「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

interview with Bing Ji Ling - ele-king


Bing Ji Ling
Sunshine For Your Mind

Rush Productions / AWDR/LR2

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 ビン・ジ・リンの『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』の売れ行きが好調のようだ。アコギの透明な音と彼の美しい歌声は、敵を作らないというか、多くの人に親しみやすいもの。トミー・ゲレロのバックを務めながら、地味~に自身の手によって自身の作品を発表してきた彼だが、いまではすっかりソロ・アーティストとしての人気をほこっている。

 そこで彼が歌っているのは、ドナ・サマーやリル・ルイスといった人たちのダンス・ミュージックの古典、そしてプリンスやシャーデーなどの80年代ポップスのカヴァーだが、カヴァーであることさえ気がつかないほど、『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』はビン・ジ・リンの綺麗な歌声を聴かせるように作られている。

 もっとも、ギターの弾き語りが魅力のこの男がクラブでDJもすることはあまり広くは知られていない。スキルもしっかりある。日本のクラブでも過去プレイしているが、そのときもオーディエンスを驚かせている。彼がドナ・サマーやリル・ルイスの曲を弾き語りでカヴァーするのも、彼の音楽人生を振り返れば意外なことではなかったと言えるのだろう。
 現在NY在住だが、若い頃に西海岸のレイヴ・カルチャーの洗礼を浴びた彼に、ダンス・ミュージックの思い出を語ってもらった。なかなか興味深い話になったので、ダンス・カルチャー全般に関心がある人にも読んでいただきたい。『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』がMORのバレアリック版かどうか……判断は読者に委ねよう。

初めてレイヴに行った1993年は僕にとって大きな年だった。会場はサンフランシスコからハイウェイ1に乗って、1時間くらい離れた、まわりに何もない場所にあるビーチだった。つまり、すべてから自由な場所だった。

『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』で、あなたはクラブ・ミュージックの有名な曲をカヴァーしていますが、どんなふうにあなたがダンス・カルチャーと出会い、そしてどのように関わっていったのかを今日は教えて下さい。

ビン・ジ・リン(以下、BJL):とっても面白い話だよ。そして、本当の話でもある。僕が若かった頃、たぶん高校生だったと思うけど、ラジオでソウルllソウルなど80年代のものを聴いていたけど、ダンス・ミュージックの歴史なんて知らなかった。ダンスとの出会いはそれよりもっと前の1980年で、僕は1972年生まれだから、当時8歳くらいだったと思う。その年にYMCAのディスコ・ダンス教室に連れていかれたんだけど、それが僕のディスコを理解するようになったキッカケだね!

8歳ってすごいですね(笑)。

BJL:高校生のときはアンダーグラウンドのダンス・ミュージックはあまり知らなかった。最初に衝撃を受けた80年代のグループはソウルllソウルで、初めて聴いたときに「なんだこれ!?」ってなったよ。あのサウンドが大好きだった。そうやって学んでいったんだ。
 それで1993年のサンフランシスコで、ウィキット・クルーのレイヴ・パーティに行った。クルーのメンバーはトマス・ブルック、DJガレス、イエノそしてマーキー。彼らはイングランドのケンブリッジ出身で、 80年代後半イギリスのアンダーグランドのレイヴ畑からやってきた。彼らはDJハーヴィーのイベントによく行っていた。DJハーヴィーはイングランドでは早くから活動していて、彼らがそのイベントに出入りしてたのは80年代後半だったと思う。そして1991年に彼らはイングランドからサンフランシスコにやってきて、イングランドと同じスタイルの、つまり良い感じのレイヴ・パーティをはじめたんだよね。

当時のヨーロッパにおけるレイヴ・カルチャーはよく語られていましたけど、アメリカのレイヴについてはあまり聞いたことがなかったので、興味深い話ですね。

BJL:だろうね。ウィキット・クルーのパーティはすごくアンダーグラウンドだったんだ。彼らはいま、その頃のシーンについてのドキュメンタリーを作ってるよ。そのレイヴ・パーティーはサンフランシスコでとても影響力があった。なにしろ、DJハーヴィーを崇拝してたような輩がはじめたんだからね。

今回の新作でリル・ルイスやドナ・サマーのような、ディスコやハウスのクラシックのカヴァーを歌ってますけれども、あなたのようなシンガーがダンス・ミュージックからどんなインスピレーションを得たのかと。

BJL:初めてレイヴに行った1993年は僕にとって大きな年だった。会場はサンフランシスコからハイウェイ1に乗って、1時間くらい離れた、まわりに何もない場所にあるビーチだった。つまり、すべてから自由な場所だった。そこで別の惑星からやってきたみたいなサウンドシステムがアシッド・ハウスを流していて、みんなエクスタシーをやってた。「おいおい、なんだよこれは!?」って感じだったよ(笑)。

はははは、そのときのフィーリングをいまでも保ち続けていると思いますか?

BJL:もちろんだよ! いまはそのフィーリングを当時とは違ったふうに捉えているけどね。当時はみんなレイヴに感動していたし、エキサイトして幸福になりたいと思っていた。いまでもそのことを大切にしているよ。

レイヴを体験して、DJをはじめたりとか、打ち込みでダンストラックを作ろうとは思わなかったんですか?

BJL:1993年から最初の5年くらいは、レイヴやクラブにただ踊りに行っていた。ただ音楽を聴きたかったし、パーティにも行きたい年頃だったんだ(笑)。単純に楽しんでいたかったし、実際、最高に楽しかったよ。
 1998年から1999年のどこかで初めてターンテーブルを手に入れた。DJは趣味としてやっていたね。DJをやっている友だちはたくさんいた。そして、彼らはみんなプロとして活動していたよ。
 いまは誰でもDJになれるよね? 当時はDJになるためには、レコードをたくさん持っていること、良いレコードを持っていること、そしてそれらを上手くプレイすることが必要条件だった。もちろん、僕もレコードを持っていたけど、彼らの前では恐れ多かったね。DJをやっている彼らに比べたら、僕のレコードの数は不十分だったから、自分にはDJはできないと思った。

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最近流行っているEDMみたいなのをやっている人たちはデヴィッド・マンキューソやパラダイス・ガレージさえも知らないよ。彼らは自分自身についてしか興味がないし、そこにはルーツや歴史が欠如しているんだよ。


Bing Ji Ling
Sunshine For Your Mind

Rush Productions / AWDR/LR2

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DJハーヴィとマンキューソのどこが好きなんでしょうか?

BJL:ふたりともどんなスタイルの音楽でもプレイするから好きだね。彼らを好きな理由は共通している。マンキューソは年上だし重要な人物だ。そして、ハーヴィはマンキューソから多くを学んでいる。彼らがプレイすると、すべての音楽を聴いている気分になる。例えばさ、ふたりのプレイって、(低い声で)ドゥー、って鳴っているとするといきなり、(高い声で)キュイーンってなったりするだろ? そういうダイナミックさも良いよね。ふたりともプレイの幅は広く、ダイナミックでセンスも最高。彼らのプレイを聴いているときは、ジェットコースターに乗っている気分になる。途中で帰りたくても帰れないんだ(笑)。

子供たちを正しい道に導くためにあなたに是非話して欲しいことなんですけど(笑)、EDMとDJハーヴィやマンキューソとはどこが違うと思いますか?

BJL:残念だけど、違いはたくさんあるね(笑)。

(一同笑)

BJL:思うに一番大きい違いはこうだね。例えばさ、どんな時代でも偉大な芸術家になるためには、自分が使う媒体の歴史を理解しなきゃいけない。もし画家だったら、描くことについてたくさん知っていれば、よりよい画家になれる。歴史の全てを知っている必要はないけれど、それを認識してなきゃダメだよね。最近流行っているEDMみたいなのをやっている人たちはデヴィッド・マンキューソやパラダイス・ガレージさえも知らないよ。彼らは自分自身についてしか興味がないし、そこにはルーツや歴史が欠如しているんだよ。
 EDM以降の新しいDJたちは本当にクリエイティヴなことをやっているし、彼らは自分たちが使う媒体の歴史を深く理解している。僕はそういうふうにプレイしなきゃだめだとは言わないけど、少なくとも認識はしておく必要はあると思うんだよね。マンキューソと同じようにやれっていうわけじゃない。ダブステップをやるんだったら、少なくとも彼がどういう人でどういうパーティをしていたか認識をしていたほうが良いっていうことだよ。

僕もその意見に賛成します。

BJL:ありがとう。

……ですが、他方で、歴史を知ることがそんなに重要なのかという考えもあります。なぜあなたは、歴史を知ることが重要だと思いますか?

BJL:たくさんのことが歴史から学べると思うんだ。自分の能力について、自分が何をしているのか、自分のアートフォームについてとかさ。過去を振り返れば、新しいもののどこが問題かにも気付くことができる。ただ、一番重要なのは、歴史との繋がりがなくなってしまうということだよ。これは音楽に限ったことじゃなくて、いまの世のなかのすべてに言えることだと思う。音楽において言えば、歴史の欠如が、ミュージシャンと音質やダイナミクスについての繋がりを断ち切っているんじゃないかな。歴史を知っていれば、そういうところに自ずと繋がっていくもんだよ。建築にしても、料理の作り方にしてもさ、いまは機械で大量生産しているよね? 歴史を学ばず、簡単に作れてしまう。そのせいで、最悪な料理を口にするようになったんだよ(笑)。

そうすることでボロ儲けている人がいるからなんでしょう。話は変わりますが、美しい歌声を持っていながら、もっと早い段階で、90年代にシンガーとして作品を発表しなかったのは何故なんですか?

BJL:アリガトウ。高校時代にバンドで演奏し、大学でもバンドをやっていた。それらのバンドでレコーディングもしたんだけど、2003年になるまで作品を発表する機会がなかったんだ。90年代はいまと音楽業界も違っていたからね。当時はレコード会社と契約しなければ作品をリリースできなかったから、iTunesにどんどん曲をアップするわけにもいかなかった。だから歌ってはいたけど、リリースに至らなかったんだ。90年代には3つのバンドに在籍してデモテープも作っていたけど、発売することはなかったね。

なるほど。あなたは自分で、自身のキャリアについてどう思っているんですか?

BJL:まあ、そうだよね(笑)。そりゃ、90年代のときから音楽を作りたかったし、挑戦はしていたよ! 自分のバンドもあったし、ギグもこなしていた。デモを作って、曲を書いてさ。だって、それがやりたいことだったからね。実はいくつかのレコード会社と契約する機会はあったんだ。でも、レコード会社が僕たちのことをコントロールしようとしていたから断った。会社はなんでもやろうとするし、取り分とかもおかしかったからさ、「結構です。全部自分でやりますよ。」って具合にね。
 だから、僕は、結局、自分のレコードを自分で録音して、自分でリリースもしたし、自分でアートワークもやったよ。僕はすべてを自分の力でやった。ショーのプロモーションとかもね。そうやりはじめて7年になるけど、そうしたら自分のバンドが人気になって世界に出れるようになった。だから質問の答えは、僕のキャリアは長くて険しい道だった、ということだね(笑)。やっと自分の音楽をリリースできるようになって、ツアーもできるようになったから、とても楽しいよ。

ビン・ジ・リンはアイスクリームという意味ですが。あなたの音楽はまさにアイスクリームのように甘い音楽だと思います。

BJL:ワオ。ありがとう!

なんでアイスクリームという意味の名前をつけたんですか?

BJL:実は自分で名付けたわけじゃなくて、上海にいたときにみんながビン・ジ・リンって呼ぶようになったんだ。上海で最初にライヴをしたときに、「なんていう名前なの?」って聞かれたんだ。だから本名の「クィン」って答えたんだ。そしたらさ、「え? クリム? クリームっていう名前なの? アイスクリーム?」って彼女は言ったんだ(笑)。「違うよクィンだよ!」「えっ、クリーム? アイスクリーム? ビン・ジ・リン?」こうして、僕はビン・ジ・リンと呼ばれるようになったんだ。それから上海を歩いていると「ビン・ジ・リン元気~?」って言われるようになったよ。

(一同笑)

BJL:それでサンフランシスコに戻ってこのアルバムを作りはじめたんだけど、そのときにビン・ジ・リンっていう名前を使おうと思った。

今回のアルバムでドナ・サマーの“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”をカヴァーが意外だったのですが、そのカヴァーについてのコメントをお願いします。

BJL:そうだよね(笑)。子供の頃からずっと聴いていて、素晴らしい曲で大好きだったんだ。それと、ループペダルで曲を作ることが好きで、あの曲のフレーズ(口ずさむ)を使おうと思ってたんだ。それをライヴでやろうと思ったのが、ドナ・サマーが亡くなった日だったんだけど、その日はダンス・ミュージックが好きなオーディエンスもたくさん来ていて、その日はエモーショナルになって、みんなで合唱したよ。それからその曲をよくプレイするようになった。クロアチアに行ったときも、イギリスに行ったときも、ダンス系のイベントだったらその曲をやると、みんなが楽しんでくれたね。

なるほど! 聞いてよかったです。ありがとうございました!

BJL:ありがとう!

interview with DEXPISTOLS - ele-king

 すべてはわかってやったことだった。ハウス・ミュージックが完璧に息を吹き返したこの1~2年だが、DEXPISTOLSの登場は、ハウス・シーンが衰退した2000年代なかばに遡る(ハウスのDJの多くが、ミニマルを漁りはじめた時期である)。この頃のダンスのメインストリームに躍り出たのは、エレクロト/マッシュアップ、そしてアンダーグラウンドではディスコ・ダブ/コズミック・ディスコだった。そのいっぽう、ダブステップはピークへと進み、実験的なデトロイト・ハウスは着々と支持を広げながら、そして10年前には威勢の良かったダンサーたちやDJもいい年になって酒を飲むと愚痴を言うようになった。

 以下の取材で、僕は「気取った90年代」に対する「下世話な2000年代」という喩えを用いているが、DEXPISTOLSは、エレクロトやマッシュアップと同様に、「下世話な2000年代」の象徴的な存在だと言える。DJ MAARもDJ DARUMAも90年代のアンダーグラウンドの生き証人──気取った90年代の、筆者と同じ、どちらかと言えばナードなクラブ・カルチャー出身で、とくにDJ MAARの幅広い知識とダンス・ミュージック史への理解を考えればDEXPISTOLSは確信犯だった、と言える。
 1985年、オールドスクール・エレクトロのマントロニクスが「ゲット・ステューピット」(バカになれ)と言ったことで、深刻さにドン詰まったポストパンクにダンス・カルチャーの火をつけたという言い方ができるなら、DEXPISTOLSは2005年に同じことをやった。シーンに居座る年上連中の愚痴には耳を傾けず、若いエネルギーに共鳴しただけのことである。


DEXPISTOLS
LESSON.08 "TOKYO CULT"

エイベックス/tearbridge

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 「バカになれ」は重要だ。が、それだけでいつまでも突っ走ることはできないし、何かにつけて「バカって最高、ぎゃははー」などと言っている人は信用できない。DEXPISTOLSは、自分たちが成功したときのやり方を繰り返さなかった。新しいミックスCD『LESSON.08 TOKYO CULT』には、彼らのシリアスな面──ダンス・ミュージックへの愛情と寛容さ、シーンにおける彼らなりの開拓精神が見える。
 DEXPISTOLSは、ダンス・ミュージックにラップをノせる、80年代後半で言うところのファンキーなヒップ・ハウスを現代的に展開する。今作では、ベテランのDABOをはじめ、若手のOHLI-DAY、JON-E、KOHH、KICC、K.A.N.T.Aらラッパーをフィーチャーしている。CDは、〈ナイト・スラッグス〉系のベース・ミュージックにはじまり、ハウスやテクノがミックスされる。日本の若手トラックメイカーの作品を積極的に取りあげているのも今作の特徴だ。

 3月某日、エイベックストラックスの部屋のなかで我々は会った。最新の紙エレキングを渡すと、表紙に載っているシミラボのメンバーが自分たちの作った服を着てくれていることに喜ぶ。「うーん、シミラボはやっぱ素晴らしい」を口火に、DEXPISTOLSについておよそ2時間話した。DEXPISTOLS誕生前の話、ダフト・パンクと〈エド・バンガー〉への深いシンパシー、ダンス・ミュージックに対する彼らの考えを包み隠すことなく語ってくれた。


マッシュアップのときにふたりでやりはじめて、エレクトロのときに波が来るのがわかったんで、「ここで俺らやんないと!」って意識がすごくあったんですよね。まわりを見渡したときにジャスティスが「ヤバい」って言ってるDJがひとりもいなかったし。

DEXPISTOLSがシーンで出てきたのって2000年代ですよね。

DJ DARUMA:思いっきりそうです。2005年過ぎてからですね。

DEXって、そもそもどのように生まれたのでしょう?

DARUMA:えっと、もともと友だち同士で、先輩がいっしょなんです。ゲインズ(Gaines)という双子のDJ/トラックメイカーがいまして。僕はダンサー時代の繋がりでゲインズと友だちで、MAARが彼らと地元、小学校がいっしょで。

地元ってどこですか?

DJ MAAR:地元は国分寺なんですよ。

DARUMA:先輩のダンス・チームの音を作っていたのがゲインズだったりしたので、ちょっと繋がりがあったんです。その流れでMAARとパーティがいっしょになるタイミングがあったんですよ。違うフロアでDJやってたりとか。で、現場を介して繋がりがすごくあったんです。そういう時期があって……ミッドナイト・ブラスターが一番最初だっけ? DJクルーみたいなのでミッドナイト・ブラスターっていう、先輩たちが筆頭となったDJチームみたいな、ROC TRAXの原型みたいなものがあって。で、そのとき2メニーDJズがちょうど出てきたときで……。

一時期、よく比較されましたよね。

DARUMA:あとM.I.A.とかああいうのが出てきて、ダンス・ミュージックが新しい方向に動きはじめていましたね。そのとき2メニーDJズのミックスCDが出て、タワーレコードで僕が買ってすごく面白いなと思って。それまでテクノとかハウスとかヒップホップとかポップとか、線引きすることの美学が世のなかで普通のものとされていたのが、それを聴いたときに昔の自分の音楽の聴き方にすごく近いっていうか。中学生のときの、テクノもハウスもヒップホップも全部聴いてる感じに近い気がして。

あれは出たとき(2002年)、新鮮だったよね。カイリー・ミノーグやヴェルヴェッツ、ストゥージズからELPまで入っててね(笑)。

DARUMA:僕は、基本的にはヒップホップの現場にいたんですね。で、MAARはテクノ、ハウスの現場を拠点として、ヒップホップのほうを見たりとか。同じような感じで育ったんですけど、いたシーンとしてはふたりとも違った。で、そこを経てきて大人になって、ある程度いろんな物事がわかってきたときに、ふたりで何かいっしょにやったら面白いんじゃないかなと思ったんです。2メニーDJズのミックスCD聴いたときに、「これ、俺らもできるな」と思ったんですよね。それでMAARに「何かいっしょにやらない?」って言って、〈アゲハ〉の2階で話していっしょにやらないかって言ったのがはじまりなんです。

2メニーDJズのころって、マッシュアップものが海賊盤で出回ったりした頃だよね。ああいうものは、ダンス・ミュージックが深刻な方向に行き過ぎてたころに、何でもアリを極めたし、ちょっとバカっぽい感覚を取り戻したっていうね。

DARUMA:はい、マッシュアップ・カルチャーっていうのが世のなかにすごく出てきてましたね。

「自分たちの出番だ!」って感じでしたか?

DARUMA:んー……いや、単純に面白いなって思ったのと、「できる、これ」みたいな感じがけっこうあったんですよね。混ぜてやったらすごく面白いんじゃないかなって。すごく刺激的だったんですよね。そこに新しいものを感じたっていうか。

勝負のときだって感じだった?

DARUMA:勝負のときだと思ったのはじつはもうちょっとあとで、いわゆるエレクトロみたいな兆しが見えはじめたときですね。マッシュアップの次に、フランスから、(ダフト・パンクのマネージャーだった)ペドロ(・ウィンター)が主宰する〈エド・バンガー〉が見え隠れしはじめた時期で、最初〈ヘッドバンガーズ〉って名前で活動してて。「フランスの〈ヘッドバンガーズ〉っていうサイトが超ヤバい」みたいな。

MAAR:ペドロのマネージメント・オフィスが〈ヘッドバンガーズ〉だよ。たしか。

DARUMA:それでサイトみたいなのに、手描きでカシアスの部屋があったり、ダフト・パンクの部屋があったりして。どうもこれら周りのマネージメントをしてるやつがやってるクルーらしい、みたいなことがわかってきて。そこに1分半ぐらいの粗い画像の動画が上がってて、それがジャスティスの“ウィ・アー・ユア・フレンズ”だったんです。ロックでもテクノでもないその音楽で、フロアが大合唱してるのを見て、「これはすごいことが起こってる」って、そこの時点ですね。「これは俺たちが日本でやらなきゃいけない」って思ったのは。そこで俺たちの番が来たって。

MAAR:しかもそれ、いちばん最初〈ジゴロ〉からライセンスされてるじゃないですか。

時代の向きが変わる時期だったよね。

MAAR:8年ぐらい前じゃないですか。05、06年ぐらいですね。

ペドロっていうとダフト・パンクを売った人だけど、DEXにとってはダフト・パンク以降っていうのが大きかったの?

MAAR:思想が込められたいろいろな音楽があるなかで、ダフト・パンクって、もっと自由っていうか、「言っても俺、まあまあいい家に生まれてきちゃったけど、レイヴ・カルチャーもURも好きだし、スケボーもやったりバンドもやったりしてるし」っていうスタンスだったと思うんです。で、2メニーにもそういう自由さがあった。ベルギーに俺ら行ってみてなんとなくわかったんですけど、そこまでコアなクラブがあるわけじゃなくて、ああでもしないと盛り上がらないんじゃないかって、たぶん(笑)。

あのぐらいやらないと、まわりが自分たちのほうを向いてくれないっていう(笑)。

MAAR:彼らはラジオをやってたっていうのも大きいだろうし。逆に言ったら、そういうリスナーのほうが現代では多いじゃないですか。背伸びしなくてもやれる脱力感的な。昔みたいに、ハウスだったらゲイ・カルチャーの虐げられたなかでの多幸感とか、URの退廃的なインダストリアルのなかから生まれたものとかでもなくて。

ただ、音楽的に言うと、ダフト・パンクはディスコ・クラシックやガラージに対する憧憬がすごく強いでしょ。ニュージャージーのロマンソニーという、玄人好みのガラージといっしょにやってるくらいだから。

MAAR:「ダ・ファンク」よりも前のシングルで「ザ・ニュー・ウェイヴ」っていうのは、じつは140ぐらいの変なテクノだったりしてて。たぶん、その頃彼らはレイヴに行ったりしてて。お父さんがディスコのプロデューサーなんですよね。ヤマスキっていう、最近みんな掘り出してるあれを作ったプロデューサーだったりして。たぶんその辺のレコードが家にあって、そういうのを聴きながら……ほんと、ダフト・パンクって脱力のはしりなんじゃないかって(笑)。

脱力って言葉が適切かどうかはわからないけど(笑)。個人的に、ダフト・パンクがすごくカッコいいと思った瞬間は、90年代後半かなー、彼らはボウズでさ、マスターズ・アット・ワークみたいなガタイのいい人たちに囲まれながらDJやってる写真があるんだけど。あれは良いと思った(笑)。ごっついNYのハウスのDJに囲まれてさ、ちっちゃいフランス人が。

MAAR:知ってます。若い面白いのが出てきたって感覚だったんでしょうね。

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10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして。

でもMAARくん、話戻すとさ、2メニーDJズって、ダフト・パンクと違って、ほんと根無し草じゃん。

MAAR:たしかに。

ダフト・パンクは戻れる場所があると思うわけ。マスターズ・アット・ワークとかさ、ディスコ・クラシックとかさ、自分たちのアイデンティティを表明してるじゃない。2メニーDJズっていうのは何でもアリだけど、つまり何でもアリが故に「お前ら何だ」って言ったときにほんとに何もないから。ダフト・パンクと2メニーDJズはやっぱり違うよ。

DARUMA:なるほど。

DEXPISTOLSの出方っていうのはどっちかって言うと、2メニーDJズに近かったのかなって俺は思うんだよね。MAARくんはさ、90年代のアンダーグラウンドをけっこうリアルに経験しているでしょう。東京のクラブ・カルチャーの栄光と衰退の歴史を、間近に見てるわけじゃない?

MAAR:〈マニアック・ラヴ〉も含めて(笑)。

〈マニアック〉にも関わってたの?

MAAR:〈マニアック〉が出来てすぐぐらい、木曜日にじつはやってたんですよ、マセくんと。俺19ぐらいですね。

へー、俺ら、絶対に店内ですれ違っているね。

MAAR:いっつも店長さんに「全然ひと入んねーな」って言われて、「すいません、すいません」って謝ってて。「やる気あんの!?」とか。けっこう怖かったす(笑)。

はははは、それ何年ぐらい?

MAAR:だから20年ぐらい前ですよ。〈マニアック〉って最初、内装が白でできたじゃないですか。で、2年目か3年目に黒になったんですよ。要は最後までそれになるんですけど。黒になってすぐぐらいですね。

俺も出来たばかりの頃からずっと通ってたんだけど、必ず朝まで必ずいてさ。

MAAR:俺もあれ行きました。「すげーゾンビがいっぱいいるー」とか言いながら。

ハハハハ。そのなかのひとりが俺だったかもね。

MAAR:94年、95年ぐらいですかね。

そのころDARUMAくんはダンスを?

DARUMA:そのときは完全にダンスですね。いわゆるNYのヒップホップにぐぐーっと行ってるときですね。僕は六本木を中心に遊んでて、週末は〈ドゥルーピー・ドゥロワーズ〉に毎週行ってました。3時ぐらいになると(近所のヒップホップ系のクラブの)〈サーカス〉が終わって流れてくる大人たちがけっこういたんです。そこから選曲もけっこう濃くなっていくんですよね。

MAARくんが〈ゴールド〉に関わったのはもっと早い?

MAAR:俺が18のときですかね。2、3回メインフロアでやらせてもらったらもうお店が閉まっちゃったんですよね。

そもそもクラブ・カルチャーを好きになった理由は何だったの?

MAAR:高校のときに雑誌読んで──「うわー行ってみてー!」と思いました。先輩に「連れてってください!」って言って、連れて行ってもらった〈ゴールド〉が、ど平日だったんですけど、もう衝撃的すぎましたね(笑)。聴いたことねー音楽かかってるし、ていうか「なげーこの曲!」みたいな。「いつ終わるんだよ、4時間経ってるし!」って(笑)。つないでるのを1曲と思ってました。しかも歌入ってこねーし、って。カッコいいひといるしキレイなお姉さんいるし、「ここは楽園か!?」と思ってましたね。

はははは。

MAAR:でも、まだ10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして、しょうがないからジュリアナのひとたちをずーっと見て、「すっげー車、これどうやって乗るの?」みたいなことを言ったり。で、川原で酒飲んでゴローって寝て、いちおう1時間交代ぐらいで店員が変わるからもう一回行ってみて(笑)。それで入ると、一回飛ばした店員に見つかって「お前ら入ってんじゃねーよ」ってまた出されて、繰り返し。そのうち知り合いも多くなってくるんですけど。知り合っても「お前ら未成年だからダメだよ」って言われてしまったりね。
 〈リキッド〉もよく行きましたね。それこそジェフ・ミルズの来日DJはものすごかったですね。会場に入って、バーには誰もいないから、「全然がひとがいねー。ジェフ・ミルズってそんなに人気ねーのかなー」って思って、ドアをグッと押しても開かなくて、「うおー!」って開けたらパンパンだった。そんなの初めて見た。で、あの人がクネクネしながらエライコッチャなDJしてて、「事件!」って友だちと言ってました(笑)。

はははは。

MAAR:「大変なことが起きてる!」みたいな。〈リキッド・ルーム〉ではバカみたいに踊りましたねー。マスターズ・アット・ワークのときもオープンからラストまで8時間踊ったり、ベーチャン(ベーシック・チャンネル)来たときもずっと踊っていました。

そういう風に、いろいろな現場をリアルタイムで見ることはできたものの、自分たちがいざ「出て行きたい」ってなったときには難しかった?

MAAR:そうっすね。リミックスとかもちょいちょいやってたんですけど。EMMAさんのミックスCDに入れてもらったりしてるんですけど、そこからとくに展開もなく。ハッて気づいたら、「やべー、テクノ・ブームに乗っときゃ良かった」と思って。KAGAMIくんが同い年だったんです。専門学校がいっしょで、その頃はお互い全然知らないんですけどね。「そっか、そういう手があったか」と思って(笑)。で、サンプラーで一生懸命曲作って聴かせても、ハウスの先輩たちは誰も反応してくれなくて(笑)。

いまでこそハウスとテクノの垣根が崩れたけど、当時はものすごい壁があったもんね。

MAAR:いまはもうテクノがハウス化してるし、ハウスがテクノ化してるし。

90年代っていうのはふたりにとってどういう10年間だったんですか?

DARUMA:青春時代ですね、完全に。基本的にはお金なかったですけどね。で、あるとき「俺ダンサーとしてやっていこうかな」って人生を考えたときに、ダンスでご飯食べていくって言っても、ダンス・スクールか、誰かのバック・ダンサーになるか、振りつけ師になるかしか、基本的には見えないんですよね。で、僕ダンスすごく好きなんですけど、ダンス上手くないんですよね。

はははは。

DARUMA:でも僕は、ダンスにヒップホップを感じていたんですよ。あのころのダンスは、いまのスポーティなダンスとは違ってましたから。
 で、じゃあダンスで、僕のスキルで果たして食っていけるのか、って。自分はダンスで食っていくことはできないと。結局、アンダーグラウンドに僕はステイして、ダンスとDJを続けて、あとファッションが好きだったんで洋服を勉強しているうちに、MAARと出会うって感じなんですよ。

かたやMAARくんだけど、〈マニアック〉の木曜日に回してたときは、けっこう悶々と回してるわけでしょう?

MAAR:悶々と回してますね。21から25ぐらいまでかな、「もうやってらんねーや」的な気分になって、クラブのDJやらなかった時代もありますからね。「ダメだなこれ」と思ったことがありました。ちょうど“アラウンド・ザ・ワールド”とかをかけてた頃ですね。で、いちどクラブの現場から離れて、それで曲をしっかり作ろうと思ってたんですけど。
 曲作りは19ぐらいからずっとダラダラやってます。いまいち自分のスタイルが出来なくて……じつはしっくり来るようになったのは超最近なんですよ。曲を作るのが面白くなってきたのが。これ(今作)をマスタリングしたときに、けっこういいスピーカーで何回か聴いてて、「なるほど」っていろいろ気づくことがあって。最近、楽器も練習し直してて。

DJの世界ってさ、たとえば10代の頃にデビューしたDJがトラック・メイカーとしては40代でデビューすることって、意外とあるんだよね。

MAAR:リカルドとかもファーストEP見ると20代半ばぐらいだし。たぶん、自分が楽器を弾けないからDJをやりはじめたっていうのもあるんだと思います。でも、いまは逆だったりして、楽器バリバリ弾けるのに打ち込みやっちゃうジェイムス・ブレイクとか。けっこうね、いい迷惑だったりするんですけどね(笑)。

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べつに暗いものが高尚だとは思わない、でも、やっぱりオリジナリティが欲しい……それがオリジナリティか変な音楽かはひとそれぞれなんですけど、俺は毒があって癖があるものが、すべてにおいて好きなんです。

なるほど(笑)。話を戻すと、ふたりとも90年代のクラブ・カルチャーを通っているんですね。で、2000年代に入って、2メニーDJズやジャスティスみたいなものが出てきて、そしてDEXPISTOLSとなって世に登場する。で、俺は、2000年代のクラブ・カルチャーって、90年代に対する反省であったり、そういったものも含めてなんだろうけど、すごく下世話になったと思うのね。90年代っていうのは、良くも悪くもスノッブだったでしょう。良く言えばオシャレだったし、悪く言えばスカしてる感じもあったと思うんだよ。2000年代っていうのは良くも悪くも、下世話で、言うなれば、ヤンキー臭くなったという印象なんだよね。で、DEXPISTOLSってその象徴的な存在じゃない(笑)?

DARUMA:そうですね。お恥ずかしながら(笑)。

たとえばだけど、90年代のピチカート・ファイヴが2000年代になるとカプセルになるというように、2000年代は物事が下世話になったと思うんだよね。たとえば大沢伸一みたいなひとはずっと下世話なままでやっていけるひとなんだろうし、それはそれですごいと思うんだけど、いや、悪い意味じゃないよ。

MAAR:いや、でも俺それ、すげーわかります。2000年代の下世話感。

だってさ、アンダーグラウンドもヤンキーっぽくなったからね。精神論ばっかというかさ。DEXPISTOLSは、そういう意味ではまったくヤンキーではないんだけど、ただ、下世話なことを確信犯としてやってきていて、で、その下世話さだけでは満足できないように見えるんだよね。

MAAR:いろんなものが好きだっていうのは基本的にあるんですけどね。まー、ギリありっていうEDMもかけてますし、“ゲット・ラッキー”もかけてます。ただ、自分が大事にしてるのって、結局、場の空気感なんです。どういうひとがいて、どういうものがかかってて……まあ、どういうひとが集まってほしいかっていうのがデカいんですよ、自分的に。だから音楽が先行していないと言えばそうなんですけど、でも、好きな音で思想とか嗜好とかが近いひとたちが集まる場所がクラブだと思ってるんで。

スクリレックスにはなりきれなかった?

MAAR:初期はかけてたんで何とも言えないんですけど、あれの世界観をほんとに「カッコいいよね、これ!」って言ってるひとたちと俺は馴染めないってだけで(笑)。でもドッグ・ブラッドは、ガンガンかけてたり(笑)。

その引き裂かれ方、ていうか、「両方好きで何が悪い」って感じなのかな。

MAAR:べつに暗いものが高尚だとは思わない、でも、やっぱりオリジナリティが欲しい……それがオリジナリティか変な音楽かはひとそれぞれなんですけど、俺は毒があって癖があるものが、すべてにおいて好きなんです。映画も、ただ、ワー、ドッカーン、ハッピー、ブチュー、ラブー! みたいなものより、「……どういう意味だったんだろうな、これ?」っていうほうが好きでですね。音楽もそういう感じがいい。
 何だろうな、喜怒哀楽の外側に持って行かれるものすべてに興味がある。バーンってぶつかったら痛てーし、肩ぶつけられたらイラッとするし、女の子のパンツ見えたらウォーってなるし。そうじゃない何か、踊っててもどこか掴まれるもの。要はディープ・ハウスでもテクノでも、それを聴いたときの快感がヤバくて。日常に落ちてねーやってところでクラブに行ってたから。あまりにも日常的な感情だけをボンって出されると、「これだったら家でゲームやっててもいっしょだな」みたいな(笑)。

なるほどね。

DARUMA:たぶんエレクトロのヤンキー的な感覚のままもし行ってたら、僕らはガッツリEDMのトップ40とかもガンガンかけるようなDJになっていく流れだったと思うんですけど……。

そうなの(笑)?

DARUMA:DEXPISTOLSをやってるときから一般的にはそういう風に見られてるんだけど、だけど、すごくいろいろなことを掘って僕らのことを見てくれているひとは、「アイツらはそういう感じになってるけど、そうはなってないギリギリ感があるからアリ」って思ってくれてて──

MAAR:乳首の話だ(笑)。

DARUMA:乳首見せてないから、アリっていう風に思ってくれてるひとがなかにいて。その乳首は絶対に見せないって感じのところが僕らのなかで共通項としてあるから、今回もこういうミックスCDになってるんじゃないかなって僕は思うんですけどね。

うん、ふたりを見てると、それは本当にそう思いますよ。たとえば、『Lesson.04』を出した頃っていうのは、世のなかに一発お見舞いしてやりたいっていう気持ちががこめられてたと思うのね。で、『Lesson.05』を出して、そのまま続けることはできたと思うんだけど、ある意味、そこで踏みとどまってる……でしょ?

MAAR:ルー・リードの「ワイルドサイド」の歌詞じゃないですけど、ワイルドサイドを歩くと変人に当たるっていう(笑)。俺は、ゲットーに生まれたわけでもないし、恵まれた家にも生まれたわけでもないけど。父親は、大阪のゲットー生まれで、母親は、ワイルドサイドを渡り歩いてきた人でしたけどね。いろいろあって幼少期、家庭環境は劣悪そのものだったり(笑)。とにかく俺にとっては、リアルってものがしっくり来る。でもね、やりきってお金持ちになっててもそれはそれで違ったのかなとも思うんですけど(笑)。

はははは。

MAAR:でも結局やりきれない自分がいるんで。どこかカッコつけたがりだし、ビビりだし。とはいえ踏みとどまったって、音楽でガッツリお金稼いでとんでもない生活してるひとたちもいるんですけどね。目指すのは茨の道ではあるとは思うんですけど、そういうほうが俺には心地よく思える。友だちがいいこと言ってて。「アンダーグラウンドっていうのはジャンルとか音楽的なものじゃなくて、生き様だ」って。俺もそう思うんです。

要するに、DIYってことだよね。だからね、90年代にもいいところはたくさんあってさ、たとえば当時のクラブでクライマックスにかかった曲は、オリコン・チャートでは出ない曲なんだよね。「ヒットする」っていう意味にもうひとつべつの回路を作ったのがクラブ・カルチャーっだったわけで、みんな知ってるヒット曲をかけるのがDJじゃないから。EDMというか、いまのレイヴ・ミュージックって、アメリカでは中高生の音楽なんで、俺がとやかく言うスジでもないんだけど、ダンス・カルチャーという観点で見たときのがっかりさをひとつ言うと、結局は、ヒット・チャート的な価値観に回収されているというか……。ダンス・カルチャーのオルタナティヴ感をすっかり無くしているところなんだよね。

MAAR:たしかに、〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉はアンダーグラウンドでしたね。まあ、レコードとかクラブ・ミュージックって、昔はきちんとショップに行かないと買えなかったじゃないですか。でもいまって、クラブ・トラックがエクスクルーシヴなものじゃないんですよね。iTunesで買えるし、YouTubeでも聴けるし。ある意味ですべてがエクスクルーシヴではないんですよね。
 若い子たちってすべてを怖いぐらいにフラットに見てて、ラップもやればアニメも大好き、みたいなやつも平気でいたりとか。この前〈レッドブル・アカデミー〉の〈ヴィジョン〉の試写会行ったら、すげーコンサバなお姉ちゃんが帰り際電話でビートについて誰かと熱く語ってて、「あーもうすぐ作りたいわー、曲」みたいな。「どんな時代?」と思って。

はははは。

MAAR:ある意味すべてがフラットになっているでしょう。クラブ自体がエクスクルーシヴな場所じゃないし。とはいえみんな、世界中のエクスクルーシヴな場所を一生懸命探して、いまだとベルリンに集まってたりとかしてるんでしょうけど。それからルーマニア・ハウスが盛り上がってきてたりとか、メキシコが盛り上がってたりとか。南米の4つ打ちいま面白いですもんね。

東欧と南米。北欧から東欧に行って、南米行って(笑)。

MAAR:北欧ありましたよね! ちょうどおとといルオモ聴いて、これカッコいいなって思ってました。

EDM……っていうか、現在のクラブって、大きなところは、90年代初頭で言うところのユーロ・ディスコ化しているよね。まあ、いいんだけどさ。

MAAR:あれですね。ボン・ジョヴィとかに近いですね。もう。

しかし、MAARくんは本当に詳しいよね。世間的にはそういうイメージないけど……。ところで、DEXPISTOLSにとってベース・ミュージックっていうのはどういうものだったんですか?

MAAR:俺は、いちダンス・ミュージックっていう以外の捉え方はしてないんで。たぶんロックかけてたときも踊れるか踊れないかが基準なんですよね。

〈ナイト・スラッグス〉のTシャツ着てるからさ、今日。ガール・ユニットの曲も今作には入ってるしね。俺も好きですよ、〈ナイト・スラッグス〉。

MAAR:ガール・ユニット(の曲をCDに)入れたから着てこようかなと(笑)。ただ、「括られちゃったらいやだなー」っていうのはある。野田さんもメールに書いていていたけど、ベース系の世代の子たちが4つ打ちやりだしているのも、現場行ったら「踊らせたい」っていうことだと思うんですよ。

最近の、その4つ打ち回帰はどう思う? 血気盛んな10代を相手にしているとはいえ、EDMがブローステップからトラップへと、ちょっと凶暴な方向に進んでいるんで、ピースなヴァイブを求める大人はあらためてクラブを重んじるんだろうし。

MAAR:まあ当然そうなりますよ。やっぱクラブでギグ増えてきたら、踊らせなきゃって思うだろうし、作ってるとだんだん、4つ打ち、シカゴ・ハウスが何だかんだ言って「やべー、これ完成されてる」ってなりますもんね。4つ打ちって、結局、帰ってきちゃう場所だと思うんですよ。

言い方を変えると、いまハウスが一番ヤングの音楽なんだから。ケリー・チャンドラーとかマスターズ・アットワークがね。

MAAR:ディスクロージャーとか……。でも、クラブ・ミュージックにおいては、テクノ、ハウスって、もう世界的に確立したものではあると思うんです。何だかんだ言って一番踊りやすいっていうシンプルさではじまっちゃってるんで。そこに戻ってくるとは思うし、結局そのシンプルななかで何かやるっていうのが難しいわけだし。

まあでも、2年前ならトッド・テリー(ハウスのリジェンドのひとり)とか、DEXのミックスCDには入らなかったと思うんだよね。

MAAR:たしかにそうですけど、じつは俺らの『Lesson.02』か何かで──。90年代ハウスのミックスを作ってたりするんですよ。

それいま出したら売れるよ(笑)。

MAAR:90年代のハウスとか、ボム・ザ・ベースとか、ああいう80年代90年代にクラブで聴いてたものを超エディットして、30曲ぐらい入れてるんだよね。あれはすっげーBPMを下げて出したらヤバいかも。

DARUMA:うん。でもあれはあれで面白い。一生懸命やってるんですよね、なんか。

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俺に立ち返るところがあるとしたら、パーティです。パーティにはたぶん、一生戻るんです。そこに何がかかってるかは、その時代ごとでわからないけど。でも、自分の帰るところはパーティですね。

さっきから話しているけど、本人たちの引き出しはこれほど多様なのに、DEXPISTOLSはエレクトロで売れたから、一般的には、いまだにそのイメージが強いよね。

DARUMA:そうですね。で、マッシュアップのときにふたりでやりはじめて、エレクトロのときに波が来るのがわかったんで、「ここで俺らやんないと!」って意識がすごくあったんですよね。まわりを見渡したときにジャスティスが「ヤバい」って言ってるDJがひとりもいなかったし。たんなるノイジーな、わけのわかんない音楽っていう認識だったとたぶん思うんですけど。ジャスティスが、っていうか〈エド・バンガー〉が出てきて、「東京から俺らがここに乗っかってやるぜ」っていう意識はすごくありましたよね、やっぱり。

ロラン・ガルニエも〈エド・バンガー〉のことは評価してるもんね。

MAAR:忘れもしない、だってジャスティスのあのシングルが出る前に──。

DARUMA:「ウォーターズ・オブ・ナザレス」?

MAAR:うん。当時〈シスコ〉のハウス店にいた西村(公輝)さんがすんごいニンマリした顔で、「好きそうなの出てきちゃったよー」って言って、聴いたのがあれで。

へー(笑)。

MAAR:でもよく見たら、〈ジゴロ〉から出てる「ネヴァー・ビー・アローン」(2004年)とか俺持ってて。「あーこのひとなんだー」と思いましたね。最初みんなに聴かせても全員ハテナ出されて。「ビービー言ってるね」って。DARUMAくんすら最初ハテナだったから(笑)。

DARUMA:俺は〈ラ・ファブリック〉で、トレヴァー・ジャクソンと2メニーDJズのお兄ちゃんとペドロがバック・トゥ・バックでやってたのを見たことがあるんです。そのときは、俺、全然わかってなかったんですけど。そこでペドロがジャケット見せながらかけてて、それがノイジーすぎて理解出来なくて。サウンドの質感は違うけどウータン・クランとか最初聴いたときの異物感に近かったっていうか。

MAAR:で、俺サウンドチェックとかで聴いてると、大体PAのひとがバーって走ってきて、「これこういう曲ですか?」って毎回言われるっていう(笑)。

ジャスティスはその後、アメリカですごくウケたよね。

MAAR:ヘヴィメタですもんね。

あれがアメリカのいまのレイヴに与えた影響ってデカいのかなあ?

MAAR:デカいと思いますよ。暴れりゃ勝ちでしょ、みたいな。ジャスティス自体はほんとは音楽性が高いんですけどね。サウンド処理とかじつはとんでもないことやってて。あれぐらい音のトレンド自体を変えるひとたちはいないと思ってるんですけど。あれはたぶん、〈エド・バンガー〉チームが作ったものではあるんですよ。

DARUMA:そうそう。ペドロの手腕ってところがあるよね、やっぱり。ソー・ミーのアートワーク含めて。

MAAR:第二のダフト・パンク作りたいですっていうのがね。

DARUMA:やっぱりあのエレクトロの波っていうのは、ペドロの功績が相当大きかったなっていう。

実際、ペドロが仕掛けたものだしね。

MAAR:ペドロって、若干20歳にして、〈クラブ・レックス〉に初めてマスターズ・アット・ワークを呼んだ人なんですよ。フランスのクラブにディープ・ハウスやテクノを持ち込んだひとりなんです。で、そこにダフト・パンクが遊びに来て、お互いマスターズ・アット・ワークが好きだったと。それが縁でマネージャーになったらしいんですよね。

いまのは、ダンス・ミュージック好きには良い話だね。

MAAR:最近〈エド・バンガー〉がサインしたボストン・バンとか、新しい、すげー遅いハウスなんですけど。なんとなく理解できるなと思って。

MAARくんは、さっきの自分のルーツは何なのか? っていう話の続きなんだけど、本当にそこはどう考えているの?

DARUMA:僕はそこはヒップホップです。

DEXがもし迷ったとき、立ち返る場所っていうのは?

DARUMA:僕個人のなかではヒップホップを感じるか、その1点だけなんですよね。そこがブレていくってことはこの先たぶんもうない。僕はきっとそこだと思います。だからベース・ミュージックっていうのも、トラップとかダブステップとか、ポスト・ダブステップとか言われているものも、ヒップホップ的な感覚で聴いてるところが僕はあるかな。

じゃあジェイムス・ブレイクはダメでしょ。

DARUMA:いや、好きですね。

はははは。

DARUMA:ジェイムス・ブレイクに僕はそういう要素を感じることがもちろんできるから。

MAARくんは?

MAAR:俺に立ち返るところがあるとしたら、パーティです。パーティにはたぶん、一生戻るんです。そこに何がかかってるかは、その時代ごとでわからないけど。

MAARくんが理想とするパーティっていうのはどういうもの?

MAAR:面白いひとがいるところですね。面白いひとがいる、刺激的な場所である、刺激的な音楽がかかってるっていうところですかね。最近は、モノを作るのがやっとほんとに楽しめるようになってきたんですね。でも、自分の帰るところはパーティですね。
 いま、世のなか的には右傾化してて……海外からは右傾化してる日本に対してけっこう警告されたりはするんですけど。ケータイもテクノロジーも含めてどんどんガラパゴスになっていってるって言われる。でも、かたや、日本人のスキルも上がって、海外の有名なDJを呼ばなくても良いセットを聴けるようになったし……、あまりにもDJがロック・スター化したシーンがあって、料理人だったようなものがロック・スターになっちゃって。ただ、パーティというのは、もっとトータルに見せるものだと思うんです。空気感だったり……。

70年代のNYなんか、ある曲がかかると冷房入れるとかさ(笑)、そこまで考えていたそうだからね。

MAAR:昔、イビサでけっこう有名なDJでガン踊りしてたら、隣で似た様にガン踊ってた外人に「今日のDJ、誰?」って訊かれて「お前、知らねーのかよ!」みたいな。それぐらいひとつの面白い空間として、DJが誰とか関係ないひとも音にこだわるひとも、そこに集まるっていうのが理想すね。

DARUMA:最近は、二極化してる感じしますよね。すっげーひと入ってる大バコがあって、EDM的な、トップ40的なものでみんながワッショイ盛り上がってるっていう現場。もう一方では、大バコ程は人は入ってなかったりするかもしれないけど、良い音楽があって、良い空気感のあるパーティもあって。同じクラブ・シーンのなかでも、まったく別のものとして存在していますよね。

そもそもヤンキー的な方向に行くのって、絶対抑えられないと思うのね。もうずーっと、欧米だってそうじゃない?

MAAR:ベルリンでもありますもん。EDMのクラブ。

UKだってそうだよ。でもクラブ・カルチャーっていうのはさ、実は、そういうヤンキー臭さ、下世話さも受け入れているところがじつは良さだとも言えるんだよね、矛盾しているようだけど(笑)。理想を言えば、誰もが自分を解放しなきゃ意味ないんだし。

MAAR:いや俺もほんとそう思います。ただ、昔はおっかないひとたちってけっこうカッコいい音楽掘ってたんですよ。俺の先輩とか、エンジニア・ブーツで革パン履いて革ジャン着て、背中にラリー・レヴァンのサインですからね。

最高だね。

MAAR:「これいつもらったんすか!?」って訊いたら「この格好でNY行ったときに10時間踊ってやったら、『ユーはシリアス・ダンサーだ』って言われてサインしてもらった」みたいな(笑)。で、ジャラジャラとクロムハーツとかつけてて。たぶんそのミックス感も、クラブだけで許されるような気が俺はしてて。

その猥雑な感じっていうのをDEXPISTOLSはすごく出してると思いますよ。

MAAR:それはヤンキー感が強すぎなんじゃないですか(笑)。

はははは! 言ったね(笑)。

MAAR:それは、もう、俺らの地元の問題なんですよ。

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最初はBPM140ぐらいで揃えようとしたんです。ポスト・ダブステップ的な、それこそ〈ナイト・スラッグス〉とか、そういうものにラップを乗せようっていう。でも、時代は動いたし、140だけで合わせるより、BPM100ぐらいのエレクトロニック・ミュージックも入れてみようと思った。


DEXPISTOLS
LESSON.08 "TOKYO CULT"

エイベックス/tearbridge

Amazon

ところで、今回の『Lesson.08』このLessonシリーズっていうのはダブルディー&スタンスキー(※サンプリング・コラージュとしてのヒップホップを強調した人たち)にあやかってやってるんでしょ?

DARUMA:ヒップホップの流れっていうのもあるし。

今回のCDは作ってる側からすると、どういうコンセプトで作ったの?

MAAR:でも、じつはこれ、繋いでないんですよ。いわゆるビート・ミックスってことはしてないんです。
 最初のコンセプトはミックステープ的に、ひとの曲にもっとラップとか歌とか乗っけたかったんですけど、権利関係で無理だったんです。で、いまはミックスだけだったらサウンドクラウドなんかでいくらでも落ちてるし。DARUMAくんがダンサーのショーケースの音源的に、小ネタ的をどんどん挟んで展開してくれてるのを最初作ってくれてラフで持ってきて。後半はビート・ミックスで、なんて言ってたんですけど、じつはその作業ってPCでやるとめちゃくちゃめんどくさいんですよ。
 前は俺、それ全部きれいにミックスしてEQも調整してやってたんですけど、めんどくさくてやる割にはまったく勢いがなくなるんですよ、聴いてて。「なんでこんなつまんねーんだ」ってなってて。昔はもうずーっと、何日間も曲を聴いて合わせてたんですけど、それでやってもカッコ良くないんですよ。で、DARUMAくんに「もうちょっと後半もそういう感じで作って」って言って作ってもらったんです。あとは俺もそういうのを付け足して、ちょっとエフェクトかけたりとか小ネタをまぶして。音量もある程度、気づいたらバラついちゃったんですけど、マスタリングでわざと突っ込んでもらったりと、か突っ込まない場所作ったりとかして。ほんとラフな感じが逆に面白いな、と思って。

選曲のコンセプトは?

MAAR:最初はいちおうダブステップっぽい感じだったんですよ。

DARUMA:最初はBPM140ぐらいで揃えようとしてたんですけど。じつはこの話が1年前ぐらいかもっと前から進行していて、ポスト・ダブステップ的なところからやってみようか、って言ってたんですよ。それこそ〈ナイト・スラッグス〉とか、そういうのを紹介するようなものにラップを乗せようっていう。140で合わせていったら、ケンイシイさんの“エクストラ”とかも、ダブステップの同じBPMのなかに入ってくるのが面白そうじゃない? って言って、140で揃えようとしてたんですけど。もうちょっとこう、時代が動いたっていうのもあるんで140だけで合わせるより、BPM100ぐらいのエレクトロニック・ミュージックの動きとかも出てきたりしてるので、そういうところも入れつつ、借りれたものを組み合わせていったら、こういう流れになったんです。結果的には僕たち的に面白いものになったなと思っていて。全然納得いってる。100パーセントではないにせよ、できる限りのことはやったかなと思ってます。

そうだね。あと、DEXPISTOLSのいままでのなかではいちばん渋いかなって思ったんですけど。

MAAR:あー、やべー。俺全然そういうの思ってなかった。俺けっこう派手だなと思ってたんすけど(笑)。人によっては、EDM枠かなって(笑)。最近俺が遊んでるところが地味だからかもしれないなー。

より、ディープにクラブよりって意味で、そう思った。日本人の曲をフックアップしたいっていうのは前からやりたかったことなんだろうけど、今回はそこも意識してやったのかなって。

DARUMA:でもそれが、無理して入れたわけでもないんですよね。昔は、無理してでも日本人のトラックも紹介したいっていうのがあったんですけど、今回が気づいたら多かった。それを並べてみたら「全然いけた!」みたいな。

ハハハハ。

MAAR:でも、音楽が売れなくて、震災もあって、っていう時代でそれでも作ってる若い子がいるってことはすげーことだと思うし。ほんとカッコいいです。気合入ってるし。

なるほど。

MAAR:モノを作るっていう意味ではとてもいい時代だとは思うので。ゆとり世代のぶっちぎり感ってすごいっす。

俺もそれは思う。25歳ぐらい、面白いよね。

MAAR:もうね、社会的な歯車としては一切機能しないんですけど、モノを作る能力だけは──

DARUMA:ヤバいんですよね。

MAAR:どうしたどうした、その自信? みたいなやつが多い。

DARUMA:ハハハハ。

じゃあ期待できるね!

MAAR・DARUMA:期待できる!

CONGO NATTY JAPAN TOUR2014 - ele-king

 「92年はどこにいた?(Where Were U In '92?)」が合い言葉となって久しい。92年とは、UKレイヴ・カルチャーすなわちジャングルが爆発した年です。私はその年クボケンと一緒にロンドンのレイヴ会場で踊っておりました。ジャングルのパーティで。
 で、ブリアルの新作にも如実に表れていたように、紙エレキングでも紹介したブリストルのドラムステップがそうであるように、ジャングル・リヴァイヴァル(そしてそのニュー・スクール)は、目下、UKのアンダーグラウンド・ミュージックの台風の目になっている。
 来る2月14日と2月15日、ジャングルの本場からシーンのパイオニアレベルMCことコンゴ・ナッティが来日DJを披露します。UKならではのサウンドシステム文化ばりばりの、迫力満点のオリジナル・レイヴ・ジャングル・サウンド、この機会をお見逃しなく!
 主催はいつもの〈DBS〉。2月14日(金曜日)は大阪CIRCUS。2月15日(土曜日)は代官山ユニット。「ジャングルってどんなもの?」って興味がある人たちにとっても気軽に入れるパーティです。
 来日を記念して、オーガナイザーの神波京平さんが「ジャングル・クラシック20選」を書いて下さいました。以下、ジャングルの歴史をおさらいして、コンゴ・ナッティの来日を待ちましょう!

■JUNGLE CLASSIC 20選 (神波京平・編)
1.CONGO NATTY - Jungle Revolution
[2013: Big Dada]
ジャングルのパイオニア、コンゴ・ナッティ/レベルMCの最新アルバム。オリジネイター達のMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスしたニュー・クラシック!
UK All Stars
2.TRIBE OF ISSACHAR Feat. PETER BOUNCER ‎– Junglist
[1996: Congo Natty]
レベルMCの変名リリース。レイヴ期から活動するシンガー、ピーター・バウンサーをフィーチャーした、まさにジャングリスト・アンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=yXVrwuJo-6Q
3.BLACKSTAR Feat. TOP CAT ‎– Champion DJ
[1995: Congo Natty]
これもレベルMCの変名。UK屈指のラガMC、トップ・キャットをフィーチャーしたビッグチューン。
https://www.youtube.com/watch?v=SPAPDltCrIA
4.Barrington Levy & Beenie Man ‎– Under Mi Sensi (Jungle Spliff Mix)
[1994: Greensleeves]
UKレゲエ・レーベルからレベルMCによる名作のジャングルREMIX。
https://www.youtube.com/watch?v=-YQX1jnFT0I
5.CONQUERING LION ‎– Rastaman
[1995: Mango]
メジャーのIsland/Mangoからジャマイカのビーニ・マンをフィーチャーしたレベルMCのプロジェクト。
https://www.youtube.com/watch?v=J8TRMgfb7aU
6.LEVITICUS ‎– Burial
[1994: Philly Blunt]
ウェアハウス/レイヴ期から中心的DJとして活動するジャンピング・ジャック・フロストのレーベルよりフロスト自ら手掛けたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=z5NMTyAuPMk
7.M-BEAT Feat. GENERAL LEVY ‎– Incredible (Underground Deep Bass Mix)
[1994: Renk]
10代からハードコアとラガをミックスしたジャングルの原型的サウンドを作ってきたMビートの全英大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=rQGUJ7KZ7hU
8.UK APACHI With SHY FX ‎– Original Nuttah
[1994: Sour]
Mビートの"Incredible"と共にラガ・ジャングルの代名詞となる、当時10代のシャイFXによる大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=ACCDZlLLV0I
9.POTENTIAL BAD BOY ‎– Warning (Remix)
[1994: Ibiza]
ラガ・サンプルと銃声等のSEでギャングスタ・ジャングルを完成したポテンシャル・バッド・ボーイの名作。
https://www.youtube.com/watch?v=uimZmQCptjE
10.PRIZNA ‎– Fire
[1994: Kickin' Underground Sound]
レゲエ・サウンドシステム直系のジャングル・コレクティヴ、プリズナがMCデモリション・マンをフィーチャーしたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=WApv8H5RzXQ
11.TOM & JERRY ‎– Maxi(Mun) Style
[1994: Tom & Jerry]
4ヒーローのジャングル・プロジェクト、トム&ジェリーの名作。4ヒーローならではエモーショナルなセンスが光る。
https://www.youtube.com/watch?v=af9hXricyv0
12.MORE ROCKERS ‎– Dub Plate Selection Volume One
[1995: More Rockers]
スミス&マイティのロブ・スミスがピーターDと結成したブリストル・ジャングルの中核ユニットの1st.アルバム。ソウルフル!
Your gonna
13.SOUND OF THE FUTURE ‎– The Lighter
[1995: Formation]
ハードコア期からFormation Recordsを主宰するDJ SSによるアンセム。フランシス・レイ作曲のイントロから一転爆発!
https://www.youtube.com/watch?v=R8jvWnXEGJM
14.FIRE FOX & 4-TREE ‎– Warning
[1994: Philly Blunt]
ロニ・サイズの変名リリース。トリニティ名義のディリンジャ、グラマー・ゴールド名義のクラスト等、Philly Blunt作品はどれも要チェック。
https://www.youtube.com/watch?v=qfMepn9dzn4
15.DEAD DREAD - Dred Bass
[1994: Moving Shadow]
アセンド&ウルトラヴァイブ名義でも知られるコンビによるハードコア〜ハードステップの名門、Moving Shadowからの重量ベース・チューン。
https://www.youtube.com/watch?v=Uj7EO2uVfDQ
16. DJ ZINC - Super Sharp Shooter
[1995: Ganja]
DJジンクの名を知らしめた爆発的大ヒット・チューン。DJハイプが主宰するGanjaはジャングル〜ジャンプアップの必須レーベル。
https://www.youtube.com/watch?v=bwX6d4wZcso
17.THE DREAM TEAM ‎– Stamina
[1994: Suburban Base]
ビジーB & パグウォッシュのデュオ、ドリーム・チームが名門Suburban Baseから放ったメガヒット!
https://www.youtube.com/watch?v=pNGddllF7AA
追記: ドリーム・チームはやがて自らのJoker Recordsからジャンプアップ・ジャングルの名作を連発。Joker日本支部のDJ INDRA氏から推薦の1曲。
THE RIDDLER - Rock 'n' Roll
[1998: Joker]
https://www.youtube.com/watch?v=nzuPL_W1j-Q
18.KEMET CREW ‎– The Seed
[1995: Parousia]
Ibiza Recordsと共に初期からアンダーグラウンドを牽引したKemetクルー。BMG傘下レーベルにライセンスされたアルバムからのカット。Jungle will never die!
https://www.youtube.com/watch?v=h8myXqa7J6c
19.REMARC ‎– R.I.P
[1994: Suburban Bass]
バッド・ボーイ・ディージェイの代表格、マッド・コブラのヒットを極悪ジャングルに再生したリマークの代表作。
https://www.youtube.com/watch?v=qMYAiVZ-vNQ
20.D.R.S. Feat. KENNY KEN - Everyman
[1994 Rugged Vinyl]
プロダクション・デュオ、D.R.S.がジャングルのトップDJ、ケニー・ケンと組んだディープ&ドープな傑作。
https://www.youtube.com/watch?v=vFLYMXU1C2k

JUNGLE REVOLUTION 2014!!! 最新作『ジャングル・レヴォリューション』でコンシャスな音楽革命を提示したジャングルのパイオニア、レベルMCことコンゴ・ナッティが実息コンゴ・ダブスを引き連れDBSに帰還! 2014年、Congo Natty Recordings創立=ジャングル音楽20周年のセレブレーション! Get Ready All Junglist!
JUNGLE REVOLUTION 2014.......ONE LOVE
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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2014.2.15 (SAT) @ UNIT

feat.CONGO NATTY aka REBEL MC
CONGO DUBZ

with.DJ MADD(Roots & Future, Black Box - HU), DJ DON, JAH-LIGHT, JUNGLE ROCK, PART2STYLE SOUND,

open/start: 23:30
adv.3500yen door 4000yen
info.03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com
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Ticket outlets:NOW ON SALE!
LAWSON (L-code: 78063)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/

渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP (5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2/14 (FRI) 大阪CIRCUS (問)06-6241-3822 https://circus-osaka.com/
       OPEN 21:00 ADV&MEMBERS: 3500/1d DOOR: 4000/1d
2/15 (SAT) 東京 UNIT (問) 03-5459-8630 https://www.unit-tokyo.com/
      
Total info〉〉〉 https://www.dbs-tokyo.com

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★CONGO NATTY aka REBEL MC
 ルーツ・レゲエを根底にヒップホップ、ラガの影響下に育ったレベルMCは、'80年代後半からスカとハウスのミックス等、斬新なブレイクビートサウンドで注目を集め、『BLACK MEANING GOOD』('91)、『WORD, SOUND AND POWER』('92)でジャングルの青写真を描く。また92年にボブ・マーリーの"Exodus"のリミックスを手掛ける。〈Tribal Bass〉、〈X-Project〉レーベルを経て、JJフロスト、DJロンと共にCONQUERING LIONとして活動、ラガ・ジャングルの中核となる。'94年にジャングル・ファミリーの母体となる〈Congo Natty〉を設立、自らもコンゴ・ナッティを称す。『A TRIBUTE TO HAILE SELASSIE I』 をはじめ、数多くのリリースを重ね、'02年にはMCテナー・フライをフィーチャーした『12 YEARS OF JUNGLE』を発表、初来日を果たす。'05年は足跡を伝える『BORN AGAIN』、'08年には入手困難なシングルをコンパイルした『MOST WANTED VOL.1』をリリースし、新世代のジャングリストを狂喜させ、レベル自らDJとして新たなパフォーマンス活動に乗り出す。
近年は息子のDJコンゴ・ダブス、ヴォーカルのナンシー&フェーベらファミリーも広がり、'13年にニンジャ・チューン傘下の〈Big Dada〉と電撃契約、待望の最新アルバム『JUNGLE REVOLUTION』(日本盤:BEAT RECORDS)をリリース、オリジネイターたちのMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスし、ルーツ・レゲエとジャングルのヴィジョンを深く追求する。レーベル名の"CONGO"はアフリカの民族音楽の太鼓、"NATTY"はラスタファリアンに由来し、彼らの音楽のインスピレーションは主にこの2つの要素から来ており、真のアイデンティティーはもちろんJAH RASTAFARIである。

https://www.facebook.com/CongoNattyOfficial
https://twitter.com/CongoNattyRebel


 アナログ世代かCD世代かという議論があれば、僕は勝手に「12インチ・シングル・ジェネレイション」というタームを思い浮かべてしまう。ジャズ・ファンならLPだろうし、着うたフルで育った世代は「MP3のスカスカが懐かしい」というように、高校時代から普及しはじめた12インチ・シングルに馴らされてしまっただけともいえるけれど、身体性というのはそう簡単に変容できるものでもなく、CDが簡単に買えるようになっても(最初はヒドいものだった)、データ配信がこれだけ身近になっても、それに合わせて自分の体をカスタマイズできなかったと思うしかないような気がする。同じ曲を聴いていても、12インチならすんなり入ってくるものがCDではまったく身につかなかったり、データだと違う曲に聴こえていたりといったこともないとは言い切れない。どうか……している。

 12インチ・シングルは、なぜか日本では定着せず、そこで輸入盤文化とJポップやアイドルなどの日本文化も離ればなれになってしまった印象がある。「NME」がいつだったか、プリンスの特集を組んだときに「知られざる100の秘密」というような記事も載せていて、そのなかに「日本ではプリンスの12インチ・シングルが1枚もリリースされていない!」という項目があった。プリンスだけではなく、誰もリリースされてないんだけどなとは思ったものの、それぐらい欧米では12インチというフォーマットが当たり前になっているということをその記事は教えてくれたといえる。片面に1曲しか刻まれていない12インチ・シングルは、縮み志向の日本人には合わなかったのか、しかし、余白と感じられるだけのスペースがあるからこそ、そこにはやがてリミックスという手法が呼び込まれ、それが複雑化し、さらにはDJカルチャーを促すものがあったといえる。レイヴ・カルチャーの有無がどれだけ音楽文化に違いを与えてしまったかは、「オマル・スレイマンがビヨークをリミックス!」とか、そういったことがまったくといっていいほど日本では起きないことからもよくわかるだろう。12インチ・シングルはPCが普及するまで音楽文化における大きなプラットフォームだったのである……と、思いたい。

 20年ぶりに引っ越して、少し広い部屋に移ったために、なるべく買わないようにしていた12インチ・シングルを……また買い出してしまった。あー(嘆)。ドローンにも少し飽きてきて、ダンス・カルチャーに再び深入りしようかなという思いもあったからか、気がつけばヒドゥン・ハワイは揃える、リル・シルヴァは買い漁る、ウイリー・バンーズやなんだかよくわからない白盤がまたしても足元に溜まり出してしまった。幸い、断捨離教には入っていなかったので、いまのとことろは楽しいだけである。あー(嘆)。まー、せっかくなので、2013年のハイライトを12インチ・シングルで振り返ってみましょうか。


1月 Andrey Zots / Not So Secret Diary (Not So Secret Dairy)

 年頭はまずロシアからアンドレ・ゾッツがぶっちぎり。ロウリン・フロシュトがハンガリーで立ち上げたレーベル名をそのままタイトルにした6作目で、ファニーな響きもさることながら、全体にここまで実験的なミニマルも珍しい。前作まではヴィラロボスの影響下にあったことは免れていなかったにもかかわらず、ジュークを取り入れたイントロダクションから動物園を丸ごとループさせたような展開など、ミニマルの裾野が無限大に広がっていく。
1月はまた、リル・シルヴァ「ザ・スプリット」も相変わらず絶好調で、〈ラフ・ドッグ〉が発掘してきたグローイング・パームスのソロ・デビュー作「RK#7」もご愛嬌。

2月 Lord Of The Isles / SHEVC007 (Shevchenko)

 アンドレ・ゾッツでなければ、1月はジョージア州から彗星のように現れたHVLのデビュー作にしたかったところだけれど、同じようにミスター・フィンガーズを思わせるアトモスフェリックなディープ・ハウスなら2月はロード・オブ・ジ・アイルの8作目が圧倒的だった。キックもスネアもなしで10分を越えるロング・トリップを可能にした1枚で(ハットは少々入る)、延々と上昇しつづける音のスパイラルは『E2-E4』に似た世界を垣間見せつつ、デリック・メイにも近い部分を感じさせる。ほかには前の年に出た「ゴールド・ランゲージEP」ほどではないものの、レオン・ヴァインホール「ロザリンド」もまだかなりイケる感じで、〈モダン・ラヴ〉からデビューしたライナー・ヴェイルも今後が期待できる感じ。

3月 Amit / Acid Trip / Don't Forget Your Roots (Tempa)


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 3月はペヴ「アズテク・チャント」やウィリー・バーンズ=ブラック・ディアー……といいたいところだけど、「セカンド・カット」や「ヴィレッジ・フォーク」などのヒットで知られるドラムン・ベース・ヴェテランが前年からダブステップに手を染めはじめ、これにアシッド・ハウスを組み合わせた14thシングル「アシッド・トリップ」がダントツでした。まったくもってアイディアは単純。ヴィデオも最後で大笑い。フランスのアルビノにも似たようなことがいえる。

4月 Om Unit & Sam Binga / Small Victories EP (Exit Records)


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 これに関しては紙エレキングのブリストル特集(P.112)で長々と書いたので、そちらを参照ください。4月はほかにダブ・メックスのセカンド・シングル「ブロークンUFO」、イオマックの5thシングル「スプーク」、バーズメイキングマシーンのサード・シングル「2」、フローリアン・カップファーのデビュー・シングル「ライフトラックス」、Lヴィス1990「バラッズ」なども良かった。

5月 Various / Dark Acid (Clan Destine Records)

 〈クラン・デスティン〉が現在までに3集までリリースしているアシッドハウスのコンピレイション・シングルで、1枚めはなんといってもトーンホーク「ブラック・レイン」がハイライト。このPVを観て、音楽だけを聴いて……といっても無理だと思うけれど(最初に一回、映像を観ないで音だけ聴くことをオススメします)、いつにもましてトーン・ホークがソリッドにキメている(最近、ちょっと方向転換しちゃったみたいだけど……)。ほかにナッティマリの変名であるロン・ハードリータフ・シャーム(ドロ・ケアリー)をこの時点でまとめたところも慧眼といえる。ワイルド・ナッシングのEP「エンプティ・エステイト」にもちょっといいチル・アウトがありました。

6月 Serifu / Stucco Swim (Diskotopia)


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 5月はイナー・サイエンスによる音の乱舞が実に美しかった「サイレント・アウェイキングEP」も捨てがたいものがあったけれど、同じ日本人で6月はセリフのデビュー・シングル「スタッコ・スイム」がなかなかやってくれたという感じ。レーベルはディスコトピア。エスニックなイントロダクションからグッと惹きつけるものがあり、ドライヴの効いた2曲めに引き継がれ……と、ベース・ミュージックの新境地が次々と押し寄せる。いやー、これはカッコいい。どこかに和太鼓のリズムを感じさせる感触があり、それが全体にエスニックの裏打ちになっているのだろう。ディプロが見つけるのも時間の問題というか。同じようにスチール・パンで「ヴードゥー・レイ」をカヴァーしたジェレミー・デラー「イングリッシュ・マジック」もかなり斬新なアレンジで、マッドチェスターにトチ狂った覚えがある人は是非、聴いてほしい感じ(オプティモによるリミックス盤はもうひとつでした)。この人はターナー賞を受賞したことがある美術家なんだそうで、なるほどメイキング・ヴィデオもそれらしくアートっぽい?

7月 DJ Rashad / I Don't Give A Fuck (Hyperdub)


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 2013年の顔役のひとりで、野田努は「ローリン」を押しまくるけれど、僕はこっちが良かったピーッ。いかにもインプロ風に被せられたピーッという音のフリーキーさがたまりませんよね。アーリー・レイヴを思わせる不穏なシンセサイザーのループもいいムードを醸し出しているし、ピー……じゃなかった、Bサイドに収録されたフレッシュムーンとの共作「エヴリバディ」がまたM.I.A.を遅くしたような展開とデリック・メイを早回しにしたものが、どこかで接点を見出したというような曲で、実にけっこうでした。

8月 dBridge & Skeptical / Move Way (R & S Records)


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 エイミットやサム・ビンガ、あるいはダブ・フィジックスの陰にこの男ありというわけで、ここ数年、ドラムン・ベースの変容に立ち会ってきた〈イグジット〉主宰、ブリッジがジュークの影響をダンスホールで返したような直球勝負。ガッツ、ガッツでドタン、ドタンって、あまりな音数の少なさはS-X「ウー・リディム」にも匹敵するものが。つーか、ダンス・カルチャーというのはコレですよね。ヴェイパーウェイヴとかやめてほしいです。とにかく徹頭徹尾ビートだけで、快楽的なんだかストイックなんだかよくわからない~。追って10月にリリースされたテッセラの5thシングル「ナンシーズ・パンティ」もこれに影響されたんだろうか。

9月 FKA Twigs / EP2 (Young Turks)


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 前に書いたサウンド・パトロール(https://www.ele-king.net/review/sound_patrol/003359/)を参照ください。

10月 DJ Nigga Fox / O Meu Estilo (Principe)


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 アンゴラが起源とされるクドゥロのコンピレイション『バザーク』から2年、もっとも興味深かったリスボン・ベースのDJニガ・フォックスがついにデビュー! しかも、作風はかなりハウスに寄せていて、オソロしい才能を感じます。「ミウ・イシーロ」=「マイ・スタイル」を標榜するだけあって、本当に独特のものがあるし、ポリリズムすぎて詳しくはなんだかわかりませんが、クドゥロだけでなくルワンダから流れてくるリズム(?)やタラシンハ(?)、あるいはバティーダもミックスしてるとか(?)。とにかくウルドゥー語ヴァージョンなどを出していた頃のファン・ボーイ・スリーやトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』の先を思わせるところもあったりと、ダンス・ミュージックの長い道のりを感じさせることしばしば。コレはマジやばいは。続いてリリースされた彼のお仲間(?)であるナイアガラは、しかし、かなりナゾ。10月はほかにヴァンパイア・ウィークエンドからバイオが少し垢抜けた「ミラEP」にルーマニン・ハウスではプリークとして知られるアドリアン・ニクラエ「アコースティックEP」もそれぞれ出色の出来。

11月 Shit And Shine / Blowhannon (Diagonal)


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 これは意表をついた。いままでもひと筋ではいかなかったハードコアというのか、サイケデリックというのか、それともマス・ロッックだったり、インダストリアル・ロックでもあったシット&シャインがハウス・シングルをリリース。そして、オルタナティヴ・ロックのエッセンスは見事にハウス・ミュージックに溶かし込まれ、異様なダンス・ミュージックに仕上がっている(ちょっとバットホール・サーファーズのサイド・プロジェクト、ジャックオフィサーズを思い出した)。いわゆるひとつの鉄槌感もあるし、なんだろう、インダストリアル・ハウスとでも呼べばいいのだろうか。しかも、B2にはセオ・パリッシュ「シンセティック・フレム」のエディット・ヴァージョンまで収録されて……(プロモ盤では「ディキシー・ピーチ」と題されていたものが、クレームでも入ったか正規盤ではセオ・パリッシュの曲名に変更されている?)。いや、しかし、もしかして、このままUSアンダーグラウンドのプライマル・スクリームになっちゃったりして…。

12月 Joe / Punters Step Out (Hemlock Recordings)


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 リリース・ペースはけして早くないジョーが続けさまにリリースした2枚のうち、後から出た方で、ちょうど1年前にスウィンドルがダブステップにマンボを取り入れたことに挑発されたか、オルガンをフィーチャーしたモンド・ステップで世界を少しばかりグニャリと歪ませてくれる。構成がとにかく大胆で、時間軸まで歪んだように聴こえるというか、「ダブステップは終わった」と言われてからが面白いと言わんばかり。カップリングはまるで上に挙げたシット&シャイン風で……あー、しかし、シャッフル感がぜんぜん違うかな、この人は。それこそ時間をかけるだけのことはある。12月はほかにマッドテオの8thシングル「インサイダー」、トム・ディシッコの6th「ノー・シンパシー」、グア・カモーレ「マシュタハ」もやってくれました。

 ……こうしてみると、まったくといっていいほどヒップ・ホップを聴かなくなったなー。ミックステープも落とすだけで長いからあんまり聴かないしなー。まー……それはおいといて、要するに12インチというのは短いから頭に入ってくるんですね。1日に詰め込める量なんて、実は限られているんだろう。昔は、「NME」のシングル・オブ・ジ・ウィークを毎週、チェックして、週に1枚、気に入ったシングルがあれば、それでかなりシアワセだったからなー。それでも年間にしてみれば50曲以上はフェイヴァリットになっているわけで、けして少なくはないわけだし。それこそ昔、よくやっていたのはデビュー作から3~4枚のシングルを好きな曲順で再構成したテープをつくってファースト・アルバムとして聴いていたこと。実際にファースト・アルバムが出ると、ほとんどの場合はがっかりで、どういうわけかそれ以上のものにはなってくれないという……。

interview with Richard H. Kirk (Cabaret Voltaire) - ele-king

 1970年代末、スロッビン・グリッスルとともにノイズ・インダストリアルの代表とされていたのがキャバレー・ヴォルテールだった。僕は、しかし、SPKと出会うまでノイズ・ミュージックに価値を見出せることはなかった。キャバレー・ヴォルテールも初期はどこがいいのかさっぱりわからなかった。『レッド・メッカ』(81)や「スリー・マントラス」(80)が面白くないとはとても言い出せない空気のなか、そのようなものがやたらと持ち上げられていた1981年がしぼみはじめ、やがてブリティッシュ・ファンク・ブームがやってくる。それを逸早く察知したかのように〈ヴァージン〉がディーヴォやDAFをフィーチャーした『メソッド・オブ・ダンス』というコンピレイション・シリーズをリリースしはじめ、「踊るニューウェイヴ」の時代がやってくる。ノイズ・グループだと思われていたキャバレー・ヴォルテールが『2×45』(82)をリリースしたのは、そのようなタイミングだった。それはニュー・ロマンティクス(それはそれでよかったけど)とはまったく違う雰囲気で、ノイズ・インダストリアルに分類されていたミュージシャ……いや、ノイジシャンたちが『ファンキー・オルタナティヴ』というコンピレイション・シリーズをリリースしはじめる5年も前のことだった。『2×45』に続いて80年代中期に〈ヴァージン〉からリリースされた『ザ・クラックダウン』(83)、『マイクロフォニーズ』(84)、『カヴァナント、スウォード・アンド・ジ・アーム・オブ・ザ・ロード』(85)の再発を機にリチャード・H・カークに話を訊いた。

E王
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シェフィールドはおどろおどろしく淀んだ感じでたくさんのビルがあった。世界大戦のダメージも残ってた。しかし、都市部を抜けて10分もすると美しい田園風景がひろがっている。そして、君はそこでたくさんのマジック・マッシュルームを見つけられると思う。

ちょうど40年前(73年)にシェフィールドで結成したそうですが、最初からキャバレー・ヴォルテールを名乗ってたんですか? また、3人はどうやって知り合ったんですか?

リチャード・H・カーク(以下、RHK):1973年あたりに活動を始めたんだけど、キャバレー・ヴォルテールを名乗ったのは75年からなんだ。というのはそのとき初ライヴがあって、そのために呼び名が何かしら必要だったからね。
 もっと熱心なヤツもいたんだけど、まわりの友だちの何人かがクリスを学校の頃から知ってたから、僕らは当時の夏、一緒にインターレイルでヨーロッパに行ったりしたんだ。クリスはいくつかベーシックな録音機材を、僕が4トラックのテープレコーダーを持ってて、それからエレキ用のピックアップ付きクラリネットも手に入れた。僕らは実験的にクリスの家のロフトで音楽を作りはじめた。それから何人かがやってきたりしたんだけど、数年前からちょっと知ってた(ステフェン・)マリンダーに一緒にやらないかと誘ったんだよね。そのときが、キャバレー・ヴォルテールとして後に知られる、きちんとしたユニットが出来た瞬間だった。

ダダ運動に興味を持ったきっかけを教えて下さい。ステフェン・マリンダーによればウィリアム・S・バロウズとブライオン・ガイシンの影響でカット・アップやテープ・ループをはじめたそうですが、ということは『レッド・メッカ』(81)までの作品にはブライアン・ジョーンズの『ジャジューカ』(71)が多少なりとも陰を落としていたのかなと思えてしまいます。

RHK:ダダ運動に魅かれたのはそのコンセプトがアートと戦争にあったから。そこではそれまでにあったアートをいったん解体し、何か新しいものに置き換えようとしていて、僕らはサウンドや音楽に対してそれと同じことをやろうとした。
 ステフェンがバロウズやガイシンに関して言ってるのもすべて正しいというわけではない。キャバレー・ヴォルテールは、彼らのことを知る前にすでにカットアップやテープ・ループを取り入れている。もちろんこのようなことを誰かがすでにやってたというのを聞いて鼓舞されたところがあった。多くの部分を学ばせてもらったから、彼らのことを知れたのは実に嬉しかった。
 キャバレー・ヴォルテールのなかで最初にバロウズの本を買ったのは、僕だ。シェフィールドにある本屋で『裸のランチ』を注文したのさ。それはもう驚愕だったよ、まったくパワフルな本だった。それに当時、僕は画像や文章を使ってカット・アップやコラージュをやってて、それが最終的にいくつか初期キャバレー・ヴォルテールのジャケットになったりもした。ダダイズムの創始者トリスタン・ツァラも紙袋に書いてある文字をランダムにピックアップして、それを詩にしたりしてたし、それは1915年あたりかな? たぶんガイシンがカット・アップをやりはじめる50年くらい前だ。
 『ジャジューカ』のことは知ってたし、ちらっと聞いたこともあるけど、アルバムをちゃんと手にしたのは1982年になってからなんだ。つまり『レッド・メッカ』のあと。しかし東洋の音楽にはつねに興味を持ってたね、トランスチックなエフェクトの感じが好きだったから。

時期的に見てグラム・ロックにもパンク・ロックにも影響されなかった音楽性のままラフ・トレードからデビューしたということになります。実際にそうなんでしょうか? 70年代に、同時代的に気になっていたミュージシャンがいたら教えて下さい。「ウエイト・アンド・シャッフル」などはザ・ポップ・グループを思わせます。

RHK:僕はデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックのファンでもあったし、いくつかのパンク、ポストパンクも、そのなかにはザ・ポップ・グループも含まれてるけど、たしかに気に入って聴いていたね。だけど「ウエイト・アンド・シャッフル」が彼らみたいに聴こえるんだったら、たぶんそれは彼らもマイルス・デイヴィスやダブ、フリー・ジャズといった僕らと同じ音楽に影響されたからだろう。僕らは通常のアーティストの真似はしない。影響ということで言うと、いつも過去や未来のものに目を向けてる。

なぜ、スタジオに「ウエスタン・ワークス」と名付けたんですか? また、シェフィールドのいい点と悪い点をひとつずつ上げて下さい。

RHK:スタジオのあったビルが古い工業用ビルで、そこが「ウエスタン・ワークス」という名前だった。それをそのままスタジオの名前にした。シェフィールドに関して言えば、当時が、ちょっとおどろおどろしく淀んだ感じでたくさんのビルがあったし、まだ第二次世界大戦のダメージも残ってた。しかし、都市部を抜けて10分もすると美しい田園風景がひろがっている。そして、君はそこでたくさんのマジック・マッシュルームを見つけられると思う。

ははは。『ザ・ヴォイス・オブ・アメリカ』(80)の裏ジャケットに機動隊の写真が2点も使われているのはなぜですか?

RHK:僕が。『ザ・ヴォイス・オブ・アメリカ』のアートワークを作った。当時(それにいまも)僕らが生きている世のなかにある権威主義的な感じがうまく出てる、この種の写真を使うのがふさわしいと思った。

『レッド・メッカ』はさまざまな意味で転機となった作品だと思いますが、タイトルはイランで起きたホメイニ革命と関係があるんですか? 『スリー・マントラ』から『2x45』にかけてアラビア風の旋律が頻出するのは誰かの影響ですか?

RHK:先ほども言った通り、僕は東洋の音楽、また東洋社会と西洋社会の違いにはつねに気を払っていて、だから“ウエスタン・マントラ”や“イースタン・マントラ”(*この2曲で『スリー・マントラ』は構成されている)のような曲に行き着いたわけさ。このふたつのカルチャーがじきにぶつかるだろうという予想が実際に現実になったのが1979年だった。ホメイニ革命が、のちに911/2001年のニューヨークのツインタワー爆破まで続くイスラム原理主義のスタート地点だった。それからアメリカで右派キリスト教原理主義者の存在がより浮き彫りになった。実際、このふたつのカルチャーは極めて似通ったもので、アメリカ政府が当時のソビエトと戦うために、アフガニスタンでビン・ラディンのムジャヒディーン/アルカイーダの訓練、資金援助、武装化を行ったんだから、当然といえばそうなんだけど。

『2x45』は明らかにダンス・レコードを意図した最初の試みですが、何がきっかけであそこまで振り切れたんでしょう。当時は本当にショックで、立体ジャケットが破けるまで何度も何度も聴いてしまいました。

RHK:『2x45』はよりダンサブルなレコード作りへシフトした最初の作品だった。大きな方向転換でもなく、単に進化していっただけだね。君がいま僕らの初期の作品を聴いてくれたらきっとダンス出来ると思うし、それらでもたいていループを使ってるからね。

〈ファクトリー〉からリリースされた「ヤッシャー」(83)はオリジナルのほうがぜんぜんよくて、ジョン・ロビーのリミックスはあまりいいとは思いませんでしたが、「ドント・アーギュー」(87)でまた顔合わせしているということは、ニューヨーク・スタイルからもそれなりに得るものがあったからですか? ニュー・オーダーの「ブルー・マンデー」がやはり同じ年にアーサー・ベイカーの方法論を取り入れていたわけですけど。

RHK:僕らはニューヨークのエレクトロには大きな影響を受けている。ジョン・ロビーは、アーサー・ベイカーとともに、その中心人物だった。彼が“ヤッシャー”をリミックスさせてくれないかと尋ねてきたとき、それはすごいアイデアだと思ったものだよ。たしかに君の言うように、オリジナルよりよかったというわけじゃないけど(リミックスっていうのは往々にしてそうなんだけど)、しかし、まったくの別もので、僕らが現状から一歩前に踏み出せたということ、おかげであらためて自分たちのミックスや音楽の聞かせ方と向き合うことが出来たわけだから。

『ザ・クラックダウン(=弾圧)』に「The」が付いているということは、何か特定の事件があったということですか? また、ダンス・レコードであるにもかかわらず、このような不穏なタイトルをつけたのはぜですか? まるでレイヴ・カルチャーを先取りしたようにさえ思えてしまいますが。

RHK:この当時の政治をとりまく情勢は抑圧的なものだった。イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、右翼勢力が僕たちを弾圧していたようなものだった。

『ザ・クラックダウン』以降、観念的な音楽性がすべて消え去って、官能的なダンス・ミュージックに純化されていくということは、クリス・ワトソンがひとりで観念的な部分を担っていたように見えますが、そのような理解でいいでしょうか。あなたとマリンダーはフィジカルな音楽がやりたかったと?

RHK:その見解は正しくはない。キャバレー・ヴォルテールには“担当”はないし、僕たちは何かにおいてリーダーというものを置かなかった。バンド自体は僕とクリスではじめて、あとからマリンダーが加わったものだけど……。この3人のグループはともにダンス・ミュージックをエンジョイしていた。けれど、当時は真剣にそれに打ち込んでたわけではなかったね。クリスが1981年に去ってからは、僕たちは自分らの音楽をもっとダンスフロア仕様にしようと決めた。彼と一緒にやっていた頃のようなモノをまた繰り返すことはしたくなかった。あらたに考えながら一歩前に進み出した瞬間だった。

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僕は本当に、イラク戦争や大切な古代遺跡の破壊には反対していた。目的もなしに、それも誤った情報のもとに行われたんだよね。結局大量破壊兵器なんて見つからなかったし、イラクはいまや以前よりもっと危険なところになってしまった。

『コード』(87)で初めて外部からプロデューサーを入れたのはなぜですか? あまり必要だったとは思えないのですが。『マイクロフォニーズ』(84)から『コード』まではファンクとインダストリアルのどちらに比重を置くかで延々と葛藤が続いていたようにも思えたので、その結論をエイドリアン・シャーウッドに委ねたとか、そういうことでしょうか。

RHK:『コード』に関しては、実はエイドリアンが参加する前にほとんどの形は出来上がってたいた。EMI/パーロフォンとの契約後、自分らのスタジオを24ch仕様にアップグレードし、そして、プロデューサーの起用も決めた。ポップスのフィールドではない人間を起用したかった。
 エイドリアンは一緒にやるにはとてもよいプロデューサーだった。ダブやレゲエにも相当詳しかったから、参加すると面白くなるかなと思ったんだ。彼はシェフィールドに来てくれて、僕らと一緒に作業をしたあと、ロンドンのスタジオでミックスした。すごくいいサウンドのアルバムに仕上がっているよ。僕らのアルバムではいちばん売れたんじゃないかな。ちなみに僕らがEMIと契約した当時、EMIは世界で10番目に大きな武器製造会社でもあった。冷戦が解けて黙示録を迎えたら、我々は兵器類を安く買えるかもなどと言い合ったものだよ。

シェフィールドから出てきたフラ(Hula)やチャック(Chakk)はキャバレー・ヴォルテールが育てた後輩ということになるんでしょうか。レコード制作ではマーク・ブライドンやマーク・ギャンブルがイギリスではハウス・ムーヴメントを先導したように見えるので、どういう関係だったのか気になります。

RHK:キャバレー・ヴォルテールは本当にたくさんのフォロワーを生んだよね、シェフィールドのなかだけじゃなく。チャックは僕らのスタジオで「アウト・オブ・ザ・フレッシュ」を録音し、それを僕らのレーベル、〈ダブルヴィジョン〉からりリースした。この作品がチャックをMCAのレーベル契約へと導いたんだ。それにフォン・スタジオ(Fon Studios)も誕生し、そこからいくつかの初期UKハウスが生まれた場所として知られることになった。その後、マーク・ブライドンやロブ・ゴードン(Fon Force)と『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティ』(90)で何曲かトラックを一緒にやったし、ロブ・ゴードンともゼノン名義で一緒にレコードを作った。

サンプリング・ミュージックは現代のダダイズムだと思いますか? それともまったく別物?

RHK:サンプリング・ミュージックは、とくにヒップホップはカットアップ・テクニックのほうに繋がってると思うよ。ダダイズムというよりはむしろね。

『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティ』で決定的に変わったのはベース・サウンドでしたが、それがハウス・ミュージックから学んだいちばん大きな影響ということになりますか? 曲によってはかなりファンキーで、テン・シティまで参加しているし、キャブスだと思えなかった人も多かったと思います。『ボディ・アンド・ソウル』(91)や『カラーズ』(91)では同じハウスでもストイックな曲調に戻っているので、あれはやはり一時の気の迷いということなのか。

RHK:『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティ』は、僕にとってキャバレー・ヴォルテールのアルバムのなかではお気に入りにはならなかったね。ホントに多くが外部からの影響でキャブスのサウンドが薄まってしまった。しかしながらマーシャル・ジェファーソンや当時のシカゴのハウス・ミュージックのパイオニアたちと一緒に出来たのは素晴らしい経験だった。アルバムと一緒に出した5曲入りのいい感じのアナログEPもあったよね。それらはウエスタン・ワークスでミックスされたから、キャバレー・ヴォルテールらしさが出てると思う(*アナログ初回のみに入っていた『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティEP』のこと)。

ちなみにレイヴ・カルチャーのことはどのように受け止めていたのでしょう。

RHK:レイヴ・カルチャーはその初期は面白かったけど、すぐに商業的になってしまったよね。

また、『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティ』(90)までキャブスがフォン・スタジオを使わなかったことや、〈ワープ〉から別名義でのリリースはあってもキャブス名義のアルバムをリリースしていないことも不思議に思います。『プラスティシティ』(92)や『インターナショナル・ランゲージ』(93)は〈ワープ〉のカラーにもピッタリ合っていたと思うのですが。

RHK:実はちょっとだけ『グルーヴィー、レイドバック・アンド・ナスティ』のときにフォン・スタジオを使ってるんだよね。「ザ・カラーEP」は当初〈ワープ〉からリリースの予定だったんだけど、結局自分らのレーベルからリリースすることになって、『プラスティシティ』や『インターナショナル・ランゲージ』も同様だった。これらのアルバムは当時からホントすごいアルバムだったし、その時代にたくさん出てた〈ワープ〉の作品とも相性が良かったと思うよ。

DJパロットとのスウィート・エクスソシストはどのようないきさつではじめたのですか?

RHK:パロットのことは、80年代半ばのシェフィールドのクラブシーンで知ったんだ。ウエスタン・ワークスに彼を誘って、僕がやっていた初期ハウス・ミュージックのトラックをいくつか手伝ってもらってたんだよね。そのちょっと後、彼がファンキー・ワームをはじめて、そのプロジェクトを終えてから、僕に「テストーン」を一緒に作らないかと誘ってきたんだ。その前、1986年に僕がキャバレー・ヴォルテールのライヴで彼にDJをやってくれるように頼んでたりもしたし。

「ヤッシャー」(83)や「ジャスト・ファッシネイション」を20年後にリミックスしているのは、やはり愛着がある曲だったからですか? リミックスがジ・オール・シーイング・アイ(=DJパロット)というのはわかりますけど、オルター・イーゴにリミックスさせるというアイディアはどこから? ジョン・ロビー同様、オルター・イーゴもあまりいいリミックスには思えませんでしたが……

RHK:オルター・イーゴのリミックスは〈ノヴァミュート〉からの提案だったんだ。僕はいいと思うけどね、(オリジナルとは)全く違うものだし。

同じく自分でリミックスを手掛けていた「Man From Basra Rmx」というのはイラク戦争と何か関係があるんですか? 

RHK:それはその通り。それにこの曲はプリンス・アラーとタッパ・ズッキー(*ともにルーツ・レゲエのアーティスト)による「Man From Bosrah」にも掛けてたんだ。僕は本当に、イラク戦争や大切な古代遺跡の破壊には反対していた。目的もなしに、それも誤った情報のもとに行われたんだよね。結局大量破壊兵器なんて見つからなかったし、イラクはいまや以前よりもっと危険なところになってしまった。

キャブスのスリーヴのデザイナーは、ネヴィル・ブロディ、ポール・ホワイト、デザイナー・リパブリックと一流どころが揃っていますけど、個人的にいちばん好きなデザイン・ワークはどれですか?

RHK:とくに好きなものはないね。しかし『#8385』(*今回、再発された3枚のアルバムを収録したボックス・セット)の新しいデザインはなかなかいいんじゃないかな。

いま、現在、ライヴァルだと思うミュージシャンは誰ですか?

RHK:ライヴァルはいないよ。

キャブスの活動停止後、30以上の名義を使って活動されていますが、その理由について教えて下さい。

RHK:過去にとらわれることなくオリジナルな音楽を作って行くためにやったことさ。

最後に、キャブスの再活動についてお話いただけますか?

RHK:キャバレー・ヴォルテールは“再活動”はできない。何故なら、いままでいちども活動をやめたわけではないからだ。つまり、メンバーが去って行っただけさ。クリス・ワトソンが1981年に脱退し、ステフェン・マリンダーが1993に脱退した。いまでは僕がただひとりのメンバーで、もっと多くのライヴやレコーディングもこれからやっていくと思うけど、懐かしい曲はやらないつもり。すべては新しいものになると思う。
 是非日本でもまたライヴしたいね。1982年の東京、大阪、京都でのキャバレー・ヴォルテールのライヴはすごくいい想い出でいっぱいで、それにライヴ音源を収録したんだ。結局そのライヴ・アルバムのミックスでその後3週間も東京にいることになったけど(笑)。

*日本でのライヴを収録した『ハ!』はマスター紛失のため、91年にミュートから再発されたものは、いわゆるアナログ起こしだったりする。ちなみにツバキハウスでライヴを終えたキャブスはその後、六本木のクライマックスに現れ、ナンパしまくりだったと(その時、DJをやっていた)メジャー・フォースの工藤さんが教えてくれた。そりゃあ、いい想い出でいっぱ……(後略)

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山下達郎 - ele-king

再発見され続ける音楽 松村正人

 1972年、昭和でいえば47年、沖縄は本土に復帰したが、いまのような夏のリゾートのイメージに結びつくのはまだ先のことである。沖縄より先に本土に復帰した奄美は、72年生まれの私が子どもだった70年代後半までは、最南端のリゾート地としてそれなりににぎわっていて、夏ともなると毎日、建ったばかりの近所の白亜のホテルから──レンタカーなんてなかったから──自転車でくりだしてくる新婚さんたちに私が目を細めたのは、太陽のまぶしさのせいばかりではなかった。子どもだった私にとって彼らは大人であるとともに都会的であった。そこには時間と距離という乗り越えがたい壁があって、私はいつか私が恋や愛や性や分別を弁えた大人になるだろうとはうすうす勘づいていたが、海を渡り、この閉域の外へ、都市生活者となった自分を想像することはできなかった。しばらくしてそんなことを考えなくなったのは、観光客を海外や沖縄に奪われたから、というのも詮ないが、山下達郎が前々作『MOONGLOW』収録の初のタイアップ曲でありJALの沖縄キャンペーン・ソングだった“愛を描いて─LET'S KISS THE SUN─”を出した79年には80年代がフライングしていて、30年前の 1983年、『MELODIES 』の2曲目、ANAの沖縄キャンペーン・ソングでもあった“高気圧ガール”が先行シングルとしてリリースされたとき、だからシマはすっかり鄙びていた。
 それなのに、この曲が頭から離れなかったのは、楽曲の解放感もさることながら「擬人法的なラヴソング」と山下達郎みずからライナーで注解する通り、高気圧という気象用語を人称につなぎ、語彙の飛躍が海を隔てた場所と場所をむすぶイメージの飛距離となるからだ。イメージの跳躍は海を渡る。それはすぐれて広告的だが、欲望を誘うのではなく情動を解放する。目の前に開ける光景はコバルトブルーと真砂の白に塗りこめられ、風景のなかで匿名ゆえの存在感できわだつ女性というよりも記号としての女性をとらえるが、同時にそれは天気予報に使用する衛星写真のようなカメラアイのようなメタフィジカルな高度もそなえている。
 時代は消費に舵をきっていた。しかしながら、山下達郎は80年のシングル“ライド・オン・タイム”でようやくブレイクしてからというもの、「夏だ、海だ、タツローだ」なるコピーに開放感を感じるとともに、風俗的発散の道具として消費される不安も抱いていた、と自筆ライナーにある。折しも彼は〈RCA〉を離れ、7枚目のアルバム『MELODIES』はその第一弾として〈MOON〉からリリースした。そのためここではビジネスマンでありプロデューサーでありシンガーでありソングライターである者の、音楽がポップとして求められるかぎりの葛藤がうずいていたはずだが、それを取らせないこともまた、ポップのポップたるゆえんである。もちろんおくびにもださないのではない。趣味志向思想信条は音となり、『MELODIES』の場合、言葉にもなった。本作で山下達郎は長年吉田美奈子が重要な役割を担ってきた歌詞をみずから書くことになる。自分の言葉で歌を作ることは、この先音楽を続けていく上で、とても重要なことに思えました、とこれもライナーに書いている。複数の職業作家のプロフェッショナリズムの集積で曲を作る体制からの脱却は賭けに近い試みだったかもしれないが、職業作家の作家性がスキルを担保し、保険として働くのにくらべ、作家性はもとより私性である。それは職能におさまりきらない個を晒すことであり、アマチュアリズムを内に抱えるものだ。いいすぎだろうか? そんなことはないですよね。それは初心であり終心(という言葉はないけれども)だと私は思う。

 30歳になった山下達郎は、前作『FOR YOU』で体制を整えたコンボを支えに、リスナーへの配慮を欠くことなく、そこを突き詰める。16ビート基調のクロス・オーヴァーよりの演奏から、宅録に近い自演も含め、曲想は多様になり、作品に奥行きがうまれた。単なる奥行きであれば一望できなくもないが、ここには翳りがある。シカゴ・ソウルのタイトなリズムとゴージャスなホーンがあり、ブライアン・ウィルソンのカヴァーがある。メランコリックなムードがあり、これまでの路線を継承したバイオニックなファンク“メリー・ゴー・ラウンド”があるが、そこにはシュガー・ベイブのころから変わらぬ愛情を注ぐブラッドベリのやわらかく乾いた詩情が降り注いでいる。メロディーはそれらの言葉を載せるヴィークルであり、旋律に乗った言葉は歌となり、私性と時制を離れ、幾度も回帰する。ときにシティ・ポップの元祖として、あるいは“BOMBER”がディスコ・ヒットしたように、クラブミュージックに対応可能なグルーヴ・ミュージックとして。そのたびに私たちは山下達郎を再認識するのだが、つねに新しさとともにあった。50年代、60、70年代の職人の手になる佳曲は山のようにあるが、山下達郎はそれらを援用はしてもそれが目的ではない(モチベーションにはなるかもしれない)。音楽は再生される音のなかにあるから、聴き直すたびに発見することも多々。シティ・ポップなる恣意的な括りで例証されるのはその一面にすぎない。もちろんそこから多面を見いだすこともあるだろう。つまり閉じていないのだ。余談になるが、いまではシュガー・ベイブのやりそうな曲をやるのがコンセプトのあっぷるぱいなるバンドもあるそうである。これは私が先日、ウルトラデーモン以後のトレンドと風俗をふまえ、脳内で結成したポストロック・バンド、シー&パンケイクに勝るとも劣らない秀逸なネーミングである。
 『MELODIES』の掉尾を飾る“クリスマス・イブ”は畢竟の名曲だが、私はこの曲を日本語でいまさら説明する必要は感じない。ひとつだけ。この曲をふたたび、今度はテレビで聴いたのは90年前後、バブルまっただ中だった。音楽で国民的なコンセンサスが成り立つ最後の時代だった、かもしれない。私はシマを出て都市生活者の仲間入りをしていた、思い出深い曲なのである。

松村正人

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Tatsuro As Rare Groove, Tatsuro As Culture Crash 野田 努

 池袋には、どこかくすんだ空気が漂っているように感じる。バブルの頃は高価な“文化”で賑わったものだが、いまやその跡形はほとんどない。池袋にはヒップホップの拠点として知られるベッドというクラブがある。池袋は山下達郎が生まれ育ったところでもある。歩いてみよう。頭のなかでは空しさをなだめるように“ウインディ・レイディ”が鳴っている。

 1. ネット普及後の世界においては、かつて世界中のコレクターが探したアメリカのレアグルーヴはアーカイヴ化されているが、未整理な領域のひとつに70年代後半~80年代前半の日本がある。ジャズ・ファンクのコレクターが探しているのは、山下達郎、細野春臣、吉田美奈子、大貫妙子、鈴木茂などなど。彼らのメロウでグルーヴィーなダンス・ミュージックだ。
 2. 90年代の日本では、70年代のマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーないしはハービー・ハンコックなどの再発盤がレコード店の棚に並んだとき、山下達郎は再発見されている。周知のように、山下達郎自身がDJカルチャー顔負けの超マニアックなリスナーなのだが。

 東京在住のフランス人DJ、Alix-kunに訊いてみる。彼は日本のジャズ・ファンクを集めているコレクターのひとりだ。日本全国のレコード店を訪ねながら70年代後半~80年代初頭の山下達郎や細野春臣、吉田美奈子や大貫妙子といった人たちの作品を蒐集している彼は、DJとしては主にデトロイト・テクノやディープ・ハウスをプレイしているだが、“いつも通り”もDJミックスする。彼はハウスに痺れるのと同じように山下達郎のグルーヴに痺れている、ある意味では。今年再発された『PACIFIC』(いわゆる和モノレアグルーヴの定番)はマストだし、“あまく危険な香り”はキラーチューンだ。が、別の意味では、これらアメリカの影響下で生まれた日本の音楽に独自な個性を感じている。そしてそこには、エキゾティック・ジャパンに想定されることのない領域が広がっている。
 たとえば(個人的に大好きな)『オン・ザ・ストリート・コーナー・2』のB面には“ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー”が収録されている。スタイリスティックスのあんな美しいソウルをアカペラでカヴァーするという試みそれ自体がひとつの文化的実験だ。影響を自分の血肉としながら、しかしオリジナルとはまたひと味違った滑らかな光沢を感じる。躊躇することなくアメリカに飛び込んでいったところは、寺田創一、富家哲、テイトウワなどなど、日本の初期のハウス・シーンのプロデューサーとも重なる(テクノはヨーロッパ志向)。

 エレキングの読者においても、ここ2~3年でたとえば鴨田潤がファンクラブに入会するほど心酔、レイヴ・カルチャーにどっぷりだったラヴ・ミー・テンダーが敬意を表すなど、山下達郎再評価が高まっていることは記憶に新しい。文化的アンビヴァレンス──長いあいだ日本のロック/ポップスは欧米の物真似だと言われてきたが、エキゾティック・ジャパンが我々を救ってくれるわけでもない──を払いのけて、サウンドを追い求めるDJカルチャーだけの話ならわかりやすいが、00年代以降の日本のクラブ/インディ・シーンで活動してきた人たちが山下達郎をいま支持している現象はこれまた興味深い。さらに、山下達郎はディストピアとしての都会を主題にしたパンク前夜からニューウェイヴの時代にかけて名作を出しているので、最近はどちらかと言えばパンク/ニューウェイヴの側にいた人間(たとえば僕や松村のことだが)にさえも求心力を持ちはじめているという事実は、一考の価値がある。
 もっとも、ドリーミーな音楽がポップのモードとなり、とくにR&Bが若い世代に好まれている現代では、それは当然の成り行きだとも言える。『ノー・ワールド』の後に『サーカス・タウン』を聴いても根幹のフィーリングに近しいところがあるからだろう、それほどの違和感はない。トロ・イ・モワの後に『スペイシー』を聴いたら前者が貧弱に思えるかもしれない……のように、一連の達郎再評価現象には批評と問題提起も内包されている。自閉的なJ-POPへの反論もあるだろう。価値の多様化にともなうシーンの細分化や素人の氾濫という名のポストモダン「アーティスト」への異論もあるかもしれない。あるいは、下北のインディ・キッズがAORをディグりはじめたこのご時世だ、純粋にアーバン・ポップ・ミュージックへの探求心に火が付いたのかもしれない。フィラデルフィア・ソウルとビーチ・ボーイズとの奇跡的な出会いにただただ感動したのかもしれない。そもそもフィリー・サウンドはディスコの青写真であり、すなわちハウスの重要な起源のひとつでもある。そう考えれば、(((さらうんど)))のバックボーンと必ずしも遠いわけではない。そしてAlix-kunは「“いつも通り”こそシティ・ポップの誕生」だと主張し、来日したエヂ・モッタ(ブラジリアンAORの巨匠)はブルーノートで“ウインディ・レイディ”をカヴァーする。

 1983年、彼自身のレーベル〈MOON〉の第一弾としてリリースされた『MELODIES』は、周知のようにシュガー・ベイブのアルバムや最初の2枚(『FOR YOU』を入れて3枚?)と並んで山下達郎のクラシックな1枚として有名だ。発売から30周年を記念してリマスターされた本作には、“悲しみのJODY”のインストゥルメンタル、“高気圧ガール”のロング・ヴァージョン、“BLUE MIDNIGHT”や“クリスマス・イブ”のミックス違いなどレア・トラックが5曲収録されている。テナー・サックス以外のパートすべてを自分で演奏している多重録音の“JODY”(圧倒的なファルセットのヴォーカリゼーション)は後に英語でも歌われている。
 前作までは夏や南国のイメージでヒットを飛ばしている山下達郎だが、『MELODIES』は、本人がライナーで書いているように内省的な曲が多く、『サーカス・タウン』や『スペイシー』と同様に、都会の夜の切ない空気が詰まっている。コーラスとパーカッションの“高気圧ガール”やファンキーな“メリー・ゴー・ラウンド”をのぞけば、おおよそメランコリックな響きが耳にこびりつく。個人的には“夜翔”や“BLUE MIDNIGHT”を好んでいるのだが、Alix-kunは「やっぱ“メリー・ゴー・ラウンド”だ」と言う。これぞDJ目線。山下達郎のトレードマークとも言える陶酔的なグルーヴがたまらないのだろう、などと言うと「でなければ“ひととき”だね」と言う。
 このように、こと『MELODIES』は聴き手によって好きな曲がばらけている作品なのではないだろうか(『サーカス・タウン』ならほぼ満場一致で“ウインディ・レイディ”でしょう?)。アルバムにはブライアン・ウィルソンの超レア・シングルのカヴァーという、マニアックなリスナーとして知られるこの人らしい“GUESS I'M DUMB”なる曲も収録されている。
 アメリカの影響下で生まれたポップにおける日本らしさはメロディにあると外国の人はたびたび指摘する。「日本語は、外国人の耳では音として柔らかい」とフランス人のAlix-kunも言うが、日本語の歌は子音で止まることがないので、滑らかに聴こえるのだ。

 とはいえ、江利チエミや雪村いづみが少女歌手としてジャズを歌ったとき、彼女たちの歌は「英語発音の祖国を喪失したあやしげな日本語」だと知識人から批判されている。同時代の歌手として知られる美空ひばりが農村や老年までの幅広い層に受け入れられたのに対して、江利チエミや雪村いづみのファンは主に都会で暮らす若者に限られていた(*)。今日の日本のアーバン・ミュージックは、この頃、つまり戦後「祖国を喪失したあやしげな日本語」を彼女たちが歌いはじめたときに端を発しているのだろう。そして、それがいつの間にか大衆音楽の本流となっているわけである。日本語で歌われる“JODY”と英語ヴァージョンとの境界線は素晴らしく揺れている。
 山下達郎の音楽はマニア受けもしているが、マニアにしかわからない音楽ではない。むしろ彼は意識的にマニアの壁を突破してきている。彼には職業作家としての自覚があるが、それは大衆に迎することを意味しない。『MELODIES』と同時発売されたリマスター盤『SEASON'S GREETINGS』はアカペラのクリスマス・ソング集、こちらは20周年記念盤だそうで、ちなみに今年はプリンスの『ラヴ・セクシー』から25周年。若い世代がR&Bで盛り上がっているのは「いま」。清志郎は南部だったが達郎は北部。初のリマスタリングCD化、聴いていない人はこの機会を逃さないように。これは日本で生まれた永遠の都会情緒、アーバン・ソウル・クラシックである。
 
(*)加太こうじ・佃実夫編集『流行歌の秘密』(1970年)

野田 努

interview with Jackson and His Computerband - ele-king


Jackson and His Computerband
Glow

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 最近のおすすめは?

 「う~ん......ジャクソン・アンド・ヒズ・コンピューターバンドかな。知ってる?」

 森は生きているを観ながら、ダークスターのジェームス・ヤングは僕にそう言った。え~、さすがにそれは意外っすね~......しかし、なるほど、ジャクソンの8年ぶりの新作『グロウ』(Lなので「白熱」とか「幸福感」の意)を聴いて腑に落ちた。〈ウォープ〉のレーベルメイトというだけでなく、両者には古楽(バロック音楽)へのアプローチがある。ジェームスはディーズ・ニュー・ピューリタンズの新作も褒めていたし。
 フレンチ・エレクトロとくればアゲでダンスのサウンド......というわけでもなく、『グロウ』は落ち着き払っている。耳をすましていると、楽器の音が無音のなかから静かに立ち上がってくるのがわかる。とはいえ、やっぱりアゲなサウンドにもなったりするが、そこからいきなりプログレのような展開を見せたりもする。それらがあまり不自然じゃないのは、ジャクソンの音楽に、ちゃんと通奏しているムードがあるからだろう。ダンスそのものというより、ダンスへの予感だ。多彩な色をサウンド・パレットに用意していながら、闇雲に絵の具をキャンヴァスに乗せて訳の分からない画を描いてしまうことなく、最終的にはエレクトロとして仕上げている。
 ダンスへの予感。それは少々体力を要する場面もあるけども、シンフォニックで聴きごたえがあり、随所でチルウェイヴも吸収されている。リヴィング・ルームでも流していて苦しくない。僕はそういう音楽が好きだ。

いまだにEDMが何なのかわかってないんだよね(笑)。そういうのを聞くと、いつも90年代を思い出すんだ。90年代のある時期、4ヶ月ごとくらいに毎回新しい名前が出て来てた。トランスコアとかアシッドトランス、それが出て来たと思ったらハードテクノと呼ばれるようになったり、プログレッシブ・ハウスにトライバル・テクノに...(笑)。

日本の好きなところと違和感のあるところを教えてください。日本に以前きたことがあれば、そのときとの違いも教えてください。

ジャクソン:日本のグラフィック・カルチャーが好きなんだ。看板とか、すごく魅力的だと思う。伝統とモダンが混ざり合ってるところも好きだね。違和感があるところは......違和感とは言えないけど、フランス語とは全然違うから、言語はやっぱり変な感じがする。予測出来ない未知のものって感じ(笑)。あとは、味覚でビックリすることもある。もしかしたら、日本人もフランス料理を食べて、え? と思うことがあるのかもしれないけど、俺にとっては、寿司とか焼き鳥は大丈夫なんだけど、たまにまるで革命かのように驚かされる食べ物もある(笑)。何かは覚えてないけど。日本食を食べる時は、それを口にするまでに本当にファーストステップから始めないといけない時があるね(笑)。あと、これも違和感じゃなくてビックリのほうだけど、トイレのシャワーは驚いたよ(笑)。前回と今回の違いは...まだ特には感じてない。まだ着いて2日だからね。

前作から今作をリリースするまでの8年間、あなたはエレクトロのシーンをどのように見てきましたか?

ジャクソン:いろいろな進化を見て来たよ。パリではSound PellegrinoやMarbelの人たちと一緒にスペースをシェアしてるんだけど、彼らは最新のものが大好きだから刺激になった。彼らが新しいものを俺に聴かせてきたりして。俺は色んなものを吸収しようと思ってるし、素晴らしい創造力を持っている作品なら全てに興味があるし、発見が好きなんだ。でも同時に、そういうトレンドをベースにレコードを作ったりはしない。その時その時の新しいものとか、そういうのにあまり興味がないんだ。だから、とくにシーンを追ってきたわけではないんだよ。

では、なんとなくでもいいので、この8年でエレクトロのシーンはどのように変化したと思いますか?

ジャクソン:うーん、プロダクションや、音のクオリティのなかに進化した部分があると思う。でも、やっぱり基盤は変わらないと思うんだよね。ヒップホップやドラムンベースと同じさ。同じものがリピートしてる。音楽自体というより、どうやってそれを使うか、取入れるかっていうほうが変化してるんじゃないかな。でもいまの時代、みんなプロデューサーになれるし、かなり簡単にトラックが作れる。だからたくさんのアイディアを見ることができて面白くもあるよね。本当に多くの人たちがトラックを作ってる。前に比べて、かなりの人たちがエレクトロ・ミュージックを作ってるっていう人口の爆発も変化のひとつだと思うよ。敢えて言うなら、メインの変化は音楽そのものよりそこだと思う。

前作から今作をリリースするまでの8年間、ライヴ・ショーなどを行っていたと思いますが、ライヴからレコーディングに与える影響や、レコーディングからライヴに与える影響などあれば教えてください。

ジャクソン:そうだな......もちろん影響はし合ってると思う。ステージにいると、実際オーディエンスとコンタクトをとることになるから、その音へのみんなのリアクションがわかる。それはやっぱり自分の曲作りに影響してると思うよ。でも今回のレコードでは、ライヴとレコーディングがふたつ同時進行って感じだったんだ。スタジオではこれ、ツアーではこれ、という感じにわけて考えるんじゃなくて、ライヴで実際にパフォーマンスできる、ステージで即興が出来るリアルサウンドを意識して作ったから。オーデェンスがサウンドと同時にそれをプレイしてる俺の動きも楽しめるっていうのも大切な要素だった。レコーディングとライヴは、なるだけ近くしたいと思ってる。リアルタイムで音楽を作るっていう方向性を心がけてるんだ。『スマッシュ』では、ちょっとインスタントさが足りなかったからね。

『グロウ』では、それが達成できたと思いますか?

ジャクソン:近づけたとは思う。このアルバムを完成させることが出来たし、いまはコンピューターバンドも存在する。だから、いまはその方向性への扉を開けたって感じかな。これをステップにもっとリアルタイムな音楽を作っていけたらと思ってるんだ。

前作から今作をリリースするまでの8年間、あなたを支えていた音楽があれば教えてください。

ジャクソン:ありすぎて選べないよ(苦笑)。本当に色んな音楽を聴いてたから。

では、このレコードを作るにあたって影響や刺激を受けた、またはパワーをもらった音楽はありますか?

ジャクソン:音楽というより、レコード作りに関して刺激や影響を受けるのは俺の場合は経験なんだ。俺はサウンドを特定するっていうプロセスを避けてるから、自分の意識に自然と従って音楽が出来るって感じでね。だから、自分でもそのうちのどの経験が実際に影響してるのかわからないんだ。何に近づきたいとか、そういうのはあまり考えたことがない。全てが勝手に起こるんだよ。動物的本能みたいなプロセスなんだ(笑)。

もともと、子どもの頃にハービー・ハンコックの曲で電子楽器の音を聞いたとのことですが、そこからジャズへいかなかったのは、当時どういう音楽をつくるかのイメージがすでにあったのでしょうか?

ジャクソン:10代の自分にかなりのインパクトを与えたレコードのなかの1枚が『ヘッド・ハンターズ』だった。これは、俺にとって本当に驚きのフュージョンだったんだ。エレクトロサウンドを使ってるけど、すごくファンキーで変わってて......美しいサウンドと型破りなサウンドの間を行く作品だった。普通の心地いいサウンドを聴いてるかと思ったら、いきなり超ビッグなサウンドが鳴りはじめたり。ワイルドになったり、すごくエレクトロになったり。それがすごくテクノっぽく聴こえたり。それでもファンクへの愛はキープされたまま。そこに魅力を感じた。

そういったたくさんの要素が混ざった音楽を作りたいというヴィジョンは10代の頃から持っていたのでしょうか?

ジャクソン:そうだね。でも、みんな10代のときは自分が好きな音楽をいかに上手くリメイクできるかに執着するけど、それは実際不可能(笑)。俺は、自分のアイドルをコピーしようと思ったことは一度もない。どうせできなくて、フラストレーションが溜まりまくってしまうから(笑)。でも、彼らをそうさせているエッセンスや、彼らの作品の何を自分が好きなのかは理解しようとしてた。他の人間にはなれないから、ヒーローをコピーしようとしたことは一度もないね。それを理解した上で、自分が自分なりの作品を作れればいいと思う。

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トラップ・ミュージックが急激につまらなくなったと思った時期はあったな。すごく面白かったけど、それが長続きしなかった。6ヶ月くらいですぐに形式的になってしまって。トレンドになりすぎたんだと思う。

あなたはジャクソン名義で1995年に〈パンプキン〉からハウス/テクノのミュージシャンとしてデビューしていますね。レイヴ・カルチャー(セカンド・サマー・オブ・ラヴ)への憧憬はいまもありますか?

ジャクソン:もちろん。俺のライヴ・ショーをプロデュースしてくれてる人がいるんだけど、彼は昔フリーパーティなんかをオーガナイズしてたんだ。すごくアクティヴでドリーミーな時代。俺がMCやDJをフォローしてた時代だね。だから、彼といるといまでもその時代が周りにある感じがする。俺は、いまだにテクノ・ラヴァーだよ。

フランスを代表するテクノのDJ=ローラン・ガルニエと、今年の9月に共演を果たしますね。彼からあなたに受け継がれたもの、また、あなたが発展させたものはなんでしょう?

ジャクソン:そうなの? 共演するなんて知らなかった(笑)。彼は、俺にテクノを発掘させた世代のアーティストのひとり。15歳くらいのときに彼のDJを見に行ったのを覚えてるよ。それに、彼は俺の音楽を初めてラジオでプレイしてくれたDJなんだ。だから、俺にとっては本当に大きな存在。学ぶというよりは、感謝することの方が多いね。俺にとっては、シンボルとして大きな存在だから。あと、2年前にManu le Malinと2、3回ショーをやったんだけど、彼は確実に俺のハードコア・テクノ・ヒーロー。彼と共演できるなんて最高だった。彼に、このトラック聴いたことある? とか聞いてみたり、このトラックをイントロでかけるべきだよ! なんて興奮して盛り上がっちゃって(笑)。彼は、覚えてくれてるんだな、みたいな感じで笑ってたけどね(笑)。だから、ローランと共演できるんだとしたら、それは本当に楽しみだよ。

90年代には「Sense Juice EP」のようなハウス・トラックを作っていましたが、『スマッシュ』ではオーケストラを取り入れた壮大なエレクトロへと作風を変えています。そこにはどのような経緯があったのでしょうか?

ジャクソン:さっきも少し話したけど、高校のとき、自分自身がどんなサウンドを融合したいかを考えてたんだ。で、ある時点で軽やかなものとファンキーなもの、そしてアグレッシヴなものをブレンドしたいなと思った。それが自分が組み合わせてみたい要素だと思ったんだ。で、俺はウェンディ・カルロスのファンだったから、彼女の要素も取入れてみたくなって。シネマ音楽というか、そういう音楽のスコアを入れるのは、ヒップホップでもよく取入れられてるしね。当時はあまりエレクトロでは御馴染みではなかったけど。

イギリスではダブステップの隆盛が起き、それはアメリカでスクリレックスなどのブロステップ(EDM)にとなり、レイヴに発展しています。ボーイズ・ノイズは「EDM」というタームについてネガティヴですが、あなたはどのようにお考えでしょうか?

ジャクソン:いまだにEDMが何なのかわかってないんだよね(笑)。そういうのを聞くと、いつも90年代を思い出すんだ。90年代のある時期、4ヶ月ごとくらいに毎回新しい名前が出て来てた。トランスコアとかアシッドトランス、それが出て来たと思ったらハードテクノと呼ばれるようになったり、プログレッシブ・ハウスにトライバル・テクノに......(笑)。あれはおかしかったな(笑)。当時はみんなデトロイトにハマって影響を受けてたから、ヨーロッパでは名前を付けたりしてみんながそういった音楽を色々分類しようとしてた。でも実際デトロイトDJのショーを見に行くと、彼らの殆どがその1セットの中で本当に色んな音楽をかけまくってたね。ハードなアシッド・トラックとか、ヴォーカル・ハウスとか、ガレージとか。テレンス・パーカーとかポール・ジョンソン、デリック・メイたちは、アシッドやガレージ、とにかく全てを行き来してたよ。アンダーグランド・レジスタンスもそう。彼ら自身は、名前なんて全然気にしてなかったんだ。長くなったけどつまりは(笑)、EDMなんてその分類の単なるひとつってことさ(笑)。俺はあまり気にしてない。何が最近起こってるのか、そもそも俺はあまり把握できてないしね。

ダフト・パンクの新作でのノスタルジアについてはどのようにお考えでしょうか?

ジャクソン:彼らは、毎回じゃないけどそれをよくやるよね。『ホームワーク』を聴いたら、彼らがオールドスクールの音楽を再解釈したトラックがいくつかあることがわかる。最新の作品では、彼らは大々的にそれをやってると思うんだ。70年代に既に作られたような音楽を再解釈してる。それでもモダンなディテールも入ってるんだ。面白いのは、ファースト・レコードをリリースしたとき、彼らはノン・テクノ・リスナーたちに向けてテクノをプレイしていたけど、いまはその逆をやってること。エレクトロ・キッズたちにディスコを聴かせてる。それだけじゃないけど、作品でみんなを教育してる感じがするね。『ホームワーク』は、ロック・オーディエンスやそれまでにテクノを全然聴いたことのない人の注目を得たけど、今回もそれと同じ。ジョルジオ・モロダーが誰かを全然知らない人が新しいダフト・パンクの作品を買ってるからね。そういう意味では、彼らの前と同じプロセスがリバースされてるんじゃないかな。

1曲目はビートルズ風のテイストがありながら、サーフポップ風にも展開します。他にも霊妙なオーケストラや、ハードなテクノもあります。あなたの曲の展開は、曲自身がそれを望んでいるのか、あるいはあなたが操っているのか、見解をお聞かせください。

ジャクソン:さっきも言ったように、曲の展開は、幸運な偶然や自意識の流れを活かした結果がそうなる。でも操った部分も少しはあるよ。60年代のポップの要素をブレンドして、それを他のものに見せかけたかったんだ。その形式を取入れて、それを壊して他のものにする、みたいな。その見解や内容を変えたかった。ちょっとしたゴーストのような存在のリファレンスだね。薄く存在してるけど、ハッキリとはしてない。あとは、そういったサウンドに対するちょっとしたオマージュとしても取入れてもいるんだ。

いまUKではハウスが流行っているときいています。〈キツネ〉や〈ビコーズ・レーベル〉も以前より落ち着いていますが、あなたから見たフランスのシーンはいかがでしょうか?

ジャクソン:どうだろうね。『DJ Mag』っていうイギリスの有名な雑誌に記事が載ってたけど、それにはフランスのシーンがいまアツいって書いてあった。たくさんの新しい才能やレーベルが出て来てるから。UKでハウスが流行ってるっていうのは、多分ディスクロージャーとかその辺のハウスサウンドのことだよね?いつだってサイクルがあるから、いま何が流行って流行ってないかはよくわからないな。

『DJ Mag』が言ってる、フランスのミュージック・シーンがいまアツいというのには同意しますか?

ジャクソン:ダイナミックな何かがあるとは思う。世界中でパフォーマンスしてるフレンチ・エレクトロ・アーティストのグループがいるし、彼らは成功してるしね。でも、フランスだけが特別ってわけじゃないからな......いまの時代、素晴らしい才能は世界のどこからでも発掘されてるし。

ここ最近で、もっともすばらしかった音楽と、もっともひどいと感じた音楽をおしえてください。

ジャクソン:音楽というか、俺が大好きなアーティストがいるんだ。ロサンゼルスのアーティストのジョン・マウス。ひどいと感じたのは......嫌いなわけじゃないんだけど、トラップ・ミュージックが急激につまらなくなったと思った時期はあったな。すごく面白かったけど、それが長続きしなかった。6ヶ月くらいですぐに形式的になってしまって。トレンドになりすぎたんだと思う。でもさっきも言ったように、俺は全てのフォーマットに常に惹かれてるから、その音楽自体があまり好きじゃなくても、それを人がどう聴いてるかに興味をもったり、どんな人がそれを好きなのか、何故好きなのかにはいつだって興味がある。それがどう彼らのライヴに影響するのか、とかね。だから、関心が全くなくなったわけではないんだ。

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俺はただ、〈ワープ〉というレーベルが大好きなだけ。彼らと良い関係が持てればそれでいいんだ。彼らはクールな作品をたくさんリリーすしてるからね。

"G.I. Jane"という曲は映画「G.I. Jane」からの影響でしょうか?

ジャクソン:あの映画自体はちょっと安っぽいけど、基本的にG.I.Janeはジェンダーに対する全ての問題に対するアイコンだと思うんだよね。そこからも影響を受けてるけど、同時にパロディでもある。支配とか服従とか、ジェンダー問題ではお決まりの強い女性の居場所とか、そういうことに対するパロディ。でも、愛の宣言の曲でもあるんだ。

あなたのオーケストラサウンドはホラーめいています。あなた自身の恐怖を表しているとすれば、なにに恐怖することがあるのでしょうか?

ジャクソン:恐怖を表してるわけじゃない。怖いものはあまりないよ(笑)。

そういうサウンドを使って、恐怖ではない自分のフィーリングを表現しようとするのは何故?

ジャクソン:自分でもわからない(笑)。ただ、なんか楽しいと思うんだよね。ホラー映画って、なんとなく楽しい要素がない?俺は好きなんだ。例えば、俺は70年代~80年代のイタリアのホラームービーのジャッロが好き。60年代の監督のMario Bavaの大ファンなんだよ。あの血の虜になったような感じとか、ダサいバイオレンスとかが好きなんだよね。」

オーケストラサウンドはなにから影響を受けたものですか? 好きなクラシックの作家はいますか?

ジャクソン:影響されてはいると思う。映画を見るときはいつもインスパイアされているから。クラシックの作家は、Anna Meredithっていうすごくクールなアーティストがいるんだよ。まだ若いんだけど、彼女は本当に面白いオーケストラの作品を作ってるんだ。

新曲"Vista"で歌っているのは前作に引き続き母親Paula Mooreですよね。お母さんはフォークシンガーですが、あなたの音楽をどのように評価していますか?

ジャクソン:いや、今回歌ってるのは母親じゃなくて、これもまたAnnaなんだけど、Anna Jeanっていうフランス人のアーティストが歌ってくれてるんだ。母親は、俺の音楽を気に入ってくれてるよ。

新しいアルバムはもう聴かれたんですか? また一緒に共演することはあるのでしょうか?

ジャクソン:いや、アルバムはまだ聴かせてないんだ。共演は...あるかもね。今回はしなかったけど、またやってもいいな、とは思う。でも、家族と仕事するのってやっぱりなんかちょっと(笑)。でも彼女は本当にクールなミュージシャンなんだ。

いまでもクラブに遊びにでかけますか?

ジャクソン:もちろん(笑)! 環境がそうだから、行かざるを得ないしね。ツアー中もクラブに行くし。

週何回くらい行ってます(笑)?

ジャクソン:わからない(笑)。機会があればいってるから。成り行きでそうなっちゃうこともある。一杯飲むつもりで行ったら、5時間後にはパーティにいたり(笑)。あれ、どうやってここに来たんだろう?みたいな(笑)。

自分のエモーションを音楽で表現するとき、実際のエモーションと曲のあいだに齟齬が生まれることはありますか? 

ジャクソン:あるある。だから面白いんだ。マルセル・デュシャンがクリエイティヴ・プロセスについて書いてる本があるんだけど、計画されず、プログラムされずに出て来たものが、それが良いものであっても悪いものであってもそのアーティストの価値を表すっていうセオリーが書かれてる。計画されていないクレイジーなものが加わることで、作品にその価値が与えられるんだ。だから俺は、自分が作ったものに対して迷いや驚きを感じる時は、逆に嬉しいんだよね。

また、自分のエモーションを音楽で発表するときに、気恥ずかしさはありませんか?

ジャクソン:もちろんあるよ(笑)。それは仕方がない。自分の感情を音楽で表現しようとする限りは。

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実は俺レコードを持ってないんだよ。何度も引っ越ししたり、色んな所に行ってるから、その度にいつもレコードを処分しないといけなくなって。いまはデジタルで保存できるしね。

先日、あなたのレーベルメイトでもあるダークスターにあなたの音楽をおすすめされました。『Vice』マガジンの紹介で〈WARP〉と契約し、8年前の前作からすでに〈WARP〉でのリリースでしたが、あなた自身、意外なレーベルと契約しているとは思いませんか? 

ジャクソン:ダークスターに? それは嬉しいね。〈ワープ〉は本当にたくさんの種類の音楽を扱ってるから、彼らがどんな音楽をリリースしようとしてるのかを無理矢理理解したり、分析したりしようとは思わない。俺はただ、〈ワープ〉というレーベルが大好きなだけ。彼らと良い関係が持てればそれでいいんだ。彼らはクールな作品をたくさんリリーすしてるからね。俺が〈ワープ〉っぽいレコードを作ったとは思わないけど、同時に、それが彼らが求めてることだとも思うし。

〈WARP〉で好きなアーティストやリリースを教えてください。

ジャクソン:ハドソン・モホークとラスティ。あとは、ダークスターも好きだし、オウテカも。それに新しいボーズ・オブ・カナダの作品も最高だったね。俺はとにかくワープの作品のファンなんだ。言い出したらきりがないよ。

あなたのレコードを棚にしまうとき、両隣は誰のレコードになるでしょうか?

ジャクソン:面白い質問だな。でもびっくりことに、実は俺レコードを持ってないんだよ。何度も引っ越ししたり、色んな所に行ってるから、その度にいつもレコードを処分しないといけなくなって。いまはデジタルで保存できるしね。でも持ってたとしたら......わからないな。分類するのってどうせつまらないし(笑)。

もしあなたから「コンピューター・バンド」がなくなったら、どんな楽器でどんな音楽をつくりますか?

ジャクソン:やっぱりピアノかな。ピアノはベスト。色んなことが出来るから。あとはダブルベースも使うかも。あの楽器は面白いからね。どんな音楽かはわからないけど、使うならそのふたつ。アコースティックで大きな役割を果たす楽器だからね。あとピアノは、身体が全部入るあの大きさが好きなんだ(笑)。

仮に、世界を強者と弱者に大別できるとします。あなたはどちらですか? 理由も教えてください。

ジャクソン:おいおい、自分が弱いなんて言ったらおわりだよ(笑)。強いか弱いか、そんなふうには機能しない。強いと言ってる人たちは、守り方や隠し方、対処の仕方を知らないんだよ。だから、彼らの方が所詮弱かったりもする。強さをわざと増やそうしてるからね。弱さと強さはいつだってバランスがとれてるんだ。精神的強さもあれば、身体的強さもあるわけだし。

情勢的なことも含め、フランスという国についてあなたが思うことを教えてください。

ジャクソン:正直、情勢のことはあまり考えない。実は、俺テレビを持ってないんだ。もう10年くらい。新聞も読まないし、ラジオも聴かない。だから、情報社会から離れてるんだよね。でも街に出れば人と話すから、国が大変な時期にいることはわかってはいる。でも自分の国は好きだよ。

では情勢と関係なく、フランスのいいところと、ださいところを教えてください。

ジャクソン:好きなのはワイン、女性、食(笑)。ダサいのは...わからないな。ステレオタイプ的なものは言いたくないし。他のものを見つけようとしても......ドイツにも住んでたし、イギリス人や日本人も見てるけど、やっぱり国というより人によるよね。

古いレコードを好んで聴きますか? また、それはなんのレコードでしょうか?レコードを持ってないとおっしゃってましたので、デジタルでも。

ジャクソン:フィリップ・グラス、ジェームズ・ブラウン、ウェンディ・カルロスの作品はよく聴いてるよ。

Disclosure - ele-king

ハウスの時代 木津 毅

 ときどき、何かを思い出したようにようにブリアルの最初期のシングル"サウス・ロンドン・ボローズ"を聴くことがある。ガラージのビート、重々しいダブ・サウンド。ここから始まったものが変化し、拡散し、いまやダブステップと呼ばれるものがかつてのダブステップと違ってきていることは知っての通りだが......ビート・ミュージックにおけるこの10年の最大の成果であるダブステップの精神のそのすべてが、それでもまだそこにあるように思うのだ。いまだに僕は、その生々しい迫力を簡単に聞き流すことができない。
 その南ロンドンで生まれたローレンス兄弟は兄のガイが91年生まれ、弟のハワードが94年生まれ。"サウス・ロンドン・ボローズ"の時点で14歳と11歳かそこらである。音楽にもっとも敏感に反応する時期をダブステップ全盛のロンドンで育ち、のちにディスクロージャーと名乗る兄弟の目に、ダブステップの変遷はどんな風に映っていたのだろう。ジェイミーXXそしてディスクロージャーら若い世代がいまハウスに向かっているのは、南ロンドンで生まれたかつてのものが、アメリカでEDMとして白人のレイヴ・ミュージックになっているものと世間では同じ名称を与えられていることと無関係ではないだろう。それとこれとは、別のものなんだと。

 エアヘッドのインタヴューに同席して僕がとくに印象的だったのが、ジェイムス・ブレイクと遊びに行ったフランソワ・ケヴォーキアンのDJがすごく良かったというエピソードだった。ポスト・ダブステップ時代のトラックメイカーたちの興味がハウスに向かっていることは理解しているつもりだったが、それにしてもフランソワKとは! 僕にとってフランソワK辺りは上の世代のものというか、キャリアをしっかり積んだ立派なベテラン(要するに大御所)というイメージだったもので、彼らがまったく新しいものを発見するようにそのオーセンティックなハウス・ミュージックに出会っていることが、どうにも羨ましく思えたのだ。
 『セトル』の国内盤のライナーノーツによれば、兄のガイがダブステップの影響元を遡って発見したのがハウスやガラージだったという。それは彼らにとって紛れもない発見であり、そして恐らく、わたしたちがダブステップの黎明期に感じたような興奮を兄弟はそこで覚えたのだろう。まったく自然な成り行きとして、そしてこのデビュー・フル『セトル』は、ハウスとガラージが中心を占めるアルバムとなった。
 アルーナジョージを招聘したシングル「ホワイト・ノイズ」のセクシーなハウスの時点では、あるいははじめて通してアルバムを聴いたときは、すごくよく出来ているクラブ・ミュージック以上の印象を受けなかったのだが、『セトル』の最大の良さは"イントロ"から間髪入れずに"ホウェン・ア・ファイア・スターツ・トゥ・バーン"へと突入するドライヴ感、タイトル通り炎が燃え上がる瞬間を捉えていることだと何度か聴くとわかる。20代前半が作ったとは思えない完成度の高さが世間に大いに驚かれておりそれも事実なのだが、同時に彼らが自分たちが「新たに」発見した音楽を作っている興奮がここにはある。"スティミュレーション"などを聴いていると、ハウス・ミュージックのワイルドさ、ソウル、セクシーさが、とてもプリミティヴな状態で立ち現れているように感じる。というか、ある程度年のいった連中からすればこれは聴き慣れたハウスのコレクションに聞こえるのかもしれない。が、ダブステップで育った世代からすれば、これはクラブ・ミュージックにおけるソウルの復権運動である。
 その意味で、僕にはサム・スミスが歌うシングル"ラッチ"や、ジェイミー・ウーンがハイ・トーン・ヴォイスを聞かせる"ジャニュアリー"辺りがベスト・トラックだ。そのキャッチーなソウル・ヴォーカルそしてバウンシーなビートには歓びと、クラブ・ミュージックをピュアに謳歌する前向きさがある。ようやくクラブに入るIDを手に入れた連中の、弾む足取りがある。「やっと捕まえた君を離しはしない/取り囲まれた君は逃げられない/俺は君を手に入れる」"ラッチ"

文:木津 毅

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いまUKでは、ハウスがお洒落なのだよ 野田 努

 よくできている......なんて書き出しは偉そうでよくない。しかし、はははは、笑うしかない。だってこれはインナー・シティないしは90年代ガラージ・ハウスやんけ~。もしくはUKファンキー/2ステップのリズムをハウスに差し替えただけ。いつだってハウスは魅力的だ。これがいま快楽に走るUKでバカ売れ。つまり......2013年、我が家のコレクションが流行の最先端になってしまった、そういうことなのだ。
 こんなことを口走るとDJヨーグルトは決まってこう言う。「録音が違っているから違っているんです」と。たしかにそうだ。ドンシャリがはっきりしている。第一、新しい世代のやっていることに対してオヤジが知ったかぶりするのはよくない。ハウスはロンドンのライジオでも、街中でも、お洒落なカフェでもかかっているような、若い男女(もしくは男男)が一緒に楽しみを共有しやすい、もう何年も前からポピュラーな音楽といえばそうなのだ。踊りやすいし、来るモノを拒まないわかりやすさがある。元々はアンダーグラウンド・ミュージックだったわけだが、20年かけてこのスタイルが広く浸透し、新しい世代をも魅了するのは充分にうなずける話だ。

 豆知識:インナー・シティは1980年代末にデトロイト・テクノの上昇をメインストリームにおいてセレブレートしたプロジェクトで、"Good Life"や"Big Fun"といったヒット曲は日本では黒服系ディスコでもヒットした。"グッド・ライフ"はつまり"ストリングス・オブ・ライフ"がレイヴ・カルチャー(アンダーグラウンド・シーン)をセレブレートしたことのポップ・フィールド・ヴァージョンとして広まっている。
 僕はインナー・シティが大好きだった。初期の7インチ・シングルにおけるユニークなUKガラージを捨ててハウス・プロジェクトと生まれ変わったディスクロージャーのデビュー・アルバムも抵抗なく聴ける。懐かしいというよりも、また俺の時代かと勘違いしてしまいそうで自分が怖い。ザ・XXもハウスだし、ジェイムス・ブレイクもハウスだし、まさかのスクリームまでも......いまちょっと掘れば、少し前までインディ・ロックないしはダブステップと括られていたもののなかからハウスがうじゃうじゃ出て来そうじゃないか。さすがUK、流行に敏感。さあ、みんなでディスクユニオンの中古コーナーを漁ろう。
 個人的に関心を持っているのは、フットワークやグライムにアプローチするような連中なのだが、その理由は単純、ハウスのレコードをたくさん持っているし、素晴らしいハウスのDJでさんざん踊ってもいる。もういい。無茶もしたし、良い思いもした。アナーキーな経験もした。いまの僕にとっての朝日は始発に乗りながら浴びるそれではない。まだ眠りたいというのに朝の6時になると否応なしに目覚めしてしまい、歯を磨きながら眺める朝日なのだ。
 ハウスとは求愛の音楽であり、セクシャルな音楽であり、セレブレートする音楽である。今日のUKインディ界は何をどうセレブレートしているのだろう。何にせよ、UKのハウス熱が日本でどのように伝播するのか楽しみではある。日本にも良いDJがいるし、ディスクロージャーを好きになったならシカゴやデトロイトやニューヨークで生まれたハウスにも触れて欲しい。"Bring Down The Walls"を聴いて欲しい。UKにも素晴らしいハウスのアルバムがあることを知って欲しい。そして、この音楽がどこで生まれ、どこから来たのか知って欲しい。
 僕はいまでも"Good Life"のデリック・メイのリミックス・ヴァージョンを聴けば気持ちが上がる。フィンガーズ・インクの"Mysteries Of Love"を聴くと身体が反応する。アルーナジョージの歌を聴いて木津毅が上がるならそれで良い。週末はナイトクラビングだ。楽しいぞ、最終的に音楽は(良い意味で)BGM、人との出会いや友だちとのコミュニケーションこそが重要なのだから......と考えていくと、ネットでコミュニケーションしたつもりになっている文化、ないしはポップ・ダンスへのカウンターとしてのクラブ・カルチャーが盛り上がっているということなのだろう。そうか、そういうことか......、え? 本当にそういうことなのか? 
 ディスクロージャーがジャケで素顔を隠しているのは、ハウスの匿名性というこのジャンル特有の、ある種硬派な態度表明である。一応、形だけでもダフト・パンクがそうであるように、間違ってもファットボーイ・スリムみたいに陳腐なポップ・スターとして振る舞わないことが、ハウスを知る者の流儀としてある。顔よりも音楽だ。それを偶像崇拝を捨てきれないロック・メディアはピュアリストという言葉で揶揄したが、ああ、そうだとも俺はピュアリストだと言ったのが20年前のアンドリュー・ウェザオールというDJだった。主役はお前なんかじゃない。音楽であり、we(我々)なのだ。かつてのサラ・チャンピオンのように、この音楽を本気で感じている人の言葉を読みたい。それがあればだが。

文:野田 努

 カメラのシャッター音と強靭なリズムが聴こえてきたので興奮しながら踊っていると、DJブースの前で跳ねまわっていた男が「ジャム・シティだ!」と叫び、とつぜん僕に飛びかかってきた。びっくりさせるなよ! ああ最高だよ、わかってるから、落ち着け。いや、まだ落ち着かないでくれ。みんなそれぞれ好きなだけ踊り狂っていよう。フロアには走り回って遊ぶパーティ・ピープルまでいた。
 いやしかし、待て、いったい僕はどこから来てここに辿り着いたんだっけ? そして、ここはどこだったっけ?

 ときは2013年3月某日の夜。東京・渋谷の街を見おろす商業施設ヒカリエの9階のホールでは、その立地に似つかわしくない奇妙な光景が繰り広げられていた。ファッション・ピープルが見守るなか、ロンドン・アンダーグラウンドの深い闇に根を張るウィル・バンクヘッド(The Trilogy Tapes)がジョイ・オービソンをプレイしている。それだけではない。自身の新曲を響かせながら、〈C.E〉のファッション・モデルとして大画面で堂々登場したのは、なんと我らがゾンビー。新作『ウィズ・ラヴ』のリリースを控えているゾン様、こんなところでいったいなにを!?

 ファッション・ショーが終わり、なだれこむようにしてパーティは開かれた。DEXPISTOLSや〈キツネ〉のふたりやVERBALといった名の知れた出演陣がDJをしていたが、その一方、すこし離れたもうひとつのフロアでは、海を越えてやってきたアンダーグランド――その熱狂の予感が渦を巻いていた。
 それは〈REVOLVER FLAVOUR〉と題された、デザイナー:KIRIによる饗宴だった。
 日本から1-drink(石黒景太)が迎え撃ったのは、先に述べたウィル・バンクヘッドに加え、ロンドンの〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルとしてLAに基地をかまえる〈フェイド・トゥ・マインド〉(以下FTM)の面々。〈FTM〉をキングダムとともに運営するプリンス・ウィリアム(Prince William)、同レーベルに所属し、アメリカのアート・ミュージック・シーンをさすらうトータル・フリーダム(Total Freedom)
 彼らのプレイから飛び出したのは、グライム/UKガラージ/ドラムンベース/ジャングル/レゲトン/リアーナ/サウス・ヒップホップ/R&B/ジューク/ガラスが粉々にされる音/赤子の泣き声/獰猛な銃声/怯えたような男の叫び声/乱打されるドラムなどなど。
 〈FTM〉について知っていた人はその場でも決して多くなかっただろう、が、とにかくフロアはダンスのエネルギーで溢れていた。レーベルのヴィジュアル面を担っているサブトランカ(Subtrança)によるヴィデオゲームめいたCGのギラギラした冷たいライヴVJも、このイヴェントの奇怪さと熱狂を促した。

 それにしても、ヒカリエとベース・ミュージック――そのコントラストは〈FTM〉にうってつけだった。ぜひレーベルのウェブサイトやアートワークを見て欲しい。そこでは、発展していく文化やテクノロジーと、留まることのない人間の物欲や暴力と、地球を支配する自然界の力とが、ワールド・ワイド・ウェブのなかで拮抗と核融合を重ねながら爆発を起こし、我々の脳――PCの液晶ディスプレイへ流れだしている。すでにわれわれの実生活において、文明は現代のテクノロジーやデザインの(快適な)成果として現れつづけている(最近はじまった『to be』というウェブ・サーヴィスはもはやヴェイパーウェイヴを作るためのツールにしか見えない......)。〈FTM〉は、そんな現実を生きる活力として、LSDでもSNSでもなく、ダンスとソウルを主張する。すなわち、心へ(Fade to mind)、と。


Kingdom
Vertical XL

Fade to Mind

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 間もなく〈FTM〉から、レーベル・オーナーでもあるキングダムの『ヴァーティカル・XL』がリリースされる(先行公開されている曲は"バンク・ヘッド"と題されている)。

 以下は、〈FTM〉の共同オーナー:プリンス・ウィリアムと、サブトランカの片割れ:マイルス・マルチネスとの貴重なインタヴューである。取材を受けるのは初めてとのことだった。サウンドトラックにはぜひこのミックスを。
 いつなにが起こるかわからないのはデジタルの世界もアナログの世界もおなじ。インターネットが見れなくなる前に、いますぐ印刷するのをおすすめしたい。

 夏以降、〈FTM〉のアクトが来日する動きもあるようなので、詳しくはまた追ってお知らせしよう。どうか、ダンスとソウルをあなたに。

90年代のレイヴ・カルチャーは逃避主義的すぎた。僕らは人びとに触れあいがあってほしいし、「いま」を生きてほしいんだ。クラブの外に出たとき自分たちがどこにいるのかを認識してほしいんだ。僕らのメインドラッグは珈琲だよ(笑)。

今回はわざわざ来日してくれてありがとうございます。まさかこんなに早くあなたたち〈FTM〉に会えるとは思いませんでした。日本に来るのは何回目ですか?

マイルス・マルチネス:僕は2回目だよ。最初の来日は2001年で、アシュランド(トータル・フリーダム)も同じ。ングズングズ(Nguzunguzu)はソナーが初来日だ。

プリンス・ウィリアム:僕も同じころが最初で、今回は2回目だ。前にきたときは〈アンダーカヴァー〉や〈ベイプ〉とかストリート・ウェアのファンでただの買い物客だったんだ。だから、KIRIやSk8ightthingをはじめ、ファッションに携わるみんなとこうして仕事ができるなんて夢みたいな出来事だよ。いつか日本の生地をつかった服をつくりたいね。

では、もともとファッションにはつよい興味を持っていたのでしょうか?

プリンス・ウィリアム:もちろんだよ。僕は人口の少ないテキサスのちいさな町で育ったんだけど、そういったカルチャーをディグしたんだ。

マイルス・マルチネス:ヴィジュアル・アーティストとして、映像も音楽もファッションもすべて表現という意味では共通しているものだと思っているし。

プリンス・ウィリアム:実際〈フェイド・トゥ・マインド〉のほぼみんながアートスクールに通っていたんだ。アシュランドとマイルスはレーベルのなかでももっとも精力的に現代アートの世界でも活躍していて、ほかのみんなは音楽にフォーカスしつつ、やっぱりアートはバックグラウンドにある。新しくてユニークでイノヴェイティヴであるカルチャーそのものを提示するっていう共通のアイデアが僕たちを動かしているし、繋げている。僕らは〈FTM〉をライフスタイルそのものだと考えているよ。〈FTM〉はみんなが友だちで、強い信頼関係にあるんだ。

マイルス・マルチネス:アシュランドはアートスクールには通っていなくて、ただただアーティスト/ミュージシャンとしてのキャリアがあるんだ。彼は学校にいってないことを誇りに思っているよ。

日本の音楽やアートあるいはカルチャーでなにか惹かれるものはありますか?

プリンス・ウィリアム:音楽にもアートにもすごく魅了されているよ。マイルスは日本のアニメーションが好きだよね。僕はコンピュータ・グラフィックスが好きだ。

マイルス・マルチネス:日本のアートだと草間弥生や森万里子が好きで、日本のアニメもたくさん好き。広告もいいし、ヴィデオ・ゲームとかも。全体的に、ファッションもデザイナーもいい。葛飾北斎なんかの古典的な美術も好きだよ。

プリンス・ウィリアム:プリクラも。

マイルス・マルチネス:プリクラ、いいね。

プリンス・ウィリアム:音楽なら、坂本龍一のことは〈FTM〉のみんなが大好きだよ。YMOのこともね。とても大きな影響力があるよ。つまり何が言いたいかというと、日本のテクノロジーに惹かれるんだ。

マイルス・マルチネス:YAMAHAとかシンセサイザーとかね。

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インターネットの文化にはさまざまな問題も感じている。たくさんのリサイクルで溢れているし、多くの人びとが好きなだけ情報を享受しているばかりで、自分から何かを還元している人は少ないよね。その状況には文化的に何か問題がある気がするんだ。

なるほど。テクノロジーについてはまたのちにお訊きしますが、その前にまず〈FTM〉のヴィジュアル面を大きく担っているサブトランカの活動について聞かせてください。ちょっと気になっていたんですが、ジャム・シティのヴィデオを手がけたのはあなたの相方であるダニエラ(Daniela Anastassiou)ですか? 変名かなと思ったのですが。

マイルス・マルチネス:あれは違うんだ。僕たちはングズングズ(Nguzunguzu)マサクーラマン(Massacooramaan)のヴィデオを手掛けていて、〈FTM〉以外ではSFのショート・フィルムをサウンドトラックまで手掛けて、小規模な映画祭で上映したこともあるよ。

〈REVOLVER FLAVOUR〉でもライヴですばらしいVJをしていましたね。以前にジェームス・フェラーロやインクのメンバーのライヴでもマッピング映像を披露しているそうですが、そういった上映作品はウェブにアップなどして公開しないのですか?

マイルス・マルチネス:僕たちは変人だと思われるかもしれないけど、レアなライヴの感覚が好きなんだ。サイバー・カルチャーには深く入れ込んでいるし、影響を受けてはいるんだけど、僕たちはインターネットに対して懐疑的でもあって、オンラインだと簡単に見過ごされてしまうこともある。だから僕たちはライヴ・ヴィジュアルにこだわって、体験としてレアでありたいんだ。変なことかもしれないけど、それが自分たちにとってここちよいやり方なんだ。

プリンス・ウィリアム:僕はそれがクールだと思うけどな。

〈FTM〉はウェブサイトをとてもアーティスティックに作っていますし、コンピュータ・グラフィックによるアート・ダイレクションも、インターネットにおける情報の無茶な重層感/合成感といいますか、テクノロジーのごった煮感が強く表れていると思いますが、それでも同時にインターネットに対して懐疑的になるのはなぜでしょう?

プリンス・ウィリアム:インターネットは定義上、現れては消えて、臨時的だから。僕たちはクラシックな瞬間を作りたいんだ。それにとても言いたいのは、僕たちがおなじ部屋にいて初めておなじ瞬間をいっしょにわかちあっているという共通の体験を大切にしたいということだよ。ヴュアーの類としてではなくね。

マイルス・マルチネス:インターネットの文化にはさまざまな問題も感じている。たくさんのリサイクルで溢れているし、多くの人びとが好きなだけ情報を享受しているばかりで、自分から何かを還元している人は少ないよね。その状況には文化的に何か問題がある気がするんだ。もちろん僕はインターネットを愛しているよ。たくさんのひとが色んなものを見れるし、それは偉大なことだと思う。でも、レコードを手にして初めてアートワークを見る事ができたり、映画館に行かないと作品を見れない事だったり、現実世界のそういう制限的、だけど経験的な部分に僕は強く惹かれるんだ。たくさんのものがコピー&ペーストされていくインターネットとは違って、新譜のレコードを実際に手にするあの瞬間のような、その経験自体を僕はクリエイトしたいと思っているから。

プリンス・ウィリアム:タンブラーのことは知ってるでしょ? みんなが素材を拾って、再投稿する。そこでは新しいものを作らなくてよくなる。クリエイトするエナジーを使わないかわりに、「これイイネ!」「あれいいね!」ってライクすることでリサイクルにエナジーをつかっているだけなんだ。なにかを作っている気になれるのかもしれないけど、実際には借りているだけだ。それじゃあ新しいコンテキストは生み出せない。

マイルス・マルチネス:インターネットはたくさんのものを見れるかもしれない。それはたしかにクールなことだ。でも、僕たちはミステリーが好きだし、ミステリアスでいたいんだ。ファティマ・アル・カディリ(Fatima Al Qadiri)もングズングズも一目見てミステリアスでしょう。人知れぬ存在というか。

プリンス・ウィリアム:そう、僕たちはアンダーグラウンドを愛しているんだ。とても実験的なエッジ(力)として。

なるほど。〈FTM〉は、ポスト・インターネット的な意匠が共通していながら、現状いかに面白い素材を拾ってきてリサイクルできるかを匿名で競っているヴェイパーウェイヴとはまったく逆の哲学を根源でお持ちなのですね。
 〈FTM〉のレーベルを強く印象づける要素としてアートワークがとても大きな役割を果たしていると思います。サブトランカとはどのようにして手を組むことになったのでしょうか?

プリンス・ウィリアム:レーベル初期のアートワークはエズラ(キングダム)が担当していて、彼はコンピュータ・グラフィックのとてもクラシックなスタイルをとっている。マサクーラマンのアートワークの真んなかにあるオブジェなんかにそれが現れているね。ただ、彼も音楽にフォーカスしていくうちに時間が限られていってしまったんだ。マイルスはングズとも親友だったんだよね。

マイルス・マルチネス:ングズの作品はファーストEPからアートワークを担当しているよ。

プリンス・ウィリアム:当初〈FTM〉のアートワークを写真だけで作ろうと思っていたんだけど、イメージ通りにはいかなかったんだ。そこで3Dグラフィックをデザインできるひとを探しているところに、ングズと仲のよいマイルスたちサブトランカがいたんだ。自然な運びだよ。マイルスと初めて会った時からもうファミリーみたいに打ち解けたんだ。エズラがアート・ディレクターみたいなもので、マイルスはとてもコンセプチュアルなアイディアにもとづいたデザイナーでありクリエイターだ。エズラがちいさなアイディアをもっていたとして、マイルスはそれを実現に導いてくれる。

マイルス・マルチネス:最近はファティマの『デザート・ストライクEP』のアートワークを担当したり、ボク・ボク(Bok Bok)から『ナイト・スラッグス・オールスターズ・ヴォリューム2』の依頼も受けたりしているよ。

サブトランカのツイッターの背景には写真がたくさん並べてありましたが、あなたのアートワークの基礎には写真があるということなんですね。

マイルス・マルチネス:僕はヴィジュアル・アートやフォトグラフィーやペインティングや3Dを主に学んで、相方のダニエラ・アナスタシアはアニメーションなど映像が基礎にあるんだ。僕はもともと映画業界で働いていたこともあったし、ウィル(プリンス)は写真を勉強していたり、それぞれみんなの背景があって現在のアートワークがかたちつくられているんだよ。僕のアートのコンセプトは「現実と非現実のブレンド」から来ているんだ。

プリンス・ウィリアム:僕たちは「現実と非現実」の狭間にいるね。

〈ナイト・スラッグス〉もしかり、〈FTM〉も唯物的でフューチャリスティックなテクノロジーをアートワークの題材に用いていると思うのですが、それはどういった思想に基づいているのでしょう?

プリンス・ウィリアム:そうだなあ。僕たちは「いま」を生きなければならない。僕たちはクリシェとしてのレトロな音楽をつくりたくはないんだ。いまを生きている僕たちはたしかに過去から影響を受けているけども、僕たちがはじめてガラージやグライムを聴いたときのような衝撃を――音楽の原体験をファンに与えたいんだ。でもそれらを真似したり、おなじことを繰り返したくはない。そのとき、テクノロジーというのはコンテンポラリーであることの大きな要素ではあるよね。でも同時に、最新のシンセサイザーだけを使うわけではない。もちろん、ヴィンテージのサウンドも使う。ヴァイナルのほうが音がよいのもおなじで、過去からのものを活かすこともする。そう、僕たちのコンテクストで意味を成すことが大事なんだ。

マイルス・マルチネス:過去と現在の状況から何かを想定出来るという意味では、フューチャーという概念はすごく面白いと思う。

プリンス・ウィリアム:でも「いま」であるいうことはやっぱりすごく大切で。先進的であるという事ももちろん大切だけれども、リリースする作品は常に今を意識しているし、リスナーにも今好きになってほしいと思っている。2年後に再評価されるとかそういう物ではなくてね。とても難しい部分ではあるのだけれど、そういったバランスを大切にしながら、つねにイノヴェイティヴでいたいんだ。

マイルス・マルチネス:ただただ物事を先に進めて行きたいと思っている。前進だね。

プリンス・ウィリアム:そう、前進していくんだ。ただ、フューチャーという言葉はいまではレトロの文脈で使うことが多いよね。70年代とかクラシックなSFとかが持っていた「どんなことが起こり得るか」の想像力を愛してはいるけど、僕らはやっぱり現代に強く根ざしているし、〈FTM〉の哲学は「いま」(now)だよ。

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僕たちは「いま」を生きなければならない。僕たちはクリシェとしてのレトロな音楽をつくりたくはないんだ。いまを生きている僕たちはたしかに過去から影響を受けているけども、僕たちがはじめてガラージやグライムを聴いたときのような衝撃を、音楽の原体験をファンに与えたいんだ。

なるほど。未来的なイメージとの差異から現代(いま)を浮かび上がらせるということでもあるのでしょうか。
 それでは、レーベルそのものについて話を伺いたいと思います。〈FTM〉は、ロンドンのボク・ボクらによる〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルとしてLAで運営されていますね。まず、ングズングズをリリースをしたいということから〈FTM〉が始まったというのは本当ですか? 

プリンス・ウィリアム:そのとおり、それがとても大きな理由だね。彼らは最初のEPをフリーでリリースしていた。色んなバンドをリリースしているレーベルからオファーがあったみたいだけど、旧いコンテキストのうえで紹介されて理解を得られないんじゃないかと僕たちは心配だった。だから僕たち自身のコンテキストを作ったんだ。それにングズングズとマイクQ(Mike Q)が〈ナイト・スラッグス〉の色とは違っていたのもあって、キングダムと手を組んで〈FTM〉を立ち上げてレコードを出すことにしたんだ。
 それまで僕はブログをもっていたから、それをつかってレーベルをやろうとしていたんだ。例えば、ガール・ユニット(Girl Unit)はとてもシャイだったから当時隣の家に住んでたのに初期のデモ音源をボク・ボクに直接送れなくて、僕に渡してきたから、それを僕がボク・ボクに「これを聴くべきだよ」って繋いだんだ。だからもしそのとき僕がレーベルをはじめていたら、きっとガール・ユニットやキングダムと契約していただろうね。
 その年に〈ナイト・スラッグス〉がはじまっていい仕事をしはじめて、僕たちは「オーケー、僕たちの出る幕はないな」と一旦は思ったんだけど、まだやる余地があるのを見つけたんだ。
 そうして〈FTM〉は〈ナイト・スラッグス〉を基にして生まれたんだ。アレックス(ボク・ボク)がロゴをデザインしてくれたり、ミキシングやマスタリングなどのすべてにおいて彼から学んだんだ。リリースする作品に関しても彼の意見を常に参考にしていたよ。

ボク・ボクとはどのようにして出会ったんですか?

プリンス・ウィリアム:インターネットだよ。マイスペースを通してだね。キングダムは当時デュオでDJをしていたボク・ボクとマナーラ(Manara)に出会ったんだ。キングダムはガラージや2ステップやグライムといったイギリス発の音楽にとても大きな影響を受けていて、ボク・ボクたちはサザン・ラップやアメリカ発のクラブ・ミュージックに影響を受けていた。お互いの国のカルチャーへの興味が交差して、その強いコネクションがあってそれぞれのサウンドが築かれていったんだ。

〈FTM〉とおなじくングズングズやファティマ・アル・カディリをリリースしている〈ヒッポス・イン・タンクス〉や〈UNO NYC〉など、他のレーベルとはなにか交友関係があるのでしょうか?

プリンス・ウィリアム:〈ヒッポス・イン・タンクス〉のバロン(Barron Machat)はいい友だちなんだ。でも他の多くのレーベルもそうだけど、バロンもレイドバックしてるんだ。ングズングズがデモを送っても彼はそれを受け取るだけだった。でも僕たちはフィードバックを返して、ミックスに入れたり、好きなレコードをプレゼントしたりした。〈FTM〉は他のレーベルと違ってデモを受け取ってリリースするだけじゃないんだ。アーティストをプッシュして、彼らによりよいものを作ってほしいと思っている。僕らはアーティストのために働きたいし、リリースに際してたくさんのエナジーをつかうよ。お金や資源を投じるだけじゃなくてね。〈ヒッポス〉のようなレーベルと僕たち〈FTM〉の契約するときの違いはそういうところかな。〈UNO NYC〉もレイドバックしてるからね。でもどちらが正解ということじゃない。〈FTM〉にはクリエイティヴなプレッシャーがあるんだ。アーティストにはクリエイトする環境で生き抜いてほしいから。だから、ほかのレーベルとは違うシステムで動いていると思う。
 〈FTM〉と〈ナイト・スラッグス〉はふたつでひとつのレーベルだと思う。僕たちはビヨンセやリアーナ、クラシックなR&Bに大きな影響を受けている。エモーショナルな歌が大好きだ。ブレンディーのレコードは去年のお気に入りだな。ジェシー・ウェアもわるくないけど、彼女の場合はスタイルに重きがあるよね。僕はエモーショナルなものが欲しい。メアリー・J. ブライジのように。

「フェイド・トゥ・マインド(心へとりこまれる)」というレーベル名はプリンスがつけたそうですね。レーベル・コンセプトについてキングダムはクラブ・ミュージックに心を取り戻すと語っていたと思うのですが、つまりそれまでのクラブ・ミュージックに対する批評的な視点があるということでもあるのでしょうか? また、レーベルをスタートさせてから2年経ちますが、現状どのような感想をお持ちですか?

プリンス・ウィリアム:それはちょっと誤解で、僕たちはそれまでのクラブ・ミュージックに対して不満があったわけではないよ。レーベル名の意味については、ただ僕たちがやりたいこと――クラブにソウルを吹き込みたいということを語っているだけだよ。エズラ(キングダム)はとてもスピリチュアルでミスティカルな人間なんだ。メディテーションに興味があって、「身体の外の経験」――すなわちそれが「フェイド・トゥ・マインド」なんだ。そこにクラブ・ミュージックがあるとき、人びとにソウルフルな体験を味わってほしい。僕たちはクラブに/リスナーにエナジーを注ぎこみたい。朝の起き抜けに音楽を聴いて起きたり、夜の疲れているときクラブに行ったりするでしょう。僕たちはそういうものを欲しい。ハイエナジーな音楽を。

さきほども挙げられていたガラージや2ステップなど、なぜイギリスの音楽に惹かれるのでしょう?

プリンス・ウィリアム:繰り返しになるけども、僕たちはただイノヴェイティヴなレコードを作っていく。けれど、それと同時に一般的な人びとやストリートにもアピールしたいと思っている。人びとがソウルフルになれる実験的なクラブ・ミュージック――たとえば、グライムはとてもクリエイティヴでイノヴェイティヴだ。さまざまなジャンルに派生していける可能性も秘めていたしね。
 全体的にイギリスの音楽は、ソウルフルでありながらとても冷たい、温かいのにハードなんだ。驚くべきバランスで成り立っている。ロンドンにはとてつもない緊張感があって、それがすばらしい音楽を生み出しているんじゃないかな。そういうところに影響を受けているね。トレンドが移り変わって、リアクションがあって。イギリスの音楽はヴォーカルやアカペラをまったく色の違うトラックに乗せたりするけど、ヴォーカルを新しいコンテキストに組み込むというのは僕たち〈FTM〉にとっても設立時からずっと鍵であるアイディアだった。それもあって、ケレラ(Kelela)のようなオリジナルなシンガーをレーベルにずっと迎えたかったんだ。

イギリスの音楽というところで、ブリアルやアンディ・ストット、また、国は違いますがR&Bのハウ・トゥ・ドレス・ウェルなどにはどのような感想をお持ちですか?

プリンス・ウィリアム:僕はとても〈ハイパーダブ〉に影響されたけど、もっとエネルギーのあるレコードを好んでいたから、ブリアルを最初聴いたときはチルな感触がマッシヴ・アタックのようなトリップ・ホップのように感じられた。そんなにプレイすることもなかったし、おおきな影響を与えられた存在とは言えない。エズラ(キングダム)はヴォーカルのマニピュレーションがとても評価されているけど、どちらかというとドラム・ン・ベースからの影響が強いね。
 アンディ・ストットはどんな音楽なの? 知らないな。
 ハウ・トゥ・ドレス・ウェルよりも、僕はインク(Inc.)の方が好きだ。近しい友だちでもあるしね。
 僕は音楽においてダイナミクスが聴きたいんだ。ただ悲しいものだけじゃなくてね。僕たちの音楽は、悲しかったり、ハッピーだったり、ハイエナジーだったり、すべてがひとつの瞬間に起こる。でもハウ・トゥ・ドレス・ウェルはとってもとっても悲しくてとっても沈んでいるよね。沈みっぱなし。彼のプロダクションとかサウンドは好きなんだけど、僕は音楽にアーク(弧)が欲しいんだ――クラシカル・アーク――『クラシカル・カーヴ』さ。

(一同笑)

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〈FTM〉と〈ナイト・スラッグス〉はふたつでひとつのレーベルだと思う。僕たちはビヨンセやリアーナ、クラシックなR&Bに大きな影響を受けている。エモーショナルな歌が大好きだ。ブレンディーのレコードは去年のお気に入りだな。ジェシー・ウェアもわるくないけど、彼女の場合はスタイルに重きがあるよね。僕はエモーショナルなものが欲しい。メアリー・J. ブライジのように。

ングズングズも含め、〈FTM〉のみなさんのDJプレイはダンスを強く希求するハイエナジーなものでした。本誌でも工藤キキさんが〈GHE20G0TH1K〉(ゲットーゴシック)の客のファッションについて「90'Sのレイヴの独自の解釈?」と表現していましたし、PROMの甲斐さんも「まるでレイヴだった」と話してくれました。あなたたち自身は、たとえばかつてのレイヴ・カルチャーないしはセカンド・サマー・オブ・ラヴに対して憧憬はありますか?

マイルス・マルチネス:僕個人的にはオリジナル・クラブ・ミュージックというのは、ヨーロッパではなくアメリカ発祥のそれであって、シカゴ・ハウス/シカゴ・ジューク/デトロイト・テクノなどかな。初めて好きになった音楽はヒップホップで、それからすこし違う文脈でハウスやテクノを知るようになった。

プリンス・ウィリアム:僕も初めはヒップホップから入ってデトロイト・テクノのようなものを知った。でもエズラはまったく違くて、彼はヨーロッパのクラブ・ミュージックに入れ込んでいた。彼も僕もドラムンベースは大好きだし鍵となる影響を受けているし、ドラムンベースは僕のなかでヒップホップとテクノとを繋いでいる橋なんだけれど、僕がヒップホップに入れ込んでいる一方で、エズラはR&Bに入れ込んでいた。ラジオでかかる音楽を実験的なテリトリーに引き込みたいというアイディアがあったんだ。ヨーロッパの国営放送では実験的なレコードがかかるよね。それはただのポップではない。アメリカのラジオは崩壊したシステムで成り立ってる。DJに金を払わなければいけない。良いレコードをつくってラジオでかけてもらうということがアメリカではありえないんだ。
 はじめてレイヴが起こった頃に僕は14歳だったし、レイヴはヴィジュアル面でとてつもなく大きい影響があったこともたしかだ。フライヤーとかモーション・グラフィックとか、エズラもアート・ダイレクションにすごくレイヴカルチャーの影響を受けているよ。

マイルス・マルチネス:そう、そのとおり。

プリンス・ウィリアム:でも同時に、90年代のレイヴ・カルチャーは逃避主義的すぎた――ディプレスやデジャヴからの逃避。僕らはひとびとに触れあいがあってほしいし、「いま」を生きてほしいんだ。クラブの外に出たとき自分たちがどこにいるのかを認識してほしいんだ。なにも日々の仕事から離れさせようとか落ち込んでいるのをカヴァーするとかではなく、僕は気分の沈みをクリエイティヴィティに変えるのを助けたいんだ。僕らのメインドラッグは珈琲だよ(笑)。

カフェインもなかなかですからね。プリンスはコンセプトについて語ると一貫していますし、〈FTM〉が逃避ではなく、いま現実を生きる活力としてのダンスを主張しているというのがよくわかりました。それでは、最近聴いた音楽でよかったものと、うんざりしたものを教えてください。

プリンス・ウィリアム:インク。インクだよ。僕たちのもっとも好きな音楽だし、とてつもない影響をもらっているし、新しいアルバム『ノー・ワールド』はつねに車でプレイしている。
 不満をいうなら、トラップだね。あれはカウンター・カルチャーじゃないと感じるし、事実あれはアメリカのラジオでかかっている。たとえば、ビヨンセがトラップに乗った音楽がある、一方でトラップのインストゥルメンタルだけの音楽がある。どっちがほしいだろう? 僕はビヨンセが欲しい。わかるかな。僕はトラップのインストじゃなくてビヨンセがあればいい。それにトラップはサザン・スタイルのヒップホップだ。でも南部じゃないひとたちがたくさんトラップを作っているでしょう。そんなのはリアルじゃないよ。ただのトレンドだ。

マイルス・マルチネス:僕はDJラシャドが好きだな。新作はもちろん、古いのも。クドゥーロも好きだし、グライムも好きだし......なんていうかな。

プリンス・ウィリアム:マイルスはとてもポジティヴだからね。

マイルス・マルチネス:はは(笑)。好きじゃないものは聴かないから。音楽雑誌も読まなくなったし、欲しいものをは自分で探すようにしてる。僕はングズングズが大好きだし、ジャム・シティもキングダムもファティマ・アル・カディリも......シカゴの音楽も、マサクーラマンも、E+Eとかも...とにかく友達はすばらしい音楽を作るし、それが好きなだけだよ。

それでは最後の質問です。あなたたちが日本にくるまえ、2年前に、震災と原発の事故があったことはご存知ですよね。日本国内の市民である僕たちでさえ安全だとはとても言えないのですが、そんななか自国を離れ、わざわざ日本に来るのは不安ではなかったですか?

マイルス・マルチネス:この世界では日常的に汚染だとか放射線とか僕たちにはわからないクレイジーなことが起きているし、いつも死に向かっているようなものだよ。それに、日本にはいつだってまた行きたいと思う場所で、それは事故のあとも変わらないよ。

プリンス・ウィリアム:僕が思うに、〈FTM〉は恐れではなくポテンシャルによってここまで来ることが出来た。僕らのクルーが恐れについてどうこう話をすることすらないよ。日本はすばらしい場所だし、いつだってサポートしたいと思うカルチャーがある。アメリカでもカトリーナのあとのニュー・オリーンズとおなじで、僕たちはそこに行ってお金を回してカルチャーを取り戻したいと思ったし、実際、日本の経済的な状況は前に来た時よりもおおきく変わったのを今回は肌で感じることもできた。
 ストリート・カルチャーもおおきく変わったね。前に来日した時はコンビニに入れば『smart』とかストリート・ファッションの雑誌がたくさんあった。でももうそういうのが見られないよね。ストリート・カルチャーはもっと狭くなってしまった。みんな年を重ねてソフィスティケイトされた。でもそれは悪いことじゃなくて、ただシフトが起こっただけだと思う。
 とはいえ、実際に住んで生活をしている人とアメリカにいる僕とでは経験としてまったく違うのだろうと思う。(311の頃)日本の友達にはすぐ電話したんだけど、僕はとても心配だったよ。
 災害時にすぐにメディアがポジティヴな話題に切り替えたり、人びとの間で実際に被害の話ばかりするのが良くないという風潮があったというのは、やっぱり日本の文化的な面も大きいと思う。そこには悪い部分もあるかも知れないけれど、僕はそれは日本の良い部分でもあると思うんだ。恐れの話をしてもしょうがないというときもある。それはポテンシャルと自信を生む事もあるし、このように気の利いた社会というのはそういうメンタリティによって支えられているとも思うんだ。だから僕たちはまた機会があれば日本に来たいし、出来る限りサポートしたいと思っている。ここの文化からはすごく影響を与えられているから。

なるほど。これからも〈FTM〉を躍進させて、僕たちを思いっきり踊らせてください! ぜひまたお会いしたいです。今回はありがとうございました。

interview with DJ Nobu, Shhhhh, Moodman - ele-king

この度、『Crustal Movement』なる3枚のミックスCDがエイヴェックスから同時にリリースされた。DJノブによる『Dream Into Dream』、Shhhhhによる『EL FOLCLORE PARADOX』、ムードマンによる『SF』。3人のDJのそれぞれの個性が反映されているばかりか、今日のクラブ・ミュージックの魅力を切り取った、3枚とも実にドープな仕上がり。クラブ・ミュージックの「いま」がしっかりあって、しかもミキシングの「いま」もある。

interview with DJ Nobu

キラー・テクノ ──DJノブ、インタヴュー

取材:小野田 雄

DJ NOBU
Crustal Movement Volume 01 - Dream Into Dream

tearbridge

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 ちょうど10年近く前になるだろうか。噂を聞きつけて、不案内な千葉へと初めて出掛け、デトロイト・ハウスのドン、テレンス・パーカーと盟友のスティーヴ・クロフォードをフィーチャーしたFuture Terrorで味わったのは濃厚なハウス・ミュージックだったと記憶している。その当時の片鱗は〈MOODS & GROOVES〉の音源をエディット、ミックスした2008年のミックスCD『CREEP INTO SHADOWS』で追体験出来るものの、Future Terror主宰のDJ NOBUは気が付けば、いつからか、テクノをプレイするようになっていて、2010年に日本人で初めてドイツ・ベルリンのベルクハインでプレイするまでの傑出したDJになっていた。
 そのあいだの自分はといえば、彼のプレイするパーティやFuture Terrorに足繁く通っていたわけではなかったけれど、それゆえに、4作目となる最新ミックスCD『Crustal Movement Vol.01:Dream Into Dream』は成功を収めてなお、変わらずに変わり続ける彼の音楽性とそのスタンスに大きな衝撃を受けた。そして、テクノやハウスがインダストリアルやノイズ、ドローン、ミュージック・コンクレート、ヴィンテージな電子音楽などと共振しながら描き出す美しくも危ういサウンドスケープに驚き、魅せられると同時に、久しぶりに彼の話をゆっくり聞いてみたいと思った。

はっきり言って、全体的に見たらいまの日本は出遅れちゃってるんですよ。もちろんそうでない人もいますけど。だから、マズいっていうか、「日本なんてたいしたことねえよ」って思われるのもイヤだし、負けたくないじゃないですか(笑)。だから、面白いことを考えていきたいなって気持ちが強かったというか。

2006年の『NO WAY BACK』から最新作の『Crustal Movement Vol.01:Dream Into Dream』まで、これまでリリースした4作のミックスCDを紐解くと、NOBUくんの音楽遍歴がはっきりわかりますよね。

DJノブ:その変遷はわかりやすいですよね(笑)。90年代、テクノが好きだったにも関わらず、出会いに恵まれていなかったり、面白さを感じられなくなって、一時期、DJの現場から離れるんですけど、その時期にいままで通ってこなかったハウスに触れて。もともと、ブラック・ミュージックが好きだったこともあって、その流れからハウスもすごく好きになって。DJを再開してからはハウスをプレイするなかで、スパイスとしてテクノを使うようになるんですけど、どうしてそうなっていったかというと、デカかったのは「濡れ牧場」だったりして。

「濡れ牧場」というのは、CMT、Shhhhh、UNIVERSAL INDIANNという3人のDJが東高円寺GRASSROOTSで主宰していた伝説的なアシッド・パーティですね。

DJノブ:彼らはDJを通じて、人に驚きを与えることをやってたじゃないですか。僕はおそらくもっとも濡れ牧場にゲストで呼ばれてプレイしてるDJだと思うんですが、僕も負けず嫌いなんで、例えば、ノイズを混ぜてみたり、「どうしたら面白いことが出来るか?」っていう試行錯誤をしながら、みんなで遊ぶなかで、当時の時代性もあってか、面白い作品がどんどんリリースされるようになったテクノに惹きつけられて、気づいたら、テクノが中心になっていたっていう。もちろん、いまでもハウスはプレイするんですけど、自分はテクノに完全に取りつかれてしまっているので、流れとしてはそういう感じなんですよね.

NOBUくんを魅了してやまないテクノはどこに魅力があるんでしょうね?

DJノブ:テクノという音楽はDJの力量によって、最高のものにも、最低のものにもなると思うんですね。そういう意味で、テクノはひりひりした緊張感をもって、自分がプレイヤーでいられる音楽、自分の世界を作りやすい音楽だと思うんですよ。しかも、エレクトロニック・ミュージック全般で考えた時、テクノは進化の速度も早いので、自分も飽きずに接していられる......飽きないというか、ホントに自分が頑張らないと、置いていかれちゃう世界だと思うので。

2010年にプレイしたベルクハインでの体験を振り返ってみて、いかがですか?

DJノブ:いま、思い出すと、そこで繰り広げられているスタイルを日本でやってる人と出会えてなかったんですよね。もちろん、ベルグハインのような環境がないなかで、「このレコードはこうやって使うんじゃないか?」って自分なりに考えてきた経験は、それはそれで重要だったりはするんですけど、2009年に初来日したマルセル・デットマンと一緒にやったとき、「テクノってこういうことでもあったのか。知らなかった。すみません」って感じの衝撃を受けて。さらに翌年呼ばれたベルクハインでは自分の出番が終わった後、午後4時くらいまでずっと踊って、彼らがやっていることに真剣に向き合ったことで、本当にたくさんの発見があったんです。でも、もう3年前の話なんで。

ベルクハインで目から鱗だった発見というのは、例えば、グルーヴの作り方とか?

DJノブ:いちばんデカかったのはグルーヴの作り方ですね。そのグルーヴにしても、「ベルクハインのスタイルは変わらず一貫している」って言う人も多いんですけど、去年、感じたのは、彼らは彼らで実はさり気なく変わっていて、根っこにあるグルーヴも最近は丸くなったり、変化し続けていますね。

自分は行ったことがないんですけど、世界最高峰の音響だったり、あるいは快楽追求が半端じゃないゲイ・クラウドだったり、ベルグハインのエクストリームな環境は日本には存在しないわけで、向こうのスタイルをそのまま日本で再現するのは難しいというか。

DJノブ:日本は日本で別の意味でのエクストリームな現場が存在するし、状況もシーンのあり方も全然違いますからね。とはいえ先ほどの話じゃないですけど、テクノをかける手法は学ぶ事も当時はありましたし、もちろんたくさんの刺激を受けましたね。

2010年末にリリースした前作『ON』は、そうしたベルクハインでの経験が反映されたミックスCDだったと思うんですけど、その後、2年以上に渡って、全国各地でいろんな夜、いろんなフロアを経験するなかでどんなことをよく考えます?

DJノブ:例えば、海外から来て、来日したときのDJやライヴがまったく良くなかったアーティストでも、ただ来日アーティストってことだけで、良いと思っちゃう人は相変わらず多いのかなって。もちろん、こんな人がいたんだって驚くような海外のアーティストが出てきたりもしていますけど。こないだも某来日アーティストがやってた全然面白くないライヴが盛り上がってて、そうかと思えば、UNITのDEMDIKE STAREで一緒になった京都のSTEVEN PORTERとか、KEIHINがAIRで新しくはじめたパーティ「Maktub」にライヴで出たRYO MURAKAMIくんのライヴを見たら、相当にクオリティが高いことをやっているのにそこに気づいてない人が多かったり。まぁ、それは最終的に俺の好みの問題になっちゃうんですけど、「この人は光るもの持ってるな」って思う人は日本にもいるのに知らないままでいるのは、もったいないと思うんですよ。みんな、まわりの評判やメディアの情報をただ受けるだけじゃなく、自分の感覚を信じて、能動的に面白いものを見つけられるようになったらいいんじゃないかって思うんですけどね。

ここ最近、音楽の進化のスピードがあまりに速いから、その動きに付いていくのは大変だったりもするでしょうし、まずはその夜をどう楽しむか、楽しませるかっていうのが夜遊びの基本だったりもするでしょうから、そう簡単な話ではないと思うんですけどね。

DJノブ:でも、ときには多少リスクを侵してでも、いままでの楽しみ方とは違った新しい試みを取り入れていかないと面白くないじゃないですか。だから、そのバランスはホントに難しいし、悩み続けているポイントだったりもして。新しいことをやるのと聴きやすさ、なじみ易さのバランスはつねに意識してます。

今回のミックスCDにしても、ここ最近のピークタイムを切り取った内容にするという選択肢もあったと思うんですよ。でも、そうせずに、広義の電子音楽に立ち返りながら、進化しているテクノのカッティング・エッジな流れに共鳴したところがNOBUくんらしいなと思いました。

DJノブ:いまはSOUNDCLOUDを掘れば、その辺のミックスCDよりもいい音源なんて、いっぱいあるんですよ。だからこそ、新しい感覚のものを提示していかないとなって思ったんですよね。しかも、いま、日本のテクノでそういうことをやろうとしている人も少ないですし、そう考えたら、自分はチャレンジしていかないとなって。世界のトップ・レヴェルでやってる人もいたりはしますけど、はっきり言って、全体的に見たらいまの日本は出遅れちゃってるんですよ。もちろんそうでない人もいますけど。だから、マズいっていうか、「日本なんてたいしたことねえよ」って思われるのもイヤだし、負けたくないじゃないですか(笑)。だから、面白いことを考えていきたいなって気持ちが強かったというか。

今回はヴァイナルをデータ化にしたもの、それからデータで買ったものがちょうど半々くらい。ここ最近は僕もUSBを差したCDJ-2000を使ったりもしているんですけど、今回に関しては、「ライヴ・ミックスはパーティで聴いて欲しい」って感じで(笑)、Abletonで作り込みました。

テクノという枠組みにとらわれず、広く電子音楽を意識するようになった具体的な作品やアーティストは?

DJノブ:前作『ON』でも使っていましたけど、振り返ると、ダブステップの枠をはみ出したShackletonやインダストリアルな、あるいはアブストラクトなベクトルで発展していったSandwell District、Silent Servantなんかの登場がデカかったと思いますね。その流れでRegisを聴き直したら、90年代にはわからなかった感覚がわかったり、そうやってあれこれ掘るようになったんですよね。後はSvrecaのような表現者。IORIと遊ぶようになったのも大きいです。MnmlssgsのChrisと交流を持つようになったことも大きいです。

例えば、2曲目のTod Dockstaderは昔のライブラリー音源だったり、16曲目のFrancis Dhomontもミュージック・コンクレートだったり、ダンス・ミュージック用に作られていない曲が多数使われていますよね。

DJノブ:その辺のレコードは家で聴くのが面白くて買うようになったんですけど、よくよく考えると、初めて、dommuneに出たときもターンテーブルが壊れたときにかけたのもそういう現代音楽のレコードだったんですよね。何年か前なので忘れちゃいましたけど、Chee(Shimizu:DISCOSSESSION)さんのORGANIC MUSICで買ったものだったんですよね。それ以前にも「濡れ牧場」でオブスキュアなレコードを使って、変な時間を作ったりすることはやったりしていたから、その流れが歳月を経て、洗練されたということもあるんじゃないかと思いますね。

ミックスCDの構成に関しては、どんなことを考えました? 例えば、MOODMANのミックスは、USBを差したCDJ-2000を使ったからこそ、クイック・ミックスを通じて、独自のグルーヴが出てると思うんですね。

DJノブ:今回はヴァイナルをデータ化にしたもの、それからデータで買ったものがちょうど半々くらい。ここ最近は僕もUSBを差したCDJ-2000を使ったりもしているんですけど、今回に関しては、「ライヴ・ミックスはパーティで聴いて欲しい」って感じで(笑)、Abletonで作り込みました。作り込んだものじゃなければ、自分としては売れるものにならないなって。
 だから、今回はいままででいちばん曲数を多く使って、コラージュしながら、映画を観るような、ある種のストーリーが感じられるものにしました。そういう意味では普段のDJとは頭の使い方も違いますよね。ただ、いちばん最初に作ったテイクがあまりにマニアックすぎたというか、あまりにも度が過ぎたものになってしまったので(笑)、キックが入ってくる7曲目のADMX-71あたりから自分なりに聴きやすい入口を設けたんです。

あと、ここ最近のトラックは解像度が飛躍的に上がっていると思うんですね。そういう最新のトラックとリイシューものの電子音楽が上手く混ざってるところにも、NOBUくんの上手さや鋭さを実感しました。

DJノブ:後半、2曲使ってるL.I.E.S.のロウなトラックはさておき、今回は古いものも新しいものも音がいいトラックを選びましたからね。だから、当初使おうと思っていたThe Trilogy Tapesのトラックも、もともとがカセットだったり、音質が独特なので、混ぜた時に浮いてしまって。そういう曲を省いていって、最終的にいまの形に落ち着いたんですよ。

今挙がったL.I.E.S.にしても、ハウスの領域をはみ出して、ダブステップや広い意味での電子音楽に歩み寄ってる面白いレーベルだったりしますしね。

DJノブ:L.I.E.S.のトラックは、今回、2曲使ってますけど、海外ではあれだけ話題になっているのに、日本ではいち部のDJしか使ってないし、多くの人には聴かれてもいないじゃないですか。好みの問題でもあるとは思うんですけど、何で面白いものに飛びつかないのか、自分にはよくわからないんですけどね。

だからこそ、今回のミックスCDは、カッティング・エッジなエレクトロニック・ミュージックに触れる最高のきっかけになるんじゃないかと。

DJノブ:それと同時に今回のミックスCDは長く聴き続けられる普遍性も自分なりに追求したつもりです。今回のようなアプローチのプレイもイケるところはイケるというか、土地によっては、テクノについて全く知らないキャバ嬢がガンガン踊ってくれたり(笑)。でも、それは能動的に楽しもうと捉えてくれてるからだと思うんですよ。例えば、こないだ、8年振りに徳島へ行ったんですけど、テクノ・シーンがないに等しいような土地なのに、「ここまでやっちゃっていい?」ってところまでプレイしても、付いてきてくれたし。もちろん、そのときのプレイの良し悪しにもよるんでしょうけど、チャレンジできるところではやっていきたいと思っているんですけどね。

かたや、2001年にスタートしたFuture Terrorも2011年に10周年を迎えたわけですけど、3月9日の最新回はいかがでした?

DJノブ:こないだ久しぶりにやってびっくりしたのは、あのパーティは、自分がコントロールするんじゃなく、お客さんがコントロールしてて(笑)、俺がお客さんに付いていくって感覚がいままでDJしてきて初めてのことだったんですよ。もちろん、それは不快なことではなかったし、むしろ、何のトラブルもなければ、ストレスもなかったし、すごく楽だったんですね。そう考えると、お客さんも遊び方が上手くなったり、音楽の聴き方も変化しているんだろうし、成長しながら、俺たちがやってることについてきて、さらにはDJをコントロールするわけですから、スゴい話ですよ(笑)。

はははは。そういう意味で、回数は減っても、NOBUくんにとって、進化の起点はFuture Terrorにある、と。

DJノブ:いや、例えば去年の話ですけど、進化の起点になったと感じる機会はmnmlssgsのパーティに誘ってもらって自分なりに何を表現するか悩んだり、Labyrinthで体験したBee Maskのライヴが衝撃だったり、他のパーティに、きっかけがあります。自分にとってFuture Terrorは帰る場所っていうか、俺の原点ですよね。集中力があれだけすごいお客さんが集まるパーティはほかになかなかないと思うし、自分ではじめたパーティながら、「ああ、こんな盛り上がり方してるんだ」って、他人事のように驚きましたからね(笑)。

取材:小野田雄

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interview with Shhhhh

音のうしろのフォークロア──Shhhhh、インタヴュー

取材:松村正人
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Shhhhh
Crustal Movement Volume 02 - EL FOLCLORE PARADOX

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 "Crustal Movement"シリーズは花も実もあるDJの仕業だけあって、音楽にどこかに運ばれていく感じを、ひさしぶりに味わったすばらしいミックスばかりだったが、なかでもShhhhhの『エル・フォルクローレ・パラドックス』はワールド・ミュージックという確たる言葉はあっても、それが具体的に何を指しているのかわかりかねる音楽をあつかいながら、既知の体系知に寄りかからないShhhhhのものとしかいえない「ワールド」を築いている。リズム、和声、装飾があり、トラッドとダンス・ミュージックからなるこの世界地図を、Shhhhhは上から目線ののっぺりした俯瞰図ではなく、あくまで彼の視野にうつる水平の風景として描き、国境線の画す音楽の分布ではなく、等高線のつながりがほのめかすつながりを聴く。ゆえにそこから、〈Sublime Frequencies〉から〈Honeset Jon's〉まで、クワイトと東欧のポリフォニック・コーラスとが、あるいはボアダムスと(ホワイトハウスのウィリアム・ベネットの別名義である)カット・ハンズが犇めきあうロールシャッハ・テストで反転したような世界地図がうかびあがる。ラテン・アメリカでは「民族音楽」のほかに「伝承」全般を意味する"Folclore(フォルクローレ)"とは、1978年生まれのDJにしてワールドミュージックのディストリビューターにとって、では具体的に何を指すのか。「フリー(クド)・フォーク」と呼ぶべきミックスCDをリリースしたShhhhhに話を訊いた。

緯度ではなくて標高差。海抜が低くなる海のそばの地域では声のソロが多くなるとか、つきつめると傾向があるんじゃないかという、完全に妄想なんですけど、そういうことを考えているうちにイメージが広がって曲がつながって世界が変わっていく感じがありました。

トラベル感がありながらもちっとも長さを感じさせないミックスだと思いました。

Shhhhh:最初はもうちょっとワールドミュージックっぽくて、ヨーロッパのフォークみたいな曲が多かったんですけど。

トラッドということですか?

Shhhhh:そうですね。トラッドで四つ打ちっぽい曲。途中ちょっと入っているじゃないですか? そういった曲を含めたおもしろいセットが最初できたので、それをパッケージングしてみようかと思ったんですが、権利がとれなくて流れが変わっていくにつれて、シャックルトンやボアダムスを入れることでふだん自分がやっていることに近いシンプルなものに着地した感じでした。

シンプルというのは?

Shhhhh:ヨーロッパのフォークだろうが、いまのダンス・ミュージックのおもしろい曲とまぜてひとつの世界観を提示するのが僕のDJの目標のひとつでもあるんです。短く感じるというのは成功というか、最初のヴァージョンだといろんな国をまたいで、あっちいったりこっちいったりするので、それをおもしろがってくれるひとももしかしたらいたかもしれなんですけど、これはエキゾチックなコンピレーションじゃないんですよ。DJがつくるということはひとつの世界観を聴かせることだとも思うんです。だからワールドミュージックの紹介というよりもダンス・ミュージックをまぜたものに落としこみたかったんです。

今回のミックスCDはShhhhhくんにとってのワールドミュージックの現在の見取り図を提示しているといえますか?

Shhhhh:現在の見取り図かといわれるとどうなのかという気がしますけどね(笑)。

たとえば、私が雑誌でこういうテーマで特集をするとしたら、こういう風に編集すると思うんですね。

Shhhhh:雑誌というより、もうちょっとシネマティックというか映像的なのかもしれませんね。妄想の物語かもしれないですが(笑)。一回このなかの解説にも書いたんですけど、「標高差」がテーマというか。

標高差というのを具体的に教えてほしかったんですよ。

Shhhhh:ワールドのトラッドのいろんなところを行き来するみたいなところからダンス・ミュージックに近づけるなかで、後半に行くにしたがって、自分のなかでどんどん空気が薄くなっていく気がしたんです(笑)。録音したスタジオの標高をクレジットしたらおもしろいんじゃないか、というくらい(笑)。国別、地域別の括りはいまはあたりまえじゃないですか? 標高別というのは新しいかもしれない、空気の薄さで音楽性ってつなげられるんじゃないかとか(笑)。

たしかに屋久島なんか、緯度は低いけど、高い山があるから寒冷地の植生もあるもんね。

Shhhhh:そういう感じです。緯度ではなくて標高差。海抜が低くなる海のそばの地域では声のソロが多くなるとか、つきつめると傾向があるんじゃないかという、完全に妄想なんですけど、そういうことを考えているうちにイメージが広がって曲がつながって世界が変わっていく感じがありました。雑誌の編集というのは僕はわからないですが、映画を撮っていくというか、こういう場面、こういう場面、というのでシーンがどんどん変わっていくというのを変わっていくのを考えるのは好きですね。

場面は変わっていくんだけど、全体のつながりはある。そういった動性がある、と。

Shhhhh:僕はいきなり流れを変えるようなDJをするのも好きなんですけど、CDということもあって、世界観を壊さす集中しつつ、細かい変化が起こって標高だけ微妙に高くなっていく感じでやろうと思っていました。CDというので、ふだんのDJよりも世界観をつくるのは意識したかもしれないですね。

Shhhhhくんの作品だと、『ウニコリスモ』があって、〈ZZK〉のコンピ(『ZZK Records Presents... The DigitalI Cumbia Explosion』)があったわけですが、それはアルゼンチン音響派やデジタル・クンビアといったテーマがありましたよね。『エル・フォルクローレ・パラドックス』はそういうものがないところがはじまっていますよね。

Shhhhh:『エル・フォルクローレ・パラドックス』は『ウニコリスモ』の続編的なニュアンスもあるんですよ。多くのリズムやダンスでDJミックスをつくるというのが完全に一致しています。じつは南米の曲は今回、レオナルド・マルティネッリ1曲しか使っていないんですが、ほんとうは使わないつもりでした。僕は南米の音楽に関する仕事もしているし、紹介役を自認してもいるんですが、もうちょっと拡大した方向で考えたいというのもあったんです。それとやっぱり、ワールド系のライセンス系の問題があって――

ライセンスとるって難しいですか?

Shhhhh:音源をもっているレーベルがなくなっていたり、そもそもレーベルが歌っているひとに連絡がとれないということもありました(笑)。

それをわざわざ探してくれるとも思えないもんね。

Shhhhh:そうなんですよ。ワールドミュージックってとても植民地音楽で、民族衣装を着せてエキゾチシズムを売る世界でもあると思うんですよ。そういうところもつくっているうちに見えてきたところはありますね。

植民地音楽というのはいままでもShhhhhくんのなかにありましたか? 仕事してもワールドミュージックに携わっているでしょう。そうすると搾取するというか、やましい気持ちにならないですか?

Shhhhh:搾取するというよりも僕は完全に紹介する立場だと思っています。こういうのがあるという立場、それはDJであっても、ふだんの輸入の仕事でもまったくいっしょです。まったくというと語弊はありますけど、こういう音楽がありますよ、こういうダンスがあってこういう聴かせ方がありますよ、ということの一方で権利ってなんだろうと、今回は思いました。

ビッグネームの曲を使うのは単純にお金の問題だけど、こういうひとたちの曲を使うのは地政学ともいえますからね。

Shhhhh:そうなんですよ(笑)。それで果たして現地のひとたちにお金が渡るかといえば、そうも思えない。だからメールの返事もないかもしれない。勘ぐっているだけかもしれないですけど、でもまあその可能性はゼロじゃない。そういうのが見えてくると、DJというものとワールドミュージック、音楽の権利というものを考えさせられました。

ワールドミュージックはフランスとか、ヨーロッパを経由した非西洋音楽という側面がありますからね。

Shhhhh:まさにそのフランスの某名門レーベルがまったく返事くれなかったですね(笑)。僕なんかも、フランスのレーベルや研究者によって、いろんな音楽を知ることができたので、簡単に批判することもできませんが。

枠をとっぱらって、レーベルやジャンルを限定せず、それこそワールド・ワイドなミックスにしようとしたからこそ、そのような問題も出てきたといえますね。

Shhhhh:そうですね。

『エル・フォルクローレ・パラドックス』は好きな曲が多かったからおもしろかったですよ。

Shhhhh:〈Fonal Records〉とか、松村さん好きそうですもんね(笑)。

ご名答(笑)。レオナルド・マルティネッリもね。

Shhhhh:レオナルドは『ウニコリスモ』のときもとりあげたんですが、〈Los Anos Luz Discos〉というレーベルから出していたトレモロというバンドもやっているひとなんですよ。

目のつけどころがさすがだと思いました(笑)。ほかの雑誌はわからないけど、すくなくとも「ele-king」の読者にとってワールドミュージックの入り口としては最適だと思いますよ。

Shhhhh:そういってもられるとうれしいです(笑)。僕はワールドミュージックといっても、民族音楽だけをDJでかけるというのはできないんですよ。もちろんそういうひとをディスっているわけじゃないですよ。でもやっぱり、僕は1978年生まれですが、アメリカの影響下にある日本に生まれ育って、オルタナティヴ・ロックが好きで、ボアダムスに行きついて、というのがあって、そういったものが自然に出てくると思うんですよ。世界中にそういうヤツが増えてきていると僕は思っていて、レオナルドもフォルクローレと不思議なエレクトロニカみたいなものをやるじゃないですか? 彼はたぶんどっちも好きなんですよ。僕もそうなんです。
 一昨年バルセロナに行ったんですけど、それはルンバ・カタラーナというキューバのルンバがカタルーニャ地方、バルセロナに渡ってきて、ジプシー音楽と結びついた庶民の音楽の現場を取材だったんですが、DJでルンバ・カタラーナをかけたり、エディットしたりしている現地のクルーに訊いたところ、「俺も最初はテクノはまわしていたんだけど、いろいろ考えるうちに自分たちの国にルーツのかっこいい音楽があることに気づいたんだよ」といっていたんですね。グローバリズムで90年代からみんないろんな音楽を聴くようになったのがいまは自分の国の音楽を考えるようになっていきている。みんながみんな、同じ12インチを買うのではなくて混ぜ合わせる、そういったミクスチャーが僕らが考える以上に世界中で多発してきていると思うんですよ。それは『ウニコリスモ』をつくったときにも明確に思いました。それこそ、ふつうのヤツがフォルクローレみたいな音楽をリスペクトしているというんですね。
 で、僕にとってのルーツは彼らなんです(資料に書いてあるボアダムスを指さす)。このひとたちは、僕にとっての気分としてのスタンダードというか......うまくいえないな。ボアダムスってなにかしらトライバルな要素をとりいれるじゃないですか、それは無意識にとりいれているというか。今回、ボアのトライバルな部分も抽出したかったし、それをほかの音楽と並列に提示するのはやりたかったことでもあります。本人たちにしてみれば、「そんなこと知らんわ」といわれるかもしれないですけど(笑)。

"Rereler"をリミックスしているCoswampって誰なの?

Shhhhh:EYEさんです。

だよね(笑)。名義何個目なんだろうね?

Shhhhh:ハハハ。その場で決めたんでしょうね。サンフランシスコの2枚組(『Boredoms Live At Sunflancisco』)の収録曲を12インチで出したときのリミックスです。

Shhhhhくんは最初に聴いたボアは何ですか?

Shhhhh:中学か高校か。僕は最初、ソニック・ユースがすごい好きだったんですよ。問答無用でかっこいいと思ったんですよ。テレビで観て。

MTV?

Shhhhh:「ビートUK」だったかも(笑)。サーストン(・ムーア)がジャンプしてギターをグギャーとやっているのをみて一発でやられたんです。その流れで、ボアダムスを知って、そういう音楽をやるひとが日本にもいるんだ、と思ったんですよ。僕はクラブ・チッタのソニック・ユースが人生初ライヴで、前座がOOIOOだった憶えがあります。ボアダムスの渋谷のライヴに行ったのは17〜18歳のときでした。

私はShhhhhくんの六つ上ですけど、私にとっても90年代はボアダムスでしたからね。

Shhhhh:それをフォーク的な要素で解釈するというのは大胆不敵だという気もしますけど(笑)。

でもここしばらくのOOIOOのヴォーカル・アンサンブルなどは『エル・フォルクローレ・パラドックス』に収録したヨーロッパのポリフォリックな音楽の影響もありますよね。

Shhhhh:Shhhhh:僕が7年前に今のワールドミュージックのディストリビューションの会社に入ったときから、たまに面白いのをお勧めしたりしてますよ。

Shhhhhくんとの関係が影響している気もしますけどね。

Shhhhh:逆に僕が彼らがこういうのが好きなんじゃないかということで聴きこんだりしているので、僕のほうが影響を受けていますよ。

たがいに影響しあっている?

Shhhhh:それは僭越すぎます(笑)。僕はDJ一直線というタイプではないし、輸入の仕事も好きだし、こういった音楽を紹介したりといったフィクサー的なことも好きなんです。今回のCDもワールドなんだかテクノなのかダンスなのか、バランスとるのが好きなんですね。

そのバランス感覚がShhhhhくんの特徴だと思います。

Shhhhh:バランスという意味で真ん中に立つのがすごくしっくりくるんですね。それは僕だけじゃなくて、すべてのDJがそうなんじゃないんですかね。

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interview with Shhhhh

音のうしろのフォークロア──Shhhhh、インタヴュー

取材:松村正人
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世界の別天地

グローバリズムで90年代からみんないろんな音楽を聴くようになったのがいまは自分の国の音楽を考えるようになっていきている。みんながみんな、同じ12インチを買うのではなくて混ぜ合わせる、そういったミクスチャーが僕らが考える以上に世界中で多発してきていると思うんですよ。


Shhhhh
Crustal Movement Volume 02 - EL FOLCLORE PARADOX

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今回幕開けは〈Sublime Frequencies〉の音源ですが、これはアラン・ビッショップのやっていることに敬意を表したということですか?

Shhhhh:これには裏話があって、タンザニアのすごい声ネタのトラックがあって、じつはそれをオープニングにしようと思っていたんです。

それはどこから出ているの?

Shhhhh:現地ものでエル・スールの原田(尊志)さんが仕入れてきて、これはすごいと(一部で)話題になった曲です。大人数の合唱曲なんですけど、これが頭だったら、僕が最近やっているワールド・フォーク・セットをパッケージングできるだろうというきっかけの曲だったんですよ。それがライセンスできなかった(笑)。このCDをつくるにあたって、最初にあげていた曲だったので、あれがダメなんですよ、といわれて、エーッって(笑)。

レーベルはどこなんですか?

Shhhhh:現地のレーベルで、連絡先はgmail。いま考えると、よくそんなところからライセンスしようとしたとも思うんですが、でもやっぱり途方に暮れて、声ネタのオープニング曲を探していたら、これ(Borana Tribe"Borana Singing Wells")にたどりついたんです。これなら最初にもいいし、中盤のヴォーカル曲のパートが生きてくるかな、と。で、〈Sublime Frequencies〉からは半日くらいで返事もらえたんですね。フランスのレーベルはダメだったけど。それで、結局オレはオルタナっ子なんだと思いました(笑)。カット・ハンズと〈Fonal Record〉も返事すごく早かったですもん(笑)。安心とも諦めともつかない宿命を感じました(笑)。オチがついたというか。制作中それで一回楽になりました。

オルタナティヴとしてのワールドミュージックといことではウォーマッド(WOMAD)的な見本市としての提示方法もあれば、ロス・アプソンの山辺(圭司)さんみたいなプレゼンテーションもあって、Shhhhhくんはその最新型だと思うんですよ。

Shhhhh:ロス・アプソンでルーベン・ラダとエドゥワルド・マテオのCDを「お尻から声が出てる」といって紹介しているのを知ったらウルグアイのひとは怒るかもしれないですけど(笑)、愛があり、誠実に解釈すればいいんだというのは山辺さんから学んだことかもしれないですね。

「辺境」という形容にも逆説的な価値観がかいまみえますから。

Shhhhh:でも僕はマージナルというよりはもうちょっとわかりやすいポップなものを今回はやりかったですね。

それこそバランスだ、と。

Shhhhh:山辺さんとか虹釜(太郎)さんの探求は横目で見つつも、わりとふうつに買える12インチを入れるというのも、バランスですよね。

すでに知っている曲、それこそシャックルトンであっても、Shhhhhくんのつくる流れのなかで聴くとまた違う顔つきになると思いましたよ。

Shhhhh:それがDJの役割じゃないかと思います。だから今回のCDはDJの作品だとすごく思いますね。コンパイラーとしてではなく。

今回ほかに使いたくて使えなかった曲はありますか?

Shhhhh:ニューカレドニアの音楽ですかね。〈POWWOW〉が終わった後、CMTの家ではじめて聴いたんですが、これ山辺さんの葬式で流れていたらヤバイね、って話になって、なぜか葬式という言葉がCMTの口から出てきたんですよ。

湿っぽい曲なの?

Shhhhh:そんな感じじゃないですよ。ゴスペルっぽい、とはいえ、ゴスペルじゃなくて、昇華していく感じもあり、海の感じもあるというか、しかも美しいんですよ。カナック族の音楽らしんですが、ジャンルとして存在しているかはわかりません。それもライセンスしようと思ったんですけど、連絡がつかず(笑)。そのかわりといってはなんですが、スヴェン・カシレックさんの曲を最後に入れられたからよかったですけどね。スヴェンさんはハンブルグのひとで、ケニアのヴォーカリストとエレクトロニカみたいなトラックをつくっているんですよね。結局現地ものじゃなくて、クラブよりの音楽ですね。このひとも返事早かったです(笑)。

アルゼンチン音響派にしろ、伝統的なものをワンクッション置いてアレンジした音楽に、Shhhhhくんは惹かれるところがあるのかな?

Shhhhh:音楽のうしろにある「フォーク」を考えるのが楽しいんです。90年代にレゲエ/ダブってわりと紹介されていたじゃないですか? それはUKからだと思うんです。それと同じで、2000年代に入って、イギリスの〈Soundway〉がコロンビアのコンピを出したのが僕にとっては大きかったんですよ。レゲエを聴いていたひとでもクンビアに流れたひとは多かっただろうし、それはすごくおもしろかった。僕と山辺さんが大好きなチーチャっていうペルーのサーフ・ギター・クンビアみたいな音楽があって、そのコンピもニューヨークから出ていました。2006〜2007年は全体的にラテンものの再発が多くではじめたんです。ニューヨークやイギリスのレーベルが最初だったりするんですが。でも不思議なことにそれはコロンビアとかアフロ・ペルーの音楽のコンピはあるんですけど、白人をコンパイルしたものはなかったんです。『ウニコリスモ』はアルゼンチンの白人の音楽中心ですが、あのミックスCDをつくる前はそんなことも考えていました。アフロ・ラテンのコンピはいっぱいあっても、アルゼンチンの音楽、たとえば(アタウアルパ・)ユパンキなんかは「ど」のつくフォルクローレですが、そういう音楽をまとめたものはないと思ったんですよね。

ユパンキはよく知られているんじゃない?

Shhhhh:でもクラブ/レア・グルーブ的解釈ではけっしてないじゃないですか? だからブエノスアイレスって僕にとってのポコッと残された場所だった、というのはいま思えばありますね。〈Honest Jons〉とかでもトラディショナルなアルゼンチンものって1作も出していないんじゃないですかね。〈Soundway〉などの再発ものであまりないんですよね。

いわれてみればそうかもしれないね。

Shhhhh:あとアルゼンチンは黒くないんですよ。南のほうだとカンドンベが出てきて、マテオみたいになるんですが。

黒っぽさ、白っぽさは気にするほうなの?

Shhhhh:後づけですけどね。

聴く前にそれで選ぶことは?

Shhhhh:ないです。でも僕は白いほうが合っているかなとは思いますね。

Shhhhhくんの軽快さはリズムを溜める方向ではないからね。

Shhhhh:そうかもしれないですね。たとえば黒人のテクノ、デトロイト・テクノを僕はいっさい通っていないんですよ。それよりも、四つ打ちならトランス、あるいはハウスやディスコ・ダブなんですね。ヒップホップなんかも好きでしたけど、トライブでしたから。

トライブは黒さはあまりないですね。

Shhhhh:そうですね。フリージャズはすごく聴いていましたけど、それも黒さというよりはドン・チェリーのあの感じでしたから。

アイラーとかコルトレーンではなくてね。

Shhhhh:もっとインターナショナルものですよね。

『ブラウン・ライス』みたいな?

Shhhhh:どちかといえば『Mu』のファースト・パートですね。『Mu』のファーストに針を落としたときの衝撃は忘れられないです。知らない国のお祭りというか、それこそ、カット・ハンズ"Black Mamba"と同じようなショックを受けました。これをジャズっていっていいの?! と思いつつ、やっぱりジャズだな、と。何かしらフォークな要素に惹かれるはそのときからあったんでしょうね。あとあれが好きでした、〈off note〉。ご存じですか?

もちろん知っていますよ。

Shhhhh:大好きなんですよ。コンポステラとか、聴きまくっていました。

コンポステラはボアダムスと並んで日本の90年代を代表するグループだと思いますよ。

Shhhhh:それは僕と同じですね(笑)。トランスのパーティとか、若いからタイパン(タイパンツ)履いて行くじゃないですか? その次の日は寝ないで吉祥寺曼荼羅の篠田昌已13回忌のライヴに行ったこともあります。あれは西東京のフォークじゃないですか(笑)。篠田さんのチンドンの要素と、あとはクレツマーですよね。じつはアルゼンチンってユダヤ移民が多くてクレツマーが盛んなんですよ。ルーツをたどるとユダヤ系の名前が多いんですよね。『ウニコリスモ』のときも、クラリネットの感じがコンポステラを思いだすな、と思ったこともありますから。それでアルゼンチンの音楽に入りやすかったというのはあります。そう考えると全部つながっている気がしますね。

音楽のある要素を聴きとって拡大する耳がShhhhhくんはある気がしますね。つなげていくというかつながっていくというか。いまの世の中では、どんな音楽にもたどりつけるけど、情報がありすぎることでさらにその先に踏みだそうとすると迷っちゃったりするじゃない?

Shhhhh:文脈だったり妄想の映像だったり国籍だったり、そういうものは重要だと思います。この前、つなげるとき、どういうことを考えているんですかってお客さんに訊かれたんですけど、単に自分のなかの文脈を勝手につくっているんですよ、とそのときは答えたんですけどね。DJはみんなそうだと思いますよって。

じゃあDJするときは何に一番留意するの?

Shhhhh:DJのときは低音とグルーヴをキープしないと場が成り立たないというのはあります。抽象的なコラージュもやりたいと思うんですけど、結局酒場というかひとが集まるとみんながみんな、そんな音を求めているわけではないので、普遍的なグルーヴは必要だというところに、何度も戻りますもん。最大公約数が四つ打ち、イーヴン・キックなのかそうじゃないのかというのもすごく考えていて、この前もEYEさんとそういう話になって、人類のダンス・ミュージックの最大公約数は四つ打ちじゃないか、とEYEさんはそのときいっていて、『エル・フォルクローレ・パラドックス』では自分なりの解釈を提示したつもりです。四つ打ちじゃなくても普遍的なビートを出す、誰にもわかるものをやろうと思いました。(了)

取材:松村正人

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interview with Moodman

聴くことコレ即ち魔道なり──ムードマン、インタヴュー

取材:野田 努
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MOODMAN
Crustal Movement Volume 03 - SF mixed by MOODMAN

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 年齢を重ねてみて、わかることのひとつに、新しいモノってあまりないということがある。25歳の頃は「新しい」と思っていた音楽も、それより以前に似たものがあることや、いま「新しい」と思われがちなことも、すでに似たものがあることがわかる。そういう意味で、「リヴァイヴァル」という言い方はフェアでない。それは時代のモードの説明のひとつに過ぎない。
 新しければ良いというものではない。そういうスリルは、ときにたしかに目を眩ませるが、同時に疲れることでもある。逆に、新しくないモノが人の心を奪うこともある。それは、よく磨かれていることを意味する。
 ムードマンのミックスCD『SF』は1996年の曲ではじまり、1994年に繋がれるが、それ以外の29曲は、ほとんどがこの3年に発表された曲。その多くがダブステップ系だ。しかし『SF』は、大雑把に言えば、僕にはテクノのミックスCDに聴こえる。美しいアンビエントと温かいソウル、多少の遊び心の入ったリズミックで、柔らかいテクノの連続体......。
 僕がこのミックスCDを好きなのは言うまでもないところではあるが、年季の入った耳が選んだ31曲を使ったミキシングを、機会あらば、25歳の君にも聴いて欲しい。

ここ10年、ベース・ミュージックが世界中で広まっていくなかで、その変化球みたいなものが、インテリジェント・テクノの時代に近いような感覚でぽこぽこ生まれている。それがやっぱり面白いなと。

選曲はすぐ決まった?

ムードマン:選曲自体は、わりと早かった方かな?

1曲目も? 最後の曲も?

ムードマン:まず、ばーっと曲を出して、曲順とかつなぎ方は組んでいく作業のなかで決めていきましたね。そこは悩みましたけど(笑)。

あー、そうか。

ムードマン:1曲目(ジョン・ベルトランの1996年の曲)は、もともと別のアプローチで使うことを考えていたんだけど、やっていくうちに「ここかな」という。

1曲目がジョン・ベルトランで、2曲目がステファン・ロバーズでしょう。1990年代初頭のテクノで、ムードマンの原点なんだけど、31曲の収録曲のほとんどがここ3年ぐらいに出た曲なんだよね。

ムードマン:ですね。今回、作っているうちに大きくふたつのテーマが、ぼんやりと浮かび上がってきたんです。まずは最近、90年代初頭にインテリジェント・テクノの系譜で活動していたオリジネーターたちの動きがまた活発なんですよね。

カーク・ディジョージオの曲も入っているよね?

ムードマン:カーク・ディジョージオこそ、その代表かもしれないんですが、自身のレーベルを含めてここにきてまたすごく精力的に動いている。BPM130前後の、実にいい湯加減のピュアテクノを頻発しています。ここ2~3年、あまり語られていないかもしれないけど、ものすごい曲の量と質なんですよね。ステファン・ロバーズもそう。原点回帰という意味でも、そのあたりの動きが面白いと思っていた、これがまずひとつあった。あともうひとつは、ここ数年のダブステップの感じを眺めていて、当時のインテリジェント・テクノに近い拡散のベクトルを感じていたんです。

本当にそうだよね。

ムードマン:当時は大きくレイヴ・カルチャーというのがあって、そこへのアンチまでとは言わないけど、それを異化する形で生まれたアート・フォームがインテリジェント・テクノだったと考えてみると、ここ10年、ベース・ミュージックが世界中で広まっていくなかで、その変化球みたいなものが、インテリジェント・テクノの時代に近いような感覚でぽこぽこ生まれている。それがやっぱり面白いなと。単純に、BPMもいろいろなことになっていますよね。GPRとか、irdialとかの雰囲気を思い出したりしながら追っかけてました。これがもうひとつの思いで。いろいろ他にも考えたんですけど、今回は、基本的にはそのふたつの気分を結びつけるような選曲でできないかなと。

だとしたら、その意図はパーフェクトに伝わる内容になっていると思うよ。

ムードマン:曲の流れで言うと、新しいものからはじめて古いものに落とす方がその気分は伝わるのか、逆の方がいいのかとか。オリジネイターの作品をもっと入れたらどう聞こえるかとか......構成は50パターンぐらい作ったんだけど(笑)、最終的にはわりと素直にジョン・ベルトランから......というのがしっくり来るかなと。彼とはずいぶん前に一度だけ一緒にDJをさせてもらったことがあるんですが、そのとき、とても喜んでくれて、すごく自分的には支えになったんで(笑)。感謝もこめて1曲目に(笑)。

ジョン・ベルトランの久しぶりに新作出すんだけど、スゲー良かったし。ところで、31曲も入っているのが驚いたんだけど(笑)。ムードマンにしては詰め込んだなと思って。で、20曲目前後、10曲目台の後半からダブステップ系の曲が続くんだけど、トラックリストを見なければ、ダブステップって気がつかないもん。

ムードマン:「気がつかれないこと」は目指した要素の重要なひとつです、とか言ってみたりして(笑)。

ほぉ。

ムードマン:カットが早いのは、ここ10年ぐらい僕はデータを意識的に使っていて、もちろんいまでもアナログ盤もいまでもかけるんですけど、データを使う時に限っては、僕の身体感覚では、曲がより素材っぽく感じるというか。いわゆるバトルDJのカットイン/カットアウトとは性質がことなるクイックさというか。ミニマルをかけるときもそうなんですけど、データを使うようになってから素材として音源を使うことの楽しみを知ってしまったというか。この感覚を記録しておきたくて、過去2作のミックスCDはアナログ盤を使ってやってるんだけど、今回はあえてCDJを使ってデータのみでやってみたんです。過渡期のデータでの遊び方みたいなものを残しておこうかと。

だいたい3分弱で、短いと1分も使ってないものね。

ムードマン:そこは強弱を付けてやったかな。長く使うものと短く使うやつと。曲によっては、バッサリとキーフレーズを抜いてますよ。

今回はすべてデータなんだね。

ムードマン:今回はそう。

俺は、いまだにムードマンというと、どうしてもアナログ盤というイメージが払拭しきれないからな(笑)。ヴァイナル・ジャンキーじゃない。

ムードマン:そこからは抜けられないですね。約10年前にデータと両刀になったんですけど、いまでもヴァイナルは......(笑)。

買ってるでしょう!

ムードマン:ですね。ただ、僕の世代だとやっぱりアナログにこだわる人が多いんですけど、過渡期ではあるけど、データもまたかわいいんですよ。

ヴァイナルで買ったものは、CDRとかに落としているの?

ムードマン:ヴァイナルはヴァイナルでプレイしますね。ヴァイナルをデータ化するときは、自分でマスタリング的なこともするけど、今回の収録曲はすべてデータで手にいれたものですよ。レアな音源かどうかよりも、かけ方の提案がしたかったということも大きいんです。他ジャンルをと思われる音源を、ディープ・ハウスとしてかける。

20年前とかさ、土曜日日曜日によく渋谷で会ったよね。ムードマンは決まって両腕で買ったばかりの大量のレコードを抱えていてさ、持ちきれないからタクシーで帰るわとか言って(笑)。

ムードマン:あの頃は、100円レコード棚の主でしたね。ヴァイナルの救出が自分の使命だと思っていた(笑)。まぁ、そこはいまでも変わらないですかね。最近、いい喫茶店が減ってるでしょ。なので、街中で時間が空いても、他に行くところも無いので、レコード店にいくしかないんですよ。まぁ、あとは居酒屋ぐらいかな、居場所は(笑)。以前に比べてプラスされたのは、通販ですよね。毎日、10枚から20枚のレコードが届く始末で......(笑)。

狂ってるねー(笑)。

ムードマン:いやぁ......(笑)。

レコード屋さんはものすごく重要だし、レコード屋さんがある街に住みながらアマゾンでしか買ってないヤツはわかってないと思うのね。レコード屋さんは、まず情報が整理されているでしょう。お店のセンスもあって、面だしできる枚数も限られているから、選びやすいというのがあるじゃない。

ムードマン:日本にはいいセレクト・ショップがたくさんありますからね。

そう、セレクト・ショップなのよ。しかも親切なレコード屋さんだと自分が持っている情報を分け与えてくれるからさ、「こういうのもあるよ」って教えてくれて、自分が知らなかった音も知ることができるじゃない。それはアマゾンにはできないからさ。だから、逆にデータで音源を探すのって......。

ムードマン:そう、難しい。

難しいよね。

ムードマン:しかもぜんぶよく聴こえるし。

そうなの?

ムードマン:それはそれでけっこうサヴァイヴァルで、逆に言えば、面白いんですよ。

今回のムードマンのミックスCDで初めて知った曲がかなり多いんだけど、たとえば、20何曲目かな(笑)、〈スモーキン・セッションズ〉っていうレーベルの曲で、ハーフステップになる曲があるじゃない?

ムードマン:はいはい、ジャズっぽくなる展開のね。

そう、あれとか、「良いナー」って思ったんだけど、どうやって探すのよ?

ムードマン:もうね、試聴につぐ試聴ですよ。

おー。

ムードマン:ひとり「良いナー」と思ったら、ずっとそこを追いかける。もうどんどん追いかけるっていう。

プロデューサーを?

ムードマン:プロデューサーでも、レーベルでも、そのまわりをぜんぶ聴く。今って、ぜんぶ聴ける状態にあるから、それをぜんぶ視聴する。むしろ、テキストはほとんど読まないんです、すみません(笑)。

はははは。

ムードマン:はははは。いまって、恵まれてますよ。視聴できるんだから。

寝る時間がないね。

ムードマン:ないない(笑)。嘘、寝てますよ。でも、レコードと同じですよ、掘り方は。僕はセレクト・ショップも好きだけど、値段均一のお店のえさ箱も好きなんですよね。誰かのお薦めももちろんいいんですけど、僕は誰も薦めていないものに愛しさと切なさと心強さを感じるんです(笑)。よくわからないものを買うって、自己が崩壊するいいチャンスなんですよ。

なるほど。

ムードマン:メディアのあり方としては、いま、過渡期だとは思うんですが、自分としてはアナログでいま掘りたいモノと、データで掘りたいものとがそれぞれ明確にあるんですよ、わりと。ただ、それを日々続けてるっていう(苦笑)。

(笑)。

ムードマン:今回入っている曲でもアナログで出ているのも多いし、まぁ、どっちで手に入れようかなっていうのは迷いますよね。でも、いまって早く買わないとなくなっちゃうでしょ。そこに参加するよりは、単純にもっと多くの曲を聴きたいだけなんですよ。

あー、なるほどね。

ムードマン:例えば、地図を書くときに、GPSとかで俯瞰して書く人もいれば、伊能忠敬じゃないけど、歩いて書く人もいる。僕は歩いて書いて、測量するほうが好きなんです。

それはいい喩えだね。

ムードマン:俯瞰する誰かの目を、まったく信じてないんです(笑)。

しかし、伊能忠敬としてデジタルの世界を歩くのって、相当な根気がいるんじゃない?

ムードマン:そこまでたいへんではないけど(笑)、まず、周辺というか、ヘリがわからないんですね。どこが崖だか分からない。

それはそうだよね。

ムードマン:ヴァイナルは100年ちょいの歴史ですが、もう掘り尽くせないくらいの量があるでしょ。2010年頃には地球上のアナログって、すべてアーカイブ化されちゃうかなぁと妄想していたんですが、ダメでしたね(笑)。まだまだ深い森のような感じですよね。しかも、新しい音楽はどんどん出てきている。狂いそうです(笑)。

でも、いまほど情報が氾濫している時代もないというか、ホントに情報過多じゃない。情報サイトとか見ると、誰がこれだけの情報を消化するんだよって感じで更新されるでしょ。そういうカオスのなかで、情報をセレクトするのって重要だよね。いかに削除していくかっていうか。

ムードマン:それはひとつコツがあって、ほとんどの情報がコピペなんですよ。だから、コピペをまず無視すること。日々発信されている情報は、誰かのコピペばかりで、オリジナルに当たっていないですよ。はっと気づくと、コピペに洗脳されてる自分がいませんか、と。

リツイートの文化だよね。

ムードマン:リツイートはまだ誰が拡散したか主体が見えるけど、ニュースとか、評論とかが、コピペの場合も多いですからね。デジタルの世のなかになって、意外と感覚が閉じたかなとしばしば思うのは、そういうことです。コピペが大きな障壁になっていると思う。コピペ、コピペって、何度も口にするとなんだがかわいいですが(笑)。まぁ、でも、そこのたかを外しちゃえば面白い世界が広がっているのでは(笑)。

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interview with Moodman

聴くことコレ即ち魔道なり──ムードマン、インタヴュー

取材:野田 努
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例えば、地図を書くときに、GPSとかで俯瞰して書く人もいれば、伊能忠敬じゃないけど、歩いて書く人もいる。僕は歩いて書いて、測量するほうが好きなんです。俯瞰する誰かの目を、まったく信じてないんです(笑)。


MOODMAN
Crustal Movement Volume 03 - SF mixed by MOODMAN

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今回の選曲見せてさ、まあ〈アップル・パイプス〉とか〈ヘッスル・オーディオ〉とか〈パンチ・ドランク〉とか、ダブステップ系の人気レーベルの楽曲があるんだけど、でも、ダブステップの系譜で聴いていったら出会えないようなレーベルも入っているんで、そこが「らしい」と思った。

ムードマン:自分にとっての良い湯加減を探しただけです(笑)。ただ、今回は楽曲的にはわりと現時点でポピュラーなものを選んだつもりで、むしろ、ダブステップの定番的な楽曲を違った感じで聞こえさせることに気持ちを注いだんです。ダブステップに関しては、本道ももちろん、好きなんですよ。ただ、自分がかけても説得力がないのでね。

結果論なのかもしれなけど。

ムードマン:良い湯加減の曲を見つけたときは嬉しいですよ。そのときは、つい、その周辺をぐるぐるとまわっちゃう。テクノ創世記の話で言えば、例えばハウスのコーナーの片隅に、〈トランスマット〉の12インチが1枚混ざっていたりして、「なんだこの妙なイラストは?」と思って、そこからその周辺を探したのと同じことをしているだけですよ。あの頃、「ヌード・フォト」に針を落としたときの衝撃はいまでも覚えてますね。

デジタルの世界でもそれが可能なんだね。

ムードマン:もちろん。

アナログ盤は、やっぱモノとして愛でることができるけど、データは......、否定するわけじゃないけど、集めても充実感がなくない(笑)?

ムードマン:いや、モノを愛でる感覚は重要だけど、そこに引っ張られるといろんなことを見失うと思いますよ。音楽はモノじゃないから。空気の振動だから。

クラシックの時代は楽譜だったわけだしね。

ムードマン:パッケージングされて音楽を聴くのって、たかだかここ100年の歴史ですよね。データはアルバム単位じゃなくて曲単位なんだけど、アルバム文化なんていうものは、これもまた古くなくて。SP盤、EP盤、そしてLP盤っていうね。

『サージェント・ペパー~』以降なわけだしね。

ムードマン:アルバム単位で作家性を出すって言うのは、『サージェント・ペパー~』以降といわれてますよね。って、今日はこういう話で良かったんでしたっけ?

でも好きでしょ?

ムードマン:大好き(笑)。愛でる感覚は大好き。レコードを開けたときの匂いが、まず好き(笑)。ただ、いまの作家がいまのスタイルで作っている音楽を、軽視するのは良くないと思う。良くないというか、もったいないと思うんです。データとヴァイナルと二項対立で語られがちですが、グラデーションで様々なメディアがあるわけで。ポンチャックはカセットでかけたいとか、エキゾチックサウンドを8トラックで聴いたらびっくりしたとか。オープンリールで聴くディスコって凄みがあるなとか。いろいろね。愛でる感覚はメディアに関係なく伝えたいとは思っています。

デジタルをディグるときの快楽ってどんなもの?

ムードマン:僕はそもそもあいだにあるものが好きで、ヒップホップでもなく、レゲエでもない、ラガマフィンヒップホップに萌える感覚というか(笑)。

ムードマンは本当にそうだよね。今回のミックスCDなんか、「あいだ」だよね。

ムードマン:で、デジタルは僕にとっては、「あいだ」を探しやすいんですよ。

へー、そうなんだ。

ムードマン:これまでおいそれとは聴けなかった地域の音源とか、「この辺くさいぞ」ってディグすると、あるんですよね。今回のミックスCDではそこまで広い地域の音楽をピックアップしませんでしたけどね。

AでもなくBでもなく、AとBのあいだにあるもの。

ムードマン:3つ以上かもしれないし、それらが混ざり合っているもの。混ざり合いそうだという雰囲気。なにか妙なものが生まれてきそうだぞという躍動感もふくめて、そういった音楽が好きなんですよ。ロウな感じっていうか。食感で言うと、グミっぽい感じと言うか。ちょっと違うか。

そう考えると、2013年に出したというのも結果論なんだけど、必然にも思えるんだよね。何故ならいまはその「あいだ」で良いのがたくさんあるから。

ムードマン:ミックスCDって、ドキュメンタリーかなと思ってるんです。

最初のミックスCD(2002年の『Weekender』)はポスト・パンクっぽい感じがあったりね。

ムードマン:ミックスCDに関しては、収録している曲が新しいとか古いとかいうことではなくて、「いま」の空気がどうやっても染み込む。「いま」を封印する能力に長けてるとおもっているんです、ミックスCDという型式自体が。なので、映像で言うならば、映画というよりは、ドキュメンタリーを撮る感覚に近い感じというか。客観性の限界としての個性と言うか。

噂では、ムードマンはいまシカゴのフットワークにハマってるっていう。

ムードマン:ああ、よく言われるんですけど、パーティでがっつりかけたのは数回です(笑)。新参者です。ハマっているということでは、ゴルジェ(GORGE)のほうがハマっているかも(笑)。まぁどちらも、ときどき、隙あらば混ぜてはいますけど、僕の場合はもともと、広義のダブとともに、広義のベース・ミュージックが好きなだけなんです。マイアミベースの頃から、ずーっと。マイアミというと、2ライヴ・クルーに端を発するお尻系のイメージが強いけれど、もっとクルマ系とか、スピーカー系とか、宇宙系とか。マイアミでもダークな系譜のトラックはいまのベース・ミュージックに近いんですよ。昔、エイヴェックスからリリースさせていただいたコンピ『インテリジェント・ベース』にも少しだけその要素は入れたんですが。

そうだよね。フットワークって言葉が新しくなっただけで、やっていることは、シカゴ・ハウスとオールドスクール・エレクトロのアップデート版というか。

ムードマン:そのなかでも際立って、オリジナルですけどね。オールドスクール・エレクトロの系譜への関心は、もちろんずーっとあって。もっというと、その前段階の、エレクトリックなブギーからエレクトロに帰結する流れがいちばん自分のツボなんですけどね、地味だしクラブではなかなかかけるチャンスが無いんですが。先週たまたま、DJ APRILさんとか、PAISLEY PARKSのKENTさんと一緒だったんですが、彼らはストリクトリーにシカゴのストリートのフットワークをかけていて、やっぱりかっこ良かったなぁ。半端ないですよ。僕はどうしても、先人への尊敬が前提なんだけど、「あいだ」ぐらいのジュークをかけたくなってしまう(笑)。

なに、その「あいだ」ぐらいのジュークって(笑)?

ムードマン:ジュークの影響を受けてるとおぼしき世界中の音(笑)。あるいは、単に同時多発的な、類似性を感じるビート。

アジソン・グルーヴみたいな?

ムードマン:「あいだ」のまた「あいだ」もあるんですよ(笑)。デトロイトっぽいヤツとか、アンビエントっぽいヤツとか。同時多発的というか、近いビートでまた違った表現をしている人たちがたくさんいる。もっとR&Bっぽいとかね。オリジネイターに敬意を払いながら、その拡散というか拡大というか、そこをかけるのが僕の担当かなと思って(笑)。王道ではないですよね。

まあそれ言ったら何が王道なのかと思うけど、DJラシャドの最近出た2枚組とか聴いた?

ムードマン:うん、聴いた。

最高だよね。

ムードマン:最高。こないだトラックスマンが来日したときに、自分はジュークという以前にシカゴ・ハウスのDJだというような発言があったんだけど、なるほどなぁと。プレイもシカゴハウスのクラッシックを新しい観点でかけていてかっこよかったなぁ。感慨深かったです。

そういえば、フットワークが入ってないなと思って。

ムードマン:今回は聞き心地として、平坦な感じにしたかったの。フットワークは自分的にまだまだ完全に消化できてはいないので、平坦にできないのです(笑)。

ピッチが合うの?

ムードマン:ピッチの面では、たぶん、やりようはある......はず(笑)。

あの辺、本当に面白いよね。聴いててワクワクするよ。

ムードマン:僕がいちばん好きなのは、スネアの音が優しいところ。中音から上が良いんですよ。

えー、そう? アグレッシヴな感じあるじゃん。

ムードマン:いや、フットワークって、ベース・ミュージックのなかでは非常に高音が優しくなっている。もちろんきついの一発入れてくるパターンもあるけど、シカゴハウスの系譜のなかでは、とくにスネアの鳴りが希有ですよ。

なるほどね。

ムードマン:昔、マイアミ・ベースにハマった頃、よくローライダーが集まるモーターショーに行ってたんですよ。会場の一角に、ウーファーを何十個も積んだクルマが死ぬほど並んでいてね、けっこう遠くから、低音の固まりを感じるんです。で、近づいていくとベースの沼というか、低音が身の回りをぼわーっと包んでいて、高音は蚊の鳴くような音で、小さく鳴っている感じなんですね。ああいう感じが好きなんです。そういう音の配置っていうのかな。レゲエのサウンドシステムでも好きなのは、上(高音)が天の声のように微かに聞こえる感じ。つま先から首ぐらいまでが低音で、低音浴というか、いい湯加減のベースにずっと包まれている感じ。そのポテンシャルがあるベースミュージックが本来的には好きですね。

なるほどね。フットワークにしてもダブステップ系にしても、ミニマルやダブにしても、ここ数年で、ダンス・ミュージックがまた更新された感じがあって。

ムードマン:全部、続いているんですけどね、急に変わった訳ではなくて。さっきのインテリジェント・テクノのオリジネーターの話じゃないけど、新しいムーヴメントだけではないんです。例えば、ディープなヴォーカルハウスも地味ながらアップデートされていたり。バズの起こりようがないので、話題になりにくいだけなんです。なんというか、いまの「更新された」っぽい空気って、新しい音楽のリリースの形態、流れが整ってきたことも大きいのかもしれないですね。

ミックスCDを「平坦な感じ」にしたかったっていうのは何で?

ムードマン:これは僕の習性なんだけど、ミックスCDって、なんかしながら聴くでしょ。

「さあ、聴くか!」っていうよりも、家で、なんとなくかけるって感じだよね。

ムードマン:だから、一定のテンションが保たれているものの方が、個人的には使用頻度が高いんです(笑)。

実用性を考えればそうだね。

ムードマン:そう、テンションは一定しているんだけど、ふと気がつくと変な音が入っているみたいな。「あれ?」っこんな曲、入ってたっけ?とか。そのくらいの変化を、小出しにまぶしているものが好きなんです。主張せず、引っ込みもせず。甘からず、辛からず、美味からず(笑)。だから、過去の2作もそうなんですけど、キーとか、ヤマは、作らないんです。

そうだね。

ムードマン:自分がよく聴くのが、そういうものなだけなのですが。どの曲も他の曲を引っ張らない感じ。ムード音楽志向なんですかね、やっぱり。ゆきゆきてディープ・ハウスというか。

貫禄だね(笑)。

ムードマン:本当はもっと出したいんですけどね、ミックスCD(笑)。いろんなスタイルで出したい。

でも、今回3枚同時発売されたけど、3枚とも面白かったな。ダンス・ミュージックがいま面白いんだなってよくわかる感じで。

ムードマン:3枚とも、キャラクターが出ましたよね。Nobuくん、Shhhhhくんと一緒に出せて、良かったな。

Nobu君のが尖ってて、Shhhhh君は、ワールドな感覚を捉えていて、ムードマンのが安定感があるっていうね。

ムードマン:今度は、ゴルジェ(GORGE)で1枚作りたいな(笑)。やらせてくれないかな。

最近はDJはどんなペースでやってるの?

ムードマン:週に2回ぐらいかな。

それは己の体力の限界に挑戦しているの(笑)。

ムードマン:いや、単純に音が聴きたくなるんですよ。でかい音で。結局、DJやってなくても遊びに行ってしまうから(笑)。同じなんですよ、体力的には。しかも、ふだん音楽をずーっと聴いているから、曲のかけ方なんかも考えてしまったりして。もともと分裂気味なので、いろんな方がDJで呼んでくれるのでホントありがたいです。
 あと、僕は毎回、オーガナイザーからお題をもらうんです。今回は、こんな感じでお願いします。はい、がんばります。という感じで。結果、毎週のように悩んでいるけど、それが楽しいんですよ(笑)。大喜利というか、ボケ防止にはいいですよ。

最近は、若い子のあいだで、ムードマン・スタイルがスタンダードになっちゃってるんだよ。働きながら音楽やるっていうのが(笑)。

ムードマン:ちゃんとかどうかは分からないけど、海外の人にとってはそれが普通ですよ(笑)。よく両立していられるねって言われるんだけど、そういうことでもなくて。僕の場合は、一生のうちどれだけ音楽を聴けるかっていうことが一番大きくて、あとはどうでもいい。どうでもいいというほど、破天荒なキャラじゃないですけど(笑)。ライフ・イズ・ワンスですから。

最初からそこは思ってないもんね。

ムードマン:まず聴きたいんですよ。その代価として身銭を切る。データでも同じ。

そこは作り手へのリスペクトでしょ?

ムードマン:そう。作り手がもっと作れるように。芸で食うべき人が芸で食えることが大切。で、僕はただとにかく、聴きたいんですよね(笑)。音楽のかけ方に関しては、自分のスタイルがどうこうではなくて、そうやって自分が聴いた曲を、どうやったら他人によく聴かせられるか......なんですよね。

しかしムードマンもいい歳だから、いままでのように突っ走り続けられない領域に近づいてきているよ。

ムードマン:もう、そうなってますよ(笑)。

週2でもすごいよ。

ムードマン:なので、普段、気がつかれないように、ぼーっとしてますよ(笑)。リビング・デッドですよ。トオルさんとかノリさんとかワダさんをずーっと見てきて、いつまでも若い衆気取りでいたけど。野田さんにずいぶん前に「いずれ来るよ」って言われてた通りに来てますよ(笑)。

ムードマンが最初にDJをやったのって?

ムードマン:10代の後半。ちゃんとしたところでは、〈ZOO〉が初めてだったと思います。

そのときは何をかけたの?

ムードマン:〈ON-U〉(笑)。当時は面白い音楽を聴くためには、クラブに潜入するしかなかったんですよ。毎日のように、日常では耳にできない音楽がかかっていた。スカ、カリプソから、テクノまで。で、出会った音楽を少しずつ集め始めたんですね。最初は、友だちの主宰する身内のパーティだったんですよね。レコードもってそうだから出てという感じで。〈ON-U〉ばっかりかけてたら、店長から「良いねー」みたいに言われて、調子にのったという。

俺、ムードマンがまだ大学生だった頃に家まで行って取材したじゃん。あのとき、レコードは家にたくさんあったけど、まだ部屋にDJ機材とかなかったような気がするもん。

ムードマン:あのときは、ボロボロの家具調ステレオしかなかったかも。あのずいぶん後ですね、DJの機材を買ったのは。つなぎとかは、ミックスとかは、当時、働いていたお店のオープン前の時間を使わせてもらったりして練習しましたね。

いま、25年ぐらい?

ムードマン:そうです。好きだと言うだけで来てしまったというか、正直、こんなに長くやれてると思ってなかったです(笑)。

レコードどうしてる?

ムードマン:カミさんのレコードも加わったので、XX万枚ぐらいかな......。

ハハハハ、それ酷いね。

ムードマン:7インチが多いんで、場所はとらないんですけど....嘘、食卓の周囲以外は、音盤です(笑)。

ジャンルで言うと?

ムードマン:いや、もういろいろ。ここのところは50年代の音源を探ってることが多いですかね。どんなジャンルでも、例えばジャケットの裏を見て、面白い楽器の編成だとつい買っちゃうんですよね。そもそも、シンセものも、リズムボックスものも、その観点で好きなんです。

編成?

ムードマン:3ピースなのにアコーディオンが入っていたり。アレンジが面白いものが好きなんですかね。今回の選曲にも結局、その要素は出ているかもしれないです。地味なんだけどひと癖あるものっていうか。大衆小説でいうところの「奇妙な味」というやつです。

はははは、そうだよね。それ、〈ON-U〉にはじまっているのかもね(笑)。ところでさ、〈ダブスレストラン〉のコンピレーションを再発したいんだけど、ライセンスしてもらえない? 聴きたい人は多いと思うんだよ。

ムードマン:赤岩君と連絡が取れればいいんだけど......僕だけがやっていた訳ではないので。ちょうど、20年前ですよね。当時、〈ダブスレストラン〉に送られてきたデモテープは、ぜんぶ取ってあるんですよ。段ボール、数箱分かな。いま聴いても、どれもクオリティ高いし、面白いんですよ。
 なにが面白いかというと、ガチリアルな、ベッドルーム・テクノの音源というか。明確なフロアが無かった時代に、みんなが仮想のフロアを夢想して制作したクラブ・ミュージックである点です。ありえたかもしれない90年代。メタフィクションですよね。いずれなんかのカタチで公の場で共有できればと思っているんだけど、さすがに当時の作り手は、もういい大人だろうし、住所も違っているだろうし、連絡付けようがないだろうからな。海外の音源を買うよりも、送られてくるデモテープの方が面白かったんですよ、当時。あの時代でしか生まれなかった、すごく良い音がたくさん眠ってるんですよ。聴いてみたいでしょ。

むちゃくちゃ聴いてみたいから出そうよ。

取材:野田 努

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