょう?

A:私は別に嫌いだったわけじゃなくて、ロックンロールも聴いてたし、パンクやロックのギグにも行っていた。クラッシュもセックス・ピストルズもね。エネルギーに溢れてて本当にエキサイティングだった。ただ家のターンテーブルに乗せて聴きたくなるような音楽ではなかったというだけ。いわば栄養たっぷりのものを食べたいのと同じで、イーノやトーキング・ヘッズといった音楽のなかにはものすごくたくさん入っているし、ジョニ・ミッチェルでもニール・ヤングでも、中身がたっぷり詰まってるのよ。たとえばロックンロールを聴きながらすごく難解な本を読んでも気が散らないけど、イーノのような音楽は意識が引き裂かれてしまう。まあでも、たんにいちばん好きな音楽ではなかったというだけで、実際はどのジャンルも好きなのよ。ただ、燃え盛るビルから逃げ出すときにどのアルバムを持って行くかとなったら、パンクとロックンロールは置いていくわね(笑)。

S:フハハハ。こういったインタヴューではあらためてアリソンのことが知れて面白い。僕はロックンロールも大好きだよ。僕がチャック・ベリーの悪口を言ったとされて、それが僕の発言として引用されたことがあったけど、実際はチャック・ベリーも大好きだ。最高じゃないか。ただ70年代なば頃にはロックンロールはオーソドックスになっていて、ある意味飽きていたんだよね。多くの工業都市と同じようにカーディフでもヘヴィ・ロックやブルースが人気で、それ自体は何ら問題ではないし、僕もそういったものもすごく好きなんだよ。ただ自分はもうちょっとイーノ的な、興味深いことがやりたかった。プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンが言ったように、人生は車と女の子だけじゃないんだ。もちろん女の子について書いてもいいけど、同じような書き方をする必要はない。たとえばトーキング・ヘッズも面と向かってズバッと言うというよりはもうちょい鈍角的にくるというか。よりクリエイティヴな表現でね。
 これは僕の先入観だけど、パンク・ロックはちょっと速くなっただけのロックンロールだと思ってたんだよね。本当に偏見もいいとこだけどさ(笑)。当時〈Domino〉に短いコメントを書けって言われたんだ。でもパンク・ロックがなかったら我々はどこへも行き着かなかっただろうし、存在しなかっただろうね。

A:そうね。

S:パンク・ロックが人びとのアティテュードを根本的に変えたんだ。そして我々が始動する頃にインディペンデント・レーベルができてきたわけだよ。

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静かさというのも哲学の一部で、他の人たちがやっていることは何だろうかと考えて、その反対のことをやればいいだけだった。みんながうるさいから自分たちは静かにしよう、みんなはディストーションかけてるからディストーションはなし、という具合に。
──スチュアート・モックスハム

個人的な話をさせていただくと、自分が16歳の高校生だったときに〈Rough Trade〉のアメリカ盤のコンピレーションを買ったんですね。ザ・ポップ・グループ、スクリティック・ポリッティにザ・スリッツ、キャブスにロバート・ワイヤットと、錚々たるメンツの素晴らしいラインナップのコンピですが、そのなかでもっとも曲の時間が短かったのが、YMGの“Final Day”でした。1分40秒でしたっけ? しかも静かな曲で、あっという間に終わるのに、あの曲には忘れられないインパクトがありました。極度に音数のない演奏もアリソンさんの抑揚のない歌い方もすごくて、歌詞に関してはずいぶんあとで知ったのですが、世界が終わる直前を歌っています。いったいどうしたらあんな曲が生まれるのでしょう?

S:あの曲はまさに当時のバンドの哲学を示しているいい例で、我々は、物事の核心部分だけを提示すればいいと考えていたんだ。物事の本質というか。邪魔なものを入れず装飾を施さず、なぜならいいアイデアがあればそういったものは不要で、だから必然的に短くもなる。
 静かさというのも哲学の一部で、というのも僕は、やっぱり地方都市在住というのは不利だと感じていたんだよ。音楽業界はイングランドに集中していたし、そこで成功した地元の知り合いなんてひとりもいなかった。だから注目されるためには人と極端に違うことをしなければならないと思っていたんだ。そしてそれはごく簡単なことだったんだよ。他の人たちがやっていることは何だろうかと考えて、その反対のことをやればいいだけだった。みんながうるさいから自分たちは静かにしよう、みんなはディストーションかけてるからディストーションはなし、という具合に。そうやって余分なものを削いでいって完全に必要最低限な要素だけにしたというわけさ。みんなが叫んでいるときに囁けば、まあ気になってくるだろうと(笑)。YMGの場合、みんなからこっちに来てくれたんだよ。そこが素晴らしかった。そう思わないアル?

A:本当にそうで、YMGの音楽は深いところで多くの人に響いて、音楽を通してたくさんの素敵な出会いがあった。音楽から受けた感動は一生残るものなのよ。

今のお話から、ウェールズ出身であることも、あの作品に影響していたように思いますが、いかがでしょうか?

S:お先にどうぞ、アル。

A:サウンドに関しては、当時私たちが知っていたウェールズのどのバンドとも違ってたわね。スチュアートが言ったように、地元では本当にもうロックンロール、R&Bといったものが主流だった。周辺は炭鉱地帯で、町もそれと関連した工業都市だったけれど、ヤング・マーブル・ジャイアンツが結成する頃にはそういったものが終わりを迎えようとしていたのよ。炭鉱が閉鎖されたり、でもその時点では地域の再生計画が立てられるのはまだ当分先のことで、だから町はかなりさびれていた。機会は減って、失業や貧困が蔓延っていた。ただ……これはスチュアートはたぶん違う意見だろうけど、そこには独特の魅力があったと思う。当時は、世界の他の炭鉱地帯やイングランド北部なんかでも同じ問題は起きていたけど、ある意味それが私たちを駆り立てたんじゃないかとも思うのよ。若いというのもあったと思うんだけど、それほど疲れ切ってるわけでもなく、シニカルでもなくて、何か違うことができるんじゃないかっていう希望を持っていた。
 とにかく、そうね、たしかにサウンドにもそういった荒涼感が若干あった気がするし、何らかの形でウェールズの文化が紛れ込んでいたと思うわ。何というか、ウェールズの魅力みたいなものがあるというか。スチュアートの方がもっとわかりやすく答えられるかもね。

S:僕も同意見だよ。僕は自分のウェールズ人であることについて葛藤があるというか、ウェールズを離れて長いことイングランドに住んでいるんだけど、でもウェールズは故郷であり、カーディフは大好きな場所で、心はウェールズ人なんだ。モリッシーの曲じゃないけど、僕はウェールズの心を持ち、イングランドの血が流れてるんだ(笑)。それからウェールズは“LAnd of Song”として知られていて、基本的にはケルト的なものなんだけど、そういった文化や気質もあるんだよね。

もし戦争になったら自分たちは机の下に隠れるとか窓に新聞を貼るくらいしかできないけど、金持ちと権力者はどこかにコンクリートの避難壕があって核汚染から身を守るんだろうっていう。それだけのことをたった1行で言うなんて素晴らしいわよね。
──アリソン・スタットン

歌詞で、もっとも好きなのはどれですか? それはどんな内容の歌詞なのでしょうか。

S:これまでいつも“N.I.T.A.”がもっとも好きな曲だと言ってきて、というのもこの曲には僕の子供時代への憧憬が込められているからなんだけど、でもさっきの話に出た“Final Day”かもしれないな。この歌詞は核戦争の恐怖について実際に何かを語っているからね。

A:私も同じ、“Final Day”。スチュアートの歌詞は本当に好きでリスペクトしてる曲がたくさんあるけど、“Final Day”は……私たちは核戦争の脅威のなかで大人になって、それは当時ホットな話題だったの。だからそういった「もし本当に戦争になったら……」といったことを熟考して、想像したシナリオを言葉にするというのはすごく難しいことだったはず。私はこれまでの人生で、たとえば事故だったり、誰かと死別したり、あまりの衝撃で物事がスローモーションに感じられるような体験をしたことが何度かあるけど、何と言うか、あの曲にはそういった感じがあって。変性意識状態に入るような、シナプスの働きがゆっくりになって、それによってものすごくシンプルなことがはっきりと見えてきて、たとえば赤ちゃんが泣いているだとか、そういう単純なことに気づいて、美しい単純さが生まれる。スチュアートはあの歌詞で、それを見事にやったんだと思うわ。

S:いまの話を聞いてて子どもの頃に家族に起こったひどい出来事を思い出したよ。そのときにものすごく動揺してたしかにスローモーションになったんだ。あの歌詞を書いていたときも無意識のうちにそうなっていたのかもしれないね。普段はほとんどあのアルバムを聴かないからこうやってインタヴューで訊かれてあらためて考えるわけだけど、あの歌詞にはかなり皮肉も込められていたと思うよ。出だしの“When the rich die last(金持ちが最後に死ぬとき)”には怒りと皮肉が込められているよね。何だろう、エッジがあるというか。

A:実際私たちはそう思ってたのよ。もし戦争になったら自分たちは机の下に隠れるとか窓に新聞を貼るくらいしかできないけど、金持ちと権力者はどこかにコンクリートの避難壕があって核汚染から身を守るんだろうっていう。それだけのことをたった一行で言うなんて素晴らしいわよね。

S:ありがとう。

YMGは成功したにもかかわらずあっけなく解散してしまいました。アメリカ・ツアー中に3人の気持ちがバラバラになってしまったという話を読んだことがありますが、じつはあの頃、あなたのなかにはセカンド・アルバムのヴィジョンが描かれていたんじゃないでしょうか?

A:それはなかったと思う。

S:実際に何が起こったかと言うと、まったく何の考えもなしに、口を開いて、バンドは終わりだと言ってしまったんだよ。終わりっていう直接的な言葉ではなく、実際どう言ったのかは覚えてないけど、そんなこと言うつもりはなかったのに口をついて出た。でもいま考えてみると、それは避けられなかったんだと思う。マネージャーがいなかったことが残念だね。もしマネージャーがいて、「君たちは本当によくがんばった。たくさん働いた。3ヶ月ほど休んで山登りでも釣りでもして、それから次を考えよう」なんて言われてたら違ってたかもしれない。でもあの頃はとにかくみんなものすごいストレスを抱えていたんだ。

A:本当にね。

S:しかも僕らはあまりコミュニケーションを取らないタイプだったしね。僕にとってあのプロジェクトは、大袈裟ではなく生きるか死ぬかくらいのものでとにかく必死だったから、控えめに言っても思いやりに欠けていたと思う。とくにアリソンに対してはそうで、そのことは本当に申し訳なく思っているよ。でも若い頃はとにかく未熟だったりするもので。そもそもはじめたときはうまくいくと思ってなかったし、失敗するものとばかり思っていたんだ。カーディフ、あるいは南ウェールズから成功したやつなんて誰もいなかったから。トム・ジョーンズとシャーリー・バッシー以外はね。ただ、失敗するだろうと思いつつも、でも生きるか死ぬかくらいに思い詰めているという、真逆の気持ちが自分のなかにあって、まるでかみそりの刃の上に立っているような気分だったんだ。

解散したことを後悔しませんでしたか?

S:もちろん後悔したよ。創造的なユニットとして、素晴らしいものが作れたかもしれないと思うからね。理論上は今でも可能かもしれないけど、まあないだろうな。その後もそれぞれが自分なりにクリエイティヴな活動をしてきたし、それにあの作品を作ってそれが特別なものとなった、それでいいじゃないかっていう考え方にも多くの真実が含まれていると思うんだよ。

ちょっと大きな質問で申し訳ないのですが、解散後、アリソンさんはWeekendで歌ったりしてましたが、お二人はその後の40年という年月をどのようにお過ごしだったのでしょうか? 

S:僕は歳をとって太った(笑)。

A:私はYMGのあとかなり頭が混乱していたから自分を見つめる必要があって、それが何年かかかって、いちどロンドンに引っ越してWeekendを結成してアルバムを1枚とEP2枚、ライヴ・アルバムを作ったんだけど、まだ頭のなかで整理がつかなかったからウェールズに戻ってWeekendを終わらせて。それでもう今後音楽をやることはないだろうと思ったのよ。音楽や、ライヴや、当時多くのミュージシャンが送っていたような快楽主義的なライフスタイル、そういったものが自分には合わないんだと思ったからね。それでケアワーカーとして働いたり、太極拳を教えたりしていた。そしたら思いがけずレコーディングの誘いがきて、音楽はもうやらないと決めてたのに、やりたいという誘惑を無視することはできなかった。そしてイアンと2枚作って、スパイクとも一緒に作り続けたという。ただそれは私の人生においてヤング・マーブル・ジャイアンツやWeekendほど大きな比重を占めるものではなくて、サイド・プロジェクト的なもので、カイロプラクターというのがたぶん私の主な役割ね。いまのところ音楽面の計画は何もないし、数年前に今後何かやることは絶対ないと言ったけど、絶対ないなんて絶対言うべきじゃないということは学んだわ。

S:僕はさっき言った通りだけど、途中で美しい女性に熱烈に恋をして結婚して18年間ともに過ごして3人の子どもを授かって離婚したんだけど、子どもの頃からすごく結婚したかったからそれは本当に重要なことだったよ。音楽に関してはYMGのあと何年も精神的に参っていてものすごく落ち込んでいた。高所恐怖症にもなって、どうすすることもできず、非常に静かに暮らしていたね。外出もせず仕事もせず、でも音楽だけは作っていた。音楽を作ってレコーディングすることだけは止めなかったんだ。ここ数年でその頃の音源がThe Gist名義でリリースされているんだけどね。
僕にとっては最初にギターを手に取ったときというのが人生を決定づける瞬間で、アリソンがカイロプラクターになったということは、彼女という人間について多くのことを物語っていて、アリソンは本当に思いやりがある人なんだよ。そして僕にとってはソングライティング、そして詩を書くことなんだ。だから最終的にはそれぞれ生き延びて成功したと言えるんじゃないかな。

ファンとしては今回のようなコンプリートなものが出るのは嬉しい限りですが、みなさんのなかで、音楽への情熱という点ではいま盛り上がっている感じなのでしょうか? 何度か再結成ライヴをやられていますが、久しぶりにみんなと会ったときはどんな感じで、ライヴ自体はどんなでしたか? もうこれ以上の再結成はまったく可能性がないですか?

S:さっきアリソンが言ったように、絶対ないとは言わないよ。

New Order - ele-king

 いまから20年後の未来では、音楽ファンはこう振り返るでしょう。「ああ、2020年の最悪な年にはニュー・オーダーが“ビー・ア・レベル(Be a Rebel)”を発表したっけ……」。ニュー・オーダーの5年ぶりの新曲、まあ、ずいぶん話題になりました。多くのリスナーのなかにNOには少なからず熱い思いがあるからでしょう。で、その熱い曲のミュージック・ヴィデオが公開されました。これもまた、シュールかつ暗示的な、なかなかの力作です。また、限定アナログ12インチが12月4日(金)に発売されます。こちらには、バーニーとステファンによりリミックス・ヴァージョンが収録されます。

[YouTube] https://youtu.be/JOoyPT6RoF4
[LISTEN & BUY] https://smarturl.it/nobar

■以下はレーベルからの資料より

 ミュージック・ヴィデオはスペインのNYSUが制作し、バンドは次のように述べている。

“マドリードのNYSUには、「レストレス」(最新アルバム『ミュージック・コンプリート』収録)のミュージック・ヴィデオを以前作ってもらったんだけど、彼らの映像に対するイマジネーションには僕らバンドも心底感銘を受けていたんだ。今回「Be a Rebel」で再び彼らとタッグを組んだんだけど、インスピレーションあふれる独特の美的感覚で独創的なヴィデオを作ってくれました”


 コロナ禍の影響により発売が延びていたアナログ12インチは、12月4日(金)に発売が決定した。この12インチには、オリジナルの他、バーナード・サムナー、スティーヴン・モリスのリミックスなど全4曲が収録されている。またバーナード・サムナーのリミックス「Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Mix)」は、adidas Spezialとのコラボレーションで使用された曲のオリジナル・ヴァージョン。

[adidas Spezial CF/ YouTube]
https://bit.ly/3mvGsTg

 「タフな時代だからこそ、この曲をみんなに届けたかったんだ。ライヴはしばらくできないけれども、音楽は今なお私たちみんなで分かち合えるもの。楽しんでもらえると嬉しい……また会える日まで」──バーナード・サムナー

 本来この曲は、今年秋に予定されていた彼らのツアーに先駆けて発売される予定だったが、そのツアーは2021年に延期され、それでも困難な時にこの曲を発売することの意義をバンドが感じて発売に至った。また、今年3月に予定されていたジャパン・ツアーは、コロナ禍の影響により2022年1月に実施される。(https://www.creativeman.co.jp/event/neworder2020/)

「反逆者になろう 破壊者じゃなくて」と歌われるこの高揚感あふれる曲は、このタフな時代においてわれわれ自身を祝い、いま持っているものに感謝しようというメッセージが込められている。その歌詞の対訳は以下の通り。

■「ビー・ア・レベル」(Be a Rebel)歌詞対訳
https://trafficjpn.com/news/nobar/

■ジャパン・ツアー日程
大阪 2022年 1月24日(月) ZEPP OSAKA BAYSIDE
東京 2022年 1月26日(水) ZEPP HANEDA
東京 2022年 1月28日(金) ZEPP HANEDA
制作・招聘:クリエイティブマン 協力:Traffic
https://www.creativeman.co.jp/event/neworder2020/

■商品概要(アナログ12インチ)
NOBAR Insta Square 3.jpg
アーティスト: New Order
タイトル: Be a Rebel
発売日:2020年12月4日(金)

― Tracklist ―
A1. Be a Rebel
A2. Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Mix)
B1. Be a Rebel (Stephen’ s T34 Mix)
B2. Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Instrumental Mix)

[BUY] https://smarturl.it/nobar

■最新オリジナル・アルバム『ミュージック・コンプリート』(2015年)まとめ
https://bit.ly/1FHlnZJ

■ニュー・オーダー バイオグラフィ
https://trafficjpn.com/artists/new-order/

今里(STRUGGLE FOR PRIDE/LPS) - ele-king

敷居を高くしていないとご飯が食べられない人達のお茶碗を、
夜な夜な割っていく作業に従事しています。

1.META FLOWER /DOOM FRIENDS
誠実な人柄が全ての作品に現れていて、動向がとても気になる。LSBOYZのALBUMも最高でした。

2.JUMANJI/DAWN
くそみたいな気分で目が覚めた朝方でも、再生した瞬間にFRESHにしてくれる。

3.YOUNG GUV/RIPE 4 LUV
AOYAMA BOOK CENTERの店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

4.HATCHIE/KEEPSAKE
今は亡きBONJEUR RECORDS LUMINE新宿店の店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

5.ISAAC/RESUME
こういう気持ちにさせてくれる音楽が身近にあることに、心から感謝しています。

6.MULBE/FAST&SLOW
DO ORIGINOOを聴きながら豊洲を歩いていたら、一瞬どこに居るか解らなくなった。

7.SHOKO&THE AKILLA/SHOKO&THE AKILLA
武道館ライブ楽しみにしてます!

8.HIKARI SAKASHITA/IN CASUAL DAYS
誕生日を過剰にアピールしたら送ってくれた。どうもありがとう。

9.CAMPANELLA/AMULUE
今になって思うと待ち続けてた時間も楽しかったし、
聴いてすぐに報われた。

10.CENJU/CAKEZ
「もしもVINがいたらあんなもんじゃ済まなかった」って笑って帰宅して、
すぐに再生した。
発売には立ち会えなかったけど、当時の我々の空気が全て詰まってる。

Cuushe - ele-king

 京都から世界にむけてドリーミーなエレクトロニカ・ポップを発信してきたクーシェ(Mayuko Hitotsuyanagi)が、前作EP「Night Line」から5年の歳月を経て待望の新作アルバムをリリースした。アルバムとしては2013年の『Butterfly Case』より7年ぶりである。
 エレクトロニカ・リスナーにとっては、まさに待望のという言葉に相応しいアルバムだが、そんな聴き手の思い入れを吹き飛ばすほどに、とても強い意志が光のシャワーのように溢れていた。
 とはいっても過激な音楽というわけではない。2009年のファースト・アルバム『Red Rocket Telepathy』から続くエレガントでポップな音楽世界がアルバム全編にわたって展開されており、聴きはじめた瞬間にクーシェならではの透明な世界観に一気に引き込まれてしまうことに変わりはない。だから過去2枚のアルバムを長年愛聴してきた熱心なリスナーは安心してクーシェ的電子音楽世界に飛び込んでいってほしい。

 と同時に『WAKEN』には明らかに進化している面がある。変化ではなく進化だ(深化といってもいいかもしれない)。「WAKEN」というアルバム名どおり、朝の目覚めのような生命力に満ちたエレクトロニック・ミュージックとなっているのだ。
 まず、楽曲を包み込むサウンド・レイヤーの緻密さ、美しさが、これまでのアルバム以上に磨きがかかっている点だ。たとえば1曲め “Hold Half” を聴いてほしい。電子音、アナログ・シンセサイザー、ギター、彼女の声が折り重なりあい、大きなハーモニーを形成し、清冽な音響を展開していることがわかるはずである。
 続く2曲め “Magic” はややダークなムードのなか、少しずつ光が差し込んでいくような楽曲だ。無駄のないトラックの構成、和声感とメロディの絶妙さに聴き入ってしまう。ディレクター田島太雄、アニメーション・ディレクター久野遥子が手掛けたMVも楽曲の世界観を見事に映像化した傑作だ。

 加えてビート/リズムの深化にも注目したい。クラブ・ミュージックの音響と音圧を取り込んだ複雑かつ大胆なビートは、クーシェの歌と絡み合うことによって、彼女の音楽にかつてないほど疾走感を生み出すことに成功している。
 特にUKガラージ的なビートと、水墨画のような音世界のなかで、エモーショナルなヴォーカルを展開する “Emergence”、ドラムンベースを導入したミニマル・ポップな “Not to Blame”、重低音のキックに優雅なピアノを交錯する “Drip” などは、クーシェがこれまでと違うフェーズに突入したことを告げる楽曲たちである。
 そして最終曲 “Spread” では日本語の歌詞をはっきりとした声で歌唱する。ヴォイスのまわりに電子音のレイヤーが美麗に重なり、まるでエレクトロニカ・ウォール・オブ・サウンドのように壮大な音響を生成していく。アルバムの最後を飾るに相応しい曲であり、自分と心の中の宇宙とが交信していくような壮大で感動的な曲である。アルバムを聴き終えたとき、一作の物語を読み終えたような感慨に耽ってしまったほどだ。

 全曲、これまでのアルバム・楽曲以上に、メロディが明瞭になり、歌詞などの言葉と共に「伝えたい意志」がより明確になっていた。そしてベースとコードとビートの関係が密接になることでより疾走するようなエモーショナルな感覚が楽曲に生まれてもいた。
 かつて瀟洒なエレクトロニカ・ドリーム・ポップによって多くのリスナーを魅了したクーシェは、「夢」の世界から目覚めて、この不穏な「現実」を肯定し、2020年の世を力強く生きていく「意志」の音楽を作り上げた。
 その「肯定の意志」こそ、この現代おいて、とても大切な「希望」をわれわれに伝えてくれるものではないかと思う。多くの音楽ファンに届いてほしいアルバムである。

ジオラマボーイ・パノラマガール - ele-king

 このごろ90年代のことをよく考える。夢にみるほどである。そこで私はオシャレなサブカル雑誌の編集者で六本木にある編集部を出て大通りを交差点のほうから西麻布にむかって東北へ歩いていると、大きいだけで味気ないビルが建っているべき「六本木六丁目交差点」のあたりに、私は20余年前になくなったはずの小ぶりなビルが建っていた。
「WAVE」の文字をかかげた青灰色の窓のない概観はミズっぽさがなかなか抜けない六本木の空間で異彩を放っており、甘い水にさそわれる蛍のように建物内にすいこまれると、フロア一面を無数の棚がしめており、そこには世界各地から集めたレコードがびっしりならんでいる。そうだ、ここでは4階から順繰り降りながら全フロアをくまなくみてまわるのがノルマだったと気づいた私はエレベーターで現代音楽コーナーをめざすのだが、お客さんも店員も、建物内のすべてのひとたちが知り合いなのにしだいに気味がわるくなり、地下の映画館に逃げ込むも、次から次にあらわれるモギリのみなさんがまたしても顔見知りで、ことばにならない不安をおぼえながら、おそらくフィリップ・グラスが音楽つけただかなんだかの映画をみるともなくみて、逃げ帰るようにその建物をあとに、たちよった書店で手にした雑誌の表紙に、あっ、と声をあげたのはそこに「特集岡崎京子」とあったからである。

 私はサラリーマン編集者だったときも競合他誌なるものを意識したことはないが、勤めはじめてほどない、たしか2000年あたりだったかに出た「スイッチ」のこの特集と、会社に三行半をつきつけたあたりに出た「ペン」のキリスト教の特集にはやられたと思った。なんとなれば、雑誌の特集には時代のほかにたよるあてもない。追認や迎合や、ましてや広告宣伝などではなく、それが世に出てはじめて、読みたかったのはこれなのだと気づかせるなにかを、私は先述の2誌の特集にみたのであろう。
 とはいえ「スイッチ」の特集は「岡崎京子×90年代」だった(と思う)。また恐縮なことに、私はこの号を青山ブックセンター六本木店で購入したものの1ページもめくることなく編集部内で紛失してしまい、いまにいたるも内容のひとつも知らない。やられたとかいえた義理でもないのだがしかし、テーマや書名だけでなりたつ本や雑誌というものもある。2000年代初頭岡崎京子をとりあげるのはその典型であるように私に思われた、その一方で思うのである、なぜ90年代なのか。幕を下ろしたばかりの90年代への追慕の意味合いがあったにせよ、岡崎京子は90年代の表象なのか。岡崎京子の(六本木WAVEが開店した)1983年から96年にいたる(現状での)活動期間を考えると80年代のほうが長いではないか。そしてまた90年代は特定の人物や事象に収斂する時代なのか。それはひとことでいえるようなことなのか。

 そもそもいつからが90年代なのか。この問いが多くの識者を悩ませてきたのはひとの世は数値ほどデジタルではないからである。2020年代に入った途端に2010年代が蒸発するはずもない。その線でいけば、90年代と80年代もたがいにのりいれているであろう。それさえもみるものによる視差がある――とはいえ90年代を起点に2年以上は前後しないのではないか。そうでなければディケイド切りそのものがあやふやになる。この点をふまえ、仮に1990年代のはじまりは2年前の88年だったとしよう。
 1988年は昭和63年である。世はバブル景気に湧き、リクルート事件が起こり、4月の東京ドーム公演をもってBOØWYが解散した。その2年前のチェルノブイリ事故を受けたブルーハーツの「チェルノブイリ」は自主レーベルからは出せたけどRCの『Covers』は大手だったので発売できなかったのも88年。この年の3月10日号から掲載誌が休刊の憂き目をみる11月10日号まで『ジオラマボーイ・パノラマガール』は雑誌「平凡パンチ」に連載した、作者の経歴では中期の代表作ということになろうか。

 物語は東京郊外の高校生である津田沼ハルコと神奈川健一のすれちがいと出会いを軸に、ふたりの家庭や学校生活がからまる構図をとっている。設定への特段の註記はないが、時制はおそらく作品連載時と同じく1988年、舞台は東京の郊外であることは主人公の名前があっけらかんとしめしている。本作はほかにも、岡崎作品を同定する指標である音楽、ファッション、風俗への遊戯的な言及があり、そのことは文化系男女の共感の入口であるばかりか、作者の人間観ひいては人物造形の土台ともなる。事物性をつきつめたはてにあらわれるモノになった身体同士が擦れるさいにたてるあの乾いた孤独な音が岡崎京子の主調音であれば、それは1989年の『Pink』で剥き出しになり、このあたりを90年代のはじまりとするのが至当だが、すでにしてそれは1988年の『ジオラマボーイ・パノラマガール』に潜んでもいた。
 80年代から90年代へのグラーデションが『ジオラマ~』を彩っている。『リバーズ・エッジ』や『ヘルター・スケルター』など、映画にもなった後期の代表作と比して『ジオラマ~』には作家として洗練の課程で整理すべき雑多な要素が手つかずでのこっている。広津和郎なら散文精神とでも呼びそうなものと娯楽性の帳尻をどのようにあわせるか。瀬田なつき監督の『ジオラマボーイ・パノラマガール』にのぞむにあたって、私がもっとも興味をおぼえたのはその点だった。

 結論からもうしますと、瀬田なつきは原作の輪郭をなぞりながらも『ジオラマボーイ・パノラマガール』をまったく新しい物語に「再生」している。主人公の渋谷ハルコと神奈川ケンイチを演じるのは山田杏奈と鈴木仁。俊英ふたりの存在感には高校生の男女の出会いとすれちがい、恋や片思いといった一大事を描くにうってつけのみずみずしさがある。
 その一方で、物語の設定には異同がある。ハルコの苗字は津田沼から渋谷にかわり、彼らの生活圏もどこぞの匿名的な郊外から湾岸方面に移っている。そのことはスクリーンに映る光景が如実に物語るが、現在の空気と地続きの景色を前にして、私は90年代にはしぶとくのこっていた中心と周縁といった二項対立の枠組みがきれいさっぱりなくなっているのに気づいた。渋谷と津田沼は本来、パルコとパルコレッツ、ラフォーレ原宿とラフォーレ原宿・松山ほどの隔たりがあったはずだが、標準化の波にあらわれた世界における差異は類似性のバージョンとして誤差の範疇に収斂する。このことは些末なようでいて1990年代と2020年代の懸隔をみるうえで不可避であるばかりか物語の主題とも密接にかかわっている。なんとなれば『ジオラマボーイ・パノラマガール』とはタイトルがあらわすとおりトポスの物語なのである。

 原作の副題「“BOY MEETS GIRL!” STORY “IN SHU-GO-JU-TAKU”」もまた、作者がこの作品を場所性から構想していたことをほのめかす。むろん創作における構想などきっかけにすぎず、マンガも映画も、ときにそのことをわすれたようにすすむが、彼らがよってたつのもそのような場所であるのにかわりはない。作中では集合住宅に住むハルコと戸建て住まいのケンイチの対比が基調となる。では集合住宅と戸建てとのちがいとはなにか。この問いに橋本治は『ぼくたちの近代史』で家には外があるがマンションには内側しかない、と答えている。さらに家庭の主婦などはちょっとばかしカンちがいしているのかもしれないが、彼女らは家庭に仕えるのでも家庭というカテゴリーに仕えるのでもなく、「家」という建物に仕えている、と喝破するのである。
「家というものが町の中に、そのような置かれ方をしてしまっているんだから、家に仕えるしかないわけで、これを断つ為には家から消えるしかないってんで、俺もう、家なんか見るのもやだってマンションに行っちゃったのね、逃げるように。
 家っていうのは一つの観念なんだよね。この観念てのは、とっても土着的なもので、とってもオバサン的なもので、主人を待望するものでもあるけど、決して主人を存在させないようなもので、適応というものを強制するもの。「家庭が」じゃないのね。家ね。家という建物ね。建物が存在する為、存在するだけで、そこに意味というのが派生しちゃうから、家というものは、それだけの意味を持つのね」(橋本治/ぼくたちの近代史/河出文庫)

 橋本の論旨は戸建て住まいのケンイチの両親が不在のかたちで空位になっているところなど、物語の無意識をいいあてるかにみえる。「オバサン的」など、PC的にどうかなーといわれそうなものいいもあるにせよ、そこにはおそらく江藤淳が『成熟と喪失』でこころみたような家父長制分析への橋本からの柔和な回答の側面もあっただろう。本稿ではただでさえ広げすぎの風呂敷をこれ以上広げないためにもこの点は指摘するにとどめるがしかし、橋本の上の発言が1987年11月15日のものであることには留意すべきであろう。
 なぜ日づけまではっきしているかといえば、『ぼくたちの近代史』の元になった講演がこの日おこなわれたから。会場となったのはパルコやWAVEの親会社でもある西武百貨店は池袋店のコミュニティカレッジ、企画の担当者はカルチャーセンターに勤めていたころの保坂和志である。二度の休憩と三度衣裳替えをはさみ三部構成で都合六時間、しゃべりまくりだったという講演のテーマは多岐にわたる。先の発言があらわれるのは「リーダーはもう来ない」と題した第二部。ここで橋本は先の発言につづき「これ(家/筆者註)は何かに似ているって、実はこれ、「田舎」に似てるんだよ」とつづけている。なかなか刺激的な発言だが、そのことばはバブル期につきすすんだ80年代末の時代の空気をまとっている。そしてその空気はおそらく『ジオラマボーイ・パノラマガール』執筆時の岡崎京子が呼吸していたものでもある。
 都市が郊外にむけて自己増殖するような、80年末から90年代初頭にかけたうわついた感じはいまはどこにもない。瀬田なつきはそれらを二度目の東京五輪をあてこんだ2019年の再開発の風景で代用する。舞台が湾岸らへんなのはそのせいだろうが、その一方で橋本のいう「マンション(都会)vs家(田舎)」的な対立の構図もいまでは描きづらい。90年代から現在にいたる失われた30年は成長だけでなくそこから派生する都会や理想的な生活への憧憬をも阻害した。原作のハルコが嫌悪する生活臭も都心へのあこがれも当時よりはずっとうすい。閉塞感の質がちがうといえばいいだろうか、ケンイチは原作でも映画でもある日衝動的に学校を退学するが、そのような高校生はいまでは稀少な部類なのではないか。いまなら辞める前にひきこもるか不登校になる。時間の重み、いや刹那の質みたいなものがきっと変わったのだろう――そんなふうにも30年前に高校生だった私は思う。
 それらの変化にたいして場所性だけが例外というわけにもいかない。先に述べた『ぼくたちの近代史』の第二部「リーダーはもう来ない」につづく第三部を橋本は「原っぱの理論」と名づけている。橋本はそこで原っぱという社会がほしいという。世の中がいくら縮まってもみんなでつくる混沌を存在させる場所、町という秩序のなかにあって、私有権はありそうだけど世間の支配体制のおよばない子どもたちの社交の場のような。高度経済成長期はそんなのが近所のそこここにあった、昭和の最後にバブル景気がおこり、平成がはじまり時代が90年代にはいったころ、街中の原っぱは不動産になった。むろん拡張する都市は郊外をうみだしつづけその外殻には原っぱがある。とはいえ橋本のいう原っぱは阪神淡路大震災とオウム事件が分断する90年代の後半にいたって、岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で描く不吉なものが横たわる現実界にも似た境界域になった。

『ジオラマボーイ・パノラマガール』が描くそこからさらに四半世紀後の世界である。そこではファッションも音楽も流行も、村上春樹の受容の程度も十代の男女の性愛の経験値も90年代とはへだたりがある。日々の暮らしの平坦さひとつとってもそうだ。あの時代からこの方ずっと真っ平らな日々ばっかだったわけはない――、大袈裟にいうとそのことの希望も絶望も描くのが物語の再生であり、この文字面からしてめんどくさそうなことを瀬田なつきは『ジオラマボーイ・パノラマガール』でやってのけている。注目すべきは終始すれちがいつづけたハルコとケンイチがはじめて出会うマンションを建設中のタワマンに置き換えたところ。それにより瀬田は原作の主題は現代的にアップデイトし、あからさまな文明批評を回避する。ゴダール風の冥府降り(昇り?)や不法占拠のパンキッシュさは瀬田なつきと岡崎京子というふたりの作家が二重写しになる場面である。そのはてにあらわれるハルコとケンイチの対面の場面での山田杏奈の表情の変化はとても印象にのこった。このときのハルコの表情の変化には顔色が変わるという慣用句をこえて物語のそれまでの時間をひきうける輝きがある。また余談めいて恐縮だが、映画版は「パン屋襲撃」のくだりがないぶん、『東京ガールズブラボー』が自転車泥棒の逸話を援用している。ほかにも、おばあさんの魂がのりうつるというオカルト要素がUFO的なセカイ系の話に置き換わるなど、90年来来のファンには原作との異同をくらべる楽しみもあるが、私をふくめた古株たちは作中で大塚寧々が演じるハルコの母親と同じ場所にすでに退いているともいえる。小沢健二の「ラブリー」が流れる場面は1990年代(前半)と2020年の若者をつなぐ回路となるが、時間的にも空間的にも多層性を潜在させる世界を側面から支えているのは山口元輝の音楽である。映画音楽を手がけるのははじめということだが、クラブのくだりやエンディング曲など、懐の広さと作品との距離のとりかたなど、映画音楽作家の資質のゆたかさをしめしている。

映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』予告編

interview with Richard H. Kirk(Cabaret Voltaire) - ele-king

 ドイツ人のフーゴー・バルがチューリヒにダダイズムの拠点として〈キャバレー・ヴォルテール〉を開店したのは第一次大戦中の1916年のことだったが、イギリス人の当時18歳のリチャード・H・カークがシェフィールドでスティーブン・マリンダーとクリス・ワトソンの3人でキャバレー・ヴォルテールなるバンドをはじめたのはロックがますます拡張しつつあった1973年のことだった。そもそもキャブスは、イーノが提言する〈ノン・ミュージシャン〉の考え(楽器が弾けなくても音楽はできる)に共感して生まれたミュージック・コンクレートのガレージ版だった。テープ・コラージュ、そして電子ノイズとドラムマシンとの交流によってスパークするそのサウンドが、やがては“インダストリアル”と呼ばれることになるものの原点となる。
 それから歳月は流れ、リチャード・H・カークがキャバレ-・ヴォルテールの26年ぶりのアルバムをリリースするのはコロナ禍の2020年11月のこととなった。ほかの2人はとうにバンドを離れている(ワトソンは録音技師。マリンダーは大学の教職)。いまや、というか20年以上前からキャブスはカークのユニットになっているし、カークはいまもシェフィールドで暮らしている。

 キャブスにとっては、サーカスティックな楽器演奏よりも機械じみた単調なビートのほうが、煌びやかな音色よりもノイズのほうが、こ洒落たカフェよりも灰色の廃墟のほうがスタイリッシュで魅力だった。そうした美学/コンセプトを守りながら、時代に応じてそのサウンドを変えてきたキャブスだが、喜ばしいことに新作『Shadow Of Fear』においてまたあらたな局面を見せている。聴いて思わず、ワォって感じである。つまり、音が鳴って1分後にはその世界に引きずり込まれているのだ。初期のざらついたサウンドコラージュに強力なインダストリアル・ファンクが合体したそれは、ひと言で言えばパワフルで、圧倒的だ。26年ぶりに駆動したエンジンは、錆びていないどころか、むしろ活動休止前よりも、烈しく回転している。
 リズムの根幹にあるのはエレクトロやテクノだが、アルバムにおいてブラック・ミュージックからの影響が伺えることは、キャブスの新作を聴くにあたって興味深かった。1曲目の“Be Free”などは“Nag Nag Nag”をシカゴ・ハウスに落とし込んだかのようだし、最後の曲“What's Goin' On”は、その曲名からも70年代ソウル/ファンクのキャブス版とさえ言える。つまり、ディストピアを描いてはいるが、『Shadow Of Fear』は素晴らしくエモーショナルだったりするのだ。
 彼に電話した坂本麻里子さんよれば、取材中は苦笑いが多く、いかにも北部人らしいアイロニーとペーソスが感じられたとのこと。要するに、あんま偉そうなことは言わないし、尊大でもない。それがまあ、インダストリアル・サウンドのゴッドファーザーの言葉なのだ。

あからさまなスローガンをやるのは自分はごめんだ。なにもかもが政治的なんだしね……。ただ、いまの状況の在り方というのは……人びとも政治を意識せざるを得なくなっているんだと思う。

もしもし、カーク氏ですか。

リチャード・H・カーク(RHK):やあ!

今日はお時間いただきまして、ありがとうございます。

RHK:どういたしまして。

まずはアルバムの完成とリリース、おめでとうございます。

RHK:うん。

ソロ名義でも長らく活動され、なおかつご自身のレーベル〈Intone〉からは多数の名義での作品を出されているあなたが、26年ぶりにキャバレー・ヴォルテール名義でのアルバムを出すとは嬉しい驚きでした。

RHK:ああ、それはよかった。君が作品をエンジョイしてくれたらいいなと思っているよ。

はい、とても楽しんでいますので。

RHK:そうか、それはいい!

(笑)で、2014年にベルリンのフェスティヴァルで行われたキャバレー・ヴォルテールの12年振りのライヴが契機となったそうですが、もはやオリジナル・メンバーがひとりとなったキャブスと、あなたのソロ活動との違いについて、どのように考えていたのですか?

RHK:フーム、まあ、かなり区別しにくいってことももたまにある。ただ、今回の作品に関しては……主にキャバレー・ヴォルテールとして作ったね。というのも、いま言われたように、2014年以来、わたしは毎年ライヴをやってきたし、1年ごとにキャバレー・ヴォルテール向けのライヴ・セットをアップデートし続けていたんだ。で、その結果として3時間にのぼる新たなマテリアルが、純粋にキャバレー・ヴォルテールとしての音源が手元に集まった、と。キャバレー・ヴォルテールとして、ステージ上で、実際に生で演奏してきた素材がね。
 ただ、この話題についはあまり長く引きずりたくないな。というのも、この点(キャバレー・ヴォルテール名義を用いること)について自己正当化をやる必然性は感じないから。実際、キャバレー・ヴォルテールの他のメンバーの2名は……うちのひとり、クリス・ワトソン、彼は1981年にやめてしまったんだし(苦笑)──

(笑)大昔ですね。

RHK:(笑)そう、その通り。だから彼はまったく関与していない。それにもうひとりのスティーヴン・マリンダー、彼も1993年にはバンドをやめている。というわけで、自分の立ち位置を正当化しようとするのは自分にとって意味のないことだ、ほとんどそれに近い思いをわたしが抱いているのはどうしてかを君にも理解してもらえるはずだよ。それに、彼ら2名が関わるのをやめて以降の歳月のなかで、わたしは旧カタログの再発や(ゴホッ!と咳き込む)リミックス制作といった諸作業をこなしてきたし……キャバレー・ヴォルテールの過去全体を管理監督してきたんだよね。
 だから、この段階に進むのは自然なことと思えた──いやもちろん、このプロジェクトをライヴの場で再び提示することに興味を惹かれた、というのはあったよ。でも、わたしはこれまでキャバレー・ヴォルテールのキュレーションを担当してきたわけで……とにかく思ったんだよ、(「すまないね」とゴホンと咳き込みつつ)……となれば、次のステップとして理にかなっているのは、過去に留まるのはもうやめにして新たなレコーディング音源をいくつか作ることだろう、と。その結果生まれたのが『Shadow Of Fear』というわけだ。(ゴホゴホッと咳き込む)

1曲目の“Be Free”を聞いたときに、正直感動しました。紛れもなくキャブスの音でしたし、しかも、そのリズムにはフレッシュで力強いモノを感じました。

RHK:なるほど。

また、ナレーションのカットアップがありますよね。部分的に聴き取れる「I did it, I killed it, by mistake(俺はやった。間違えて殺した)」「This city is falling apart(街が崩れ落ちていく)」といった言葉があって、ディストピックなイメージをもたせながら──

RHK:うん、思うにあれは……おそらくあれは、偶然ああなったのかもしれないし、あるいはもしかしたら自分には……なにかが起こりつつある、そうわかっていたのかもしれない。で、ほら、我々はいまやああいうディストピア的な立場に立たされているわけだろう? ブレクジットがあり、そしてミスター・トランプが登場し……そのアメリカは、(苦笑)あと4年も彼につきあわされるかもしれない、と。

それは考えたくないです。

RHK:どうなるかわかないとはいえ、実に憂鬱にさせられる。それにヨーロッパでは──日本に行ったことはないけど、あちらではウイルス禍を越えたようだよね? でも、こちらでは……いままさに……本当に、何千人もが日々感染している状態で、病院のベッドが足りなくなるかもしれない。要するに、コロナ禍の初期段階のイタリアがどうだったか、という状態に戻りつつあるということだよ。一方、イギリスでは、政府が……やれやれ(苦笑)、英政府はこれにどう対処すればいいかさっぱりわかっていないらしくて。無能だね(苦笑)。

ええ……。で、先ほどの質問の続きなのですが、暗いムードに抗うように「be free」という前向きさ/楽天性を仄めかすような言葉がミックスされる。強度のあるビートのなか、相反するふたつのヴィジョンが衝突しているかのようなこの1曲は、今回のアルバム全体を象徴しているように思うのですが、いかがでしょうか?

RHK:うん、それは非常にいい解釈だよ! ただまあ、わたしはあまりはっきりとさせたくない方だし(苦笑)──

ですよね。

RHK:それよりも、聴いた人間がそれぞれに解釈し、自分自身で判断してもらう方が好きなんだ。そうした解釈の方が、(苦笑)わたし自身が言わんとすることよりもはるかに興味深いことだってときにあるからね。わたしのやっていることというのは、実のところ、「ムード」を作り出しているに過ぎない。そうやって、雰囲気であったりテーマめいたものを設定しようとトライしているし、その上で、それがどこに向かっていくかを見てみよう、と。

今作を制作するうえでのあなたのパッションの背景にはなにがあったのでしょうか? ひとつは、とにかく新しいキャブスを2020年代に見せることだと思うのですが──

RHK:もちろん。

テーマであったりコンセプトを決めるうえで、あなたにインスピレーションを与えたものになにがありますか?

RHK:(ゴホンゴホンと咳き込む)失礼……あー(と、言いかけて再び激しく咳き込む)。

大丈夫ですか?

RHK:水を飲み過ぎて……あー、そのせいで(盛んに咳払いしながら)喉がいがらっぽくなってしまったな……ウイルスに感染してはいないはずなんだが(苦笑)。

咳が落ち着くまで、少し待ちましょうか?

RHK:いや、大丈夫だ、続けよう! で……そう、インスピレーションはなにか?という質問だったよね。んー、わからない。

はあ。

RHK:(苦笑)。だから……作っていくうちになにかが浮かび上がってきた、としか言いようがないというのかなぁ。先ほども言ったように、素材の多くはライヴ・ショウ向けに作り出したものだったわけで、それは本当に、非常に……実に剥き出しの未加工な状態であって、いま、君がアルバムとして耳にしているものほど聴きやすくて、磨かれたものではなかったから。
 というわけで、このプロジェクトのそもそものインスピレーションは、ライヴ・パフォーマンスのために作り、書いたコンポジション群をCDなりヴァイナル・アルバムの形で何度でも繰り返し聴くことのできるものに作り変えよう、というものだったんだ。したがって、その素材からなにかを取り去る一方で、特定のヴォイス群を始めとする様々なディテールをそこにつけ足していく、という作業になった。でも……うーん、「ああ! そう言えばこれにインスパイアされたっけ」といった具合に、この場でちゃんと君に答えられるようななにか、それは本当に、とくにないんだ。

なるほど。いや、特定したくないということであれば構いませんのでお気になさらず。

RHK:いやだから、言えるのは……直観にしたがって作った、ということだね。ほとんどもう……スタジオに入った時点で、自分はなにをすべきかがわかっていた、みたいな? ただし、その直観がどこからやって来たのか、その出どころは自分でもわからない、という(苦笑)。

(笑)あなたにはシャーマンや霊媒みたいなところもあるのでは?

RHK:ん~~? うん……まあ、その考え方はあんまり間違っていないかもしれない。とにかく自分自身の意識のなかで起きていること、そしてその次元を越えたところで起きていることとチャネリングしているだけだし……で、それらを自分以外の他の人びとも理解し、そのなかに飲み込まれることのできるなにかへと翻訳していこうとしている、という意味ではね。

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で、ほら、我々はいまやああいうディストピア的な立場に立たされているわけだろう? ブレクジットがあり、そしてミスター・トランプが登場し……

あなたは昨年9月のPOP MATTERSの取材で、「I think it's more necessary now to be politicized(いまはより政治化することが必要だと思う)」と語っていますが、時期的に、おそらくは、それは今作を作っているときのあなたのスタンスでもあったと思います。先ほどもおっしゃっていたように、キャブスはこれまで政治に関しては直裁的な表現よりも、仄めかしであったり、リスナーに考える契機やテーマを与えるみたいなやり方をしてきましたが、今作では政治的な意識がより強く出ているとみていいのでしょうか?

RHK:どうなんだろう。自分じゃわからないな……だから、作品をダイレクトに政治的なものにするか云々に関しては、ずいぶん前に決めたからね──たとえば、70年代後期にはザ・クラッシュのような、政治的なスローガンをがんがん掲げるバンドがいたけれども、それよりもむしろもっと、自分は影響を与える、あるいは暗示することを通じてそれをやろう、と。わかるかな?

はい。

RHK:うん。あからさまなスローガンをやるのは自分はごめんだ。なにもかもが政治的なんだしね……。ただ、いまの状況の在り方というのは……人びとも政治を意識せざるを得なくなっているんだと思う。だからまあ……(嘆息して苦笑)ヒトラーが政権をとってナチス・ドイツが生まれた頃のようなものだ、と。ヨーロッパからブラジルに至るまで、非常に右翼思想の強い連中が存在しているし。

世界中にいますね。

RHK:うん、どこにでもいる。というわけで、その状況は……だから、(ゴホゴホと軽く咳き込む)ほら、生涯ずっとファシズムに対して憎しみを抱えてきた自分のような人間とっては……それこそ、(苦笑)「義務だ」とでも言うのかなぁ、この現状に抵抗・対峙しようとするのは! というのも、そうなったらいずれどうなっていくかを我々はもう知っているんだし。たくさんの人間が死ぬことになり、人びとは服従させられながら生きることになる。

ということは、このアルバムは一種の警告?

RHK:んー……そうなのかもしれない。そうなのかもね……?

というか、警告どころか、既に起きているとも言えますが。

RHK:イエス。

“Night Of The Jackal”という曲名の由来を教えて下さい。映画『ジャッカルの日』(“The Day Of The Jackal”/1973。フレデリック・フォーサイス原作の政治スリラー小説の映画化)を思い起こしましたが、この由来は?

RHK:……まあ……あの曲、“Night Of The Jackal”には、とにかくこう、この曲の起源はアフリカにあるなと思わされるなにかがあった、というか……。

(笑)なるほど。

RHK:だから、いま言われた映画とは直接関係はない。そうは言いつつ、『ジャッカルの日』は、大好きな映画のひとつだけどね。あれは本当にいい映画だ。とても、ある意味とても興味深い映画だよ。でも……残念ながら、申し訳ないけれども、あの映画はこの曲のインスピレーションではないんだ。ただ、たしかあれはイラクかイラン産の映画だったと思うけれども、『Night Of The Jackal』みたいな題名の作品があったはずだな……?

そうなんですね。後でチェックしてみます。

──いやいや、おぼろげな記憶だから、確証はないけれども。(訳注:サーチしてみましたが、当方ではそれに該当しそうな作品は見つけられませんでした)

了解です。

──ただ、こう……あの曲にはなにかしら、一種の緊張感がそのなかにあった、というのかな。ジャッカルはアフリカに生息する動物だし、大型のキツネみたいなもので、狩猟好きな動物で、しかもすごく鋭い牙の持ち主なわけだから(笑)。

もう1曲、“Papa Nine Zero Delta United”のタイトルの由来はいかがでしょう。「もしや9.11のことか?」とも感じましたが?

RHK:いや、そうではないよ。あれは実際の……以前にもああいうタイプの声を作品で使ったことはあったけれども、あれは基本的に、飛行機のパイロット同士がやり取りしている模様で。短縮された用語を使って対話している、と。あの用語がなんと呼ばれるのかは知らないが、短波ラジオを持っているからあの手の会話を傍受できるんだ。とても薄気味悪いんだよ(笑)、喋っているのがどこの誰かも、その人間がどこにいるのかもわからないからね! 実はあれは……かなり前の話になってしまうけれども、マレーシア航空の旅客機が2機、墜落したのは覚えているかな?

ありましたね。

RHK:1機はたしか、ロシアかウクライナの発射したブーク・ミサイルに撃ち落とされ、もう1機はこつ然と消えてしまった(訳注:前者は2014年7月に起きたマレーシア航空17便撃墜事件。後者は同年3月に370便がインド洋に墜落したと推測される事件)。あの事件が、自分の頭のレーダーにあったんだよ。それもあるし、わたしは飛行機嫌いでね。空旅はやりたくないんだ。

そうなんですか。飛ぶのが怖い?

RHK:ああ、もちろん。もう20年も飛行機には乗っていないよ。移動には列車を使うから。

ある意味いまの状況には合っていますね。COVID-19絡みの規制が多く、海外に飛ぶ旅客は減っていますし。

RHK:そう。でも、ラジオで誰かが言っていたのを聞いたけど……COVID感染に関して言えば明らかに、旅客機内の環境はそれほど危険じゃないらしいよ。エアコン設備のおかげでウイルスが四散するんだそうで。

(笑)なんか眉唾ものの説に思えるんですけど……。

RHK:いやだから、そもそもその説はアメリカ軍の唱えているものだっていうね、ハッハッハッハッハッ!

(苦笑)信じない方がいいですね。

RHK:そうだね、信じられない(笑)。

(笑)。『Shadow Of Fear』というタイトルはどこから来たのでしょうか?

RHK:(ゴホッ、ゴホッと咳き込んで)それは、あれがとてもいいタイトルだからであって(笑)……実に心になにかを喚起するタイトルだし、それに……自分でもわからないな。とにかくあれが、このアルバムを作っていた当時の自分の感じ方だった、としか言えない。まとめに取り組みはじめたのは……昨年9月のことだったし、そこから作品を完成させた4月までの間に……イギリスにはこの、ブレクジットというものがあってね。いまもまだ続いているけれども(訳注:イギリスは2016年の国民投票の結果2020年1月31日をもって名目上EUから離脱したが、今年は移行準備期間で離脱に伴う諸交渉は現在も続いている)、もうかれこれ3、4年になる……。で、その間にメディアは多くの悪をもたらしてね。数多くの嘘、そしてフェイク・ニュースだのなんだのが……(苦笑)。
 かと思えば、アメリカにはトランプがいて、彼は……あいつを、北朝鮮の金正恩を挑発して煽るのに近いことをやってしまうような人物なわけでさ(苦笑)……。だから、そういった(ゴホンゴホンと咳払いしつつ)、とにかく(苦笑)総じて自分の感じる、世界の状況がどこに向かっているかについて抱く全般的な不安というのかな……。で、さっきも話したように、アルバムをまさに仕上げつつあった時点で、イギリスは全国的なコロナ・ロックダウンに入ったわけで(3月23日)。そうしたすべてに、どこかこう、このアルバムはなにかによって「書かれた」という感じがするね。

過去4、5年の間、あなたはそうした「恐怖の影」──いまおっしゃったようなことはもちろん、政治の変化や監視社会の影のなかで生き、それに常に脅かされていた、と?

RHK:ああ、そうなんだと思う。まあ、それは……おそらくそんなことを感じていたのは自分だけだったのかもしれないけれども……どうなんだろうね? たとえば、わたしはソーシャル・メディアの類いやインターネットは好きではない。ツィッター等々を見ると、本当に多くのヘイトに出くわすなと思うし、とにかく……いやだからさ、こうなる以前だったら、たぶん、不機嫌な男どもが2、3人バーにたむろして飲みながら不平を垂れる、程度のものだったんじゃないのかな?

(笑)ええ。

RHK:それがいまや、全世界もその不平を耳にすることができるようになった、というねぇ(苦笑)。とにかくまあ、わからないけれども?……人びとには実にぞっとさせられる、そんな感じがする。あらゆる類いのネガティヴさがネット/SNS上に存在しているから。

有毒なカルチャーがありますよね。

RHK:ああ。というか、カルチャーの欠如と言っていいくらいだ(苦笑)。

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ああ、とにかく興味があるってことだよ──だから、リズムのパワーに、それが人びととコミュニケーションを持つ力に興味がある。

ダンス・ミュージックのリズムを取り入れているのは、いまにはじまったことではない、もう、80年代からずっとそうなんですが、今作でもリズムの創造に注力していますよね?

RHK:うん。

ダンス・ミュージックにこだわったのはどんな理由からですか?

RHK:ああ、とにかく興味があるってことだよ──だから、リズムのパワーに、それが人びととコミュニケーションを持つ力に興味がある。というのも、リズムの歴史は何千年も前にさかのぼるものだと思うし(笑)、それこそ人類が存在し始めて以来、人間が2本の棒切れを叩き合わせるようになり、そしてドラムを叩くようになって以来存在しているわけで……。となれば、きっとそこにはなにかしら、(笑)大事な世界があるんだろう、と。だからわたしが基本的に思っているのは、言葉を使えるようになる以前は、人びとはリズム、そして音楽を通じてお互いと意思伝達をおこなっていた、ということなんだ。

たとえば“Universal Energy”にはデトロイトのアンダーグラウンド・レジスタンスにも似た力強さを感じます。

RHK:ああ。まあ、自分としてはアンダーグラウンド・レジスタンスとは似ても似つかない曲だと思うけれども……ただ、わたしは彼らのファンだよ。非常にラッキーなことに、2015年に、イタリアでマイク・バンクスに会う機会に恵まれてね。彼はアンダーグラウンド・レジスタンスの“Timeline”、ジャズ版URのような、あのユニットとしてプレイしたんだよ。それに、あのフェス(訳注:Dancity Festival の2015版と思われる)の同じ顔ぶれでは……彼が……クソッ! ど忘れしてしまって名前が浮かばないなぁ、ほら、あの人?……マイクと一緒にやっていた……

とっさに思い出せなければ大丈夫です、後でネットで調べますので。

RHK:うん、そうしてよ……彼の名前を思い出せないなんて、我ながらなんと間抜けだなぁ、情けないと思うけど……。

いえいえ、よくあることですから、どうかお気になさらず。

RHK:うん。で、とにかくまあ、彼らの音楽は90年代初期から知っていたし、12インチ・シングルも山ほど持っているとはいえ、あれ以降、彼らがどんなことをやってきたかについてはよく知らなかった、みたいな。でも、改めて彼らの音楽を探りはじめてね……(ゴホゴホッと咳き込む)失礼。うん、オンラインを通じて、彼らの音楽を探りはじめたんだよ。そうしたら、実にファンタスティックな、素晴らしい音源やヴィデオ群を彼らがポストしているのを発見してね。あれらは本当に、本当に素晴らしいものだよ、うん。

なるほど。で、質問の続きなんですが、クロージング・トラックの“What's Goin’ On”のホーンのコラージュには黒人音楽へのシンパシーがありますよね? あなたはもともとソウルやレゲエのクラブに出入りするような10代を過ごしてきたわけですが──

RHK:その通り。

いまもキャバレー・ヴォルテールの音楽のなかに黒人音楽からの影響はあると思いますか?

RHK:……まあ、いま君の言ったことがそのまま質問の回答になっているんじゃないの?

(笑)あ、なるほど。

RHK:君自身がその影響を作品から聴き取っているわけだから!

ですね。では、当方の読みは当たっている、と。

RHK:そう。それに、思い出したよ、さっき名前を思い出せなかったのはジェフ・ミルズ! 彼ともあのフェスで会えたんだ。たしか彼は、一時期日本で暮らしていたこともあったんじゃないのかな……? ともかくまあ、うん、あれは本当にこう、ツアー生活に戻ったことに伴うグレイトな体験のひとつだった、みたいな。ヨーロッパ各地で開催される色んなフェスティヴァルに出演するようになるし、おかげでその場で素晴らしい人びとと実際に会えることになる、というね(笑)! うんうん……。

今作は、明らかに悪化していく状況に対してのキャブスの反応と見ているのですが、ただディストピアを描くだけではなく、アルバムの終盤の、希望めいたものも表現しているところに感動を覚えました。

RHK:なるほど。

アルバムの最後の3曲には、アップリフティングな展開の曲を配置しています。その意図について教えて下さい。

RHK:まあ、誰だってハッピー・エンドが好きなものだからね!

(笑)。

RHK:いやだから、あの流れはほとんどもう……ライヴで体験したことから出て来たものだ、みたいな。たとえば……“Universal Energy”、あのトラックを観衆相手にプレイすると、とても妙な効果がオーディエンスのなかに起きるのに気づいてね。すごい数の人間が、狂ったように踊っていた。というわけで、このアルバムになんらかの構造をもたせるに当たって、そのクレイジーさに向けてビルドアップしていくのはいいんじゃないか、と思ったんだ。とは言っても、自分としては(ゴホン!)……“What’s Goin’ On”は高揚するタイプの曲だとは思わないけれども。あの曲に含まれるブラスやホーン・セクションのせいで、たぶんそんな印象が生まれるんだろうな……。というのも、よくよく聴けば、あれはかなりダークな曲でもあるからさ(苦笑)。でも……どうなのかな? あのトラックを仕上げたとき、自分でも思ったんだよ、「これだな、出来た」と。このアルバムを世に出せるようになった、準備完了、とね。

手応えがあった、と。

RHK:と言いつつ、妙な話でもあるんだ。というのも、あの曲を書き始めたときは……たしか、このプロジェクト(=ライヴおよび、その結果としてのアルバム)のために実際に書いた曲としては、あれが1曲目だったはずなんだ。けれども、書いたものの、生であの曲をパフォームすることはなかなかなくてね。2、3回以上、ライヴで演奏する機会を逃してきたと思う。というのも、あの曲にはまだなにか決め手が欠けているなと自分では思っていたから。あれをぐっと持ち上げるのにはもっとなにかが必要だなと感じていたし……アルバムとしてまとめる最後の最後の段階まで、それがなにかを自分にはつかめなかったんだと思う。

いま「希望めいたものも表現している」と言いましたが、具体的にいま現在のあなたが希望を感じていることになにがありますか?

RHK:まあ……とりあえず自分の生は確保しているし──(苦笑)そこには常にありがたい希望を感じているよ! ただ、いまの世界がどうかという点に関して言えば、正直あんまり希望は感じないな(苦笑)!

いまもシェフィールドにお住まいだと思いますが、いま現在のシェフィールドも昔と同じようにお好きですか?

RHK:ノー。まあ、それについてはこの取材の2、3日前にも他の場で話したばかりだけれども……かつてのシェフィールドの多くは解体・撤去されてしまっていてね。古い建物等々、それらは取り壊されてしまった。で、とにかく、いまやシェフィールドの街並は……どことも変わりがない。イギリス北部にあるタウンのどことも差のない、ありふれた景観になってしまった、という。
 それはとにかく悲しいことだと思うし、そもそも自分はあまり表に出歩かないしね(苦笑)、シェフィールドでコロナウイルス問題云々が起きる以前から、あまり外出しないタチだったし、こっちでの他人との社交もやめてしまって。うん……まあ、それは、たぶん自分が年寄り過ぎだからなのかもしれないけどね? ハハハッ! でも、とにかく──いまのシェフィールドには自分が育った街としての面影は見当たらないんだ。まあ、そう感じるのはたぶん老いのせいだろうし……どうなんだろう? 要するに、この街がどうなっているのか、自分にはもうわからない、と。もちろん、シェフィールドにはクラブもたくさんあるし──そうは言いつつ、そのすべてが現時点では閉鎖中なわけだけど──音楽系のヴェニューはたくさんあるんだよ。ただ、そうしたクラブのなかに、かつてそうだったように、実際の「シーン」が存在するのかどうか?というのは、わからないなぁ。それでも、この街には実験的なエレクトロニック・ミュージックをやっている連中がまだいるというのは知っているよ。ただ、これまでのところ、その音楽はわたしの耳にはあまり届いていないね。

シェフィールドはかつてのキャラクター/個性を失ってしまったと思いますか?

RHK:だからまあ、わたしにとってはそうだ、ということだよ。でも、シェフィールドで育った、いま20歳くらいの若者は、また違う世代であって、彼らにとってはそうではないだろうし……ただ、いまどきは余りにも多くがコンピュータやその手のテクノロジー頼みになっているよね。それに対して、キャバレー・ヴォルテールの初期の頃は……ちゃんとしたコンピュータというものがそもそもなかったし(苦笑)、あれらの音楽は一種のシンセサイザーや、ギターや様々な楽器をシンセサイザーのプロセッサを通して変化させて作ったものだったんだ。そうやって新しい、ユニークなサウンドを作り出そうとしていた、という。

手作りの機材等で工夫して音を作っていた、と。

RHK:そう。

と言っても、これは批判でもなんでもないですし、パソコンがあれば買ったその日から音楽を作れるのは素晴らしいことだと思います。ただ、便利過ぎるというか、努力せずに済む、というところはあるかもしれません。

RHK:いや、だから、そこの問題は(苦笑)──

どれも似たり寄ったりな音になってしまう、と?

RHK:そう、その通り。そうなってしまう可能性はあるよね。

コロナがいつ収束するのか見えない現在ですが、この先の予定になにかあれば教えて下さい。

RHK:(ゴホン!)そうだな、この時点でいくつか明かせることがあるから話そうかな。

(笑)予定通りに進めば、ということで。

RHK:いやいや、そうなるはずだよ! まず、これからツアーに出てライヴ・パフォーマンスをやれないのははっきりしているから……『Shadow Of Fear』を拡張することにしたんだ。

ほう?

RHK:なので、来年1月に3曲入りの12インチ・シングルを出す予定なんだ。それらのトラックもライヴ・ショウを元にしているけれども、アルバムにはどうにもフィットしなかったものでね。で、その後にアルバムがもう2枚控えている。どちらもわたしが「Drowns」と呼んでいるタイプの作品で、60分にのぼる瞑想型の音楽ピースみたいなもので。それらは、2月と3月に出せればいいなと思っている。というわけで、『Shadow Of Fear』は(ゴホゴホと咳払いして)、一種のシリーズ作のようなものなんだ。だから、ストーリーはまだあるんだよ。

なるほど。徐々に物語が明らかになっていく、と。

RHK:そういうことだね。でも、そこから先はどうなるか自分にもわからないな。というのも、去年の9月から今年4月にかけて猛烈に働いたわけで……いずれ、どこかの時点でまた新しい音楽を書き始めるだろうけれども、自分としてはまだ「そのタイミングがきたぞ」とは感じていないんだ。だから、ここしばらくは仕事を減らして少しのんびり過ごしていた、ということ。そうやって、とにかく自分の健康管理に気を遣おうとしているし……あまりやり過ぎないようにしよう、とね。それに、アルバム3枚に12インチを1枚というのは──年寄りにしちゃ悪くないだろう? アッハッハッハッハッ!

いや、すごいと思います。質問は以上です。ありがとうございました。

RHK:オーケイ。話せて楽しかったよ。

こちらこそ、面白いお話を聞けてよかったです。どうぞ、くれぐれもお体には気をつけてください。

RHK:うん。どうもありがとう。バイバーイ!

Sun Ra Arkestra - ele-king

小川充

 1993年の他界(宇宙への帰還)後もいまなお、数多くのサン・ラーのレコードがリリースされている。むしろ生前よりもたくさんのレコードがリリースされているくらいだ。その中にはアンソロジーもあればリイシュー、もしくは未発表の音源もあるのだが、そもそもサン・ラーが残した音源はあまりにも膨大で、いまだその全てが明らかになっていない。まるで宇宙空間のように無尽蔵なレコード・ライブラリーが広がっていて、土星からの使者を名乗ったサン・ラーらしい。彼の作品はいわゆるレコーディング・スタジオに入って録音するものではなく、ライヴ会場で即席で録ったものを自主でレコード化して次のツアー会場で売るというような形が多かったので、行ったコンサートの数だけレコードが存在していると言っても過言ではない。そして、サン・ラーが率いたアーケストラ(方舟の意味であるアークと楽団を指すオーケストラとを合わせた造語)は、サン・ラーの死後も活動を続けている。世界中をツアーしていて、数年前には来日公演も行なった。主なきいまもサン・ラーの名を冠しているのは、サン・ラーの精神が宿った楽団であるということなのだが、それは歌舞伎の屋号のようでもあり、実際サン・ラーは「かぶき者」(変わった風体や行動を美意識とする洒落者、歌舞伎の語源)のようでもあった。

 実際のところ現在のサン・ラー・アーケストラは、1950年代の最初期からのメンバーであるサックス奏者のマーシャル・アレンが中心となっている。彼はずっとサン・ラーと行動を共にしていて(アーケストラの場合、メンバーは演奏以外でも寝食を共にするコミューン活動を行なっていた)、サン・ラーの音楽から思想や信仰などを新しいメンバーに伝えている。アーケストラに在籍したメンバーにはジューン・タイソン、スティーヴ・リード、アーメッド・アブドゥラーなどいろいろいたが、サン・ラー同様に他界したり、音楽業界から引退してしまった者もいる。現アーケストラにはビル・デイヴィス、ジュイニ・ブースなど古くからのメンバーもいれば、ジェイムズ・スチュワート、ジョージ・バートンなど、2010年代より加入したメンバーもいる。総勢20名を越す大所帯にはいろいろな国籍や人種、音楽キャリアを持つ者さまざまだが、そうしたミュージシャンが一種の劇団のように集結し、現座長のマーシャル・アレンのもとに劇(演奏)を行なっているのがサン・ラー楽団と言える。

 このたびリリースされた『Swirling』は、そんな現サン・ラー・アーケストラによるこの20年間での最初のスタジオ録音アルバムである。最初にも述べたようにライヴ録音が主なサン・ラー・アーケストラにとっては異色の企画ではあるが、演奏する作品は新曲というわけではなく、往年のアーケストラのレパートリーをスタジオで実演したものとなっている。レコーディングでは20数名のメンバーから15名ほどが抜擢され、即興的なパートはあるものの、基本的には1950年代後半からおよそ60年ほどやってきた、アーケストラのメソッドに基づく演奏が収められている。これもまた歌舞伎などの伝統芸能に近いだろう。タラ・ミドルトンのヴォーカルも往年のジューン・タイソンのそれに限りなく近く寄せていて、ファリド・バロンのピアノやオルガン、キーボードなども在りし日のサン・ラーが演奏していた機種に近いものを揃えている。マーシャル・アレンはアルト・サックスのほかにエレクトロニクスも手掛けているが、それも古い時代の機材をいまなお使い続けていて、それがアーケストラ独特のレトロ・フューチャリスティックな味わいを生んでいる。いまの時代の新しいジャズに合わせたり、その影響を取り入れようとする姿は微塵もなく、潔いまでに自分たちのジャズを貫いている。たとえそれが古臭いと言われようとも。それによって結果的に彼らは影響を受ける側ではなく、影響を与え続ける側でいられるわけだ。

 サン・ラー・アーケストラの楽曲には宇宙や星、惑星などをテーマにしたものが多い。本アルバムにも “Satellites Are Spinning” “Door Of The Cosmos” “Astro Black” などが収められている。そうした宇宙志向や未来志向がアフロ・フューチャリズムと結びついていったわけだが、サン・ラーの場合はそこに古代や太古の神話との繋がりを持たせ、新しいものと古いものが融合した独自の世界を作りだした。冒頭の “Satellites Are Spinning” から “Lights On A Satellite” へと繋がる流れは、まさにそんなサン・ラー・マジックを象徴するものだ。“Seductive Fantasy” の牧歌性に富む演奏も宇宙空間の遊泳をイメージしているようであり、一方でバリトン・サックスがバグパイプのような音色を紡いで民族色豊かなところも見せる。“Swirling” はまさしく古き良き時代のスウィング・ジャズで、“Angels And Demons At Play” はデューク・エリントンのアフリカ色の強い演奏を電化処理したとでも言うべきか。“天使と悪魔の劇” というタイトルが示すようにサン・ラーの風刺性を代表する1曲だが、後半に向かうにつれてエレクトロニクスを交えて混沌としていく様がまさに戯曲的である。“Sea Of Darkness”~“Darkness” はアカペラ・コーラスからワルツへと展開するクラシカルなモーダル・ジャズで、“Rocket No. 9” はラップの先駆けとも言えるヴォーカリーズ・スタイルの歌。トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』に触発されたような題名のこの曲は、アメリカのポップ・カルチャーも取り込んだような楽曲で、ディジー・ガレスピーの “Salt Peanuts” を下敷きにしたようなほぼワン・コードのシンプルなトラック上で、ホーン・セクションやピアノがコズミックなSEを交えて即興演奏を見せるという構成。サン・ラー・アーケストラのひとつのスタイルだが、伝統的なジャズのビッグ・バンド・スタイルが底辺にあり、ジャズ界の異端とみなされることが多いサン・ラーだけれども、実はオーソドックスなジャズを土台としていることがわかる一例だ。

 アカペラとコズミックなSEだけで綴る “Astro Black” はサン・ラーならではのゴスペル・ソングであり宇宙賛歌。宇宙の神秘は続く “I'll Wait For You” でのフリー・ジャズへと受け継がれる。各楽器が無秩序状態の音を奏でていく様は暗黒の宇宙空間を飛び交う惑星をイメージさせ、その無秩序や混沌を音楽へと構築していくという現代音楽に接近した作品だ。一方で “Unmask The Batman” はアメコミの世界にコミットしたポップ・カルチャー的作品。演奏も「バットマン」のテーマを下敷きにしたブギウギ~ロックンロール調のもので、前衛的な作品と並立してこうした俗っぽいこともやってしまうところがサン・ラーの凄さでもあった。“Sunology” もムーディーなヴォーカルをフィーチャーしたスウィング・ジャズ調のもので、ジャズの本流からすると異形とされたサン・ラーがこうしたオーソドックスな曲をやってしまうのは、一種の皮肉でもあるかもしれないが、ある種痛快でさえある。“Queer Notions” も「異形」のための作品であるが、デューク・エリントン張りのオーケストラ・ジャズとなっていて、まさに裏エリントンだったサン・ラーならではだろう。宇宙の孤独を綴った “Space Loneliness” はブルース曲で、ジャズにとどまらずブギウギからゴスペル、ブルースなどあらゆる音楽を飲み込んでいったサン・ラーの音楽性を象徴する。“Door Of The Cosmos / Say” はファラオ・サンダースなどにも影響を与えたスピリチュアル・ジャズだが、演奏スタイルはジャズ・バンドのそれというより、大道芸とかチンドン屋のそれに近いものだ。サン・ラー自身もそうした大道芸人的なところがあり、実はとてもサービス精神の旺盛な人だったが、そうした人柄を偲ばせるようなピースフルな1曲である。

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野田努

私の音楽に耳を傾けてくれれば、
人びとはエネルギーを得る。
彼らは家に帰り、
おそらく15年くらい経ってから言うだろう、
「15年前に公園で聴いたあの音楽は素晴らしかった」と。*
サン・ラー (1991)

 これは特別なアルバムだ。理由はふたつある。まず、アーケストラがサン・ラーの死後、20年以上の年月を経て発表する新録のアルバムであるということ。もうひとつは、それを “いま” 発表することの意味。で、しかし、ほかにもうひとつある。『Swirling』は半世紀以上も演奏を続けてきたアーケストラが一回しかできないことをここでやっているという意味においても特別なのだ。

 アーケストラは、自らをサン・ラーと名乗った音楽家であり、思想家でも詩人でもあった人物のバンドの名称である。名前はエジプトの神ラーの箱船(Ra's ark)から取られている。サン・ラーいわく「Arkestraには、最初と最後に “ra” がある。Ra は Ar または Ra と書かれ、“Arkestra” の両端は同じ母音、最初と最後が等しい……音声的に均衡がとれている」(1988)*
 それは1950年代のシカゴ──サウスサイドだけでもジャズ・クラブが75もあった街──で誕生した。

私の音楽のなかではたくさんの小さなメロディーが流れている。まるで音の海のように、海は現れ、戻っていき、うねる。*

 アーケストラはただのバンドではなかった。多くの場合ジャズ・バンドのメンバーは演奏(仕事)においての顔合わせであって、日常での友人関係は持たなかった。が、サン・ラーにとってミュージシャンたちは友であり、バンドはコミュニティだった。アーケストラはサン・ラーという父親が統合するいわば家族であり、学校だった。そこには規律(disciple)があり、ジャズの世界では異例と言えるほどの道徳が要請された。故ジョン・ギルモア(tr)も「サン・ラーとは生徒と教師の関係だ」と言っているが、まあ、大学時代は教職を考えていたサン・ラーは人に教えるのが好きだったろうし、思想を共有することはアーケストラによって最大の任務でもあった。

 ちなみに、アーケストラにおいては、物事には集団で向かうものだった。たとえば演奏中に誰かが間違えたとき、ほかのみんなも間違えれば、それは間違いではなくなる、解決とはこうして共同でおこなうもの、団結して成し遂げるものだった。ホワイト・パンサー党の党首であり MC5 のマネージャーだったジョン・シンクレアが「60年代を生き続けている存在」と呼んだのも、もちろん大いなる否定者であるサン・ラーの態度ゆえなのだろうが、コミュニティ(共同体)へのこだわりにもその一因があるのだろう。
 しかしながら、1914年生まれのサン・ラーは1960年代にはすでに50過ぎである。だから、多くの人が知るところの名曲 “Space Is The Place” の頃はほぼ60。ディスコのリズムを取り入れた “Disco 3000” のときは60代半ば、スリーマイル初頭の原発事故に触発された「Nuclear War」をポストパンク時代に出したときはほぼ70歳だ。

 本作『Swirling』を仕切っているマーシャル・アレンは今年で96歳。アーケストラのオーボエ/アルトサックス奏者、バンドの諸作で聴けるエキゾチックなメロディはたいていアレンのオーボエだったりする。彼はシカゴ時代の1958年にメンバー入りし、以来、ずっとアーケストラとして活動しているが、コミュニティの存命においてもアレンは欠かせない人物だった。
 60年代初頭、アーケストラはシカゴからNYへと移動したが(そこでアミリ・バラカのブラック・アート・ムーヴメントにも合流した)、家賃の高騰とリハーサルにおける騒音問題によって、1968年にはNYを出ていかざるをえない状況になっていた。引っ越しはしかも、決して容易なことではなかった。なにせ、複数の中核メンバーを受け入れ、なおかつ大人数での日々のリハーサル場所を確保しなければならない。
 そんな彼らに救いの手を差し伸べたのが、フィラデルフィアのモートン・ストリートに不動産を持っていたマーシャル・アレンの父親だった。かくしてサン・ラーご一行は長屋のようなところにおさまり、結局、そこがアーケストラにとっての最終的な拠点となった。もちろん本作『Swirling』も同地でリハーサルがなされている。

 アーケストラにとってのリハーサルは、演奏技術を磨くということだけが目的ではなかった。そこはサン・ラーが “宇宙哲学” を語る、いわば講義の場でもあった。ときにそれは何時間にもわたることがあったというが、アーケストラにとって重要なのは、世界を変えるために音楽を利用することだった。「明日のイメージを描くために、すべてをジャズに見せかけた」とジョン・F・スウェッドは評伝『Space Is The Place』のなかで表現しているが、実際1958年に彼らの自主レーベル〈サターン〉からは2枚目としてリリースされた『Jazz In Silhouette』のスリーヴにはこう記されている。「これはジャズに見せかけたシルエット、イメージ、そして明日の予想である」
 リハーサル時におけるサン・ラーの話は、あまりにも多岐に及んだという。歴史学、言語学、占星術、天文学、人智学、数秘学、それから冗談とジャズ話……。彼は弁舌家としても有名なのだ。

 また、サン・ラーはメンバーひとりひとりのために譜面を書いたが、往々にして、譜面には通常の音域外の音が指示されていたという。先日、アーケストラをカヴァーストーリーとして掲載した『Wire』誌10月号では、扉の写真にマーシャル・アレンがぶあつく重ねられた譜面を見ている場面を使っているが、それらぼろぼろの年季の入った紙切れたちこそサン・ラーが書いた譜面である。彼がメンバーそれぞれのパートのために書いた譜面はじつに細部にまでしっかり記述されていたが、しかし演奏がはじまると決して譜面通りにはいかないのがアーケストラだった。かつてサン・ラーはメンバーにこう指導したことがある。「君が “知らない” ことのすべてを演奏せよ(Play all the things you don't know!)」*
 たとえばマーシャル・アレンの場合は、アーケストラに入ったことによって、サックスを使っての吠え、叫び、鳥の歌などを会得したのである。

 そう、本作を読み解くヒントは、サン・ラーの人生とその人物像にある。なのでもう少しおさらいしておこう。そもそも彼は第一次世界大戦がはじまる年に生まれている。日本はまだ大正時代である。
 1920年代の(やがてサン・ラーを名乗ることになる)ハーマン・ブラントは成績優秀な優等生だった。1930年代のハーマンは、それに輪をかけての読書家だった。大恐慌時代に黒人が読書家であることはじつに異例のことで、人種隔離された図書館で黒人が本を借りるには、裏口から黒人職員を呼んで本を取ってきてもらうしかなかったという。
 ハーマン~サン・ラーの読書には、確固たる目的があった。それは西欧文明と聖書の欠点を探るためであり、自分とはいったいどこから来たのかを知るためだった。
 そのため彼は古代文明に着目した。ギリシャ哲学やピタゴラス教団、神秘主義に惹かれた彼はグノーシス派にも向かった。ブラヴァツキー(シュタイナーに影響を与えた人)の人知学に傾倒したこともある。また、エジプトの秘密を知るべく、英語以外の言語で書かれた書物も辞書を引きながら読んだというから、ちょっとした素人学者だ。シカゴ時代は、彼の家に来た誰もが壁を隠すほどその床に積み重ねられた本の量を見て驚くほどだったが、彼が古代アフリカにおける文明を知るに至ったことは、サン・ラーの哲学と音楽にとって大きな収穫となった。
 サン・ラーは自分の信念を曲げない人でもあった。1940年代の第二次大戦中は、身体の障害を理由に兵役拒否を続けた。また、収監されてもなお反論することができるほどの知性を彼はすでに持ち得てもいた。軍の幹部が、よく教育された黒人知識人だと感心したというほどに。
 戦後、貧困な黒人たちのあいだで支持者を拡大していたネーション・オブ・イスラムには、関心は示したものの決して賛同はしなかった。あれだけ “黒さ” にこだわり、白い文化に頼らず自律することを目標としながら、しかしサン・ラーにとって白人だけが悪魔ではなかったし、分離主義を望んでもいなかった。彼はつねに、(特定の人種ではなく)人類に対する否定的な意見を述べていたのだから。それにまあ、ありていに言って彼はマッチョな人間ではなかった。サン・ラーはこうも言っている。「私はリーダーでも、哲学者でも、宗教人でもない。ただ、人間を変えることのできる何かを示したいだけだ」*

私の音楽はいつもうねっている。それは人びとの頭の上に行き、一部の人びとを洗い流し、再活性化し、彼らを通り抜け、宇宙へと戻っていき、再び彼らの元にやって来る。*

 たしかに『Swirling (渦巻く)』はうねっている。まずは女性メンバーのタラ・ミドルトン(vln)が、1970年代初頭から歌い継がれ、かつては故ジューン・タイソン(アーケストラ全盛期の女性メンバー)も歌ったサン・ラーの詩をいままた歌う。

衛星たちは回転している
よき日々が壊れている
銀河たちは待っている
惑星地球が目覚めるのを
私たちはこの歌を勇敢な明日のために歌う
私たちはこの歌を悲しみを廃止するために歌う
 “Satellites Are Spinning” (1971 / 2020)

 小さな渦が集合するコズミック・ジャズの “Lights On A Satellite” が続く。そこから “Seductive Fantasy” までの展開は、晩年にサン・ラーが喩えたように、アーケストラのメンバーひとりひとりが宇宙ニュースを記事にしている「宇宙新聞(Cosmic News Paper)」である。
 “Seductive Fantasy” は1979年の『On Jupiter』に収録されているが、同曲が新鮮なアレンジによって演奏されているように、ほかにも “Angels And Demons At Play” や “Rocket Number Nine” といったお馴染みの曲がみごとに甦っている。批評家のグレッグ・テイトは、「アーケストラの面々は、6つのディケイドに渡って展開されたサン・ラーのコンセプトがいまも魅力的であることを充分わかっている」と評しているが、たしかに彼ら・彼女らはサン・ラーの遺産に新たな生命を吹き込んでいるのだ。
 演奏はおおらかで、総じて祝福めいている。実験性には遊び心があり、アレンの電子音にはユーモアがある。サン・ラーの代わりに鍵盤を操っているファリド・バロンの演奏はまったく生き生きとしているし。つーか、この長老たちときたら……

 マーシャル・アレン作曲による表題曲 “Swirling” はスウィング・ジャズだが、これはアヴァンギャルド全盛の60年代~70年代に敢えてスウィングをやったサン・ラーに捧げているのかもしれない。笑ってしまうというか、なるほどというか、ある意味「らしい」と思えるのは、ロックンロール/リズム&ブルースまで披露しているところだ。
 サン・ラーといえば、いまや「アフロ・フューチャリズム」の古典となっているが、20世紀の初頭に生まれ、黒人文化人として世界大戦も経験しながら活動してきた彼を「アフロ・モダニズムの人」と評する向きもある。彼はたしかに、バンドのメンバーから猛反発をくらってもディスコを取り入れるほどの柔軟性のある人だったし、50年代にいくら批評家たちからぞんざいな扱いを受けようとも実験(電子音、短いソロや反復)もメッセージ(あるいは詩)も宇宙服(白人文化の象徴であるスーツの拒絶)も止めなかったが、サン・ラーがもっとも好きだったのはトラディショナルなビッグバンド・ジャズだったと言われている。ことにブルースであれば、同じフレーズを繰り返さずに延々と弾いていられたそうだ。スピリチュアルな人だったのだろうが、世俗的な音楽もずいぶんと愛していた。サン・ラーのそんな側面も今回の新録盤にはよく出ている。
 だが、そうした嗜好性とは別のところで、彼は「音楽は人間世界以前に存在し、人間がいなくても存在し続けることができた」と真剣に考えてもいた。そして、音楽が人間世界以前に存在するのであれば、音楽とは宇宙のものだ。その宇宙の音をこそ、彼とアーケストラはひたすら探求し続けていたのだ。つまり、トラディショナルなジャズと未来志向とのブレンド。

 1993年1月に卒中で倒れ、それでもライヴ・ツアーを続行したサン・ラーも、いよいよ自らの最期を覚悟したとき、アーケストラの面々にこう言ったという。「この世界は甘やかされた子どもたちによって作られている。狂った熊たちの世界だ。自分の思うところを外に向かって伝えよ。私はもうおまえたちにできる限りの情報を与えた。あとはおまえたち次第だ」*
 その成果がこのアルバム、門下生たちが力を振り絞って録音した『Swirling』というわけだ。サン・ラーが生まれてこのかた100年以上も経った21世紀のいま、こんな作品が聴けるなんて幸せこのうえないことで、アーケストラはこの音楽が超越的であることを身をもって証明しているわけだが、悠長なことを言ってもいられない。コロナ、BLM、そして分断された社会と……、ジ・アーケストラがサン・ラーの哲学をふたたび外に向けて伝えるなら、いましかないのだろう。世界を変えるために音楽をやるなんてことがとてもじゃないけど言えなくなったいま、怒りと、しかし喜びに満ちた宇宙の音楽をやるのは15年後では遅い、いまなのだ。

自分が間違っているとわかっているということをわかっている、
ということを知ったら、君はどうするのかい?
音楽と向き合って
宇宙の歌を聴かなければならない
The Sun Ra Arkestra “Face The Music” (1991)

したがって私は話したのだった
そして今後は星々に書かれる
 『Swirling』のブックレットより

* 引用は、ジョン・F・スウェッド著『サン・ラー伝(原題:Space Is The Place)』(湯浅恵子訳)より

生きる意味なら自分で作るわ

新装増補版・全曲加筆
「レーダーマン」「12才の旗」など4曲追加

比類なき情熱の作詞家・戸川純による半自伝的分析

【プロフィール】
戸川純(とがわ・じゅん)
1961年、新宿生まれ。歌手・女優。

 子役経験を経て1980年にTVドラマデビュー。『刑事ヨロシク』(82)で初レギュラーを経、『あとは寝るだけ』(83)、『無邪気な関係』(84)、『花田春吉なんでもやります』(85)、『華やかな誤算』(85)、『太陽にほえろ! 第701話「ヒロイン」』(86)など。ヴァラエティ番組では『笑っていいとも!』を始め、『HELLO! MOVIES』や『ヒットスタジオR&N』では司会も。同じく映画では『家族ゲーム』(83)、『パラダイスビュー』(85)、『野蛮人のように』(85)、『釣りバカ日誌(1~7)』(88~94)、『男はつらいよ』(89)、『ウンタマギルー』(89)、『あふれる熱い涙』(92)、『愛について、東京』(93)、『ルビーフルーツ』(95)などに出演。またオムニバス形式の『いかしたベイビー』(91)では監督、脚本、主演をこなす。舞台にも立ち、『真夏の夜の夢』(89)、『三人姉妹』(92)、戸川純一人芝居『マリィヴォロン』(97)、『羅生門』(99)、戸川純二人芝居『ラスト・デイト』(00)、『グッド・デス・バイブレーション考』(18)など。

 ミュージシャンとしてはゲルニカの一員としてデビューし、『改造への躍動』(82)、『新世紀への運河』(88)、『電離層からの眼指し』(89)を。ソロ名義で『玉姫様』(84)、『好き好き大好き』(86)、『昭和享年』(89)。戸川純とヤプーズ名義『裏玉姫』(84)。戸川純ユニット名義『極東慰安唱歌』(85)。ヤプーズの一員として『ヤプーズ計画』(87)、『大天使のように』(88)、『ダイヤルYを廻せ!』(91)、『Dadadaism』(92)、『HYS』(95)。ほかに戸川純バンド『Togawa Fiction』(04)、非常階段×戸川純『戸川階段』『戸川階段LIVE!』(16)、戸川純 with Vampillia『わたしが鳴こうホトトギス』(16)、戸川純 avec おおくぼけい『戸川純 avec おおくぼけい』(18)、『ヤプーズの不審な行動 令和元年』(19)をリリース。ほかに映像作品も多数。TOTOウォシュレットのCM出演も評判を呼んだ。

 著作類に『戸川純の気持ち』(84)、『樹液すする、私は虫の女』(84)、『戸川純のユートピア』(87)、『JUN TOGAWA AS A PIECE OF FRESH』(88)、『戸川純全歌詞解説集 疾風怒濤ときどき晴れ』(16)、『ピーポー&メー』(18)、『戸川純写真集 ジャンヌ・ダルクのような人』(20)。


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Gus Dapperton - ele-king

 弱さという壁を乗り越える方法を、NYの若きシンガーソングライター、ガス・ダパートン(Gus Dapparton)はどうやら知っているらしい。プロデューサーとしての才能も持つ優れた音楽性、特徴的な髪型やファッションセンスなど独自かつキャッチーなスタイルで各方面から支持を得る彼は、ポップ・アイコンの新星として光を浴びる存在だ。そんな彼の約2年ぶりのアルバムとなる最新作『Orca』は、ガス・ダパートンの影の側面、自身の内なる弱さと向き合おうとする姿がリアルに描かれている。

 最近ではニュージーランドのポップシンガー、ベニー(BENEE)とのシングル作 “Supalonely feat. Gus Dapparton” がヒットし、昨今を賑わすZ世代のアーティストとしてさらなる注目を集めるなかリリースされた本作。獰猛な哺乳類・シャチの名をタイトルに冠し、彼が過去に経験したトラウマや痛み、ツアー中に抱えたかつての苦悩と対峙しながら償いと赦しを探求していく……というテーマが全体を通して語られてゆく。そのテーマを生々しく強調したのは、デビュー・アルバム『Where Polly People Go to Read』でも際立っていた、耳を惹きつけるキャッチーな歌声だ。ベッドルーム・ポップ的な前作では語りかけてくるような印象だったが、今回は力強く振り絞り出したり、ときにはシャウトしたりとアグレッシヴな歌い方へと変化している。しっかりと聴かせにかかる歌声と、ギターやピアノなどの生音を取り入れたバンド・サウンドとの重なりには、ノスタルジックな切なさというよりも、まだ熱を持つ生傷に消毒液を垂らしたときのひりつきにも近い心のしびれを感じてしまった。

 サウンドと同様、ひりついた叫びや想いが生々しくいたいけに表れたリリック。それでも、楽曲からは孤独さや悲壮感といったネガティヴな印象が払拭され、むしろピュアなポップ・サウンドとして真剣に聴けてしまうのはなぜだろう。その理由は、メンタルに傷を負った自身と向き合おうとする姿と、周囲への感謝をストレートに歌った “First Aid” の終盤には彼の本名が第三者的に登場したり、“My Say So” では客演で参加した Chela が、まるで赦しを与えるかのように歌っていたり、幼少期の臨死体験が元となった “Post Humorous” のリリック・ビデオでは彼の友人らがリップシンクしていたりと、彼を支える多くの存在が本作を彩っているからであろう。人が弱さや苦しみを乗り越えるには、つらく険しい過程を共にするつながりの存在が欠かせないということを意味するかのように。そう気づかされると同時に “Medicine” “Swan Song” でクライマックスを迎えると、なんだか泣きはらしたあとの爽快感にも似た前向きで鮮やかな感傷が胸に残った。

 ガス・ダパートンはこんな場面でも、内なる弱さを乗り越えるためのもうひとつの方法を誰かに与えていたようだ。以前、とある TikTok スターが #BLM 運動の一環としてアップしたキング牧師からの引用キャプション付きの自撮りに批判が殺到した際、彼はこう呼びかけた。「Just because you caption your selfies with an MLK quote doesn't mean this isn't shallow as f**k. (自撮りにマーティン・ルーサー・キングの言葉を引用したからといって、これが浅はかでないという意味ではない)」。このかなり厳しいメッセージを受けた TikTok スターは、しでかしたことの重大さを受け止め謝罪し、世界が直面する問題に対し自ら深く学んだ上で声を上げていくと姿勢を改めたそう。彼の言葉がつながりとなり、ほかの誰かが抱える弱さを乗り越えようとさせたのだ。

 もうガス・ダパートンはただのポップ・アイコンの新星ではないのかもしれない。弱さを乗り越えた彼はいま、人びとから光を浴びる存在ではなく、人びとを光へと導くポップ・スターとしての輝きを新たに放ちはじめていると思う。

男は天才であり、稀代の悪党だった
10代なかばでサウンドクラウドに上げた曲が
そしてビルボードで1位になるときには獄中だった
ポップスターになる条件がすべて揃ったところで
過去がものすごい速さで彼を元いた場所へと引きずり戻した
20歳になる前に彼は社会的制裁を受け
そして20歳になると彼は首に銃弾を撃ち込まれて死んだ
しかし彼の死後、彼の曲はヒットした
サブスクではクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を抜くほどに

つまりこういうことだ。
人の為し遂げることに報いなど存在しはしない。
地位、権力、名声、金。
すべてクソだ。
だから僕はこうアドヴァイスする。
ゲームに疑いようもなく裏があり、
しかも、目に見えない社会的圧力が
こちらの行動まで規定してくるような場面では、
できることは一つしかない。
ぜんぶ間違ってやれ。
──本書より

くたばれインターネット』の著者が描く
異色のXXXテンタシオンの評伝
夭折したラッパーの生涯を通して問う
ネット社会や音楽シーンの意味と人種問題、
あるいは、
現代への痛烈な批判とテンタシオンへの思い

解説:二木信

目次

一章 今再びこのアメリカを驚愕せしめん
二章 本当っぽい方がいい
三章 息絶え絶えになお叫びつつ
四章 汝(なれ)は吸血鬼(ヴァンパイア)なるか?
   嬰児(みどりご)の我は死と歩む
五章 保護観察
六章 ♯予期せぬ結
七章 魔女とのまXぐXわXい
八章 歩哨(センティネル)の丘──ウィルバー・ウェイトリーと限りない空虚(ヨグ=ソトース)とともに
九章 ベイビー・イッツ・ユー
十章 ジュネーヴァ
十一章 我痛みを知るより先に朽ち果つるを望む
十二章 死走

訳者あとがき
解説(二木信)

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