Home > Interviews > interview with Young Marble Giants - たった1枚の静かな傑作
最小限の音数で、静かで、そしてその音楽は部屋の影からそっと現れたようだった。抑揚のない声のヴォーカル、隙間だらけのベースとギター、ときにリズムボックスとオルガン。曲がはじまると、気が付けば終わっている。終わった後にはまた沈黙。実際、1980年に登場したヤング・マーブル・ジャイアンツ(YMG)は成功したにも関わらず、わずか1年でシーンからそそくさと退席した。
YMGはウェールズのカーディフという街にて、1979年に結成された。スチュアート・モックスハム(g)とフィリップ・モックスハム(b)という兄弟を軸とし、シンガーのアリソン・スタットンが加わり、バンドは始動した。「若い大理石の巨人」というバンド名は、彼らがたまたま古典彫刻の本から見つけたものだった。
地元で活動しつつ、〈ラフトレード〉に送ったデモテープが気に入られて、1980年にまずはアルバム『Colossal Youth』、そしてシングル「Final Day」という2枚の傑作を発表する。CNDが大規模な反核集会を開いたその年のシングル「Final Day」では、オルガンのドローンをバックに、核戦争後の世界、世界の終末の、その終わりの最期の日が圧倒的に簡素で静かな演奏によって表現されている。また、アルバムのほうには、秀逸なアイデアとコンセプトを持ったバンドの魅力がしっかり記録されている。
ポスト・パンクが許可した「非完全さ」ゆえの独創性を指摘したのはサイモン・レイノルズだが、個性豊かなバンドが数多く出現した当時においても、YMGはあまりにも、ホントあまりにも独創的だった。たとえばそれは70年代末のクラフトワークをギターとベースでカヴァーしたかのようなタイトな演奏だったり、お茶の間に流れてきそうなメロディを擁しながらどこまでも孤独な響きだったり、賛美歌のパロディのようだったり、鼻歌のようだったり、だった。そういったトラックにアリソンの涼しげで、そして甘美な声が挿入される。
レイノルズが『アナザー・グリーン・ワールド』のポスト・パンク・ヴァージョンと評した『Colossal Youth』は、その年もっともヒットしたインディ作品だったし、人気も評価も、ファンからのバンドへの期待も高かった。彼らはれっきとした成功したバンドだったのだ。それからYMGは、アルバムとは別方向の、TV音楽にインスパイアされた実験的なインストルメンタル集「Testcard EP」をリリースすると、しかし成功など知らなかったかのように、その数か月後にバンドは消滅するのである。
このたび『Colossal Youth』の40周年を記念して〈ドミノ〉からスペシャル・エディションがリリースされた。貴重なEPやコンピレーションからの楽曲も収録し、ライヴ映像収録のDVDまである。まあ、これでYMGの音源は完璧に揃っていると言えよう。では、40周年を記念してのインタヴューをどうぞ。
私にとっては間違いなくイーノの作品における雰囲気っていうものが大きかったし、それはYMGの曲の雰囲気にも影響していると思うわ。ソングライティング全般もそうだけどね。
──アリソン・スタットン
■コロナがまだたいへんなことになっていますが、いまどんな風に過ごされていますか?
スチュアート・モクサム(以下S):実は僕の場合は普段とそれほど変わらない。なにせ自営業で、ひとり暮らしで、仕事までの移動も許容範囲内の距離で、自宅から15kmくらいのレコーディング・スタジオにも行けている。そっちはどう、アル?
アリソン・スタットン(以下A):こっちはかなり影響があって、私はカイロプラクターだから仕事ができない時期があったわ。いまは営業を再開してるけど、密な接触だからまだ多くの人は躊躇していて、やっぱり客足はまばら。マスクや手袋といった対策はしているけどね。夫と一緒に住んでるから話し相手はいるけど、まあ冬眠状態といったところ。
S:僕のパートナーが徒歩10分ほどのところに住んでいて、彼女は95歳の父親の介護をしているんだ。そのふたりと同じバブルにいるから、まったくひとりというわけではない。それから経済的な話でいうと奇妙なことに好調なんだ。Tiny Global Productionsや他のレーベルのマスタリングの仕事をやっているからね。
■YMGがプログレやクラウトロック、あるいは70年フォーク・ロックからの影響を受けていた話は知られていますが、そのなかで、もっとも重要な影響となったアーティストを3人挙げてください。ぼくの予想では、クラフトワークは間違いなく入ると思いますが。
A:イーノ。
S:クラフトワーク。それから、当たり前だけどビートルズ。どう?
A:そうね。当たり前すぎて忘れるところだった。ビートルズってもうDNAに組み込まれてるから。
S:そうだね。3組と訊いてくれてよかったよ。
■ちなみに、イーノから受けた影響でもっとも大きなことはなんだったのでしょう? 音楽の考え方?
A:ひとつには、彼が自分の曲中で生み出した雰囲気というか。時にすごく広々とした空気感というか。私にとっては間違いなくイーノの作品における雰囲気っていうものが大きかったし、それはYMGの曲の雰囲気にも影響していると思うわ。ソングライティング全般もそうだけどね。
S:同感。それについてちゃんと考えたことがなかったな。訊いてくれてありがとう。まず、ブライアン・イーノのような人物は彼の前にはいなかったということ。それに彼はものすごくたくさんのアイデアを持っていて、彼の音楽は何百万人という人を刺激したと思う。“Baby’s On Fire”にしてもどの曲にしても、ストーリーではなくてほとんどファンタジーのような歌詞で、物語ではない形での言葉がある。カットアップという手法を用いたボウイもそうだけど、個人的にはイーノの方が優れていると思ったね。
A:すごく抽象的でね。スチュアートの曲にも、たとえば“Choci Loni”だったり、そういう部分はあったと思う。
S:たしかに。それからイーノはアート的だったと思う。ロックンロールでもないし、どの音楽ジャンルでもなく……最初はかなりポップだったけどね。とにかく全体的なあの雰囲気にすごく魅力を感じたね。ポップ・ミュージックは単に牛乳配達員が口ずさむためのものだというような言われ方をすることがあるけど、れっきとした現代のアートなんだよ。そしてイーノは間違いなくそのアート的な側面の頂点に位置づけられると思う。そしてさらにトーキング・ヘッズのようなバンドがいる。僕が聴いてきたのは50年代、60年代、70年代の音楽でありポップ・ミュージックで、なかにはヒドい代物もあったけど、素晴らしいものも多かった。キンクスにしてもほかの何にしても。ただ当時のポップ・ミュージックにはまだアートが入り込んでいなかった。まあブライアン・ウィルソンが最初かもしれないな。
■パンクやロックンロールが好きになれなかった理由はなんだったのでしょう?
A:私は別に嫌いだったわけじゃなくて、ロックンロールも聴いてたし、パンクやロックのギグにも行っていた。クラッシュもセックス・ピストルズもね。エネルギーに溢れてて本当にエキサイティングだった。ただ家のターンテーブルに乗せて聴きたくなるような音楽ではなかったというだけ。いわば栄養たっぷりのものを食べたいのと同じで、イーノやトーキング・ヘッズといった音楽のなかにはものすごくたくさん入っているし、ジョニ・ミッチェルでもニール・ヤングでも、中身がたっぷり詰まってるのよ。たとえばロックンロールを聴きながらすごく難解な本を読んでも気が散らないけど、イーノのような音楽は意識が引き裂かれてしまう。まあでも、たんにいちばん好きな音楽ではなかったというだけで、実際はどのジャンルも好きなのよ。ただ、燃え盛るビルから逃げ出すときにどのアルバムを持って行くかとなったら、パンクとロックンロールは置いていくわね(笑)。
S:フハハハ。こういったインタヴューではあらためてアリソンのことが知れて面白い。僕はロックンロールも大好きだよ。僕がチャック・ベリーの悪口を言ったとされて、それが僕の発言として引用されたことがあったけど、実際はチャック・ベリーも大好きだ。最高じゃないか。ただ70年代なば頃にはロックンロールはオーソドックスになっていて、ある意味飽きていたんだよね。多くの工業都市と同じようにカーディフでもヘヴィ・ロックやブルースが人気で、それ自体は何ら問題ではないし、僕もそういったものもすごく好きなんだよ。ただ自分はもうちょっとイーノ的な、興味深いことがやりたかった。プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンが言ったように、人生は車と女の子だけじゃないんだ。もちろん女の子について書いてもいいけど、同じような書き方をする必要はない。たとえばトーキング・ヘッズも面と向かってズバッと言うというよりはもうちょい鈍角的にくるというか。よりクリエイティヴな表現でね。
これは僕の先入観だけど、パンク・ロックはちょっと速くなっただけのロックンロールだと思ってたんだよね。本当に偏見もいいとこだけどさ(笑)。当時〈Domino〉に短いコメントを書けって言われたんだ。でもパンク・ロックがなかったら我々はどこへも行き着かなかっただろうし、存在しなかっただろうね。
A:そうね。
S:パンク・ロックが人びとのアティテュードを根本的に変えたんだ。そして我々が始動する頃にインディペンデント・レーベルができてきたわけだよ。
質問:野田努(2020年12月04日)
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